蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth025:「サンディエゴの夜」

 どこのどんな仕事でも、退屈な時間と言うものは出てくる。

 夜の検問所と言うのは、そんな仕事の1つであろう。

 特に軍事施設のような、一般の車両が入ってくることがほぼ無いような職場の場合は。

 

 

「暇だなぁ……」

「そう言うこと言うなよ、ますます暇になるだろう」

 

 

 サンディエゴ郊外に設けられた検問所は、まさにそう言う場所だった。

 灰色の摩天楼が並ぶ市街地と緑豊かな自然保護区の狭間に位置するその検問所は、昼間は軍関係の車両が何台か通ることもある。

 ただ、夜間となるとほぼ誰も通らないような場所だった。

 

 

 それ故に、検問所の設備は小規模なものだった。

 砂利道を遮る遮断機が出入り口側に1つずつと、簡素な仮設小屋、その傍に機銃を備えた軍用車両が1両あるだけだった。

 本国、それも内陸と言うこともあるのだろうが、海軍偏重になりがちな近年の事情が何らかの影響を与えているのかもしれない。

 

 

『おーい、そっち何かいたりしないかー?』

「いるわけ無いだろ。お前のワイフでも森から飛び出てくるのか?」

『下手なテロリストより怖ぇよ、それ』

「おい、軍用回線で馬鹿な会話するな」

「悪ぃ悪ぃ、あんまり暇なもんだからさ」

 

 

 やることと言えば、休憩にかこつけた賭けポーカーと、出口側と入口側の無線で行う「糸電話ごっこ」くらいなものだ。

 今時珍しい高待遇職と言えども、暇なものは暇なのである、意外と退屈は苦痛を生むのだ。

 何も無いに越したことは無いが、何かあってほしいと思うのが人情と言うものだろう。

 

 

「はぁ~あ、綺麗なねーちゃんでも来ねぇかなぁ」

「あんまり馬鹿言ってると隊長にどやされるぞ」

「へいへいっと……うん?」

 

 

 サンディエゴ市街側のゲートで、迷彩服姿の兵士の1人が双眼鏡を構えていた。

 もちろんふざけただけで、何かを見ようとしたわけでは無い。

 だから実際に双眼鏡に何かが映った時、彼は変な声を上げてしまったのである。

 

 

「どうした? 本当にあいつのワイフでも出たのか?」

「いや、何かが銀色に光ったような」

「銀色? 今度は宇宙人(グレイ)とか言い出すんじゃないだろうな」

「いや、そう言うんじゃなくて……うぉわっ!?」

 

 

 視界の中で光った何かを探していると、ぬっと双眼鏡の視界が白いもので埋まった。

 顔だ、誰かが双眼鏡の反対側からこちらを覗き込んでいる。

 慌てて顔を離せば、相手が本当に目の前にいることに気付く。

 いつの間に、と言うより、突然現れたと言う風だった。

 

 

「こんばんは」

 

 

 それは、美しい少女だった。

 銀色は、少女の髪の色だった。

 不思議な色合いの瞳を猫のように細めて、造りものめいた白い顔に笑顔を浮かべている。

 毒気を抜かれたように呆けた顔をしていた兵士も、少女がゲートの内側にいることに気付くと、厳しい顔で銃口を向けた。

 

 

「な、何だお前は! どこから現れやがった!?」

「おいよせ、子供だぞ! キミ、ここは立入禁止区域だ。誰かと一緒じゃないのかい?」

 

 

 それぞれの反応を見せる兵士達に対して、銀髪の少女はやはりニコニコとした笑顔を浮かべていた。

 その視線はどこか物珍しげで、特に自分に向けられた銃口を覗き込んでいた。

 

 

「人を探しているんだけど」

「親御さんかい?」

「ボクに親はいないよ」

 

 

 一瞬、兵士達が「悪いことを聞いたか?」と言う顔をした。

 しかし銀髪の少女は笑って、顔を上げた。

 検問所の街灯に照らされて、血に濡れた顔の左半分が見えるようになる。

 ぎょっとした顔をする兵士達に向けて、少女は言った。

 

 

「ボクの艦長殿は、この先にいるのかい?」

 

 

 残った右目が、妖しく輝いていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 群像は、冬馬と良治を伴ってサンディエゴのダウンタウンを歩いていた。

 時間も時間だ、そこかしこから怪しい雰囲気が漂っている。

 道を一本間違えれば即、命を失ってもおかしく無いような場所だ。

 

 

「――――ここだな」

 

 

 彼らが何故、そんな危険な場所を歩いているのか?

 それは、群像が1時間程前にエリザベス大統領と交わした会話による。

 

 

『キサの拉致には、アメリカ軍は関与していないわ』

 

 

 その時、大統領は紀沙の拉致について軍の関与を否定した。

 アメリカ軍は全て大統領の指揮下にあり、どこかの部隊が勝手に動けばすぐわかるようになっている。

 第一、大統領と軍にはわざわざ紀沙を拉致する必要が無い。

 紀沙を狙う以上イ404や振動弾頭が目的だろうが、紀沙を拉致しなくても振動弾頭は入手できるし、イ404についてはこれまで1度も言及したことが無い。

 

 

 第一、サンディエゴを見て回れと送り出しておいて拉致と言うのは、行動が支離滅裂に過ぎる。

 それに特殊部隊まで使って拉致せずとも、そのつもりならホテルで会見した時に日本艦隊の首脳部ごと拘束すれば良かった。

 もちろん国防総省や諜報機関(CIA)の独断専行の可能性は否定できないが、エリザベス政権発足後の4年間でそうした一部の「跳ねっかえり」はすっかり鳴りを潜めているらしい。

 

 

『と言って、作戦の鮮やかさと装備からしてアメリカ軍とは無関係とも思えないわ』

『……どう言うことでしょうか?』

『私にもわかりません。ただ、今回の件を由々しき事態とは思います』

『大統領、我々にはこの国にツテがありません。紀沙艦長救出のため、ご助力を頂けないでしょうか』

 

 

 結果として、群像は大統領からある場所を訪れるように助言を受けた。

 それは、いわゆる情報屋のアジトだった。

 群像達の目の前にある雑居ビル、その裏口の扉がそうだった。

 鉄製で、随分と重そうな扉だ。

 

 

「大統領によれば、この時間帯のこの場所で間違いないらしい」

「本当に大丈夫かよ、何かの罠なんじゃねぇの?」

「大統領がオレ達を嵌める必要性は無いからな」

 

 

 手元のメモを見ながら、群像が周囲に注意しつつ扉をノックする。

 冬馬が良治に視線を向けると、彼は肩を竦めて見せた。

 任せるしかない、そう言う意思表示だろう。

 それについては冬馬も同意見だったが、信用する気にはならなかった。

 

 

 情報屋。

 紀沙を攫った相手が軍と繋がっている可能性がある以上、公的なルートは使えない。

 それならば蛇の道は蛇、裏のルートを使うしか無い。

 そう言うルートを平然と紹介する大統領も、なかなかどうして油断できない。

 流石に、政治の頂点を極めただけのことはある。

 

 

「良し、これで良いはずだ」

 

 

 大統領の指示通りにノックを繰り返した群像は、最後にインターホンを三度押した。

 三度目で、がちゃりと受話器を取るような音が聞こえた。

 そして――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 群像達が室内に入った時、中には誰もいなかった。

 壁紙もカーペットも無いブロック打ちの部屋には、椅子が1つあるだけだった。

 そして椅子の上には、音声受信機(ラジオ)を抱えた不気味なピエロの人形が座っていた。

 

 

「何か俺、映画か何かでこう言う展開見たことあるぞ」

 

 

 冬馬の声に反応したのか、ピエロが顔を上げた。

 どう言うカラクリになっているのかはわからないが、人の声に反応して動くのだろう。

 そして、カタカタと人形の口のギミックが動いた。

 

 

「うわっ、人形が動いたよ!」

「やべーって、おいやっぱ帰ろうぜ!」

 

 

 肝試しに来た学生か、と、自らはそんな経験も無い癖に群像はそんなことを考えた。

 それにしても、実は2人とも割と余裕があるのではないだろうか?

 まぁ良い、それよりも目の前の人形だ。

 情報屋が自身の身を隠すと言うのは、予測した対応の1つには入っていた。

 そして人形が受信機を抱えていると言うことは……。

 

 

『おやおや、今日はミーのショップにたくさんのお客様が来てるねぃ』

 

 

 明らかに変声機を使っているだろう、乱れた音声。

 ただ何より群像は驚いたのは、聞こえてきた声が流暢な日本語だったことだ。

 カメラにでもなっているのか、人形の目がじっと群像達を捉えている。

 

 

「あなたが情報屋か?」

『世界一の情報屋のことなら、ミーで間違いないよ。ジョンとでも呼んでくれれば良い』

 

 

 世界一とは大きく出たものだ。

 しかし大統領の紹介ともなれば、あながち誇張とも思えない。 

 

 

「エリザベス大統領の紹介で来た。力を貸して欲しい」

『ミーの力を? 日本艦隊のジャパニーズがミーに用なんて、まさにブルースカイの霹靂(へきれき)だねぃ』

「俺らのことを知ってるのか?」

『何でも知ってるよミーは。ミーのサウザンドアイズの前には、誰も何も隠せないのさ』

 

 

 何かのギミックなのだろう、人形がカタカタと不快な笑い声を上げた。

 大統領から聞いた話では、この情報屋は国の諜報機関からも依頼を受けるような凄腕のハッカーであるらしい。

 どうやっているのかはわからないが、世界中の情勢に通じているとか。

 

 

 そして、基本的に金で動く、と言うことも聞いていた。

 あらゆる情報を金で売る、相手は選ばないため、国から頼りにされると同時に警戒されているような人物だった。

 実際に会った者は誰もおらず、人種も国籍もわからない。

 だからこそ、後腐れも無く話も早い。

 

 

「なら今日の夕刻、空母博物館で起きたことを知っているか?」

『ああ、州兵が日本艦隊の艦長を拉致した件かい?』

 

 

 州兵、初めて聞く単語だった。

 日本では余り想像しづらいが、アメリカには政府軍の他に軍隊がある。

 50ある州の政府――日本で言う県庁、ただし権限も規模も比べ物にならないが――がそれぞれに軍隊を保有しており、平時は州知事の指揮下に置かれる正規軍である。

 

 

 例えばサンディエゴが所属するカリフォルニア州には、約3万人の州兵が配備されている。

 いわゆるアメリカ軍に準ずる装備を持ち、場合によっては戦闘機や戦車、艦船も運用する。

 その中にはもちろん、特殊部隊も含まれていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 紀沙を攫った相手を平然と口にするのは、一種の売り込みと考えるべきだろう。

 

 

『なるほど、ユー達の用件はそのことなんだな。拉致された艦長の行方が知りたい?』

「……話が早くて助かる。教えて貰えないか?」

『わかってると思うけど、ミーはタダで情報は渡さないんだよねぃ』

「わかっている、金銭で情報を売っていると聞いた。その情報はいくらで売って貰えるのだろうか?」

 

 

 正直、金は持っていない。

 最悪の場合は大使館と日本政府に請求するしか無いが、今はとにかく情報が必要だった。

 だから多少の金額については、群像は気にかけるつもりが無かった。

 群像の懐が痛むわけでも無いし、大統領に情報屋を教えて貰うために告げた()()もある。

 ここで諦めると言う選択肢は、群像には無いのだった。

 

 

『んー、残念だけど。この情報はマネーでは売る気は無いんだよねぃ』

「何?」

「ちょ、てめぇふざけんなよ! 情報屋が情報を売らないなんて、じゃあ、お前何屋だよ!」

『売らないとは言ってない、だけどマネーはいらない。ミーの条件を呑んでくれたら、ユー達が欲しがってる情報……いや、ミーの持ってるあらゆる情報全部をあげるよ』

 

 

 情報屋の言葉に、群像達は顔を見合わせた。

 相手の意図が読めず、反応に困ったのだ。

 ただ大統領が信頼を寄せる情報屋の言葉だ、嘘は無いと思う。

 表だろうと裏だろうと、情報屋にとって信頼は商売を続ける上で最も大事なことだ。

 

 

「……聞こう、その条件とは?」

『ディフィカルトなことじゃないよ。条件と言うのは、とても簡単なことさ』

 

 

 情報屋は、言った。

 

 

『ミーを、ユー達の(フネ)に乗せて欲しいんだよ――――』

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「きっと大丈夫よ、あの子達なら」

 

 

 心配する夫に、エリザベスは言った。

 すでに深夜だが、夕食を切り上げてホワイトハウスの大統領執務室に入っている。

 オーバルオフィスと言うだけあって、その部屋は楕円(オーバル)の形をしていた。

 

 

 淡い色合いの調度品に、赤いカーテンと観葉植物、ソファと背の低いテーブル。

 執務卓の傍らには星条旗がはためき、楕円形のカーペットには米国の偉人達の言葉が刻まれている。

 全て、自由と平和を尊ぶ言葉だ。

 大統領執務室は場所と形こそ数百年変わっていないが、内容については大統領の好みで変えられる。

 一説には、執務室を見るだけでその大統領の政治姿勢がわかるとまで言われている。

 

 

「それは、何かの勘かい?」

「そうね。何となくそんな気がする、と言うくらいだけれど」

 

 

 ふふ、と小さく笑って、エリザベスは窓の外を見ていた。

 大きな樹木に囲まれたそこから外の様子を窺うことは難しいが、何となく見ずにはいられないのだった。

 

 

「正直に言うとね、ロブ。あの子達に情報屋……彼のことを教えるかどうか、悩んでいたのよ」

「そうだね。あの子達と会えば、彼はきっと僕達とのビジネスから手を引くだろうね。それがわかっていて、どうして教えたんだい?」

「うふふ。それはね、ロブ。仕方ないじゃない?」

 

 

 困ったように笑って、エリザベスは夫を見た。

 夫のロバートはすでにエリザベスの心境を理解しているのか、あえて語らせるような態度を取っている。

 妻が話したがっていると、わかっているのだ。

 

 

「家族を助けたいと言われたら、教えないわけにはいかないでしょう?」

 

 

 群像から連絡を受けた時、エリザベスは本当に迷っていた。

 はたして、この日本人の少年――しかも傭兵――は信用できるのだろうか。

 自分が抱える情報網の一部を渡しても、後々に問題とならないだろうか。

 大統領として、考えずにはいられなかった。

 

 

 だから、聞いた。

 どうして紀沙を助けたいのかと、そう聞いた。

 そして群像は、こう答えたのだ。

 

 

『彼女は、オレの家族です』

 

 

 聡い少年だと、そう思う。

 エリザベスが聞きたかった答えを的確に理解したところは、特にそう思った。

 ただ、形ばかりの言葉であればエリザベスの心は動かなかっただろう。

 そのエリザベスの心が動いたと言うことは、群像の言葉に彼女を動かす真があったと言うことだ。

 

 

「ふふ、ダメね。あのくらいの年頃の子を見ると、つい思い出してしまって」

「……そうだね」

「きっと今頃は、あのくらいになっていたわよね」

「そうだね、リズ。きっとそうだよ」

 

 

 夫に、エリザベスは微笑んで見せた。

 それから再び窓の外を見て、ガラスに映る自分自身と見つめあった。

 大統領の衣を纏った、自分。

 

 

「私も、しっかりしないとダメね」

「キミはずっとしっかりしているよ、キミが思っている以上にね」

「……有難う、ロブ」

 

 

 その時、電話が鳴った。

 執務卓に置かれたそれはレトロな黒電話の形をしていたが、機能そのものは他の端末と同じだった。

 手を上げて夫を止め、エリザベスは自分で電話を取った。

 

 

「私よ。こんな夜中に起こして悪かったわね、ええ。ええ、ええ、そう、呼んで欲しいの、明日の朝に」

 

 

 頷き、エリザベスは言った。

 

 

「ミスター・ウィリアムをホワイトハウスに」

 

 

 エリザベスは、己が大統領であると同時に()()()()()であることを知っている。

 だから彼女は、自ら危険な賭けに出ることを躊躇わなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 コロナド基地の地下ドックへ戻るためには、アメリカ側のチェックを受けなければならない。

 当たり前のことではあるが、出入りに時間がかかるのはこう言う時には面倒だった。

 ただ戻ってこないメンバーについて深く追及して来ないのは助かった、大統領が手を回しているのかもしれない。

 

 

「ただいま~」

 

 

 あおいがイ404に戻って来た時には、紀沙の拉致からすでに4時間が経過していた。

 群像達と別れてからは2時間半が経過しており、イ404側は焦れている頃だった。

 

 

「艦長は?」

「まだ何とも~。トーマ君達が情報屋さんの所に行ってるところだと思うけど」

「ちっくしょう、こんなんじゃ落ち着いて仮眠も取れやしないよ」

 

 

 艦内に入るなり、梓が駆け寄ってきた。

 よほど苛立っているのか、右の拳を左の掌に打ち付けた。

 

 

「戻りましたか。では、後はお願いします」

「はいはぁい、任せて~」

 

 

 あおいが戻って来たのは、状況報告のためと、静菜と交代するためである。

 普段の作業着姿とは違う()()()()姿の静菜に、あおいは「あらあら」と言った風に頬に手を当てた。

 そう言う任務では、あおいが自分が役に立たないことを理解していた。

 

 

 その時、ふと小さな視線に気付いた。

 蒔絵だった。

 通路の角から身体を半分隠すようにしてこちらを見つめていて、その視線はどこか不安げだった。

 流石に横須賀とは違って、コロナド基地に単身忍び込んだりはしていない。

 

 

「あらあら、蒔絵ちゃん。どうしたの~?」

「……あのお姉さんは、まだ帰って来ないの?」

「そうねぇ、まだお仕事なのよ~」

「あっちのお姉さんは、今からお仕事なの?」

「そうねぇ、色々と大変そうねぇ」

 

 

 蒔絵には、常に誰かがついている。

 紀沙の命令と言うかお願いのためで、振動弾頭の開発者の保護と言う意味では妥当な判断だと言えた。

 また、潜水艦と言う不健康な――自分達で言うのも妙な気はするが――場所で生活する以上、そう言う意味でも誰かが傍にいた方が良いと言う判断だろう。

 

 

「…………」

 

 

 ただ、聡い子だ。

 今も何かを感じ取っているのだろう、沈んだ顔を見せている。

 あおいは柔らかな笑顔を浮かべると、ゆっくりと蒔絵の頭を撫でた。

 

 

「さ、今日はもう遅いわ。明日の朝には皆帰って来るから、早く寝ましょうねぇ」

「……うん」

 

 

 明日の朝には、皆が帰って来ている。

 それは、あおい達が自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 静かに、しかし確実に事態は進行している。

 そうした動きの中で自分達が蚊帳の外に置かれているような心地を、駒城は感じていた。

 

 

「大丈夫でしょうか、紀沙艦長は」

「そんなことをここで心配しても始まらんだろう、信じて待つことだ」

 

 

 白鯨の発令所は、緊張の中にあった。

 艦長のシートに座る駒城は苛立ち混じりに膝を揺らしていたし、その隣――オブザーバーの席――で、浦上は普段と変わりの無い様子を見せていた。

 ただ声には嗜めるような響きがあり、浦上も無心では無いことが窺える。

 彼らはイ404側からの緊急連絡を受けた後、不測の事態に備えて白鯨にいた。

 

 

 艦内に警戒態勢を敷きつつ、イ404側からの再度の連絡を待つ。

 それが良い報せになるのか悪い報せになるのかは、まだわからなかった。

 今、基地の外にいるイ404のクルーと群像達が紀沙救出のために動いているはずだ。

 時間までに基地に戻っていないと言うのは不味いが、緊急事態だ、大統領も黙認してくれている。

 

 

「大丈夫ですよ」

 

 

 そんな中で、真瑠璃だけがひとり平然としていた。

 カチカチと携帯端末を指先で操作しながら、駒城達に向けて大丈夫だと言った。

 実際、真瑠璃の表情に焦りや憂いの色は見えない。

 むしろ安心の色さえ見えて、駒城は訝しげな顔をした。

 

 

「群像艦長がいます。彼がいるのであれば、私達が心配することは特にありません」

 

 

 笑顔すら浮かべて、真瑠璃は言った。

 それは本心だった。

 事実として、真瑠璃は群像が紀沙を助けに行ったと聞いた段階で心配はしていなかった。

 自分が考えたり気を揉んだりする必要は無くなった、とすら考えている。

 

 

「むしろイ401とイ404の防備が弱まっています。霧の艦艇ですから問題無いとは思いますが、それでもです。万が一に備えて、クルツ中尉と海兵隊コマンドを待機させるべきです」

 

 

 過激なお嬢さんだな、と、浦上は思った。

 何故なら真瑠璃の提案はアメリカ軍の裏切りを想定してのことで、しかも一戦も辞さないと言う意味を持っていたからだ。

 しかし考え過ぎだと笑い飛ばせる程に、浦上の頭はお花畑では無かった。

 千早兄妹とのパイプ役程度に思っていたが、少し考えを改める必要があるかもしれない。

 

 

 そしてもう1つ、浦上には見えたものがある。

 それは真瑠璃が、群像と紀沙、イ401とイ404の4つのことだけを考えている、と言うことだ。

 真瑠璃の考えは正しい、今の自分達にはあの2人と2隻が何よりも重要だからだ。

 問題があるとすれば、真瑠璃が自分自身を守るべき重要なものの中に含めていないように見えるところか。

 

 

(そう言えば、このお嬢さんも千早の(せがれ)達に縁があるんだったな)

 

 

 海洋技術総合学院、真瑠璃も含めて()()()()は妙な縁に巡り合せたものだ。

 そして胸ポケットの中に入れたままの「封筒」のことを思い出して、浦上は唸るように瞑目したのだった。

 夜明けは、まだ遠い。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 群像は、相手の出した条件が良くわからなかった。

 いや、条件の内容がわからないわけでは無い。

 ただ、その意図が読めなかったのである。

 

 

「艦に乗せろ、と言うのはどう言う意味だろうか」

『そのままの意味ネ。ミーをユー達日本艦隊の艦に乗せて欲しいんだ。艦はどれでも構わない』

 

 

 答えは、明瞭だった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()、条件はそれだけだ』

 

 

 アメリカの情報屋を、日本に連れて行く。

 正直、意味は良くわからない。

 ただ条件としては破格に見える、何しろ金銭や物資を要求されたわけでは無いのだ。

 それで紀沙の情報を得られるのであれば、条件を呑んでもお釣りが来る。

 

 

 それに紀沙の居場所を知るだけでは救出は出来ない、他にも色々な情報が要る。

 となれば、情報屋自身がこちら側に来ると言うのは魅力的だ。

 他にも様々な情報を持っているだろう。

 

 

「……オレの一存で決めることは難しい」

 

 

 ちらりと冬馬と良治を見て、群像は言った。

 

 

「それに日本艦隊の今後の行動も、まだはっきりと決まっていない。艦に乗ったからと言って、すぐに日本に向かうとは限らない」

『条件は1つ、そう言ったはずだよ群像ボーイ』

「……オレのことも知っているのか」

 

 

 特に情報を封鎖しているわけでは無いし、学院の記録を探せば出てくる情報だ。

 あるいはアメリカ政府に渡ったプロフィールからか。

 いずれにしても、やはりこの情報屋の腕は確かなようだった。

 

 

『ミーの要求は1つ、ミーを日本に連れて行くこと。どれだけ時間がかかっても、どれだけ寄り道しようと構わない。ミーを日本に()()()()()()くれるなら、ミーは何でもやるよ』

「……それ程までに、か」

『それ程までに、だ。例えば、もし要求を呑まないならこの人形に仕込んだ爆弾をエクスプロージョンさせるくらいには本気だよ』

「んなっ!」

 

 

 冬馬は組んでいた腕を解いた、こんな密閉空間で爆発など洒落にならない。

 だが群像は慌てなかった、回避できる脅しは脅しでは無い。

 

 

「情報屋、確認する。キミを日本に連れて行く以外に条件は無いんだな?」

『ナッシング』

「そうか」

 

 

 目を閉じて、すぐに目を開いた。

 元より選択肢は無い、時間も無い。

 だから群像は真っ直ぐに人形を見つめた、おそらく相手も群像を見つめているだろう。

 群像達の必死さを笑いながら、そしておそらく群像達よりも必死に。

 群像が、口を開いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――紀沙は、霧が憎かった。

 家族を奪った霧が憎かった、自分の人生を奪った霧が憎かった。

 心の底から、この世から霧が消滅してしまえば良いと願っていた。

 振動弾頭の輸送も、その一念でやっていたようなものだった。

 

 

(ミスター・ウィリアムの提案に応じれば、それが出来るかもしれない)

 

 

 霧の北米方面艦隊を壊滅させられるなら、他の霧の艦隊も同様だろう。

 モデルケースになり得る作戦ならば、他の国にだって可能かもしれない。

 今は霧優位のパワーバランスも、一挙に人類側に傾くだろう。

 そうなれば、創意工夫の力に劣る霧が再び優位に立つのは難しいはずだ。

 

 

「どうかな、キサ艦長。我々と共に、人類の未来を切り開こうでは無いかね」

 

 

 そう言う意味で、ウィリアムの提案は魅力的だ。

 提案する相手に紀沙を選んだことも、ウィリアムの目の正しさを証明している。

 ただ惜しむらくは、さしもの彼も紀沙の心までは読めなかったと言うことだ。

 

 

 正直、迷った。

 心揺れたと言っても良い。

 もし紀沙が日本では無くアメリカで生まれ育っていたなら、一も二も無く協力しただろう。

 最も、その場合の紀沙は霧の艦長にはなれていなかっただろうが。

 

 

「ミスター・ウィリアム。申し出は嬉しく思いますが」

 

 

 つまり、ウィリアムは紀沙を見誤っていた。

 

 

「私は日本の軍人です」

 

 

 紀沙にとって、日本の軍人であると言うことは特別な意味を持つのだ。

 父と兄が国を裏切った――と、思われている――今、千早家の名誉を守るためにも、日本の軍人としての職責を全うしなければならない。

 それにもし自分まで国を出てしまったら、残された母はどうなるのか。

 

 

 自分を守ってくれた北の立場は、どうなるのか。

 それだけでは無い、紀沙と共に死地を潜り抜けてきたイ404のクルー達の想いはどうなるのか。

 紀沙は自分が未熟な艦長であることを知っている、しかし艦長としての心構えは北に訓示されている。

 それは。

 

 

「私に信じてくれる人達のことを、裏切ることは出来ません」

 

 

 それは、信頼を裏切らないと言うこと。

 狭い艦内で不信が広がれば、それは死に直結する。

 だから艦長はクルーの信頼を裏切ってはならない、軍人は同じ軍人を裏切ってはならない。

 ましてクルーは艦長の所有物では無い、彼らの未来を軍令の範囲外で決めてはならないのだ。

 だから紀沙は、ウィリアムの申し出を受け入れることは出来なかった。

 

 

「ふむ、それは日本政府が命じても変わらないのかね?」

「出てもいない命令について、私には判断することは出来ません」

「教科書的な回答だな、実につまらない。組織の論理に殉じるよりも、自分の才覚を試したいとは思わないのかね?」

「……思いません」

 

 

 元より、兄である群像にも遠く及ばない才覚だ。

 自身の栄達を求めると言う考えは、紀沙には無い。

 

 

「ふぅむ、参ったな。まさか断られるとは思わなかった、なぁジャン」

「そうだねぇ、僕としてもビジネスに響くのは勘弁してほしいな」

 

 

 紀沙は、ウィリアムの提案に首肯できない。

 問題は、セールスでは無いので、断ったからと言って帰れるわけでは無いと言うことだ。

 と言うか、最悪の場合は……。

 

 

「とは言ってもね。女性に手荒な真似は出来ないだろ、ウィリアム?」

「そうだな、ならば根気良く説得するしかあるまいな」

「…………」

 

 

 信用は置けないが、ウィリアムとジャンには本当に「手荒な真似」をするつもりは無いらしい。

 実際、困ったように腕を組んで考え込んでいた。

 室内に兵士を招き入れる様子も無い。

 特殊部隊を使って拉致しておいて今更だが、そう言う意味での「手荒」は避ける方針らしかった。

 

 

「まぁ、とにかく。美味しい食事でも取りながら」

「ねぇ、あなた?」

 

 

 その時だ、ジャンの隣にいた女性が初めて口を開いた。

 ニナと言ったか、呼び方からして夫婦なのだろう。

 何というか、典型的な金髪モデル体系の美女、と言う風な容姿の女性だった。

 ツリ目が少しキツい気もするが、もしかするとジャンよりさらにひと回り年下かもしれない。

 

 

「男2人に詰め寄られては、その子も緊張してしまうわ。もし良かったら、私と2人きりにさせて貰えないかしら」

 

 

 女性と2人きりか、と、紀沙は思った。

 少々ズルいかもしれないが、その方が活路を見出せるかもしれない。

 

 

「い、いや、それはちょっと。やっぱりビジネスの話だしね、僕達がいないと」

 

 

 だからジャンが断るのを、別に不思議とは思わなかった。

 ただ何となく違和感を感じるとすれば、ジャンが少し表情を引き攣らせたことだろうか。

 何と言うか、紀沙に逃げられるかもしれない、と言う類のものとは違った気がするが……。

 

 

「……何事だ?」

 

 

 その時だった。

 甲高い、夜の静寂を引き裂くサイレンが鳴り響いたのは。

 それは世界各国共通の警戒警報で、一度聞けば外国人の紀沙でも意味がそれとわかった。

 ――――まして、爆発音まで聞こえてくれば。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 今年で24歳になるカリフォルニア陸軍州兵、クリスは、特に特徴の無い一般的な州兵だった。

 普通に志願し、普通に入隊し、普通に任務に就いていた。

 3年前に付近で起きた山火事の際に災害出動し、遠足に来ていた子供達を救助したことが自慢の、普通のアメリカ人の若者だった。

 

 

「ぐ、お……」

 

 

 そのクリスが今、逆さまになった車両の中で呻き声を上げていた。

 深緑色の、タイヤが8個もついた戦車に似た車両だ。

 ただ戦車のような砲塔はついておらず、いわゆる装輪装甲車と呼ばれる車両だった。

 それでも重機関砲を搭載した強力な車両であって、余程のことが無ければ引っ繰り返ったりはしない。

 

 

 だが今、車両の中から這い出たクリスの目の前で、その「余程のこと」が起こっていた。

 と言うか、これは現実なのだろうか?

 夢で無いのなら、ここは地獄だ。

 何故なら、今、彼の目の前では――――。

 

 

「――――流石に鬱陶(うっとう)しいな」

 

 

 赤い火焔と立ち上る白煙が、熱気を伴ってあたりに吹き荒れていた。

 重力場のフィールドの中にいるスミノは感じないが、外に出れば相当の熱を感じたことだろう。

 スミノが立っている場所から基地の正面ゲート――サンディエゴ市街地から東に15キロ程、貯水池と自然保護区の狭隘な土地に築かれた基地だ――までは僅か数百メートル、その僅か数百メートルの間に、何両もの車両や火砲が横転、あるいは不自然な形にひしゃげて破壊されていた。

 

 

「艦長殿もそうだけれど、人間と言うのはどうしてこう無駄なことが好きなのかな」

 

 

 ちらりと視線を上げれば、フィールドの外郭を絶え間なく叩く銃弾が見える。

 自動小銃(カービン)重機関銃(ブローニング)、建物の陰や窓、横転した車両等の遮蔽物の間から絶え間なく弾丸が発射されている様子が見える。

 射撃の光は濃密の一言で、普通の人間がバイザー無しで見続ければ目を焼かれただろう。

 

 

「さて、どうしてやろうかな」

 

 

 その濃密な銃弾の嵐の中を平然と歩きながら、スミノはあたりをきょろきょろと見渡していた。

 足元の残骸を蹴り転がしながら進み、何となく攻撃が激しい方向に向かう。

 セオリー通りなら、1番重要な場所に兵力を集中させるだろうと言う考えからだ。

 まぁ、もしかすると単純に()()()()正面玄関から入ろうとしているだけかもしれないが。

 

 

 おや、と顔を上げた。

 すると銃弾とは違う一際大きな砲弾がフィールドの天頂部にぶつかり、爆発を起こした。

 大砲では無く、放物線を描きながら落下する迫撃砲弾だった。

 スミノの姿が爆発に呑まれて、一瞬、消えた。

 

 

「どうだ、やったか?」

 

 

 少し離れた位置にいた砲兵が、生唾を飲み込みながらそう呟く。

 歩兵部隊の観測で砲弾を叩き込んだ、通信から聞こえる歓声からして直撃したはずだ。

 しかし。

 

 

「な……!」

 

 

 ぼんっ、と、爆煙の中から何かが飛び出して来た。

 何かと言うか、それは人の形をしていた。

 人の形をした何か、スミノは一息に数百メートルを飛び越えると、呟きを発した兵士の顔を掴んだ。

 みしり、と、嫌な音が頭蓋から響く。

 

 

「ぐおっ!?」

 

 

 スミノはその兵士の身体をフィールドで覆うと、棍棒か何かのように振り回した。

 小柄な少女の姿からは想像も出来ぬ膂力(りょりょく)、それでももって、周辺に設置された迫撃砲を薙ぎ払った。

 フィールドがぐにゃりと歪み、地面ごと掬い取って吹き飛ばす。

 

 

 周辺の兵士達が悲鳴を上げて、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 その背中に向けて、手に持っていた兵士を投げ飛ばす。

 ボウリングでピンが弾き飛ばされるのと同じ要領で、人間が吹き飛んだ。

 その時、爆発や銃弾とは違う音が空から聞こえて来た。

 

 

「大歓迎だね、でも貰ってばかりじゃ申し訳ないからさ」

 

 

 ヘリコプター、重機関銃の銃口が当然のようにこちらを向いていた。

 それを見て、スミノは地面に転がっていた予備の迫撃砲弾を爪先(つまさき)で蹴り上げた。

 

 

「プレゼントだよ」

 

 

 蹴り上げた砲弾を掌で打ち上げると、ボッ、と空気の壁を突き破る音が響いた。

 砲弾は真っ直ぐに飛び、ヘリコプターの重機関銃を粉砕して、そのままヘリの胴体を突き破って反対側に抜けた。

 機関やプロペラはわざと避けた、突き抜けると同時に砲弾を覆っていたフィールドを解除する。

 

 

「どかーん」

 

 

 赤い爆炎が、夜空を照らした。

 直撃こそ避けたものの、至近での爆風に煽られたヘリコプターはバランスを失い、緩やかに回転しながら地面へと落下して行った。

 落下したヘリから搭乗員達が泡を食って飛び出し、その直後にヘリが火を噴き始めた。

 

 

 地獄だった。

 たった1人の正体不明の少女によって、予備部隊とは言え1国の軍隊が、1国の基地が蹂躙されている。

 スミノが歩いた後には破壊された兵器や建物、その傍で呻く兵士達の姿しか残らなかった。

 鼻歌を歌いながら歩いていると、スミノは横転した装甲車の下から自分を見上げている男に気付いた。

 額から血を流しながら、彼は明らかな怯えを含んだ視線でスミノを見ていた。

 

 

()化け物(モンスター)め……!」

 

 

 そんな彼に対して、スミノはにっこりと笑顔を浮かべた。

 誰よりも可憐な笑顔はしかし、火焔に照らされて不気味に見えた。

 そして、片目のメンタルモデルは言った。

 

 

「ねぇ、艦長殿がどこにいるか知らないかい?」

 

 

 そんなスミノの背後で、墜落したヘリコプターが大きく爆発した。

 




登場キャラクター:

ジョン:大野かな恵様

有難うございます。


最後までお読み頂き有難うございます。
もう少し進めたかったですが、少し自重して次回へ。

なお次回はリアルの都合のため、申し訳ございませんが更新をお休み致します。
次回の更新は8月12日金曜日となります。

それでは、また次回。

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