蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth026:「商談と銃弾と」

 スミノが、来た。

 紀沙が左目の痛みと共にそう確信した時、ウィリアム達も同じ確証を得た。

 ただしウィリアム達は、基地の責任者からの連絡と言う形でそれを知った。

 

 

「するとこう言うわけかね、基地司令官。キミ達はたった1人の少女に良いようにやられていると」

『は……面目次第もありません。ミスター・ウィリアム、ただちに避難を』

「冗談も休み休み言い給え。大統領になろうと言う男が少女1人怖くて逃げ出したなど、良い笑い者だ。キミ達の責任でもって、侵入者を排除し給え――――……さて、これは参ったな」

 

 

 通信を切り、さして困っていない様子でウィリアムは言った。

 彼としては別に州兵に守られて避難するのも吝かでは無かったが、今回の場合は避難しても意味が無いと判断していた。

 理由は、1つしか無い。

 

 

「おそらく、今この基地を攻めているのはメンタルモデルだろう。何度か資料で北米艦隊のメンタルモデルについて見たことがある」

「ふぅん、あれがそうなのか。僕は初めて見るよ」

 

 

 食堂の壁がスライドして、大型のモニターが現れていた。

 元はシアター用らしいが、基地内の監視カメラの映像を映し出すことも出来る。

 8分割されたモニターのいくつかは火焔の赤に染まり、破壊されたらしい物は砂嵐を映し出していた。

 そして現在は、右端のモニターに映る光景が最も激しく変化していた。

 

 

 基地施設の入口だろう、広々としたホールが見える。

 ただし、そのフロアが元はどんな姿をしていたのかはわからない。

 もはや原型を留めない程に破壊し尽くされたそこには、ウィリアム達の言うように1人の少女が立っていた。

 言うまでも無く、霧のメンタルモデル――スミノである。

 

 

「さて、これで立場が逆転してしまったことになるのかな?」

 

 

 どこか余裕がありそうな態度なのは、良い意味で諦めているからだろう。

 自然体のウィリアムに、優位に立ったはずの紀沙は何も言葉をかけることが出来なかった。

 いや、そもそも優位に立ったと言う気持ちにはなれなかった。

 自分は未だウィリアム達に囚われた状態であり、彼らが凶行に及ぶ可能性も残っている。

 

 

「まぁ、ビジネスは時には諦めることも大切だからね。今度はエリザベス大統領に直接売り込みをかけるとしようかな」

「お前と言う奴は。何も私の前で言わなくとも良いだろう」

「僕はあくまでビジネスマン、党員でも無ければサポーターでも無いからね。身軽なものさ」

 

 

 ただ、その心配は必要ないようにも思えた。

 何故なら出会ってからこっち、ウィリアムもジャンもこちらに危害を加える素振りを見せていない。

 まぁ、拉致と言う最初の手段を除けば、だが。

 それに多分、指摘しても責任を取らされるのは彼らでは無いような気がする、それが政治だ。

 

 

(……あれ、じゃあ私のこのわだかまりはどこにぶつければ?)

 

 

 近い内にやって来る――しかも、自分を()()()やって来る――だろうスミノが自分を見てどんな顔をするのか、考えるだけで憂鬱になった。

 しかしそう言うことを考えてしまうあたり、紀沙は弛緩していた。

 緩み、油断していた。

 

 

「…………」

 

 

 だからジャンの妻、ニナが席を立っても気に留めなかった。

 今さら、と言う気持ちがあったのかもしれない。

 しかし、紀沙は忘れていた。

 時として、女性は男性よりも激しく状況を動かし得ると言うことを。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 無人の野を行くが如しとは、今のスミノのことを言うのだろう。

 事実、スミノはさほど苦労せずに基地を()()していた。

 もちろん、スミノ自身にそんな意図は毛頭無いわけだが。

 

 

「さーて、艦長殿はどこかな、と」

 

 

 スミノは基地の施設内に堂々と入り込んで、我が物顔で練り歩いていた。

 そこは瀟洒な造りのホールになっていて、基地と言うよりはホテルと言った方がしっくりと来た。

 最も、そこかしこから銃弾が飛び交って来ることを除けば、だが。

 

 

「奴を止めろ!」

「これ以上は進ませるんじゃあ無いぞ!」

 

 

 スミノにしてみれば、「まぁご苦労様なことだねぇ」と言ったところである。

 とは言え、良い加減に諦めて欲しくも思っていた。

 何しろただの銃弾がスミノのフィールドを突破できるはずも無く、言ってみれば絶え間なく玄関の扉をノックされ続けているような状態である。

 いくらスミノが淡白と言っても、五月蝿いとは思うのだ。

 

 

「別に何もしやしないから、黙って見逃してくれないか……なっ!」

 

 

 受け止めて固定した銃弾を、360度にそのまま()()()()()

 相手の攻撃をそのまま反射した形で、結果は凶悪だった。

 射線そのままに反射した銃弾は、寸分狂わずに元の場所に戻った。

 すなわち、兵士達の持つ銃筒の中に飛び込んだのだ。

 

 

 凄まじい弾道計算力だった。

 スミノを取り囲んでいた兵士達は銃の爆発に巻き込まれ、悲鳴や呻き声を上げながら倒れていった。

 そしてその間を、スキップしそうな足取りでスミノが歩いていく。

 ピチャピチャと血の水溜りを蹴りながら、先へと進むスミノ。

 純真な少女と血だるまの兵士達、そのギャップは恐怖心を呼び起こすには十分な組み合わせだった。

 

 

「やっと静かになった」

 

 

 にこりと笑って、スミノは言った。

 誰にも彼女を止められない。

 誰にも彼女の邪魔をすることは出来ない。

 この基地はこのまま、たった1人――いや、1隻の霧の艦艇に蹂躙される。

 その場にいる誰もが、そう思った時だ。

 

 

『――――メンタルモデルに告ぐ』

 

 

 基地の放送システムにより、女の声が基地中に響き渡った。

 

 

『基地を侵攻中のメンタルモデルに告ぐ。貴女の艦長は預かっているわ』

 

 

 その言葉に、スミノは足を止めた。

 ゆっくりと顔を上げて、天井の隅へと視線を向ける。

 そこには、半円形の形をした監視カメラが鎮座していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 情報屋(ジョン)から必要な情報を得た後、群像はそのままの足でサンディエゴの中心街へ向かった。

 本当ならすぐにでも紀沙救出と行きたかったのだが、その前に会っておきたい相手がいた。

 

 

「で、誰なんだよ。その会いたいって奴は」

 

 

 アメリカ軍に借りた車――もちろんGPS付き、なお免許証は期限付きで特別交付――を運転しながら、冬馬は後部座席に座る群像に視線を向けた。

 バックミラー越しに見えるその顔は、相も変わらずの仏頂面だった。

 群像は手元の携帯端末を操作しながら、顔を上げないままに言う。

 

 

「説明するより、直に会った方が早いだろう」

「敵か味方かぐらい教えとけよ」

「どちらにしろ会っておく必要がある相手だ」

 

 

 なるほど、紀沙とは違うと冬馬は思った。

 紀沙は説明しろと言ったら一から十まで説明しようとするが、群像は下手すれば一すら説明しない。

 自分の中で計算式が定まるとそれに集中するタイプで、付き合うには一定の慣れが必要だ。

 ただしこのタイプは、嵌まれば強い。

 

 

 ぶっちゃけて言えば、()()が悪い人間は群像とは付き合えない。

 群像の一挙手一投足から次に何をしたいのかを察する、それが出来れば極めて近しい関係になれる。

 紀沙は物腰の丁寧さから、初対面ならば好印象を受けるタイプだが……この点、群像とは逆である。

 

 

「ったく、こちとら静菜とも合流しなきゃいけねーのによー」

(まぁ、実は紀沙ちゃんの方が人付き合いが下手なんだけどね)

 

 

 口には出さずに良治がそんなことを思っていると、どうやら目的の場所についたようだ。

 豪奢な門に、サンディエゴ市街の灯りに負けない程の、それでいて見る者を落ち着かせる色合いの照明に照らし出されているのは、数十階建ての建物だった。

 一部にブルーライトでも使っているのか、箱型の建物が美しくライトアップされていた。

 

 

「何だここは、ホテルじゃねぇか。野郎と来たくない場所トップ3に入る場所だぞ」

「チェックインするにしては遅い時間だと思うけど」

「わかっていると思うが、オレ達は宿泊に来たわけじゃない」

「じゃ、休け「はいそこまでー、ドクターストップだよー」もがもが」

 

 

 バタン、と車のドアを閉めると、相手の人物はすでに来ていた。

 まぁ、相手はこのホテルに泊まっているので、来ていたと言う表現は正しくないのかもしれない。

 ただ護衛もつれず1人でいると言うのは、聊か驚きだった。

 

 

「好都合だ、他人に聞かれたく無い類の話だからな」

 

 

 群像はそう言って、ホテルの入口に立つその人物の前まで歩いた。

 目の前に立つと、握手を求める。

 相手は、その手をじっと見つめ返していた。

 

 

「夜分に申し訳ない、しかし重要な話なのです」

 

 

 群像は、そんな相手の顔から目を逸らさなかった。

 

 

「お話を聞かせて頂けますね――――南野武官」

 

 

 在アメリカ駐在武官、南野の顔を。

 そして南野は、群像の言葉に重々しく頷くのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そもそもだ、アメリカと言う国は必ずしも外国人に対して寛容な国では無い。

 移民国家である一方、いや移民国家だからこそ、「私達(国民)」と「お前達(外国人)」と言う線引きはよりシビアになる。

 市民権と言うのは、その典型的な例であろう。

 

 

 そして17年前の敗戦によって、アメリカも他の国々と同様に、霧の海洋封鎖によって母国への渡航手段を失った多くの外国人を抱えることになった。

 その規模、実に数百万人。

 しかもこの数字は純粋な観光客等、その時たまたまアメリカにいた短期滞在者だけの数字だ。

 さらにそこに企業の駐在員等、いわゆる在米外国人が加わる。

 

 

「わかりますか。家も仕事も無い多くの人間が、いきなり異国の路頭に放り出されたのです」

 

 

 いかな大国と言えど、抱えきれるものでは無い。

 そして人々は自国の大使館や領事館を頼った、平時であればそれで問題無かっただろう。

 だが、数百万人――日本だけでも、数十万人の人々を大使館レベルで保護出来るわけが無い。

 各国の大使館・領事館はアメリカに求めた。

 

 

 ()()()()()()()

 

 

 勘違いしてはならないのは、自分達をアメリカ人にしてくれと言う話では無いと言う点だ。

 中にはそう言う外交官もいたかもしれないが、日本の大使館・領事館ではそう言うことは無かった。

 多くの大使館は、自国民を敷地内に入れないで欲しいとアメリカ政府に要請した。

 どうすることも出来なかったからだ。

 パスポートの発行や病院の世話どころでは無い、数十万人が「食わせろ」と押し寄せて来たのだから。

 

 

「まずアメリカ政府は、陸続きのカナダや中南米の人々を帰国させました。これは比較的に上手くいきました、外交的な話し合いで解決したと言う意味では」

 

 

 悲惨だったのは、海の向こう側の国々の人々だ。

 市民権や在米永住資格を持っていた者以外は、例外なくアメリカ政府の指定する地域に隔離された。

 事実上の、強制収容である。

 特に今のエリザベス政権になる前の8年間は、ピークだった。

 

 

「エリザベス大統領は、収容所の解体を進めました。仕事と手当てをつけて少しずつ、少しずつ人々を社会に復帰させて行きました。アメリカ社会の側が反発しないように慎重に、確実に。そのおかげで、日本人の収容所はこの4年で半分近くが解体されました」

 

 

 収容所の生活は、過酷なものだ。

 カリフォルニアの収容所は近郊に砂漠があることもあって、風は鋭く寒暖の差は激しい。

 水と食糧も僅かで、粗末な家に何十人もがすし詰めにされた。

 各国の外交官はそれでも抗議の声を上げなかった、本国では自分達も似たようなことをしていたからだ。

 

 

「おかしいと思ったのは、最初にコロナド基地で出迎えられた時でした」

 

 

 そうした事情を聞いた後、群像が口を開いた。

 南野が泊まっているホテルの部屋で、2人は互いに向かい合って座っている。

 良治と冬馬も、壁やベッド等思い思いの場所で話を聞いていた。

 

 

「大使が来ず、駐在武官の南野さんが来た。考えてみればおかしい」

「おかしくはありません。何故なら、大使は来られないからです」

「来られない」

「亡くなられているのですから、来られるはずが無いのです」

 

 

 本国にも伝えていないことだった。

 何しろ通信と言えば、衛星を使った断続的なメール通信だけの時代だ。

 リアルタイムの映像通信など、ケーブルを通せる陸続きの国だけでしか出来ない。

 

 

「自殺したのです、大使は。重圧に耐え切れずに」

 

 

 同胞を見殺しにすると言う決断に耐え切れずに自殺する外交官は、後を立たなかった。

 南野は軍人だけあって、不幸なことにそこまで追い詰められはしなかった。

 いや、もしかしたら死を選べる程に()()では無かっただけなのかもしれない。

 違法性を認識しつつも大使を代行し、大使館職員の動揺を抑えて来た。

 

 

「……エリザベス大統領に感謝しているはずのあなたが紀沙の拉致に加担したのは、収容所の今後のため、ですね?」

「もはや隠し立てしても仕方ありませんか。この国に来たばかりだと言うのに、貴方達は良い情報網をお持ちのようだ」

 

 

 繰り返しになるが、アメリカには州政府と言うものが存在する。

 これは内政においてはアメリカ政府をも上回る権限を持っており、収容所の解体には州政府の同意が不可欠だ。

 そして今のカリフォルニア州知事は国政における野党の出身、つまりは……。

 

 

「ウィリアム・パーカー氏の協力が無ければ、今後の収容所……と言うより、日本人社会の運営もままならない。そう言うことですね?」

「ええ、そうです。そのために私は千早紀沙に関することを()()することにしました」

 

 

 ウィリアムの目論見が上手く行けば、それで良し。

 失敗しても、悪くはならない。

 紀沙が戻って報告したとしても、霧の封鎖が解けない限りは本国は何も出来ない。

 むしろ何かしてくれと、そう言う思いもあった。

 

 

「てめぇ」

「トーマ」

 

 

 冬馬が、南野の胸倉を掴み上げた。

 良治は言葉では止めつつも、実際に動くことは無かった。

 そして冬馬がそれ以上のことをしなかったのは、南野が真っ直ぐに彼を見返して来たからである。

 罪悪感はあるが、後悔はしていない、そう言う顔だった。

 

 

「南野さん」

 

 

 そして、群像はそれでも冷静だった。

 

 

「オレ達はあなたを責めに来たわけじゃない。ただ、お願いがあって来たんです」

「お願い? 私に出来ることであれば、聞きたいとは思いますが」

「簡単です、ウィリアム・パーカー氏にしたことと同じことをしてほしい」

 

 

 ゆっくりと視線を向けてくる南野に、群像は言った。

 

 

「今夜オレ達がやることを、黙認してほしい」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イオナは思考する。

 自分とスミノの違いは、どこにあるのだろうかと。

 共に自分の艦長を特別視しており、その命令には忠実に従う。

 だが、この2隻の霧の艦艇では在り方が全く異なっていた。

 

 

 艦長との関係。

 クルーとの関係。

 そして、人間社会との関係。

 正直、この2隻には共通項がほとんど無いと言うのが実情だった。

 

 

「わかった、待機する」

 

 

 1番の違いはやはり、艦長との関係であろう。

 群像からの通信を受けたイオナは、クルー達と共に自らの発令所で待機していた。

 艦長からの指示でいつでも動けるようにである。

 

 

「しっかしまぁ、州兵だって? アメリカには妙なもんがあるんだな」

「市民が武装する国ですからね。自分達のことは自分で、と言う歴史がそうさせるのでしょう」

 

 

 杏平と僧、群像がいない場合はこの2人が艦の方針を決めることが多い。

 特に僧は副長であり、艦長不在の場合は彼が艦長代理として指揮を執ることになる。

 最も、僧は早々とイオナに指揮権を渡してしまったのだから。

 

 

「紀沙ちゃん、大丈夫かなぁ」

 

 

 そしてそんなイオナを膝に乗せて髪を三つ編みに結びながら、いおりは紀沙のことを案じていた。

 発令所には彼女の席が無いため、群像の席に――僧に「そこは艦長の席ですよ」と注意されつつ――座っていた。

 そこからだと沈んだ表情でソナー席に座る静が見えるので、いおりはそちらにも気遣わしげな視線を向けていた。

 

 

「群像によると、この件については私たちの出番は無い可能性が高いらしい」

 

 

 陸上戦力が無い以上、仕方の無いことだった。

 ただ霧の艦艇は、海上からの対地攻撃だけで十分な戦力と言える。

 だから待機することには意味がある、が、もどかしいのも事実だった。

 何しろイ401のクルーの多くにとって、紀沙は知らない相手では無いのだ。

 

 

『姉さま』

 

 

 やきもきする様子の仲間(クルー)を横目に、イオナはヒュウガと話していた。

 イオナにしろヒュウガにしろアメリカ軍のドックの中だ、()()()()外に出れるとは言え、傍受を警戒して秘匿性の高い概念伝達での会話である。

 

 

『こちらで観測していたイ404……スミノですが、少々厄介な状況に陥っているようでして』

「ふん?」

 

 

 イオナとスミノは、共通項が少ない。

 言うなればイオナにとってスミノの行動は「自分が取らなかった行動」と言い換えることも出来る。

 そのスミノの行動の結果については、イオナも無視することが出来ないのだった。

 何故なら、そこにいるのは自分だったのかもしれないのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 スミノの右目は、見つめるだけで監視カメラを乗っ取ることが出来る。

 例えば紀沙のいる部屋を割り出し、その部屋のカメラから様子を窺うなど造作も無いことだった。

 そして、紀沙の様子を見たスミノはただ一言、呟くように言った。

 

 

「何というか、随分な格好だね。艦長殿」

 

 

 赤いイブニングドレス姿と言うのもそうだが、後ろ手に縛られていることを指してそう言った。

 こちらの声も拾っているのだろう、スミノの声を聞いた紀沙が顔を歪めた。

 それがどんな感情に起因するものなのかは、スミノにはわからない。

 

 

 まぁ、ともかくだ。

 スミノにとって重要なのは、紀沙が生きていること――例え後ろ手に縛られて猿轡を噛まされ、こめかみに小型拳銃(デリンジャー)を突き付けられていようとも――であって、他は割とどうでも良かった。

 例えば別の兵士達が負傷した仲間を引き摺って下がっていることなど、彼女にとっては大したことでは無かった。

 

 

『メンタルモデル、実際に見るのは初めてね』

 

 

 デリンジャーの女――ニナは、手元のマイクに向けてそう言っていた。

 椅子に座る紀沙のこめかみに銃口を向けたまま、実に冷ややかな表情を浮かべている。

 

 

「こんばんは、キミは誰だい?」

『人間みたいに喋らないで頂戴、気持ち悪いわ』

「今日びロボットだって喋るんだから、別にボクが喋ったって良いじゃないか」

 

 

 この人間は神経質なのか短気なのか、いずれにしろ気が長い方では無いらしい。

 スミノが言い返した次の瞬間には、紀沙の顔を殴りつけていた。

 引き寄せて手の甲で頬を張るやり方で、マイク越しに紀沙の呻き声が聞こえた。

 拳銃がもう少し大きなサイズであれば、それで殴打されていたかもしれない。

 

 

『見えているのでしょう? 喋らず、動かず、私の言うことだけ聞きなさい』

 

 

 それだと返事も出来ないんじゃないか?

 いつもならそう応じるところだが、とりあえず黙っておいた。

 それに満足したのか、ニナが頷く。

 お互い監視カメラ越しにそうしているのだから、何とも奇妙だった。

 

 

『貴女、そのまま死になさい』

 

 

 ふと視線を動かせば、兵士達が体勢を整えていた。

 負傷者を動かしたのは射線を確保するためだったのだろう、全ての小銃の銃口がスミノに向けられていた。

 ここに至って、スミノはニナの「そのまま死ね」と言う言葉の意味を悟った。

 

 

 だからと言って、特に取り乱したりもしない。

 メンタルモデルに、生の概念は存在しない。

 だからスミノはその場から動かなかった、そしてフィールドを展開することもしなかった。

 自分を守らなかった。

 

 

「まぁ」

 

 

 そして、言葉が続くことも無かった。

 何故ならば言葉を発そうにも、頭を撃ち抜かれたからだ。

 そのまま胸を、腕を、腹を、足を撃ち抜かれたからだ。

 身体を引き裂かれる衝撃の中、スミノは自分の物理的な視界が回転していることを知った。

 

 

 それでも、右目だけはカメラを離さなかった。

 向こう側の映像を、()()から離さなかった。

 そしてその中で、彼女の艦長は――――。

 

 

 ……どんな顔を、していたのだろう?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 喜べば良いじゃないかと、心のどこかで別の自分が囁くのを聞いた。

 霧が滅びれば良いとずっと思っていたのだから、今の出来事は手を叩いて喜ぶべきことのはずじゃないかと。

 モニターの中でスミノが撃たれて倒れた時、紀沙の心には確かにそう囁く自分がいた。

 

 

「兵士の皆さん、相手はメンタルモデルです。注意して頂戴ね」

 

 

 けれど、倒れたスミノに恐る恐ると言った様子で兵士達が近づいていく様子から、紀沙は目を逸らした。

 その後に断続的な銃声が聞こえたが、それでも見なかった。

 モニターが消されるまで、紀沙は顔を背け続けていた。

 左目は、今は痛んでいなかった。

 

 

「あら、お仲間の最期を見届けなくて良かったのかしら? 日本人は薄情ね」

 

 

 ――――仲間だと?

 そんなものじゃない。

 紀沙はスミノに仲間意識はおろか、友情だって感じたことは無い。

 ただ任務を果たすのに、霧を倒すのに必要だっただけだ。

 

 

『キミに会いに来たんだ、千早紀沙』

 

 

 なのに、胸を伝うこの苦いものは何だ。

 メンタルモデル、つまり霧が倒されたわけなのだから、苦いものなのなど感じる必要は無いはずだ。

 ニナのやり口が気に入らないからか。

 自分を人質にすると言う下劣さに吐き気がするのか、それとも。

 

 

 それとも、自分が人質だと気付いたスミノが素直に撃たれたことか。

 スミノが、自分のためにあっさりと撃たれてみせたことが原因か。

 だからか、だからこんなにも苦い思いをしているのか。

 だが紀沙は、すんなりとその事実を認めることは出来なかった。

 認めてしまえば何かが変わってしまう、そんな気がしたからだ。

 

 

「あなた、書類を頂けるかしら」

 

 

 一方のニナは、夫であるジャンに声をかけていた。

 デリンジャーを太股のホルスターに収めながらの一言であって、ジャンも虚を突かれた様子だった。

 

 

「書類だって?」

「ほら、契約書よ。持っていたでしょう?」

「あ、ああ、あの書類か。もちろん持っているけど、そんなものをどうするんだい?」

「決まっているじゃない、あの子にサインしてもらうのよ」

 

 

 書類と言うのは、要は紀沙達をアメリカに迎えるという書類だ。

 代わりにアメリカへの忠誠を誓うと言うもので、契約書と言うよりは誓紙と言った方が正しい。

 ただ、紀沙が拒否したことによって紙くずに成り下がってはいたが。

 

 

「い、いや、ニナ。これは僕の仕事だし、もしかしたらまた危ない目に合うかもしれないからね。先に帰ってくれても大丈夫だよ」

「あら、私が夫を放って先に寝るような女に見えるのかしら?」

「いや、そう言うわけじゃ……ただ、その……」

 

 

 何をそんなに躊躇しているのか、ジャンはなかなか書類を渡さなかった。

 不思議なのは、彼が紀沙に気遣わしげな視線を向けていることだった。

 何か言いたげであったが、言葉にするのは憚られる、そんな様子だった。

 そしてそれはウィリアムも同じのようで、彼は何とも言えない様子で夫婦のやり取りを見ていた。

 

 

「あ な た?」

「……あ、ああ。じゃあ、頼むよ……」

「うふふ。任せて、愛しい人(マイ・ジャン)

 

 

 やり取りは長くは続かず、ニナの声音に不穏な色が浮かんだ途端にジャンが折れた。

 それでいて素直に書類を渡すとすぐに上機嫌になり、夫にキスをしたのだった。

 

 

「出来れば食事など取りつつ、ゆっくり話をしたかったのだが……」

 

 

 咳払いして夫婦から視線を逸らしつつ、ウィリアムは紀沙に言った。

 

 

「不本意ながら……いや、よそう。だがこうなったからには、悪いことは言わない」

 

 

 彼もまた、どこか気が引けている様子だった。

 まるで、これから紀沙の身に起こることを悲観しているかのように。

 

 

「……早めにサインしてくれることを、祈るよ」

 

 

 そう言って、ウィリアムはジャンを伴って退室していった。

 部屋には、紀沙とニナの2人だけが残された。

 そして夫とウィリアムを見送ったニナは、妖しげな笑みを浮かべて紀沙に近付いた。

 腰を揺らす、官能的な雰囲気を漂わせる歩き方だった。

 

 

 顔を逸らしたまま俯いていた紀沙の顎を、ニナの白い指が掴んだ。

 そのまま紀沙の顔を上げ、やはり妖しげに笑いながら1枚の書類を掲げて見せた。

 英語の文章がつらつらと、それでいて短く書かれた書類だ。

 それを顔の横に置いて、ニナはにっこりと笑った。

 

 

「サイン、してくれるわよね?」

 

 

 キッ、と右目で睨んだ後、紀沙は顔を揺らしてニナの指を振り解こうとした。

 しかし意外とニナの力が強く、それは出来なかった。

 一方のニナは手指を離さないままに、親指を紀沙の顔に這わせた。

 するりと、器用な動きで猿轡代わりの布を外される。

 顎先から下唇を撫で、そのまま上唇に触れるかと思ったところで。

 

 

「……うぁ」

 

 

 ぐい、と、親指を唇の間に差し込んだ。

 歯を噛み合わせる暇も無く、口内に親指の根元までを押し込まれる。

 親指の腹で舌を押さえつけられて、反射的に声が漏れた。

 僅かに塩気のある肌の味を、感じた。

 

 

「――――ね?」

 

 

 見下してくる目に、冷たい予感が背筋を伝った。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

とりあえず、皆様の拷も……尋問の希望をお聞きしましょう(え)
やはりここは、オーソドックスにくっころ系でしょうか(マテ)

と言うわけでこのままだとバッドエンド一直線なので、原作主人公に早く来て頂きたいのですが……。
それでは、また次回。

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