蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth002:「人と霧」

 傭兵。

 金銭等の報酬の対価に、自己とは関係の無い戦争・戦闘に従事する兵又は集団のこと。

 現在の()()の状態は、傭兵と言う言葉が最も似つかわしい。

 

 

「それで、次はどんな奴が相手だ?」

「さぁな。こう言う場合、相手の素性は探らないのがルールだ」

 

 

 午前零時。

 1頭の鯨が、海面に姿を現した。

 深い夜の闇に包まれた海では、何かが海面に出ても目視することは難しい。

 時に激しく時に穏やかに動く波が、その姿をわかりにくくしてしまうためだ。

 

 

 ――――その鯨は、鋼の身体をしていた。

 いわゆる水上船に近い形状、艦種としてはかなり古い。

 しかしその艦艇は、現代の人類が造り出したどんな艦艇よりも優れた能力を持っていた。

 そして、その鯨は体内に人間を住まわせている。

 

 

「付近に艦艇反応ありません」

「と言っても、いつ霧の哨戒網にかかるとも限りません。いつものことですが、手早く済ませたいものです」

 

 

 青白い輝きが、鯨の体内――艦内を照らしていた。

 そこにはまだ少年少女と言っていい年齢の男女が陣取っていて、何かを話し込んでいる。

 特段に何かがあるわけでは無いようだが、それでも何かを警戒するように声量を抑えて話していた。

 

 

「またいつぞやみたいに全速で逃げるハメになって、機関士にどやされたくねーからな」

「そうだな」

 

 

 その場にいるメンバーの中心らしい少年が、ひとつ頷いて正面の大型モニターを見つめる。

 合わせて、会話も止まった。

 約束の時間だ。

 真っ黒だったモニターの画面に、揺らぎが生まれた。

 そして。

 

 

「――――群像(ぐんぞう)

 

 

 幼い少女の声が、静かな艦内に響いた。

 

 

「来た」

「ああ、繋いでくれ。――――イオナ」

 

 

 青白い輝きと共に、モニターに光が生まれる。

 発信側の電波状態が悪いのか、映像はほとんどまともに映っていない。

 それでもそれが「人」だとわかるのは、受信側が極めて優れた感度を持っているためだ。

 

 

 まぁ、たとえ誰かの姿が映ったのだとしても、それが本人だとは限らない。

 この世界では、ブラフなど珍しくも無いからだ。

 だからそこは気にせずに、群像と呼ばれた少年はモニター画面に向けて言葉を放った。

 

 

「用件を伺おう、依頼人(クライアント)

『……や、群像君……』

 

 

 砂嵐のような音を間に挟みながらも、通信相手は言った。

 

 

『千早群像君。キミに、仕事を頼みたい』

 

 

 海の傭兵、<蒼き鋼>。

 人類でありながら、広大な海洋を自由に行き来できる者達。

 この日、彼らに新たな依頼が舞い込んだ――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 組織に属する以上、休暇と言うものが存在する。

 意外に思われるかもしれないが、365日24時間働き続けることなど不可能だ。

 まして今の時代、軍人の――特に海軍の艦艇乗り達の死亡率は高い。

 だから彼らには、統制軍の側から最大限の配慮が成されるのである。

 

 

「……作り過ぎちゃったな」

 

 

 キッチンの時計が午前10時を過ぎた頃、紀沙がぽつりと呟いた。

 紀沙は絞り小紋の着物に割烹着姿でキッチンに立っていて、結い上げた髪には着物に合わせた淡い緑のリボンが結ばれていた。

 目鼻立ちの整った顔は、今は困ったような色に染められている。

 

 

 木目と黒を基調にした電化(システム)キッチン、壁紙の汚れ具合等を見るに、後から増築かリフォームされた設備のようだった。

 調理器具やオーブン等の道具・設備は全てが電気で動いており、ガスで動くものは無いようだ。

 そして調理台の上には、大皿に盛られた大学芋(サツマイモ)があった。

 

 

「どうしようかな、これ」

 

 

 キッチンには大学芋の仄かな甘い香りと、スパイシーな別の香りが漂っていた。

 それはカレーの香り、今はキッチンの片隅の鍋の中で寝かせられている所だ。

 冷蔵庫には揚げ物にしたお肉も用意されているようで、メインはそちらなのだろう。

 それだけだと侘しいと言うことで、貰い物のサツマイモで大学芋を作ったのだ。

 つまり結果だけを言えば、作り過ぎてしまった、と言う一言に尽きた。

 

 

「うーん」

 

 

 人差し指を顎に当て、少し考え込む。

 食べられないことは無いだろうが、老人と少女の2人で消費するには多い。

 と言って、もちろんバーゲンか何かのように配り歩ける程の量では無い。

 菜箸(さいばし)でプラチックの容器に大学芋を分け、1つは冷蔵庫に入れる。

 

 

 他の容器は外に置き、包み布を横に敷いた。

 一方で手早く洗い物と片づけを済ませると、手を洗って割烹着を脱ぐ。

 どうやら何か考えを得たらしく、その動きに悩みは見えなかった。

 

 

「あ、もしもし? すみません、紀沙です」

 

 

 キッチンの壁に備え付けられている固定電話。

 その受話器を手に取って、紀沙はどこかへと電話をかけた。

 

 

「すみません、車を回してもらえますか? あ、はい……横須賀基地まで」

 

 

 繰り返すが、紀沙は非番である。

 しかしだからと言って職場に行ってはならないと言う決まりも、また存在しないのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「それじゃあ、お願いします」

「はいはい」

 

 

 初老の運転手が返事を返すと、車がゆっくりと走り出した。

 「北」と言う表札がついた門が後ろへと流れていき、見えなくなる。

 窓から見える景色は横須賀の山と海に変わり、遠目に見える要塞港の光景が徐々に近付いてくる。

 紀沙はそれを、ぼんやりと眺めていた。

 

 

 着替えたのだろう、白い統制軍の軍服を身に着けている。

 淡い緑のリボンだけはそのままに、髪をまとめるのに使っていた。

 一見すると、休暇中の人間には見えない。

 

 

「それにしても紀沙お嬢様、今日はお休みだったのでは?」

「あ、はい。でも、お仕事に行くわけじゃないので」

「ははぁ」

 

 

 軍人が休暇中に基地に行くと言うのは、普通は良くないことを想像するだろう。

 しかしこの運転手の男性は慣れているのか、問いかける声に緊張感が無かった。

 むしろからかいの色すら見えて、恥ずかしくなった紀沙は運転席と後部座席の間にある小窓を閉めた。

 これ以上追及されると、色々とボロが出そうだ。

 

 

 溜息ひとつ零して、視線を窓の外へ向けた。

 すると車はすでに海を見下ろせる道を走っていて、横須賀市街が見えてきた。

 ただしそれは軍事区域内の整備された区画では無く、もっと雑然とした、そんな光景だった。

 

 

(配給か……)

 

 

 リニアトレインの車両基地だったのだろう、そこには無造作に放置された車両が何両も並んでいた。

 そして、それら1両1両に人間が住んでいる。

 もちろん許可などはとっていないのだろうが、そこには驚く程の人数の人間が集まっていた。

 いくつかの車両には無理矢理に太陽光発電用のパネルが設置されているのが見えるし、薬や家具等を並べている姿も見える、商売をしているのだ。

 

 

 だが一番人が集まっているのは、「食料管理庁」という文字の書かれた無人配給車の周りだった。

 読んで字の如く、食料の配給――1食分の弁当の形で――を求めて集まっているのだ。

 身なりはけして褒められたものでは無く、歩く姿は誰もに力が無かった。

 配給の量が少ないと言うのもあるが、未来への展望が開けない状況に膿んでいるのだ。

 生活が、そして何よりも物不足に伴う心の不足が。

 

 

 

「でも、死ぬことは無いだろう?」

 

 

 

 その時、紀沙の隣から別の声が響いた。

 幼い少女の声だった。

 その声に、紀沙の眉がピクリと動く。

 努めて冷静さを強いた声で、紀沙は言った。

 

 

「人間は、最低限のご飯だけじゃ幸せにはなれないんだよ」

「ふぅん、そうなのか」

「大体にして……」

 

 

 我慢し切れなかったのか、紀沙はキッとした表情で隣に座る少女を睨んだ。

 その表情に、温かな感情はひとつも見えなかった。

 対する少女は、にこやかな笑顔を崩さなかった。

 

 

「お前達の海洋封鎖が無ければ、こんなことになっていないんだよ」

「それはボクに言われても困るな」

 

 

 うなじを隠す程度の、セミショートの銀髪。

 人間ではあり得ない白くてシミひとつ無い肌に、白面を彩る一対の翡翠の瞳。

 パススリーブの白いブラウスに赤のヒダ付きミニスカート、黒系の袖なしベストには赤い締め紐がついていて、お腹の前で締める形になっていた。

 黒のオーバーニーハイソックスにストラップシューズ、左手首にハートリングのブレスレット。

 

 

 一見すると、どこにでもいる普通の少女のようにしか見えない。

 だが、彼女は人間では無い。

 彼女の名は、「スミノ」。

 ()()()()()()()()

 昨日、紀沙達が運用した潜水艦、その()()()()()()()である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 17年前のことだ。

 海面上昇の憂き目にあっていた人類の前に、突如として正体不明の艦隊が姿を現した。

 霧と共に現れることから<霧の艦隊>と称されたその艦隊は、圧倒的な力でもって人類を全ての海洋から駆逐した。

 そして海洋を封鎖し、人類の生存圏を陸地へと押し込めた。

 

 

 まるで安いSF映画のようなその話は、全て事実だ。

 霧の艦艇には人類の兵器は一切通用せず、対照的に人類は霧の艦艇の装備の前に手も足も出なかった。

 姿は第二次大戦時の軍艦を模しているが、実際の兵装はモデル艦と比較にならない程に強力。

 西暦2056年現在、人類は未だに彼女達<霧の艦隊>のことを何も知らない――――。

 

 

「ひとつ、わからないことがあるんだ。艦長殿」

 

 

 人間のように首を傾げて、スミノは言った。

 

 

「キミはどうして、そんなにも嫌っているボクに乗っているのかな?」

 

 

 そして、<メンタルモデル>。

 霧の艦艇がいつからか使用するようになった、対人間用のインターフェイス。

 要するに霧の艦艇が遠隔操作する人型の端末のようなもの――と、紀沙等は理解している。

 だから人間の姿をしていても、彼女は人間では無い。

 

 

 つまりスミノはあくまでも霧の艦艇であって、鋼鉄の(ふね)である。

 今ここにいるのは、言わば「意識」だけだ。

 そして、ここで矛盾が生じる。

 何故、人類を海洋より追放した霧の艦艇が、こんな所で紀沙を「艦長」などと呼んでいるのか?

 

 

「教えてくれないのかい?」

 

 

 勿論そこには、様々な事情がある。

 霧の艦隊を離れて人類の領域にいるイ404、スミノ。

 そして紀沙が政治的意図として艦長の地位に担ぎ上げられていることと同様に、事情がある。

 逆説的に言えば、スミノの存在が紀沙を艦長の座に押し上げたのだから。

 

 

「……人間には」

 

 

 溜息を吐いて、視線を窓の外へと戻しながら。

 囁き声のような小さな声で、答えた。

 

 

「人間には、嫌でもやらなくちゃいけないことがあるんだよ」

「ふぅん、そうなのか」

 

 

 嫌でも、やらなければならないことがある。

 目的のために自分を抑えて、成し遂げなければならないことがある。

 好悪を超えて、成さねばならないことがある。

 

 

(泣いてばかりじゃ、誰も帰って来ない)

 

 

 誰かに、まして(スミノ)に理解されようとは思わない。

 きっと彼女達は、誰かを待ったことなど無いのだろうから。

 

 

「理解に苦しむね」

 

 

 それはこちらの台詞だ。

 その言葉を、紀沙は飲み込んで発することが無かった。

 横須賀基地は、もう目の前だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 横須賀基地は広大だ。

 日本海軍のほとんど唯一の拠点である以上、広大であると同時にセキュリティも厳重だ。

 何重ものゲートと検問があり、中に入った後も個々人に振られたキーコードによって入れる区画が決められている。

 

 

 例えば紀沙の場合は、地下ドックのエリアには入れるが航空機の駐機場には入れない。

 やや非合理的に思えるが、このご時勢、末端の兵を()()することも必要なのである。

 味方が味方を完全には信用できない、そう言う現実もあるのだ。

 全ては、切迫した日本と言う国の状況がそうさせている。

 

 

「……あ」

「あら」

 

 

 大学芋の包みを手に基地内の通路を歩いていると、1人の女性と擦れ違った。

 黒髪を2つ結びにした女性で、紀沙と同じ統制軍の制服を着ている。

 

 

真瑠璃(まるり)さん」

「こんにちは、紀沙ちゃん」

 

 

 響真瑠璃、紀沙と同じ海洋技術総合学院の生徒だった。

 ただし正式に卒業したのは紀沙だけで、真瑠璃はある事情から卒業していない。

 尤も、特別措置で卒業資格相当とされているのだが。

 しかしそれを抜きにしても、紀沙が真瑠璃を見る表情は複雑だった。

 

 

「色々聞いているわよ、頑張ってるんですってね」

「まぁ……うん、それなり、かな」

「そう……それは、誰かへの差し入れ?」

「うん、クルーの人達に」

 

 

 真瑠璃は綺麗な笑顔を貼り付かせて、柔和な物腰で話しかけている。

 在校時、紀沙は真瑠璃と交友関係があった。

 より正確には間接的な交友関係であるが、基地にいる人間の中では付き合いの長い部類に入るだろう。

 だからこそ、わかることがある。

 

 

 真瑠璃は、学院在校時の――つまり、紀沙が知っている――真瑠璃とは、()()だと。

 彼女はある事情で1年余りの間、学院の()に出ていた。

 その間に彼女は変わってしまったのだと、紀沙にはわかる。

 そしてだからこそ、紀沙は今の真瑠璃との距離感を測りかねているのだった。

 

 

「……それじゃあ、私も呼ばれてるから。また時間があったら、ゆっくり話しましょうね」

「うん。それじゃあ、また」

 

 

 それは真瑠璃の側にもわかっているのだろう、笑みはそのままに、しかし少し沈んだ色を浮かばせて彼女は紀沙の横を通り過ぎた。

 再会してから何度目かの()()、その()()がいつ来るのか、紀沙にはわからなかった。

 

 

「……真瑠璃さん」

 

 

 何が彼女を変えてしまったのか。

 何で彼女が変わってしまったのか。

 それがわからなくて、紀沙は去っていく真瑠璃の背中を寂しげに見つめていた。

 そして、こうも思った。

 

 

 もしかしたら、真瑠璃の側も同じなのかもしれない、と。

 真瑠璃もまた、この2年で紀沙が変わったと思っているのかもしれない。

 お互いに同じだけの距離で戸惑っているから、上手く噛み合わないのかもしれない。

 紀沙は、そう思っていた。

 ……そう、思いたかったのかもしれない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「あ~、腹減ったなぁ~」

「そうですね」

 

 

 艦長が休暇であろうとも、艦は動かせる状態にしておかなければならない。

 つまり艦のクルーは基本的にスタンバイの状態にあるわけで、そして時間のある時には艦の整備や訓練等を行うのが普通だった。

 艦が停泊しているからと言って、何もかもが止まるわけでは無いのだ。

 

 

 まして彼らの乗艦は霧の艦艇イ404。

 他の艦艇とは異なるスケジュール、異なる管理が成されて当然だろう。

 とは言え、全員が全員忙しいのかと言えば、そう言うわけでも無く。

 

 

「やっべ、暇だわ」

「そうですか、僕は忙しいですよ割と」

「何でだよ、患者のいない医者って暇そうに見えるけどな」

「全国の医療従事者に謝れ」

 

 

 イ404の医務室、そこには2人の人間がいた。

 1人はもちろんここの軍医(あるじ)である良治である。

 医務室は診察室と処置室の2つに分かれており、今いるのは診察室の方だ。

 白基調の壁や床はいかにも医務室で、薬品棚と書架、モニター付きの机や仮眠用のベッド等がある。

 

 

 ベッドは二つあるのだが、その内の一つは冬馬が占領している。

 彼はあろうことか、何かの雑誌を読みながら寝そべっていた。

 ソナー用のヘッドホンを首にかけているあたり、妙な律儀さを感じる。

 

 

「で、実際何してんの?」

「乗員のバイタルパターンの整理とかです」

「へー、ちなみに女性陣のはどれよ」

「守秘義務があるので」

「そのやたら付箋(ふせん)が貼ってあるのって、艦長ちゃんのじゃねーだろな」

「な、ななな何を馬鹿な。い、いいい言いがかりはよせ」

「逆に怪しいなオイ!」

 

 

 この2人、イ404の乗員の中では比較的話す機会が多い。

 立場が近いと言うのもあるが、冬馬がちょくちょく医務室にサボりにやってくると言うのが主たる原因ではある。

 良治も注意するのも無駄と思っているのか、あるいは実は暇なのか、追い出したことは無い。

 

 

「すみませーん」

 

 

 その時だった、医務室の扉がノックされた。

 エア抜きの音と共に扉が開くと、そこには紀沙が立っていた。

 彼女は2人の姿を認めると、にこりと笑顔を見せて。

 

 

「あ、いた」

「あ、いた。じゃねぇよ、艦長ちゃんって今日非番じゃなかったっけ?」

「はい、非番頂いてます」

 

 

 軍服姿でにこやかに言う紀沙、何か指摘した側が間違った気分になりそうだ。

 

 

「それで艦長、何か?」

「あ、はい。家で作ったんですけど、ちょっと作り過ぎてしまって……」

「お、何だ何だ? 食い物か?」

 

 

 包みから漂う仄かな香りに気が付いたのか、冬馬がベッドから飛び降りた。

 実際、昼食時なので食べ物は嬉しいのだろう。

 ウキウキと近付いてきた冬馬に、紀沙は少し恥ずかしそうにしながら包みを開けた。

 中身は大学芋、食糧不足の強い味方、サツマイモだ。

 

 

「おっ、美味そうじゃん」

「2人の分ありますから、時間のある時に食べてください」

「おお~、サンキューサンキュー。ちょうど腹減ってたんだよなぁ」

 

 

 いわゆる差し入れ。

 紀沙ははしゃぐ冬馬の脇から良治の方を見やると、他の皆の所在を聞いた。

 

 

「あおいさん達なら、機関室にいると思う」

「そっか。ありがとうございます」

 

 

 そうしてひらりと身を翻す紀沙、言葉の通り、他のメンバーに差し入れを届けに行くのだろう。

 大学芋の包みを持ってはしゃいでいた冬馬は、紀沙の姿が見えなくなるとぴたりと動きを止めた。

 包みを片手に、もう片方の手で頭を掻いて、紀沙の出て行った扉を見つめていた。

 良治はと言えば、すでに冬馬の背中から視線を外して、机に向かい直している。

 

 

「……固いねぇ」

 

 

 だから、その時に冬馬がどんな顔をしていたのかを見ることは無かった。

 それでもその呟きは聞かなかったことにしたのだろう、溜息を吐くばかりだった。

 冬馬が「固い」と表した紀沙の態度は、彼女の背景を思えば無理からぬことではあった。

 だが、それを他人に理解しろと言うのは難しい。

 

 

「理解しがたいのは人間だからか、それとも……」

 

 

 まして、人間ですらないスミノにとっては。

 通路側の扉に背中をつけて、彼女は通路の向こうに消える紀沙の後ろ姿を見つめていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 総理官邸の応接間からは、横須賀港の海が良く見える。

 ここを訪れる度に、上陰は視界一杯に広がる横須賀の海が好きなのか嫌いなのか、わからない気持ちにさせられるのだった。

 

 

『君の計画案は読ませてもらった。すでに他の元首達にも(はか)り、概ねの了承を受け取っている』

 

 

 電子音声の声に、頭を下げる。

 長身の上陰が頭を下げても相手の頭が低い位置にあるのは、車椅子に座っているからだ。

 生命維持装置も兼ねる車椅子に座って、楓首相は視覚補助用のバイザー越しに上陰を見つめていた。

 その眼差しからは、容易には心の底を窺い知ることは出来なかった。

 

 

 軍務省次官補の地位にある上陰は総理からの諮問(しもん)と言う形で、こうして2人で話す機会が多い。

 特に他に比して軍の比重が重くなっている昨今、呼び出される確率は高くなる。

 現在の次官の退任が(まこと)しやかに囁かれている今、上陰は次の次官候補の筆頭と言えた。

 もちろん魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)する官僚の世界だ、油断すればいつ足元を(すく)われるとも限らない。

 

 

『鹿島に彼らを呼んだそうだね』

「恐れ入ります」

『別に責めているわけでは無いよ。君の権限の範囲内で行うことにまで口を差し挟むつもりは無い』

「は……」

 

 

 今日、上陰はある提案――最も、すでに計画書の形で上げているのだが――について話し合うために、総理官邸を訪れていた。

 彼なりに日本の今後を考え、そして自分の今後を考えた時に、こうするのが1番良いだろうと判断した計画だった。

 楓首相の言う「鹿島の件」も、そのための布石だった。

 

 

『それにしても、面白いな』

「は……?」

『いや、ちょうど君と同じタイミングで、似たような提案をしてきた人がいるんだよ』

 

 

 その瞬間、上陰の脳裏に何人かの顔が浮かび上がってきた。

 だが1番最初に浮かんだ男こそが本命で、その直感に間違いが無いだろうことを、上陰は根拠も無しに確信した。

 将来はともかく、今このタイミングで自分と同じような計画を立てる男は他にいないだろう。

 

 

「……北幹事長、ですか」

『最も、あの人は君の推す『イ401』では無く、『イ404』を推して来たがね』

「…………」

 

 

 ここで、上陰は少し思案した。

 今、楓首相は上陰の案と北の案の2案があることを示した。

 一方で彼は、上陰の案が元首間で概ねの了承を得たとも言った。

 ここから読み取れることは何か、思案した。

 

 

「全ては鹿島次第、と言うことですか」

『軍務次官には、すまないと思うがね』

 

 

 鹿島……佐賀県鹿島宇宙センターから、遠くアメリカまである物資を運ぶ計画がある。

 それは単段式宇宙輸送機――SSTOの打ち上げ計画であって、宇宙空間を超音速で飛翔する特別輸送機によって、目的の物資を確実に送ることを期すると言うものだ。

 霧の海洋封鎖によって海上輸送が出来ない以上、島国の日本に残された唯一の国外輸送手段だ。

 現在、軍務省次官名義で進められている計画だが……。

 

 

『今日は海が穏やかだ』

「……はい」

 

 

 横須賀の海は、穏やかに陽光を反射している。

 凪いだ海の上を海鳥が飛び、群れを成して空を飛んでいく。

 上陰にはその光景が美しいのかどうか、わからなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 帰宅した紀沙を待っていたのは、家政婦からの意外な知らせだった。

 曰く、主人である北がすでに帰宅していると言うこと。

 まだ4時を過ぎた頃で、こんな時間に北が帰宅しているのは、初めての経験だった。

 

 

「おじ様、紀沙です」

「……入りなさい」

 

 

 縁側に膝をついて、障子を開ける。

 今のご時勢には珍しい、そして貴重な畳の敷かれた和室が目に入った。

 玉砂利の中庭もさることながら、派手さは無いが慎ましやかで美しい掛け軸や生け花が目を引く。

 だが何よりも目を引くのは、和装姿で腕を組み、瞑目(めいもく)している北の姿だった。

 

 

 こんなにも早く帰るとは思わなかった、今日はカツカレーを作った。

 そんなことを言えるような雰囲気では無く、紀沙も口を(つぐ)んだ。

 一方で障子を開けたまま呆けているわけにもいかず、楚々(そそ)として、部屋に入った。

 そのまま、勧められて北の対面に座る。

 

 

(……基地に行ったのを、怒られる?)

 

 

 余りにも雰囲気が重苦しかったので、そう思った。

 確かに褒められた行為では無かったかもしれないが、こんな風に改まって注意されるだろうか。

 しかも普段は忙しい北が、わざわざこんな時間に帰宅して?

 (にわ)かには考えにくい。

 こう言っては何だが、北はそこまで暇な人間では無い。

 

 

「…………」

 

 

 とは言え、紀沙から話しかけることは出来ない。

 北から話しかけられるのを待つこと。

 それが今、紀沙に出来るポーズだった。

 

 

「お前が……」

 

 

 そしてその時は、思ったよりもすぐに訪れた。

 

 

「お前がこの家に来て、どれくらい経つか」

「えっと、1年半くらいかと」

「そんなになるか」

「はい」

 

 

 横須賀に、紀沙の縁者はいない。

 北海道に一人母がいるが、この10年はまともに会えていない。

 唯一、横須賀に赴任していた父はある事情で日本にいない。

 そして双子の兄が一人、こちらも今は――――傍にいない。

 

 

 紀沙の家族はそれぞれに問題があり、いわゆる「普通」では無い。

 そのために、紀沙はひとりになってしまっている。

 また彼女を様々な理由で狙う者は多い、何しろ彼女の家族、とりわけ父と兄は。

 

 

「兄さんが出奔して、もう2年です」

「そして千早が……お前の父が()()()()()、2年でもある」

「はい」

 

 

 父も兄も、()()()()()()()()()()()()()()

 結果として母は保護を名目に北管区で軟禁され、紀沙は身辺が危うくなった。

 その折に紀沙を引き取ったのが、北だった。

 学院の寮から出して北の屋敷に住まわせ、それとなく身辺を固めさせた。

 

 

「北のおじ様には感謝しています。おじ様に引き取って頂けなければ、私は今、こうしてはいられなかったと思います」

「いや、私は」

「おじ様がどう思っておいでだろうと、私はそう思っているんです」

 

 

 傍から見れば、北が紀沙を囲い込んだように見えただろう。

 父と兄がいわゆる人類の勢力圏を離れて、霧の艦艇と自由に行動を共にしているのだ。

 なら娘が、妹が同じように出奔する可能性は無視できない。

 いやそれ以前に、「千早」の家に何かあるのでは無いか、と疑う向きすらある。

 

 

 それが無かったとしても、父と兄が人類の宿敵の側に行ったのだ。

 紀沙のことを快く思わない者は、それこそ少なくない。

 霧に家族を殺されている者は、特に。

 あのまま一人でいたら、冗談では無く今のような状態ではいられなかったかもしれない。

 だから紀沙は、本当に北に感謝しているのだ。

 

 

「だが私は、お前をイ404の艦長にした」

「はい」

 

 

 そんな紀沙に、人生の選択肢はそう多くは無かった。

 軍人・軍属以外の選択肢は、無かった。

 それも普通の軍人では無く、ある意味で特別な軍人になるしか無かった。

 その答えの一つが、霧の艦艇の艦長になることだった。

 

 

 紀沙が日本を出奔せず北の意のままに動くのであれば、それは北の権威を高めることに繋がる。

 来るべき()()()を主導しようとしている北にとって、大きな武器となるだろう。

 重要なことは、紀沙が「出奔しない」と言う強い意思を持っていることだ。

 それを確信しているからこそ、北は「千早の娘」をイ404の艦長に据えた。

 政治的動機からそうした、それは普通の軍人には出来ないことだったからだ。

 

 

「…………」

 

 

 北は、瞑目した。

 何を考えているのかは、その表情から窺い知ることは出来ない。

 けれど、苦悩していることはわかった。

 紀沙は、北がいつだって苦悩していることを知っていた。

 

 

「……千早艦長」

「はい」

 

 

 だから不意に艦長と呼ばれても、背筋を伸ばして返事をすることが出来た。

 

 

「艦とクルーと共に佐賀県鹿島沖に向かい、来週行われるSSTO打ち上げを援護しろ。……お前にとって、初の実戦任務だ」

 

 

 SSTO打ち上げの援護。

 初の実戦任務。

 それらの意味するところを、紀沙は確かに理解した。

 背筋を伸ばした体勢のまま、表情を引き締める。

 

 

「微力を尽くします、北議員」

 

 

 そんな紀沙の声を聞き、瞑目したまま頷く北。

 その表情から、苦悩の色が消えることは無かった。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

とりあえず、原作における初戦に向けての2話でした。
北議員はきっと良い人だと思います、そして必要なことが出来る人。
そんな人が紀沙を放っておくわけないよね、と。

404のメンタルモデルも登場、やはり400型は銀髪じゃないとネ!
そしてボクっ娘、作品に1人はいてもらわないと(え)

それでは、また次回。
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