蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth032:「北海道編・中編」

 

 千早家での生活は、タカオにとって新鮮な経験に満ちていた。

 家主である沙保里はもちろん、一緒に住んでいると言うメイドも快くタカオ達を受け入れてくれた。

 そしてどう言うつもりかは知らないが、沙保里は色々なことをタカオ達に教えた。

 

 

 裁縫や料理、家事全般等の一般的なスキル。

 絵本から百科事典までの教養知識、それから人間社会の成り立ちと一般常識。

 そして、人と鳥のこと。

 命のこと。

 

 

「『私達はどこから来たのか、私達は何者か、私達はどこへ行くのか』」

「――――ヨーロッパの画家の言葉、または宗教的問答(カテキズム)の一種」

「あら、良く知っているわねー」

 

 

 沙保里は木の上にある鳥の巣箱を開けて、中の鳥達の様子を見ていた。

 そうしながら発せられた言葉に、下で梯子を押さえていたハルナが言葉を返した。

 言葉自体は大した意味を持たない、それ自体は良くある哲学的問答に過ぎないからだ。

 人生の始まりから、そして終わりまでを表現した言葉。

 

 

「勉強した」

「うんうん、偉いぞー。若い内にいろいろ勉強して、いろいろなものを見た方が良いからね」

 

 

 えへん、と胸を張るハルナの下に、沙保里は器用に手を使わずに梯子を降りて来た。

 お椀の形に重ねた両手の中には、小さな生き物がいた。

 

 

「雛か」

「おお、小さいなー。これが大きくなって空まで飛ぶのか」

 

 

 キリシマまでひょっこり顔を出して、ハルナと共に沙保里を挟むようにそれを覗き込んだ。

 ピヨピヨと、力無く鳴く雛。

 確かに、これがいつか大空を羽ばたくとは想像しにくいだろう。

 しかし、生き物の成長とは得てしてそう言うものだった。

 

 

「…………」

 

 

 そしてそれを、タカオは別の木の上から見つめていた。

 彼女の傍にもやはり巣箱があり、タカオの傍で上半身を乗り出したマヤが巣箱の蓋を連続で開け閉めしていた。

 結果、中の雛達の親鳥の怒りを買ったりしていたが、概ね楽しそうにしていた。

 それに一瞬クスリと笑みを漏らしたりしつつも、やはりタカオの視線は沙保里に向けられていた。

 

 

「変な人間」

 

 

 梯子の下で同じように沙保里を見つめていたアタゴが、ふとそんな呟きを漏らした。

 それに、タカオは「そうね」と頷く。

 確かに、沙保里は変な人間だ。

 タカオ達から見ても、タカオ達のような者をすんなり受け入れられるような神経の持ち主が普通では無いことはわかる。

 

 

「でも、良い人だよー」

 

 

 そしてマヤの言葉にも、タカオは「そうね」と頷きを返した。

 確かに、沙保里は良い人間なのだろう。

 ここ数日世話になっていて、いわゆる打算や策略のようなものは感じなかった。

 ただ受け入れて、色々と教えてくれている。

 

 

 人間。

 これまで、タカオは人間と言うものを深く考えたことが無かった。

 今回ここで得た経験値は、メンタルモデルとしてのタカオを成長させるだろう。

 だが沙保里が教えてくれることは、それとはまた別のもののような気もした。

 

 

「ん?」

 

 

 チチチ、と言う鳴き声と共に、手の甲を何かに(つつ)かれた。

 見ればそこには羽根色の鮮やかな鳥がいて、タカオの手を嘴の先で突いていた。

 しかし年を重ねているのか、幾分かくすんだ羽根の色だった。

 いわば人生ならぬ鳥生を生きてきた色合いに、タカオはしばし目を奪われていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――家族?」

 

 

 400と402、そしてヴァンパイアがメイド姿で鳥舎を掃いている様子を眺めながら、沙保里は言った。

 浮き島でのお茶会も、もはやお馴染みの光景となっていた。

 ひとつだけ難点を挙げるとすれば、お茶菓子を鳥達がほぼ食べ尽くしてしまうところだろうか。

 

 

「あ、はい。こんな広い家でお手伝いさんと2人って、何だか気になっちゃって」

「…………」

「……あ、ごめんなさい。聞いちゃいけないことなら」

「ああ、ううん。別にそんなことは無いわよ」

 

 

 小さく笑って、沙保里は言った。

 

 

「夫は今、遠いところにいるの。ここ10年くらい、会っていないわね」

「…………」

「息子も2年前にそれを追いかけて行ったらしいんだけど。連絡が無いって意味なら、やっぱりここ10年くらいはまともに声も聞いて無いわね」

「連絡も無いんですか?」

「男の人は、そう言うものらしいわ」

 

 

 そこは、まだタカオには理解できない感覚だった。

 共有ネットワークを通じて常に繋がっている霧には、「連絡が無い」と言う状態は俄かには想像できないのだ。

 今までのところ、出奔した艦も含めて共有ネットワークから追放された霧は存在していない。

 

 

「ただ、夫と息子のことは余り心配していないのよ。男は夢があれば生きていけるって言うしね」

 

 

 それに、帰る場所としての自分がいる。

 そう言った時の沙保里の表情を、タカオは何と言って表現すれば良いのかわからなかった。

 笑っているようにも、あるいは心配しているようにも、または哀しんでいるようにも見えた。

 タカオにとって、沙保里の見せた感情は複雑に過ぎたのだった。

 

 

 人間の感情とは、どこまでも広がりを見せるものなのか。

 メンタルモデルを得て少しずつ感情に触れるようになって来たとはいえ、心の機微を察せられる程になっているわけでは無い。

 その事実が、タカオの口を(つぐ)ませていたのかもしれなかった。

 

 

「もう1人、娘がいるの。こっちは割と連絡もくれていたんだけど、忙しいのかここ最近は電話して来ないわね」

「娘さんは、どんな人なんですか?」

「可愛い子よ。夫がいなくなってからはショックだったのか、ちょっとやんちゃしていたみたいだけどね」

 

 

 クスリと笑って、しかし沙保里はすぐにその笑みを潜めた。

 

 

「ただ、1番心配な子」

「1番連絡をくれるのに、1番心配なんですか?」

「むしろ連絡をくれるからこそ、なのかもしれないけどね」

 

 

 パキッ、とお茶菓子のクッキーを割って、片方を寄ってきた鳥に食べさせながら、沙保里はそう言った。

 嘴で突いてクッキーを食べる鳥を静かな目で見つめる沙保里は、実は他の何かを見ているのかもしれない。

 この時、タカオは何故かそんな思いに捉われたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ニーンジン♪ ジャガイモッ♪ リンゴとハチミツ♪」

「くっそ可愛いわね畜生(マヤ、みっともないからはしゃぐんじゃないの)」

 

 

 何かまた思考と発言が一致しなかったようだが、タカオは気付かなかった。

 彼女は今、マヤを伴って函館の街を歩いているところだった。

 歌いながらスキップする妹の後ろ姿をぐふぐふと笑いながらついていく美少女の絵は、道行く人々を退()かせるには十分すぎる程の威力を持っていた。

 

 

 最も、タカオにとってマヤ以外の人々など有象無象に等しかったので、気にも留めなかった。

 ちなみに、マヤが歌っているのはこれから買う予定の品々である。

 彼女達2人は、頼まれて街までおつかいに出ていたのだった。

 

 

「ねぇ、タカオお姉ちゃん。カレーって美味しいのかな?」

「マヤの手料理とか垂涎ものよね」

「作るのは私じゃないよぅ」

 

 

 などと言いつつ、タカオは「ほら」とマヤの手を取った。

 人込みの中でスキップは危ないので、その意味でタカオの行動は間違っていない。

 ただ、その表情の蕩け方はさらに周囲の人々を遠ざけた。

 天下の霧の重巡ともあろう者が、すっかり妹煩悩になってしまったようだ。

 

 

 一方で、タカオは妹が可愛すぎて手を繋ぎたかったばかりでは無かった。

 周囲の人々が掃け始めていたのはタカオとマヤの様子が奇異に映ったからだが、それ以前に、2人の周囲の雰囲気を敬遠したと言う面もあっただろう。

 何しろ、スーツ姿の七ツ目の巨漢――しかも、どこかロボット然としている――達がそこかしこから姿を現して、タカオとマヤの前に進み出て来ていたのだから。

 

 

『タカオ様とマヤ様ですね』

「何? アンタ達」

 

 

 マヤを庇うようにしながら、タカオは自分達の周囲を囲むように現れた男達を睨んだ。

 さっと視線を向ければ、同じような姿の男が4人いた。

 喋っているのは正面の1人だけなので、自然、タカオの視線も彼に集中した。

 

 

『申し訳ありませんが、ご同道願えませんでしょうか』

 

 

 彼らはいったい何者なのか、と、タカオはわざわざ考察しなかった。

 タカオが考えていたのは、(マヤ)が可愛すぎて辛いと言うことと、おつかいに遅れが生じることの苛立ちだけだった。

 だからタカオは、目の前にいる輩の正体には本当に関心が無かった。

 

 

「タカオお姉ちゃん……」

 

 

 ただ、マヤが不安そうにしていたので。

 タカオにとっては、理由などそれで十分だったのだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 閾値(いきち)、と言うものある。

 人間が感覚や反応を返すために必要な刺激のレベルのことで、この値を超えれば人間の心と身体は何かしらの反応を返すことになる。

 しかしながら、眞の閾値はそれなりに高かったようで。

 

 

「困りましたね、彼は優秀な補佐官だったのに。休暇を与えなければならない」

 

 

 だから言葉程には、眞は大して驚いていなかった。

 言い換えれば、その事態はデザインチャイルドの感情許容値を超えるものでは無かったのだろう。

 眞の目の前には、顔面――金属製のフェイス部分――を拳の形にへこませた冴木補佐官の姿があった。

 女の片腕で引き摺られてきた彼は、紙くずか何かのように眞の前に放り投げられたのである。

 流石に死んではいないようだが、ピクリとも動かなかった。

 

 

「ようこそ函館へ、とでも言うべきなのでしょうか?」

 

 

 眞は複数人の護衛と共に、人気の無い廃墟で相手を待っていた。

 再開発に向けて解体工事中のビルで、人目を忍んで会見するにはもって来いの場所だった。

 レディと会うには少々雰囲気に欠けるが、人間と霧の関係性を象徴していると言えば、ロマンチックにも聞こえるだろうか。

 

 

 対して、誘われた側は鼻を鳴らした。

 興味は無かったが、まとわりつかれても面倒と思ったのだろう。

 だから眞の社交辞令とも言うべき言葉にも取り合うこと無く、女……タカオは、単刀直入に言った。

 タカオの背中にはマヤがいて、姉の肩越しに眞のことをしげしげと眺めていた。

 

 

「で、何の用なわけ? 私達はこう見えても忙しいのよ」

「承知しています。ですが我々はまさに、貴女方に「何の用なのか」と問いに来たのですよ。霧の重巡洋艦『タカオ』」

 

 

 正体を知られている、その事実にタカオは片眉を上げた。

 同時に瞳に霧の輝きが宿り、瞬時に目の前の少年が誰なのかを特定した。

 

 

「少なくとも、北管区の首相に用は無いわ」

「……貴女方が我々に関心が無いのは、重々承知の上ですよ」

 

 

 いきり立ちかけた部下を手で制しつつ、眞は苦笑を浮かべた。

 ただそれは意識して浮かべたもので、心の底から苦笑したいと言う心境だったわけでは無い。

 

 

「しかしだからこそ、貴女方が何故あの人の……千早沙保里の下にいるのか。その理由を確認するために、こうしてやって来たのですよ」

「…………」

「宜しければ、お聞かせ願えませんか?」

 

 

 そのまま、眞は言った。

 

 

「貴女方は、あの人をどうするつもりなのです?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 千早沙保里をどうするつもりつもりか。

 改めて考えてみると、タカオはその問いに対して何も答えられないことに気付いた。

 何故かと言うと、考えたことが無かったからである。

 

 

(元々、千早兄妹の情報を得るために来たわけだしねぇ)

 

 

 そして、実はそのあたりはほぼ終わっている。

 ただわかったのは千早兄妹の幼少時の話であって、現在の情報はほとんど何も無かった。

 考えてみれば千早兄妹は早い段階で横須賀に行っていたわけだから、函館(ここ)に目ぼしい情報があるはずも無かったのである。

 

 

 だから、なるべく早い内に横須賀に向かおうと考えていたくらいだ。

 それが今まで伸びに伸びていたのは、確かに沙保里の影響ではある。

 何故かはタカオにもわからないが、離れ難い何かがあの家にはあった。

 そしてそれは、タカオ以外の面々にとっても同じだった。

 

 

「……逆に聞くけど、どうして欲しいわけ?」

「そうですね……出来れば、このまま何もせずに退去して頂ければ有難いです」

 

 

 それは、眞の本音だった。

 霧のメンタルモデルが複数体も函館にいる現状が、為政者である彼からすれば異常なのだ。

 何かが間違っても、武力で追い出すことは出来ない。

 と言って何かをされれば、他の政府や民衆に対するポーズとして戦わなくてはならない。

 

 

「嫌だと言ったら?」

「それは、困りますね」

「困るだけ?」

「まぁ、我々も戦わなければならないでしょう」

 

 

 タカオにも、だんだんと見えてきた。

 要は眞は、タカオ達の滞在の目的を確認しに来たのだ。

 つまり霧のメンタルモデルと千早沙保里の接触が、彼らに相当のストレスを与えていたと言うことだろう。

 

 

「いくつか聞きたいことがあるんだけど」

「こちらに答えられることであれば」

「そ、じゃあ聞くけど。何であの人……沙保里を軟禁なんてしてるわけ?」

 

 

 そこは、タカオには良くわからない部分だった。

 沙保里は半ば望んで引き篭もっている様子でもあるが、それでも浴室やトイレにまでカメラや盗聴器が仕掛けられている生活を甘受しているとも思えない。

 沙保里自身が何かをしたわけでは無いと言うのに。

 

 

「それは、仕方ありません。あの人の夫や子供達は今や時の人ですから、政府としてはその動向を管理する必要があります」

「ふーん。それって、何だっけ。アンタ達で言うところの……ニンジン? じゃない、えーと」

「人権、でしょうか?」

「そう、それ。それに反してるんじゃないの?」

 

 

 人権、いわゆる民主政体の国家においては保障されなければならないとされているものだ。

 人間が人間である限り持っている、最も基本的な社会的権利のことだ。

 霧であるタカオ達には、理解できないものの1つであったかもしれない。

 そしてその考え方に照らせば、犯罪者でも無い沙保里の軟禁・監視は確かに人権に反していると言える。

 

 

「確かに、人権には反していますね。それから憲法を始めとする多くの法典にも反しています」

「それは良いの?」

「良くは無いですね、我々も心苦しくは思っています」

 

 

 千早沙保里は、国家が守るべき日本人の1人である。

 千早沙保里は、国家の安全保障上管理しなければならないリスクの1つである。

 どちらも正しく、そして正しいが故に両立が難しい。

 これも、政治(まつりごと)の1つの側面ではある。

 

 

 だがタカオには、そんな複雑な理屈は理解できない。

 理解したいとも思わなかったし、する必要も無いと思った。

 彼女は人間では無いから、人間の理屈や考え方に対しては興味が無かった。

 だけど。

 

 

「……驚きました」

 

 

 今度こそ本心から、眞は言った。

 目を見開いて、タカオの顔を見つめる。

 

 

「まさか貴女がそんな顔をするとは、夢にも思っていなかった」

 

 

 それから、眞はそのままの姿勢で頭を下げた。

 最初からそうするつもりだったのか、あるいは気が変わったのかはわからない。

 確かなことは、北管区の首相が霧のメンタルモデルに懇願したと言う事実だった。

 

 

「お願いします」

 

 

 懇願、そう、それは懇願だった。

 

 

「どうかこのまま、何もせずに函館から出て行って下さい」

 

 

 そこに政治的意図を差し挟めるような余地は無く、純粋な気持ちだけがあった。

 そしてそんな眞に対して、タカオは……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 眞首相がタカオとの会見を行っているのと時を同じくして、楓首相はいつもの3人を議事堂に呼んでいた。

 議会の合間に少人数が別室に集まって話し合うのは良くあることだが、楓首相を含むこのメンバーでの話し合いとなると、流石に意味合いも変わってくるのだった。

 

 

『我が国に唯一残された偵察衛星『オオトリ』の写真だ』

 

 

 楓首相は、振動弾頭輸送艦隊の見送り以後に頻繁に顔を合わせている3人に衛星写真を示した。

 内閣、議会、軍務省、この時代の日本を動かす上での最大権力の事実上の頂点に立つ3人に、デザインチャイルドの生みの親である刑部博士(ローレンス)を加えた4人である。

 議会制・民主制の観点から見れば不健全極まりないかもしれないが、しかしここ数ヶ月の日本、特に中央管区の舵取りはこの話し合いの中で行われていると言っても過言では無かった。

 

 

 そして、写真である。

 函館港に入港する軍艦の写真で、ある意味では普通の写真だった。

 ただし、函館港に入港できるような軍艦が日本海軍にあればの話である。

 地下ドックに逼塞(ひっそく)している日本艦隊が、単艦しかも水上艦を函館まで送れるわけが無い。

 

 

『北管区には問い合わせていない。オオトリの現状を知られたくは無いし、まともな回答も期待できないだろうからだ』

「この艦のその後の行方は?」

『不明だ』

 

 

 北と上陰の記憶が正しければ、この軍艦は霧の艦艇だった。

 しかも複数ある写真には異なる艦が映っており、艦隊行動を取っていることがわかった。

 津軽海峡に霧の艦隊と言うのは、何とも嫌な位置だった。

 

 

「と言って、打てる手はほとんど無い」

 

 

 腕を組みながら、北は言った。

 そして実際、打てる手は無いのが実情だ。

 そもそも彼らにはまだ霧の艦隊の行動と意思を掣肘(せいちゅう)する術が無く、基本的には傍観しているしか無いのだ。

 

 

 むしろ下手に刺激して、函館砲撃などに及ばれてはたまらない。

 最悪の場合、北管区を滅ぼされてもおかしくは無いのだ。

 それだけの戦力が、霧にはあるのだから。

 

 

「彼女達が何を目的に函館に向かったのかはわからん。だが、こちらの打てる手が限られている以上、彼女達の気が済むのを待つしか無い」

「……しかし、北管区が何も言ってこないのは何故でしょう? 北管区の首相はデザインチャイルド。日本の害となりそうな事態に何も動きが無いのはおかしくは無いでしょうか」

『何か考えがあるのか、それとも……』

 

 

 視線を向けられたローレンスは、何かを考えている様子だった。

 彼にとって、眞首相は息子とも言うべき存在である。

 だからこそ彼がどう行動するかを良く知っている、思慮深さと豪胆さを兼ね備えた息子なのだ。

 何もしない、と言うことはあり得ない。

 むしろ何かをしているからこそ、連絡を寄越さないのだ、と。

 

 

「今は、待つしかありません。何らかの動きがあるまで……」

『……確かに』

「とにかく、情報の収集に努めます」

「……そうだな、今はとにかく霧の動向から目を離さぬことだ」

 

 

 しかしこの時、彼らは重大なミスを犯していた。

 彼らは津軽海峡で霧の艦隊が軍事行動を取るところまで想定していたが、見落としていることが1つあった。

 見落としている、と言うよりは、あえて考慮に入れていないと言うべきか。

 函館にいる、重要人物(千早沙保里)のことだ。

 

 

 もちろん忘れていたわけでは無い、ただ霧が彼女に興味を抱くとは考えていなかったのだ。

 過去、霧が――どれほどの重要人物であったとしても――個人に狙いを定めて行動したことは無かった。

 いかに千早翔像とその子供達の縁者とは言え、本人は至って平凡な鳥類学者に過ぎない。

 仮に接触したとしても、霧にとってメリットもデメリットも無い、そう考えていたのだ。

 ――――その判断を生涯後悔することになるとは、この時の彼らは想像もしていなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 結局、おつかいもせずに千早邸に戻って来たタカオは、マヤを伴って真っ直ぐに鳥舎へ向かった。

 しかし、そこに求めている人物はいなかった。

 

 

「おかえりなさい」

 

 

 代わりにそこにいたのは、沙保里と同居しているメイドだった。

 ボブカットの、優しそうな女性だ。

 右耳にインカムをつけたままの体勢で、礼儀正しく鳥舎の中央に立っている。

 インカムを外していないのは隠すつもりが無いのか、あるいは隠す意味が無いと思っているのか。

 

 

 タカオから見て、このメイドは沙保里と仲が良かった。

 一緒に料理をしたり家事をしたり、お喋りに興じることもあった。

 本当に、仲が良さそうだった。

 

 

「アンタって……」

「奥様は私のことをご存知ですよ。私も、普段は()()のことは忘れてお世話しておりますし」

 

 

 先に言われてしまった。

 それを先に言われてしまうと、タカオは喉まで出掛かった言葉の行き先を失ってしまう。

 唇を噛んだ後、その唇から出たのは別の言葉だった。

 

 

「……沙保里は、ずっとここにいなきゃいけないの?」

「そう、ですね。今のままなら」

「沙保里はどう思ってるの? 今の自分を」

「窮屈には思っておられると思います。ただまぁ、奥様はああ言う方ですから。逆に今の状態を楽しんでいらっしゃるのかもしれません」

 

 

 もし自分が、一所(ひとところ)に幽閉されたらどう思うだろう。

 自閉モードに入れば良いだけなので、辛くは無いかもしれない。

 だがメンタルモデルを得た今、タカオには感情が芽生えつつある。

 データとは異なるそれは、自閉モードになったところで鎮まるものでは無いように思えた。

 何より、妹達と引き離されるなど考えられない。

 

 

 けれど、沙保里は笑っていた。

 こんな状況にあっても笑顔を浮かべて、好きなことをしているから気楽だと言っていた。

 でも、と、タカオは思った。

 ならば、家族のことを話していた時の表情は何だったのだ。

 1人で食べるご飯がつまらなかったと、タカオ達の来訪を喜んだのは何だったのだ。

 

 

「た、タカオお姉ちゃん?」

 

 

 このやり場の無い苛立ちは、いったいどこへ吐き出せば良いのだ。

 苛立ち、そう、タカオは苛立ちを感じていた。

 抑えられない苛立ちは、瞳の輝きとなって表に現れてくる。

 タカオが顔を上げれば、そこにはガラスの天井が見える。

 

 

 鳥舎の中で、鳥達はのどかに過ごしている。

 翼を広げて飛べば、すぐそこに空があるのに。

 彼らは皆、天井の向こう側を眺めているばかりで。

 それが、タカオには無性に苛立たしく思えるのだった。

 

 

「あわわわ……!」

 

 

 タカオを中心に、風が吹き始めていた。

 重力場に生じた乱れは、そのままタカオの感情の振れ幅なのだろう。

 やがてそれは竜巻に近いものになり、鳥舎が俄かに騒がしくなる。

 

 

「た、タカオさん。落ち着いて……」

「決めたわ」

「え?」

 

 

 上を向いたまま、タカオは言った。

 ビシリ、と、天井のガラスに罅が入った。

 それは花開くように周囲へと広がって行き、パラパラと強化ガラスの破片が振ってくる程になった。

 

 

「――――飛びなさい!」

 

 

 ガラスが、爆ぜた。

 内側からの圧力に耐え切れず、外へと弾け飛んだのだ。

 そしてそれを見て取ったのか、あるいは下から自分達を飛ばそうと吹き上がる風に煽られたのか、鳥達が一斉に飛び立った。

 もはやガラスに阻まれることも無く、彼らは無限に広がる空へと飛び立って行った。

 

 

 

「私は、沙保里をここから連れ出すわ」

 

 

 

 タカオは、そう宣言した。

 眞首相がいかに邪魔をしようと、彼女は霧だ、止められるものでは無い。

 人間の妨害ごとき排除してでも、沙保里をこの鳥籠から自由にする。

 この時のタカオには、それが崇高な使命のように感じられた。

 

 

 しかし、この時のタカオには気付きようも無かった。

 沙保里を連れ出すと言う()()()使()()への決断、それがこの後の悲劇の引金になるなどとは。

 タカオには、予測することなど出来なかったのだった。

 





『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
(ポール・ゴーギャン(仏)より)


最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

まずお礼をば。
いつも誤字報告を頂ける皆様、本当に有難うございます。
一応チェックはしているのですが、何故か気付かずスルーしてしまうことが多々あるので、報告頂けると非常に助かっています。

そして本編、タカオちゃん覚醒(違)
次回で北海道編は終わる予定です、さぁどうしようかな。

それでは、また次回。


……沙保里さん家のメイドさんの名前がわからぬぇ(え)

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