蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth033:「北海道編・後編」

 かえって藪を(つつ)いてしまったか。

 眞がそう考えたのは、函館から札幌へ戻るヘリの中でのことだった。

 ヘリの発する爆音は会話を行うには邪魔だが、考えごとをするには不思議と良かった。

 

 

(メンタルモデルとやらは私に近い存在かと思っていたが、どうやら違うようだ)

 

 

 霧との大海戦後の日本は、国家を存続させるために一部の国民を見捨てざるを得なかった。

 そうした一種の棄民(口減らし)政策は、心の弱い人間には酷だ。

 そこで抜擢されたのが、デザインチャイルドの眞だった。

 人造の超人である眞は感情の起伏を抑えられているため、非情な政策でも断行することが出来る。

 

 

 実際、ここ数年北管区は大過なく良く治められている。

 数百万人を生かすために数万人を見捨てる政策を繰り返した結果で、海底トンネルを通じた食料農産物の供給は、中央管区と南管区にとっては無くてはならないものだった。

 だから眞の双肩には、北管区を含む日本国民の命が乗っていると言っても過言では無かった。

 

 

「あのタカオと言うメンタルモデル、随分と魅力的だったな」

『は、何か仰いましたか?』

「いや、気にしないで良い」

『はぁ……』

 

 

 らしくも無い冗談らしきことを口にして――最も眞の場合、冗談の裏に本音を潜ませるのが常だが――眞は嘆息した。

 実際、彼は噂に聞くメンタルモデルをデザインチャイルドと同種、もしくは同方向の存在だと思っていた。

 感情に左右されず、最適の解と行動を求める者だと考えていた。

 

 

「あの目……」

 

 

 だが、少なくともタカオは違った。

 瞳の中に、明らかな感情の昂ぶりが見て取れた。

 言葉の端々や所作にも、悪い意味での機械じみたものは無かったように思う。

 ぱっと見て、タカオが非人間的な存在だと気付く者がどれだけいるだろうか。

 

 

 皮肉なものだ、と、眞は思った。

 人間は感情を捨てた者(デザインチャイルド)を求め、霧は感情を得る者(メンタルモデル)を求めた。

 両極端だった両者が近付きつつあるとすれば、この上無い皮肉だった。

 もし叶うのならば、霧と――タカオと、そうした哲学的思索について議論したいものだ。

 

 

『首相、函館より緊急入電です』

 

 

 しかし、残念ながらそんな機会は訪れないのだった。

 何故ならば人間と霧、そして眞とタカオは利害も価値観も共有していない、対立すべき敵でしか無かったのだから。

 ――――今は、まだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 面倒なことになりそうだと、キリシマは思った。

 この時彼女は沙保里や他のメンバーと共に、千早邸の食堂にいた。

 おつかいに出たはずのタカオとマヤが戻ってこなかったため、あり物で作った夕食を食べていたのである。

 

 

『ハルナ』

『……わかっている』

 

 

 キリシマ達には、これと言った方針が無かった。

 『ナガト』も『コンゴウ』も沈黙している今、大戦艦である『キリシマ』や『ハルナ』に()()を下せる者はいない。

 日本近海封鎖のローテーションにも復帰していないから、比較的自由な状態だった。

 

 

 彼女達がタカオの唱える「打倒千早兄妹」に付き合っているように見えるのは、つまり他にやることが無かったのである。

 それでも名目上の旗艦はキリシマなので、彼女には他の艦の行動がわかるようになっていた。

 例えば、鳥舎を破壊してこちらに向かっているタカオのことであるとか。

 

 

「不味いな」

「あら、セロリは嫌いだったかしら?」

「あ、いや。そう言うわけじゃない、セロリは美味しい」

 

 

 首を傾げる沙保里に、キリシマは慌てて言った。

 つい口に出してしまった。

 最近は通信での会話でも、気を抜くと声にしてしまうことがある。

 気をつけなければと思いつつ、視線を400、402、ヴァンパイアに向ける。

 彼女達も状況は理解しているようで、ドレッシング漬けのサラダを急いで口に詰め込んでいた。

 

 

『キリシマ』

『何だ』

『外の連中も動き出したぞ』

 

 

 キリシマの瞳が白く輝いた時には、彼女の目の前には外の景色が映し出されていた。

 それはハルナがハッキングした映像であり、監視カメラや車載カメラ、あるいは()()()()()()()についたカメラであったりした。

 もちろん、複数の映像処理で落ちる程キリシマの演算力は貧弱では無い。

 

 

 つまるところそれは、周囲の家々――全てダミーだった――から姿を現した、千早邸の監視部隊の動きに関する情報だった。

 日本統制軍の北管区方面隊隷下(れいか)の第11師団所属第28歩兵大隊、その内の1個中隊だ。

 人数は約170名、邸宅1人に随分な兵力だが、霧のメンタルモデル数体を相手にするにはいかにも心もとない人数だった。

 

 

『正面に3個小隊、戦闘車両保有。家のガレージに隠していたようだ。それから千早邸の左右にも部隊を展開中。続報あり次第伝える』

 

 

 隣にいながら通信と言うのも奇妙な話だが、霧ならばこんなものだろう。

 まぁ、外の日本軍についてはキリシマはさほど懸念していない。

 むしろ問題なのは、これからやって来る奴だった。

 

 

「あー、沙保里。ちょっと落ち着いて聞いてほしいんだが」

「あら、何かしら改まって。ちょっと待って、当ててみせるから」

「いや、そんな和やかな話じゃなくて。実は…………あ、ダメだ。あっちの方が速かった」

「え?」

 

 

 と、キリシマが事前説明を断念した、次の瞬間だった。

 両開きの食堂の扉が――マホガニーの高価な設えだったのに――文字通り蹴り破られた。

 ちなみに吹き飛んだ扉は、扉側に座っていた400と402が裏拳で食堂の端に殴り飛ばしていた。

 

 

「沙保里ッ!!」

「あら、タカオさん。どうしたのそんなに慌てて」

 

 

 扉を破壊されておいてにこやかにそう問いかけるあたり、やはり沙保里は常人とは違った。

 

 

「――――外に行くわよ!!」

「え?」

 

 

 しかしその沙保里をもってしても、タカオの言葉は予想外であったらしい。

 沙保里は口元に笑みを浮かべたまま、困ったように眉根を寄せることになった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この時点で、千早邸を監視していた部隊はメンタルモデルの存在を知らなかった。

 北管区政府が現場部隊にメンタルモデルの存在を伏せた理由は、2つある。

 第1に、いらぬ功名心からメンタルモデルと事を構えようとしないようにだ。

 第2に、恐怖心から兵士が逃亡しないようにするためである。

 

 

 戦闘服に防弾ベストを装備した兵士達が、千早邸の正面に出張っていた。

 コンテナ車の陰に隠れて、まるで今にも攻撃を受けることを想定した陣形を敷いている。

 マニュアル通りと言えばそれまでだが、個人の邸宅に対しては過剰と言って差し支え無い状態だった。

 

 

「なぁ、本当に事故とかじゃないのか? 電気系統のショートとか……」

「何の前兆も無く爆発するわけ無いだろ。火災も発生していないし」

「事情が事情だけに、消防や警察に任せるわけにもいかないからな」

 

 

 だから彼ら自身、中隊全員、しかも戦闘車両まで出して動くのは大げさだと考えていた。

 1個小隊、いや1班に様子を見に行かせるだけで事足りるだろうと思っていたのだ。

 通常であれば、それで良かった。

 しかし今日に限って言えば、この判断は間違いでは無かった。

 

 

「うぉ……っ!」

「な、何だ!? やっぱり爆発か!?」

 

 

 その時だった。

 千早邸の正面門が吹き飛び、破片が屋敷の塀に降り注いだ。

 爆発と呼ぶには規模が小さい、あえて言うなら門を()()()()()()と言った方が正しい。

 これには流石の兵士達も警戒心を呼び起こされて、小銃を構えて、油断無く様子を見始めた。

 すわテロリストか強盗かと、そう警戒したのだ。

 

 

「やれやれ、人遣い……あ、違うか。メンタルモデル遣いの荒い」

 

 

 ただ、彼らは一様にぽかんとした表情を浮かべることになる。

 何故なら吹き飛んだ扉の向こう側に立っていたのは、年端もいかぬ少女だったからだ。

 しかも、クラシックなメイド衣装に身を包んだ少女だ。

 可愛らしい、とても、ほっぺにドレッシングをつけているあたり特に。

 しかし、明らかに場違いだった。

 

 

「正面と言えば敵の主力、艦体を使わずこの形態でやっつけろとは」

 

 

 少女は小さく俯いて、物憂げに溜息を吐いた。

 気だるげな雰囲気が見て取れるあたり、相当に面倒くさがっていることがわかる。

 しかし耳元で叫ばれたような仕草をして――通信でもあったのだろう――からは、また1つ大きな溜息を吐いて。

 

 

「――――ああ、やれやれ」

 

 

 少女――ヴァンパイアが顔を上げると、その両の瞳は白く輝いていた。

 爛々(らんらん)としたその輝きは、正面の兵士達の胸中に、冷たいものを感じさせたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 頭痛、吐き気、胸のむかつき、若干の胃痛。

 いずれもメンタルモデルには無用のもののはずだが、今の『レパルス』の状態はまさにそんな状態だった。

 函館沖の浅瀬に身を潜めているレパルスは、甲板の上で大の字になって倒れていた。

 

 

「うう、やっぱりヴァンパイアにメンタルモデルを持たせたのは無茶だったかしら……」

 

 

 二日酔い、と言えばわかりやすいだろうか。

 レパルスは「人間に会うのが怖い」と言う理由で――表向きは皆の艦体を管理すると言う理由で――残っていたのだが、ヴァンパイアに演算力の四分の一を分けているため、ヘロヘロの状態だった。

 駆逐艦にメンタルモデルを持たせるのは、相当の演算力を必要とする。

 

 

 そもそもレパルスは巡洋戦艦であり、クラスとしては戦艦では無く巡洋艦に分類される。

 そして大戦艦クラスであっても、他艦にメンタルモデルを形成させる程に演算力を与えれば自身の行動に影響を及ぼしてしまう。

 四分の一ともなれば、なおさらだ。

 最も、より上位の超戦艦クラスになれば、ほんの数パーセントの演算力貸与で済むのだろうが。

 

 

『…………』

「わかってるわよ『サタ』、はっきり言わなくても良いじゃない。極東の艦は本当に辛辣ね……」

 

 

 共にいる補給艦に何かを言われたのか、レパルスは時々独り言のように何かを喋っている。

 傍目には海中で1人喋る寂しい人物に見えるが、実際はそうでも無いのだった。

 そして、そんな時だった。

 

 

『レパルス』

「……あら? 誰か思えばキリシマ?」

 

 

 函館でのんびりしているはずの仲間から、通信が入った。

 今はレパルスの暫定旗艦でもあり、そして『プリンス・オブ・ウェールズ』から助けてくれた恩()でもある。

 何事かと顔を上げれば、瞬時に情報のやり取りが成される。

 

 

『状況は以上だ。全艦浮上、函館港に入ってくれ』

「ええ~、しんどいのに……」

 

 

 ぶつくさ文句を言いつつも、レパルスの周囲が俄かに騒がしくなった。

 鈍い音を立てながら、大戦艦『キリシマ』を始めとする艦群が浮上を始める。

 函館の防衛装備など物ともしない戦力が、海上に姿を現そうとしていた。

 

 

「まったく、タカオは何を考えているのかしら。に……人間を連れて来るだなんて」

 

 

 最後の部分では、レパルスはぶるりと震えた。

 それは具合の悪さでは無く、単純な怯えから来るもののようだった。

 人間に怯える霧と言うのも珍しい。

 まさに、人見知りと言ったところだろうか。

 最も霧の艦隊を間近で見ることになる函館の人々にとっては、彼女そのものが恐怖の対象なのだが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 外の風を感じたのは、いつぶりだろうか。

 タカオに背負われたまま宙を跳びながら、沙保里はそんなことを考えた。

 何だかんだ18の子供を持つ身だ、無茶は出来れば控えて欲しいのだが。

 

 

「ひゃっ……」

 

 

 だと言うのに小娘のような声を上げてしまって、沙保里は赤面した。

 ただ、どうなのだろう。

 眼下から雨あられと撃ち込まれて来る自動小銃や機関砲の弾丸に対して、ちょっと息を呑むだけで済むというのは、果たして「小娘のような」と言う表現の範囲内に含まれるのだろうか。

 

 

「ちょっと揺れるわよ!」

 

 

 言われて、沙保里は反射的に奥歯を噛んだ。

 そして次の瞬間、タカオは沙保里を背負ったまま着地した。

 『岩蟹』と呼ばれる、統制軍の四本足の多脚式戦闘車両の上に。

 特殊繊維の装甲が砕けて、『岩蟹』の1両が腹を地面に叩き付けられた。

 

 

 ガラン、と、静かな音を立てて脚の1本が地面に転がる。

 そして、踏み込み。

 タカオは自分が潰した『岩蟹』にはまるで興味を示さず、バリケードの向こう側を目指して跳んだ。

 1跳びで12メートル、立ち幅跳びの世界記録の優に3倍はあった。

 

 

「どけって……!」

 

 

 あえてバリケードを蹴り飛ばした、それだけで封鎖された道路に穴が開いた。

 吹き飛ばされた部分にいた兵士達の身体が、数十キロの装備と共に宙を舞った。

 そして彼らが地面に落ちてくるよりもなお早く、左に跳んで重機関銃を半ばから蹴り折り、そのまま右に跳んで小銃を構えた兵士の脇腹に踵を叩き込んだ。

 

 

「言ってる」

 

 

 脇腹を蹴られ、仲間を巻き込んで遥か向こうに転がって行く兵士達。

 そちらに一瞥もくれず、タカオは封鎖線(バリケード)を突破した足でさらに跳んだ。

 まさに無人の野をいくが如く。

 側面から銃撃が来て、タカオはフィールドを形成してそれを受け止めた。

 

 

「……でしょうがっ!」

 

 

 受け止めたそれを、そのまま弾き返した。

 『岩蟹』の機関砲も含まれたそれは着弾と同時に爆発し、周辺の家々を2つ程巻き込んだ。

 熱風と共に、兵士達の悲鳴が聞こえた。

 タカオはそのまま跳んだ、無事な家の屋根に跳び移り、留まることなく次へと跳躍する。

 後ろから追いかけてくる銃弾は、明らかにその密度を下げていた。

 

 

「もう少しで港だから、我慢してよね!」

 

 

 その姿を見て、沙保里は何となくタカオがしようとしていることがわかった。

 タカオはきっと、自分のためにこんなことをしているのだろうと。

 まぁ、元々普通の人間では無いとは思っていた。

 何しろあの屋敷に誰にも気付かれずに侵入してきたのだから、普通のわけが無い。

 

 

 ただ、流石にこの状況には驚いてはいる。

 驚いてはいるが、タカオの意図に気付いてしまえば恐怖は感じない。

 強いて言えば、幼いかなとは思う。

 だから沙保里は、タカオの耳元で言った。

 

 

「もう良いわ、タカオさん」

 

 

 沙保里は、(ここ)を離れるわけにはいかないのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 彼らは、室内にいた。

 姿を晒さねばならない表の部隊とは異なり、彼らは身を隠すのが常だった。

 暗視機能付きのゴーグルを被り、じっと息を潜めていた。

 

 

「……おい、外の連中どうなってるんだ」

「そんなことはどうでも良い。重要なのは、監視対象が逃亡したってことだ」

「監視対象ったって、ただの主婦じゃねぇか……」

 

 

 がちゃり、と、長大な狙撃銃(ナガモノ)を構えて。

 

 

「……で、どうするよ」

「どうするも何も、マニュアル通りだ」

 

 

 囁くように、しかし確かに。

 

 

「監視対象の奪還が不可能な場合は」

「……でもよ」

「最悪の場合は」

「ただの、主婦だぜ……」

 

 

 彼らは、じっと潜んでいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 港までもう一歩と言うところで、タカオは止まった。

 キリシマ達は今も千早邸で敵主力の気を引いてくれているだろう、だからこちらに増援が差し向けられる前に突破しなければならなかった。

 タカオだけなら大隊1つ連れて来たところで脅威にはならないが、沙保里を連れているのである。

 

 

「良いって、何がよ」

「タカオさんの気持ちは嬉しいけれど、私はあの家にいないとダメなのよ」

「ダメって……」

 

 

 屋根の上に立ち止まって、タカオは言われた言葉を反芻した。

 沙保里は今もタカオが背負っ(オンブし)ていて、メンタルモデルの肌はその温もりを感じていた。

 

 

「あんな奴らの言うことを聞くって言うの!? あいつら、アンタがいるってのに躊躇無く撃って来たのよ!」

 

 

 事実だった。

 先程の一連の戦闘でもそうだったが、監視部隊は実弾を撃って来た。

 小銃だけで無くガトリング砲や、果ては携帯式のロケット弾まで撃って来た。

 全てタカオが防いだが、そうで無ければ間違いなく命を落としていただろう。

 

 

 ただ、兵士達の側……特に指揮官からすれば、仕方ない判断だった。

 明らかに超常の力を使うタカオの存在は、監視部隊の想像を超えていた。

 沖合いに現れた軍艦――『レパルス』らである――の情報も併せて、タカオが霧だと判断することは難しくなかった。

 つまり奪還は不可能で、しかも沙保里は重要人物だけに渡せない、ならばいっそ……と考えるのは、無理からぬことだった。

 

 

「いや、私も政府の方々にどうこうって気持ちは無いのよ?」

 

 

 流石にそこまでお人好しにはなれない。

 3食昼寝と鳥類研究環境の提供があるとは言っても、別にそれに目が眩んだわけでも無いのだ。

 最も、軟禁と言う形で自分を()()しようとした人々の気持ちを無視するつもりも無かったが。

 ただ、沙保里にとっては千早邸(あの家)は手放すことの出来ないものだったのだ。

 

 

「ただ、あそこは()()()()なのよ」

 

 

 沙保里は言った、笑って言った。

 あの家は夫と子供達が、いつかは帰ってくる場所だ、と。

 どんな鳥でも飛び続けることは出来ない、疲れた時には宿り木に止まる。

 そう言う場所を守っておくのが自分の役目なのだと、沙保里は言った。

 

 

「でもそれじゃ、アンタばっかり我慢してることになるじゃない!」

 

 

 やりたいことは無いのか。

 行きたい場所は無いのか。

 タカオは沙保里にそう言った、その想いがタカオを突き動かしていた。

 そんなタカオに、沙保里は微笑んだ。

 

 

 背負われたまま、後ろからぎゅっとタカオを抱き締めた。

 温かい、まるで()()()()()()()()()()

 そこには確かに1個の命がある、沙保里はタカオにそのことに気付いて欲しかった。

 タカオ自身が危険を犯して守ろうとする自分と、タカオ自身の間に、差など無いと言うことに。

 

 

「ありがとう、タカオ」

「…………」

 

 

 その時、空から独特の爆音が聞こえて来た。

 顔を上げれば、そこに1機のヘリコプターが見えた。

 ただ、北管区のマークが記されてはいるものの、重武装はしていない。

 いったい何だと、タカオの意識がそちらへと向いた、その瞬間。

 

 

 

「危ないっ!!」

 

 

 

 ――――!

 後ろから衝撃が来て。

 沙保里の身体が大きく跳ねたのを、タカオは感じた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――間に合わなかった!

 この時、そう思った人間は2人いた。

 1人は空にいて、千早邸を含む区画の上空から眼下を見下ろしていた。

 

 

「通信が生きていれば、と言うのは、言い訳なのでしょうね」

 

 

 キリシマ達は千早邸で事を起こした直後から、周辺の監視部隊の展開区域をすっぽり覆う形で通信封鎖を行っていた。

 霧の力を持ってすれば、ネットワーク化された軍の通信網を乗っ取るなど容易い。

 キリシマ達からすれば当然の戦術、しかしこの場合はそれが裏目に出た形になった。

 だから彼が――眞がヘリから現地部隊に話をつけようとしても出来なかったのだ。

 

 

 ヘリを飛ばして現場に到着した時、まさに彼は目撃したのだ。

 家々の建物を飛び移るタカオと、彼女に背負われている沙保里の姿を。

 そして、彼女達が屋根の上から地面へと、力無く落ちていく姿を……。

 

 

「奥様! タカオさん!」

 

 

 そしてもう1人、こちらは息を切らせて道路を走ってきていた。

 あの千早邸のメイドだった。

 タカオが制圧した場所を通って来たので、制止されることなく通ることが出来たらしい。

 しかしこの場合、それが良かったのかはわからない。

 

 

 彼女は、確かに目にした。

 屋根の上にいたタカオと沙保里が、折り重なるようにして地面に落ちていくのを。

 そして、沙保里の右脇腹のあたりに何かが飛び込んだのを。

 はす向かいの家から、2人が狙撃されたことを。

 

 

(あの位置は、不味い……!)

 

 

 彼女はこう見えて、相応の訓練を受けた軍属(スパイ)だ。

 千早沙保里を傍近くで監視・護衛するのだから、ただのメイドではやっていられない。

 だからこそ狙撃手の位置も、そして沙保里が撃たれた位置の深刻さもわかるつもりだった。

 右脇腹に、斜め下から狙撃銃の鋭利な弾丸が突き刺さったのだ。

 脳裏を否応無く最悪の事態(ビジョン)が掠めて、自然、彼女は足を速めた。

 

 

「きゃっ……ッ!?」

 

 

 タカオ達が落ちたのは家の庭で、彼女は正門を抜けてそこへ飛び込んだ。

 そこで見たものを、彼女は上手く言葉で表現することが出来なかった。

 辛うじてわかったことは、まず庭に飛び込んだ彼女を高温の熱風が出迎えたと言うことと。

 そして……。

 

 

 ……――――暴風の中に、悪魔がいたと言うことだけだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 17年前、タカオ達霧は人類を虐殺した。

 正確には<大海戦>と呼ばれる戦争であったが、彼我の戦力差から見れば虐殺と言って差し支えなかった。

 数十万人とも言われる人々が、水底へと消えていった。

 

 

 それに対して、タカオは何かを思ったことは無い。

 その後の海洋封鎖で何百万人もの人間の命が失われたことに対しても、何かを感じたことは無かった。

 しかし、今は違う。

 タカオ自身も理解できない何かが、彼女の感情シミュレータを圧迫していた。

 

 

(なによ、これは)

 

 

 霧のメンタルモデルは、コアの活性化率に応じて顔に紋章が浮かび上がる。

 まず瞳、そして額と額だ。

 特に額に紋章が輝く時が、彼女達のコアは最高のパフォーマンスを発揮している状態だった。

 ちょうど、今のタカオのように。

 

 

(どうして沙保里は動かないの?)

 

 

 弾丸は沙保里の右脇腹から左腹部を抜け、背負っていたタカオの左肩へと貫通した。

 タカオは、自身のメンタルモデルについては即座に()()した。

 だが、生身の人間である沙保里の肉体にそんな都合の良いことは起こらない。

 地面の上に横たわって動かず、紅い……紅い血が、タカオには無い生命の源がどんどんと流れ出てくる。

 

 

 ショック状態にはある、しかし即死もしない。

 沙保里は身体を動かせはしないものの、すぐ傍に蹲るタカオを見て、何かを言おうとしたようだった。

 だがその唇から漏れ聞こえたのは、言葉では無く、擦れた呼気と血液だけだった。

 その音を耳にした瞬間、タカオの中で何かが。

 

 

「ウアアアアァァァ……ッッ!!」

 

 

 凄絶な声が、タカオの喉から溢れてきた。

 タカオの意思では無い。

 自然と込み上げて来たそれは、力を発しながら周囲にあるもの全てを薙ぎ倒した。

 

 

 庭を吹き飛ばし。

 家屋を吹き飛ばし。

 そこにいた人間を――千早邸のメイド――吹き飛ばし。

 空を飛ぶヘリコプター――眞の乗っていた――を吹き飛ばし。

 後は、タカオと沙保里を中心に小さなクレーターのように抉り取られてしまっていた。

 

 

「「「「「「「…………!」」」」」」」

 

 

 そして、()()は伝播する。

 マヤに、アタゴに、キリシマに、ハルナに、400に、402に、ヴァンパイアに。

 ネットワークを通じて拡散したそれは、沙保里に縁のある霧の艦艇に伝播した。

 彼女達の中に、タカオの叫びが波紋を広げる。

 

 

「オノレ」

 

 

 誰が撃った? いや、そんなことはどうでも良い。

 どうしてこうなった? いや、そんなことはどうでも良い。

 ならばどうするのか?

 わからない。

 わからない、わからない、わからない――――わからない!

 

 

「ヨクモ」

 

 

 『レパルス』に委ねた艦体のコントロールを奪い返す。

 『タカオ』に備えられた超重力砲以外の全ての武装を展開する。

 超重力砲を展開しなかったのは、そうすると他の兵装を使えなくなってしまうからだ。

 照準は、()()()()()()

 

 

「――――ニンゲンドモメ!!」

 

 

 他のメンバーが止める間も無く、それは成される。

 霧の重巡洋艦の全火力が、函館に、札幌に、北管区全域に無慈悲に降り注ぐ。

 かに見えた、が。

 

 

 

 

 ――――それはダメよ、タカオ――――

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――静かだった。

 それまでの暴風が嘘のように消えて、静寂だけがそこにあった。

 それに最も驚いているのは、タカオ自身だった。

 

 

「今のは……?」

 

 

 呆然と呟くタカオの脳裏には、先程の声と景色(ビジョン)があった。

 花畑……そう、花畑だ、どこかの山脈の麓の花畑が見えた。

 それから、そこで何かを……誰かを待っている、女の子。

 のどかで平和で、それでいてどこか哀しい、そんなビジョンが見えて、そして。

 

 

「……沙保里」

 

 

 だが、今はそれについては考えないことにした。

 それよりも今は、沙保里のことだった。

 沙保里は変わらずそこにいて、浅い呼吸を繰り返していた。

 ()()、生きている。

 

 

 命、沙保里が教えてくれたもの。

 それが掌から零れ落ちていくのがわかって、タカオはたまらない気持ちになった。

 冷静になった今、沙保里の肉体を診ることも出来た。

 傷口を塞ぐことは出来るが、人間にとって重要な器官をいくつか損傷してしまっている。

 ナノマテリアルの再現で応急措置が可能か、シミュレートを開始した時だった。

 

 

「…………ッ」

「沙保里……!」

 

 

 沙保里の目が、タカオを見ていた。

 もはや首すら動かせないような状態で、しかし目だけはしっかりとしていた。

 今にも途切れそうな呼吸の中で、目には意思の光が灯っていた。

 タカオは、そんな沙保里の手を取った。

 

 

 冷たい手だった。

 あの温もりは二度と感じられない、何故かそんな風に感じられて、タカオは悲しくなった。

 この時初めて、タカオは「悲哀」と言う感情を理解した。

 そしてこれから、さらなる感情を得ることになるだろうことを察してもいた。

 

 

「…………」

 

 

 ぼそぼそと、沙保里が何事かを呟く。

 それは言葉として、音として発せられることは無かった。

 だがタカオの優れた分析力は、沙保里の言葉を確かにタカオに届けた。

 それは、沙保里が教えてくれたもう1つのものについてだった。

 

 

「……ええ、わかったわ。沙保里」

 

 

 仲間達から安否を問う通信が届く中、タカオは頷いた。

 生まれて初めて涙を流しながら、心を得たメンタルモデルは、()とも言うべき女の手を取って、自分の力を使うことにした。

 治療ではない、その代わりに。

 

 

「アンタの意思を、必ずアンタの大事な人達のところまで持って行く……!」

 

 

 夜の函館に、光が生まれた。

 兵士達が、メンタルモデル達が、メイドが、北管区の首相が。

 銃を手にしながら、立ち尽くしながら、瓦礫を押しのけながら、火を噴く機体から這い出ながら。

 皆、その光を見つめていた。

 

 

 そして、時間は進み――――。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

北海道編終了、次回から本編に戻ります。
さて、どうしましょう。

うちの主人公の闇堕ちフラグを、誰かどうにかしてください(え)

それでは、また次回にて。

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