蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth035:「第四施設焼失事件」

 

 むかしむかし、ある所に4人の子供達がいました。

 兄妹ふたりと、男の子ひとりと女の子ひとり。

 家が近所で同い年だった子供達は、すぐに仲良くなりました。

 

 

 4人は、いつも一緒に遊んでいました。

 どこへ行くのも一緒で、いつも楽しそうに笑っていました。

 共に遊び、共に食べ、共に眠る、そんな日々を過ごしていました。

 

 

『ねぇねぇ、……ちゃん』

 

 

 そしてある日、女の子が妹に言いました。

 無邪気に首を傾げる妹に、女の子は「ないしょだよ」と言って内緒話をしました。

 

 

『わたしね、あなたのお兄ちゃんのお嫁さんになるの』

 

 

 この時から。

 妹にとって、女の子は――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――2年前の話だ。

 この時の千早群像にとって、世界は灰色だった。

 昨日と同じ明日、明日と同じ今日。

 繰り返し同じ時間を刻んでいるような毎日は、人知れず彼の心を磨り減らしていた。

 群像は、閉塞した日々を打破してくれる()()()()を待っていた……。

 

 

「兄さん!」

 

 

 横須賀・海洋技術総合学院の通学路に、甲高い声が響いた。

 それは毎朝繰り返されている光景であり、寮から校舎へと向かう生徒達も、誰も気にしていなかった。

 問題があるとすれば、呼ばれている当人――群像も、全く気にしていないと言うことだった。

 

 

「もう、兄さんってば!」

「おい、群像」

「ん? ああ……」

 

 

 一緒に登校していた僧に促されて、初めて群像は後ろを振り向いた。

 走って来たのだろう、そこには1人の少女がいた。

 群像のそれに似た跳ねの強い黒髪に、ブラウスとスカートの制服。

 少女は肩で息をしていて、しかも髪が少し乱れているのを見るに、かなり慌てていたのだろう。

 彼女は群像を見ると、きっと表情を引き締めた。

 

 

「おはよう、紀沙」

「おはよう、じゃない! 何でいつも待っててくれないの!?」

「いや、これもいつも言っているだろう。どうせ教室で会うんだから、わざわざ通学路で待ち合わせなくても良いだろう」

「やれやれ……」

 

 

 いつも通りのやり取りを始めた群像と紀沙に、僧が肩を竦めた。

 この2人は、毎朝このやり取りをする。

 紀沙は毎朝男子寮の前で待っているのだが――群像は何故か常にそれより早く寮を出る――毎回、他の生徒に「兄貴なら先に行ったぜー」と教えられて、慌てて追いかけ始めるのである。

 

 

 頭は良いのに、何故か兄のことに関しては学習能力が無い。

 自分が1番群像のことを知っていると思っているから、読み違えるなどあり得ないと思っているのかもしれない。

 聞いてみたことは無いが、僧はそう思っていた。

 そして、いつも通りだとこの後……。

 

 

「はぁ、もう良いよ。それより兄さん、今日のお弁当を」

「やぁやぁ、ご両人! 今日も仲が良いねぇ」

 

 

 やっぱり来たな、と、僧は思った。

 この兄妹が一緒にいる時にわざわざ絡みに来る、ほとんど唯一と言って良い女性が。

 太陽のような笑顔で、ほんわかと手を挙げて近付いてくる女性。

 彼女の名は天羽琴乃、僧達の幼馴染である。

 

 

「おはよう。群像くん、紀沙ちゃん」

「ああ……おはよう、琴乃」

「げ……お、おはよう」

 

 

 この4人は、幼い頃からの腐れ縁だ。

 楽しい時も辛い時も、共に経験してきた仲だ。

 こんなマスク姿の自分とも普通に接してくれる、そんな奴らなのだ。

 だから僧は、いろいろと癖の強い幼馴染達のことを、結構好いていた。

 

 

「あ、おはよう僧くん」

「え……あ! 僧くんいたんだ……」

「ん? ああ、おはよう僧。そう言えば言ってなかったな」

 

 

 ……とりあえず、僧は思った。

 群像、少なくともお前はさっきオレと会話していただろう、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 海洋技術総合学院は、日本統制軍直轄の教育機関である。

 霧の海洋封鎖により海洋関係の知識や技術が失われていくことを懸念した軍は、海洋技術の継承を目的としてこの学院を設立した。

 海洋技術の専門校と言う性格上、士官学校とは異なる。

 ただし、卒業生は士官候補生同様に尉官候補生の待遇を受ける。

 

 

 海上演習が著しく限定される現状において、本当の意味で艦船乗りを養成することは難しい。

 しかし海洋技術総合学院が日本随一の海洋技術養成機関であることには変わりなく、特に小等科から学院で学び続けた生徒に対する期待は大きく、様々な面で優遇されている。

 また卒業席次10番までの生徒は、学院の公式記録にその名前を記録されると言う特権がある。

 例えば2056年には、首席卒業生として「千早紀沙」の名が記録されている――――。

 

 

「兄さんには私がついてるから、琴乃さんは別の班に行ったら?」

「いやいや、群像くんは私の副官(ナンバー1)だから」

「琴乃さんが言ってるだけじゃない、それ? 兄さんからそんなこと聞いたこと無いけど」

「うぐ。でも家族で同じ班って、先生達が認めないんじゃない?」

「むぐぐ」

 

 

 群像は、その場にいる男子生徒達が自分を殺さんばかりの視線を向けていることを感じていた。

 色々と無頓着な群像であるが、流石に「勘弁してくれ」と思った。

 何しろ彼の目の前で、2人の少女が言い争いをしているのだから。

 

 

「群像」

「わかってる……」

 

 

 ふぅ、と溜息を吐く。

 美しい幼馴染(琴乃)可愛い妹(紀沙)が自分を巡って争っていると言えば、周囲の男は羨望と嫉妬の感情を抱くのかもしれない。

 しかし群像にしてみれば、これは幼い頃から繰り返されてきたことだ。

 

 

 いい加減、飽きる。

 と言うか、鬱陶しい。

 琴乃と紀沙は何かにつけてこれで、間にいる群像としては何ら喜ばしいことでは無い。

 ちなみに今は、研修で行われる成績上位者による艦戦シミュレータにおいて、どっちが群像のクルーになるか、又はするかで揉めているのである。

 

 

「と言うか琴乃さんって艦長志望でしょ? 兄さんとカブってるじゃん」

「群像くんは操艦技術はともかく、人付き合いが苦手だから。私の手元に置いておかないと心配なの」

「だから私がいるって言ってるじゃない」

「いや、紀沙ちゃんもそろそろお兄ちゃん離れしても良いんじゃないかなー?」

 

 

 そして、これは群像が止めない限り止まらない。

 これもいつものことだ。

 

 

「……はぁ」

 

 

 そして、もう一度溜息を吐く。

 しかし、彼自身は気付いていない。

 どんな形であれ群像が感情を表すのは、僧を除いてしまえば、彼女達の前だけだと言うことに。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 折衷案、あるいは妥協案と言うものがあるが、えてしてそう言うものは不満を残す。

 何しろ誰にとっても半端な結果に終わるのであり、理屈では理解できても心は納得できないものだ。

 そう言うことを、紀沙はぼんやりと副長席で考えていた。

 ()()()()()()()

 

 

(なんで私がこんな奴のために……)

「何か言った? 紀沙ちゃん」

「いいえ何も? シミュレータテスト開始30秒前だけど、帰り支度を始める?」

「今日の紀沙ちゃん、いつもよりキツいね……」

「普段通りです」

「だとしたら、もっとショックだよ」

 

 

 潜水艦戦を想定した総合シミュレータシステムは、現在の海洋学院では必須項目となっている。

 霧の艦艇を凌駕する水上艦の建造が難しいためで、艦種・海域等あらゆるデータを再現することが出来る。

 紀沙達が座っている座席も、実際の潜水艦を模して作られていた。

 

 

 そしてこのシミュレータには、琴乃と紀沙がいた。

 琴乃が艦長で紀沙が副長である、他のクルーも学年成績上位者――もっとも、上2人の険悪なムードに押されて口を噤んでいる――で構成されていて、まとまった力を有していた。

 群像は、「じゃあ、お前達で組め」と言って、自分は僧と組んでしまったのだ。

 

 

「シミュレータ起動。全艦隔壁閉鎖、気密オーケー。各部ソナー及び火器管制オールグリーン。機関良好」

 

 

 実を言えばかなり不満だ、が、それでもシミュレータが始まれば紀沙も仕事はする。

 かなり不満だが。

 繰り返すが、かなり不満だが。

 

 

「艦長、どうしますか?」

「うーん、相手は群像くんだからね。何か妙なことをしてくるかもしれないわ」

 

 

 どうしようかな、と、琴乃は考える。

 相手は、群像と僧だ。

 まだ互いの位置は割れていない。

 潜水艦戦においては、先に位置を知られた方が圧倒的に不利だ。

 速力10ノット、琴乃艦はゆっくりと進んでいる。

 

 

「魚雷発射管開放、4門とも通常弾頭魚雷装填。20秒後に自爆するようセットして」

「……兄さんの位置はまだ不明だけど?」

「妙なことをしそうな相手には、先に妙なことをしないと勝てないでしょ?」

 

 

 ウインクひとつ飛ばしてくる琴乃にげんなりとした視線を返しつつ、紀沙は手元のコンソールを見た。

 そこにはまだ自艦以外何も映っていない海域マップが映っていて、どこかに兄達がいるはずだった。

 

 

「取舵を取りつつ、4発を扇状に発射。ソナー注意してね」

 

 

 そして、15秒後。

 琴乃艦から、4発の魚雷が発射された。

 標的のいない、バラ撒いただけの魚雷だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 群像艦のソナー手、真瑠璃は不可解を得た。

 魚雷発射音、そして航走音を検知した彼女だったが、相手の意図が読めなかったからだ。

 ちなみにこの真瑠璃、いつもは群像にくっついている紀沙がいないことに安堵を覚えていたりする。

 

 

「艦長、魚雷航走音4」

「方向は?」

「一応こちらに向かってはいるようですが、狙いはバラバラです」

「……不味いな」

「え?」

「潜行……いや、間に合わない」

 

 

 発射から20秒後、4発の魚雷が順繰りに爆発した。

 シミュレータは振動まで再現するため、足元にビリビリとした振動を感じることが出来る。

 至近弾と言う程近くは無いが、シミュレータで再現できる空間に限界がある以上、言う程に遠いわけでも無い。

 そして、爆発の振動を艦体が感じていると言うことは……。

 

 

「……敵艦発見」

「ビンゴ♪ 群像くんは追いかけっこは得意だけど、かくれんぼは昔から苦手だったもんね」

 

 

 魚雷の爆発音で敵艦を発見する、何とも派手な方法だ。

 戦闘海域が限定されていて、他に艦や生き物がいないシミュレータだからこそ可能な、一種の裏技だ。

 とは言え敵もさるもの、群像艦はすぐに姿を晦ませてしまった。

 音響魚雷だろう、加えて先に撃った魚雷による海中攪拌によってソナー感度が下がっている。

 

 

 ここで、琴乃艦はさらに魚雷を1発撃った。

 一瞬だけ捉えた群像艦の位置に撃つと、すぐに大きな機関音が返って来た。

 急速に移動して魚雷を回避したのだ、姿を晦ませながら群像艦はそのままの位置にいたのだ。

 かくれんぼは苦手、だ。

 

 

「敵艦再探知、感4」

「アクティブデコイか、群像くん本当にあれ好きだね」

「まぁ、便利だしね」

「使い方によるかな……」

 

 

 指を振って、琴乃は少し考え込んだ。

 しかし決断は早かった。

 

 

「4隻に向けて魚雷発射、1発で良いよ」

「1発だけ撃っても、当たらないと思うけど」

「当たらなくて良いよ、音響魚雷だから」

「音響魚雷?」

 

 

 音響魚雷を至近で撃たれれば、通常の艦は動きを鈍らせる。

 つまり3隻のアクティブデコイは、音の網をそのまま直進して出てくることになる。

 出てこなかった奴が偽者、そう言う作戦だった。

 最初の魚雷もそうだが、当てるために魚雷を使わないと言うのは新鮮だった。

 

 

 あの兄を掌の上で転がすかのような操艦と戦術だ。

 この時、紀沙は思い出した。

 天羽琴乃が兄・群像を抑えて総合1位の座を独占し続けていること。

 そして、あの優秀な兄が一度も勝ったことが無い相手だと言うことを。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 シミュレータ演習の後は、第4施設の内部を見学した。

 元々第4施設は研修用の施設のため、施設自体が横須賀基地の模型のようなものだった。

 もちろん電気が通っている以上、全ての施設を実際に動かすことも出来る。

 無いものと言えば、艦船用のドックくらいのものだ。

 

 

「えー、この管制棟は基地全体のコントロールを担っていて――――」

 

 

 紀沙が群像達と共に所属している総合戦術課は、別名艦長コースと呼ばれている。

 艦のリーダーや参謀を養成するのが目的のクラスで、その分成績的なハードルは高い。

 そこに所属しているだけで、他の生徒から憧憬の眼差しを向けられる程だ。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 ぞろぞろと歩く列の最後尾を歩きながら、紀沙は溜息を吐いた。

 先程のシミュレータのことを思い出しているのだが、その姿はまるで敗者のそれだった。

 いや、実際に敗者だったのかもしれない。

 群像にしろ琴乃にしろ、自身が思いもよらない戦術を思いついてくる。

 

 

 自分はどうだろうかと、紀沙は思った。

 あのシミュレーション、自分ならまず間違いなく格闘戦に走っていただろう。

 互いの心理を読んでの牽制は、紀沙は苦手だった。

 もしかすると、考えることに向いていないのかもしれない。

 

 

「ん……?」

 

 

 そんなことを考えながら、歩いていた時だ。

 見学のために片側の壁がガラス張りになっている通路で、紀沙はふと足を止めた。

 眼下――横須賀と同じように、第4施設も地下設備の方がメインだ――には管制室を模した施設が広がっていて、そこから実際に第4施設を管制している軍人達の姿が見えた。

 

 

 しかし、その中に明らかに不釣り合いな者がいた。

 

 

 宇宙服、だ。

 紀沙が初めて見るそれを宇宙服だと判断できたのは、服飾部が金属では無く、また歴史の教科書に載っているものと全く同じものだったからだ。

 何十年も前に失われた、遥か宇宙で活動するための特殊なスーツ。

 そんなものを着た者が、管制ルームにひとりいた。

 

 

「紀沙ちゃん、どうしたの? 置いてかれちゃうよ」

「いや、何か……あそこ」

「え?」

 

 

 そして声をかけて来た琴乃に、その存在を指差して見せる。

 と言うか、他の者には見えていないのだろうか? 管制ルームの軍人達が気にしている様子は無い。

 嗚呼、だが、無自覚ほど恐ろしいものは無い。

 この時、紀沙が琴乃の視線を()()()に誘導してしまったことで。

 

 

「……え?」

 

 

 ――――始まってしまったのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 いったい、何が起きたと言うのか。

 息を整えながら、紀沙は副管制室(サブコントロール)の1室でへたり込んでいた。

 

 

「ダメだ、どこも通じない。火の回りも早いな」

 

 

 ぼんやりと見つめるのは、コンソールを叩いている群像の背中だった。

 そうしながら、紀沙は先程の出来事を反芻していた。

 あの時、管制ルームの中に奇妙な存在を見つけて、そして。

 

 

 いきなり、火の手が上がった。

 

 

 意味がわからなかった。

 第4施設は防火製の壁や隔壁を持っている上に、消火用のシステムだってあるのだ。

 にも関わらず火災は発生し、あり得ない勢いで施設全体に広がった。

 こんなことはあり得ない、が、そのあり得ないことが起こっている。

 

 

「琴乃、紀沙。オレは下の階層にいる僧と合流してくる」

「え……」

「大丈夫なの?」

 

 

 気が付くと、群像は酸素ボンベや救急道具を背負っていた。

 紀沙は彼に手を引かれてここまで避難して来た――他には、琴乃がいるだけだ――ので、兄だけが離れると言うことに慌ててしまったのだ。

 身を起こすと、群像は言った。

 

 

「大丈夫だ、手動で隔壁を閉めないと火が止まらない。琴乃、お前はここからオレに指示をくれ」

 

 

 指示をくれ。

 あの兄の口からまさかそんな言葉が飛び出すとは、紀沙は夢にも思わなかった。

 それは琴乃も同じようで、驚いた顔をしている。

 そんな琴乃に、群像は言った。

 

 

「昔から、お前のことは信じている」

 

 

 その時琴乃がどんな顔をしたのか、群像は見ていなかっただろう。

 だが、紀沙は見た。

 琴乃の顔に、明らかに高揚の色が覗いた瞬間を。

 紀沙は、はっきりと見た。

 

 

 そして紀沙の心に芽生えたのは、憧憬と嫉妬だ。

 紀沙は群像にそう言う類のことを言われたことは無いし、そう言う気配を群像が見せたことも無かった。

 羨ましいと、心の底からそう思った。

 

 

「……任せてよ。群像くん、気をつけて行ってらっしゃい」

「ああ」

 

 

 そして、群像は紀沙のことを見向きもせずに副管制室を出て行く――――。

 

 

「紀沙、琴乃を頼むぞ」

 

 

 ――――ぽんっ、と、紀沙の頭を軽く叩いて。

 群像が出て行った後、紀沙は撫でられた場所を自分で撫でた。

 先程までの憧憬と嫉妬は、すでに消えていた。

 その時の紀沙の顔を、やはり群像は見ていないだろう。

 ただ、琴乃だけがそれを知るばかりだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 施設内における火災は、時間との勝負だ。

 琴乃は辛うじて生きている――どうして、この副管制室だけが生きているのかはわからない――コンソールを叩き、インカム越しに群像に情報を伝えていた。

 管制室だけあって、全体の情報を把握できるのは強い。

 

 

「…………」

 

 

 そして、紀沙の役目は琴乃を守ることだ。

 正直琴乃のことは好きでは無いが、見捨てる程嫌いと言うわけではない。

 幼馴染、なのだ、これでも。

 嫌いなわけは、無いのだ。

 

 

 それから、紀沙は知っているのだ。

 不本意ながら、琴乃が群像に向けている感情が本物であることを。

 そしてその感情のためならば、琴乃はおそらく他のことを省みない。

 良くわかる。

 だって、紀沙がそうだったからだ。

 

 

「で、どう?」

「大丈夫、群像くんも僧くんも無事に外に出たわ。隔壁もいくらかは閉められたみたいね、火の回りが鈍くなったわ」

 

 

 そして、今がそうだったからだ。

 考えても見てほしい。

 火の手の元の1つは管制ルームだ、そしてこの副管制室は管制ルームに程近い場所にある。

 走って避難できる程の距離しか無いのだ。

 

 

 そして時計を見れば、群像が出て行ってすでに2時間が経っている。

 鼻をつくその()()も、段々と濃くなってきているような気がした。

 それが気になり始めていたから、紀沙は言った。

 

 

「そろそろ、私達も行こう」

「待って。せめて群像くん達が施設から離れるまで」

「いや、外に出てるんでしょ? 後は兄さんなら何とかするよ、僧くんもいるわけだし」

 

 

 がちゃがちゃと救急用具の中から、群像が使っていたのと同じ酸素ボンベとマスクを取り出しながら、紀沙はそう言った。

 実際、群像ならばこちらの助けが無くても何とでもするだろう。

 例外は自分自身以外の要因、つまり誰かに巻き込まれることぐらいだ。

 特に気負い無くそう言った紀沙に、琴乃は振り向いて。

 

 

「紀沙ちゃんは、群像くんのことを信じてるんだね」

「いや、まぁ」

 

 

 それこそ、「ずっと信頼している」だ。

 紀沙は群像のことを疑ったことが無い、疑うだけ無駄だとすら思っている。

 

 

「……凄いなぁ」

「……?」

 

 

 何か言ったか、と思ったその時だ。

 足元が、揺れた。

 ずん、と腹の奥に響くその振動は、紀沙の胸中に嫌な予感を感じさせるには十分だった。

 しかもそれは、どう言うわけか近付いてくる。

 いや、これは――――今、来る!

 

 

「琴乃、マスクを――――!」

 

 

 酸素ボンベを担いで、紀沙は跳んだ。

 そして次の瞬間、白煙が爆風と共に副管制室の中に充満した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 大きく、鈍い音を立てて、金属製の扉がゆっくりと開く。

 梃子(てこ)にしていたのだろう、開いた扉から棒切れが投げ捨てられた。

 ガラン、と、煤けた空気の中に乾いた音が響く。

 

 

「けほっ……」

 

 

 そして開いた扉の隙間から顔を覗かせたのは、紀沙だった。

 髪と頬、制服に灰色の煤をこびり付かせていて、お世辞にも可愛らしいとは言えない。

 その肩には、同じく煤で汚れている琴乃を抱えていた。

 琴乃の腕を自分の肩に回して、引き摺るようにして引っ張っている。

 

 

「げほっ……」

 

 

 咳き込みは、紀沙のそれより深刻なように思える。

 それもそのはずで、琴乃は酸素ボンベのマスクを自分では無く、紀沙の顔に押し当てたのだ。

 咄嗟のことで1人分しか運べなかったとは言え、自分で使わないと言う判断を躊躇無くして見せた。

 ずるい、と紀沙は思う。

 こういうところが、群像にそっくりなのだ。

 

 

 まったくもって、ずるい。

 不機嫌とも言える感情の中、紀沙はそんなことを思った。

 思いながら、琴乃を引き摺っていく。

 琴乃を頼むと言う、群像の言葉だけを胸に抱いて。

 

 

「冗談じゃないよ……何たって私がこんなことを」

「へ、へへへ……やっちまったぜ」

 

 

 無駄口を叩けるなら、大丈夫そうだ。

 

 

「だから言ったんだよ、早く逃げようって」

「でもおかげで、群像くんも僧くんも無事に外に出られたじゃない」

「それで私達が火に巻かれてちゃ話にならないでしょ。私はお前と心中なんかしたく無いんだけど」

「私は紀沙ちゃんなら良いかな~……」

 

 

 警報色の点滅する中、取りとめも無いことを話しながら通路を進む。

 行動は無駄なく、そして会話には無駄を、これは意外と重要なことだった。

 

 

「とにかく、兄さんのところまで行けば何とかなるから。それまでは頑張ってよね」

「……紀沙ちゃんは、凄いなぁ」

「はぁ?」

 

 

 うふふと笑って、琴乃は言った。

 

 

「群像くんのこと、信じてるんだね」

「何それ。琴乃さんだって兄さんと信頼し合ってるんでしょ」

 

 

 言葉に棘があるのは、仕方ない面もあっただろう。

 しかしそれでも、琴乃は自嘲気味に笑うことをやめなかった。

 

 

「私は、逆。いまいち信頼できないから、心配ばかりしてるの」

「…………」

「だから、紀沙ちゃんが羨ましいんだ。私」

 

 

 やっぱりずるい、と、紀沙は思った。

 こっちが意地を張って簡単に言えないことを、どうしてそんなにあっさりと言ってしまうのか。

 本当に、ずるいと思う。

 そうして、緩慢ながらも出口を目指して歩いている時だ。

 

 

 紀沙は、不意に足を止めた。

 それは琴乃の横顔から顔を背けようとした結果でもあり、だから彼女はそれを見た。

 狭い通路の真ん中に陣取るようにして、忽然と姿を現したもの。

 ――――宇宙服。

 

 

「ああぁ……!」

「琴乃さ……琴乃、どうしたの!?」

 

 

 琴乃が、ずるりと崩れ落ちた。

 宇宙服への警戒を解かぬままに、紀沙は膝をついて琴乃を支えた。

 頭を抑えて蹲る琴乃の顔色は青白く、先程までの余裕は一切無い。

 気のせいでなければ、暗闇の中、瞳が白く明滅しているような。

 

 

「来ないで……!」

 

 

 その言葉に、紀沙は顔を上げた。

 宇宙服。

 管制ルームにいたあの宇宙服の誰かが、両手を広げてこちらへと近付いて来ていた。

 一歩近付く度に、琴乃の悲鳴が強くなっていくような気がした。

 理由はわからない、だが。

 

 

「近寄るな……!」

 

 

 琴乃は幼馴染で。

 そして、兄は自分に彼女を守ってくれと言った。

 だったら、紀沙のやることは1つだった。

 

 

「琴乃に、近寄るなぁ――――ッッ!!」

 

 

 身を低くして、突貫する。

 そうして飛びかかり、宇宙服の誰かを押さえ込みにかかって、そして。

 ――――記憶は、ここで途切れている――――

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 痛み。

 痛みだ、痛みがやって来た。

 ()()()()

 

 

「痛い、痛い、痛い」

 

 

 表向き、イ404のクルー達と共に自身の甲板にいながら、しかしスミノは別の場所に存在していた。

 現実の世界と一枚壁を隔てた世界、霧のコアネットワークそのものとも呼ぶべき世界。

 霧の世界。

 その世界で、スミノは痛みを訴えていた。

 

 

 手は顔の左側を押さえている。

 指の間から覗くそこには、黒い穴のような眼窩がある。

 こちらの世界のスミノには、左目が無いのだ。

 そして今、喪った左目が痛むのだ。

 

 

「あは、あはは、あははははははっ」

 

 

 この痛みを、()()も感じている。

 同じ痛みを共有している、そして()()()()()()

 良く見てみれば、暗い眼窩の奥で何かが光っていた。

 白い粒子のようにも見えるそれは、奥へ奥へと広がっていっている。

 まるで、抉り、掘り進むかのように。

 

 

「待ち切れないよ、艦長殿」

 

 

 やがて訪れる、いつか。

 

 

キミ(ボク)ボク(キミ)になる日が」

 

 

 それは、そう遠い日のことでは、無い。

 笑う。

 笑って、嗤って、そしてスミノは――――……。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

ヤマト・ムサシと琴乃・翔像に関する設定が欲しい切実に。
と言う訳で自分で作りました(事後)
ある意味、いつも通りですね。

しかし35話にしてまだまだ序盤な空気をかもし出すあたり、アルペジオは奥が深いです。
何しろ、世界規模で話を展開させないといけないですからね……。

それでは、また次回。

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