蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth036:「ヨーロッパへ」

 群像は、動けないでいた。

 ふわりとタカオの甲板上に降り立って来た少女が、余りにも思い出の中の彼女に似ていたからだ。

 いや、そのままと言っても良い。

 それでいて群像の頭脳は、「そんなことはあり得ない」と冷静に告げてもいるのだ。

 

 

「群像くん」

 

 

 だが、この声、この音程、この響き。

 こちらが引いた一線を軽々と越えて、いつの間にか傍にいるような、そんな声だ。

 とても温かで、群像はかつてこの声に心癒されていた。

 そんな記憶を、嫌が応にも思い出してしまう。

 

 

「こら!」

「……っ」

 

 

 不意に、とん、と額を小突かれた。

 不意打ち気味に行われたそれは、けして痛くは無かった。

 しかし、群像は額を押さえた。

 母親に叱られる幼児の気持ちで、琴乃――コトノを見つめた。

 

 

 そして、コトノは実際に怒った顔をしていた。

 群像を小突いたそのまま指を振り、まさに「注意」と言う風に頬を膨らませている。

 その様子を見ていると、群像は戸惑いを覚えずにはいられなかった。

 

 

「紀沙ちゃんのこと、ちゃんとしてあげなきゃダメでしょ」

(紀沙……?)

 

 

 そう言えば、紀沙の呻き声が聞こえなくなっていた。

 見れば、足元で妹が顔を上げていた。

 先程よりは随分と落ち着いている様子で、コトノのことを見上げている。

 ただ、少し様子がおかしい。

 

 

 憔悴して見えるのは、頭痛のせいだろう。

 ただそれ以上に目を引いたのは、髪の一房が銀色に輝いていたことだ。

 そう見えたと言うわけでは無く、髪の色が変わっていたのだ。

 加えて左目の翡翠色がより深みを増し、虹彩の輝きが強くなっているような気がした。

 

 

「メンタル……モデル」

「そうだよ?」

 

 

 じろり、と、その左目でコトノを見つめる。

 チリチリと、虹彩が輝いていた。

 その輝きは、群像の知る限りは……。

 

 

「私はコトノ、超戦艦『ヤマト』のメンタルモデル」

 

 

 胸に手を当てて、コトノはそう言った。

 紀沙は翡翠色の左目をぎらりと輝かせて、額に浮かんだままの汗を拭わずに。

 

 

「偽物のくせに、兄さんを……」

 

 

 ()()()()()が、左目の上をさらりと流れた。

 そしてふらつきながらも、ゆっくりと立ち上がった。

 そんな紀沙を、コトノは微笑みながら見つめている。

 

 

「……惑わさないで!」 

 

 

 左手を、コトノを見つめる左目の視線に乗せるように。

 紀沙の身体が、躍動した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 琴乃を払うべく前に突き出された左手は、しかし紀沙の意思に反して途中で止まった。

 群像が、腕を掴んで止めていた。

 紀沙は兄に対して向けるには不穏な視線を、群像へと向けた。

 憔悴と消耗の結果、余裕が無かったのかもしれない。

 

 

「兄さん、こいつは霧だよ。琴乃じゃない!」

「……お前は、天羽琴乃では無いのか?」

「兄さん!」

 

 

 繰り返すが、コトノの容姿は天羽琴乃そのものだ。

 海洋技術総合学院の制服まで、完璧に再現されている。

 仮に琴乃本人で無かったとしても、無関係とはとても思えなかった。

 

 

「アマハコトノ……この身体のモデルになった子だね」

「モデル? メンタルモデルには元になった人間がいるのか?」

「私達のこの身体は、モデル形成時にコアが無意識に選択している。貴方達だって、自分がどんな姿で生まれるのかを自分で決めることは出来ないでしょう?」

 

 

 初めて聞いた話だ。

 思えば群像はイオナの姿に疑問を持ったことが無かったから、「どうしてそのメンタルモデルにしたんだ?」などと聞いたことが無かった。

 また仮にメンタルモデルの元になった誰かがいたとして、それが天羽琴乃である確率はどれだけあると言うのか。

 

 

 しかも、『ヤマト』。

 噂には聞いたことがある、霧の総旗艦だ。

 そんな存在のメンタルモデルが、「天羽琴乃」をモデルに選んだのが偶然?

 出来すぎた何かだと、群像が考えるのも無理は無かった。

 

 

「琴乃……」

 

 

 2年前の、第四施設焼失事件の時。

 群像は琴乃と妹を残して脱出して――結果として、そうなってしまった――自分だけ助かった、少なくとも群像自身はそう思っている。

 中に戻ろうとした自分を僧が止めたとか、そんなことは意味が無かった。

 

 

 琴乃は死に。

 紀沙は変わって。

 そして、自分は逃げるように日本の外に飛び出して。

 全ては、あの時あの場所で琴乃がいなくなってしまったことが始まりだった。

 

 

「オレは」

「群像くん」

 

 

 

 ――――ちゅっ。

 

 

 

「……え?」

 

 

 紀沙は、目の前で何が行われたのか、一瞬わからなかった。

 しかし本能が先に理解したのか、ざわり、と髪が逆立ったように見えた。

 そして、理性が理解する。

 コトノが、群像に口付け(キス)をしていた。

 コトノが目を閉じて群像に口付け、兄の目は驚きに見開かれていた。

 

 

「……ッ!」

 

 

 すぐさま割り込んで、コトノを群像から押しのけた。

 群像は突然のことに呆然としていて、まだ何をされたのか理解していない様子だった。

 押しのけられたコトノはもちろん理解していて、指先で己の唇を撫でていた。

 そして、照れくさそうに笑った。

 その様子に、はっきり言えば紀沙は殺意すら覚えた。

 

 

「群像くん、紀沙ちゃん。早くヨーロッパに行った方が良いよ」

「はぁ!?」

「……ヨーロッパに、何があるんだ?」

 

 

 それには答えず、コトノの身体はふわりと浮き上がった。

 同時に『ヤマト』の艦体が沈み始めて、海面がそれだけで大きく揺れた。

 

 

「おじ様が待ってるよ」

「親父が? ……親父が何なんだ、待ってくれ琴乃! お前はいったい」

「ごめんね、群像くん。私は貴方の知っている琴乃では無いの」

 

 

 哀しげに微笑んで、コトノは言った。

 ヨーロッパへ急げ、と。

 早くしなければ、間に合わなくなると――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『ヤマト』の潜行を、邪魔する者はいなかった。

 最大最強の霧の艦艇と事を構える余裕は無かったし、またそれどころでも無かったからだ。

 イ401もイ404も、艦長が『タカオ』の甲板から降りて来ない以上は動けるはずも無い。

 結局、群像と紀沙だけが全ての状況を動かすことが出来るのだった。

 

 

「ヨーロッパに何があると言うんだ、琴乃」

「……兄さん」

 

 

 そして、その2人すら言葉を交わせていない。

 いや、言葉を交わせたとしても意思が交わっていない。

 話し合いにならない。

 かつては、手を繋ぐだけで互いのすべてを分かり合えたような気さえしたと言うのに。

 

 

 いったい、何故こんなにも遠くなってしまったのか。

 何が群像を変えたのか。

 そして何が、紀沙を変えたのか。

 そもそも、変わったものとは何だ?

 理解(わか)らず、苦悩して、紀沙は兄に。

 

 

「……スミノッ!?」

 

 

 紀沙が顔を上げた時、彼女はいた。

 群像も気付いているが、反応は遅れていた。

 それはそうだろう、いきなり目の前に現れたのだから。

 驚く群像に対して、スミノは左手の掌を彼の顔の前に突き出した。

 紀沙にはあれがどう言う性質のものか何故か理解できたが、何か行動を起こす前に。

 

 

「イオナッ!?」

 

 

 イオナが、それを止めた。

 上からいきなり落ちて来たイオナは、スミノと同じように海上から跳躍したようだ。

 ただし、空中を足場にした加速は人間に出来ることでは無い。

 衝撃に甲板が僅かに歪み、たわんだことについては、タカオが少し嫌な顔をしていた。

 

 

「どう言うつもりだ」

「ふん」

 

 

 掴まれた手を引いて離し、着地と同時に後ろ回し蹴りを叩き込む。

 イオナはそれを、手を下ろしてガードした。

 2人のメンタルモデルの間で、蒼と灰の障壁が明滅を繰り返す。

 一見すると大した攻防には見えないが、しかし紀沙の()にはもう一つの世界で行われている2人の攻防がはっきりと見えていた。

 

 

「何、大した話じゃないよ。ただね……」

 

 

 互いのコアのキー・コードを奪おうと、高速かつ複雑なハッキングの応酬が繰り返されている。

 人類のシステムなど比では無い強度と数の防壁を、互いに破り合うと言う戦いだ。

 そしてそれを、1秒に満たぬ時間の内に全て行っている。

 演算速度を表すかのように、2人のメンタルモデルの額で霧の紋章が明滅していた。

 

 

 不意に、()()が気付いた。

 スミノの容姿が、少しだが変わっている。

 背が伸びたとかそう言うものでは無く、変化はほんの少しだ。

 髪の一房が、黒くなっている。

 

 

「無性に、千早群像を殺してやりたくなってね――――」

 

 

 そこで、紀沙ははっとした。

 首を振って呆然としていた意識をはっきりとさせて、そして言った。

 

 

「スミノ、やめて!」

 

 

 すると、驚く程あっさりとスミノはやめた。

 自分から身を引いて、イオナへの――群像への攻撃をやめる。

 滑るように紀沙の前へ来て、鼻先が触れ合いそうな程の距離にまで詰めて来た。

 銀と黒の一房が、絡み合ったような錯覚を覚えた。

 スミノは、笑顔で言った。

 

 

「わかったよ、艦長殿」

 

 

 その笑顔には、相変わらず一点の曇りも無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……ヨーロッパに、行く」

 

 

 しばらくの沈黙の後、群像はそう言った。

 兄は言葉をかけられずにいた紀沙は、それを黙って聞いた。

 何となく、そうなるだろうとは思っていたのだ。

 アメリカへの振動弾頭の引渡しが終わっている以上、イ401がどこへ行くかを止めることは出来ない。

 

 

 紀沙に出来ることは、2つに1つだけだ。

 ついて行くか、それとも。

 いずれにしても、群像次第のところはある。

 何よりも、紀沙はやはり群像と離れたくなかったのだ。

 

 

「琴乃……あのコトノに、言われたから?」

「それも、無いとは言えないな」

 

 

 こう言う時、率直に言う群像の性格が憎らしくもある。

 

 

「ただ、何の意味も意図も無くあんなことを言いに来るとも思えない。何か意味がある。それも、霧の謎に迫るような意味が」

「霧の謎なんて、知ったって何の意味も無いじゃない」

「いや、今後のためには必要になるかもしれない」

「……今後って?」

 

 

 聞きたく無いが、それでも聞いた。

 こう言う時、期待を捨て切れない自分が憎らしくもあった。

 

 

「『白鯨』に……真瑠璃に託したファイルの中で、オレは楓首相にある提案を行った。霧と条約を結ばないか、と言うものだ」

 

 

 別に、翔像の真似をしようと言うわけでは無い。

 元々群像が自分で考えていたことを、先を越されたと言うだけのことだ。

 それに群像は、霧の軍事力(イオナ)を背景に条約を迫る考えは無い。

 あくまでも、対話でそうしたいと思っていた。

 

 

 それは、アメリカのエリザベス大統領の考え方に近いかもしれない。

 霧を絶滅させるような手段でも無い限り、共存こそが唯一選択可能な手段だと言う判断だ。

 群像とエリザベス大統領の違いは、積極的か消極的かの違いでしか無い。

 また群像は、実際にイオナや他の霧と交流する中で得た結論でもある。

 

 

「霧がそんな約束、守るわけ無いじゃない」

「どうかな……彼女達は良く言えば純粋だ。それに彼女達はメンタルモデルを得てから変化している、話し合いの余地は十分にある」

 

 

 とは言え、大半の人間が紀沙と同じ意見であろうことは群像も理解している。

 同じ天を戴くには、人間と霧は争い過ぎた。

 だがそれは、対話しなくて良いと言う意味にはならないはずだとも思う。

 信頼は、少しずつ積み上げていくしかない。

 

 

「それに、親父の動きも気にかかる」

「父さんの?」

「あのUボート、ゾルダンも言っていた。親父は欧州大戦に介入して何かをしようとしている」

 

 

 千早翔像は、何をしようとしているのか。

 コトノの警告は、どちらかと言うとそちらの意味が強い気がする。

 加えてイオナによれば、今は欧州方面の霧はいろいろと混迷しているようだ。

 何かが、ヨーロッパで起こっている。

 

 

「それに……」

 

 

 ちら、と、群像は紀沙へと視線を向けた。

 紀沙の()()、そして急に変化した()()()()()

 対して、スミノの髪の変化。

 紀沙の身体の変化。

 

 

「……それに、母さんのメッセージを聞くには父さんも必要だ。そうだなタカオ?」

 

 

 だが、それは言葉にはしなかった。

 言葉に出来ないのが、群像と言う少年だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 頼みがある、と、群像はタカオに言った。

 

 

「……頼み?」

 

 

 眉を潜めて、タカオは問い返した。

 沙保里のことに関しては、タカオは全力を傾けるつもりだった。

 彼女が子供達と、そして夫と共に過ごす時間については、タカオは何があっても千早家を守り通す覚悟だった。

 

 

 それだけ、沙保里に対する想いと義理は強かったのである。

 ただ、それ以外のことについて何かする義理は無いとも思っていた。

 元々、タカオはイ404とイ401を撃沈すると言う目的があったのだから。

 

 

「横須賀へ、海洋技術総合学院へ行ってもらえないか」

「海洋技術……? アンタ達のいたところね、そんな所へ何を?」

「第四施設焼失事件、と言う事件について調べて欲しい」

 

 

 その情報は、ある程度はタカオも知っていた。

 千早兄妹の情報をネット上で探れば、その名前の事件の生存者であることはすぐにわかる。

 しかし、それだけだ。

 それ以上のことについては、ネット上にも無い。

 第一級秘匿情報として、独立したサーバーに保存されているのだろう。

 

 

(……?)

 

 

 一瞬、スミノの視線を感じた。

 しかしタカオが視線を向けた時には、スミノはいつもの笑顔の仮面を被っていた。

 何と言うか、余り好ましくは無かった。

 

 

「あの事件で本当は何が起こっていたのか、オレ達は知るべきだと思う。霧のお前なら、人間には見つけられない真実そのままを見つけてくれると思う」

「それはアタシが受けて、何か得があるわけ?」

「無い、な。だからこれは、オレの勝手な頼みだ」

 

 

 受ける義理も、メリットも無い頼みだ。

 だが、不思議とタカオは悪い気はしなかった。

 ふんっと胸を逸らすタカオの態度に満足したのか、群像は紀沙を見た。

 紀沙としては、霧に機密を盗むよう促す群像を注意すべきであったかもしれないが。

 

 

「紀沙、お前はどうする?」

 

 

 どうする、とはずるい聞き方だと紀沙は思った。

 紀沙が群像を放っておけるはずが無いと、わかっているくせに。

 ずるい。

 ずるい、ずるい、ずるい――――泣きたいと、本当にそう思った。

 

 

「私の、今の任務は」

 

 

 紀沙に与えられた命令は、イ401を監視すること。

 紀沙の望みは、群像を日本に連れて帰ること。

 だから、紀沙は言った。

 すぐ傍らで、スミノが嗤っていることを感じながら。

 そして無意識の内に……。

 

 

「……兄さんの傍に、いることだから」

 

 

 無意識の内に、紀沙もまた「霧とは何か」について考え始めているのだった。

 霧とは?

 スミノとは?

 そして、紀沙の身体に何が起こっているのか。

 

 

「それからタカオ、ヨーロッパの霧はどんな状況かわかるか?」

「え? ああ、そうね、まず……」

 

 

 本当は、紀沙自身が1番知りたがっていたのかもしれなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――欧州天地、複雑怪奇。

 遥か遠くアジアの大国において、現在のヨーロッパ情勢はそう表現されている。

 従来は敵味方が目まぐるしく入れ替わる欧州大戦を指していたのだが、現在ではさらに別の意味で使われるようになった。

 

 

「貴様のせいで、ヨーロッパ方面艦隊は崩壊状態だ!」

 

 

 欧州の西端、デンマーク海峡。

 グリーンランドとアイスランドのほぼ中間に位置する海域は、この2つの共和国――グリーンランドは欧州大戦勃発後、デンマーク本国より独立を宣言した――が欧州大戦の戦場から遠く離れていることもあって、比較的穏やかな状態にあった。

 

 

 しかしこの日、温暖化が進んでもなお残る氷山を背景に、2隻の――いや。

 ()()()()()が、この平和な海域で衝突していた。

 片方の艦隊が放った砲撃を、もう片方の艦隊がフィールドを形成することで防御する。

 逸れた砲撃のエネルギーが海面を波打たせ、蒸発した海水は白い水蒸気を吹き上げた。

 

 

「ぐ……! ビスマルクッ、この裏切り者めッ!!」

 

 

 片や霧の巡洋戦艦『フッド』率いる()()欧州方面大西洋艦隊。

 重巡洋艦『ノーフォーク』及び『サフォーク』を含む強力な艦隊であって、攻撃を仕掛けたのはこちらの艦隊のようだった。

 実際こちらの艦隊の方が数は多く、相手を半包囲するような陣形を取っている。

 

 

「裏切り? それは違う」

「我々は今も、()()のために動いている……」

 

 

 そして片や大戦艦『ビスマルク』と僚艦『プリンツ・オイゲン』、どちらも元大西洋艦隊所属の艦だ。

 特にビスマルクは、欧州でも屈指の演算力と格を持つ霧の大戦艦である。

 特に特徴的なのは、その智の紋章(イデアクレスト)だ。

 イデアクレストは個々の霧が持つ固体識別式であり、通常、1艦につき1つだ。

 

 

 しかしこのビスマルクの艦体には、それが2つあった。

 太陽と月、そして2人のメンタルモデル。

 ナガトと同じく、膨大な演算力を持つデルタコア保有の霧の艦艇である。

 演算力の高さ故か、フッド側の砲撃を全てフィールドで受け流してしまっていた。

 

 

「ビスマルク――――ッ!」

「そう喚くな、同胞」

「声を立てれば聞き逃すわ、時代の音を」

 

 

 ヨーロッパの情勢は、もはや人間同士の戦争だけでは語れなくなっている。

 ビスマルクとフッドを中心とする、霧の欧州艦隊の内紛。

 そして、その両者に介入するもう1つの勢力がある。

 ――――千早翔像率いる、<緋色の艦隊>である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 居並ぶ将兵の間を、威風堂々と男が歩いていた。

 

 

「これより我々は、ドーバー海峡に進出する」

 

 

 千早翔像がそう言うと、将兵が敬礼した。

 彼らはすでに日本軍を離れた身だが、その身に染み付いた習慣はそうそう忘れられるものでは無かった。

 軍籍を離れようとも、母国で死亡扱いを受けていたとしても、それは変わらない。

 彼らは今でも、翔像を自分達の艦長だと思っているのだ。

 

 

「総員、ただちに戦闘配置につけ」

「「「了解!!」」」

 

 

 そして翔像も、彼らのことを信頼のおける部下だと思っている。

 自分の考えに同調し、祖国を捨ててまで自分について来てくれている。

 ある意味で、部下と言うよりは同志と感じているのかもしれない。

 慌しく持ち場に戻っていく部下達の背中を見送りながら、翔像はそんなことを思った。

 

 

 そしてそんな翔像の背中を、自身の艦橋の上からムサシが見つめていた。

 艦橋の縁に座り足をぶらぶらと揺らしている姿は、幼めな外見と相まって少女を可愛らしく見せていた。

 しかし、だ。

 腹の奥に響くような重低音が、ムサシの持つ愛らしさを著しく損なっていた。

 その音は、『ムサシ』の巨大な主砲が動く音だった。

 

 

「こう言う時、人間の言葉では何と言うのだったかしら」

 

 

 ムサシは知っていた。

 翔像が今この時点で動くと決めた、その理由を。

 愛する妻の死?

 いいや、それだけで翔像は動かない。

 では、この行動の速さの理由は何であろうか?

 

 

「そう、そうね……確か」

 

 

 ムサシは知っていた。

 それは、()()から来る速さだと言うことに。

 そう、翔像は焦っているのだ。

 一刻も早く前に進まなければと、そう思っているのだ。

 

 

 何故?

 そんなことは言う間もで無い。

 問われるまでも無い。

 子供達だ。

 子供達が来るから、だから翔像は先へ進もうとしているのだ。

 

 

「こう言えば良かったかしら」

 

 

 鈍い音を立てて、主砲が固定された。

 そして、けたたましくブザーが鳴り響く。

 翔像は動かない――構わない、自分が守るとムサシは思った――まま、前を見据えている。

 ならばと、ムサシはその視線の先へと主砲を向けた。

 翔像の進む道を遮るものは、何であっても自分が排除して見せると。

 

 

「――――『パリは(イズ・パリス)燃えているか(バーニング)』?」

 

 

 ――――西暦2056年、秋。

 千早翔像提督率いる<緋色の艦隊>は、フランス政府に対して宣戦を布告した。

 その最初の攻撃は、超戦艦『ムサシ』による首都パリへの艦砲射撃であったと言う。

 欧州情勢は、さらなる混沌へと歩みを進めるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 太平洋上のイ号潜水艦がヨーロッパに向かうことを、ヨーロッパ各国は日本政府からの通報で知った。

 この通報はイ404の艦長が本国宛に送った報告文を元にしている。

 不用意に近付いて各国に攻撃されることを防ぐための措置だが、同時に、全ての霧の艦艇に知られてしまうリスクをも抱えることになった。

 

 

「いっそのこと、沈めてしまうと言うのも手かな。中佐」

「……その気も無いくせに、軽々にそう言うことを仰いますな、大統領」

 

 

 ロシア連邦第27親衛ロケット軍参謀アレクサンドル・トゥイニャーノフは、大統領の言葉に溜息を吐いた。

 元軍人と言う経歴を持つ大統領は、そんな彼の憮然とした様子に喉を鳴らして笑った。

 老齢の割に筋肉質な肉体が、スーツの下で窮屈そうに震えている。

 

 

 イ号潜水艦の来訪は、混沌を極める欧州情勢にさらなる一石を投じることになるだろう。

 ましてアメリカが振動弾頭を手に入れ、イギリスが霧と同盟を結んでいる状況においては。

 彼らロシアが、そしてドイツが、フランスが、イタリアが。

 イ号潜水艦の来訪を自国の有利になるよう利用すべく、表で裏で動き始めていた。

 

 

「イギリス……と言うか、千早提督だな。彼がフランスを攻撃したそうだが、その後どうだね」

「どうにもならんでしょう、元よりフランスはスペインとの戦闘で疲弊しておりますから。まぁ、それはドイツの策謀によるところが大きいようですが」

「ドイツ、いつの時代もあそこが我々にとってのアキレス腱だな」

「仕方ありますまい。我々がヨーロッパに出ようとすれば必然的にぶつかる定めなのですから。しかし今はドイツよりもアメリカであり、件のイ号潜水艦なのです。大統領」

 

 

 イ号潜水艦の存在は、前々からヨーロッパ各国の間で有名だった。

 しかし太平洋、それも東アジア近海でしか活動しないため手の出しようも無く、眺めているしか無かった。

 だが今、イ号潜水艦が向こうからやって来てくれると言う。

 ヨーロッパが俄かに活気付くのも、無理からぬことだった。

 

 

()()を退ける、そして振動弾頭を手に入れる。今、我々を含むヨーロッパ各国にとり、これ程のチャンスはまたとありません」

 

 

 光明、と言っても良い。

 ヨーロッパ諸国にとって、久方ぶりに舞い込んできた朗報だった。

 援軍? いいや、そんなものでは無い。

 

 

「大統領」

 

 

 忘れてはならない、彼らは中世から権謀術数と外交術を研鑽し続けてきた稀有な者達だ。

 

 

「――――イ号潜水艦の、()()()()()()

 

 

 そんな彼らにとり、外から来る光明は援軍では無く()()だ。

 はたして陰謀渦巻くこのヨーロッパに、戦乱の時代にある欧州に、イ号潜水艦とそのクルー達は、何をもたらすのだろうか。

 




読者投稿キャラクター:
アレクサンドル・マクシミリアーノヴィチ・トゥイニャーノフ:雨宮稜様
有難うございます。


最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

と言うわけで、本作はこのままヨーロッパ編へ突入します。
「騎士団」の設定プリ――ズッ!(まだ言ってる)
ま、まぁ、何とかなるでしょう……たぶん。

それでは、また次回。

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