蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth003:「鹿島宇宙センター」

 イ404の艦体が、陽光に白く輝いていた。

 コンテナのアームに固定されたそれは、普段は晒すことの無い艦底部まで人目に晒している。

 煌く灰色の艦体に、それを見つめていた人々は緊張を孕んだ唾を飲み込んだ。

 

 

「これが、霧の艦か……」

「しかし、思ったよりも小さいんだな」

「小さくてもおっかねぇよ……」

 

 

 作業着に身を包んだ彼らは、鹿島宇宙センターの職員だった。

 鹿島宇宙センターはSSTOやロケットの射場を備えた大規模な施設であり、現在、日本の宇宙事業の主要拠点となっている場所でもある。

 元々日本の宇宙センターは鹿児島県種子島にあったのだが、霧の海洋封鎖によって危険性が増したため、陸続きの場所に拠点を作り直したのだ。

 

 

 そして今、その鹿島宇宙センターに横須賀からイ404が運び込まれた。

 特殊な軍用トラックに収容されて運ばれてきたそれは、職員達の手元のデータよりも随分と小さい。

 見た目には半分以下だろう、潜水艦としての最低限の機能しか無いのでは無いか、と彼らは思った。

 一方でヘリコプターを使って空路で運ばれてきたコンテナが10近くあって、その中には灰色の金属の塊が積み込まれていた。

 

 

「本土の奴ら、ここを金属加工屋と勘違いしてやがるのか?」

 

 

 職員達が揶揄(やゆ)混じりにそんなことを言うのも、無理は無かった。

 だがその時、不意に変化が起こった。

 イ404のハッチが、勢い良く開いたのだ。

 その瞬間、積荷の引き受けを行っていた者達の間に緊張が走った。

 どれだけ揶揄しようと、相手が霧の艦艇だと言うことを忘れてはいないのだ。

 

 

 この潜水艦1隻で、鹿島宇宙センターは壊滅させられる。

 いやもしかしたら、日本そのものが滅ぼされるかもしれない。

 それは、SSTOの射場と言う特殊な場にいる彼らが誰よりも良く知っていることだった。

 それだけ、彼らの危機感は強いのだ。

 霧の攻撃に晒され続けてきた、彼らだからこそ持ち得る危機感だ。

 

 

「何だ……?」

 

 

 何が起こるのかと固唾(かたず)を呑んで見守っていると、ハッチから腕が生えてきた。

 その腕がハッチの縁に腕をかけると、まるでホラー映画か何かのように男がずり上がって来る。

 作業員達がぎょっと見ている中、男が顔を上げた。

 そして、彼は。

 

 

「う゛ほ゛え゛え゛え゛え゛ぇぇ……!」

 

 

 イ404のクルー、碇冬馬は、盛大に()()()()()

 いわゆる、乗り物酔い。

 見るからに顔色が悪く、かなりタチの悪い酔い方をしている様子だった。

 鹿島の職員達は、それをぽかんとした表情で見つめていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 日本近海は霧によって封鎖されているため、陸路で向かう方が安全だ。

 しかしそうは言っても、横須賀から佐賀までを陸路だけで移動するのは効率が悪い。

 まして潜水艦を運ぶとなると、なおさらだった。

 だから空路と陸路を何度か乗り継ぎ、奈良や呉などを経由して関門海峡を越えた。

 

 

「冬馬さん、大丈夫ですか?」

「何たって、移動してる間も中で待機なんだよ……うえ」

「間違ってもボクの身体(かんたい)につけないでくれよ」

 

 

 十何時間かぶりの地面に膝をつき、イ404に手をついて冬馬が背中を丸めていた。

 心底嫌そうな顔をするスミノを睨み、紀沙はそんな彼の背中を擦ってやっている。

 海中なら平気なのだが、トラックで揺られるのはまた違うらしい。

 一方で他のクルーは平気そうにしているので、冬馬は恨みがましそうな顔をそちらへと向けた。

 そんな冬馬に、梓が肩を(すく)めて言う。

 

 

「アタシらは良治から酔い止め貰ってたからね」

「何で俺にはくれないの!?」

 

 

 鹿島の港は宇宙センター用と言うことで、名目上は軍民共用と言うことになっている。

 とは言え霧への対策と言うこともあって、船舶は全て陸に揚げられていた。

 流石に横須賀のように地下ドックとまではいかないが、海上にいるよりは安全であろう。

 コンクリートで舗装された道路と、SSTOの発射を指揮・管制するための建設物、それに資材の保管や整備・生産のための工場や倉庫群、壮観な光景だった。

 

 

 遠目に見える陽光煌く水平線は、横須賀のそれとは少し違うように見える。

 さらに宇宙センター関連の施設の他に、統制軍の駐屯施設も見える。

 陸軍の装甲車、やはり陸に揚げられた海軍の艦艇、そしてヘリポート。

 もちろん、兵士が暮らす宿舎もそこかしこに点在していた。

 

 

「あれがSSTO?」

 

 

 落ち着いてきた冬馬から離れて立ち上がると、()()が視界に入った。

 発射台に据え付けられた大型のそれは、否が応でも目に映る。

 射場で打ち上げを今か今かと待つ、大型の輸送機。

 鹿島宇宙センターは海に近付くほど低くなっていくので、センターの入口付近にいる紀沙達から見ると、射場は見下ろす形になる。

 

 

「はい。艦長はSSTOを直に見るのは初めてですか?」

 

 

 恋の言葉に頷く紀沙。

 イ404のクルーはメンタルモデルを含めて外に出ている。

 思い思いの場所に立ち、あるいは座っていて、やはり紀沙と同じように遠目に見えるそれを視界に収めていた。

 この位置から見ると掌程の大きさに見えるそれは、しかし何よりも重要なものだった。

 

 

 SSTO――――単段式輸送機。

 形状としては横に平べったいマンボウのようで、だが表面は大気圏の熱にも耐えられる素材で出来ている。

 あのSSTOはある物を乗せてアメリカへ飛ぶ、大陸間を飛翔する輸送機だ。

 紀沙達は今回、あれを守るために派遣されたのだった。

 

 

()()()()()()()を、アメリカに引き渡すために)

 

 

 ふと彼女の手が触れるのは、髪を結ぶリボンだ。

 色は赤、紀沙にしては派手目な色合いだった。

 それに触れながら、紀沙は今回の任務に出発する時のことを思い起こしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 お互いの予定が合う時には、いくら早くても、紀沙は北と一緒に屋敷を出ることにしている。

 その日も早起きをして、お米と卵と葉物の野菜――いずれも、このご時勢には貴重品だ――を使ったお弁当を作った。

 お握りと卵焼きに野菜と漬物を少々、塩分控えめ、慎ましやかだが花形の人参が彩りを豊かにしている。

 

 

「はい、おじ様。今日のお弁当です」

「ん」

 

 

 強面(こわもて)の議員が小さな桃色の包みを開いて、丸くて可愛らしいお弁当を黙々と食べる姿は傍目から見てどう映るのだろう。

 屋敷の家政婦らは毎回そう思っているのだが、残念ながら北から周りの反応について言及されたことは無い。

 側近や部下達も他言するような性格では無いので、いよいよもって謎ではある。

 

 

 そしてこう言う時、北は何も言わずに受け取り、そして帰宅のタイミングが合えば何も言わずに返すのだった。

 昔ながらと言うか、私生活で女人に対して何かを言う人種では無いのだろう。

 紀沙もまた、何かを求めたことは無い。

 自分が好きでやっていることで、それに屋敷に住まわせて貰っているお礼の一環だと思っているからだ。

 

 

「今日は……こちらがよいと思います」

「ん」

 

 

 そして、北のネクタイを選ぶのも紀沙の役目だった。

 いつからかやり始めて、何となく習慣付いた日課のようなものだ。

 今日は青基調のストライプ柄、北は特に拒否することも無く、鏡の前でそれを身に着けた。

 自分が結んであげたい気持ちもあるが、流石にそれはさせて貰えていない。

 

 

「今日は、どれが良いと思いますか?」

「む……」

 

 

 そしてこれもいつからかわからないが、おそらく紀沙の方から聞いたのが始まりだったと思う。

 この時に少し悩む素振りを見せる北の顔は、おそらく紀沙しか知らないだろう。

 

 

「これですか? す、少し派手じゃないですか?」

 

 

 北が紀沙の持つ小さな箱の中から選んだのは、リボンだ。

 紀沙は基本的に髪をリボンで結ぶ、そうしないと跳ねが強くて乱れてしまうためだ。

 そして選んで貰ったリボンで髪を結って、屋敷を出るのである。

 ネクタイとリボンを選び合う、それが2人の朝の日課だった。

 

 

 そしてその日、北が選んでくれたのは赤色のリボン。

 少し派手に思えたが、初の実戦任務と言うこともあって、気合を入れろと言うことなのかもしれない。

 赤は、勝利の色でもある。

 北の気持ちが伝わるようで、紀沙はリボンを手に唇を引き結んだ。

 

 

「今日から少し長い任務だ。艦長として、クルーのことには目を配れ」

「はい」

「お前にとっては初陣だが、今回の任務は日本にとって、いや人類にとって重要なものだ。初陣だからと甘えることなく、精励しろ」

「はい」

 

 

 私生活では口数が少ない北だが、話が公的なものになると途端に饒舌(じょうぜつ)になる。

 それが北と言う人間で、紀沙はそのことを良く理解していた。

 だから素直に頷いて、北の言葉を聞いていた。

 

 

「そして無事に任務を果たして、帰還するのだ」

 

 

 そうした北の言葉を胸に抱いて、紀沙は鹿島へと旅立った。

 そして今日、鹿島の地へと足を踏み入れたのである――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 いくら陸路で運ばれてきたと言っても、潜水艦は潜水艦である。

 あくまで配備されるのは港だ。

 陸上に設置された船舶用のアームに艦を据え付ける作業が、まず必要になってくる。

 それだけでも大掛かりな作業のはずだが、霧の艦艇なのでそこまでの労力は必要無かった。

 

 

「スミノ、艦体を固定。同時に分割したナノマテリアルを回収」

「了解、艦長殿」

 

 

 小さくなった艦体と謎の金属塊を積んだコンテナ群から、灰色の粒子が空中に舞い上がった。

 キラキラと輝くそれは風に煽られる様に舞っていて、光の強い蛍のようにも、陽光に煌くタンポポの種子のようにも見える。

 ただしそれは金属の粒子であって、ナノマテリアルと言う特殊な物質である。

 

 

 ナノマテリアルとは、霧の艦艇が用いる未知の物質のことだ。

 人類がナノマテリアルを用いることは出来ない。

 これは霧にのみ許された超技術であり、鉱物学や物理学では説明がつかないものなのだ。

 それは、目の前の光景から容易に想像できるだろう。

 

 

「相変わらず、意味不明な光景だねぇ」

「理解しようとする方がどうかと思うわ~」

 

 

 梓が嘆息するのも無理は無い、あおいは技術班としてもう少し理解への努力を求めた所だが……。

 ただ、一方で粒子を発する側が溶けるように消えて、もう一方で何も無かった場所にイ404の艦体が形成されていく――そんな光景を見て、理解を放棄したくなる気持ちもわからないでは無い。

 強いて例えるなら、毛糸のセーターを解くと同時に全く同じセーターを編んでいる状態だ。

 セーターと潜水艦ではまるで違うが、イメージとしてはそれが一番近い。

 

 

 スミノは艦体をいくつかの金属塊に分割し、運搬がしやすいような形態を取っていたに過ぎない。

 分割したそれらを元に戻すことで、100メートルを超える艦体が徐々に姿を現してきた。

 明らかに超常の光景だが、紀沙達にしてみれば初めてでは無い。

 何せ、自分達が乗り込む際にクルーの部屋のリフォームを同じ方式で行ったのだ。

 とは言え理解出来ないものは出来ない、人間の姿をしていても、スミノが霧であることを再認識する場面だった。

 

 

「それにしても艦長殿、どうしてボク達は外で待機なんだい?」

 

 

 実際、紀沙を見上げるスミノの顔に人間らしさは窺えない。

 姿形は人間だ、しかし決定的に纏う雰囲気が違う。

 

 

「人間は援軍ってものを歓迎するものだと思っていたけれど」

 

 

 翡翠の瞳、その虹彩が輝いていた。

 断続的に揺れるそれはノイズに似ている、そして額に輝く奇妙な紋章(クレスト)

 灰色に輝く、シンメトリーの翼の形をした紋章だ。

 ()()()

 それから視線を外して、骨組みから外装、そして内装の再現に入ったイ404の艦体を見つめる。

 

 

「……人間は、怖いものを遠ざけておきたいものなんだよ」

 

 

 それだけを返して、スミノから離れる。

 艦体が復元された――対照的に、コンテナは空になった――以上、次は中のことをしなければならない。

 イ404の艦体は陸上設置型のアームに固定されており、固定を解除しさえすれば、そのまま海中へと滑り落ちるようになっていた。

 一応、ここがそのまま紀沙達の持ち場と言うことになっている。

 

 

「あおいさん、静菜さんは機関室。梓さんは魚雷、冬馬さんはソナーのチェックを。良治さんは医薬品の積み込み、それから恋さんは私と発令所の確認をお願いします」

 

 

 そんな背中を、スミノはじっと見つめていた。

 紀沙の言葉を反芻(はんすう)するように呟き、意味深長に嗤う。

 こわいもの、だ。

 彼女は「怖いもの」と言ったが、さて。

 

 

「それはボクのこと? それとも……」

 

 

 先程、紀沙と会見した軍務省の次官とやらの顔を思い起こす。

 紀沙達を建物の中に入れず、港での待機を要請した鹿島の職員達の顔を思い起こす。

 それらを思い起こした彼女は、ますますもって笑みを深くするのだった。

 

 

「……ボクを含めた、()()()()()?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 横須賀の海は、今夜も穏やかだった。

 海に面したテラスから見える月は高く、街頭に照らされたレンガ造りの佇まいはクラシックな雰囲気を醸し出している。

 そこは海沿いにある高級レストラン、その筋で有名で、政治家や高級官僚が会食に良く利用する場所だった。

 

 

『イ404は鹿島に到着したそうですね』

「どうやらそのようだ、流石に耳が早いな」

『これでも首相ですから』

 

 

 今日、このレストランを使用している客は1組だけだった。

 楓と北の二人である。

 時の首相と与党幹事長の会食とあって、警備は厳重である。

 最も楓首相の身体のことを思えば、正確には会食とは言えないかもしれない。

 

 

 とにかく、二人は同じテーブルを囲んで向かい合っていた。

 ウェイターが空の食器を下げ始めているあたり、どうやら食事は終わったようだ。

 今は食後の歓談、と言っても、話の内容はいくらか殺伐としていたが。

 

 

『成功すると思いますか? 軍務次官の輸送計画は』

「霧の判断次第だろう。あれらは大気圏を高速で移動する物体でも撃ち落せる、今回飛ぶSSTOが無害な物と判断すれば放置するかもしれん」

『しかしあなたはそうならないと思っている、そうでしょう?』

「確証があるわけでは無い」

『でも、確信はある』

 

 

 食後に運ばれてきたコーヒーの表面は、黒く微動だにしない。

 

 

『霧はどう言うわけか、我々の事情に精通している。過去他国まで飛んだSSTOは、全て支援物資を乗せたものでした』

「一方で、軍需物資を積んだSSTOは全て撃墜された」

『ええ。……そして今回は、後者です』

 

 

 ――――振動弾頭。

 日本が今回、SSTOに乗せてアメリカに運ぶ物だ。

 一言で言えば開発したての新兵器、文句のつけようが無いほどに「軍需物資」である。

 つまり、霧が妨害してくる可能性は極めて高いと言えた。

 

 

『そうなると、後はイ404と……』

「イ401次第、と言う所だろうな」

 

 

 霧の海洋封鎖、それは島国の日本にとってまさに致命的だった。

 全ての船舶が――それこそ、潜水艦まで含めて――撃沈されてしまうと言うことは、日本に必要な物資が入ってこないことを意味する。

 資源と食糧、それまで輸入に頼っていた諸々が次々に枯渇、日本は1年と保たずに追い詰められた。

 

 

 だからこその新兵器、霧の艦隊を排除して、旧来の海洋秩序を取り戻す。

 そうしなければ、日本に未来は無い。

 かつて霧の艦隊と戦った楓首相と北には、それが痛いほどによくわかっていた。

 そして希望の渡し先をアメリカとしたのも、色々と事情があってのことだ。

 

 

『欧州諸国は戦争の真っ最中、中国・ロシアは友好国というわけではない』

「そしてアメリカにはSSTOの支援を受けている借りもある。同盟国でもあるし、誘いを断るのは難しい。実際、我らには十分な数の振動弾頭を量産できるだけの工業力は無い」

『まぁ、全く保険が無いわけではありませんが……』

 

 

 そこで楓首相は、ふと微笑んだ。

 

 

『……それにしても北さん。任務の達成が困難とわかっておいでなのに、どうしてイ404を鹿島に向かわせたのです?』

「不可能と決まったわけでは無い。可能性に賭けてみようと思ったまでのことだ」

 

 

 それなら、イ401で十分だったのでは?

 楓首相はその言葉をあえて口にしなかった、北も楓首相がそうしたことに気付いているだろう。

 上陰への対抗だけでそうしたとは思わない、北はそんな器の小さい政治家では無い。

 わざわざ横須賀の防衛力を落としてまで鹿島にイ404を送り込んだのは、他に理由があるはずだった。

 そう、例えば。

 

 

『ところで北さん、そのピンクの包みはいったい?』

「む……」

 

 

 誰かと誰かを、引き合わせるため?

 いや、この場合は()()と言うべきだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 佐賀の海辺も、横須賀の――函館と同じ星が見えているのだろうか。

 そんなことを考えながら、紀沙はひとり鹿島宇宙センターの埠頭に立っていた。

 少なくとも冷たい海風は、似ているような気がした。

 

 

「うん……うん。大丈夫、ちゃんと食べてるよ」

 

 

 ひとり頷きながら、紀沙は立っている。

 独り言と言うわけでは無く、携帯端末で誰かと話しているのだ。

 掌の半分程の大きさの携帯端末で、何かのアニメキャラクターを模したストラップが揺れていた。

 相手は親しい人間なのだろうか、声は優しかった。

 

 

「お腹出して寝たりしないよ、もう子供じゃないんだから」

『…………』

「うん、うん。大丈夫……母さん」

 

 

 電話の相手は実母の千早沙保里、今は函館に住んでいる。

 鳥類学者で、父と兄のことがあってからは自宅に軟禁状態となっている。

 今の紀沙の立場からすると、人質と言う側面もあるだろう。

 この電話も、政府によって傍受されている可能性だってある。

 

 

 まぁ、母の沙保里はそう言ったことを感じさせない大らかな性格の女性だ。

 大らかと言うか、懐が広いと言うべきなのか。

 少なくとも、紀沙は母の口から悲観的な言葉を聞いたことが無い。

 割と無茶苦茶なところもあるが、母のそう言う性格は紀沙も好ましく思っていた。

 

 

「ちゃんとやってるから、心配しないで」

 

 

 そうして、通話は切れる。

 特に何か話したいことがあったわけでは無い。

 ただ声を聞きたかったし、聞かせてあげたかった。

 母親との電話などそんなものだろうと、紀沙は思っている。

 そして母も、そんな紀沙の気持ちを良くわかっているのだろうと思う。

 

 

(ちゃんとやってる、か)

 

 

 何の具体性も無い言葉だと、そう思う。

 一方で自分がここにいる理由も、きちんと見えている。

 任務の重要性、北への気持ち、クルーへの責任、家族への想い。

 そして、自己の力への不信。

 

 

 そうした色々に押し潰されそうになった時は、こうして海に来る。

 海。

 父と兄が乗り出した、その場所。

 子供の頃から変わらずにそこにある海は、紀沙を安心させてくれる。

 まるで、昔一緒に海を見ていた人が傍にいてくれるような気持ちにさせてくれる。

 

 

「父さん、兄さん……出来れば」

 

 

 自分がすべきことは、いつだってここにある。

 祈るように閉じた目からは、何も零れない。

 泣いてばかりでは、何も出来ないから。

 それに日本にはもう、千早は、霧の艦長は自分だけしか残っていない。

 そう、だからこそ――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 次に目を開いた時、紀沙は変わらず海辺にいた。

 

 

(だからこそ、私がやらなくちゃ)

 

 

 しかし埠頭では無い、青白いディスプレイの輝きに満ちた、薄暗い場所にいる。

 イ404の発令所、その景色が視界一杯に広がってきた。

 正面のモニターには遠く、SSTOの射場の様子が打ち出されている。

 すでに燃料の供給も終わり、エンジンの燃焼も始まっている状況だった。

 まさに、打ち上げ直前と言った様相を呈している。

 

 

「SSTO、発射まであと10分を切りました」

「わかりました。恋さん、そのままカウントダウン管理お願いします」

「了解しました」

 

 

 モニターの端に、打ち上げまでのカウントダウンの表示が始まる。

 あと1分半もすればSSTOの固定が解かれ、5分もしない内に打ち上げの管理が管制を離れるだろう。

 最後の待機(ホールド)が解除された今、後は打ち上げ本番まで止まることは無い。

 10分の後には、SSTOは夜空の彼方へと飛び立っているはずだ。

 

 

「スミノ、天候は?」

「――――降水確率0%、外気温摂氏9℃、雷雲無し。絶好の打ち上げ日和?」

「そう」

 

 

 天候を理由に中止される可能性も少ない。

 打ち上げる。

 打ち上がる、SSTOが。

 しかし一方で、紀沙は発令所内の空気が張り詰めていくのも感じていた。

 

 

 何故か?

 それは、予感があるからだ。

 予感と言うよりは、過去の経験から来る確信と言うべきだろうか。

 このSSTOがこのままでは()()()()()()()と言う、確信。

 

 

「……来なきゃ良いんだよ」

 

 

 呟いたのは、梓だったか。

 しかしそれは、この場の――いや、鹿島宇宙センター全体の意思の代弁だった。

 誰もが予感し、そしてその予感が外れることを祈っている。

 同時に、その予感が的中することも確信している。

 それは、そんな矛盾を孕んだ感情だった。

 

 

「――――ん」

 

 

 ピクン、と、スミノの身体が震えた。

 次の瞬間だった。

 足元が揺れたと感じた直後、夜空を赤色と黒煙が引き裂いた。

 振動が空気を伝って、ここまで震えてくるような気がした。

 右から左へと、SSTOの射場の傍を掠めたそれに目を細める。

 

 

「鹿島駐屯地のミサイル防衛システム作動を確認!」

「……!」

 

 

 恋の声に、クルーはそれぞれ動いた。

 梓は各種魚雷を再確認し、冬馬はソナーの感度を上げた。

 来た。

 やはり来た、紀沙は己の心臓を掴まれた心地になった。

 

 

 いつの間にか、自分で左胸を掴んでいた。

 飲み下せる程に唾液が出ている一方で、唇はやけに乾いていた。

 浅く早い呼吸は、鮮明なはずの視界をチカチカさせる。

 気のせいか聴覚にも、いや五感全てが鈍くなっているような気がしてきた。

 要するに、急激な緊張に肉体が反応したのである。

 

 

(任務、SSTOの護衛)

 

 

 そんな中にあっても、自分の使命を忘れてはいない。

 忘れてはいないが、最初の一声が出なかった。

 唇は震えて喉も動く、なのに第一声が上手く出ない、舌でも絡まっているのか。

 まるで(おか)に上がった魚のようで、訓練通りに言葉を発せない自分に苛立ちを――――。

 

 

「艦長殿」

 

 

 スミノの声が、すっと胸に落ちて来た。

 途端に体内で聞こえていた軋みが消えて、視界が、耳が正常に意識できるようになった。

 驚いたような顔で横を向けば、スミノが感情の見えない瞳で自分を見ていた。

 翡翠の色では無い、すでに虹彩を輝かせている。

 

 

「……ッ」

 

 

 途端、観察されているような気持ちになって、かっとした熱を顔面に感じた。

 

 

「機関始動!」

 

 

 発令所に、少し掠れた紀沙の声が響いた。

 灰色の輝きが発令所を覆い、イ404の動力部に火が入った。

 

 

「アームロック解除、隔壁閉鎖、進水と同時に増速開始」

『機関室了解、進水時点で増速開始』

『隔壁閉鎖、気密チェック~』

 

 

 最初の一声さえ出てしまえば、後は言葉の方が口を突いて出て来た。

 

 

「全兵装ロック解除。通常弾頭魚雷を5番から8番まで装填」

「あいよ了解、5番から8番まで通常弾頭魚雷装填!」

「センサー類感度上げ、やはり進水と同時に海面をトレース」

「任せとけ、泡いっこ見逃しゃしねーよ」

 

 

 アームが解除される鈍い音が響くと同時に、艦体が斜め前にずり下がる振動が起こる。

 排気、そして海中に沈む独特の軋みと浮遊感。

 それら全てが、紀沙の意思によって動いている。

 初陣。

 初めての、戦場(うみ)へ。

 

 

(父さん、兄さん)

 

 

 父に代わり。

 兄に代わって。

 自分が。

 

 

(出来れば、どこかの海から見守っていてね……!)

 

 

 自分が、皆を、この国を守る。

 

 

「急速潜行――――――――ッッ!!」

 

 

 霧の、魔の手から!

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 鹿島沖には、現在()()の艦艇が存在している。

 まず一つは湾内に侵攻している霧の艦艇、そして二つはその迎撃に出撃した日本海軍の艦艇『あまつかぜ』『たちかぜ』、そして戦線への参加を窺う日本海軍保有の霧の艦艇――『イ404』。

 そして、いま1隻。

 

 

「どうやら、もうおっぱじめてるみてーだな」

 

 

 青白い輝きに包まれる発令所の中で、橿原(かしはら)杏平(きょうへい)は言った。

 タンクトップにミリタリーパンツ姿の少年は、今は炭酸飲料片手に発令所正面のモニターを見つめていた。

 対光仕様のゴーグルに、モニターの映像が映り込んでいる。

 

 

「日本海軍の2隻、霧に砲撃を開始しました」

依頼人(クライアント)より交戦海域のリアルタイム映像と、SSTOの打ち上げデータが送信されて来ました。正面モニターに出します」

 

 

 海中の音を拾ったのだろう、八月一日(ほづみ)(しずか)が状況を伝える。

 長い黒髪に眼鏡という容姿はともかく、キャミソールにショートパンツという格好は、(いささ)かこの場にはそぐわないようにも見えた。

 尤も無人機(ドローン)の偵察映像を出した少年に比べれば、インパクトは弱い。

 織部(おりべ)(そう)は服装は普通だが、フルフェイスタイプのマスクが全てを持っていっている。

 

 

『超伝導系に揺らぎが見えるから、なるべく全速航行は避けてね~。保たせるけど』

 

 

 戦闘の気配を感じてか、モニターの隅に通信枠が現れた。

 機関室らしき場所を背景に1人の少女が映っている、明るい茶髪を2つ結びにした少女だ。

 その少女、四月一日(わたぬき)いおりの言葉に、ふむと頷く者が1人。

 

 

「それで、先客がいるみたいだが。どうする、艦長?」

「……そうだな」

 

 

 霧の艦艇が火焔に包まれる――そして無傷で反撃している――様子を見つめながら、艦長と呼ばれた少年は頷いた。

 黒いタキシードに身を包んだ少年、人は彼のことを「航路を持つ者」「戦艦殺し」等、様々な異名で呼ぶ。

 しかしそのいずれも彼の名前から来たものでは無く、彼が成した事象からつけられたものに過ぎない。

 

 

「イオナ」

 

 

 千早(ちはや)群像(ぐんぞう)は、傍らの少女を呼んだ。

 銀色の髪の少女が、感情の見えない顔で振り向く。

 翡翠色の瞳が、少年のことをじっと見つめていた。

 

 

「このまま潮の流れに乗って無音潜行、速力10ノット。敵に見つからないことを最優先に、慎重に近付いてくれ」

「攻撃はしないのか?」

「ああ。霧と()()がぶつかれば、おそらくどちらも周囲に気を払えなくなるだろう」

 

 

 全ての戦況を映すモニターを見つめながら、彼――群像は告げた。

 それは、彼ら<蒼き鋼>の行動方針を決するものでもあった。

 

 

「――――その隙を、突く」

 

 

 どちらの、とは言わない。

 しかしそれで全ての意図を察したかのように、銀髪の少女は頷きを返した。

 途端、彼らの足元がぐらりと揺れた。

 潮流に乗ったのだと気付くのに、時間は必要なかった。

 

 

「よし」

 

 

 それを合図に、他のメンバーも定位置についていた。

 仲間達の動きを視界の端に収めながらも、群像はイオナへと視線を向けていた。

 次の命令を待つ()に、命令を伝えるために。

 

 

「……かかるぞ!」

 

 

 ()()()の艦艇が、鹿島の海を進む。

 静かに、そして確かに、静粛さの中に猛々しさを隠して。

 蒼き狼は、その牙を研ぎ続けていた。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

イオナたんに「きゅ~そくせんこ~」と言ってほしい(え)
でもあれはアニメ設定(と言うよりアドリブ)なので、私のとこでは無理かもですね。
原作とアニメでは、キャラが大分違うお方ですしね……。

さて、次回は本作初の海戦です。
スロースタートな気もしますが、原作における最初の戦闘でもあります。
張り切っていきましょー。
それでは、また次回。

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