蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

46 / 110
Depth045:「カークウォール事件」

 タカオは、身動き出来ずにいた。

 横須賀・海洋技術総合学院の第四施設跡の慰霊碑を前に、立ち尽くしていた。

 とは言っても、かつてここで起きた痛ましい事件に胸を痛めているわけでは無い。

 

 

「……今のは」

 

 

 そうでは無く、今しがた見えたビジョンにショックを受けていたのだ。

 不意に浮かび上がったそれは、情報としてタカオのコアに叩き付けられたものだ。

 かつて北海道で暴走した際、同じようなことが起きた。

 沙保里の喪失に我を失いかけた時、見たビジョンに似ている。

 

 

 どこか――おそらくはヨーロッパの――の花畑の中に佇む、柔和で温かな女性のイメージ。

 母に抱かれる娘のように、錯乱しかけたタカオは自分を取り戻すことが出来た。

 今度は自分に向けられたものでは無いが、しかしはっきりと感じ取れた。

 だが今回得たビジョンは、そのイメージは……。

 

 

「なに?」

「いや、わからないな」

「ただ……」

「ええ、そうですね」

 

 

 他の面々も、同じビジョンを見た。

 ただし今回のビジョンは、以前のような温かなものでは無かった。

 むしろ逆だ。

 おぞましく、背筋に不快な何かを感じさせるような。

 暗闇の中で、口にするのも憚られるような存在が嗤っているような。

 

 

「嫌な感じがする……」

 

 

 自分の腕を抱いて顔色を悪くするアタゴを、マヤがそっと支えていた。

 いつもならコアの記録領域を圧迫する勢いで画像データを保存しているだろうタカオも、今はそんな気分になれずにいた。

 胸の中に、何か嫌なものがこびりついている感覚だった。

 

 

「千早兄妹」

 

 

 遥か西方へと想いを()せながら、タカオは囁くように言った。

 胸中にわだかまる苦いものを拭い去ることが出来ないままに、しかしそれに屈しようとも思わずに。

 何千キロと離れたその先に、想いを飛ばす。

 

 

「いったい、何が起こっているって言うの……?」

 

 

 霧に。

 人に。

 世界に。

 

 

「大丈夫なんでしょうね、あいつら」

 

 

 霧の戦術ネットワークには、何の情報もアップロードされていない。

 それは霧にとって、「何も起こっていない」ことと同義だ。

 しかし何かが起こっている、タカオにはそれがわかる。

 霧にはそれを表現する言葉が無いが、人間にはあった。

 ――――タカオは、胸騒ぎと言うものを覚えていたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 流石に、村の外までは追いかけてこなかった。

 ぜぇぜぇと息を切らしながら、杏平はその場に座り込んだ。

 若い男子とは言え、長時間の全力疾走はさすがに堪えるものがあった。

 

 

「全く、群像達に付き合ってると楽できなくて良いね」

 

 

 本心か皮肉かはともかく、杏平はそんなことを言った。

 彼は僧と違い学院時代に群像や紀沙と知り合った、いわば「新顔」の人間だが、それでも群像からは深く信頼されていた。

 特にイ401の砲雷撃に関しては、群像は口を出そうとすらしない。

 

 

 こう言う状況でも、杏平は言われる前に村人達を引き付けることを買って出る。

 艦長に万が一があったら大事だからな、とは杏平の談だが、単純に人が良いのだろう。

 ちなみにいおりなどは、杏平のこの気質を「ホラーゲームで死ぬ役っぽい」と評していた。

 報われないタイプなのかもしれない。

 

 

「オゥ、神よ……」

 

 

 一方で一緒に逃げて来たジョン――走りながら自己紹介した――は、村の方を見て呆然としていた。

 そこはオーマイゴッドじゃないのかよと思いつつ、杏平はジョンが向いている方を見た。

 

 

「何だ、ありゃあ」

 

 

 光の柱だ。

 村中の闇を払うような、光の柱が村の中心に出現していた。

 地から天へと放出する形で出現したそれは、その根元で何かが起こっていることを雄弁に物語っていた。

 それも、余り良くないことが起こっている。

 

 

「くそ……!」

「今からでは間に合わないヨ」

 

 

 駆けつけたい衝動に駆られる杏平だったが、ジョンの言う通り、事はすでに起こっている。

 今から行っても、村人達を掻い潜りながらではとても間に合いそうに無かった。

 

 

「それよりも艦に戻った方がグッドね、401はユーがいないと攻撃力が出せないからネ」

 

 

 自分が砲雷長だと言ったことは無いはずだが、このジョンとか言う変な奴は自分や401のことを良く知っているようだ。

 ただ自分がいなければ艦の攻撃力が出せないと言う点には、少々の訂正を加えたかった。

 出せないのでは無く、活かせないのだと。

 

 

「簡単にくたばるんじゃねぇぞ」

 

 

 明るく、昼間のように村を明るく照らす光の柱を見つめながら、杏平は言った。

 夜空の雲を引き裂くその様子には神性すら感じるが、生憎(あいにく)と杏平は神様などと言う都合の良いものを信じてはいない。

 彼が、()()が信じるものはいつだって自分達の力と、自分達の行動によって得られるものだけだったのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 霧の力を侮っていたつもりは、群像には無かった。

 むしろ霧と対する時は常に命懸けだと思っているし、そして死にたがりでも無い。

 死んだら死んだでその時だとは思うが、それと命知らずは別の話だろう。

 

 

「すまない」

「ほんと手のかかる兄妹だよお前らは……!」

 

 

 成す術も無く吹っ飛ばされた群像だったが、地面に激突する前に冬馬に身体を支えられて、どうにか大怪我をせずに済んだ。

 完全に崩壊してしまった教会を見れば、冬馬の助けが無ければどうなっていたかなど想像するまでも無い。

 

 

「で、どうすんだ!?」

「そうだな……」

 

 

 それはそれとして、危機的状況だった。

 2人の前には完全に崩壊した教会があり、十字架があった位置にはアマリアの氷棺がある。

 そしてその真下に、『クイーン・エリザベス』ことリエルがいる。

 霧の力を取り戻し、かつ記憶を取り戻した、人間への憎悪に狂う霧の艦艇。

 

 

 リエル=『クイーン・エリザベス』。

 大戦艦級のコアの演算により生み出される力の発露は、まさに天災だった。

 メンタルモデルを基点に、天に光の柱が、周囲に暴風を撒き散らしている。

 レンガを吹き飛ばす程の風力のため、その場にいるだけでどこから何が飛んでくるかわからず危険だった。

 

 

「正直、少しだけ興味があるな」

「あ、何がだよ!?」

「霧の艦艇が、全力で力を解放したらどうなるか」

 

 

 イオナもそうだが、霧の力は未知数だ。

 彼女達は皆、周囲への影響を考慮して戦闘時でも力を押さえている。

 だが、今のリエル=『クイーン・エリザベス』にはそれが無い。

 怒りと憎しみ我を忘れており、群像達はもちろんカークウォールの村人達のことすら頭に無いだろう。

 いや、むしろそれらを滅ぼすことしか考えていないのかもしれない。

 

 

『艦長? いったい何をしておいでなので?』

 

 

 襟元に仕込んだ通信機から聞こえたのは、ヒュウガの声だった。

 演算力ではイオナやスミノを凌ぐヒュウガは、群像の近くで起きている異常にも気付いたのだろう。

 そしてその気付きは、群像達が肉眼で得ているものとはまた違うものなのだろう。

 

 

『重力子が急速に活性化しています。このままでは付近の次元断層に影響が出かねません』

「具体的に言うと何が起こる?」

『人間の言葉で言うと――次元の狭間に飲み込まれます』

 

 

 全くわかりやすくなっていないが、大変だと言うことはわかった。

 となると何とかしなければならないのだが、ただの人間に何とか出来るような状態では無かった。

 

 

「――――兄さん!!」

 

 

 そう、()()()()()()()

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 紀沙がアースヴェルドを連れて教会に戻った時、事態はすでに最悪を極めていた。

 道中、村人達は紀沙達に何もしなかった。

 天を裂く光の柱という「奇跡」の前に跪き、こちらを見なかったのだ。

 預言の言う滅びの日だと言わんばかりの態度に、紀沙は嫌気が差した。

 

 

 霧が神の奇跡を起こすなど、あり得ないことだ。

 神様気取りの霧め。

 今すぐに、その化けの皮を剥いでくれる。

 

 

「兄さん、冬馬さん! 大丈夫!?」

「ああ、何とか生きてる」

「俺がいなきゃ死んでたぞ!」

 

 

 擦り傷はあるが、大きな怪我はしていない様子にほっとした。

 一方で兄とクルーを傷つけられたと言う認識は、怒りとなって紀沙の胸を焦がした。

 よくも、と顔を上げれば、光の中のリエル=『クイーン・エリザベス』と目が合った。

 冷たい目だと、そう思った。

 

 

 濁っている。

 目の前に映る何もかもが憎くて、仕方が無いと言う目だった。

 何もかもを破壊してやると言う意思が、そこからは感じられた。

 一言で言えば、正気を見失っている目だった。

 

 

「リエル!」

 

 

 アースヴェルドが前に駆け出して、リエル=『クイーン・エリザベス』の前に出た。

 光り輝く黄金のメンタルモデルは、じろりと彼を睨み据えた。

 

 

「危な……!」

「もうやめるんだ、リ……ぐあっ!?」

 

 

 不可視の衝撃波が、アースヴェルドを吹き飛ばした。

 衝撃が余りに大きくて、風圧だけで身動きが取れなくなってしまう。

 遥か後方に吹っ飛んで行ったアースヴェルドを気遣う余裕も無い。

 

 

「――――人間め」

 

 

 声もまた、どす黒い憎悪に満ちている。

 かつて慕った義父であることを感じさせない程の、そんな色をしていた。

 

 

「愚かで、汚らしく、思いやりも優しさもなく、嘘を信じて、見るべき真実も見えない」

 

 

 そしてそんなリエル=『クイーン・エリザベス』の口から出てきたのは、人間への恨みつらみだ。

 それは、人間の悪性への糾弾だ。

 

 

「清らかな心を踏み躙って嗤う、崇めるべき(良心)を持たない愚図ども。この美しい地上と海を汚すしか脳の無い、愚者ども。お前達のような害虫は」

 

 

 神の名の下に。

 

 

「――――滅びてしまうが良い!!」

 

 

 ドン、と、円形に衝撃が広がった。

 地面が割れる。

 クレーターのように陥没した地面は、教会の残骸を蹴散らし、大気を震わせた。

 まさに天災だ、しかし。

 

 

「……何が滅びだ」

 

 

 そうした天災に立ち向かうのもまた、人間という多面的な生き物の一側面なのだった。

 

 

「災厄を撒き散らす霧が、何を偉そうに」

 

 

 紀沙は、リエル=『クイーン・エリザベス』の圧力に抗した。

 彼女の糾弾を受け入れず、逆に指弾した。

 

 

「人間みたいなことを」

 

 

 アースヴェルドから聞いた話は、悲劇だった。

 これ以上無い悲劇だ、それは認める。

 しかしその悲劇もまた、霧の登場によって生み出されたものの1つだ。

 リエル=『クイーン・エリザベス』の糾弾は、そこを無視している。

 

 

「――――言うんじゃない!」

 

 

 人間が、アマリアと言う聖者を失わせた。

 霧の登場が、清らかな者を踏まざるを得ない窮地に人間を押しやった。

 相容れない。

 これでは、とても相容れない。

 

 

 紀沙の左目が、ギラリと輝いた。

 電子の海を潜ませるその瞳は、真っ直ぐにリエル=『クイーン・エリザベス』の眼を射抜いた。

 ――――両者が同じ瞳を持っているのが、皮肉だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 千早紀沙の左目は、スミノの――()()()である。

 これはイ404のクルーの公然の秘密であるが、スミノは他のクルーには言っていないことがあった。

 それは、紀沙の左目が徐々に()()()()()()()ということだ。

 いや、馴染んでいると言った方が正しいだろうか。

 

 

「特に艦長殿は海にいる時間が長いからね」

 

 

 ナノマテリアルは、海から生まれる。

 そしてスミノの左目を使うと言うことは、体内にナノマテリアルを取り込んだと言うことだ。

 海にいる時間が長ければ長い程、体内に取り込んだナノマテリアルが活性化するのは当然の帰結だろう。

 霧から最も遠い位置にいるはずの紀沙が、最も霧に近しいものになりつつあるのだ。

 

 

 嗚呼、何と言う皮肉だろう。

 最も嫌い憎むものに身体を犯される感覚とは、いったいどのようなものだろう。

 想像しただけで、スミノは背筋にゾクゾクとしたものが走るのを止めることが出来なかった。

 人間の言う「鳥肌が立つ」と言うのは、こういうものを言うのだろうか。

 

 

「おい、気を散らすな」

「……ああ、すまないね。イ401」

 

 

 自らの艦体の舳先に立ちながら、同じようにイ401の舳先に立っているイオナに返事を返した。

 彼女達は狭い湾内に身を潜めていたのだが、カークウォールの異変と時を同じくして、湾内に突如巨大な戦艦が姿を現したのだ。

 ナノマテリアルの急速な活性化と共に現れたそれは、霧の大戦艦『クイーン・エリザベス』だった。

 

 

「この狭い湾内で、潜水艦2隻で大戦艦と正面からやろうって?」

「あれが地上を攻撃し始めたら群像達が危ない」

「現状でも大変だとは思うけどね」

 

 

 あの『クイーン・エリザベス』を中心に、強力な電磁パルスが広がっている。

 スコットランド北部に点在するイギリス軍の拠点などは大変だろう、下手をしたら拠点の電子機器すべてが死んでしまっているはずだ。

 いや、そもそも都市部のライフラインも寸断されてしまっているかもしれない。

 

 

「この演算力、明らかに霧の枠を超えているぞ」

「そうだね」

 

 

 それはそうだろう、と、スミノは思った。

 何しろ『クイーン・エリザベス』は、未だスミノ達霧が()()()しか導入できていない、<感情>と言うシステムを実装したのだ。

 愛、そしてその喪失から来る憎悪。

 そのいずれも、本当の意味で理解できている霧の艦艇は存在しない。

 

 

「やるぞ」

「はいはい」

 

 

 その両方を理解している『クイーン・エリザベス』の強さは、こちらの想像を超えているだろう。

 やるしか無いとは言え、難儀なことだ。

 演算力を()()()()()()()()()()()、戦闘は厳しくならざるを得ない。

 本当に難儀なことだと、スミノは思った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 裏の世界と、紀沙はそう読んでいた。

 ベーリング海で初めて認識した世界だが、この反転した世界――左目の視界とほぼ同じため、右目を閉じなければならないが――での出来事は、およそ人間の常識とかけ離れている。

 ()()()を持つ者だけが認識できる、世界だ。

 

 

「これは……」

 

 

 以前は2501が紀沙の世界に入り込んできたが、今回は逆だった。

 紀沙が、リエル=『クイーン・エリザベス』の世界に入り込んでいる。

 電子の海の向こう側、神経が焼き切れそうな程の熱さの先に、深層世界とも言うべきものがある。

 二度目は、一度目よりも抵抗無く来ることが出来た。

 

 

『シスター……』

 

 

 その世界は、礼拝堂の形をしていた。

 紀沙の世界がイ404の発令所であったように、深層世界の形はその者のイメージが反映されるのだろう。

 ただ、この「リエルの世界」は、紀沙にとって衝撃的だった。

 

 

『おねがい』

 

 

 コツコツと靴音を響かせながら、近付いた。

 ゆっくりとしたその動作は、とても戦いを仕掛けようとしているようには見えなかった。

 外では天災級の事態になっているのだが、ここは静かだった。

 だから、余計に響く。

 

 

『ひとりにしないでよ、シスター……』

 

 

 リエル=『クイーン・エリザベス』の、すすり泣く声が。

 小さいと、そう思った。

 あれだけの力を持つ存在が、何故か小さく見える。

 十字架の根元で膝を抱えて蹲っているのだから、そう見えるのも仕方が無かった。

 

 

 何だ、これは。

 ジリジリと左目の奥に熱を感じながら――しかもこの熱は、徐々にだが広がっている――紀沙は困惑していた。

 これが、あの強大な霧の姿だと言うのか。

 これでは、まるで。

 

 

(『1人は寂しいよ。父さん、母さん――兄さん』)

 

 

 倒せる。

 勝てる。

 今のこの世界のリエル=『クイーン・エリザベス』は、性能だとか演算力だとか、そう言うものでは無く、単純に打ち倒せる存在に成り下がっていた。

 外のあの力の放出は、中身の伴わないものだったのだ。

 

 

 しかし。

 

 

 しかし、紀沙は動くことが出来なかった。

 認めたくなかった、リエル=『クイーン・エリザベス』の弱さにでは無い。

 そこに、そこにかつての自分を重ねてしまった自分自身を、信じたくなかった。

 

 

「……ッ」

 

 

 だからリエル=『クイーン・エリザベス』が顔を上げた時、紀沙は逃げた。

 逃げなければ、顔を見てしまうところだった。

 見てしまえばきっと、もう言い訳のしようも無く。

 かつての自分を、リエルに重ねてしまっていただろうから――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 はっ……。

 息を吐いた瞬間に、紀沙は右目を開いた。

 ()()()()に戻って来たのだ、逆に左目は閉じ、瞼の間から血が流れている。

 

 

「く……」

「おい、艦長ちゃん!」

「だ、大丈夫です」

 

 

 力を使うと、人体の部分に負荷がかかってしまうのだ。

 まだ二度目、加減が掴み辛い。

 ただ今は、そう言う見た目上の問題は大した問題では無かった。

 問題は、心である。

 

 

 右目から流れる、透明の雫こそが問題だった。

 裏の世界でダイレクトに繋がってしまった弊害だろう、胸中には闘争心では無く共感に近いものが生まれてしまっている。

 霧を、理解しようとしてしまっている。

 そのことが、たまらなく嫌だった。

 

 

「よくも」

 

 

 そして、それはリエル=『クイーン・エリザベス』の側も同じだった。

 紀沙にはそれが良くわかった。

 いつの間にか光の放出は止まっていて、リエル=『クイーン・エリザベス』の汗に濡れた顔が良く見えていた。

 メンタルモデルが汗に塗れるなどあり得ないが、そうなっていた。

 

 

「よくも、私の中に。薄汚い人間風情が」

 

 

 声にも力が無い。

 (しゃく)な話だが、紀沙には今のリエル=『クイーン・エリザベス』の気持ちが良くわかった。

 何故なら、彼女達は互いに心を近づけたのだから。

 互いの胸に抱く嫌悪感は、まさに同じものであった。

 

 

「死の裁きを受けるが良い、人間!」

 

 

 一瞬の出来事だった。

 リエル=『クイーン・エリザベス』の手元の地面から、黒い砂のような物が無数に浮かび上がったのだ。

 それは瞬時に黒い槍の形態を取り、重力を無視した速度で飛んだ。

 狙いは当然、紀沙だ。

 

 

「紀沙!」

「ちっ、クソが!」

 

 

 群像が声を上げ、冬馬が駆け出した。

 間に合わない上に、避けられない。

 頭の冷静な部分がそう考えるのと、足がからまって後ろに倒れかけたのはほぼ同時だった。

 胸を狙っていただろう一撃は、紀沙の身体が下がったことで顔を目掛けて飛んだ。

 左目の力を使おうとしたが、ズキッと痛みが走って無理だった。

 

 

「くっ――――!」

 

 

 それでも何とか回避しようと顎先を上げて、抵抗する。

 物凄い速度で近付いてくる漆黒の槍が、スローモーションに見える。

 そして――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 肺から空気が抜ける音がした。

 次いでたたらを踏む音、しかし持ち堪えた。

 ただし、明らかに致命傷だった。

 

 

「あ……」

 

 

 上等な外套が、濃い染みを作っていた。

 端からポタポタと垂れる赤い雫が、地面に水溜りを作っていた。

 水溜りがそれ以上広がらないのは、傷口が塞がっているからだろう。

 アースヴェルドの胸板に突き立った漆黒の槍は彼の身体を突き破り、同時に傷口を塞ぐ役割を果たしたのだ。

 

 

「リエル」

 

 

 一歩。

 また一歩と、ゆっくりとアースヴェルドがリエル=『クイーン・エリザベス』に近付いた。

 リエル=『クイーン・エリザベス』は、どこか慄いた表情でそれを見上げていた。

 

 

「キミが人間を恨む気持ちは、良くわかる。でも」

 

 

 ガクリとリエル=『クイーン・エリザベス』の前で膝を折って、アースヴェルドは言った。

 その目はどこまでも優しく、そして哀しげだった。

 

 

「でも、どうか人間全てを憎まないでほしい」

 

 

 口の端から血を流しながら、アースヴェルドは言う。

 アマリアを害した者達を恨むのは良い、でも人類全てを悪と断じないでほしいと。

 何故ならば、リエル=『クイーン・エリザベス』が女神とまで崇めたアマリアもまた、人間なのだから。

 神の如き善と悪魔の如き悪を同時に併せ持つのが、人間と言う生き物なのだから。

 

 

 嗚呼、何と不可解な生き物なのだろう。

 感情を理解しつつある霧でさえも、理解できない。

 どれだけの演算力があったところで、これを再現することは出来ないだろう。

 その不可解さは、とめどない涙となってリエル=『クイーン・エリザベス』の顔を濡らした。

 

 

「わからない」

 

 

 アースヴェルドの身体を、そっと抱き締めた。

 漆黒の槍が、光の粒子となって端から消えていく。

 ドレスを朱色に染めながら、リエル=『クイーン・エリザベス』は呆然と涙を流していた。

 他にすることがわからないと、そんな様子だった。

 

 

「人間。良心。わからないよ――――パパ」

 

 

 紀沙は、2人から目が離せなかった。

 もう戦う気は無かった。

 ただ抱き合う2人から目が離せなくて、紀沙はその場から動けなかった。

 足が固まってしまったかのように、動けなかったのだ。

 

 

「紀沙、良く見ておけ」

「……兄さん」

「お前は、見ておくべきだと思う」

 

 

 兄に肩を叩かれて、ようやく動けるようになった。

 しかし視線は固定されたまま動かず、リエル=『クイーン・エリザベス』達から目を離すことが出来なかった。

 自分は違うと、そう思った。

 ただ、そう思い続けることが出来るかどうかは……少し、揺らいでいたかもしれない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 あれほどの圧力をかけてきていた『クイーン・エリザベス』の艦体が、ナノマテリアルの粒子となって消えていく。

 それに対して、イオナはメンタルモデルの身体から力を抜いた。

 身体から力を抜くと言う行為自体、霧らしからぬ行為ではあった。

 

 

「ねぇ、イ401」

 

 

 スミノはイオナのことを名で呼ばない。

 それは、名前を得た程度で群体たる霧から自立できると思っていないからだろう。

 それなりに妥当な話だ。

 と言って、イオナはもはやそれに首肯するつもりは無かった。

 

 

「キミは、愛って信じてるかい?」

「いや、その感情はまだ実装していないな」

「そうか、じゃあキミにもわからないかな」

 

 

 何でも無いような顔をして、スミノは言った。

 

 

「それを失った時の気持ちとかさ」

 

 

 愛の喪失。

 霧たる『クイーン・エリザベス』を狂乱させたのはそれだ、愛情が大きければ大きい程に、喪失した時の反動は大きい。

 今回のカークウォールの一件は、愛とその反動のために起きた事件だった。

 

 

 愛情、それは霧が理解できない感情の1つなのかもしれない。

 しかしメンタルモデルを得て、人間と干渉し合うようになってからは急速に変わっている。

 霧が気付いていないだけで、その種子はすでに()かれているのかもしれなかった。

 ……ヒュウガのあれは、イオナは都合よく忘れているのだった。

 

 

 

「――――霧も、随分と変わったものね――――」

 

 

 

 ぞくりとした悪寒が、イオナの背中を走った。

 人間的な表現で言えばそう言うことになるが、実際には突如として現れた巨大な存在に、イオナの中のナノマテリアルが大きく反応しただけだった。

 濃霧と共に現れたそれは、この狭い湾内に入るにはいかにも巨大すぎた。

 

 

「まさか、愛について語り合うようになるだなんて」

 

 

 『クイーン・エリザベス』の穴を埋めるように進み出てきたそれは、しかし『クイーン・エリザベス』よりも遥かに巨艦であり、超重量だった。

 その正体はあの『ナガト』と同様、超戦艦クラスに最も近い存在である証明、デュアルコアを持つ大戦艦――『ビスマルク』。

 

 

「……これは驚いたな」

 

 

 2つの智の紋章(イデアクレスト)を持つ特異な艦を前にして、スミノは笑みを浮かべた。

 まさか彼女達が、艦橋の屋根からこちらを見下ろす()()()()が、ここで自分達に接触してこようとは。

 

 

()()()()んじゃないのかい――――え、『ビスマルク』」

 

 

 まさに双子の容姿を持つ『ビスマルク』のメンタルモデルが、じっとそれぞれイオナとスミノを見下ろしていた。

 その額に、太陽と月、相反する智の紋章(イデアクレスト)を輝かせながら。

 まるで、この世の最後を告げる審判者のように。




あけましておめでとうございます、竜華零です。

今年も頑張って投稿していきますので、お付き合い頂ければと思います。
原作が13巻にしてようやく初章という脅威の長編ぶりですが、挫けないでやっていこうと思います(え)

それでは、また次回。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。