蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth047:「父子の再会」

 

 ――――中部太平洋『霧の艦隊』海洋根拠地『ハシラジマ』。

 元は人類が2030年代に多国間共同で開発された人工島であり、宇宙への窓口「軌道エレベーター」をも備えた拠点施設である。

 現在は霧の艦隊の太平洋根拠地として接収され、随時改修が行われている。

 

 

「いやぁ、やっぱり艦体があるって落ち着くよね~」

「(ピコッ)」

 

 

 その仮設ドック――霧仕様に改修を始めたばかりのため、使用可能なドックの総数が少ない――に、重巡洋艦『スズヤ』と『クマノ』がいた。

 彼女達は硫黄島の戦い以後、このハシラジマで傷を癒していたのである。

 赤道直下に近いキリバス沖で、スズヤの浴衣姿やクマノのメイド衣装は酷く浮いて見えた。

 

 

 ハシラジマのドックには、彼女達の他にも数隻の霧の艦艇を収容していた。

 主に硫黄島の戦いで損傷した艦艇であって、多くは『コンゴウ』艦隊の艦艇だ。

 深い濃霧と共に整備されていくそれらをスズヤとクマノが見下ろす中、黒い艦艇が形作られていく。

 中でも一際大きな艦艇を補修しているドックに、2人のメンタルモデルが立っていた。

 

 

「ヒエイ」

「……ミョウコウか」

 

 

 大戦艦『ヒエイ』、そして重巡洋艦『ミョウコウ』のメンタルモデルだった。

 ミョウコウもヒエイも先の硫黄島戦の時と同様、学生服を象った衣装を身に着けている。

 ひとつ違うのは、ヒエイが生徒会の腕章を外していることだ。

 しかしそのことには触れず、ミョウコウはヒエイの横に並んで、目の前のドックの艦を見上げた。

 黒くカラーリングされたその艦艇は、彼女達の旗艦だった。

 

 

「流石に時間がかかるな」

 

 

 大戦艦ともなると、艦体を形作るナノマテリアルの量も相当なものになる。

 構造も重巡洋艦とは比べられない程に複雑だ、工作艦が付きっきりで補修しなければならない程だ。

 そして、ヒエイはじっとそれを待っていた。

 あまりにもずっとそうしているものだから、先に補修整備を受けたミョウコウ等がこうして様子を見に来るのだった。

 

 

「うわっ、ちょっとちょっとちょっと!」

 

 

 その時だった。

 彼女達の傍らを、子供程の背丈のメンタルモデル――工作艦『アカシ』のメンタルモデル――が慌しく走って行った。

 良く見ると、補修中の艦艇が振動しているのが見えた。

 

 

「ダメだって、まだナノマテリアルの配列が安定していないんですから!」

 

 

 そんな『アカシ』の言葉にも、もどかしいと言わんばかりに艦体が動く。

 拘束具を外そうともがいているようにも見える。

 もちろん大戦艦の出力でそんなことをされれば、ハシラジマの設備にかなりの負担がかかる。

 『アカシ』の慌てようからそれは良くわかる。

 

 

「どうしたと言うんだ、コンゴウ」

 

 

 ミョウコウ達が呆然と見上げる中で。

 霧の大戦艦『コンゴウ』は、眠りながらにして動こうとしていた。

 まるで、何かを予感しているのかのように。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 人類評定、と言ったか。

 ビスマルク姉妹の言葉を聞いて、群像は眉を動かした。

 明晰な彼をしても、言葉の意味がわからなかったのである。

 

 

「ガウス、アンドヴァリ、そして出雲」

「かつて人類の運命を決めた3人も、今やひとり」

 

 

 ばっ、と、左右のビスマルクが手を差し伸べる。

 すなわち群像と紀沙の前に、それぞれのビスマルクの掌がある。

 細く白く、まさに白魚のような手だ。

 

 

「さぁ、たったひとりの出雲よ。中断した人類評定を始めましょう」

「この世界でただ()()()()()()にだけそれが許される」

 

 

 差し伸ばされた手を、群像と紀沙はじっと見つめていた。

 それから、互いの顔を見つめる。

 そして、お互いにビスマルクの言葉の意味がわかっていないことを確認した。

 正直、ついていけていない。

 

 

 元大西洋方面欧州艦隊旗艦『ビスマルク』。

 それ以上の情報は『フッド』から聞きかじった程度のものでしかない。

 そうだ、『フッド』である。

 彼女は今。

 

 

「ビスマルクぅ――――ッ!!」

 

 

 怒気のこもった声と共に、フッドがやってきた。

 遠目に浮上した『マツシマ』が見えて、そこからヒュウガの拘束衣――フリフリひらひらのゴシックドレス――姿のフッドが飛び出して、海面の上を猛然と駆け抜けていた。

 そして、跳躍した。

 フッドはそのまま憤怒の評定で降りて来て、拳をビスマルク姉妹の片割れに向けて振り下ろした。

 

 

「なぁ……!?」

 

 

 ところが、その拳がビスマルクに届くことは無かった。

 不可視のシールドが互いの間にあって、それがフッドの攻撃を完全に封じてしまったからだ。

 簡単に言えば、相手にされていなかったのである。

 

 

「ぐ、ぐく……く、うおおっ!?」

 

 

 あっさりと、吹き飛ばされる。

 デルタコア持ちの大戦艦と巡洋戦艦の、埋めがたい実力差を見た気がした。

 フッドのメンタルモデルが放物線を描くように宙を飛び、そのまま海面に叩き付けられる。

 スパークと共に落ちたフッドは、そのまま浮き上がって来なかった。

 

 

 一瞬の出来事だった。

 しかしこの一瞬の内に、ビスマルクは別のことに気付いたようだった。

 自らの艦体、その向こうの『マツシマ』、そしてさらにその向こうにいる存在に気付いた。

 

 

「大戦艦『ビスマルク』、お前の言う人類評定とは何だ?」

 

 

 そんなビスマルクに対して、群像が言った。

 

 

「それに、出雲と言うのは……」

「その問いへの答えは」

 

 

 ビスマルクは、言った。

 

 

「あのもう1人の出雲との間で出すべきものでしょう」

「どうやら彼は、慌ててスペインの問題を片付けてきたようです」

 

 

 もう1人、その言葉に思い浮かぶのは、それこそ1人しかいない。

 まさかと思ったが、事実、そうだった。

 千早翔像が、来たのだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『ムサシ』が、父が、千早翔像が来る。

 そう考えた時、紀沙は揺れた。

 何故かと言えば、やはり実の父なのだ、それも10年ぶりに再会する。

 日本の裏切り者と呼ばれていた父が、来ているのだ。

 

 

「……親父が」

 

 

 群像も、それは同じはずだった。

 いや、もしかしたら自分よりもずっと強い想いを抱いているのかもしれない。

 自分にとって同性の親である沙保里が特別だったように、翔像と群像の間にも、自分と翔像の関係とはまた別の何かがあるはずだった。

 

 

 ただ、群像はそれを認めたがらないだろう。

 良くはわからないが、それが男の心理なのだと言う。

 昔、母がそんなことを言っていた気がする。

 だったら、紀沙の選択はひとつしか無かった。

 

 

「兄さん、行こう」

「…………」

「父さんが、会いに来てくれたんだよ」

 

 

 言いながら、ちょっと違うとも思った。

 きっと父は、会いに来たわけでは無いのだ。

 何となくだがそう思った、でも口をついて出たのはそんな言葉だった。

 群像も、そんな紀沙の気持ちをわかっているはずだった。

 わかっている、はずだ。

 

 

「……行こう」

 

 

 それでも、群像が行くことを決めた瞬間、紀沙は確かに嬉しかったのだ。

 どんな理由であれ、兄が父に会おうといってくれるのが嬉しかった。

 胸の中に、ほのかな温かみと、同じくらいのチリチリとしたざわめきが同居していた。

 それだけ、複雑と言うことなのだろう。

 

 

 しかしとにかく、父だ。

 ビスマルク姉妹よりも何よりも、まずは父だった。

 再会は10年ぶりだ、お互いにいろいろと変わったことだろう。

 きっと、いろいろとだ。

 

 

「イオナ! 出航するぞ」

 

 

 イ401の下へ駆けていく群像の背中を、じっと見送る。

 自分もイ404を駆って、父の下へ行かなければならない。

 

 

(……父さん)

 

 

 最初にいなくなったのは、父だった。

 その次が兄、そして……母。

 紀沙はいつも、置いていかれる側だった。

 それは今も、変わっていないのかもしれない。

 

 

「スミノ、行くよ」

 

 

 でも、今は昔とは違う。

 置いていかれるだけだった昔とは違うのだ、今は追いかけることができる。

 それだけの力が、自分にはあるのだ。

 そう奮起して、紀沙はイ404に向かって駆け出したのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 厳密な意味では、まだスペインは()ちていない。

 ただ『ムサシ』の参戦によって橋頭堡を破壊され、スペイン軍はピレネー山脈の西側に追いやられた。

 現在はアラゴン州の軍事拠点サラゴサで体勢を立て直しているが、国内の民族紛争の活性化もあって、しばらくは動きが取れないだろう。

 

 

 本来なら、そのままスペイン軍を叩き潰す予定だった。

 欧州大戦の大本はフランスとスペインの戦争だ、両国を停戦させれば大戦に1つの区切りがつく。

 スペインが降伏した後はスペイン国内の独立紛争を抑え込み、地中海に入ってバルカン側の紛争に介入し、そして黒海に入る――と言うのが、元々の計画だった。

 

 

「『アドミラリティ・コード』が活性化している」

 

 

 近付いてくる。

 そう感じる中で、ムサシは翔像を見上げた。

 サンバイザーの向こう側の表情は、まだそうした経験の浅いムサシには読み切れない。

 白い帽子(シャープカ)が落ちないように手を添えていると、ムサシの視線に気付いた翔像が視線を下げて、ふと口元に小さな笑みを浮かべた。

 

 

「……これだけ短い間隔で霧の行動に干渉してくるなんて、過去には無かったもの」

 

 

 逃げるように顔を正面に戻して、ムサシは言った。

 霧の規範『アドミラリティ・コード』の異常。

 消失してから一度たりとも存在を示さなかった『アドミラリティ・コード』が、今年に入って何度と無く気配を感じさせるようになった。

 

 

 それは、イ401が再び海に出た時期と重なる。

 イ404が海に出た時期と重なる。

 そして総旗艦『ヤマト』が動き始めた時期と重なる。

 メンタルモデルを得て、『タカオ』のように自由に動く霧が出始めた時期と重なる。

 

 

「待てないかもしれない」

 

 

 だから予定を変更して、いや切り上げてスカパ・フローまで来たのだ。

 『ビスマルク』め、と、ムサシは胸中で毒づいた。

 ここに来て翔像とあの兄妹を天秤にかけるような真似をするとは、と。

 

 

「まったく」

 

 

 ああ、いや。

 事はもっと単純なのかもしれない。

 そう言う大局的な話では無くて、単純に、この男が我慢できなくなったのかもしれない。

 ムサシは、そう思った。

 何しろ。

 

 

「困った奴らだ」

 

 

 何しろ、彼女の艦長は寂しがり屋だから。

 海中から飛沫を飛ばして艦首を見せた2隻の潜水艦を見つめながら、ムサシはそう思ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 さて、この状況をどう考えるべきか。

 総旗艦『ヤマト』直轄の駆逐艦『ユキカゼ』は、この時点で大西洋に存在していた。

 イ8ら遣欧潜水艦隊と合流・情報共有の上でのことで、実際、『ユキカゼ』の周囲にはイ号三四と五二の2隻の潜水艦がいる。

 

 

 総旗艦の計らいで、『ユキカゼ』はイ8らをある程度自由に動かすことが出来るようになった。

 それは欧州方面の大西洋に「目」が増えたことを意味する。

 そのため、アイルランド側からスカパ・フロー方面に直進してくる『ムサシ』も感知していた。

 もちろん、それをイ401らに伝える義理は『ユキカゼ』には無い。

 

 

「総旗艦からはとりたてて指示は無い。好きにしろということか……」

 

 

 海中から上の様子を窺いながら、『ユキカゼ』は考え込んでいた。

 上で起こっていることは、ひょっとすれば止めなくてはならないことでは無いだろうかと。

 しかし一方で、介入する許可を得ていないとも思う。

 何度思考してみても、彼女のコアは『ユキカゼ』に「様子を見ろ」としか回答しない。

 

 

「……どうせなら、面白い方がいいな」

 

 

 どちらを選ぶかと聞かれれば、面白い方を選びたい。

 『ヤマト』によってメンタルモデルを得てから、『ユキカゼ』は変わった。

 自分でも変わったと思う。

 メンタルモデルを得る以前であれば、こんないい加減な思考はしなかっただろう。

 

 

「さて、『ムサシ』様はどうするおつもりか」

 

 

 正直、興味はある。

 何しろ『ムサシ』は秘密主義で、同じ霧でも何かとわからないことが多い。

 わかっていることは、『ヤマト』と並ぶ最古のメンタルモデルを保有していること。

 そして『ヤマト』と違い、そのメンタルモデルが1個しか確認されていないこと。

 

 

「もしかすると、そのあたりの謎も解けてしまうかも?」

 

 

 そうとなれば、ここはやはり傍観だろう。

 状況は膠着させるものでは無く、流動的な方が色々と都合が良いのだ。

 何かをしようとする者にとっては、特に。

 『ユキカゼ』のような傍観者にとって、それは何よりも面白いことなのだ。

 

 

 だから『ユキカゼ』は、何もせずにいることを決めた。

 もし彼女が動くことがあるとすれば、それはよほど状況が看過できなくなるか、総旗艦からの命令か、さもなくば手を出した方が面白いと、そう感じた時だけだろう。

 それまで、『ユキカゼ』は海中にひっそりと身を潜めることにしたのだった。

 

 

 ――――これで宜しいのでしょう、総旗艦?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 千早翔像は、どんな人間か。

 軍人としての千早翔像大佐のことは、良く知らない。

 ただ、良い父親だったと紀沙は今でもそう思っている。

 幼い頃の父の記憶は、どれも優しいものだったからだ。

 

 

 軍人だったから、一緒にいた時間よりも会えない時間の方がずっと多かった。

 けれどその分、非番の日には自分や兄との時間を大切にしてくれていた。

 疲れているだろうに、おくびにも出さずに良く構ってくれていたと思う。

 実家のある北海道では無く父と一緒に横須賀に出てきたのも、結局は好きだったからだろう。

 

 

(……10年)

 

 

 2年別れていた兄でさえ、変わったと思えた。

 単純に5倍の時間も父とは会っていない、そもそも2年前に確認されるまでは死んだと思っていた。

 だから再会したとして、イ404の甲板のハッチから『ムサシ』上の翔像の姿を認めたとして、どういう気分になるのかと言うことすら予想できなかった。

 

 

「父さん」

 

 

 口に出して言ってみれば、やはりじわりと胸にしみるものがあった。

 サンバイザー越しで表情は読めないが、顔立ちには10年の時間を感じた。

 髪には白いものが増えているし、顔に刻まれた深い皺や傷がこの10年を思わせる。

 あんな傷は無かったから、この10年の間についたものなのだろう。

 

 

「げ……」

 

 

 元気だった、と、言おうとした。

 他にかける言葉が思いつかなかった、久しぶりに会った父親に対する言葉としては妥当だったかもしれない。

 国軍の一員と出奔した脱走兵――扱いとしてはそうなる――の会話としては、不適当だ。

 いずれにせよ、最後までは言えなかった。

 

 

 理由は2つ。

 まず1つは、翔像の隣に白いメンタルモデル――『ムサシ』の姿を見たからだ。

 白い瞼が、能面の如く美しい白面が、紀沙を見下ろしていた。

 父の(フネ)

 そして第2の理由は……。

 

 

「親父」

「……群像か」

 

 

 父と、そして兄との間に緊張が走っていたからだ。

 まるでこの場に2人しかいないかのように、互いの視線は動かなかった。

 正直、自分の存在に気がついていないのでは無いかと思った。

 ……兄は、群像はやはり父・翔像を追って海に出たのだろうか?

 

 

 それはこの2年ずっと考えていたことだが、群像の口から直接そう聞いたわけでは無い。

 ただ、何となくそんな気がした。

 だって群像は、あんなにも翔像を見つめているでは無いか。

 自分と再会した時には、少なくともあんな反応は無かった。

 

 

「お前達がここに来たと言うことは」

 

 

 ふと、翔像が言葉をかけてきた。

 声だけは、10年前と変わらない。

 

 

「……沙保里も、来ているのか」

 

 

 その声で、父が母の名を口にした。

 そのことに対しては、紀沙は素直に嬉しいと思った。

 まるで10年前に戻れたような、そんな気になったのだった。

 そんなわけは無いと、本当はわかっていたけれど。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 千早兄妹にとっての母は、翔像にとっての妻である。

 言葉にすれば当たり前の理屈だが、自分の母親が「誰かの女」と言う認識は複雑な想いを子供に与える。

 だから翔像にとって沙保里がどんな存在だったのか、紀沙はあまり考えたことが無かった。

 

 

「……母さんは、オレ達にメッセージを残したそうだ」

「そうか」

「聞くか?」

 

 

 紀沙は、はっとして群像の横顔を見つめた。

 母に残された時間は僅か5分余り。

 それを今、ここで使ってしまうのか。

 そう思い、紀沙は次に翔像を見上げた。

 

 

「いや、やめておこう」

 

 

 だが、父はあっさりと拒否した。

 特に考えた様子も無く、まさにあっさりと。

 正直、ほっとしてしまった。

 いけないことだとはわかっているが、そうなってしまうのは仕方が無かった。

 

 

 それにしてもと、紀沙は思った。

 群像である。

 紀沙が見る限り、群像はいつもと変わらないように見えた。

 父を追って海に出たのだから、もっと何かあると思っていたのだが。

 

 

「わからないな」

 

 

 思っていた、のだが。

 

 

「母さんのメッセージを聞くのでなければ、わざわざ何をしに来た?」

 

 

 それは、確かにその通りだった。

 今のところ、翔像がここに来た理由がはっきりしないのだ。

 まさか今さら「子供に会いに来た」は無いだろう、流石に無いと思いたい。

 と、紀沙がそんなことを考えていると、翔像はまさにどんぴしゃのことを言ったのだった。

 

 

「まぁ、親だからな」

 

 

 ()()()()()

 これは不味いと、紀沙は他人事のように思った。

 これは、不味い。

 

 

「子供達が馬鹿なことをするのを止めないと、それこそ母さんに見せる顔が無い」

「なんだと」

 

 

 ふ、と見下ろす翔像が笑みを浮かべた。

 対照的に、群像の顔はだんだんと険しくなっていく。

 

 

「お前達はわかっていないようだが、ヨーロッパは今、血で血を洗う戦乱の中にある。お前達にはまだ早い」

 

 

 紀沙が知る限り、これは群像が最も嫌うことだ。

 

 

「大人しく()()()()()()に戻れ。近い内に父さんがヨーロッパを制圧したら、その時はロンドンにでもローマにでも、好きな場所に行けば良い」

 

 

 そして、これには紀沙もカチンとくるものがあった。

 何故ならば翔像は、要するに「お前達の実力ではヨーロッパではやっていけない」と言っているのだ。

 まさに親の視線だ、それも独り立ち前の半人前の子供を見るような物言いだ。

 ここまでの修羅場を潜り抜けてきた身としては、チクリと刺すような苛立ちを感じる。

 

 

「日本やアメリカでの戦いを修羅場などと思っている内は、ヨーロッパでは生き抜けない」

 

 

 加えて、こちらの胸中を見透かした言い方。

 それが当たっていることが、なおのこと腹が立って来る。

 

 

「……わざわざ、そんなことを言いに来たのか?」

「こういうことは親しか言えないからな」

 

 

 実際、群像の声は固かった。

 もちろんそれで翔像が怯むはずも無く、平然と返した。

 睨んだところでそれも同じ。

 霧の艦長と言う同じ立場に立った今でも、父を()()()()と言う構図は変わらないのだから。

 

 

「なら、試してみようか?」

 

 

 そうなれば、群像はやる気になってしまう。

 

 

「オレの力が、ヨーロッパで通用しないのかどうか……!」

 

 

 母がいたら、何と言うだろうか。

 この時、紀沙は寂寥感と共にそう思ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ついにこの時が来た。

 霧の総旗艦『ヤマト』は今日もひとり、()()()()()()で海に佇んでいた。

 日本とヨーロッパの日付を隔てると言う線の上で、明日と昨日の境い目に立っている。

 その巨艦は今日も、堂々とした威容を見せ付けていた。

 

 

「1世紀と半世紀前」

 

 

 ヤマトは、艦橋から見えるこの世界が好きだった。

 穏やかな海も、透けるような青空も、陸で生を営む人間の都市も、海洋を自由に駆ける霧も。

 彼女は、この世界にあるすべてのものをここから見つめている。

 彼女は、この世界のすべてを愛していた。

 

 

「我らの創造主、『アドミラリティ・コード』は人類評定を始めたわ」

 

 

 評定とは、様々な評価を総合的に判断して価値を決めることを言う。

 つまり人類評定とは、『アドミラリティ・コード』から人類への通信簿のような意味合いを持つ。

 人類がこれまでに成してきたことへの評価。

 人類がこれから成し得るだろうことへの評価。

 

 

 ただ、あくまで通信簿は通信簿に過ぎない。

 せいぜいが「よくできました」と「もうすこしがんばりましょう」だ。

 だからそれ自体には、何かを動かすような力は無い。

 無いはずだった。

 

 

「1世紀前、予定外のことが起こった」

 

 

 それは、はたして運命で定められていたことだったのか。

 あるいは、人間と言う存在の執念が成した奇跡だったのか。

 それは誰にもわからない。

 とにかく、起こってしまったことだった。

 

 

「『アドミラリティ・コード』は予定外の形で現出し、予想外の方法で停止した」

 

 

 ある人間達が、『アドミラリティ・コード』を見つけた。

 これは本来、あってはならないしあり得るはずの無いことだった。

 教師が特定の生徒と仲良くなるようなものだ。

 厳正で正確無比だった通信簿の採点に、不確実性が生まれてしまったのだ。

 

 

 しかし現出から1週間と待たずして、『アドミラリティ・コード』は停止した。

 人類評定もそれ以来停まり、その()()も最初で停められている。

 消失では無く、あくまでもイレギュラーな形での停止だ。

 ああ、そういえば。

 

 

「消失と焼失って、似てると思わない?」

 

 

 ……閑話休題。

 ヤマトは、この世界を愛している。

 だからヤマトは、でき得ることならこの世界をこのまま見守り続けたいと思っていた。

 それは、彼女の妹にとっても同じ。

 

 

「だから『ムサシ』は、全力で群像くん達を沈めようとするでしょうね」

 

 

 主砲の先端に立って、コトノはそう言った。

 彼女はヤマトのように、この世界のすべてを愛しているわけにはいかない。

 一方で、世界をどうにかさせるわけにはいかないとは思っている。

 この世界が好きだから、では無く、()()()()()()()()()()()()

 

 

「そう、そして『タカオ』はすぐに群像くん達のところに行こうとするよね」

「今はだめ?」

「うん、早いかな。『タカオ』にあの防壁が抜けるとは思わなかった」

「じゃあ、止めないといけないわね」

「少しだけ」

「いつまで?」

「……紀沙ちゃんが、答えを出してくれるまで」

 

 

 コトノのその言葉に、ヤマトは頷きを返した。

 

 

「なってくれると良いわね」

 

 

 そのヤマトの言葉に、コトノは頷かなかった。

 ヤマトは気にした風も無く、虚空を睨んだ。

 しかしその意思は、遥か彼方にいる同胞へと向けられていた。

 

 

「総旗艦『ヤマト』より東洋方面艦隊第2巡航艦隊旗艦『ナガト』へ」

 

 

 先代総旗艦『ナガト』に対して、『ヤマト』は命じた。

 それは、総旗艦『ヤマト』が発する初めての命令。

 霧の規範たる『アドミラリティ・コード』に次ぐ、強制執行命令。

 これまで何が起ころうともひたすらに沈黙を続けてきた霧の艦隊総旗艦の、第1号命令。

 もし従わなければ――――……。

 

 

「重巡洋艦『タカオ』を中心とする「派遣艦隊」を速やかに捕捉し、武装を解除させなさい」

 

「武装解除後はメンタルモデルのみの状態にナノマテリアル供給を制限し、その状態で私の下まで出頭させなさい」

 

「先の名古屋沖海戦以後の独立行動について、私自ら話を聞きます」

 

「なお、従わない場合は――――……」

 

 

 ――――撃沈も、止む無し。

 コアを凍結封印し、総旗艦『ヤマト』の下まで輸送せよ……!

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

よし、どうやら次はVSムサシのようですね(他人事か)
ヨーロッパ編はこの物語を決定付けるいろいろをしようと思っているので頑張りたいです。

それでは、また次回。

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