蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth004:「ナガラ」

 『あまつかぜ』は、対霧を想定して建造された()()艦の1隻である。

 何しろ鹿島宇宙センターはSSTOの打ち上げが想定される場所だ、当然、配備される艦艇の選定には最低限の配慮が成されている。

 しかし『あまつかぜ』の艦長は、自分の艦が建造以来最大の危機に陥っていることを理解していた。

 

 

「機関出力低下! 姿勢の維持、出来ません!」

「対艦ミサイル発射管全損! 火器管制システムに異常発生、稼働率30パーセントを切りました!」

「艦体損耗率、なおも拡大中! 主要区画への進水も止まりません!」

 

 

 戦闘指揮所――CICと呼ばれるそこに立ち、部下達の悲鳴のような声を耳にしながらも、しかし彼は微動だにしていなかった。

 ただしそれは、彼が動じていないと言うことでは無い。

 逆だ。

 他にどうしようも無いから、何も出来ないでいるだけだ。

 

 

 実際、『あまつかぜ』の艦体は浸水によって大きく傾きつつあり、小手先のダメージコントロールではどうすることも出来ない状態だった。

 この状況で何か出来ることがあるとすれば、艦を捨てて脱出することくらいだろう。

 だが余りにも目の前の出来事が信じられなくて、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 

「対<霧>用の強化が施された艦だぞ」

 

 

 霧の出現より17年、それこそ死に物狂いで試行錯誤を繰り返してきた。

 だが、それが今さら何になると言うのだろう。

 しかし今、『あまつかぜ』は戦闘開始から3分と保たずに沈みつつあった。

 艦体は穴だらけになり、至る所で火災が発生し、内部は海水で満たされつつある。

 

 

「艦長おおおおぉぉっ!」

 

 

 部下の悲鳴に意識を戻せば、CICの戦術モニターに敵の姿が映っていた。

 霧と共に暗黒の海に浮かぶその威容は、地獄の底から這い上がって来た悪魔を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 しかもこの悪魔は火を吐く、軍艦1隻を一撃で轟沈させる凶悪な火を。

 

 

「おのれ、霧め……!」

 

 

 怨嗟すら覗かせて、彼は正面のモニターを睨み付けた。

 しかし、それだけだった。

 それ以上のことは何も出来ず、ただ見ていることしか出来なかった。

 悪魔が火を吐く、その瞬間を。

 

 

「砲撃、来ます!」

 

 

 部下が絶叫する。

 モニターの中で、敵の黒い艦体に赤い紋章が輝くのが見えた。

 その場で思わず一歩を下がってしまうのは、仕方が無かっただろう。

 逃げ場が無いとわかっていても、そうしてしまうのが人間なのだから。

 

 

 直後、『あまつかぜ』の艦体が大きく揺れた。

 

 

 床が大きく傾いて、兵士達は手近な物に掴まって身体を支えた。

 支えられ無かった者は転倒して声を上げたが、衝撃そのもので怪我をした者は少なかった。

 艦長自身、自分に怪我が無い――いや、自分が生きていることに驚いていた。

 何故ならば霧の砲撃は、オレンジ色に炸裂した火砲は、確かに自分達の中枢を狙っていたのだから。

 

 

「さ……左舷、至近弾!」

「至近弾だと? 外したのか?」

 

 

 座席の背もたれに掴まったまま、疑問をそのまま口にする。

 偶然、とは思わなかった。

 そんな都合の良い偶然があるのなら、彼らの僚艦である『たちかぜ』が撃沈されることはなかったはずだ。

 

 

「何が起こったのか!」

「わ、わかりません! 砲撃の直前、外的な要因で照準がズレたとしか……」

「外的な要因だと?」

 

 

 顔を上げれば、モニターには未だ敵の姿が映っている。

 単艦で鹿島に侵攻してきた敵艦、その横腹に。

 その横腹に、2本の水柱が立ち上るのを彼らは見た。

 それは――――。

 

 

「……雷撃だと!?」

 

 

 それは、魚雷による攻撃だった。

 あの霧の艦艇が、何者かによって攻撃されている。

 沈み行く『あまつかぜ』の中、彼らは信じ難い気持ちでそれを見つめていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 潜水艦とは、静粛性を武器とする軍艦である。

 イメージとしては忍者に近い、音も無く獲物に近付き敵を沈めることを得意としている。

 しかし今、イ404はその隠密性をかなぐり捨てていた。

 

 

「スピーカー最大! 霧の目をこちらに引き付けて下さい!」

「後部スピーカー、最大稼動を確認」

 

 

 イ404の後部装甲の一部がスライドし、艦体後部側面に一列のスピーカーが露出している。

 これは海中で特定の周波数を発振しており、自然では発生しないそれは、イ404の居場所を大音量で伝え続けていた。

 言ってしまえば、かくれんぼで鬼の前をラッパを吹き鳴らしながら走っているようなものだ。

 隠れるとか隠密性とか言う以前に、その気が無いのである。

 

 

「だああぁっ! うるっせええぇぇぇっ!」

「うるさいのはアンタだよ、男なら黙って仕事しな!」

 

 

 堪らないのは冬馬である、自艦が発する音が邪魔で探査(ソナー)が出来ないためだ。

 梓はああ言うが、誰しも耳元で耳障りな音がガンガン鳴り響けば叫びたくもなる。

 むしろ、そんな中でもヘッドホンを投げ出さないだけ仕事熱心と褒めるべきなのかもしれない。

 

 

「――――魚雷航走音、2……いや4!」

「取舵!」

「了解、取か……いや、間に合わないな」

 

 

 だから、この騒々しい海中で魚雷を探知した耳は素晴らしいものがある。

 しかし遅れたのは否めない、艦体を左に寄せつつも、スミノが諦めの言葉を発する。

 彼女は後ろを振り仰ぐと、瞳の虹彩を輝かせた。

 

 

「クラインフィールド展開」

 

 

 淡々とした声、その直後、肌の上を何かが這った。

 静電気に近いその感覚は、イ404の艦体表面を何かが覆った感覚だ。

 艦内にいる紀沙達には確認出来ないが、それは透明な灰色の六角形の集合体に見えた。

 それが蜂の巣状に艦体全体を覆った直後、暗い海の中を疾走して来た火槍がイ404後部に直撃した。

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 艦体が大きく揺れて、紀沙はシートにしがみつく。

 海中に爆発音が響き、静かな夜の海は一瞬にして爆煙に覆われた。

 衝撃波が潮流を引き裂き、その乱れがイ404の艦体を断続的に叩いてくる。

 しかし4発の魚雷が直撃したにも関わらず、イ404は無傷で爆煙の中から飛び出して来た。

 

 

 その艦体には、無数の灰色の六角形が波紋のように波打っていた。

 艦と魚雷の間に発生したそれは、盾や鎧と言うよりはエネルギー・シールドと表現すべきものだ。

 受けたエネルギーを別方向に逸らす効果があり、霧の装甲――強制波動装甲と呼称される――表面に発生し、人類の兵器を含むあらゆる物を弾き、防御することが出来る。

 とは言え今見たように、衝撃まで完全に防げるかと言えば、そう言うわけでも無いらしい。

 

 

「……恋さん、『あまつかぜ』は!?」

「最後の偵察機(ドローン)映像では、退艦作業に入っています」

「わかりました。梓さん、後部発射管に音響魚雷装填して下さい。それから3番4番にアクティブデコイを」

「あいよ! 音響魚雷及びアクティブデコイ装填――――完了!」

「魚雷航走音、感8! 完全に見つかってんぞ、これは!」

「そうでなきゃ困ります! スミノ!」

「了解」

 

 

 指揮シートの隣に立っているだろうスミノ、しかしその姿を振り仰ぐことは無く、紀沙は周辺海域の地図と戦況予測を映し出す正面モニターから目を離さなかった。

 ぐん、と腹の底が持ち上げられる感覚を得た。

 イ404が艦首を下げ、急速潜行に入ったためだ。

 

 

 同時に、艦尾に――正確には、艦体後部のクラインフィールドに魚雷が殺到する。

 ビリビリとした振動の中、紀沙の声は確かに発令所に響いた。

 それはどこか、ジェットコースターで落下する際に出る声に似ていた。

 音響魚雷発射、スピーカー停止、アクティブデコイ発射、機関停止、そして急速潜行。

 

 

「冬馬さん!」

「わかってる!」

 

 

 冬馬がヘッドホンをミュートした、次の瞬間。

 鹿島沖の海中に、甲高い叫び声が充満した――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ふはっ。

 詰めていた息を吐き出して、紀沙はシートに思い切り背中を当てた。

 

 

(凄く、ヤバかった)

 

 

 発令所の照明が薄暗くて助かった。

 今、自分の顔色は蒼白を通り越して真っ白になっているだろうから。

 

 

「……(やっこ)さん、上手いことデコイの方を追ってったみたいだな」

 

 

 慎重に海中の音を拾っていた冬馬が小さくそう言うと、場が安堵するのがわかった。

 アクティブデコイは自ら信号を発しながら動く囮だ、ナノマテリアルで形成されたそれは形状もイ404とそっくりだ。

 とは言えそこまで操作が利くものでもない、そう長くは保たないだろう。

 

 

 一方で、敵がすぐにイ404に気付くとも言えない。

 海上艦が今のイ404のように海底に停まっている潜水艦を見つけるのは、実はかなり難しい。

 肉眼でも無い限り、海中で船同士が互いの居場所や距離を探るにはソナーが必要だ。

 つまり音波を発し、その反射によって相手を探る。

 だが海底に這う潜水艦を探る場合、土や岩の隆起と区別がつかなくなってしまうのである。

 

 

「敵の魚雷の炸裂音に潜ませての音響魚雷、訓練通りですね艦長」

「そうですね……」

 

 

 意識的に深く呼吸を繰り返しながら、しかし隠れてばかりではいられないことも紀沙は理解していた。

 あまり動かずにいると、敵はSSTOの撃墜に集中してしまうだろう。

 カウントダウンはまだ5分近く残っており、また打ち上げが始まったとしても、敵は霧の艦艇。

 打ち上がった所を狙い撃ちにされる可能性もあり、一度攻撃を許してしまえば、これを防ぐのは難しい。

 

 

 セオリー通りなら、こちらから再度の奇襲攻撃を仕掛けるしかない。

 それも、5分以内にだ。

 胸に手を当てたまま、大きく息を吐く。

 気を落ち着けて、紀沙は傍らのスミノに問うた。

 

 

「スミノ、敵の霧は強制波動装甲を装備してる?」

「勿論」

 

 

 短く答えて、スミノは正面のモニターに敵の情報を出した。

 ナガラ級軽巡洋艦『ナガラ』。

 特段、これといった特徴は無い。

 排水量6010トン、装備・速力・大きさ共に標準的な霧の艦艇である。

 

 

「クラスで言えばナガラはそれほど大きいわけじゃない。けどクラインフィールドの強固さは、それだけで十分すぎる装備だからね」

 

 

 人類が17年間霧の海洋封鎖に甘んじてきたのは、クラインフィールドの脅威に対抗できなかったからだ。

 クラインフィールドはあらゆる物を逸らしてしまう最強の盾だ。

 実際、この17年間で人類側の艦艇が霧を沈めたと言う()()()()は無い。

 

 

「アタシらの持ってる魚雷じゃ、クラインフィールドとか言うのは抜けないからねぇ」

 

 

 しみじみと言う梓の言葉は、事実である。

 話に聞く所によれば霧の艦艇はクラインフィールドにも有効な「侵蝕弾頭」と言う兵器を持つらしいが、イ404には無い。

 正確には持てないわけでは無いらしいが、今は作れない。

 

 

「ナノマテリアルも無限に湧いてくるわけじゃないからね。特に2年前に休眠状態から覚めてからこっち、ボクは一度もナノマテリアルを補給していない」

 

 

 ナノマテリアルは、極めて汎用性の高い物質だ。

 しかし一方で、形成できるものはナノマテリアルの総量に依存する。

 例えば魚雷を作ろうと思うなら、その分のナノマテリアルをどこかから融通しなければならないのである。

 それこそ霧の艦隊であれば、彼女達は自前でいくらでも用意できるのだろうが……。

 

 

「何だよ、作れないのか?」

「難しいかな、侵蝕弾頭の形成には専用の設備と演算が必要だからね。あれは構成が複雑だし……それに下手にナノマテリアルを動かすと、ナガラに居場所がバレると思うよ」

「それじゃダメじゃないかい」

「ダメだろうね」

 

 

 ダメだろうねで済まされても、それはそれで困る。

 

 

「艦長、ここは引き続きナガラの気を引くことを優先しては? 通常弾頭魚雷ではクラインフィールドを抜けませんが、我々の任務はSSTOの援護です。最悪、ナガラを撃沈できずとも問題は無いと思いますが」

 

 

 そして、恋が現状で最も常識的な案を出してきた。

 極めて理に適っていて、紀沙としても出来ればそれで行きたい。

 遠距離からチマチマ攻撃できれば、さらに良いと思う。

 しかし紀沙には懸念があった、ナガラがイ404の攻撃を無視するのでは無いかと言う懸念だ。

 

 

 いくら気を引こうとしても、こちらの攻撃に威力が無いとわかればナガラは本来の任務を優先させるかもしれない。

 要するにイ404に好きにさせつつ、打ち上げ直後のSSTOを狙い打つ、そして返す刀でじっくりとイ404を追い詰める、そう言う手順に陥ることが1番怖かった。

 それくらいならSSTOのために体当たりでもした方がマシだ、そうなると自分達が沈むが。

 

 

「…………」

 

 

 熟考、する。

 しかし時間は無かった、即座の判断で無ければダメだ。

 唇を噛む、良い考えはすぐには出てきそうに無かった。

 何もかもを上手く行かせる、そう言う策は出てきそうになかった。

 

 

『任務を果たせ』

 

 

 任務、そう、自分に与えられた任務だ。

 しかも初陣、失敗は許されない。

 自分の今後のためにも、そして自分を信じて送り出してくれた北のためにも。

 何としても、SSTOの打ち上げを成功させなければならない。

 だからと言って、クルーの命を捨てさせるような危険なことも出来ない。

 

 

「おーい」

 

 

 リスクとリターンのバランス、見極めなければならないのはそこだ。

 そこを見極めて最適解を出すことが、今の紀沙に求められる――――。

 

 

「おーい、艦長ちゃん。取らないと顔にぶつかるぞー」

「…………へ?」

 

 

 不意に気が付いて、顔を上げた。

 その瞬間、視界一杯に炭酸飲料のパッケージが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 潜水艦には不釣合いな、可愛らしい悲鳴が上がった。

 

 

「わっ、たっ、とっ!?」

「おー、ナイスキャッチナイスキャッチ」

 

 

 そして鼻を押さえつつ、片手で炭酸飲料のボトルを危うくキャッチした。

 一瞬何が起こったのかわからなかったが、冬馬が座席から投げて来たのだと気付いて、流石に声を荒げた。

 

 

「ちょっと冬馬さん、今の流石に危ないですよ!? 床に落ちたら音が……」

「まぁまぁ、そのあたりはスミノちゃんが何とかしてくれたって。それに艦長ちゃんもキャッチできたし、問題ないだろ」

「そ、そう言う問題じゃ」

「そう言う問題なんだって、艦長ちゃんは真面目に考えすぎなんだよ」

「アンタはもう少し真面目にやるべきだと思うけどねぇ」

 

 

 シートの背もたれに腕と顎を乗せた体勢で、冬馬は言った。

 もう少し、シンプルに考えるべきだと。

 

 

「シンプル?」

「こう言う時は、何をやるのかシンプルに考えりゃー良いのさ。何てったって、やらなくちゃいけないことは変わらないんだからよ」

「…………」

 

 

 やるべきことは変わらない。

 いくら考え込んでみても何も思い浮かばないのは、結局、そこが変わらないからだ。

 そう言う時は考え過ぎずに、率直に必要と思ったことをすれば良い。

 

 

 初陣、緊張しない方がおかしい。

 学院でマニュアルを読み込み、シミュレーションを繰り返し、演習を経ても。

 それでも、実際にやってみなければどうなるかは読み切れない。

 それが実戦だ。

 であるならば、時として思考よりも感覚を優先すべき場面があるのかもしれない。

 

 

「……そう、ですよね。考えるばかりじゃ、仕方ないですよね」

「そうそう! 物事はシンプルに見た方が楽で」

「なら、もう私達のいつもの作戦に賭けるしか無いですね!」

「そうそう、いつもの……え、いつもの?」

 

 

 笑顔――安堵を含んだそれは、どこか清々しくもあり――を浮かべた紀沙は、炭酸飲料を持ったまま、言った。

 一方で、冬馬はそんな彼女の様子に酷く不安を覚えたようで。

 

 

「え、いつものって何? 物凄く不安になるんだけど、ねぇ艦長ちゃん?」

「でも、そうは言っても……結局、ナガラを倒せる武器が無いんですよね」

「通常弾頭と、少しだけど高圧弾頭の魚雷があるよ」

「ただやはりクラインフィールドは抜けません。やはり注意を引くのが関の山かと」

 

 

 恋と梓は察しがついているようで、普通に会話を続けていた。

 冬馬も結局は肩を竦めてシートに座り直した、どうせ碌でもないことだと結論付けたのだろう。

 やるべきことは見えたが、しかし装備には限界がある。

 無い袖は振れない、ナガラの気を引くしか出来ないのだろうか?

 しかし紀沙は、自分の欲求がその先を求めていることを感じていた。

 

 

「あるじゃないか、良い物が」

 

 

 そんな彼女に、スミノが言った。

 紀沙以外の者がスミノへと視線を向ける中、彼女は正面のモニターに()()のデータを開いた。

 <機密>のスタンプが押されたそのデータに、初めて紀沙が傍らを振り向いた。

 

 

「これを使えば良い、()()()()()()()()()()()()?」

「……何で、お前がこれを持っているの?」

 

 

 それは、紀沙にも知らされていない特級の機密情報だった。

 いや、間接的には知らされている。

 何故ならばそれは、今、まさに紀沙達が守っている物だからだ。

 そして、だからこそ紀沙はスミノに問うた。

 どうして、自分の知り得ない情報を持っているのか、と。

 

 

「キミは知らないかもしれないけれど、ボクは()()()()()()()()

 

 

 自分を睨む紀沙に、スミノは唇を吊り上げて見せた。

 それは完璧なまでの笑顔だったが、そら恐ろしい何かがあった。

 少なくとも紀沙にはそう見えた、何故ならば。

 ――――自ら凶器を渡す()()()が笑顔を浮かべるなど、異常でしか無かったからだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナガラは、思考していた。

 霧の艦艇には情報総量の限界――霧はそれを演算力と呼称している――があるため、()()はメンタルモデルこそ持っていないが、それでも思考する力はある。

 クラスに限らず、霧の艦艇には個々に意思がある。

 

 

『――――』

 

 

 とは言っても、ナガラが持つそれは非常に弱いものだ。

 剥き出しの意思は人間で言う幼子に近く、上位者の命令に対して極めて素直だった。

 そして今、ナガラはその上位者の命令を忠実に実行しようとしていた。

 

 

『人類側の輸送機の打ち上げの阻止、もしくは輸送機の撃墜』

 

 

 そして今、彼女の()()から与えられた任務がそれだ。

 初めてでは無い、過去にも何度か人類側の輸送機を撃墜・破壊したことがある。

 僅か1隻で人類側の警戒海域を擦り抜け、機雷原を物ともせず、そして迎撃に来た艦隊を壊滅させた。

 それは、彼女が霧の艦艇であればこそ可能なことだった。

 

 

 旧大戦時代の軽巡洋艦を模した彼女だが、その能力は比較にならない程に強大だ。

 3基6門の連装砲を始めとして、侵蝕弾頭装備の魚雷やレーザー兵器を備え、何よりもあらゆる物を通さないクラインフィールドがある。

 実を言えば、彼女ひとり――もとい1隻で、日本海軍全てを相手に出来ると言っても過言では無い。

 

 

『――――。――――』

 

 

 そして今、ナガラは湾内深くへと侵入していた。

 彼女はすでに人類側のネットワークから情報を盗み取っており、SSTOの発射カウントダウンを正確に把握していた。

 それこそ0.01秒の誤差も無く、正確にだ。

 

 

『――――。――――』

 

 

 連装砲の先端が持ち上がり、幾度かの修正の後に仰角が固定される。

 狙いは当然、エンジンに火が入り煙に包まれ始めたSSTOだ。

 先程までちょっかいをかけてくる敵の捜索を優先していたが、いよいよ打ち上げ直前とあって、任務の遂行を優先しようと言うことだろう。

 あるいは、敵の攻撃が脅威では無いと判断したのかもしれない。

 

 

 これが通常の、それこそ人類側の標準的な艦船が相手であれば、彼女の判断は正しい。

 人類がいくら頑張った所で、ナガラを沈めることは出来ない。

 少なくとも、現時点ではそうだ。

 そもそも、その状況を打開するためにSSTOを飛ばそうとしているのだが……。

 

 

『――――!』

 

 

 とにかく、ナガラは無警戒だった。

 付近に脅威は無く、仮に妨害があったとしても問題ない程の大火力でもってSSTOを撃ち落せば良いと、そう考えていた。

 無警戒、無防備、そのままに火砲にエネルギーの粒子が散り始めた、まさにその瞬間だった。

 

 

『悪いねナガラ、隙ありだ』

 

 

 ナガラの横っ面を引っ(ぱた)くかのように。

 左舷側の海中から飛び出した潜水艦――イ404の艦首が、ナガラのクラインフィールドに衝突した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『総員、衝撃に備えてください!』

「備えろって言ったってね、こっちは繊細な医薬品とか積んでるんだからさ」

 

 

 医務室で戦闘の成り行きを見守っていた――正確には、見てはいないが――良治は、紀沙の発した艦内放送で、自分の身体を座席に固定していた。

 ベッドや薬品棚、机等は元々艦に固定されているし、医薬品の瓶やその他の小物等は鍵付きの所定の小箱に収められている。

 衝撃で小物が飛んで怪我でもしようものなら、軍医としてちょっとどうかと言う話になる。

 

 

 彼の周りには、スミノを三頭身程にした小さな女の子達がパタパタと立ち働いていた。

 彼女達はスミノがナノマテリアルで作った分身体で、人手が足りない時等にスミノが派遣してくれる。

 イ404の元になった史実艦は150名から200名程は乗れたと言うから、むしろこれでも人員が足りない感があった。

 ちなみに、何故かナース衣装だった。

 

 

「紀沙ちゃんは何と言うか、最終的には近付いて殴るタイプだからなぁ」

 

 

 良治は紀沙の1つ年上だが、学院の卒業年は同じである。

 つまり留年組であり、紀沙の下に配属されているのはそう言う事情もあった。

 まぁ、今はそのあたりの事情は余り関係が無い。

 重要なのは、良治が他の面々に比べて紀沙の指揮特性を知っている、と言うことだった。

 

 

 一方で衝撃が来るとなれば、艦で最も重要な場所の1つは機関室であろう。

 何しろ艦体はスミノの力で保たれているとは言え、艦機能を維持するためにエンジンが必要なのは通常の艦艇と変わりが無いのだ。

 よって、機関室を預かる2人の存在が重要になってくる。

 

 

「うちの艦長って、真面目ちゃんよね~」

「艦長と言うものは、真面目で無ければなれないものでしょう」

 

 

 あおいと、静菜である。

 彼女達は――医務室同様、作業着姿の小さなスミノ達が足元を駆け回っている――灰色と白に囲まれた機関室の中、静菜は忙しなく動き、あおいは適当に腰掛けて計器を操作していた。

 灰色の壁に白い蓋のような物が並ぶ細長い空間に、大の女性2人と言うのは聊か寂しく感じる。

 

 

「わたしって、あんまり真面目に考えたことって無いのよねぇ」

「同じ場所で働く身としては、空恐ろしいことです」

 

 

 ひょいと静菜が伸ばした手に、あおいがぽんと工具を渡す。

 後ろ手に工具をキャッチした静菜は上半身を壁の中に入れており、傍にはず太い配線ケーブルがゴロゴロと転がっていた。

 そのひとつひとつが重要な部品であって、人類製に置き換えることが難しい部品だった。

 

 

「420から429番、繋ぎます」

「は~い、両舷エンジン同調率調整継続~」

「では、次は左エンジンの調整を……」

「あ、そろそろだと思うわ~」

 

 

 不意にあおいが告げた瞬間、ちびスミノの1人がナノマテリアルに還元された。

 そしてそれはあおいを固定するベルトへと変わり、床と壁に作り出された留め具へと固定された。

 静菜の方は、やはり床と壁に出現した手すりに掴まった。

 このあたりの柔軟さは、霧の艦艇ならではのものだろう。

 

 

 ――――前方に吹き飛ばされそうな程の衝撃、反動が艦全体を襲った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 発令所には、と言うよりイ404全体が激しく振動していた。

 身体の芯まで揺らす衝撃は相殺のしようも無く、クルー全員が歯を食い縛って堪えねばならなかった。

 

 

「また突撃かよおおおおぉぉっ!?」

 

 

 冬馬が悲痛な叫び声を上げる、しかし無理は無かった。

 文字通り、イ404はナガラに突撃を仕掛けているのだから。

 衝突したイ404とナガラの間には、当然ながら互いのクラインフィールドが展開されており、衝突した部分が(しのぎ)を削り火花を散らしていた。

 

 

 側面に突進された形のナガラは、右舷側のエネルギーも回して左側面にフィールドを集中した。

 突撃を敢行したイ404は、振り払われまいと推力を維持、姿勢を制御していた。

 互いの力が拮抗(きっこう)し、2艦はまるで張り付いてしまったかのように動かなくなった。

 

 

「クラインフィールド飽和率80%――――ナガラを、捕まえたよ」

 

 

 瞳の虹彩を輝かせて、額――そして両頬に紋章を浮かび上がらせたスミノが、淡々とした口調で言う。

 この振動の中で彼女だけは微動だにせず、まるで床に足裏を固定しているのかと思える程だった。

 演算開始。

 徐々に、本当に徐々にだが、2つのクラインフィールドの接触点に変化が起き始めた。

 

 

「ナガラのミサイル発射モジュールが開いてるぞ!」

「梓さん、火器管制! 迎撃システム作動!」

「あいよ、第1から第4のレーザー砲照射開始! 敵ミサイル群を迎撃する!」

 

 

 イ404の無防備な上方で、オレンジ色の爆発が線を引いた。

 ナガラから直上に放たれ、ほぼそのまま180°反転して落ちて来たミサイルのほとんどがイ404のレーザー砲によって撃ち落され、誘爆が誘爆を呼び、艦体に届いたミサイルは0だった。

 そして、決定的な変化が訪れる。

 

 

 2艦のクラインフィールドに、穴が開いた。

 

 

 イ404――スミノがナガラのクラインフィールドを解析し、己のそれを同調させたのだ。

 これはメンタルモデルを持てないナガラと、持てるスミノの性能の差であるとも言える。

 結果としてスミノは目の前の演算に手一杯になったが、彼女には()()を動かすクルーがいた。

 それが無ければ、この状況は生まれなかっただろう。

 

 

『こちら機関室! 左右エンジンの出力同調率に揺らぎが見られます、クラインフィールドの相互干渉の影響と思われますが』

『完全な姿勢維持は、あと25秒保証~』

「もう少し保たせてください! あと少しで……!」

 

 

 目には目を、クラインフィールドにはクラインフィールドを。

 イ404にはクラインフィールドを破る武器が無い、しかし自らもクラインフィールドを有している。

 矛盾の逸話に倣うわけでは無いが、最強の盾で最強の盾をぶん殴るのだ。

 そして今、イ404の艦首前方に小さな穴が開き、むき出しのナガラの装甲が見えていた。

 

 

「梓さん、1番に……!」

 

 

 だが、クラインフィールドが抜けても通常兵器で強制波動装甲を抜くことは難しい。

 クラスの低い霧の艦艇の中には強制波動装甲を持たない艦もあるが、人類はそれにさえ手を出せなかった。

 今までは、そうだった。

 しかし今は違うことを、紀沙は知っていた。

 

 

 

「――――()()()()魚雷、装填して下さい!」

 

 

 

 人類はすでに、霧に打ち勝てる兵器を持っているのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そもそも霧がSSTOの打ち上げを阻止しに来たのは、彼女達が人類側の事情に通じているからだ。

 振動弾頭と言う人類の新兵器が自分達にとって不都合になるかもしれない、その情報を得たのだ。

 どこから? もちろん人類側が親切に教えてくれたわけでは無い。

 情報を()()()()()のだ、スミノのように。

 

 

「霧のコア――中枢(ユニオン)コアの演算能力は、キミ達人類のそれを遥かに上回る」

 

 

 いかに機密(プロテクト)をかけた所で、電子的に保存された情報であれば、彼女達の目から逃れることは出来ない。

 SSTOで運び出そうとしている新兵器と言えども、例外では無い。

 だが、だがしかしだ。

 

 

 17年前の<大海戦>の時、霧に対して手も足も出なかった人類。

 その人類が今、試作品とは言え、霧に対抗できる兵器を開発するまでになるとは。

 その執念たるや、霧たるスミノをして感心せしめる程だった。

 執念、それこそは、人類をここまで進歩させた原動力だろう。

 

 

「理解しがたいね」

 

 

 スミノは思う。

 その、17年間に及ぶ人類の苦闘を想う。

 

 

「ボクの()()()()()()、そんな努力に17年もかける意味って何なんだい?」

「……()()()()

 

 

 紀沙が答えた先に、答えがある。

 霧の侵蝕弾頭はタナトニウムと言う未知の物質によって形成される特別なものだが、振動弾頭はあくまでも人類が使う資源で製作されるものだ。

 詳細な設計図とナノマテリアルの再現力をもってすれば、擬似的に作り出すことは不可能では無い。

 

 

 霧の艦艇がナノマテリアルによって構成されていることは、すでに知られて久しい。

 一方で、このナノマテリアルが艦艇以外の物に変化できることは余り知られていない。

 ナノマテリアルの変化に、理論上の制限は無い。

 だからこそ、紀沙達は()()()()を使うことが出来る。

 

 

「艦の姿勢制御、限界まであと5秒です!」

 

 

 ()()()()()()を。

 

 

「1番、振動弾頭魚雷!」

 

 

 物質には、固有の振動数と言うものがある。

 いかに強制波動装甲とクラインフィールドを持つ霧の艦艇であれ、それは変わらない。

 振動弾頭は対象の固有振動数を瞬時に割り出し、対応する振動を発し、共振し崩壊させる。

 軽巡洋艦クラスの本格的な霧の艦艇に使用したことは無い。

 使用すれば、どうなるか?

 

 

()ぇ――――ッッ!!」

 

 

 答えはすぐに出た。

 イ404のクラインフィールドとの衝突でこじ開けられた穴の中を、1発の魚雷が通過する。

 遮る物の無いそれは一直線にナガラの側面に到達し、そして。

 

 

 一瞬、ナガラの装甲が波打った。

 

 

 波紋のように波打った、次の瞬間、ナガラの装甲が内側から破裂した。

 そして黒い艦体がうろこ状に分解され、バラバラと崩れていった。

 爆発を伴うそれは一挙に崩壊現象となり、装甲が砕け分裂していく度に、悲鳴の如き不快な金属音が夜の海に響き渡った。

 

 

「うわっ……!」

 

 

 ガクンッ、と、イ404の艦体が大きく揺れた。

 エンジン同調が崩れたこと、クラインフィールドの稼働率が下がったこと、そして脆くなったナガラの艦体にぶつかり、抉り取る形で前に進んだことが原因だった。

 危うく舌を噛みそうになりながら、シートにしがみ付く。

 それでも揺れに耐えて顔を上げると、正面モニターに煙を吐いて爆発するナガラの姿が映っていた。

 

 

「……ッ! ナガラに高エネルギー反応感知!」

 

 

 やった、と思って気が緩みかけた所だった。

 ナガラの艦首連装砲に、赤いエネルギーの粒子が見えた。

 恋の声に「しまった」と思った時にはもう、イ404は回避行動が取れない状態だった。

 エンジン出力が乱れ、クラインフィールドの展開も一時中断してしまっている。

 沈みゆく、手負いの敵の最後の攻撃を、防ぎようが無かった。

 

 

(やられる……!)

 

 

 そう思った、直後だった。

 誰よりも()()に敏感だからだろう、スミノがまず何かに気付いた。

 

 

「タナトニウム反応」

「え?」

 

 

 イ404の左側を、何かが擦過する。

 それはイ404に砲口を向けていたナガラの右舷側面に吸い込まれると、次の瞬間にはナガラの艦首右舷側を全て抉り取っていた。

 紫に近い輝き、蜂の巣状の球体が展開されて、ナガラの艦体をまさに抉り取ったのだ。

 そしてその輝きが消え、ぽっかりと開いた穴に海水が流れ込み始めた次の瞬間。

 

 

「……ナガラ、エネルギー反応消失します」

 

 

 火焔を上げて、ナガラが爆発した。

 艦体のほとんどがバラバラに弾け跳び、残された部分は浮力を失い海中へと沈んでいった。

 撃沈、である。

 霧の軽巡洋艦は2発の魚雷の直撃を受けて、海の藻屑(もくず)と化した。

 結果としてはそうなるが、しかし紀沙の想定した状況とは大分異なった。

 

 

「何が起こったんだ!?」

「魚雷攻撃に見えたけどねぇ」

「魚雷ぃ? 冗談だろ、俺達以外に誰がそんなもん撃つんだよ」

「アタシが知るわけ無いだろ……!」

 

 

 クルーに混乱が広がる中、紀沙はそれを(いさ)められずにいた。

 何故なら紀沙自身が衝撃を受けていたからで、視野が狭まっていたからだ。

 人類の物では無い魚雷攻撃、それも霧の艦艇を攻撃するイ404以外の艦。

 心当たりが、あった。

 

 

「スミノ」

 

 

 それに思い至った時、搾り出すような声が出てしまったのは。

 仕方の無いことだったのだと、そう思いたかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 大きな箒星が、夜空を真っ二つに引き裂くように飛び立っていった。

 SSTOの巨体が、夜空に吸い込まれていく。

 推進剤の放つオレンジ色の輝きが、SSTOを箒星に見せていたのだ。

 

 

「……!」

 

 

 だが、今の紀沙にとってSSTOのことはどうでも良かった。

 例えそれが任務の成功を意味するのだとしても、今は意識の外にあった。

 むしろ夜の闇を照らしてくれるので、探しやすくなったとすら思っていた。

 

 

 イ404の上部ハッチをあけて、マンホールよりも重量感のあるそれを両腕で押し開けた。

 梯子に足をかけたまま上半身を外気に晒すと、海の香りと、波間に跳ぶ飛沫が身体を濡らした。

 視界の端には、黒煙を上げて沈んでいくナガラの艦体が見えた。

 しかしそれすらも、紀沙はあえて無視した。

 目を凝らすように海を見る、そして。

 

 

「あ……!」

 

 

 そして、来た。

 イ404のすぐ側の海面が盛り上がったかと思うと、艦船の先端が飛び出して来た。

 それは艦体の半分程を現した所で艦首を下げ、艦底部を海面に叩きつけた。

 それで大きく波が起こりイ404が揺れる、紀沙は落ちないよう身を支えた。

 

 

 海中からイ404の隣に浮上したのは、色が蒼であることを除けば、驚く程イ404に酷似した艦艇だった。

 形状、装備――細かな所で異なる点もあるが、目に見える限り、似ている。

 しかし似ているのは、ある意味では当然だったろう。

 何故ならその艦艇はイ404と同じ、イ号400型の潜水艦だったのだから。

 

 

「やっぱり、()()()()

 

 

 紀沙はその艦艇の、その()()()()の名前を知っていた。

 イ401、イ404と共にかつて日本が保有していた霧の艦艇である。

 そして今は、日本政府の手を離れている艦だ。

 人類でもなく、しかし霧の艦隊でも無い、いわば独立した1隻。

 

 

 イ401側のハッチが、開いた。

 鈍い金属音が聞こえた気がしたのは、自分の鼓動をそんな音と勘違いしたからだろう。

 そして、ハッチから1人の少年が姿を現した。

 どう言うわけか黒いタキシードなど着たその少年は、どこか紀沙に似た容貌をしていた。

 しかし似ているのは、ある意味では当然だったろう。

 

 

「に……!」

 

 

 何故ならば、その少年は。

 

 

 

「兄さぁ――――――――んっっ!!」

 

 

 

 紀沙の、()()()()だったのだから。

 身を乗り出して自分を呼ぶ紀沙の姿が見えたのだろう、海風に(なび)く横髪を押さえる少年。

 

 

「…………紀沙か」

 

 

 千早群像は、妹の姿に目を細めたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――巨大。

 その漆黒の軍艦は、余りにも巨大であった。

 全長はイ404の倍近くあり、排水量――艦を浮かべた際に押しのけられる水量、要するに重さ――に至っては、ナガラの5倍はあるだろう。

 

 

「ナガラが沈んだ?」

 

 

 前甲板の1番2番主砲塔を見下ろせる艦橋、その先端に女が1人腰掛けている。

 この世のものとは思えぬ程の、美貌の女だった。

 ピッグテールに整えた金糸の髪に真紅の瞳、白面に紫のルージュが映えていた。

 透き通る白い肌に、パフスリーブの黒いロングドレスが異常なまでに似合っていた。

 

 

 水平線に姿を現した朝日を眩しげに見つめながら、彼女は誰かと話していた。

 だが、彼女の傍には誰もいない。

 巨艦を止まり木に羽根を休める海鳥だけが、不思議そうに首を傾げて女を見上げている。

 その中の1羽を撫でながらも、女の視線は虚空を見つめて動かなかった。

 

 

「401か、そうだろうな。それは可能性として想定していた。だが……」

 

 

 一瞬、女の両頬に輝きが走った。

 

 

「404、アレが動いたのは今回が初めてのケースだ。アレはずっと横須賀に引き篭もっていたからな」

 

 

 女は考える。

 そのための思考(メンタル)、そのための身体(モデル)

 

 

「そうだな……どの道、横須賀へ向かうならその前に『タカオ』に当たる。任せておけば良いだろう、こちらはナガラのコアの回収も指示しなければならん」

 

 

 とは言え、と、女は嘆息した。

 そこからは、どこか面倒くさそうな雰囲気がありありと見て取れた。

 しかし一方で、その瞳から知性の輝きが消えることは無かった。

 そう、虹彩に浮かぶ白い輝きが。

 

 

「流石に『タカオ』単艦で400型2隻を相手にすると……何?」

 

 

 初めて、女が顔を上げた。

 冷静だった表情に驚きの色が広がり、すぐに訝しげなものに変わる。

 数瞬の後には、すぐにまた冷静の仮面を被っていた。

 

 

()()()()()()()()? 『ナガト』は承知しているのか? ……そうか、なら良い。ああ、それでは次の定期通信で……『ヤマト』」

 

 

 目を閉じて、そして次に目を開いた時、女の瞳は真紅の色に戻っていた。

 それから、零れるような嘆息。

 

 

「何を考えているのか、相変わらず読めない奴だ。まぁ、あれでも我らの総旗艦、その意思には従うとしよう……出来れば」

 

 

 朝の海風が周囲に浮かぶ霧を一瞬払う、すると、霧の中から続々と漆黒の装甲を持つ艦艇が姿を現した。

 あれは戦艦、あれは巡洋艦、あれは工作艦だろうか? 駆逐艦もいる。

 女の艦の周囲を取り囲むように出現したそれらは、全てが彼女の味方だった。

 そう、彼女は霧の艦艇。

 しかも、<霧の艦隊>の東洋方面第一巡航艦隊旗艦にして……。

 

 

「出来れば、この『コンゴウ』と我が艦隊の手を(わずら)わせるもので無ければ良いが、な」

 

 

 霧の艦隊において、艦隊旗艦(フラッグ)の資格を有するグレード(ワン)の1隻。

 大戦艦『コンゴウ』、そのメンタルモデルは、酷く面倒くさそうにそう言った。

 ――――その瞳に、知性の輝きを残したままで。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

ナノマテリアルによる振動弾頭の再現。
正直どうかとも思いましたが、面白そうなので可能と解釈しました。
ナノマテリアルに出来ないことは無い! はず。
余りやると艦の構成ナノマテリアルが減るので、連発は描写的にも難しそうですけどね。
何でスミノが振動弾頭のデータを持っているのか、も、大事なポイントかもですけど。

それにしても、ナノマテリアルとか侵蝕弾頭ってどうやって補給しているのでしょうね?
やはり海水かなぁ……?

それでは、また次回。

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