蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth050:「次なる地へ」

 

 もう何度目になるかはわからないが、紀沙はイ404の医務室で目覚めた。

 知らない天井だ、などとはもう言えない。

 日本を出航してからこっち、もう何度ここで目覚めたかわからなくなっている。

 流石に自室程では無いが、結構な頻度なのではないだろうか。

 

 

「……ん」

 

 

 目が覚めると同時に、身体が動かないことに気付いた。

 肉体的な問題では無く、物理的な問題だった。

 腕を動かそうとすると、ぎっと軋む音が立つばかりで一向に腕が上げることが出来なかったのだ。

 もしここがイ404の医務室で無ければ、少しくらいは取り乱していたかもしれない。

 

 

 首と頭は普通に動いたので、少しだけ上げて、そのまま下を向いた。

 すると白い病院着に包まれた胸元がまず見えて、素肌の上に包帯が巻かれていた。

 そこからさらに視線を向ければ、身体や足の爪先が見える。

 するとその時、目に鈍い痛みが走った。

 

 

「っ……!」

 

 

 左目だけで無く、両目だった。

 一瞬だけ視界が歪んだが、すぐに直った。

 身体の節々も軋んだが、怪我と言うよりは筋肉痛と言った方がわかりやすい。

 普段使わない筋肉を酷使したために痛んだ、と言う痛みだった。

 

 

「……えーと」

 

 

 まぁ、それはそれとして、だ。

 ひとまず、自分の状況を省みるところから始めるべきだ。

 首を別の方向に動かして、紀沙は言った。

 

 

「正直、何でこんなことされてるのか良くわからないんですが」

 

 

 問題は、動けないと言うことだ。

 医務室のベッドに寝ているだけなので、普通はむくりと起きればそれで済む話のはずだ。

 しかし、出来ない。

 先程も言ったが、身体を動かそうとすると何かに阻止される状態だ。

 紀沙は今、()()()()()()()()()()()

 

 

 簡単に言うと、ベッドに革のバンドで縛り付けられている。

 バンドは胸の上と下、お腹と膝のあたりの四ヶ所にあって、そのために紀沙は動けないでいた。

 しかし繰り返すが、紀沙はこれと言って慌ててはいなかった。

 ここがイ404である、と言う点がまず大きい。

 艦内にいる限りにおいて、まず命の危機に瀕することは無い。

 

 

「とりあえず、怒ったりはしないので」

 

 

 それと、もう一点。

 ふぅ、と嘆息して枕に頭をつける余裕があるのは、むしろそちらの方が大きな理由だったろう。

 医務室には彼がいたから、とりあえず心配はいらないだろうと、そう思ったのだ。

 

 

「これ、解いてくれませんか?」

 

 

 イ404の医務室の番人。

 そして紀沙の目覚めをずっと待っていたのか、目の下に隈を作った良治は、診察用の机の前に座ったまま、それはそれは大きな溜息を吐いたのだった。

 はぁ……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 御手洗良治は、思い出す。

 海洋技術総合学院時代の千早紀沙と言う少女を思い出す。

 あれはまだ、そう遠い過去と言うものではないはずだった。

 しかし、あの頃の紀沙と今の紀沙は、微妙に重ならない。

 

 

 眼鏡を外して、七三に分けていた髪をぐっと後ろに流す。

 そして、「おーい」と緊張感の無い様子で拘束されている紀沙を見る。

 それから、大きく溜息を吐いた。

 変わった、いや変わっていない、そんな思考を繰り返してしまう。

 

 

「もしもーし、良治さーん?」

「ああ、うん。何だろうね、いろいろ考えて緊張してた僕が馬鹿だったのかなぁ。いや、そんなことないよなぁ」

 

 

 ぺらぺらといろいろな数値や文章が書かれた書類の束をめくりながら、嘆息する。

 

 

「あのさぁ、紀沙ちゃんさぁ」

「そろそろ手とかベルトに擦れて痛くなってきました」

「身体を揺するのやめなよ――――いや、そうじゃなくてね?」

 

 

 嘆息ひとつ。

 

 

「紀沙ちゃんが寝ている間に、何週間かぶりの検査をいろいろしたんだけどね?」

 

 

 ぴたりと、紀沙の動きが止まった。

 ああ、いやだいやだ。

 医者なんて面白くない商売だよと、自己否定にも似たことを思った。

 下手に腕が確かなものだから、気付きたくないことや知らない方が良いことも知れてしまう。

 

 

「紀沙ちゃんさ」

 

 

 息を呑む音を聞きながら、良治は言った。

 

 

「前の測定よりウエストが2センチ増え「何の話っ!?」んだけど、バ「良治くんちょっと黙ろう」ってるんだよねって、ア、ハイ」

 

 

 殺意の波動を感じたので、良治は素直に黙ることにした。

 まだ成長期なので以前の測定と変化があっても仕方が無いのだが、言い方が不味かったのかもしれない。

 やれやれと思いつつ、書類の束から指先を離した。

 そんな良治に、頭だけ動かして紀沙が言った。

 

 

「あれからどうなりました? 皆は? いま、どのあたり?」

「ああーっとね、まぁいろいろあるんだけど。とりあえずここがどこかって言うとね、一応スコットランドの海域からは出てるんだよ。方角的に言うと、東に」

「東?」

 

 

 スコットランドから東と言うと、ドイツから離れている。

 地形的に袋小路な気がするが、頭の中の地図を思い描くに。

 

 

「……ノルウェー?」

「に、入港を拒否されたところ」

 

 

 厳密に言えば、ノルウェーを含む北欧諸国全体がイ404の入港を拒否した。

 西ヨーロッパで飛ぶ鳥を落とす勢いの<緋色の艦隊>、それを率いる『ムサシ』にイ号艦隊が敗退したことはすでに諸国の知るところだ。

 ドイツへ向かうには緋色の艦隊の勢力圏を南下するか北欧諸国の領海を通過するかしか無いので、事実上ドイツへの道は閉ざされたことになる。

 

 

 と言うか、同じ理由で多くのヨーロッパ諸国はイ号艦隊に否定的になってしまっている。

 何も自分から好き好んで『ムサシ』の次の標的になりにいくことは無い、そう考えるのは一国や二国では無いのだ。

 だから今のイ404は、まさに袋小路に陥ってしまっている。

 

 

「一応、受け入れても良いってコンタクトを取ってきた国があるんだけど」

「……どこですか?」

 

 

 ああ、医者なんて本当に面白くない。

 紀沙と話を続けながら、良治は同じことを思った。

 少し調べてしまえば、医者である自分にはいろいろとわかってしまうのだ。

 

 

「――――ロシア」

 

 

 眼球をはじめ、身体のいくつかの部分が何かに置き換わり始めていること。

 血液から、人間が持ち得ない物質がいくつか検出されたこと。

 身長はそのままなのに、体重が以前の測定よりずっと軽くなっていること。

 そう言う諸々のことに気付いてしまうのは、本当に嫌なことだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ロシアは、日本にとって鬼門の国である。

 広大で強大な隣国でありながら、不思議と日本人の多くは隣国だと思っていない。

 日本で「隣国」と言えば、まず中国や韓国のことを指すからだ。

 しかし、ロシアは200年前に同国がユーラシア東部に進出してきてからの隣国である。

 

 

 また日露両国は長い歴史の中で、領土や安全保障上の問題から幾度と無く戦火を交えている。

 ある意味、他の近隣国との関係よりも血生臭い関係だった。

 友好的な期間よりも敵対的だった期間が長く、北方の大国ロシアの存在は、日本の国防関係者に長年プレッシャーをかけ続けるものだった。

 それが霧の海洋封鎖で()()されてしまったのは、皮肉と言う他は無い。

 

 

『振動弾頭輸送プロジェクトが持ち上がった時、確かにロシアは有力な候補国だった』

 

 

 国会議事堂から首相官邸へと移動する車中、楓首相は同乗している上陰とそんな話をしていた。

 彼らの下にもすでにイ号艦隊の敗退は伝わっていて、今日の国会では主に欧州情勢に関する質疑が出た。

 国会で表立って海外情勢が語られるのは、本当に久しぶりのことだった。

 

 

『軍事に限ればロシアの技術力はアメリカに匹敵する。ロシアの提示してきた食糧・資源の援助はアメリカの数倍の規模だった。また仮に<大反攻>が成功してもアメリカの海上覇権が以前のように確立されていない以上、ロシアと結んだ方が良い場面もあることはわかっていた』

 

 

 アメリカか、ロシアか。

 振動弾頭の量産委託先を考えた時、実は候補はこの二国しか無かった。

 結局、日本政府――つまり楓首相が選んだのは、アメリカだった。

 100年来の同盟国と言うのもあるが、ロシアの底知れなさに懸念を覚えたと言った方が正しい。

 

 

『もう20年以上も前だが、海上自衛隊時代に親善訪問と言う形でウラジオストクを訪れたことがある。今でもロシア太平洋艦隊の根拠地になっているが、未だに横須賀軍港が彼の地を超えたとは思えない』

 

 

 軍艦の相互訪問は、両国軍間の信頼醸成を目的に定期的に行われている。

 楓首相もそうした軍人の1人として、ロシアを訪問したことがあった。

 中には今のロシア軍の幹部になっている――楓首相のように政治家になった者もいる――ような軍人と話す機会もあって、そんな中で特に1人、楓首相が注目している軍人がいた。

 

 

 彼は今ロシア大統領府に出入りできる、つまり大統領の側近として動いているらしい。

 しかも日本側との交渉を裏で動かしていたのも彼で、振動弾頭の量産をロシアに委託するよう働きかけてきた。

 熱心だったと言って良い、日露関係史上、ロシアが日本に譲歩を見せたのはあの時だけだったろう。

 何しろ、ロシアに振動弾頭を渡してくれるのであれば、日本側の要求は全て呑むとまで言ってきたのだ。

 

 

「その人物の名は?」

『アレクサンドル……』

 

 

 そして今、ロシアが再び日本側にコンタクトを取ってきていた。

 振動弾頭の輸送成功で日米の同盟関係が再確認された直後なだけに、日本はロシアと関係を持ちにくい時期だ。

 それを承知の上でのコンタクトに、楓首相は言葉に出来ない何かを感じているのだった。

 

 

『アレクサンドル・マクシミリアーノヴィチ・トゥイニャーノフ……ロシアの奇才だ。今後のロシア軍の動きは彼が主導するだろう』

 

 

 新大陸の覇者(リヴァイアサン)の動きに触発されて、旧世界の大国(ベヒモス)が眠りから覚めた。

 何をしてくるかわからない。

 北などは、<大海戦>の煽りで後回しにされていた北海道や日本海側の防衛拠点の整備を急ぐべきかもしれない、と言ってきている。

 

 

『ある意味で上陰君、キミと似たような立場の人間かもしれない』

 

 

 いずれにしても、複雑怪奇な国際情勢にもう一つ変数が増えた。

 気の休まる時間は遠のくばかりで、むしろ懸念事項は増えることはあっても減ることは無い。

 先の横須賀沖での霧同士の海戦もそうだ。

 ただ、不思議と嫌だとは思わない。

 

 

(我ながら度し難い。もう少し首相をやっていたいと初めて思っている)

 

 

 停滞の17年間の先に待っていた、激動の1年。

 この1年は楓首相にとって、今までの人生で最も充実している時間だった。

 きっと北もそうなのだろうと、楓首相は勝手に思っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――的な会話が日本で行われているとも知らずに、紀沙はぼんやりとロシアと言う国を考えた。

 正直、北や楓首相達のような危機感にも似た懸念は持っていなかった。

 ただ、北が警戒すべき国のひとつに上げていたな、くらいは記憶していた。

 

 

(ロシア)

 

 

 小さく口にしてみると、不思議な語感があった。

 馴染みが薄いせいもあるのだろうが、興味を引かれる響きだった。

 

 

「そうだ。他のみんなは? 無事?」

「ああ、うん。まぁ、無事だよ。怪我も無いし」

「よかった……」

 

 

 不意に思い出して問えば、良治の返事にほっとした。

 皆が無事とわかると、それだけで身体の力が抜けるようだった。

 何しろ派手にやられたから、最悪の事態も起こり得たはずだ。

 そこまで来て、紀沙はあの最後の一瞬を思い出した。

 

 

 『ムサシ』の超重力砲に照準(ロック)された、あの一瞬のことだ。

 どこからともなく現れた『クイーン・エリザベス』が、『ムサシ』の最後の一撃から自分達を庇ったように思えた。

 リエル=『クイーン・エリザベス』がどうしてあんな行動に出たのか、わからない。

 ただ不思議と、自分も同じことをしたかもしれない、と思った。

 

 

「……401は?」

 

 

 そして、忘れるはずも無いイ401を含む他の面々のこと。

 

 

「兄さん達は、無事?」

 

 

 その時、紀沙は良治が「あー……」と言って顔を逸らすのを見た。

 猛烈に、嫌な予感がした。

 医務室の扉が開いたのは、紀沙が良治に重ねて聞こうとしたその時だった。

 

 

「艦長達なら、はぐれちゃったわよ」

 

 

 栗色の髪にタイトな私服。

 顎を上げて話すそのしゃべり方を、紀沙は見たことがある。

 その女性の名はヒュウガ――大戦艦『ヒュウガ』のメンタルモデルだ。

 彼女が何故404にいるのか。

 

 

「『ムサシ』の超重力砲の出力は私達のとは桁が違ってね、余波でセンサー系も軒並み効かなくて。はぐれてしまったのよ」

 

 

 考えてみれば、無理からぬことかもしれない。

 共有ネットワークが思いつくが、あれを使うと他の霧にも居場所を知られるリスクがあることを思い出した。

 合流は、なかなか難しいかもしれないと思った。

 

 

「それにしても」

 

 

 そして、ヒュウガがじろりと紀沙を見つめて。

 

 

「随分なことになっているわね」

 

 

 確かに随分なことになっているが、好き好んでなったわけでは無い。

 そう言いたい紀沙だったが、ヒュウガにそれを言うのは業腹な気がして、結局なにも言えないのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 霧と人間の、神経接続による同一化。

 そんなことをフッドは試そうとも思ったことが無いし、考えたことも無かった。

 脆弱な人間の肉体が霧との同一化に耐え切れるはずも無いし、人間の複雑かつ非効率な構造を霧が理解しきれるはずも無いと思っていたからだ。

 

 

(イ号404)

 

 

 冷たい北海の底。

 海底に潜む潜水艦の艦外に出るなど、人間であれば自殺行為だろう。

 しかし霧のメンタルモデルにとってはそうでは無い。

 流石に衣服が濡れるのは困るのでフィールドは張るが、水圧がどれ程だろうと彼女達には関係が無いのだ。

 

 

「何か用かな、フッド」

「いや……」

 

 

 フッドにとって、いや他の霧にとってもそうだろうが、今のイ404のメンタルモデル「スミノ」は特異過ぎる存在だった。

 ちらりと隣を見れば、イ404に接舷している『マツシマ』が見える。

 あれの補給が無ければ、404はあの海域から離脱できなかっただろう。

 

 

 そう言う意味では、はぐれてしまったイ401がどうなったのかは彼女達にとっての不安要素だ。

 404と違って直撃ではないにしても、隣接していた『マツシマ』達との連絡も途切れてしまう程の衝撃だったのだ。

 今それをこんな場所で、しかもフッドが考える必要は無かった。

 ただ、不安――いや、()()に思えたのだ。

 

 

「なんだもったいない。ボクは今、とても気分が良いのに」

 

 

 こちらを振り向いてきた、スミノの顔、その両目。

 その瞳には、霧のメンタルモデルが持っているはずの光の輪郭が無かった。

 むしろより平凡な、そう、まるで。

 

 

()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 まるで、人間の目のような。

 その顔はもはや包帯には覆われていなくて、血も流れておらず、しっかりと眼球が収まっていた。

 いや、そもそも血が流れること自体がおかしいのだ。

 メンタルモデルに、そんな機能は存在しない。

 

 

 何なのだスミノ(こいつ)は、と、フッドは脅威を覚えた。

 彼女自身もメンタルモデルを得てそれなりの時間が経つが、こんな思いは初めてだった。

 そしてフッドの演算素子は、ある可能性を示唆していた。

 もしかしてスミノは、いやまさかそんな、そんなことが。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「先の『ムサシ』との戦闘の記録(ログ)が、共有ネットワークに上がっていないのが不思議でな」

 

 

 誤魔化し。

 人であればそう表現しただろう感情の動きを見せて、フッドはそう言った。

 実際、『ムサシ』戦の情報はイ401の居場所の手がかりも含めて霧の共有ネットワークには上がっていない。

 

 

 今、共有ネットワークにアップロードされているのは別のことだった。

 その()()は非常に派手で、しかも現在も継続中だった。

 遥か太平洋の北西端、横須賀沖から続いている艦隊戦。

 『タカオ』と『ナガト』の、大規模な戦闘だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 30時間が経過してもなお、その艦隊戦闘は続いていた。

 

 

「……ッ、ああ、もう! しつこい!」

 

 

 至近弾の水飛沫を浴びながら、タカオは毒吐いた。

 メンタルモデルは人間のように疲労を覚えたりはしないので、時間経過によるパフォーマンスの低下はあまり無い。

 ただナノマテリアルには制限があるため、その計算にだけは気を遣っていた。

 

 

 戦闘海域こそ横須賀沖から徐々に北上しているものの、移動距離はタカオの希望よりもずっと少なかった。

 理由は相対するナガト艦隊にあって、外洋に出る動きを見せると封じられてしまうのだ。

 だから、タカオ達の移動は日本沿岸に沿うものにならざるを得ず、遅々としたものだった。

 

 

「ちょっとキリシマ! 左翼、火力支援! アタゴ達が押されてるじゃない!」

『五月蝿いな、こっちもこっちで忙しいんだよ!』

「天下の大戦艦様でしょーが!」

『畜生! こういう時だけ大戦艦扱いしやがって……!』

 

 

 文句を言いつつも、ナガト艦隊の重巡戦隊に半包囲されつつあったマヤ・アタゴの方に水柱が上がるのが見えた。

 キリシマが支援砲撃をかけてくれたらしい。

 しかし左翼の前面に敵がいるなら、回りこまれたと見て良い。

 それならばと、右翼(こっち)から突破を仕掛けるしか無いだろう。

 

 

「レパルス、もう一度前に出るわよ!」

『え、ええぇ。少し退がった方が』

「退がったら負けるわ!」

 

 

 何度繰り返したのかわからないが、数で劣る側が退いた先には敗北しか無い。

 それがわかっているから、タカオは遮二無二突破を繰り返しているのだ。

 

 

「愚直に突破を繰り返しているように見えて、少しずつ攻め手を変えている」

「でも、このままと言うわけではないでしょう」

 

 

 一方で、ナガトはタカオ側の戦術をしっかりと分析していた。

 両翼を交互に伸ばして突破口を探るのが基本のようだが、ナガト側の方が艦艇の数が多いので、タカオ側よりも大きく両翼を伸ばしてこれを防いでいる。

 つまり、両翼を広げれば広げる程、タカオ側が不利になっていく。

 ただし、油断は禁物だった。

 

 

「あーくそ、やっぱナガトが中央から動かないな」

 

 

 タカオ艦隊中央、自身の艦上から戦況を眺めながらキリシマは親指の爪を噛んでいた。

 巡洋艦を両翼に広げて中央に足の遅い――高速戦艦だが――戦艦、基本の陣形が開戦当初から変わっていない。

 海中では400と402が相手の潜水艦隊とドンパチやっているから、タカオ側にしてみればまさに総力戦だった。

 

 

 当初の作戦では、両翼を広げるだけ広げて相手の中央を薄くして、キリシマとハルナの重火力で中央突破するというものだった。

 ただ、相手の中央にナガトがどっしりと構えて動かない。

 先代総旗艦『ナガト』、『ヤマト』『ムサシ』を除けば間違いなく霧の艦艇でも最強の1隻だ。

 

 

「キリシマ、見られてる」

「ああ、そうだな」

 

 

 一応、ハルナの艦体も最低限展開できてはいる。

 ただしハリボテだ、メンタルモデルのハルナがキリシマの隣にいることが何よりの証拠だ。

 つまりこちらの中央火力には限界があるわけで、これも時間が経てば経つ程にタカオ側に不利に働いていくだろう。

 

 

 加えて、ナガトの最初の通告によるとこれは『ヤマト』の命令だと言う。

 たとえ目の前のナガト艦隊を突破しても、今は傍観している『レキシントン』や『ガングート』が今度は立ち塞がってくるはずだ。

 ナノマテリアルの補給の無い状態で、それだけの艦隊を突破してヨーロッパに辿り着ける可能性は……。

 

 

「それでも、降伏なんて絶対に嫌よ!」

 

 

 右翼に突出しながら、タカオは言った。

 その視線は、遥か東方へと向いていて揺らぐことは無かった。

 至近弾の波を何度もかぶりながら、前進することをやめなかった。

 

 

「すぐに行くわ……!」

 

 

 たとえ、どんなに遠い道のりでも。

 たとえ、どんなに高い障害であったとしても。

 交わした約束を守れずして、託されたものを果たせずして。

 その()に、何の意味があると言うのか!

 

 

「……待ってなさいよ!」

 

 

 タカオの声は、ナガト艦隊の砲撃に掻き消されていった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 結論はすでに出ていた。

 ロシアに行くしか無い。

 武器弾薬は『マツシマ』のナノマテリアル補給でどうにかなるにしても、人間用の物資はそうはいかない。

 そのためにはデンマーク沿岸を通る必要があるが、いくつかの条件をクリアする必要があった。

 

 

「まずファースト、デンマークの領海を無断通行する必要がありマスト」

 

 

 どこから現れたのか、ジョンがしたり顔でそんなことを言っていた。

 指を一本立てて腰を揺らすポーズは非常に腹が立つが、言っていることは正確だった。

 アメリカを離れてしばらく立つが、彼の情報は404にとってとても貴重なことには違いが無かった。

 

 

 スカゲラク海峡からデンマーク沿岸を南下してドイツに行くことも可能だが、ドイツが404を受け入れてくれる可能性は高くは無かった。

 緋色の艦隊に降った英仏に対して、ドイツは未だ戦争状態にあるわけでは無い。

 そこで404を抱え込めば、対英仏開戦の引き金になりかねなかった。

 それでも『ムサシ』に敗北する前であれば、可能性はあっただろうが……。

 

 

「セカンド、ロシアに行くにはバルト海の奥深くに入り込む必要があるヨ」

 

 

 バルト海は、狭い海域だ。

 いわゆる内海で、古くからロシア海軍の勢力圏だった海域だ。

 現在ではロシア方面北方艦隊の艦艇がうようよしていて、これも潜り抜ける必要があった。

 つまり404がロシアに向かうには、逃げ場の無いバルト海と言う袋の中を通っていかなければならないのである。

 

 

「それはまた、難しい話だね」

 

 

 管轄では無いのでのんびり構えているが、良治にもそれがいかに困難なことかはわかっているつもりだった。

 ただ、今までだった簡単な道のりでは無かったのだから、今さらと言う意見もあるだろう。

 

 

「あのー……」

 

 

 その時、他の面々と比べると低い位置から声がした。

 もちろん、ベッドに拘束されたままの紀沙である。

 曖昧な笑みを浮かべた紀沙は、もそもそと身じろぎしつつ。

 

 

「そろそろ解いてくれると嬉しいんだけど」

「あらぁ、何を言ってるの?」

 

 

 そんな紀沙に、ヒュウガは言った。

 何でもないことのように。

 

 

「それくらい、ちょっと力を入れたら外れるでしょ――今のアンタなら」

 

 

 何でもないことのようにそう言われて、紀沙は沈黙した。

 別にヒュウガの言うことを真に受けたわけでは無い。

 そうでは無い、が、思うところはあったのかもしれない。

 沈黙した紀沙は、特に何かを言い返すことも無く、静かに腕に力を込めた。

 すると。

 

 

「…………」

 

 

 ――――ブチッ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――今日のモスクワも、分厚い雲に覆われていた。

 

 

「たまには晴れ間を見てみたいものだな。そうは思わないかね、中佐?」

 

 

 広大なロシアを支配する大統領宮殿(クレムリン)の執務室、その窓際に立ちながら――当然、狙撃を警戒した専用の防弾ガラス――第9代ロシア連邦大統領ミハイル・シュガノフは、そんなことを言った。

 モスクワは内陸にあるため、横須賀のように窓の外一面に海が広がっていたりはしない。

 その代わりにモスクワ川という市内を流れる川に面していて、ミハイル大統領は川の水面に視線を向けていた。

 

 

 ポツポツと水面を打つ雨の波紋が、ここからでも見える気がした。

 そして水の上を慌しく流れていく遊覧船や小さな輸送船を見て、船外にいる人々の姿を目にしては、目を細めていた。

 今日の雨も冷たく、長く続くのだろう。

 

 

「陸軍が攻勢の許可を求めてきておりますな、閣下」

「キミはもう少し情緒というものを解するべきだな」

「それで国が良くなるのであれば、学んでみようとは思います」

「情緒は余裕を生む。指導者の見せる余裕は国民を安堵させもする」

 

 

 とりとめも無い会話をしつつ、ミハイル大統領は執務卓についた。

 そこには書類が山積みになっており、彼の多忙さを示している。

 不思議なもので、電子技術がいくら進歩しようと書類というものはなくならないのだった。

 

 

「それに今は陸よりも海だ。ウクライナ軍やバルトの奴らなどどうにでもできる。むしろ下手に攻略するとドイツの同盟国(ポーランド)と直に接することになってややこしくなる」

「クリミアの失態を挽回したいのでしょう」

「クリミアの失態はクリミアでしか取り戻せんよ、軍の高官連中はそのあたりがわからんようだ」

 

 

 その内のいくつかに目を通しながら、国境の情勢についてミハイル大統領。

 中佐――アレクサンドルは、そんな大統領をじっと見つめていた。

 するとミハイル大統領は「まぁ、そんなことは良い」と言って、顔を上げた。

 アレクサンドルは、ここ最近ずっと口にしている言葉を告げた。

 

 

「大統領、例の件ですが」

「まぁ待て、中佐」

 

 

 そして途中で遮るのも、ずっと続いているのだった。

 どうやらアレクサンドルの提案を、ミハイル大統領が押し留めている様子だった。

 

 

「せっかく招待状を出したのだ。もてなしもしないと言うのでは我が国の品位に関わるだろう」

「しかし」

「大丈夫だ、わかっているとも」

 

 

 ミハイル大統領が目を通している書類には、こう書かれていた。

 

 

「大戦で疲弊したヨーロッパ諸国よりも、無傷のアメリカこそが恐ろしい。わかっているとも。だからこそ、こうしてキミの作戦案にサインするか考えているのだよ」

 

 

 <イ号潜水艦鹵獲作戦計画書>、と。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

よーし行くぞおそロシア(え)
やはり世界規模の話を描くなら、ロシアは無視できないですよね。
コルコル言いながら出てきてくれないと(え)

それでは、また次回。

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