蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth051:「カリーニングラード」

 

 久しぶりのヨーロッパの海だ。

 鼻腔から肺へと入り込んで来る海の香りに、ゾルダンは内心の懐かしさを押さえ切れなかった。

 もちろん、それを表情に出すようなことはしなかったが。

 

 

「懐かしい?」

 

 

 それでも、気付かれてしまう相手はいるものだ。

 

 

「少しの間離れていただけなのに、そんな風に思ってしまうものなのね」

「は……」

 

 

 人間って不思議、と、『ムサシ』の舳先からU-2501の甲板にふわりと舞い降りたムサシは言った。

 帽子を脱ぎ、直立した体勢でそれを出迎えたゾルダンは、やはり表情を変えていない。

 しかしその「変えていない」と言うこと事態が、慣れ親しんだ相手からするとわかりやすいのだった。

 

 

「おかえりなさい、ゾルダン。太平洋はどうだったかしら?」

「色々と学ぶことが多かったです、ムッター・ムサシ」

「可愛い子には旅をさせろと言うものね」

 

 

 ……以前よりも、どこか丸くなられたか、とゾルダンは思った。

 ムサシは以前は、何と言うかもう少し無邪気な印象のあるメンタルモデルだった。

 今は物腰がやや柔らかくなって、得たばかりのものを面白おかしく転がして遊ぶようなところは見えなくなっている。

 

 

 簡単に言えば、より人間らしく、より大人らしくなった、と言うことだ。

 それこそ「少しの間離れていただけ」だと言うのに、随分な変化だ。

 メンタルモデルは稼動時間が長ければ長い程に経験値を積めるし、傍にいる人間の器が大きければ大きい程に成長が早まる。

 ましてムサシと翔像は、()()()()()にあるのだから。

 

 

「それにしても、随分と派手に遊ばれたものですね」

 

 

 視線を横に向けると、そこには形容しがたいものが存在した。

 ナイアガラの大瀑布、一言で表現するならそれだろうか。

 海の真ん中にぽっかりと穴が開き、縁から下へと海水が落ち続けている、にも関わらず何故か穴は埋まらずにそのままなのである。

 まるで次元が歪み、空間そのものに穴が開いてしまっているかのようだ。

 

 

「貴女が重力子システムなど使えば、こうなるとわかっていたでしょうに」

「あれは私じゃなくて、お父様が張り切りすぎただけよ」

「……なるほど、それで」

 

 

 翔像が張り切っていた。

 それを聞いて僅かに目を伏せたゾルダンに笑みを向けながら、ムサシは「それで」と言った。

 

 

「404はともかくとして。401はどこへ行ったのかしら?」

 

 

 404がロシアに向かっていると言う情報は、すぐにわかった。

 日本政府の艦である以上、行動をある程度表沙汰にしなければならない弱みだった。

 一方でそんな制約が無い401がどこへ行ったのかは、目下のところ謎のままだった。

 最も、無数の偵察艦(ゼーフント)を持つU-2501にしてみれば、その後の動向を探ることはそう難しくは無いはず……。

 

 

「さて、どこへ行ったものやら。むしろ私の方が教えてほしいくらいですよ」

 

 

 ……おや?

 ゾルダン・スターク。

 何もかもを見通してしまいそうなムサシの「眼」の前で、そんなことを言うこの男。

 果たして吐いた言葉は真実か、それとも……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ロシア連邦カリーニングラード自治共和国は、人口100万人を抱えるロシアの「西の砦」である。

 本国ロシアからリトアニアを隔てたいわゆる飛び地であり、かつては貴重な不凍港であり、温暖化が進んだ今でもヨーロッパに食い込む最前線の重要拠点である。

 飛び地のため交通事情が悪かったが、隣国リトアニアから()()()()自由通行を認められ(させ)てそれも改善された。

 

 

 人口の8割がロシア人ながら、現地の人々はロシア人としては珍しく、本国よりポーランド等の東ヨーロッパにシンパシーを感じるという特徴を持っている。

 それは欧州大戦が勃発した今も変わっていない。

 しかし彼らは今も昔もロシア人であり、そして今後もロシアの不可分の一部であり続けるだろう。

 何故か?

 

 

「ようこそロシアへ、歓迎する」

「どうもありがとう」

 

 

 カリーニングラードには、強大なロシア軍が駐留しているからだ。

 五大国(ビッグ5)の一角、世界第二の核大国、欧州最強の陸軍国、ユーラシア最大の軍事大国。

 ロシアを軍事的に形容する言葉は枚挙に暇が無いが、ただひとつ言えることは、正面からロシアと戦争をして勝てる国はそうはいない、それだけ強いと言うことだった。

 

 

(……冷たい手)

 

 

 カリーニングラード自治共和国の首都から45キロ程離れた場所にあるバルチースクと言う海軍基地――もちろん、地下ドック式の――に入港し、出迎えの男と握手をした時、紀沙はそう思った。

 ゴツゴツとした掌の下にはたして血が通っているのだろうかと、心配になってしまう程の冷たさだった。

 北国の男はそんなものなのだろうかと思ったが、北海道で過ごした時代を思い起こす限り、そんな記憶は無かった。

 

 

(アレクサンドル・トゥイニャーノフ……中佐、か)

 

 

 握手をしたまま見上げれば、頭二つ以上は上に相手の顔があった。

 黒髪の、年齢的には翔像と同じぐらいの世代だろうか。

 軍人らしいがっちりした身体つきで、見上げていると威圧感を感じる。

 しかし掌以上に、こちらを観察するような冷たい眼差しが気になる男だった。

 

 

(これは確かに、一筋縄どころじゃないかもね)

 

 

 寒く感じるのは、冬のバルト海特有の気候によるものだけでは無いだろう。

 今後のことを思って、紀沙は内心で溜息を吐いた。

 冷たくとも厳しくとも、今はとにかく、ここで体勢を整えるしか無いのだ、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――少し時間を遡り、イ404がバルト海への侵入を果たした頃。

 かつてはロシア海軍の庭だったそこを、近隣諸国の国境線に沿うようにしながら進んでいた。

 領海を侵しても迎撃されることはまず無いが、あからさまに挑発することは避けたかった。

 

 

「ロシアは現在、ミー達に手を差し伸べてくれている唯一の国ネ」

 

 

 イ404の会議室で、紀沙達はロシア行きについて何度も話し合った。

 本国から遠く離れたヨーロッパでは、頼れる国は存在しない。

 アイスランドでの補給が最後で、飲料水と食糧の心配もそろそろしなければならない。

 栄養機能食品や保存食で生きていける程、人間の味覚と言うものは単純にできていない。

 

 

 また、沿岸部に味方がいない状況を脱さなければならない。

 これは大戦の最中にある欧州を渡り歩くには必須事項だが、イ404は現在、ヨーロッパ諸国から距離を取られている状態だ。

 この状態を脱する方法は一つ、『ムサシ』と再戦して勝つしかない。

 ただしそれを可能にするためには……と、次々に課題が出てくるのが今の状況だった。

 

 

「つまり、上手いこと騙くらかして協力させなきゃならないってことだろ」

「ロシアねぇ……」

「お、梓姐さんってば何か良い案ある感じ?」

「いや、一応ドイツ系だから私」

「あ、微妙なのね」

 

 

 騙すと言うのはともかく、大筋として間違ってはいない。

 要はロシアにスポンサーになって貰おうと言うわけで、立場としてはイ404が圧倒的に下だ。

 しかし、そうさせないのが交渉と言う技術でもある。

 

 

「アメリカでいろいろロシアの情報にタッチしてきたけど、やっちゃいけないことがひとつあるヨ」

 

 

 ジョンも、事のほか真面目だった。

 彼としても自分の目的のためにイ404を守らなければならないから、必死なのだろう。

 

 

「いいですか、キャプテン。ロシアでは嘘は吐かないでください」

「……何かの比喩ですか?」

「ノー、ロシアの人に対して嘘を吐いたら駄目です」

 

 

 ロシア人に対して嘘を吐くな。

 ジョンのその忠告は、正直あまり意味が良くわからなかった。

 しかし情報の専門家(インテリジェンス)としての地位をすでに確立しているジョンの言葉を無視はできず、ひとまず胸の内にしまっておくことにした。

 

 

「それから――――……」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 向こうが朝の時間、横須賀は午後だ。

 ちょうど良い時間と言えば、これほどの時間も無いだろう。

 

 

『それでは大統領、改めてこの度の貴国の友情に感謝します』

 

 

 楓首相のその言葉を最後に、通話が切れた。

 かけた先は外国で、衛星回線を介したそれは霧の傍受の対象だろう。

 ただ、最近は霧に傍受されることをあまり恐れなくなった。

 開き直ったと言った方が正しいかもしれない。

 

 

 通話が切れた後、楓首相はひとつ息を吐いて、車椅子ごと身体を別の方向に向けた。

 不敵な笑みを向けた先には、2人の男女が立っていた。

 1人は『白鯨』艦長の駒城、そしてもう1人が。

 

 

「ありがとうございます、閣下」

 

 

 真瑠璃だった。

 小さく頭を下げる彼女に手を上げて応じつつ、楓首相は苦笑を浮かべた。

 

 

『まったく、キミもなかなか大胆なことを言うね。群像艦長の影響かな』

「そうかもしれません」

『駒城君も大変な部下を持ったものだ』

「き、恐縮です」

 

 

 駒城達『白鯨』は今、数ヶ月ぶりに横須賀に入港している。

 もちろん『白鯨』の旅路が表に出ることは無いが、軍港関係者の間では今一番ホットな話題だった。

 ほとんどの人間が、生きて帰っては来ないだろうと思っていたのだから。

 行動を制限されている『白鯨』のクルーにとっても、こそばゆい日々がしばらく続くだろう。

 

 

『横須賀沖で霧が戦闘を始めた時は肝を潰したよ、キミ達が近くまで戻ってきていることは知っていたからね』

「その後、戦闘はどうなっているのでしょうか」

『観測班によれば、4時間程前に終わったようだ。もちろん、我々にその詳細を知る術は無いがね』

 

 

 人類にとって、陸地のすぐ側で霧が何十時間も戦闘をしていると言う状況は恐怖以外のなにものでも無い。

 それが終わると言うのは間違いなく良いことのはずだが、情報を得る手段が無い分、不安もある。

 どちらに転んでも、厄介なことには違いないのだった。

 

 

『さて、帰ってきたばかりでまた出航したいとのことだったが』

「はい。その件について群像くん……群像艦長から、書簡を預かっています」

 

 

 真瑠璃からメモリーカードを受け取って、楓首相はそれを掲げて見せた。

 しげしげと興味深そうに見つめながら、どこか困ったように小首を傾げる。

 そして、やれやれと言った表情を浮かべながら。

 

 

『さて、今度はどんな突拍子も無いことを始めるつもりなのかな』

 

 

 しかしその声はどこか、楽しげでもあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 カーテンを締め切った大統領執務室で、エリザベスは嘆息した。

 先のサンディエゴでの霧との戦闘を除けば、アメリカは平和そのものだった。

 アメリカ人は今日も豊かで、アメリカに住む他の人種も少しずつ状況を改善させている。

 すべては良い方向に向かっていて、嘆息は似合わなかった。

 

 

 では、何がエリザベスを嘆息させているのか?

 各国の首脳と立て続けに電話会談を重ねていることだろうか。

 確かに()()()()()()()()()()彼女には、各国から祝電が寄せられている。

 しかし彼女の嘆息は、そうした疲れからきているわけでも無かった。

 

 

「リズ、大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫よ。ロブ」

 

 

 もう一度深い息を吐いて、エリザベスは天井を見上げた。

 見えるのは、天井だけだ。

 何かが見えるはずは無いが、エリザベスは遠くを見るような目をしていた。

 

 

「大丈夫、きっと上手くいくよ」

「そうね、ロブ。きっと上手くいくわね。でも」

 

 

 エリザベスの手元には、十数枚の書類がある。

 それは近く行われる就任演説において、彼女が読み上げる原稿の草案だった。

 彼女の重視する政策を基に事務方が書いたもので、彼女は自らそれをチェックしていたのだ。

 そして、その一番最初の――つまり一番力を入れている――部分には、こう書かれている。

 

 

 「国際連合を復活させる」、と。

 国際連合は世界のほとんどの国々が加盟する国際機関だが、霧の海洋封鎖後はほぼ活動停止状態にあった。

 しかし本部ニューヨークはまだ稼動しており、常駐する各国の国連大使も何らかの形で健在だ。

 そして中でも重要な組織について、エリザベスは復活させるつもりだった。

 

 

「来るべき<大反攻>は、我が国だけでは成功しない。世界で一斉に反転攻勢をかけないと」

 

 

 バラバラに戦ったのでは、霧の海洋封鎖を破ることはできない。

 つまり連合して、指揮権はできるだけ統一した方が良いと言うのが国防省の見解だった。

 そして国連には、それができる機構が備わっている。

 いわゆる、安全保障理事会――非常任理事国選挙はここ数年行われていないので、アメリカを含む常任理事国だけが在籍している形だが――である。

 

 

「振動弾頭の量産の目処も立ったわ。だから後は政治の問題だけ、でもねロブ」

 

 

 霧と戦う準備は、できつつある。

 そして戦えば勝てるだろうと、エリザベスは思っていた。

 しかし、エリザベスは思う。

 

 

「私はあと何回、誰かの息子や娘を戦場に行かせる書類にサインすれば良いのかしらね……」

「リズ……」

 

 

 これで本当に良かったのか。

 世界で最も偉大と言われる為政者の胸には、常に疑念と不安に満ちているのだった。

 彼女はあと4年、これを繰り返さなければならないのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 蒔絵には、不安と不満があった。

 不安と言うのはもちろん、イ404を含む自分の今後のことだ。

 このまま自分がどこへ向かえば良いのか、わからないことへの不安だった。

 ただそれについては、今の環境がいくらか和らげてくれていた。

 

 

「あおいさん、何ですかこの配線」

「あやとりよ~♪」

「いや、あやとりの要領で配線しないでください。それで何で動くのか理解できませんが」

 

 

 あおいと静菜、機関室で過ごす2人の存在である。

 蒔絵は自ら望んで艦の運用を手伝いはずめたが、あおいも静菜も温かく迎えてくれた。

 特にあおいは蒔絵のことを気に入ったらしく、良く膝の上に乗せてはもふもふしていた。

 口には出せないが、母親がいたらこんな風かと思った。

 

 

 静菜とはあまり話さない。

 何と言っても静菜の口数が多くないので、自然と会話の頻度も下がる。

 それでも、データでしか知らなかった道具や部品を教えられるのは好きだった。

 図面と現場の違いを、初めて知った気分だ。

 これも口には出せないが、姉がいたらこんな風かと思った。

 

 

「む~」

「あらあら、蒔絵ちゃんがまた膨れてるわぁ」

「はぁ、まぁ最近は食事が缶詰と魚続きですからね」

 

 

 もちろん、蒔絵が膨れているのはそんな理由ではない。

 不安はあおいと静菜のおかげで薄らいだとしても、不満は別だ。

 蒔絵の不満の矛先は、もちろん紀沙に向いているのだった。

 不満は、心配にも通じる。

 

 

 たとえば蒔絵は紀沙の部屋で寝泊りしていたが、自分の部屋を割り当てられた。

 イ404は乗船可能人数の割にクルーが少ないので、部屋は余っている。

 だから蒔絵に部屋が割り当てられても何ら不思議なことは無い。

 だが、蒔絵はそれに強烈な心配を覚えたのだった。

 

 

(あの人、何かを私に隠してる)

 

 

 聡明な蒔絵だからこそ、そう思える。

 そう気付けてしまうところが、蒔絵と言う少女の悲しいところなのかもしれない。

 部屋を別れる前の最後の数日、蒔絵は確かに気付いていた。

 もしかして紀沙は、夜、眠って。

 

 

「大丈夫よぉ」

 

 

 そしてそんな時は、決まってあおいが蒔絵を抱っこしてくるのだ。

 膝の上に乗せて、よしよしと頭を撫でてくる。

 そう言う時、蒔絵はあおいの手を振り払おうとする。

 

 

「子ども扱いしないで!」

「うふふ、どんなになってもまだまだ子供よぉ」

 

 

 よーしよし、と蒔絵の頭を撫でるあおい。

 それに対しても、蒔絵は「もしかして」と思う。

 頭の一部が、どうしても冷静に分析してしまうのだ。

 そういう風に()()()()()

 

 

「よしよし、大丈夫よぉ。……お姉ちゃんが、ついてるからねぇ」

 

 

 もしかしたら、あおいは自分以外の誰かにこういうことをしたかったのかもしれない。

 聡明に過ぎて、そういうことにも気がついてしまうところが、蒔絵という少女の悲しいところだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そして自分の意見がどうであれ、政治家の意向に従うのが軍人という存在だった。

 今のアレクサンドル少佐は、まさにそういう状況だった。

 彼は周囲に自分が強硬派と見られていることを知っているし、彼自身そう思っている。

 

 

「報告! 特別列車の用意が整いました!」

「ご苦労、このまま駅の封鎖を続けろ」

「はっ!」

 

 

 カリーニングラード駅はモスクワやサンクトペテルブルグ、あるいはロシア南部でシベリア鉄道にも接続する重要な鉄道駅だ。

 ただアレクサンドルの前で出発を待っている電車は、奇妙だった。

 全てのドアに特殊な錠がつけられ、しかも窓が封印を施されている。

 いわゆる封印列車というもので、誰か要人を乗せようとしている様子だった。

 

 

「しかし中佐殿、大統領閣下はどういうおつもりなのでありましょう」

 

 

 アレクサンドルの傍で、部下の下士官が言った。

 周囲では兵卒達が緊張感を持って動いており、イ404が入港したバルチースクからカリーニングラードまでの道々にも、ロシアの軍部隊が展開している。

 全ては大統領の指示であって、ミハイルの思惑によるものだ。

 

 

 アレクサンドルも、ミハイル大統領の考えの全てを聞いているわけではない。

 しかし司令官の意図がどうであれ、命じられたら愚直に実行するのが軍人だった。

 そう言う意味で、部下の下士官はあまり軍人に向いていないのかもしれない。

 

 

「イ404を鹵獲するならバルチースクの部隊で十分できるはずなのに。どうしてモスクワ行きの特別列車なんて用意しなければならないのです? シベリア行きならまだわかりますがね」

 

 

 下士官の好きに喋らせながら、アレクサンドルは黒い列車を見つめた。

 国外――厳密にはカリーニングラードは飛び地だが――から封印列車がモスクワに向かう時、それはロシアの歴史が動く時だった。

 はたして、今回もそうなるのだろうか。

 

 

(情報によれば、すでにアメリカは振動弾頭の量産に入ったと言う)

 

 

 かつてロシアはスーパーキャビテーション魚雷の開発と実戦配備に成功し、海戦の常識を変えた。

 しかしその後すぐに霧との決戦に破れ、魚雷は無用の長物となった。

 そして今、霧にも有効な新型魚雷の大規模生産をアメリカが始めている。

 ロシアにとって、これ以上の脅威はなかった。

 食糧やエネルギーをある程度自給できるロシアにとって、霧は実はさほど優先順位は高くないのだ。

 

 

「いずれにせよ、イ号潜水艦は我が国に必要だ。最終的に拿捕する方針には変わりは無い」

 

 

 それだけ言って、アレクサンドルは喋り続ける下士官を置いて歩き始めた。

 下士官が歩き去るアレクサンドルの背中に気付き、慌てて追いかけたのは、1分近くが経ってからのことだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――的なことを、(おか)では言ってると思うよ」

 

 

 ロシア側の歓迎を受けて、紀沙達はいったんイ404に戻った。

 今のところ在ロ公館を除けば、イ404の中だけが()()()()()だった。

 故国は遥か数千キロ東方で、大陸を挟んだ西と東だ。

 そんな中で、スミノだけがいつも通りだ。

 

 

 それもそうかと、そう思う。

 いくらロシアが軍事大国だと言っても、それは人類の中での話だ。

 霧であるスミノにとって、ロシア軍など物の数ではあるまい。

 まして、霧はまだ人類に対して全力で戦ったことが無いのだ。

 いや、そもそも――――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「艦長殿?」

「……なんでもない」

 

 

 艦長室でひとり、紀沙はベッドに横になっていた。

 式典用の礼服を乱雑に放り出して、ワイシャツだけを着て寝転がっている。

 疲れている様子は無いが、落ち込んでいる様子ではあった。

 

 

(どうなっているの)

 

 

 紀沙は、困惑していた。

 ベーリング海でU-2501、カークウォールでリエル=『クイーン・エリザベス』。

 そしてスコットランド沖で、スミノ。

 いくつかの霧の艦艇との()()()を経て、紀沙は自分の心境の変化に戸惑っていた。

 

 

(霧が憎い)

 

 

 家族を奪った霧が憎い。

 その気持ちは変わらないのに、気持ちが、心の一部が霧へと寄っている。

 嫌だ、気持ち悪い。

 それも心ばかりではない。

 

 

 集中すれば、身体を流れる血の流れでさえ感じ取れるような気がする。

 比喩では無く、感覚としてそれがわかる。

 気持ち悪い程にはっきりと、自分というものがわかるのだ。

 頭が熱い、しかしそれは体温としては表れない。

 

 

「艦長殿」

 

 

 スミノが、身体の上に圧し掛かってきた。

 わざわざ粒子化からの再構成で移動してくるあたり、さすがに嫌味がかっている。

 不思議と振り払う気にもなれず、じろりと睨むだけに留めた。

 そうすると()()()()と見つめ合うことになって、すぐに目を逸らした。

 

 

(……兄さん、無事だよね)

 

 

 霧の共有ネットワークには、未だイ401の情報は無い。

 イ15の行方も、わからない。

 

 

(兄さん、どこにいるの……?)

 

 

 胸元に感じる重みを押しのけることもせず、紀沙が考えているのは兄のことだった。

 二度と離れたくないと思っていたが、現実は厳しかった。

 しかも原因は、今回も実の父親だった。

 いろいろな意味で、泣きたくなった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 はっとして、タカオは目を覚ました。

 目を覚ましたと言うよりは、再起動したと言った方が正しい。

 何故ならばタカオのコアは強制的に休止状態にさせられていたのであって、この目覚めはコアの再起動によるものだからだ。

 

 

「ここは」

 

 

 広い、広い甲板だった。

 タカオの艦体などよりもずっと広く、大きな艦船の上にタカオはいた。

 そしてそこまで考えて、タカオは自身の艦体が存在しないことに気付いた。

 それどころか、自身の操作下にあるナノマテリアルが極端に少ない。

 

 

 同時に、コアに何か枷が嵌められていることにも気付いた。

 ある一時期の――横須賀寄港から出航までの数時間の「記憶」――記録(ログ)が、閲覧できない状態になっている。

 閲覧できない部分の情報が何かがわからないので、何を失ったのかタカオにはわからない。

 ただ、失うべからざるものを失ったのだと、そう思った。

 

 

「ぐ、この……」

 

 

 ロックを解除しようとしても、出来るものではない。

 何故ならばこれは、タカオの上位存在によって施された枷だからだ。

 

 

「アンタの仕業ね」

 

 

 再起動と同時に甲板に崩れ落ちた体勢のまま、タカオは相手を()め上げた。

 しかし相手は全く動じた様子も無く、涼しげにタカオの視線を受け止めていた。

 ピュアピンクの花嫁衣裳のようなドレスを身に纏い、柔和な微笑を浮かべながらタカオを見下ろしている。

 

 

総旗艦(ヤマト)……!」

「久しぶりね、タカオ。元気そうで嬉しいわ」

 

 

 にっこりと笑って、ヤマトはタカオに近付いてきた。

 その時、タカオは自分の左右に気付いた。

 視線を向けてみれば、そこにはマヤとアタゴがコアを強制停止させられた状態で浮かんでいた。

 

 

 おそらく先程までタカオも同じような状態だったのだろう、不可思議な紋様の輪に全身を囚われて、十字架の聖人の如く宙に浮かんでいる。

 良く見てみれば、キリシマ、ハルナ、レパルス、400、402達の姿もあった。

 いずれもコアを強制停止させられており、眠らされていた。

 

 

(そうか、私達はナガトに)

 

 

 ナガト艦隊の重囲を突破し切れず、最後には撃沈され、コアを回収された。

 タカオは、ナガトに敗れたのだ。

 

 

『くっ、離しなさいよ! この沈黙戦艦!!』

『罵倒の意味が良くわからないけれど』

『でも、貴女が見たものには興味があるの』

 

 

 そうだ、自分はあの時、ナガトに――何をされたのだったか?

 ナガトに拘束され、コアを強制停止させられた。

 他にも何か会話した気がするのだが、記録が閲覧できない。

 どうやら、ナガトはナガトで何かしらのロックをかけたらしい。

 

 

「思い出しましたか? タカオ、貴女はナガトに敗れて私の下まで連行されてきたの」

「……ええ、そのようね」

 

 

 そして、総旗艦『ヤマト』。

 この何がしたいのか良くわからない総旗艦が、誰かを連行するなどと、能動的な行動をしたのはこれが初めてだ。

 自分はいったい、横須賀で何を見たのか。

 いったい、ヤマトにこうまでさせる何があったと言うのか。

 

 

「タカオ、貴女達には私の麾下に入ってもらいます。総旗艦艦隊に編入と言う形になるわね」

 

 

 総旗艦(フラッグ)艦隊(フリート)

 はぐれ艦隊だった身からすれば望外の抜擢だが、理由がわからない。

 海洋封鎖にも参加しない、戦闘用の艦隊でも無い総旗艦艦隊に、大戦艦や重巡洋艦は必要ないはずだ。

 以前から何を考えているのかわからないところがあったが、今回の処置は特にわからない。

 

 

「タカオ」

 

 

 そう訝しむタカオに対して、ヤマトは柔和な微笑を浮かべたまま言った。

 そして、後ろからタカオを抱き締める少女がひとり。

 後ろから自分を抱きすくめたコトノに驚いた表情を向けて、タカオはヤマトの――いや、コトノの言葉を聞いたのだった。

 

 

「貴女には、今の世界を壊してほしくは無いの」

「群像くん達が、()()()()になってくれるまで」

 

 

 今の世界、人柱。

 やはりヤマトが何を言っているのかわからない。

 わからないのは、記録がロックされているからだと、タカオは思った。

 しかし今の彼女には、それに対して何らのアクションを起こす力が無いのだった。

 

 

(行かなくちゃ)

 

 

 胸中にあるのは、得体の知れない焦燥感。

 あの兄妹との、存在を懸けた約束だけ。

 あの母親との、誓約だけだ。

 タカオは、「行かなければならない」と言う感情に苦しんでいた。

 




最後までお読み頂きまして有難うございます、竜華零です。

最近、群像よりも紀沙よりもタカオ編描いてる方が楽しいです(え)
よくよく考えてみたら、タカオさんって主人公属性ですよね。
原作では撃沈されたが故にああなってしまいましたが(おい)

と言う訳で、ロシア編です。
流石に禁書みたいなハードな内容にはならないと思いますが、さてどうしようかな。
それでは、また次回。

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