ここのところ、北が屋敷に戻るのはいつも日が変わってからだった。
官邸を辞し、車に乗り込んで時間を確認すれば深夜になっていた、と言うこともざらだった。
そしてこの日も、北が屋敷への帰路についたのは深夜0時を回ってからだった。
日が暮れたと言うより、もうすぐ日が昇りそうと言った方が良い時間だ。
「やってくれ」
「はい」
官邸を辞し、秘書官達に見送られながら出発する。
仰々しいことだが、それ以上はついて来ない。
与党幹事長の任にもなれば護衛でもつきそうなものだが、北はそう言うものを好まなかった。
出来れば運転も自分でしたいところだが、流石に自重していた。
年齢も年齢だ。
あまり無理をしない方が良いと人は言うが、北自身は年齢による衰えを実感したことは無い。
むしろ日々の激務に没頭すればする程、肉体は充実し力強さを増しているように感じる。
それよりも、こうして何もしない時間の方が疲れを感じるのだった。
じっとしていると、身体が鉛でも背負ったかのように重く感じられる。
「…………」
後ろへと流れていく景色を何とは無しに見つめながら、北は息を吐いた。
やはり、こうして何もせずにいると、普段は感じない疲労を自覚してしまう。
紀沙がいた頃は少なくとも会話があったので、そう言うことを感じずに済んでいた。
今は、屋敷も少し広く感じる。
車はすぐに海岸沿いへと差し掛かり、北の視界には横須賀の海が広がった。
海だけは変わらずそこにあって、少し向こうには、人類が海からの脅威から身を守るために築いた巨大な壁がある。
あんなもの、霧の前には大した意味が無いと誰もが知っていた。
それでも作らずにはいられなかったところに、人の弱さがある。
『翔像大佐が人類をただ裏切ったとは、どうしても信じられません』
考えていたのは、楓首相との会話だった。
千早翔像についてである。
実を言えば、北と翔像の付き合いは長い。
翔像もそうだが、北も元軍人だったのだから接点があっても不思議では無い。
接点があるどころか、20年来の付き合いだった。
翔像の出奔が無ければ、付き合いはもっと長いものになっていただろう。
それだけの深い付き合いだったからこそ、北も楓首相と同じように思うのだ。
翔像は人類を、日本をただ裏切るような男では無い、と。
(思えば、奴の才覚はずば抜けていた)
誰よりも自分に厳しく、それでいて誰よりも他人に優しい男だった。
座学、軍務、同世代はおろか上の世代よりも優秀な成績と実績を残しながら驕ることなく、上に敬意を払い下の者とも分け隔てなく付き合った。
翔像と共に仕事をした者は、決まって彼のことを気に入った。
この男のためならばと誰もが思うような、そんな不思議な魅力を持った男だった。
(かく言うわしもそうだった)
翔像のことを誰よりも買っていて、自分の後を引き継がせるなら彼だと思っていた。
ネクタイの結び目を撫でながら、北は目を閉じた。
瞼の向こうには何も無い。
車の走行音と微かな振動を感じながら、北は瞼の向こう側にかつての光景を思い浮かべていた……。
◆ ◆ ◆
――――北が千早翔像と出会ったのは、20年ほど前のことになる。
当時はまだ統制軍と言うものは存在せず、自衛隊と言う名前だった。
北は護衛艦乗りとして、数々の遠洋航海任務に従事する毎日だった。
任務の間に培われた国際感覚や人脈は、現在でも北の助けになっている。
「北君、紹介しよう。今度キミの対潜部署に入ってもらうことになった……」
「千早三尉であります、よろしくお願いします」
ある日のことだった。
ちょうど北が護衛艦『あさひ』の対潜部署の責任者をやっていた頃、北の部下としてやって来たのが最初だった。
だった。
日本に帰港したのに合わせての異動で、半端な時期に来たものだと思ったことを良く覚えている。
幹部候補生学校を出たばかりの若い士官らしく、溌剌とした印象の好青年だった。
今からではあまり想像できないが、当時の北は自分の職務を厳格に果たしていたが、部下にものを教えるというのは上手くなかった。
厳格過ぎるが故に、特に若い部下がついて来られなかったのである。
北自身が優秀過ぎたことも、一因ではあっただろう。
しかし翔像は、そんな北の下で十分に働くことが出来る稀有な人材だった。
(なかなか骨のある奴だ)
何度か航海を共にして、そう確信した。
実直で下手な誤魔化しをせず、同じ失敗は二度繰り返さず、気配りも出来てしかもそれが賢しげでは無い。
近年稀に見る逸材だと、そう思った。
そして、その内に親しみさえ覚えるようになっていった。
「ほう、千早君は結婚していたのか」
「はい。まだ新婚ですが」
翔像の妻――沙保里のことを知ったのも、この頃のことだ。
遠洋航海中――西太平洋での合同軍事演習の帰路――に、写真を見せてもらったのだ。
沙保里が惚れ惚れするような笑顔で映っていて、顔を紅くしながら写真に収まっている翔像の腕に自分の腕を絡めていた。
それを見せてもらった時は、何とも微笑ましい気分になったものだ。
その後も共に仕事を続ける中で、1年が過ぎ2年が過ぎていく。
北はいつしか、節目節目に翔像が見せてくれる写真が楽しみになっていた。
自分に妻子がいない分、翔像の家庭の様子を垣間見ることに楽しみを感じていたのかもしれない。
そうしていく中で、ついにその日がやって来た。
「なに、名前だと?」
「はい。医者の話では予定日は来年の夏ってことで」
翔像の妻・沙保里が、妊娠したのだ。
翔像は嬉しそうで照れくさそうで、北も温かな気持ちになった。
この時には翔像はすでに異動していたが、付き合いは続いていた。
こう言う日常の喜びは、日々の激務に疲れた身体と心にじわりと染み込んでくる。
「まだ男か女かわからない内に気が早いんですが、名前を考えないといけなくて。男の子の名前は妻が考えるんですが、女の子の名前なんてさっぱりで。北さんなら何か良い名前を知らないかなと」
「女子の名前と言われてもな……」
興味の無いふりをしつつ、北はこの後しばらく子供の命名関係の書物を読み漁ることになる。
その後、彼の考えた名前が採用されたかは、北と翔像の2人しか知らないことだ。
しかし、そんな穏やかな日々も長くは続かなかった。
おりしも世界は、謎の「幽霊船」の出没に揺れていた時期だ、そう。
――――<大海戦>である。
◆ ◆ ◆
翔像は同世代の中でメキメキと頭角を現し、この時期にはすでに護衛艦の艦長にまでなっていた。
ただ艦長としての初陣が後に<大海戦>と呼ばれる戦いであったことは、彼にとっては不幸だったし、また彼の人生においても重大な意味を持つことになる。
それこそ、世界を変えるほどに重大な意味を。
あの<大海戦>の人類側の損害は、今でもはっきりとはわかっていない。
わかっていることは、60万人に及ぶ死傷者が出たと言うことだ。
その中で生き残っただけでも、十分に奇跡と言える。
翔像は、初陣にしてその地獄を生き延びたのだ。
「何ということだ……」
そしてそれは、陸自艦『あきつ丸』艦長といて海戦に参加していた北にも言えることだった。
しかし戦後の目も背けたくなるような光景は、北をして茫然自失とさせる程だった。
日本艦隊は後方支援を主任務にしていたが、前衛艦隊が予想を遥かに上回る速さで崩壊したため、なし崩し的に「幽霊船」艦隊との戦いに巻き込まれていったのだ。
敵はまさに竹を割るような、破竹の勢いで進んだ。
各国の主力艦隊を集結させた人類の連合艦隊が、成す術なく断ち割られたのである。
人類史上最大にして最強と称された艦隊は、「幽霊船」の人智を超えた力の前には全く無意味だった。
北の『あきつ丸』もまた、戦闘能力の半分を失って戦線を離脱せざるを得なかった。
「しかし艦長、この混乱した戦況では離脱こそ至難の技です!」
「わかっている。だがここを突破しなければ……ぬおっ!?」
<霧>。
霧と共に現れた幽霊船達は、この海戦の後にそう呼ばれるようになった。
まるで亡霊に動かされているかのような無人の艦艇、そして考えが無いかのような直進。
人類側の攻撃が効かないことを良いことに、
戦略も戦術も無い、純粋な力だけで殴られているような印象を受けた。
「ぐお……。っ、楓! しっかりしろ!?」
そして、超至近距離で砲撃してくる。
中には体当たりで割られる艦もあるが、『あきつ丸』は前者だった。
艦橋を抉ったその一撃は指揮所を粉砕し、北自身の意識も一瞬途絶えた。
霧が立ち込める海の最中、瓦礫を押しのけて負傷した副長――楓を助け起こす。
楓はすでに気を失っていたが、鉄骨に身体の半分を押し潰されていた。
「……ここまでか」
そこかしこから部下の呻き声が聞こえる中、むき出しの艦橋には霧混じりの海風が吹き込んで来ていた。
潮と鉄と油の匂いが、鼻につく。
そしてその先には、艦名も知らない<霧>がいた。
艦体に不可思議な輝きを纏いながら、無人の野を進むが如く直進してくる。
「艦長、友軍が!」
「なに?」
その時、敵艦の気を引くように戦場の只中へと飛び込んでいく艦があった。
護衛艦『あさひ』――翔像の艦だった。
「千早か!? 何を!」
この状況下で止める方法などあるはずも無い。
しかも『あさひ』は、どう言うわけか、進むべき航路がわかっているかのように、砲撃を掻い潜りながら進んでいた。
千早、と呟く北の目の前で、『あさひ』は敵艦隊の中へと消えていった。
次に『あさひ』が出てきた時、そこには……。
◆ ◆ ◆
千早翔像の名は、全世界に鳴り響いた。
それはまさに雷名轟くと言った風で、世界の海軍関係者は一様に翔像と接触を持ちたいと考えるようになった。
最も、それは霧による海洋封鎖が完成してからは極めて難しくなった。
「千早!」
そして<大海戦>から、つまり人類が制海権を失ってから7年後、世界は一変していた。
制海権を失った人類は急速に衰退しており、海洋には霧の艦艇が跋扈していた。
これを打破せんともがく人類――日本政府は、ついに禁じ手を行うことを決めた。
それを提案したのが翔像だと聞いた時、北は一も二も無く翔像の下に駆けつけた。
「北さん、ご無沙汰してます」
<大海戦>における人類側の
それを行う人材は、イ401を鹵獲した翔像本人以外には存在しなかった。
北はすでに海上自衛隊――海軍を退役して政治家に転身していたが、この頃にはすでに大きな影響力を持つようになっていた。
一方で、翔像。
彼はイ401の鹵獲以後、英雄として祭り上げられていた。
階級はすでに大佐となっていて、このイ401航海任務が成功すれば将官になるのは目に見えていた。
ただ、翔像は7年前とはまるで別人になっていた。
「……痩せたな、千早」
「北さんも、あまり無理はされない方が良いですよ。軍でも北さんのご活躍は良く聞きます」
頬がこけ、目には力が無く、身体もどこか細くなっていた。
あの勇敢な海兵の姿は陰を潜めて、疲れ切った老兵のような男がそこにいた。
英雄、人類の唯一の希望――そんな風に言われ続けて、疲れてしまったのだろう。
だが、身体の衰えはまだ良かったのかもしれない。
「ご家族はどうしている? 何か困っていることがあれば」
「ありがとうございます。でも大丈夫です、不自由はしていません」
「……そうか。いや、そうだな」
翔像自身と家族の生活は、日本政府が保証していた。
だから健康と言う意味では万全で、翔像が痩せてしまっているのは別の事情からだった。
周囲の期待と、重圧。
それがわかっているのにどうしてもやれない、北もまた苦しんでいた。
「千早、あまり抱え込むな」
「大丈夫です、北さん。これはオレがやるべきことなんです」
「しかしな」
「北さん」
翔像が感じていたそれは、いったいどれだけの重さだったことか。
もっとやりようはあったのでは無いかと、現在に至るまで北は後悔していた。
「北さんは、ご自分の先祖が何をしていたとか聞いたことはありますか?」
「……? 我が家は代々軍人の家系だが」
「そうですか、北さんらしい。きっと、立派な人達だったのでしょうね」
「千早?」
「……オレの家は、そうでも無かったみたいです」
それが最後の会話だったのだが、当時の北はあまり良くわかっていなかった。
疲れているのだろうと、ストレスに倦んでいるのだろうと、慰めるばかりだった。
あの時の翔像が何を考えていたのかは、今でもわからない。
最後まで理解してやれなかったのだろうと、後にそう思うようになった。
ただひとつわかっていることは、航海から翔像は帰って来なかったと言うことだ。
帰って来たのは、無人のイ401と。
もう一隻のイ号潜水艦、イ404だった。
――――そう、何故か一隻増えていたのである。
◆ ◆ ◆
翔像が去った後――最も、最初の時期は殉職扱いになっていた――北は、翔像の家族を気にかけていた。
罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。
この時期にはすでに北管区の保護下にあった翔像の妻、沙保里に会ったのもこの時期だった。
正直、会いに行くのには北をしてかなりの勇気が必要だったが、沙保里自身の爛漫な性格が幸いして、罪悪感は薄まった。
「お言葉ですけどね、北議員。私はあまり心配していないんです」
沙保里に直接会ったのは、これが始めてだった。
鳥類学者だと言うこの女性は、なるほど翔像が伴侶に選ぶだけあって肝の太い女性だった。
とても未亡人には見えず、まして政府に軟禁されているようには見えなかった。
流石に翔像が横須賀に残された子供達のことは心配していたが、北も放っておくつもりは無いことを伝えると、幾分か安堵した様子だった。
「皆はあの人が死んだって言うけれど。不思議ですよね、ピンと来ないんですよ」
印象的だったのは、沙保里が翔像のことについてほとんど心配していなかったことだ。
悲哀から来る現実逃避と言うわけでは無いことは、沙保里の目を見ていればわかった。
そしてそれは、北の考えと全く一致するところだった。
北は、翔像が最後に言っていた「先祖」と言う言葉が気になっていた。
そのことについて沙保里に尋ねてみると、彼女も良くわからないとのことだった。
ただ学者家系だと言う沙保里の実家――沙保里の旧性は出雲と言う――で、曾祖父が奇妙な研究をしていたことを話してくれた。
「奇妙な研究?」
「私は会ったことが無いんです。
「海の何か……」
「ドイツに赴任するまで、そんな研究なんて何もしていなかったのに不思議だったと祖母が首を傾げていました。100年以上前の戦争のごたごたで行方不明になって、もう会うこともできなかったと」
100年前と言えば、旧大戦の時代である。
沙保里の他の家族も全員がすでに他界していて、話を聞くことはできなかった。
……今にして思えば、それも不自然なことだったのかもしれない。
「その御仁の名前を聞いても宜しいか?」
「ええと、何だったか……カオル。そう、出雲薫。自衛隊……あ、今は統制軍? よりもずっと前の、旧帝国陸軍の軍人だったそうです」
「出雲、薫。帝国陸軍の軍人か」
陸なのに海の研究なんておかしいですよね、と、沙保里は言った。
今さら調べることも出来ないだろう古い名前に、しかし北は関心を持った。
まるで言霊か何かのように、耳から、頭から離れなかったのだ。
この疑念とも呼べない小さな引っ掛かりは、後々まで北の中でしこりとなって残ることになった。
それから北は、翔像が横須賀に残した2人の子供達を陰ながら見守ることにした。
自分に出来ることはそれくらいだと、そう思っていた。
2人が「英雄の子供」と政治に利用されないよう、関係者を宥め、
そして、あの日を迎える。
第四施設焼失事件、運命のその日を。
◆ ◆ ◆
第四施設炎上。
その報を聞いた時、北は自ら車を駆ってすぐに駆けつけた。
だからといって軽々に動けるわけでも無く、現場に入ることが出来たのは完全に鎮火した後のことだった。
翔像の子らに何かあれば、彼に顔向けできない――この時すでに、翔像の生存が確認されていた――と思っていた。
そして、そこで北は不思議な体験をすることになる。
「……歌?」
歌――子守唄が、聞こえて来た。
防火対策がされていたはずの、しかし完全に焼失してしまっている第四施設の跡地を歩いている時、聞こえて来たのだ。
規制されて他に誰もいないような場所で聞こえるには、穏やかに過ぎる唄声。
聞こえるはずの無い声に足を速めると、瓦礫が山と積もっている場所に出た。
「ああ、やっと来てくれた」
そこに、女生徒がいた。
長い髪の可憐な少女で、海洋技術総合学院の制服を着ていた。
生存者かと思ったが、その少女が瓦礫の頂に座っていて、しかもその瓦礫がドーム状に固定されていることに気付いて足が止まった。
偶然に積み重なったというわけでは無いことは、見ればわかった。
明らかに何らかの力によって瓦礫が固定されて、その下にいる少女を他の災厄から守っていた。
守られている少女は、北の探していた少女だった。
「このまま、誰も迎えにきてくれないのかと思った」
瓦礫の上にいる少女の周囲には、白く輝く粒子のようなものが舞っていた。
あの輝きを、北は良く知っていた。
かの<大海戦>の折、霧との戦いの最中で見たことがある。
それを思い出した北は、懐から拳銃を取り出し、瓦礫の少女に向けた。
「お前は何者だ」
「私は――――……コトノ。そう、コトノ」
少女は、哀しげな顔で自分のことをコトノと呼んだ。
それから、自分の下で眠っている少女へと視線を落として。
「北良寛議員、貴方が良い人だと見込んでお願いがあります」
北はコトノと会ったことは無い。
しかしコトノは、北のことを知っていた。
その両の瞳が、白く不規則に輝いている。
不思議と、目を逸らすことが出来なかった。
「今から2年後、この子は
「何を言っている」
「今のままじゃ、私達は古い
「何を言っているんだ、お前は!」
「それまでは、
いよいよ引金に指をかけたその時、強い風が吹いた。
うっ、と目を閉じ、開けた時には、コトノの姿は消えていた。
『それまで、この子を守ってあげてください』
その途端、瓦礫が崩れ始めた。
あっと叫んで、北は拳銃を手放して駆け出した。
瓦礫のドームの中に迷わず飛び込み、少女――紀沙を抱えて飛び出した。
いかに元軍人とは言え、すでに老齢の北には厳しい動きだ。
それでも彼は、崩れる瓦礫の中から紀沙を救うことに成功したのだった。
『私達は霧。あなた達が造り、あなた達を守り、あなた達を封じることを契約した存在』
この時の北にはわからなかったが、後にして思えば、これが
『それを、きっと
◆ ◆ ◆
……――――目を開けると、車はすでに湾岸を走っていた。
ここまで来れば屋敷までもう少しだ。
年を取ったせいかな、と、少し自嘲めいたことを考えた。
最近、良く昔のことを思い出すのだ。
(なぁ、千早よ。我らはいったい、どんな世界を子供達に残せるのだろうな)
与党の幹事長だとか首相候補だとか、大物議員だとか先生だとか呼ばれることには何の価値も無い。
要は何を成し、次の世代に何を残したかなのだ。
楓首相が過去3年間に比べて活発になった理由も、ようやく次の世代に何かしてやれると言う意気込みから来るものだ。
北の世代にとって霧とは侵略者であり、海は取り戻すべきものだ。
しかし子供達にとって、この17年間しか知らない者にとって、霧は最初からいて当たり前のもので、海は最初から近くて遠い存在だった。
アメリカのエリザベス大統領が水面下で進めているらしい霧との融和路線も、そう言う新しい世代の登場を見込んでのことだろう。
(そんな世代に、あえて戦えと言うのは酷なのかもしれん)
それは、後悔にも似た感情だったのかもしれない。
第四施設焼失事件の後、イ401の出奔の後に紀沙を引き取っておきながら軍人以外の道を用意できなかった。
そして、コトノと言う少女の言葉を知りながら海に出したことも。
これは運命だったのだと、自分に対して言い訳をしたこともあった。
兄である翔像がイ401で出奔し、呼応するように二隻目のイ号――イ404が起動したことも。
全ては逆らいようの無い流れなのだと、言い聞かせたこともあった。
仕方の無いことなのだ、と。
(あの娘が希望だと、そう言っていた)
だが、それで納得できるなら政治家などと言う選んだりはしない。
希望に縋って動かないような、そんな存在にはなりたくは無かった。
政治とは、何かを変えるための仕事なのだから。
「せめて、次の者達に少しはマシな世界を渡せれば良い……む?」
不意に、車が止まった。
湾岸の道路の途中でのことで、もちろん、まだ北の屋敷までは遠い。
動揺したりはしないが、何かあるのかを前を見るくらいはする。
そしてフロントガラスの向こう側に、誰かが立っていることに気付いた。
あのまま進んでいれば事故になっていただろう、運転手が止まった理由はわかった。
「あれは……」
問題は、誰がそこに立っているのかと言うことだった。
そして、北は見た。
そこに立っていたのは、人間離れした美しさを持つ少女だった。
栗色の髪の少女。
長い髪を海風にたなびかせて、こちらを、北をじっと見つめてきている。
見覚えがあった。
北はあの少女を知っていた。
かつて第四施設跡で会った。
あの少女は、確か……。
「 」
視界の端で、何かがキラリと輝いた気がした。
しかし北の言葉は、次の瞬間に巻き起こった爆発によって掻き消された。
人類が横須賀と外洋を隔てるために築いた壁、その向こう側から放たれた砲撃によって。
北の乗る車が、天板から撃ち抜かれて爆発したのだった。
『当たった?』
「ええ、当たったわ」
――――その一部始終を目の前で見つめていた少女、『ヤマト』コトノは、淡々と事実のみを告げた。
海風と爆風に揺れる横髪を押さえながら、もうもうと煙を上げる車
その表情は、哀しげだった。
それから、ゆっくりと歩き出した。
「ありがとうございます。この2年間、紀沙ちゃんを守ってくれて」
足元、横たわる腕に向けて。
「そして、ごめんなさい」
本当に哀しそうに、そう言った。
満天の星空だけが、すべてを目撃していた。
最後までお読み頂き有難うございます。
突然ですが、北さんのお話でした。
我ながら唐突感が半端無いですが、この人以外に翔像さんを語れる人がいなかったんや(え)
個人的には、この人は翔像の物語と群像の物語の間に位置する第三の主人公っぽいなと思っています。
それでは、また次回。