蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth057:「信頼」

「やりすぎた……?」

 

 

 ガラガラと何かが崩れ落ちる音が断続的に聞こえる中で、フューリアスの呟きが嫌に鮮明に聞こえた。

 ロンドンの一角、ストリートが一つ潰れてしまっていた。

 ただそれには関心が無いのだろう、折れかけの街灯の上に立った姿勢で、フューリアスはもうもうと白煙が立ち込めるストリートを見渡していた。

 

 

 やりすぎたと言うのは、攻撃の威力がいささか大き過ぎただろうか、と言う意味だ。

 確かに、コンクリートの地面にクレーターが出来てしまう程の威力は凄まじいの一言だ。

 フューリアスは別に、スミノ達を殺そうとしたわけでは無い。

 ただ、ムサシの許可無くこの区画から出ようとする相手を止めようとしただけだ。

 

 

「出力調整をもう少し考えないといけませんね」

 

 

 フューリアスは海域強襲制圧艦に分類される大型艦艇で、コアの出力も霧の中で上の方に入る。

 ちなみに海域強襲制圧艦とは霧側が考案した呼称で、人類側で言うと航空母艦にあたる。

 艦体が無いのでイメージがしにくいが、要は滑走路を乗せた船舶で、海上で航空機を飛ばすことが出来る強力な軍艦だ。

 一時期、人類の海軍では空母の保有数で海戦の趨勢(すうせい)が決まった程である。

 

 

 ただ<大海戦>以後に霧が航空機の運用をやめたため()()母艦では無くなり、そのために別の呼称が必要になったと言うわけだ。

 これは航空機――いわゆる艦載機にはクラインフィールドが無いので、人類の対空砲火で多数の艦載機が撃墜されたためだ。

 艦載機の無い空母など張子の虎同然、とはならないのが、霧の艦艇の恐ろしいところだ。

 

 

「……いや」

 

 

 そんなフューリアスだが、すぐに考えを変えたようだった。

 自身の攻撃で巻き起こった白煙。

 それが晴れてくるにつれて、攻撃地点の様子が見えるようになった。

 クレーターの中央、そこにぽっかりと大きな穴が開いていることに気付いたのだ。

 

 

「地下か。そう言えば人類が対霧の防空壕や避難路をいくつも掘削していたんですね」

 

 

 対地攻撃は最小限と言うのが霧の方針だから、陸地に築かれた施設に関しては無頓着な傾向が強い。

 フューリアスもその例に漏れず、ロンドンの都市構造についてはあまり関心が無かった。

 何しろ海岸線に大都市が多いのはイギリスも他国も同じだ、都市ごと移動することも出来ない以上、地下に備えを築くのは、人類側にしてみればむしろ当然と言えた。

 最も、フューリアスはそんなことは考えず、即座に自分がすべてきことを判断した。

 

 

『デヴォンシャー、シュロップシャー』

 

 

 瞳が白く明滅し、部下扱いになっている2体の重巡洋艦に通信した。

 近くにはいるが、メンタルモデルの肉眼では目視できない。

 だが構わない、霧に距離など関係が無い。

 2体は重巡洋艦としては火力に劣るが、その分身軽だった。

 

 

『地下を探しなさい。隅々まで隈なく』

『デヴォンシャーは東を』

『西はシュロップシャーが』

『お願いね』

 

 

 それにしても、面倒だった。

 これが海上であれば駆逐艦を動員して人海戦術――霧海戦術とでも言うべきか――で捜索するのだが、陸地ではメンタルモデルで無ければ活動できない。

 しかも、人間のように2本の足を使ってだ。

 

 

「陸地で動ける艦体でもあれば良いのですけど」

 

 

 ナノマテリアルで造れないことは無いが、海から離れるとどうにも落ち着かない。

 やはり自分達はあくまでも軍艦なのだろうと、フューリアスはそう思っていた。

 そう言う意味では、陸地での活動も厭わないイ404やムサシの姿は、彼女にはどちらも同じように奇異に映るのかもしれなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一応、助けられた形になるのだろうか。

 しかし地下水路、足首までの高さの水が流れているばかりか、天井からはポタポタと水滴が落ちてきていて、しかもジメジメしている上に少々臭う。

 総合して考えると、礼を言う必要は無いように思えた。

 

 

「礼など必要ありません。艦長の命で無ければ助力などしなかった」

 

 

 つっけんどんとはまさにこのことか、2501は突き放すように言った。

 容貌が可憐な分、辛辣さがより強く感じられた。

 そして以前は命を取り合う関係だったはずの2501がどうして紀沙達を助けた――『フューリアス』達の攻撃に紛れて、地下に引っ張り込んだ――のか、今の言葉でわかった。

 

 

 ゾルダンだ。

 それもそのはず、2501が自分の判断で何かをすることは無い。

 ただ翔像の部下であるはずのゾルダンがどうして2501に紀沙達を助けさせたのかは、謎だ。

 翔像を神に等しい存在と思っている彼が、こんなことをする理由がわからない。

 

 

「スミノ、404は?」

「……すでに出航したよ。今こっちに向かわせて『404、こちらヒュウガだけど』ちょっと待ってくれるかい、艦長殿」

 

 

 イングランド沖に待機している『マツシマ』のヒュウガから、通信が来た。

 あちらからスミノに通信を入れてくるとは、かなり珍しい。

 と言うか、初めてのことでは無いだろうか。

 

 

『……何かなヒュウガ、こっちは割と忙しいんだけど』

『貴女の艦体の操艦権限を私に渡しなさいな』

『なんだって?』

『そっちでいろいろやりながらじゃ大変でしょ? こっちは暇だしね』

 

 

 確かに、あっちもこっちもではさしものスミノも大変ではある。

 演算力の節約と言う意味でも、ヒュウガに艦体を預けるのは有効に思えた。

 

 

『まぁ、じゃあお願いするよ。なる早でね』

『はいはい。……うふふ、お姉さまと同型艦……』

『……まぁ、頼むね』

 

 

 何か最後に不安になるような言葉を聞いた気がするが、ひとまず話はついた。

 大戦艦級の演算力を持つヒュウガだ、まず間違いは無いだろう。

 

 

「……お待たせ。そう時間はかからずに港まで来るよ」

「そう、わかった」

「話はまとまった?」

 

 

 紀沙が頷いたところで、2501が声をかけてきた。

 2501はどうやら上を気にしている様子で、少し急いでいるようだった。

 フューリアス達が追って来るのを警戒しているのだろう。

 紀沙達としても、こんな狭い場所で追いつかれるのは勘弁願いたかった。

 

 

「なら、早くこっちへ。外へ案内する」

「ちょっと待って。罠じゃないって保証は?」

「あるわけがないでしょう」

 

 

 きっぱりと言って、2501は歩き出した。

 それ以上は何も話すつもりは無いようで、すたすたと歩いていく。

 ……このまま置いて行かれる方が危険か。

 やむなくそう判断して、紀沙もその後に続いた。

 スミノも、肩を竦めてからついて行った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 地下水路には灯りらしい灯りが無く、真っ暗だった。

 それでも足を滑らせずに済んでいるのは、不思議と夜目が効くからだった。

 霧の瞳、あるいはナノマテリアルは、視覚以外の感覚で周囲を把握することが出来る。

 肌を撫でられるのと同じような感覚で、壁や天井を感じられると言えばわかりやすいだろうか。

 

 

「それにしても、まさかキミが助けてくれるとはね」

 

 

 しばらく歩いていると、暇だったのだろう、スミノが2501に声をかけていた。

 紀沙と2501の間で楽しい雑談が成立し得るはずも無いので、自然、会話のきっかけはスミノからになる。

 何と言っても、おしゃべりなのだ。

 

 

「いったいどう言う風の吹き回しなのかな、2501?」

 

 

 一方で、紀沙にとっては有難い面もあるかもしれない。

 何しろ、2501に話を聞いてくれるのだから。

 まさかとは思うが、スミノはそう言う紀沙の考えを察したのだろうか。

 

 

「……言ったはずです。我が艦長の命令だからです」

 

 

 そして性分なのか、あるいは話しかけられ続けるのも鬱陶しいからか、2501も無視はしなかった。

 無視しないからと言って快くしていると言うわけでは無いが、とにもかくにも返事はしていた。

 非常に、そう非常に嫌悪に満ちた声音ではあったが。

 

 

「なら、キミの艦長はどうしてそんな命令をしたのかな?」

「知りません。我が艦長には何か考えがあるのでしょう」

「ふーん。でもキミの艦長は千早翔像の部下なんだろう? こんなことをしたら不味いんじゃないのかい?」

「…………」

「……あ、もしかしてアレかな?」

「……?」

 

 

 手を合わせて、にんまりと笑いながらスミノが言った。

 

 

「愛とか言う、人間を時に不条理な行動に走らせるって感情なのかな?」

 

 

 メンタルモデルに感情は無い。

 あるように見えても、それは感情と言うプログラムに従った真似事に過ぎない。

 偽物だ。

 だから霧の言葉は総じて深い意味が無く、冷たい。

 

 

 紀沙のその認識は、概ね間違っていない。

 だからこそ、紀沙は驚愕した。

 今、2501から投げつけられている視線に、強い感情を感じたからだ。

 それは、害意の塊のような感情だった。

 

 

「繰り返すけれど。私は我が艦長が何を考えているのかはわかりません」

 

 

 殺意、言葉で表すのならばそれだろう。

 だが、それだけでは無いように紀沙には感じられた。

 殺意を衣に、その奥に何かが隠れている。

 複雑な感情が、そこにあるような気がした。

 

 

「でも我が艦長がアドミラル・チハヤを裏切ることは絶対にあり得ない。我が艦長はアドミラル・チハヤとムサシ様から教えを受けた、いわば緋色の艦隊の次の提督となるべき方なのだから」

「次の?」

「アドミラル・チハヤは近く今の地位を退かれる。だから「2501!」……っ」

 

 

 その時、水路の向こうに柔らかな灯りが差していることに気付いた。

 それはランタンの灯りで、薄暗い水路を温かく照らしていた。

 しかしその持ち主は険しい顔で2501を睨んでおり、それに気付いた2501は、泡を食った表情でその場に膝をついた。

 ばしゃっ、と、水の音がした。

 

 

「余計なことを言うな」

「は……はい、はいっ。も、申し訳ございません……!」

 

 

 声はまさに不機嫌そのもの、聞いているだけで謝ってしまいそうだった。

 一方で、それほど2501に意識を割くつもりは無かったのか、あるいは意図的にそうしているのか、男――ゾルダンは、ランタンを軽く持ち上げて紀沙の顔を覗き込んだ。

 そして、嘆息をひとつ零した。

 ゾルダン・スタークが、そこにいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 当然のことではあるが、ムサシはロンドンで起きていることのほとんどを掌握していた。

 ことロンドン内部のことであれば、政府庁舎の会議内容から昼下がりの主婦のお昼寝の時間までわかる。

 そんなムサシにとって、ゾルダンの行動は筒抜けも同然なのだった。

 最も、ゾルダンがその事実を知らないわけも無いのだが。

 

 

「憎たらしい程、優秀な子ね」

「ゾルダンには2501の『ゼーフント』の情報網がある、先んじたと言うことだろう」

「自分で判断して動けるように育てたのは、私達だったわね」

「指示を待つだけの男には、しなかったつもりだ」

 

 

 欧州大戦は、収束に向かっていた。

 イギリス、フランスが緋色の艦隊に屈したことで、スペイン・ポルトガルも矛を収めつつある。

 バルカン半島ではかの<騎士団>の進撃により、もはや戦争どころでは無い。

 唯一残されたドイツも、周囲を緋色の艦隊、<騎士団>、ロシアに囲まれていては何も出来ないだろう。

 

 

 足がけ4年続いたヨーロッパの戦争は、事実上終わったのだ。

 後はどこかのタイミングで話し合いの場を持ち、講和条約なりを結べば戦争は正式に終わる。

 緋色の艦隊と言う台風が、戦乱と言うヨーロッパのゴミを吹き飛ばしてしまった。

 間に合った。

 後は、()()()()()()()

 

 

「残る問題は、クリミアだな」

「黒海艦隊との連絡も途切れたし、ギリシャとトルコの陥落も時間の問題。地中海にまで出てこられると流石に厄介だから……ギリギリね、お父様」

「そうだな」

 

 

 翔像は紀沙にいろいろと話をしたが、その中には嘘と真実が含まれている。

 彼は本当に欧州を制するつもりだったし、人類は進歩――進化するべきだと考えている。

 これは真実だ。

 しかしその根っこの部分にある理由は、まだ語っていない。

 

 

 ふと、天井を見上げる翔像。

 その両の瞳が、明滅して輝いている。

 天井を見ているようだが、実際は別のものを視ている、そんな眼だった。

 それは未だ遠く、手の届かないもののように思える、だが。

 

 

「だが、間に合った」

 

 

 翔像とムサシは今や、ヨーロッパの王だ。

 イギリスもフランスも、緋色の艦隊の軍事力の前に沈黙している。

 だがそれはすすんでそうしていると言うよりは、翔像達の力の前に黙っているだけだ。

 対話でそれが出来れば、何よりだった。

 だが時間が無かった、対話で皆を(まと)め上げる時間が。

 

 

「行こうか、ムサシ」

「行くの、お父様?」

「ああ」

 

 

 ここまでに、10年もの時間がかかった。

 間に合った。

 間に合ったのだ。

 そして。

 

 

「これが、最後だ」

 

 

 すまないな。

 そう言う翔像に、ムサシは首を左右に振った。

 翔像が謝る必要など無かった。

 何故ならこれは、ムサシ自身が望んだことだったのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この時、大戦艦『ビスマルク』はイベリア半島北岸のビスケー湾にいた。

 空はどんよりと曇っているが、空気は不思議と乾燥していた。

 遠目に、フランス沿岸の陸地を望める海域だった。

 そこに『ビスマルク』は1隻でいて、波間に揺られて佇んでいた。

 

 

「<騎士団>がもうアテネにまで迫っているわね」

「黒海艦隊は……『セヴァストポリ』は、絶望的ね」

「アドミラル・チハヤは、ぎりぎりね」

 

 

 彼女達は待っていた。

 それは今に始まったことでは無く、文字通り生まれる前から待っていた。

 焦燥感に苛まれる日々だった。

 間に合わないのではないかと、焦りばかりが募る日々だった。

 

 

 『ビスマルク』自身がヨーロッパから動くことは出来なかった。

 いろいろな事情があったのだが、一番大きな理由は、彼女達が今いるこの海域から長く離れることが出来なかったためだ。

 このビスケー湾のフランス沿岸の海域は、他の誰にも渡すことが出来ない場所だった。

 

 

「ドイツとイタリアが連合してくれて良かった。ベルリン=ローマの防衛線が抜けない限り、<騎士団>はここまで来られない」

「いつかは抜かれるでしょうけれど、彼らがここまで来るまでは保つ。間に合ったわね」

「そう、間に合った。アドミラル・チハヤがいてくれなければあり得なかった」

「最初は彼こそが、と思ったのだけれど」

 

 

 彼女達の役割は、この場所へ――()()()()へ、()()()()の人物を連れて行くこと。

 ()()に、引き合わせること。

 あの<騎士団>が、()が辿り着くよりも先に。

 それを成すことが、『ビスマルク』の役割だった。

 

 

 役割。

 そう、一部のごく限られた艦艇には、この世に顕現した時からある役割を振られているものがある。

 総旗艦『ヤマト』や超戦艦『ムサシ』は、その典型だ。

 そしてこの『ビスマルク』もまた、その1隻である。

 

 

「そう言えばあそこは、イ号潜水艦にとっても聖地ね」

「ああ、そう言えばそうね。と言っても、今のイ号潜水艦では無いけれど」

 

 

 2人のビスマルクは、どこか遠い目をしながら会話をしていた。

 遠い昔を、思い出している目だった。

 今はもう無い何かを見つめ、振り返っている様子だった。

 

 

「グレーテル、ヨハネス……」

 

 

 それはきっと『ビスマルク』達にとって、きっとかけがえの無い何かなのだろう。

 

 

「もうすぐ、カオルがここに来るわ」

 

 

 さざ波の音だけが、『ビスマルク』の声を聞いていた。

 それは、とても寂しい光景のように思えるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 体調は最悪なままだったが、そうも言っていられなかった。

 ゾルダンには隠し切れていないだろうが、まさかスミノに抱えられながら移動するわけにもいかない。

 だから自分の足で歩いているのだが、体調の悪さは隠しようも無かった。

 

 

「どう言うつもりですか?」

「どう言うつもり、とは?」

 

 

 声に力が足りない。

 と言うより、発声するだけで胸の奥が熱い。

 それでも聞こえないわけでは無いので、ゾルダンは返事を返した。

 とり立てて、紀沙を気遣うような素振りは見せない。

 

 

「どうして私達を逃がそうとしてくれているんですか?」

「そうかな? もしかしたらこのまま消してしまうつもりなのかもしれないぞ」

「だったらわざわざ道案内なんてしないでしょう」

 

 

 やりにくい相手だ。

 互いの真後ろに2501とスミノがいると言うのもあるのだろうが、それでもゾルダン自身のやりにくさは相当のものだ。

 ベーリング海での一連の出来事で、それは嫌という程わかっている。

 

 

 本音を他人に悟らせないと言う意味では、群像に似ている。

 いや、どちらかと言えば翔像に似ていると言うべきか。

 そして先程も2501が言っていたが、ゾルダンは翔像に対して強い忠誠心を持っている。

 何となく、群像が翔像と一緒に出奔していたらこんな風だろうと思った。

 言ってしまえば、ゾルダンはもうひとりの群像と言えるのかもしれなかった。

 

 

「……そんな目で見られてもな」

 

 

 紀沙がじっと見つめていると、ゾルダンが不意に相好を崩した。

 どんな目で見つめていたのか、気になるところだった。

 

 

「ただ、あの人が本当にキミを消そうとするとは思えなかった。だから『フューリアス』達にそのままやらせるわけにはいかなかった。それだけだ」

「……貴方は」

 

 

 聞いてみたくなって、聞いてみた。

 

 

「父さんの……緋色の艦隊の目的を知っていて、従っているんですか」

「キミがあの人に何を聞かされたのかは、実のところ、私にはわからない」

 

 

 ただ、と、無視すること無くゾルダンは答えた。

 

 

「ただ私が知る限り、少なくとも俗物的な目的で動くような人では無い。私はそう信じているよ……キミもそうだろう」

「それは、そう……ですけど」

 

 

 何だか誤魔化されたような気がして、紀沙はすっきりしなかった。

 まぁ、冷静に考えてゾルダンがあれこれ紀沙に教えてくれるはずも無いので、当たり前と言えば当たり前だった。

 ただ、不思議と胸にすとんと落ちてくる言葉だった。

 何故ならば結局、紀沙は翔像のことを信じたかったのだから。

 

 

(……と、言うような顔をしているな)

 

 

 紀沙は、自分で思っている以上に弱っている。

 本人は気付いていない様子だが、歩く速度も遅くなっている。

 だから、考えていることもすぐに顔に出る。

 紀沙のことを横目に見つつ、同時にゾルダンは冷静に自分のことを見つめてもいた。

 

 

 確かに紀沙の言う通り、ゾルダンが紀沙を助ける理由は無い。

 むしろ翔像に対する造反とも受け取られかねないわけで、メリットに比べてリスクが大きい。

 それでも紀沙を『フューリアス』達から救ったのは、先ほど言った言葉――翔像がそれを望むはずが無い――もあるが、何よりもゾルダンが翔像のことを信じたいと言うのがあったのかもしれない。

 出会ったあの日から、ゾルダンもまた翔像のことを信じ続けているのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 もう、2年の前のことになるか。

 ゾルダンが初めて翔像と、そして『ムサシ』と出会ったのは。

 当時のゾルダンは一介のドイツ人傭兵として古参の存在ではあったが、海戦の経験などまるで無い若造に過ぎなかった。

 

 

『その()はもう、貴方のものよ』

 

 

 その時にはもう、自分の隣には()()()()()()()

 初めて会ったキール港のほとりで、ゾルダンは超戦艦『ムサシ』の威容に圧倒されていた。

 そしてメンタルモデルと言う存在と、その美しさと凶悪さを知った。

 敬虔なキリスト教福音主義(プロテスタント)の家に生まれたゾルダンが、神性を見出す程だった。

 

 

『『レーベレヒト・マース』がそう望み、あの子が望んだ結果がその娘よ。だとしたらその娘の今後について、貴方にこそ責任があるはずでしょう』

『…………』

『捨てようとしても追いかけてくる。過去とはそう言うものでしょう?』

 

 

 あの時、ゾルダンは何もかもを投げ出そうとしていた。

 2501についても、そうだ。

 海辺の戦災孤児の施設にいた少女――()()()少女を連れて、霧の艦艇の出没情報がある場所を虱潰(しらみつぶ)しに歩く日々を送っていた。

 

 

 しかし他ならぬ霧によって、それは否定された。

 逃げるなと、そう諭された。

 どうせ投げ出す覚悟があるのなら、その覚悟を別のことに使えと。

 人類には、自分達にはそんな暇も余裕も無いのだからと。

 

 

『お前には、他の人間には無い才能がある。その才能の使い方は教えられるが、どう使うかはお前次第だ』

 

 

 そして、千早翔像。

 ゾルダンのその後を決定付けた存在。

 ゾルダンは翔像に海戦のいろはを教わった。

 霧の運用の仕方、基礎は全て翔像が教えたものだ。

 

 

『お前は、どこか似ているな』

 

 

 折に触れて、翔像はそう言っていた。

 誰に似ているのか当初はわからなかったが、2年も経つ頃にはわかった。

 翔像には日本に残してきた子供がいて、ゾルダンの面影に故郷の子供達を見ていたのだ。

 それはまぁ可愛く無い子供なのだなと思ったが、存外、外れていなかったように思う。

 

 

 そうやって、2年を過ごして来た。

 2501、そしてそのクルー達と過ごして来た2年は、それまでの十数年と比べて遥かに眩かった。

 そんな時間を与えてくれた翔像とムサシを、ゾルダンは心から敬愛していた。

 だからこそ、ゾルダンは――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 だからこそゾルダンは、紀沙を助けるようなことをするのだろう。

 それは紀沙に恩を売ると言うよりは、半ば翔像の考えをトレースした結果だと思えた。

 翔像はきっと、子供達を海に放とうとするだろう。

 それは、父親が子供を公園で遊ばせるような感覚に似ていた。

 

 

「ロリアンに行け」

 

 

 地下水路を出ると、ロンドン郊外の海辺に程近い場所に出た。

 出口に近付くにつれて道は狭まり、最後は這うようにして外に出た。

 そのため衣服が土で汚れてしまい、パンパンとはたかなければならなかった。

 ゾルダンの言葉は、そんな時に飛び出したものだった。

 

 

 ロリアン。

 「行け」と言うからには場所なのだろう、土地なのか建物なのかはわからない。

 ただ、妙に耳に残る名前だった。

 2501が物言いたげな顔をしていたが、ゾルダンはそちらはあえて気にしないようにしているようだった。

 

 

「ロ……」

 

 

 もう少し話を聞こうと、そう思った時だった。

 空気を震わせる独特の音が、何度となく繰り返し響き渡った。

 汽笛の音だ。

 振り向けば、そこには湾がある。

 

 

 かつてのロンドンには湾は無かったが、海面上昇によりロンドン近郊にまで湾は広がっていて、浅瀬ながら海が広がっている。

 横須賀と違い壁が築かれていないのは、日本以上に資源が切迫しているからだろう。

 最も、横須賀の壁もあまり意味のあるものでは無かったが。

 

 

「……何か、懐かしいものが見えるね」

 

 

 懐かしいなどと言うものでは無く、それはスミノ自身の艦体だった。

 ぶっちゃけ、イ404である。

 湾内に浮上しているのは、紀沙を迎えに来たから……と言うわけでは、どうやら無いようだった。

 何しろ、すぐ近くに緋色の大きな艦の姿があったからだ。

 

 

「艦長殿、ヒュウガからメッセージが来ているけど聞くかい?」

「……なに?」

「『つかまっちゃった♪』だって。今度撃沈してやろうかな」

 

 

 その時は、止める自信が無かった。

 つまりイ404はヒュウガの操艦でここまで来たわけでは無く、緋色の艦隊に捕捉されて連れて来られたと言った方が正しいのだろう。

 まぁ、考えてみれば狭い湾を抜けるわけだから、見つからない方が困難ではある。

 いや、そうだとしてもやはりこれは無しだった。

 

 

「これはゾルダン・スターク殿。こんなところでいったい何をしておいでで?」

「……右に行って、『デヴォンシャー』」

「左に回りこんで、『シュロップシャー』」

 

 

 そして追跡してきたのだろう、『フューリアス』達がどこからともなく姿を現してきた。

 紀沙達を正三角形の真ん中に囲うようにして立っている。

 取り囲まれた。

 湾内の緋色の艦隊の所属艦は、今も汽笛を鳴らし続けている。

 

 

「ゾルダン・スターク殿、我々はそちらの方々に用があります。無論、引き渡して頂けますでしょうね?」

 

 

 汽笛が聞こえる。

 それに伴い自分の心拍数が上昇していくことを感じて、紀沙は一旦、目立つことを覚悟で大きく息を吐いた。

 この状況、なかなかに危機的ではある。

 

 

 ただ不思議なことに、ゾルダンが選んだのは沈黙だった。

 じろりと周囲のメンタルモデルを睨む、その視線にはどこか嫌悪感があるように見えた。

 少なくとも、仲間に紀沙を引き渡そうという人間がする目つきでは無かった。

 一瞬、本当にゾルダンと彼女達は仲間なのだろうかと思ってしまった。

 

 

「彼女は――――……」

 

 

 ゾルダンが何かを言おうとした時、『フューリアス』達の方に変化が起こった。

 3人ともに表情を消して、同じ方角を向いたのだ。

 そちらから視線を外すことが無く、こちらを見ない。

 その挙動はまさに人形めいていて、不気味だった。

 

 

「おや」

 

 

 一方で、スミノは愉快そうな声を上げていた。

 いつものニヤニヤした薄ら笑いを浮かべているあたり、彼女にとって何か面白いことがあったのだろう。

 こう言う場合、スミノはこちらから聞かない限り内容を教えてはくれない。

 紀沙はそのことを良く知っている、それこそ誰よりも良く知っている。

 ……ただ、何となくわかる気がしたのだ。

 

 

「来たか」

 

 

 2501に囁かれたのか――こちらは本当に艦長に従順なことだ、別に羨ましくは無いが――ゾルダンが、ニヤリとした笑みを口元に浮かべてそう言った。

 誰が来たのか、紀沙には何となくわかるような気がした。

 彼が、ここに来たのだ。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

ロンドン編もそろそろ佳境と言うことで、さてどうしようかなと。
ひとつわかることは、ロンドン市民大迷惑(え)

それでは、また次回。

ところで、海域強襲制圧艦『カガ』を登場させたいのですが(え)


なおリアルの都合により、来週の投稿はお休みとさせて頂きます。
次回の投稿は2週間後となりますので、宜しくお願いします。

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