蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth005:「再会」

 ――――子供達。

 子供達が、広いリビングで遊んでいた。

 小さな男の子と女の子で、男の子は何やらダンボールの船のような物を被って駆け回っていて、女の子はぬいぐるみを持ったままそれを追いかけていた。

 

 

『きゅーそくせんこー! ごごごごー』

『ごごご~』

 

 

 男の子が何やらしゃがみ込むと、女の子も合わせてしゃがむ。

 何やらそれを繰り返していて、何が楽しいのか、きゃっきゃっと笑い転げていた。

 どうやら、2人は兄妹のようだった。

 潜水艦ごっこでもしているのだろうか、ぐるぐると駆け回り、逆方向に走ったかと思うと、抱き合うように正面からぶつかって笑い合っていた。

 

 

『…………』

 

 

 そんな2人に、声をかける者がいた。

 子供達は声の主を本当に慕っているのだろう、嬉しそうな顔で手を挙げていた。

 

 

『うん! おれ、とーさんみたいなかんちょーになる!』

『おにーちゃんずるい、わたしもなるー!』

『だめだよ、かんちょーはひとりなんだから』

『えぅー……』

 

 

 涙ぐみ始めた女の子、男の子があわあわと慌て始めた。

 先程の声の主が苦笑している雰囲気がある、そしてまた何かを言ったようだ。

 男の子は破顔して、女の子に何やら話しかけた。

 

 

 それを聞いて、ぐしぐしと目を擦りながら女の子が顔を上げた。

 何やらまだ不満そうだったが、男の子が重ねて何かを言うと、納得したのか笑顔で頷いた。

 気を取り直して、また男の子が駆け出す。

 女の子も、再び男の子の後を追って駆け出した。

 

 

『…………』

 

 

 そして、それを見守ってくれる温かな視線。

 今はもう無い、かつての光景。

 あれはいったい、いつのことだったのか、そして。

 あの時、男の子(あに)女の子(いもうと)に何と言ったのだろうか――――?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 鹿島宇宙センター対岸・旧熊本市街。

 海側から艦艇が入港してくるなんて、いつ以来のことだろうか?

 かつては県内随一の規模を誇っていた港も、今となっては――最も、一部以外の港湾はどこも似たようなものだが――ほとんど廃墟と化している。

 

 

 それでも長崎を首都とする南管区では、大きな人口を抱えている都市圏であることには変わりが無い。

 太陽光発電や風力発電関連の設備に使用に耐え得るコンテナ群、そして水没から免れた建物の上層部にはちらほらと人が居住している痕跡(バラック)が見える。

 しかしそれらも、港の跡地に接岸した2隻の潜水艦に比べれば大したインパクトは無い。

 

 

「待って下さい、艦長! いったいどちらへ!?」

「すみません、恋さん。ちょっとの間お願いします!」

 

 

 その内の1隻、イ404。

 灰色の艦体を惜しげもなく陽光に晒して、静かに佇んでいる。

 一方で艦の静けさとは裏腹に、けたたましくハッチが開かれたかと思うと、1人の少女が飛び出してきた。

 彼女は灰色の粒子と共に形成された橋の上を駆けて、一目散に地上を目指した。

 

 

 その視線の先にはもう1隻の潜水艦、ほど近い岩壁に接舷したイ401の姿がある。

 駆け出した少女、紀沙の目には、もはやそれしか見えていないようだった。

 遠ざかっていく小さな背中に、恋は一重の瞼を揉みながら溜息を吐いた。

 

 

「良いのかい、こんな所まで追いかけてきて」

 

 

 その隣に、スミノが姿を現す。

 灰色の粒子が人の形に寄り集まる様子は、彼女が人間では無いことを改めて認識させられた。

 

 

「キミ達は、命令が無い限り勝手に動けないんじゃなかったのかな?」

「……鹿島の打ち上げが成功した以上、私達は次の命令があるまでは待機の状態です。一方で、イ401は重要監視対象。一応、発見次第、可能な方法で観測するよう海軍全体に発令されています」

「ふーん。じゃあ、一応は命令の範疇(はんちゅう)なわけだ」

「ええ、()()は」

 

 

 恋の言葉に、スミノはわかったようなわかっていないような、そんな顔をした。

 まぁ、彼女にとっては細かなことはどうでも良かったのかもしれない。

 それでも聞いたのは、興味があったからなのだろう。

 

 

 紀沙の背中をじっと見つめていたスミノは、ふとその視線を外した。

 それは紀沙が駆けて行く先、つまりは自分と同じようにこの港に投錨(とうびょう)した霧の艦艇へと向けられた。

 そして、思う。

 久しぶりに、そう、2年ぶりに見る()()()の姿に目を細めながら。

 

 

「……401、か」

 

 

 自分にとっては()に当たるが、さほど何かを感じることは無い。

 しかし己が主人、紀沙はそうでは無いらしい。

 嗚呼、あんなにも()を求めて走っている。

 この違いは、いったいどこから来るのだろうか?

 スミノは、それを知りたいのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 頭上からは、スミノと恋が何かを話し合っている声が聞こえる。

 それを耳にしながら、ハッチへと通じる梯子の横で冬馬が肩を竦めた。

 そして、不意に話しかけ始める。

 

 

「別にそんな監視なんてしなくても、何もしやしねぇよ」

「…………」

 

 

 それは、物陰から冬馬のことを静かに見つめている人物に対しての言葉だった。

 相手も特に隠れようとはしていなかったのか、話しかけられると素直に姿を見せた。

 静菜だ、数歩身を晒すと足を止めたので、左眼の下までを覆う前髪がさらりと流れた。

 露になっている藍色の右眼が、静かに冬馬のことを見つめていた。

 

 

「……反対しなかったのか」

「反対? おいおい、しがないソナー手が艦長ちゃんの決定に反対なんて出来るわけねーだろ」

「貴方がそんな謙虚な人間とは思わなかったな」

「お前だって反対しなかったろ」

 

 

 紀沙が鹿島での戦いの直後、港に戻らずにイ401を追うことを提案した時、反対した人間は実は1人もいなかった。

 逆に、賛意を示した人間もいなかった。

 形としては艦長の判断に従ったと言うことだろうが、それにしても議論らしい議論も無い展開だった。

 

 

 くくく、と笑って、冬馬は梯子の側から離れた。

 軍服のポケットに両手を突っ込み、やや猫背気味の姿勢で歩き出す。

 見ようによっては、前傾姿勢の一歩手前、と見えなくも無かった。

 と言って走り出すことも無く、何事も無かったかのように静菜の横を通り過ぎた。

 

 

「よっぽどで無い限り命令には従順に、お前もそうだろ?」

「……別に貴方がどう行動しようと、私が関与することではありません。でも」

 

 

 静菜はそれにいちいち身体や顔を向けたりはせず、そのまま見送りの体勢に入った。

 その代わりに、右眼だけが相手の姿を追っている。

 

 

「裏切りは許さない」

「はは、それぁ……艦長ちゃん次第だろうな」

 

 

 すでに横を通り過ぎた冬馬の顔は、静菜の視界から外れていた。

 声は「さぁて、艦長ちゃんが戻ってくるまで釣りでもするかねぇ~」と言う風に、いつもの調子だった。

 ただし、空気だけが今にも切れそうな糸のように張り詰めていた。

 

 

「何と言うか、面倒くさいねぇ」

「いや、全く」

 

 

 そんな空気を肌で感じていたのか、角の向こうで話を聞いていたらしい梓と良治が溜息を吐いていた。

 様々な立場で集まったクルー達だが、可能であれば和気藹々(わきあいあい)とした職場であったほしいものだ。

 特に梓は発令所が持ち場なので、こう見えて気を遣う場面は少なくなかったりする。

 

 

「あ、いたいた。ねぇねぇ、皆どこ行ったの~?」

「ああ、あおいさぶふっ!?」

「アンタ、シャワー浴びるのは良いけど、ちゃんと服着てから出てきなよ」

「タオル巻いてるから大丈夫でしょ~」

 

 

 だからと言って、緩み過ぎるのも問題ではあるのだが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――2年前のことだ。

 紀沙の兄である千早群像は、海洋技術総合学院在籍中に日本を出奔した。

 突然のことだった。

 理解できなかった。

 

 

 正直に言って、10年前に父が出奔した時以上の衝撃だった。

 父の時は、ショックを共有してくれる兄がいたからだ。

 しかし兄が出奔したと統制軍――特に憲兵――から聞かされた時、紀沙は1人でそれを受け止めなければならなかった。

 だが、何よりもショックだったのは。

 

 

「兄さん……!」

 

 

 兄が、学院の同級生達を連れて行ったことだ。

 織部僧、四月一日いおり、橿原杏平、そして響真瑠璃。

 紀沙は学院では兄と行動を共にすることが多かったから、全員を良く知っていた。

 兄は出奔に際して彼らを連れて行った、後に真瑠璃は戻って来たが。

 自分には一言も何も言わず、いつの間にか出て行ってしまっていた。

 

 

 荒れなかったと言えば、嘘になる。

 塞ぎこまなかったと言えば、嘘になるだろう。

 でも、それももう良かった。

 何でも良かった、今ここで兄に会えるのならば。

 この2年間はきっと、今日のための2年間であったと思えるから。

 

 

(……! あれは?)

 

 

 紀沙がイ401を目指して駆けていた時、その蒼い艦体以外に見えるものがいくつかあった。

 まず、車だ。

 2台あって、丸みを帯びたそれにはそれぞれ見覚えのある人間が乗り込んでいた。

 

 

「軍務省次官補と、在日米軍組……?」

 

 

 軍務省の上陰龍二郎、元在日米軍海兵隊のクルツ・ハーダー。

 統制軍に所属している紀沙が見間違えるはずの無い顔だ、まして北に世話になっている身である。

 彼らが何故ここにいるのか気にならないわけでは無かったが、今は優先すべきことがあった。

 

 

「あ……」

 

 

 気が付くと、イ401の目の前にまで来ていた。

 肩で息をしている自分がまるで自分では無いようで、色以外はほとんどイ404と同じ艦を前に、紀沙は汗を拭おうともせずに401の甲板を右から左へと見た。

 洗濯物を干していたのだろうか、ピンと張られたロープに衣類がかけられていて、その下には日除けのあるデッキチェアがあった。

 

 

 そして、そこに兄がいた。

 

 

 背丈は記憶よりも大きくなっていたが、それこそ見間違えるはずが無い。

 跳ねの強い黒髪、どこか皮肉気な双眸(そうぼう)、ともすれば女性にも見える中世的な顔立ち。

 その姿をしっかりと見たいと思っているのに、自然、視界が歪むのを感じた。

 2年ぶりの再会は、この2年間に思っていたことを吹き飛ばすには十分すぎて、そして。

 少し驚いたような顔で自分を見る、兄の顔は。

 

 

「紀沙、か?」

「――――ッ、兄さんッッ!」

 

 

 2年ぶりに聞く兄の声は、自然と少女の身を駆けさせた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 自慢では無いが、群像は格闘戦が得意では無い。

 軍系列の学院に通っていたため体力はあるが、格闘センスがある方では無かった。

 一方で妹の紀沙はそちらの才能があったようで、ああ見えて剣道や柔道等の授業では常に1番だった。

 そして何故、今そんな話をしているのかと言うと。

 

 

「こんの……!」

「え? おい待」

「馬鹿兄がああぁ――――ッ!!」

 

 

 再会直後、401の甲板に駆け上がって来た紀沙が、それは見事な一本背負いを決めたからである。

 群像はデッキチェアを巻き込む形で甲板に倒れ、けたたましい音が響き渡った。

 あえて避けなかったのか、そもそも不意打ちだったので避けられなかったのか、群像は掴まれるままに掴まれ、投げられるままに投げられた。

 

 

「~~~~っ」

 

 

 もちろん、群像とて殴られて何も思わない程に人間が出来ているわけでは無いだろう。

 打った頭を擦りつつ身を起こして、座り込んだ体勢で顔を上げた。

 

 

「今までどこほっつき歩いてたんだ! 連絡一つ寄越さないで!」

「…………」

「何も言わないで勝手に出て行って、どれだけ心配したと思ってるの!?」

 

 

 2年。

 言葉にすれば短いが、俄かには想像し難い時間。

 置いてけぼりにされた紀沙にとって、その時間がどれだけ長かったか。

 それがわからない程に、群像は鈍く無かった。

 

 

「母さんだって、泣いてたんだよ!?」

「それは無いな」

「――――無いけど!」

 

 

 まぁ、反論すべきところは反論する方向で。

 ただ、自分を涙目で見下ろす――と言うか、今にも泣きそうである――紀沙を見て、他に何を言い出すことも出来なかった。

 どうであれ、この妹を1人にしてしまったのは自分なのだから、と。

 

 

「本当に、本当に……ほんとに」

「紀沙」

「し、心配、して」

 

 

 立ち上がり、名前を呼ぶ。

 思えば、それすらも2年ぶりのことだと気付いた。

 彼は彼でこの2年、必死だったから、後ろを顧みることが無かった。

 一度でも後ろを振り向いてしまえば、もう前に進めないと思っていたから。

 

 

 だが一方でこうして直に双子の妹を前にすると、そうも言っていられない。

 同じ親から生まれた、いわば()()()()()()()

 もし日本を出奔しなければ、自分は紀沙のように統制軍に入っていただろう。

 だからこうして統制軍の軍服を着た紀沙を見ていると、どうしても後ろを振り返ってしまう。

 

 

「大きくなったな」

「……にぃさんっ」

 

 

 だから、飛び込んで来た妹を、今度はしっかりと受け止めることが出来た。

 勢いがつき過ぎて一歩ヨロめいたが、倒れることは無かった。

 相変わらずの力強さに、思わず苦笑めいた笑みが浮かぶ。

 震える肩をポンポンと叩いてやれば、しゃくり上げるような声が返って来た。

 

 

「兄さん、兄さん、兄さん……」

 

 

 どうやら今日は、シャツを一着ダメにしてしまうかもしれない。

 自分達の補給事情を思えばちょっとした出費だが、まぁ良いかと気を取り直した。

 別に、妹のせいで服がダメになるのはこれが最初では無い。

 ……そんなことを思い出すのにも、いちいち懐かしさを伴うことに、群像は少しの驚きを感じるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 紀沙が少し落ち着くのを待って、色々と大変なことになっている顔を拭わせるためにハンカチを渡した。

 洗濯したてのものだったのだが、流石に「ちーん」と鼻をかまれた時には少し引いた。

 しかしそれは表情には出さず、彼はミネラルウォーターをコップに注いだ。

 

 

「それにしても、驚いたな」

「え?」

 

 

 コップを渡されながら、紀沙は兄の言葉に首を傾げた。

 群像はそんな妹に苦笑を浮かべると、自分のコップにもミネラルウォーターを注ぎながら。

 

 

「艦長になったんだろう、お前。あの霧の……イ404の」

「あ、うん。そうだよ、良くわかったね」

「ここまでオレ達を追って来た艦艇はあれだけだしな。そしてお前の専攻過程からすると、雑用以外で今のお前がこなせる役職は艦長くらいだろう」

「な、何だか素直に喜んで良いのかダメなのか……」

 

 

 でも、相変わらずの兄の姿を見れて紀沙は嬉しかった。

 昔から群像はクールと言うか、目鼻が効くと言うか、何かを分析するのが得意だった。

 むしろそれはライフワークと言える程で、軍人より警察や探偵でもやった方が上手く行くんじゃないかと思ったこともある。

 

 

 一方で、人付き合いは苦手だった。

 それは兄が俊才過ぎたから、あるいは淡白過ぎたからだと紀沙は思っている。

 人と心を通わせる前に、まず相手のことを分析してしまう目付きが人を寄せ付けなかったのだろう。

 紀沙や他の古馴染み達のように、時間をかけて付き合っていれば「そう言うもの」と慣れるのだが。

 

 

「本当に、驚いた」

「……兄さん?」

 

 

 自分をデッキチェアに座らせて、自分は甲板の手すりに身を預けたまま、群像は少し俯いていた。

 その表情に陰が差したような気がして、呼びかける。

 兄は、その呼びかけに応える様子が無かった。

 海の音だけが、やけに五月蝿く聞こえていた。

 

 

「兄さ」

「そう言えば」

 

 

 妹の声を遮って、群像は言った。

 すでにその顔に陰は無く、むしろ明るさすら見えた。

 

 

「鹿島での戦い、最後に使っていた魚雷は統制軍の新兵器か何かなのか?」

「えーと……まぁ、そんなようなものかな。ちょっと違うけど」

 

 

 鹿島の魚雷とは、スミノの振動弾頭魚雷のことだろう。

 流石に「あれは統制軍の新兵器で、あの時はナノマテリアルで再現したんです」とは言えず言葉を濁す形になったが、どうやらあの時、兄達も戦況をモニタリングしていたのだろう。

 実際、霧の装甲を破壊できる兵器を統制軍が過去に持ったことは無い、見ていたのなら新兵器だと思うのはむしろ自然だった。

 

 

「でも何でそんな話を?」

「ああ、実は統制軍の新兵器を運んで欲しいと依頼されていてな」

「新兵器?」

「多分、あの時に404が使った魚雷のことじゃないかと思ったんだが」

 

 

 紀沙の脳裏に掠めたのは、先程の上陰とクルツの顔だ。

 クルツは置くとしても、上陰龍二郎である。

 軍務省次官補、官僚――政治家と対を成す()()()()()()()()()()()とも言える。

 それが、兄達に依頼をした?

 

 

 このタイミングで中央を離れるリスクを犯してまで、直接会って依頼する?

 新兵器、つまり振動弾頭を輸送する計画のことだろう。

 場所はおそらくはアメリカ、しかしSSTOは打ち上げに成功したはずだが……。

 

 

「SSTOは、太平洋上で撃ち落とされたらしい」

 

 

 あっさりと言われると、少し胸に来るものがあった。

 あれだけ奮闘して、あっさりと撃ち落とされました、では割に合わないにも程がある。

 北もがっかりしていることだろう、いや、北がしょぼくれている様など想像も出来ないが。

 

 

「……沙? 紀沙?」

「え? ああっ、何? 兄さん」

「いや、何か考え込んでいたようだったから」

「あ、ごめん、なさい」

 

 

 別に謝ることじゃない、と言って笑う群像に、紀沙も笑顔を浮かべる。

 そこで、ふと気が付いて。

 

 

「……もしかして、兄さん。横須賀に行ったりする?」

「ん? ああ、依頼を受けるとしたらな」

(つまり、行くってことか。良し、良し!)

 

 

 この兄が「~としたら」等と曖昧な表現をする時は、九分九厘「やる」と決めている。

 それは、家族である紀沙には良くわかっていた。

 つまり、群像は横須賀まで来るのだ。

 上陰が新兵器の輸送のために呼び寄せるとしたら横須賀しか無いので、もしやと思ったのだが。

 

 

「じ、じゃあ、その……そのまま、帰って来たり、とか……?」

 

 

 期待を込めて、兄を見上げた。

 出奔した兄が何の保障も無しに横須賀に帰港するわけが無い、つまり政府の保証か何かがあるのだろう。

 ならば、このまま帰って来てくれるのでは無いか?

 紀沙がそう期待したのは無理からぬことで、実際、それは全くあり得ない選択肢では無かった。

 だが……。

 

 

「……兄さん?」

 

 

 だが、群像の表情は曇っていた。

 どこか申し訳なさそうなその顔は、言葉よりも雄弁に、紀沙の言葉への返答となった。

 群像は腰を上げると、くるりと紀沙に背中を向けた。

 

 

「もう戻れ、紀沙。艦長が余り長く艦を離れるべきじゃない」

「兄さん、待って!」

「……じゃあな」

「兄さん!」

 

 

 慌てて立ち上がって、追いかけようとした。

 紀沙からすれば再会まで2年かかったと言う状況で、また兄と別れると言うのは嫌だった。

 だから、追いかけた、追いかけようとした。

 

 

「……!」

 

 

 しかし、足が止まる。

 理由は、潜水艦のセイルの陰から群像の後ろに現れた少女の存在だ。

 紀沙からすれば割り込まれたようにも見える、しかもその少女はとても美しい少女だった。

 長く煌く銀色の髪に翡翠の瞳、白い肌に小柄な体躯(たいく)、カモメがプリントされたシャツにショートパンツと太腿まで覆う黒のソックス――類稀な美少女だが、妙に庶民的な服装がミスマッチだった。

 

 

「……メンタル、モデル」

 

 

 一瞬、少女の額に浮かび上がった紋様を見逃すことは無かった。

 それは霧の艦艇のメンタルモデルの証、つまり彼女はイ401の。

 

 

「メンタルモデル……!」

 

 

 紀沙には、少女の存在が自分と兄を隔てる者に見えた。

 思えばこの2年間、兄の出奔から始まるこの2年間、メンタルモデルと霧のせいで引き裂かれていたようなものだ。

 いや、そもそも霧さえ存在しなければ……。

 ――――奥歯を噛み締める音は、波の音よりも大きく響いた気がした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「置いて来て良かったのか?」

「……ああ」

 

 

 少女の声にそう応じて、群像は梯子から足を離した。

 彼はすでにイ401の艦内にいて、外の様子を窺うことは出来ない。

 コツ、と、梯子に額を当てて、少しの間目を閉じる。

 それは何かを思い出すようにも、何かを堪えているようにも見えた。

 

 

「群像」

 

 

 不意に話しかけられて、群像は顔を上げた。

 するとそこにいたのは、アレルギー避けのフルフェイスマスクを被った青年だった。

 群像の幼馴染、僧だった。

 このタイミングでやって来るとは、流石と言うか何と言うか、苦笑した。

 

 

「紀沙に会って来たのか?」

「ああ」

「どうだった?」

「どう、と言われてもな。元気そうだった、としか。あの霧の……イ404の艦長になったらしい」

「……そうか」

 

 

 僧の目からは、群像が今何を考えているのかを読むことは出来ない。

 しかし、どこか落ち込んでいるようにも見えた。

 一方で僧の目から見て、群像が珍しいことをしていることもわかっていた。

 

 

 1つは鹿島宇宙センターの戦いで、わざわざ艦の外に出て姿を晒したこと。

 そしてもう1つは、ここに至るまでイ404の追跡を振り切らなかったこと。

 群像にしては珍しい行動で、まるで紀沙をここまで導いたように思えた。

 いや、おそらくそうだと僧にはわかる。

 10年以上の付き合いがある僧だからこそ、わかることもある。

 

 

「あいつは昔から、オレの後を良くついてきていたからな」

「ああ、そうだったな」

 

 

 そんな僧の考えを読んだのだろう、群像が言った。

 紀沙は、妹は昔から自分の後をついてきていた、と。

 そして今、自分と同じ霧の艦艇の艦長になった紀沙。

 もしかしたら彼は、その自分の予想が外れてほしかったのかもしれない。

 

 

「……それに、気になることもあったしな」

「気になること?」

「ああ。……イオナ」

「何だ?」

 

 

 イオナ、それは群像と僧の会話をじっと聞いていた銀髪の少女の名前だった。

 つまりこの潜水艦、イ401のメンタルモデルの名前だった。

 

 

「お前は、統制軍の新兵器……おそらく魚雷か、それに乗せる弾頭だが、その具体的な情報を何か持っているか?」

「……いや、無い。何故だ?」

「いや、()()が知らないと言うことがわかれば良いんだ」

「群像?」

 

 

 これは人類側ではまず知られていないことだが――それこそ、群像も401に乗って以後始めて知ったが――霧の艦艇は、ある1つの巨大なデータベースを共有している。

 霧はそのデータベースにいつでもアクセスでき、群像の予想では、その情報はリアルタイムで更新されている。

 だからこそ、過去にイオナから得た霧関連の情報はどれも新鮮だった。

 

 

 そして今回、日本が開発した「新兵器」と言う漠然とした情報は霧も持っている。

 それはイオナからすでに確認しているが、逆に言えば詳細は霧の側にも情報が漏れていない。

 しかし一方で、イ404はその兵器を使用して『ナガラ』を攻撃した。

 

 

「それは、404が日本政府の艦だからじゃないのか?」

「2つの理由でその可能性は低い」

 

 

 1つは、日本政府がイ404を完全に信用することは無いこと。

 イ404が霧である以上、<大反攻>の主力となる新兵器の詳細を渡すわけが無い。

 まして、実物を渡すことなど心理的にあり得ない。

 

 

「そしてもう1つ、あの魚雷からは()()()()()()()()()()()()。そうだなイオナ」

「あった」

「タナトニウム反応、ナノマテリアル製だったと言うことか」

「そう、404は霧の装甲を破れる侵蝕弾頭魚雷以外の魚雷を持っていたことになる」

 

 

 それは、おかしい。

 霧のネットワークに情報を上げていないこともそうだし、おそらくは紀沙も知らないだろう新兵器の詳細な設計データを持っていなければナノマテリアルで再現は出来ない。

 つまりイ404は、「新兵器」の情報を独占している状態にある。

 これは、何を意味するのか。

 

 

 群像は、イオナを見た。

 自分の知らない、知り得ないだろう情報を持っている少女を見つめる。

 イオナもまた、感情の読めない瞳で群像を見つめていた。

 艦と、艦長。

 父、自分、そして妹もまた、同じような立場になった。

 

 

「……そうか、紀沙(あいつ)(ここ)に来たのか」

 

 

 その時の群像の表情を、僧は何と言って表現して良いのかわからなかった。

 複雑な心境、と言うのはわかる。

 そしてそうなってしまうのも理解できた、何故なら僧は2年前に群像と共に日本を出奔した人間なのだから。

 2年前の、群像の決断を直に聞いた人間なのだから。

 

 

「俺や、俺や親父と同じように、霧の艦長になって」

「……群像」

 

 

 群像は、それが嫌で。

 ――――紀沙を、置き去りにしたのだろうから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 結局、紀沙はその後すぐにイ404に戻った。

 401に乗艦できない以上、他に行く所も無く、群像の言うようにクルーを放置しておくことも出来なかったからだ。

 また、北に対してメールによる報告――傍受を避けるため断片的・断続的に送る必要がある――もしなければならない。

 

 

「おかえり」

 

 

 そんな紀沙を迎えたのは、スミノだった。

 彼女は紀沙が出て行った時からずっとそこにいたのか、艦の縁に腰掛けて足をぶらぶらと揺らしていた。

 

 

「遅かったね。副長君達が出航の準備を済ませてくれているよ」

「スミノ」

「うん? 何かな、艦長殿」

 

 

 不思議そうに首を傾げるスミノ。

 その動作は自然だが、どこか演技めいてもいる。

 しかしそれは、ある意味では当たり前のことではあったろう。

 何故なら彼女は人間では無く、言わば人間の真似をしているに過ぎない。

 そうすべき時に、タイミング良く反応を返しているだけだ。

 

 

「……お前は、何なの?」

「何なの? と言われると困惑してしまうね。それは人間の言う哲学と言うものなのかな……?」

 

 

 困惑と言う感情も知らないくせに、そんなことを言う。

 

 

「ボクは霧の潜水艦イ404、そのメンタルモデルとコアだよ」

「メンタルモデルって、何なの?」

「キミ達人間の戦術概念を学ぶために導入された、人間を模したインターフェイスだよ」

「お前達は、何のために現れたの……?」

「僕達の至上命令、アドミラリティ・コードがそう命じたからだよ」

 

 

 17年前、突如として現れた霧の艦隊。

 その行動目的は未だに良くわかっておらず、能力も未知数のままだ。

 彼女達がどこから来て、何を目的とし、そしてどこへ向かっているのか。

 全てが、謎に包まれたままだ。

 そしてその全てが謎の、わけのわからないもののために。

 

 

「……艦長殿?」

 

 

 とんっ、と、足音がひとつ。

 甲板から紀沙の目の前まで、ふわりと舞うようにスミノが跳躍した音だ。

 

 

「泣いているのかい?」

「……ッ!」

 

 

 肌を打つ音、それは紀沙に触れようとしたスミノの手が払われた音だ。

 赤いリボンが揺れる。

 前髪の間から自分を睨む双眸に、しかしスミノは変わらぬ笑みを浮かべていた。

 けれど、死んでも御免だった。

 

 

 スミノに、霧に手を差し伸べられるなんて、絶対に嫌だった。

 だって、父も兄もその手を取って行ってしまったのだから。

 自分を置いて、海へと漕ぎ出してしまったのだから。

 だから紀沙にとって、霧の艦艇とは――メンタルモデルが女性型であることも、妙に腹が立つ――()()()

 

 

(皆、お前達に()られたんだ――――兄さんも、父さんだって!)

 

 

 ――――許さない。

 憎々しさを隠すことも無くそう告げて、紀沙はスミノの横を通り過ぎた。

 肩が触れることも無い、それは完全な擦れ違いだった。

 去っていく音を背に、しかしスミノは振り返らず、ただ空を見上げた。

 

 

「憎しみ、憎悪。人間の持つ感情、概念のひとつ。時に人を狂わせる」

 

 

 それが。

 

 

「それが、人間の本質なのか?」

 

 

 なぁ、401よ。

 問いかける呼びかけは、しかし音となって発されることは無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――2日後。

 イ404は陸上では無く、海中にいた。

 それも狭い湾内では無く、東シナ海に出て大隅海峡(鹿児島)を通過し、土佐湾(高知)を掠める形で太平洋に入り……つまり。

 つまり、イ404は霧出現以後始めて外洋を航海した公船となったのである。

 

 

「おお……すげぇな」

 

 

 鋼が軋む独特の音に身を竦めて、寸胴(ずんどう)をかき混ぜていた冬馬が天井を見上げた。

 塵一つ落ちては来ないが、それでも海流に押し包まれる気配はあった。

 狭い横須賀湾内で訓練していたイ404の面々にとって、その感覚と気配は未知のものだった。

 ()()の海流は、内海のそれとはまるで違う。

 

 

「あら、トーマ君怖いのかしら~?」

「いや、ビビってねぇし」

「あはは。私はちょっと怖いです、台風」

「あ、ほんと? 良し、じゃあ今日は俺と一緒に寝よ「うふふ。じゃあ、お姉さんと一緒に寝る~?」あ、いや俺1人で寝れる強い子なんで大丈夫です」

 

 

 台風、そう、暴風雨である。

 イ404は台風11号の暴風圏内を航行中で、海上に出ればより激しい揺れに見舞われることは間違い無かった。

 あおいは平然としている様子だが、やはり未知の領域にいることには違いない。

 

 

 ちなみに何故イ404がこのタイミングでこんな場所を航行しているのかと言うと、理由は2つある。

 まず第1は、()()しているイ401がそのような航路を取っていること。

 そして第2は、イ404に()()するよう横須賀から命令されていたことだ。

 紀沙は北とのやり取りの中で、彼の意図する所を何となく感じ取ってはいた。

 

 

(監視と、経験値稼ぎ……って言う所かな)

 

 

 どの道、イ404も横須賀まで戻らなければならない。

 イ401が横須賀まで回航すると言うなら、監視も含めて同行するのは悪い手では無い。

 北と統制軍にとっても、人類初の海洋航海と言う成果は悪くは無い。

 将来的にイ404を陸軍艦にすると言う話もあるから、そのあたりは政治的な駆け引きもあるのだろう。

 

 

「それにしても、今日の朝食は豪華ですね冬馬さん」

「おーう、明日には横須賀だからな。缶詰も消費し切るつもりで出したからな」

 

 

 それはそれとして、今、紀沙達は交代で朝食を取っている所だった。

 ソナー手を兼ねる料理長――まぁ、料理人は1人しかいないのだが――である冬馬の作った料理に舌鼓を打つのが、任務航海中の食事の全てだった。

 白ご飯に白菜と葱のお味噌汁、目玉焼きにハムステーキ、ツナサラダと漬物各種、それにフルーツまであった。

 

 

 このご時勢、これだけの食事を取れるのは軍艦乗りだけだろう。

 だからこそ、それだけ成果も求められる。

 成果。

 梓と冬馬のやり取りをぼんやりと見守りながら、紀沙はそのことについて考えていた。

 

 

(私に、いや、私達に今回の航海で求められる成果)

 

 

 イ401の横須賀寄港、イ404の外洋航海。

 霧の艦艇の撃沈とSSTOの打ち上げ成功は、それだけでも成果と言える。

 まぁ、SSTOは撃墜されてしまったようだが。

 だが日本、いや北が今の自分に求めている成果はいったい何だろうか、と。

 

 

(……兄さん)

 

 

 熊本での再会を思い出すと、今も胸中がざわめく。

 離れたくないと言う想いが、どうしても無視できなくなってしまう。

 一方で兄が何を考えているのかわからなくて、不安にもなる。

 紀沙は兄が父を追って出奔したものだと思っていたのだが、もしかしたら、違うのかもしれない。

 

 

 ぐるぐるとした考えは、まとまることが無く結論も出ない。

 胸中のざわめきが大きくなるばかりで、何ら建設的では無い。

 結果、溜息ばかりが増えてしまって、冬馬にお玉で頭をコンコンされていることにも気付かず……うん?

 

 

「え、ちょ、何……? うわっ、何するんですかほんとに!? あぁ髪にお味噌汁が~っ」

「いやだってお前、人の飯食いながら溜息ばっかて。お兄さんちょっとショック……あだだだっ!?」

「あらあら、ダメよ~トーマ君。女の子にイジワルするなんて、エンジンコアセル分解ものよ?」

「怖ぇ!? 技術屋の例えがわからねぇけど、とにかくヤバいってのはわかるぜ……!」

 

 

 うー、と唸りながら髪を拭っていると、あおいがテーブルに両肘をついて笑いかけてきた。

 

 

「悩み事?」

「あ、いえ……そんな大したことじゃ無いんですけど」

「あらぁ、女の子の悩みは全部大したことよ? 悩まない女の子なんていないんだから……あ、髪、やったげるわね~♪」

 

 

 髪に触れられるなんて、いつぶりだろうか?

 何だかくすぐったくて、あおいに髪を弄られている間、紀沙は身を窄めるようにしていた。

 リボンを外して、おしぼりで髪を湿らせて、丁寧に拭い、櫛を通して乾かす。

 そして、髪を編み始め……編み?

 

 

「え、あおいさん? 何か髪型が違……」

「三つ編みも可愛いわよ~♪」

「ほぉ……続けて、どうぞ」

「わ、わ、わ。って、冬馬さんもどこから出したんですかそのカメラ!」

 

 

 途端、賑やかになり始める食堂。

 紀沙は気付いていなかったが、彼女はそれまでに比べて幾分か明るい顔になっていた。

 別の意味で大変そうではあったが、先程までの悶々とした表情よりはずっと健全に見えた。

 しかし、彼女がそれを自覚することは無かった。

 突如として、海流ではあり得ない音と衝撃が艦内を抜けたからである。

 

 

「おおっ? 今度の揺れはすげぇ……って、わけじゃねぇよな、今のは」

「海流の音じゃないわねぇ」

「……爆発音? 違う、今のは……」

 

 

 台風の下を潜り抜けるように航行する404の艦体を揺らしたもの、それは。

 ――――それは、魚雷が艦船を撃沈する、炸裂音だった。




最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
この間『パシフィック○リム』を見たので、何だか影響されそうな私です。

兄妹の再会、妹的に言うと「ここがあの女のハウスね!」「あの女狐め……(ギリギリ)」と言う所でしょうか。
表現として間違っていない気もする、このまま行くとヤンデレエンドになりそうです(え)
ふむ、私の作品では画期的かもしれないですね。

冗談はそこまでにするとして、今話で主人公の霧への視点を改めて描写できたかな、と思っています。
うん、ここからどうしよう(え)
次回は言わずと知れた原作2戦目、このあたりから少しずつ原作と違う流れにしたいところです。
それでは、また次回。

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