蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth062:「出航前・後編」

 

 まるで逃げ水のようだと、紀沙は思った。

 追いかけても追いかけても、どうやっても追いつけない。

 むしろ、どんどん遠ざかって行ってしまう。

 最後には、追いかけることも出来なくなってしまうのだ。

 

 

 待って。

 

 

 呼びかけても、呼び止めても。

 その人は背中を向けたまま、どんどん向こうへと行ってしまって。

 深く蒼い彼方へと、行ってしまって。

 紀沙は、叫んだ。

 

 

「兄さん……!」

 

 

 自分の声と身体の動きで、紀沙は目を覚ました。

 ちゅんちゅんと外から聞こえるのは早朝の鳥の鳴き声で、実際、仄かに寝室は明るくなっていた。

 朝、ただしいつもより早く目覚めたか。

 目覚めて良かったと、ひたり、と掌を顔に貼り付ける。

 想像していたよりも、掌は冷たかった。

 

 

「夢」

 

 

 わざわざ言葉に出して、言ってみた。

 そうして初めて、紀沙は自分の身体が汗で濡れていることに気付いた。

 正直に言ってかなり不快だし、それに寒かった。

 暑いくらいのはずなのに、肌寒くて、胸には穴でも開いているかのような空虚さがある。

 

 

「はあぁ……」

 

 

 大きく息を吐いて、くしゃりと前髪をかき上げた。

 汗なのか涙なのか、良くわからない水滴が頬を流れ落ちていった。

 顔から手を離すと、自分の手がカタカタと震えていることにも気付いた。

 いや、震えているのは全身か。

 

 

「……兄さん」

 

 

 声も、掠れて震えていた。

 外から室内へと漏れてくる温かな朝の陽光も、紀沙を温めることはできなかった。

 あまりにも寒すぎて、その程度の温もりでは無理なのだ。

 今の、紀沙の心の時間を動かすには足りない。

 

 

「帰って来てよ……!」

 

 

 ぐす、と今度ははっきりと涙を零しながら、紀沙は身体を丸めた。

 紀沙の時間は、止まったまま動かない。

 しかし、彼女の時計のねじを巻き再び動かせることが出来る者は、この場にはいない。

 ――――いないのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 良治は、自分――と言うより、紀沙が窮地に陥っていることに気付いていた。

 模擬戦のメンバー集めである。

 副長はとりあえず自分がやるから良いとして――本職では無いが――せめて砲手とソナーは必要だった。

 成績上位者に端から声をかけて行くのが有効なのだが、いかんせん紀沙のコミュニケーション能力が壊滅している。

 

 

「そこで、僕の出番と言うわけだね」

 

 

 艦長の不足を補うのも副長の役目。

 なかなかに酷いことを考えながら、良治は成績データをまとめたファイルを片手に学院内を歩き回っていた。

 もう模擬戦まで時間が迫っているので、ひとりひとりに直撃していっているのである。

 

 

「あっ、ねぇねぇキミ! ちょっと時間いいかな?」

 

 

 しかし、ここで大いなる問題があった。

 あるいは、良治も若かったと言うべきなのかもしれない。

 

 

「もし良かったらなんだけど、今度の日曜日にちょっと付き合ってくれないかな!」

 

 

 まず第一に、「千早紀沙」と言うネームバリューの威力を見誤っていること。

 要するにメンバー集めに難航しているのは紀沙のコミュニケーション能力の不足によるものであって、それ以上でもそれ以下でも無いと言う考えを持っていたことだ。

 しかしこれは、当たっているようで外れている。

 

 

 いくら優秀な良治と言えど、彼も10代の若者だった、考え付かなかったのだ。

 思い至らなかった、と言う方が正しいか。

 「人類の裏切り者」の身内と組むと言うことが、どれだけ将来の軍での生活に()()()を与えるのか。

 自分の将来を考えた時に、そうしたリスクをわざわざ抱える人間は少ないと言うことに。

 

 

「え、でも……」

「まぁまぁまぁ、卒業前の最後の思い出と思ってさ」

 

 

 しかし一方で、物好きと言うものはどこにでもいるもので。

 何人も何人も当たり、繰り返し口説く――口説く、と言うのが重要だ――ことで、何人かはとりあえず話は聞いてくれる。

 そしてさらに、その中のほんの一握りは、頷きを返してもくれる。

 後は、熱意である。

 

 

「お願いだ、キミが必要なんだ!」

「わ、私が必要?」

「そう、キミがいないと困るんだ。すごく」

 

 

 良治は、とにかく口説いた。

 相手がいかに優秀で、魅力的で、どれだけ必要としているか。

 卒業前の思い出などと言う言い回しまでするその姿は、どこか詐欺師を思わせる程である。

 詐欺師と違うところが、良治が至って真面目かつ真剣なところだろうか。

 

 

「う、うーん……そ、そこまで言うのでしたら……」

「え、ほんとっ!? ありがとう、助かるよ~」

 

 

 紀沙に対する心の請求書を胸中に積み重ねていきながら、良治は努力していた。

 その姿勢は、この時から変わらないものだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 北が総合技術海洋学院を訪れるのは、実は珍しいことだった。

 かつては海軍――正確には海上自衛隊――だった繋がりで招待されたとは言え、北自身は現在陸軍派の政治家である。

 それでも北がわざわざやって来たのは、彼にとって気がかりなことがあったからだ。

 

 

「む、どうやらすでに始まっているようだな」

「そのようですな」

 

 

 北が学院の第五施設、つまり新シミュレータのデモンストレーションを見に来た時には、すでに模擬戦は終盤を迎えていた。

 経過を見ると、全3戦の内、敵味方の両方が1勝ずつを挙げている様子だった。

 観戦席には軍関係者の姿もちらほら見えて、何やら囁き合っている。

 

 

(……苦戦しているようだな)

 

 

 聊か意外に思って、北は過去2戦のハイライトを眺めていた。

 今は3戦目までのインターバルである。

 ハイライトを見る限りは、得に紀沙の側に緊張があるようには見えなかった。

 単に、クルー同士の連携が上手く行っていないのだろう。

 確かに、今の紀沙の立場を思えば無理からぬことだった。

 

 

(千早や彼の息子(群像)は、苦戦などまるでしなかったからな)

 

 

 いや、群像の方は違ったか。

 あの学院に生徒として侵入してきた霧のメンタルモデル、イ401を相手取った模擬戦は、いくらか苦戦していた。

 ただ、あれはあくまで霧のメンタルモデルを相手にしていたが故に苦戦し、そして勝利したと言える。

 今、紀沙が相手にしているのはホープとは言え同学年の生徒だ。

 

 

「しかし、やるせなくなる光景だな」

「は、今なにか……?」

「何でもない。気にするな」

 

 

 付き人を適当にあしらいながら、北は席についた。

 陸軍派の領袖である北の登場に周囲はざわめていたが、そちらも気にとめなかった。

 北にとっては、さほど重要な人々ではなかった。

 

 

(千早の家に生まれなければ、息子も娘も別の生き方が出来ただろうに)

 

 

 あの子供達に、罪は無かった。

 いや出奔した兄の方は事情が異なるが、あれも軍の監視下に置くべく学院に入学させなければあんなことにはならなかったのかもしれない。

 生まれで人生が定まってしまう、そう言う意味であの兄妹は不幸だった。

 

 

 それとも、他人から見れば羨望の対象になるのだろうか。

 食うには困らず、冒険心に満ちた人生を送るであろうあの兄妹の人生に、羨望を抱く者もいるのだろうか。

 そう思うと、北はどうしようもなくやるせない気持ちに襲われるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 クルーの連携が上手くいかないのは、わかり切っていたことだ。

 人員が不足するのも、ある程度は覚悟していた。

 結局1人しか捕まらなくて、砲手は良治が兼任する有様だった。

 火器管制を半自動(セミオート)にしないといけないので、攻撃力は半減してしまうのは仕方ない。

 

 

「……あのさ、良治くん」

「何かな、紀沙ちゃん艦長」

「それやめて。いや、今はそれでもいいや」

 

 

 朝凪(あさなぎ)美桜(みお)

 聴音課、要するにソナー担当の女子生徒だった。

 桃色の髪という非常に目立った容姿をしていて、縁の大きな眼鏡をかけている。

 学院の今期卒業生のソナー手の中では、10番と言う席次を得ていた。

 

 

 今回、ひとりだけ紀沙の班に入ってくれた貴重な人材である。

 孤児だからしがらみも無い、などと理由を言っていたが、紀沙から見てどうもそれだけでは無かった。

 いや、他に理由があると言った方が正しい。

 と言うか、何と言うか。

 

 

「あの子、何か怒ってない?」

「え、そうかなぁ?」

「良治くんさ、何て言って誘ったの……? ああ、やっぱ良いや。何か面倒くさくなりそう」

 

 

 模擬戦自体は、可もなく不可もなくと言ったところだろう。

 右肩上がりと言うか尻上がりと言うか、初戦を落として2戦目で勝っている。

 ソナー手の傾向や良治の火器管制の癖に慣れるために、どちらもあえて長期戦にした。

 相手はきっと、3戦目こそは短期戦でと思っているだろう。

 それは、こちらも望むところだ。

 

 

 そう言う意味で、北は――紀沙は北が見ていることを知らないが――勘違いをしている。

 紀沙もまた、千早の者なのだ。

 父にしろ兄にしろ、百戦百勝と言うわけでは無い。

 共通項があるとすれば、それは、意味の無い負けはしないと言うことだ。

 

 

「紀沙ちゃん、じゃない。えーと艦長。3戦目、ラストゲームのカウントダウン開始したよ」

「20秒前から声音でカウントして。あと、えーと……朝凪さん」

 

 

 おっかなびっくり、と言う風に声をかけると、首だけ回して美桜が紀沙の方を向いた。

 やはり、視線がややキツい。

 

 

「どうぞ名前の方でお呼び下さい。苗字の方は少し事情があって、出来ればそう何度も呼ばれたくないのです」

「えーと、じゃあ美桜さん。聴音お願いします」

「お願いされましょう。ああ、あとで御手洗(良治)さんを貸してください。お話がありますので」

「ええ、僕!?」

「ああ、うん。どうぞ?」

「ありがとうございます」

「あっさり許可された!? 何で!?」

 

 

 さて。

 前の2戦で、相手がどう言う時にどう動くのかはわかった。

 後はただ、3戦目をこなすだけ。

 カウントダウンが、始まった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ここで、海洋技術総合学院のある横須賀からずっと離れた海域に視点を映す。

 極東の島国の学生によるシミュレーション戦など、誰も注目していない。

 しかし、それだけ覗き見がしやすいと言うことでもあった。

 

 

「はん、はん♪ ばきゅ――ん♪」

 

 

 イ号401の長い通路を、杏平がアニメソングを歌いながら歩いていた。

 たまに振り付けが入るあたり、いおりあたりが見れば「ウザッ」とでも言っていたかもしれない。

 ただ、それこそ稀にイオナが一緒に踊っていたりするので、なかなかに油断が出来ない。

 その杏平が、ふと何かに気付いて足を止めた。

 

 

 そこは、艦長の部屋だった。

 より厳密に言えば艦長の部屋まで数メートルと言ったところで、そこで杏平は、ドアに身を寄せている銀髪の少女を見つけたのだった。

 ぶっちゃけ、イオナだった。

 

 

「おーい、イオナ。どうしたんだそんなところで」

 

 

 お? と首を傾げる杏平。

 どうしてそんな仕草をしたかと言うと、イオナが振り向いて口元に指を当てて、「しーっ」としてきたのだ。

 このメンタルモデルの少女も、随分と人間じみた仕草をするようになったものだ。

 最初の機械的な時期を知っているだけに、杏平は妙な感慨深さを覚えたのだった。

 

 

「……何してるんだ?」

「群像を見てる」

「群像~?」

 

 

 よくよく見てみれば、確かに群像の部屋のドアが半開きになっていた。

 スライド式のドアで良く出来るなと感心したが、良く考えてみればここはイオナの()()なわけで、それくらいはやってのけるだろうと思った。

 まぁ、それはそれとして群像だった。

 

 

 杏平に覗き趣味は無いが、さりとて興味が無いわけでは無い。

 イオナの上に顔を並べて、群像の部屋を覗き込んだ。

 これと言ったものの無い部屋の中に、椅子に座った群像の背中がぼんやりと見えた。

 どうやら何かを聞いているのか、ヘッドホンをつけていた。

 

 

「何をしているんだ?」

「わからんが、妹のことが気になるらしい」

「妹?」

「そうだ」

 

 

 妹と言うと、紀沙のことだ。

 彼女は横須賀にいるはずだが、ここから様子を窺わなければならないような事態でも生じたのであろうか。

 ちょっとわからない、やはり杏平は首を傾げるのだった。

 

 

「なぁ、杏平」

「おう?」

「妹と言うのは、家族と言うのはどんなものなんだ?」

「あー、家族ねぇ。また難しいことを」

 

 

 顎先を撫でながら考え込む杏平。

 イオナが純な視線を向けて来ているだけに、何かしら真面目な答えを返す必要があったが、杏平にも上手く言葉に出来ないのだった。

 と、そこで、思わぬ助け舟が入った。

 

 

「近いと鬱陶しくて、遠いと気になっちゃう。そんな存在って感じかな」

「いおり」

「おー、意外と詩的じゃん?」

「うっさい」

 

 

 いおりだった。

 工具を担いだ作業着姿で、およそ詩とは無縁そうな格好だった。

 いおりはふんっと鼻を鳴らして、ずかずかと歩き去って行った。

 彼女もまた、何かしら思うところがあるのかもしれない。

 

 

「まぁ、そんな感じ?」

「そんな感じか」

 

 

 ふんふんと頷きあって、杏平とイオナは覗きを再開した。

 群像は、変わらない姿勢で椅子に座っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 横須賀では、すでにシミュレーション戦の3戦目が開始されていた。

 ここまであまり注目されていなかったが、紀沙達の相手側も成績だけ見れば優秀な人材が集められていた。

 大まかに行って、総合成績で5番から10番の生徒だ。

 

 

「ソナー、敵艦の位置は?」

「……音源が多数ある。どれかが敵艦だと思うんだが」

「またかよ、さっきもそれでやられたじゃん」

 

 

 ただ、彼らも何年も組んでやっているわけでは無い。

 何となく成績の順番に役割を振られただけで――もちろん、それぞれに優秀ではあるのだが――実を言えば、紀沙の陣営以上に連携は取れていないのだ。

 例えばソナー手が自分達の満足する情報を挙げてこないと、苛立ちを隠そうともしない程には。

 

 

 これで強いリーダーシップを持つ艦長でもいれば別だが、残念ながら艦長の席に座っている生徒にはそこまでのものは備わっていないようだった。

 ただ要求し、返ってこなければ苛立っている。

 これでは、効果的な戦闘行動は取れないだろう。

 

 

「多分、敵艦はデコイや小型潜水艇を使って海底を這わせてるんだ。そうでないと説明がつかない」

 

 

 そして、優秀なので確度の高い仮説を立てることも出来る。

 しかし仮設を立てることが出来たからと言って、それで対策が思いつくわけでも無い。

 まして教本にも載っていない状況となると、後は指揮官のセンスの問題だった。

 

 

「いったい、どれが本物なんだ……?」

 

 

 戦略モニターには、複数の敵艦らしき影が見えている。

 分裂するわけが無いので、どれかが本物と言うことだ。

 問題は、音だけで本物を当てなければならないと言うことだった。

 これにはセンスに加えて、経験も必要な判断だった。

 

 

「……良し、一番右の敵艦らしき陰に魚雷発射。直後に全速で移動だ」

「本当に大丈夫か?」

「一番右の敵艦が一番音が大きい、おそらく重量の差だ。後はプラフに違いない。1番から4番、魚雷装填!」

「了解、1番から4番、魚雷装填」

 

 

 どうにか理屈をつけて、目標を定めた。

 万が一外した時のことを考えて、すぐに移動するのもセオリー通りである。

 しかし、それは戦場ではしてはならない類の判断だ。

 たぶん、とか、おそらく、とか言うそういうものは、判断でも無ければ読みでも無い。

 彼らにはその違いがわからない、だからこそ。

 

 

「あ……?」

「どうした?」

「あ、いや。今、音が……いや、これは」

 

 

 魚雷だ。

 敵の。

 ソナー手がそう叫んだ次の瞬間、シミュレータ全体が大きく揺れた。

 最新式と言うだけあって、そう言う状況の再現率も高いようだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 1戦目、そして2戦目の苦戦が嘘のようだった。

 3戦目に入るや否や、デコイや緊急脱出用の潜水艇まで使って、海底に這わせた。

 それもわざわざ艦体を引き摺らせて、これでもかと言うくらい大きな音を立てていた。

 本体はと言えば、何のことは無い、上昇していたのである。

 

 

 つまり相手が紀沙達だと思って見つめていたデコイ達、それらがいる()()には紀沙達はいないのだ。

 逆に、不用意な魚雷の発射は紀沙達に居場所を教えてくれた。

 後は探知した敵艦を見失わずに、こちらの魚雷を届かせるだけである。

 これくらいならば、半自動(セミオート)の火器管制でも十分に可能だった。

 

 

「……お見事です」

 

 

 半信半疑だった様子の美桜も、結果を見せられては納得せざるを得なかった。

 紀沙は敵艦の動きをほぼ正確に読み取り、そして勝利した。

 2戦目でもそう言う気配はあったが、3戦目では特に顕著だった。

 紀沙は、敵艦の指揮官が戦況を「たぶん」とか「おそらく」と言うレベルで読む相手だと見切ったのだ。

 

 

 一方の紀沙は、そう言うことをしなかった。

 逆に、相手を自分が望む場所や状況に誘い込むように心を砕いていた。

 その違いが、おそらくはこの結果を生んだのだろう。

 つまり、この3戦目の()()()()()が本来の実力差と言うことなのだろう。

 

 

(希望的観測じゃ、駄目ってことね)

 

 

 100か0か、とまでは言わないが、潜水艦での戦いではそれに近い判断と決断が要るのだ。

 水上艦と違って、自分の目を頼りにすることが出来ない海中戦ならではと言える。

 それは、紀沙にとっても同じだ。

 条件は同じでも勝敗を分けたものがあるとするならば、それは、状況を作ろうとしたかどうか、と言う点に尽きる。

 

 

()()

 

 

 どこかつまらなそうにしていた紀沙に、美桜はシートを回して声をかけた。

 

 

「1点、質問しても?」

「ああ、うん? どうぞ」

「艦長は今回、敵艦をデコイの異音によって誘導しました。もし敵艦が誘いに乗ってこなかった場合は、どうされたのでしょう」

「んー、まぁ、別にどっちでも良かったんだよ」

「どちらでも良かった?」

 

 

 デコイや潜水艇の誘導に乗らないなら乗らないで、デメリットは無い。

 敵艦は相変わらずこちらの位置を掴んでいないわけで、失敗してもデコイを失うだけだ。

 また異音を発しているデコイはアクティブソナーでもあり、デコイの近辺に敵艦がいないと言うことがわかるわけだから、戦場マップの大部分を塗り潰すことは出来る。

 今回は、たまたま敵が我慢し切れずに乗ってきてラッキー、くらいのものだ。

 

 

「さぁ、相手も交えて反省会して、早くシャワーに行こうか」

「そうだね。いやー今日も疲れたなー」

「一応言っておくけど、良治くんは男湯だからね」

「え?」

「え?」

 

 

 これが、千早紀沙か。

 美桜は目を細くして紀沙を見つめた後、良治の腕を取りに行くべく席を立った。

 模擬戦は、これで終わったのである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 拍手の中に幾許かの動揺が感じられる。

 自身もまた礼儀として掌を打ちながら、北は会場の様子をそう評した。

 模擬戦に参加していた生徒達が拍手を受けているが、負けた側は当たり前としても、勝った側も余り「勝った」と言う顔はしていない。

 

 

(そもそも興味が無い、と言う顔だな)

 

 

 父が消え、兄が去り、その胸中を思うに余りある。

 まして、周囲に味方は少ないと言う環境。

 それは、世の中が思っているような学生生活を送れはしなかっただろう。

 圧倒的に優れた成績を収めているが、それは裏を返せば優秀でなければならなかったと言える。

 何かが違っていれば、もっと別な分野で才能を開花させていたかもしれない。

 

 

(いや、それは彼女に限った話では無いか)

 

 

 翔像も、息子の群像も、およそ軍人向きの性格はしていなかった。

 優し過ぎた、穏やか過ぎたのだ。

 そして今の時代、何よりも軍事が優先される。

 才能と言う煌きは、軍隊と言う()()()()()()()()()()

 

 

 ただでさえ限られている資源を、軍隊などに注ぎ込まなければならないのだ。

 勝っていればまだ良い。

 しかし救いが無いことに、どれだけ資源を注ぎ込んでも軍隊は勝てないのだ。

 霧の艦艇の前には、成す術もなく敗れるしかない。

 本当に、救いが無かった。

 

 

「すまないと、謝ることの方がずっと簡単なのだろうな」

 

 

 国民を困窮(こんきゅう)させながら、血反吐を吐く想いで掻き集めた資金や資源を軍事に振り向けること、そしてそれが霧の艦艇の力の前に無に帰してしまうこと。

 多くの若者に、生きるために軍隊を選ばせてしまうこと。

 そして、あの少女を戦場に送らなければならないこと。

 

 

 それらは全て、前の世代――北達の世代で問題を片付けられなかったために生じたことだ。

 罪と言うのなら、これ以上の罪は無いだろう。

 今でこそ先生などと持て(はや)されている北だが、本来ならば誰よりも貶められているべきなのだ。

 少なくとも、北自身はそう思っている。

 

 

「度し難いな」

 

 

 何がだろうか。

 国か、人か、自分自身か。

 あるいは、その全てか。

 席を立ち、見るべきものは見たと、北は会場を去ることにした。

 

 

「イ404を、千早紀沙に」

 

 

 だが、彼女は余りにも幼い、若い。

 ひとりで全てを任せてしまうと、潰れてしまうだろう。

 

 

「不知火、悪いがアレについてもらうぞ。生きては帰れんかもしれん」

「はい」

 

 

 左目を前髪で覆った軍服姿の女性――ずっと北の傍に立っていたらしい――不知火、名前を静菜という女性は、北の言葉に頷きを返した。

 すべては必要なことと、思い定めている様子だった。

 片目の瞳が、じっと、己が守ることになる少女へと向けられていた……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そしてこの時、千早紀沙を見つめていたのは北だけでは無かった。

 様々な立場の様々な人間が、紀沙を見ていたのである。

 

 

「おーおー、まぁ何とも雑な雷撃だったな。当たるかどうかヒヤヒヤしたぜ」

 

 

 用務員に扮した冬馬もそのひとりであって、彼は会場の隅から模擬戦の一部始終を見ていた。

 耳の良い彼からすれば相手側のソナー手はまるで「なっちゃいない」部類に入ったが、紀沙側の雷撃もそれはそれとして酷いものだった。

 まぁ、そちらは砲雷長がいないので仕方が無いのだが。

 

 

「まー、つまらなそうな顔しちゃって。可愛くないねぇ……っと?」

 

 

 ピリリリ、と懐から音がして、取り出した携帯端末の表示画面を見て、冬馬は「げ」と声を上げた。

 数瞬の躊躇(ちゅうちょ)の後、冬馬は作り笑顔を浮かべて電話に出た。

 そして、そのままヘコヘコしつつ会場を後にする。

 どうやら、相当に相手の方が立場が上のようだった。

 

 

「あ、何でしょうか姉上サマ。貴方の愚弟はしっかりと職務を全うしておりますですよ……」

「え――――っ、マジで言ってるんですか隊長ぉ!?」

 

 

 そして入れ替わるように、別の出入り口からまた誰かがやって来た。

 どうやらその人物――梓もまた、誰かと電話をしている様子だった。

 口ぶりからしてこちらも相手の方が上の立場のようだったが、梓は全くヘコヘコしていなかった。

 むしろ、喰ってかかっていた。

 

 

「何たってアタシが潜水艦なんかに乗らなきゃいけないんです!?」

 

 

 梓はどちらかと言うと、陸戦隊員だ。

 白兵こそ戦の華と、日々を訓練に励んでいる屈強な兵士なのである。

 それが、どうやら潜水艦に乗れと命令されているようだった。

 それは、憤慨のひとつもしたくなると言うものだろう。

 

 

「わぁ、良かったわね~。紀沙ちゃん~」

 

 

 そして、パチパチと機材の陰から拍手しているあおい。

 目を細めて手を打っている彼女は、もしかしたら会場内で唯一、純粋な気持ちでそうしているのかもしれない。

 あるいは、単純に自分がくみ上げたソフトウェアが上手く動作したことを喜んでいるだけか。

 

 

 いずれにせよ、ここから全てが動き始める。

 物語のはじまり。

 その第一歩が、ここから始まったのは確かなことだった。

 誰にとっても、そうだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 退屈、と言うのはまた違う気がした。

 ただ、苛立ちはあった。

 こんな勝ちをいくら収めたところで、()()()()()学院で首席を取ったところで、何にもならない。

 何も変わらない。

 

 

 こう言う時は、海を見た。

 横須賀は海の街だから、どこからでも海は見える。

 少し学院を抜け出して、小さな入り江に行く。

 そこでひとりでぼんやりと海を見ていると、紀沙は少し慰められるような気持ちになるのだった。

 そして。

 

 

 

「キミは、ボクの艦長になるべき人だ」

 

 

 

 そして、紀沙は出会う。

 入り江を訪れたいつか、紀沙は自分の生涯の艦(パートナー)と出会うことになる。

 まるで、何かが紀沙を海に呼ぶかのように。

 それはまるで、運命か何かのように。

 

 

 突然現れた人ならざる(メンタル)美貌の少女(モデル)

 爆発する海、姿を見せる灰色の艦体。

 そして、紀沙を艦長と呼ぶ少女が手を差し伸べて言う。

 

 

「キミの望みは何かな、千早紀沙。富、地位、名誉、それともお金かい?」

 

 

 望みは何かと問われれば、紀沙の望みはひとつしか無い。

 父が出て行って10年、兄が出奔して1年。

 それは、ずっと思っていたこと。

 思い重ねて、もはやそれ以上の何かになってしまっている想い、願い、祈り。

 

 

「…………力」

 

 

 今の自分に、決定的に欠けているもの。

 

 

「力を!」

 

 

 力?

 それは、いったい何の力だろうか。

 力にもいろいろある。

 だが、紀沙が欲している力はたったひとつのものだった。

 

 

「家族を取り戻せる力を、私に頂戴!!」

 

 

 家族。

 父と兄、母、それだけを取り戻すためにの力が欲しかった。

 もしそれが手に入るなら、どんなことでもしてみせる。

 たとえそれが。

 

 

「いいとも、そのための力をキミにあげよう」

 

 

 たとえそれが、そもそもの原因を作った霧が相手であろうとも。

 紀沙は、その手を取ってみせる。

 すべては家族を取り戻すために。

 ――――紀沙は、イ404に乗ったのだから。




読者投稿キャラクター

朝凪美桜:星雷紫様

有難うございます。


最後までお読み頂き有難うございます。
エピソード0的なお話でした。
今よりちょっと冷たい紀沙だったかも?
それでは、次回よりヨーロッパ編再会です。

また次回。
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