蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth065:「聖地」

 

 要塞のようにも、牢獄のようにも、あるいは遺跡のようにも見える場所だった。

 分厚いコンクリートの屋根の下にはいくつもの空洞があり、盤木や船台の骨組みが見えることから、ドックなのだろうと窺える。

 1つの施設にドックは6つか7つ程あるようで、何れもが港には珍しく施設の屋根に傾斜が設けられている。

 

 

「まぁ、えらくご大層な設備みたいだけどよ」

 

 

 いくつかに海水を湛えたままのドックがあったので、警戒しつつも、イ404――それと、イ15をそこに入れた。

 細長く狭いそのドックは、イ404にあつらえたように調度良いサイズだった。

 甲板伝いに、上陸した。

 

 

 古びたコンクリートの地面は、しっかりとこちらの足を受け止めてくれた。

 靴裏からじゃりじゃりと音が鳴って、階段を上がるとやや甲高い音が密閉されたドックに響く。

 照明は無い、ドック入口から差し込む陽の光が全てだった。

 空気口らしき物が並んだ天井と、片側は壁、片側はやはりコンクリート製の柱が並んで隣のドックが見えている。

 

 

「なぁ、確認なんだけどさ。ロリアンに海軍基地があったのって何十年も前のことなんだよな」

「ええ、そうですよ。ロリアン地区は現在、フランスの行政区画としては存在しません。温暖化による海面上昇で完全に水没しました」

「そーかい」

 

 

 会話をすると、普通の声量でも反響して良く通った。

 ただし、それに対して施設から何らかの反応が返ってくることは無かった。

 無人。

 その言葉が脳裏に浮かぶのに、そう時間はかからなかった。

 

 

「ならよぉ……」

 

 

 すっかり錆びてしまっている手すりを触りながら、冬馬は言った。

 指先に付着した剥がれた塗装を見つめながら。

 

 

「いったい、オレ達はどこにいるんだ?」

 

 

 彼らが到達した場所は、ロリアン。

 かつてフランス西部に存在した地域で、海軍基地として栄えた場所でもある。

 しかし、それはもう昔の話だ。

 

 

 今のロリアンは海面上昇によって水没し、存在しない場所である。

 横須賀のように内陸側に移動もしなかったので、水没した後は行政化区画からも外されてしまっていた。

 だから、ロリアンには何も存在しない。

 海中に、かつての都市の名残を残すのみである。

 

 

「ここはいったい、どこなんだ?」

 

 

 だが今、ロリアンに到達した紀沙達の目の前には、明らかに潜水艦用(Uボート)のドック(ブンカー)を備えた施設が存在していた。

 海中に沈んだはずの場所が今、目の前に復活している。

 その事実に、紀沙達は言いようの無い不審を感じるのだった……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ここで、少し時間を遡る。

 ロリアン入港――とは言え、水没地域のため入る港は存在しないわけだが――前、紀沙がイ404に戻った時のことだ。

 ほぼ同時に、医務室に直行となった。

 

 

 どこかが悪いと言うわけでも、念のためにと自分で出向いたわけでも無い。

 良治による泣き落としである。

 大の男が、それも1歳違いとは言え年上の男性にじっと見つめられてはらはらと涙を流されては、いくらなんでも拒否のしようも無かった。

 

 

「ああ、うん。大したことないよ、大丈夫!」

 

 

 紀沙がレオンスと過ごしていた期間は、10日余りと言ったところだ。

 それ以前にも紀沙は健康診断を拒否していた時期があるので、良治に身体を診せるのは久しぶりだった。

 それを受けての、良治の言葉である。

 

 

「……って、言えたら良かったんだけどね」

 

 

 わかっていたことだ。

 わかっていたからこそ、紀沙は良治の検診を拒絶していたのである。

 すべてはあの時、スミノによって片目をナノマテリアルで修復されたことからだ。

 あの時から、紀沙の身体は変化を始めていた。

 

 

「艦長殿の身体のおおよそ28%は、すでにナノマテリアルに置き換わっているのさ。内臓、筋肉、骨、血管、細胞……まぁ、いろいろだね」

 

 

 診断で出た諸々の数値に良治が言葉を失っている横で、ベッドのひとつを占領しながらスミノが言った。

 スカート姿でぱたぱたと両足をばたつかせているので、酷くはしたない。

 紀沙も良治も、今さらそんなことで注意したりはしないが。

 

 

「ここ数日間の記憶障害は、要は体内のナノマテリアルの混乱が原因だろうね」

「……混乱?」

 

 

 ナノマテリアルが原因の記憶障害。

 起因しているものがナノマテリアルだからこそ、スミノの力で()()することが出来たと言うことか。

 妙に、納得した。

 

 

 椅子にかけていた軍服のブラウスを羽織り、ボタンを止めていく。

 身体は当然、思いのままに動く。

 感覚も以前のままだ。

 しかし、日本を出た頃とは構成からして違うものになっている。

 

 

「……僕じゃもう、紀沙ちゃんの役には立てないのかもしれないね」

「そ」

「そりゃあねえ、人間にナノマテリアルがどうこう出来るわけがないしね」

 

 

 そんなことないよ。

 そう言おうとして、途中でスミノに遮られた。

 残酷、だけど真実。

 それがわかっているから、紀沙にはスミノを睨むことしか出来なかったし。

 

 

「……ごめんね、良治くん」

 

 

 効果的な慰めを、口にすることも出来なかったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イ404の艦内通路も、久しぶりな気がした。

 歩くだけで懐かしさを覚えてしまうようではいけないと思うのだが、やはり懐かしく思えた。

 当たり前だが、ここは変わらない。

 

 

「どうして艦長殿のナノマテリアルが混乱したのか、教えてあげようか?」

 

 

 そして、この少女も変わらない。

 言動はこちらを煽るが如くだし、にやにやとした表情は見ているだけで苛々する。

 今もそうだ。

 こちらが答えを知っていて、そして認めたくないだろうことをあえて口にしてくる。

 神経を逆撫でされるとは、こう言うことを言うのだろう。

 

 

「あ――――!」

「え? ……ぶ!?」

 

 

 その時だった。

 角から何かが飛び出してきて、紀沙の腹部に強烈な衝撃が走った。

 たまらず後ろに尻餅をつくと、追撃を喰らった。

 最終的に馬乗りになられて、何事かと相手の顔を確認すると。

 

 

「……蒔絵ちゃん?」

「もう、帰ってくるのが遅い!!」

「え、え。あ、ごめんなさい」

「ん! 良し!!」

 

 

 蒔絵だった。

 多少面喰ってしまったが、「怒ってます!」と言う顔でそこにいた。

 あまりの剣幕に、思わず謝ってしまった。

 それで満足したのかは知らないが、突撃時に比べて妙に緩慢な動きで紀沙の上からどいた。

 

 

 そして、紀沙は何となく違和感を感じた。

 違和感と言っても、別に悪い意味では無い。

 ただ何となく、蒔絵が以前と少し違うと感じたのだ。

 尻餅をついたまま彼女を見つめて、それが何なのかと考えて――不意に、得心した。

 

 

「あれ、蒔絵ちゃん。もしかして、ちょっと大きくなった?」

「え、そう? ここに来てそんな経ってないと思うけど」

 

 

 背が伸びた、だけでは無く、全般的に大人びて見えたのだ。

 機関室でいろいろとやっている内に、成長したということだろうか。

 何だか感慨深くなってしまって、不躾に見つめてしまった。

 それに機嫌を悪くしたのか、蒔絵は少し顔を紅くして。

 

 

「そ、それより、大変だったんだからね。アンタがいなくなってからごたごたして結局補給も受けれなくって、皆かっつかつの状態で探していたんだから」

「う、返す言葉もございません……」

「いや、そこまで落ち込まなくても良いんだけどさぁ。って言うかこの(ふね)、横須賀にいた頃はどうやって補給してたわけ?」

「え?」

 

 

 補給、イ404にとっては常に頭の痛い問題だ。

 今はイ15もいるから倍だ、それこそ「かっつかつ」である。

 当然、横須賀にいた頃も、艦体を維持するので精一杯で。

 精一杯だった、はずだ。

 その状態で、()()()()()()()()――――……?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 強烈な違和感を感じた。

 そう言えばと言われればそれまでだが、今まで特に気にしたことが無かった。

 そもそも、イ404――いや、イ404とイ401だ。

 活動休止していた時期はともかく、それ以後はどうやって稼働率を維持していたのだろうか。

 

 

 確かに、横須賀でも整備と補給は受けていた。

 イ401は、出奔した後に硫黄島と言う補給基地を得たからこそだ。

 では、イ404は?

 『ナガラ』戦より前には、ナノマテリアルを消費するような戦闘が無かったせいだろうか。

 それでも、艦体をどうやって維持していたと言うのか。

 

 

「さっきはあんなこと言ったけどさ」

 

 

 耳元で声がする。

 いつものことだと、努めて聞き流す。

 本当に、いつものことだ。

 

 

「ナノマテリアル自体は、海水に含まれる粒子だからね。その気になれば、抽出くらいは出来るだろうね」

「…………」

 

 

 ナノマテリアルの精製技術?

 そんな技術が人類に、日本の統制軍にあるわけが無い。

 もしあるのだとしたら、今、人類が苦しんでいる様々な問題を打破できてしまうでは無いか。

 それが出来ていない以上、そんなものは存在しないのだ。

 

 

 大体、ナノマテリアルが海水に含まれると言う話自体、信用できるものでは無い。

 海水の成分に含まれるのであれば、今までそれを発見できていないわけが無い。

 今の今まで、そんな人間が出てきたことなんて。

 過去の、人間が……。

 

 

「……人類評定」

 

 

 『ビスマルク』姉妹。

 不意に脳裏に浮かんだのが、それだった。

 そして「出雲」を始めとする、始まりの血筋。

 母さん。

 

 

 壁に手をついて、頭を押さえた。

 母の最期を思い出して――おそらくはそれが、「ナノマテリアルの混乱」の原因とわかっている――紀沙はよろめいた。

 そんなはずは無いと、半ば自分に言い聞かせてた。

 そんな、そんなことがあるはずが無いのだ、と。

 

 

「艦長殿」

 

 

 耳元で、声がする。

 

 

「ボクが横須賀で艦体を維持できていたのは、どうしてかな」

 

 

 嫌な声だ。

 この声はいつだって、自分を苛立たせる。

 そのために生まれたのではないのかと、そう思える程だ。

 何故なら、スミノの言葉が事実だとすれば、誰かが人類に、皆に、紀沙に嘘を吐いていたと言うことになる。

 

 

 だが一方で、紀沙は政治を知っている。

 たとえどれだけ非道でも、真実を明かさないことが政治だ。

 必要ならば身内にすら嘘を吐くのが政治だ。

 世界が、政府が、政治家が、嘘を吐くことは十分にあり得るのだと。

 ――――北が、自分に嘘を吐く可能性はあるのだ、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 嘘、と言うのは少し違う。

 その秘密を明かされた時、上陰が思ったのはそれだった。

 官僚として政治を近くで見つめてきた上陰にとって、政治とは「嘘を吐かない技術」であるからだ。

 誤解してはならないのは、それは別に「事実と異なることを言わない」と言うことでは無い、と言うことだ。

 

 

 この日、上陰が知った秘密はまさにそうだった。

 嘘では無い。

 しかし、事実を事実として言っているわけでも無い。

 曖昧模糊(あいまいもこ)な、はっきりとしない、真面目で正義感の強い人間には出来ない仕事だ。

 

 

『この()()()()の存在は、日本で2人しか知らない』

 

 

 ある日の深夜、楓首相に呼び出された先は山奥の廃墟だった。

 持ち主はよほど偏屈だったのか、あるいは人間嫌いだったのかはわからないが、人里から随分と離れた位置に屋敷を建てたようだ。

 自家発電設備らしきものも見えたから、自給自足していたのかもしれない。

 

 

 やって来た時、楓首相は護衛も連れず1人だった。

 言葉の通り、文字通り極めて少人数にしか知られていない場所なのだろう。

 それにしても、まさか自分で運転して――楓首相は身体が不自由だが、自動運転やロボットによる運転がある――来るとは思わなかった。

 

 

「研究室、ですか。ただ、これでは何も……」

 

 

 楓首相の車椅子の備え付けのライトは、彼が「研究室」と呼ぶ部屋の一部しか照らしてくれない。

 車椅子に内蔵されている電源などたかが知れているので、仕方ないことではある。

 見えているのは壁際の資料棚らしきものと、床に散乱したガラスや紙などのゴミだけだった。

 そんな時、不意に楓首相が手を伸ばし側の壁に触れた、すると。

 

 

 ふわりと、白い粒子が舞った。

 

 

 電気とは違う、独特の輝きを放つ粒子だった。

 青白く室内を照らし出したそれらは照明では無い、「研究室」の両側に並ぶ円柱形のガラスの内側でふわふわと舞っているのだ。

 ガラスの内側を満たす水からは、微かに潮の香りがする気がした。

 

 

『霧が操る特殊粒子……ナノマテリアルは未だ謎が多く、人類には扱えない』

 

 

 振動弾頭。

 日本が技術の粋を集めて開発した兵器、霧に有効な唯一の兵器。

 だが、ここでひとつ解くべき疑問があることに気が付かないだろうか。

 すなわち、「どうして有効だとわかったのか」――――?

 

 

『だが、扱えないまでも()()()()()()は出来る。()()()()()()も』

 

 

 嘘は吐いていない。

 人類はナノマテリアルを扱えない。

 しかし事実を伝えてはいない。

 人類は、ナノマテリアルを()()()()()()は出来るのだと。

 

 

『我々がこの施設のことを知ったのは<大海戦>以前、おおよそ20年ほど前だ』

「20年前……<大海戦>の前、世界がまだ霧を<幽霊船>と呼んでいた時期ですか。いえ、()()()? 国が()()()のが20年前と言う意味なら、まさかここは」

『ああ。ここは一民間人が所有していた施設だ。名前は――出雲薫』

 

 

 出雲薫。

 それは確か、あの千早沙保里の祖先の名前だ。

 政府でもトップシークレット――上陰も次官になって初めてアクセスを許された――の情報だ。

 

 

「ちょっと待って下さい。出雲薫は100年以上前に行方不明になった人物です」

『もちろん、別の名前を騙っていた』

「いや、しかし――()()()()()()()()()()()?」

 

 

 よしんば生きていたとして、20年前――旧大戦から90年経っている。

 年齢は優に110を超える、とてもでは無いが研究など出来ない状態のはずだ。

 そう、例えば……()()()()でも借りない限り。

 

 

『その人物が本当に100年前の出雲薫と同一人物なのかはわからない。わかっているのは、このナノマテリアルの研究施設と、研究日誌のサインが出雲薫のものだったと言うことだけだ』

「は、はぁ。いや、しかし驚きました。ナノマテリアルの研究施設……」

『さっきも言ったが、ここを知っているのは歴代の首相と、首相が最も信頼する人物の2人だけだ』

 

 

 つまり上陰は北の代わりと言うわけか。

 光栄と思うと同時に、上陰は背筋に冷たいものを感じもした。

 知っている人間が日本の首相含め2人きりとなれば、歴代の中央管区首相が現在どうなっているのか、と想像してしまったからだ。

 

 

『それに驚く必要は無い、似たような施設は世界各国にある』

「……そうなのですか?」

『アメリカ、ロシア……以前は欧州もそうだったが、戦争の中で立ち遅れているようだ。かつて熱核兵器の開発に各国が血眼になったように、今はナノマテリアルの精製技術の開発に鎬を削っている』

 

 

 楓首相の話を聞きながら、上陰は不意に欧州の地にいるだろう少女達のことを思った。

 自らが見出し、今後を懸けた少年達のことを思った。

 その後、これは裏切りだろうか、と自分に問いかけた。

 自分は答えた。

 ――――いや、これが政治なのだ、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「しかしまぁ、何てぇ広さだよ」

 

 

 朽ちかけた地面を注意深く歩きながら、冬馬はあたりをライトで照らしていた。

 コンクリートで舗装しているとは言え、風化しつつある程に古い施設だ。

 いきなり足元が崩れたり、何かが落ちてきても不思議では無い。

 それでいて広大な、「存在しないはずの」海軍基地なのだった。

 

 

 冬馬の傍には恋がいて、端末を持って歩いていた。

 データを取っているのか、時折、端末に何かを入力していた。

 あたりはすっかり夜になっているので、ライト以外の照明は無い。

 手分けして探っても、その全貌はようとして知れなかった。

 

 

「どーよ?」

「フランス海軍の古いデータサーバから情報を拾って確認してみたのですが、やはり見取り図と一致しますね。ここは、間違いなくロリアンの海軍基地です」

「……海に沈んだ?」

「海に沈んだロリアン基地です」

「んな馬鹿な」

 

 

 ぶんぶんとライトを振って、冬馬は唸った。

 しかし彼がいくら疑いの目で見たところで、朽ちかけた地面も罅割れた壁も、遠目に広がる兵舎らしき建物も、すべてが本物なのだった。

 すべてが現実で、疑うにはリアル過ぎた。

 

 

「じゃあ、何か? オレらはずっと前に海に沈んだはずの基地にいるってか? そりゃあ何と言うか……お?」

「どうしました?」

 

 

 その時、ライトをある一点に当てた。

 しかし、そこには何も無かった。

 

 

「いや、何か見えた気がしたんだがよ」

「何か?」

「何かヒラヒラとしたもんが……」

 

 

 ライトで近くを照らしても、そこには朽ちた壁があるだけだった。

 冬馬が何となくそこに近付いても、やはり何かがあるようには感じられない。

 気のせいだったのだろうか。

 しかし、そう思った矢先だった。

 

 

 ……!

 視界の端に何かを感じて、ライトを向ける。

 しかしそこには、何も無い。

 やはり、視界の隅で青白い布のようなものがヒラヒラと動いたような気がしたのだ。

 だが通路の曲がり角にあたるそこには、何も見えないのだった。

 

 

「……見たか?」

「はい、何かいたような気がします」

「オレもだ。良し、ちょっとライト持っててくれ」

 

 

 恋にライトを照らさせたまま、じりじりと近付いていく。

 何かがいると感じる角に、近付いていく。

 一息。

 誰かいるのかと、冬馬は一足で角に飛び込んだ。

 

 

「な――――!」

 

 

 その時、そこにいたのは。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 海の底に沈んだ、存在しない海軍基地が存在している。

 あり得ないことだ。

 だが紀沙は、そうしたあり得ないことが起こる理由に心当たりがあった。

 

 

「スミノ、これはナノマテリアルが引き起こしているの?」

「正解でもあり間違いでもあるね」

 

 

 霧の力、ナノマテリアル。

 この力を持ってすれば、演算力次第で基地や都市を再現することは不可能では無い。

 だから紀沙としては、目の前の幻の基地をナノマテリアルによる現象だと判断したのだ。

 しかし、スミノはその考えに対して非常に曖昧な返答を返した。

 

 

 何が面白いのか、紀沙の先を歩いたり、横に並んだり、ぴょんと跳んでみたりと慌しい。

 一見、何かに興奮している子供のようにも見える。

 実際容姿からしてそう見えなくも無い、が、実際はそんなに可愛いものでも無い。

 と言うか、鬱陶しい。

 

 

「スミノ」

「と言うかねえ、艦長殿」

 

 

 不意に顔を上げて、色の無い瞳で紀沙を見つめた。

 

 

「自分で感じていることを、わざわざボクに聞くのもどうかと思うよ」

「…………」

 

 

 ……この基地に入ってから、ずっと肌が粟立っていた。

 何か妙な気配がすると言うか、何か、そう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 目の前に見えているものが全てでは無いと、自分の中の何かが警告を発しているのがわかる。

 

 

 ――――ナノマテリアル。

 

 

 もはや自分の中に定着しているそれが、嫌にざわめく。

 何もいないのに、視界の端で何かが動いている。

 普段の生活の中で、たまにそんな感覚を得ることは無いだろうか?

 今の紀沙の感覚は、それに近い。

 

 

「ここは、()()()()()()()()()()

 

 

 基地の敷地、ちょうどその中央に立った。

 傍らにイ404らを停泊させているドックがあり、別の方向には兵舎や地上型の乾ドックがある。

 道が交差するクロスポイント、その真上には冬の満月が見える。

 もう幾夜もしない内に、旧年が終わり新年となるだろう。

 

 

(ああ、嫌だな)

 

 

 それにしても、と、紀沙は危惧した。

 自分の中のこれ、ナノマテリアルの力は、確かに強まっている。

 それも急速に、だ。

 だが一方で、不快感の中に何か別の感覚があることにも気付いていた。

 そっと胸に手を当てると、それをより強く感じることが出来る。

 

 

(……母さん)

 

 

 あの時、あの大西洋で紀沙は母の最期を見た――見たと思う。

 今でも、視界いっぱいに広がる母の笑顔を思い出すことが出来る程だ。

 ただ、その後は覚えていない。

 先の記憶障害と異なり、こちらは単純に意識を失ったからだと思われる。

 けれど、母・沙保里は自分の耳元で何かを囁いたはずなのだ。

 

 

(母さん、何て言ったの……?)

 

 

 大事なことだったような気がする。

 重要なことだったような気がする。

 存在を懸けた、何かだったはずだ。

 母の最期を、紀沙は覚えていない。

 

 

「……ッ」

 

 

 その時、コロコロと――実にわざとらしく――小石が、落ちて来た。

 ()め上げれば、一瞬の突風。

 砂が入るのを防ぐために目を閉じて、そして開いた次の刹那。

 兵舎の屋根に、ドックの縁に、立っている少女が2人。

 

 

 揃いの軍服に、大きな時計、左右対称の髪型とファッション。

 2人いるはずなのに、どこか1人しかいないように感じる雰囲気。

 2人で1人。

 ――――『ビスマルク』姉妹が、冬の風と共に、唐突に姿を現していた。

 

 

「やっぱり、お前達か!」

「私達?」

「いいえ、違うわ千早紀沙。出雲の血統」

 

 

 ロリアンに、この姉妹がいる。

 それはほとんど確信に近い予測だったが、それは当たった。

 にも関わらず、『ビスマルク』姉妹は「違う」と言い放った。

 満月の下、不可思議な光を湛えた二対の瞳がこちらを見下ろしてきている。

 

 

 そしてその後ろで、青白い光が爆発した。

 爆発した――そう思える程の光が、柱となって基地に立ち上ったのである。

 衝撃は無い、しかし、存在感はある。

 まるで何かの存在が、自分自身を主張するかのような輝き方だった。

 

 

「あれは」

 

 

 意外なことに、これに反応したのはスミノだった。

 目を細め、驚き、まさかと言う表情を浮かべている。

 

 

「まさか、ここが?」

「スミノ? なに……」

「ええ、そうですよイ号404」

 

 

 『ビスマルク』が言った。

 眼鏡の縁に手を添えて、くい、と持ち上げながら。

 

 

「ここはロリアン。我ら霧にとっての聖地。そして」

 

 

 青白い光の柱を仰いで、『ビスマルク』は言った。

 光からは、禍々しさをまったく感じなかった。

 むしろ、どこか清潔さと無邪気ささえ感じる。

 そして夜だと言うのに、闇だと言うのに、()()()()()()のだ。

 あれは光では無く、ナノマテリアルの塊だった。

 

 

「我らが創造主」

「『アドミラリティ・コード』の霊廟」

 

 

 霧の聖地?

 『アドミラリティ・コード』の霊廟?

 

 

「さぁ、出雲の子よ」

「なにもかもが終わってしまう、その前に」

 

 

 いつかのように、『ビスマルク』姉妹は誘うように言った。

 

 

「「人類評定(きゅうさい)を、始めましょう」」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――()()は、突然やって来た。

 ある日突然、クリミア半島セヴァストポリを根拠地とするロシア連邦黒海艦隊との連絡が途絶した。

 本国(モスクワ)は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

 折りしも、西ヨーロッパの混乱の隙を突いて黒海沿岸諸国への干渉を企てていた時だ。

 

 

 逆に、黒海沿岸諸国がロシアに干渉できるはずが無いと言う状況での出来事だった。

 だが、辛うじて通信できたクリミアの他の都市からの連絡で、セヴァストポリが戦車の集団によって制圧されたことがわかった。

 クリミアに駐屯するロシア軍は、抵抗することも出来なかったと言う。

 

 

「黒い光に覆われて偵察機(ドローン)が近づけないだと? いったい何が起こったと言うのだ」

 

 

 ロシアの参謀アレクサンドル中佐は、あまりに状況の不可解さに何も出来なかった。

 霧の艦艇か?

 いや、敵は戦車だと言う。

 しかし、霧に勝るとも劣らない不可思議な力を操る敵だった。

 

 

 しかも()()の支配地は光に覆われ、外から干渉することが出来ない。

 セヴァストポリ、そしてクリミアはその最初の地となった。

 ある日いきなり地下から光が溢れ、同地を1日で覆い尽くしたのだと言われている。

 そして、その支配地域は日を追うごとに拡大し始めたのだ。

 

 

「な、何だあれは!?」

「逃げろ……!?」

 

 

 不運にも進軍地域に住んでいた人々は、逃げ惑った。

 だがいくら逃げても、その光と戦車の群れは彼らを乗り込んでいった。

 光のフィールドに覆われるた地域の情報は一切が遮断されるため、内側がどうなっているのかは窺い知ることは出来ない。

 唯一わかっていることは、()()も霧の艦艇と対立しているらしい、と言うことだった。

 

 

 ウクライナ南部の港湾都市オデッサを皮切りに。

 モルドバ、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、マケドニア、セルビア、コソヴォ、モンテネグロ、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナと、西へ西へと支配地域を伸長させていった。

 まるで何かを目指しているかのように。

 そして支配地域の伸長に比例して、セヴァストポリ中心部の「光」が強く、禍々しくなっていく。

 

 

「奴らは何だ! 何が目的なんだ!」

「次はどこへ? まさかここに来るんじゃ」

「ああ、神様……」

 

 

 人々は、()()を恐れた。

 得体の知れない侵略者の存在を畏れた。

 支配地域に隣接した地域の人々は恐慌を起こし、暴動(パニック)の沼に沈んでいった。

 自滅した都市も少なくないのは、それだけ中央政府の統治力が落ちていることの証左だった。

 

 

 <騎士団>

 

 

 畏怖と皮肉を込めて、いつしか()()は<騎士団>と呼ばれるようになった。

 一説には、<騎士団>の()()()()()()()()()と言われている。

 荒唐無稽な話に誰も信じなかったが、<騎士団>と言う名前はそのまま定着した。

 そして、彼らはついにクロアチアさえも抜き、イタリア北部へと至ろうとしていた……!

 

 

「やぁ、あれがトリエステ! 下等な人間にしては洒落た街じゃないか」

 

 

 戦車『トルディ』は、国境の山を走破してそう言った。

 大西洋で千早一家と衝突した彼は、今は内陸に戻っていたのだ。

 そして彼が言うように、彼らは「あと一歩」と言うところにまで近付いていた。

 そう……。

 

 

 ――――<彼女>の、下まで。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
次回からついに『アドミラリティ・コード』です。
設定はほぼオリジナルになるので、受け入れられるか心配です。

また今後のため、以前から言っていた<騎士団>募集を行いたいと思います!


<騎士団>の戦車募集!

募集要項:
・投稿・相談はメッセージのみでお願い致します。
・締切は2017年6月20日18時です。
・ユーザーお1人につき、キャラクター3人までです。

騎士団の戦車・及びメンタルモデル。
※戦車1種につきメンタルモデル1人とします。
※メンタルモデルについては、容姿・性格について記載して下さい。
※第二次世界大戦時の戦車のみで、メンタルモデルは男性キャラクター限定です。
※派生型等の理由があれば、同種の戦車で複数キャラクターも認めます。

注意事項:
・投稿キャラクターは必ず採用されるとは限りません。採用・不採用のご連絡も致しません。
・戦争という題材を扱う以上、投稿キャラクターが死亡・撃沈する可能性が相当数ございます。
・投稿・相談は全てメッセージにて受け付け致します、それ以外は受け付けませんのでご了承くださいませ。
・場合により、物語の展開・設定に応じて投稿キャラクター設定を追加・変更する場合がございます。
以上の点につきまして、予めご了承下さい。

繰り返しになりますが、投稿・相談はメッセージにてお願い致します。
※活動報告のコメント等だと、せっかくの投稿キャラクターがネタバレしてしまうためです。

以上です。
それでは、宜しくお願い致します。

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