蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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注意:
『アドミラリティ・コード』含むオリジナル設定があります。
苦手な方はご注意下さい。


Depth067:「ロリアンのコード」

 ()()()()()

 人間であれば誰しも感じたことのあるそれは、いざ言葉にしようとすると難しい。

 人は曖昧な、それも個人的な感覚を他人に説明しようとすると言葉に詰まってしまうのだ。

 いわんや霧の娘にとって、その感覚は言葉に出来ないものだった。

 

 

「なに……?」

 

 

 そしてスミノは今、そんな感覚に陥っているのだった。

 視界が歪み、ぐるりと回る――それは「眩暈(めまい)」と言う症状だった。

 胸にむかむかとした不快感が広がり、立っているのが辛くなる――それは「吐き気」と言う症状だった。

 身体がだるく、重い、メンタルモデルが得るはずの無い、それは「体調不良」だった。

 

 

「ボクに、何かしたかい?」

「いいえ?」

「我々は何も」

 

 

 膝をつきながらのスミノの言葉に、『ビスマルク』姉妹は冷静に言い返した。

 2人の背後には未だに青白い光の柱が立ち上っていて、紀沙もまた眠ったままだ。

 状況は何も変わっていない。

 変わっているのは、スミノの姿勢と体調だけだ。

 

 

(ボクの身体の3割近くは艦長殿と()()している、その影響か?)

 

 

 紀沙の身体を犯しているナノマテリアルは、元を正せばスミノの身体(艦体)を構成していたものだ。

 そして同化し置き換えた紀沙の肉体部分(パーツ)は、スミノのメンタルモデルの構成部品(パーツ)として再利用している。

 よってスミノは、メンタルモデルでありながら人間の肉体を備える異質の存在と化していた。

 

 

「いいえ、貴女のナノマテリアルは正常ですよ」

「取り込んだ血肉も影響を与えてはいない。貴女が今苦しんでいる理由、それは」

 

 

 す、と静かに手を伸ばし、指を指す。

 『ビスマルク』姉妹が指差した先は、スミノの下腹部のあたりだった。

 肉付きの薄いそこには、スミノの霧としてのコアがある。

 指を差されると、ずくん、と疼くの感じた。

 

 

「貴女のコアの活性化によるもの」

「数多ある霧のコアの中で、貴女。そして貴女とイ401のコアは特別なのです」

 

 

 特別。

 確かに数多の霧の中で、スミノとイオナの2隻だけが霧のルールの外にいる。

 『タカオ』にしろトーコ(イ15)にしろ、彼女達は霧の枠内で自立しつつあるが、スミノ達のように完全に艦隊と離れているわけでは無い。

 何故、スミノとイオナだけにそれが可能なのか、今にして思えば不思議なくらいだった。

 

 

「言ったはず、今日ここで行われる試練は貴女によって行われていると」

「……言っている意味がわからないね」

「わかりませんか?」

 

 

 指の形はそのままに、『ビスマルク姉妹』は光の柱を指差した。

 かつてリエル=『クイーン・エリザベス』が見せたそれに似ているが、それよりもなお、大いなるものを感じさせる光。

 

 

「すべては」

 

 

 こみ上げてくる不調に顔を顰めて、スミノは聞いた。

 

 

「すべては、我らが主の意のままに」

 

 

 ずくん、と、コアが疼いた。

 それはまるで、呻きのようでもあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――遥かな昔。

 母なる海の中で様々な物質や細胞が育まれていた頃、同じようにその粒子は生まれた。

 他の物質や細胞と同じように名前のまだ無かったその粒子は、他のものと異なり、陸上に姿を見せることは無かった。

 

 

 数百年? 数千年? 数万年?

 どのくらいの長い年月をそうして過ごして来たのだろう。

 でも粒子には意思が無かったから、そのことに何かを感じたりはしなかった。

 ずっとそのまま、自分が消滅するまで海の中で過ごすのだろうと思っていた。

 

 

「やったぞ成功だ!」

 

 

 ある時代、突然だった。

 そう思っていた()()が、突如、形を得たのだ。

 それが現代からおおよそ110年前、世界が二度目の大戦に揺れていた時代だった。

 もちろん、彼女がそうした人間の状況を知る由も無かった。

 

 

 彼女を目覚めさせたのは、「ヨハネス・ガウス」と言う名の男だった。

 彼はドイツの科学者だった。

 ヨハネスは父「エトムント・ガウス」の発見したその粒子を「ナノマテリアル」と呼んでいた。

 ナノマテリアル、彼女が自分自身とも言える粒子の名前を初めて知った。

 

 

「彼女こそ、ナノマテリアルの結晶体! 我々の研究の集大成だ!」

 

 

 ヨハネスは、興奮気味に叫んでいた。

 頬の痩せこけた金髪碧眼の青年で、どこか狂気じみた雰囲気を持っていた。

 周囲には水槽や書類の束、薬品くさい匂いに奇妙な図形や数列が書かれた黒板等が見えて、研究施設であることがわかる。

 彼女はまさに生まれたままの姿で、砕けた円柱状の水槽の台座にぺたんとお尻をつけて座り込んでいた。

 

 

「さぁ! 今こそお前の力を見せてくれ……!」

 

 

 力を見せろ、と言われて、彼女は戸惑った。

 まず、力とは何かと思った。

 次に、見せるとは何かと思った。

 台座の上、海のように波打つ自分の髪を見た。

 

 

「祖国を救ってくれ、『アドミラリティ・コード』よ……!」

 

 

 そうしてある意味ぼんやりとしている彼女に、ヨハネスが何事かを言った。

 人類の言語なのか、あるいは意味の無い音の羅列なのか。

 とにかく、その言葉を聞いた瞬間、彼女の中で何かが激しく動くのを感じた。

 それは彼女の意思とは関係なく動き、やがて彼女の芽生えた意識をすら塗り潰していった。

 

 

「ヨハネス、やめて!!」

 

 

 その時だった。

 ヨハネスと同じような白衣を来た男女が、研究室の中に駆け込んで来たのだ。

 彼女――『アドミラリティ・コード』は、その2人を知っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 それは「グレーテル・ヘキセ・アンドヴァリ」と言う少女と、「出雲薫」と言う青年だった。

 そうだった、と、『アドミラリティ・コード』は思い出した。

 彼女は深海の海流の中にのみ精製される特殊粒子「ナノマテリアル」の凝固体(コア)を核として生み出された、いわば膨大なエネルギーそのものだった。

 

 

 何万年かもしれない長い時間をかけて、彼女のコアは精製された。

 しかし、彼女自身は自我を持たないただの物質に過ぎない。

 ()()()がいる、()()()()がいる。

 それがヨハネスであり、グレーテルであり、薫であった。

 そして、彼女()は気付く。

 

 

「「私は、何をすれば良いの?」」

 

 

 自分が、2人いるの(デュアル)だと言うことに。

 そんな彼女達に、男と少女が言った。

 

 

命じる(コード)! すべてを滅ぼしてしまえ!!」

 

 

 男の命令に、彼女の中のコアが震えた。

 彼女の内に凝縮された何万年分のエネルギーが介抱され、2つのコアが共鳴してそれをさらに高めていく。

 超高エネルギー体の熱暴走。

 それは、当時人類が手にしたばかりの死の力(核兵器)をすら超えるエネルギーだった。

 

 

「ひゃはははははっ、終わりだ! これで何もかもが終わるぞ。我が祖国を滅ぼす連合国も、キミ達を殺した祖国も、すべて。……すべて、すべてだ! やっと……!」

 

 

 彼女にとって、ヨハネスの言葉は理解できないものだった。

 ただ、コアに刻まれた通りに実行しようとする。

 今この場を爆心地として、何もかもを――全世界のナノマテリアルを活性化させ、()()()()()()()

 彼女の瞳が白く輝き、青白い十字架(グランドクロス)がこの惑星の墓標となる。

 

 

命じる(コード)! この世界を滅ぼさないで!!」

 

 

 その時、彼女にとって予期せぬ出来事が起こった。

 もう一方、彼女の半身を抱き締めて、女が――グレーテルが、別の命令を上書きしたのだ。

 

 

「グレーテル! どうしてわかってくれないんだ!!」

「ヨハネス、こんなことは……こんな復讐(こと)は誰も! 私も、ビスマルク(この子達)も望んでいないわ!」

 

 

 男は命じた、この世界を滅ぼしてしまえと。

 少女は命じた、この世界を守ってほしいと。

 彼女は――双子(デュアル)の『アドミラリティ・コード』は、矛盾した命令(コード)に混乱した。

 自分がどうすれば良いのか判断し切れずに、両方の命令を一度のクリアする方法を電子の速度で思考した。

 

 

 そして、彼女は結論する。

 

 

 一方が世界を滅ぼし、一方が世界を守れば良いのだと。

 ()は世界を滅ぼすことにした。

 ()は世界を守ることにした。

 この瞬間、彼女の力は二分された。

 すべてを滅ぼす力はほんの少し弱く、すべてを守る力もほんの少し弱く。

 

 

「貴女達は、こんなことをするために生まれてきたんじゃあ無いのよ……!」

 

 

 互いに互いを相殺する。

 そして、すべては白く、黒く。

 白く、黒く、白く、黒く――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 はっとして、紀沙は自分を取り戻した。

 ()()()()()()()()()()()()

 いや、追体験したと言った方が正しいのかもしれない。

 頬を濡らしていた涙を拭って、紀沙は目の前の――群像の姿をしていたはずの――『ビスマルク』姉妹に良く似た、青白く輝く少女を見つめた。

 

 

『2人、と言うのが重要だった』

 

 

 その少女は――『アドミラリティ・コード』の()()()は、口を動かさずに声を発した。

 頭の中に、涼やかな少女の声が響く。

 思わず、顔を顰めてしまった。

 

 

『あの時、私が2人いなければ。力の相殺による機能停止は起こらず、世界は滅びていた』

「ぐっ……」

 

 

 ずきん、と頭が痛んだ。

 紀沙の頭の中に、ヨーロッパ――ドイツを中心に巨大な爆発が起こる映像が浮かび上がった。

 それは、あの瞬間に『アドミラリティ・コード』が停止しなければ、地上での爆発とナノマテリアルの強制活性化に伴う海面の()()()により、()()()をも超える悲惨な環境になっていたことがわかる。

 

 

 爆発による一次被害と数ヶ月間空を多い続ける灰、海の蒸発と言う未曾有の事態により多くの川が枯れ、人類の居住圏は大幅に失われる。

 急激な環境変化に伴う天変地異、疫病の発生と拡大、統治機構の崩壊による内戦と略奪。

 人類は最初の10年で人口の9割を失い、滅びへの道を転がり落ちていく……。

 これに比べれば、温暖化による海面上昇はまだ可愛いものに思えた。

 

 

「あの人……ヨハネス? は、どうしてこんなことを」

 

 

 そして、紀沙は父に見せられた何者かの会話を思い出していた。

 あの時に聞いた声は、ノイズ混じりだったが間違いない、グレーテルと言うあの女性のものだった。

 あの女性がいなければ、世界は、人類は滅びていた。

 

 

『私の依り代となったこの少女の死が、あの男を狂気に陥らせた』

 

 

 ヨハネス・ガウス、ドイツの科学者だ。

 元々は父が発見していた未知の粒子――ナノマテリアル――を研究していて、その粒子の修復力を人類医学に役立てようとする、善良な研究者だった。

 しかし、時代が彼を善良なままにはしておかなかった。

 

 

 当時のドイツは戦時中であり、しかも敗北直前の状態にあった。

 だからナノマテリアルの高エネルギー性――要は軍事への有用性を認めた当局により、ヨハネスの研究は変質させられてしまった。

 それでも祖国を愛する彼は、グレーテルや同盟国日本の武官であった薫の強力を得て、望まぬ研究に邁進した。

 

 

『この依り代の少女は、()()()()()()()

 

 

 当時のドイツは、狂的なまでの人種政策を行っていた。

 詳しいことは『アドミラリティ・コード』ですら知らない。

 ただ確かなことはこの双子の少女、()()()()()()()が、ヨハネスの祖国によって殺されたと言うことだった。

 

 

『祖国を滅ぼす敵、最愛の少女を殺した祖国。あの男はそのどちらをも滅ぼすことを選んだ』

 

 

 戦争。

 結局は戦争が、ヨハネスと言う稀代の科学者を狂気へと突き落とした。

 そしてグレーテルは、そんな彼を止めた。

 それを見届けた薫――紀沙の先祖に当たる――は、その後の世界を見つめ続けた。

 

 

 これが、すべてのあらまし。

 何もかもの始まり。

 ヨハネスとグレーテルの命令(コード)の狭間で揺れる『アドミラリティ・コード』と、世界の海の各地で生み出された高エネルギー体、霧のコアの起動。

 そして、その後の不幸と混乱の――――元凶だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナノマテリアルは、深海の海流の中でのみ精製される粒子だ。

 何万年もの時間をかけて凝縮された結晶体(コア)は、現在、霧の艦艇と呼ばれている存在の心臓(コア)となっている。

 そして『アドミラリティ・コード』と命名された最大最高の結晶体の覚醒に影響されて、目覚めたのだ。

 

 

 彼女達が旧大戦時代の軍艦の姿を取るのは、海に関係すること、また目覚めた時代が戦争の時代だったことに影響されている。

 平和な時代に優しい願いで覚醒していれば、また別の形態をとっただろう。

 それもまた、悲しむべきことなのかもしれない。

 

 

「なら」

 

 

 こめかみを押さえながら、紀沙は言った。

 

 

「霧の艦艇が海洋を封鎖したのは、命令(コード)が不完全だったから?」

『滅亡と救済を同時に求められた私は、互いのエネルギーを対消滅させて休眠状態に入った。が、他のコアは覚醒状態のまま私から送られた指令について思考していた』

 

 

 その結果が、海洋封鎖をしながら対地攻撃はしないと言う中途半端な現状だった。

 しかし、逆に光明でもある。

 今、こうして霧の命令を下している『アドミラリティ・コード』が目の前にいるのだ。

 つまり。

 

 

命令(コード)の更新が必要だ』

 

 

 紀沙の心を読んだように、『アドミラリティ・コード』が言った。

 ヨハネスとグレーテルによって行われた命令(コード)を更新しない限り、現状は永続的に続く、と。

 そして、命令(コード)を書き換えるためには『アドミラリティ・コード』を再起動しなければならない。

 

 

『今の私は、人間で言うところの夢を見ている状態だ。こうして、相手の意識に語りかけることしか出来ない』

 

 

 『アドミラリティ・コード』は()()()()()

 思えば、『ヤマト』や『ビスマルク』のようなデュアルコアが存在しているのだから、その上位存在である『アドミラリティ・コード』がそうであってもおかしくは無い。

 そして2つに別れているからこそ、他の霧には「消失した」と思われていたのだろう。

 今はこうして、ナノマテリアルを通じた一時的な繋がりしか作れない状態だ。

 

 

 同時に、紀沙は気付く。

 もし『アドミラリティ・コード』の覚醒と軌道が霧の艦艇を呼び覚ましたのであれば、その逆も可能なのでは無いか、と。

 すなわち、霧の艦艇の活動を完全に停止させることが……!

 

 

『可能だ』

 

 

 やはり心を読んだように、『アドミラリティ・コード』は言った。

 ナノマテリアルを通じた意識共有でもしているのか、思考がそのままダイレクトに通じるようだった。

 青白い輝きの少女は、じっと紀沙を見つめている。

 

 

『だが、それは止めた方が良い』

 

 

 そう言って、『アドミラリティ・コード』は上を指差した。

 何かと思って見上げると、本物かどうかはわからないが、無数の星々が広がっていた。

 

 

『大いなるものが、やって来る』

 

 

 大いなるもの。

 自身がすでに大いなるものである『アドミラリティ・コード』がそう呼ぶもの。

 その響きに、紀沙はどうしようもない不審を覚えるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 想像した。

 深海の闇の中でナノマテリアルが精製されていたように、あの星空の向こう側でも何かが生まれているのでは無いか?、と。

 それは、ぞわりとした感覚を肌の上に感じる程度には恐ろしい想像だった。

 

 

「……私は!」

 

 

 しかし、紀沙はその不審を、不安を振り払った。

 

 

「私は、お前達を消すためにここまで来たんだ!」

 

 

 そこがブレたら、紀沙はもう戦えなくなってしまう。

 立っていられなくなる。

 それは紀沙と言う少女にとって、原点にして立脚点なのだから。

 『アドミラリティ・コード』は、そんな紀沙を小首を傾げて見つめている。

 

 

 何もかもを見透かすような瞳は、どこかスミノやイオナを思わせた。

 見ていると、思わずたじろぎそうになる。

 そして、『アドミラリティ・コード』の周囲に淡い輝きを放つ粒子が散り始めた。

 

 

『グレーテルの後継者は、この時代では千早沙保里だとばかり思っていた』

「私はそんな柄じゃ無いし。ほら、死んじゃったし」

『事ここに及んでは、千早沙保里の後継者を信じる他は無いと言うことだな』

 

 

 やがてそれは、1つの形を浮かび上がらせる。

 この時に紀沙が思い出したのは、リエル=『クイーン・エリザベス』だった。

 あの時、リエル=『クイーン・エリザベス』は自分が女神と信仰する女性をナノマテリアルの棺で安置していた。

 それと良く似たものが、紀沙の前に現れたのだ。

 

 

 夢とも現ともつかぬ空間に、それはぬっと現れる。

 それは、何かの本で見た聖母子像を思わせた。

 荒削りの水晶の中の聖母子像、と言うのが一番近い。

 ただし聖母は今にも目覚めそうな長い金髪の少女であり、聖子は人の姿をしていない。

 聖母の少女がその胸に抱いているのは、幾何学的な模様が浮かんでは消える結晶だった。

 

 

『110年前、グレーテルは私と共に眠りについた』

「まだ生きてるってこと……?」

 

 

 ぎょっとして、紀沙は言った。

 110年以上前の人間が若い姿のまま生きているとは、十分に驚愕に値するだろう。

 それに対して、『アドミラリティ・コード』は「生きている」と頷いた。

 

 

『しかし私と完全に繋がってしまっている。今では私は彼女であり、彼女は私なのだ』

 

 

 要は、グレーテルと言う一個人として目覚めることは無いと言うことだ。

 そう言う意味では、生きていると言って良いのかもわからない。

 ただ一つわかることは、グレーテルと言うこの少女が、どこか安らいだ顔をしていることだ。

 休眠状態になる直前、自分の死を前にしてこんな表情を浮かべることが出来るのか。

 

 

『そして、ヨハネスも』

「ヨハネス……さんも、まだ生きてるってこと!?」

『そうだ。そしてその走狗達とは、お前もすでに会っている』

「…………<騎士団>」

 

 

 これは、流石にわかった。

 ロシアの大統領から聞いた、突如クリミアに現れた霧の力を持つ霧ならざる者達。

 あれは、ヨハネスともう一方の『アドミラリティ・コード』によるものだったのだ。

 そして、彼らはクリミア・セヴァストポリにいる。

 

 

『そして、最後の1人』

 

 

 出雲薫、紀沙達の先祖にあたる人間。

 ヨハネス、グレーテルと違い、人間として活動することが出来た彼は、旧大戦の後日本へと戻った。

 日本に、戻る必要も出てきた。

 出雲薫はきっと、紀沙達の知らない何かを見つけているはずだ。

 

 

『さぁ、千早紀沙。霧を恨む者よ、お前にすべてを託すしかないようだ』

 

 

 託す。

 聖母子像を見つめながら、紀沙はその言葉を反芻した。

 日本を出たばかりの頃、こんな展開になるとは夢にも思っていなかった。

 よもや、霧の頂点の存在から何かを託されるようになるとは。

 

 

 あるいは、このために日本から出るよう宿命付けられていたとでも言うのか。

 宿命、嫌な言葉だ。

 認めたくは無い。

 だが、『ヤマト』も『ムサシ』も、翔像も群像も、自分をここに導こうとしていたようにも思える。

 そして、あの『ビスマルク』姉妹も……。

 

 

『――――ビスマルク?』

 

 

 例によって心か思考を読まれたのか、『アドミラリティ・コード』が言った。

 今さら聞き返すまでも無いだろうに、何を不思議がっているのか。

 そう、紀沙が思った時だった。

 

 

 

()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――――なに?

 次の瞬間。

 ガラスが砕け散る音と共に、「世界」に罅が入るのを感じた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 紀沙を包み込んでいたナノマテリアルの膜が砕け、地面に膝がついた。

 しかし、粒子となって消えていくそれらには構っていられなかった。

 顔を上げると、()()が起こっていた。

 

 

「あれは……スミノ?」

 

 

 キラキラと、宝石を散りばめたような輝きが目に入った。

 それは、ナノマテリアルの結晶の欠片だ。

 いつの間に移動したのか、光の柱が目の前にあった。

 欠片はその中から飛んできている、と言うより。

 

 

 スミノが、光の柱に片腕を刺し込んでいた。

 

 

 光の柱――いや、その向こう側の、先程までイメージで見えていた聖母子像を貫いていた。

 ナノマテリアルの欠片は、そこから飛び散っていたのだ。

 ビシビシと、何かが罅割れる音がここまで聞こえて来る。

 

 

「信じていました」

「貴女なら、千早沙保里の娘なら、アンドヴァリの『コード』に選ばれると」

「「試練を超えてくれると、信じていた」」

 

 

 振り向くと、『ビスマルク』姉妹がいた。

 思わず跳びずさったが、じっと見つめてくるだけで何かを仕掛けてくる様子は無かった。

 『アドミラリティ・コード』が言っていた「大戦艦『ビスマルク』は存在しない」と言う言葉を反芻した。

 どう言うことだ、と。

 

 

 今こうして、『ビスマルク』姉妹は目の前にいるでは無いか。

 だが、一方で得心がいった部分もあった。

 大戦艦『ビスマルク』の動きは、それだけ霧の中において独特で特異だった。

 あの独立性は、()()()()()可能だったのだと思えた。

 

 

「「私達は、『ビスマルク』」」

 

 

 『ビスマルク』姉妹は言った。

 自分達は『ビスマルク』だと。

 しかし今まで、「霧の大戦艦」『ビスマルク』と自分達で名乗ったことは無い。

 当たり前にそうだと思っていたから、気にもしなかったのだ。

 

 

『……そうか、お前達か……』

 

 

 その時、『アドミラリティ・コード』の思念が飛んで来た。

 光の柱が割れ砕け、聖母子像のコア――『アドミラリティ・コード』のコアをスミノに握られながら、彼女は言った。

 

 

『ヨハンナ、マリー』

 

 

 ヨハンナ・フォン・『ビスマルク』。

 マリー・フォン・『ビスマルク』。

 その正体は、世界で最初に肉体の全てをナノマテリアルに置換した()()()

 ――――ヨハネス(愛する姉妹)目的(蘇生)は、成功していたのだ。

 

 

 『アドミラリティ・コード』は、姉妹の死した肉体を依り代に顕現した。

 スミノが、紀沙の肉体部品(パーツ)を置き換えていっているのと同じ理屈だ。

 『ビスマルク』姉妹は、紀沙の身体のナノマテリアル化が進んだ先の姿だ。

 彼女達は「霧の大戦艦」では無かった。

 その事実に紀沙が衝撃を受けていると、『アドミラリティ・コード』の思念が来た。

 

 

『ヨハネス、お前はまだ――――』

 

 

 ()()()

 まさに切れたというような気配で、思念が途切れた。

 ナノマテリアルの結晶体が砕ける。

 地に堕ちてくる聖母(グレーテル)を、紀沙は反射的に走って受け止めた。

 

 

 110年前、先祖の仲間だった人、受け止める、軽い。

 だがグレーテルの身体は笑える程に軽く、まさに箸よりも軽かった。

 命の重さが感じられない。

 腕に触れた途端、砕け散るようにナノマテリアルの粒子となって消えた。

 紀沙の周囲を何度か回り、まるで紀沙の身体に吸い込まれるように消えて行く。

 

 

「すべては」

我らが主(ヨハネス)の望みのままに」

 

 

 『ビスマルク』姉妹の声は、ぞっとする程に空虚だった。

 

 

「……スミノ」

 

 

 こちらに背を向けたまま、手の中の『アドミラリティ・コード』のコアを見つめるスミノに声をかける。

 しかしスミノが振り向いた時、紀沙は息を呑んだ。

 そこに、()()()()()()()()()

 直感的にそう感じられる程、スミノの目はガラス玉のようにがらんどうだった。

 まるで、人形か何かのような。

 

 

「スミノ、待って! どこに――――うあっ!?」

 

 

 びゅう、とつむじ風が舞った。

 コアを持つスミノの左右に、『ビスマルク』姉妹が浮かんでいた。

 ナノマテリアルの風の中に、3人が消えて行く。

 

 

「クリミアまで来なさい、千早紀沙」

「最も、ロリアン(ここ)から生きて出られればの話ですが」

「……待て!」

 

 

 水だ。

 四方から、いや天地からも海水が迫っている。

 すでに雨の如く、潮の香りが全身を打ち始めていた。

 『アドミラリティ・コード』の力が消えて、ロリアンは再び水底に沈む……!

 

 

「……ッ。……ノ。スミノ! スミノォ――――――――ッッッッ!!!!」

 

 

 人も、叫びも。

 すべてが、海の底へと消えて行った。

 まるで、最初から何も存在しなかったかのように。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 何じゃな、と、『ダンケルク』は思った。

 すでに街並みから瓦礫へと名前を変えつつあるイタリア北部トリエステの通り、文字通り瓦礫を踏み締めながら立っていた彼女は、メンタルモデルらしからぬ肌の()()()()を感じていた。

 何か、自分達にとって大切なものが消え失せたような気がする。

 

 

「……あの……」

「お? おお、おうおう。大丈夫じゃ、ちょっと気もそぞろになっておっただけじゃからの」

 

 

 積み上がった瓦礫の上で、『ダンケルク』は邪気の無い笑顔を浮かべた。

 その細腕の上には成人男性――イタリア人の民兵カルロが乗っていて、とどのつまり2人は「お姫様抱っこ」の体勢だった。

 ただし、男女の役柄が逆だった。

 

 

「あ、あんた霧だよな? どうして」

「この町のケーキは美味かったからの、無くされると困――おう? お喋りはここまでのようじゃな」

「え。うおっ、うおお!?」

 

 

 足元の瓦礫が僅かに動いたかと思った次の瞬間、瓦礫が大きく盛り上がった。

 盛り上がりが爆発へと続くより少し早く、『ダンケルク』は宙へと身を躍らせていた。

 側に即座にナノマテリアルの粒子が集まり、巨大な――具体的には33センチ口径の――砲が形勢された。

 砲身内部に光が走るのと、瓦礫が完全に爆発するのは同時だった。

 

 

「『ダンケ――――」

 

 

 誰かが凄い形相で何かを言ったようだが、『ダンケルク』の砲撃音が全てを吹き飛ばした。

 かんらかんら。

 『ダンケルク』が笑う横で、爆風に煽られたカルロは「ひいいいい」と情け無い悲鳴を上げていた。

 

 

「――――ルク』ッッ! 貴ッ様ァッ!!」

「はははははっ、どうした<騎士団>のエース! その様は!」

 

 

 それは『トルディ』だった。

 側には10トンにも満たない小さな戦車が形勢されており、盾にしたのだろう、キューポラ部分に大きなへこみと焼け跡があった。

 しかもそれだけでは無く、『トルディ』の身体も人間で言う打撲傷だらけでボロボロだった。

 

 

「悔しかろうのお! 海上の艦(ダンケルク)であれば一方的に狙い放題だったろうに」

「言ったな!」

 

 

 <霧の艦艇>と<騎士団>、そして互いのメンタルモデルを交わしての本格的な戦闘は、確認されている範囲ではこれが始めてである。

 ボッ、と『トルディ』の砲身が火を噴いた。

 砲口から放たれた戦車砲は、真っ直ぐに『ダンケルク』達を目指した。

 しかしそれは、当たる前に『ダンケルク』のフィールドによって受け止められてしまった。

 

 

「はっ、軽い――軽いのう! 所詮は()()()の攻撃、大戦艦にとっては露ほどのものでは無い」

「な、なにぃ~~」

「さぁて、自分の砲弾で自分が吹っ飛――……ッ、伏せろ!」

「うわああっ!?」

 

 

 この後、『ダンケルク』の行動は一手ずつ遅れた。

 まず『トルディ』の砲弾構造を解析し分解した、この時点で()()()()()()()()()()

 次にカルロを掴んでいた手を離し足元に落とした、この時点で背後に現れた何者かは()()()()()()()()()

 そして『ダンケルク』が後ろを振り返り、防御体制を取ろうとするより一刹那速く。

 

 

「うひぃっ!?」

 

 

 頭上で尋常で無い音が響いて、頭を抱えて伏せていた。

 そして音が止んだので、恐る恐る顔を上げた。

 するとそこには、2メートル近い大男がいた。

 筋肉質で胸板は厚く、ジャンパーを肩にかけ、口に咥えた葉巻から紫煙をくゆらせている。

 眼光は鋭いの一言、見下ろされる形になったカルロは、目を合わせることすら出来なかった。

 

 

 すると当然視線は動き、先程までそこにいたはずの『ダンケルク』の姿が見えないことに気付く。

 何かが崩れる音がした。

 そちらへとさらに視線を動かすと、ちょうど建物が崩落するところだった。

 数百メートル先の建物が。

 しかもすこまで吹き抜けている、まるで何かが道々の建物を壊しながら転がって行ったように。

 

 

「『ティーガーⅡ』! 余計な手出しだぞ!」

(殴……え? 殴り飛ばしたのか。あそこまで!? さっきの子を!?)

 

 

 『トルディ』が何か言っているが、カルロには聞こえていない。

 今はただ、拳と膂力だけで異能の霧『ダンケルク』を数百メートル先まで殴り飛ばした『ティーガーⅡ』とか言う男が恐ろしかった。

 そんな男が、じっと自分を見下ろしているのである。

 身体の芯からガタガタと震えて、動くことも出来なかった。

 

 

「あ、あ……う、え。な……」

 

 

 こう言う時、人と言うのは素が出るものだ。

 この絶体絶命の状況下で、それこそ失禁しながらも、カルロが唯一動かせる口が放った言葉は。

 

 

「い……い、イタリア舐めんなコノヤロー……!」

 

 

 啖呵であった。

 見栄であった。

 民族の誇りだった。

 しかし、それだけで敵を退けることは出来ない。

 嗚呼、無言のまま『ティーガーⅡ』が拳を振り上げていく……。

 

 

「ははっ、良いの! 男はそのくらいでなくてはのう!」

 

 

 粒子が急速に集合し、腕先から上半身の順に身体を構成した。

 そして下半身の構成に入る頃には、『ダンケルク』の細腕が『ティーガーⅡ』を殴り返していた。

 『ダンケルク』のように吹き飛びはしなかったが、数歩たたらを踏ませることには成功した。

 代わりに、痛覚の無いはずの『ダンケルク』が殴った側の掌を振って痛がっていた。

 

 

「さ、さーて……」

 

 

 カルロと視線を交わし、にやりと笑って。

 

 

「イタリア舐めんな、このやろー……じゃ!」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ここで、さらに視点を切り替えなければならない。

 何故ならばこの時期、重要な事柄が進行していたからだ。

 その自体はフランスの隣国、ドイツで起こっていた。

 ドイツ、この時代においてはヨーロッパの最強国である。

 

 

 伝統的に軍は強く、兵器は最先端であり、銃後の人々は忍耐強く勤勉だ。

 またアメリカ・イギリスに倣い諜報に力を入れた現在のドイツはヨーロッパ中に感度の高い情報網を持ち、欧州大戦の()()()()()()()()()()()()、大戦の帰趨を操ってきた。

 しかし今、その大国としての余力を失いかねない事態になりつつあった。

 

 

「正直、イタリアがそれほど長く保つとは思えん」

 

 

 コツコツと軍靴の音を響かせながら、男は通路を通っていた。

 その通路は、両側が牢になっていた。

 鉄格子の向こう側には同じボロ布じみた服を着た男達がいて――そのいずれもが痩せこけ、力なく項垂(うなだ)れている――1個の牢に何人も詰め込んでいるその様子は、牢と言うより収容所と言った方がしっくりと来た。

 

 

「まして千早翔像に牙を抜かれたフランスなど、イタリアよりも期待できん。なればこそ、中央での無用な混乱は避けるべきだと言うのに」

 

 

 小綺麗な黒の制服を着た彼の名は、ジーク・ホーエンハイム。

 年は24、階級は少尉。

 ドイツ海兵隊に所属する下士官であり、裏方の任務をこなす特殊部隊のチームを率いる青年である。

 金髪碧眼にがっちりとした肉体はいかにもドイツの軍人であり、自信に満ち溢れたその姿は自然と人を率いてしまえそうな雰囲気を作り出していた。

 

 

「厄介ごとが、向こうから飛び込んで来やがった」

 

 

 ある牢の前で、ジークは足を止めた。

 どうやらその牢の囚人は()()なようで、他と違い1人で使用していた。

 しかも衣服もきちんとしたスーツであり、クリーニング仕立てのようにパリっと糊が利いていた。

 彼は、ポケットに手を入れたままジークと牢越しに対面していた。

 

 

「それで、我がドイツにいったいどのようなご用件なのかな?」

 

 

 心の底から歓迎していなさそうな顔と声のジークに対して、牢の中の彼は不敵な笑みを浮かべていた。

 ジークは、彼の名を口にした。

 

 

()()――――()()()()

 

 

 千早群像。

 群像は、ジークの言葉に動揺すること無く、不敵な笑みを崩すことは無かった。

 そして、彼は言った。

 

 

「すまない。日本語か英語で頼む」

 




多数の<騎士団>キャラクター投稿有難うございます。
今回、早速採用させて頂きました。

投稿キャラクター:
ティーガーII(ゲオザーグ様)
ジーク・ホーエンハイム(カイン大佐様)

ありがとうございます。

さて、今回『アドミラリティ・コード』周辺の設定を一気に出しました。
我ながら思い付きの部分もあるのですが、いかがでしたでしょうか。
今後も色々公開していくので、お付き合い頂ければと思います。

それでは、また次回。

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