蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth006:「名古屋沖海戦」

 台風11号は、強い暴風圏を維持したまま北上を続けていた。

 勢力圏内の海上は夜のように暗く、また激しい波浪を伴う暴風は波飛沫で視界を白く覆う。

 視界360度がそんな様相を呈する中、()()の周りだけが水を打ったように静かだった。

 風も無く波も少ない――台風の目の中で。

 

 

「……来たか」

 

 

 台風の規模と風速、移動速度や方角等をリアルタイムで観測しながら、少女はゆっくりとした動作で立ち上がった。

 膝裏にまで達する青色の髪、はっとする程に鮮やかな蒼の瞳、染みはおろか荒れのひとつも無い白い肌。

 肩と二の腕を露にした白いワンピースは清潔かつ扇情的で、対照的な黒いタイツが肉付きの良い太腿を引き締めている。

 

 

 美しい少女だ。

 気の強そうな瞳は不思議な光を放ち、両頬には青い光の線が明滅している。

 それはどこか、データを受信するコンピュータを思わせた。

 そしてこの表現は、そう外れてはいない。

 

 

「『ナガラ』を沈めた奴と……『ヒュウガ』をやった奴」

 

 

 何故なら彼女は、人間では無い(メンタルモデルだ)からだ。

 彼女の本体は彼女自身の足元、全長200メートル・全幅20メートルを超える鋼の船体だ。

 霧の重巡洋艦――排水量1万トン前後の艦で大型のもの、準戦艦とも呼ばれる――『タカオ』、霧側が愛知県名古屋沖に展開した早期警戒(ピケット)艦、それが彼女の正体だった。

 艦橋に立つタカオの眼下には、『タカオ』型が誇る20センチ連装砲がその威容を見せ付けている。

 

 

「流石は総旗艦艦隊の情報収集艦、501とは索敵の深度も確度も比べ物にならない」

 

 

 タカオが身体を解すように腕を回すと、その動きに合わせて艦体が()()()

 比喩では無く艦の両側の装甲と中心が開き、内部の機関が剥き出しになったのである。

 機関(エンジン)音が徐々に高まり、それに伴い赤いプラズマが至る所で発生する。

 バチバチと言う破裂音にも似たそれは、台風の目の中で喧しく響き渡った。

 

 

「でも、指揮は私がやるわよ。いくら総旗艦直轄って言ったって、巡航潜水艦の指揮下に入るなんて真っ平だわ」

 

 

 そしてそれらのエネルギーは、艦上に現れた2つの物体――巨大な光学レンズにも似ている――に収束されており、磁場にも影響を与えているのか、艦の周辺の海面だけが押さえつけられたかのように波が無かった。

 強気に胸を逸らし、タカオは傲然と全てを見下す。

 

 

「さぁ……」

 

 

 オーケストラの指揮者がそうするように手を掲げ、指先で水平線をなぞる。

 

 

「――――まずは、挨拶代わり」

 

 

 気に入ってくれると良いのだけれど。

 そう呟き、そして呟くように言った直後、彼女は。

 掲げた手を、振り下ろした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 少し、意外ではあった。

 群像達はすでに上陰の誘いに乗る形での横須賀行きを決めていたが、単独行になるものと思っていた。

 正直に言って、自分達の操るイ401について来れる艦があるとは思っていなかったのだ。

 しかしそれは自惚れだったと、群像はそう認識を改めた。

 

 

404(あいつ)は、まだついて来てるのか」

「このまま横須賀まで追尾されそうですね」

 

 

 イ401の発令所に、機関士のいおりを含むクルー全員が集まっていた。

 メインモニターの黒い画面には周辺海域の概略図が映し出されており、401自身と斥候のためのアクティブデコイ数隻、台風の位置と予測進路、そして名古屋沖に陣取る霧の重巡洋艦(タカオ)の位置等がわかるようになっていた。

 デコイのセンサーや衛星画像等から得た情報をまとめたもので、戦術の決定には不可欠なものだ。

 

 

 現在、イ401は台風を隠れ蓑にタカオの探知範囲外を航行中で、その後方をイ404が航行している。

 無音潜行時にも引き離されなかった所を見ると、巡航潜水艦らしい探知能力を備えているのだろう。

 とは言え危なっかしい部分もあり、それは遠洋を航海する経験が少ないためだろうと思えた。

 本気で撒こうと思えば、撒けるだろうが……。

 

 

「目的地は同じだ。特に何をしてくることも無いだろうから、同道するのも良いさ」

 

 

 それに、今は余計なことに力を割けない事情もある。

 正規のルートで弾薬や食糧等を補給できないイ401にとって、無駄な戦いは文字通り無駄でしか無い。

 必要の無い戦いは避けるべきだし、なるべく最短のルートで横須賀に向かいたいところだった。

 

 

「それにしても、ナガラと戦ってたのが紀沙ちゃんだなんてね」

「びっくりだよなー」

「……誰ですか?」

 

 

 膝にイオナを乗せたいおりとポップコーン片手の杏平の会話に出てきた名前に、センサーに気を払いながらも静が首を傾げた。

 静は半年程前に乗艦した新参者で、学院の頃からの付き合いである他の面々の会話についていけないことがある。

 ちょうど、今回がそうだったようだ。

 

 

「紀沙は、404の艦長だ」

「で、我らが艦長千早群像の双子の妹君でもあるわけだ」

「艦長に妹さんがいたんですか!?」

「いたんだなー、これが」

 

 

 な、と肩に腕をひっかけて来る杏平に苦笑する。

 イ401に男は群像以外は2人が乗っているが、もう1人はまずこんな風に絡んでは来ない。

 そう言う意味では、杏平は401の中でも独特の地位を築いていると言えた。

 

 

「艦長の妹さんって、どんな人なんですか?」

「今はタカオだ。横須賀に辿り着けなければ、妹も何も無い」

 

 

 目を輝かせ始めた静だが、群像がそう言って話を切ると途端に不満そうな顔をした。

 「後で教えてあげる」といおりが囁いているのを横目に、群像は改めてモニターを見上げた。

 さて、と艦長用のシートに深く座り直しながら。

 

 

「イオナ、404のデータを……」

「ん」

 

 

 イ404、イ号400型巡航潜水艦。

 全長122メートル、全幅12メートル、排水量6560トン。

 53センチ魚雷発射管艦首8門を始め、各種レーザー兵器及び近接火器多数。

 基本的なカタログスペックは、()()()のイ401と同じだ。

 だからこそ、性能の予測も立てやすい。

 

 

 しかし一方で、カタログスペック以外の部分がどうなっているのかの情報は少ない。

 霧の艦艇は同型艦・同じ装備を持っていてもそれぞれに個性がある、それこそ性格が違うからだ。

 そしてその個性を理解すること無しには、霧の艦艇――イ404を本当に理解したとは言えない。

 イ404の個性とは何なのか、興味の尽きないところではある。

 紀沙に聞いておけば良かったか等と、栓の無いことを考えた。

 

 

「404を対タカオの作戦に組み入れるのですか?」

 

 

 僧の言葉に、顔を向けずに頷く。

 

 

「1番はこのまま何事も無くタカオのテリトリーを抜けることだ」

 

 

 とは言え、プランB――要するに、ガチンコ――を全く考慮しないと言うのもあり得ない。

 手持ちの戦力、あるいは当てに出来る戦力を念頭に何が出来るのかを考えておく必要がある。

 もちろん、今言ったように何事も無く通り抜けることが出来れば最善――――。

 

 

 ――――ズン、と言う、重い音が足裏から響いた。

 

 

 イオナがいおりの膝から立ち上がっていた。

 瞳の虹彩が激しい輝きを放つのを群像が目撃した時、彼はイオナが焦っていることに気付いた。

 そして次の瞬間、本震が来た。

 海が割れる程の衝撃、そのピークがイ401の艦体に到達したのだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 艦内にエマージェンシーを示す警報が鳴り響いたのは、イ404の方針を定める会議の場でのことだった。

 何しろイ404とそのクルーは――と言うより、彼女達を含む海軍関係者は――外洋を航海したことが無い、その都度、細かく調整していかなければならないのだ。

 それでも何とかイ401についていけているのは、イ404の力と衛星の補助があればこそだった。

 

 

「な、何っ……何が起こっているの!?」

 

 

 海中にも関わらず、地震にでも見舞われたのかと思う程の激しい揺れに襲われた。

 全てのモニターの光量が揺らぎを見せる、常に一定のエネルギーが供給される霧の艦艇ではあり得ないことだった。

 つまり、()()()()()()()が起こっている。

 

 

 重力波、と呼ばれるものがある。

 巨大な質量を持つ物質が光速で運動する時、重力子の相互作用により波動と言う形で現れる時空の歪み、そこで発生するエネルギーである。

 地球上で直接的に検出されることはまず無い、が、霧の艦艇は()()()()()()()()()()()

 

 

「――――重力子反応」

「何っ!?」

 

 

 長い、揺れが長い。

 指揮シートにしがみついていた紀沙だが、小さく速く揺れる視界の中、スミノの呟きだけは聞こえていた。

 それに対して叫びだけを返すと、珍しいことにスミノの声が上ずって聞こえた。

 

 

「タカオの()()()()だ」

「ち、超重力砲?」

「狙いはボク達じゃない」

 

 

 この時、海中では何が起こっているのかを知ることは難しい。

 しかし海上では明らかな異常が起こっていた、()()()()()()()()()

 何かで抉り抜かれたかのように海面に半円状の「道」が出来ており、海水が蒸発している様子すら窺えた。

 そしてそれは、真っ直ぐにタカオまで続いている。

 

 

 直前、そこで起きた事象を一言で言うならば、「極太のビームが全てを薙ぎ払った」だ。

 海面直上のタカオから真っ直ぐ海中目掛けて放たれたそれは、白光とプラズマを撒き散らしながら海を薙ぎ、途上にあるものを全て破壊した。

 蒸発させ、分解し、打ち砕き、後には何も残らなかった。

 雷神の鉄槌(トール・ハンマー)の如き一撃、スミノはそれを「超重力砲」と呼んだ。

 

 

「おいおい、冗談だろ。アクティブデコイからの通信、全途絶!」

「なっ……!」

 

 

 梓が焦りの声を上げる、先行して放っていた2隻のアクティブデコイが一瞬で消滅したためだ。

 それによって得られていた「視界」が消え、一方で震動が徐々に収まってきた。

 その段になってようやく、紀沙は顔を上げることが出来た。

 余震を警戒でもするかのように身を固くしつつ、光量の安定した発令所の様子に息を吐く。

 

 

「恋さん、艦内の状況確認を」

「了解。早急に艦内状況を掌握します」

「お願いします。梓さん、アクティブデコイの残弾は?」

「4つだね」

「……5番、6番にアクティブデコイ装填。後部発射管に音響魚雷を」

「了解。ちなみに音響魚雷の残弾は5発だよ」

「わかりました」

 

 

 その時、スミノが声を上げた。

 あえて言うのであれば、暗がりで「だーれだ」された時に上げる声に似ている。

 不意に誰かに腕を引かれた、そんな声だった。

 

 

「401が触れてきた」

「何? さっきから何を言ってるのかわからないのだけど?」

「人間の言葉で説明するのは難しいね。まぁ、少なくとも今ので401が撃沈された可能性は無くなったわけだけれど」

 

 

 イ401の撃沈、考えたくも無い可能性だった。

 正直、あえて無視していたと言っても良い。

 

 

「冬馬さん、タカオと401の位置はわかりますか?」

「あー、最後に補足した位置と変わってないなら……ん? 待てよ、こいつは」

 

 

 一拍の後、彼は言った。

 ――――魚雷航走音、4。

 タカオのいる方角と、()()()()()からの強襲だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 分散首都・東京――――議会場。

 17年に及ぶ国家危急の時代の中で、「議会」の形も意義も大きく変わっていた。

 長時間縛りつけられることには辟易(へきえき)もするが、北はその必要性は良く理解していた。

 議会民主制をまがりなりにも維持する以上、政治にはすべからく手続きが要る。

 

 

「先生」

 

 

 休憩となり議場の外に出てきた北を、秘書が呼び止めた。

 彼が差し出して来た封筒、その中身の書類を確認した北は、低く唸った。

 

 

「この情報はいつの物だ?」

「20分前です。軍務省の定時レポートの中に含まれていました」

 

 

 それは数枚の衛星写真と、写真の内容について分析したレポートだった。

 霧の出現により人類側の衛星は多くが撃墜されたが、それでも全滅したわけでは無い。

 もちろん、数が激減したためにいつでもどこでも撮影が出来るわけでは無いが……。

 

 

 今、北の手元にあるのはその貴重な写真の一部だった。

 具体的に言えばイ404、そしてイ404が追跡しているイ401の追跡レポートだった。

 軍務省と北は直接的な関係には無いが、内閣――軍務大臣、又は楓首相本人――から優先的に情報が回ってくる、イ404を使った計画の立案者として、あるいは党の実力者として。

 

 

「霧の攻撃を受けたのか。名古屋沖の現状はわかるか?」

「台風の影響もあり、陸上からの監視は……その」

「難しい、か。仕方ないな」

 

 

 写真は2枚あり、1枚は海中の船影を解析して浮き上がらせた写真だ。

 そこには数隻の船影が映し出されており、これはデコイを含めての物だとわかる。

 もちろん、この写真からではどれが本物でどれがデコイかまではわからない。

 

 

 そしてもう1枚は、その船影群の中央を光の柱が貫いている写真だ。

 霧の、つまり名古屋沖に陣取るタカオの攻撃だと思われる。

 それがどのような攻撃なのかはやはりわからないが、相当の威力を持っていることは想像に固くない。

 その攻撃によって、おそらく何隻かは沈められている。

 

 

「……404は? この状況になる前に何か言ってきていたか?」

「暴風圏内に入ることを知らせてきて、それが最後です」

 

 

 霧の傍受リスクを低減するため、通信は不定期かつ断続的に行われることになっている。

 ブツ切りになったメッセージを組み直す作業もあり、なかなかタイムリーに連絡が取れないのが欠点ではあった。

 

 

(……台風を隠れ蓑にしようとしたが、見つかり、逆に奇襲を受けた、と言ったところか)

 

 

 元海軍である北には、ある程度の状況は写真から予測できた。

 それは裏を返せば、イ404がどれだけ危機的な状況なのかわかってしまうと言うことだ。

 そして、今自分に出来ることが何も無い、と言うことも。

 

 

「…………」

 

 

 ふと顔を上げると、自分を見つめる視線を感じた。

 それは、通路で誰かと話し込んでいたらしい上陰だった。

 おそらく自分と同じような情報を得たのだろう、その手には書類があった。

 話していたらしい相手は北も良く知っている相手だった、統制軍の浦上海軍中将、戦術論の専門家だ。

 がっしりとした髭面の男で、確か千早――紀沙の父親とも懇意にしていた男だ。

 

 

「先生」

「……今は404を信じる他は無い。続報があれば、すぐに知らせるのだ」

「はっ」

 

 

 外洋を航海させる以上、こうなることは想定の範囲内と言えた。

 それに出来ることが無いのも事実、唯一出来ることは、それこそ信じることだけだった。

 秘書に情報収集を続けるよう伝えると、北は議場に戻るために来た道を戻る。

 ――――その手は、しきりにネクタイを撫でていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 音響魚雷によって海中を掻き回し、その隙に敵のソナーから逃れる。

 この戦術は現代の潜水艦による戦闘では最も常識的な戦術であって、401と404の音響魚雷のタイミングが重なったのは偶然では無い。

 双方の艦長は同じ学院での生徒であったし、まして双子の兄妹であったのだから。

 

 

「イオナ、404は健在だな?」

「ん、沈んでないぞ。まだ触れている、ただ正確な位置まではわからない」

「十分だ、向こうも隠れているんだろうからな。さて……」

 

 

 戦闘態勢に入った発令所の中で、群像は思案していた。

 敵はタカオのみと思い込んでいたが、最後の魚雷の機動から見てそれは無い。

 つまり最低でもあと1隻、あるいはそれ以上――おそらくは潜水艦――の、()()()が相手だと言うことだ。

 

 

「どうすんだ、404と分断されちまったぞ」

「と言って、今こちらから動くわけにはいかない」

「けどよ……」

 

 

 イ404には紀沙がいる。

 杏平が言外に告げようとしている言葉を、しかし群像は無視した。

 艦長の私的な都合でクルーを危険に晒すことは出来ない、それにイオナはイ404が少なくとも()()無事だと言っている。

 

 

 状況がわからない今、無闇に動くべきでは無い。

 それが艦長としての群像の判断であって、現状ではそれは賢明な判断と言えた。

 おそらく、イ404――紀沙も、同じように考えているはずだ。

 そして、群像がそう考えた時だった。

 

 

「……! 待って下さい。タカオ、対潜ミサイル発射、数8! なおも着水音増加中!」

「見つかったのか!? 何でだ!?」

「落ち着け、後部発射管に低周波魚雷装填! イオナ、両舷全速、右舷回頭!」

 

 

 海上のタカオが、ピンポイントで着底中のイ401に攻撃を仕掛けてきた。

 確かに霧の艦艇の索敵能力は人類のそれとは比べ物にならないが、海底にいる潜水艦をピンポイントで見つけられる程のものでは無い。

 にも関わらず、このピンポイント攻撃。

 

 

「静、周辺を警戒しろ。まだ来るぞ!」

「は、はい!」

「イオナ、地形図と潮流図を出してくれ」

「ん」

 

 

 間違いない、観測艦がいる。

 それもただの観測艦では無く、異常な探知能力を備えた潜水艦だ。

 そして今、その潜水艦もまた自分達を攻撃してきている。

 どうやら、群像が思っている以上に状況は厳しくなっているようだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 重高圧弾頭魚雷で、後方に追い縋っていた魚雷群を一掃した。

 誘爆が誘爆を呼び、海中の振動が直に艦体を揺らしているのが足裏を通して伝わる。

 

 

「また来るぞ! いったいどうなってやがんだ、何たってこっちの位置がわかる!?」

「音響魚雷の撹乱もほとんど効果が無い所を見ると、敵の索敵能力は相当のものですね」

 

 

 しかし重高圧弾頭魚雷の引き起こした衝撃の中を、後続の魚雷群が突き抜けてきた。

 全速で逃げるイ404、艦体を左舷方向に動かしながら、もう一度重高圧弾頭魚雷を後部発射管から発射した。

 再びの、重厚な爆発音。

 そこへ、直上からの攻撃が来る。

 

 

 タカオだ。

 タカオが発射した128発の侵蝕弾頭魚雷、その内の3分の1がイ404に降り注いだのである。

 海底を這うように駆けるイ404、その周囲が相当に賑やかなことになっていた。

 次々に侵蝕弾頭が炸裂する中、僅かな隙間を縫うようにして鋼の艦体が全速で抜けていく。

 クラインフィールドの波紋が衝撃を吸収してくれなければ、沈んでいただろう。

 

 

「長くは保たない」

「……わかってる」

 

 

 スミノの言葉に、苦虫を噛み潰す心地で応じる。

 正直、やられっぱなしと言う状況だ。

 発見された潜水艦程、脆弱な軍艦は無い。

 まして、こちらは敵の姿を未だに掴めていないのだから。

 

 

「探知範囲を最大にまで広げているけど、後ろの敵を発見できていない」

「わかってる」

「401の位置も依然不明だ。断続的にこちらに触れてきている以上、沈んではいないだろうけれどね」

「わかってる!」

 

 

 わかっているのはタカオの位置だけだ、ご丁寧なことに洋上で足を止めてくれている。

 しかし、そちらに攻撃に行くのはいかにも不味い。

 どう見ても囮を兼ねているとしか思えない、真っ直ぐ向かえば他の敵に狙い撃ちにされるだろう。

 つまり、敵の潜水艦――そうで無ければ、潜水艦のイ404をここまで的確には追えまい――をどうにかしない限り、タカオを攻撃することは出来ないと言うことだ。

 

 

 問題は、イ404には霧に対して有効な兵器が無いと言うことだ。

 隠れることも不可能な現状、致命的と言える装備上の欠陥だった。

 ……いや、クラインフィールドを除けば有効な兵器を用意出来なくは無いが。

 

 

「振動弾頭魚雷を作っておくかい?」

「…………」

「艦体は少し小さくなるけどね」

 

 

 じろり、と、紀沙はスミノを睨んだ。

 スミノは至って平静な顔をしていて、すでに演算を始めているのだろう、瞳の虹彩が電子的な輝きを灯していた。

 振動弾頭魚雷、確かにそれは霧にも有効な兵器だ。

 

 

「……前にも聞いたと思うけど」

 

 

 スミノとの対話を紀沙に任せているのか、他のメンバーは何も言わなかった。

 

 

「どうして、振動弾頭の設計データを持っているの?」

「前にも答えたと思うけれど、ボクは()()()()()()()()()

 

 

 振動弾頭は、日本政府の――統制軍の特級機密だ。

 スタンドアロン化した特別なサーバのみにその情報はあり、持ち出しは厳に管理されている。

 おそらく鹿島の職員達も、自分達が何を運ぼうとしていたのか知らなかったはずだ。

 紀沙も、詳細は知らされていなかった。

 

 

 ()()()()()

 スミノはそう言ったが、その意味については考えなければならないだろう。

 思えば、彼女が横須賀で普段何をしているのか、紀沙は知らないのだから。

 そして、より重要なことは。

 

 

「その情報、()に漏らしていないよね?」

「聞かれていないことを教えてあげる程、ボクは出来た艦じゃないよ」

 

 

 要は、スミノを――イ404を、どこまで信頼できるのか、と言うことだ。

 その点において、紀沙はスミノに対して何も期待してはいなかった。

 一方で、こうしている間にも敵の攻撃による振動は激しさを増している。

 

 

「艦長、今は……」

「……そうですね。すみません、恋さん」

 

 

 確かに、今はそう言う話をするタイミングでは無いだろう。

 瞑目して、息を吐いた。

 そんな紀沙の横顔に、スミノの妙に明るい声が届いた。

 

 

「キミがボクに興味を持ってくれた時にでも、話すよ」

 

 

 興味など、あるわけが無い。

 しかしそれは口にはせずに、紀沙は次の指示を出し始めた。

 何をするにしろ、今はこの場を生き残らなければならない。

 任務を終えて、生きて、横須賀に、屋敷(いえ)に帰るのだ。

 ――――その指先は、首の後ろのリボンに触れていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その艦艇の名を、イ402と言う。

 名称からわかる通り、イ号400型の巡航潜水艦である。

 同型艦だけに艦形は401、404と似通っており、水上艦型の潜水艦だ。

 メンタルモデルの容姿もまた、それこそ姉妹のように良く似ていた。

 

 

「404は、随分と派手に動くものだな」

 

 

 薄い桜色の唇から、零れ落ちるように言葉が発せられた。

 輝く銀髪に澄んだ翡翠の瞳、ゆったりと言うよりはややぶかぶかしている石榴(ざくろ)色の膝丈のワンピースに身を包んでいる。

 長い銀髪の左右の一部をリボンで結んでいて、幼げな容貌を少し大人っぽく見せていた。

 

 

 彼女は今、名古屋沖の海底に潜みイ404を攻撃していた。

 タカオの対潜弾の雨の中を縫うように進むその姿は、イ402のセンサーにしっかりと捉えられている。

 発令所の中心にひとり立つ彼女だが、何故か独り言が多い。

 いや、独り言では無い。

 

 

『こちらは401を追っているけど、404とは違って精密にこちらの雷撃を迎撃しているわね』

「逆に私が追っている404は、迎撃よりも回避に力点を置いているようだ。見ていて興味深くはある」

 

 

 人類の通信とは異なる、霧の艦艇同士の特殊な通信ネットワークによる会話だ。

 概念伝達。

 まるで隣にいるかのように会話が可能で、人類側がこれを傍受することは不可能に近い。

 402が交信している相手はイ400、彼女の姉妹艦で、共に401、404を追い込んでいる。

 

 

 イ400のメンタルモデルは容姿こそイ402と瓜二つだが、服装は桃色の中華風のものを着用していた。

 ちなみにパンツスタイルであり、髪はリボンでは無くシニョンでまとめている。

 容姿がほぼ同じであるため、服飾で差別化を図っているのかもしれない。

 そしてイ400自身が言ったように、今、彼女はイ401を後方から扼しているところだった。

 

 

『ちょっとアンタ達、お喋りも良いけどちゃんと追い込みなさいよね』

 

 

 そこへ、どこか高慢にも聞こえる声が響いた。

 タカオである、当然ながら彼女もこの通信に入ることが出来る。

 

 

『『コンゴウ』だけじゃなく、『ナガト』や『ヤマト』だってモニターしてるんでしょ。なら、無様な様なんて見せられないわ』

「……それは<見栄>と言う概念か?」

『知らないわよ、そんなの』

 

 

 人類の感情の多くは、霧には理解しがたいものだ。

 彼女達がメンタルモデルを得た理由の1つは、人類の思考や感情を学ぶことにある。

 

 

『とにかく、ちゃんとしてよね』

「わかったわかった、超重力砲の再チャージは?」

『もう終わるわ』

「400、このまま追い込むぞ」

『了解』

『ちょっと、旗艦は私って言ってるでしょ!?』

 

 

 超重力砲は、霧の艦艇でも重巡洋艦以上の大型艦しか持てない重力子兵器だ。

 理論上は射程が存在せず、エネルギー供給さえ続けば超長距離の狙撃も可能だ。

 破壊力は、折り紙つきだ。

 とは言え膨大なエネルギーを使用するため、連射は難しい。

 

 

 そうした不確定要素を戦術に組み込むことを、イ402は本来は好まない。

 しかしタカオ自身が言うように、今は彼女が旗艦と言うことになっている。

 だからイ402は、特に何も反論はせず、静かにイ404に向けて侵蝕魚雷を放った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 完全に分断されてしまった。

 通信手段が無い現状、唯一の味方と言っても良いイ401と連携が取れないのはどうにも痛かった。

 この状況、兄ならばどうするだろうか。

 

 

「どこかに追い込まれていますね」

「はい」

 

 

 断続的に爆発と振動が続く中、紀沙は敵が自分達をどこかに追い込もうとしていることに気付いていた。

 何しろ敵の魚雷はギリギリ回避できるところを狙っており、それでいてイ404の進路方向にはけして攻撃しないのだ。

 有体に言えば、避けているつもりで誘導されている。

 

 

 ここまで無事と言うのは、相手にとっては予定調和と言うことだろう。

 つまり、非常に不味い。

 発見され、好きに攻撃され誘導されている。

 今は相手が戦場を仕切っている、どうにかしなければならなかった。

 

 

「スミノ、タカオの位置と向きに注意して」

「……ふむ」

 

 

 一番の脅威は、あの重巡(タカオ)の超重力砲と言う兵器だ。

 正直どう言った兵器なのかはわからないが、おそらく正面が射程のはずだ。

 よって、海上のタカオがどちらを向いているかは特に重要なはずだった。

 しかし、当のスミノの反応はどこか鈍かった。

 

 

「スミノ? ちょっと聞いてるの?」

「いや、これはどう考えたものなのかな」

「何が?」

「通信だよ、401が全方位に向けて発信した。いきなりね」

「通信……?」

 

 

 全方位と言うことは、当然ながら敵にも傍受されているだろう。

 すでに敵に見つかっている以上、発信元がバレるリスクはもう存在しない。

 だからこその通信だろうが、内容によっては敵の撹乱と言うこともあるかもしれない。

 だが、十中八九それはイ404に向けたメッセージであるはず……なのだが。

 

 

『潜水艦ごっこを覚えているか?』

 

 

 それが、イ401の発したメッセージの全てだった。

 

 

「は? え、何だよそれ。意味不明だぞ」

「潜水艦ごっこも何も、アタシら潜水艦に乗ってるじゃないかい?」

「何か意味があるのでしょうか……」

 

 

 クルー達が揃って首を傾げる中、スミノはじっと紀沙の横顔を見つめていた。

 その視線を頬に感じながら、紀沙は顎に手を当てて考え込んでいた。

 イ401、つまりあの兄が無駄なことをするわけが無い。

 そして兄が「覚えているか?」などと問いかける相手は、妹である自分だけだろう。

 

 

「冬馬さん、401の位置を地形図に出せますか」

「お、おう? さっきの通信の発信元の予測値で良いなら三次解析まで出せるが」

「それで大丈夫です。戦闘開始前の位置情報も一緒にお願いします」

「どうするんだい、艦長殿?」

「…………」

 

 

 戦場の状況、イ404の現状と装備、イ401の位置と移動推移の予測、敵の位置取り。

 そして、兄のメッセージ。

 それら全ての情報から紀沙は判断しなければならない、しかも早急に。

 ナガラの時もそうだった、決断は常に不意に迫られる。

 緊張感を切らせる暇も無い。

 

 

 それにしても、潜水艦ごっことは何だろう。

 ごっこも何も、自分達はすでにして潜水艦に乗っている。

 大体ごっこ遊びなど子供の頃にしたきりで、成長してからはすっかり忘れていた。

 ごっこ遊び……遊び?

 

 

「……あ」

 

 

 はっとして、紀沙は顔を上げた。

 食い入るようにモニターに映し出された地形図を見つめ、何かを確かめるように視線を滑らせる。

 

 

「おい! どうすんだ艦長ちゃん、またぞろ対潜弾が来たぞ。数は18! それと後方から魚雷4!」

「……直上と後方に重高圧弾頭魚雷を発射、4秒後に起爆して下さい。それから音響魚雷を1番2番、5番6番に!」

「どっちも撃ち尽くしちまうよ!?」

「構いません! この次に魚雷を撃つ時が正念場です!」

「艦長ちゃん、また突撃じゃねぇよな!?」

「…………」

「黙らないで!?」

 

 

 確証は無いが、確信はある。

 紀沙は重高圧弾頭魚雷の発射を確認した後、ミサイルや魚雷の誘爆の衝撃を背中に感じながら、言った。

 

 

「――――面舵(おもかじ)!」

「面舵ぃ!? ちょ、そっちにはタカオが」

「大丈夫です!」

 

 

 敵の誘導に逆らうことは、残念ながら困難だ。

 下手にルートから逸れようとすれば猛撃を喰らうだろう、だったら。

 

 

「だったら、こっちから行ってやりましょう! スミノ、両舷全速!!」

「了解、艦長殿――――機関室の2人が大変そうだけどね」

 

 

 クルーが――主に冬馬――悲鳴を上げる中、404の機関(エンジン)が一段と唸りを上げた。

 さぁ、正念場である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 海上、台風は未だ勢力衰えず、風雨と波浪はむしろ勢いを増しているように思えた。

 

 

「加速した……?」

 

 

 そんな中、タカオは訝しげな顔で海面を見つめていた。

 激しさを増す台風の中、目の中心にいるタカオの周囲は穏やかだ。

 見下ろす海面は凪いでいて、とても海中で殺伐とした戦いが行われているとは思えない。

 しかしその中では、確かに鋼の存在が互いの存在を消すべく戦闘を繰り広げているのだった。

 

 

「400と402が発見された? いや、違うな、発見したなら射程圏内に入るために近付くはず。この機動は、むしろ距離を取ろうとしている」

 

 

 小さく呟くタカオの傍らを、赤いプラズマが這う。

 ともすれば鋼の艦体を鞭打つようにも見えるそれは、エネルギーの充実を物語るものでもある。

 200メートルを超える巨大な艦体が装甲を展開し、ただひたすらにエネルギーを収束し続けるその姿は、見る者にこれ以上無い重圧感(プレッシャー)を与えるであろう。

 そしてその収束率は、最初の一撃の比では無い。

 

 

 最初の一撃――超重力砲は、ほんの挨拶代わりに過ぎない。

 超重力砲は事実上、射程も残段数も無い汎用性の高い兵器だ。

 一方でタカオのエネルギー供給には限界がある、最初の一撃はそう、タカオの艦底にへばりつくように存在する()()()()()()()()()()()()()()()()

 タカオ本来のエネルギーは、まだたっぷりと残っている。

 

 

「ふん、つまり逃げているだけか」

 

 

 501との接続は、元々自身の索敵範囲を拡大するための戦術として考えていた。

 観測艦の索敵範囲はタカオ自身のそれの倍はある、それを利用して攻撃可能範囲を広げようとしたのだ。

 ただ、400と402はそれ以上の索敵範囲を持っている。

 だから今回、即席のバッテリー代わりにすることにしたのである。

 

 

「奇妙な通信があったから、何かあるのかと思えば。401も噂程では無かったらしい」

 

 

 くくっ、と喉の奥で嗤い、タカオは両手を挙げた。

 いよいよもって臨海に達しつつあるエネルギーは、プラズマと言うよりは稲妻の塊と言った方が正しい。

 タカオの顔に独特の紋章が浮かび上がり、虹彩の輝きは激しさを増した。

 

 

「さぁ、おいで。そのまま……」

 

 

 タカオの作戦は、実のところ単純なものだ。

 400と402に401と404を追わせ、タカオの超重力砲の射程内に誘き寄せる。

 2隻を同時に超重力砲の射程に治めることは困難に思えたが、400と402ならば不可能ではない。

 事実として今、401と404は400達から逃れるために競うように転進している。

 

 

 ああ、今……いや、もう少し、もう少しだ。

 イ401の方が先に射程に入るか、いやしかしイ404の方が距離がある。

 タイミングは誤らない、400と402、2隻とデータリンクしている。

 ああ、直前で進路を……いや、大丈夫だ、回頭して追いかける……そう……そう、そうだ。

 ――――来い! そして。

 

 

「そのまま――――沈めえぇっ!!」

 

 

 超重力砲が、発射される。

 最初の一撃にも増して威力のあるそれは、海水を蒸発させ、モーゼの如く引き裂きながら海中を薙いだ。

 歓喜の叫びと共に放たれたそれは、射程に入った2隻を飲み込み、そして――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 終わった。

 イ400、そのメンタルモデルとコアはそう判断した。

 敵であるイ401とイ404は、タカオの超重力砲の直撃を受けたはずだ。

 いかに霧の艦艇と言えど、重力子兵器の直撃を受ければひとたまりも無い。

 

 

「とは言え、コアが消滅する程では無いはず」

 

 

 指先で頬にかかる髪を払いながら――こう言う動作も、メンタルモデルを得て初めてするようになった――400は、薄暗い発令所の中に立っていた。

 クルーは誰もいない、がらんどうの艦内に、メンタルモデルの少女だけが立っている。

 モニターの薄い光だけが、400の姿を暗闇の中に浮き上がらせている。

 

 

『重力波と磁場の乱れが収まり次第、401と404のコアを回収する』

「了解」

 

 

 通常の艦艇ならば、撃沈された段階で終わりだ。

 だが霧の艦艇にとっての艦体は、人間にとっての衣服に近い。

 コアさえ無事であれば、ナノマテリアルの供給次第で艦体を修復することも可能だ。

 そして、タカオの超重力砲は艦体全てを消滅させるまでには至らない。

 

 

 タカオはそのあたりを計算して、きちんとビーム口径を絞って撃っていた。

 しかしそれでも、威力は十分だ。

 超重力砲はエネルギー供給次第で射程・威力共に増大する、今回の場合射程はさほど必要では無い。

 そしてビーム口径を絞った分、純粋な意味での威力はより充実したものだった。

 401と404艦体の半分程は消し飛び、行動不能に陥っていることだろう。

 

 

「ん……?」

 

 

 不意に、訝しげな顔をした。

 彼女の目前――センサーやソナーと言う意味で――には、タカオの超重力砲の残滓が見えている。

 抉られた海が急速な()()を見せ、海中は騒々しいことになっているのだが。

 その騒々しさの中に、自然には発生し得ない音を感じた。

 

 

 そしてイ400の優れた観測性能は、その音の正体を突き止めた。

 しかし彼女にとって不運だったのは、タカオの超重力砲の影響で海中が騒音で満ちていたことだ。

 だから、反応が遅れた。

 逆巻く海流の中から飛び出して来た、()()()()に。

 

 

「な、に?」

 

 

 ――――何故。

 何故、ここで404が出てくる?

 402に追われてタカオの射程圏内に押し込まれたはずでは無かったか、それが何故、自分に向かって来ているのか?

 

 

「しま」

 

 

 気が付いた時には、イ404が魚雷を発射していた。

 全速力だったのだろう、100ノット(約時速190キロ)を超えるかと言う速度で突っ込んで来た。

 あっと言う間に交錯し、その刹那、4発の魚雷が炸裂した。

 音響魚雷である。

 

 

「ぐ……!」

 

 

 人間のソナー手がいるならばともかく、音響魚雷が何発炸裂しようがイ400にダメージは入らない。

 だが、煩わしくはある。

 瞬間的に走ったノイズが相当に不快だったのだろう、艦の苦悩がそのままメンタルモデルの表情にフィードバックした。

 

 

 しかし、所詮は通常兵器。

 霧の艦艇であるイ400にダメージを与える手段では無い、イ404にそのための兵器は無いのだ。

 だからこそ、イ400の気を一瞬逸らす程度の攻撃で逃げ出すのだ。

 401のことも気にかかるが、ここは404を追撃……。

 ――――401?

 

 

「しまった、402!?」

 

 

 気付いた時には、遅い。

 イ400のメンタルモデルが彼方を振り仰いだその瞬間、そう遠くない位置で魚雷の爆発音が立て続けに起こった。

 円形に広がり、相手を抉り取ろうとする一撃。

 ()()()()が、艦体に直撃した音である。

 

 

「や、やって……くれる……!」

 

 

 402が呻くようにそう言うが、流れ落ちる水音がそれを掻き消した。

 浸水している。

 イ400同様、超重力砲の影響が消えるのを呆けて待っていたのが不味かった。

 これは「油断」、そう言う概念だろうか。

 正面から奇襲を受けると言う、観測艦にあってはならない屈辱。

 

 

 100ノット以上の速力でタカオの超重力砲の圏内から飛び出して来たイ401が、交錯の間際に数発の侵蝕魚雷を叩き込んできたのだ。

 イ404のみ意識していた彼女にとって、完全な不意打ちだった。

 フィールドの形成が間に合わず、侵蝕魚雷の直撃を受けてしまった。

 チッ、チッ……と、イ402の瞳の虹彩が輝いていた。

 

 

「ど、どういうこと……何が起こったの?」

 

 

 そして、海上のタカオ。

 海中で行われた一瞬の戦闘はしかし、完全にタカオを蚊帳の外に置くものだった。

 いや、何が起こったのかはわかっている。

 タカオが超重力砲を放ったその瞬間、401と404がまるで図ったかのように急加速したのだ。

 

 

 いや、演算は完璧だった。

 なのに何故、どうして超重力砲は外れたのか。

 わからない。

 タカオのコアはいくつもの可能性を思考するが、霧の艦艇としてあるまじきことに、即座の解答を示せずにいた。

 

 

『タカオ、私は402のフォローに回ります』

「……私は、401と404の追撃を」

『今から追っても追いつけない。それに501のエネルギーも使ってしまった今、貴女自身の索敵能力では台風を隠れ蓑にする401達を補足できないでしょう』

「そんなことは!」

 

 

 無い、と、言い切れなかった。

 元々索敵能力が高いわけでは無く、400や501の助力を受けてのハメ技のようなものだ。

 超重力砲を撃った今、余力があるわけでも無い。

 その点に関しては、タカオのコアは憎らしい程に即座の結論を出していた。

 ――――追うべきでは無い。少なくとも、今は。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ネタが知れれば、簡単なものだ。

 何のことは無い、イ404とイ401は円を描きながら互いを目指して進んだに過ぎない。

 そのまま擦れ違い、お互いの後方の敵に向けて攻撃を仕掛ける。

 倒し切る必要は無い。

 

 

 あわよくば、と言う気持ちが全く無かったわけでは無い。

 しかし今ここで霧の艦艇を撃沈することには、さほど意味は無い。

 重要なのは、イ404とイ401を横須賀まで運ぶことだ。

 それ以外のことは、現段階においては実は大して重要では無かった。

 

 

「あ゛あ゛――――……今度こそマジで死ぬかと思った」

「僕の目から見て、まだ死にそうには見えないけどね」

 

 

 休憩室、あるいは談話室とでも言うべきか、イ404の艦内にちょっとしたスペースがある。

 浴室や娯楽室まであるのだから、潜水艦(ぐんかん)とはとても思えない。

 とにかく、冬馬は休憩室のテーブルにだらりと身を投げ出していた。

 戦闘海域を離れたため、交代で休憩を取ることが出来ているのだ。

 

 

「まぁ、大変だったみたいだね」

「他人事みたいに言ってんなー」

「医務室にいる僕にとっては、外で何が起こってるかなんてわかりようも無いからね」

 

 

 例えば今は冬馬の番である、状況が気になったのか良治も出てきていた。

 ソナーが発令所を離れて大丈夫かとも思うが、そもそもがイ404は乗員を必要としない艦である。

 人間を乗せてメリットがあるとすれば、それは霧の硬直的な思考では見えない部分をカバーすることであろう。

 戦術と言うのは、まさにそれに該当する。

 

 

 今回の戦術はひどく単純なものだが、タイミングが重要であるのは言うに及ばない。

 また互いの位置をある程度は把握しておく必要がある、地形図だけでは厳しかったろう。

 しかし今回の場合、とても目立つ目印があった。

 ――――400と402が401達の誘導のために放っていた攻撃、その音が道標となったのだ。

 

 

「と言うわけで、俺様は酷く耳を酷使したわけよ」

「401のソナー手にお疲れ様を言いたいね」

「少しは俺を労ってくれよぉ」

 

 

 タカオの動きが妙に鈍かったのも、見逃せない要素だ。

 円形に機動を取っている以上、直線にしか放てない超重力砲の射程に2隻を同時に収めるためにはどうしても微修正が要る。

 スミノ曰く、重巡洋艦のコアの演算力で出せるビーム口径には限界がある。

 

 

 イ404とイ401が超重力砲の発射と同時に最高速に達する、その計算とタイミングが重要だった。

 クラインフィールドを掠めるように超重力砲の威力が艦体を掠めたあの瞬間は、本当に生きた心地がしなかった。

 タカオの動きが今少し機敏であれば、また結果は変わっていただろう。

 

 

「超重力砲、ねぇ」

「超重力砲ってのは、おいそれと連射できるもんじゃねーんだと。それを連射する体勢に入ってるってことは、近くに補給艦がいるはずだってんで、艦長ちゃんがな」

 

 

 まさに、腹に一物を抱えていたわけである。

 それ以外に気付ける要素は無かったから、そう当たりをつけた紀沙の閃きはなかなかどうして、鋭いものだった。

 あるいは、それすら折り込んで見せた401の艦長が凄いと言うべきか。

 

 

「それで、その艦長は?」

「ああ、俺とおんなじ」

「つまり?」

「休憩中ってこと」

 

 

 しかし、重い。

 余りにも重い、その閃きの失敗は死だ。

 しかも1つの死では済まない、クルー全員の死がかかっていた。

 相談する時間? もちろんそんなものは無い。

 

 

 あったとしてもしてはならない、それはクルーを分裂させる危険性を孕んでいる。

 だから艦長を含め集団のリーダーたる者は、最後には()()()で決める。

 艦長が方針を定めずして、何が艦長か。

 ――――だが、やはり重かった。

 

 

「……う」

 

 

 艦長の私室――まぁ、クルー全員に私室はあるのだが――のベッドに上半身を突っ伏して、少女は額に玉の汗を浮かべていた。

 眠っているようだが、その割に呼吸は荒い。

 眉根を寄せて、まるで熱病にでも罹ったかのような苦しげな表情で眠る。

 

 

 精を魂をすり減らし、頭痛を吐き気を堪えながら決断した。

 それが艦長だとわかってはいても、緊張が切れれば指一本動かせなくなる。

 重さに、耐え切れなくなる。

 その果てに何があるのか、何もわからないと言うのに。

 

 

「――――理解できないね」

 

 

 どうして人は、歩みを止めようとはしないのか。

 眠る紀沙を見下ろしながら、スミノの無感情な呟きだけが室内に響く。

 紀沙は、眠り続けていた……。

 




最後までお読み頂き有難うございます。

タカオ戦でした。
少し原作とは異なる流れになりましたが、何とか意味を持たせたい所ですね。
そして何気に四姉妹揃ってた。

それでは、また次回。

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