蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth077:「わかるよ」

 

 ヨハネス・ガウスは愛国者だった。

 祖国を愛し、政権を支持し、同胞を愛するごくごく普通の人間だった。

 しかし彼の人生は、驚く程に多くの「何故?」に囚われたものだった。

 

 

 最初の「何故?」

 

 

 それは彼が敬愛する父が、祖国にとって有用である研究を封印してしまったこと。

 海底で精製される未知の粒子、それが生み出す無限のエネルギー。

 この研究が完成すれば、祖国は偉大な飛躍を遂げるだろうと思われた。

 しかし父は自らの研究の危険性を説き、封印した。

 父の死後、ヨハネスは封印を解き研究を引き継いだ。

 

 

 2つ目の「何故?」

 

 

 祖国が、偉大な祖国が下等な敵国に滅ぼされようとしていたこと。

 世界で最も優秀な民族が統べる国が、どうして敗北するのか理解できなかった。

 迷った末に、彼は己の研究で祖国を救うことにした。

 軍事への転用、当時としては珍しいことでは無かったが、愛国心が彼に苦渋の決断をさせた。

 

 

 3つ目の「何故?」

 

 

 祖国が、2人の妹を死に追いやったこと。

 正確には父の養い子であり、養女ですらないので義妹(いもうと)では無いが、少なくともヨハネスはその姉妹を妹のように思っていた。

 他でもない、愛すべき偉大な祖国によって姉妹は死に追いやられたのだ。

 政府からの研究資金を得るために、姉妹は自ら命を断った。

 

 

「何故?」「何故?」「何故?」

 

 

 何故、こんなことになる?

 ヨハネスは自身の栄達を望んだことは一度も無い。

 父の意に反して研究を続けたのは、科学者としての父の名誉を守るためだ。

 研究を軍事に転用しようとしたことは、祖国を敵から守るためだ。

 それなのに、ヨハネスの手に残ったのは2人の妹の遺体だけだった。

 

 

「何故?」「何故?」「何故?」

 

 

 祖国に問うた、何故なのかと。

 世界に問うた、何故なのかと。

 神に問いかけた、どうしてと。

 自分は何か悪徳を成したのかと、何か間違いを、過ちを犯したのかと。

 

 

 苦しかった、悔しかった、苦悩と悔悟に心身を引き裂かれた。

 何も間違ってなどいない。

 選択はすべて正しかった。

 だから間違っているのは、祖国世界神(お前達)ではないのかと。

 

 

 

    「わかるよ」

 

 

 

 何故、と、問いかけの言葉だけが満ちる世界に、不純物がいた。

 ざわ、と、世界がざわめいた。

 いったい何者が、ヨハネスの世界に足を踏み入れてきたのか。

 それは。

 

 

「あなたの気持ち、すごく、わかるよ」

 

 

 それは、両眼を白く輝かせる、東洋人の少女(千早紀沙)だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 異変。

 その異変に、まずいち早く気付いたのは<騎士団>と霧の艦隊だった。

 唐突に訪れた変化に敏感に反応し、攻撃の手を止め、その場に留まった。

 霧が、晴れる。

 

 

 クリミア半島を覆っていた霧のフィールドが、消失した。

 

 

 不意の変化だった。

 何の前触れも無く、風に吹き消されるようにあっさりと消えてしまった。

 クリミア半島の全容が、洋上からも陸上からもはっきりと見て取れるようになった。

 思ったよりも、小さな領土だった。

 

 

「おじさん!」

「あっら~、これは……」

 

 

 『U-2501』は、己の主が目的を果たしたことを知った。

 そして同時に、未だ連絡が無いことを訝しんだ。

 目的を達した以上、長居は無用のはずである。

 ゾルダンが引き際を見誤るようなことは無いので、何らかの事態が起こっていると言うことだろう。

 

 

 そして、熱い。

 『U-2501』、そして『U-2502』のコアに刻まれた『アドミラリティ・コード』のひとかけらが、活性化して熱を放っていた。

 足下(あしもと)で何かが、それも特別な何かが起こっている。

 『U-2501』には、その確信があった。

 

 

「将軍! 敵<騎士団>の様子が妙であります!」

「ああん? どう言うこった、ここに来てまごつく意味は無いだろうよ」

 

 

 そして変化は、地上の側にもあった。

 おおよそ10両そこそこの<騎士団>に対して壊滅的なダメージを受けていた人類軍だが、ここに来て<騎士団>側の圧力が緩んだ。

 もう少し時間が経過していれば、大幅な後退――要は撤退――を決断しなければならないと、マルグレーテなどが思っていた時だった。

 

 

「ちょ、閣下! 危険です!」

「どこにいたって危険だよ」

 

 

 横転した自軍の戦車の陰から様子を窺うと、なるほど確かに<騎士団>の戦車の様子がおかしかった。

 砲撃が何十人もの兵士や建物を吹き飛ばし、古臭いキャタピラが鉄条網や物資を蹂躙する、まさにそんな状態だったものが、どう言うわけかまごついていた。

 どちらに進めば良いのかわからない、そんな風だった。

 あの人型の<騎士団>の姿は見えないが、同じ状態になっているのだろうか。

 

 

「こりゃあ、もしかすると反撃の糸口になるか? ……む?」

 

 

 その時、マルグレーテは確かに感じた。

 戦車の陰、四つん這いになって顔を覗かせていた彼女の手と膝に、確かな振動が伝わってきた。

 地震か、それとも砲撃の振動か?

 答えは、そのどちらでも無かった。

 

 

「なぁ……っ!?」

 

 

 大抵のことには驚かない鋼の精神を持つ彼女をして、その事態には驚愕した。

 <騎士団>の戦車が、大きく宙を舞っていた。

 数十メートルに達するだろうか。

 しかしそれは、誰かの攻撃によってそうなったわけでは無い。

 

 

 樹齢何百年かの木の幹が、おそらくはこのくらいの大きさか。

 そんな大きさの太いケーブルが、地中から飛び出し、戦車をぶち上げたのだ。

 しかもそれは一本や二本では無く、次々に至るところで起きていたのだった。

 この時点でマルグレーテは、事態が新たな段階へと進んだことを理解した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 地上の変化は、海上からでも見て取れた。

 と言うより、クリミア半島とその近郊の地上すべてが同じような状態になっていたのだ。

 気味が悪い光景だった。

 ぬめりを帯びた黒く太いケーブルが、触手が、大地を割って地表へと現れ出でたのである。

 

 

「な、何が起きている……の?」

 

 

 『フッド』麾下の巡洋戦艦『レナウン』は、クリミア半島全域を覆い始めた黒い触手の群れを、おぞまし気な表情で見ていた。

 生来臆病な性質を持つ彼女で無くとも、この光景にはおぞましいものを感じるだろう。

 うぞうぞとした触手の群れが山を、森を、街を覆いつくし、黒い液体状の何かに変えていく。

 艦隊の中程にいる彼女の位置からでも、異常事態と言うことは良くわかった。

 

 

「何、これ。泥……へどろ?」

 

 

 逆に、間近でそれを見た者達はあらゆる意味で不運だった。

 嗚呼、おぞましい。

 黒い触手はすでにクリミアの砂浜――『セヴァストポリ』の砂浜も――を覆い尽くし、液体化する。

 表面に、とぷん、と何かが跳ねて波紋が広がる。

 

 

 しかも液体はさらに広がりを見せていて、海水面まで覆い始めた。

 広がりは早く無いが、原油やタールでも流出した時と同じように、鼻奥にツンと来る異臭を放っている。

 何と言うか、何かを高速で腐らせているかのようだ。

 鼻を押さえて、『ダンケルク』艦隊に属する重巡洋艦『ゴリツィア』のメンタルモデルは顔を顰めた。

 

 

「うえ~……まぁ、放っておくわけにもいかないか。ちょっと、何隻か行ってサンプル採取してくれる」

 

 

 配下の魚雷艇2隻が、ゆっくりと黒い液体に近付いていく。

 浅瀬なので座礁しないよう注意しながら、ゆっくりと、だ。

 メンタルモデルを得たせいか、あの液体がよりおぞましいものに見えてならなかった。

 嗚呼、気味が悪い……『ゴリツィア』がそう思った時だ。

 とぷん、液体の表面にまた波紋が広がった、そして。

 

 

「え」

 

 

 と、『ゴリツィア』が言葉を発するよりも早く。

 黒い液体が大きな(あぎと)を形作り、魚雷艇に喰い付いた。

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 はっとしたのは、1隻目の魚雷艇の前半分が喰い破られた後だった。

 ばくん、と言う擬音が聞こえてきそうなくらい、あっさりと船体が半分消えた。

 

 

「下が……」

 

 

 2隻目への警告は遅かったし、警告があっても船はすぐには前進を止められない、無駄だったろう。

 今度は前と後ろに同時に喰い付かれた、嗚呼、やはり液体が形状を変えているのだ。

 そして獲物を()に入れた液体は、波紋を残しながら元いた場所に戻った。

 とぷん、と、音を立てて。

 

 

「『ゴリツィア』!」

「え、あ!」

 

 

 僚艦からの注意喚起もやはり遅れた。

 ()()は表面だけでは無く、水底にもいた。

 『ゴリツィア』のメンタルモデルは、甲板上で大きく後ろに飛び退いた。

 それは正しい判断だった、船首の目前で水底から黒い液体が立ち昇り、『ゴリツィア』の船体に喰い付いてきたからだ。

 

 

「こいつ……! 私の強制波動装甲を、クラインフィールドが通じない!」

 

 

 重巡洋艦級のクラインフィールドがまるで意味を成さず、一撃で『ゴリツィア』の船体中枢にまで届いてきた。

 船体が深刻な音を立てて砕かれていく、『ゴリツィア』は目を剥いた。

 ガクン、船体が揺れる、傾いた、側面、いや後部も、次々と黒い顎が襲ってくる、保たない。

 

 

「うわっ、うわああああああっ!!」

 

 

 沈……。

 

 

「『ゴリツィア』! 許せよ!!」

 

 

 そこへ、『ゴリツィア』よりも大型の艦艇が突っ込んできた。

 『ダンケルク』だった。

 彼女は自らの艦体を『ゴリツィア』の側面に衝突させた。

 すでに強制波動装甲を破られていた『ゴリツィア』は大戦艦の突進に耐え切れず、半ばから砕けた。

 

 

 放り出されるメンタルモデル。

 空中で掴まれた。

 投げられる、視界に迫ってくる『ダンケルク』の甲板。

 そしてそこでも掴まれて、いや受け止め、抱き止められた。

 

 

「だ、大丈夫かい?」

 

 

 人間だった、イタリア人の若い男だった。

 そう言えば『ダンケルク』は人間を乗せていたなと、『ゴリツィア』はぼんやりと思った。

 助かった……。

 

 

「安心するのはまだ早いぞ」

 

 

 乗員(カルロ)が『ゴリツィア』を受け止めたのを確認してから、『ダンケルク』はその場を機関最大で突っ切った。

 喰い付かれた部分は切り離して放棄(パージ)し、黒い顎の間を擦り抜ける。

 しかし、大戦艦の彼女をもっていても()退()()()()()()()()

 後ろを振り返った『ダンケルク』は、ぞっとした顔をした。

 

 

「何じゃ、あれは。悪い夢でも見ておるのか……?」

 

 

 クリミア半島が、黒い巨人と化していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 地中海には、台風(タイフーン)の語源を生んだ怪物の伝説がある。

 近隣の神話・伝説の中でも最大最強とも言われるその怪物は、神々の王ですら打ち倒したと言う。

 世界を掴む程の巨腕(かいな)、炎の眼に人間の上体、そして無数の毒蛇を宿す巨体。

 その背には巨大な翼を持ち、巻き起こされる暴風は大陸をも引っ繰り返してしまうとされている。

 

 

 今、クリミア半島を飲み込んで()()()()()()ものは、まさにそんな存在だった。

 黒い巨人、と言う呼び名が最も相応しいだろう。

 タールのように液状化した身体は所々が形を変えながら波打ち、揺らぎ、毒蛇の如き(あぎと)が跳ねては沈むことを繰り返している。

 風の中には、水底のヘドロが発するものに似た腐臭が乗っていた。

 

 

『――――――――――――ッッッッ!!!!』

 

 

 ――――ビリビリと、空気が震えた。

 黒い巨人の先端部、目と口のような形をした穴が開いたかと思えば、次の瞬間には叫びを上げていた。

 人も霧も、耳を押さえて身を竦ませた。

 ただそれは、叫びではあっても叫び()では無い、言葉では無かった、音の次元が違った。

 この世界の存在では、あの怪物の声を聞き取ることが出来ない。

 

 

「いけない!」

 

 

 中央で『ムサシ』を直衛していた海域強襲制圧艦『フューリアス』は、離脱中で黒い巨人に背を見せている『ダンケルク』達が()()に気付いていないことに気付いた。

 黒い巨人の顔が、取り逃がした獲物――すなわち『ダンケルク』達を見た。

 がぱ、と、口の部分が顔全体を縦に割って開く。

 その向こう側に光が収束し、細く、そして強くなっていった。

 

 

「『ダンケルク』、潜行しなさい! 狙われています!」

「もう間に合わんわ、たわけ……!」

 

 

 イ401の砲艦オプション超重力砲――いや、それ以上だ。

 超重力砲は射程距離が無い、エネルギー量と()()がすべてだ。

 その意味で巨人の口のサイズは艦砲の比では無く、また一千万人分の――もちろん、『ダンケルク』達はその事実を知らないわけだが――ナノマテリアルは、ほぼ無尽蔵のエネルギーを巨人に与えている。

 

 

 すなわち、『ダンケルク』どころでは無い。

 黒い巨人のあの一撃は、周囲のすべてを吹き飛ばしてしまうことだろう。

 最大戦速で駆けながら、『ダンケルク』は後ろを振り仰いだ。

 目が合ったわけでも無いだろうが、黒い巨人の目が笑みの形に歪んだ気がして。

 そして次の瞬間、黒い巨人の頭が二度爆発した。

 

 

「なっ!?」

 

 

 一つは、黒い巨人が自身の攻撃の威力を自分で受けてしまった爆発だ。

 発射口を()()()()、行き場を失ったエネルギーが暴発したのだ。

 そしてもう一つは、黒い巨人にそれを強いた原因だ。

 最初の爆発はそれである。

 上から、天空の彼方から光の一撃が黒い巨人の頭を撃ち抜いたのだ。

 

 

「あれはっ、『コンゴウ』が太平洋で使ったとか言う……!」

 

 

 大戦艦級以上の者で無ければ装備できない、霧の艦隊の究極兵装。

 軌道上の衛星兵器から超重力砲並みの一撃を繰り出す、霧の旗艦装備。

 かつて、大戦艦『コンゴウ』が硫黄島の戦いで使用したものである。

 そして今、その兵器を使用したのは。

 

 

「頭を垂れなさい、醜悪に堕した至宝よ」

 

 

 超戦艦『ムサシ』。

 いつもと異なり、ベアトップスタイルの夜会服(ドレス)に身を包んだムサシ――旗艦装備は、使用する際にメンタルモデルの装飾が変わることがある――が、掌サイズのグリップスイッチを握っていた。

 いつも閉ざしていた眼を開いて、不敵な笑みを浮かべながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 あまり無理をするな。

 翔像からそう声をかけられて、『ムサシ』は内心嬉しかった。

 心配されると言う行為は、相手からの愛情を感じる行為でもあるからだ。

 しかし一方で、心配させてしまったことに負い目も感じていた。

 

 

「大丈夫よ、お父様。心配しないで」

 

 

 黒い巨人に横腹を見せる形で、『ムサシ』は回頭した。

 それは全力で攻撃すると言う宣言であると同時に、相手の攻撃をモロに受けると言う宣言でもあった。

 元より逃げるつもりは無いし、それに回避や防御にリソースを割いていられる余裕は無かった。

 そんなことをしていては、()()()()()()

 

 

「ヨハネスのコードが()()なったと言うことは、イオナとスミノが目覚めたと言うことでしょう?」

 

 

 それは、ヨハネス――の()()による『アドミラリティ・コード』の起動が阻止されたと言うことだ。

 ただ完全な阻止と言うわけでは無く、ヨハネスの情念によって半覚醒させられているのだろう。

 その情念についてだけは、感嘆と悲嘆の念を禁じ得ない。

 

 

 『ムサシ』の主砲が右を撃つ、駆逐艦を飲み込もうとした黒い顎を撃ち抜いた。

 『ムサシ』の副砲が左を斉射する、散弾が軽巡に絡み付いた黒い液体を砕き散らした。

 ビームが空間を薙ぐ、重巡を救う、ミサイルが駆ける、戦艦の転進を援護する。

 オーケストラを指揮するように腕を振るい、グリップスイッチのトリガーを引く。

 再び、天空の彼方から光が落ち、黒い巨人を撃った。

 

 

「おお……!」

「凄い、あんな化物を1隻で」

 

 

 超戦艦『ムサシ』の奮戦。

 それは落ちかけた艦隊の士気を向上させる役には立ったが、同時にあるジレンマを『ムサシ』に与えていた。

 あの無尽蔵に近いエネルギーを持つ、黒い巨人である。

 旗艦装備である衛星砲をもってしても、あの巨人に致命のダメージを与えることが出来ていない。

 

 

 核を撃ち抜けていないのだ。

 だから命題は2つ。

 第一に(コア)の位置、毒蛇の巣の如く表面波打つあの姿では、見つけるのも難しい。

 そして第二、衛星砲を超える威力でなければ表面の防御力を突破できない。

 すなわち超戦艦たる『ムサシ』自身の超重力砲、その最大出力でピンポイントに狙撃しなければならない。

 

 

「お父様」

 

 

 だから、『ムサシ』は翔像に告げようとした。

 最悪の場合、他の皆を見捨ててでも超重力砲の発射シークエンスに入ることを。

 さらに最悪の場合、あの黒い巨人と共に半島にいるだろう者達の命を、諦めることを。

 

 

「……っ!?」

 

 

 しかしそこで、予期せぬことが起こった。

 『ムサシ』達の後方で、超重力砲の発射シークエンスに入った者がいたのだ。

 海表面が凪ぎ、同時に空間が押さえ付けられて軋みを上げる。

 誰だ、と『ムサシ』は思った。

 

 

 大戦艦以下の超重力砲では、衛星砲と似たような効果しか見込めない。

 援護のつもりなら有難いが、しかし必要は無かった。

 ……いや。

 この出力、大戦艦すら超えて……?

 

 

ちょうど良い時(クライマックス)に、役者が揃ったって感じじゃない」

 

 

 いや、()()はただの重巡洋艦、こんな出力の超重力砲は撃てない。

 普通の方法では、撃てない。

 では、普通では無い方法ではどうか?

 そう、例えば。

 

 

「『タカオ』!」

「さぁ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――千早兄妹」

 

 

 『タカオ』艦隊全員による、合体超重力砲――――……とか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 目を覚ましてみると、予想以上の事態になっていた。

 イオナである。

 『アドミラリティ・コード』の起動に伴い休眠状態に入ったイオナ――()であるロリアン・コードの影響を、()()とも言うべきイオナは最も受けた――だが、ここに来て覚醒した。

 

 

 メンタルモデルの感覚を取り戻すと、イオナは自分が何か柔らかいものの上に乗っていることに気付いた。

 しかも右掌にはより柔らかな感触があり、餅のように弾力があり、ふにふにとした弾力があった。

 もにもにと揉みしだいてみると、「あん♪」と言う艶めいた声が返って来た。

 

 

「ハァハァ、あ~んおねえさまぁ~」

「……………………」

「あっ、そんなつよくぅ。ヒュウガは、ヒュウいたたたた痛い痛いもげるもげますううううっ!?」

「ここは……機関室近くの通路か」

 

 

 顔を上げてみると、イ401の通路にバリケードが築かれていた。

 杏平のフィギュアケースまで使われているあたり、後で当人が泣きそうだ。

 『ヒュウガ』の悲鳴――大方、合流後に群像が呼び寄せていたのだろう――をBGMにしながらバリケードを見つめていると、恐る恐ると言った様子で2人の少女が顔を出してきた。

 

 

「静、いおり」

「えっと……イオナ、なの?」

「ああ、手間をかけた。遅くなってすまない」

 

 

 ほっとした顔を浮かべる2人に、イオナは大体の事情を飲み込んだ。

 休眠状態の間に、『ビスマルク』にメンタルモデルを操作されていたようだ。

 『アドミラリティ・コード』と『ビスマルク』の側に問題が起きたので、イオナはやすやすとメンタルモデルのコントロールを取り戻すことが出来た。

 

 

 イ401自体は、操舵する人間もいなかったのだろう、海底に着底してしまっている。

 敵に潜水艦がいれば、おそらくは撃沈されていた。

 そうならなかった幸運は、流石としか言いようが無かった。

 要は、艦長やクルーが「持っている」と言うことだろう。

 

 

「群像」

「ああ」

 

 

 声をかけると、相手はバリケードの間から身体を出そうとしているところだった。

 崩れやしないかとひやひやしそうなものだが、当人は飄々とした様子だった。

 まぁ、一張羅(いつも)のスーツも流石に煤けてしまったいるくらいか。

 そして、2人はいちいち何かを言ったりはしない。

 

 

海上(うえ)が大詰めだ。どうする」

「介入するさ」

「わかった。おい『ヒュウガ』、いつまでも悶えていないで起きろ。オプション艦を呼べ」

 

 

 それで十分。

 それ以上は必要ない。

 心地よさを感じながら、イオナは自分自身(イ401)を再起動させたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 心地よい感覚だ。

 太平洋で『レキシントン』と()った時に初めてやったが、最高に気持ちよかった。

 何しろこの攻撃は、『タカオ』型3隻のコアを相互接続して放つ一撃だからだ。

 姉妹で心を一つにして放つ、必殺の一撃だからだ。

 

 

「んん~……!」

 

 

 重巡洋艦『タカオ』を中心に、左右に『マヤ』と『アタゴ』が展開している。

 3隻はすでに超重力砲の発射体勢に入っており――同型艦だけあって、超重力砲も同じレンズ型――互いの超重力砲のデバイスを連動させながら、激しいスパークを生じさせている。

 その最も激しいところで、タカオは身体を震わせていた。

 

 

 アタゴもマヤも超重力砲のコントロール権をタカオに委ねているため、実質、タカオは3隻分の超重力砲をコントロールしていることになる。

 確かに負担だ、だがタカオの身体の震えはそう言うことでは無かった。

 妹2人と繋がっていると言うことが、そう、彼女にとっては。

 

 

「気持ち良い……!」

『マジで気持ち悪いんだけど』

『あははは、きもちわるーい』

「死にたいわ!」

 

 

 ただ、いかに3乗――3倍では無い――とは言え、まだ完全では無い。

 あの黒い巨人の急所を撃つには、まだ足りない。

 だからそこに、あと3隻の力が加わる。

 

 

「つーか、これ元々『コンゴウ』級の奥の手なんだけどな」

「『コンゴウ』や『ヒエイ』とはやったことが無い」

「極東艦隊は妙なことを考え付くのね……」

 

 

 『キリシマ』、『ハルナ』、そして『レパルス』。

 大戦艦2隻と巡洋戦艦1隻、合わせて6隻分の超重力砲デバイスが展開されている。

 そして形成されている「砲塔」は、たった1つなのだ。

 砲塔と言う容れ物に集められているエネルギーは、一瞬のものとは言え超戦艦にすら匹敵する……!

 

 

 中心でコントロールしているのはタカオだが、『イ400』『イ402』『ヴァンパイア』の3隻が演算をサポートしている。

 特にイ号潜水艦の2人は、他の姉妹2人とは別の進化を遂げたレーダー兵装を備えている。

 タカオの視界に映るロックオンゲージには、2人からの演算入力が絶え間なく入ってきている。

 

 

「鈍重ね」

 

 

 対して、黒い巨人の動きは緩慢だった。

 タカオ艦隊の大きなエネルギーに気付いているだろうに、明確に対策をして来ない。

 ただ、手当たり次第に近くの敵を攻撃しているだけだ。

 いや、あれはもはた攻撃ですらない。

 

 

 人間、霧、<騎士団>。

 腹を空かせた赤子のように、口につくものを食べているだけだ。

 実際、触手も砲撃も黒海の中央にいるタカオ達のところまでは来ない。

 クリミア半島から移動する様子も無い、あの黒い巨人には意思が無いのだ。

 見掛け倒しの、腹を空かせた木偶人形に過ぎない。

 

 

「『ムサシ』、アンタわかってんでしょ。()()()()()()!」

 

 

 無尽蔵なエネルギーを持ちながら飢える。

 何と浅ましいのか。

 今すぐに仕留めてしまいたい。

 だが、中に囚われている少女達の存在を無視することは出来ない。

 だからタカオは、半ば分捕るようにして『ムサシ』からその座標を手に入れて。

 

 

「イ401!」

 

 

 イ401が、オプション砲艦付きの超重力砲を放つのが見えた。

 黒海を引き裂くその一撃は海底からのもので、黒い巨人の身を大きく抉った。

 演算の修正は、電子の速度で終わる。

 そうして、イ401が抉ったところへ。

 

 

「合体超重力砲……発射ああぁ――――ッ!!」

 

 

 一瞬、すべての音が消えた。

 次の瞬間、タカオ艦隊の艦体とデバイスを合体させて作った砲塔から、夥しい光の奔流が溢れ出した。

 それは一条の光となって黒海を真っ二つに引き裂き、黒い巨人に直撃した。

 決着の時間が、訪れたのだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 わかってる。

 本当は、わかっている。

 憎悪(ソレ)からは何も生まれないのだと、ちゃんとわかっている。

 でも、駄目だった。

 

 

 リエル=『クイーン・エリザベス』の時も。

 ロリアンの『アドミラリティ・コード』の時も。

 いや、もっと、もっと以前から、何度も省みることが出来たはずだ。

 だが何度自分を納得させようとしても、どうしようも無かった。

 紀沙には、ヨハネスの気持ちがとても良くわかるのだった。

 

 

「母国を貶められることも許せない」

 

 かつてのドイツと今の日本、()()()姿()を失ったと言う意味では同じだ。

 

「人生を強制されたことも許せない」

 

 科学者として、軍人として、望む生き方が出来なかったと言う意味では同じだ。

 

「家族を奪われたことも許せない」

 

 死か、あるいは信念故か、別れた道が交わることは無い。

 

 

「わかるよ、ヨハネス・ガウス」

 

 

 紀沙は普段、軽々に相手の気持ちがわかるなどと言う言い方はしない。

 わかるはずも無いし、わかられたくも無い。

 だが今、()()()()()()()、ヨハネスの100年の嘆きに共感を禁じ得ない。

 ()()()()と、何度でも口にしたいと思った。

 ()()()()

 

 

 苦しい、悔しい、怖い、憎い、哀しい、辛い、寂しい。

 ヨハネスの魂が叫ぶそれらの声を、紀沙は余すことなく受け入れた。

 それは、紀沙自身の中にすでにあるものと同じだった。

 だからこそ、紀沙の精神にヨハネスの泥もまた感応したのだろう。

 身も心も溶けていくような感覚の中で、紀沙は必死で自分の意識を保っていた。

 

 

「もう、ひとりで頑張らなくても良い」

 

 

 憎悪とは、消すものでも消えるものでも無い。

 受け入れるものですらない。

 

 

「あなたの憎しみは、私がぜんぶ背負うよ」

 

 

 呑み込むものだ。

 泥の中で、確かな形を持つものを掴んだ。

 抱き締めるように、それを胸に押し付ける。

 

 

「私の憎しみの中で、生き続けて」

 

 

 光。

 光が近付いてくるのがわかった。

 それは、外からやって来るものだ。

 泥を乾かし、祓い、清めるだろう天上の光だ。

 

 

 だが紀沙は、身を丸くしようとした。

 その光から、手にしたものを隠そうとするかのように。

 すべてを照らす光から、黒く、穢れた何かを守ろうとするかのように――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 黒い巨人が、ただの泥となって崩れていく。

 水平線の彼方まで聞こえるだろう、おどろおどろしい声がどこまでも響く。

 だが、泥が崩れていくと徐々に消えて行った。

 頭を(かたど)っていた部分が半分溶けて、目だけが最後まで残っていた。

 

 

 クリミア半島は、大きく陸地を減じていた。

 超重力砲の威力か、あるいは巨人の泥の影響か――植物は枯れ、街並みは消え、泥の下にあったものは何もかもが消失してしまっていた。

 まるで、洗い流されでもしたかのように。

 

 

「――――賭け、だった」

 

 

 だが、洗い流されないものもある。

 どんなものでも、完全に真っ白になるなんてことは無い。

 爆発の余波で巻き上げられた海水が泥を洗い流していく中、泥の下から立ち上がる者がいた。

 美しい、少女だったのだろう。

 

 

 辛うじてそうわかるだけの、みすぼらしい少女だった。

 艶めいていた髪はくすみ、唇は割れて干乾び、着るものも着ていない肌は泥と火傷に塗れ、酸でも被ったかのように煙を上げている。

 足下の泥から、彼女の持ち物なのか、太陽を模った頭大の懐中時計が顔を覗かせていた。

 

 

「あなたが、あの方(ヨハネス)を受け入れてくれるかどうか。賭けていた」

 

 

 兄として出会い、メンタルモデルの肉体を得てからは父ともなった男。

 ヨハネス・ガウス、100年に渡る彼女――『ビスマルク』の旅は、ようやく終着点を見る。

 気が狂いそうになる程の、長い時間だった。

 20年までは耐えた、50年を過ぎる頃には自分を見失いかけた、70年で絶望し、90年目で世界を呪うようになった。

 

 

「千早翔像がロリアンの『コード』を発見しなければ、どうなっていたか」

 

 

 10年前の千早翔像によるイ401の航海。

 だが実は、あの航海は「イ401の航海に翔像達が便乗した」と言った方が正しい、イ401は自分に託された『コード』の導きのまま、ロリアンの『コード』の下まで()()()だけなのだ。

 だが、どうであれきっかけを作ったのは千早翔像だ。

 

 

「礼を言わせてほしい、千早紀沙」

 

 

 どしゃ、と言う音が4度続いた。

 少女が脇や肩、背に抱えていたものを地面に落とした音だ。

 それは人間の男女で、全員が気を失っている様子だった。

 静菜、冬馬、ゾルダン……そして、紀沙。

 

 

「ありがとう。彼を受け入れてくれて、彼の憎悪を引き受けてくれて」

 

 

 霧の艦長でありながら、霧を憎むもの。

 霧の身体を持ちながら、人間の心にこだわる者。

 そう言う人間を、ずっと待っていた。

 

 

「彼の……ヨハネスの魂は、私達が連れて、いく……」

 

 

 不意に、『ビスマルク』の膝が折れた。

 太股が、壊れたビスクドールのように、たったそれだけの衝撃で折れた。

 粒子が、散る。

 まるで天国に導かれるかのように、天上を目指すように。

 

 

 嗚呼。

 乾いた唇から漏れたのは、安堵の吐息だった。

 長い旅程を終えて、家に帰り着いた。

 そんな吐息だった。

 

 

「……ありがとう……」

 

 

 粒子が、金色の輝きを放ちながら天に昇っていく。

 はたしてそれは天上に届くのだろうか、あるいは途中で風にでも吹かれて消えてしまうのか。

 それは、わからない。

 そもそも霧のメンタルモデルに天上への階梯が用意されているのかどうかすら、わからなかった。

 

 

「逝ったのか、『ビスマルク』」

 

 

 そして、またひとりの少女が姿を現す。

 『ビスマルク』と入れ違いで降りて来た粒子が人の形を取っていく。

 スミノだった。

 彼女はしばらく空を見上げていたが、すぐに歩き出し、足下の泥を気にする様子は無かった。

 

 

「そして、本当に馬鹿な人だね。艦長殿」

 

 

 紀沙を見下ろしながら、スミノは言った。

 呆れているような、悲しんでいるような、怒っているような、そんな声音で。

 

 

「これでキミは、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それとも、あくまでも自分は人間だと言うのだろうか。

 呟くようにそう言って、スミノは再び天を仰ぎ見た。

 空は、馬鹿らしくなるくらいに透き通っていた。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

申し訳ないのですが、次回は都合により更新をお休みさせて頂きます。
次回の更新は2週間後となりますので、よろしくお願いします。

それでは、また次回。

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