蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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今さらですがオリジナル展開注意です。


Depth078:「ムサシ」

 流石に慣れた。

 意識が覚醒した時、紀沙はそう思った。

 目を閉じたまま、自分が横になっていることに気付く。

 周囲が騒がしいが、戦場と言うよりはむしろ……。

 

 

「病院だよ、ここは」

 

 

 そして一番近くで聞こえた声に、紀沙は目を開けた。

 すると、視界に自分を取り巻く景色が映り込んできた。

 最初はぼやけていたが、10秒もする頃にはピントも合ってきた。

 やや煤こけた緑色、簡易テントの天上が見えた。

 

 

 首を巡らせると、声の主――スミノが本を読んでいた。

 ロシア語の本らしいが、そこは大して興味は無かった。

 むしろ自分の状態の方が気にかかる。

 身を起こすと、紀沙は何枚も重ねた毛布の上に寝かされていた。

 

 

「ドイツ軍?」

「さすが。正解だよ、どうしてわかったの?」

「ドイツのメーカーのタグがついてる」

「おや」

 

 

 ドイツ軍の野戦病院、と言ったところか。

 周囲を粗末な布で囲っているだけだが、「個室」を与えられているあたりは優遇されていると見るべきなのだろう。

 布の外には、無数の人間の声や衣擦れの音が聞こえてきている。

 多くは聞き慣れぬ言葉なのは、それこそここが外国軍の陣営だからだろう。

 

 

「戦いの被害が、そこまで多かったってこと?」

 

 

 あのドイツ軍が、負傷者を後送できずに野戦病院を構築しているのだ。

 それだけ、ダメージが大きかったと言うことか。

 

 

「結論は間違ってはいないね」

 

 

 ぱたん、と本を閉じて、スミノが言った。

 含みのある言い方に、紀沙は眉を潜めた。

 この少女がこう言う言い方をする時は、概して碌な話にならない。

 

 

「ただドイツ軍……と言うか、()()()、だね。キミが寝た後に攻撃を受けたんだ」

「……攻撃?」

「うん」

 

 

 ちょっと待て、何だそれは。

 <騎士団>とヨハネス以外に人類を攻撃する者がいるか?

 霧か?

 しかし霧は今回に限れば共闘相手のようなものだ、『ムサシ』と翔像までいてそんなことになるとは思えない。

 

 

「そう、その『ムサシ』さ」

 

 

 スミノが、紀沙の眼前に人差し指を突きつけてきた。

 正直、なかなかカチンと来る仕草である。

 だが次の瞬間に飛び出したスミノの言葉によって、そんなことはどうでも良くなってしまった。

 

 

 

「『ムサシ』が死んだ」

 

 

 

 …………なに?

 絶句する紀沙の眼前から、スミノは指先を天上に向けた。

 もちろん、テントの天上を指しているわけでは無い。

 彼女が指したのは、遥か天空の彼方だ。

 

 

「ロリアンの『コード』が言っていただろう?」

 

 

 ――――大いなるもの。

 ()()()()()()()()()()()()

 ロリアンの『コード』の声が、脳裏で甦った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 黒い巨人が消えた直後、人類はあるものを手にしていた。

 勝利。

 甚大な被害を被りつつも、人類は降って湧いた勝利に歓声を上げた。

 一方的に<騎士団>に蹂躙される場面が目立ったが、それでも後退せずに抵抗を続けたことは筆舌に値する。

 

 

 やった、やった……と。

 まさか生きて帰れるなんて思わなかった……と。

 どう見てもクリミアの住民は絶望的だが、仕方が無い……と。

 とにかく勝った、生き残ったんだ……と。

 歓喜に沸くのも、無理からぬことだったのかもしれない。

 

 

「……おい、あれ、なんだ?」

 

 

 まだ陽の高い空を、誰かが指差した。

 ひとり、ふたりと、より多くの兵士達が空を見上げた。

 一見、そこには何も無いように思えた。

 だが、そこには確かな物があった。

 

 

「流れ星……?」

 

 

 まず、閃光が見えた。

 次いで白い煙の尾が見えて、次第に光が強くなっていく。

 やがて炎を纏っているのだとわかるようにまでなると、それが「隕石だ!」と声を上げる者が出てきた。

 空を静かに、しかし激しく引き裂いて、それは確かに近付いてくる。

 

 

 大きい。

 十字架のようにも見えるが、細長い板のような物の影が見える。

 流れ星でも隕石でも無い、それははっきりとした形を持った人工物だった。

 あるいは、そちらの道に少し詳しい者なら、この時点でわかったかもしれない。

 人間の肉眼では厳しくとも、それこそ霧の艦艇であれば……。

 

 

「来たわ、お父様。ヨハネスの光に導かれて」

「……ああ」

 

 

 思えば、我々は知らない。

 『アドミラリティ・コード』これまでに、3度起動した。

 100年前、10年前、そして今だ。

 しかし、実際のところ、だからどうだと言うのだろう?

 

 

国際宇宙ステーション(ISS)

 

 

 『アドミラリティ・コード』の起動の、何がそんなに不味いのだろう?

 一度も、その具体的な危険性について語られたことは無い。

 しかし、今こそ語ろう。

 『アドミラリティ・コード』とは、霧の規範(コード)であると同時に。

 

 

()()()()()()()

 

 

 ロリアンの『コード』が告げたところの()()()()()()を呼び寄せる、信号(コード)でもあったのだ。

 そして『コード』の覚醒に引き寄せられて、それは空――遥かな宇宙(ソラ)から、やって来る。

 それは、旧時代の宇宙ステーションの姿をしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 クリミアの戦場に宇宙からの使者が舞い降りていた時、世界各地でもある異変が起こっていた。

 異変とは言っても気付かれない場合が多く、人類の側にその意識は無かっただろう。

 しかし一部の人間はそれを目撃し、さらに一部は当局に通報もした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()――――と。

 

 

 ケープカナベラル、ジョンソン、バイコヌール、ボストチヌイ、種子島、ギアナ・クールー、酒泉、羅老、シュリーハリコタ、パームングプーク、アルカンタラ、ウーメラ……。

 目撃情報は他にも多岐に渡り、後に各国が照会して判明したところ、これらの目撃地にはある共通点があった。

 それら全ての土地、あるいは施設が、「宇宙」に関係していると言うことである。

 

 

「私たち霧は、海から生まれた」

 

 

 長い長い年月をかけて、深海の海流の中でナノマテリアルを蓄えた。

 その結晶がコアであり、究極が『アドミラリティ・コード』であることはすでに述べた。

 ()()も、同じだ。

 旧時代の宇宙ステーション――もちろん、今はもう稼動していない――の姿をしているのは、()()が目にした人類の資産がそれくらいしか無いからだ。

 

 

 衛星や探査機は、()()の眼から見ると小さ過ぎる。

 ()()は、いわば宇宙と言う海で生まれた存在なのだ。

 宇宙の霧。

 宇宙と言う、深海をも凌ぐスケールと複雑さを持つ空間で培われたナノマテリアル、そしてコア。

 霧の艦艇や<騎士団>よりも、遥かに強大で、巨大で、雄大な……。

 

 

「『アドミラリティ・コード』起動の際に起こる霧のコアの共振は、あれが発する信号に最も近い」

「ええ」

「あれに意思があるのかどうかもわからない。だが……」

 

 

 旧時代の国際宇宙ステーションは、おおよそ100メートル四方の巨体だ。

 『ムサシ』は全長こそ260メートルだが、全幅は40メートル弱。

 そして()()は、『ムサシ』よりもずっと大きな質量を持っているのだ。

 しかも霧の力を持つ、つまり大気圏の熱ですら()()を減衰させることは出来ない。

 

 

(『ヤマト』……)

 

 

 だから、『タカオ』艦隊の参戦は『ムサシ』にとっては僥倖だった。

 誰もが黒い巨人(ヨハネス)を倒すことに精一杯の時に、『ムサシ』だけは余力を残すことが出来た。

 ()()()()を、残すことが出来た。

 『ムサシ』の小さな手が、隣に立つ翔像の手を、そっと握った――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 今すぐに飛んでいきたい。

 太平洋の『ヤマト』は、心の底からそう思っていた。

 大西洋で、黒海で起きている異変は、遥か太平洋からでも把握できた。

 大気圏を突破して地球に侵入してきた存在は、独特の電磁波を撒き散らしていたからだ。

 

 

 太陽嵐が発する電磁波に近い。

 今頃、人類圏では通信や送電に影響が出ているだろう。

 各国が密かに残していた情報衛星も、少なからぬ損害が出ているはずだ。

 しかし、『ヤマト』の意識は人類圏には無かった。

 

 

「『ムサシ』……!」

 

 

 妹の、『ムサシ』の強い意志を感じる。

 ついに訪れた「大いなるもの」の()()を前にして、それでも一歩も退かないと言う『ムサシ』の強烈な意志を感じるのだ。

 たとえ刺し違えてでも、()()を止めると言う、そんな意志を。

 

 

『ダメよ、『ヤマト』。貴女はそこを動いてはいけない』

「『ムサシ』、でも」

『私と、貴女と、『シナノ』。私達3人で地球全体をカバーする。そう言う作戦だったじゃない、たまたま私のところに来ただけ』

 

 

 ()()を止められるだけの戦力は、超戦艦級にしか備わっていない。

 と言うより、『アドミラリティ・コード』は()()に対抗するために『ヤマト』たち超戦艦を生み出したのだ。

 そして今日、ついにその時が来たのだ。

 

 

『あれは大質量のナノマテリアルの塊よ。大気圏で燃え尽きることはないし、地表に落ちても砕けない。このまま衝突を許せば、この星は永遠の冬に閉ざされてしまう』

 

 

 地表での大質量物の衝突と爆発は、爆心地での壊滅的なダメージだけで無く、大量の浮遊粉塵(エアロゾル)をも発生させるだろう。

 それは成層圏にまで達し、世界中に拡散する。

 地表は太陽の光を失い、植物は枯れ、人類を含む生きとし生ける者は地獄に叩き落されることになる。

 

 

『そんなことはさせない』

 

 

 17年前のあの日、『アドミラリティ・コード』の半身を託された日に、こうなることは決まっていた。

 自分達のいずれかが、この星を守るために()()を迎え撃つことは決まっていた。

 あの日、『ヤマト』と『ムサシ』は道を違えてしまったけれど。

 

 

 人間――翔像との同化を選んだ『ムサシ』と、あの時点ではそれを選ばなかった『ヤマト』。

 あの時の『ヤマト』は、『ムサシ』ほど素直に翔像を信じることは出来なかった。

 そう言う部分が、自分達の娘とも言うべきイ号潜水艦とU-ボートの性格に受け継がれているのかもしれないと思うと、おかしな気持ちにもなった。

 

 

『この世界は私が守る。『ヤマト』、後のことはお願いね』

「『ムサシ』、待って。早まっては駄目!」

『私が言うのもおかしいけれど、コトノと仲良くね。それと……今まで有難う。お姉ちゃん』

「『ムサシ』! ……ああっ」

 

 

 通信が切られて、『ヤマト』はその場に崩れ落ちた。

 いつかは来ると思っていた今日、その重みに耐えかねたように。

 そんな『ヤマト』の肩に、コトノは手を置いていた。

 コトノの悲しげな顔を、『ヤマト』が見上げる。

 

 

「ちゃんと見ていよう、『ヤマト』。『ムサシ』はきっと、『ヤマト』にこそ見守ってほしいと思うはずだよ」

 

 

 繋がっているから、辛いことも悲しいこともわかる。

 けれど、顔を伏せていては見ることが出来ない。

 妹の、最期の勇姿を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 機関最大、最低限の生命維持(ライフライン)以外の艦内エネルギーを超重力砲へ。

 船首上げ、艦内クルー姿勢固定、隔壁閉鎖、機関圧力上昇。

 全ナノマテリアル、超重力砲経路へ注入、セーフティ解除。

 『ムサシ』の眼に、ナノマテリアルの火が灯った。

 

 

「総員、衝撃に備えなさい……!」

 

 

 大きく上向く艦の舳先に立ち、『ムサシ』は片手を伸ばした。

 その手は天空に、さらにその向こう側からやって来る存在に向けられている。

 火の塊となって落ちてくる、()()()()()()へと。

 『ムサシ』の艦体が割れ、艦の周囲で海が割け、エネルギーの奔流が空間に形成された砲身へと収束していく。

 

 

 それはかつて、千早兄妹とリエル=『クイーン・エリザベス』に向けて放たれたものとは、また違うものだった。

 あの時は拡散させて撃った、が、今回は集中させて撃つ。

 先程、『タカオ』艦隊の超重力砲は『ムサシ』の超重力砲に匹敵すると言ったが。

 

 

「……何て化け物よ。これが超戦艦……?」

 

 

 タカオ自身が戦慄する――発射前の余波だけで、転覆すしそうなのを姉妹達と支え合いながら――のも、無理は無かった。

 地球の磁場が歪み、肉眼で見える景色の一部の()()()()()

 明るいはずなのに、視界がどんどん暗くなっていく。

 現象が、桁が違う。

 

 

 そもそも、旗艦装備を備えるには超重力砲を外す必要があったはずだ。

 硫黄島での『コンゴウ』はそうだったが、超戦艦の演算力はそんな制約すら超越してしまうのか。

 それとも。

 それとも、それによって返ってくるだろう反動を、もはや気にする必要が無いからか――――?

 

 

「ここは()()()の来る場所じゃない」

 

 

 びし、と、乾いた音が『ムサシ』のメンタルモデルから聞こえた。

 ひび割れ。

 頬に走った亀裂は目の下まで伸びたが、『ムサシ』はそれを一切意に返さなかった。

 

 

「この惑星(ほし)から……」

 

 

 見ていて、『ヤマト』。

 見ていなさい、千早兄妹にゾルダン。

 そして続きなさい、運命のイ号とUボート。

 これが、『ムサシ(わたし)』の。

 

 

「……でていけッッ!!」

 

 

 ――――最期の一撃!

 超重力砲、発射。

 青白さの中に黒とオレンジの閃光、口径は広いが放たれた光は細い。

 それは光の線となって、見上げる者達の視界に映ることなく空間を疾駆した。

 電速を超えて、それは光の速度に達し、彗星のように直進し、そして。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 直撃した。

 天空の彼方より地球へと侵入を果たした出鼻に、『ムサシ』の超重力砲は確かに届いた。

 だが彼女の光は、その直前で止まってしまった。

 先端が止まり、後から送られるエネルギーが対消滅し、結果、8つに避けて対象の周囲を流れていく。

 

 

 クラインフィールド、否、比べ物にならない程に固い。

 止まらない、大気圏の火が消える、

 止められない、相手の推力と速度は聊かの衰えも見せない。

 このままでは2分後には地表に激突する。

 

 

「ぐ、く……っの……!」

 

 

 伸ばした手を、もう片方の手で掴む。

 顎を引き、足の裏を艦体に固定する。

 歯を食い縛り、艦底のスラスターを最大に噴かす。

 鈍い音を立てて艦体がもう一段、広がる、口径を広げた、つまり。

 

 

「くぅおおおおおおおのおおおおおおおおおッッ!!」

 

 

 ――――とまれッッ!!

 超重力砲の出力を上げた、周囲の空間に罅が入るのを感じる。

 これ以上は修復できないかもしれない、後始末が大変だろうが今は構っていられない。

 威力を増した超重力砲の光が、宇宙(ソラ)の霧を覆う。

 

 

 止まった、いや進……止める!

 『ムサシ』の気迫が超重力砲に乗ったのか、()()が止まる。

 推力を上げる様子は無い、が、押し返せない。

 あちらのエネルギーがどうかは知らないが、こちらのエネルギーには限りがある。

 

 

(もっと……!)

 

 

 それでも、「もっと」と自分を鼓舞する。

 もっと、もっと、もっと。

 もっと搾り尽くせ、コアが枯れるまで……と。

 装甲が開く音は人間で言う脱臼の音に近い、口径をさらに広げる。

 押し返せる、が……っ。

 

 

「……っ!?」

 

 

 致命的な音がした。

 伸ばしていた片手が、()()()()()()()

 中指の先から肘のあたりまで、ビスクドールのように割れた。

 そしてそれは同時に、艦体の致命的な一部が裂けたことも意味する。

 

 

(倒……っ)

 

 

 押される、そう思った時だ。

 大きな掌が、背中を支えてくれた。

 あたたかい、その手。

 一瞬、諦めの色が浮かんだ瞳に、逆に苛烈な輝きが生まれる。

 

 

「う……」

 

 

 ()()の姿がはっきりと見える。

 『ムサシ』の光を押しのけて前進しようとしている。

 だが、それは出来ない。

 残念だったな、と、『ムサシ』は笑った。

 

 

「……あああああああああああああぁッッ!!」

 

 

 私が、私と千早翔像(お父様)がいなければ、それも出来たかもしれないのに!

 メンタルモデルの身体が砕ける。

 しかし同時に、『ムサシ』は確かに聞いた。

 地表に迫らんとしていた()()が、砕ける音を――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――嗚呼。

 『ムサシ』は、自分と言う存在からすべての力が抜けていくのを感じていた。

 ナノマテリアル不足とか、そう言うことでは無い。

 何か根本的な、決定的な何かが失われていっている。

 

 

「あ……」

 

 

 ふらり、と後ろに倒れ込んだ『ムサシ』を、翔像が抱き留めた。

 天意に背くように伸ばされていた手が、コツン、と音を立てて甲板に落ちた。

 固く、しかし温かい。

 温もりをことさらに感じるのは、メンタルモデルの温度検知が異常を来たしているからだろうか。

 

 

 終わった。

 『ヤマト』達に後事を託して逝かねばならないのは残念だが、自分の役目は終わった。

 『アドミラリティ・コード』の主要部分は、すでに()()()()()()

 良かったと、そう思う。

 千早兄妹、ゾルダン、人間を信じて、本当に良かった。

 

 

(ねぇ、お父様)

 

 

 『ムサシ』と『ヤマト』は、グレーテルの『コード』の起動と同時に目覚めた。

 分割された『コード』がきっかけとなって、霧にあるはずの無い自我を自覚した。

 自我があるからこそ、『ヤマト』と『ムサシ』は道を違えもしたのだろう。

 それでも、『ムサシ』は翔像を信じなかった『ヤマト』を嫌ったわけでは無かった。

 恥ずかしくて、はっきりと、言葉に出したことは無かったけれど。

 

 

(楽しかったわね)

 

 

 太平洋の夕陽は、何度見ても飽きなかった。

 大西洋の潮騒(しおざい)も、北極の海氷も、南極の鯨も。

 霧の皆も、人間の街も、手付かずの自然も。

 何もかもが、美しかった。

 朝も昼も、春夏秋冬、この世界はとても美しかった。

 

 

 たまに、クルーにいたずらを仕掛けることもあった。

 ゾルダン達が来てからは、彼らをからかって過ごすようにもなった。

 子供や弟がいればこんな感じかと、柄にも無くそわそわしていた。

 それに最後に、地球を守るなんて大それたことも出来た。

 

 

(楽しかったわ、うん……)

 

 

 ああ、楽しかった。

 不満や未練が無いわけでは無いが、概ね、満足の行く()()だったと思う。

 だから、『ムサシ』は不思議と悪い気分では無かった。

 むしろ心地よさすら感じていて、身体がふわふわと浮かぶような、そんな気持ちだった。

 

 

 もう、視界も霞んで良く見えない。

 何も、見えない。

 何も。

 なにも……。

 …………。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 霧のメンタルモデル、その身体はナノマテリアルの構成体だ。

 だから損傷したとしても、消える際にはナノマテリアルの塵となって消える。

 そして再生するのだ、ナノマテリアルがある限り。

 だが……。

 

 

「……原宮」

「は……ここに」

 

 

 だが、『ムサシ』はもう再生しない。

 翔像の腕の中にあるのは、生命の源を使い果たした枯れ木のような存在だった。

 さらさらと、端の方が風に吹かれて散って行く。

 あの美貌と可憐さ、そして強さは、そこからはもう感じられなかった。

 

 

 翔像は、それを醜いとは思わなかった。

 何て尊いのだろうと、むしろそう思った。

 そして表には出さないが、後悔があった。

 こんな小さな存在に地球を守らせてしまったと、そんな後悔を得たのだ。

 

 

「『ムサシ』の機関は掌握できているか」

「はっ、元々50%は我々が管理しておりましたので」

「そうか、なら引き続き頼む。艦体の維持だけなら……こちらで出来る」

 

 

 整備士長の原宮、翔像が旅の途中で拾ったクルーの1人だ。

 今は『ムサシ』の機関の面倒を見ている、最初は『ムサシ』の負担を減らすためだったが、今では彼がいなければ機関をまともに動かすことも出来ない。

 そう、超戦艦『ムサシ』は今だ海上に浮かんでいた。

 

 

(これを、彼女はひとりで抱えていたのか)

 

 

 紀沙がそうであるように、翔像もまた『ムサシ』のナノマテリアルを得ていた。

 10年をかけて身体をナノマテリアルに置換していき、いつか来るこの日のために備えてきた。

 だから今も『ムサシ』の艦体は変わらぬ姿でそこにある。

 だが、かつてのような威容は弱くなったようだ。

 

 

 あの重厚感と威圧感は、『ムサシ』本人で無ければ出せないのだろう。

 翔像もまた、霧の力の扱いで『ムサシ』に及ぶとは考えていなかった。

 元々、翔像は沙保里達と違って出雲薫の血族と言うわけでは無い。

 艦体を維持するだけで、身体が軋む。

 こんなものを1人で支えていたのかと、今さらながらに驚かされる。

 

 

『――――人類の皆さん、<騎士団>の人達、霧の皆、聞こえていますか――――』

 

 

 『ヤマト』か。

 炎が墜ちた空を見上げながら、翔像はその声を効いた。

 『ムサシ』の光は無数に砕けて、流星群の如く今も空を駆け続けている。

 『ヤマト』の声は、どこか泣いているようにも聞こえる。

 この場、いや、地球全体にその声は響き渡っている。

 

 

『今日、世界は危機を乗り切りました。しかし、まだ脅威は過ぎ去ったわけではありません』

 

 

 そう、これは始まりに過ぎない。

 むしろこのために、今までがあったのだ。

 

 

『本当の脅威を乗り切るため、皆で生き延びるために。私がこれから話すことを良く聞いて下さい……』

 

 

 さぁ、人類評定を始めようか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 それが、すべての事の顛末だった。

 超戦艦『ムサシ』によって人類が、地球が守られたと言うお話。

 1隻の超戦艦と言う、大きな――それこそ、地球規模での言い方をすれば――貴重な存在を失った。

 結果だけを見れば、『ムサシ』の行為は自己犠牲に他ならない。

 

 

「2年」

 

 

 俯いて考え込む紀沙に、スミノが指を2本立ててそう言った。

 それは、ある時間を示す言葉だ。

 タイムリミット。

 『ムサシ』の死の時、『ヤマト』が全世界対して告げた言葉だ。

 

 

「今回やって来たのは、()()()の1体に過ぎない。『ヤマト』はそう言ったよ」

 

 

 いわば尖兵、槍の先端に過ぎない。

 <霧の艦隊>や<騎士団>が1隻1両では無いように、まだ名前の無い()()()もまた、1体なわけが無い。

 本隊がいる。

 

 

 そして、霧や<騎士団>のとっての『アドミラリティ・コード』のような存在がいる。

 それは2年後にやって来ると、『ヤマト』は全世界に宣告した。

 2年後、宇宙空間でたゆたう()()が地球に到達する。

 ()()はすでに、3度に渡る『アドミラリティ・コード』の起動によって地球の所在を完全に掴んでしまった。

 

 

「おかげで人も霧も大わらわさ。まさか宇宙から侵攻されるなんて思っていなかっただろうからね」

 

 

 それは、紀沙も同じだった。

 しかし、不思議と不意を突かれたと言う印象は受けなかった。

 むしろ「ああ、そうだよね」と言う感想を得たくらいで、別段、驚くと言うことは無かった。

 海に霧がいるのだから、宇宙にいたところでそれ以上の感想は抱かない。

 

 

 気になるのは、これをヨハネス達が予期していたかどうかだ。

 『アドミラリティ・コード』とナノマテリアルについて研究していたあの3人なら、宇宙から来ると言う新たな霧のことも何か掴んでいたのでは無いだろうか。

 まして、霧も<騎士団>も元を正せば1つの『コード』から生まれたものだ。

 

 

「…………」

 

 

 考え込む紀沙の姿を見て、スミノはにやりと笑みを浮かべた。

 

 

「さて、ボク達はどうする? 艦長殿」

「……決まってる。クルーの皆を集めて、スミノ」

 

 

 そう、紀沙の行動はいつだって決まっている。

 霧が人類を脅かすと言うのであれば、これを防ぐ、それは霧の艦長である紀沙に課せられた責務だ。

 どれだけ変化しようとも、紀沙は人類を守る者でありたかった。

 

 

「敵が2年後に来るって言うのであれば、それまでに準備を整えてみせる」

 

 

 そう願う限り、紀沙は人間であり続ける。

 その心だけが、紀沙を紀沙たらしめているのだから。




読者投稿キャラクター:
原宮 列(ベクセルmk. 5様)
有難うございます。


最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

ムサシもそうですが、霧の超戦艦達にはアニメ版とも違う役割がありました。
ムサシとヤマト、今回の役割をどちらに振るかは悩みましたが、ムサシと翔像の役割が正直尽きていたことを考慮し、ムサシになりました。
正直、私は銀髪大好きなのでムサシをこういう役目にするのは断腸の極みでした。

そして次なる敵は、宇宙!
それっぽい描写はしていたつもりですが、お気づきでしたか?
また宇宙版の募集とかするかもしれないですね。
それでは、また次回。

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