蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth007:「帰還」

 イ401、横須賀当局の管制海域に進出。

 その報告が軍務省にもたらされた段階で、上陰は総理官邸に向かった。

 ちょうど、楓首相に定例の諮問に呼び出されていたところだ。

 

 

『401が、港湾管制局の管轄海域に入ったそうだね』

「は……」

 

 

 流石に耳が早く、楓首相はすでにそのことを知っていた。

 いつものように、壁一面に広がる横須賀の海を背にしながらの会話だった。

 こんなにも晴天に恵まれて風も穏やかだと言うのに、気のせいかいつもより波が高いように見えた。

 もしかすると、見る者の心がそう感じさせているのかもしれない。

 

 

 実際、らしくも無く上陰が気分を高揚させていると言うのもまた、否定しようの無い事実ではある。

 イ401、上陰の振動弾頭輸送プロジェクトにとって必要不可欠な存在。

 彼がイ401の存在を初めて強く認識したのは、そう、1年程も前だろうか。

 彼ら<蒼き鋼>が、霧の大戦艦『ヒュウガ』を撃沈した時だったか。

 

 

(時代が、変わる)

 

 

 上陰はそう直感した。

 それが吉と出るのか凶と出るのか、鬼が出るのか蛇が出るのか、彼にもわからない。

 ただ、今の閉塞感は打破できるのでは無いか。

 2年前、霧の潜水艦を持って日本を飛び出した彼らなら、同じ気持ちを共有できるのでは無いか。

 そう思って、そう感じたが故に彼はイ401を主軸とした振動弾頭の輸送計画を立案したのだ。

 

 

『と言うわけで、いよいよもって振動弾頭の輸送計画が実働段階に入るわけだが』

「はい」

 

 

 イ401にアメリカへの振動弾頭の輸送を依頼し、実行させる。

 それが上陰の輸送計画の肝とも言うべき部分であって、日本としてこれを全力でバックアップする。

 そうすることによって、()()の秩序の中での発言権を確保することにも繋がるだろう。

 そのための計画案はすでに、楓首相を含む各管区の首相の了承も得られている。

 

 

『その前に少し、君の計画案を修正させてほしい』

 

 

 修正。

 もちろんどんな提案もそのまま通ることは稀だが、この段階でどのような修正を行うのか。

 (にわ)かには判断しかねて、上陰は思わず楓首相を見返した。

 楓首相は、いつも浮かべている底の読めない微笑を浮かべているばかりだった。

 

 

『――――楓首相』

『……私だ』

 

 

 その時、車椅子のスピーカーから秘書官の声が響き、楓首相がそれに鷹揚(おうよう)に応じる。

 そして秘書官の女性が告げた名前に、上陰は苦笑を浮かべた。

 半ば予想できていた事態ではあるが、いやはや……。

 

 

「なるほど、そう言う()()ですか」

 

 

 上陰の言葉に、楓首相も苦笑を浮かべる。

 今度は楓首相の心の底が見えた気がして、場違いながら、上陰はおかしな気分になった。

 そして、彼は執務室の扉がノックされる音を聞いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 八月一日(ほづみ)静は、他のクルーとは来歴が少々異なる。

 彼女は霧の海洋封鎖によって海外に取り残された日本人――在台日本人――の娘で、実のことを言えば、日本のことを余り良く知らない。

 物心ついた頃、父や兄からほんの少し話に聞いていたくらいだ。

 

 

 彼女以外のクルーが日本生まれの日本育ち、しかも軍直轄の海洋技術総合学院の同級生であることを考えると、まさに異色の存在であると言えた。

 そんな数奇な人生が幸なのか不幸なのか、静には窺い知ることが出来ない。

 しかし唯一言えることは、今は彼女にとっての()がイ401であると言うこと。

 そして、何を犠牲にしてでも守りたいと考えていると言うこと――――……。

 

 

「要塞港・横須賀へようこそ」

「響!」

「真瑠璃ちゃん!」

 

 

 だからイ401が横須賀に入港した時に自分の前のソナー手だった女性、響真瑠璃に会った時、実はクルーの中で最も関心を引かれていたのは彼女だった。

 自分の先代のソナー、そしてイ401を降りた人物。

 まず、綺麗な人だな、と思った。

 

 

 (おか)にいるせいなのか、髪は艶やかに整えられていて、肌や爪も良く手入れされている。

 薄くだがメイクもしているようで、ずっと海上にいる自分やいおりと比べてもきちんと「女性」をしていた。

 何よりピシッと軍服を着こなしている様は、嫌でも大人の女性を感じさせた。

 

 

「群像君、ご無沙汰」

「ああ」

 

 

 しかし、真瑠璃に去られた形のはずの群像はいつも通りだった。

 いつも通り冷静で、当たり障りが無い。

 まぁ、今さら群像が美人を前にどうこうなるとも思えない。

 その点は、杏平や僧を含めて401の男性クルーは「安全」ではあった。

 

 

「おー、あれが404かー。機関関係とか誰が弄ってんのかしらね」

「武装関係はいいもん使ってんだろうな、軍にいるんだもんなぁ」

 

 

 ふと気が付くと、いおりと杏平がイ401の隣のドックに鎮座する灰色の艦を見上げていた。

 そこはハンガーアームに艦を固定する形で、20隻からなる艦艇が整然と並んでいる場所だった。

 横須賀港の地下ドック、群像言うところの、霧に対する<大反攻>のための「夢の保管場所」だ。

 同じようなドックが、他にもいくつかあるらしい。

 

 

 いおりと杏平は群像と真瑠璃のやり取りにさして興味が無い様子で、専らイ404と言うもう1隻の霧の潜水艦に興味を引かれている様子だった。

 今はイ401と同じように、ドックの技士達によって整備が行われている。

 勿論、静もソナー関係の諸々等に興味が無いわけでは無い。

 だが、どちらかと言うと群像の妹だと言う艦長の方に興味が……。

 

 

「あ……」

 

 

 その時、気付いた。

 何とは無しに見上げていたイ404の艦体、その縁にいつの間にか1人の少女が腰掛けていた。

 セミショートの銀髪の、可愛らしい女の子だった。

 どことなく独特の雰囲気を持つ女の子、誰かに似ているような気がした。

 

 

 気が付くと、隣にイオナが立っていた。

 いつもは群像の傍にいることが多い彼女だが、今はイ404側にやって来ていた。

 そして静達と同じようにイ404を、いや、イ404の艦体の縁に座る少女を見上げていた。

 ああ、そうかと静は気付く。

 この2人、雰囲気が似ているのだ。

 

 

「メンタルモデル……」

 

 

 あの少女は、イ404のメンタルモデルなのだ。

 イオナ以外に初めて見た霧のメンタルモデルを、静はまじまじと見つめた。

 無表情なイオナと違い、どこか薄ら寒い笑顔を浮かべた少女――スミノを。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一番驚いているのは、紀沙だった。

 横須賀へ帰港、とは言え行きは別の手段で向かったのだが、とにかく帰港した。

 そして港湾管制局の指示に従ってドライドックに入り、艦艇用の昇降機とアームでドック内にイ404を固定した。

 

 

 その、直後のことだった。

 

 

 それまでは普通だったのだ。

 普通に動き、普通に食べ、普通に話し、普通に指示を出していた。

 身体も健康そのもので、気分も悪くなかった。

 だから、一番驚いていたのは紀沙本人だった。

 ――――どうして自分は、発令所の床に座り込んでいるのだろう?

 

 

「え?」

 

 

 周りのクルーが目を丸くしているのが見えて、まず疑問が生じた。

 どうして皆がそんな目で自分を見ているのか、本気でわからなかったのだ。

 だが、冷静に考えれば周囲の方が正しいとわかる。

 艦を固定して外に出ようと立ち上がった時、正しくは立ち上がろうとした時、それに失敗すれば誰もがそんな顔をするだろう。

 

 

「あ、あれ? え? ……え?」

 

 

 指揮シートから立ち上がろうとした瞬間、膝が折れて座り込んでしまった形だ。

 何度か立ち上がろうとしたが果たせなかった。

 ()()()()()()()()()

 その事実に愕然とした、そして事実を認識すると共に血の気が引くのを感じた。

 

 

 カチカチと言う音がして、それが自分の歯が立てている音だと気付く。

 気付いてしまうと、後は急降下する一方だった。

 頭が痛い、眩暈(めまい)がする、吐き気も、寒い、手が震える。

 急激に悪化する体調は、紀沙の混乱に拍車をかける形になった。

 

 

(え? え、何、何で? とにかく、た、立たなきゃ。立た……え?)

 

 

 立つって、何だっけ?

 そんな馬鹿なことを本気で考えて、そして果たせないことにショックを受ける。

 思考と失敗を繰り返し、加速し、堂々巡りに陥るともう抜け出せない。

 後には座り込み、顔面を蒼白にした少女だけが残った。

 

 

「あ、あーっと、艦長ちゃん? ま、まぁ落ち着けって、大丈夫だって良くあることだって……の時にはさ」

「そ、そうそうそうだよ。アタシだってほら、……の時は漏らしかけたくらいだからね」

「え、マジで? それはちょっと引くわ~」

「アンタ一度マジで鼓膜ぶち抜いてやろうか」

「ひゃ~こえ~、って。な、な? だから大丈夫だって」

 

 

 冬馬と梓が何やら慌てていて、だがそれは結果として紀沙をより焦らせることになった。

 途中、何か単語が抜けて聞こえたような気がするが、ぐるぐると巡る思考では聞き取れなかった。

 それでも安心して欲しくて、笑おうとして、でもそれも出来なかった。

 半笑いにもならない、唇の横が少しヒクついただけだった。

 

 

「ひ、あ……ぁっ」

 

 

 ついには、息が詰まりかけた。

 言葉を発することも出来なくなり、端的に言って、紀沙はパニックに陥りかけていた。

 そして、重要な何かが決壊しそうになったその時。

 

 

「紀沙ちゃん」

 

 

 不意に肩に触れられて、ビクリと身を震わせる。

 身体が固まってしまって振り仰ぐことは出来ないが、声から良治だとわかる。

 恋が呼んだのだろうか、留年組の同期の声はいつにも増して真剣で、そして柔らかだった。

 彼は紀沙の肩に触れたまま、もう片方の手を彼女の目の前に置いた。

 

 

「僕の手が見えるかい? 良し、じゃあ、僕の手が開いたら息を吸って。それから、手を閉じたら息を吐いて、ゆっくりと」

「……っ」

「ああ、ゆっくりで良いよ。ゆっくりね。そう、吸って……吐いて。そう、良い調子。吸って、吐いて」

「は……ぁ。す、はあ、ぁ……ふ」

 

 

 一旦切り替えて、単調に、呼吸だけを意識させる。

 良治が行ったのは、つまりはそれだけだ。

 だがそれは突発的な、特に精神的な発作に対しては効果的だった。

 事実、紀沙は良治の手の動きだけを見ていたし、掌の開閉と言うわかりやすい動きは呼吸を安定させた。

 そうすれば、他の感覚が戻るのも時間はかからない。

 

 

 気持ちは落ち着き、体調も少しずつ復調していく。

 そしてそれに比例して、発令所には別の声と音が聞こえるようになる。

 紀沙に話しかけ続ける良治を除いて、冬馬達クルーはそれが収まるのを待っていた。

 誰も彼女を責めるつもりは無かった、何故ならそれは軍人なら誰もに経験があることだからだ。

 ――――大なり小なり、()()()()()とはそう言うものだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 恥ずかしい姿を見られてしまった。

 穴があったら入りたいとはまさにこのことで、紀沙は内心かなり落ち込んでいた。

 緊張の糸が切れた途端に立てなくなるとは、艦長どころか軍人としての資質が問われる。

 紀沙が思う艦長像からは程遠い、精進しなければ。

 

 

「いやぁ、アレだな。俺ちょっと緊張してきちまったよ」

 

 

 ふんふんと頷きながら自分に言い聞かせていると、冬馬のまるで緊張していない声が聞こえた。

 しかし目の前に置かれたコーヒーに手をつけていない所を見ると、実は本当に緊張しているのかもしれない。

 何しろ紀沙達は今、総理官邸の会議室にいるのだから。

 

 

 中央管区の総理官邸、言わずと知れた日本国のトップのお膝元である。

 日本には3人の首相がいるが、楓首相はいわゆる中央管区の首相だ。

 これは霧に攻撃され殲滅されても、3人の内1人でも首相が生き残っていれば政治的な意味での「日本」を維持できると期待しての政策である。

 

 

『千早艦長以下、イ号404の乗員は直ちに総理官邸に出頭せよ』

 

 

 ドックに降りた面々に手渡された命令書には、そう書いてあった。

 正直、休む間も無く呼び出されるとは思ってもいなかったが、命令とあらば行かないわけにもいかない。

 それから統制軍の車両に揺られて、こうして総理官邸の会議室の一室にやって来たわけだ。

 流石に総理官邸だけあって、一介の会議室も赤のカーペットにマホガニーのテーブルと格式高そうな様子だった。

 

 

「良くわからないな、首相だって人間だろう?」

 

 

 そして当然――なのかどうなのか、今一つ判断しかねるが――この場には、スミノもいた。

 彼女は紀沙の隣の席にいる。

 紀沙達は縦長のテーブルの片側に一列に座らされており、先端の議長席を挟んで、向かい側に空席の一列がある形だ。

 

 

「官邸と言うのは、首相と言う役職を持つ人間の仕事場なのだろう? そこに来ただけで、どうして緊張する必要があるんだい?」

「それはお前、ほらあれだよ。なぁ?」

「アタシに振るんじゃないよ」

 

 

 スミノの疑問は、いつも素朴だ。

 そしてそれだけに答えにくいものが多い。

 何故ならば、人間であればある程度「察する」ことが出来ていることを聞いてくるためだ。

 加えて言えば、イ404のクルーはそのメンタルモデルであるスミノと積極的に交流を持とうとはしていない。

 

 

 どこか、一線を引いている。

 ただそれは、まともな軍人であれば誰もがそうするだろうと思えた。

 何故ならスミノは、霧なのだから。

 そして多くの場合、スミノの問いに答えるのは紀沙だった。

 

 

「……人間は、格式や権威に敬意を表するものなんだよ」

「格式。権威。艦長殿もそうなのかい?」

 

 

 そこまで答える義理は無い。

 スミノは小首を傾げていたが、それには取り合わなかった。

 それに、どうやら来たようだ。

 会議室の扉がノックされて、スミノ以外の全員がその場に立ち上がった。

 

 

『やぁ、待たせてしまったかな』

 

 

 やって来たのは、機械的な車椅子に乗った男性――楓首相。

 総理官邸と言う場からしてまさかとは思っていたが、本人が登場するとは思わず、流石に場がざわめきかける。

 もちろん、スミノ以外は、と言う条件がつくが。

 

 

 ただ、紀沙にとっては楓首相の後に入室して来た顔ぶれの方にこそ心動かされただろう。

 まず、楓首相の後に続いて入室して来たのは北と上陰であった。

 正直、紀沙からすると並んで入ってくるには違和感のある2人だった。

 だが、それはまだ良い。

 

 

(あ……)

 

 

 問題は、さらにその後に入室して来た面々。

 彼らは政治家でも官僚でも無く、まして軍人ですら無かった。

 そこにいたのは、()()()()()

 

 

「……兄さん」

 

 

 千早群像と、そのクルー。

 イ号401の乗員と、そのメンタルモデルがそこにいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 げっ、と言う声を上げたのは、イ401の機関士――いおりだった。

 元学院生だけに格式への敬意の払い方は知っている彼女だが、それでも会議室に入室すると同時に飛びついて来た相手には顔を引き攣らせた。

 その相手とは、あおいだった。

 

 

「あ~ん。いおりちゃ~ん、久しぶりね~」

「げぇっ、お姉ちゃ……艦長ごめっ、私ちょっと抜ける!」

「あ、いおりちゃ~ん、待ってよ~」

 

 

 2人は姉妹だった。

 紀沙もイ404に同乗するまであおいがいおりの姉だとは知らなかった、学年が3つ上だったと言うこともある。

 それに、いおりも周囲に姉がいると話していなかった。

 そして逃げ出したいおりの姿を見るに、どうも彼女は姉を苦手としている様子だった。

 

 

『若い人は元気があって良い』

 

 

 ただ、少しタイミングが悪かった。

 何しろ首相臨席の会議である。

 議長席まで車椅子を進めた楓首相は特に気にしていない様子だったが、流石に気恥ずかしい。

 百歩譲って部外者側のいおりは良いとしても、紀沙としては部下の無作法と言うことになる。

 

 

『さて、今日キミ達に来て貰ったのは他でも無い』

 

 

 恐る恐る、横を見る。

 そこには北がいた、彼は紀沙を特に見ることなく席に着いた。

 強面だけに感情を窺い知ることは難しい、後で注意される可能性もある。

 ただ北が身に着けているストライプのネクタイを見て、紀沙は胸中で小さく微笑んだ。

 

 

 位置関係としてはまず議長席に楓首相がいて、左右の先端に北、そして上陰。

 北側に紀沙達が座り、そして上陰側には当然、群像達が座っている。

 互いに1つ空席が出来ていることが、何とも言えない不足感を醸し出していた。

 

 

(……こうして見ると)

 

 

 そして、正面の兄を見て思う。

 これは、もしかしなくとも凄いことなのでは無いだろうか、と。

 イ号404、そして401。

 良く見てみれば、座席はそれぞれの役職にほぼ対応している。

 

 

 副長の前には副長が、ソナー手の前にはソナー手がいる。

 機関士の人数の都合上、そしてイ401に軍医がいないこともあって、静菜と良治の前は空席となっているが、概ねそう言う配置だった。

 当然、互いに意識するだろう。

 

 

(いや、副長あたりはちょっとわからないけど)

 

 

 僧はフルフェイス状態だし、恋は目が開いているんだかいないんだか。

 ただ杏平と冬馬は何か通ずるものがあったのか、座席が対角線上にあるにも関わらず何か挑発し合っていた。

 他は、概ね我関せずと言ったところか。

 もちろん、艦長としてそのあたりのことは気になるところではある、が。

 

 

 だが、一番気になる組み合わせは別にあった。

 それは紀沙、そして兄である群像の隣に座る少女達。

 すなわち、()()()()()()()()()

 

 

「「――――――――」」

 

 

 片や表情少なく、片やにこやかな笑顔。

 姉妹艦のためか、メンタルモデルの容貌は驚く程に似ているが、対照的だった。

 だが、どうしてだろう。

 紀沙は、不思議な感覚に捉われた。

 

 

『……キミ達に、太平洋を渡って貰いたい』

 

 

 ――――両者の浮かべている表情が、逆に見える。

 紀沙達が楓首相に視線を向ける中、メンタルモデルの少女達だけは互いから視線を逸らさなかった。

 その瞳の虹彩は、電子の海の色に輝いていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 概念伝達。

 それは、霧が使用する通信の総称である。

 離れていながらにして大量の情報をやり取りすることが出来、理論上、距離の制限も無いとされる。

 そして、その通信は人類には傍受することは出来ない。

 

 

「久しぶりだね、401」

「そうだな、404――だが、今は私はイオナと言う名称を与えられている」

「ボクもだよ。スミノと言う名前を貰ったんだ」

 

 

 イ401、そしてイ404は、17年前に横須賀にその所在を置いた。

 いわゆる霧と人類の<大海戦>、その戦いの最中に人類側が拿捕したと言うのが通説である。

 ただ、霧の艦艇が拿捕されたと言う大事件の割に、その詳細が明らかにされたことが無い。

 そもそも、近付くことすら出来ない霧の艦艇をどうやって拿捕したのか?

 

 

 本当に彼女達は、戦いの結果として拿捕されたのだろうか?

 拿捕を成した千早翔像とそのクルー達は日本を出奔してしまったため、もはや真実を知ることは出来ない。

 ただ一点変わらない事実があるとすれば、それは彼女達が霧との戦いに身を投じていると言うことだけだった。

 

 

「それで、何の用だ? 今、お互いの艦長が今後について話し合っているようだが」

「ボク達にとって必要なのは艦長殿の決断であって、そこに至るまでの思考経路に関心は無いね」

「……そうか」

 

 

 概念伝達によって行われる通信を、人類の言葉で表現するのは難しい。

 あえて表現するのであれば、他に人が一切いないプライベートルーム、だろうか。

 そこにはスミノとイオナしかおらず、会話を盗み聞くものもいない。

 

 

「用って程じゃないよ。ただ、そっちの艦長殿はどうなのかなと思ってね」

「どう、とは?」

「どう言う人間なんだい、キミが乗せている人間は」

 

 

 イオナは、少し首を傾げた。

 にこやかな笑顔を浮かべるスミノの顔を「見つめて」、何かを考えている様子だった。

 

 

「……そう言えば、お前とこうして()()するのは初めてだったな」

「そうだね、イオナ」

「お前と別れた2年前、お前は……」

 

 

 イオナは、スミノの問いかけには答えなかった。

 つまり、艦長たる群像のことを話さなかった。

 その代わりに言葉にしたのは、言うなればお互いのことだった。

 それに対して、スミノはやはり笑顔を浮かべ続けている。

 

 

 それに対して、イオナは少し眉を下げていた。

 困ったようなその顔は、どことなく困り者の妹を見ているようでもある。

 そして実際、彼女達は姉妹艦だった。

 

 

「お前は、コアだけの状態だったからな」

 

 

 スミノは、ずっとにこやかな笑顔を浮かべ続けていた。

 最初から、最後まで。

 イオナは目を細め、そんなスミノを見つめていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 駒城はここ数日、多忙を極めていた。

 彼は先年に日本統制軍の最新鋭の原子力潜水艦『白鯨』の艦長の辞令を受け、数百人の関係者と共に訓練に励む毎日を送っている。

 しかし今週に入り、艦を離れて軍務省や統制軍の戦術技術局に出向くことが多くなっていた。

 

 

「おお、良く来たな駒城! 挨拶は良い、まぁ、座れ座れ!」

 

 

 会議室に入ると、まず豪快な笑い声が彼を出迎えた。

 それは戦術技術局の局長を兼ねる浦上中将の笑い声であって、恰幅(かっぷく)の良い身体と顎鬚(あごひげ)が笑い声に妙にマッチしていた。

 バシバシと背中を叩かれるのは困りものだが、駒城はこの上官が嫌いでは無かった。

 何しろ士官学校時代の教官だった相手だ、軍においてそれは親子の関係に等しい。

 

 

 ただ、中将臨席の会議にしては小さな会議室だった。

 モニターや電子機器等の設備は整っているが、せいぜい十数人ほどしか入れない規模の会議室だ。

 しかも、それでも席がまばらに開いている。

 どちらかと言うと、会議と言うよりは何らかの説明が行われると言った方が良いだろう。

 

 

「よっ、駒城艦長」

「何だクルツ、お前まで呼ばれていたのか?」

「上陰ちゃんの頼みでね」

「上陰の?」

 

 

 軍務省次官補の地位についている同期の名前に首を傾げつつ、席に着いた。

 ちなみに駒城はクルツとも知己だ、外洋艦所属と元海兵隊、訓練で顔を合わせることも多い。

 だから互いに性格と言うのも良くわかっていて、良く言えば気心の知れた仲と言えた。

 

 

「おいおい、仲が良いのは結構だが、まだ勤務時間中だと言うことを忘れるなよ!」

 

 

 最もな指摘だが、浦上に言われると苦笑を浮かべてしまう。

 とは言え、仕事は仕事だ。

 艦を任せている副長達のことも気にかかるし、早めに終わらせることに異論は無かった。

 

 

「さて、今日お前達を呼んだのは他でも無い。すでにさわりは知っているだろうが、今回、内閣府と軍務省からそれぞれ統制軍に検討するように要請された件だ」

「と言うと、例の新兵器の」

「お前達にもまだ詳細は開示していなかったが、今回、開示の許可が下りた」

「へぇ。ってことは、いよいよってことですかね」

「ああ、つまりだ」

 

 

 口調と態度は変わらないが、それでも緊張感は違う。

 浦上は煙草に火を着けようとして、しかし会議室が禁煙であることに気付き、そのまま話を続けた。

 駒城はごくりと生唾を飲み込み、次の言葉を待った。

 

 

「……お前ら、ちょっと世界を救ってくれねぇか」

 

 

 そして駒城は、これから自分が就くことになる任務計画の名前を聞いた。

 つまり。

 ――――振動弾頭、輸送計画。

 霧の艦艇との、共同作戦である。

 なおこの計画を聞いた後、駒城は2日ほど胃痛を友とすることになった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この屋敷に戻ってくることが、随分と久しぶりのことのように思える。

 ほんの1週間ほどのことだったと思うが、それだけ密度の濃い時間だったと言うことだろうか。

 そして今、畳の間にて紀沙は北と向かい合っていた。

 

 

「作戦の趣旨は理解できただろうな」

「はい」

 

 

 すでに夜の帳が下りて、2人ともが普段着の着物に着替えている。

 ちなみに帰宅の際、北は紀沙に『ナガラ』や『タカオ』関連の戦いの話をしなかった。

 褒めも叱りもせず、ただ淡々と次の任務の話をしている。

 次の任務。

 

 

 楓首相直々に言い渡されたそれは、恐らく北と上陰を交えて話し合ったものであろう。

 すなわち、「振動弾頭のアメリカへの移送」。

 北達はイ401とイ404、そして統制軍の最新鋭潜水艦1隻を加えた3隻の()()で行うことにしたのだ。

 これだけでも、十分に驚くべきことではあるが……。

 

 

「この任務に当たり、お前達の階級はまたひとつ上がる」

 

 

 とは言え、任務の度にぽんぽん階級が上がるのは正直、困惑する。

 若干18歳の中尉、また軍内部での紀沙の立場は特殊なものになった。

 あからさまに政治的で、おそらくそうすることで得られる何かがあるのだろう。

 ただ、そこは紀沙が考えられることでは無かった。

 

 

「そして、イ401のことだが」

「はい」

「今日の会議でも説明したように、政府は401のクルーに恩赦を与えた」

 

 

 そしてこれは、紀沙としても嬉しいことの部類に入る。

 兄である群像はイ401を強奪する形で日本を出奔したため、当然、犯罪者にカテゴライズされる。

 しかし今日、日本政府は群像達に恩赦する――つまり、過去の罪を免除する――と同時に、イ401の所有権を彼らに認めたのである。

 

 

 まぁ、それが群像達にとってどれだけ意味のあるものなのかは、わからないが。

 ただ、紀沙にとっては喜ばしいことには違いなかった。

 何しろこれで、兄が戻ってくるかもしれないからだ。

 出奔して2年、横須賀もいろいろと変わった。

 

 

「明日、兄を案内しようと思います。いろいろと」

「……そうか」

 

 

 兄が行きたいと思っているだろう場所は、何と無くだがわかっている。

 だがそこも、いろいろと変わっている。

 そこを案内したいと思うのは、むしろ自然なことだったろう。

 だから北も、それに対しては何も言わなかった。

 

 

「千早艦長。アメリカへの移送任務とは別に、お前にもう一つ任務を与える」

「もう一つの、任務?」

「そうだ。これは、お前にとってこれまでに無い厳しい任務となるだろう。だが成し遂げて貰わねばならん、日本のために」

「……日本の、ために」

 

 

 あの北がここまで言うとは、どれほどの任務なのだろう。

 しかし紀沙は、北の恩に報いるためにも、どんな任務でも成し遂げるつもりだった。

 今日は失態を見せてしまったが、いやだからこそ、北の期待に応えたかった。

 だから紀沙は言った。

 やります、やってみせます、と。

 

 

 そんな――そんな純真な少女に対して、老人は言った。

 清も濁も併せ呑んできた老兵は、表情を変えること無く()()を告げた。

 そして、彼の言葉を聞いた次の一瞬。

 ――――少女の顔から、全ての感情が消え失せた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 台風が過ぎ去った後、名古屋沖の海上は驚くほど静かになっていた。

 かつては人類の航空機や船舶が断続的に姿を見せていたが、今は見ることも無い。

 何者も存在しない海は、「深遠」と言う言葉が似合う程に静かだ。

 

 

「…………」

 

 

 そんな中にあって、タカオはぶすっとした表情を浮かべて艦橋の上にいた。

 不機嫌。

 今のタカオの感情を表現するのであれば、その一言に尽きる。

 まるで海面に映る満月に恨みでもあるかのように、投錨中の艦体に当たっては引いていく波紋を睨みつけていた。

 

 

「私の戦術と指揮に間違いは無かったはずなのに」

 

 

 思い返す――彼女達の場合、それは何百何千と繰り返すシミュレーションを意味する――のは、先のイ401・イ404との戦いだ。

 400・402に超重力砲の射程内まで追い立たせる、501のエネルギーを使って連射を可能にする。

 どちらも戦術としては成功していたはずだ、どこにも間違いは無い。

 

 

 タカオが何度シミュレーションしても結果は同じ、99%以上の確率で成功する。

 だが、現実に失敗した。

 何らの間違いも無いのに失敗した、その事実にタカオはどうしようも無く苛立っていた。

 不機嫌、困惑、苛立ち、不満、短時間で様々な感情を経験し、学んでいく。

 

 

「どう、402? 必要ならナノマテリアルをもう少し融通するけれど」

「大丈夫だ、問題ない。ただ機関出力は60%程度までだな、本格的な修復は艦隊に戻ってからにしよう」

 

 

 視線を少し動かせば、寄り添うように浮上したイ400とイ402が見える。

 400がナノマテリアルを融通したのだろう、402の艦体は傍目には修復されているように見える。

 被弾直後もそうだったが、400は402のことを本当に「心配」しているようだった。

 心配――何かを失うことを恐れる気持ち、心の動き。

 これもまた、感情のひとつ。

 

 

 402はあの後、タカオに謝ってきた。

 タカオは失敗したのは自分だと思っているから、無用の謝罪と切って捨てた。

 むしろ400があんなにも402を心配するとは思わなかったので、そちらの方が意外だ。

 そう言えば同型艦、人間で言えば姉妹だったか。

 

 

「……そう言えば、『アタゴ』は何してるのかしら」

 

 

 イ401・イ404も同型艦(しまい)だ。

 そう言う部分は、今まで思考したことが無かった。

 

 

 

『聞いたよタカオ、してやられたんだって?』

 

 

 

 その時、タカオ達の脳裏(コア)に声が響き渡った。

 概念伝達で響くそれは、今ここでは無いどこかから発信されたものだ。

 そしてタカオは、その「声」の主を知っていた。

 

 

「『キリシマ』? 何よ、わざわざそんなことを言うために概念伝達なんてしたの?」

『まさか、そこまで暇じゃない。ただ、ちょっと義理を通そうと思ってね』

「義理?」

『お前らが取り逃がした401と404』

 

 

 眉根を寄せると、相手――『キリシマ』は言った。

 

 

『――――私達が、貰うよ』

 

 

 夜の海はどこまでも深く、暗く静かだ。

 しかし表面的な静けさとは裏腹に、海中の潮流は昼間と変わることなく流れ続けている。

 それはまるで、これから訪れる事態を暗示しているかのようだった。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
ワンピ○スでもそうですが、やはり色々な役職の人間が集まってこそ船も機能すると思います。
そう言う意味で、多様なキャラクターを頂いた読者の皆様には感謝感謝です。

というわけで、ここからはアメリカ渡航編に入ります。
原作中にいろいろやるよりも、もういっそのこと原作を突破していろいろやった方が選択肢が広がるんじゃないかと、種を撒きながら色々と考えているところです。
それでは、またどこかで~。

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