蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth085:「メッセージ」

 

 車で向かうのは、途中までだと言う。

 山間の国道を進む車中で、紀沙は窓の外を眺めていた。

 それはこれから起こるであろう何かを思ってと言うよりは、車中の雰囲気の悪さ――いや、一概に「悪い」と言うわけでは無いのかもしれないが、とにかく――から逃れようとした、と言った方が良かった。

 

 

「……」

「…………」

『………………』

(なにこの空気)

 

 

 運転手は別として、乗員は楓首相、北、上陰、そして紀沙と群像、スミノである。

 後部座席が向かい合って座るボックスタイプのため、嫌でも顔を合わせて座ることになる。

 そして、このメンバーである。

 車に乗り込んだ時から、紀沙の胃はキリキリと痛んでいた。

 

 

 車内で聞こえてくる音としては、車が走る音と、スミノの鼻歌だけだ。

 と言うか、スミノは本当にやめてほしい。

 こんな状況で鼻歌とか何の冗談だ、こいつは本当に紀沙の嫌がることを的確に突いてくる。

 車内の空気が悪くなっている要因の1つは、明らかにこのせいだ。

 

 

(出雲薫の研究所……か)

 

 

 まぁ、それはともかくとして、これから向かう場所である。

 行くのが少々難しい場所にあるらしいが、長く日本政府によって隠匿されていだ。

 翔像が言っていた何かが、そこにあるはずだった。

 ヨハネスとグレーテルの、最後の仲間が遺した何かが。

 最も、出雲薫自身はすでに亡くなっているようだが……。

 

 

「…………」

 

 

 ちら、と、紀沙は北を見た。

 北は瞑目してじっとしているが、本当はまだ入院していなければならない身のはずだった。

 それでもこうして出てきているのは、責任感の成せることだろう。

 北にとって、それは呼吸することと同じなのだ。

 

 

(すごい人)

 

 

 大きな背だった。

 軍人としても政治家としても、傑出した人材であろう。

 とてもでは無いが、紀沙にはとても追いつけるような気がしなかった。

 一方で、こんな自分に期待をかけてくれている。

 

 

 有難い、と思うと同時に、恐ろしくもある。

 正直、自分にそこまでの才覚があるとは思えなかったからだ。

 兄の群像のような天才でも無い、凡庸な自分を誰よりも紀沙が良く理解している。

 しかし、北がそれだけで自分を見ているわけでは無いことも知っている。

 だから、紀沙も応えたいと思えるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――昨夜、病室で少しの時間だが北と話をした。

 北に対しては、紀沙は包み隠すと言うことが無かった。

 己の身に起きた変化についても、隠すことなく話した。

 もしかしたら、ただ話したかったのかもしれない。

 

 

 誰にも話せないと言うのは、事のほか辛いものだ。

 艦長が孤独であると言う以上に、肉体のナノマテリアル化と言う前例の無い事態を相談できる相手がいるはずも無いのだった。

 父や兄には、家族だからこそ話せなかった。

 北は、最初から最後まで話を聞いてくれた。

 

 

「……そうか」

 

 

 話を聞き終えた後、北はまず重々しく頷いた。

 話の途中も、時折なにか言葉を返しつつも、話を遮るようなことはしなかった。

 そして話が終わると、北は言った。

 

 

「すまなかったな」

「え……?」

 

 

 正直、ただ話したかっただけだ。

 だから何か言葉を貰えることを期待していたわけでは無く、仮に期待していたとしても、それは謝罪では無かった。

 だが、北は紀沙にはっきりと謝罪の言葉をかけた。

 

 

「本当ならば、わしのような老人こそが矢面に立たなければならん」

 

 

 北には、信じるものがあった。

 それは、年齢と経験を重ねた「大人」から前に立つべき、と言う考えだ。

 軍事にしろ政治にしろ、次の時代に自国を残そうとするための行為だ。

 自分が倒れても次の世代や後に続く者がいると思えばこそ、出来る行為だ。

 その逆はあってはならないと、北は強く信じていた。

 

 

「それを、お前のような若い……それも女子に。先の世代として、言葉も無い」

「前にも言いました。これは私が選んだことです、北さんが気に病まれるようなことではありません」

「いや……」

「あっ」

 

 

 身を起こして、ベッドから足を出して座る北に、紀沙は手を貸した。

 大した怪我では無いと言っても、安静にしていなければならない状態なのだ。

 それを手で制しつつ、北は紀沙を見上げた。

 

 

「苦労をかけてすまない。そして、良くやった」

「…………」

 

 

 そして、労われた。

 褒められた。

 良くやったと、たった一言だけ、それは厳格な北には珍しい言葉だった。

 正直、もったいないと思った。

 

 

「あ……れ」

 

 

 自分は、何も上手く出来なかった。

 ただ目の前のことに手一杯で、状況に流されるままに、何もかもが手遅れになっていた。

 そしてそのすべてに、何ら手を打つことも出来なかった。

 胸を張って「やった」と言えることは、何も無かった、だから。

 

 

「ち、が……うんです。()()、違……ッ」

「…………ああ、わかっている」

 

 

 だから、()()は違う。

 溢れて止まらない()()は、違うのだ。

 なのに、それなのに、止められないものだった。

 

 

 嗚呼。

 頭に感じる北の掌が、とても温かい。

 その温かさをまだ感じることが出来るのは、とても幸福で、幸運なことだった。

 紀沙は、心の底からそう思った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 人里離れた、隠者が好みそうな山奥に建てられた邸宅だった。

 太陽光による自家発電装置が見えるなど、設備は現代的だ。

 とは言え人の手が入らなくなって随分と経過しているのか、草木生い茂る廃墟と言う感が強い。

 今となっては、人を避けたがった元の持ち主の偏屈な心根だけが僅かに見ることが出来る。

 

 

『これだけの人数を連れて来たのは、歴代中央管区首相で私が初めてだろう』

 

 

 楓首相が案内したのは、邸宅の地下だった。

 埃っぽいバルコニーからさらに進んだ先に、地下へと続く隠しエレベーターがあった。

 さらに三階層続く地下の、一番最下層。

 北と上陰は先に来たことがあるのか、足取りに迷いが無かった。

 

 

 それにしても奇妙な邸宅だった、一言で言えば生活感が無い。

 バルコニーからエレベーターへ続く道以外に、これと言った傷みが見当たらなかったのだ。

 楓首相達が何度も出入りしていたからだろうが、それにしても他の箇所に使用の痕が見えない。

 もっとしっかり観察すれば痕跡もあるのかもしれないが、あるいは前の持ち主は、そもそも地下に閉じこもりきりだったのかもしれない。

 

 

「楓首相、ここは?」

『出雲薫の研究室だ』

 

 

 昨日に話をした時、紀沙は楓首相に出雲薫の件も話していた。

 その際に楓首相の口から出たのがこの場所で、日本政府が発見して保管していたらしい。

 ごぅん、ごぅん。

 下がり続けるエレベーターは、今もこの邸宅に電力が供給されていることを示している。

 それも、日本政府の手で発電設備が補修・維持されているためだろう。

 

 

(出雲薫の研究室)

 

 

 翔像が言っていたのは、このことだったのだろうか。

 予想外にあっさりと開示された情報に、紀沙は拍子抜けすらしていた。

 もっと手こずるものと思っていただけに、意外だった。

 翔像はしかるべき者が何かを示すと言っていたが、出雲薫の研究を追えと言うことだったのか。

 

 

 何か、引っかかる気がした。

 あの父が、そんなことのためにわざわざ動くとも思えなかったからだ。

 それとも、翔像と自分が過剰な期待を持っていたのか。

 群像の考えも聞いてみたいと思ったが、しかしその前に。

 

 

『到着だ。足下に気をつけてくれ給え』

 

 

 それより先に、研究室の方が先に来た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 照明は暗いが、思ったよりも整理整頓が行き届いていた。

 元からそうだったのか、あるいはここには頻繁に調査が入っているためかはわからないが、他に比べると埃も少ないし、空調の循環設備も手入れされている様子だった。

 楓首相は研究室と言っていたが、なるほど、確かに()()()雰囲気の部屋だった。

 

 

「海洋学の本が多いな。それと、鉱物と生物学。あまり見ないラインナップだが」

「そうなんだ」

 

 

 机の上に置かれていた本の背表紙を指先で撫でながら、群像が言った。

 群像はわかるのかもしれないが、紀沙は学術書の多寡には余り詳しくない。

 海洋学やら生物学やらは学院時代にさんざん学んだが、蔵書のタイトルや作者には頓着しないタイプだった。

 この手のタイプは、だいたいレポートを書く際に引用で困ったりする。

 

 

 まぁ、それは良い。

 重要なのは研究所に何があるのか、だ。

 今、群像が見ている机の他には、壁際の資料棚と薬品棚、ビーカーや遠心分離機らしき実験用の器具。

 そして最も目立っているのが、円柱形の容器だ。

 研究室の両側に整然と並ぶ無数の容器の中身は、何かの液体で満たされているようだった。

 

 

「これは何が入っているんですか?」

『海水だ』

 

 

 海水? と首を傾げると、楓首相は「深海の水だ」と付け加えてきた。

 深海の水だから何だと言う話だが、だからこそ容器に蓄えられているのかわからなかった。

 時折、容器の中で気泡が生まれては消えていた。

 薄暗いせいか、透明な容器の表面に紀沙自身の顔が映っている。

 

 

 その時、紀沙の様子を見ていた北が上陰に目配せをした。

 それを受けて、上陰が壁のスイッチを操作した。

 すると照明の色が変わり、通常の白色から、薄い青色へと変化した。

 ぼんやりとした灯りは、どことなくおどろおどろしい雰囲気を醸し出している。

 

 

「……!」

 

 

 そして、不思議なことが起こった。

 容器の内側で、白く輝く粒子がたゆたっている。

 紀沙は驚いた。

 何故ならばそれは、間違いなくナノマテリアルの粒子だったからだ。

 

 

 ナノマテリアルが、どうしてこんなところに?

 普通に考えれば、出雲薫の研究物だろう。

 何しろヨハネスとグレーテルはナノマテリアルと『コード』の研究者だったのだ、その仲間である出雲薫が同じ研究をしていても何もおかしいことでは無い。

 日本政府がこの研究室を発見し調査するのも、対霧の観点からすれば不思議では無い。

 

 

「楓首相、これはいったい!?」

『……北さん』

「うむ……」

 

 

 だが、()()は不思議だ。

 容器の中でナノマテリアルの粒子が激しく動き、しかも増幅を繰り返しているのだ。

 粒子光の明滅も激しく、まるで電子回路を走る電気のように光の線を走らせている。

 そして上陰達の反応を見るに、これは彼らが企図したものでは無いらしい。

 紀沙は知る由も無いが、上陰が楓首相にここを見せられた時、こんな現象は起こらなかった。

 

 

「紀沙。お前、眼が」

「え、あ」

 

 

 紀沙だ。

 紀沙の霧の瞳が淡く輝いている、体内のナノマテリアルの活性化の証だ。

 まさか、彼女のナノマテリアルに反応――――いや、違う!

 

 

(『アドミラリティ・コード』に反応している!)

 

 

 今ここにはオリジナルの『コード』の大部分がある。

 『コード』の存在を認識した瞬間、研究室に保存した起動するように仕組まれていたのか。

 誰の手によって?

 決まっている。

 

 

「出雲、薫だ」

 

 

 容器の中のナノマテリアルが、いよいよ何かを形作り始めた。

 それは下から上へと、三次元プリンターに似た動きで形成されていった。

 すべての容器の中に、老年の男が現れた。

 同じ顔をしたそれらには、首から下が存在しなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 楓首相らも、「出雲薫」の顔はデータでしか知らない。

 容器内に現れた出雲薫の顔立ちは、老齢ながら、どことなく千早家の男の面影があった。

 母方の祖先と言うことだから、容姿において群像や紀沙を感じる部分もある。

 2人が年齢を重ねればこんな風だろうと言う、そんな老人だった。

 

 

 とても、静かな目をしていた。

 落ち着いている、ともまた違う、静謐と言う表現が良く似合う目だ。

 こんな眼差しをした老人を、紀沙は他に見たことが無かった。

 その老人が、不意に口を開いた。

 

 

『……この場所に、『コード』を持つ者が現れたか』

 

 

 静かな、聞く者に威厳を感じさせる低い声が響き渡った。

 どこかしらに音声機器があるのだろうが、不思議と肉声のようにクリアに聞こえた。

 しかもその声は、複数の容器から同時に聞こえているのだ。

 とても、不思議な感覚だった。

 

 

『お前が真にヨハネスとグレーテルの後継者であるのかは、私には確認のしようも無い』

 

 

 『コード』を持つ者、後継者。

 この単語で紀沙は確信する。

 出雲薫の研究室は、これまでずっと偽りの姿を映していたのだ。

 紀沙の持つ『コード』がカギとなっていて、こうなるよう仕掛けられていたのだろう。

 ヨハネスとグレーテルと言う名前が出たことからもわかるように、この老人は間違いなく出雲薫だった。

 

 

 ()()()()()()()()

 この容器の中に現れた出雲薫――老人の生首が浮いているようにしか見えない――は、実際に今、ここにいるわけでは無い。

 容器の中のナノマテリアルが、記録された音声を流しているだけだ。

 だから、これは会話では無い。

 

 

『だが、私の知らぬ『コード』保持者よ。何かを求める者よ。私はお前を信じてみようと思う』

 

 

 これは、メッセージだ。

 何年、何十年も前に出雲薫が遺したメッセージ。

 前時代に世界の秘密に至った男が、後世の紀沙達のために遺したメッセージだ。

 紀沙達、後の世代が行き詰った時のためにと、先に残していたメッセージだ。

 

 

『人間は愚かで、愛や憎しみのために道を誤る。誰もがそうだ。そう、誰もが』

 

 

 出雲薫の眼が、じっとこちらを見つめていた。

 ただの記録だとわかっていても、真に迫る眼差しだった。

 まるで目の前にいるかのように。

 目の前で諭されているような、そんな錯覚に陥ってしまいそうだった。

 

 

『だからこそ、誰もに機会が与えられるべきだと私は思う。それが、今、この場にいるお前を信じる理由だ』

 

 

 出雲薫の眼が、紀沙の眼を見つめる。

 その刹那、紀沙の瞳が強く輝いた。

 ナノマテリアルを通して、出雲薫が何かを渡そうとしてきている。

 これも、出雲薫が遺した仕掛けのひとつか。

 

 

『人間はこんなところで終わって良い存在では無いと、私はそう信じている』

 

 

 容器の中の出雲薫――いや、それを構成するナノマテリアルが、強い光を放った。

 余りに強い輝きに、手で顔を庇うようにする。

 人類を信じていると言う、出雲薫の言葉だけが、反響していた。

 ――――ぱりん。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 割れた容器から、砂と化したナノマテリアルが床に零れ落ちていた。

 床に落ちたナノマテリアルは完全に活動を停止しており、()()()状態だった。

 出雲薫が、このメッセージのためだけに仕掛けていたのだろう。

 そして紀沙は、出雲薫がここでナノマテリアルの研究をしていたのだと確信した。

 

 

「紀沙、大丈夫か?」

「大丈夫……」

 

 

 身体が熱を持っていた。

 いつの間にか紀沙は両膝を床についていて、群像に身体を支えられていた。

 言葉通り、今は大丈夫だった、特に不調は無い。

 頭を横に振って意識をはっきりさせた後、ナノマテリアルの砂に触れた。

 

 

 指の間から零れ落ちるそれには、もう何の力も無い。

 だが、これは確かに紀沙に重要なメッセージを届けた。

 紀沙――新たな『アドミラリティ・コード』を持つ者を、出雲薫は待っていたのだ。

 いや、本当は少し違うのかもしれない。

 

 

「ヨハネスとグレーテルに、もう一度会いたかったんだね……」

 

 

 ぽつりと呟いたその言葉が真実であったのか、それはわからない。

 けれど、出雲薫はヨハネスとグレーテルを待っていた。

 何と無く、紀沙にはそう思えたのだった。

 会話をしたわけでは無い、一方的にメッセージを受け取っただけの関係だ。

 

 

 けれど、出雲薫の気持ちも伝わってきた。

 出雲薫はきっと、守るために、救うために研究を続けていたのだろう、と。

 ヨハネスとグレーテルの魂を、『アドミラリティ・コード』の戒めから解き放つために。

 だから、『コード』を持ってきた者がヨハネスとグレーテルを救った者だと信じて、メッセージが起動されるように仕込んでいたのだろう。

 

 

「楓首相、ひとつ確認したいことがあります」

『……何かな』

 

 

 兄の手を借りて立ち上がった紀沙は、こちらの様子を窺っていた楓首相らへと視線を向けた。

 電子の光を宿すその瞳は、何もかもを見透かしているかのようだった。

 

 

「この研究所は、振動弾頭輸送任務より前に発見されていましたか?」

『……ああ、その通りだ』

「ではここが出雲薫の研究室だと言うことはわかっていましたか?」

『ああ、キミ達の出航時点で判明していた』

 

 

 楓首相の答えを聞いて、紀沙は指先をこめかみに当てた。

 頭痛を堪えるような仕草だったが、苦しげに歪められた眉が、彼女の苦悩を表していた。

 もしやとは思っていた。

 出航前にすでに日本政府がこの施設のことを知っていた、知った上で送り出したと言う事実。

 

 

 そして、今回の航海における紀沙達の行動の自由度の高さ。

 その理由が、今、ようやくわかった気がする。

 狙っていた、とまでは言うまい、ただ。

 ()()()()()()()()、こうなることを。

 

 

「北さん」

 

 

 そして、今度は北に問いかけた。

 北は、紀沙から目を逸らすことをしなかった。

 そんな北に、紀沙は言った。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そして物語はついに、はじまりの地に戻る。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 旧第四施設跡を訪れたのは、初めてでは無かった。

 だがその時、紀沙は何も感じなかった。

 ただ示された慰霊碑の下が旧第四施設なのだと、疑問に感じることもせずに信じていた。

 しかし、実際は違った。

 

 

 旧第四施設を含む当時の研修施設は、当時の姿のまま今も残されていたのだ。

 火事の跡まで、そのままに。

 じゃり、と地面を踏み締めて、紀沙は車から降りた。

 風の中に、未だに焦げ臭い匂いが漂っている。

 

 

「2年……いや、3年ぶりになるのか」

 

 

 群像も、流石に感慨深いのだろう。

 兄と2人でここに立つのだから、余計にそうだった。

 何しろ目の前に広がるのは、半分以上が焼け落ちた廃墟のような場所だ。

 2人にとって、はじまりの場所だった。

 

 

「ここがあの時のままになっていたのは、驚きだが……紀沙」

 

 

 不謹慎と思われるかもしれないが、群像に問われるのは嬉しかった。

 最も、話の内容はけして面白いものでは無かったが。

 

 

「紀沙、ここに何がある?」

「……言葉にするのは難しい、かな」

 

 

 出雲薫のメッセージは、簡潔だった。

 と言うより、あれはメッセージでは無かった。

 出雲薫が紀沙に託したのは、たった一言の言葉だった。

 

 

「『グラストンベリー・トー』」

 

 

 言葉自体には、それほどの意味は無い。

 そしてその言葉と共に、紀沙の脳裏にある光景が浮かび上がったのだ。

 それはあの時、紀沙が琴乃と別れた時のこと。

 炎に包まれる副管制棟(サブコントロール)の中で出会ったの、()()()()()()

 

 

 今まで、ずっと忘れていた。

 メット越しに見た誰かの顔は、あの誰かの唇が紡いでいた言葉は、もしかするとこれでは無かったか。

 それでも、紀沙はこの旧第四施設に来なければならなかった。

 あの時の光景がこびり付いて離れない、まるで何かに呼ばれているようで……。

 

 

「楓首相、今から中に入れますか?」

『ああ。すぐに……来たな、迎えだ』

 

 

 もう夕方だ、今から入れば帰りは夜になるだろう。

 赤い夕闇が、まるで火事を再現するかのように旧第四施設を照らしていた。

 そして、施設の入口に佇んでいた彼女達の下に、ある人物が姿を現した。

 施設の中から姿を現したその()()()()の姿に、群像と紀沙は目を丸くすることになった。

 何故なら、髪を2つ結びにしたその女性士官は彼女達の良く知る人物であったからである。

 

 

「響!?」

「真瑠璃さん!?」

「……ハイ、群像くん、紀沙ちゃん」

 

 

 響真瑠璃は、少し照れ臭そうに2人に応じたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 真瑠璃は、工藤と言う女性下士官と共にここに配属されていたそうだ。

 時期的には、クリミア作戦の頃だった。

 その時期に、ひょんなことから真瑠璃は旧第四施設の真実に気が付いたらしい。

 そして、機密の保持と監視も兼ねて旧第四施設の駐屯部隊に配属されたのだ。

 

 

「だからごめんなさいね、群像くん。連絡ができなかくて」

「いや、お前が無事ならそれで良い。今は特に問題を抱えているわけでも無いからな」

 

 

 施設の中を歩きながら、群像と真瑠璃の会話を聞いていた。

 やはりと言うか何と言うか、2人は真瑠璃が艦を離れた後も連絡を取り合っていたのだろう。

 複雑だった。

 何故ならば、真瑠璃は紀沙にそれを隠していたことになるからだ。

 とは言え、紀沙にそのことを責めることは出来なかった。

 

 

 客観的に見れば、当たり前の話ではある。

 真瑠璃の身の安全に関わることであるし、それに紀沙に教えたところでどうなることでも無い。

 群像が当時の紀沙の呼びかけに応じる可能性など、それこそ皆無であっただろうからだ。

 仮に紀沙が気付いていたとしても、結果は何も知らないのと変わらなかったはずだ。

 だがそうだとしても、複雑な胸中だけは隠しようも無い。

 

 

「着いたわ。ここよ」

 

 

 そして、ここだ。

 副管制室(サブコントロール)を擁する副管制棟が、目の前に存在していた。

 他の建物は火事によってほとんど全焼、良くて半壊と言う状態なのに、どう言うわけかここだけがまったくの無事だった。

 明らかに、不自然だった。

 

 

「見ていてね」

 

 

 火事の跡すらない綺麗な外壁。

 これは、あり得ないことだ。

 焼失事件の際に消え去ってしまったはずの建造物が、目の前に聳え立っている。

 そして紀沙にははっきりと感じ取れるのだが、これはナノマテリアルで再構成されている。

 

 

 そして、真瑠璃はその外壁に拾った小石を投げつけた。

 すると、どうしたことだろう。

 外壁にぶつかった小石は弾かれるかと思えば、ぴたりとくっついてしまったでは無いか。

 しかも、数瞬の後に細かな粒子となって消えてしまった。

 

 

『統制軍は何度かこれの破壊を試みたが、すべて上手くいかなかった』

 

 

 強力なフィールドが形成されていた。

 不用意に触れたものを分解し、エネルギーとして吸収してしまうのだ。

 確かにこれでは、人類の兵器ではどうすることも出来ないだろう。

 しかし、()()()()

 この中に、間違いなく()()、紀沙にはそれがわかる。

 

 

「紀沙、やれるか?」

「……やってみる」

 

 

 だからこそ、()()()()()

 紀沙の視界が一瞬にして切り替わり、電子上に存在するもう1つの副管制棟を認識する。

 すると、やはりだった。

 現実世界には存在しない、()()が視えた。

 ()()()()()()()()()()

 

 

(もしかして)

 

 

 出雲薫の遺したメッセージを、そこに入力した。

 『グラストンベリー・トー』。

 ()()()()

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナノマテリアルで再現された副管制棟は、なるほど、確かに当時のままの姿だった。

 火事の跡はおろか、これから火事が起こる気配すら何も無い。

 綺麗だが、歩いていると不思議な気分になってくる。

 まるで、周囲から目に見えない何かが身体を包み込んできているような、そんな感覚を感じていた。

 

 

「周りのすべてがナノマテリアルの構成体だよ、艦長殿。ボク達は誰かの胃袋の中にいるようなものだ、注意することだね」

 

 

 スミノに言わせると、そう言うことらしい。

 確かに周りが全部ナノマテリアルと言うことは、スミノ達にとっては身体の中に入れるようなものなのだろう。

 ただ、それを言ってしまえば艦内にいる普段からそうであると言える。

 だから紀沙はいちいちそのことを気にしなかったし、むしろ気にするべきは他のことだった。

 

 

 何しろ紀沙は、この先に何が――()()いるのか、何と無く理解していたからだ。

 あの時、紀沙と、そして琴乃の前に現れた存在。

 今この場で紀沙の前に現れるとすれば、それしかあり得ない。

 そして一歩を前に進むごとに、その気配は徐々に強くなっていくのだ。

 確信、そう、それはもはや確信だった。

 

 

(あの時……)

 

 

 あの時の記憶は、ほとんど無い。

 琴乃を守るために立ち向かったことは覚えているが、それ以後の記憶が無いのだ。

 気が付いた時には、自分は病院のベッドの上だった。

 そして、旧第四施設は副管制棟も含めて焼失したと言う政府の発表を、今日まで信じて来た。

 

 

 騙されていたのだろうか。

 いや、真瑠璃の時と同じだ。

 ()()()()前の自分では、仮に事実を知っていても知ったところで何も出来なかっただろう。

 わかっている。

 だが、蟠りは残ってしまう……。

 

 

「……!」

「どうした、紀沙。……紀沙?」

 

 

 そして、不意に紀沙が足を止めた。

 不審に思った群像が声をかけたが、紀沙の足が動くことは無かった。

 何故ならば通路の先、まさに副管制室の前に()()からだ。

 ああ、あの身体の端々から待っている粒子はまさにナノマテリアルのそれだ。

 当時は、あれすら紀沙には視えなかったのだ。

 

 

「誰だ、あれは?」

『宇宙服……?』

 

 

 そしてここまで来て、ようやく他のメンバーも相手の姿に気付いたようだった。

 白い、宇宙服を纏ったその人物に。

 再び目の前に現れた宇宙服の存在に、紀沙は言った。

 

 

「何なんだ、お前は」

 

 

 ()()が、なにもかもの始まりだった。

 その始まりの鐘を鳴らした存在に、今まさに目の前にいる宇宙服の存在に、紀沙は問うたのだった。

 お前は、いったい、何者だ。

 

 

「何なんだよ、お前は……!」

 

 

 悲痛とも取れるその声に、宇宙服の女はゆっくりとこちらを振り向いた。

 そして、そっと両手を上げた。

 その両手が宇宙服のマスクへと伸ばされて、空気の抜けるような、そんな音が響く。

 宇宙服のマスクが、ゆっくりと持ち上げられて――――……。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
と言う訳で「宇宙服の女」編です。
いよいよ話がスピリチュアルじみてきました(え)

そう言うわけで、今回は最終章に向けた最後の募集を行いたいと思います。
テーマはずばり、「宇宙」です!

先の話で登場した国際宇宙ステーションのように、宇宙から来たる「やつら」を募集します。
対象は人類が宇宙に打ち上げた「モノ」です。
※例:人工衛星、探査機、宇宙船、ロケット等。

条件:
・投稿はメッセージのみでお願い致します、それ以外は受け付けませんのでご了承ください。
・締切は2017年11月20日の正午きっかりです。それ以降は受け付けませんのでご了承ください。
・ユーザーお1人につき、アイデア3つまで。
・元ネタとメンタルモデルの容姿を記載下さい。今回は男女制限は無しです。さらに性格・背景等あれば有難いです。

そして、今回は次の一点が特色です。

――――「捕食」についてご考案下さい。
※方法と考え方の両方があると有難いです。設定は自由です。
 勿論、キャラクターの考え方として「無し」もありです。


注意事項:
・投稿キャラクターは必ず採用されるとは限りません。採用・不採用のご連絡も致しません。
・戦争という題材を扱う以上、投稿キャラクターが死亡する可能性が相当数ございます。
・投稿・相談は全てメッセージにて受け付け致します、それ以外は受け付けませんのでご了承くださいませ。
・場合により、物語の展開・設定に応じて投稿キャラクター設定を追加・変更する場合がございます。
以上の点につきまして、予めご了承下さい。

それでは、宜しくお願い致します。

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