異常気象と強弁するには、いくらなんでも無理があった。
すでにネット上には、どこから流れたのかわからないが、いくつも画像がアップされている。
ほとんどは不鮮明な画像だが、それでも隕石では無いことはわかる。
むしろ、ところどころ生物的な陰が映っているような……と言う不鮮明さが、恐慌に拍車をかけていた。
「昨今、ネット等で出回っている画像についてですが……」
「政府として確認したものでは無いため、回答を控えたい」
「宇宙から何かが近付いてきていると警告する有識者が……」
「そのような事実は確認できていない」
と言うようなやり取りが、今頃は各国の報道官とメディアの間で行われていることだろう。
情報統制には限界がある、それはわかっていた。
しかしだからと言って、まさか「宇宙から侵略者が来るので世界の危機です。皆さん、お祈りしていて下さい」などと言うことも出来ない。
そんなことをすればパニックだ、冗談で無く内戦や暴動に発展する国は一つや二つでは無いだろう。
「治安部隊に動揺は?」
「今のところは見られません」
「そうか。治安部隊にさえ乱れが無ければ、首都は大丈夫だろう。懸念はむしろ地方か……」
北管区首相・刑部眞のような為政者にとって、それは最も避けるべきことだった。
そしてデザインチャイルドである眞は、秩序の維持と言う最優先事項のために、市民の行動を制限することを躊躇しなかった。
だが政府の立場として事態を「無視」していること以上、戒厳令のような強硬手段は取れない。
舵取りが難しい、一言で表現すればそう言うことになる。
もちろん、眞にはこの危機を乗り切れるだけの才覚と裁量が与えられていた。
しかし賢者の治世が大衆によって崩壊するのは、歴史を紐解けばいくらでも例がある。
それが、眞の現状認識だった。
「すべては
執務室でひとり目を細めて、眞は言った。
悔しい――最も、眞に「悔しい」などと言う感情は無いが――が、眞に出来るのは現状維持だけだ。
何か新しい展開をもたらすのは、彼では無かった。
だから、眞は待っていた。
「人と霧の同盟……か」
この緊急事態に、人も霧も無い。
そう言う理由で、人類と霧は互いに会談の必要性を感じていた。
もちろん一般の人々はそんなことを知る由も無いが、月の異常から数日が経ち、会談の設定が行われていた。
それは、世界の状況が2年前とはまるで違うことの証明だった。
◆ ◆ ◆
母のことは敬愛していたが、母のすべてを受け入れていたわけでは無かった。
父や兄のことがあっても泰然と「自分」を保っていた母に対しては、尊敬と同時にもどかしさも感じていた。
母のようにはなれないと、良く思っていたものだ。
「あと、鳥もあまり好きにはなれなかったな」
函館の
タカオによって開け放たれた鳥舎には、もう鳥の姿は無い。
沙保里は、あれだけ世話してあげたのにと恨んだだろうか、それとも自分の翼で大空に飛び立っていった鳥達を誇りに思っただろうか。
母にとって、自分と群像はどう見えていたのだろうか。
兄の群像は、自分の翼で飛んでいたように見えていたのか。
そして自分のことは、籠の中に戻ろうとあがいているように見えただろうか。
そう思うと、どうしようも無い気持ちになるのだった。
「母さんは何で鳥類学者になったのかな」
「それは、私も聞いたことはありません」
今では、この邸宅をひとりで管理しているメイド――最も、母がいたとしてもふたり暮らしだったわけだが――が、静かに声をかけてきた。
ただ、紀沙は言葉を返さなかった。
このメイドと、どう言葉を交わせば良いのか、未だにわからなかったからだ。
思えばこの少女は、そればかりだな。
紀沙の背中を見つめながら、スミノが思うのはそれだった。
スミノは別に千早沙保里にもそのメイドにも興味は無いが、時折、紀沙が感傷に浸る時間を持ちたがることに対しては興味があった。
そうすることで自分の人間性を再確認する時間が必要なのだろうと、そう思っていた。
「まぁ、
ほら、と、スミノが指を差す。
鳥が一羽もいなくなってしまった大木の枝に腰掛けて、鳥舎から指を差したのは、海である。
もちろん、この位置から沖合などが見えるはずも無い。
その姿は、紀沙がいるべき場所を指し示しているようにも見える。
そしてそれは、間違ってはいなかった。
「時間だよ」
スミノの指先を追うように、空に一瞬の輝きが昇った。
僅かの間だけの光は、照明弾だった。
より具体的に言えば、沖合いに浮上したイ404――と、随伴の艦隊――が上げた信号弾だった。
出発の時間、だ。
「行ってきます」
そう言った紀沙の言葉は、風に流されて消えていった。
ただひとつ、母の同居人だったメイドだけが、紀沙の背中に頭を下げていた。
◆ ◆ ◆
海に出るのは、<大海戦>以来だった。
足下が覚束ないような、時折身体が浮くような感覚は、もはや懐かしさすら覚えた。
ひとつ意外なことがあるとすれば、昔に比べて足腰が弱くなったことを実感したことか。
もう、以前のように戦闘を指揮するようなことは難しいだろう。
寄る年波と言うものを、初めて真面目に実感したような気がした。
「何を言ってるんですか、北のおじ様はまだまだお若いですよ」
イ404の食堂でコーヒーなどを振る舞ってくれる紀沙は、そう言って笑った。
気を遣ってくれているのはわかるが、一方で、若者にそう言われること自体が現実を突き付けて来るようでもあり、北としては微妙な心地にならざるを得なかった。
そう、北は今、イ404に乗艦しているのだった。
と言うよりも、イ404を中心とする
近い内に
どうしても、主要国の首脳が直接会って話す必要があった。
そこで、今回の艦隊行動なのである。
「北極圏まではまだ少し日数がかかります。ゆっくりと……は難しいとは思いますが」
「うむ。お前も私のことなど気にせず、艦隊運用に集中するように」
「はい。それでは失礼します」
紀沙が食堂を辞して、ふう、と息を吐いた。
ああは言ったものの、長時間の艦船での移動に疲労を感じていることは確かだった。
まったく、年を取りたくは無いものだった。
とは言え、まだまだ自分にはやるべきことが多く残されている。
北極圏において、各国首脳の直接会談を行う。
海上自衛隊の艦船乗りとして各地で出会った者達が今、各国の中枢で活躍しているのだ。
一方で、北にはこうも思えるのだった。
このタイミングで北達の世代に全権が与えられているのは、
「新しい世代に……か」
年齢のこともそうだが、現在の状況は北にそう思わせるのだった。
過去を清算し、新しい世代に託せ、と。
誰かにそう背中を押されているようで、少し落ち着かない気持ちも感じている。
年齢を重ねるとはそう言うことなのかもしれない、北はそう思っていた。
◆ ◆ ◆
食堂を出ると、紀沙に飛びつく存在があった。
2年前はお腹に突撃されると言う風だったが、今は胸のあたりにタックルを喰らわされた気分だった。
うっと小さく呻きながら下を見ると、悪戯な笑顔がそこにあった。
北とは違い、こちらは年を追うごとに力が増していっている感があった。
「蒔絵ちゃん、機関室は良いの?」
「ぜーんぜんおっけー! 最大戦速でも保つよ」
蒔絵だった。
髪型や雰囲気はそのままだが、成長抑制処置をやめてから一気に背丈が大きくなった。
まだ幼女から少女の域に入ったところだが、ところどころに将来の大器――器量と言う意味で――を予感させる部分が見える。
腰の位置が高く足が長く、にきび一つ無く、そして当時の紀沙のサイズを諸々上回っている。
ただ、1番の魅力はこの笑顔だろうと紀沙は思った。
見るものの心を温かくしてくれる、そんな力がある。
笑顔ひとつで人を幸せな気持ちにすると言うのは、意外と難しいものなのだ。
正直、イ404で機関長じみたことなどせず、学校にでも行けば良いのにと思う。
非常にモテそうだ。
「いーじゃん。前みたいに危ないことも無いんだし」
そう言われれば、まぁ、そうではある。
今回の会談は人類だけで無く、協定参加の霧の艦艇も参加する特別なものだからだ。
つまり、今回の航海は以前とは違って戦闘が予定されていないのである。
もちろん紀沙は――霧を信用していないこともあって――戦闘の準備をして航海に望んでいる。
僚艦にあたるイ15や『白鯨』級の4番艦と5番艦にも、そのように命令していた。
「蒔絵、提督を困らせてはいけないよ」
「は~~い」
その時、不意にかかる声があった。
はっとする程の白髪だが、老齢と言うには聊か若い男性だった。
北と共に同行する技術者……と言うには、その人物は並の技術者の域を軽く超えている。
その人物の名はローレンス、いや、今は蒔絵にも刑部博士と知られている男だ。
蒔絵は、今度は刑部博士に飛びついていた。
やに下がった刑部博士の顔を見ていると、とても日本一の科学者だとは思えない。
最も、刑部博士当人は「日本一」の座はとってきに
親子なのか祖父と孫なのか、関係性は判然としないが、それでも仲睦まじいことは確かだ。
……少しだけ、羨ましいと思った。
「提督、改めて言う場がなかったのだが……っ!?」
刑部博士が、何かの話をしようとしたらしかった。
ただ話が始まる前に、突然、イ404が大きく揺れた。
海流にでもぶつかったか?
いや、この突然の、それでいて短時間の揺れは。
「博士は食堂で北首相の傍にいて下さい!」
「あ、ああ。わかった」
紀沙は、発令所に向けて駆け出した。
◆ ◆ ◆
駆けながら、紀沙は状況の把握に努めた。
片耳の通信機に手を当てて、艦内の各所と連絡を取る。
「恋さん、状況報告お願いします!」
『提督! 我が艦隊の前方に、敵性艦隊の存在を確認しました』
「敵性艦隊?」
紀沙達がいるのは、千島列島の東である。
つまりまだ日本近海であって、他国の艦隊が存在するはずが無い以上、候補は一つしか無かった。
相手は、霧の艦隊である。
そして、北部海域を担当している艦隊と言えば……。
『
艦隊前衛にいるイ15からも、そんな通信が入った。
彼女が言っていることが本当なら、相手は本気だと言うことだ。
とてもでは無いが、哨戒艦内の規模では無い。
明らかに戦うつもりで引き連れてきたと、そう言うことだろう。
そして恋とイ15の報告には無いが、潜水艦もいるはずだった。
「スミノ」
「はいはい、艦長殿」
走っている紀沙の隣に光の粒子が集まり、一瞬で人の形を取った。
数瞬の後には、スミノが紀沙に併走していた。
ふわりふわりと半歩遅れで駆けるスミノは、いつも通りの軽薄な笑顔を浮かべていた。
「敵艦隊を率いているのは?」
「艦長殿の考えている通りだよ」
質問しているのに、まともに答えるつもりが無い。
それすらもいつも通りなので、紀沙もいちいち腹を立てたりはしなかった。
気にしていたらスミノの艦長は出来ない。
一方でスミノにして見れば、
「いったい、何のつもりで」
「さぁ……? それはわからないけれど、
「それが、どうしてこのタイミングで……?」
わからないが、立ちはだかると言うのであれば容赦はしていられない。
2隻の『白鯨』級は後方に下げ、イ15の後ろにイ404が入る形に陣形を整えた。
正直、この規模の敵では『白鯨』級ではあまり役に立たない。
牽制できれば、と言うくらいだ。
「何のつもりだ」
このタイミングで動きを見せた相手に対して、紀沙はぎりっと奥歯を噛んだ。
敵になるのは構わない。
しかし、北達を乗せているこのタイミングには苛立たざるを得なかった。
「何のつもりだ、大戦艦『ナガト』……!」
相手は、『ナガト』。
超戦艦『ヤマト』の前に、霧の艦隊総旗艦だった艦艇。
今まですべてを傍観していた彼女が、今このタイミングで動いたのだった。
◆ ◆ ◆
何故、何故、何故……と、相手がそう考えていることを、『ナガト』が察せられぬわけが無かった。
まして今、人と霧が手を組もうとしているこのタイミングで、わざわざ敵対する理由など無い。
しかし『ナガト』は、あえてその行動に出た。
何故ならば。
「何のつもりか、か……」
「答えは決まっているでしょう、千早紀沙」
『ナガト』は霧の艦艇である。
霧の艦艇は、『アドミラリティ・コード』の
そして『アドミラリティ・コード』の命令は、未だ
霧の艦艇でも形骸化しつつある命令だが、その有効性は疑いようも無く存在している。
「よって、我らの行動もまた正当となる」
「『アドミラリティ・コード』は、我らに人を陸地に閉じ込めろと命じているのですから」
だから『ナガト』の行動は、霧の艦艇の論理から外れているとは言えない。
いや、むしろ最右翼だ。
『アドミラリティ・コード』の命令を厳格に守ると言う、超保守的な行動である。
しかし、それはあまりにも
過去のいずれのタイミングでも傍観に徹していただけに、ここで敵対されると、嫌がらせにしか感じられなかった。
そして、紀沙には『ナガト』に付き合うつもりも時間も無かった。
「梓さん、1番から4番に通常弾頭魚雷装填。スミノ、各レーザー砲座起動」
『あいよ、了解!』
「はいはい」
イ404が戦闘態勢を取ったことは、当然、『ナガト』にもわかる。
『ナガト』の主砲・副砲が緩慢に動きながら、その照準を海面へと移していく。
イ404に先行してくるイ15や、後方へと下がっていく2隻の『白鯨』級には、関心すら払っていない様子だった。
イ404と『ナガト』の火線が、交錯する。
凪いでいた波が、
それはまるで、直後の衝突を暗示しているかのようだった。
ジッ……と、『ナガト』の主砲の砲口にスパークが走る。
実弾では無く、膨大なエネルギーを砲弾の形に凝縮していた。
対するイ404は、魚雷とレーザーの混合攻撃。
「――――撃て!」
「撃ちます」
イ404と『ナガト』の火砲は、ほとんど同時に火を噴いた。
互いに互いの砲撃を阻害することなく直進し、それはやがて互いの艦体に違うことなく辿り着いた。
千島列島の東沖に、2つの巨大な水柱が立った。
それは海水を巻き上げて、陸地にまで小雨を降らせる程のものだった。
◆ ◆ ◆
千早紀沙の戦術を、『ナガト』は一瞬にして見抜いていた。
膨大なシミュレーションを瞬間に行うことが出来る『ナガト』は、その
だからその後の展開は、『ナガト』の予想通りのものとも言えた。
「音響魚雷ね」
「それだけじゃない」
『ナガト』と砲火を交えた直後、イ404は音響魚雷を発射していた。
勿論、通常であれば『ナガト』はすぐに再探知しただろう。
しかし海中は、想像以上に騒々しい状態に変わってしまっていた。
イ404の音響魚雷だけでは無い。
あの2隻の『白鯨』級が、後方から一気にロケットモーターを噴かせて爆進したのだ。
それに加えて、小型スピーカー256機から成るサウンドクラスター魚雷が2隻分。
海中全体が不協和音を放っている状態で、いかな『ナガト』と言えども、海上から中の状態を確認することは不可能になってしまっていた。
しかし、それでも『ナガト』は紀沙の次の行動を読んでいる。
「まず、イ15の陽動」
その通りだった。
目前の海面が盛り上がり、丸みを帯びた
瞬間、2人の『ナガト』の眼が白く輝いた。
側面装甲の一部が噴射して艦体をスライドさせると同時に、装甲そのものが扇状に展開した。
イ15がいなされる、代わりに――――超重力砲の砲門が、顔を覗かせていた。
「そして、本命」
それも、
イ404が、海面から飛び出して来た。
良く見ればイ404の艦体も変わっている、海中であの灰色の装甲を展開したのだろう。
イ404を中心に広がる灰色の追加装甲、その中央には、『シナノ』さえ制した超戦艦級の超重力砲の砲身が形作られていた。
「なるほど」
得心がいったような顔をして、『ナガト』はイ404の姿を見ていた。
速い、そして単純に強い、また艦隊戦になったことで戦術の幅も広がっている。
これが、今のイ404か。
そして一方の紀沙もまた、《視られている》》ことは重々承知の上だった。
「付き合っていられるか……!」
その上で、『ナガト』の艦体に身を掠めるようにしながら、押し通った。
装甲の触れ合っている箇所、いや、クラインフィールド同士の擦過が火花を散らす。
互いに超重力砲の砲身を見せた状態だ、だが
まるで、互いに互いが撃たないことを知っていたかのように。
「全艦、急速潜行! 音響魚雷発射と同時に海流に乗り、現海域から離脱します!」
『ナガト』は背を向けたまま、それを追わなかった。
麾下の艦隊にも追わせなかった。
ただイ404とその艦隊が潜行し姿を消すのを、黙ってそのままにさせた。
何のための行動だったのか、一見するとわからなかった。
「思ったとおりだったわね」
「ええ」
この2年の間、千早紀沙は黒い怪物を始めとして、戦いを繰り返していた。
そして今のように、超戦艦『紀伊』の力を使って潜り抜けてきた。
その力はもはや洗練されており、大戦艦『ナガト』に一当てして離脱できる程度にはなっていた。
正面から戦っても、もはや『ナガト』の楽勝とはいかないだろう。
「千早紀沙は…………ん?」
その時だった、ガロン、と言う鈴の音が聞こえたのだ。
すでにイ404艦隊が姿を消した後のことで、まして『ナガト』の甲板上で聞こえるには相応しくない音だった。
『ナガト』は、自分達以外の誰かを乗艦させることは無い。
ならば、誰が?
「……『ユキカゼ』?」
小柄な体躯に和服、装飾品としてところどころに揺れる大きな鈴。
ガロン、と言う音は、『ユキカゼ』が身動きする度に鈴が鳴っている音だった。
その『ユキカゼ』のメンタルモデルが、いつの間にか『ナガト』の甲板に立っている。
「あなた、何故ここに? いや、そもそも今までどこに……」
『ユキカゼ』は、ここ1年行方知れずになっていた艦だ。
いや、厳密には行方知れずになった艦の1隻と言った方が正しいか。
黒い怪物の活動が報告されるのとほぼ時を同じくして、そういう艦の報告が出るようになった。
中でも『ユキカゼ』は、最初の頃に行方知れずになっていたはずだが。
「あなた、もしかして」
『ナガト』の1人に、『ユキカゼ』らしきメンタルモデルがふらりと近付いた。
そして。
『ユキカゼ』の細腕が、『ナガト』の花魁風の衣装に覆われた胸元を貫いた。
『ナガト』の唇から、溢れるはずの無い赤い液体が零れ落ちた――――……。
最後までお読み頂き有難うございます。
今回ちょっと短いです……!
それでは、また次回。