蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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だんだんストックがなくなってきました。


Depth008:「ずるい」

 大きく息を吸って、跳ね起きた。

 喉はやけに渇いているのに背中は汗でぐっしょりと濡れていて、不快だった。

 だが、不快さで目が覚めたわけでは無い。

 顎先や頬から冷たい汗の雫が滴り落ちて、捲り上がった布団に染みを作った。

 

 

「……朝、には早いよね」

 

 

 枕元の携帯端末を手に取ると、まだ早朝と言うにも早過ぎる時間で、普段ならばまだ寝ている時間だった。

 くしゃりと右手で前髪をかき上げれば、襦袢の袖口がずり下がって、細い手首が露になる。

 携帯端末の液晶が照らす顔は、余り気分が良さそうには見えない。

 

 

 実際、気分は良くなかった。

 むしろ最悪と言って良く、紀沙はそのまま眠る気にはなれなかった。

 と言うより、時間を見る限り寝付いたのはほんの30分前のようだった。

 つまり、眠れていない。

 

 

「はぁ、気持ち悪」

 

 

 とりあえず、着替えたかった。

 襦袢の布地が汗で張り付いて冷たい、不快な上にこのままでは風邪を引きかねない。

 いくら夏場とは言え、夜は冷える。

 紀沙はひとつ吐息を漏らすと、這うようにして布団の外に出て、枕元の小さなライトをつけた。

 

 

 淡い灯りで照らされたその部屋は、紀沙の私室として与えられている部屋だった。

 10畳程の和室で、押入れと桐箪笥、鏡台や文机等があり、年頃の少女の部屋と言うよりは書生の下宿と言った雰囲気だった。

 ただ、自分でも不思議な程に衣装持ちなので――リボンも含めて、何故か北は衣装や身の回り品に関してだけはやけに気を遣ってくれる――隣に衣裳部屋も貸して貰っている。

 

 

「……おじ様、か」

 

 

 しゅるり、と帯を解いたところで、姿見が目に入った。

 全身が映るタイプのそれは、家政婦の助言を素直に聞いたらしい北が最初に買い与えてくれたものだ。

 先にも言ったが、北は紀沙に不要な贅沢品を与えることは無い割に、こう言う品については驚く程あっさりと渡してくる。

 器が大きいのかどこかズレているか、そこはちょっと良くわからない部分だった。

 

 

『お前に、振動弾頭移送任務とは別の任務を授ける』

 

 

 紫色のかけ布をずらすと、当然、鏡が見える。

 正確には、鏡に映り込んだ自分の姿が見える。

 淡い、ぼんやりとした灯りの中に浮かび上がるのは、襦袢の前を開いた紀沙の姿だった。

 胸元やおへその辺りがひんやりとするのは、汗に濡れているためだろう。

 

 

『振動弾頭を運ぶイ401に同行し、これを監視するのだ。彼らが人類の味方であるのか、それとも裏切り者であるのか……そして』

 

 

 ぐっ、と、鏡に映る自分の顔を手で覆った。

 鏡に指紋がついてしまうが、気にしなかった。

 

 

「……そして、か」

 

 

 ふるっ、と身体が震えたのは、きっと身体が冷えたからだ。

 紀沙は、そう思った。

 最も、紀沙自身が自分のそうした考えに納得できているかどうかは、別の話だった。

 ――――その晩、紀沙は明け方まで寝付くことが出来なかった……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……眠れようが眠れまいが、朝と言うものは来るものだ。

 がさっ、と音を立てて、花束を置いた。

 隣では兄が同じようにしていて、神妙な面持ちで正面を向いていた。

 正面、そこには数十名程の名前が刻まれた石碑が立っている。

 いわゆる、慰霊碑と呼ばれるものだった。

 

 

(あれから、もう2年)

 

 

 しゃがみ込んだ体勢のまま、紀沙は顔を上げた。

 青空は高く、夏らしい、乾いた風が吹いていた。

 山間(やまあい)に建てられた――建てられていたその施設は、近くが森であることもあって木陰が多く、以前から夏でも涼める場所として好かれていた。

 

 

 だけど今、この場所が涼しいのは別の理由だろう。

 海洋技術総合学院の敷地内、かつて第4施設と呼ばれていたその場所は、かつてあった建物は陰も形も無く、今はただ白石とアーチのモニュメントがあるだけだ。

 後は、隣接する軍系列企業の工場の稼動音が聞こえるばかりだ。

 

 

「……何て言ったの?」

「何がだ?」

「琴乃さんに」

 

 

 天羽琴乃、と言う少女がいた。

 群像には僧と言う幼馴染がいるが、実はもう1人、幼馴染と呼べる相手がいた。

 それが琴乃と言う少女であり、彼女とは小等部に入る前からの付き合いだった。

 とりもなおさず、つまりは紀沙にとっても幼馴染と言うことにある。

 

 

「別に何も言わないさ。何かを言ったところで、意味なんて無い」

 

 

 彼女とは、良く兄の愚痴を言い合ったものである。

 やれ朴念仁だのやれ甘えん坊のくせにだの、今にして思えば割と酷いことを言っていたような気もする。

 母親を除けば、紀沙にとって最も近しい同性だったと思う。

 しかも紀沙にとって驚くべきことに、彼女は群像に輪をかけて優秀な人材だった。

 ただ……。

 

 

「……死んだ人間に、何かを話しても意味なんて無い」

 

 

 ただ、天羽琴乃はすでに故人である。

 目の前の慰霊碑には「第4施設焼失事故被害者慰霊塔」の銘と共に、50名を超える生徒の犠牲者に名前が刻まれている。

 その中に、「天羽琴乃」の名前もあった。

 

 

 この慰霊碑のある広場には、かつては海洋技術総合学院の研修施設があった。

 もう、2年前のことだ。

 だが群像や紀沙達の学年が研修に訪れた時、施設の最下層で火災が発生した。

 防火対策も施されていたはずの第4施設は、異常な速さで火が回り――最終的に、全焼した。

 

 

「お前こそ、話したいことがあるんじゃないのか?」

「私? 私も……別に、無いかな」

「……そうか」

 

 

 その時のことを、実のところ紀沙は余り覚えていない。

 事故の時、群像は皆を避難させるために防火服を着込んで作業していた。

 琴乃は管制室で避難誘導をしていて、確か紀沙は兄に言われて琴乃の傍にいたはずだった。

 

 

『大丈夫よ、紀沙ちゃん。貴女は助かるわ』

 

 

 記憶にあるのは、琴乃の笑顔と、赤い色だけだ。

 あの後、自分はどうなって、そしてどうやって助かったのだろう。

 兄の話では、焼け跡の瓦礫の空洞に運良く倒れていたらしいのだが……。

 

 

「…………」

「どうした?」

「ううん、何でも無い」

 

 

 ぐりぐりとこめかみのあたりを指の関節で押して、眉を潜める。

 少し頭痛がする、寝不足のせいだろうか。

 実際、昨夜は明け方に少しまどろんだ程度だった。

 

 

「……ねぇ、兄さん」

「ん?」

 

 

 この暑い中、兄は黒のスーツなど着込んでいる。

 白い軍服を纏っている紀沙とは対照的だ、だが今はそれは良かった。

 今日、ここに群像を誘ったのは紀沙だった。

 兄が来たかっただろうと思ったし、それに、ここなら誰もついて来ないと思った。

 

 

「あ、あー……あの、ね」

 

 

 2人きりになるには、今日しか無いと思った。

 聞きたいこと、聞かねばならないことがあったからだ。

 日本の軍人として――妹として。

 昨夜、眠れなかったのもそのせいだった。

 

 

「……?」

 

 

 わかっているのかいないのか、当の兄が不思議そうな顔をするのが腹立たしい。

 だが、こう言うやり取りと言うか、こう言う感覚は久しぶりだった。

 それが、少し嬉しいとも思う。

 

 

 しかしだからこそ、言えなかった。

 どうしても「その言葉」が出なくて、「そのこと」が聞けなくて。

 何度か口を開閉させる自分を、兄は不思議そうにしながらも待ってくれている。

 もしかしたら、兄も懐かしさを感じているのかもしれない。

 

 

「……ねぇ、兄さん」

「ああ、何だ?」

 

 

 そう思ったら、自然に唇が動いていた。

 最初に想定していた言葉とは大分異なるが、それだけに本心に近い言葉だった。

 

 

「街、行かない?」

「……は?」

 

 

 突拍子も無い言葉に、兄がぽかんとした表情を浮かべて。

 それが妙におかしくて、紀沙はようやく笑うことが出来た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 正直なところを言えば、上陰にとってもこの展開は意外だった。

 それもこれも、かつて鹵獲した霧の艦艇が2隻だったことに起因している。

 1隻であったなら、おそらくこんなことにはなっていない。

 

 

「こう申し上げては難ですが、北議員と同席させて頂いていると言う事実に、(いささ)か不思議な気持ちを感じています」

 

 

 例の如く官邸に諮問に訪れた上陰だが、この日は楓首相の他にもう1人いた。

 彼自身が言ったように、北である。

 上陰は北が自分のことを好いてはいないだろうことを知っている、そしてそれを理由に自分を遠ざけるような人格で無いことも理解していた。

 

 

 尊敬、しているのだろうと思う。

 17年前、海上自衛官でありながら陸軍艦――大海戦以前、当時の陸上自衛隊が建造した艦艇――を指揮して霧との戦いに挑み、戦後は陸軍に近付いて代議士となった。

 海自の幹部がなぜ陸軍にと当時はいぶかしむ声も多くあったそうだが、何となく、上陰には北の意図がわかる気もした。

 

 

『北さんは何も仰らないが、君のことを高く評価しているんだよ』

「はぁ、恐縮です」

 

 

 楓首相の言葉にも、気の無い返事しか返せなかった。

 しかし、顔ぶれは相当のものである。

 行政のトップである楓首相、議会与党を率いる北幹事長、そして軍務省の次期次官と噂される上陰。

 特に軍事に重きが置かれる現在、政官のトップ3が集まっていると言って良い。

 

 

『さて、今さら挨拶も必要ないだろう。北さんも上陰君も忙しい身だ、早速本題に入るとしよう』

「はい。私の振動弾頭移送計画を実行段階に、とのことでしたが」

 

 

 ちらりと北を見ると、彼を腕を組みソファに深く座ったまま動かなかった。

 

 

「先日、千早艦長……わかりにくいので群像艦長と紀沙艦長と呼びますが、彼らを呼んで説明した通り、メインはイ401と言うことで良いのですね?」

『ああ、そして『白鯨』に陸戦要員を乗せて同行させる。政府特使として浦上さんに乗ってもらう。彼は千早翔像大佐とも懇意だった、群像艦長と紀沙艦長の間に立つにも良い人選だろう』

 

 

 『白鯨』については、上陰も考えていた。

 浦上中将は裏表の無い人物で信用できるし、何より艦長は彼の同期、陸戦隊を率いるのは盟友(クルツ)だ。

 海洋航海になぜ陸戦要員を乗せるのかについては、今は説明する必要が無い。

 

 

「それから、イ404も同行させる」

「……横須賀の防備が薄くなるのでは」

「構わん。むしろアレが横須賀にいる方が霧を引き寄せるリスクもある」

 

 

 だが、イ404の同行については警戒した。

 イ404を使うのであれば、奇妙な話、404と『白鯨』、つまり()()()()だけで輸送すれば良い。

 そこにあえて傭兵のイ401を加える理由となると、数える程しか思い浮かばない。

 

 

「兵は国の大事だ。そして、動かす時には小出しにしてはならん」

『今の時代、我々はいつもこう言う判断になります』

「うむ……」

(……さて)

 

 

 とにかくにも、振動弾頭輸送計画は動き出した。

 誰もが()()()()が救世主たらんと動く中、()()()()()()()()

 

 

「お2人に、お聞きしたいことがあります。17年前の大海戦の生き残りのお2人に」

 

 

 ただし、そのためには仕込みも必要だし、知らなければならないことが多すぎた。

 意図しない状況とは言え、こうなったからには最大限に利用すべきだ。

 何故ならば、彼はいつだって身一つで切り抜けてきたのだから。

 

 

「17年前、千早翔像大佐……群像艦長らの父親ですが、彼はイ401を鹵獲したと聞いています。しかし、イ404を鹵獲した人物の名は聞いたことがありません」

 

 

 人類側の惨敗に終わった17年前の大海戦。

 唯一の勝利は千早翔像大佐がイ401を鹵獲したことだが、その方法は伝わっていない。

 あの霧の艦艇を、どうやって鹵獲したのか。

 人類側唯一の功績と言って良いのに、その時の状況はまるでわかっていない。

 

 

 そして、イ404。

 イ401と共に鹵獲したと公式記録にはあるが、それを成した人物はわからない。

 世間では千早翔像大佐が2隻鹵獲したとする向きもあるが、それは違う。

 彼は1隻しか鹵獲していない、なのに横須賀にはいつの間にか2隻目があった。

 

 

「イ号404。あの艦は()()()()――――()()()()()?」

 

 

 おそらく、目の前の2人はそれを知っている。

 確証は無い、しかし確信はあった。

 大海戦も、千早翔像も、イ401もイ404をも知っている人間は、この2人だけだ。

 大海戦を生き残った陸軍艦『あきつ丸』、その艦長と副長だった2人。

 

 

『――――それは』

「いや、私から話そう……()()

 

 

 そして、この日。

 上陰龍二郎は、3人目の人間となった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 霧が人類の電子ネットワーク上の情報を自由に閲覧できることは、軍関係者ならば誰もが知っていることだった。

 そのため情報の管理には気を遣う。

 そうでなくとも、テロ対策を含めて国家機密に当たる情報は独立化したサーバーに蓄えられる。

 だからこそ、本当に必要な情報はそのサーバーのある施設まで行かなければ閲覧できない。

 

 

「おい読んだか、軍務省の今朝のレポート」

「ああ、霧の艦艇が集まって来てるって奴だろ?」

「何のつもりなんだろうな、奴ら」

「さぁな、霧の考えることなんてわかるもんか」

 

 

 それだけに、政府・軍関係の施設の中でも特別に重要な施設であると言える。

 特級機密情報管理サーバー室。

 それ1つのために用意されたこの施設は、件のサーバールーム以外は全て警備設備である。

 迷路のような通路、電子レーザーによる監視、特別なパスの読み込みで管理される出入り……そして中には、侵入者の命を奪うようなシステムまである。

 

 

 しかしそれでも、こうして警備の兵が巡回すると言うのは不思議だった。

 いくら技術が進歩したとしても、人は結局、己の目と耳で確認しなければ安心できないのかもしれない。

 薄い照明の下、窓の無い通路を2人の兵士が歩いている。

 一つの区画を通るために、パスとなっているカードキーを通さなければならない。

 

 

「しかしまぁ、見回りなんか意味あるのかね」

「良いじゃねぇか、楽で」

「まぁ、そうなんだけどよ……うん?」

「どうした?」

 

 

 通路の両側には、等間隔に扉がある。

 その奥にはサーバー室があり、扉につけられた小窓からは微かなサーバーの光が明滅している。

 彼ら自身は、中に入ったことは無い。

 不意に立ち止まった同僚に、もう1人が声をかけた。

 

 

「いや、何か……いいや、気のせいだな」

「何だよ、何もあるわけ無いだろ」

 

 

 肩を叩かれつつ、次の区画に行く。

 彼らの足音が遠ざかっていく。

 その音が本当に微かにしか聞こえなくなった頃、ちょうど彼らが立ち止まった場所の扉に変化が訪れた。

 小窓から漏れるサーバーの輝きが、より強くなっていたのだ。

 何故か? それは当然、アクセスによって稼動状態にあるためだ。

 

 

「――――なるほど」

 

 

 少女。

 唸り声のような稼動音を立てる四角いサーバーに囲まれて、様々な大小のコードが這う床の上に立って、少女はひとりそこにいた。

 瞳の虹彩だけで無く、額と両頬に不思議な紋章を輝かせて。

 

 

「これが、新しい振動弾頭輸送計画とやらの全容か」

 

 

 闇の中、サーバーの緑色の輝きだけを背負って。

 

 

「イ401……振動弾頭……デザインチャイルド計画……」

 

 

 にぃ、と、スミノの唇が笑みの形に歪んだ。

 

 

「興味があるな。刑部(おさかべ)博士か、それに」

 

 

 それはどこか皮肉気で、見下すような色を含んでいた。

 そうして、形の良い唇が何事かを呟く。

 

 

「……刑部蒔絵(まきえ)……」

 

 

 ――――これが、人間か。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ところ変わって、太平洋。

 天気は晴朗だが、少々波高く風は強い。

 洋上を吹き抜ける風はどこまでも疾駆し、その道程には果てが無いように思えた。

 

 

「『ハルナ』達派遣艦隊は横須賀の外に展開させた。『ヒエイ』達とどちらを送るか悩み所だったが、まぁ、他に第一艦隊の指揮が執れる者がいないからな……」

 

 

 そこに存在するだけで周囲を威圧する程の存在感、霧の大戦艦級にはそれが備わっている。

 そしてそのメンタルモデルであるコンゴウにもまた、そうした雰囲気はある。

 怜悧な美貌、鋭い眼差し、温度を感じさせない声音。

 初対面の人間が彼女を前にすれば、おそらく背筋に冷たいものを感じずにはいられないはずだ。

 それだけ、彼女には人間味と言うものが無い。

 

 

「さて、どうしたものかな」

 

 

 霧の艦隊は、旧大戦時の各国の軍艦の姿と名前を持っている。

 それが何故なのかを知る者はいないが、彼女達はおおよそ史実に(なぞら)えた場所に出現する。

 要するに、日本近海には旧日本海軍――現在の統制軍とは異なる――の姿を模した霧の艦隊がおり、コンゴウもその一艦である。

 

 

 東洋方面艦隊、と呼称されている艦隊。

 日本近海の海洋封鎖はこの艦隊の担当であって、現在、この艦隊は第一と第二の艦隊に分かれている。

 コンゴウはその内の第一艦隊の旗艦であり、その麾下には多くの霧の艦艇がいる。

 先だってイ404やイ401と戦った『タカオ』や『ナガラ』も、彼女の配下に当たる。

 

 

「情報によれば、401と404は例の兵器を持って太平洋を渡るとのことだが」

 

 

 声音に、少し忌々しげな色が見え隠れする。

 それもそのはずで、正直、彼女は401や404が自分の管轄する海域にいる限りは取り立てて危険視はしていなかった。

 例え仲間を撃沈されたとしても、コアさえあればナノマテリアルの補給次第で戦線復帰できる。

 

 

 しかし、自分の管轄海域を離れるとなれば話は別だ。

 それは、許されない。

 彼女は霧としての自分の存在意義(アイデンティティ)を誇りに思っていたし、旗艦としての使命についても同様だった。

 だからイ401やイ404を()に逃がすなど、あってはならない。

 

 

「まぁ、それはひとまず『ハルナ』達に任せるとして……」

 

 

 それまでの冷静な様子が少し変わり、コンゴウは僅かに眉根を寄せた。

 どこか、困惑しているように見える。

 いや、どうやら本当に困惑していた。

 

 

「……この、タカオの『ナガト』麾下への配置替えの要請は、どう言う意味があるんだ?」

 

 

 配置替え自体は、コンゴウとしては特段に思うことは無い。

 むしろ艦隊を離れて半ば独立化されるよりはマシだし、任務にかこつけて色々と勝手をしている連中よりは職務に積極的で好ましくも思える。

 ……ただ、『アタゴ(いもうと)』と同じ部隊を希望しているあたりは、彼女には良くわからないのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 困窮しているとは言え、横須賀は日本で最大級の人口を抱える大都市圏である。

 日本最大の軍港であることもあって、繁華街と言うものも存在していた。

 何しろレストランがあるのだ、他の娯楽施設があっても不思議では無い。

 実際、学生時代にはたまの休暇に繁華街に繰り出すのが何よりも楽しみだった。

 

 

「おい、紀沙。何たってこんな」

「そんな暑苦しい格好で歩いていたら、目立っちゃうでしょ」

「む」

 

 

 まぁ、それにしたところで軍服と喪服で外を歩けば目立つ。

 互いに目立つことを避けたい以上、着替えは必然だった。

 ただし群像にとって誤算だったのは、紀沙が着替えの入手に繁華街のブティックを選択したことだ。

 基地に戻っていたら時間がなくなるので仕方が無いと言えばそうだが、柄では無い。

 

 

 何しろ群像は、在学時でも繁華街に出たことがほとんど無い。

 遊んでいる暇があったら勉強していたし、さして興味も無かったからだ。

 正直、厄介なことになったと思わなくも無い。

 それでも最初のスーツと似た黒基調のシャツとスラックスを選ぶあたり、彼のファッションセンスが窺い知れると言うものだった。

 

 

「着てた服は、とりあえずロッカーに預けとけば良いよね」

「ああ……」

 

 

 実際、横須賀の繁華街には小さいながらも――物資不足で大きくなりようが無い――様々な店がある、ブティックしかりレストランしかり、だ。

 ロッカーに自分の軍服と群像のスーツの入った紙袋を入れる妹も、当然着替えている。

 白のシフォンチュニックにショートパンツ、足元はスケルトン・ミュール、剥き出しになった細い足が眩しい。

 

 

(……今の横須賀を見てほしい、か)

 

 

 妹の考えるところは、何と無くわかるつもりだ。

 彼女の望みも知っている、知っていて、しかしそうするつもりが彼には無かった。

 ぼんやりしているように見えて、頑固なのだ。

 静かなように見えて、内に篭ることを良しと出来ない、そんな性格なのだ。

 

 

「兄さん!」

 

 

 まぁ、そうは言っても。

 だからと言って、妹の全てを無視する程に冷たいわけでは無い。

 彼が顔を上げると、妹が数歩前で振り向いた。

 自分に身体を見せるように両手を広げ、明るい笑顔を向けて来ている。

 

 

「どうかな?」

 

 

 何がだろう、聡い群像にもわからなかった。

 チュニックの端を引っ張っていて、どうやら服を見せたいのだろう。

 引っ張られたことで、チュニックに隠れていたデニム地のショートパンツがちらりと見えていた。

 そこまではわかった、が、わかったからと言って何もかも対処できるわけでは無い。

 だから彼は、ひとまず当たり障りの無いことを言うことにした。

 

 

「……靴下は履かないのか?」

「……ッ!」

 

 

 結論。

 割と痛かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 はしゃいじゃってまぁ、と、冬馬はアイスコーヒーのストローを咥えながらそんなことを思った。

 彼がいるのはコーヒー店の2階、正面一面がガラス張りになっている窓際のカウンター席だ。

 当然、ビル前の通りを見下ろすためにその席を選んだのである。

 

 

「はしゃいじゃってまぁ」

「兄妹の仲が良いのは素晴らしいことよ~」

「そうですね、私もそう思います」

 

 

 思っていたことを実際に口にすると、両側からそんなことを言われた。

 静菜とあおい、イ404の技術班である。

 404の艦体はドックの整備班が管理しているとは言え、静菜はともかく、あおいがついて来たことは意外と言えば意外だった。

 

 

 2人ともタイプの違う美人だが、冬馬には両手に華と言う気分はまったく湧かなかった。

 誤解されている向きがあるが、両手に華と言うのは、少なくとも両側の異性が自分にある程度の好意を向けてくれて初めて意味を成す言葉だ。

 静菜やあおいが冬馬に好意を持っているかと言うと、そんなことは無かった。

 

 

「やっぱあれかね、軍人じゃなかったら艦長ちゃんも普通の女の子だもんな。あんな風にお洒落してよ、遊びに行くのが普通ってもんだよな」

 

 

 咥えたストローを行儀悪く上下に降りながら、冬馬はそう言った。

 彼らの眼下にはオープンカフェがあり、そこで昼食を取っている2人の少年少女が見える。

 言うまでも無く、紀沙と群像である。

 彼女らは午前中繁華街を色々と歩いていたが、冬馬は一定の距離からずっとそれを見ていた。

 

 

「ストーカーは良く無いわよ~」

「ちげーよ」

 

 

 静菜とはこの店で出くわした、多分、同じようについて来ていたのだろう。

 あのオープンカフェを見張るならこの位置がベストだから、判断が重なったのだろう。

 あおいについては良くわからない、単純に偶然だったのかもしれない。

 

 

 ただ静菜はダークカラーのレディーススーツで、あおいに至ってはTシャツに七分丈のパンツと言う格好で、もう少し周囲に溶け込む努力をしろよと言いたかった。

 と言うか、あおいのシャツに「密航」とプリントされているのは何なのだろう、自分達の立場からすると相当に笑えない冗談である。

 つまるところ、冬馬も割と苦労しているのである。

 

 

「まぁ、確かにああしていると普通の少女に見える」

 

 

 視線はあくまで眼下の2人に向けながら、静菜が言った。

 ただ、と。

 

 

「まるで、そうであることを望んでいるように聞こえますね」

 

 

 それには特に返事を返さず、ストローの先をアイスコーヒーのコップに戻す。

 ズズズ、と音を立てて啜るその音も、やはり行儀が悪かった。

 両側の2人は、特にそれを注意することは無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 最後に寄りたい場所がある、そう言って歩いた道を群像は良く知っていた。

 フェンスで囲われたその区画は「浸水指定区画」とされており、近く水底に沈んでしまうことがわかった。

 本来なら立ち入り禁止のその区画に、紀沙と群像は入り込んでいた。

 

 

「入って大丈夫なのか?」

「士官特権って奴だよ」

 

 

 群像の立場からすれば待ち伏せを疑っても良いだろうが、この場合は必要なかった。

 何故ならば相手は紀沙で、そして彼女と並んで見上げているその家は。

 紀沙と群像の、いや、千早家の家だったのだから。

 屋敷と言う程に大きくは無いが、庭付き一戸建ての白い家だ。

 

 

 群像とて人の子だ、幼少期を過ごした家を見れば懐かしくも思えてくる。

 父が出奔し、2人が海洋技術総合学院に入学してからは、ほとんど放置されていた。

 庭の草木は伸び放題だし、屋根や壁にも傷みが見えて、まさに空き家だ。

 そして群像も知らなかったことだが、浸水区画に指定された以上、いずれは打ち棄てられるのだろう。

 別に不思議なことでは無い、土地どころか人さえ捨てて生き延びているのが今の日本だ。

 

 

「ねぇ、兄さん」

「それ以上は何も言うな、紀沙」

 

 

 横須賀の街、そして幼少期を過ごした家。

 これらを見せられれば、紀沙が今から何を言うのかなど考えなくともわかる。

 それこそ、痛い程に。

 

 

 帰って来て欲しい。

 

 

 紀沙の願いは、それに尽きる。

 兄に帰って来て欲しい、傍にいて欲しい、どこにも行かないで欲しい。

 今日1日楽し気にしていた紀沙の様子を見ていれば、良くわかる。

 ――――どこか、必死だったと。

 

 

「兄さんは、何がしたいの?」

「……オレは」

「兄さんがどうして出て行ったのか。何で帰って来てくれないのか、私にはわからない。わからないよ……」

 

 

 少し、逡巡した。

 言うべきかどうか、迷ったのだ。

 しかし何も言わないことにはこの妹は納得しないだろうと、群像は判断していた。

 だから少し時間をかけて、彼は口を開いた。

 

 

「メンタルモデル」

「え?」

「メンタルモデルな、ほんの2年前にはほとんどいなかった。だが、最近になって多くの霧の艦艇がメンタルモデルを持ち始めている」

 

 

 メンタルモデルは、霧の艦艇のインターフェイスである。

 人のように思考し、人のように話し、人のように過ごすことが出来る。

 そしてメンタルモデルは、経験を積めば積む程に思考は深く、兵器じみた淡白さが抜けていく。

 一言で言えば、コミュニケーションが取れるようになっていくのである。

 

 

「俺はこの2年、イオナ……401のメンタルモデルと共に過ごした。その中で、彼女達が必ずしも話の通じない相手じゃないことを知った」

 

 

 分かり合える、とまで言うつもりは無い。

 今、霧によって封鎖されたこの世界で、霧とコミュニケーションを取れる可能性がいかに重要か。

 戦艦1隻沈めて見せたところで、世界は何も変わりはしない。

 だがもし霧との対話が可能となったなら、それはきっと世界を変えるきっかけになる。

 

 

「オレは、世界を変えたい。そのためには、日本に留まっていることは出来ないんだ」

 

 

 この閉塞した世界に、風穴を開けること。

 霧の艦艇に乗り日本を出奔したのも、そのためだった。

 

 

「……それは」

 

 

 それは、群像にとって。

 

 

「それは、兄さんにとって……私よりも、大事なことなの?」

 

 

 何よりも、優先すべきことだった。

 しかしだからと言って、妹を置き去りにする理由にはならない。

 2年前、彼が妹を連れて行かなかった理由にはならない。

 

 

「……そんなこと」

 

 

 だから、それは他に理由があった。

 

 

「そんなこと、出来るわけ無いじゃない!!」

「……紀沙」

「霧が、あいつらが人間を何十万人殺したと思ってるの? 話が出来るようになったって、それが何だって言うの? そんなの……そんなの、私達には関係ないじゃない!」

 

 

 紀沙は、ずっと見てきた。

 父と兄だけでは無い、霧との戦いで何人も死ぬのを見てきた。

 何とか外と連絡しようと努力してきた人々、海を渡ろうと挑んだ人々、多くは軍人だが、民間人だってたくさんいた。

 

 

 彼女たち霧は、それをひとつひとつ潰した。

 その過程で何人が殺されたかなど、いちいち覚えるのも面倒な程だ。

 そんな奴らと対話? 普通の感性ではあり得ない、人々が納得できない。

 馬鹿げている。

 そんな馬鹿げたことのために、兄が自分の傍にいてくれないなんて、それこそ馬鹿げている。

 

 

「兄さん目を覚ましてよ、あいつらは化け物なんだよ。人間のふりをしているだけの、化け物なんだよ!」

「紀沙、オレは」

「嫌だ、聞きたくないよ。お願い兄さん、帰って来てよ……ひとりは、ひとりはもう嫌だよ!」

 

 

 父が、兄が出て行って、母とも離れ離れ。

 北に拾われるまで、紀沙はひとりきりだった。

 ひとりきりで喪失感と寂寥感に耐え、そこかしこから聞こえてくる囁き声に耐えた。

 耐えられるわけが無かった。

 たった独りで、何かを憎まずに耐えられる程に紀沙は強くなかった。

 

 

 だが、何を憎めば良かったのだろう。

 自分を白い目で見る周囲? ――――いいや、彼らだって被害者なのだ。

 自分を置いて行った兄達? ――――出来ない、兄を憎めばそれこそ孤独だ。

 だったら、もう、憎むべきはひとつ。

 霧だ。

 

 

「あいつらは、あいつらのために兄さんが」

 

 

 それに、紀沙には群像を引き戻さなければならない理由があった。

 そうしなければならない、必死に、その理由が。

 群像にも理由があり、紀沙にも理由がある。

 不毛だった、とても不毛なやり取りだった。

 

 

「そうじゃないと、そうじゃないと兄さんが……兄さんが!」

「紀沙」

「兄さ……んっ」

 

 

 ぎゅう、と。

 その感触に目を見開くと、紀沙の瞳からぼろぼろと涙が零れた。

 縋り付き涙を流す妹を、群像が強く抱き締めていた。

 腰と背中に腕を回し、妹の顔を胸に埋めることで言葉を封じた。

 

 

「すまない」

「……る、い。ずるいよ、そんなの……」

「ああ、すまない」

「そんな風にされたら、私、どうしたら良いか、わからなく……」

「ああ、だから恨むなら……オレにしておけ」

 

 

 それこそ、ずるい言い方だった。

 恨めるのなら、それこそ最初から恨んでいた。

 今さら兄を恨むなど、出来るわけが無いのに。

 ずるいと妹が責め、すまないと兄が謝る。

 夕焼けの中、その光景はしばらく続いた……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その屋敷は、横須賀で一番大きな屋敷だった。

 下手をすれば、小さな村ならすっぽりと入れてしまえるのでは無いかと思える程に広大な敷地。

 近くに他の家は無く、ともすれば宮殿にも見える洋館がぽつりと佇むその姿は、夜の帳の中で不気味に見えた。

 

 

「…………」

 

 

 そんな屋敷の通路を、1人の男が歩いていた。

 老人のような白髪、だが執事衣装に身を包んだその男はそこまで高齢には見えない。

 切れ長の瞳は知性の輝きを宿して揺るがず、腰よりも長い髪はまだ若々しい艶を放っている。

 どこか、触れれば切れてしまいそうな雰囲気の男だった。

 

 

 しかしそんな雰囲気も、不意に崩れた。

 それは1人の少女が声をかけたからで、蝋燭を模した照明の下、薄暗い通路にクマのぬいぐるみを抱えた幼い少女が立っていた。

 仕立ての良い白いネグリジェを身に纏った、茶色の髪の少女だ。

 

 

「ローレンス」

「蒔絵お嬢様、このような夜更けにどうなさいました?」

 

 

 困ったように男――ローレンスと言うらしい――がそう言うと、蒔絵と言う名のその少女は表情を変えることなく、言った。

 

 

「おじいさまは、どこ?」

 

 

 その言葉に、ローレンスはますます困った表情を浮かべた。

 そして対照的に、少女――蒔絵の表情は、急激に不機嫌なものになっていくのだった。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

おかしい、何故かヤンデレリミッター(謎)が溜まる展開になりました。
平和な兄妹デートを描きたかったのに、どうしてこうなった。

というわけで、蒔絵お嬢様登場です。
それから何だかスミノが怪しいですけど、この子イオナと違って艦長と心通わせて無いですものねぇ……どうしたものか。

というわけで、また次回です。

P.S.
現在、第2回キャラクター募集中です、詳細は活動報告をご覧下さい。
宜しければ、ふるってご参加お願い致します。

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