今ここで、このタイミングで、己を駆る者達を振り返って見よう。
ほんの気まぐれで、スミノはそう思った。
きっと、特に理由は無かった。
「……ふむ、もう少しか」
まず、不知火静菜。
今は自室で刀の整備などしているが、イ404の技師だ。
技師、
軍内の系列としては、旧第四施設で真瑠璃を救った工藤由那と同じ部類に入る。
最も、スパイ同士は互いのことを知らない場合も多い、この2人に直接の繋がりがあるわけでは無い。
ただしこの女性、物静かな割に経歴は面白い。
低俗な表現を借りれば隠密や忍者の家系で、両親を含む一族で日本政府に仕えていた。
そういえば、一度は銃弾を斬ったこともあったか。
忍者の一族、なるほど面白い。
「侵蝕弾頭の数だけがいつまでも揃わないねぇ」
次、梓=グロリオウス。
水雷長、ドイツ人とのハーフ、そして
魚雷をぶっ放すという、いっとうわかりやすい役職にいるのはそのためだ。
外洋進出を睨んでの配属だったが、ジョンの登場でそちらの意味では陰が薄れてしまった。
冬馬への時として厳しいツッコミは、要は牽制なのだろう。
イ404のクルーの中では、割と親紀沙的な立場にいる。
一方で、紀沙に対して最も複雑な感情を抱いているのが彼女だと、スミノは知っている。
何故なら梓の父親は霧に殺されているが、紀沙の父親はそうでは無い。
同じ「家族を霧に奪われる」でも、天地の差がそこにはあった。
「ふふ、もう少しよ~……お母様」
次、四月一日あおい。
静菜と同じくイ404の技師、緩い女、そして
この女も、なかなかに面白い。
何しろイ401のクルー「四月一日いおり」の姉だ。
だが最も面白いのは、心の底に秘めたその願望だ。
ある意味、イ404のクルーの中で最も大それたことを考えている。
妹や家族との確執はどうもそのあたりが原因らしいが、スミノもそこまでは知らない。
わかっているのは、あおいもまた己の眼鏡で紀沙を見ていると言うことだけだ。
緩い笑みの皮の下には、どんな本性が隠れていることやら、見ものだ。
「いや、だからさ姉貴。もうそう言う段階じゃなくてですね?」
次、碇冬馬。
ソナー手、ガサツな男、
こちらは静菜とはまた別の一派、そして静菜と違い一族は健在だ。
昔から諜報を担う一族らしい、
今は、通信で公安にいるとか言う姉「碇春架」と話しているようだ。
その通信はスミノが完全に傍受しているわけだが、最初から彼は気にしていなかった。
スミノが関心を持たないと見切っていたのだろう。
碇冬馬と言う男は、見切りの男だった。
見切って見切って、そして、最後に
「艦内、特に異常なしですね」
次、本能寺恋。
副長、最年長、そして
良家の出身らしく高等教育を受けているのか、副長としては有能だった。
平時の艦内を掌握しているだけに、紀沙を除けば、最もスミノと付き合っている人間と言えた。
何か望みがあるようには見えない、そして何かを捨てたがっているようでも無い。
だからスミノは、恋のことを「何でも無い」と評していた。
夢も目標も無く、目の前のことは真面目に取り組む、善人でも悪人でも無い。
最も付き合いが長いが、それだけに、そう言う本質が良く見えるのだった。
「紀沙ちゃん……くそ、何が医者だよ。これじゃあ……」
そして、御手洗良治。
軍医、紀沙の学院の同期、そして
学院時代から紀沙を良く支えている男だが、一方で、最も遠くにいる。
紀沙の
これについては、スミノも少し疑問に思っていた。
もはや紀沙は医療を必要としない身体だが、それでも紀沙は彼をイ404に乗せている。
他のクルーには必要だからだろうか。
それとも、身体医療以外の理由で乗せているのだろうか。
人の身も心も持たないスミノには、終ぞわからぬことだった。
「そして、我が艦長殿」
将軍になろうが提督になろうが、それは永遠に変わらない。
霧の潜水艦イ404の艦長は、永遠に彼女だ。
千早紀沙、この世界でスミノが選んだ「唯一」だった。
◆ ◆ ◆
スミノと千早紀沙は、これまで多くの問答を繰り返してきた。
その多くは意味の無いことだったが、紀沙はそのすべてに応答してきた。
言葉にしないこともあったが、それだけにより雄弁であるとも言えた。
元々、スミノにとって言葉は重要では無い――『ハルナ』が聞けば激怒しそうだ――のだ。
「ねぇ、艦長殿。キミの今の望みは何だい?」
スミノ自身は、未だ何も身に着けないままに艦長の私室ベッドに腰掛けている。
細くすらっとした足が、ベッドの縁でゆらゆらと揺れている。
いかにも小さな足だが、その気になれば分厚い岩盤を踏み砕くことができる足だった。
紀沙はスミノの方は見なかった。
収納を開け、形ばかりの防寒具を身に着けていた。
身に着けなければ凍死しかねない気候だが、今の紀沙には必要の無いものでもあった。
それでも防寒具を身に着けるのは、人間らしいことをしなければ、自信を失っていきかねなかったからか。
「……私の望み?」
そんなスミノの視線に込められた意味を正確に読み取ったのか、紀沙の声音は固かった。
もちろん、今さらスミノがそれで遠慮するはずも無い。
じろりと、紀沙が視線だけで睨んできた。
「
それは、前にも聞いたことだった。
この期に及んでも意思を変えないと言うのはある意味あっぱれと言うか、感心すらした。
ただ、だからこそ紀沙は紀沙なのだろうとも思える。
その想いこそが彼女を支えている、心の部分で支えている。
軍人と言う特殊な存在は、正義を信じなければ一歩も動けなくなってしまうのだから。
「全滅?」
いつもの薄ら笑いを浮かべて、スミノは言った。
前にも聞いた言葉だが、今は前とは違う。
何故ならば、その全滅させるべき「霧の艦艇」の中には。
「それは、キミを含めて?」
「――――言う必要がある?」
こんな時にだけ、紀沙の答えは明確になる。
そしてスミノは理解する。
この2年の間、紀沙がはたして自分の変化をどう見て、どのように受け止めていたのか。
どうなりたかったのか。
「なるほど」
ひとつ頷いて、スミノは言った。
「それは素敵だね、最高に」
いつも通り、思ってもいないことを言った。
スミノはあらゆることに関心が無かったが、ひとつだけ知っていることがあった。
それだけは、スミノも良く理解しているのだった。
◆ ◆ ◆
列強、と言う言葉が、自然と頭に浮かんできた。
簡単に言えば世界規模の影響力を持つ諸国家の総称だが、霧の艦隊登場以後は市井の紙面から消えて久しい言葉でもある。
しかし一方で、列強とされる程の国力を持つ国家だからこそ、国としての形を保ったまま現在まで存続することが出来たのだ。
「西アジアと南米は、やはり駄目だったか」
「ああ」
トルコ以東の西アジア、メキシコ以南の中南米、そしてアフリカ内陸部等では、もはや国家らしい国家は存在しない。
厳密に言えば「政府」を名乗る集団が割拠しており、正当な統治機関が存在しない状態だ。
空路・海路を閉ざされれば、そして大国からの干渉が失われれば、そうなるのは当然だった。
「国を保つ」と言うのは、実はそれほどに困難なことなのだ。
現状、まがりなりにも国家の体を成しているのは、北米、欧州に中露、日本くらいのものだ。
だから、列強と言う言葉が出てくる。
不思議なもので、列強と称される国の顔ぶれは何百年と変わらない。
何か理由があるのかもしれないが、学者でも歴史家でも無い群像にはわからなかった。
「その中でも、あの2国は別格だろうな」
自分の隣に立っている――2年前までの経緯を思えば、これも驚くべきことだが――翔像が、「氷の会議場」の中央に立っている2人を見て言った。
氷の会議場などと格好をつけて呼んでみたが、実の所、北極海の大きな流氷の上だ。
ここで、<大海戦>以後初の主要国会談が行われるのである。
そして中心で向かい合っているのが、
ヨーロッパや中国が代理人を送るだけに留める中、この2人だけは自ら来た。
無謀? そうかもしれない。
しかし、この2国の指導者達は昔から
そうやって、かつては世界を分割支配さえしてしまったのだ。
「紀沙はまだか」
「ああ、途中で少々
父子がそんな会話を交わした、ちょうどその時だった。
流氷と言っても島レベルに大きなものだ、これを揺らすとなるとそれなりの質量を要する。
そう、例えば……。
「今、来たよ」
「そのようだ」
イ404、接舷。
さぁ、これで役者は揃った。
いや、
立て続けに氷の島が揺れる、続け様に次々と海中から艦艇が姿を現していった。
『フッド』、『ダンケルク』、『ガングート』、そしてあの『コンゴウ』!
すべて、人類との協定に参加した霧の艦隊の長達である。
それが今、この北極の会合地点に姿を見せた。
◆ ◆ ◆
当たり前だが、『コンゴウ』の姿は以前と何も変化が無かった。
メンタルモデルなのだから、変わりようが無いと言った方が正しいか。
「久しいな。千早群像、千早紀沙」
確かに、久しいと言えばその通りだ。
何しろ硫黄島の戦い以後、まともに会っていない。
意識的に避けていたわけでは無いが、互いに対峙する機会が無かったのだ。
とは言え、少し意外ではある。
「キミが来てくれるとは思わなかった、大戦艦『コンゴウ』」
「大戦艦はいらん。まぁ、他にすることも無かったしな」
それは、現在の霧の艦隊の一面を表現するには、十分過ぎる言葉だった。
事実、『アドミラリティ・コード』なき今、彼女達は文字通り大海に放り出されている。
各艦隊の
そう言う意味では、人類との協定は悪い選択では無かったのだ。
つまり霧の艦隊は今、切実に道しるべを求めている。
自分達の道を自力で見つけ出せる程の経験値は、まだ蓄えられていないのだから。
「む……お前」
不意に、『コンゴウ』の視線が紀沙に止まった。
紀沙もまた、『コンゴウ』を見上げる。
すると片眉を上げた『コンゴウ』が、何かを言いかけたところで。
「お――っ! 久しぶりだな、たまには地中海に顔を見せに来い!」
と、言う実にフランクな声がかけられた。
誰かと思えば『ダンケルク』で、実ににこやかに紀沙と群像に手を振っていた。
ちなみに彼女の艦体には大勢のイタリア人が乗っており、甲板からこちらに手を振っていた。
ほぼ全員が女性に――メンタルモデルを含む――向けて手を振っているあたり、
「さて、取り急ぎ、これで全員が揃ったか」
「……全員?」
翔像が全員に向けてかけた言葉に、『コンゴウ』は眉を寄せた。
周囲を見渡し、やはりと言う風に呟いた。
「『ヤマト』はいないのか……?」
霧の会合にすら姿を見せなかった『ヤマト』だが、今回の欠席は流石に解せなかった。
相も変わらず、意図の読めない総旗艦だった。
総旗艦を欠く霧の艦隊では、とてもでは無いが総力とは行かなくなる。
それとも、それで十分と思っているのだろうか――――?
◆ ◆ ◆
人の首脳と、霧の旗艦。
この十数年間の確執を思えば、俄かには並び立つことを信じることは出来ない。
しかし今、この場には相容れるはずの無いその2つが存在していた。
雪と氷を除けば何も無い殺風景な会談場所は、ある意味でこの邂逅に相応しい。
「まずは、この世界の危機に駆けつけてくれたことに感謝したい」
翔像は、改めてぐるりとその場を見渡した。
この場に集まった面々だけで、世界の……いや、地球の軍事力のほとんどが集結したと思える。
力と言う点において、これ以上は無いだろう。
その中で、『ムサシ』の力を得た――と思われている翔像が、中心にいる。
「すでに皆も知っている通り。今現在、地球のすぐそばにまで
各国政府の情報統制もそろそろ限界だ、一般人に対して何らかの説明も必要で、それもここで擦り合わせをしなければならないことの一つだった。
だがその前に、大前提としてひとつコンセンサスを得なければならないことがあった。
「人類、そして霧が生き延びるために」
人と霧は、これまで――少なくとも、人類側の視点では――敵対してきた。
しかし今、そうした関係を持ち込めば共に滅びるしか無い。
かつて人類は、霧の艦艇と言う脅威の前に団結することが出来なかったが。
「ここに、人類と霧の共同戦線を提案したい!」
イギリスとの安全保障条約は、このための
不思議なもので、人間は最初の1人は激しく糾弾するくせに、2人目には何故か非難の声を上げないものなのだ。
だから多少の無理をしてでも、「霧と条約を結ぶ」と言う前例がほしかった。
つまり「あいつもやったんだからいーじゃん」と言う、そう言う心理を作りたかった。
「人類だけでは
超戦艦『ムサシ』の
ある意味、あの場で『ムサシ』が死ぬことは、必要なことだったのだ。
そうで無ければ、己の能力に絶対の自信を持つ霧に合従の重要性を悟らせることは出来なかった。
だから、『ムサシ』の死は無駄では無かった。
不意に、空を仰いだ。
今の翔像の眼には、良く見える。
遥か空の彼方で、醜く蠢いている
今にも地球を呑み込もうと、刻一刻と近付いてくる
翔像が、その生涯をかけて排除すべきと決めたもの。
「だからこそ、我々は手を結ばなければならない」
そのために、翔像は日本を出奔したのだから。
そしてそんな翔像の言葉を聞きながら、隠れるようにその場を離れる者達がいた。
奇しくもそれは、翔像の子供達だった。
つまり、群像と紀沙であった。
◆ ◆ ◆
翔像達が話し始めると、群像に腕を引かれた。
北に目礼して自分を連れて行く群像に、いったい何の用かと思った。
あの兄が自分に用があるなどと、かなり珍しい事態だった。
下手をすれば今まで一度だった無かったかもしれない。
「何の用?」
だから少し離れた場所で2人きりになった時、少しだけ期待もした。
少しだけしかしなかったのは、期待し過ぎると碌なことが無いからである。
群像との付き合いのコツは、期待を持たないことだ。
そして実際、次の瞬間に群像の口から出てきたのは紀沙のことでは無かった。
「……『コトノ』に会ったのか?」
率直に、良く知っているな、と思った。
確かに
まぁ、会っていたと言うか、コトノが会いに来ていたと言った方が正しいのだが。
次に思ったのは、どうやって知ったのか、だった。
どうして知っているのか、については、気にしても余り意味が無い。
「イオナに聞いた」
「あ、そう」
イオナか、と、紀沙は思った。
コトノ――『ヤマト』とイオナは、特別な繋がりがある。
その関係で、コトノの行動がイオナにフィードバックされているのかもしれない。
まぁ、他の繋がりでイオナが知ったのだとしても、それはそれで構わなかった。
重要なのは、群像も霧の総旗艦『ヤマト』が
他の霧は、もしかするとまだ気付いていないかもしれない。
もともと表に出てくることが無かったとは言え、それでも総旗艦だ。
いなくなったと知れれば、少なからぬ動揺が霧の中に走るだろう。
「コトノはお前に、何か託したか?」
「……何で、そう思うの?」
「…………夢を、見た。見たと思う」
「夢?」
夢枕に立つ、とでも言えば良いのか。
夢なのか幻なのか、あるいは現実だったのか……。
コトノは紀沙だけで無く、群像にも会いに行ったのだ。
しかし紀沙の時と違って、コトノは何も言わなかったらしい。
ただ、見つめ合っていた、と。
「コトノがオレに何を伝えようとしたのかはわからない」
だから、イオナからコトノが紀沙を訪ったと聞いた時、直感したのだ。
ああ、コトノは紀沙に何かを託したのだと。
そして実際、受け取ったものがある。
それは、
勿論、紀沙が託されることを望んだわけでは無いのだが……。
「それは……?」
その時、何かを感じた。
そうとしか形容できなかった。
群像は感じ取れなかったろう。
紀沙だからこそ感じ取れたことだ。
◆ ◆ ◆
聞かれたことには答える。
聞かれないことには答えない。
スミノは紀沙やその他の人間に対して、常にそう言う対応をしてきた。
それは、今も変わっていない。
だから、何も言わなかった。
どうして聞いて来ないのか不思議で仕方なかったし、どうして誰も疑問に思わないのか不思議で仕方が無かったが、しかし聞かれなかったので一切、口を挟まなかった。
人間と言うのは、思い込みによって目の前の事実を見逃してしまうものなのだなと、そう思いながら。
「
何回も、そう言ってきたはずなのに。
これは別にスミノに限った話で無く、イオナ等もそうだろう。
まぁ、スミノは極端にしても、イオナなどは群像への信頼が目を曇らせているのかもしれない。
霧の力の有無は関係が無く、普通の洞察力を備えていれば、気付くはずなのだ。
言われていることと、目の前で起こっていることの矛盾に。
「正直、あんまりにも何も言わないものだから、本当に
ある意味、スミノらしからぬ失態だった。
イ404のセイルの上から翔像達の会談の様子を見下ろしながら、スミノは嗤った。
自分の失態に笑うなんて、まるで人間みたいだった。
最も、スミノの場合はあえてそうしている面もあるのだが。
例えば、翔像達の会談だ。
『ムサシ』が生きていて、『ヤマト』――『コトノ』が完全な状態であれば、また違った展開になったかもしれない。
しかし今の段階では、スミノからすると、「何を今さら?」なのだった。
「
そう、人類と霧はまさに遅きに失した。
あの黒い怪物が
思い込みだ。
そもそも、「2年後」と言う時間的猶予にしてもそうだ。
2年前の『ムサシ』戦死の際の情報が、更新されることなく現在まで来ている。
情報、そう、情報だ。
救世主の預言では無い、ただの、その時点での情報に過ぎない。
つまり、何が言いたいのかと言えば。
「
びしゃり、と、音がした。
湿った布が床に落ちた時のような音に、それは似ていた。
何かがイ404の真下にいる。
何かが、会談が行われている氷の島の縁に手をかけている。
スミノは、
最後までお読み頂き有難うございます。
佳境になりつつあるところで申し訳ないのですが、
リアルの都合により来週の更新をお休みさせて頂きます。
お待たせしてすみません。
それでは、また次回。