混乱が、各地に広がっていた。
人々は、突然空を覆い尽くした黒い肉の塊に、恐怖の悲鳴を上げた。
ある者は逃亡し、ある者は暴徒と化し、ある者は発狂し、ある者は神に祈り始めた。
世界中のすべての人々が、ゴシップの類にしか見ていなかった「滅びの預言」を目の当たりにした。
この世の終わりが来たんだ。
ずっと同じ毎日が続くと思っていたのに。
いやだ、まだ死にたくない。
――――死にたくない!
「ホワイトハウスは外出禁止令を出した。その内に戒厳令になるだろう」
サンディエゴの摩天楼、そのビルの一室から、ウィリアム・パーカーは通りを占拠する暴徒と治安部隊の揉み合いを見つめていた。
煌々と燃えているのは、暴徒の一部が火をつけた自動車だ。
かつての大統領候補の視点で見れば、国家が崩壊する様をむざむざ見ているだけと言うのは、業腹なことだった。
「まぁ、気持ちはわかるけどね。このままじゃ僕も破産だよ、まったく洒落にならない」
「お前の破産申請よりも、世界がなくなる方が早そうだがな」
若き財団の長ジャン・ロドリックと共に、ヴィンテージ・ワインを開けてヤケ酒を呷る。
大衆は、敗者の弁は聞かないものなのだから。
一方で、大衆の傍でその姿を映そうとする者もいる。
「邪魔だ、どけっ!」
「ぐっ」
カメラを構えていたら、群衆の誰かに突き飛ばされた。
思ったよりも力が強くて、レオンスは地面に倒れた。
フランスは雨が降っていて、ぬかるんだ泥が顔に跳ねた。
泥を手の甲で擦り落としながら、レオンスは身体を起こした。
カメラを、両手で大事そうに握り締めていた。
「世界の終わりだ!」
そこかしこで、そんな声が聞こえる。
どこかしらから、悲鳴や怒声が聞こえる。
逃げ場所を求めて――そんなものはどこにもないのに――走り回る無数の人々の真ん中で、レオンスはそのすべてをカメラに収めていた。
(こんなことをしても、意味なんて無いのかもしれない)
でも、他に何も出来ない。
だから、レオンスは何度倒れてもカメラを構えるのだった。
レンズの向こう側に行き場を失って途方に暮れている人々がいる限り。
いつか出会った、
◆ ◆ ◆
迷っている時間は、あまり無かった。
時間を追うごとに状況は悪くなっていく、もはや各国の体裁を立てる合意の形を探ることは出来なくなってしまった。
事ここに及んでしまえば、流れに身を任せてしまうしか無い。
「各国首脳の諸君! 残念だが、もはやこうなっては議論している
もはや自分自身でもある『ムサシ』艦上から、翔像が言った。
まさに滅びつつある世界を目の前にして、その元凶の一端たる『コスモス』を前にしての訴えだった。
だが、いつだって政治の決断は突然だ。
万全の状態で決断できる時などほとんど無く、その場その場での決断を求められる。
今が、その決断の時だった。
「提案する」
皮肉なことだが、脅威こそが翔像の立場を強くする。
<緋色の艦隊>を率いる翔像こそが、各国と霧の艦隊の接着剤足りえるのだ。
どちらかに寄りがちな群像と紀沙では、貫禄と言う意味でもこの役割は出来ない。
翔像だけが、この提案をすることが出来る。
「人と霧が手を組み、この事態に対処する――同盟を結ぶことを」
停戦と黙認の協定では無く、本当の意味での連合を組む。
翔像がイギリスと安全保障条約を結んだように、人類と霧で同盟を結ぶのだ。
同盟して世界の危機に対処したとなれば、もはや各国政府も国民に隠してはおけない。
人類は、霧をこの世界の共存相手として承認しなければならなくなる。
そしてそれは、この世界のほとんどの人間が頭ではわかっていたことでもある。
霧がどれだけ憎く、恐ろしくとも、消し去ることは出来ない。
だから、共存するしかない。
無かったことには、出来ないのだ。
「……日本は承認する」
そして、まず北が承認した。
北も苦しかった。
本心では彼も霧への憎しみを克服できていない、今さら誼を通じるには、<大海戦>で友人や部下を多く亡くしすぎた。
しかし同時に、それは胸にしまっておかなければならないとも思っていた。
<大海戦>を知らない世代が成人しようと言う今、
後の世代に引き継ぎたいものはたくさんあるが、その中に「憎しみ」は含まれていないのだ。
先の世代は、耐えねばならないのだ。
傷口を押さえて綻びを繕い、足を引きずってでも前に進まなければならないのだ。
「……アメリカは承認します」
「ロシアは承認する」
米ロの大統領達も、北とそう遠くない考えを持っているはずだ。
ことに、霧との戦いで娘を亡くしているエリザベス大統領は。
そして米ロの承認は、ほぼ世界の承認であるとも言える。
最も、この状況でどれだけの国が意思表示できるかは不透明だが……。
◆ ◆ ◆
ここで、気付いておかなければならないことがある。
翔像と北が――もちろん、群像もだが――霧との同盟に傾き、状況に押される形で世界が一方へと流れていく中で、ひとりだけそれを良しとしない人間がいることを。
より言えば、良しとしない
「良いのかい、止めなくて」
相も変わらず耳元で囁く悪魔に、紀沙は眉ひとつ動かさなかった。
何年も毎夜耳元で聞く囁きだ、今さらどうもこうも思わない。
それに、止めると言ってもどうすると言うのだ。
ここでひとり霧との同盟に反対したところで、どうにもならない。
第一、紀沙は軍人であって政治家では無い。
軍人は、政治の下にいなければならない。
それは民主国家の軍人が最初に教わることで、すべての任務の前提になるものだ。
だから止めない、紀沙はあくまで日本の統制軍の海兵でいたかった。
「そう、じゃあこのまま霧と人は仲良く共存するのかな。それはまた、つまらないハッピーエンドだね」
ハッピーエンドか。
確かにそうなのかもしれない、人類や霧にとって良い世界になるのだから。
人と霧は過去の確執を水に流して手を取り合い、新しい関係を築くことだろう。
もしかするなら、人類が海を制していた時代よりも豊かな未来が待っているのかもしれない。
「当座の問題が2つあります」
目前の『コスモス』を睨んだまま、紀沙は言った。
「第一に、まずこの場を脱すること。反攻の態勢を整えるにしても、ここでは何も出来ません」
今この場に戦力は無い。
もちろん、イ号や『コンゴウ』達は相当の戦力だが、ここで言う
これは
「第二に、どこへ行けば良いのか判断がつきません」
この状況では、各国が有事の際に確保していた拠点も無事では無いだろう。
むしろ、陸地に近付くことそれ自体がリスクだ。
仮にどこかの拠点に辿り着けたとして、そう何度も無事に係留できないだろう。
まして黒い怪物さえ活性化しているのだ、クリミアのようなことが他で起きないとも限らない。
今、この場で、最終的な――つまり、事態を変えるための
だが、地球外から襲来したあの黒い触手の本体は、おそらく
言うなれば『アドミラリティ・コード』のような存在感を、どうも感じられない。
つまり、
「元凶は、宇宙にいると思います。
「なら、
無理だ、辿り着けない。
仮に辿り着けても、準備が間に合わない。
はっきり言って、アメリカ軍やロシア軍では発射まで耐えられないだろう。
では、どうすれば良いのか。
どこかに、すぐに宇宙の脅威に対応できる場所は……!
「ひとつだけある」
答えは、意外にも『コンゴウ』が持っていた。
彼女は言った、その場所の名は。
――――『ハシラジマ』。
◆ ◆ ◆
ハシラジマ。
それは中部太平洋の霧の根拠地であり、宇宙への窓口「起動エレベーター」を有する施設の名だ。
かつて人類が宇宙進出のために築いたものだが、霧の改修がかなり進められており、人類の拠点であった頃の名残はほとんど残っていなかった。
「『ハシラジマ』は、まだ宇宙に通じているのか?」
「総旗艦『ヤマト』の、数少ない命令のひとつでな」
北の問いに、『コンゴウ』はそう返した。
総旗艦『ヤマト』が霧の仲間に何かしらの命令を出すのは非常に珍しく――もちろん、人類側がそんな内部事情を知る由もない――他の霧も、驚きをもってその命令を受諾していた。
『ハシラジマ』を接収し、改修し、強化し続けてきたのだ。
その甲斐あって、今や『ハシラジマ』は一大要塞と化していた。
霧の技術力と無尽蔵のナノマテリアルによって築かれた要塞は、この地球で最も堅固な施設となった。
そして『コンゴウ』の言う通り、『ハシラジマ』は今もなお宇宙への窓口機能を有している。
そもそも彼女が使用した
「今にして思えば、『ヤマト』にはこうなることがわかっていたのかな」
だとすれば、もっとはっきり言えと思わないでも無い。
まぁ、言われていたとして大して違いは無かったかもしれない。
とにかく、今重要なことは、『ハシラジマ』のことだった。
「しかしそうは言っても、『ハシラジマ』から艦隊を上げられるわけでは無い。せいぜい1隻か2隻……それ以上は物量的にも時間的にも不可能だ」
「そこは問題ない、私が――イ404だけが行ければ良い」
「……何か策でもあるのか?」
「まぁ、そんなようなもの」
この状況で、取り得る策などほとんど無い。
しかしこの時、紀沙には確かな
それは、彼女にしか出来ない、そして彼女が出来るたったひとつの
だから紀沙にとって、宇宙に上がるのはイ404の1隻で十分なのだった。
「オレも行こう。悪いが、何とか2隻たのむ」
そして、やはりと言うべきかどうすべきか、群像も行くと言い出した。
それは半ば予想出来ていたことなので、紀沙としても何も言わなかった。
ただ、少しだけ残念な気持ちもあった。
出来れば来てほしくなかったと言う気持ちも、確かにあったのだから。
◆ ◆ ◆
方針は定まった。
しかし、実行に移せるかはまた別の話だった。
何故なら今、黒い触手や黒い怪物以前の問題として、『コスモス』が目の前にいるのだから。
「どこかに行くのかい?」
しかし当の『コスモス』は、紀沙達の話を聞いていただろうに、実にあっさりとしていた。
紀沙達がこの事態に対処しようとしていることには気付いているはずなのに、何も気にした様子が無い。
極端な話、自分を殺す話し合いが目の前で行われているのだ。
それなのに、平然と顔色ひとつ変えずにいるのだ。
と言うか、止める様子が見られない。
ただその代わりに、看過しえない事態が目の前で起こった。
ぐにぐにと『コスモス』の足元で蠢いていた黒い触手が、水底に引き込まれるように海の中へと戻っていった。
その代わりに、ある物が『コスモス』の足元に残っていた。
「『ユキカゼ』……!」
それは、霧の駆逐艦『ユキカゼ』の艦体だった。
だが、鋼の装甲は空の触手のように毒々しい姿に変わり果てていた。
表面は血管のように脈打っており、まるで生き物のようだ。
黒い装甲に血の如き紅い輝き、明らかに異常だ。
そして『コスモス』の傍らに触手の柱が立ったかと思えば、その内部から『ユキカゼ』と『ナガラ』のメンタルモデルが姿を現した。
姿は、確かに『ユキカゼ』だった。
ただ、霧としての識別反応を感じることが出来なかった。
「く……!」
「やめておけ、『ダンケルク』」
動きかけた『ダンケルク』を、『コンゴウ』が制した。
その『コンゴウ』をして、一筋の汗を禁じ得ないことが起きている。
「……この1、2年の行方不明者の行方が、はっきりしたな」
あれは、もはや『ユキカゼ』では無い。
形が似ているだけの、まったく別の存在だった。
そして先ほどの『フッド』の身に起こったことを思えば、『ユキカゼ』達の身に何が起こったのかは容易に想像が出来る。
恐ろしいことだ、とても、恐ろしい事態だった。
「……追わないの?」
「キミ達はレストランで、お腹が空いたからって厨房にズカズカ入ったりするのかい?」
舐められている、侮られている。
その事実に猛烈に腹が立った。
しかも、相手はそう言うつもりも無い。
同時に、価値観の違いに似たものを感じた。
それは、隙になる。
耐えよう、と、紀沙は思った。
屈辱に耐えることには、慣れていた。
耐える堪えると言うことに関して、紀沙はかなり自信があった。
そうでなければ、今まで生き残れはしなかった。
そしてそれは、人類がほとんど唯一、霧の艦隊に勝り得るものでもあった。
◆ ◆ ◆
本当に、『コスモス』は追ってこなかった。
北極圏からベーリング海方面に向けて――つまり、『ハシラジマ』のある太平洋に向けて――艦を進めながら、一堂の胸に去来したのは、屈辱感だった。
これだけの戦力を有していながら、『コスモス』を討つ方策が無く、転進を余儀なくされたのだから。
「とはいえ、安心は出来ない」
先頭を行くイ401の中で、群像は言った。
彼の言う通り、『コスモス』――と言うより、『コスモス』
今、見逃されたのは「がっつくのは下品だ」と思っているに過ぎない。
ただ、すべての
また同じだとしても、いつまでも待つとは限らない。
最初は上品ぶってテーブルで料理が出てくるのを待っていても、いつまでも料理が来なければ怒りだすのは、人間も同じだ。
要するに、いつかは追ってくる。
「それに『ユキカゼ』と『ナガラ』だ、あいつらはいったいどうしたんだ!?」
「どうしたのかもどうなったのかもわからん。だが、コアの回収が出来なかった艦の末路はおそらくアレなのだろうな」
「ぞっとせん仮説じゃな。だが、おそらく間違ってはおるまいな」
霧の旗艦達は、取り急ぎ人間の首脳達を安全な――そんな場所があるのかはともかく――場所で降ろして、自分達の艦隊をまとめなければならない。
今も共有ネットワークを通じてそれぞれの配下に指示を出しているが、間接的かつ断片的な情報では、やはり限界があった。
もはや一刻の猶予も無い。
「千早兄妹、
「お前ら霧に心配される筋合いは無いよ」
人類は、そして人類と霧の間で
だが、今までの航海だってずっとそうだった。
何の援助も保障も無いままに、紀沙達は海に出ていたのだから。
「だったら、もう、やるしかない!」
このまま進むしかない、最後まで走り抜けるしかない。
それだけだ。
それだけで走れる、群像も紀沙も、「走れる」と言うだけで走り続けてきたのだから。
「機関最大、全速前進」
ベーリング海峡は、すでに黒い触手に埋め尽くされようとしていた。
もちろん、減速などしている場合では無い。
このまま強行突破する。
そしてそれは。
「
まずはここを突破し、『白鯨』2隻とイ15と合流する。
そのまままっすぐに南下して、『ハシラジマ』を目指す。
迂回などはしない、そんな時間は無いのだ。
それでなくとも、『ハシラジマ』は余りにも遠いのだから。
「若いな」
「……ええ」
その
語り合いたいことは山とある。
だが今は、ただ前を見て突っ走る子供達――もう、子供達と言う年でも無いか――を見守りながら、思うのは、「心外」と言う感情だった。
それは北や翔像だけで無く、エリザベスやミハイルも思っていることだ。
この事態に対して、戦力になるのが霧の艦隊と、イ号潜水艦だけだと?
人類は何の準備も出来ておらず、ただこの事態に右往左往するだけだと?
そんなはずは無い、人類の力はそんなものでは無い、つまり。
つまり、
最も、その
◆ ◆ ◆
紀沙も知っているはずだが、人類はずっと以前より――具体的には、20年近く以前から――ずっと、
それに紀沙が気が付かなかったのは、それを
何故ならばそれらの準備は、紀沙にとって、むしろ
そう、人類は20年もの長きにわたって蓄え続けてきた。
どれだけ物資が窮乏していようと、どれだけの国民が飢えていようと、ひたすらに蓄えた。
経済構造の歪みなど気にも留めず、ひたすらにその分野にすべての力を注いできた。
その分野とは、軍事――
「急げ――――っ! 積み込めるだけ積み込め!」
「全部だ、いいか全部だぞ。
「都市部への送電まで止めてるんだ。ミスるんじゃないぞ!」
横須賀の地下ドック。
そこには霧の艦隊からも隠匿し続けた、いずれ来る<大反攻>のための日本艦隊がいる。
一度もまともに海に出たことが無いそれら数十隻の艦艇は、今まさに出航の準備を進めていた。
しかし目的は、人類の悲願である「霧への大反攻」では無かった。
「感無量です。こうしてここから艦隊が出撃できる日が来るなんて」
「駒城少将」
急ピッチで進められる艦隊の出動準備を前に、真瑠璃に声をかける者がいた。
駒城だった。
すっかり、将官の制服が板についている。
アメリカへの振動弾頭引き渡しとそれに伴う遠洋航海の経験を買われての出世、しかし本人は群像達のおこぼれに預かっただけだと謙遜してやまない。
2人の目の前には、やはり急ごしらえで出航の準備を進めている『白鯨』の威容があった。
今はもう駒城は艦長では無く、かつての副長が艦長に昇格していた。
真瑠璃が紀沙の司令部にいるように、駒城は今、統制軍の中枢にいる。
2年……いや、3年前の出向時とは、立場も含めて何もかもが違うのだった。
「浦上大将は、自ら陣頭指揮に立たれるおつもりのようです」
「閣下らしいですね」
たぶん、止める周囲を「ガハハ」と笑いながら一蹴したのだろう。
容易に想像することが出来て、真瑠璃は小さく微笑んだ。
そんな真瑠璃に、駒城も苦笑のようなものを向ける。
それが笑みにならない理由を、真瑠璃は知っていた。
「その様子だとすでに知っていると思いますが、オレは司令部要員として本土に残ることになります。後方のとりまとめ役が必要だからと……」
聞いていた。
駒城だけでは無く、40歳より下の年代の将官や参謀はほとんど本土に残されるようだった。
それにこうして見ていると、出航準備を進める艦艇に乗り込むクルーの平均年齢が若干高いように感じられた。
一大決戦だから、ベテランを配したと言われれば、それはそうなのだろう。
しかし駒城の話を聞いた後では、また別の意味に見えてもくるのだった。
「皆が……響さんまで前線に行くって言うのに、オレは」
「そんなことを仰らないで下さい、駒城少将。皆それぞれ、出来ることとやるべきことがあるんだと思います」
戦後の軍を支えられるのは、振動弾頭輸送任務を指揮した――たとえ、本人はそう思っていなくとも――駒城にしか出来ない。
政治家も軍人も官僚も、「実績」と言う不動の事実を無視は出来ないのだから。
そして、大衆も。
それは響のような一軍人には、絶対に出来ないことなのだから。
「駒城少将は、駒城少将にしか出来ないことを。そして私は、私にしか出来ないことを……」
悔しさともどかしさが同居したような顔をしている駒城の隣で、響は『白鯨』を見上げる。
白亜の艦隊は、2年前と変わらず堂々たる威容を見せつけていた。
見上げながら、響は思った。
そう、人にはそれぞれの役割がある。
問題は、その役割を自覚できるかどうかなのだ、と。
◆ ◆ ◆
大戦艦『ヒエイ』にとって、かつての硫黄島戦の結果は痛恨の極みだった。
『コンゴウ』の敗戦を認めることが出来ず、あれほどに固執していた
姉たる『コンゴウ』は何も言わなかったが、きっと失望したことだろう。
だからこそ、もう二度と『コンゴウ』の信頼を裏切るような真似は出来なかった。
そんなことになれば、それこそ自沈を選択するレベルだ。
だから『ハシラジマ』を背に
両翼に重火力艦を厚く配し、自らの直衛艦は機動力の高い軽巡洋艦や駆逐艦で固めている。
「『ミョウコウ』、『ナチ』。両翼を頼むぞ」
『了解した。だが中央の方が圧力が強い、気をつけろよ旗艦殿』
『了解。今回は索敵の必要性も無いくらいね……』
『ハシラジマ』を守れ。
それが、共有ネットワークを通じて発せられた『コンゴウ』の命令だった。
突如として世界に起こった異常事態に面喰らっていた『ヒエイ』だが、その命令で自分のすべきことを完全に理解した。
『コンゴウ』に命令されると言うことは、『ヒエイ』にとってはもはや快感を与えられるに等しいものだった。
「とは言え、はたしてこれが艦隊戦と呼べるのかどうか……」
と言うか、敵は艦隊では無い。
そのため古今東西の海戦の記録はほとんど役に立たず、霧にとっては徒手空拳での戦いになる。
そしてそうした戦いでは、霧の動きは極めて鈍いものにならざるを得ない。
『ヒエイ』としては、苦しい戦いを強いられることになるだろう。
まして海から這い出し、こちらへと向かってくる黒い怪物の数は十や二十ではきかない。
これまで集団で行動することが無かったのに、まるで何かの指令でも受けたかのようだ。
空の黒い触手の出現と同時の現象なので、その予想はあながち間違いではない気がした。
だが、苦しいと言うことは戦いをやめる理由にはならない。
「これより総力戦に入る。各艦、敵戦列の先頭を狙え!」
重厚な音と立てて、『ヒエイ』の主砲が仰角を上げた。
いや、『ヒエイ』だけでは無い。
『ハシラジマ』を背にしたすべての艦艇が主砲に火を入れた。
さっと、『ヒエイ』のメンタルモデルが手を挙げる。
「――――
振り下ろされる手、轟音を立てる無数の主砲。
守って見せる。
もう二度と、『コンゴウ』に失望などさせない。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
今回が今年最後の投稿になりますね。
1年間ありがとうございました。
年内には終わらせるつもりだったのですが……思ったより伸びました。
流石に年度内には終わる……はず。
それでは、また次回。