一時崩壊しかけた『ヒエイ』艦隊と『イセ』艦隊の戦線は、200隻もの援軍を得て一気に持ち直した。
特に北米艦隊と欧州艦隊の援軍が大きく、大戦艦級と海域強襲制圧艦の数が増えたことで、黒い怪物の群れを押し返したのだ。
『ハシラジマ』に迫りつつあった黒い怪物の群れが、数キロから十数キロ後退した。
「『ヒエイ』、一時後退しなさいな。貴女の艦隊はもう限界でしょう」
「……わかった。ここを頼む、『レキシントン』」
「任せておきなさいな、さて……」
南の戦線でも、『ダンケルク』あたりが『イセ』と交代しているだろう。
『ハシラジマ』駐屯艦隊を一旦下げて、休ませてやるのだ。
その際に艦隊情報の共有が行われるのだが、どうやら、何隻かはコアの救出が間に合わずに喰われてしまったらしい。
以前の『レキシントン』であれば、ただの情報として処理しただろう。
しかし今は、何故だろう、胸中に不快なざわめきを感じる。
霧の智を自認する――実際、大学など
ただひとつわかっていることは、『レキシントン』は今、黒い怪物達を滅ぼしたいと強く思っている、と言うことだった。
「『サラトガ』、正面の敵に相対しなさい。『ラドフォード』、『フレッチャー』は駆逐隊を率いて援護を!」
『レキシントン』の航空甲板から無数の巡航ミサイルが発射され、白煙の軌跡を描きながら黒い怪物の群れの中に吸い込まれていく。
ミサイルを飲み込まんとぐにゃりと歪んだ黒い怪物はしかし、任意起爆したミサイルの爆発に飲み込まれて、その身体を大きく抉り取られてしまった。
それが無数に、しかも連続で起こった。
さらに、
『ハグロ』の損傷を考えても彼女達は一度下がるべきだが、
まさか、『ハシラジマ』まで連れていくわけにもいかないだろう。
「ちいっ、近付けん……!」
艦体を溶かされながら、『ミョウコウ』はしかし何も出来ずにいた。
触れることすら出来ない『コロンビア』に、抵抗のしようが無いのだ。
このままでは艦首部分がもろとも喰われてしまう――再生も出来ないので、事実上の轟沈――と、そんな覚悟を始めた時だった。
紫色の光線が三条、『ミョウコウ』の視界で走った。
「なっ……『ミズーリ』ッ!?」
紫色のツインテールが特徴的なメンタルモデルが、『ミョウコウ』の目の前に着地した。
彼女は釣り目の瞳を白く輝かせて、即座の声を上げた。
「『アイオワ』ッ! 私の視覚情報を使え!」
次の瞬間、『ミズーリ』の眼前を細い火線が擦過した。
それは戦艦の副砲で、『ミズーリ』が切り離した『ミョウコウ』の艦体の一部ごと、『コロンビア』を吹き飛ばした。
しかし、その光景を前にしても『ミズーリ』は顔を顰めた。
「戦艦の砲撃でも、
『コロンビア』は確かに吹っ飛んだ、が、ダメージは通っていない。
砲撃の威力ですら、
単に足場が崩れて海に落ちただけだ、その際、海面下から出た黒い
もちろん、あれで終わりと言うわけでは無いのだろう。
「すまない、助かった」
「まだ油断は出来ないぞ」
とりあえず、『ミョウコウ』は危機を脱して一息を吐いた。
おそらく、『ハシラジマ』駐屯艦隊はどこも同じような状況だろう。
とは言え、まだ各艦隊レベルで押し返したと言うだけで、艦隊間の連携が取れているわけでは無かった。
また、流石に200隻もの艦隊の補給を滞り無く行うのは『ハシラジマ』でも厳しい。
これについても、急ぎ調整がいるだろう。
すなわち、明確に格上の
最も、これは以前から霧の艦隊の問題でもあった。
『ヤマト』でなくともせめて『シナノ』か、いや『ナガト』でもいれば。
しかし旗艦たり得るだろうその3隻は、いずれもこの海域に姿を現していなかった。
「あやつらは、この肝心な時にどこにおるんじゃ」
『イセ』と交代した『ダンケルク』が、戦況を把握して毒吐いた。
頼りにしたい、と言う感情も、メンタルモデルを得てからのものだった。
◆ ◆ ◆
霧の超戦艦『シナノ』は、未だインド洋にいた。
元々インド洋が
だから、どうして『ハシラジマ』の戦場に自身が
『まだ貴女の力を使う時じゃない。貴女の力は、その驚異的な演算力は、まだとっておく必要があるの』
超戦艦『ヤマト』――いや、『コトノ』は、通信でそんなことを伝えてきた。
『シナノ』にしてみれば、
この期に及んで、霧の仲間達と共に戦えないなど、『シナノ』にとっては耐えられないことだった。
それこそ、
それでもなお、そんな彼女に「待て」と『コトノ』は言う。
もちろん、先ほど言ったことも理由の一つだ。
『シナノ』の演算力が必要になる場面が、この後に必ず来る。
戦線の維持は他の霧の艦艇にも出来るが、『シナノ』のコアの演算力には代えがいないのだ。
『それに、正直200隻の霧を強制転送させるだけでいっぱいいっぱいだったの』
霧の各艦隊の転送だけでも、かなりの力を使うことになるのは想像に難くない。
もっとも、全盛期の『ヤマト』であればどうだっただろうか……。
『私はいったん、力を溜めるわ。最低でも、あと一回の転送が必要になると思うもの』
まだ、
『コトノ』は、その
だから戦線維持に十分な戦力を送った後、本命の転送を行うつもりなのだ。
もちろん転送無しで間に合うならばそれに越したことは無いが、そうそう上手くはいかないだろう。
その時にこそ、『シナノ』の転送も行うことになる、と。
「……貴女の」
そんな『コトノ』の言葉に、『シナノ』は言った。
「『ヤマト』姉じゃない貴女の言葉を、聞けと言うの?」
『…………たしかに、私は『ヤマト』じゃない』
返ってきた声は、でも、と少し震えていた。
『『ヤマト』もきっと、同じことを言ったわ』
そう言われてしまえば、『シナノ』には反論の術が無かった。
だから、信じて待つしか無かった。
霧の仲間達を。
『コトノ』を。
そして、『ヤマト』の信じた者達を――――……。
◆ ◆ ◆
ある程度戦いの形になっている霧側と異なり、結果として奇襲を受ける形となった人類側の被害は、想像を絶するものがあった。
特に、黒い触手が降り立ったところは悲惨だった。
いや、直接的に押し潰されたところは、まだマシだったのかもしれない。
「ぎゃああああっ!!」
サンディエゴの街に、悲鳴が響き渡る。
かつて大統領候補が演説をしたこともある、高級ホテル街だ。
とは言え、歴史ある海辺のホテルは黒い触手の降下により、見るも無残に崩壊してしまっていた。
赤い屋根が押し潰されて、趣のある庭園は黒い泥によって押し流されてしまった。
だが、それらはサンディエゴを襲った悲劇のほんの一部に過ぎなかった。
降下した黒い触手は、吸盤でも張り付けたように動かなかった。
その代わりに、触手から枝葉が生えるように、さらに小さな触手が伸びてきたのだ。
それは蛇の舌のようにチロチロと這いながら、ゆっくりとした、何かを探るような動きをしている。
「た、助けてくれえ!?」
「ぎゃっ、す、すわれる」
「は、はなせ、はなせえええぇ……あ」
そして、それに触れる――触れた人間は、
状況は様々だ。
ばかっと開いた触手に頭から呑まれる者、腕だけを取り込まれてストローのように吸われる者、身体中に触手が巻き付き締め潰される者……。
そしてそれは、サンディエゴ中――いや、アメリカ中で引き起こされていることなのだ。
「いったいどうなっている!? 状況は!?」
「わ、わかりません。しかし、その……
「この状況では、警察や消防では対応が極めて難しく……!」
こう言う事態に対処すべき州軍も、身動きが取れなかった。
救援要請は各所から入ってきているが、それぞれの状況がわからなかったのだ。
大規模災害――と思われるが、衛星や航空写真による被害状況の確認すらままならず、入ってくるのはとにかく「化け物が人を襲っている」と言う内容なのだ。
手当たり次第に部隊を出すにしても、駐屯している州兵とて無尽蔵では無いのだった。
「しかし司令官、何もしないわけには」
「わかっている。わかっているが……」
駐屯州軍の司令官が決断を迫られた、その時だった。
普段は鳴ることの無い直通の専用回線――これを知っていること自体が、一部の上位者であることの証だ――からで、受けた司令官は、電話口の向こうから聞こえてきた言葉に目を見開いた。
まさに、本気か、と言うような顔で。
「いやっ、しかしその計画は確か……は? はっ、大統領閣下の?」
電話口の向こう側の相手が本気だとわかると、今度は神妙な顔になった。
はい、はい、と言葉少なに会話を続けて、1分もしない内に受話器を置いた。
そして、彼は言った。
「……オペレーション・ミストが発令された」
◆ ◆ ◆
オペレーション・ミスト――霧作戦。
読んで字の如く、元々は対<霧の艦隊>用の作戦だ。
いくつかの汎用計画があり、その中には霧による陸上侵攻に対するものがある。
今回アメリカが適用するのは、そのケースだった。
「陸海空、海兵隊は全部隊出動。州兵も動ける部隊は動員……そう、総動員よ」
アメリカ軍に対する総動員命令は、カナダ領空の軍用ヘリコプターの中から発せられた。
アラスカに降ろされたエリザベス大統領は即座に空軍基地に向かい、ヘリに飛び乗った。
カナダ領空を横断してバージアニアの
すでに可能な限りの通信手段でもって、エリザベス大統領の下にはアメリカ全土の情報が集まりつつあった。
「敵未確認生物はロッキー以西に二本の触手――触腕を降下させており、触腕から細かな触手が発生、範囲を拡大しています」
「なお、その触手に触れた人間は……その」
「言わなくても良いわ」
太平洋側――西海岸側の被害が特に酷かった。
黒い触手の本体が降下したことで、かなり広い範囲の陸地がその範囲下になったのだ。
そして最も近い地域からは、すでに何の連絡も無い。
アメリカ軍としては、そうした地域は
「主要国の大使館に連絡を。今はとにかく、互いの作戦を連動させる必要があるわ」
他の国々も、それぞれに対<霧の艦隊>用の作戦計画を持っている。
エリザベス大統領はすでに各国がそれぞれの作戦を開始し、かつ互いに緊密に連携を取ることを確認していた。
もともと人類の霧への反撃計画<大反攻>は、人類側の連携も不可避とされていたのだ。
ただ、どこが主導するのかが問題になっていただけだ。
「しかし、良いのですか。霧に我々の手の内を晒すことになりますが……」
「構わんさ、中佐……いや、大佐。どの道、代替案は無い。本国が戦場では核攻撃も使えんのだから」
ロシア大統領ミハイルは、トゥイニャーノフ大佐にそう言った。
実際、この状況では生き残ることをこそ優先すべきだった。
シベリアからウラジオストクを目指しながら、の会話である。
そしてそれは、人類諸国側の首脳の代表的な意見でもある。
「無論、我々は勝てないだろう。だが時間を稼ぐのだ、あの艦隊が……イ号艦隊が、辿り着くまで」
北海道・根室に上陸した北もまた、そう認識していた。
人類は勝てない。
どう考えても答えは同じだ、相討ちなら手も無いでは無いが、それは敗北と同義だった。
だから、北は信じるしかなかった。
イ号艦隊が、千早の子供達が、再び奇跡を起こすことを――――……。
◆ ◆ ◆
イ号艦隊は、潜行状態で南へと急進していた。
すでにアリューシャン列島沖を通過し、ミッドウェー島北部の海域に達しようとしている。
出来る限り急いではいるのだが、3隻の『白鯨』の航行速度と燃料――霧の艦艇であるイ号3隻は、そうした面では心配が無い――も考慮して、速度を合わせている。
こう言うところでは、ほとんど単艦行動だった2年前には無かった悩みだ。
『艦長、『白鯨Ⅳ』より再度の航路調整の要望が来ています』
「わかりました、繋いでください」
艦隊行動と一言で言っても、複数の艦艇が共に行動すると言うことは、それほど簡単なことでは無いのだ。
特に、互いの位置を正確に知ることが難しい潜水艦が複数で行動することは稀だ。
この2年間ずっと訓練してきたが、難しいと言うことがわかるだけだった。
だから『白鯨Ⅳ』艦長の井上大佐などは、心配して何度も航路の確認を入れてくるのだ。
紀沙もその気持ちはわかるので、無下にすることも出来ない。
「……ふぅ」
「お疲れだね、艦長殿」
そして、これだ。
井上大佐との間で通信をした後、座席に背中を押し付けて息を吐いていると、そんな声が聞こえてきた。
いつものことだが、スミノだった。
ふとした瞬間に視界に必ずいる、そんな奴なのだ。
「
などと、矛盾するような
安い挑発は聞き逃すに限るが、それでも気に障るものは障るのだ。
「と言うかね、艦長殿。あの『白鯨』を連れていく意味って何かあるのかい?」
足手まといとでも言いたいのだろう、スミノにしてみればそうかもしれない。
確かに、霧や
ただ援護戦力としては馬鹿に出来るものでは無いし、何しり『白鯨』艦隊の士気は高かった。
形は違っても<大反攻>の発令だ、統制軍の海兵なら心沸き立つものがあってもおかしくは無い。
「まぁ、艦長殿。ボクを無視するならそれはそれで良いのだけれど」
がくん、と、艦体が大きく揺れた。
尋常で無い揺れで、例えて言うのであれば急ブレーキをかけた電車に近い。
その中にいて、大きく身体を揺さぶられたような状態だった。
机に手を着いて身体を支えたが、固定されていない物はいくつか床に落ち、音を立てた。
そんな紀沙を見つめながら、嗤いながら、スミノが言った。
「
早く言え。
しかしそのたった一言を、紀沙は意地でも口にしなかった。
◆ ◆ ◆
紀沙が発令所に赴くと、状況は思ったよりも悪い様子だった。
「状況は?」
「艦長。それが……現在、本艦は停止している状態です」
「停止?」
困惑した様子の恋の言葉に、紀沙もまた困惑した。
艦の停止は、もちろん命じていない。
今は急いで南下しなければならないのだから、そんな命令を出すはずが無いのだった。
しかし、確かにイ404は停止していた。
しかも、である。
「あおいさん、そちらの状況は?」
『なにも問題ないわ~。エンジンはすべて正常よ~』
機関にも、問題は無い。
ただ最初からそちらは強く疑っていたわけでは無い、恋の手元のコンソールで機関が正常に動いていることは把握できていたし、だから念のために聞いてみただけだった。
だいたい、足裏から感じる振動が「イ404が動いている」証明だった。
しかし同時に、正常ではないことはわかる。
「エンジンは正常なのに、前に進めない……?」
いったい、どう言うことだろう。
スミノは
ならばこの現象は何なのだ、原因は何なのか。
『――――助けが要るか、千早紀沙』
その時、発令所に別の声が響いた。
冷たく、しかしはっとする程に通りの良い声だった。
誰の声か?
あえて答えを言うのであれば、『コンゴウ』だった。
『コンゴウ』は『ハシラジマ』までの案内として、イ号艦隊を先導する役目を自ら請け負っていたのだ。
その『コンゴウ』から、そんな通信が入った。
本来なら味方のようなものなのだから、手を借りても良さそうなものだ。
しかし、紀沙はそうしなかった。
もう、そうする必要が
「なるほど、聡いと言うべきか。気付いたようだな」
潜行状態の自らの艦体の上に浮かびながら、『コンゴウ』は眼下の光景を見つめていた。
腕を組み、まさに見下ろすと言った風にだ。
そこにはイ404の姿がある。
海底近くを這うように――その方が潜水艦は見つかりにくい――進んでいたイ404。
「私の助けは不要、そう言うことだな」
そもそもどこまで助ける気があったかは不明だが、『コンゴウ』はそんなことを言った。
『コンゴウ』がそう言った、次の瞬間だった。
海底に、複数の爆発音が響き渡った。
◆ ◆ ◆
クラーケン、海の魔物だ。
もちろんフィクションであって、古くから漁師や船乗りの間で伝説として語り継がれている
話によってタコだったりイカだったりするが、いわゆる巨大な頭足類として描かれる化物だ。
「どうです!?」
「……ッ、推進感知できず。依然として固定されています!」
紀沙は今、それを想像していた。
海底に潜んでいた
活発に活動していなかったから、ジョンのマップにも反映されていなかったのだろう。
大体、全く見つからずに進めるとは思っていなかったので、それでジョンを責めるのは間違いだ。
機関が正常なのに艦が停まっていたのは、要はそう言うことだ。
外部から押さえつけられているから、動かない。
そこで後部発射管から魚雷を発射、そして副砲で砲撃をして、抜け出そうとした。
そして、ここで少し問題が出てくる。
「標的がどこにいるのかわからねぇ」
冬馬が顔を顰める。
通常の戦闘でも、潜水艦に見えているのはソナー・マップのみだ。
実際に映像で敵の姿が見えているわけでは無い。
海中の戦闘は、目隠しをして、音だけを頼りにしているに等しい。
だから「掴まれている」あるいは「押さえつけられている」ことはわかっても、それ以上のことはわからないのだ。
どこをどう掴まれているのか、闇雲な攻撃は、当たっているのかどうかすら不明だ。
そして実際、先程の攻撃は効果的とは言えなかった。
「艦長、艦の装甲にかかる圧力が上昇しています!」
むしろ、逆効果だったかもしれない。
裏目に出るとはまさにこのことで、紀沙としては迂闊だったかもしれない。
ただ、締め上げてくる――圧力の上昇がそれを物語っている――と言うことは、こちらの攻撃への反応には違いない。
つまり、相手が脅威を感じている、と言うことだ。
「どうする、もう1発撃つかい!?」
「いえ、それよりも……」
今、梓に魚雷を撃たせても結果は同じになる可能性が高い。
だから紀沙は、別のことを指示した。
「後方の『白鯨』にこちらの座標を伝えてください」
「は? そんなことして何に……」
「早く!」
後方の『白鯨』3隻に、イ404の位置を教える。
それが何を意味するのかは、次の紀沙の言葉ではっきりするのだった。
◆ ◆ ◆
『白鯨Ⅳ』艦長の井上大佐は、かつて紀沙が想起したように、統制軍の軍人としては極めてオーソドックスな道を歩んできた。
海上自衛隊時代に幹部養成校を出て、卒業後すぐに<大海戦>を経験し奇跡的に生き残った。
その後は統制軍海軍の幹部として、順調に大佐まで階梯を上がってきた。
実戦経験のあるエリートは統制軍でもほとんどいない、<大海戦>の生き残りとなればなおさらだ。
加えて言えば、北と言う政治家に目をかけられていたことも効いた。
<大海戦>直前まで北が乗っていた艦に、井上大佐も乗っていたのだ。
だからこそ、『白鯨Ⅳ』の艦長と言う重要な位置にいるのである。
「艦長、イ404から入電です!」
「……至急、この座標に攻撃を加えられたし、か」
とは言え、それは「型に嵌まっている」と言うことでもある。
マニュアル通りとまでは言わないものの、発想や判断が規定の範囲内に収まりがちと言うことだった。
だから、急進潜行中の突然の攻撃命令に戸惑ったのだ。
特に井上大佐は、性格のためか、果断さと言う点に欠けるところがあった。
<大海戦>の経験が、逆にそうさせてしまうのだろう。
「攻撃対象は?」
「それが、電文には記載がありません」
仕方が無かった。
海中での通信は極めて難しい――霧の技術による量子音声通信はともかく――し、それに紀沙としては、「自分達ごと撃て」と言う命令を伝えるのも躊躇われたのだ。
だから端的に攻撃座標だけを示した、おそらく群像ならば撃っていただろう。
だが現在、攻撃可能圏にいるのは『白鯨Ⅳ』だけだった。
「提督は何を撃たせるつもりなのか……?」
「再度命令内容を確認致しますか!?」
「う……む」
どうするべきか。
もちろん、命令に従うべきだが……命令の意図を確認した方が良いだろうか。
井上大佐がそうやって迷っていると、さらに後方の『白鯨Ⅲ』から入電があった。
殊勲艦からの電文には、こう書かれていた。
「艦長及び響少佐の連名での電文です。イ404危急の事態につき、至急攻撃を敢行されたし!」
どうして『白鯨Ⅲ』が状況を理解しているのかはわからない。
ただ、振動弾頭輸送作戦の殊勲艦2隻が同じことを言うのであれば、井上大佐としても否と言うわけにはいかなかった。
井上大佐は、魚雷の装填を命令した。
◆ ◆ ◆
『白鯨Ⅳ』による魚雷発射音は、イ404のソナーも捉えていた。
ヘッドホンを耳に押し当てていた冬馬が、静かに、しかし良く通る声で言った。
「感2! 魚雷航走音、17時!」
「機関最大! 総員、衝撃に備えてください!」
来た、これを待っていた。
背後からの魚雷発射、スミノに艦表面をクラインフィールドで覆わせた上で受ける。
攻撃目標はイ404そのもの、何故そんな自殺にも見えることをするのか?
単純な答えだ、つまり「爆弾を手に持っていられる奴はいない」、だ。
「直撃――――ッ!」
言葉の、次の一瞬だった。
殴られたような感触の後に、激しい揺れが来た。
シートにしがみつき、衝撃を堪えた。
艦内ではまた、固定されていない物がしっちゃかめっちゃかになっているのだろう。
しかし、その甲斐はあった。
何かが剥げ落ちる音が確かに聞こえて、次の瞬間にシートに背中が押し当てられた。
急速な前進によるものだと、すぐに気付いた。
機関停止、急速回頭、艦体を180°回転させる。
「艦首全発射管、魚雷装填!」
「魚雷装填よ――し! いつでも撃てるよ!」
「発射後12秒で起爆! ……
「発射ぁっ!」
海中の戦いは、目の見えない戦いだ。
だが紀沙達には確かに聞こえた、立て続けに響き渡った魚雷の爆発音に混ざって、クジラの鳴き声のような、それでいて悲痛さを感じさせる音が聞こえてきたのだ。
悲鳴のようにも、慟哭のようにも聞こえるそれに、顔を顰めた。
目に見えない海の化け物が、苦しむ音だった。
手に掴んでいた「餌」にこっぴどく噛み付かれて、驚き、叫び声を上げているのだ。
おぞましい、本当に耳に残るおぞましい声だった。
どの程度のダメージを与えたのかはわからないが、少なからぬ衝撃を与えたはずだ。
このチャンスを逃すべきでは無かった。
「……ッ。機関再始動! 全速で本海域を離脱します!」
おぞましい叫び声から逃げるように、艦体を回す。
そして素早く機関を再始動し、全速で前へと進んだ。
今度は何者にも遮られること無く、イ404は進むことが出来た。
どんどんと速度を上げて、遅れた分を取り戻す。
「手間取りました、急ぎましょう」
『ハシラジマ』まで、あともう少しだ。
霧を信じるなどと言うことは癪に障るが、持ち堪えてくれなければ話にならない。
『白鯨Ⅳ』に礼を伝える電文を打つように命じながら、紀沙は思った。
『ハシラジマ』は今、どうなっているのだろうか、と。
◆ ◆ ◆
疲労――それは、霧の艦艇にとって無縁なものであるはずだった。
しかし、さしもの霧も長時間の戦闘――それも、己と同等以上の能力を持つ相手ともなれば、ナノマテリアルがすぐに欠乏してしまうのである。
人間で言えば、それはまさに「体力の消耗」だった。
「艦体収容後、補修と補給をやるよ! 『ハシラジマ』の工作艦・補給艦を総動員だ!」
工作艦『アカシ』を中心にした受け入れ艦隊は、『ヒエイ』及び『イセ』艦隊の補給作業に忙殺されていた。
何しろ大戦艦級を始めとする大型艦が、量的にも質的にもこれほど消耗する事態など初めてのことだ。
しかも、こうしている間にも前線から被弾した艦艇が補修に戻されているのだ。
ドックはすでに満杯状態に近く、補給艦などは総動員でナノマテリアルを味方に供給している。
「とは言っても、当面は問題ない。艦隊の運用を支えて見せるよ」
「助かります。私達もすぐに前線に戻らなければなりませんので」
「ただ、あまり長続きするようだと流石にパンクするよ。私達だって消耗はするし、何よりナノマテリアルの精製と供給も無尽蔵じゃないんだ……人間は、「想定外」って表現するんだろうね」
「まぁ、正直ここまでの艦隊戦なんて想定して無かったものねぇ」
『アカシ』が言うように、さしもの霧も無尽蔵にナノマテリアルを供給できるわけでは無い。
とは言え、ここまでの事態はかの<大海戦>でも起こらなかった。
今度の相手は、<大海戦>の時に相手をした人類艦隊とは比べ物にならないと言うことか。
「……『コンゴウ』は、想定していたのでしょうか」
『ヒエイ』の呟きに、しかし『アカシ』も『イセ』も答えなかった。
答えたところで、意味など無かったからだ。
ドックでナノマテリアルの供給と、それによる補修を受ける自分達の艦体を見上げながら、しばし『ヒエイ』達の間に無言の時間が過ぎていった。
沈黙が破られたのは、『ヒエイ』が溜息を吐いたからだ。
ただしそれは、戦闘による疲労とか、今後の展望に対する憂鬱などとは全く別のものから来ていた。
指先で眼鏡を押し上げて、からの溜息だった。
目を閉じながら、『ヒエイ』は唇を開いた。
「――――無粋」
3隻の眼は、同じ場所を向いていた。
艦体を修復するナノマテリアルの発光、その影。
「覗き見をするなんて、趣味が良いとは言えませんよ――
ボッ、と影が突然、金色の輝きを放った。
それはやがて盛り上がり、人型の輪郭を取り始める。
現れたのは、長い銀色の髪の――金色の輝きを放つ、
「『ボイジャー2号』」
挨拶のつもりなのか、ぽつりと名乗った。
名乗って、それで終わりだった。
それは、前線の激戦を擦り抜けて、
『コンゴウ』に『ハシラジマ』の守りを託された『ヒエイ』にとって、これ以上の屈辱は無かった。
――――眼鏡を外した『ヒエイ』の両の瞳が、猛々しい光を放った。
投稿キャラクター:
ベータアルファΣ様より『ボイジャー2号』。
有難うございます。
最後までお読み頂き有難うございます。
本編も93話目と言うことで、いよいよわちゃわちゃし始める頃ですね(え)
いろいろやってみたい展開はあるものの、落としどころは私にもまだ見えていません。
さて、どうしたものか。
それでは、また次回。