【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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8.「難題の姫君」

 ――――永夜異変・前日

 

 

 サク、サク、サク。

 柔らかな土を踏みしめるたびに、降り積もった竹の葉がしなる音が耳に滲み込む。僅かに吹き込む風が背の高い竹を揺らしぶつけ合い、硬質でありながら何とも和やかな、竹独特の音色を奏でていた。

 私が今いる位置は、取り敢えず竹林の中である。異常なまでに竹の植生密度が濃く、またとてつもなく範囲の広い竹林の中である。どこを見ても竹しかない為になんとも形容しがたいこの土地は、背の高い竹の葉が重なり合い一種のカーテンの役割を生み出しており、さらに霧が濃いお蔭で、日中でも日が殆ど差し込まない。その為に、日の光を苦手とする私でも日傘無しで十分歩ける親切設計となっていた。

 

 しかし私は、別にここが昼時でも過ごし易くて好きだから歩いている訳では無い。むしろその逆だ。鬱蒼とする竹の光景には、流石に飽きが来始めている。何せ、この林に足を踏み入れて以降の日の入りと日の出の回数を考えると、およそ二日間は閉じ込められている計算になるのだ。私は妖怪であるが故に物理的な飢えや渇きに滅法強いが、飽きというものには弱い。ずっと竹林の中に囲まれていたら、何だか私を囲う竹たちが自然の作り出した檻に見え始めてきた。

 

 まぁはっきり言うと、私は絶賛迷子である。

 

 二日ほど前に漸く幻想郷へ外出する許可が下りて、これでやっと友達探しが再開できると浮足立ちながら散歩へ出かけた。その道中に藤原妹紅と言う少女と出会い、竹林の先に面白いものがあると教えられて足を踏み入れてから、今の今までずっと竹林を歩き続けている。私は妖怪の身であるために疲労に対して極端に強く、その為散歩に歯止めがかかり辛い。昔からいつもフラフラとしていたものだから、つい癖でずっと止まらず歩いてしまっていた。竹林に入ってから迷ったと気がついたのも、二度目の日の出が竹の壁越しにうっすらと見えてきて漸く、である。

 やはり無計画かつ気紛れに歩き続けたのがいけなかったか。せめて妹紅に道標でも聞いておくべきだった。

 

 しかしどうも、この竹林には侵入者を迷わせる結界に似た術式が施されている様で、それが私の行く手を阻んでいるらしい。調べてみたところ、これは幻術の類ではなく地形や風景そのものに干渉するタイプの術の様だ。その影響なのか、ここは常に濃霧が立ち込めていてとにかく竹の成長スピードが早い。十数歩歩いて振り返れば全く別の林に姿を変えているのは当たり前であり、何だか成長しきった竹が枯れて倒れてくる事が無いのが不思議に思えるほどである。霧が濃すぎるために、ただ見えていないだけなのかもしれないが。

 

 術を破壊して無理やり脱出しようかとも考えたのだが、博麗大結界に手を出してしまった経験から憚られた。

 この様に大仰な術を用いている上に、ちらほらと罠が仕掛けてあるところから考えて、十中八九妹紅の言う通りこの竹林の奥には何かが存在しているのだろう。それも厳重に隠さなければない類のものである。であれば、術を破壊しその隠してあるものに悪影響を及ぼしてしまう様な事態を招く方法をとるのは得策ではない。それが万が一幻想郷に関わる重大な秘匿であった場合は最悪だ。紫にはっきりと嫌われてしまう可能性がある。彼女が私の友達候補ナンバーワンの座に就いている以上、それだけは避けねばなるまい。そうでなくても他人に嫌われる要素は魔性だけでお腹一杯なのである。

 

 今は日光が空を支配しているため、飛行による脱出は出来ないが、まぁ嫌でもその内日は沈む。夜になったら飛んで竹林から抜け出せばいい話だ。それまでは、この散歩を続行させてもらうとしよう。

 

 散歩の続行を決めて一歩踏み出そうとしたとき、落ち葉の下に縄が張られている事に気がついた。試しに棒で突いて引っ張ってみると、術で不可視にされていたのだろう一本の竹が突如姿を現したかと思えば凄まじい勢いで跳ね上がり、地面の縄を遥か上の方へ連れ去ってしまった。足を引っかければ忽ち宙吊りにされてしまう獣用のトラップだろう。竹を隠蔽する術と言い、罠の仕掛け方と言い、相当手が込んでいる。よく見ればあちこちに仕掛けられているものだから恐ろしい。紅魔館に訪れるより昔、私を狙っていた討伐隊の者達から住処の周囲に様々な罠を仕掛けられた事があったが、それを掻い潜り続けた経験がこんな所で活かされるとは思わなかった。もっとも、非殺傷用と殺傷用では罠の厭らしさは比べるまでも無いが。

 

 ただこの竹林に仕掛けられた罠達。随分前に仕掛けられたものから、真新しいものまで状態に差異が見られる。今吹っ飛んで行った縄はあまり解れが見られない新品そのものだった。竹を隠していた隠蔽術も、妖力の残滓の濃さから見て最近掛けられたものである。と言う事は、かなりの頻度で罠を仕掛ける何者かがこの近辺を訪れていると言う事ではないだろうか。

 そうなると術を使用して竹林を迷宮化させている理由は、一種の隠れ家を生成する為だと考えられる。日本では確か、『シノビ』と言う隠密集団の隠れ里は、この様に罠や地形を利用した自然の要塞の奥に築き上げていたのだったか。だとすれば、竹林の奥には誰かが住んでいると見て間違いは無い。そこの住民は竹林の構造に精通しているだろうし、何らかの脱出手段も心得ている事だろう。彼らに出会う事が出来、脱出方法を教えて貰えれば私は竹林を抜け出せるかもしれない。

 まぁそれが分かった所で、肝心の彼らを見つけられないのでは意味が無いのだが……。

 

 と、そこで私はある逆転の発想を思い付いた。

 そうだ。押して駄目なら引いてみろと同じように、私が彼らを見つけられないのであれば、見つけてもらえば良いのである。

 罠を仕掛ける者がここを巡回する可能性が高いと分かった以上、わざと罠にかかって待ち伏せしていれば、罠を点検に来るだろう仕掛け人と確実に出会う事が出来る。そこで竹林の出口を教えて貰えばいいのだ。どうせ夜までには時間が有り余っているのだから、少々待つ程度は何てことない。

 

 ただのんびりと散歩する方針から罠にかかって待機する方向性に切り替え、早速待つのに丁度良さそうな罠を探す。数分間探し続けた後、少し深めな落とし穴を見つけた。人間が落ちれば足を挫きそうな程度には深いが、よく見ると穴の底に緩衝材らしき腐葉土が盛られている。先ほどから思っていたのだが、この罠達には一貫して殺傷性が欠片も無く、所々被害者に対する親切心……と言えばおかしいが、とにかく配慮が垣間見える。罠にかけて脅かして竹林を追い出すのが目的なのか、それとも単純に悪戯が目的だったりするのかもしれない。

 取り敢えず仕掛け人の思惑は後々で暇つぶしに考えるとして、私は余計な葉っぱを全て取り去り、ゆっくりと穴の底に降り立った。丁度すっぽり穴の中に納まった所から、大体二メートル弱の深さだろうか。これは仕掛け人の苦労が伺える。

 

 私は早く仕掛け人に気がついて貰えるように、魔力弾を穴底から打ち上げ、空中で勢いよく炸裂させた。盛大な音が竹林内へ浸透していき、ざわざわと竹たちが驚いて身を揺する。

 さて、準備は整った事だし、こうして待っているのも正直暇だ。今後の予定について考えを巡らせておくとしようか。

 そう言えば、紅魔館の者達にお土産でも拵えた方が良いのだろうか? 

 

 

 私は兎である。名前は因幡てゐ。竹の迷宮奥に存在する永遠亭と言う屋敷で暮らしている、しがない兎の一羽だ。趣味は悪戯。特技は幸運を授ける事。ちびっ子妖怪兎たちのリーダーなんかもやっている。

 品行方正な私は今日も一日、お師匠の手伝いを誤差の範囲でサボりつつこなし、厄介事を鈴仙に押し付け、時折私の仕掛けた罠にかかっている人間を麓まで送り返すエキセントリックな日常を過ごしていくために、程ほどに頑張ろうと決意する。ここ最近の私の日常は、基本そのレールの上を気ままに往来しつつある。

 

「リーダー! てゐのリーダーっ!」

 

 そんな時、霧と竹が侵入者の行く手を阻む林の奥にぽつんと、大昔の日本屋敷が存在している空間で、童女の声が突然甲高く響き渡った。続いて門の外から、垂れた兎の耳を頭に生やす、見た目二桁もいっていない程度の幼い容姿をした妖怪兎が、わたわたと足を動かして永遠亭へと駆け込んできた。

 その子は仕事をしている(フリをしていた)私の元へ大急ぎで走り寄ってくると、膝に手を着いて荒い呼吸を繰り返し、私に対して必死に何かを訴えようとしているのか、よく分からないジェスチャーを展開して見せた。

 

「り、りーだっ! 林の奥! 罠! 空の怪物が怯えてるのっ!」

「どうしたおちび。何言ってるのかよく分かんないから少し落ち着きなさいって。深呼吸してちゃんと話してごらん?」

 

 部下である妖怪兎集団の中でも比較的若く幼いこの子の頭を優しく叩きながら、私は報告を促した。イナバのちびっ子は体操の様に深呼吸を繰り返すと、また呼吸が乱れるのではないかと言うくらい大慌てで説明を再開した。

 

「あのね、あのね! リーダーの落とし穴からぽーんって爆弾が飛んでね! それがどっかーんってなったの。そしたら、竹林の上の怪物が落ちてきてね、怖がって泣いてどっかに行っちゃったの!」

 

 余りに突拍子もない発言に、なんだいそりゃ、と思わず口から声が漏れ出せば、ほんとだよっ! とちびっ子は力強く訴えた。

 この屋敷―――お師匠たちが永遠亭と称する建物を囲う竹林には、私がお師匠と契約した為に、人間たちを永遠亭へ近寄らせないよう防護装置兼悪戯用に沢山の罠を仕掛けてある。時折それに林へ迷い込んだ人間が引っ掛かるので、その様を眺めつつ介抱し、竹林の出口を見つけられる幸運を授けるのが私の趣味の一つなのだけれど、はて、今回は妖怪でも掛かったのだろうか。だとすれば放っておけばいい話なのだが、竹林の怪物が怯えたと言う発言が気になる。と言うかあの怪物、まだ竹林に住んでいたのか。ずっと上空の霧の中に潜んでいるもんだから、全く見かけなくなったところもあってもう居なくなったのかと思っていた。ちびっ子の言からどうやら息災だった様だが、アレが怯えるなんて何があったのだろう。たかが爆弾如きで尻尾を巻いて逃げるような、弱っちい奴じゃなかったはずなのだけれど。

 

「取り敢えず何かあったんだね。んじゃ、ちょっくら私が見てくるよ。その爆弾が飛び出したのってどこの罠だい?」

「北北東の十番落とし穴!」

「了解。それじゃあアンタは他のイナバを集めておきな。私がOKと言うまで竹林に出ない事。良いね?」

「分かった。リーダーも気をつけてねっ」

「あいあい」

 

 軽く手を振りながら、北北東の落とし穴へ向かって歩いていく。この竹林は普通なら一度迷えば永遠亭に辿り着くどころか、引き返す事も出来ない迷宮だけれど、私にとっては庭みたいなものだ。自分の仕掛けた罠を掻い潜って件の落とし穴に辿り着くまで、十分と少ししかかからなかった。

 落とし穴が見えてきたところで、周囲を一度確認する。特に目立った損壊だとかは見当たらない。誰かが暴れた訳では無いらしい。まぁこんな所で暴れる奴なんて、姫様と藤原の娘以外に居る訳が無いのだけれど。

 さてさて、罠にかかったお間抜けな奴は誰かな? と私は落とし穴の中を覗き込んだ。穴から爆弾が飛び出してきたという所から、もしかしたら人間が爆竹を鳴らして救援でも呼ぼうとしたのかと思ったからだ。

 

 ……思えば、周囲をもっとよく観察しておくべきだったかもしれない。

 

 例えば、落とし穴に何かが落ちたはずなのに、穴の周辺が全く乱れていなかったり。

 例えば、爆弾が飛んだという所から穴の中に何かが居る筈なのに、中から物音や呻き声の一つも聞こえなかったり。

 

 本気で注意深く徹していれば、確かに気づくはずの違和感があったのだ。でもそれを、私は慢心にかまけて警戒を怠った。結果、不用意に中を覗き込んでしまった。

 そこで、見てしまったのだ。

 覗いたと思ったら、こちらを覗き込んでいた、あの禍々しい瞳を。

 穴の中からまるで蛇の様な二つの瞳が、薄らぼんやりと紫色の光を放ちながら、じっと私を見据えていたのだ。まるで疑似餌に誘き寄せられた獲物を眺めるような、そんな目付きで。

 よく見てみれば、紫水晶の様な瞳の持ち主は、どうやらかなり体格のいい男みたいで。

 もっとよく見れば、何だかすんごく怒っているような雰囲気を垂れ流しにしていて。しかもそれは紫クラスの大妖怪がブチ切れた時に放つ、息が詰まりそうな瘴気と凄く似ていて。

 反面、私を視認した彼の顔には見惚れるような笑みが浮かび上がった。

 

 強者は常に笑顔であると、誰かがそんな言葉を言っていたなぁ―――そんなどうでも良い事を、私は静かに思い出していた。

 ただ、笑顔だからと言って決して機嫌が良い訳では無いのは、長い兎生の中で身をもって経験している。

 ところで、この落とし穴は私が掘ったものである。紛れもない作品のうちの一つである。

 であれば、この怒気とも瘴気ともつかない禍々しいオーラを放ち、目を合わせていると魂を吸いこまれそうになる瞳を湛えるこの男が、次の瞬間罠を仕掛けた張本人たる私にすることは何か。

 

 唐突に、私の頭の中でフラッシュが瞬いた。それは鮮烈な記憶の残滓だった。もう年月を数えるのも億劫になる遥か昔、ちょっとした悪事の末に味わわされたあの凄惨な記憶が鮮明に――――

 

「――――ひィいいやあああああああああああああああああああああああっっ!!?」

 

 気がつけば、私は文字通り脱兎の如く竹林を駆け出していた。最近の私じゃあ考えられないくらい足と腕を思い切り動かして、一切後ろを振り返ることなく一目散に永遠亭へ向かって突っ走った。

 私は兎の妖怪だ。全力で走れば並大抵の妖怪は置いてけぼりにするくらいの自信はある。ましてやここは迷いの竹林と言う名の迷宮だ。この速さで逃げれば、追いつかれる事も永遠亭の場所が露見される事も絶対にない。

 無我夢中で永遠亭の敷地内へ飛び込み、一室の襖を開けて転がり込む。バクバクと高鳴る心臓を抑え込むように胸に手を当てて、何度も深呼吸を繰り返した。

 

「あ、あっぶなかったぁ……まさか大妖怪クラスが落とし穴に引っ掛かってるなんて。爆弾ってのは妖力弾の事だったのかな。あんなおっそろしい瘴気を放つ妖怪が妖力弾を投げれば、そりゃあ怪物も逃げるわね」

 

 ふぅ、と息を吐き出して、頬を叩く。骨の髄が痺れるような感覚が少し残っているが、取り敢えず安全地帯に帰れたことで精神状態は安定してきた。

 漸く平静さを取り戻し、私は入って来た襖を開ける。今日はイナバ達に外へ出ない様忠告をしておかなければならない。もしあの紫眼の大妖怪にイナバ達が見つかって永遠亭の居場所が露見すれば、大妖怪だけでなくお師匠にも殺される。温厚な人物は一度プッツンするととんでもなく恐ろしいのだ。

 木の板で出来た廊下を歩き、私はイナバ達が集っているだろう部屋を目指していく。

 すると、曲がり角で何か固いものにぶつかった。跳ね返される様に仰け反った私は、そのまま尻餅を着いてしまう。鈍い痛みが臀部を波状に駆け抜けた。

 尻を摩りつつ、私はぶつかった相手に対して少し毒づいてしまう。

 

「痛ったぁ……あーもう今日は踏んだり蹴ったりだよ。ちゃんと前見てよね、鈴仙」

「あ、ごめんてゐ。洗濯籠で前が見えなかった」

 

 私にぶつかったらしき人物は、大量の洗濯物が入った竹籠を下ろして私の手を掴んだ。そのまま腕の力を借りて立ち上がる。

 ぶつかった人物は、永遠亭のメンバーの中では比較的最近やってきた新入りだった。

 私たちとは違い、外の世界の『ぶれざー』とかいう制服を模した服に丈の短いスカートを身に纏い、サラサラと流れる長い薄紫の髪やすらっとした手足が特徴的な兎少女―――鈴仙・優曇華院・イナバは、私の顔を見るとぎょっとした様に目を見開いた。

 

「ちょ、ちょっとてゐ大丈夫? 何だか顔が青いけど……」

 

 言われて、額に手を当ててみると心なしかいつもより体温が低いように感じられた。

 どうやら私は、あの男を見て余程のパニックを起こしたらしい。それこそまさに、血の気が引いてしまう程にだ。

 何でもないよ、とだけ鈴仙に伝えて、私はふとある事を思い付いた。

 鈴仙は、実は地上の兎が妖怪化したものではない。そもそもこの星では無くて、月の世界の兎なのだ。同じ月の出身であるお師匠たちは確か、彼女たちのことを玉兎と呼んでいたかな。兎に角、月の都出身の鈴仙は、ある能力が使える。その名も『狂気を操る程度の能力』。名前の通り、鈴仙の瞳を見た相手の感情の振れ幅を極端に短くすることで、短気を通り越して狂気に走らせる能力だ。

 ……とは言うものの、実際の能力は波長を操る力である。音や光を筆頭とした波長を自在にコントロールし位相をずらす事で幻覚を見せたり、光を収束してレーザーを放つことが可能だ。この能力の副産物として、感情の波長を乱れさせることで狂気を生み出すのである。鈴仙の能力は、とにかく応用性が広いのが特徴なのだ。

 つまり、使いようによっては波長を精密にコントロールする事で、ある程度離れた物体の位置が分かると言う事になる。エコーロケーション然り、生体電磁波の受信然り。

 

「鈴仙っ。あんた、ちょっと能力使って永遠亭の周囲をサーチしてみて」

「へ?」

「理由はあとで説明するから。さ、早く!」

「もう……また何か企んでるんじゃないでしょうね。えーっと、何を探せばいいの?」

「取り敢えず見慣れない……って言い方は変なのかな? まぁ感じた事の無い波長を見つけたらその位置を教えて」

 

 分かった、と鈴仙は瞼を閉じて、能力に意識を集中させた。普段垂れている耳が、ほんの少しピンと背筋を伸ばす。

 

「ん、んー……? 何これ。何だかすっごい滅茶苦茶な波長を放ってる奴がいるんだけど……もしかしてこれがてゐの探してるもの?」

「多分それね。で、どこにいるの?」

「どこにいるも何も、永遠亭の門の前に居るわよ」

 

 ―――――――は?

 

「ごめん、鈴仙聞き間違えたかも。もう一回言って?」

「だから、玄関の前に居るのよ」

 

 ビシリ、と石化した私の体に細い亀裂が幾重にも刻まれた感覚を、確かに感じた。

 まさか。何かの冗談だろう――そう言えたら、どれだけ良かったことだろうか。

 あの男は穴から直ぐに脱出したどころか、濃霧と竹が覆い尽くす迷いの竹林の中で逃亡した私を見失うことなく、追跡してここまで辿り着いたと言うのか?  

 直後、脳裏に電流の様な衝撃が走った感覚があった。それは私の汗腺をこじ開けて、冷や汗を額と手のひらに滲ませる。

 よく考えてみろ。あの男は何故、直ぐに出られる穴の中でわざわざじっとしていたのだ。何故妖力弾を使って私たちにその居場所を知らせるような真似をしたのだ。

 

 答えは簡単。罠を仕掛けた私を誘き寄せて、その後を追う事で竹林を脱出しようと考えたからだ。

 更にもっと疑えば、奴は永遠亭の存在を何らかの手段で掴み取って、ここを探していた可能性がある。その場合、竹林から抜け出そうとしたのではなくこの永遠亭を見つけ出す事が目的になってくる。

 更に更に、つい先日鈴仙が月の都から招集の指令を受け取っていたらしいではないか。内容はこうだ。『満月の夜に迎えに行く。抵抗しても無駄だ』……そしてメッセージが示す満月の夜とは、他でもない今夜なのである。

 つまり、私は。

 月の都から派遣された妖怪兵器を、ここまで招き入れてしまったと言う事に――――!?

 目の前が真っ暗どころか、真っ赤になった気さえした。ぐらぐらと視界が揺れて、頭の血液全てが下降していくような気さえした。

 

 ああ、それもこれも鈴仙が日頃の恨みを仕返しする為に、能力を使って私を狂気に沈めて見せている幻覚なんだろうそうなんだろうお願いそうだと言って私は怒らないからぁ!

 

 ごちゃごちゃになった脳内で私は壮絶な悲鳴を上げるも、現実の私はお先真っ暗な未来を前に呆然とすることしか出来なかった。ただ、以前お師匠から聞いた死の直前には頭が酷く鮮明になると言う言葉通りに、私はとてもクリアな思考の海の中で、簡素な一文を思い浮かべていた。

 やべぇ、殺される。

 月の都から逃亡した姫様を一途に守り続けるお師匠に、私が間接的かつ不可抗力にも裏切り行為を働いたと知れたらどうなるか。そんなの、空の色は何色ですかと言う質問より単純明快だ。

 

 どうしよう、逃げるか? いや無理だ。ならもういっそのこと被害者面全開……と言うより今回ばかりは本当に被害者だからお師匠に早く助けを求めるか。でもお師匠は何やらずっと術を編み続けているし、ああもうどうすればこの危機から逃れる事が出来る―――

 

「んん? しかも、これって」

 

 目からハイライトが確実に消えている私を引き上げるように、鈴仙は言葉を再び紡ぎ始めた。

 同時に、彼女自身の表情へ焦りの色が濃厚に浮かび上がる。

 

「え? なんで姫様が門にいるの?」

 

 その一言が確実なトドメの一撃となり、私のハートは完膚なきまでに破壊された。

 灰になりそうな心情の中、白目を剥いた私はただ静かな確信を得る。

 

 ああ、完璧に終わった。

 さよなら、私の華麗なる兎生。

 

 近いうちに訪れる、見知らぬ大妖怪とお師匠の怒りを受けるだろう未来を前に、今度こそ視界が黒一色に染まった。

 

 

 童話の世界にでも入り込んだような気分になった。

 と言うのも、落とし穴の中で仕掛け人を待とう作戦を行った結果やって来た仕掛け人―――妖怪兎の少女が私を見て悲鳴を上げながら逃走したため、見失えば竹林から夜まで出られなくなると考えた私はその少女を頑張って追跡したのだが、何やら幻想的な地に辿り着いてしまったからである。幻想郷なのに幻想的な地とはこれ如何に。

 

 そこには、私の記憶が正しければ随分前の日本屋敷がそのままの形で存在していた。

 竹林の中とは考えられないほどに霧が晴れていて、屋敷の周辺だけが竹林にぽっかりと穴が空いている様な感覚だ。屋敷の上空には認識阻害結界が張り巡らされている以外にこれと言って違いは無く、今まで忘れかけていた太陽の光が燦々と降り注いでいる。日の光は漆の様に黒い瓦を輝かせ、そして木の柱を、門を、屋敷の全てを光で修飾し、深く自然と調和させていた。これが和の齎す『ワビサビ』なのかと妙な確信を抱いてしまう程に、それはそれは美しい景観だった。

 目的としていた人の住処を見つけられた事は喜ばしい。しかしここで、一つだけ問題が浮上してくる。

 私はこの降り注ぐ日光の下を歩けない……つまり竹林から屋敷にまで辿り着けないと言う事であるのだが。

 

 さて、困った。たった十数メートルの距離なのに、日光のせいであまりに遠い。まるで私と誰とも分からない将来の友達までを隔てる果てしない道のりの様である。しかしここまで来てまた竹林の中に引き返すと言うのはあまり選択したくない決断だ。友人探しをする点から見ればこの様な秘境の隠れ家に辿り着けたのは大きいが、今回の散歩目的はあくまで視察だ。ならばこれ以上住民を刺激しないよう出口までの道のりを伺って……出来る事なら日傘を借りて帰宅するとしようか。ここの住人がとても良い人だった場合は是非とも友達になりたいし、その時はまた、借りた傘を返す為にここを訪れて接触すればいい話だ。

 そうと決まれば……と言いたいところだが、根本的にどうやって門の前まで移動しようか考えて、また思考が手詰まりを起こす。何だかこのままでは無限ループに陥りそうである。

 

 物は試しに、人差し指の先だけを日光に晒してみる事にした。もしかしたら昔よりほんの少しは耐性がついているかもしれな―――

 

「っ」

 

 燃えた。呆気なく黒い煙の様なものを巻き上げて、指先はいとも容易く炭化してしまった。

 猛烈な激痛が指を襲う。じゅうじゅうと音を立てて崩れる指を慌てて引っ込めて、魔力を循環させ再生を促す。

 前々から思っているのだが、何故私だけ他の吸血鬼よりも日光耐性が低いのだろうか。昔、私の言いつけを破って好奇心の赴くままに昼の外へ飛び出したレミリアやフランも、日光を浴びてから私が見つけるまでの5分近くの間、燃える事無く活動出来たと言うのに。ただ、燃えないとは言っても全身が日焼けで猛烈に赤くなっていたが。そしてその様子を見た他の吸血鬼達が何を勘違いしたか、私が言う事を聞かない彼女たちへ罰を与えるためにわざと太陽の下へ放り投げたと思い込んで、スパルタ大魔王だと誤認されたのは言うまでもない。

 

 指が生え治った所で、改めて屋敷を見る。

 ふーむ、やはり夜だけの散歩だと高を括って日傘を持たなかったのがいけなかったか。折角自分用にカスタマイズした広範囲の日光を遮断する日傘を作ったと言うのに。

 しかしこのままじっとしている訳にもいかない。仕方がないので、私は強硬手段をとる事にした。

 コートを脱ぎ、それで頭部を覆い隠す。直射日光さえ当たらなければ問題ではないのだ。確実に露出している両手は間違いなくやられるが、全身が灰にならなければ再生は可能である。全身を灰にした事が無いのでそこはあまり自信が無いのだけれど、兎に角治るのなら多少の怪我は目を瞑ろう。

 

 意を決して、私は日光の中に飛び込んだ。日の元に晒された途端両手が悲鳴を上げ、炭から舞い上がる煤の様に分解されていく。激痛を抑え込みながらも、私は瞬時に門の日陰部分まで辿り着いた。

 どうにか、一息。

 無くなった両手を再生させて、さてこれからどうやって住人と接触しようか考える。建造物自体があまりに古く、当然ながら電気など通っている訳が無いので呼び鈴は無い。ノッカーも見当たらず、そもそもこの屋敷は来客が来ることを想定した造りとなっていない事が伺えた。私は招かれていない家に入れないなんてことは無いが、無用に侵入する事など出来る筈がない。住人から一気に警戒される事は元より、失礼極まりないのは明白である。感性がずれていることは認めるが、常識は弁えているつもりだ。

 取り敢えず、一旦休憩しようと顔を覆うコートを剥いで門の影に腰かける。未だにジクジクと痛む手を見ると、やはり日光のダメージは大きいのか、骨と肉までは完璧に戻ったものの手の皮膚は酷く焼け爛れていた。魔力を回してはいるが、再生がなかなか進まない。難儀な体質である。

 

「あら、貴方は誰?」

 

 唐突だった。怪我の具合を見ていた私の耳に、澄み渡った青空の様な美しい声が聞こえたのだ。

 振り向くと、それはそれは美麗な少女が、不思議そうに私を伺っていた。

 腰元まで伸びる艶やかな黒髪に、白磁の様に白い肌。西洋出身者の多い紅魔館の彼女たちとはまた違った美しさを持つ顔貌。ピンクを基調とした上着に、赤い下地へ竹や梅、月や桜と言った日本の象徴を連想させる金の刺繍が施された長いスカートは、和の着物と言うより和風のドレスの様な印象を私に与えた。

 

「こんな所に人が来るなんて……いえ、妖怪さんかしら? 珍しい事もあるものねー」

 

 宝石の球の様に大きな眼で私を捉えながら、少女はコロコロと笑った。その可憐な笑顔に、私は驚きを隠す事が出来なかった。無論惚れただとかそういう意味合いでは無くて、彼女が何の敵意も示さず笑いかけてきた事実に対してである。

 あまりに驚愕したものだから、ついこんな事を口走ってしまった。

 

「君は、私が怖くないのかい?」

「んー? 多分怖いわよ。何だかあなたを見てると背中の辺りがぞわぞわするもの。でも長らくこんな感情抱いた事が無かったから、何だか新鮮な気持ち。それより、そんな事を自分から聞いてくるあなたの方がもっと新鮮よ」

「……本当かい?」

「ええ。ずっと長い事のんびり生きていると、感覚が麻痺してくるのよね。だから真新しいものが何でも面白く感じるの。ところであなたは何て名前? どんな種族の妖怪なの?」

 

 ―――私は、あまりの衝撃に思考が焼き切れたかと錯覚した。実はあの時コートがずれて日光をモロに浴びた私は死んでいて、あの世の慈悲深い天女が私を憐れんで最期の幻覚を見せているのではないかとすら思えた。

 この少女、私に対して警戒だとか、そんなマイナスの感情を全く抱いている様子がない。それどころか私に興味を向けている様にも見える。紫とはまた違った、とても暖かな交友の橋が掛かったように感じた。

 もしかしたら、今の私はどうしようもなく頬が緩んでいるかもしれない。正直な話、自分がどの様な顔をしているのか、まるで見当がつかないのだ。

 

「失礼した。私はナハト。一応吸血鬼と言う種族だ。誤解しないでほしいのだけれど、私は君に一切危害を加える様な真似をするつもりは無いよ。君が怖いと感じているのは、私の体から人の心に作用する瘴気が制御できずに放たれているからで、私自身が威圧をしている訳では無いのだ。分かってもらえると嬉しい」

「へぇー、不便な能力ね。制御できないなんて。他人を怖がらせちゃうのは結構大変なんじゃない?」

 

 能力の事を説明しても、彼女は疑う素振りすら見せない。そうなんだ、と簡単に納得してくれて、何事も無いように信じてくれている。

 なんて、なんて素晴らしい少女なのだろう。本当にこれは夢ではないのだろうか。夢だとしたら醒めないでほしい。切実に。

 

「お蔭でよく誤解されて困っている。君も私を追い出すのではないかと思って冷や冷やしていた位だ」

「こんな面白そうなこと、わざわざ自分から手放す様な真似なんてしないわ。あ、所できゅーけつきって言ってたわよね? もしかして串刺し公で有名なあの貴族の親戚だったりするのかしら」

「彼は人間からの畏怖を受けて吸血鬼になった者だが、私は生まれた時から吸血鬼だ。だから直接的な関係は無いよ」

「そうなの。でも私、吸血鬼って初めて見たわ。手が酷い火傷だけど、それはやっぱり日光のせいなの?」

「ああすまない。見苦しいものを見せてしまった。君の言う通り、私は日の元に出られない体なんだ」

「それなのに真昼間からこんな所に?」

「本当は二日前の夜に引き返す予定だったのだがね。少し魔が差して竹林に足を踏み入れたら、迷子になってしまったのだ」

 

 ええ? と彼女は驚いた様に口に手を当てた。直後に、クスクスと子供の様な笑みを浮かべる。

 

「それで今までずっと迷い続けてたって訳? あははははっ。あなた、見かけは凄く威厳に溢れているのにドジな妖怪さんなのね。面白いわ」

「恥ずかしい限りだね」

 

 …………この気持ちを、どう形容すればいいのか分からない。嬉しいと言うべきなのか、達成感と言うべきなのか。あぁ、やっとこの時が来たかと待ち焦がれていた気持ちなのか。一つだけ言える事は、彼女はもしかして本物の女神なのではないかと言う事だ。

 初対面だと言うのに他愛のない会話が弾み、会話相手の彼女はコロコロと笑顔を浮かべている。何千何百年と探し続けた出会いがこうもあっさりと訪れて、内心色々な感情がぐちゃぐちゃになっていた。

 紫よ、改めて私は君にお礼を言いたい。私に楽園へ住む許可をくれてありがとう。まだ捕らぬ狸の皮算用でも、私は幻想郷に来た甲斐があったというものだ。

 

 彼女はポン、と手を叩くと、ちょっと待っていてとだけ言い残して屋敷の中に引き返していった。

 続いて、中から声が聞こえてくる。

 

『イナバー居るー? ちょっと大きめの唐傘を持ってきてほしいのだけれど……あら、何でてゐが白目剥いて気絶してるの?』

『姫様! いや、それがよく分からないのですが、何故かいきなり気を失っちゃって』

『あらら、年かしら。後で永琳に診て貰わないとね。それにしてもてゐが気絶するだなんて珍しい事もあるものね。本当、今日は珍しい事尽くしだわ。永琳も術の展開準備を進めてるみたいだし……ああ、そうそう傘よ、傘。イナバ、傘はどこ?』 

『えっと、物置にある筈ですが……どうかされましたか?』

『お客さん用に要るのよ。今そこにいるのだけれど、日光が駄目みたいで苦労してるの。だから貸してあげようと思って。大丈夫、あの穢れ方からして月の手先じゃないわ』

『そ、そうなんですか』

『あなたはてゐを安静にしておいてあげて。私は傘取って来るから』

『あ、はい。分かりました。何かあったらすぐに駆けつけますから』

『平気よ。永琳もいるし』

 

 それから暫くの後、彼女は唐傘をもって現れた。それを私に渡すと、ちょいちょいと小さく手招きをした。入れ、と言っているのだろうか。

 私はそれに応じて、日本屋敷の中へ足を踏み入れる事にした。日傘を差し、彼女の背中を付いていく。

 玄関口に通され、姫様と呼ばれていた少女の後をただ歩き続けた。靴を脱いで屋内に上がるのが何だか新鮮に感じ、ソックス越しに感じる木の板の感触が何だか心地良い。

 改めて内装を見ると、時間が止まっているのではないかと思うくらい綺麗に整っていた。痛んでいる箇所が一つも見当たらないのだ。まるで新築そのもので、まさに童話の世界と言った印象を受けた。

 

 一つの座敷にまで通されて、私と少女は対面する形で腰を下ろした。座布団や畳と言った物も大昔に少し体験した程度で縁が無かったので、とても鮮烈だ。

 

「そう言えば、私の名前を言ってなかったわね。私は蓬莱山輝夜よ。輝夜で良いわ」

「了解した、輝夜。私も気軽にナハトと呼んでくれて構わないよ」

 

 やっぱり西洋の名前って新鮮ね、と彼女は薄く笑った。

 

「日の光から匿ってくれてありがとう。何かお礼をしたいのだが……今は生憎手持ちが無くてね」

「気にしなくていいわ。お礼がしたいなら、私はあなたの話が聞きたい。ここで暮らしていると退屈で仕方がないのよ」

「そんな事でいいのならば、お安い御用だ」

 

 それから私は、彼女に様々な話を語り続けた。大昔の大災害の話。私が不可抗力にも巻き込まれた事件の話。他愛もない趣味の話。様々な文化圏の話。旅の途中で出会った信じられないものの話。外の世界の多彩な武芸の話。植物や動物の話。魔法や術に関する話、エトセトラ。兎に角、私が今まで経験してきた膨大な知識を全て解放した。それらの話題全てに彼女は相槌を丁寧に打ってくれて、時には笑い、時には驚き、時にはとても真剣な表情を浮かべて食い入るように聞いてくれた。

 その時間はまさに、私が今まで渇望してやまなかったものの全てと言っても過言では無くて。気がつくと私は、日が完全に沈んでしまう時間帯までずっと話を続けていた。

 

「おっと、少し話し込み過ぎてしまった。もう暗くなっている様だね」

「あら、もうそんな時間なのね。楽しいと時間っていうものは本当にあっという間だわ。こんなに早い一日は久しぶり」

 

 楽しい―――そんな風に言われたのは、もしかして初めてなのではないだろうか。今まで蔑まれ、拒絶され、排斥され続けた私にとっては、むしろこちらの方こそ本当に楽しいと思える時間だった。このまま紅魔館に帰るのが億劫に感じてしまう程だ。楽しすぎて帰りたくないと言う感情が私にもあるとは、何だか妙に照れ臭く感じる。

 

 ……よく考えてみれば―――いや、考えずともこれはまたとないチャンスではないか。彼女自身との相性もよさそうだし、何より私を拒絶する素振りが全くない。今の今までずっと探し求め続けて来た人物が今、目の前にいるのだ。私の友達となってくれるかもしれない、蓬莱山輝夜と言う素晴らしい少女が。

 これはもう、頼むしかないだろう。言うしか、無いだろう。

 

「輝夜」

「なに?」

 

 友達になってくれないか。それだけを言えばいいのに、酷い緊張を私は覚えた。全身が硬直し、落ち着かない。何だこれは。これではまるで告白しようとする初心な子供の様ではないか。一体どれだけの年月を生き続けてきたと思っている。

 感情を抑え込む。今は少しだけ冷たく、穏やかになろう。そうしなければ、間違いなく失敗してしまう。紫の時の様に機会を逃すような事があってはならない。

 

「私は言ったように、今まで能力のせいで誤解され続けて来てね。そのせいで、友人と呼べるものが居ないんだ。だから、もしよければ、私と友達になってはくれないか」

 

 彼女が返事を口から紡ぐまでの、ほんの僅かな時間が、あまりに重く、あまりに苦しい沈黙であるかのように感じた。

 彼女は、ぱちぱちと瞬きをして、花吹雪のように艶やかな微笑みを浮かべ、

 

「良いわよ」

 

 とても穏やかに、簡素に。拍子抜けする位呆気なく、二つ返事を返したのだ。

 内心、思い切りガッツポーズをしたい強い衝動に駆られる。驚くほど頭が晴れた。途方に暮れるような永い時の中、ずっとずっと求め続けて来た答えが今、遂に現実のものとなったのだと確かに実感したのだ。

 

「でも、条件があるわ」

 

 そこで彼女は、悪戯っ子の様な口調で付け足した。私はその言葉で、完全な平静を取り戻す。成程、本題はここからと言う事か。どうやら浮かれている場合では無い様だ。

 

「ナハト。あなたは竹取物語のかぐや姫を知ってる?」

 

 彼女が口にしたワードから、私は該当する知識を掘り起こす。

 竹取物語。たしか平安時代初期に成立した日本最古の物語だったか。内容はざっくばらんに解説すれば、光る竹から生まれた小さな女の子を翁が拾い育てる所から始まり、美しく成長した女の子はその後都へ住居を移すと、その美麗さから都中の公達の注目の的となり、求婚され続けるようになる。その末に女の子―――かぐや姫を諦めなかった五人の公達へ姫は難題を与え、最終的にこれを退ける。するとかぐや姫の噂は遂に当時の帝の耳にまで及び、かぐや姫は帝に迫られるも、姫は月からの使者が自分を連れ戻しに来ると伝え、十五夜の夜に使者に迎えられて月に帰って行った、と言う話だ。

 ……もしや、かぐや姫と『輝夜』とは。

 

「知っているとも。もしかしてだが、君はかぐや姫の関係者か、血縁者なのかな?」

「いいえ、私がかぐや姫本人よ」

 

 やはり、か。

 別段、これと言って驚きはしなかった。話の通りならばかぐや姫は月の住人であり、地上人とは違う事は明白な上、物語には不死の薬などと言う代物まで登場する程だ。何が要因となってかは知らないが、大昔から永らく生き続けていたとしても不思議ではない。 

 であれば、かぐや姫本人である彼女が私に与えようとしている条件は、言うまでも無く。

 

「まぁ、あの物語を知っているのなら話は早いわ。私は昔から、親密になりたがる男の人には難題を与えるようにしているの。私に対する、気持ちの強さを証明してもらうために」

「……難題、か。私は別に、求婚しようとしている訳でないのだけれどね」

「でも、昔の人たちに対して不公平じゃない? だからあなたにも難題は受けて貰うわ。それをクリアできれば、私はあなたと友達になってあげる」

 

 そういう彼女は、悪戯っ子の様な笑顔を浮かべた。

 こうは言っているが、恐らく只の暇つぶしか何かなのではないか。話していてよく分かったが、彼女はとても好奇心が強く、退屈を嫌う。そんな彼女が難題を出すと言って来たのは、ただ単純に友達になるのはつまらない―――そんな風に考えての事だろう。

 ならば私はそれに応えようではないか。元より一癖も二癖もある者を受け入れる準備はとうの昔に出来ているのだ。むしろ私の方こそ誰にも受け入れて貰えなかった身の上である。この提案を突っぱねると言う愚考が浮かぶはずも無かった。

 

「して、その難題とは?」

「そうねぇ」

 

 彼女は顎に手を当てて、視線を上にやる。

 数拍の間考えを巡らせた彼女は、徐に手を叩いて、私に柔らかく微笑みかけた。そして彼女が出した難題とは――――

 

「蓬莱人の死……なんてどう?」

 

 

 

 

 ―――――――――なに?

 

 

 少女が一人、誰も居ない部屋で静かに座っている空間があった。見慣れた座敷の筈なのに、どこか別世界のように感じるその空間は、ずっと見守っていた私の感覚を狂わせようとする。並々ならぬ雰囲気が、その部屋を漂っていたのだ。

 それはまさに、月の狂気の様な。

 

「永琳、術の準備はもう終わったの?」

 

 静かで淑やかなあの子の声が響く。応じて私は、隠れていた壁の影から身を乗り出し、彼女の背後へ歩み寄った。

 優美に足を下ろしている少女―――輝夜は、私に振り向く事無く、ただただ、静かに前を見つめている。先ほどまで、あの男が座っていた空間へ。

 

「気づいていたのね」

「そりゃあね。あれだけ後ろから殺気を放たれてたら嫌でも気づくわ。もう、折角のお客さんだったのにそんな風に敵意を出してちゃ駄目じゃない。途中で帰っちゃうかと思って冷や冷やしたわよ」

 

 お客さんとは、どうやってここまで辿り着いたのか分からないが、突然この屋敷を訪れた妖怪の事だ。視線を釘付けにされそうになる芸術の域に達した容姿を持ち、それに相反するように、全身から途轍もない穢れと魔力を放ち続けるあの青年の事だ。

 先ほどの彼女たちのやり取りを思い出して、思わず私は歯噛みする。

 

「あの男はただの妖怪ではないわ。いや、むしろ妖怪と言うカテゴリーに分類すべきかどうかも怪しいものよ。疑って当然でしょう」

「そうなの? まぁ、確かに一緒にいると怖いけれどね。本当、足が震えそうになったのも久しぶりで面白かったわ」

 

 彼女は笑う。からからと、まるで恐怖が何事でもないかのように笑う。

 一見すると眩しいその笑顔が、どうしようもなく私の心を蝕んだ。

 輝夜は、今自分がどの様な状態に陥っているのかまるで分かっていない。それだけではなくて、私たち蓬莱人が怖いと言う感情を覚えたあの青年の存在が、どの様な意味を持っているのかも理解出来ていない。

 けれど私が今説明したところで、きっと輝夜は耳を貸さないだろう。いや、今の彼女では理解できないのだ。今の輝夜では、私の真意は伝わらない。汲み取ることが出来ない。

 

「……ところで、輝夜。貴女は何故、あの男にあんな難題を出したの? 丁寧に妹紅の存在まで教えて。あれじゃあ妹紅を殺してくれと言っているようなものよ」

「えー? そんなつもりは無かったんだけどなぁ。だって、別に求婚されてる訳じゃないんだもん。ヒントのあるイージーモードでも良いじゃない? 結果としても友達になるだけなんだから」

「あの男が、本当に妹紅を殺せるような存在だとしても?」

 

 静かに、私は輝夜へ問う。この言葉に偽りはない。彼を見た私の予測が、計測が、すべて正しいのであるならば。あの男は例外的に、絶対の不死者である私たち蓬莱人を確実に葬る力を兼ね備えている。穢れがどうとかいう問題ではない。あの男は、この目で見るまで信じることは出来なかったのだが、まさしく私たちにとって天敵と言える存在なのだ。本来ならば存在する事すらなかっただろう、唯一無二の天敵なのである。

 聡い彼女は、私の言葉に含まれる真意を理解しているだろう。事実、彼女はあっけらかんとした調子で、私に答えた。

 

「万が一なんてものが起こったら、その時はその時じゃない? 居なくなった妹紅の代わりに、ナハトには蓬莱人にでもなって貰って、ずっと一緒に居て貰おうかしら。むしろその方が、彼にとっても良いのかもしれないわね。あまり難題に乗り気じゃなかった様子だけれど」

 

 本来ならばこの世のどんな物より可憐である筈の彼女の笑顔が。この世のどんなものよりも恐ろしいものとして私の眼に映った。背筋が凍る。ぞくりとした感覚が脊髄から脳まで駆け抜けていった。

 確かに、輝夜と妹紅と言う少女は殺し殺される関係である。でもそれは、死なない蓬莱人同士だからこそ……永劫を宿命づけられた蓬莱人だからこそ出来る、ちょっとしたスキンシップのようなものなのだ。彼女たちが互いにいがみ合うでも、憎み合うでも、心の燃料を燃やし続けている限り精神は死ぬことは無い。長すぎる生の中での彼女たちの因縁は、歪な持ちつ持たれつの関係にあるのだ。それを彼女たちは、意識的にも無意識的にもちゃんと理解している。例えどれだけ衝突し喧嘩しても、互いに無くてはならないものなのだと、ちゃんと理解している。

 

 理解している、筈だった。

 

 ああ、自覚は無いけれど、この子はやはり……っ。

 私はもう、いてもたってもいられなくなった。限界だ。これ以上彼女を放置しておくわけにはいかない。今の私ではどうする事も出来ないのは分かっている。だからこそ、猫の手でも借りるくらいの気持ちで頼るしかない。

 あの男に……蓬莱人に恐怖を呼び覚ました異端の吸血鬼の力に、今は頼るしか道は無い。

 

 ごめんなさい、失礼するわと彼女に伝えて、私は足早に外へと駆けだした。あの男はまだ屋敷を出てからそんなに経っていない。案内通りに竹林を抜け出すまで遠くには行っていない筈だ。今ならまだ間に合う。

 足を忙しく動かして、走る。靴を履く余裕なんてなかった。まるで運命が導いてくれたようなこのチャンスを、逃してしまう訳にはいかないからだ。

 予測通り、彼は屋敷から直ぐ近くにいた。闇夜に溶け込むように月を眺めていた彼の背中に、私は深呼吸をして声をかける。

 

「ごめんなさい、ちょっとだけ時間を貰えないかしら」

 

 彼はゆっくりと振り返り、私を見た。相変わらず、視界に映すだけでも、遥かな時を生き続けた蓬莱人の私でさえ理不尽なほどに身震いを起こしそうな、禍々しくも美しい青年だった。

 震えを殺し、私は言葉を絞り出す。時間は無い。猶予も無い。ならば一刻も早く策を講じるのみ。

 

「私は永琳。八意永琳。輝夜の従者をしている者よ。初対面の貴方にこんな事を言うのは、無礼だと分かってる。でも、どうしても貴方にお願いしたいことがあるの」

「……わざわざ私に尋ねてくるなんて、それは一体どんなお願いだね? 私で良ければ力になろう」

 

 魂に溶け込んで来るかのような、甘美な声を響かせて彼は言った。魔性の声に負けないよう意識を強く保ち、私は言う。天敵であり、そしてあの子を救う要と成り得る、この青年に向かって強く、懇願の意を示す。

 

「恥を忍んで単刀直入に言うわ。――――お願い、姫を助けて」

 

 

 






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