【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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9.「月下で踊れ、乱れ桜と境界の乙女」

 

 

 ――――永夜異変・始動

 

 

 

「この位の時期って夜は結構過ごし易いわよねー。何だかいいお散歩日和だわっ。あの月が本物だったら尚いいのに。ねね、霊夢もそう思わない?」

「……、」

「あ、霊夢もしかしてこれ欲しい? 藍特製の甘納豆。甘くてヘルシーでとっても美味しいのよ」

「ああーっ! 紫だけ甘いもの食べてるずるい私にも頂戴! さもないと甘納豆一粒につき体重が一キロ増える呪いをかけるわっ」

「何それ地味に怖い……!? まったく、幽々子は昔から甘いものに目が無いんだから。はい、あーん」

「あーぐ」

「ひぎぃっ!? 何で指ごと齧りつくのよこの馬鹿!」

「紫は袋一杯に持ってるのに、私には一粒しかくれないなんてケチケチするからよう」

 

 ……私は。

 私は、異変解決に向けて出撃している真っ最中の筈だ。至極面倒臭くて、それでも巫女としてちゃんと解決しなくてはならないから眠いのを我慢してこんな真夜中に異変解決を完遂するため、幻想郷を奔走している筈なのだ。他ならない、幻想郷の平穏の為に。

 

 それを何がどうなれば、最近品格を疑いつつあるけれど一応幻想郷の賢者らしい紫と冥界の管轄者たる亡霊姫がぎゃあぎゃあ甘納豆を取り合いながら異変解決を行うと言う、奇天烈極まりない状況になってしまうのか。頭が痛いのは気のせいでは無いはずだ。

 

 今回は紫が直接出てくる位の大異変らしいので、珍しく……と言うか多分初めて協力して行動しているのだけれど、これだけ五月蠅いともう彼女たちを異変の元凶認定してしまっていいんじゃないかなと思い始めてしまう。そもそも今が異変の真っ最中だし、どさくさに紛れて退治してしまっても誰も文句を言わないのではないか。いや、言ってくるか。主に目の前のポンコツ賢者が、涙目で拗ねて文句を垂れてくるだろう。面倒臭いので取り敢えず放置しておくことにする。

 

 私は頭痛の様な感覚を額に覚えながら、何故こんな事になったのか、つい先ほどの記憶を掘り起こす作業を始めた。

 

 

 

『霊夢ぅ♪ なんか月が凄い事になってるから異変解決にいっくわよーってあいたぁっ!? な、なんで陰陽玉ぶつけるの!? それ妖怪にはすっごく痛いんだからね!?』

 

 それは、虫の囁きしか聞こえない様な真夜中の出来事だった。その日はいつもの様に神社を掃除して、お茶を飲んで、洗濯をして、のんびり一日を終える事が出来たから、また明日もこんな日だと良いなぁおやすみー、と気持ちよく寝床についてお布団の心地よさを思う存分堪能していた訳なのだが、突如スキマ妖怪が神経を二往復ぐらい逆撫でする猫みたいな声で私を叩き起こして来た。一日の締めとも言える睡眠を邪魔された事と、同性に対してはイラつかせる効果しかない甘え声で起こされたと言う二重苦を味わった末、私はスキマに思い切り陰陽玉を食らわせてやった。そしたら涙目でふぇぇとか抜かして来たので陰陽玉を振りかぶり直すと、『はい冗談でーすごめんなさいこれからゆかりん品行方正な妖怪になるわだからもう陰陽玉でいぢめないでぇ!?』と喚きだす始末。これ以上攻撃するとさらに喧しくなるのは分かっていたので、その時は取り敢えず矛を収めた。

 

 彼女は咳ばらいを一つするとパンパンと手を叩き、乾いた音を勢いよく鳴らした。寝起きの耳にはそれが怒鳴り声の如く五月蠅かった。

 

『改めて、霊夢。夜中だけど早速お仕事の時間よ。異変が起きたわっ』

 

 そう言って紫は、夜空で絢爛と輝く満月を指差した。何が異変なのだろうかと、ぼんやりとした頭で紫の言葉を探ったのを覚えている。私には月見酒が進みそうな真ん丸お月様が浮かんでいる様にしか見えないのだが、と眉間に皺を寄せた。すると彼女は、現在月に起こっている異常について説明を始めたのである。

 

 曰く、何者かに本物の月が隠されてしまっているとの事。

 曰く、その月は普通ではありえない量の魔力と狂気を地上に降り注いでいて、このまま放置しておけば月の力を存分に食らわされた妖怪が錯乱を起こしてしまい、幻想郷が危険に晒される可能性が高くなるとの事。

 曰く、だからこの夜が明ける前に異変解決をしちゃいましょう、その為に夜を止めておいたわとの事。

 

 人間の私にはいまいち月に起こった明確な変化が掴み取れなかったが、何となく月を眺めていたら確かに嫌な予感はした。紫の弁もあるし、早速私は支度をして異変を起こした元凶を探そうと飛び立ったわけである。そうしたら何故か、いつもは監視に徹底している筈の紫がついて来た。ふよふよと周囲を飛び回るものだから追い払ったのだが、それでもしつこくくっ付いて来るのである。諦めて静観を決め込んでいると、時折スキマから何かを取り出し一人で色々やり始める始末。いちいち構っていられないので基本的にスルーしていた。

 

 そんな時、何の縁か以前異変を起こした冥界のほんわか亡霊と半人半霊のペアに遭遇した。彼女たちもあの月を放置しておくのは不味いと考えているようで、その話をして意気投合した紫と幽々子が、じゃあ一緒に異変の元凶を探そうそうしようと頓珍漢な事を口に出し、今に至ると言う訳である。ピクニックじゃないんだぞと言いたかったが、お花畑ワールドに巻き込まれそうで口に出すのを憚られた。

 

 

 ……思い返してみても、何でこうなったのか全くもって見当もつかない。頭痛が更に酷くなったかのように感じる。取り敢えず全部ポンコツなスキマが悪い。そう結論付ける事にした。 

 私と同じような心境なのか分からないが、半人半霊―――確か、コンパクト妖夢だったっけ? は引き攣った苦笑いを浮かべていた。

 

「幽々子様……出発前にあれだけ召し上がられたのに、まだ食べられる余裕があるのですか……」

 

 そっちか。

 

「妖夢……あんた従者なんでしょ? あれ止めてきなさいよ……」

「む、無理です。あの間に邪魔しに入ったら幽々子様に半霊を齧られてしまいますよっ」

 

 青ざめた妖夢が無理無理と高速で手を振った。仮にも主に対してどうしてそんな判断を下したの……とは思ってみたけれど、幽々子と言う名の亡霊姫が持つ胃袋は本当に底が知れないのは事実だ。他人に関心が無さ過ぎると魔理沙に言われる私でも、幽々子が以前の宴会の時にお釜を抱えて幸せそうに中身を平らげていた光景は今でも鮮明に覚えている。しかも空になったお釜が二つ傍に転がっていたという惨劇っぷりだ。妖夢が半霊を齧られると怯えるのも無理は無いのかもしれない。

 その体のどこにお釜三つ分の量が入るのかと聞いてみれば、本人曰く霊体を半実体化させるためにはかなりのエネルギーが必要なのだとの事だ。紫はそれを聞いて、卑怯なダイエットだ反則だと言いながらハンカチを噛み締めて嫉妬の念をこれでもかと放っていたが。

 

 そんな紫は口の端に砂糖を着けたまま、私達の元へ寄って来た。手にはまだ甘納豆の袋が握られている。

 

「ねぇねぇ、霊夢も妖夢も食べないの? 本当に美味しいのよこれ……って、よく考えたら二人の名前、何だか似てるわねっ。髪の色は違うけど、こうして並んでると姉妹みたいじゃない?」

「まぁ。じゃあ霊夢、明日から白玉楼に住んでみない? 妖夢は一人っ子だから喜ぶと思うわぁ」

「アンタ達はさっきから何を言ってるの」

「幽々子様、落ち着いてください。巫女さんが冥界に住んだら色々アウトですから」

「妖夢それフォローになってないわ」

「はい霊夢。私の一番のお気に入り、白花美人甘納豆あげるわ。あーんって痛いっ!? ぶ、ぶったわね!? 藍にも少ししかぶたれた事ないのに!」

「いい加減ぶん殴っても良いかしら」

「お祓い棒で殴ってから言わないでぇっ」

 

 涙目で頭を抑えつつぷんすかと憤慨しながら、妖怪の賢者の形をしたナニカは抗議する。普段なら別に私もイラつかないのだろうが、流石に異変中の神経を使う時にここまでほんわかされると殴りたくなっても仕方がないと思う。いくら私でも、甘納豆を片手に異変解決をしたことなんて一度も無い。改めて大妖怪とは何だったのかと考えさせられても仕方のない事だろう。

 

 と言うよりこのスキマ妖怪、時折この様なふざけた態度から一転し、物凄く真剣な佇まいに豹変する事がある。何を切っ掛けにして切り替わるのかは分からないのだが、その時の彼女は今の様なちゃらんぽらんとはまるで別人であり、賢者と呼ばれるのも納得な、大妖怪の威厳を確かに纏うようになるのだ。そもそも彼女は、元々の性格も振る舞いも大妖怪の筈なのである。少なくとも私が初めて彼女を見た時は、ああこれが真の大妖怪なんだなと人間ながら模範にさえ思った程だった。

 

 氷柱の様な眼差しは見る者の口を塞ぎ、紡がれる言の葉の真意を理解する事は常人には叶わず、振る舞いはまるで『優雅』をそのまま体現しているかのよう。神にすら匹敵すると囁かれる圧倒的な力もさることながら、彼女の在り方を幻想郷の誰しもが認め、誰しもが畏怖の念を向ける事を決して厭わない。神出鬼没で大胆不敵。それこそが、幻想郷の設立者の一人にして『八雲紫』と言う大妖怪なのである。

 

 しかし本当に何が引き金となってポンコツが賢者にシフトチェンジしているのかが分からないので、私からしてみれば会うたびに性格が変わっている情緒不安定な奴にしか見えない。本当は頭がおかしいだけなのではないかとすら思ってしまうのだが、私の気のせいなのだろうか。

 

 兎に角、このままでは何時まで経っても埒があかない。私は三人を置いて飛行速度を速めつつ、高度を上げる事にした。

 幻想郷の夜には基本、星と月明り以外に光は無い。人里まで行けば提灯の明かりがちらほら見えるけれど、それ以外は本当に真っ暗だ。妖怪たちはよくこんなに暗い中をスイスイと移動できるなぁと思ったけれど、考えてみれば日中も自分で闇を展開して視界を遮り、よく木にぶつかって泣いている妖怪が居たか。もしかしたら眼ではないコツがあるのかもしれない。

 

「……ん?」

 

 そんな事を考えていると、満月の中心あたりに何か小さな影の様な物がある事に気がついた。目を凝らすとそれは、人の形をしている物体だった。この距離から考えて、人間目線で見ればかなり大きな人形の何かだ。視認して初めて気がついたが、そいつは明らかに大きな力を体から放ち続けていた。まるで月の光を大量に浴びて、力を蓄えようとしているように見える。

 

 あからさまに怪しい。何だアレは。肌を突いてくる魔力や妖力からみて妖怪である事には間違いない様だが、あんな奴が幻想郷に居るなんて知らなかった。見た所男の様だが、だからこそ珍しく感じる。満月の中心で浮遊するその姿は、紅い霧の異変で相手した小さな吸血鬼を連想させた。最も、どうやら奴に翼は無い様だけれど。

 兎に角、こんな時に紫の言う偽物の月を眺めている妖怪なんて絶対に怪しい。私の勘がアレは異変の元凶と関係があると訴えているのだ。ならば、何時もの様に行動するしか選択肢は無いだろう。それが私の仕事なのだから。

 

 私は、まだ甘納豆を幸せそうに頬張っている暢気妖怪に向かって言った。

 

「紫。怪しい奴見つけたからちょっと退治してくるわ。甘納豆持たれたままだと邪魔だから、そこで待ってなさい」

「えっ? もう元凶を見つけた…………の」

 

 その時、紫に明確な変化が起こった。

 私の発言に驚いた顔をした紫が、私のお祓い棒の指し示している月下の妖怪へと視線を移した途端、まるで食卓に嫌いな食べ物が出て来た時の子供の様な複雑な表情を浮かべたかと思えば、急に氷の様に冷たい空気を纏い始めたのだ。

 その顔貌に、先ほどまでの陽気さは欠片も無く。あるのは大妖怪『八雲紫』が見せる、冷徹な鉄仮面のみだった。

 

 急に一変した紫に驚いて『ひぃっ!?』と仰け反った妖夢を尻目に、紫は私に甘納豆の袋を手渡した。

 

「霊夢。貴女は少しここで待っていなさいな」

「……急にどうしたのよ。もしかしてアレ、知り合い?」

「……その様なものですわ。けれど、彼を貴女に任せるには荷が重過ぎる。なるべく視界に入れないようにして待機なさい。私が少し話を伺ってきますわ」

「ちょっと待ちなさいよ。流石にアイツが異変と関係あるなら私も黙っていられな―――」

「霊夢」

 

 ぴたり、といつの間にか目の前まで移動していた紫が、私の唇に扇子を押し当て発言を封じる。

 彼女は妖美な微笑みを浮かべながら、子供を宥めるように言葉を吐いた。

 

「お願い。今回だけは、言う事を聞いて頂戴?」

「……、」

 

 紫がここまで真剣に介入してくる事なんて、今までにあっただろうか。いや、多分そんな事は一度たりとも無かった。異変中の彼女は常に傍観者で、関わるとしても意味深な言葉だけを残したり、曖昧なヒントを何かしらの形で与えるのみ。この様に表立って意見をしてきた印象は限りなく薄い。

 つまり逆説的に言えば、今回は口を挟まなければならない程の問題だと言う事か。どうやらあの妖怪は紫並の大妖怪みたいだし、私でも手古摺ると判断しての事だろう。もしくはスペルカードルールを完全に無視している奴なのかもしれない。男の妖怪であることから見ても、それは容易に伺える。

 

 しかし私は博麗の巫女だ。それでも退治して見せる自信はあるが、今回は紫に譲る事にした。紫と同じく、あれを視界に捉えた幽々子までもが、何やら只ならぬ雰囲気を放ち始めたからである。

 

「分かったわよ。でもあんまり待たせないでよ。長くなったら置いてくから」

「是非そうしてくださいな」

 

 即答だった。それはつまり、短時間では決着がつかない事を暗喩しているのか。幻想郷最強格の妖怪である、あの紫が。

 そこで私は、扇子を持つ彼女の手が、ほんの微かに震えている事に気がつく。目の前で凝視しないと気がつかないくらいの、些細な変化だった。

 

「……紫、もしかして不安なの?」

「―――いいえ。ただ、手間を取る相手であることは確かです」

 

 否定する彼女の言葉に、どこか力が感じられず。それは明瞭に、彼女が心に孕んだ不安を露わにしていた。

 紫は背を向けて、静かに夜空を仰いだ。彼女の視線の先には、偽の月と男が居る。奴は背中を向けたままで、まだこちらの存在に気がついていない様だった。

 眺める紫の隣へ、静かに幽々子が着く。

 

「ねぇねぇ、彼が件の妖怪さん?」

「そうよ。貴女も油断しない方が良いわ。奴は、その気になれば何の躊躇いも無く魂を消滅させる」

「あらあら……それは怖いわねぇ。道理で見ているだけで、とっても嫌な予感がする殿方な訳だわ」

 

 言葉を交わす二人に、妖夢が近づく。背中に背負った二振りの刀を腰に下げ、彼女は柄に手を当てた。

 

「幽々子様、お供致します」

「駄目よ妖夢。あの月も、あの殿方も目にしては駄目。だからあなたはここに霊夢と残るのよ。それに、万が一何てものが起こったら大変だわ」

「大丈夫です。必ずや奴を斬ってご覧に入れましょう」

「そうじゃなくてね。私と紫の間にあなたがいて、撃ち落としてしまわない自信が無いの」

 

 ふわりと微笑んだ幽々子を前に、妖夢は唾を飲み込んで刀から手を引いた。

 本気なのだ。

 彼女たち二人は、いざという時に本気であの男を迎え撃つつもりでいる。おそらくスペルカードルールが適用されるかも分からない、正真正銘大妖怪同士の決闘になるのだろう。逆を言えば、二人がかりで全力をもってして相手をしなければならない程の妖怪だと言う事か。

 

「さぁ、いきましょうか」

「はぁい」

 

 先ほどの大騒ぎが嘘のように、氷結した空気を纏った二人の少女が夜空を舞う。彼女たちは一直線に、月の下にまで飛翔を開始した。

 

 

 別に、想定していなかった訳では無い。むしろ可能性としては、私の中で大半を占めていたと言って良い。

 

 月が偽物の―――それも大昔の禍々しい月にすり替えられたという、妖怪の存続に関わる前代未聞の大異変が発生したと認識した時、私の脳裏を掠めたのは、あの吸血鬼の姿だった。

 太古から生きながらえている異端の吸血鬼であり、レミリア・スカーレットを上回る力の持ち主たる彼ならば、月をすり替える事など造作もないだろう。加えて、奴は確実に幻想郷で何かをする腹積もりでいる妖怪だ。更に時間的に考えると、現在奴が幻想入りを果たしてからおよそ二週間と少し経過している。行動を起こすにしても、タイミング的には申し分ないだろう。

 

 そしてこの通り、奴は月の異変が起こっているこんな時に姿を現している。偽りの満月と向き合い、静かに佇むその後ろ姿は魔王と称するに相応しいものだった。

背後からも放たれる禍々しい瘴気は月の狂気と入り交じり、筆舌に尽くしがたい悪寒を呼び起こす。境界を操作して無効化しようとも考えたが、驚くことにこの瘴気、何故かは分からないが境界線が存在しないのだ。この世に存在するほぼ全ての物に境界は存在している。一見完全無欠に見えても、反転の境界と言ったものは存在するのだ。それが彼の瘴気には無い。まるで反転したとしても全く同じ性質を持ち合わせている――――否、その一つだけで完成しきってしまっている代物の様だ。

例えるなら、『点』。かれの瘴気は、一つの『点』でしかないのである。線も無ければ面も無い。無論立体でもある訳が無い。ただ『点』として機能を果たしているかのような、そんな存在だった。私が言うのもなんだけれど、無茶苦茶にも程がある。

 

 ふと、私は幽々子の方をちらりと見た。彼女は変わらない様子でふわりとした笑みを浮かべているが、目が全く笑っていない。危惧してはいたけれど、亡霊の身であっても奴の瘴気は届くというのか。全くもって、存在自体が眉唾物の様な男である。神代から存在していたらしいという藍の報告は、もしかしたら本当なのかもしれない。

 

「こんばんは」

 

 あの夜の時と同じように、私は彼へ挨拶の言葉を掛ける。彼もまたあの時と同じように、静かに私たちの方へと振り返った。

 彼は微笑む。光の届かない水の底を体現するかのような魔力の波と瘴気の渦を放ちながら、しかし西行妖の如き妖艶さを湛えた笑みを浮かべる。

 

「こんばんは。久しぶりだね。この前は急に居なくなってしまって心配したのだが、どうやら息災の様で安心したよ」

 

 相変わらず、耳にするだけで内臓全てを絡み取られるかのような、甘くも痺れる声だった。この声で、奴は闇夜の支配者と謳われる程に、数多の魑魅魍魎の心を縫い止めて来たのだろう。

 

「ええ、お蔭様で」

「それは何よりだ。……ところで、そちらのお嬢さんは君の友人かね?」

 

 彼の紫眼が幽々子を射止める。対して彼女は、平常時と変わらないふわふわとした口調で、律儀に自己紹介を行った。

 

「初めまして、西行寺幽々子と申します。冥界の管理者を務めていまして、紫のお友達ですわ」

「自己紹介、恐縮の至りだ。私はナハト。最近幻想郷へやってきた吸血鬼だよ。よろしく」

「これはこれは、ご丁寧に」

 

 あくまで『よろしく』と返さないあたり、幽々子らしいと言ったところだろうか。彼もそれを理解しているのか分からないけれど、何食わぬ様子で、不敵かつ柔らかな笑みを浮かべている。

 兎に角彼のペースに呑みこまれないうちに、私から流れを構築しなければ。以前の二の舞になる訳には絶対にいかない。

 

「ところで、貴方はここで何をしているのかしら?」

 

 私の問いに、彼はうむ、と相槌を打つ。

 そしてただ簡潔に、一言で答えを出す。

 

「少し、人を探していた」

 

 ……探して『いた』。それはつまり、もう見つかったと言う事なのだろう。

 人探しで奴が誰を探していたのかなど、いちいち考えるまでも無い。十中八九私の事で間違いないだろう。奴はずっと偽の月を眺めていた。まるで月の異変に気がつき、駆けつけて来る者達を待ち受けるかのように――――そう、探していたのではなく、奴は『待っていた』のだ。この私を迎えるために、吸血鬼にとって不都合が出辛い月に関わる異変を起こして。

 だが奴の狙いはそれだけではないだろう。ナハトを異変の元凶だと仮定した場合、異変を起こした理由も幾つか説明可能なものとなる。

 

 一つは、幻想郷に自らの影響力を知らしめる為。

 一つは、奴が胸の内に抱える計画を遂行する上でのピース、または本筋としての機能を果たす為。

 一つは、無視できないレベルの異変を起こして私を呼び出し、以前失敗した交渉を持ち出す為。

 

 どれもこれも仮説の域を出ないが、可能性としては十二分にも足りている。もしかしたらこれら全てが奴の目的なのかもしれない。

 しかし今は、幽々子も傍にいる。彼女は一見、飄々とした印象を受ける和やかな亡霊だが、その実非常に頭の切れる女性だ。私の真意を言葉で語らずとも汲み取ってくれる、数少ない友人なのである。

 そんな彼女と私を同時に相手にして、奴が思い通りに事を運べるとは思えない。それは恐らく、奴自身も既に理解しているだろう。そのせいで新たに予防線を張り巡らそうとしているのか、彼はいくらか地上の方向へ視線を逸らし、何かを確認する動作を行っていた。

 何をするつもりなのかは分からないが、逃がす訳にはいかない。今度は私が追いつめる番だ。

 

「その人は無事に見つかったのかしら?」

「ああ、たった今ね」

 

 即答した彼に、私は歯噛みする。

 やはり、仮説は正しかった。奴は私を再度誘き寄せるつもりでいたのだ。だが今回は二度も同じ轍を踏むつもりは無い。今は幽々子も居るし、私にも考えがある。

 

「それで、何故その人を探していたの?」

「とても大事な用があるんだ。それを達成するには、その者の力を借りないと上手く事を運べなくてね」

 

 ―――そう言えば彼は以前、脳漿が麻痺を起こしそうな甘美の声で私に協力を要請してきていた。つまり奴の目的を成すには、私の境界を操る力が必要だと言う事か。

 ただ、ここで注目すべきは私を狙っている事ではなく、『上手く事を運べない』と言う発言である。裏を返せばつまり、面倒にはなるが別の手段でも達成できない事は無いという意味に繋がるのだ。

 

 何だ? 彼は一体何を成し遂げようとしているのだ? 境界を操れば安易に進み、自分の力だけでは面倒な事柄……はっきり言ってそんなものは掃いて捨てるほどに存在する。自分で言ってしまうのもアレだけれど、境界を操る力は万能性が非常に高い。それこそ、空間転移から夜を停止させるに至るまで―――いやそれ以上に幅が効く。

 だからこそ、真実を掴み取り辛い。解釈できるパターンが多すぎるのだ。その中からどれが真の目的なのかを引き当てようとする行為は、砂丘の中に埋まったガラス球を探し出す様なものである。砂丘に埋もれてしまっているせいで、彼が何の目的をもって幻想入りを果たしたのかが、全貌すらも見えてこないのだ。

 

 幻想郷を支配しようとしている様には見えない。そうであれば、この異変はあまりに効率の悪い手段である。いくら月がすり替えられ狂気が強まろうとも、何日も浴び続けなければ妖怪が狂うことはまず無い。精神を不安定にさせて魔性の声を駆使し、支配下に置こうとするのであれば、むしろ彼自身が直接様々な地へ侵略する方が手っ取り早い話である。認めたくはないが奴の声なら、仕草なら、力なら。格の低い妖怪を手中に収める程度など、造作も無い事だろう。しかし、彼はその手段を取らなかった。

 

 では。では。では。

 

 ぐるぐると、思考が回転を繰り返す。それでも彼の本当の目的を探り出す事は叶わなかった。

 ならば、異変の目的は何だろうか。まさか私を誘き出す為だけに異変を起こした訳ではあるま――――

 

「さて。折角再会出来た所で名残惜しいのだが、残念なことに今夜ばかりは都合が悪い。すまないが、私はここでお暇させて貰うよ」

 

 ―――い?

 予想とは全く異なる彼の発言に、私は頭の中が一瞬純白に染め上げられた。

 お暇させて貰おうとは、まさかそのままの意味で使っているのだろうか? 本当に? 本気でこの場から、彼は去るつもりだというのか?

 私の混乱を知る由も無く、彼は『それでは、また』とだけ言い残して、静かに下降を開始した。まるで、もうあの月をどうとでもしてくれと背中で語るかのように。

 

 何だ。何故彼は、こんなにもあっさり身を引いたのだ。異変を起こしたのは別に私を呼び出す為だけではあるまい。ここまで大仰な術を用いたのだ。たったそれだけの理由では目的を完遂する効率が悪いどころの騒ぎではない。この様に幽々子の乱入などの予測不可能なアクシデントが起きて失敗すれば、リターンなんてものは発生し得ないのだ。

 

 それとも、まさか本気で彼は――私を只呼び出す為だけに異変を起こしたとでも言うのか?

 たったその為だけに、下手をすれば幻想郷が狂うかもしれない大異変を起こしたとでも?

 

 血流の感触が、失せた。

 

 こんなの、認めたくない。こんな事が、あってたまる訳が無い。彼が、たった一人の妖怪を誘き寄せる為だけに、ここまで大きな異変を起こしただなんて、考えたくも、無い。

 でも、仮説を証明する為のピースは揃い過ぎている。嫌と言う程に揃ってしまっている。それ故に、断じて認めるわけにはいかないこの答え以外、私は弾き出す事が出来ない。

 冷静さを欠いているのは分かっていた。理性では私は今何処かがおかしくなっていると理解しているつもりだった。ひょっとしたら、精神に纏わりつく彼の瘴気と忌々しい偽の月の光が、私の心を狂わせていたのかもしれない。

 

 ただ、その時確かにはっきりしていた事は。

 この男の些細な戯れの為だけに、私の愛しき幻想が破壊されそうになっていたという現状が、頭の全てを埋め尽くしている事だけだった。

 

「待ちなさい」

 

 気がつけば言葉を放っていた。視界が歪むほどの妖気が、体から放たれている自覚はあった。

 

「そう言えば一つだけ、訊ねそびれていたことがありましたわ」

 

 私は扇子を広げ、夜空に掲げる。それを合図として、空間に無数の亀裂が生じた。

 

「貴方の実力、計らせて頂いてもよろしくて?」

 

 加減など無かった。スペルカードルールとして成り立っているかも分からなかった。そもそも、男である彼はスペルカードルールを適用しないかもしれない。まぁ、そんな事はどうでも良い。ただ今この時だけは。幻想郷を崩壊にまで追い込んでいたかもしれない下手人にだけは、少々きつめのお灸を据えなくてはなるまいとだけ、思い込んでいた。

 

 私は彼の体を圧し潰すかのように、全方位から無数の弾幕を叩き込んだ。

 

 

 さて、色々と突っ込みどころはあるが、取り敢えずは状況を整理しようか。

 

 私は外出をする許可をレミリアから貰って、初めての幻想郷見学を楽しんでいた。道中に藤原妹紅と言う少女に遭遇し、勧められるままに竹林へと足を踏み入れて迷子となった。迷いに迷った末、偶然にも人の住処を発見し、そこで輝夜と言う素晴らしい少女と出会った。私は彼女に友達になってくれと懇願し、そして友達になる為にこの条件を踏破せよと難題を授けられた。

 しかしその内容とは、蓬莱人の死を持って来いというものだった。

 

 輝夜曰く蓬莱人とは、輝夜自身やあの妹紅を主とした、蓬莱の薬を飲み絶対の不老不死と化した人間の事らしい。正直なところ、私は確かに友達が欲しいのだが、誰かの命を対価にしてまで得ようとは毛ほども考えていない。流石にそこまで腐っているつもりは無いのだ。幾ら難題の対象が、老いる事も死ぬことも無い完全無欠の不滅な存在であったとしてもである。そもそもの前提として、私は完全な不死を殺せるような怪物ではないのだ。当然殺したいだなんて欠片も思っていない。

 

 だから私は初め、至極残念ではあったが丁重にお断りした―――のだが、その次に語られた輝夜の弁から察するに、どうもこの難題、直接的な意味ではなかったらしい。私はてっきり妹紅を殺せと暗喩されているのかと思ったのだが実はそうではなく、『蓬莱人の死』を『見つける』事が出来れば良いらしいのである。つまるところは問答だ。私が彼女に献上するのは竹取物語に登場した貝や鉢などの様な物では無く、的確な『解答』。彼女が望む『答え』を導き出せばいいのである。これが何を指しているのかはまだ分からないが、兎に角、難題に直接的な死は関係無いと理解した私は、この難題を受理し、永遠亭と言う名の屋敷を後にした。

 

 次に、私の足を引き留めた輝夜の従者―――八意永琳と言う名の女性から、私はある願いを託された。その願いは私にとって凶報そのものであり、また同時に必ず遂行しなくてはならないものでもあった。私は二つ返事にそれを承諾し、その願いを叶えるために再び幻想郷へ繰り出した訳である。

 第一目的はまず、妹紅を探す事だった。彼女の協力があれば、永琳の望みを叶えられる可能性が高くなる。

 

 しかし問題がここで顔を覗かせる。私は幻想郷の地理を知らない。故に、三日前に別れた妹紅の行く処など見当もつかないのである。永琳曰く竹林の傍に住居を構えているとの事で何とか探し出したものの、彼女は留守だった。いきなり手詰まりとなってしまったのである。

 

 そこで私は、霊視の範囲を拡張させて広範囲に存在する魂の色を見極める手法を取った。簡潔に言えば魂の探知である。本来ならば月の光を借りてエネルギーを補充した方が消費は少なくて済むのだが、今夜ばかりはそうはいかない。永琳曰く、永遠亭の住人の一人と輝夜を迎えに来る月の使者とやらから守るために一晩だけ月を隠さねばならないらしく、その為、今現在天蓋で輝いている月は幻影でしかないからだ。試しに月光を浴びて力を補充できるか試してみれば、何だか凶悪な粗悪品を掴まされた気分になった。月光の性質が昔の懐かしいものに似ているせいもあるかもしれない。

 

 しかし蓬莱人の魂は桁が違う程にエネルギーの量が多いので、見つけられれば判別は容易だった。それでも数多く存在する魂の中から発掘するのに10分近くかかってしまったが。しかも居場所が、私のすぐ足元にある人間の里の中だというのだから笑えて来る。灯台下暗しとはよく言ったものだった。

 

 そんな時、紫と西行寺幽々子と言う名の亡霊さんに出会った。彼女たちはわざわざ挨拶をしに来てくれた様だ。しかし、折角話しかけてくれたというのに心の底から申し訳なく思っているが、今夜ばかりは本当に時間が迫っているのでお暇させて頂いた。今度会った時は前回の件も含めて何かお礼をしよう等と考えて妹紅の元へ向かおうとしたわけなのだが……。

 

 

 何故か私は今、紫と幽々子の二人から弾幕ごっこを吹っ掛けられていた。

 

 

 未だに何が起こったのかが分からない。紫は私の力を試したいと言っているが、どうも怒っている様子である。だが私には全くもって彼女を憤慨させるような事柄に身に覚えが無い。もしやまた魔性が影響して何かすれ違いを引き起こしたのだろうか。兎に角先ほどからとんでもない量の妖力弾に追われている。

 

 これがまた、桁が違う攻撃だった。以前戦闘を行ったフランのそれとは比較にならない圧倒的な弾幕密度である。と言うよりそもそもこれは弾なのだろうか。あまりに密度が濃すぎてレーザーにしか見えない有様だ。実際にレーザーらしきものも撃たれている。それでも尚、弾の放つ輝きが夜空を彩る光景は、場違いながらも美しいという感想を抱かざるを得なかった。

 

 しかもそれが一人ではない。幽々子もまた、同程度の凄まじい一清掃射を、まるで夜空を舞台に踊る演者の様に、くるくると可憐な舞を披露しながら撃ち放ってくるのだ。舞台を飾る桜吹雪をそのまま再現し、さらに昇華させたかのような攻撃は、吹雪と称するより最早台風と言ったところだろう。確かに見惚れるような絶景ではあるのだが、弾幕ごっことはここまで苛烈なものだったのか。成程、以前パチュリーが弾幕ごっこを試したいと言い出した私に対して『幻想郷と戦争を起こすつもりなのか』と言ったのも頷ける。これは私からすれば最早『ごっこ』などではない。戦争の領域だ。こんな遊びを『ごっこ』と称するのだから、幻想郷の少女たちは想像以上に逞しいのだなと妙な感心を胸に抱いた。

 

 縦横無尽に夜空を駆けまわり、兎に角回避に徹する。ふーむ、これでは埒があかない。こんな状況で妹紅の居る元へ逃げ込めば最後、人間の里は一瞬で更地と化すのではないか。紫がそんな事をするとは到底思わないが、間接的に進んで人質を取るような真似は御免だ。かと言って現状維持を続けるのも苦しい。

 

 仕方がない。何に怒りを抱いているのかはまた原因を探るとしても、まずは応戦して活路を開こう。適度に戦闘を繰り広げて私が撃墜されれば、その場凌ぎではあるが彼女たちも納得してくれるはずだ。本来を言えば、心から説得を試みて彼女たちの怒りを解消したい所だが、今夜ばかりは時間が惜しい。方向性は違うものの、強行突破をさせて頂こうか。その為にも、出来うる限り彼女たちを傷つけない様に反抗しなくては。

 

 私は豪速で天空を斬り裂き、夜空の遥か上空までに身を移した。彼女たちもまた、流星の如き速さで私との距離を詰めてくる。

 そこで私は、背後に魔剣グラムを可能な限り展開した。数は一五本。これで降りかかる全ての弾幕を捌ききる。

 紫と幽々子は、私を挟み撃つ様に位置を整える。右手には紫が、左手には幽々子が。それぞれ膨大な妖力と霊力を纏いながら、優雅に夜空へ君臨した。

 

「やはりそれが、貴方の切り札の様ね」

「何だか嫌な雰囲気のする剣ねぇ」

「君たちの様な実力者を相手に慢心なんてものは出来ないさ。すまないが、今回ばかりは本当に急を要する。また改めて謝罪をさせて頂くよ。どれだけ罵詈雑言を掛けてくれても構わない。だから、心苦しいが全力で抵抗させてもらう」

 

 その言葉を皮切りに、二つの方向から同時に世にも美しき光の波が放たれた。

 一本のグラムを右手に据え、残った剣をそれぞれ七本ずつ両者の光の波と対峙させる。剣を扇状に配置して高速回転させることで、迫りくる弾幕を打ち払い続けた。さながらそれは、黒い巨大扇風機と言ったところか。

 

 一斉射撃から抜け出し脇から迫りくる弾丸を。次々と空間に生じる亀裂から吐き出される華やかな光球を。私は手に持つ魔剣で払い、弾き、身を捩って回避する。

 

 この二人の攻撃は凄まじいの一言に尽きる。グラムを修復する為に使う魔力量が段違いに多いのだ。それだけこの二人が、頭一つ抜けた実力の持ち主だと言う事なのだろう。もしかしたら、わざと撃墜されるなんて余裕が生まれないかもしれない。

 

 突如、ほんの少しの距離で空間が縦に裂けた。その中から、ぎょろりとした幾つもの眼が私を睨む異形の空間が顔を覗かせる。次の瞬間、桃色の光を纏った蝶の群れが一斉に、堰を切ったかの如く解き放たれた。

 その蝶を見た瞬間、私ははっきりとした身の危険を肌で感じ取った。

 

 ――これに直撃するのは不味い。

 

 躱しきれないと判断した初撃の数頭をグラムで叩き斬り、残りの群れを一気に上昇する事で回避した。態勢を整え、私に被弾しなかった蝶がキラキラと眩い光の粉を散らして消滅していく様を見届ける。

 

 あの蝶は一体なんだ。生き物ではないのは明白だが、明らかな死の臭いを感じた。どう考えてもこの世の性質のものではない。どちらかと言えば彼岸の性質へ寄った物だ。まさか、幽々子の弾幕か?

 

 そう言えば彼女は冥界の管理者だと名乗っていた。彼女自身も亡霊であり、改めて言うまでも無くこの世ならざる者である。死の気配を漂わせるエネルギーを操るとすれば、彼女しかこの場に存在し得ないだろう。紫とて生者だ。生者が死そのものの様なエネルギーを放つのは、理に適わない。

 

 何にせよ、私の認識が甘かったと言う事か。ごっこだからと少々軽んじていたのが間違いだった。

 

「流石、と言うべきかしら。まさか今の攻撃を避けられるとは思わなかったわ」

「運動神経がとても良いのねぇ。活発で果敢な殿方さんだわ」

 

 背後の空間が裂け、紫が姿を現したかと思えば、桜吹雪の様な光の波が巻き起こり、中からふわふわとした笑顔を浮かべた幽々子が顕現した。彼女の周囲には、先ほどと同じ蝶が羽ばたいている。

 蝶が持つ性質を霊視から観察して、私は一つの答えを得た。

 

「……成程、反魂の性質か」

 

 反魂。本来ならば死者を蘇らせる、呼び戻すと言った意味合いがあるが、その性質を逆手に取った戦法なのだろう。反魂が魂を冥府から呼び戻す……即ち魂の性質を現世(うつしよ)へ反転させるのならば、生者の魂を幽世(かくりよ)の性質へ反転させることも強引だが可能となる。そしてそれは即ち死を意味する。

 

「差し詰めそれは反魂蝶と言ったところかな」

「似たようなものねぇ。どうかしら。とても綺麗でしょう?」

「ああ、とても」

「でも、綺麗な薔薇には棘がつきもの。世の中の蝶には毒を持つ種も居たりするそうです」

「さらに蝶は、よく魂と結び付けられる生き物でもあるね」

「ええ。美しさは時に魂を奪うのですわ」

 

 掴み処のない言葉の数々に、飄々とした態度。ベクトルは違うが、紫と似ている様な気がする。友人と名乗るのも納得だ。私にも『るいとも』と外の世界で言われる様な者に、いつか会えればよいのだけれど。

 

「しかし幽々子。私と君は先ほど顔を合わせたばかりだ。私の力を計りたいと言う紫はともかく、君にまで攻撃される様な覚えは残念ながら私には無い。よければ理由を教えてはくれないか」

「あら、ふふ。そうねぇ、言ってしまえばとても簡単な事。異変において、疑わしきは罰せよが原則なのよ」

「……む? 待て、それではまるで――――」

「それに、紫がここまで気に掛ける妖怪さんがどんなものなのか知りたい気持ちもあるのよねぇ」

 

 再び、神々しいイルミネーションショーが幕を開ける。怒涛の如く迫る蝶の舞と紫の妖力弾をグラムで弾き飛ばしつつ、私は旋回を開始した。まずは全力で空中を移動し続け、思考を展開できる時間を稼ぐ。

 

 幽々子の発言から私が攻撃されている理由を考察してみたが、どうやら私は異変の首謀者と間違われているらしい。恐らく異変とはあの月の事だろう。考えてみれば、月は妖怪にとって非常に重要な役割を担う存在だ。人間にとっての太陽と言って良い。それが偽物の幻影にすり替えられたとあれば、普通の異変ならば必ず解決に赴いてくるという博麗の巫女では無く、紫自身が動くのも説明できる。そして私は吸血鬼だ。日の元では存在できない夜の住人の代表格である。そんな私が異常な月の元に佇んでいれば、先ず疑いにかかるのは当然と言って良いだろう。

 それになにより、同族たるレミリアが以前に引き起こした二つの異変……即ち前科もある。これらの要素から、私への疑いはますます強くなったと言ったところか。

 

 であれば、紫がどこか怒っている原因は、私が月をすり替えて幻想郷の妖怪へ悪影響――即ち幻想郷のバランスを崩そうとしているのかと勘繰ったからではないか。

 

 あの冷静で親切な紫がここまで取り乱しているのも、私の魔性で心が掻き乱され、更に愛着のある幻想郷が私の手によって危険に晒されたと思い込んだからだ。でなければ、賢者たる彼女がここまで直接的な手段を講じる事はあるまい。

 だとすれば厄介だ。異変の元凶は言うなれば月をすり替えた永琳だが、彼女も彼女で、大切な者を守ろうとする故に行動を起こしてある。ここで私が誤解を解いたとして、その矛先が彼女に向いた場合はどうなるだろうか。最悪の場合、本物の月を戻され月の使者の通り道を作り出してしまう。

 

 事情を説明すれば紫も永琳の事を理解して一晩だけ見過ごしてくれるかもしれないが、何せ今の彼女は頭に血が上っている状態だ。強行突破の末に、月の返還が行われると言ったアクシデントも起こり得る。

 

 ならば、どうする。

 

 私は亀裂から照射されたレーザーを数本のグラムで押し留める。残った剣を、牽制の為に二人へ放ち、追尾させる。二人が防御態勢に入ったため、僅かな隙が生じた。

 チラリと、偽の月を見る。

 本来ならばここにある本物の月が、所謂月の民の住まう月と重なった時に道が開ける為、贋作とすり替えてその道を塞ごうというのが永琳の案らしい。正確には偽の月を用いて幻想郷を密室化させる事で進路を絶つというものだ。ではどうにか、偽の月とはまた別の手段で道を塞ぐ方法は無いもの――――

 

 ―――――――……………………、

 

 いや、待て。密室だと?

 そのワードを思い浮かべた瞬間。唐突に、脳裏へ電撃が走り抜けた。

 

「…………結界だ」

 

 そうだ。博麗大結界。外の世界と常識や位相を『隔離』する機能を持ったこの結界の効力があるならば、もしかすると月の民の入り口を初めから防いでいる状態なのではないか? 博麗大結界も言い換えれば、幻想郷と言う名の密室を作り出している事に変わりないのだから。

 

 外の世界の月からこちらへ干渉してくるのならば、当然隔離された幻想郷では無く外の世界の『幻想郷のある場所』へ月の照準は向けられる。そこには当然、何も存在しない。あるのは只の森なのだ。

 活路が見えた。まずはこの疑問を確実なものとしなければ。

 

 グラムを手元に招集させ、私は休戦の合図を取る。彼女たちは私の行動を訝しんだのか、動きを止めて様子見に徹した。

 ここで、言葉を投げる。

 

「紫よ、一つだけ質問をさせて欲しい。博麗大結界は外の月から直接的な干渉を阻む効力があるのか?」

「……唐突過ぎて質問の意図が読めませんわ。そんな事を聞いてどうなさるおつもり?」

「月をすり替えた元凶の動機を解消する為だよ」

「なに?」

「はっきり言おう。君は思い違いをしている。私は月をすり替えた犯人ではない。そもそもそんな事をして得られるメリットが私に無いとは思わないか。私の頭に浮かぶのはどれもこれもデメリットばかりだ。その中の例を一つ挙げるのならば、何故私が、君とわざわざ敵対する火種を作る必要があるというのかね」

「……貴方は何を知っているの?」

「恐らく、君が知る事を望む答えだ」

 

 まだ永琳の名を出す訳にはいかない。暗に黒幕が居ると仄めかすだけで良い。これで私の意図はどんな形であれ伝わる筈だ。

 

 しかし彼女はこう考えている。結界の特性を知った私が、私欲のために結界を破壊しようと強硬手段に出る、もしくは利用する可能性があるかもしれないと。だから素直に答えられない。当然だ。今の私は、非常に悲しいが信頼を失ったも同然な状態なのだから。そんな相手に要求された情報を安易に開示するのは避けたいところだろう。

 

 ならば、更に対価を払うまでだ。時間を考えても躊躇している余裕はない。

 

「信用が足りない事は重々理解しているつもりでいる。だからどうかこれで、私の言葉を信用して頂けるか」

 

 私は、手に持つグラムを背後に放った。

 剣を操作し、構成する魔力を更に物質に近い性質へと練り上げていく。それこそ魂やエネルギーだけでなく、本当に物質が斬れる刀剣へと。

 調整を終えた刃を勢いよく横に薙ぐ。ビュンッ、と空気を斬り裂く音が耳を劈き、そして。

 

 私の首を、刎ねた。

 

 正確には、胴を刎ねたと言った方が良いのか。私の胴体を完全に切り離し、真下へと放棄する。胴体は夜の闇の中へと溶け込んでいった。いわば私は生首だけが浮いている状態に成り下がり、ただの頭と化した。

 流石にこの行動には紫も驚いたようで随分目を丸くし、幽々子はあらぁ、と穏やかに口にしていた。

 しかしこれでは声帯で声を調達できないので、スカーレット卿が使ったものと同じく、魔力操作で大気の振動を意図的に起こし人工音声を作り出す。

 

「『ご覧の通り、胴を捨てた。私は妖怪であるが故に頭だけになっても油断を捨てられない気持ちは分かるが、君ならば今の私をどうとでも対処できるだろう。不穏な動きを見せたら排除してくれて構わない。だからどうか、私の質問に答えてはくれないか』」

「…………、」

 

 しばしの沈黙が闇夜を支配する。紫は目を細めて私を観察すると、瞼を閉じて小さく息を吐いた。

 

「博麗大結界は月の干渉を跳ね除けるわ。ここが月に直接手を出される事は、無いに等しい」

 

 よし。幸運なことに推測は正しかった。正直なところ、これで違うと言われたらどうしようかと思っていたところだ。流石に頭一つで対抗できるとは思えないし、その様な無様な真似を晒すのは御免だ。

 

 兎に角これで、永遠亭の彼女たちの身の安全は確保されたのも同然と言ったところか。ならば、彼女たちに永遠亭の居場所を教えてこの異変を止めてしまっても構わないだろう。少なくともあちらの方へ紫たちの意識が向けば、妹紅に会いに行くことが出来る。それからまず、永琳の依頼を達成する為に動かなくては。

 

「『解答ありがとう。今度は私の番だな。――――竹林の奥だ。そこに君たちが探している者がいる』」

 

 紫は暫しの間、私の答えを頭で巡らせている様子を見せると、パチリ、と扇を畳んで袖の中に仕舞い込んだ。どうやら信じてくれるらしい。胴を撥ねた甲斐があったというものだ。これ以上を求められたらどうすればいいのかと考えていたが、杞憂に終わったのが不幸中の幸いと言ったところか。

 

「……まだ、貴方に謝罪をすることは出来ません」

「『分かっているさ。事の真偽を確かめる必要があるからね』」

「貴方の言葉が真実ならば、また近いうちに」

「『私も君に対して、少々乱暴な手段に出てしまったからね。謝罪と茶菓子を用意して待っているよ』」

 

 それが最後となった。空間の亀裂を生み出した紫は、その中に幽々子と共に姿を消していったのだ。

 ……至極今更だが、あれが彼女の愛用らしいスキマと呼ばれているものなのか。イメージ的にはもっとコンパクトな見た目をしているかと思っていた。

 

 さて、事態が沈下したところで、早速妹紅に会いに行かねばならないな。丁度胴体が落ちた場所の近くに居るようだから、ついでに体を回収して行こう。

 それにしても、紫に嫌われたかもしれないというのは、中々辛い現実だな。まぁ、今度顔を出してくれるようだから、その時に汚名返上が出来ればよいのだが。色々と頑張らねばなるまい。

 

 

「……またしても、してやられたわね。まさか彼が、異変の元凶の影武者を演出するとは思わなかったわ」

「どうやら時間稼ぎをされちゃったみたいねぇ」

「加えて、その立場を巧みに利用し、どう足掻いても交渉を持ちかけられる場を作らされてしまうなんてね。こうも心を揺さぶられ、踊らされ、失態を続けるだなんて、私も耄碌したのかしら」

「全部計算の内に行動していたとしたら、とっても凄い策士さんだわぁ、あの吸血鬼さん。藍ちゃんの調査結果がますます真実味を帯びてきているわねぇ」

「……………………幽々子」

「なぁに?」

「異変だとか、何もかも全部終わって一段落着いたらさ。晩酌、付き合ってくれる?」

「もちろん。幽々子お姉さんに任せなさいな~」

 


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