【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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第一章「来訪と会合、再会と」
1.「瀟洒な従者は凍り付く」


 私は十六夜咲夜。数年前、妖怪たちの楽園と呼ばれる幻想郷へ主と共に引っ越して来たしがないメイドである。特技は時間を操る事。人の身ではあるけれど、おかげで無駄に広い屋敷でも仕事が捗って重宝している。

 

『咲夜! 大至急私の部屋にお茶を二つ用意しなさい。それもとびきり上等な奴よ。最速最短で持ってくること。いいわね!』

 

 そんな私に、見た目十歳程度の幼子の姿をしてはいるが、五百年近くもの時を生きこの紅魔館の現当主として君臨している絶対不変の我が主、レミリア・スカーレットお嬢様が以上の様に命令を告げられたのは、つい十五分ほど前の話だ。と言っても、止まった時の世界を行き来している私以外からしてみれば、数分にも達していない間の出来事かもしれないが。

 

 唐突だが、私の主について少し話をしよう。私が仕えているレミリアお嬢様は普段、五百年近くを生きてきたとは思えない程気まぐれで我の強いお方だ。平たく言えば我儘、もっと言えば見た目相応に子供っぽい。突拍子もなく無茶ぶりに近い要求を突きつけてくる事は日常茶飯事。気に食わなければ拗ねるし、とても見栄っ張りだ。実に困ったお嬢様である。

 

 しかし別に私は陰口を叩いているつもりは無い。見た目も仕草も子供っぽいと言う事は、とても愛らしい姿を見せてくださると言う事でもある。ぶっちゃけ目の保養になる。先ほども、お嬢様が酷く慌てた様子で、衣服や髪の乱れを一切気にする素振りも見せず、私が洗濯物を畳んでいた衣裳部屋へ飛び込んできたかと思えば、そのまま足をもつれさせて派手に転がりながら入室してきた光景は今も鮮明に思い出せる出来事だ。

 

 この様に一見すると見た目や言動はまんま子供だが、しかし場合によってはちゃんと人間の畏怖の対象である吸血鬼らしく、高貴で優美な、当主の名に恥じないカリスマ性を遺憾なく発揮する一面もある。やる時はやるお嬢様なのだ。TPOは大事である。

 

 話を戻そう。常日頃から淑女としての素行に磨きをかけているお嬢様が、わざとすっ転ぶような真似をするはずがない。その証拠に転んで先ほどの用件を告げた後、顔をトマトの様に真っ赤に染めつつ『邪魔したわね』と気丈に振る舞いながら部屋を後にしていった。

 多分、慌てるにしても転ぶ予定ではなかったのではないだろうか。本当に面白い方だ。思わず時間を止めて笑ってしまうくらいには。

 

 それ故、私はふと疑問を抱いてしまったのだ。傲慢でプライドが高く、ドジを踏んでも決して挫ける姿勢を見せないお嬢様をあそこまで狼狽させたものとは、一体何なのだろうかと。

 怖い夢を見た訳では無いだろうし、Gと称される謎の黒光り生命体が大量発生したわけでも無い筈だ。つまり恐怖に関連したものではないのだろう。お茶をご所望だったところから伺えるのは、とどのつまり予想外の来客がいらっしゃったというところか。

 

 しかしそれならば尚の事妙だ。来客が来れば門番である美鈴から何かしらの連絡があるだろうし、お嬢様の『運命を操る程度の能力』の応用によって、この館に関連して起こる大まかな出来事は予測できるはずだ。

 今までがそうだったのだから、そこに疑いの余地はない。と言うことはつまり、お嬢様の力をもってしても予想外と言える事態が起こったと言うことか。

 

 ……しかし、一メイドでしかない私が疑問を持ったところでどうにかなる話ではない。私はお嬢様の命令をこなせば良いのだ。

 お嬢様の乱れた服装と髪をさりげなく時間を止めて整えた後、言われた通りに淹れ方も茶葉も拘った最高品質の紅茶を用意した。茶菓子も完璧だ。後はお嬢様の部屋へ向かうだけ。

 

 お嬢様が部屋へと戻った頃合いを計って、私は時間を止めた。理由は紅茶の温度を保つため、そして現実時間において迅速に行動するためだ。

 部屋の前に辿り着いたら時間停止を解除して、木製の一際豪華なドアを軽めに叩く。

 

『誰?』

「咲夜です。お茶をお持ちしました」

『入りなさい』

「失礼します」

 

 許しを得て、私はドアノブを引いた。礼をして、いつもの様にティーセットを運ぶ。

 ふと。

 私はそこで、視界に違和感を覚えた。

 いや、これは少しばかり語弊があったか。

 私の視界に、本来ならばそこに居るはずの無い誰かが居座っていたのだ。

 

 お嬢様の対面に、灰色の髪と宝石の様な紫眼を持った美麗な男が足を組んで椅子へ腰かけている。

 この館へやってくる者は元から少ないが、男の客人はさらに少ない。と言うより、もしかすると初めてではないだろうか。この男性が放つ異様とも言える雰囲気も相まって、凄まじい存在感を放っていた。

 

 普通に考えると、ただのお客様だろう。

 しかしそうであれば、必ず美鈴から一報が届くか、お嬢様からその旨が告げられるはずなのだ。それが無かったと言う事は、彼は正規の客人ではない、と考えるべきか。

 お嬢様の眼へと視線を移す。『早く置け』と訴えているように感じた。

 

「紅茶とスコーン、木苺のジャムになります。どうぞごゆっくり」

 

 完璧なメイドは、そうそう冷静さを崩してはならない。あくまで平静に、私はティーセットを並べていく。

 二人のティーセットを用意し終えた、その時だった。

 男が静かに、唇を動かしたのだ。

 

「君は―――――」

 

 背筋が、凍った。

 

 彼は、まだ言葉を言い終えていない。にもかかわらず、たった三文字の言葉を耳にした瞬間、心臓を直接鷲掴みにされたかのような悍ましい感覚が、私に襲い掛かった。

 思わず動きを止めてしまう。否、体が勝手に動きを停止した。

 まるで天敵を前にしたカエルが、動けば食われてしまうと本能的に察知してしまったかのように。

 

「――――新しく、ここに雇われた使用人の様だね?」

 

 イメージは、氷。

 次に脳裏へ浮かんだものは、夜桜の花吹雪の様な妖艶さ。

 冷たく、重く。それでいて果てしない透明感があり、聞く者の耳から心の中へ優しく寄り添ってくるような、甘くも冷ややかで、美しい声色だった。

 

 たった一言の質問なのに、その声は私の体をいとも容易く縛り上げた。指先はおろか唇すらも動かせない。まるで氷の中に閉じ込められたかのような感覚だった。

 返答を返せずにいると、彼は私から視線を外して紅茶を手に取り、一口含む。

 煙草の煙を吐くように、ふう、と彼は静かに息を吐いた。

 

「……驚いた。香り、色、味……どれをとっても一級品だ。私は長い事生きてきたが、これ程までに美味しい紅茶を飲んだのは生まれて初めてだよ。君からは、ほんの僅かだが良い茶葉の香りがする。つまり、君がこの紅茶を淹れたのかな? 見た所随分と若そうだが、完璧な出来栄えだ。素晴らしいの一言に尽きる」

「……恐悦至極にございます」

 

 賛辞の言葉を貰った瞬間、私を縛り付けていた謎の緊張が解け、雪解け水が地面を柔らかくしていくかのように、心が解されじわりとした安心感が滲み出てくるのが分かった。

 心にゆとりが出来て、私は改めてこの男の異常性に気が付く。

 

 ただ言葉を発するだけで、人の心を容易く掻き乱す魔性とも言える性質。この世のものとは思えない整い過ぎた美貌。そして平然と草木も眠る丑三つ時に現れた彼は、まるで吸血鬼であるお嬢様の生活リズムを予め把握しているかのような振る舞いだ。

 まさか、この男は、お嬢様と同じく。

 

「……別に、そんなに緊張しなくても良いのだよ」

「っ」

 

 読まれている。

 私の鉄仮面ぶりには定評があるし、私自身も感情を表に出す人格ではないと自覚はある。それに、不測の事態で慌てる素振りを見せるなどと言う失態は、紅魔館のメイド長としてのプライドが許さない。

 常に徹底した冷静さを表面上だけでも心掛けているつもりだ。お蔭で機械染みた人間でいるつもりは無くても、お嬢様には冷たすぎるとまで言われたが。

 

 だと言うのに、この男はあっさりと私の心情を読み取った。

 焦りの種が、心に芽吹き成長していくのが分かった。

 

「ところで、君の名前をまだ聞いていなかったね。こんなに素晴らしい紅茶を淹れることが出来る君の名前を是非とも知りたい。教えてはくれないか?」

「……十六夜咲夜です。メイド長を務めさせて頂いております」

 

 一礼。

 何とか言えた。何とか形に出来た。

 幾ら変に緊張しているとはいえ、お嬢様の前で客人に対して無礼な真似など出来るワケがない。そんなことがあろうものなら紅魔館の従者失格だ。

 

 対応に満足してくださったのか、彼は緩やかに微笑む。彼はれっきとした男なのに、女の私ですらも『色気』を感じてしまうほどの妖艶な、魔性の微笑みを覗かせた。

 

「優美な振る舞いに相応しい、美しい名前だ。私の名前はナハト。気軽にナハトと呼んでくれ」

「かしこまりました、ナハト様」

「様、なんてつけなくても良いさ。変に気を遣わなくて結構。これからは家族として接してくれ」

 

 ――――流石に、今の発言には私も驚愕を抑えきれなかった。

 家族になる? それは一体どういう意味だ。

 

 単純に私を篭絡するつもりの宣戦布告なのか。それとも紅魔館を乗っ取り、私を含めた全員を支配しようと考えているのか。ただの冗談には聞こえない。この男の眼は、嘘を言っている眼ではない。

 

 ではこの男は、私たちの敵か?

 

 焦りに呑み込まれた思考が、突拍子もない理論をはじき出していく。しかし私にはそれを止める術が無かった。それほどまでに、今の『十六夜咲夜』は動揺していたのだ。

 私の混乱を見越してか、ナハトと名乗った男は、ああ、と何かに気が付いたように声を発した。

 

「失敬。誤解を招くような発言をしてしまったね。この件に関してはレミリアの方から説明してもらった方がいいだろう。頼めるかね?」

 

 今の今まで黙り込んでいたが、話を振られたお嬢様は一口紅茶を口に含むと、静かにカップをテーブルに置き、言った。

 

「彼は私の義理の父よ。血は繋がっていないから、一応おじ様と呼んでいるわ。長旅から今日帰省してきて、またここに住むことが先ほど決まったの。以後、彼とは私と同等に接するように。良いわね」

 

 お嬢様の言葉に彼は神妙な顔つきをした。どこか腑に落ちないでいるらしい。

 

「レミリア。私はあくまで屋根を共にするだけの、厳密な立場で言えばしがない客人でしかない。なのに当主のお前と同格と言うのは、いささか変じゃあないかね」

「そんなことは無いわ。おじ様は私よりも偉大な吸血鬼なんですもの。これ位当然よ。本当はこんなものじゃ足りない程なんだから」

 

 ……やはり、彼はお嬢様と同じ吸血鬼か。

 

 妖怪の外見はその人物がどれほどの時を過ごしているか推し量る基準にならない。良い例として、お嬢様は500年もの時を生きているのに対し、姿は人間でいえば10歳程度の子供だ。

 幻想郷には、そう言った年齢詐欺とも言える妖怪少女たちがうじゃうじゃと住んでいる。

 

 だが、それでもはっきりとわかった。彼は見た目こそ20代後半の好青年だが、間違いなくお嬢様よりも長い時を生きている吸血鬼だ。人間で言えば、成人している個体なのだろう。もしかすると老成しているかもしれない。

 

 少なくとも滅多なことでは他者を同格として扱わない傲慢不遜なお嬢様が『おじ様』と敬い、偉大な吸血鬼と称える程度には年を重ねているのは間違いない。

 その年の功を示すかのように、彼はまるで娘の我儘を聞く父親のような困った笑みを浮かべて、言った。

 

「しかしだな……ふむ、ならばこうしようか。咲夜、私から一つ、お願いを聞いてもらえるかい?」

「はい、なんでしょうか」

「私の身辺管理はしなくていい。私の事は私がやろう。だからそこまで、私に対して気を負ってもらわなくて結構だ」

「!?」

 

 彼は私を驚かせるのが余程好きなようだ。でなければ、こんな言葉を間違っても吹っかけてくることはあるまい。

 吸血鬼が、悪魔が。自分の事は自分でやるからそんなに気を遣うな、と相手を気遣う言葉をストレートに言ってのけるだなんて、一体誰が思い浮かべるだろうか。

 

 吸血鬼狩りを盛んに行ったという当時の排他的な十字教徒がこの言葉を聞いたらどんな顔をするのだろう。まず間違いなく罠だと疑うに違いない。今の私と似たような心境の筈だ。

 だって、普段のお嬢様が『アレ』なのだ。この発言も、悪魔が得意とする相手を油断させるための甘言の類なのだろうか。

 

 しかし私には不思議と、そう思うことが出来なかった。

 何故だか彼の言っている言葉の意味は、そのまま本心の現れなのだろうと心の底から思えたのだ。彼の声には、その言葉を信用させる何かがあった。

 

「さて。名残惜しいが私はここで席を外させていただくよ。久しぶりに来てみれば、随分この館も構造が変わっている。今後迷わないよう、散歩がてらに館を回らせてもらおう」

 

 そう言って、彼は椅子から腰を上げた。

 改めて見ると、大きい。身長は190センチ以上あるだろう。ただでさえ小柄なお嬢様の隣に立たれれてはお嬢様が一際小さく映ってしまう。

 

 お嬢様は「そう」とだけ呟いて、次に、

 

「なら咲夜をつけるわ。迷ったら戻ってこれなくなるでしょ?」

「心配いらないさ。この部屋の場所は覚えたからね。あとは見ていないところを一通り回るだけだ。なに、これから住まう場所で迷子になるなんて経験も初めの頃にしかできないんだ。堪能させてもらうよ」

 

 それじゃあ、と涼しげな笑顔を浮かべて、彼は部屋を後にした。

 カツ、カツ、カツとブーツの音が遠ざかっていく。するとお嬢様は急に空気が抜けた風船のように萎びて、糸が切れた操り人形の如くテーブルに突っ伏してしまった。

 

「疲れた……おじ様がまたここに来るなんて聞いてないわよぉ……」

「……お嬢様。失礼ながら一つご質問をしてもよろしいでしょうか?」

「言わなくても良いわ。おじ様の事でしょう?」

 

 お嬢様は若干疲れたせいか、どこか張りを無くした顔をこちらに向けて言った。

 

「あの方はね、この紅魔館にまだいっぱい吸血鬼やら妖怪が居た時に、一緒に住んでた吸血鬼の一人なの。親を早くに亡くした私たちの、まさに親代わりの様な存在だったわ。まぁ、400年くらい前にフラッと出かけてそのまま戻ってこなかったから、もしかしたら……って思ってたけど。どうやらそれも杞憂(きゆう)だったみたいね」

「それは、初耳ですわね」

「こうして話のネタにする機会もなかったからねぇ。私もおじ様が家を空けていた時間が時間なだけに、今まですっかり頭から抜け落ちていた訳だし」

「……あの方は、どういったお方なので?」

「どういった人……ね」

 

 お嬢様は、ナハト様の事をまるで知らない赤の他人だとでも言う様に、言葉を詰まらせた。

 

「分からないわ」

 

 どこか悲しそうで、どこか寂しそうな、複雑な色がお嬢様の表情に浮かぶ。

 

「分からないのよ、おじ様の事は。あの人は私たちに殆ど素の面を見せなかった。百年ぽっちだけど、それでも一緒に過ごした私でさえ知っているのは、そんじょそこらの吸血鬼やら妖怪とは別格の存在だと言う事実のみ。咲夜も感じたでしょう? あの圧力を伴う重々しい瘴気を。普通の吸血鬼が常日頃からあんな瘴気を放てる訳がないわ。大妖怪ですら、死闘で本気を覗かせた時でしかあんな圧迫感を出すことはないというのに」

 

 私は静かに頷いた。

 もう二度と忘れることはないだろう。あの、言葉一つで心臓を直接触られたかのような、言い知れない謎の圧力。まだ幻覚として、胸の奥に感覚が残っているほどだ。

 

「館に居た吸血鬼たちは、皆おじ様を恐れていたわ。同じ吸血鬼とは思えない紳士的で柔らかな態度なのに、常に纏っているのは得体の知れない禍々しい空気。――おじ様には、普通の吸血鬼には無い特別な何かがある。それだけは分かっているのだけど、出自も親族も生い立ちも一切分からない。確かに存在しているけれど、謎の塊のような人物。それがあの人よ」

 

 ――――どういう、ことなのだろう。

 お嬢様とナハト様は過去、この館に住んでいて、寝食を共にしていた。その当時は吸血鬼たちが大勢居たと言う。だと言うのに、彼の事を詳細に知る者が誰一人としていなくて、けれどもその圧倒的な存在感から畏怖の対象とされていた吸血鬼。

 こんな不可解なことがあるだろうか。話によれば、ナハト様はお嬢様の親代わりだったそうではないか。なのに、何も知らないなんてことがありえるのか? 

 

 彼は別段、無口と言う訳では無かった。それどころか逆に、初対面の私に向かって積極的に話しかけてくださるほどには饒舌だった。

 圧迫感に威圧され、固まっていた私に対して不快な表情を一切見せることなく、何度も柔らかく話しかけてくださっていた。故に、彼が無口故に素性が分からないと言う線は薄いように思える。

 

 では、何故? 何故数多の人外たちが彼と共に暮らしながら、彼の素性を掴むことが出来なかったのだ?

 

 ナハト様。お嬢様の親代わりだった人物であり、数多の吸血鬼に畏れられた吸血鬼。

 彼は一体、何者なのだろうか。

 私の胸の中に、大きなしこりのような不安感が、密かに生まれつつあった。

 

 

 夜の静寂が心地いい。近くに大きな湖があるせいか、夏だと言うのにほんの少しばかり涼しく感じる。こんな夜は、散歩がいつもより気持ちいいものだ。

 

 私の名前はナハト。苗字は無い。昔からそう呼ばれていたから、こう名乗っている。何の変哲もないただの一妖怪である。

 ……と言えば、嘘になるだろうか。まぁ、正確にはただの妖怪ではない。ちょっと不幸体質な妖怪である。

 

 一体全体何が不幸体質なのか。それは至極単純、私に宿っている忌々しい能力が原因だ。

 

 私は周囲に恐怖を呼び起こす魔性を放つ、ただその程度の能力を持っている。言ってしまえばこの能力は私の体からはもちろん、私の所有物、果てには視線や声にまで、相手に影響を及ぼす瘴気に近いナニカを無意識に発してしまうというものだ。能力より最早体質に近い。故に不幸体質である。

 

 これがまた厄介で、私の魔性を受けた者は例外なく畏怖や恐怖を植え付けられてしまうらしい。魔性は動物や人間はもちろん、妖怪にまで作用してしまう困った代物で、特に精神を本体とする妖怪には、どうも私の魔性は相性の悪いものの様だ。そのせいか、私は他者とのコミュニケーションが上手く取れないでいる。

 

 何故こんな能力による副次的効果にわざわざ言及したかと聞かれれば、答えは一つしかない。私にとってこの答えが、死活問題に等しい悩みの種だからだ。

 

 実のところ、私には一人として友達と呼べるものがいない。

 

 この加減が制御できない能力のせいで、今までの長い妖怪生において私は一人も友達と呼べるものが出来た事が無い。

 気のおけない仲は居るかと聞かれれば、レミリアを筆頭とした同族の子たちだろうが、やはりどうも私と接するのは辛いらしかった。同じ屋根の下で過ごした同族達であるにも関わらず、何故か私に対してまるで怖いパワハラ上司を相手にしているかのような余所余所しい態度を、吸血鬼狩りの影響で散り散りになってしまったその日まで終始崩さなかった。何もしていないのに泣きたくなった。実際陰で泣いた。

 

 無論、私だってこの魔性の影響に負けないように努力はしているつもりだ。能力のコントロール練習はもちろんのこと、話題の幅を広げるために世界を巡り見聞も深めたし、様々なジャンルの趣味嗜好にも挑戦してみた。

 

 お蔭で色々なスキルが身についた上、どの様な文化や特性、癖のある人物でも受け入れる事の出来る包容力を獲得したと思っている。今の私ならゴキブリですら友達になれる自信がある。例えどんな者であっても友達になってくれるならば、受け入れる準備は万端だ。

 

 しかし、この魔性の効果は私の想定を上回る曲者だった。加減が効かないのは言わずもがな、旅先で出会った人妖はまず私を見ると恐怖に硬直するか、咽び泣くか、逆上して襲い掛かってくるか、何かに目覚めて忠誠を誓おうとしてきた。

 私は普通に、何気ないお喋りをしながらのんびりとした時間を過ごせる極普通の友達が欲しくて声をかけたつもりだったのに、毎度ながらどうもまともに応対してくれないのだ。受け入れようにも相手から拒絶されては意味が無い。大抵が空回りに終わってしまった。

 

 これがつまり、私のちょっとした不幸履歴という奴だ。簡潔に纏めると、私は体質に孤独運命を左右されてしまったキャリアうん千年のエリートボッチである。世界中どこを探しても私よりボッチキャリアの長い人物は存在しないだろう。

 

 話を戻そう。結果私には、世界中を渡り歩いても友達になってくれる者は見つけられなかった。命乞いをされるか、討伐隊が組まれるか、変な宗教が出来ただけだった。私は討伐隊や狂信者たちから逃げつつ、ずっと友達になってくれる存在を探し続けた。

 

 そうした末に行き着いたのが、妖怪たちが楽園として住まう東の国の隠れ里、幻想郷の情報だ。

 

 草の根をかき分けるように様々な妖怪たちへ話を聞けば(質問しただけで命乞いをされながら情報提供をされたのは甚だ遺憾だが)、私にとっては愛娘も同然であるレミリアもそこへ移住したというではないか。吸血鬼狩りに遭い、多くの仲間が散っていったと旅の途中に噂が届きハラハラさせられる中、義娘たちが生存していたという吉報を聞いた時はつい嬉しくて舞い上がったものだ。

 

 さらに聞く限りでは、幻想郷とはこの現代社会で妖怪に残された最後の楽園とまで称される場所だという。多くの魑魅魍魎が、人間と共に絶妙なバランスを保ちながら生きている、まさに隠れ里なのだとか。

 

 常に敵対しあっていた人間と妖怪が、どの様な形であれ共存しているだなんて他に聞いた事が無い。そのような場所ならばきっと、私と友達になってくれる者も居るに違いない! そう信じて、このたび幻想郷へとやってきた訳である。理由がフワフワし過ぎだなんて言ってはいけない。私はいたって真剣だ。

 

 そして旅の末、どうにかこうにか幻想郷へ入り込み、周囲の風景以外昔と何一つ変わらない姿の紅魔館に辿り着いたという訳だ。

 

 私がこの館へ訪れて初めに出迎えてくれたのはレミリアだった。迎えてくれたと言うよりは、久しぶりの再会だから少し驚かせようと思って忍び込んだら偶然レミリアの部屋に入ってしまい、そこでばったり会ったと表現するのが正しいか。

 

 私が忍び込んだ当初、彼女は仕事を全うしていた。小さな椅子に座って書類をテーブルに広げ、黙々と責務に励んでいたのだ。あんなに小さくて天真爛漫だったレミリアが立派に成長した姿をこの目で見ることが出来た感動で、つい私は忍び込んだまま、過去の思い出に浸りながらハンカチで目元を拭いつつ、しばしの間その光景を眺めていた。

 

 ふとした拍子に、彼女は腕を伸ばして思い切り伸びをしたかと思えば気まぐれに振り返り、そしておもむろに目が合った。

 目を合わせた瞬間、少女は椅子から派手に転げ落ちた。

 

 手を差し伸べれば、先ほど仕事をしていた時の落ち着き払っていた様子とはまるで別人のように、レミリアは震える手で私の手を掴んだ。

 あの様子では、私のどっきり訪問サプライズはばっちりだったと言う訳だ。しかし何も本気で怖がって顔面蒼白にならなくてもいいじゃないかレミリア。短い間とは言え、人並み以上に愛情を注いで育てた経緯もあるというのに。ちょっとだけ胸が痛む。

 

 怖がらせまいと笑顔を浮かべてみたが、ビクッとするだけだった。ここ数百年笑顔の練習を欠かしたことは無いのだが、まだ魔性を凌駕出来るほどのグッドスマイルに辿り着けてはいないと言う事か。アルカイックスマイルを手に入れる日はいつになったら来るのだろうか。私は妖怪だけれども。

 

 レミリアは立ち上がると、酷く動揺したまま部屋を飛び出していった。数分後、憑き物が落ちたように落ち着いた様子で戻って来たかと思えば、今度は人間の使用人を呼び出した。

 

 使用人が居る事には別段驚きは無いが、これがまた、よく出来た人間の娘だった。

 人間は妖怪と違い、見た目がそのまま年齢と直結する。おおよそ10代後半から20代前半であろうその若々しい少女は、礼節と落ち着きを持って私をもてなしてくれた。

 

 本当にいつぶりだろう、他人が淹れてくれた紅茶を飲んだのは。これがとびきり美味いときたものだから、私は感動のあまり思わず涙するところだった。たとえ初対面と言えど、人の淹れてくれた紅茶のなんと暖かい事か。

 

 その少女は、まぁ当然ながら、レミリアに仕えている新しい使用人らしかった。名は十六夜咲夜。清楚で瀟洒な印象を受ける彼女にぴったりな美しい名前だ。名前に反して東洋人らしくない外見から考えて、レミリアが彼女を雇った時にでも付けたのだろう。

 

 だとすれば、彼女を拾い上げたその判断は間違っていないと断言できる。彼女は素晴らしい逸材だ。冷静沈着で、私の魔性を前に正気を失う事もなく瀟洒な対応を貫いてみせたあの少女とは、願わくば是非とも親密になりたいものだ。

 もっとも、レミリアの従者であると言う点から考えて、私にとってあの子は娘同然のポジションに収まりそうではある。他人との立ち位置を決めつけるなど独りよがりで勝手な考えだが、考えるだけならば罰は当たらんだろう。

 

 取り敢えず、親密に歩み寄るための第一歩として、私に対する緊張感を少しでも無くしてあげるよう努めることにした。

 私は昔レミリアの親代わりをしていたが、予め主人に当たるレミリアとは同列にせず、一歩引いた立場をとると明言する。身辺の管理は全て私がやると宣言もした。これで、私と彼女との間に生まれる話題の種から事務的な話が摘み取られ、必然的に世間話や他愛もない話題に置き換える事が出来る筈だ。

 

 見た所、彼女は紅茶を淹れるのがとても上手い。世界各国の紅茶の話をすると面白がるだろう。皮肉なことに、ありとあらゆる趣味に没頭した私は話題にだけは事欠かない。淹れ方や味、風味などの些細なものからナハトオリジナルブレンドティー制作に至る範囲まで話題を広げられる自信がある。何せネタを考えたり試行錯誤する時間はたっぷりとあったのだから。

 

 もしかすると、久方ぶりに私の話題の宝石箱が開かれる時が来るかもしれないな。ああ、その時が楽しみで仕方がない。想像するだけで胸が高鳴る。今日は本当に良い日だ。この調子なら、私を灰にする太陽を前におはようを言える日も近いかもしれない。

 

 だが、浮かれすぎて強引に行き過ぎると好まれない事は、今までの経験から知っている。一日で一気に距離を縮めようとするのではなく、少しずつ近づいていくのがベストだろう。今日のところはここで退散して、明日からゆっくり親睦を深めていこうと思う。

 

 そんな経緯を経て私は今、懐かしき紅魔館の廊下を歩いているわけだ。何だか昔より広い気がしなくもないが、きっと古くなって改築したのだろう。まるで新居を見学に来たかのような新鮮な気分になった。

 

「ここは……」

 

 ぶらぶら歩き続けて、大体30分程度が経過した。そうして私の前に現れたのは、他のドアとは一線を画す大きな木製の扉だった。

 

 私はこの場所を、ドアの先の空間を知っている。紅魔館に一つだけ存在する図書館だ。

 懐かしい。見聞を広める目的で、ジャンルを問わずありとあらゆる本を掻き集めた大昔の光景がまるで昨日の出来事の様だ。

 

 周りの同胞たちは私が魔導書を集めて何かを企んでいると勘違いして近づいてもくれなかったが、何てことは無い。この図書館は、いわば私のボッチ体質を克服するための私立学校(創設者兼生徒一名のみ)なのだ。

 生徒は私一人で教師は本。マンツーマンどころか相手は生物ですらないのが泣けてくる。あまりにも悲しくて少し魔力が漏れ出してしまったのは記憶に新しい。これも悪い癖だ。ブルーになると無意識に魔力が漏れ出してしまう。そのせいで幾つかファンタジーゲームに登場するびっくり箱型モンスターの様な、鋭い歯を生やした魔本が出来上がってしまった。

 

 私のミスで命を宿しておいて焚書するのも少し可愛そうだったので、本棚の奥に突っ込んだままにしてある。今も多分、処分されていなければ本棚に収まっているだろう。後でどうなっているか見ておこうか。

 

 さてさて気持ちを切り替えよう。ブルーで良い事なんて一つもない。精神に存在の比重を置く妖怪はポジティブ第一だ。

 苦い思い出を頭から振り払い、私は大きなドアノブに手をかけた。

 

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