【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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16.「夜へ轟け、演武の宴」

 誤解が解けたと喜ぶべきか、この状況に困惑すべきか。実に迷う所ではあると思う。だがまぁ、何とか数回刃を叩き込まれただけで事が収束したので、一応喜ぶべきなのだろう。私の怪我は全くの無駄では無かったと言う事だ。

 ……自分で言っておきながら何だか哀れになって来た。いかんな、初顔合わせイコール流血沙汰だなんて常識に支配されてしまっている気がする。最近は好調なものだからそれでもいいかと流されてしまっているのかもしれない。それは駄目だ。最低限の倫理観だけでも保っておかねば。

 

 さて。発端となった手紙の送り主が伊吹萃香と名乗る角の妖怪少女だと発覚し、主に私が――と言うよりは私だけが血塗れになったあの修羅場は、どうにかこうにか無事に幕を下ろす事が出来た。まぁ、何故かヒートアップしていた美鈴がかなりの数の白狼天狗達を気でダウンさせてしまっていたのだが、『我々は混乱していたが故にきちんと手紙の正否を上へ確認しなかった責任がある。その失態をそちらへ押し付ける訳にはいかない』と、私へ一番最初に斬りかかって来た犬走椛と言う名の少女の発言によってお咎め無しとなった。混乱の原因は十中八九私であるが故に、かなり罪悪感で胸が痛む。せめてものお詫びに怪我をしてしまった彼女らの治療を美鈴と共に手伝おうとしたものの、触れたら殺すと言う目付きで睨まれたので何も出来なかった。客人は客人だがあくまで警戒対象に過ぎないらしい。それでこそ警備を務める者の在り方だと言えるが、彼女たちの目が、ここへ来た当初の夜パチュリーを失神させてしまった際に小悪魔が私へ向けた目とそっくりだった。うーむ、視線が刺さるとは正にこの事か。

 

 ネガティブシンキングに呑まれそうなので、着眼点を変えるとしよう。

 現在私たちは妖怪の山、その深部を歩いている。山の麓は木々と小川に囲まれた、いわゆる原風景そのものな環境だったが、修験道の様な道をひたすら上って行った奥は森が切り開かれ、天狗達が活動の拠点を置いている集落へと辿り着いた。規模としては、人里より少々広めな里と言った印象だ。

 ただこちらの方が技術的に進歩しているのか、かなり複雑な建築物もちらほらと建っている。しかしそれに反して、見事なまでに自然との調和を保っていた。外界の様に自然を侵していないのである。自然現象と密接な関係を持つ妖怪ならではの文化や技術は流石と言ったところだろうか。

 そして招待状の内容に偽りなく、今日は祭りが開かれている様で、奥に見える広場と思わしき場には屋台があちこちで展開されており、日本の祭り独特の賑やかさで溢れ返っていた。

 

「先ほどは、とんだ無礼を。まさか伊吹様が招かれた方々とは露ほども知らず……」

「あ、いえいえ、そうお気になさらず。お互い、譲れぬものがあったのですから、仕方ないですよ。むしろ私としては良い機会だったんです。色々と証明する事が出来ましたから」

「かたじけない」

 

 美鈴と椛は、私達の立場に対する誤解が解けてからずっとこの調子である。お互い生真面目な性格ゆえの現象と言えるだろう。しかし、美鈴が一体何を証明しようと躍起になっていたのかが気になる所だ。もしかして長らく本気で体を動かせていなかったが故に、ちょっとした敵との遭遇で昂ってしまう程鈍っていたのだろうか。

 

 妖怪の中には、元来の性格として戦闘を好む者が多々存在する。美鈴も昔は武者修行をしていた身らしいので、その傾向があるのだろう。

 ふーむ、これは時折手合わせなど相手をしてストレス発散の手伝いを担った方が良いのだろうか。妖怪にとって過度なストレスは天敵に等しい。極論で言えば、趣味嗜好や生きがいを潰された妖怪は驚くほど呆気なく衰弱し、さらに進行すれば一気に老け込み、やがて老衰にまで至ってしまう。人形を保つ妖怪の実年齢と容姿が全く比例しないのは成長を捨てたが故の副作用だが、それは精神面にも強く影響されるのだ。

 つまり言い換えれば、精神が若々しくなければ容姿も潤いを保てないと言う事になる。

 彼女に健康でいて貰うためにも、これはレミリアと相談するべき案件だと言えよう。

 

 因みに、一行のメンバーは私と美鈴、萃香に椛、そして鴉天狗の射命丸文と言う名の少女である。どうも天狗達は萃香に弱いのか、彼女に対しては先ほどの勇姿が嘘の様に弱腰で、半ば無理やり連れて来られていた。恐らく萃香は山の中でもそれなりの地位に立つ妖怪なのだろう。

 角が特徴的な妖怪で、『伊吹』の名字を持つとなると鬼――しかも、極東の地では白面金毛九尾や崇徳上皇と名を連ねる、あの酒呑童子と関係のある少女、もしくは本人ではないだろうかと推測している。あくまで推測の域を出ないのだが、現実にかぐや姫本人が住んでいるのが幻想郷だ。人々に語り継がれている物語とは違い、生き永らえた酒呑童子が、ここで余生を過ごしていたとしても不思議ではあるまい。

 

 そんな彼女は今、霧状に体を変化させて漂いながら私たちを案内していた。成程、手紙の差出人が喋る霧だったというチルノたちの証言はこれを指していたのか。納得した。

 

『ところで、お前さんよう。その道行く妖怪全てに喧嘩を売ってるような威圧感、どうにかならないのかい? 擦れ違う天狗が皆怯えているよ』

「これは体質のせいでな。私の意思ではまるで制御が効かないんだ。お蔭で私自身が困っている程だよ」

『ふーん……まぁ、そう言う事にしとくよ。取り敢えず白狼ちゃんと文にくっ付いていれば、外敵として判断される事も無いだろうさ。さぁさぁ、祭りなんだからシケた面してないで楽しみな。山の祭りなんて、下で暮らしてる奴には滅多に巡り合えない貴重な機会なんだぞ?』

「ごもっともだ。楽しませて貰うとしよう」

「…………」

 

 もう長らく賑わいの場に出ていない身としては、つい祭りの熱気に当てられ内心浮足立ってしまいそうになる。が、そんな私と反するかのように、鴉天狗の少女はどこからどう見ても意気消沈してしまっていた。丁度萃香と私の間を歩く文の形相はまるでゾンビそのものだ。とても平気の様に思えない。私の魔性の作用なのだろうか。取り敢えず、数歩引いた位置へ距離を取っておく事にした。

 

「屋台は人間のものと変わらないのか」

『んにゃ、妖怪は人間と違って手を出す範囲が広いから、一口に屋台と言っても色々なモンがあるよ。スタンダードな食べ物は大体揃ってるし、グルメな奴の為に外来人の血肉専門とかもあれば、中にはどこで採って来たんだって言うゲテモノもある。河童の奴なんかは意味の分からない機械や工芸品なんかも売ってるなぁ』

 

 酔っ払いの様に、所々アクセントのズレた口調で萃香は言う。そんな彼女は『ああ、アレだよアレ』と何かを発見したかのような発言をすると、フラフラ漂いながらどこかへ移動し始めた。

 椛を筆頭として美鈴や文が後を着いていくが、私はその場で待機する事にした。私が行けば、また余計な混乱を生みかねない。今でさえ突き刺さる様な視線がところどころから寄せられているのだ。ここが屋台の立ち並ぶ広場の外れで、文や椛の同伴もあってか先ほどの様な荒事にまで発展しないのが幸いか。

 

 萃香が向かった先は、ありふれた一つの屋台だった。暖簾にはダイナミックな文字で『お値段以上のにとり』と書かれている。どこかで聞いた事のある様なフレーズだな。

 萃香は霧から実体化すると、屋台のベルを乱雑に叩く。リンリンと小気味良い鈴の音が反響した。見た目は普通の屋台なのだが、布で隠されている奥にスペースが存在しているのだろうか。店舗の外観から考えてその線は薄そうだが、もしかしたら地面の下に別の空間が存在しているのかもしれない。妖怪ならば即席で穴を掘るなどお手の物だろう。

 

「おぅい、にとり。居るかい?」

「へいらっしゃ――ひゅいっ!? す、萃香様ァッ!? どどどうして山にもがァッッ!?」

「しーっ。今はあんまり騒がれたくないのさ。静かにな。大丈夫、今は何もしやしないよ」

 

 蝦蛄(シャコ)の一撃の如き俊敏さで、萃香は二つに纏められた空色の髪と緑の帽子が特徴的な店主の顎を掴み取った。哀れにとりと言う名の河童らしい妖怪少女は、脅迫犯から詰め寄られた被害者の様に首肯をするだけの人形と化してしまう。

 よし良い子だ、と萃香は手を離す。解放された少女は、顔から血の気を引かせながら引き攣った笑顔を浮かべた。どうやら彼女も、椛や文と同じく萃香に頭が上がらない様子だ。

 

「げふん。ら、らっしゃい! 何をお求めですか?」

「何か面白い奴は無いかい?」

「面白い奴……じゃあこれなんてどうでしょう」

 

 にとりは台座の下をなにやらごそごそと漁ると、二つの筒の様なものを取り出した。長さはおよそ三十センチ程度で、形状は握り易さを追求したのか、中央部分が緩やかなカーブを描き、親指が当たる部分にスイッチの様なものが見られた。それぞれ筒の片面には空洞が存在していて、素材は鉱石らしきもので構成されている。

 はて、これは一体どの様に使う道具なのだろうか。ボディに鉱石を使っている点や妙な記号らしき印が全体に彫られている外観からマジックアイテムの様に見えるが、機械的なスイッチがある所からどこか外界の科学製品と似た雰囲気も感じる。

 

 萃香は異国で初めて目にした特産品を眺めるかのように視線を集中させながら、『ふーん?』と声を漏らした。

 

「そいつは?」

「新発明品でさ。ほら、テレポートってあるでしょう? 魔法使いや一部の妖怪が使ってるアレです。あの空間転移を道具で再現してみたくて、出来上がったのがこれなんですよ。具体的には筒の中に小さな重力場発生装置を――」

「あー、分かった、分かったから。細かい所は良いからさ、具体的には何をどうする道具なのか教えてよ」

 

 一刀両断され、見るからにしょんぼりとするにとり。典型的な発明家気質なのか、自身の作品発表が出来ずに不満らしい。

 

「――えっと、要するに片方の筒からもう片方の筒へ物を移動させる事ができるんですよ! そして驚くなかれ、これの凄いところは筒の直径より遥かに大きなものでも転移可能な点なのです。ほら、見てくださいな」

 

 ほいっ、と言う掛け声と共に、にとりが片方の筒を宙へと放る。それは孤を描きながら、迷うことなく私の方へと向かって来た。

 故意か? と一瞬勘繰ったが、その疑いは直ぐに霧散する事と成る。彼女は萃香に意識を全て持っていかれているのか、欠片もこちらの存在へ気が付いていないのだ。魔性の気配を感じ取っている様子もない。

 ふと。河童の少女が語っていた筒の効果を頭の中で反芻させたところ、ある懸念が思い浮かんだ。

 マズい、と脳裏に電流が駆け抜けたのも束の間。にとりは既に、自らへ穴を向けたもう一つの筒のスイッチを、深く押し込み終えた後だった。

 

 ブォン。

 何かが凄まじいスピードで挙動したかのような音がして。

 続いて、にとりの持っていた筒が力無く地面へ落下し。

 最後に、私の眼前を舞っていた筒から、どういう原理なのかにとりが勢いよくポンッと飛び出してきた。

 となると、説明などするまでも無く。

 

「っとまぁこんな感じで実のところ私二人分ぐらいの大きさならこの通り転移出来るのでふぎゃあああああああああああああああああああ化け物ォォおおお――――――――――ッ!!?」

 

 宙に放り出されたにとりが私を視認し、魔性に感染、絶叫。更に飛んで私を回避するために変な方向へ力が入ったのか、にとりはきりもみ回転しながら遥か後ろへすっ飛んで行ってしまった。

 にとりを打ち出した筒が地面に落ちて、一同沈黙。例えようも無い複雑な気持ちが胸の中へ滲んでいく。

 

「あー……うん。まぁ、不幸な事故って奴さね」

「にとりさん……」

「にとり……」

 

 何だか河童少女が殉職してしまったかのような反応である。確かに凄まじい勢いでミサイルの如く飛んで行ってしまったが、流石に死んではいないだろう。さらに河童と言う妖怪はその和やかな印象に反し、相撲好きで屈強な種族だと聞く。恐らく怪我も無い筈だ。

 

 彼女の落としていった発明品を拾い、土を落とす。ふーむ、どうやらあの少女はかなり腕の立つ技術者らしい。一目ではこの筒がどの様な仕組みで成り立っているのかさっぱりだ。少し興味が出てくる。

 

「欲しいなら買ってやればいいんじゃない? 一応商品なんだから、金さえ払えば持って行っても良い筈さ。売れた方があいつも喜ぶだろうし」

「ふむ……是非そうしたいところだが、残念ながら私は幻想郷で使える金銭を持ち合わせていないのだ」

「あー、なら金目のものでも置いておけばいいよ」

 

 そんな適当で大丈夫なのだろうか。しかし物を交換する価値観にそこまで差が無いのであれば、館の隠し部屋から持ってきた金貨でも問題ないか。五枚程度置いておけば恐らく足りるだろう。

 金貨の包みを屋台に置き、筒を購入する事にした。が、どんな仕組みであるか分からない以上、私が持っておくと機能が瘴気や魔力で破壊される恐れもあるので、念のため美鈴に渡しておく。

 

 再び霧状へ姿を変えた萃香が、ふよふよと我々の前を漂い始めた。どこか苛立ちを含んだような声で、彼女は言う。

 

『祭りも良いけど、この調子だとまた問題が起こってその度に足が詰まりそうだしさ、もう直接目的地に連れていくよ。本命は祭りじゃなくて、もっと別の場所にあるんだ』

「そうなのか。ならば頼む」

 

 屋台を見て回れないのは残念だが、萃香の言う通り、無用な混乱は避けるべきか。先ほどの様なやり取りが続けばあっという間に陽が昇ってしまう。私は素直に彼女の言葉へ従う事にした。

 そうして萃香に連れられるまま、私たちは天狗の里を通り抜け、更に奥へ深くへと道案内されていった。道中、他とは一線を画す巨大で豪華絢爛な建造物が見えたのだが、どうやらそこが目的地と言う訳では無い様で、あっさりスルーされた。少し観光してみたかったので残念だが、傍目から見ると非常に警備が厳重なので、いわば観る(・・)為の施設では無いようだ。

 建物の横道を通り過ぎ、更に歩き続ける事一時間弱。終わりの見えない山登りは、遂に終着点を迎えた。

 

『到着っ。さぁ、ここがお前さん方を招きたかった場所だよ』

 

 実体化していれば、その場で燥ぎ回りそうなほどに喜色を含んだ声で萃香は言った。

 彼女が私達を招待したかった場所。それはただただ広大で、何もない真っ新な円状の敷地だった。

 位置として考えれば、山の頂上付近だ。草どころか石一つ転がっていない真っ平に整備された土地の奥には、この空間の異様な更地具合と相まって巨大すぎる椅子の背もたれにさえ見える切り立った断崖が鎮座しており、崖をなぞるように視線を上へ向ければ山頂が雲を貫いている。

 周囲を見れば、壁があった。草の根一つない真っ白な土の壁が、このフィールドを丸く囲っている。そこで漸く私は、このフィールドが山の一部を更地にして造られたものではなく、山の一部を抉って造り出されたものだと言う事を理解した。

 

 しかしこの造形。どこかで見覚えがある。

 無駄に整備された更地。更地と上層部を隔てる様な壁。そして壁の上に見える、お椀状に広がっている観客席らしき座の数々。そこに座り、我々へ夥しい視線を向ける数多の妖怪たち。

 そう、これはまるで――――

 

「改めて、歓迎するよ」

 

 何時の間にか実体化していた萃香が、私へ向かって笑った。

 実に豪快に、実に愉快そうに。角の少女は歯を剥いてにっと笑った。

 

「ようこそっ! かつて私たち鬼が幾多の猛者と拳を交えた、霊峰の闘技場へ!」

 

 ――――ああ、やはりそうなのか。

 どこか既視感のある光景だと思ったら、アレと似ているのだ。今では観光地として有名な、欧州にある巨大円形闘技場に。

 であれば、この地へ招待された理由など、もう子供でも想像がつく。

 

「…………私は、祭りへの招待だと伺っていたのだが」

「ああ、これがその祭りだよ。もう二度とお目にかかれない、一世一代の大闘技。メインキャストは私とお前さ。どうだい、素晴らしい晴れ舞台に心躍るだろう? 血肉湧き立つこの状況に声も出ないだろう?」

 

 うむ、心躍らないどころか、踊る前に足を攣ってしまったかのような残念な心境だ。別の意味で声も出ない。私の想像していた祭りは、先ほどの屋台で閉宴してしまったと言うのか。

 

「……狙いは何だ?」

「狙い、ねぇ」

 

 萃香は腰に下げた紫色の瓢箪を取り、一気に煽ぐと深く息を吐き出した。猛烈な酒気が漂い、鼻を突く。

 

「理由はちゃんとあるよ。何の意味も無く、長年放置されて錆び付いていたこの闘技場を、せっせと河童に掃除して貰うよう天魔に言った訳じゃあないのさ。まぁ私としては理由なんて無くても良かったんだけど……何の理由も無く暴れたら、アイツが五月蠅いからさぁ」

 

 萃香は親指を立てると、面倒臭そうに背後を指した。示された方角には、雲を突き抜ける程の途方もない高さの崖しか存在しない――――かと思われたが、よく見ると断崖を掘って観覧席が設備されているではないか。まるでVIP専用席と言った感じだ。

 眼を再び改造し、ピントを合わせていく。映像が鮮明になるにつれてVIPの正体が分かってきた。

 席は三つ。一つは空席だが、その中央には他の天狗とはまるで異なる仰々しい雰囲気の法衣を身に纏い、無機質な純白のアイマスクを着けた天狗が悠然と腰かけている。恐らく山を総べる頭領の立場にある者だろう。しかしそれよりも驚くべきは、天狗の隣に幻想郷の管理者こと八雲紫が、淑やかに鎮座している事だった。

 隣に従者と思わしき狐の妖怪が立っているのは、幻想郷の管理者としてこの地へ集ったと言う事か。これはそこまで大事な行事なのか?

 

「闘技と演目を掲げた理由は、ナハト。お前さんの本当の実力を計っておきたいからだよ」

「実力……だと?」

「そうさ。あの偽の月の晩に見たんだよ私は。紫と幽々子二人がかりのごっこじゃない本気弾幕を、お前さんが捌いて見せた光景をさ」

 

 ……確かに、私はあの晩、盛大に暴れ回った。否、正確には追い掛け回されたと言った方が正しいだろう。とにか、私はあの夜に二人と一戦交えた。それはもう、夜空一面を彩らんばかりの絢爛な弾幕で持成された。

 あれだけ派手に動けば誰かには見られただろうとは思ったが……どうやらその誰か(・・)が彼女だったらしい。

 

「でもよう、あの時お前さん本気じゃなかっただろ?」

 

 萃香はあらゆる真実を射抜く矢の様に、鋭い眼光を私へ向けた。

 しかし本気でなかったなど誤解もいい所だ。確かに攻撃へ転じてはいなかったが、あの時の私は二人の攻撃を避ける事に全力を注いでいた。それは紛れも無い事実である。

 

「いいや、全力だった」

「嘘はよくないなぁ、嘘は」

 

 補足を付け加えようとしたその瞬間、得体の知れない圧力を放つ萃香の言葉に、私の発言は見事なまでに両断された。どうやら怒っている様である。

 何故だ? どこかで彼女の地雷を踏んでしまったのだろうか。声を放てばそれだけで地雷原を猛ダッシュしてしまう様な理不尽効果を持つ私としては、何が彼女の琴線に触れたのかが分からない。

 

 萃香は続ける。今度は浅く、瓢箪に口づけをしながら。

 

「昂ったあの二人を前にして、自ら胴を刎ねる余裕があったくせに全力だったって? 嘘も休み休み言えってんだ。いや、言うな。私は虚言が嫌いなんだ」

「それは誤解だ。あの時は――――」

「よしな。言い訳は聞きたくない。と言うか、今は過去のお前さんを糾弾したい訳じゃないんだよ」

 

 そう言って彼女は、脱線した話を払いのける様にひらひらと手を振る。うーむ、これ以上何かを喋ればまた話が抉れそうな雰囲気だ。黙っておく方が吉か。

 ただ、彼女の場合魔性のせいで話を聞いてくれないと言うよりは、私へ苛立ちを覚えているために突っぱねている様にも感じる。そこまで嘘が嫌いなのだろうか。無論、嘘を吐いたつもりはないのだが。

 そう言えば、にとりの屋台の辺りからあまりいい顔をしていなかったな。もしや私そのものが癪に障るのか。だとすれば私はどうすればいいのだ。

 

「ともかく、この場を設けた理由はたった一つのシンプルなものなんだ。それはお前さんの本当の実力を見極める事。それだけだよ」

「……」

「実のところ、あの夜でお前さんを直接的にしろ間接的にしろ、目撃した奴は結構多いんだぜ。そんな連中の中には、お前さんへかなりの警戒心を抱いている輩がそれなりに居る。何故だと思う?」

「……それは、この私の瘴気のせいだと思うのだが」

「? ――ああ、それもあるだろうよ。でももっと根本的な問題なのさ。この場に居るどの妖怪も、その付き人の門番でさえも、お前さんが底を曝け出したところを見た事が無いからだ」

 

 想像してごらんよ、と彼女は繋げる。

 

「ある日突然、一目見ただけで紫級だと確信できる、見た事も無いトンデモ妖怪が現れた。そいつは常に周りへ威圧感を振りまいて喧嘩を売ってるんだ。そしていざそいつが戦ってるところを見れば、まるで底の見えない実力の持ち主と来た。おまけにそいつは、視界に映すだけで有無を言わせず心を支配してしまう意味の分からない力も持っている。噛み砕いちまえば皆、お前さんの事がまるで理解出来ていないんだよ。理解出来ないものほど恐ろしいものはない。お前さんも妖怪なら、私の言っている意味くらい分かるだろう? 本来ならば理解出来ない闇の恐怖を人間へ植え付ける筈の妖怪が、逆に理解の出来ない恐怖に怯えちまってるのさ。これほどおかしな話も無いよね。だから今夜は、その不可解を取っ払っちまおうって魂胆なのよ」

 

 そう言って、にかっ、と萃香は悪戯っ子の様な笑顔を浮かべた。

 成程、これはある種の披露宴の様なものなのだろう。開催理由は彼女の言う『理解の出来ない恐怖』である私を『理解の出来る物』に変えるためであり、手っ取り早く私の全力を表出させて底を露見させる事で、ある程度私に対しての心の余裕を生じさせようとしている訳だ。真っ暗な谷底であっても、奥底までの深ささえ分かってしまえば、どうにか対処のしようがあるものである。何より心のゆとりが出来る。

 

 であれば、これはチャンスだろう。例え建前上だとしてもこれはあくまで『祭り』であり、戦争では無い。第三者視点から見れば合法的に、平和的に、私の危険度合いを測ってくれると言うのだ。捻くれた交流会とでも言うべきか。手段や閉幕に至るまでの経緯はどうあれ、利用せずにはいられない。上手くいけば、私は『意味不明な化け物』から『見た目怖いだけの吸血鬼』にランクダウンし、様々な者達との間に生じた擦れ違いを解消する事の出来る波紋を生み出せるかもしれないのだから。

 

「……まぁ、前置きはこんなものでいいよね。さぁ事情は説明したぞ。舞台に上がってくれるよねっ?」

「ああ喜んで。この祭りを存分に楽しませて貰うとも」

「ナハトさん、お待ちください」

 

 萃香の提案に何か思う所があったのか、美鈴の声が私を引き留めた。

 

「この状況、何かしら裏がある様に思えます。八雲紫と言い、咲夜さんやパチュリー様、更にはお嬢様までもが苦戦を強いられたと言う鬼の彼女が出揃っていて、おまけに山の妖怪までも集結している様な状態です。相手の口車へ乗れば、かえって厄介なのでは」

 

 ほう。恐らくは弾幕ごっこかそれに類似する遊びの試合だろうが、あの子達に苦戦を強いらせるとは、やはり萃香はかなり力の強い妖怪であるらしい。それも種族は鬼と来ている。この極東の地での鬼とは怪力の持ち主で乱暴で、加えてその名には『怖ろしい』や『強大』と言った意味も含む、まさしく畏怖の権化とすら謳える存在だった筈だ。

 しかし彼女の力が山一つを動かせるほど強いか否かだけで、状況を判断してはいけない。それではやっている事がブーメラン行為だ。私も強大過ぎると誤解され、認識を曇らされているのだから。

 

「確かに、君の言い分にも一理ある。だが美鈴、後ろを見てみなさい」

 

 私の言葉に従い、美鈴は背後へ振り返った。勿論そこには、我々と行動を共にしていた文と椛の姿がある。私が見て欲しかったものはそれだ。厳密には、私が注目して欲しいのは彼女達では無く、彼女たちの表情だが。

 

「表情から察するに、どうやら彼女たちも萃香の思惑を知らされていなかったのではないかね。それだけではない。観覧席で騒めいている妖怪たちも同様なのだろう。違うか? 文」

「……ええ、その通りです。霊峰が整備されているとは聞いていましたが、てっきり広いスペースを使って大規模な祭囃子でも演奏するのかと思ってましたよ。萃香様を筆頭とした鬼の方々が山を下りられて以来、ここは本来の目的ではめっきり使われなくなりましたからね」

 

 文の発言に、嘘を嫌う萃香は難色を示さなかった。それは文の発言が真実だと言う事を証明していると考えていいだろう。つまり、裏があるとしても萃香や紫、そして紫の隣に座っている天狗の長らしき妖怪だけに限られると言う事だ。山全体が一丸として敵となっている様な状況ではないのである。

 私が伝えたい事を美鈴は察してくれたようだが、どうにも表情から曇りが取れなかった。

 

「まぁまぁ紅髪の。ちょーっと面貸してよ」

「えっ? あ、ちょっ」

 

 美鈴をどう納得させようかと思慮していたところ、突然萃香が美鈴の肩を掴んでその場を離れたかと思えば、私と離れた場所でなにやらごにょごにょと内緒話を始めた。聞かれたくない内容なのだろうか。まぁ、何にせよ盗み聞きはよくないだろう。話が終わるまで聴覚を弱化させておく。

 暫くして、二人が戻って来た。何を話したのかは分からないが、美鈴の表情から曇りが消えている。それどころか、謎の使命感に燃えてすらいる様に見える。白狼天狗達との戦いの時に見せた、百戦錬磨の戦士の如き鋭い顔つきだ。本当に何があったのだ。

 

「お待たせ。話はついたよ。ささ、一先ずは開幕の儀と行こうじゃないか」

 

 けたけたと笑う萃香を尻目に、私は美鈴へ視線をやる。力強く頷かれた。同意を得られたのは喜ばしい事なのだが、なんだろうか、どこか私と彼女の間に、この『祭り』に対する参加理由がまるで異なっている様に思える。互いに考えている事は少なからず共通点がある筈なのだが、まるで透明な壁に阻まれているかのような感覚だ。

 

「おーい、出番だよ」

 

 開幕の儀とやらに人手が必要なのか、手をメガホンの形にして何処からか助っ人を呼ぶ萃香。

 応じて、萃香の前に突如空間の穴が出現した。炎が輪郭を包む、サーカスの火の輪くぐりの様な風貌の穴だ。その中から姿を現したのは、見かければすぐさま存在に気がつくほど視認性の高い身なりをしている幻想郷の妖怪たちの中でも、更に目立った風姿をした少女だった。

 

 桃色の頭髪には団子状のシニョンキャップが二つ乗っており、左腕には萃香のものと似た鎖付きの枷が嵌められている。胸元には大きな牡丹の花飾りが咲いていて、その造花がまるで衣服へ絡み付いているかのように、花の下に繋がる前掛けへ茨模様が走っていた。

 これだけでも十分特徴的なのだが、更に目を引いたのは彼女の右腕だ。肩の袖口から覗く右腕全体は清潔感の漂う包帯に覆われており、素肌は一切空気の元へ晒されていない。生身の左腕との対比のせいか、ミイラの様に乾き切った印象を受けた。

 少女は空間の穴を閉じた後、桃色の瞳をこちらへ向けて、まるで私を値踏みするかのように視線を動かす。気難しい性格なのだろうか。『へ』の字に曲がった唇は、堅牢な城の重門の様に一切開かれる様子を見せな――――

 

「紹介するよ、華扇だ。今は仙人やってるらしい。以上」

「ちょっと! 幾ら何でもその紹介は雑すぎるんじゃないの!?」

 

 ――――どうやら思い違いだったらしい。単に私を不審に思っていただけだった様だ。

 華扇と言う名らしい少女は、萃香のぶっきらぼうな説明が気に食わなかったらしく、おほんと咳ばらいをすると腕を組んで自ら名乗り直した。

 

「茨木華扇よ。萃香の言う通り、一応仙人やってるわ。以上」

 

 ……はて、萃香の紹介と何か変わった所があっただろうか。訂正されたと言えば苗字が追加された程度なのだが……細かい事を気にしては駄目か。

 

「吸血鬼のナハトだ。よろしく」

 

 握手を交わそうと手を差し伸べたが、手を凝視されるだけで受け取って貰えなかった。

 ふーむ。悲鳴も罵倒も攻撃も無い比較的友好な顔合わせだったから、ひょっとすると好感触なのかと思ったのだが、どうやら多少なりとも警戒されているらしい。当然と言えば当然か。当然であって欲しくは無いものだが。

 

「お前、さっきまでどこ行ってたのさ? 折角紫たちと同じ特別席を用意したってのにー」

「ちょっとした野暮用よ。どうせ始まったら呼ばれるだろうと思って席を外してたの」

「…………ははーん、さては出店巡りしてたね? 主にB級グルメの奴を片っ端から」

「ぎくっ」

「おっ、こりゃあ一番星並に分かり易い図星だね。仙人になった癖に修行不足だなぁ。禁欲はどうしたのさ」

「う、五月蠅いっ! 余計なお世話よ」

「……それで、開幕の儀とやらは一体何をすれば良いのかね」

 

 ハッとした様に意識をこちらへ向ける二人。緊張感が出たり引っ込んだり、どこかのらりくらりとした二人だ。特に萃香は不機嫌な時は不機嫌、上機嫌な時は上機嫌と言った風に纏う雰囲気の上下が激しい。まるで胸の内に渦巻く感情全てを、隠すところなく曝け出している様だ。

 

 萃香は華扇へ何かをねだる様に手を煽ぐ。察した華扇は、懐から木製の桝を取り出した。面には植物の蔦のような模様がある、不思議な一升桝だ。

 萃香は桝を受け取ると、今度は自らの腰に提げてある瓢箪を手に取り、桝へ中身を注ぎ始めた。離れた距離でも酒気を匂わせる透明な液体が、とぷとぷと桝の中を満たしていく。

 それを萃香は、勢いよく一息で飲み干した。

 

「っぷはぁ、美味いっ! いやぁ、やっぱりお酒は良いよね。心の洗濯飲むバージョンだよ。ささ、お前さんも」

「む。これがその儀とやらなのか?」

「そうそう。まぁ儀式なんて言ったっていわば様式美みたいなもんさ。お互い健闘しましょうって感じのね。そう肩肘張る必要ないよ」

 

 酒が注がれ、桝を手渡される。燗をしている様には見えなかったが、どこかほんのりとした熱気が立ち上り、鼻腔を刺激した。

 酒を眺めていた私を不審に思ったのか、萃香が私を覗き込みながら伺う。

 

「まさかお酒飲めないなんてことは無いよね?」

「無論だ。有難く受け取らせて貰うよ」

 

 しかし考えてみると、最近はあまり飲酒の機会が無かったように思える。しかも飲むとすればほぼ洋酒だったものだから、考えれば考えるほど東洋の酒は久しぶりだ。

 少しばかり味を楽しみに思いつつ、私は受け取った桝へと口を付けた。

 

 

 

 

 ドクン

 

 

 

『紅髪の……確か紅美鈴だっけ? まぁそれは重要じゃない。美鈴、あんたは今の状態で満足しているのかい?』

『満足……ですか?』

『ああ、そうさ。私はね、こう見えて結構な数の猛者どもと闘りあって来たから分かるんだ。戦士の眼を見れば、どんな事を考えているのかがさ』

『っ』

『私はあんたの事をよく知ってるわよ。あんたがここへ来る代表に館の連中から選ばれた時から、あんたの事も観察してたんだから』

『……』

『あんたは普段呑気しちゃあいるが、根っこの部分では武人の魂が燃えている。自分がどれだけ強くなれるのか、強くなっているのか、知りたくて知りたくて仕方がない。でもそれは出来ない。何故なら、今の幻想郷はスペルカードルールが蔓延っていて本気を出せる環境は殆ど無いから。あんたはそんな居場所でも良いと思っているけれど、機会があれば本気の一戦を交えたいとも思っている』

『…………』

『でも戦いたいと思っている理由は、ただ力を振るいたいからなんてもんじゃない。過去に何があったのかは知らないが、あんた、ナハトに力を認めて貰いたいんじゃないのかい?』

『っ!』

『あはは、やっぱり図星だね。ナハトはあんたの師か何かなのかな? まぁいいや。とにかく! 私があんたに機会を与えてやろう。白狼ちゃんの時とは違う、正真正銘手加減なしの本気でぶつかり合える舞台を。さぁ、どうする美鈴? 自分の実力を真正面から受け止められる、今の幻想郷じゃあ滅多に巡り合えない絶好のチャンスだぜ?』

 

 

 萃香さんが私に言った事は全部当たっている。そしてそれこそが、この場に私が同伴した理由を考えると不適切極まりない欲望であると言う事も。

 認めて欲しい。そう、私は認めて欲しいのだ。あの絶対強者に、私の道を示した偉大なる闇夜の支配者に。

 勿論、お嬢様や妹様に対する忠誠は決して嘘じゃないけれど、私が五百年近い時を紅魔館で過ごし続けた根幹には、この願望が染みついて離れなかったと言うのもまた事実なんだ。

 

 だから私は、霊峰の闘技場と萃香さんが謳っていた舞台へと、立ち上がる事を決意した。

 

「行ってきます」

 

 気合よし。覚悟よし。『気』構えよし。戦闘準備オールクリア。

 私はナハトさんへ背を向けて、闘技場へと歩を進める。

 

「美鈴」

 

 私の名を呼ぶ、纏わりつく様な彼の声が、私の足を地面へ縫った。大分馴れてきているとは思っていたが、やはり彼の放つ魔の瘴気は凄まじい。油断している時に声を掛けられたら、未だに体中の水を抜き取られてしまうかのように喉が干上がってしまう。

 彼は一拍の間を空けて、私の背へと言い放った。

 

「勝て」

 

 その一言の重みたるや、さながら魔王に下された勅命の如き重圧感。

 心なしかいつもより、声に含まれる圧力が強い様に私は感じた。ちらりとだけ振り返ると、彼の表情には恐ろしく冷たいながらも見る者の視線を凍結させてしまう柔和な笑みも何もなく、あるのは無機質な鉄仮面を思わせる無表情。

 ただ紫色の輝きを放つ二つの瞳が、私の全てを見透かすようにこちらを射抜いている。

 いつもとまるで様子が違う。文字通り鬼気迫ると言うかのような、今まで見た事も無い程の緊迫感を纏っていた。

 

 肌を粟立たされ、眼を釘付けられ、筋肉を強張らせられ、歯を鳴らされながらも、湧水の様に澄み切った畏怖の念を生み出させるこの雰囲気を例えるならば、まさに悪魔の王の重圧だ。お嬢様も時折顔を覗かせる、夜の頂に立つ王者としての覇気に他ならなかった。

 

 ああ、怖ろしい。その闇の暗黒を映す眼球から視線を向けられるだけで、心臓が動きを止めてしまいそうになる。温度の無い冷酷な無表情を見れば、脳髄から五臓六腑までもが瞬く間に冷凍されていく。恐怖に蝕まれる。いっそこの瘴気に呑みこまれた方が楽なのではとすら思わされてしまう。

 

 だが、だからこそ。

 

 この闇の権化の様な大妖怪に私の成長を認めて貰う事が出来れば、晴れて私は紅魔の門番を名乗れるのだ。彼の言葉に従って鍛錬を積み続けたこの五百年は、一日たりとも無駄なものでは無かったと誇りに思えるのだ。

 彼に対する畏怖の心も、お嬢様に対する忠義も、全て本物なんだと胸を張って言えるのだ。

 それを証明する為には、ひとつしか方法は存在しない。

 勝利を手にし、彼の期待に応えるのみ。

 

「紅魔の名に懸けて、必ずや勝利を掴んで見せましょう」

 

 だから私は、『勝て』と渾身の期待が込められた言葉に、湧き上がる武者震いのせいで声が震えそうになるのを必死に堪えながら、自分にも言い聞かせるように宣言した。

 

 ああ、ナハトさんのお目付け役をお嬢様に任されていたけれど、これは土下座して謝らなくちゃならないかもしれない。私情で戦うだなんて、ブレーキ役を仰せつかった身としては命令違反もいい所だ。けれど、今回ばかりは譲れない。あんなことを言われたら、首を横に振るなんて出来やしない。

 ごめんなさい、お嬢様。この馬鹿な門番の我儘を、どうか一度だけお許しください。

 

 再び歩を進め、闘技場の中心に立つ。対するは、茨木華扇と名乗る山の仙人だ。

 

「まったく、面倒臭い事に巻き込まれたわよね。萃香の奴は昔から勝手で困るわ」

「あはは。私も色んな事に巻き込まれやすい質なので、その気持ちはちょっぴり共感出来ちゃいますね」

「いやいや、他人事じゃなくて、これはあなたに対しても言ってるのよ。お互い大変ねーってこと」

「? そうでしょうか。ナイフで刺されたりレーザーで丸焦げにされたり爆発に巻き込まれたりするよりかは、お手合わせをするだけだなんて随分平和な方だなぁと思うのですが……」

「……あなたって、見かけによらず相当苦労してるのね。これが終わったら食事でもどう?奢るわよ」

 

 哀れみの籠った眼を向けられた。ぶっちゃけそこまで苦労してはいないのだけれど、他人の目にはそう映るのだろうか。そう言えばこの間チルノさんにも心配された気がする。彼女の言っていた『ぶらっくきぎょー』なる現象と関連があるのかもしれない。

 

「そう言えば、華扇様は――――」

「華扇で良いわ。敬称で呼ばれるのは天狗と河童だけで十分よ」

「―――華扇は何故萃香さんに協力を? 見た所お知り合いの様ですが」

「あー、まぁ、うん。腐れ縁みたいなものなのよ。でも受けたのはそれが理由じゃなくて萃香が美味しい甘味をご馳走してくれるっ―――――」

 

 華扇が慌てて口を閉じ、わざとらしく咳込んだ。そう言えばさっきもB級グルメがどうとか言われていた気がする。……もしかして、

 

「あなたって、仙人だけど実は食いしん坊さんです?」

「むぐっ」

 

 見事なまでに思いっきり言葉を詰まらせる華扇。『気』を使う必要性が無いくらい分かり易いなあこの人。

 

「い、良いじゃないまだ私は修行の身だし、甘味が大好きでもさ! 悔しいけど萃香が美味いって言った奴は本当に美味しいから食べたいのよ! 安請け合いで悪かったわね!」

「いえ、別に悪いだなんて一言も」

「うぐっ……!」

 

 そもそもまだ絶賛修行中とも言える私が大それた意見なんて言えるわけが無い。見事なまでに華扇は自爆してしまった様だ。

 顔を真っ赤にした華扇は暫くプルプルと震えていたが、次第に落ち着きを取り戻していった。

 

「んんっ! ……理由はどうあれ、請け負ったからにはきっちり戦わせて貰うわ。勿論、手を抜く様な真似なんてしないから。まぁ、怪我しても傷に効く良い薬を調合してあげるし、安心して頂戴」

「まるで私に勝ち目がないかの様な言い草ですね。無論私だって素直に負けてあげるつもりはありませんよ」

「だってこれは弾幕戦(ごっこあそび)じゃないもの。泥臭い格闘戦じゃあ私、結構手強い自信があるの」

「手強いならば、その不思議な包帯の手もろとも折って差し上げましょう」

 

 煽りは十分。互いに構え、臨戦態勢へ入り込んだ。

 私達の間に、まるで相撲の行司の様に萃香さんが割り込む。

 

「ようし! 準備はいいか? それじゃあ祭りの余興と行こうじゃないか。楽しませておくれよ二人とも! さぁ紫、代表して開宴の音頭をっ!」

『………………へっ?』

 

 いきなり振られて反応が出来なかったのか、妖怪の賢者の驚いた声が山に響いた。八雲紫のいる席からかなり離れているのに、嫌に声が大きい。もしかしたら萃香さんが能力の類で何かしているのかもしれない。

 

『いきなり何……!? いや、こういうのってまず立場的に天魔がやるべきじゃないの!?』

『折角だが遠慮しておこう。山の代表より、幻想郷の代表が口上を述べた方が引き締まるというものだ。今回は賢者のお手並み拝見と行こうかの』

「紫はやく! 祭りの熱気が冷める!」

『えっ、あぅっ、あっ、よ、よーいどんっ!』

 

 ……………。

 一同、沈黙。

『えっ、えっ?』と八雲紫の慌てる声、そして隣の天魔と言う名らしい人物が、必死に笑いを堪える息遣いだけが支配する空間と成り果てる。どうしてこうなった。

 八雲紫とは、果たしてここまで茶目っ気のある妖怪だっただろうか。吸血鬼異変で我ら紅魔館を一方的に蹂躙したあの大妖怪は、一体何だったのだろう。

 

「紫ィッ! いくらなんでもそれは無いんじゃないかなぁ!?」

『だ、だってぇ! こんなの打ち合わせに無かったじゃない! いくらなんでも突飛過ぎるわよもーっ!』

「あーもうイイからなんかバシッと決めてよ! 賢者だろう!?」

『うぐぐ……なんて理不尽な無茶ぶりなの……!』

 

 再び沈黙が訪れ、数拍後の事。

 お惚けていた空気が、全て換気でもされたかのようにガラリと入れ替わった。

 遥か高みの席から腰を上げ、こちらを見下ろす八雲紫。その瞳は、吸血鬼異変にて圧倒的な力を振るった大妖怪の色を帯びていた。

 

『――――代表、八雲紫の名において、門番「紅美鈴」と仙人「茨木華扇」の決闘を許可する』

 

 ナハトさんとはまた違う、圧倒的な力の波が声へ乗せられ、耳へと運ばれてくる。彼の声は耳に入り込むと五臓六腑を侵食し絡みつくかのような魅惑の声だが、彼女の声音は、耳にすると自然と背筋を引き伸ばされる様な、冷たくも凛とした威厳溢れる響に満ちていた。

 

『双方、祭典に相応しき勇ましい戦となるよう、誇りと死力を尽くして闘いなさい』

 

 自然と、私と華扇は構えを取った。小鬼の少女がにやりと笑う。それはそれは楽しそうに、されどどこか待ち遠しそうに。

 彼女は霧となって、霊峰の空気へ溶け込んでいく。それが開戦の狼煙となった。

 

『いざ、尋常に勝負!』

 

 八雲紫の覇気ある号令が轟く。と同時に私達は、一直線に互いへ向けて駆けだした。

 両の拳へ気を集中させる。生命の熱が渦を巻く。それは虹色の光となって可視化され、華美な気の塊へと変貌した。

 それを、全力で前方へ投擲する。さながら砲弾の如き豪速で空を切り裂く二発の虹色気弾は、軌道に一切のブレを見せず彼女のど真ん中を射抜いてみせた。

 破裂音が、霊峰の闘技場に炸裂する。

 

「……へぇ。あなた、仙道と似た力を持っているのね」

 

 しかし返ってきた反応は苦悶でも焦りでもなく、どころか好奇心に満ちた明るい声だった。

 

「綺麗な『気』ね。その美しい虹の輝きは、あなたの心が気高い証拠なのかしら。妖怪だけど好感が持てるわ」

「それはどう、もっ!!」

 

 肺から思い切り空気を吐き出し、垂直に足を蹴り上げる。彼女を狙った蹴りでは無い。蹴りで生じる余波に『気』を乗せたのだ。

 結果、衝撃波は虹の刃となって片腕の仙人へと襲い掛かった。

 

「はっ!」

 

 華扇の掛け声と共に包帯の腕が紐解かれる。中身は空洞。本来ある筈の生身の腕は存在していない偽物の腕だ。言い換えれば、あの腕は伸縮自在の魔法の手だと言う事になる。

 ロケットの如く発射された包帯の右拳は、布とは思えない破壊力を伴って『気』の衝撃波を打ち砕いた。『気』は破壊され、ガラスを割るような高周波が周囲に飛び散る。

 

 ―――包帯と舐めてかかれば痛い目を見るか。

 

 奥歯を噛み、不規則に動く右腕へ注意を向けながら、私は一気に彼女の懐へ潜り込んだ。

 間髪入れず、打つ。

 拳打、手刀、掌打、肘打ち、蹴り、蹴り、回し蹴り。

 息を吐く暇も与えず、隙など生み出さず、流れる様に急所を狙い、打つ、打つ、打つ。

 だが彼女も当然黙って打たれ続けはしない。私の拳を、蹴りを、的確に捌き避けて見せた。武道の心得があるのか、それとも身体能力が抜きんでているのか。徐々に攻撃の殆どが捌かれ、虹の軌跡が空を切り始めた。それをすり抜け直撃を与えたとしても、まるで暖簾を押した様に手応えの無いものだ。

 

「大陸の武術かしら? 妖怪なのに珍しい。やっぱり見れば見る程、あなたって人間とそっくりね。もしかして憧れて真似てるの? そうだとしたら、あなたは自身が妖怪であると言う自覚をもっと持つべきよ」

「確かに私は結構な人間好きですが、これは我流ですよ。まぁ参考にする程度には、人間の技術って捨てたものじゃないと思うんです」

「……そうね。普段の人間は恐怖におののくだけの脆弱な存在だけど、矮小な人間が大妖怪に一矢報いる事もままある。だからこそ、人間の技を取り入れた、妖怪らしからぬその技術は侮れない!」

 

 彼女の姿が、一瞬にして視界から消えた。

 違う、屈んだのだ。となると次に来るのは、

 

「足払い!」

 

 反射的に地を蹴った。砂埃が舞い、その下を鎌の様に鋭い蹴りが通り抜ける。妖怪の脚力は、まるで鞭を振るったかのように空気を破裂させ、地面を削り取った。人外と言う点を考えても凄まじいパワーだと戦慄すら覚える。だがチャンスだ。彼女の背後が、打ってくれと言わんばかりにがら空きになった。

 

「隙ありッ!」

 

 『気』を練り、両腕へと集中させていく。指を絡め、鈍器のように形を成した。

 渾身のハンマーブローを、落下と共に桃色の頭頂へ叩き込む!

 

「かかったわね」

 

 だが。

 華扇はまるで私が足払いを避ける事を想定していたかのように、不安定な態勢からコマの如く回転すると一瞬にして立て直してみせた。

 桃色の瞳が私を射抜く。その瞳孔は、まるで竜の如き鋭さを帯びていて、

 

「ドラゴンズクロウル!!」

 

 瞬間、華扇の右腕が爆発した。

 純白の拳は瞬く間に膨張し、華奢な細腕は丸太の如く巨大化する。反して五指は引き絞られ、それら一本一本が太刀と見紛う鋭利さを身に着けた。

 まさに竜の爪だった。布で形作られた純白の竜の爪。華扇の肩から竜巻の如く荒れ狂う包帯の腕が五つの刃を成し、私を引き裂きながら空へ打ち上げる様に薙ぎ払った。

 メギメギッ!! と脇腹の内から悲鳴が上がる。爪が掠めた部分は刀で斬りかかられた様に皮膚が裂け、雷に打たれたかの様な衝撃と痛みが走り抜けた。

 空中で態勢を立て直し、何とか着地に成功する。脇腹に手を当てると、炎症の熱と暖かな血潮の温度がぬるりと伝わってきた。

 

 咄嗟に体を捻り、痛恨の一撃は免れたと言うのにこの威力。昔癇癪を起こした妹様に本気で殴られた時……いやそれ以上の一撃だ。幾ら人外の存在とは言え、吸血鬼に匹敵するほどのパワーが出せるものなのだろうか? 私の知る限り、吸血鬼とガチンコで殴り合える様な怪物(しゅぞく)は鬼しか知らない。であれば、仙人らしく何らかの術で身体能力を底上げしていると見て良いか。

 

「お見事。手加減無しのアレを受けて立ち上がれるとは思わなかったわ。本当なら一撃で決めるつもりだったんだけどね」

「生憎、頑丈なのが取り柄でして」

「でも二発目、三発目は耐えられるかしら」

 

 華扇が地を蹴り、爆発的な瞬発力で駆け出した。今度は左拳を構えている。注視すると、何やら薄い光の膜の様なものが右腕を覆っているのが見えた。

 そこで私は確信する。あの光の正体は『気』だと。華扇はあの一瞬の内に学習し、気を操る術を習得したのだ。何という学習能力と類稀なる才能か。戦いの最中に成長するなんて、まるで仙人らしくない。どちらかと言うと戦闘種族だ。

 

 しかし、これは不味い。『気』とは生きるもの全てが持ちうる、いわば生命の原動力とも言えるエネルギーである。微量であれば他者の『気』を浴びても害は無く、むしろ活性を得る程なのだが、過剰に打ち込まれれば話は別だ。薬も転じて毒と成り得るように、膨大な『気』を注入されると元の『気』の流れが著しく乱され、文字通り気絶してしまう。それは即ち敗北へと直結する。

 見たところまだ完全に術を掌握出来ていない様だが、当たる訳にはいかない。むしろコントロールが不出来だからこそ危険だと言えるだろう。

 

「……っ!」

 

 膝が笑い、重心がガクンとずれ落ちた。

 ダメージが響いているせいで、まともに体を動かせない。『気』を巡らせて回復しようにも決定的に間に合わない。

 この状況、どう切り抜ける……!?

 

「思った以上に響いてるみたいね。けど、言ったように手加減しないから!」

 

 華扇は飛び上がり、左拳を引き絞った。反して伸ばされた包帯の右手のひらが狙うは、私の顔面。さながらその右手は、拳銃の照準装置の様だった。

 ミシリ、と音が聞こえてきそうなほどに、華扇の拳が固く握り締められる。避けようにも間に合わない。そしてこの一撃を食らえば、間違いなく敗北を喫する事になる。

 どうする。ガードするか? いや、耐えられない。さっきの一撃ですらアレなのだ。とても立っていられる自信が無い。

 

「……そうだ」

 

 あるアイディアが、私の脳裏を過った。少しばかり卑怯だが、これで決めさえしなければ問題ない筈だ。負けてしまえば、みっともないけれどこれしかない

 私は無我夢中で懐を漁り、目的の物を手に取った。

 それを、無我夢中で華扇の背後へ放り投げる!

 

「とどめッ!!」

 

 視界一杯に、破壊の拳が広がって。

 華扇の怒号が、私に耳を劈いた。

 

 

 ダゴォンッ!! と猛烈な破壊音が轟く。気を巡らせた華扇の拳は、さながらクッキーを砕くフォークの如く地面へ突き刺さり、見事なまでに破壊の亀裂を放射状に広げてみせた。

 見た目華奢な少女から放たれたものとは思えない、絶大な一撃。それによって巻き上がる粉塵が視界を塞ぐが、観客席に座る魑魅魍魎は皆、勝負の結末を確信していた。あの状況では逆転など出来やしないと、誰もが緊張を解き一息ついていた。

 

 白い煙幕が、山風に吹き消されるその時までは。

 

「へぇ」

 

 片腕有角の仙人は、さも意外そうに呟いた。拳で撃ち抜いた眼前には打撃痕だけが残され、あの華人小娘の姿がどこにも見当たらなかったからだ。

 華扇は背後へと、静かに眼を向ける。

 そこには言うまでも無く彼女がいた。ほんの数秒前まで満身創痍に等しかった紅魔の門番が、虹色の輝きを全身から迸らせながら、腰を低く落とし、拳を構えていたのだ。

 

「あなた、瞬間移動なんて出来たの?」

「いえ、少しズルをしました」

 

 そう言う美鈴の足元には、機械的な二つの筒が転がっている。華扇はそれを目にしてすぐに河童の発明品だと理解し、成程ねと声を漏らした。

 大方、片方の筒から、もう片方へ物を移動させる道具なのだろう。先ほど美鈴が何かを投げていたから、それに向けて転移したのか。華扇はそう解釈した。

 

「まぁズルと言ったら、私の右腕も言うなれば道具みたいなものだし文句は無いわ。でも腑に落ちないわね。それを使えば、背後から私に一撃見舞う事が出来たんじゃない?」

「別に不意打ちをしたかった訳じゃないんです。あの様に一方的な負け方はしたくなかった。ただそれだけですよ。だからこうして『気』を巡らせ、回復させてもらいました」

 

 眉を顰めていた華扇は、なるほど、と笑みを浮かべていた。

 美鈴は正面から打ち合いたいらしい。正々堂々決着を着けるつもりなのだ。

 華扇はそれを、好ましいと思った。

 

「次で決着をつけようってわけね。面白いじゃない」

「乗って頂けるようで嬉しい限りです」

 

 反則負け貰うかもと思ってました、と美鈴は言う。本当に律儀な、珍しい妖怪だと華扇は笑った。

 だからこそ、その勝負を受けて立とうと華扇は拳を握りしめた。

 右腕に術を掛け、包帯の強度を遥かに高める。華扇の右腕は今、鬼の体すら撃ち抜く最強の矛と化したのだ。

 対する美鈴は虹の『気』を巡らせ、構える。少女達が織り成す弾幕と匹敵する美しさをその身に纏い、茨木華扇を見据える。

 

 次が最後だと、少女たちは確信した。

 次で決めると、少女たちは決意した。

 

 静寂がバトルフィールドを包み込む。華扇も美鈴も、銅像の様に身動ぎしない。互いに互いの隙を探り、雰囲気に当てられた客席の妖怪たちは、固唾を飲んでその光景を見守った。

 

「――――」

「――――」

 

 風が吹き、砂煙が足元を撫でる。秋の夜風は、二人の間に一枚の紅葉を運び込んだ。

 ひらひらと、秋神によって装飾された雅な葉が舞い降りる。ふわふわと、まるで天使が落とした柔羽の様に。

 そして遂に、葉が地に落ちた(ゴングが鳴った)

 

「シッッ!!」

「はああああああああああッ!!」

 

 華扇の右腕が弩の如く射出される。瞬きをする間も無く距離を詰め、一気に美鈴へと襲い掛かった。

 美鈴は顔を逸らし、間一髪で必殺の一撃を回避する。頬を掠めた包帯が皮を削り、一筋の傷を刻み込んだ。だが美鈴は怯まない。あと数センチずれていれば頭蓋を打ち砕かれていただろう攻撃を前にしても背を向けない。彼女の目には、標的たる華扇の姿しか映されていなかった。

 華扇は笑う。

 瞬時に包帯を巻き戻しながら、猪突猛進する美鈴を迎え撃つ。

 

「背中がガラ空きよ!」

 

 戻す過程で、華扇は包帯をしならせ鞭のように美鈴を打った。ズバヂィッ!! と強烈な打撃が叩き込まれる。人間であれば肉を削ぎ落とされ、骨を砕かれる程の一撃を。

 だが美鈴は耐えた。倒れる事も後ずさる事も無く耐え凌いだ。鍛え抜かれた足は瞬く間に距離を殺し、一瞬の内に美鈴を華扇の懐まで辿り着かせてしまう。

 華扇は迎撃せんと左拳を振りかぶった。だが遅い。既に美鈴は姿勢を低くし、虹の『気』を纏う拳を打ち上げる様に放っていた。

 急所である鳩尾へ、重機の如き威力を伴った渾身の一撃が無慈悲に叩き込まれる。

 

 肺を突き上げられ、がふっ、と華扇は呻きよろめいた。土を踏みにじり後退する華扇。それを逃すまいと更に深く、強く、美鈴は退く華扇へ一歩を踏みしめた。

 だが華扇もただではやられない。未だ胸に残るダメージを気力で封じ、奥歯を噛み締め右腕を振るう。それは再び、紅魔の門番を葬り去る竜の爪へと形を変えた。

 

 虹の光が軌跡を描き、竜の爪が大気を切り裂く。

 とどめを刺さんと、その一撃に勝負を賭ける。

 

「彩光蓮華掌!!」

「ドラゴンズ、クロウル!!」

 

 二人は、須臾の間に交差した。

 何度目か分からない爆発音を轟かせ、眩い虹と白の光を撒き散らし、霊峰全域を爆風が蹂躙する。客席の人外たちは悲鳴を上げた。本気の妖怪同士が繰り出す一撃は、圧倒的な破壊を生みだすのだ。

 あまりの余波に、煙幕すら生まれなかった。故に勝敗は、残酷なまでにはっきりと周囲の目に晒されてしまう。

 

 闘技場へ倒れ伏していたのは、紅髪の門番の方だった。

 

 

 数拍の沈黙。 

 音の無い世界を破ったのは、高みの席から立ち上がり、扇子を掲げる賢者の一声。

 

『そこまで。勝者、茨木華扇!』

 

 そして、火を着けられた油の様に猛烈な熱狂が巻き起こった。

 祭りと銘打たれたこの演目。詳細を知らされていない山の妖怪たちにとっては、何が何だか分からないものだった。だがそんな疑問は、この瞬間に塵と消えた。呑まれたのだ。感化されたのだ。知る者は知る、あの山の仙人と互角の激闘を繰り広げた紅魔の強者に。そしてそれを打ち破った仙人の勇ましさに。

 弾幕勝負とはまた異なる、勝負の美しさと熱さ。それは、喧騒を好む山の妖に火を着けるには十分すぎるものだった。

 

 

 

 

 

 だが。

 

「違うわ」

 

 山を震わせる雄叫びと熱波は、闘技場に立つ勝者の声によって遮られてしまう。

 

「この勝負――――」

 

 最後まで言い切ることなく、プツリと華扇の言葉が途絶えた。同時にそれを目にした妖怪たちの、驚愕に満ちた声が次々と沸き上がる。

 原因は、華扇の身に起きた不可解な現象にあった。

 

 眼が眩むほどの光を伴ったエネルギーの大爆発が、何の前触れも無く、華扇を中心に巻き起こったのである。

 

 

 彩光蓮華掌。相手の体へ莫大な『気』を流し込み、暴発させる美鈴独自の奥義である。

 あの一瞬、美鈴は華扇よりも早く一撃を叩き込んでいた。同時に華扇の猛打を受け倒れ伏してしまったが、その時既に美鈴の『気』は華扇の体に送り込まれていたのである。

 しかし『気』を送り込んだのはその瞬間だけではない。美鈴は最初の連打の時も、鳩尾を打ち抜いた時も、華扇へ『気』を送り続けていた。例えるなら、爆薬を仕込み続ける様なもの。美鈴の攻撃は、気づかぬ間に着々と華扇の体へ爆弾を埋め続けていたのである。

 そして、最後の一撃によって全ての爆弾が連鎖的に着火した。

 結果、美鈴の奮闘は実を結ぶこととなったのだ。

 鬼の如き凄まじい耐久性を持つ華扇の体は、蓄積したダメージと体内からの熾烈な攻撃を受け、遂に、重々しく地面へと倒れ伏した。

 

 その一部始終を見届けていた妖怪たちは、一瞬何が起こったのかが理解できなかった。

 ただ、両者が伏している戦場の様を見続けている内に、

 

「引き分けだ……」

 

 現実を受け入れた誰かがポツリと呟くと、

 

「引き分けだ」

「華扇様が引き分けた」

「と言う事はどうなるんだ?」

「次へ持ち越しとなろう」

「次は誰じゃ」

「萃香様とあの男だ」

「萃香様が戦われるぞ!」

「山の四天王の大闘争が見られるぞ!」

 

 まるで核分裂反応のように、一人が反応すれば次々と昂る者が現れ始め、そして訪れるだろう最強の鬼と山を震え上がらせる謎の吸血鬼の大勝負の到来に心震わせる者達の、熱い歓声が遂に解き放たれた。

 妖怪は、思考能力が単純な者が多い。それは長寿故に、考えを詰めすぎると自己を保てなくなるからだ。天才が世を憂い、自ら命を絶ってしまう様に、果ての無い時間と思考は命を削る。八雲紫がメリハリをつける理由もそこにある。

 

 つまり、単純な彼らは熱気に当てられた。ひょっとしたら伊吹萃香の力が働いていたのかもしれない。

 だがそんな事は彼らにとってどうでも良い事だった。名勝負を繰り広げた門番と仙人への敬意と感動、そして今世紀一番の勝負が見られるかもしれないと言う期待が、妖怪の底に眠る闘争心を湧き立たせるのだ。 それはいつの間にか華扇と萃香、そして美鈴とナハトをチームとして区切り、対戦形式へと変貌させたのである。

 

 萃香の思惑により始まった、偽物の祭りは。

 今この瞬間に、本物の祭りへと生まれ変わった。

 

「さぁ、野郎ども!」

 

 いつの間にか実体化した萃香が、美鈴と華扇を抱き寄せ、立ち上がらせた。満身創痍の彼女たちは必死に足を奮い立たせ、どうにかこうにか直立する。

 背の高い二人と並べない萃香はふわりと浮かび、二人の手を勢いよく天へと掲げた。

 

「この二人の勇姿に心震わされた猛者は手を叩け! 雄叫びを上げて称賛しろ! 安心しやがれ、お前たちの期待通り次は私の番だ。だがそれを求めるにはまだ早い! まずは二人の健闘に、盛大な喝采を送りやがれッ!!」

 

 次の瞬間、拍手の洪水が起こった。雄叫びの噴火が炸裂した。

 祭りのクライマックスを思わせる様な圧倒的喧騒の中心で、萃香は笑う。争いを好む鬼の性が二人を讃えて喜色満面と化す。だがそれと同時に、闇を孕む妖怪の笑みも浮かび上がっていた。

 

 全ては順調。計画通り。それでは最後のフィナーレを飾ろうか。

 笑顔でそう、物語るかのように。

 

 


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