【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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20.「絡み合うイト」

 事件の裏を暴くには、何といっても情報が必要不可欠である。

 

 しかし私は現在軟禁中の身だ。自ら外部へ赴いて情報を集め難い状況下に置かれている。

 なので動けない自分の代わりに少しでも情報を集めてくれないかと、フランドールに館内へ連れ込まれていた美鈴に頼みこんでみた。するとどうやら、チルノやルーミアを筆頭とした外部の者から情報を得てくれたらしい。

 

 だが美鈴は、門の傍から殆ど離れる事の出来ない立場にある。

 

 

「――以上が、怪死事件について分かっている情報になります」

「ふむ。なるほど」

 

 そんな彼女に代わって情報を運んできてくれたのが、相変わらず私の前で尻尾の硬直を解いてくれない、地下図書館の司書だった。

 普段はパチュリーの下で働く彼女が何故私の元へ来てくれたのかと聞かれれば、それは満足に身動きの取れない私と、普通ならばそう言った雑務を引き受けてくれる咲夜が昼夜を問わず多忙の身であるから、パチュリーが双方に気を遣って彼女を派遣してくれたと答えるのが正解だろう。

 

 こんな面倒な連絡手段を取らずとも直接門へ出向ければいいのだが、外出禁止令に加えて外は快晴の為、私は一歩も外へ出歩けない。先ほど多少灰になる覚悟で忍び出ようとしたら、咲夜に一瞬で止められてしまったので、恐らく私が外へ出ないよう何か探知魔法か監視の仕掛けを施されている可能性がある。まさか庭先に足を運ぶ事すら禁じられるとは思わなかったが。

 まぁ、四年前にそれだけ心配をかけてしまったという事なのだろうから、甘んじて受け止めてはいる。いるのだが、不便な状況に変わりはない。軟禁解除とお達しの来る日が、一日でも早く来ることを願うしかないだろう。

 

 っと、そんな些細な事情はさておき。

 

「大体のところは把握できたよ。忙しいのにすまなかったね」

「いえいえ、お気になさらず。あっ、それとこれ、パチュリー様から渡してほしいと」

 

 そう言って、小悪魔は小さな首飾りを差し出してきた。

 静かな輝きを湛える金属の輪を受け取り、小さなシャンデリアの明かりへ照らす。鈍くも鋭い煌めきが瞬いた。

 

 これは私が密かにパチュリーへ依頼していた、月の魔力のヴェールを装着者へ纏わせる『日除け』である。私は日光にとびきり弱く、対処をしようにも私の手で作ったものは例外なく陽の光を浴びると灰になってしまう為、今まで手をこまねいていたのだ。そこで七つの属性魔法を操る一流の魔法使いたる彼女に、特製の日除けを依頼していたのだ。

 

 身に着けてみると、仄かな魔力の膜が私を覆った。これで日光を中和出来るか、実践が楽しみである。

 

「ありがとう。パチュリーに後でお礼に出向くと伝えてくれ」

 

 礼を述べつつ、部屋に常備してある菓子を差し出す。小悪魔はサブレを緊張気味ながらも受け取って、小動物のように口へと運んだ。一瞬頬が緩んだので、どうやら味は上出来の様である。

 ……しかし、あからさまに小悪魔の元気がない。普段から白い肌は不健康的な青さを増しており、目の下には隈まで出来ている。まるで恋人の死にでも遭ったかのようなやつれ具合だ。

 

 どうにも気になったので、訊ねてみる事にした。

 

「随分顔色が悪いが、どこか具合でも悪いのか?」

「あっ、いえ。ただ最近、何だかちょっと気分が悪くて……少しだけ熱っぽいんですよね」

 

 菓子を平らげながらもどこか気怠そうに息を吐く小悪魔は、俄かに信じ難い答えを返して来た。気分が悪く熱っぽいとはつまり、人間と同じ様な風邪を引いていると言う事だろうか?

 

「悪魔は風邪を引くのかね?」

「うーん……少なくとも私は引いた事など無いのですが、どうなのでしょう。これが風邪なのかな」

 

 どうやら初めての体調不良に困惑している様子だが、述べられた症状はどう考えても病の類である。悪魔が風邪を引くとは奇妙な事もあるものだ――と一瞬思ったが、そう言えば大昔に一度だけ、フランドールが病に伏せた事があったな。であれば、稀な事態とは言え別に不思議な事ではないのだろうか。

 古い記憶が蘇って懐古の情に囚われそうになるが、今は小悪魔の体調を改善させる方が先決である。まずは病原を特定するために、解析の魔法を準備しよう。

 

「よければ診てあげようか。軽い体調不良ならば私でも治せ――」

「あっ、大丈夫です。ナハト様に診て貰ったらむしろ悪化しそ――ああああああああああああ違うんです違うんですこれは悪意的な意味ではなくて私なんぞが貴方様に診て頂くのは恐れ多過ぎて逆に悪くなりそうって意味であって違うんですそうじゃないんです生意気言ってごめんなさい舌を抜かないでえっ!!」

「――………………」

 

 前から思っているのだが、彼女は未だそんなにも私が怖ろしいのだろうか。別に危害を加えたことなど一度も無いし、それなりに蟠りも解けたと思っていたのだが……。

 どうやら彼女の中の私はまだ、冗談も何も通じない極悪悪魔か何からしい。何も本気で泣かなくてもいいだろうに。

 

「そんな事はしないから、落ち着いてくれ」

「うう……す、すみません。本当に悪気は無いんです」

「気にしないで良いさ、慣れているからな。……ところで君の風邪についてだが、確か月に一度、紅魔館は永遠亭から薬を頂戴しているのだろう? 主に咲夜用と聞いているが、その中に妖怪用の物も少しばかりあった筈だ。咲夜に頼んで出してもらうと良い」

「そうさせて頂きます……」

「うむ、養生は大事だ。後で私の方からもパチュリーに言っておこう」

 

 さておき、妖怪が罹る病として考えられるのは、基本的に『気からなる病』である。過度なストレスによって鬱屈した感情が溜まり過ぎると、調子を崩すことが稀にあるのだ。精神的な要因に弱い妖怪の特徴と言えるものであり、共通の弱点とも言えるだろう。

 なので小悪魔の要望通り、私は診察へ携わらない事にした。体調が悪いのに余計なストレスを与えてしまっては、彼女の言う通り病状を悪化させかねないからだ。

 

 微妙にふらつきを覚える足取りで、小悪魔は部屋を退場していく。心配だが連れ添う方が迷惑だろう。幸いそんなに図書館まで距離は無いから大丈夫だろうが。

 

「……」

 

 小悪魔が居なくなって訪れる沈黙の中、私は早速、物思いの海へと沈んでいった。

 と言っても、耳にしたミイラ化事件についての情報整理である。

 

 彼女から聞いたところによると、例の変死事件は私が目覚める数ヶ月前から起こっていたものらしい。初めは妖怪の山付近で発見され、それから徐々に徐々に発見場所が幻想郷全体へと広がっていったと言う。

 とは言っても大量死が起こっている訳では無いらしく、稀に自然死した獣の亡骸が見つかる様に、ポツポツと発見されているとのことだ。氷精一味も幾つか見つけたらしく、一時期彼女たちも面白半分に真相を探っていたのだとか。

 

「……考えれば考えるほど、奇妙な事件だな」

 

 一周回って、これは本当に事件なのかとさえ疑いを持ってしまいそうになる。妖獣でも付喪神でもない妖怪が死体を残す事から明らかに異常事態であり、加えて()()()()()()()がまるで見えて来ない所が実に奇妙と言えよう。

 

 妖怪にとっての死とは、大まかに分けると二種類だ。一つは完全に忘れ去られてしまうことである。妖怪は一応肉体を持ってはいるものの、その出自や特性から、存在の鎖を人間の幻想に頼っている身だ。人間から存在を否定され、忘れ去られてしまえば、どれ程力の強い魑魅魍魎であろうと存在を霧散させてしまうのだ。

 もう一つの死因は、精神的な要素で退治される場合だろう。吸血鬼なら日光、悪魔なら聖書と言うように、人外には弱点を持つ種が非常に多い。個々の力が脆弱な人間は、そこを攻めて超常の者を始末する。いわば退治と呼ばれるものである。

 

 だがしかし、これらの死因がミイラ化に関連があるのかと聞かれれば答え難い。忘れ去られて存在を繋ぎ止めなくなったのであれば消滅する筈であり、退治されても同じように消滅……もしくは何らかの器に封印されるのが定石なのだ。何故姿形を残した状態で枯渇を迎えたのか、そこが気になる所である。

 ここから第三の選択肢として考えられるのは、何者かによる意図的な殺害、もしくは伝染性のナニカに感染し、『病』を患った事による結果と考えられそうだが……。

 

「……、」

 

 前者はさておき、後者は中々無理のある考えだな、と自嘲を含めて鼻を鳴らした。

 

 そもそも人外は、人間と根本的に異なる生物である。妖怪の間にペストの様な致死性の流行り病が広がった事例など今まで聞いたことも無い。そんなものが起こり得るとすれば、恐怖や憂鬱に怒りと言った、極限状態において伝染する精神的要素が原因となった場合のみだろう。

 例えば、潜在意識からくる集団催眠だとか。

 

「……ならば果たして、これは偶然なのだろうか」

 

 仮に伝染する精神的要素が事の発端だとして、それを偶発的に生じた現象だと決めつけられるだろうか? このような精神感染はウィルスや細菌、原虫などと違って、発生するのに何者かの意図が必要になってくるだろう。宗教による信仰の統一、統率者の下の集団行動や洗脳が良い例だ。アレらの現象もざっくりと言ってしまえば、第三者が感情のベクトルを操作して感染を広げていった結果、生じてしまうものなのだから。

 

「……まぁ、この可能性は限りなく低いと考えていいか」

 

 椅子に深く座り直し、足を組む。カップを手に取ると紅茶が空になっていたので、再びポットから注ぎ入れた。

 

 敢えて突拍子もない推理を試みてはみたが、しかし結局のところ、どの方向からアプローチを試みても答えはほぼ同じである。この事件は、どこぞの黒幕が策を弄した為に引き起こされたモノである、という点だ。

 ただこの場合、問題となってくるのが動機なのだ。何故、犯人はわざわざ妖怪をミイラ化させる必要があったのか? この一点とミイラ化の直接的な原因が、謎と言う名の濃霧に包まれてまるで見えてこない。ただ殺害を目的とするならば、証拠を残さないよう隠蔽工作を施すのがセオリーだと言うのに。

 

 やはり、枯れ果てた死体の現物を直接調べなければ断定出来ないか。

 さて困った。どうにかしてサンプルを手に入れられれば良いのだが……。

 

 

 

 

「魔理沙さん、ダンボール持ってませんか?」

「いきなり何を言い出すんだお前は」

 

 紅魔館の数少ない窓から侵入を果たした直後の事だ。早苗の奴が突然、影へ潜む様に壁へ身を寄せしゃがみこんだかと思えばだんぼーるとか言う訳の分からない物を要求してきた。

 

 阿求はコイツの性格を『変わり種だが普通の人間』と称していたが、私には一体全体こいつの頭の中でどの様な物語が展開されているのかまるで見当もつかない。アレか。馬鹿と天才は紙一重と謳う様に、普通と不思議の間にも、紙一枚程度の薄い境界線しか引かれていないのではないだろうか。

 いやまぁ、今はこんなのだけど、平常時の早苗は本当に良く出来た真面目な奴だって事はちゃんと理解している。ただ、ほんの少しネジが外れ易いだけで。

 

「なにって、潜入と言えばダンボールと相場が決まっているのですよ」

「その相場、私にゃ朝飯と言えば絶対にパンを食うってのと同じくらい馴染みの無いモンだぜ」

「幻想郷にダンボールは無いのですか?」

「そうだなぁ、幻想郷生まれかつ幻想郷育ちな生粋の都会派娘の私だが、そんな奇妙な名前は耳たぶに掠った事すら無いな」

「そうですか……ありませんか。うむむ、こういうシチュエーションって少し憧れていたので、ちゃんと形から入りたかったのですけれど……残念です。せめてドラム缶は無いのでしょうか」

「日本語を話せ。ここは幻想郷だ」

「あっ。そう言えば魔理沙さん、ちょっとこれを見てくださいよっ」

 

 駄目だこれは、聞いちゃいない。完全に自分の世界へ浸ってしまっている。

 

 東風谷早苗と言う現人神は、何というか、この通り一直線な部分が強い女だ。夢中になるものにはとことん夢中になるタイプだろう。悪く言えば安直で、良く言えば熱心な女である。時折こうして話を聞かなくなるのが玉に瑕だが、神社繁栄の為に努力を惜しまないひたむきな姿勢は嫌いじゃない。むしろ好感すら持てる程だ。

 そんな早苗さんは、私の前に二枚の札を差し出して来た。

 

「そいつは?」

「私の変質してしまった奇跡の力と二柱の御力を、ほんの少し封じ込めたお札です。効果は消音と気配遮断の二つ。隠密行動には役立つかなって」

「へぇー」

「あーっ、微妙に信じてませんね? ならば論より証拠、まずは着けてみてくださいな」

 

 促されるまま、私は札を手に取った。どうやら貼り付く機能があるらしく、腕にでも引っ付けておけばいいと言われたので、素直に従い貼り付けてみる。

 

「どうですか?」

「どう……って言われてもな。正直よく分からな」

『ぃィよう魔理沙ァッ!! ひっっさしぶりだねぇッッ!!』

「きゃあっ!?」

 

 訝しむ様に札を眺めていたその時。いきなり守矢家一柱の絶叫が、頭の中で花火の爆発でも起こったかのように炸裂した。急に甲高い叫びが聞こえたモノだから、館の奴らにバレると焦るあまり条件反射で遮蔽物へと隠れてしまう。

 そんな私をおかしそうにクスクスと笑う早苗が『大丈夫です、諏訪子様の声は札越しに神通力を接続した私と魔理沙さんにしか聞こえていませんから』と楽しそうに説明を述べた。勿論、その間も札の先に居る絶叫の犯人――洩矢諏訪子は絶賛大爆笑中だ。腹を抱えて畳の上を転げ回っている光景が、この場でスケッチブックに書き出せるくらい容易に想像できる。

 

「お、お前らなぁ! 脅かすなよ、折角忍び込んだのにバレちゃうだろうが!」

「あはは、ごめんなさい。流石におふざけが過ぎましたね。でも大丈夫です。このお札を貼った今、私達からは一切の音も気配も外部に出ていませんから。この会話も、普通に話している様に見えますが実は札を通じて音を繋げているのですよ」

『へへ。そいつはなー、私の力作なんだぞ。気を抜いてる奴の背後なら簡単にとれちゃうくらい気配を消せるし、もっと言えば真後ろで漫才をやっても気付かれない程の代物さ。どうだい、凄いでしょ? 早苗から面白い注文が入ったから、久々に頑張ってみたよ』

 

 お茶目で悪戯好きな洩矢諏訪子は、未だ笑いの余韻で声を引き攣らせながら言った。

 

「それはありがたい……んだが、諏訪子よ。お前って結構暇なんだな。神社の裏方ってのはそんなに退屈なのか?」

『う、五月蠅いな。なんだい、折角親切設計にしてあげたっていうのに。文句あるなら返してよねー』

「まぁまぁ、そう拗ねるなって。でもお前たちが担ったらしい事件の調査はどうしたんだよ?」

『問題なくちゃんと進めてるよ。今、神奈子の奴が調べてるところさ』

「……やっぱりお前自身は暇なんだな」

『あーあーあーあー、聞こえない聞こえないやっぱり札の効果は本物だ。っと、それよりも魔理沙。ちょっとその場で音を立てて見てよ。ちゃんと消音効果は出てるはずだから』

 

 自信満々な諏訪子へ応じる様に、私はその場で足踏みをしてみた。

 おお、足音が全く鳴ってない。確かに靴が床を踏みしめているのに、欠片も音が耳へと伝わってこないのだ。視覚と聴覚の齟齬のせいで、軽い不安感を覚えてしまう程である。

 本当に凄いな。完璧に気配を消せるマジックアイテムじゃないか。諏訪子が張り切ったと声高に宣うのも頷ける。

 

「おおー! 良いアイテムだなぁコレ。なぁなぁ早苗、今度コレの作り方を教えてくれないか?」

「残念、企業秘密でーす」

『ウチに入信するなら教えてあげても良いよ』

「ちぇっ。ケチんぼだな」

「……っと、誰か来たみたいですね」

 

 何かを察知した早苗と同時に、遠くで誰かが勢いよく駆け回っている足音が耳へと入った。

 音の主はどうやらこちらへ向かって来ているらしい。私達はすぐさま近くの物陰へと身を潜めた。

 

 目立ちたがりなレミリアの趣向によるせいなのか、紅魔館は無駄に豪華絢爛な内装をしている。なので意外と隠れられる場所が多い。柱や階段の裏はもちろんのこと、壺などのインテリアや家具を置く台すらも、私たちくらいの人間ならすっぽり隠してしまうほどの規模を誇っているのだ。

 陰に息を潜め、通行人が去るのをひたすら待つ。バタバタと、何かが走る音が確実に近くなってくる。

 

 現れたのは時を操るメイド長と、この館に住む二人目の吸血鬼だった。

 

「さ、咲夜ぁっ! 時間操作のオンオフで瞬間移動しながら追いかけてくるの止めてよ怖いよぉっ!!」

「残念ながら、今の私はお嬢様に妹様の教育を一任されている身ですので命令をお受けすることは出来ません。大人しく捕まってくださいな」

「と言うかなんで追いかけてくるの!? 最近は何も悪いことしてないでしょ!?」

「ここの所、館の物がよく行方不明になっているのですよ。お嬢様の帽子だったり地下図書館の本だったり食器だったり私のお召し変えだったりと、それはもう様々に。さて妹様。ついこの間、貴女様は物を隠す悪戯をしてお嬢様からお叱りを受けたばかりでしたよね? なので一先ず、重要参考人として連行させて頂きたく思います。弁解はそちらで存分にお試しくださいな。ああ、勿論『クロ』ならお仕置きですよ。必殺お尻プライベートスクウェアぺんぺんの刑です」

「うわああああああああん! 今回は本当に私じゃないんだってばああああああああっ!!」

 

 飛ぶことも忘れて恐怖に泣きじゃくりながら全力で逃げ惑うフランドールと、消えては現れを繰り返し優雅に()()()フランを追い回す咲夜が、まるで嵐のように廊下を通り抜けていった。

 

「……咲夜がフランを追いかけるだなんて、珍しい事もあるもんだ」

 

 フランの奴、距離を放したと思った次の瞬間には耳元で涼し気に会話を繋げてくる咲夜から追い掛け回されるとは、さぞや恐怖へ駆られているに違いない。おまけに絶対咲夜はフランをわざと泳がせている。あの調子だと、もう暫くこのレースは続きそうだ。だってあの咲夜が良い笑顔だったのだ。ちょっと前までは鉄仮面みたいな顔しか出来なかった咲夜が、あんなに楽しそうな笑顔を浮かべていたのだ。日頃のストレスやらなんやらを、ここで存分に発散する腹積もりなのかもしれない。

 つまりこれは、アレだろうか。ひょっとすると『さでずむ』って奴なのだろうか。

 

「なんにせよ、グッジョブだぜフラン。私達のための尊い犠牲になってくれ」

 

 時空間を意のままに操るアイツから逃げ延びるなんて真似は、撃退でもしない限り不可能に等しい。フランには悪いが、このまま奴の眼を惹きつけてもらおう。

 

「あの、魔理沙さん。彼女、レミリアさんの妹ですよね? 確か吸血鬼はこの時間帯だと眠っている筈じゃあ……」

 

 当初の計画とは随分食い違った光景を前に、早苗は不安の色を混ぜた声を上げた。ごもっともな意見である。

 うーんおかしいな、最後に館へ行った時は確かに夜型の生活をしていた筈なのだけれど。いつの間に生活リズムを変えたのだろう。

 

「昔はそうだったんだが、参ったな。人間の血を吸い過ぎて健康的な生活リズムに目覚めてしまったのかもしれん」

「ど、どうしましょう」

「焦るな早苗、まだレミリアが起きていると決まった訳じゃない。あの二人は別にいつもくっ付いて行動してるんじゃ無いからな。それによく考えてみろ、仮にレミリアが起きているとしたら、それだけで寝坊助さんに襲い掛かられる危険性が無くなるんだ。起きているなら弾幕で十分撃退できる。見つかるリスクが高まった事を除いちまえば、決してデメリットばかりじゃあないのさ」

「なんだか限りなく前向きに近い後ろ向きなポジティブの気がします……」

「なぁに、後ろを向いても前へ歩けば前進するもんだぜ。さ、今のうちに行こう。咲夜の目が無い内に進めるだけ進んだ方が良い」

 

 物陰から抜け出し、静かに行動しようと壁伝いに移動していく。

 ――その時だった。

 

『ねー、美鈴さんから言われたところどっちだっけ?』

『こっちこっち! ここの辺りを調べろって言ってた!』

 

 丁度咲夜たちが去って行った方角から、幼い声が複数響く。間違えようもなく、この館の妖精メイドどもだ。

 なんてこった、美鈴の奴め。まさか妖精を駆使して私達を捕まえるよう仕向けて来るとは。フランと咲夜と言い、今日の紅魔館は新しいイベント尽くしの様子だ。

 

「えっえっ? なんでバレてるんですか? 札の効果はちゃんと出ている筈なのに」

「落ち着け、美鈴自身が来た訳じゃない。多分、私たちが札を貼る前の大まかな位置しか分かっていない筈だ。隠れれば問題ないぜ」

 

 手近にあった適当なドアを開き、中へと入る。どうやらそこは、地下へ続く階段らしかった。

 早苗と私は弾幕を形成するエネルギーを小さな光源として作り出し、足元に気をつけながら、階段の続く限り潜っていく。

 

「ここで行き止まりの様ですね」

 

 終点の壁が姿を現し、同時に私達の進行も止まった。石造りの壁に囲まれた地下にいるせいか、上と比べてかなり肌寒い。氷室として使われていてもおかしくなさそうだ。

 

「図書館以外の地下階段とはな。こんなモンが紅魔館にあったなんて知らなかったわ」

「……魔王の住む紅い洋館に、隠された秘密の階段っぽい場所……! ああ、幻想郷はなんてファンタジーな世界なのでしょうっ。こんなシチュエーション、一度で良いから体験してみたかったんですよね。感激だなぁっ」

「私にはお前の価値観の方がよほどファンタジーだけどな。まぁ、未知のエリアを発見した喜びは分からんでもないが」

『ねぇ、こっちに居るんじゃない?』

「!」

 

 上方から薄く光が差し込んできたかと思えば、妖精メイドの声が再び鼓膜を刺激した。美鈴の奴、どうやら私達を本気で探し出そうとしているのか、虱潰しに探すよう命令した様だ。じゃなきゃ飽きっぽい妖精がここまで執拗になるわけが無い。

 普段は能力で気付いても見逃してくれる事の方が多いのに、とことん珍しい対応だな。こんな時に限ってやる気になってしまったのだろうか。

 

 しかしこれはマズい状況だ。妖精どもは絶対に奥まで確かめに来る。だが逃げ場なんてものはどこにも存在しない。降りて来られたら間違いなく見つかってしまう。見つかれば最後、ここまで来た苦労が水泡に帰し、面倒な事態へ雪だるま式に膨らんでいくのは確実と言って良いだろう。

 

 ならばいっそ、強行突破に踏み切るか? 

 私はポケットの中の八卦炉を確かめながら、思考の渦を脳裏に巻いた。

 

「魔理沙さん」

 

 それを遮るように囁かれる、小さな早苗の声。

 

「よく見たらここ、二つドアがありますよ」

「なに?」

 

 早苗が光球で照らし出した壁には、対面する二つのドアが存在していた。

 まるで、天国と地獄どちらかへ通じる分かれ道であるかの様に。

 

「このドアは開くのかな……あれ、何でしょうコレ。ドアに何か術が掛かってて開きません」

「見せてみろ。……あー、封印の魔法だなこりゃ。しかもかなり厳重に仕掛けてあるぜ。私には解けそうにない。そっちはどうだ?」

「ん……開きました! 入れます!」

「よし!」

 

 四の五の言っている場合では無かった。見つからないのであればそれに越したことはない。早苗の見つけた新たな暗闇の中へ、転がり込む様に避難する。

 ドアを閉め、降りて来る妖精たちの対策をどうするか懸命に頭を働かせながら、私はドアから距離を置いた。

 

「ここでやり過ごすしかないな。問題は、見つかるまでの時間をただ先延ばしにしただけって事だが」

「任せてください」

 

 悩む私の前へ早苗は乗り出すと、ブツブツと呪文の様な言葉を紡ぎ始め、

 

「はっ!」

 

 小さな掛け声と共に、閉じられたドアへ力を放った。眩い光が一瞬暗闇を照らすが、再び暗黒の空間へと染め上げられていく。

 突然の発光にチカチカする目を擦りながら、私は早苗へ問いかけた。

 

「一体何をしたんだ?」

「諏訪子様のお力を借りて、ドアに薄く壁を被せました。明るい所で見れば色の違いでバレちゃうかもですが、薄暗いですし妖精なら外見上の判別は出来ないでしょう」

 

 ……成程、坤を創造する力か。大地の属性を操るのだから、この建物と同じ材質の壁を薄く張るなど造作も無いのだろう。流石にあの妖精たちが見破れるとは思えないし、これで索敵の目からは潜り抜けられそうだ。

 ホッとした矢先、壁の向こう側から少女達の声が聞こえて来た。

 

『誰も居ないね』

『おっかしいなー、この辺りに忍び込んでるって言ってたんだけど……美鈴さんの気のせいだったのかしら』

『気のせいと言えば、こんな階段前からあったっけ?』

『あったんじゃない? そんな事より、誰も居なかったんだから早く戻ろうよ。ここ、何だか気味が悪いよ』

『そうね、戻りましょっか』

 

 パタパタと階段を昇っていく足音を聞き送り、一先ずの安堵を得る。

 しかし今の会話、妖精メイドもここの存在を知らなかったと言う事か。いや、妖精メイドだけじゃないな。恐らく咲夜もここの存在を認知していない筈である。アイツが床に埃を貯めて放っておくなんて有り得ない。大量の蜘蛛の巣なんてもっての外だ。お蔭でスカートと帽子が汚れちまった。

 

「どうやら去ったみたいですよ。タイミングを見て行動しましょう」

「良い案だが、先ずはここが何なのかちょっと知っておきたいな」

 

 懐から小瓶を取り出し、栓を開ける。魔法の森の光るキノコを粉末状にして固め、特殊な火薬と一緒に混ぜたものだ。これをばら撒くと空気に反応して、制限時間付きだが広い範囲に光源を確保できるのだ。

 瓶の中身を勢いよく撒き、私は空間の全貌を明らかにした。

 

 息を、呑んだ。

 

「おお……!?」

「これは……っ!」

 

 姿を現した部屋の正体に喉が鳴った。情報処理が追いつかなかった脳は、私の体を硬直させてしまう。

 

 現れたのは、床から天井まで積み上げられた金貨銀貨の大山脈。積まれた金の延べ棒のグレートウォール。宝石や貴金属がふんだんに使用された、目も眩むような装飾品の数々。それら全てが絢爛とした輝きと共に、部屋中を占拠していたのである。

 どこからどう見ても、それは紛れもない宝物庫だった。

 

 なんて、なんて圧倒される光景だろう。もし香霖がこの場にいたのなら、冷静なアイツでも理性のタガが外れてしまいかねない規模の品数である。隣の早苗は完全に目を奪われ、まるで光に吸い寄せられる羽虫の様にフラフラと、財宝の山脈へ近づく始末だった。

 

「こここ、これ全部マジモンの()()()()()ですか……!? もしかして、正真正銘本物の宝物庫って奴なのでせうか!?」

「……信じられんが、どうやら全部本物みたいだな。見た感じの質感もリアルだ。お前は、いつの間に新しい能力を発動させたんだ?」

「いえいえ何もしてませんよっ。うわぁー、凄いなぁ。外の博物館でも見た事の無い物がいっぱいある! ねぇねぇ魔理沙さん、金貨の山にダイブしても良いですかねっ。外で冒険ものの映画を見た時から、密かに憧れていたんですよっ」

「やめとけ、何があるか分からないんだぞ」

 

 目を輝かせて燥ぐ早苗を嗜めながら、私は帽子の位置を正す。

 テンションが上がるのはよく分かるが、どうにもきな臭い部屋だ。こんな量の貴重品を保管している場所を、何の警備も無しに放置しているなんて明らかに怪しい。仮にこの部屋は侵入者が入っても問題ないようセットされているならば、下手人を自動で排除する罠なんかが仕掛けられていたとしても不思議ではないだろう。例えば、この金貨のどれかに触れた瞬間毒ガスでも噴射されるとかな。不用意に探るのは避けるべきだ。

 

 しかし私の忠告を受けた早苗は、『あれ?』と言ったように首を傾げた。どこか不思議に思った点があったらしい。

 

「ちょっと意外な反応ですね」

「? 何がだ?」

「いえ。てっきり『うひょーっ、これぜーんぶ私のもんだぜーっ!』って飛びつくかと思ってましたから」

「お前は私を何だと思ってるんだ」

 

 まったく。早苗と言いパチュリーと言い、私は悪質な盗人じゃないと何度言えば分かる。だがそんな事よりも『私のモノマネちょっと似てましたよね?』と言わんばかりのドヤ顔を今すぐ止めろ。全然似てなんてなかったからな。

 

「生憎、金目の物にはさほど興味が無いんだ。私にとっての金銀財宝は、パチュリーの図書館にある魔導書たちの方だしな」

「結局、物が違うだけで盗るんじゃないですか」

「違う違う、盗むんじゃなくて借りるんだ。冤罪は何よりも残酷な罪だと知ってたか?」

「ええー……そう言いつつきっちり財宝を調べ回ってる時点で説得力無いですよう」

「チャラチャラしたものには興味ないが、希少な魔法素材となると話は別だからな。念のために把握だけしておくぜ」

 

 あくまで念のためである。意味を履き違えてはいけない。

 私は罠を警戒しつつ、黄金の山を隅から隅までじっくりと眺めていった。

 しかしやはりと言うべきか、私の興味を引くようなものは見当たらない。どうやらただの宝物庫でしかないらしい。財宝山脈からはぐれた一枚の金貨を拾い上げながら、何の気なしに溜息を吐いた。

 

 ふと。

 

「ん?」

 

 一ヵ所だけ、異色を放っている部分を見つけ、足が止まる。

 何かが、財宝の渓谷部分にポツンと佇んでいるのだ。近づいてみると、それは小さな台座だった。古めかしい本が一冊だけ乗せられ、他には一本の雅な羽ペンだけが置かれている。ただそれだけの豪華な台座である。

 

「なんだ、こいつは」

 

 吸い寄せられるように足が動く。無意識とでもいうべきか。ふと気がつくと、私は台の前に立っていた。

 今の今まで罠の事を警戒していたのに、私はあっさりと目の前の台座へ触れ、本を手に取ってしまう。自分でも何故こんな事をしているのか分からなかったが、不思議な事に、この本からは何故か()()を抱けるナニカを感じ取ったのである。これは大丈夫、これは危険じゃないと、まるで誰かがそっと教えてくれているような安心感。そのせいで、警戒によって棘が立った私の心が宥められてしまったのだ

 

 本から誘われる様に、そっと表紙を開く。見出しには赤茶色に掠れた文字でGrimoire(グリモワール)と綴られていた。

 一先ず、本の種類を確認できたところで本を閉じる。魔導書の中には、何の準備も無しに読むと精神を食い破られてしまう危険な代物が紛れている。帰ってから準備を整えて読むに限るだろう。

 

「魔理沙さん、何ですかそれ?」

「扉ページからして多分、魔導書だ。グリモワールって書いてあるからな」

「へぇ、それ魔導書なんですか。私には古い日記帳か何かにしか見えないですねー」

「傍目から見ればそうかもしれないな。だが私にはあの金塊たちよりも輝いて見えるぜ」

「……それが欲しいんですか?」

「ああ。わざわざ一冊だけ財宝の中に安置されていたんだ。どう考えても有象無象の品じゃないだろう。勘だが、結構な年代物だと思う。ならば借りない手はないぜ」 

「いやいや、泥棒は駄目ですよ。せめてレミリアさんに一言言ってから――ああいや今は無理なんだった。とにかく止めた方が良いですって。良心に身を委ねるのです」

「だーかーら、借りてるだけだってば。借りたものは絶対に返すさ。別に売って金にしようとか下賤な事を考えてる訳じゃないんだぞ。その証拠にほら、私の良心は本を戻そうとはしていないぜ?」

「でも」

「じゃあこうしよう。これを秘匿にする事が、お前からの依頼料の代わりにさせてもらう。それならイーブンだろう?」

「うっ」

 

 早苗の顔が明らかに引き攣る。立場的弱点を突くのは心苦しいが、ここは私としても引けない所なのだ。どんなものであれ、掴んだチャンスは必ずモノにするのが私の信条である。あらゆる知識の先駆者である魔法使いに妥協は無い。

 

 早苗は暫し悩んだ挙句、溜息と共に肩を落とした。

 

「一週間です。一週間後、必ず私と返しに来るって約束してください」

「おう、勿論だ」

 

 了解を得た私は、手に入れた魔導書を慎重に袋へと包み、帽子の中の安置所へ収納した。こうして仕舞えるのは、パチュリーの蔵書から学んだ空間魔法の一種によるものだ。まだ完全にマスター出来ていないけれど、スペースとしてリンゴ五つ分程度のスペースは確保できている。拡張は今後の課題ってとこだな。

 

「さ、いつまでもここに居ると日が暮れちまうかもしれない。そろそろ行動に移るとしよう」

 

 予想外に時間を食ってしまった私達は、まるで狩りを終えた鼠の様にそそくさとその場を後にした。

 

 

 コンコンコンコン。

 滅多に聞く事の無いドアノックの音が、軽快に室内へと弾んだ。

 近々人間の里で劇を公演する予定の人形達を整備していた私は、作業の手を止めて玄関へと向かう。

 

「はいはい、どちらさま」

 

 上海人形がドアノブを回すよう魔法の糸で操作しつつ、わざわざ危険な魔法の森にまで訪ねて来た珍妙な客を迎え入れ――

 

「おはよう」

「…………」

「今日は良い朝ね」

「………………………………」

 

 ――――ようと思ったけれど、訂正。どうやらお客さんなんていなかったらしい。そう、私は何も見ていない。わが家へ訪れて来た人物が、まさかあのフラワーマスターだなんて知るわけが無い。しかもその手に異形の死骸を引き摺って来ただなんて、これはもういよいよ白昼夢の領域だ。

 どうやら、連日の作業で疲労が溜まっていたらしい。こんな幻覚を見てしまう程度には困憊していたのだろう。疲れた時は、温かいミルクティーでも飲みながらしっかりとした休息を取るのがセオリーだ。たまの休みも必要である。だから今日はゆっくりしようそうしよう。

 結論を得た私は、すぐさまドアを閉めにかかった。

 

 瞬きもしない間に指を挟みこまれ、ドアの動きを止められた。

 

 隙間越しに目と目が合う。力が込められ過ぎてそろそろドアが悲鳴を上げそうな中、彼女は画家がその美しさを表現出来ずに筆を折ってしまいかねないほど、華麗な笑みを浮かべて、

 

「いきなり閉めるなんて酷いわ。まだ何もしていないから私はお客様の筈よ」

「生憎、マーガトロイド家では死体を引き摺り回してやってくる奴をお客様だなんて呼ばないの。何をしにここまで来たのか知らないけれど、厄介事は御免よ、幽香」

「大丈夫、用が済んだらすぐ帰るから。巻き込まないとも約束する。だからお願い、少し相談に乗って? あなたしか頼れないの」

「……、」

 

 相変わらず底の見えない笑顔を浮かべているのみだが、嘘を言っている様には見えない。そもそも幽香が嘘を吐く事など滅多に無い。何故なら、彼女の辞書に『隠す』だとか『取り繕う』などと言う言葉は存在しないからである。

 幽香に争うつもりが無いのなら、変に警戒する必要も無いか。私は魔法糸を解除し、上海を背後へ待機させた。

 ドアを開き、決して余裕と笑みを崩さない花の大妖怪、風見幽香と改めて対峙する。

 

「入れる前に幾つか質問。よりによって何故私を頼るの? その干からびたミイラはなに? 用件の内容は?」

「一つ目の回答はあなたが魔法使いさんだから。二つ目は私にも分からない。三つめは、あなたにこれを調べて欲しいのよ」

 

 幽香は妖怪の死骸らしきものから手を離す。ぱさり、と枯葉の様な音が鳴った。

 本来ならば有り得ない筈の妖怪の死体を観察しながら、私は更に問いかける。

 

「念のために聞くけど、あなたがやった訳じゃないの?」

「ここ最近は控えているわ」

 

 見惚れる様な微笑みからは考えられない台詞を吐く幽香。恐らくジョークなのだろうけれど、彼女が言うと全く冗談に聞こえない。

 幽香は常に持ち歩いている桃色の日傘を折り畳むと、傘の先端で死骸を(つつ)きだし、

 

「この子はね、無名の丘近くで暴れているところを見つけたの。通りかかった所でいきなり襲い掛かられたものだから、ちょっぴり叱ったのだけれど」

「…………、」

 

 やっぱり幽香がやったんじゃないのか、という言葉を喉元で抑えつつ、続きを待つ。

 

「突然もがき苦しみながら干からびてしまったわ。全身から負のエネルギーを周囲に撒き散らしてね。まるで体に入り込んだ異物を必死に吐き出そうとしているみたいだった」

「……不可解極まりないわね。本当にあなたが絞ったりした訳じゃないのよね?」

「誓って何も。けれどこんな現象、生まれてこの方目にした事が無かったものだから、私なりにちょっと調べてみたのよ」

 

 そうしたらね、と彼女は繋げて、

 

「魔力の残滓らしきものが中から見つかったの。でも私は魔法関連にそこまで詳しくない。だから、この妖怪がミイラになった原因が分からないの」

「……それで、私の元に来たってわけ」

「ええ、私の知ってる魔法使いさんはあなただけですもの」

 

 だから調べるの手伝って? と幽香は両手を合わせ、ねだる仕草を私に見せた。

 

 ……仕方ない。昔のよしみで引き受けるとしよう。調べるだけならそこまで時間はかからない筈だ。それになにより、もしここで断ろうものなら、言う事を聞くか否かで確実にスペルカードバトルへと発展してしまう。私の家の近くでそれは避けたいところだった。

 

「概ねの事情は分かったわ。入って」

「ありがとう。お邪魔します」

「はいはい――って待った待った! ソレを引き摺ってこないで!」

 

 流石に死体をズルズル家の中で這わせる訳には行かない。そんなの絶対嫌だ。

 すぐさま人形を数体駆使してミイラを受け取り、宙に浮かばせて中へと持ち込んだ。

 

 作業用の台座まで戻り、使い捨ての布を数枚重ねて敷く。これで精神衛生的にも幾許かゆとりが出来る。

 そっと遺骸を安置して、私は幽香へと尋ねた。

 

「調べるのに少し時間を貰うわよ。適当に座ってて頂戴」

「分かったわ。ソレ、お願いね」

「……これを見ながら飲むのは気が引けるだろうけど、一応聞いておくわ。何か飲み物はいる?」

「あら、いいの? じゃあハーブティーをお願いしようかしら」

 

 即答である。この程度で食欲の減退を招かないのは流石と言ったところだろうか。けれど私はくつろげそうにない。常に冷静さを保つよう務めるには、まだまだ修練が足りない様だ。

 助手に上海人形を使っているので、蓬莱人形を使役する。簡易命令を魔法糸で施し、飲み物の準備を任せた後、私は調査へ取りかかった。

 

 ざっと見た限り、遺体の種族は妖怪と言う以外に分からない。恐らく、生まれてすぐ消える筈だった力の弱い物の怪なのだろう。

 しかし不可解な事に、消える筈の存在がこうして原形を保っている。ありとあらゆる潤いを奪われたような悍ましい姿は、まるで崩壊寸前の乾燥標本の様だった。

 魔力の残滓を見つけたと幽香は言っていたので、簡易なサーチを施してみる。魔力の属性や種類などを見分ける時に使う手法である。

 

「……これね」

 

 調べてみると、確かにあった。ほんの少し、本当の本当に残りカス程度しかない魔力の欠片ではあるけれど、体の奥に煤の如くこびり付いている。

 優しく削ぎ取るように体から引き剥がし、魔力の残滓を抽出する。それを更に細かくスキャンし、一体何の魔力なのかを確かめていく。

 私の知る類なら、これで結果が出る筈だ。

 

「……? これって……」

「もう分かったのかしら」

 

 背後から幽香のふわりとした声が届く。横目で見ると、紅茶を美味しそうに飲んでいる幽香が真横に立っていて、思わずビクッとなってしまった。音も無く近づいて来るのは止めて欲しい。心臓に悪い。

 コホンと一つ咳払い。

 

「一応ね。残念ながら魔力源は特定できなかったけど、どんな術に使われたのかは、大まかに把握出来たわ」

「へぇ。どんな術だったの?」

「西洋魔術よ。仙術や陰陽術、妖術とも違う、外の世界の海を渡った先にある魔法のことね。幻想郷じゃあ使い手はかなり絞られてくる技術だわ」

 

 そう。スキャンの結果、私が導き出した答えは西洋魔術の魔力痕跡だった。記憶との照合結果が間違っていなければ、これはレミリアやフランドールが弾幕に応用している魔法と似た代物である。

 ただ、彼女達との相違点を挙げるとすれば、

 

「精霊魔法というより、魂魄に関わる魔術の気配を感じるわね。交霊か死霊の術かしら? 流石に完璧な術の同定は不可能だから、分かる事はそれくらい」

「ふぅん。で、幻想郷じゃあ誰が使ってるの? そのせーよー魔法とやらは」

「私の知る限り、魂に関われる領域まで西洋魔法の類を体得している人物と言えば、私と――ああ勿論私は犯人じゃないわよ? 勘違いしないで」

 

 私の名を上げた途端に笑顔が冷たくなったので、手を振りながら訂正を加えた。お節介で協力した挙句いわれの無い罪で断罪されるなんて展開は御免である。

 再び咳払いをして話を続ける。

 

「他には紅魔館のパチュリー……いえ、彼女は精霊魔法を専攻していたわね。とすると、思い当たる人物はあの吸血鬼姉妹くらいかしら」

 

 紅魔館に住む二人の吸血鬼、レミリア・スカーレットとフランドール・スカーレット。彼女達は、吸血鬼の膨大な魔力を惜しみなく魔法として使う事が出来るポテンシャルを持っている。特にフランドールは、魔導を専門的に体得していた筈だ。恐らくレミリアも幾らか使えるのだろう。それに種族が種族なので、霊魂の扱いに長けていても別に不自然な事ではない。

 

 取り敢えず、私の頭にパッと思い浮かぶ西洋方面の知り合いはこれ位だ。東方の地である幻想郷では、それほど西の技術というものは珍しいのである。

 

「吸血鬼……ね」

 

 結論を耳にした幽香は、薔薇の如く紅い瞳にどこか冷たい雰囲気を宿しながら、さながら冬空の下で溜息を吐く様に相槌を打った。

 彼女は余ったハーブティーを静かに飲み干すと、カップを蓬莱人形へ手渡し、椅子に掛けていた傘を拾う。それは言外に、用済みの意を表していた。

 

「ご馳走様。そしてありがとう、助かったわ。約束通りお暇するわね」

 

 振り向きざまにふわりと浮かぶ、花が咲いた様に素敵な笑顔。しかし彼女とそれなりに付き合いのある私には、笑顔の裏側に秘められたブラックボックスの中身が分かっていた。彼女の()()は、決して穏やかな意味合いなど含んでいない。この笑顔は、ある種の戦争宣言を意味しているも同然なのである。

 

 その事実がどうにもモヤモヤして、思わず立ち去ろうとする幽香へと声をかけてしまった。

 

「……ねぇ、幽香。最後に質問しても良い?」

「あら、何かしら」

「何故あなたが、死体(コレ)の真相を追う様な真似をしているの? 他でもない()()()()

 

 ずっと引っかかっていた。何故彼女が、あの風見幽香が。如何に不自然な変死体と言えども、この名も無き妖怪の身に降りかかった災難の正体を突き止めようとしているのだろうかと。

 彼女を知る私からしてみれば違和感を覚えざるを得ない、彼女らしからぬ行動だったからだ。

 

 風見幽香は非常に気紛れでマイペースな妖怪だ。気分が乗らなければ本当に何もしないし、逆に興味を持ったものはとことん追求していく癖がある。

 

 彼女が好むものは、四季のフラワーマスターの通り名が示す通り花である。彼女は草花を愛でる行為を至上の喜びとしていて、それ以外にはあまり興味を示すことは無い。巷では無類の嗜虐趣味を持つと噂されているが、それは一時期彼女の気に入った花畑を荒らす者が絶えなかったがゆえに起こった事故だ。他人に興味を持つことが少ない彼女が見ず知らずの無礼者へ加減などする筈も無く、下手人へ圧倒的な蹂躙を繰り広げた後、その光景を目にした者から尾鰭の着いた噂が伝播していった結果に過ぎない。

 それに、幽香は自分を恐れさせれば花を無暗に荒らす者が出てこないと知っているから、あえてそう言うスタンスを取っている部分もある。

 

 そんな彼女が。自身へのイメージだとか、他者への配慮だとか、そう言ったもの全てにまるで頓着の無いあの風見幽香が。赤の他人であろう妖怪の身に起こった怪異を突き止めようとしているなど、違和感を覚えざるを得なかったのだ。

 

「……無名の丘は、美しい鈴蘭が辺り一面に咲き誇る素敵な場所なの。春になると、それは感動的な光景を見せてくれるのよ」

 

 私の質問に対して、幽香は静かに語り始めた。

 どこか、凍り付く様な雰囲気を纏いながら。

 

「さっき私が言ったこと、覚えてる? このミイラは負のエネルギーを一面に撒き散らしながら息絶えたって」

「……!」

「お蔭で能力を使わざるを得なかったわ。本当に、久しぶりにね」

 

 ――その一言が、私に彼女の言わんとする答えをもたらした。

 

 撒き散らされた妖怪のエネルギーは現世(うつしよ)へ生きる者にダメージを与える。生命力の強い人間などならまだ病気になる程度で済んだかもしれない。しかし植物はどうだ? 実りの秋を迎え、次世代を残す為に新たな命を果実へ注ぐ真っ最中の植物へ毒素が降りかかれば、一体どうなってしまうだろうか?

 答えは明白。朽ち果てるのみだ。冬の木枯らしに誘われ、春の温かさが戻ってくるまでの束の間の眠りに入るわけではない。それは完全な死滅を意味していた。

 

 幽香は花を操る力を持っているが、むやみやたらに使うことは無い。花の本来あるべき姿を何よりも愛する妖怪だからだ。故に幽香は無名の丘や太陽の畑と言った場所を、季節に合わせて転々とする生活を送っている。だからこそ、彼女は四季のフラワーマスターと囁かれている。

 そんな彼女の目の前で、無残にも鈴蘭が破壊された。しかも事故や自然淘汰では無く、無名の妖に術を施し暴走させた犯人の、身勝手な暴挙に巻き込まれて。

 つまり鈴蘭の死は自然がもたらした結果ではなく、どこかの誰かが振り乱した悪意によって招かれたモノだと、幽香は捉えたのである。

 

 愛する花の無残な死が、何者かの悪意による仕業かもしれない。 

 それだけで十分なのだ。風見幽香が、引き金に指を掛けるには十分すぎる理由なのだ。

 

「だから、少しお話をする事にした」

 

 では犯人の目星を付けた幽香が、次に起こす行動とは? 

 考えるまでも無い。答えなど、直観だけで十二分に理解出来る。

 どこまでも透き通った微笑みを浮かべて、冷徹なまでに彼女は言った。それは、一種の宣戦布告を意味していた。 

 

 ――風見幽香は敵対した者へ容赦を加える様な人柄ではないが、決して狂人などではない。むしろ美徳を重んじる性格と言えるだろう。故に紅魔館との全面戦争といった大事には絶対に至らないと確信を持てるが、何だか一波乱は起きそうである。

 具体的には、普通よりちょっと激しい弾幕戦が繰り広げられそうだ。

 

「それじゃあ、そろそろ行くわね。相談に乗ってくれてありがとう」

 

 優雅に手を振りながら、花の妖怪はあっさりと我が家から立ち去った。登場のインパクトが大きかっただけに、あまりに呆気ない淡白な退場は、どこか閑散とした空気を部屋にもたらす。

 

「……それにしても、何故西洋魔術の因子がこの中から……?」

 

 残された私は誰に言うでも無く、ミイラの傍で呟いた。

 

 実に不可解な発見だと思う。この因子の源が仮にレミリアだとして、彼女が一体なぜこんな真似をしたというのだろうか。そもそも、この干からびた状態になった原因はなんなのだ?

 

 確かに西洋魔術の痕跡を遺体から感じ取った。しかしそれと妖怪がミイラ化した現象に直接的な因果関係は無い。この干からびた死体は、魂魄の魔術とは別の何らかの要因によって生み出されたモノであり、その術を仕掛けた犯人が西の流派を嗜む人物と言うだけなのだ。

 そして現在幻想郷にて西洋魔術の有力候補と言えるのが、紅魔館に住むパチュリー・ノーレッジにレミリア・スカーレット、フランドール・スカーレットの三人のみ――――

 

「……!」

 

 ――いや、違う。二人だけではない。

 忘れもしない。忘れる事など出来やしない。四年前の晩夏の夜、妖怪の賢者と亡霊姫を相手に激戦を繰り広げた、異形の吸血鬼が居たではないか。

 確か、奴の名はナハトと言ったか。

 

「……まさか」

 

 月が沈むことを止めたあの晩、紅魔の当主は私にこう言った。『何が起こるか分からないから不用意にナハトを探るな』と。自らを運命を操る吸血鬼と謳う彼女が、不確定要素を全面に押し出して警告してきたのだ。

 彼女の警告と言い、あの目にするだけで臓器が委縮する様な気味の悪い瘴気と言い、ナハトと言うヴァンパイアが只者ではない事は容易に把握できた。それこそ、レミリアが自らの能力を信用できなくなる程度には測定不能な存在なのだろう。

 

 そんな規格外な人物である以上、死体の発生源がナハトである可能性は十分に有り得る。むしろ人物像的に考えて、レミリアやフランドールより的確と言えるのではないか。

 

「…………、」

 

 だがしかし、それだけでは確証までに至らないのもまた事実だ。

 理由として一つ目は、レミリアがナハトを一定以上評価していた事。あの時の彼女はナハトへ敵対している様な素振りは無く、むしろ逆だとすら感じた。あのレミリアが信頼を示している人物が、果たしてこの様な暴挙を引き起こすものだろうか?

 

 二つ目は、ナハトは今も眠ったままだろうと言う事。あの晩から幾度か館を訪れた日はあったが、一度も奴を見かけたことは無かった。魔が差してパチュリーに奴の動向を尋ねれば、『眠っている』とだけ答えが返って来たのを覚えている。それ以上深くは訊けなかったから現状は分からないままだが、少なくともあの夜から四年近く経った最近でも眠り続けている筈である。つまり、未だ目覚めていないのならば、ナハトによる犯行だとは考え難い。

 

 であれば、やはりレミリアかフランドールに絞られてしまうのだろうか?

 

 思考が渦を巻き、形を変え、霧散し、再び別の形へ姿を変えていく。

 そんな作業を幾つか繰り返した後に、私は力無く息を吐き出した。

 

「まぁ、私が考えても仕方のない事よね」

 

 よくよく考えてみれば、私がこの件に対して深く関わる必要は無いのだと気づき、思考を切り替える事にした。取り敢えず私の中でこの件は終わりだ。私は私でやる事がある。そちらを優先するとしよう。

 

 途中で止まっていた人形の整備を再開するために、私は作業台へと振り返った。

 

 

「……ああっ!? どさくさに紛れてミイラ(これ)置いてかれてる!? ちょっと幽香――って、そう言えばもう居ないんだったわね。ああもうっ」

 

 

 

「早苗? おーい早苗やーい。あれ、おかしいな。魔理沙も聞こえてるー?」

 

 秋神に彩られた紅の葉が森を支配し、生き物の活気が溢れる妖怪の山。その山に一つだけ存在する湖の神社から、幼さの残る甲高い声が響き、滲み渡っていく。

 声の主にして、彼女の居座る守矢神社に祀られし神の一柱、洩矢諏訪子は、小首を傾げながら何度も虚空へと問いかけていた。

 

 言うまでもないが彼女が必死に語り掛けている相手とは、現在紅魔の館へ潜入している二人の少女である。

 しかしそうは言っても一人で何もない所へ話しかけている様子が不気味だったのか、守矢神社を仕切る表の祭神、八坂神奈子が怪訝な表情を浮かべながら諏訪子へと話しかけた。

 

「ここに居たのか諏訪子。一人でブツブツ何を言ってるのよ」

「うん? あー、いやさ。いま早苗との遊び――もとい仕事をサポートしていたんだけど、いきなり通信が切れちゃってねぇ。持たせた札に呼びかけてもまるで反応がないし、どうしたものかと」

「……早苗の身に何かあったとでも?」

「何かあったのかもしれないが、危険な目に遭ってる訳では無いみたいよ。札とは別に持たせたお守りから、ちゃんと早苗の反応は感じ取れてる。ただ、何が起こっているのかが分からない」

 

 諏訪子曰く、どうやら『受信』は出来るが『発信』出来ない環境に東風谷早苗は置かれているらしかった。それが彼女の身に降りかかったアクシデントを説明する材料にはならないが、安全だと諏訪子が断言するならば安全なのだろうと納得し、神奈子は不安を排除する様に息を吐いた。

 しかし、それでも心配なものは心配である。神奈子は更に目を細めながら諏訪子を睨んだ。

 

「本当に大丈夫なんだろうね」

「大丈夫だって。いざとなったら私たちがお守り(分社)を通じて守ればいい話なんだからさ」

「でもあの子に万が一の事があったら……」

「神奈子は心配性だなあ。あの子の血縁たる私よりも過保護ってどうなのさ。少しはそっと見守るのも、育成に必要な事だと思うよ私は」

「それが、そうも言ってられないみたいなのよ」

 

 ケロケロと軽やかな笑いを浮かべていた諏訪子が、神妙な顔つきを浮かべる神奈子の言葉を聞いて、きゅっと引き締まった。

 

「どういう事?」

「件の依頼だけど、調べてみたら少々引っ掛かる要素が出てきたの」

 

 件の依頼。それは東風谷早苗が里の住人から引き受けた、ナハトと言う吸血鬼の討伐を願われたものである。

 

 早苗からその旨を報告された神奈子は、『ナハト』の名をどこかで聞きかじった覚えがあったらしい。遠い昔、会話の中でさらりと聞き流していた様な、うっすらとした朧の感覚。神奈子はその記憶の違和感を探るため、そして事件の真相を掴むため、独自に調査を行っていたのだ。

 結果、ある答えへと彼女は辿り着いた。

 

「早苗が討伐に向かっている、ナハトと言う吸血鬼……どこかで聞き覚えがあると思ったら、大昔に西を騒がせていた悪魔だったのよ」

 

 神奈子の発言に対して、諏訪子は首を傾げた。彼女は過去で、そんな噂を耳にした記憶が全く無かったからだ。

 

「悪魔ぁー? 聞いた事も無いわね。天津神(ソッチ)じゃ有名だったの?」

「さぁ、私も詳しい事は知らないわ。ただ、天津神の間で一時期話題になった事があった。西の海を越えた先に、飛び抜けて強大な悪魔がいたとかなんとか」

 

 ああ成程、だから聞いた事がなかったのか、と諏訪子は納得する。天津神の神奈子と違い、土着神である諏訪子は彼女たちのネットワークへ参入する事も無かったため、持っている情報に差が生まれてしまっていたのだろう。

 

 それで? と続きを催促する諏訪子に対し、神奈子は言う。

 

「正直、話題になった当時でも耳を疑う様な噂ばかりが飛び交っていたものだから、海の向こうにはそういう奴も居るんだなぁって思っていた程度よ。まさか今になって、本人と巡り合う地に立つとは思わなかったけど」

「……でもそいつは悪魔――というか吸血鬼なんでしょ? たかがコウモリ如きに、そこまでピリピリする必要なんて無いと思うけどなあ。それにほら、あの、なんだっけ。幻想郷縁起? に書かれてる内容もどこか胡散臭いし、一妖怪でしかないなら私達に敵う筈なんてないでしょ。いざとなれば、どうとでも出来ると思うよ」

「確かに、並みの吸血鬼なら心配に値しないでしょうね。ただどうも、奴だけは例外と考えた方が良いらしい」

 

 神奈子は胸の下に腕を組み、悩まし気に眉間へ皺を寄せる。

 

「よく考えてみなさい。奴は神々の間でも噂になっていた程の妖怪なのよ。多分……と言うか確実に噂の殆どは眉唾なんでしょうけれど、仮にそれら全てが事実だとしたら、私たちの知る妖怪と言うカテゴリーでは推し量れない存在かもしれないわ」

 

 神奈子の発言に対し、表情を顰めさせる諏訪子。放っておくと爪を齧ってしまいそうな、そんな表情だった。

 

 八坂神奈子は風神であると共に、軍神としての神の側面も持つ。戦の神の呼称に恥じず、かつて神奈子は諏訪大戦と呼ばれる大きな聖戦で諏訪子を下し、実質侵略するまでに至った経緯がある。

 そんな相手が――かつて自分を打ちのめした好敵手であり親友が。ただのコウモリ妖怪如きに一抹の不安を抱いている。それがどうしようもなく、諏訪子の神経を逆撫でたのだ。

 

「あんたがそこまで不安を煽られるなんて、一体全体どんな噂が流れてたって言うのさ」

「…………例えば、そうね。妖怪の癖に西の信仰を総なめしていただとか、信仰を奪われて危機感を覚えた名立たる西方の神々が、信徒を使ってあの手この手で討伐を試みたけれど、全て失敗に終わっただとか。他にも、到底信じられない様な与太話がたくさん」

「……名立たる神々が討伐を試みる……?」

 

 そんな馬鹿げたホラが有り得るかと、諏訪子は驚愕と疑問に表情を塗り潰した。

 神は基本的に信仰を糧とし、信仰を力とする存在である。その点に関してだけは、国津神だろうが天津神だろうが西方の神だろうが変わらない。そして信仰の厚い神々は現代でも名を馳せている猛者ばかりであり、当然ながら、生まれてはすぐ消える弱小とは存在の強度が違う。

 その様な神々が信仰を横取りされることを恐れて、一妖怪でしかない吸血鬼を討伐しにかかるなど、到底信用できる話ではなかった。前代未聞と言って良い。確かに妖怪の中には、民からの信仰によって半ば神格を得ている者も存在する。佐渡の二ツ岩大明神や山の天魔が良い例だろう。しかし、それはあくまで一部の狭い範囲に過ぎない。一部地域の信仰を集めた程度で、神々が危機感を抱くなんてことが起こり得る筈がないのだ。神託で討伐を命じるなど、そして討伐が失敗に終わるなどもっての外である。吸血鬼であれば尚の事だった。

 

 街談巷説もいいところである。間違いなく眉唾モノだ――諏訪子はそう結論付けた。だがそれと同時に、神奈子が本当に警戒しているモノの正体が噂の真偽などではなく、この様な出鱈目が生まれてしまっている程の妖怪が居て、かつその吸血鬼がこの地に根を下ろしている事なのだと理解した。

 

 火のないところに煙は立たない。噂が遠方から伝わってくるにつれて誇張されたとしても、その噂の火種になったナニカは確かに存在していたのだろう。

 であれば必然的に、ナハトと言う吸血鬼が只者である筈もなく。

 例え現人神と言えども圧倒的に経験値の少ない早苗が、万が一遭遇したとして太刀打ちできるかと問われれば、無言で首を振るほか無いのである。

 

「……でもさ、だからと言って私たちが直接手を出すのはマズいでしょ」

「ええ、そうね。けれどそれは向こうも同じことよ。その程度は彼方も理解出来ているだろうから、無暗に命を奪いにかかるような愚行へ打って出る事は無いだろうね。幾ら残酷無比な性格の持ち主だとしても、今の今まで生き延びて来れたのならばそこまで頭が回らないなんて事は無い筈よ」

「それに早苗は、言うなれば『異変』の解決に行っているのだからね。人間が妖怪と戦う状況である以上、幻想郷のルールは適応される。幻想郷でルールを破る行為なんて、妖怪側にとっては自滅行為に他ならない。奴らには百害あって一利なしの状況なのに、百害を選ぶなんてことは無いでしょう」

「だから私たちは、万が一に備えているだけで良い。しかし、その万が一が起こったその時は……」

「すっ飛んで行かなきゃいけない訳だ。やれやれ、面倒なことになりそうだね」

 

 流石に戦争にまで発展する事は無いだろうが、取り敢えず腹を括る準備だけはしておいた方が良さそうだと、諏訪子は帽子の鍔を押さえながら独り言ちた。最悪の場合、博麗の巫女に私達も含めてとっちめて貰えば良いと、修羅場になった際の打開策を練る事も忘れない。

 

 博麗の巫女が騒動の原因――この場合、紅魔館の妖怪と守矢神社の神々――を懲らしめたのならば、それは如何なる経緯があったにせよ解決された事になるのだ。あとは全員で酒でも酌み交わせば、禍根は全て洗い流され閉幕となるのである。

 暗黙の了解とは言え、このシステムを作り上げた賢者は流石の手腕だと、神の身でありながら諏訪子は内心妖怪の賢者へ称賛を送った。

 

「で、ナハトの事は分かったけどさ。ミイラの方は調べがついたの?」

「ええ、まぁ。調べがついたと言えばついたけど」

 

 神奈子は右手の指先で眉間を叩きながら、悩まし気に唸り声を上げた。

 

「ぶっちゃけ、原因は分かったのだけど、遺体を見ただけじゃあ何が火種なのか分からなかったわ。どうしてあんな状態になったのかがサッパリなのよ。あんな症例、今まで見たことも無い。取り敢えず分かった事と言えば、アレは人為的に引き起こされた現象だって事くらいね」

「誰かの悪巧みは確実ってワケかぁ。こりゃあ、新しい異変の兆しと捉えてもいいのかねぇ」

「異変になるとしたら、今までとは少しばかり事情が違ってくるかもしれないわね」

 

 かもね、と諏訪子は相槌を打った。

 神奈子は晴天の彼方へと視線を移しながら目を細める。その眼は、果てにある仮定の未来を見据えているのかもしれない。

 

「これは、紛れもない悪意で引き起こされたものよ。純粋な悪意が異変へ絡んでくる以上、それは最早、いつもの異変では済まなくなってしまうかもしれないわ」

 

 八坂神奈子の瞳に、剣呑な光が瞬く。とある小さな確信を抱きながら、軍神は燦々とした日の光を煽ぐのだった。

 

 


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