【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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 今話から4章の気色がこれでもかと浮き彫りになって来ます。1~3章とは全く別の方向性です。
 なので、ちょっと心の準備をしていた方が良いかもしれません。


22.「にくにくしい疑似餌」

「秋が来~た、どこへ~来た~っと」

 

 秋、それは実りの最盛期。そして、四季の中で幻想郷が春と並ぶ活気に包まれる憩いの季節でもある。

 その例に漏れず、私も秋は大好きだ。何といっても食べ物が美味しい。お米に始まりナスに松茸、栗やぶどうに梨とリンゴ、柿に銀杏などなどなど、挙げていけばキリが無い。

 しかしそんな中で別格とも言える食材は、やっぱりサツマイモではなかろうか。

 本当は更に気温の低くなった冬の方が甘味は凝縮されているのだけれど、過ごし易い秋の気候の中でのんびり焼く方が私の性にあっている。ついでに神社の落ち葉処理も出来るから一石二鳥というヤツだ。良い事尽くめでこの上ない。

 だから私が、こうして博麗神社の境内を掃除しながら、母屋のキッチンでじっくり蒸されている芋の完成を心待ちにしつつ鼻歌を奏でるのも、仕方のない事なのである。

 

「ふんふーん、そろそろ良いかなぁ」

 

 あの芳醇な秋の甘みが直ぐにでも味わいたくて、まだ焼けていないと分かっていてもしょっちゅう様子を見に行ってしまう。けれどもう頃合いの筈だ。私は確認用の竹串を手に、母屋の調理スペースへと向かった。もうすぐ味わえると思うと、心なしか足取りが軽くなる。

 

「やっきいもちゃーん、お待たせ――」

「あっあつッあつっ、あちちちっ」

「――あ?」

 

 母屋の襖を開いた所で、私の行進は見事なまでに硬直した。

 原因など、言うまでもない。例の境界を操る妖怪がスキマから身を乗り出しながら、釜戸から芋を取り出している真っ最中だったからだ。

 芋を取る事に夢中なのか知らないが、紫はこちらに一切気付く素振りも見せず、私の大切なアツアツ芋と必死に格闘している。

 

「ふー、ふー。んふふー、良い感じに焼けてるわねー」

 

 なんとか芋を取り出した紫は丁寧に皮を剥き、いただきまーすと頬張った。秋神の恵みである豊穣の甘みを噛み締めながら、頬に手を当ててだらしない笑顔を浮かべている。

 

「おーいしーい! 流石は秋神のお芋ねぇ。しっとりと舌に絡み付くも決してクドさを感じさせないこの甘美な味わい、堪らないっ!」

「あー分かるわー、秋姉妹産の焼き芋は本当、病みつきになるくらい美味しいのよねー」

「うんうん、この心地良い旨みは何年経っても飽きないもの――――あっ」

 

 ようやくこちらの存在に気づいた紫の表情が、みるみる青ざめ始めた。文字通り血の気が引いていくという感じである。

 だが容赦はしない。お祓い棒と陰陽玉を完全装備した私は、ついでに素敵な笑顔も心掛けて紫の元へ詰め寄っていく。

 彼女も、引き攣った笑顔を浮かべつつ私を出迎えてくれた。

 

「おはよう霊夢。今日は良い朝ね」

「そうねぇ。澄み渡る様な秋の空気が清々しくて、焼き芋に最適なとーっても良い朝よねぇ」

 

 焼き芋、というフレーズで、思い切り肩を跳ねさせる紫。

 ああ、可哀そうに。まだ冬には幾許か時間が残されているというのに、紫は今にも凍えてしまいそうな顔をしている。これは是が非でも暖めてあげなくてはなるまい。無論拒否権など無い。

 

「紫。私にはね、この世に三つだけ、堪忍袋の緒が耐えられないものがあるの」

 

 ゴキン、と指の骨が鳴る。それは私の怒りを表す警告音だった。

 

「一つ目は、訳の分からない異変を起こして私の手を煩わせる妖怪(バカ)。二つ目は、私の神社で宴会(すきかって)したあと片付けず帰っていく妖怪(バカ)。そして三つめは、私のささやかな楽しみを奪おうとする目の前の大馬鹿よ」

 

 ギギギギッと聞こえてきそうなくらい、紫はぎこちない動作で首を傾げながら、

 

「……こ、こんなに沢山あるんだから、一つくらい大目に見てくれても」

「ならん死なす」

「戦略的撤退!!」

「すっとろいわァッ!!」

 

 能力を使って逃走を試みた様だがもう遅い。スキマが閉じる瞬間目がけて、思い切り封魔針をぶん投げた。もちろん陰陽玉の突撃も忘れない。

 暫くして、閉じるのをやめたスキマから紫が落っこちて来た。きゅう、とだらしなく地面に伸びてしまっている。

 

「こ、この私をいともたやすく撃墜するなんて……腕を上げたわね霊夢。流石は私の見込んだ博麗の巫女だわ……ッ!」

「ワザと手加減してやられてる癖になーに寝言言ってんのよこの馬鹿賢者。ほらさっさと起きなさい。冷めないうちに食べるわよ」

 

 ハッとするように紫は起き上ると、パチパチ瞬きをしながら素っ頓狂な声を上げた。

 

「食べてもいいの?」

「こんな量、流石に一人じゃ食べきれないっての。どうせもう少ししたら神社へ何人か来るだろうし、来た奴には最初から配るつもりだったのよ。ったく、今度から食べたい時は盗むんじゃなくて、堂々と食わせろって言ってきなさいよね」

「~~~っ、霊夢優しい大好き愛してぶッ!?」

「ええいくっ付くな鬱陶しいぶん殴るわよ!」

「だから毎度叩いてから言わないでよね!?」

 

 頭を押さえてぷんすこ言ってる紫は放置し、私はいい加減危なくなってきた芋の救出へ取りかかった。蒸気で火傷をしない様に、長箸を用いて竈から秘宝を取り出していく。

 おお、紫の言う通りどうやら丁度いい塩梅の様だ。竹串が抵抗なく沈んでいく感触が、何だかとても嬉しかった。

 紫が藍と橙の分も欲しいと言って来たので、土産用の芋も確保してから、神社の縁側に座って実食へと移る。

 うん、やっぱり美味しい。自然と頬が綻んでしまう優しい甘みだ。紫が夢中になるのも頷けるというものだろう。これ一つで今日一日元気に過ごせる気がしてきた。

 

 半分平らげたところで、幸せそうに芋を頬張っている紫へと眼を向ける。

 

「で、実際のところ何の用? ただ芋を盗みに来ただけじゃあないんでしょ」

「…………まったく、つくづくあなたは妖怪より察しが良いわねぇ。妖怪巫女って噂は本当じゃ危なッ!? お芋を凶器にするんじゃありません!」

「今度妖怪巫女って言ってみろ。泣くまでイモ突っ込んでやるから」

 

 どこに……!? と戦慄する紫を放置し、私は再び芋に齧りつく。血が上って食べ物を粗末にしかけたのは、素直に反省だ。

 気を取り直した紫は、コホンと咳払いして、

 

「最近、妖怪の間で奇妙な怪死事件が起きているのだけど、霊夢は知ってる?」

 

 先ほどとは打って変わった冷たいトーンで、紫は私へ問いかけた。

 言われたキーワードから、そう言えばちょっと前に鴉天狗の新聞でそんな記事が取り上げられていたな、と思い起こす。しかし詳しくは知らないので、私は『うーん』と首を捻った。

 

「妖怪のミイラがポコポコ見つかってるってやつ? 原因までは知らないけどさ」

「当たっているわ。で、貴女はそれについてどう思う?」

「別に。被害が出てるのは妖怪だけみたいだし、どっかの馬鹿同士の縄張り争いか何かじゃないの」

「相変わらず危機感が薄いわね。今後人間に被害が出るかもしれない、とは考えないの?」

「もちろんそれくらい考えたわ。でも、多分人間に被害は出ないと思う」

「……お得意の勘、かしら?」

「まぁね」

 

 昔から、私の勘はよく当たる。特に妖怪関連での的中率は自分でも驚くほど高い。

 今回起こっている事件とも異変とも取れない怪現象も、何となく人間に被害は出ないと予想している。少なくとも里の人間に直接的な被害は出ない。これは多分絶対だ。

 私がこう予測しているのは、漠然と『人には被害は出ない』と考えているからではない。この事件の引き金となった人物、即ち黒幕の目的が、()()()()()()()()()()()ように思えてならないからだ。

 

 私の答えを聞いた紫は、呆れたように溜息を吐いた。

 

「貴女の勘、下手をすると私や藍の推測よりも正確な時があるから一概に無視できないのよねぇ。私も欲しいわ、ソレ」

「毎日お茶飲んで日向ぼっこしてれば自然と身につくわよ」

「まぁそうなの? なら私も早く隠居しなくちゃね」

「なに言ってんの、もう隠居してるも同然じゃな――あー、冗談だからそんなハンカチ噛み締めそうな目でこっちを見ない」

 

 よく分からないが地雷だったらしい。こういう時の紫は下手に目を合わせると凶暴化するので、逸らしてやり過ごそう。熊や猪と同じである。

 

「けどそういうアンタはどうなのよ。実はもう原因なんて分かってるんじゃあないの?」

「ええ、まぁ」

 

 意外にもあっさりとした回答だった。あまりにサラリと解決宣言をされたせいで、思わず『へっ』と気の抜けた声が漏れてしまう。

 いやしかし、流石に事の全貌まで掴んだ訳では無いのだろう。もし全てを掌握しているのならば、こいつの性格から考えてそっけなく事件の解決にまで誘導するのが定石だ。それになにより、今の紫は扇子を取り出して頬へと静かに当てる仕草を取っている。この時の紫は、思慮の湖に浸かり切っている時の紫なのだ。

 だがそれを察知したところで、私はやはり捻くれ者らしい。口から出るのは、どうにもそっけない言葉ばかりで。

 

「なんだ、分かってるならそれで良いじゃん。どうも妖怪側の問題みたいだし、アンタの管轄でしょ。アンタが境界操ってちちんぷいぷいすれば、ハイ終わり。無事問題解決で仕舞いじゃないの?」

「原因自体を突き止めはしましたが、肝心の黒幕が誰かは分からない、と言う事よ」

 

 途端に、剣呑な光が紫の瞳へ瞬く。それは、彼女の愛する幻想郷が荒らされている事に対する怒りか、はたまた別の思惑なのか。私の勘でも、窺い知る事は出来ない。

 

「……なるほどね。で、その原因ってのは何だっていうの?」

「怨霊よ」

「怨霊?」

「そう、怨霊」

 

 予想外の答えに、思わず鸚鵡返しをしてしまった。私は顔を青空から紫へ向けて、答えの続きを聞き逃さないよう耳に神経を集中させる。

 紫は何かへ思い馳せる様に目を瞑りながら、静かに語り始めた。

 

「霊夢は、食中毒になった事があるかしら」

「は? あーうん、まぁ昔に一度だけ」

「悪いものを食べた時、人間は食べ物を吐き出すでしょう? あれは体にとって有害なものを胃の中から追い出そうとする生理的な応急処置よね。これは分かる?」

 

 まぁ、流石に理解してはいるけれど……それとこれと何の因果が絡まっているというのか。

 案の定、食中毒がミイラと何の関係があるのよと突っ込めば、まぁ聞きなさいと窘められた。

 

「件のミイラは、例えるなら人間が体の中身を全部吐き出してしまったようなもの。体の中に入り込んだ怨霊に対して無茶な拒否反応が引き起こされ、妖怪の薄い肉体から全てを放出してしまった結果、残された成れの果てなのよ」

「……ええ? いくらなんでも怨霊に憑かれてそんな事になるって聞いたこともないわよ。いやそれよりも、怨霊って基本的に地獄を漂ってる霊魂でしょ? なんで幻想郷に湧いてるのよ」

「だからこそ頭を痛めているのです。今まで見たこともない症例だし、それに本来ならばこちら側の()()()()で怨霊は出てこれないようになっているのだけど、こうして事が起こっている以上、何かしらの目的を持った第三者による人為的な介入が否めませんから」

 

 忌々しそうに唇を歪めつつ、紫は扇子で肩を叩きながら言った。

 ……むぅ、少々難しい話だったが、つまるところこんな話だろうか。何らかの要因で怨霊の魂が妖怪の内側へ入り込み、魂魄同士の拒絶反応が起きて、妖怪の本体たる精神体の均衡が崩壊する。その結果、精神の均衡を保つために紫の言う食中毒の嘔吐の様な防衛反応が引き起こされて、精神的要素を全て吐き出させられた結果、僅かながら妖怪の持つ現世側の残り粕、即ち肉のミイラが落とされてしまうのだと。

 

 腕を組んでそれらしい空論を必死に考えていると、紫が補足をするように言葉を紡ぎ始めた。

 

「今、私に分かっている事はそれだけ。怨霊の発生源も、感染ルートも、感染させた黒幕の目的も、まだ何も分かっていないの。遺体がミイラ化すると同時に異物である怨霊までも溶けて無くなってしまうせいで、表面上の解析は出来こそすれ、もっと奥深くを追及できずにいる。この魂魄術を考案した奴は大したものだわ。忌々しいったらありゃしない」

「……あらゆる境界を操れる全知全能妖怪のアンタに、突き止められないなんて有り得るの?」

「誤解しては駄目。別に私は全知の存在では無いし、この力も、万能でこそあれど決して全能ではないわ。全能なんてものはこの世に存在しない。私の能力は倫理的に新しい存在を創造し、物事を否定するだけの力。新しい境界を創造したり、現存する境界を破壊することは出来ても、無くなった境界を完璧に作り直す事だけは不可能なのよ」

「………う、ん? でも散り散りになった萃香を集められるなら、飛散した魂を掻き集めて修理したりとか――」

「出来ないわ。萃香は萃香だから集めれば萃香になるけれど、例えば私が雪舟の水墨画と全く同じものを描いても『雪舟の画』にはならないでしょう? そこの違いよ」

「……ん? んんー……?」

 

 紫め、相変わらず意味の分かり辛い言葉で私を混乱させてくれる。もう既にチンプンカンプンだ。もっと分かり易く言って欲しいものである。

 すると心が通じたのか、紫は苦笑いを浮かべながら付け足して来た。

 

「えっとね。原因究明に必要な怨霊は皆、感染者のミイラ化と一緒に跡形も無く消えてしまってるの。それを再構成しようにも、魂とはそんなにシンプルな代物じゃない。形だけ元に戻す事は出来るけれど、あくまでそれっぽい別物が出来上がるだけ。消えた魂はゼロから完全に復元することは出来ないのね。だから怨霊を捕まえて、情報を搾り出す事は不可能って訳。OK?」

 

 ああ、そういう事か。最初からそう言ってくれれば分かり易いのに。

 取り敢えず理解できたので、おーけー、と返しておく。

 

「ならさ、その、感染? してそうな奴を片っ端から調べればいいじゃない。発症する前なら潜伏してる悪玉を見つけられる筈でしょ。それを引きずり出して情報を絞れば勝ちじゃん」

「あのね霊夢。付喪神やら妖精、更に精霊なんかも含めると、この幻想郷には一体どれだけの魑魅魍魎が往来跋扈(おうらいばっこ)しているか分かる?」

 

 知らん。妖怪どもの数になんぞ興味無い。

 この心情が顔に出ていたのだろうか。紫はあからさまに眉間を押さえた。

 

「まぁ確かに出来なくはないわ。でも問題なのは数じゃなくて対処法が不明な所なの。想像して頂戴。貴女の予測通り、この一連の事件が妖怪を狙った犯行だとする。その場合、一番犯人が警戒するのは何?」

「……アンタね。幻想郷で一番厄介なアンタの妨害を、計画の障害と捉えるわ」

 

 これくらいは、深く考えずとも想像がつく。

 その犯人とやらは、天狗の新聞に載るくらい大胆な行動に出ている。隠そうとしている意図は無いと考えて良いだろう。この場合、妖怪の賢者の耳と目に入る事は想定されていると言っても過言ではない。

 つまり、特定される危険性を踏まえた上で妖怪を狙った事件を引き起こしていると言う事は、少なくとも何らかの形で紫に対する策が練られている可能性が高いのである。

 例えば、紫の能力が作動した瞬間、ミイラ化が一気に進むとか。

 

 私の考えは合っていたのか、ご名答、と紫は口にして、 

 

「感染している者には()()()()を着けられている可能性が高い。私がスキャンを施せば、それが引き金となってパンデミックが起きかねないのよ」

「あー……そういう事か。治療する方法が確立していない状態じゃあ、もし大勢の引き金が引かれちゃった場合、対処が難しくなってしまうものね」

「その通り。この事件が()()()()()()()ではなく、第三者による未知の技術でもたらされた介入である以上、下手に刺激する行為は失策以外の何ものでもないのよ。それを分かってくれて嬉しいわ」

 

 何故か良い子良い子と頭を撫でられた。鬱陶しいので跳ねのける。しかしこの状態の紫は余裕たっぷりなので、別段しょげたりする事も無く、底の知れない微笑みを浮かべるのみである。何だか悔しい。

 

「ならいつも通り、元凶を見つけてぶっ飛ばすしかないんじゃない」

「出来るならもうやっていますわ。如何なる術を用いているのか知りませんが、残されたミイラからは微々たる痕跡しか辿れないんだもの。しかもある程度まで調査を進めると、そこから先の足跡がサッパリ消えてしまっていて探れない。こんな事初めてですわ。何か得体の知れない相当な手練れが影で蠢いて――――」

「んなもんゴチャゴチャ考える必要なんて無いっての」

 

 最後の欠片を口の中に放り込んで手をはたき、立ち上がって伸びをした。

 さて。いい具合にお腹も膨れた事だし、次は食後の運動にでも洒落込むとしようか。

 

「怪しい奴を全員ぶっ飛ばしていけばそのうち見つかるでしょ。今までそうやって解決してきたんだもの。今回も例外なく、どこに隠れていようが見つけ出して叩きのめしてやればいいんだわ」

「……あら。もしかしてやる気になってくれたのかしら?」

「妖怪だけの乱痴気騒ぎなら別にどうでも良かったんだけどね。怨霊が絡んでるとあっちゃあ黙ってはおけないもの」

 

 怨霊とは、強い恨みや悪意を抱く人間が死後輪廻転生の輪から外れ、永劫を幽霊の身として囚われてしまった悲しい存在を指す。そんな負の塊とも呼べる怨霊は、人間と妖怪双方の天敵に成り得る存在なのだ。

 

 人間が怨霊にとり憑かれると、激しい負の念に汚染され目に映るもの全てを敵と見做してしまう様になる。特に、人間同士で争い合う様になってしまうのだ。

 これが幻想郷にとって非常によろしくない。怨霊により『人間の敵が人間』という認識へと変えられてしまえば、幻想郷の重要なシステムである『人間の敵は妖怪』の図式が完璧に崩されてしまうのである。紫曰く、それは外の世界と同じ環境へ組み込まれる事と何ら変わり無いらしい。

 こうなってしまえば、幻想郷のバランスは崩壊したも同然だ。人間の敵として居られなくなった妖怪は存在を安定させる事が出来ずに死に絶え、幻想のユートピアは人間の争いに呑み込まれたディストピアと化してしまう。

 

 それだけは絶対に避けねばならない。

 博麗の巫女として。人間の味方として。幻想郷のバランサーとして。

 怨霊なんて危険物を操り善からぬ事を企んでいる不埒な輩は、この私が成敗しなければならないだろう。

 

 ……しかし、ああ成程。そういう事か。

 

「アンタ、最初から()()が目的だったわね?」

「だってぇ。普通に急かしたところで霊夢は簡単に動いてくれないじゃない」

 

 私の追及に対し、してやったりと目を細める紫の笑顔は、まさしく狡猾な妖怪のソレだった。

 つまるところコイツは、私の腰を上げさせる為だけにこんな回りくどい言葉遊びを繰り広げたのである。その成果は上々と言って良いだろう。その証拠に、私へ火を着ける作戦が上手くいったせいなのか、いつもより五割増しに不遜な笑顔だ。見ていたら何だか腹が立ってきた。先ずはお前から退治してやろうか。

 

 しかしこれ以上遊んでいる場合ではない。面倒事はサクッと終わらせてしまうに限る。

 私は身支度を整えて、早速異変解決に向けて神社を飛び出した。

 

 

 まさに、その時だった。

 

 突然の轟音が幻想郷を揺り動かし、大気を破裂させる衝撃波が、霧の湖から炸裂したのだ。

 それだけではない。空を引き裂く様な莫大な閃光が天蓋を貫き、更には眩い光の嵐が、遠目から見てはっきり捉えられるほど展開されているのである。

 普通に考えると弾幕ごっこだろうが、遠方からでも垣間見えたあの破壊力は遊戯のそれではない。本気の殺意をもった者同士が、全力で衝突しているのは決定的に明らかだった。

 ただごとではない。そう察知した私はすぐさま紫へと目配せする。紫は私の意図を汲み取ると、私の眼前へスキマを展開した。

 

 躊躇なく、無数の眼が泳ぐ異形の空間へと身を投じる。

 歪む次元の狭間の中、私の勘は、先ほどとは打って変わった激しい警鐘を鳴り響かせていた。

 

 

 紅魔館を飛び出し、ものの十数秒も経っていないにも拘らず、突如遺体を持ち去った小悪魔とそれを追う私は、もう遠目に人間の里が見える程の距離にまで飛翔を続けていた。

 連続して空間移動を繰り返し、私のスピードでも追いつけない速度で前方を飛び回る小悪魔を追跡しながら、私は青天の霹靂のように巻き起こった事態へ内心の動揺を隠せずにいた。

 

 おかしい。一連の出来事があまりにも不可解すぎる。あらゆる面から見て異常と呼べる自体が今、私の目の前で繰り広げられている。

 それは、何の思惑か怪死死体を攫った小悪魔の行動そのものについてではない。無論その点に対しても疑問は尽きないが、最も異常なのは彼女の魔法能力なのだ。

 小悪魔は悪魔ではあるが名前を持つ事も無く、パチュリーの手によって召喚された力弱き一人の少女である。悪魔の端くれとして平均的な能力は中級妖怪を上回るが、しかしここまで連続的かつ高度な空間移動を行える程ではない。空間魔法を行使するにしても、呪文詠唱や移動する座標の特定で二呼吸程度の間が必要になってくる筈なのだ。ノータイムでこれ程の距離をジャンプし続けるなど、最早小悪魔と呼べる領域では無くなっている。

 

 何かが起きている。私の想像を更に上回る気味の悪い出来事が、彼女の身に降りかかっている。そう思慮せざるを得なかった。

 

「待て」

「…………」

 

 呼びかけに応じず、彼女はひたすら移動を繰り返す。目的を持って移動しているのか、私を撒こうとしているのかは分からない。しかしどちらにせよ、ここで彼女を見失うわけにはいかなかった。

 彼女の一度の空間跳躍距離から、次点の座標を推測する。同時に簡易な詠唱を走らせ、瞬時に小悪魔の前方へ回り込んだ。

 

「止まるんだ、小悪魔」

「――――」

 

 しかし彼女は私と衝突するその瞬間、私の視界から霞の様に消え去った。

 背後を見る。姿は無い。瞬時に視点を変更。そこで、地面へ向かって一気に急降下している小悪魔の姿を捉えた。

 空を蹴り、小さな背中を追う。地面スレスレにまで滑空した小悪魔は大地へ足を突き刺し、一気に減速を開始した。

 同時に私も着地を行う。ザザザザザッ!! と靴底が草原を抉り取る豪快な摩擦が起こった。

 

 舞い上がった土煙が秋風に攫われ、晴れていく。相対する小悪魔と向き合い、私は彼女へ語り掛けた。

 

「何故だ。何故君が、あの遺体を持って逃げ去るなど――――」

 

 そこで、私の言葉は一度途絶える。

 会話など、中断せざるを得なかったのだ。

 

 原因は、小悪魔の身に起きている明確な異変にあった。

 

 露出の少ない服装から覗く彼女の肌には、葉脈の様に浮き出た血管が走り抜けており、皮膚は紫色の斑が表出していた。内出血の痕だろう。そして普段の水晶玉を思わせる眼に至っては毛細血管が破裂し、涙袋から血が滴った跡が頬を描いていた。

 

 どう見ても、無茶な魔法行使による副作用の症状だ。魔力量の限界値を超えた魔法を発動し続けた結果、彼女の肉体へ直接反動がフィードバックしてしまっている。やはりあの空間転移は、相当な負荷が肉体へ圧し掛かっていたのだろう。

 異変は痛ましい外観だけに留まらない。幾ら精神に本体を据える妖怪の身とは言え、ここまでダメージを蓄積させれば狂い悶える程の激痛が彼女へ襲い掛かっている筈なのだ。なのに彼女はその容貌と反して、不気味なまでの平静さを保っていた。

 まるで、痛みなど存在しないかのような振る舞いで。

 

「…………、」

 

 感情豊かな普段の小悪魔とはかけ離れた、生気の無い瞳が私を見据えた。自らの苦痛さえ歯牙にもかけてないその有様は、彼女によく似た別人なのではとさえ思わされる。

 いや、この考えは恐らく正しい。正確には、彼女が何者かに乗り移られている可能性が高い。

 

 脈絡の無い不可解な行動の数々。彼女には実行不可能な魔法の強制行使。傍目から見ても異様過ぎる立ち振る舞い。疑念を得るには、十分すぎる要素だった。

 

 単刀直入に、小悪魔の肉体を奪ったナニカへコンタクトを試みる。これは彼女の身に何が起こったのかを確認する試験でもあった。

 

「何者だ。その子の体で何を企んでいる」

 

 返答はない。憑依者は言葉を持たないものなのか、敢えてコミュニケーションを取らないのか、はたまた本当に小悪魔の意思でそうしているのか。その真意は終ぞ定まらかった。

 彼女は淀んだ瞳を浮かべたまま、呆然と私を凝視し続ける。

 しかし不意に視線を背けたかと思えば、彼女はソックスで覆われた細足を、思い切りミイラへと突き立てた。

 

「!」

 

 バギリッ、と乾いた木を踏み砕く様な音が響く。漆黒のヒールを容赦なく突き刺された途端、ミイラの体積はみるみる減少を始め、覆っていた布の隙間からミイラだった粒子が空気へ溶け込み消え去ってしまった。

 ぐりぐりと、中身を失くした布袋を踏みにじる彼女の顔には、三日月の様に引き裂かれた笑顔が浮かぶ。限界まで歯を剥き出し、普段の端正な顔立ちなど見る影もなくなった壮絶な表情は、私を戦慄させるには十分なものだった。

 

 彼女の眼球が不気味に蠢く。それを合図とするかのように、小悪魔の特徴ともいえる翼が縮小を始め、すっぽりと背中に収納されてしまった。外見からすれば、紅い髪のただの女の子にしか見えないだろう。

 

 音も立てず、小悪魔は自らの手を己が首筋へそっと添える。細指の黒い爪が鋭利な刃物のように引き伸ばされており、さながら魔女の手の様な不気味さを演出していて。

 

 彼女は、何の躊躇もなく自らの皮膚を引き裂いた。

 

「ッ!!」 

 

 裂かれた箇所から流血の飛沫が噴き出す光景を前に、私は反射的に地を蹴った。時間と言う単位を置き去りにするほどの速度で一気に肉薄する。

 今の自傷行為で確信した。彼女は何者かに乗っ取られてしまっている。ならばこれ以上彼女の肉体を、どこの誰とも分からぬ者へ好き勝手にさせる訳にはいかない。一刻も早く蛮行を阻止し、彼女の中から異物を摘まみ出してやらねばならないのは決定的だった。

 

 全力で手を伸ばし、腕を掴み取ろうと意識を集中させる。

 しかしあと一歩という所で、再び小悪魔は歪の中へ転移した。

 凄惨な笑顔を浮かべたまま空間の亀裂へ消えた彼女を追う為に、閉じ行く隙間へ手を挿し込む。同時に接触した空間から魔法を逆算、再発動を行った。

 張り裂く様に空間をこじ開け、再び開いた穴の中へ私はすぐさま身を投じる。

 彼女の名を、叫んだ。

 

「小悪魔―――――……!?」

「うぁ、あああああ…………っ!!」

 

 

 転移した先に待ち受けていたのは、粘質な赤に濡れた体で地べたを這いずり、必死に逃げ延びようとする小悪魔の姿――――ではなく。

 ざわざわと混乱の声を漏らし、私達へ数多の視線を注ぐ、大勢の人間の姿だった。

 

 悲鳴を上げて逃げ惑う人間。腰を抜かして逃走の手段を潰された人間。錯乱してその場に蹲ってしまった人間。幼子を抱きかかえ、私の瘴気から必死に庇おうと身を挺する人間。

 千差万別の反応を示す人間達と、彼らの生活拠点たる家屋で埋め尽くされた光景が、私の視界全域に広がっていて。

 

 自分の身に何が起こったのかを理解するまで、数秒の時間を必要とした。

 

 しかし段々と現実が脳髄の奥まで染み渡って行き、遂に光景の正体を、そして自らが置かれている状況を認識した。認識してしまった。

 ここは、人間の里なのだと。

 私は、この小悪魔の姿をした正体不明に()()()()()()のだと。

 

 先ほどとは打って変わった、思わず目を背けたくなるような小悪魔の態度。

 顔を苦痛に歪ませ、血の道標を描きながら芋虫の様にのたうつ姿。

 苦痛すら感じずにいた空虚な姿勢を知る私にとってそれは、まさに迫真ともいえる演技に他ならず。しかしこの場において、これ以上に無い効果を発揮している。

 

 人々の恐怖を、視線を、全て私達へと集中させているのだ。それも最悪極まりない、負のベクトルを植え付けて。

 

「助けて、お願い、ああ、誰か助けてぇ……! 痛い、痛いよぉっ……!!」

 

 ズルズルと、体を引きずりながら、小悪魔を模したナニカは必死に周りの人間へ助けを願った。だが誰一人として手を伸ばすものなどいない。人間は、私の魔性を間近に浴びて肉体の操作能力を失っているからだ。

 それらの反応も全て、我が計算の内とでも言わんばかりに。

 悲痛な叫びを上げる小悪魔の口角は、私に見える角度からだけ、不自然にぐにゃりと歪みきっていた。

 

 彼女は仰向けに身を捩ると、私から一切視線を外さず後ずさっていく。

 

「こ、来ないで、来ないでよぉ……! 殺さないで、ひっ、お願いだから、殺さないでぇっ……!」

 

 小悪魔の悲鳴は波紋となり、里の人間へ伝播していく。それは拭い去る事の出来ない負の感情を人々の心へ縫い付け、確実に増大させていった。

 想像を絶する罠へまんまと誘き出されたと理解した私は、全身から感覚を喪失させた。白昼夢を操る妖怪にでも襲われたのかとさえ錯覚し、久しく現実から逃避しそうになった。

 

 こればっかりは無理もないと言いたい。ミイラの怪死事件から繋がった小悪魔の変貌が、どうしたらこのような事態を巻き起こすと想像できようか。

 

 かつてない混乱をもたらされ、完全停止を迎えていた私の凍結を打ち破ったのは、小悪魔の肉体に起こった明確な変化だった。 

 一瞬、彼女が人間には聞こえない音量の舌打ちを、確かに一瞥すると。

 歯を食いしばり、右腕を押さえてもがき始めたのだ。

 

「ぎっ――――ぎゃああああああああああああああああッ!! やめて、やめてぇ!! ひぎっ、ああああお願い助けて、殺さないで、あ、がああああっ!! 痛い、痛い痛いィィ!!」

 

 庇われた右腕が、まるで幾千の時の中を一瞬の内に通り過ぎていくかのように、目を疑うスピードで枯渇を始めた。それは見間違う筈もなく、アリスが持ち運んだミイラと同じものへ変異が始まった兆候に他ならなかった。

 

 即ち、明確な死へのカウントダウンである。

 

 停止していた神経が一気に熱を帯びていく。刻一刻と迫る小悪魔の危機を解決するべく、脳髄が高速回転し唸りを上げた。時の狭間は引き伸ばされ、一秒がまるで数時間にも広がったかのような錯覚にさえ見舞われる。

 

 どうする。小悪魔と小悪魔を乗っ取っているモノをグラムで切り離すか? ――いや駄目だ。瞳を覗き、精神の奥まで入り込まなければフランの時の様な『判別』が出来ない。無作為に魔剣で斬り払えば彼女そのものも切り裂いてしまう。おまけに今は真昼間だ。首飾りで私自身への日光を中和出来ていても、我が純粋な魔力を凝縮して作り出すグラムは日の下で像を保つことすら難しい。

 かと言って、今から彼女に巣食うバグを解析して新たな魔法を組み立てる猶予など残されていない。

 

 ならば、どう手を打つ。

 

 

 「――吸い出すしか、ないか……!」

 

 自然と眉間に皺が寄る。拳に力が籠る感触が、指の骨から鮮明に伝わって来る。

 これしかない。彼女をミイラ化から救い出す方法は、これしか残されていない。

 

 傷口から毒を吸い出すように、彼女へ牙を突き立てて異常の原因を吸収する。同時に私の魔力を彼女へと流し、枯渇した彼女の中身を即席で補うのである。これならば、グラムと違って憑依体の『判別』を必要としない。毒と思わしきものを纏めて吸い尽くせばいい話だ。

 しかしこの状況で私が彼女に牙を突き立てでもしたら、周囲の眼は私を決定的に――――

 

 

「――――――――……………………」

 

 

 今、私は何を心配しようとしていた?

 

 まさか私は、この場で彼女を吸血する場面を目撃され、更なる誤解が招かれる事を恐れようとしていたのか?

 一歩間違えれば取り返しのつかない未来になる、この瀬戸際に及んで……?

 

 血が冷えた。

 我が身が屍と化したかと誤認するほどに、体内から温度が消えた。

 しかし同時に、腹の底から溶岩の様な熱が込み上がって来る感覚があった。

 

「ッ!!」

 

 

 下らん。

 下らん、下らん、下らんッ!!

 

 愚劣極まりない思考を生み出そうとしていた自分自身に反吐が出る。恥知らずの愚か者めと、面と向かって罵ってやりたい衝動に駆り立てられた。

 何を迷う必要があると言うのか。迷うことそのものが愚考ではないか。この未練たらしさこそが萃香の怒りを招き、あの晩に省みると決意させられた、私にとって最大の汚点だったのではないのか。

 

 敢えて認めよう。確かにこの状況が、私の目的にとって致命的なシチュエーションである事は素直に認めよう。

 だがそれは、彼女と天秤に掛ける価値があるものでは断じてない!

 

 地を蹴った。景色が瞬間的に入れ替わる。

 全身に広がる侵食の苦しみに喘ぐ小悪魔の姿が、私の前へと現れて。

 私は暴れる彼女の肩を掴むと、白い首筋へ一気に牙を突き立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「吸血鬼さん、見ーつけた」

 


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