【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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23.「四面楚歌」

「魔理沙さん……あれは……ッ!?」

「何が起こってんだよ…………ありゃあ……」

 

 今まで目にした事も無い惨劇が、私のすぐ下で巻き起こっていて。私は一気に凍り付いた心臓の冷気を口から逃がすように、呆然と言葉を吐き出した。

 何故ならば。紅魔の屋敷で遭遇し、私たちを恐怖のどん底へ陥れたあのドス黒い吸血鬼が、パチュリーの相棒を血塗れになるまでいたぶった挙句、首筋にかぶりついて命の源を存分に啜り上げていたからだ。

 

 しかも信じ難い事に、人里のど真ん中で。

 

 理解不能。ただその一言に尽きるばかりだった。

 焦燥と混乱が脳漿を掻き回し、現実を受け入れる事を無残にも拒む。こんな事が起こっていい筈がないと、私の理性が直下の光景を否定した。

 だがそんな逃避が通用する筈もなく。ほどなくして、これが現実であると認めざるを得なくなる。

 

 何故奴が、わざわざこんな場所にまで小悪魔を追いつめて生き血を啜っているのか。奴は人間を襲いに来たのではないのか。人里へ深く関わりを持たないのが妖怪側のルールではなかったのか。やはりそれすら歯牙にかけないほどの怪物だったのか。

 不可解すぎる行動に対して疑問は尽きない。この現場には、私の手では到底負えない謎と陰謀で満ち溢れている様にさえ感じた。

 

 だがしかし、最早そんな事はどうでも良かった。

 

 あの化け物が。悪魔の癖に妙に人懐こくて、パチュリーからも優しすぎると呆れられた小悪魔を襲った挙句、人里を恐怖へと陥れている。

 それだけで、十分だ。十分過ぎるのだ。

 私が、八卦炉を忌まわしき怨敵へ向ける理由など!

 

「あの子、早く助け出さないと!」

「んなもん分かってるぜ!!」

 

 ガリッと、奥歯から憤怒の音響が伝わって。

 私の中で、漆黒の何かが渦巻き踊る。

 

「ナァァハトォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――ッ!!」

 

 纏わりつく恐怖を吹き飛ばすように、張り裂けんばかりの咆哮を爆発させた。私は早苗と共に一気に急降下し、黒い怪物の背へ向けて無数の光弾を打ち放っていく。

 破裂音を瞬かせながら、光球は全弾命中。奴の背中へ豪快な風穴を穿ち抜く。吸血鬼は私たちの存在に気がつくと、小悪魔を抱えてロケットの如く跳躍した。

 

「逃がすか!」

 

 早苗へ目配せして合図を送る。早苗は私の意図を察してくれたのか、すぐさま祈祷の準備に取り掛かった。

 早苗の元を離れ、全力全開の速度でナハトを追い回す。奴をできるだけ人里から遠くに、被害の起きない方角へ、弾幕をばら撒いて誘導していく。

 

 被害の生じにくい霧の湖へ誘い出した私は、本格的な攻撃を開始した。

 ミニ八卦炉を箒へ突き刺し、全開の魔力を注ぎ込んだ。八卦炉の内部が魔力の循環を速め、爆発を引き起こしブーストしていく。一気に瞬間速度を飛躍させた私は、瞬きをする暇さえ奴に与えず、吸血鬼の軌道へピッタリと張り付いた。

 

「小悪魔を、離しやがれッ!!」

「――――」

 

 奴が何かを口走る。しかしノイズの様なさざめきが入り混じって耳へ届かない。元より、奴の言葉へ耳を貸すつもりなど毛頭ない。

 一切の容赦を与えず魔弾を連射。小悪魔に被弾しないよう、奴の足や背中へ集中砲火を繰り返した。しかし紫や幽々子と渡り合ったコイツの実力は確かなものなのか、並みの弾ではまるで怯む様子すら見せやしない。

 やはりマスタースパーク級の火力か、こいつの弱点を的確に突く必要がある。しかし火力の高い攻撃を展開すれば、小悪魔まで巻き込んでしまいかねない。

 

 となれば、私に残された攻撃手段は一つしかない。

 

 ショットを放射する傍ら、私は帽子の異空間から目的のものを取り出しすと爆発する効果を持った魔法薬の瓶へと押し込んだ。

 魔力を込め、奴の眼前へ向けて投擲する。

 瞬間、光が瞬き、銀白の粉塵がナハトの顔面へと降りかかった。

 こいつの正体は、あの夜にナハトの手を焼いた金属を、香霖が私の八卦炉へ加工してくれた際に生じた金属の削り節だ。

 即ち、対吸血鬼版の即席白燐弾である。

 

「――――」

 

 不愉快な雑音の入り交じった呻き声が、小悪魔の血で濡れた奴の口から吐き出される。金属の効果はあったらしく、奴の顔は肉の焼ける様な音と共に沸騰した湯の如く泡立ち、みるまに爛れ溶け落ちた。

 視界を奪ったところで肩を打ち抜き、一時的に腕の力を奪い取る。小悪魔は宙に放り出され、重力に従うまま落下した。それを受け止めて、私は空へ向かって怒号を放つ。

 

「早苗ッ!!」

「はい!」

 

 祈祷を終えた早苗が、風を纏いながら天女の様に舞い降りる。彼女は幣を規則的に振るい、空間へ五芒星の焼き印を作り出した。

 星型の印は激しく旋回しながら、遥か上空へ向けて一気に上昇していく。

 神の光が、怒涛と瞬く。

 

 ――奇跡『白昼の客星』

 

 幻想郷最高クラスの神々から得た力を、風祝は一気にナハトへ解き放った。

 太陽の存在を霞ませる程の巨大な光弾が空から堕ちる。それは大気を引き裂く白き流星となって、怒涛の勢いを伴い吸血鬼へと襲い掛かる。

 その時だ。吸血鬼の目玉が逆再生の如くぎょろりと再生され、客星の軌道を視認されてしまった。だがもう遅い。大柄な黒い体躯へ次々と爆撃が襲い掛かり、無数の矢に射られた鴉の様に、錐揉み回転しながら湖そばの森林まで吹っ飛んでいった。

 激しい土埃が森から噴き出す。バキバキと木々が悲鳴を上げて崩れ落ちた。

 

 一時の静寂が訪れる。頬を撫でる風の感触が、何故か異様に不気味だと感じた。

 大技を放った早苗が舞い降り、私の横で浮遊する。

 

「今ので倒せた……のでしょうか」

「いいや、まだだ。アイツは紫と幽々子の二人を相手にして、全く引けを取らなかったような化け物だからな。悔しいけど、この程度で降参する様な相手じゃあないだろう」

 

 紫と幽々子の力は、新参である早苗もよく知っている。だからこそ大きな説得力となって、更に早苗の気を引き締めた。

 

「……ところで、彼女の容体は……?」

「おっと、そうだった。今はこっちが優先だな。おい小悪魔、大丈夫――――か?」

 

 救出した小悪魔へと目を向けて、私は思わず硬直した。

 傷が無かったのだ。

 出血も負傷も何もない。まるで安心の中熟睡しているとでも言わんばかりの状態だった。

 里で見かけた時は全身が赤に塗りたくられていて、それどころか腕が枯れ木の様に惨たらしく変化していて、とても目を向けられるものではない惨状だったというのに。

 早苗も吃驚に目を剥きながら、覚醒する様子を見せない小悪魔の首筋を撫でた。奴の牙がハッキリと食い込んでいた箇所だ。

 

「どういうこと……!? あれだけボロボロだったのに噛み痕すらないなんて! 出血だって、どこにもない!」

「悪魔の再生能力か? レミリアも、例えバラバラになっても一晩経てば元通りになるって言ってたし――――あぐっ!?」

 

 不意の激痛。それは頭部から爆発し、一瞬にして爪先にまで浸透していった。

 堪らず頭を押さえ、箒の上で屈みこむ。頭蓋骨の裏側を焼けた鉄棒でゴリゴリ削られているかのような、筆舌に尽くしがたい痛みだった。

 

 この痛み、身に覚えがある。館で奴を見た時に訪れた、記憶の痛みだ。封じられていた記憶が蘇って来た時の、焼きつく様な痛みだ。

 でもあの時は、まるで記憶に掛けられていた鎖が千切れたかのような、一種の解放に似た感覚があった。今はそれが無い。どちらかと言えば、間違っていた記憶の歪みが修正されているかのような――――

 

『――しは、彼女を襲っ――いない』

 

 不意打ちの如く、脳裏に響いた言葉に、私の心臓が勢いよく跳ね上がった。

 ノイズ交じりの、奴の声。神経全てを黒い墨で塗り潰していくかのような、悍ましい声色。それが無実を訴えかけている声が、耳の奥から響いて来たのだ。

 

『彼女は――に取り憑かれていた。それを吸い出し――だ。この言葉が信じ難い――分かる。けれど騙され――いでくれ霧――沙。恐らく取り憑いた――の目的は、君の様に敵意を私へ集中――だ。君の敵意は仕組まれたものなん――――』

 

 

 

 

 ぷちん。

 

 

「………………あれ。私、今何を……?」

 

「――沙さん、大丈夫ですか? 魔理沙さん!」

 

「っ。あ、ああ悪い。大丈夫だ」

 

「大丈夫って……凄く顔色が悪いじゃないですか! それで大丈夫なはずがありませんよ!」

 

「ははは、平気だって。心配性だなぁ、早苗は。それよりも、早くこいつを紅魔館へ届けて奴を追うぞ。とどめを刺しに行かないと、また人里が危険に晒されちまうからな」

 

「ッ……でも、今の魔理沙さんを行かせるわけには行きません。危険すぎます。せめて霊夢さんに助けを求めましょう? このままでは魔理沙さんが」

 

「五月蠅いな」

 

「っ」

 

「お前も、結局は霊夢なのか。霊夢、霊夢って。ああ五月蠅い、五月蠅い。ちょっと黙っててくれないか。除夜の鐘みたいにガンガンガンガン頭の中で響くんだ。クソッたれ、何で黙ってくれない……」

 

「魔理沙さん……やはり今のあなたはどこかおかしい。もしや奴の邪気に当てられて精神が崩壊しかけているのでは――――って、あっ、ちょっと! 魔理沙さん!」

 

 

 堅強な樹木を薙ぎ倒し、柔らかな土をバウンドし続け、数十回に渡る熾烈な衝撃の果てに、私の体は漸く勢いを止める事が出来た。

 

「っ……!」

 

 だが物理的なダメージはさして問題ではない。腕が捥げようが臓物が飛び出そうが、吸血鬼たる私にとって大きな障害には成り得ないのだ。

 問題なのは、私の顔へ降りかかった金属粉の方である。

 アレは間違いなく、私が彼女へ謝礼代わりに譲った銀だ。しかもただの銀ではない。かつて私を目の敵にしていた者達が精製した、銀の持つ破魔の力を魔法的に極限まで高めた代物である。便宜上、ミスリル銀と呼ばれていた。

 

 人間の魔法使いである彼女には、あの金属が保有する破魔の力と魔力増幅効果が大いに役立つだろうと考えて渡したのだが、まさか、ここに来て私へ牙を剥く事になろうとは。

 

「…………っ!」

 

 グズグズと、爛れていく顔面の苦痛が私を苛ませる。再生しようにも上手く力が働かない。四年前に誤って手を焼いてしまった時もそうだったが、やはり銀や太陽にだけは弱いのだ。

 付け加えれば、やはり昼空の下では普段の何十倍も力を削ぎ落されてしまっている様子である。ネックレスの日除け効果で99%近い日光を遮断出来てはいるものの、持って生まれた性だけはどう足掻いても捻じ曲げられないらしい。

 なんとか眼球だけは再生したが、破魔の力が完全に染み込んでしまった顔面は、夜にならなければ完全に再生は出来ないだろう。

 

 しかし、応急処置は出来る。

 

 爪に魔力を集中させ、メスの様に引き伸ばす。それを頬から一気に差し込んで、汚染された顔の皮を引き剥がした。

 ベリベリベリッ、と嫌な音が背筋を粟立たせるが、無視する。これ以上、ミスリル銀の侵食を進めるわけにはいかないのだ。

 

 剥いだ皮膚を火炎魔法で焼き捨てて、私は立ち上がった。顔の筋肉が剥き出しになってしまったが、半日も経てば元通りになるだろう。

 

「さて……どうした、ものか……」

 

 本当にどうしたものか。森を抜け出そうにも、外にはまだ魔理沙と早苗が居る。今の戦いで私を退治できたと安心して帰ってくれていれば良いのだが、魔理沙は永夜の私を思い出してしまっている。用心深くとどめを刺しに来るかもしれない。

 だがまぁ、ぶっちゃけると別にそれでもいい。人間に退治されたのならば里の混乱も手早く収まるだろうから、願ったり叶ったりではある。

 ……あるのだが、引っ掛かる部分が一つ。魔理沙の様子が明らかに異様であった事だ。館で私と会合した時とは、眼の光り方がまるで別人のソレだった。人間らしい勇気と義憤に満ち溢れていた勇ましい瞳が、殺意と憎悪で溢れる呪怨の色に塗り潰されていたのである。

 

 私が小悪魔を襲っていたと――更には人里を恐怖に陥れていたと勘違いした彼女が、大きな敵意を抱くのは別段不自然なことではない。だが、あの眼はソレより深く踏み込んだ邪悪な黒を湛えていた。一朝一夕で抱ける感情ではない。何十年もの恨み憎しみを重ねた怨敵を前にして、初めて抱くレベルの情動だ。

 それが何故、彼女の中に芽生えていたのか。

 

「…………」

 

 引っ掛かった違和感はその点だけに限らない。小悪魔に憑いていた異物の正体も気がかりだった。

 怨霊だったのだ。負の念の果てに輪廻から外れ、マイナスのエネルギーを振りまく事しか出来なくなった哀れな霊魂。それが彼女の内側に巣食い、触手を伸ばして操っていたのである。

 

 しかし結論を言おう。そんな事は有り得ない。

 

 怨霊は思考回路を有してなどいない。純化された負の感情のみに突き動かされるだけの存在であり、他者をマイナス面へ引き摺りこむ事は出来ても、計画的に私を誘い出し、ましてや罠へ掛ける程の知恵や策略性を発揮するなど有り得ないのだ。小悪魔の体を行使した演技などもっての外である。怨霊が宿主の感情を暴走させることはあっても、宿主の主導権を掌握するなど前代未聞と言っても過言ではない。 

 そもそも、普段は紅魔館に常在している小悪魔がどんな経緯を辿って怨霊にとり憑かれたのか。なぜただの怨霊が、私の立場を幻想郷の敵へと追い立てる必要があったのか。

 

 疑問は尽きないが、これらの不審点から率直に考えられる犯人像とは、『怨霊を遠隔操作できる人物』であり、『私の立場を追いやる事でメリットを得る人物』であろう。

 私が知る中でこの条件に当て嵌まるのは、現状一人のみ。

 だがそれは、願わくば推測が外れて欲しくある者で。

 仮に当たっているとしたら、私は私の想定よりも、周囲から嫌悪を掻き集めていたという事実にも繋がる。

 

 ……しかし、ああ、なんと忌々しい我が瘴気か。

 今この時でさえもまた一人、敵意と嫌悪を私へ吸い寄せるとは。

 

「こんにちは」

「……こんにちは」

 

 背後から、風に舞う花びらの様にふわりとした声がして。

 振り返ると、影に覆われる森の中だというのに、桃色の日傘を差している不思議な少女が立っていた。

 新緑を彷彿させる色合いの、ウェーブがかかった頭髪。林檎の様に丸くて赤い瞳に、チェック模様があしらわれたロングスカート。幻想郷では珍しくカッターシャツを着込んでいて、首元のリボンは向日葵の様に鮮やかな黄色を映えさせていた。

 

 だがそれよりも、私が意識を向けさせられたのは。

 並みの者ならば浴びただけで意識を混濁させてしまいかねない程の、尋常ならざる威圧感だった。

 

 紫から感じた、全てを見透かされていると錯覚させられる透明の覇気ではない。萃香の様に、全てを蹂躙するが如き圧倒的な暴帝の気迫でもない。

 この少女から感じるのは、お前は既に詰みへ嵌っているのだと語らんばかりの、死刑宣告に近い圧迫感だった。私と相対した者達の気持ちが、少しだけ理解出来た様な気さえする程の。

 けれど少女はそんな気配と反して、清涼な森林の様に穏やかな微笑みを浮かべている。さながら、私の瘴気を苦とすらも感じていないかのように。

 

 この強大な気配。この余裕を表す立ち振る舞い。そして、アリスが私へ告げた情報群。

 私の中で一つの人物像が、じんわりと浮かび上がって来る感触があった。

 

「あなた、吸血鬼さんよね?」

「……いかにも、私は吸血鬼だ。名をナハトと言う。そういう君は風見幽香で合っているかな?」

「あら、知っているのね。そうよ、私は風見幽香。初めまして」

「こちらこそ初めまして」

 

 私を前にしても柔和な態度を崩さず、掴み処の無い雰囲気を醸し出す彼女は初対面の紫を思い起こさせた。ただあの時との決定的な相違点は、彼女が明確な敵意を私へ向けていると言う事だ。

 しかし彼女の敵意も例に漏れず、完璧な誤解に他ならない。同時に、それを誤解だとこの場で立証するのは至難の極みでもある。

 何故ならば。致し方ない状況だったとはいえ、私は人里で決定的な場面を演出させられてしまったからだ。

 傍目から見れば、『一人の少女をミイラ化させるまでに追いつめて、白昼堂々と命乞いをする少女の血を啜った極悪吸血鬼』にしか見えなかっただろう、あの状況。

 もし、彼女がそれを目撃していたのならば。

 私の容疑は、金剛石の如き堅強さで固められてしまっているも同然だろう。

 

 だから今の私には、その現場を見られていないようにと祈りながら、無実を訴えかける以外に、持ちうる手札など無い訳で。

 

「……君が何故私に怒りを向けているのか、アリスから聞いて知っている」

 

 私の発言に、風見幽香は『へぇ』と意外そうな声を上げた。

 

「アリスがねぇ。もしかして彼女もグルだったり?」

「そうではない。彼女は君と君の疑う吸血鬼が戦闘になった際、友人の魔法使いにまで被害が及ぶかもしれないと考えて、先回りをして警告してくれただけだよ。私はそれを偶然耳にする機会に恵まれたに過ぎない。アリスは君の怒りと何も関係はない」

「ふうん。じゃあ、あなたは関係あるのね?」

 

 銀の刃を喉元へ向けられているかのような緊迫感が這い寄ってくる。ここで背を向けようものならば最後、次の瞬間には問答無用で真っ二つにされてしまいそうな、無情の迫力があった。

 ただ『違う』と簡潔に否定するだけでは足りない。直感で分かるのだ。彼女の眼は『疑問』ではなく『確信』の光を帯びているのだと。彼女は容疑者の前に立っているのではなく、罪人の前に立っているも同然なのだと。

 ならば然るべき言葉を選んで、説明と説得を試みねばならないだろう。

 

「……これから話す私の言葉に、どうか耳を傾けてくれないか、風見幽香」

 

 無言。私はそれを肯定と見做した。

 

「花畑が破壊される原因を作ったのは私ではない。無論レミリアでも、フランドールでもない。しかし同時に、大元の原因も掴めてはいない状態だ。しかし確実に言えるのは、この事件の影に裏で手を引いている者がいるという事だ。その人物が幻想郷の下級妖怪たちへ怨霊を植え付け、どういう術を用いてか操っている。しかし、肉体一つに魂二つは共存できない。無茶な乗っ取りの反動と怨霊に対する拒否反応で、乗っ取られた者は最終的に『中身』を吐き出し、息絶えてしまうのだ。その影響が、悔やむべきことに君の領域にまで及んでしまったのだ」

「…………」

「この話を信じるのは難しいかもしれないが、信じて欲しい。そして君に約束する。私が必ず、一連の犯人を見つけてみせると誓う。だからどうか今は、矛を収めてはくれな―――」

「ねぇ」

 

 刀の様な鋭さを帯びた声に、私の発言は無残にも切り捨てられた。

 当然、微笑みを浮かべる彼女の瞳から、私への敵意を燃やす炎は消えていない。

 あまりに残酷に、そして冷ややかに。彼女はすらりと伸びた細指を頬へ当てながら続ける。

 

「例えば、あなたの近くで殺人事件が起こっていたとするじゃない?」

「……」

「一人が血濡れで倒れていて、一人は刃物を持って佇んでいる。彼の衣に血痕は無いけれど、刃物は真っ赤でべとべとなの。けれど刃を持った人はこう言ったわ。『自分は犯人じゃないんだ』って」

 

 真紅の瞳が細まっていく。的を絞るように、標的の中心を射抜くように。

 

「あなたは果たして、彼を犯人じゃないと信じられるのかしら」

 

 ――――全てを、察した。 

 弁明の余地など、ある筈が無かったのだ。

 

 彼女はアレを見ていたのだ。身元不明の怨霊によって――否、怨霊を操っていた者によって仕組まれた私の蛮行を。冤罪を鎖で私へと縛り付ける決定打を。彼女は二つの彼岸花の様な紅い瞳に、しっかりと焼き付けていたのだ。

 これではどう釈明しようとも、ただの聞き苦しい言い訳にしか聞こえないだろう。彼女の眼には差し詰め、追い込まれて必死に弁護を計ろうと躍起になる哀れな吸血鬼が映っているに違いない。

 

「……私の言葉は信用に足らないか。無理もない。ならば私の無実を証明できる者と立ち会えば、信じて貰えるかい?」

「普段なら、一考の余地くらいあったかもね。でもあなたは例外」

「どうして」

「知らないの? あなた結構有名人なのよ。少し前は妖怪の間でも噂になってたわ。『風見幽香より恐ろしい化け物が幻想郷に現れた』って。心当たりはない? 危険度『最高』さん」

「成程、幻想郷縁起か。あれは大分、人間の偏見が混ざっていると感じたのだが、そこまで信憑性の高い代物なのかな」

「いいえ。アレの内容は所々盛られていると、幻想郷に住んで長い妖怪なら誰でも知っているわ。縁起の内容は自己申告によるものが多いもの。でも、八雲紫が絡んでいる事も知っている」

 

 何気なく――本当に何気なく、ぽつりと吐き出されたその言葉は、先ほどの攻撃よりも遥かに大きな衝撃を私へ与えた。

 それは瞼の無い眼球が、更に大きくなったかと錯覚を覚える程で。

 言語にならない乾いた声が、知らないうちに漏れ出していた程だった。

 風見幽香は視線を逸らして、可憐な日傘を畳んでいく。畳みながら、彼女はぽつぽつと続けていく。

 

「あなたも知っているでしょう? 幻想郷を管理している頑張り屋さんの名前よ。彼女は縁起の推敲も担っているの。縁起がバランスよく人々へ恐怖を与え、また同時に、人間へ対抗策と言う名の拠り所を授けるように」

 

 続けざまに吐き出されていく真実を前に、ぐらぐらと視界が揺れる。頭の先から血がストンと地面へ落ちて、染み込んで消えてしまったかのような冷感があった。同時に銀の矢が心臓へ刺さったような灼熱感もあった。彼女と対峙していなければ、私は今頃地面へ膝を折っていたのかもしれない。

 

 ああ、納得がいった。人間と関わりを持たなかった私の情報が縁起へ記載されていたのは、彼女が原因だったからなのか。彼女が、私の悪評を振りまく様に仕向けていたという事なのか。

 

 しかし彼女は、私怨で他者を追いやる様な人物ではない。彼女は思慮深く、理由も無しに他人を追いつめる真似などするような妖怪ではないのだ。だって、今までの彼女の行動全てには、確固たる理由が伴っていたのだから。

 明けない夜の空で私へ怒りを向けた時も、山での決闘の時も、彼女の根底には幻想郷に対する愛があった。その愛情故に、傍目から見れば核爆弾にしか見えない私を警戒していた。それは誰も責める事の出来ないもっともな反応だ。だから私を攻撃したし、萃香の要望を叶えると共に、私の力を推し量ろうとしたのだ。

 だから恐らく、今回も同じだろう。彼女にも何か理由があって、私の悪評を広めたに違いない。萃香を通して、私がただ友人が欲しいだけのハリボテ吸血鬼に過ぎないと理解した上で、その様な行動を起こさざるを得ない理由が、八雲紫にはあったのだ。

 

 分かっている。頭では、紫が無情な妖怪ではないと理解している。

 だがそうであっても、この事実が私を抉る傷の、なんと深いことか。

 

 パチン。

 ボタンの閉じる音で、眼が覚める。

 

「そんな紫が、たとえ一時的にでも個の妖怪へ恐怖を一極集中させる判断を下した。理由はどうあれ、彼女の色眼鏡に叶う妖怪が用意した弁護人なんて、まだ悪魔の契約の方が信用できるものではなくて?」

「……そう、だな。君の言う通りだ」

 

 彼女の言葉が、上手く頭に入ってこなかった。舌がふやけているような生返事が、唇の無い口から漏れ出してしまう。

 皮の無い顔が、ジクジクと痛みを訴えた。

 

「それでも無実と言うならば、この場で立証してくれればいい。それが出来るなら、私はあなたを責めないわ。あなたの言う黒幕さんが見つかるまで、大人しくお家の中で待ちましょう」

 

 最後の関門。まさにそう呼ぶべき機会だろう。

 けれど、私には残された手札など無い。弁護人は効果を成さず、決定的な場面は目撃された。言葉など何の意味も無い。逆に逃げ出せば、それは罪を認めた事に直結してしまう。

 私の周囲、三六十度その全てが、断崖絶壁と化したかのような気分だった。

 

「……無理だな」

「じゃあギルティ。さようなら」

 

 刹那、首元へ砲弾が直撃したかのような衝撃が襲い掛かった。

 それが彼女に首を掴み取られただけと認識するまでに、数拍の間が空いてしまう。

 しかし気がついた時にはもう遅く。私の体は、森の遥か彼方にまで放り出されてしまっていた。

 

 空が青く、日の光が僅かに私へ突き刺さる。こんな時でさえ、やはりこのネックレスの力は本物だと不相応な感心が生まれてくる。

 風を切る音。私の落下が始まったらしい。下を見れば、森の中心で大きな光が瞬いていた。恐らく風見幽香の攻撃だ。次の瞬間、私は光に焼かれるのだろう。

 確実に訪れる未来を前にしても、私は抵抗の意思を浮かべる事は出来なかった。別に死ぬわけでも無いし、小悪魔は無事に治療できたのだ。今はこれ以上を望むまい。それに現状、私の無実を証明できる手立てはない。風見幽香の言う通り、私の有罪判決(ギルティ)は下されたも同然なのだ。今私が置かれている状況では、この判決を覆すには材料が足りなさ過ぎる。

 

 八方塞がりのチェックメイト。逃げ場のない現実が私を囚える。フッ、と力の無い笑みが勝手に浮かび上がってきた。

 ああ、実に空虚な心地だ。

 怨霊を手繰る黒幕よ。何の目的があるかは知らないが、お前は何の疑いようもない勝利を得た。

 もしこうなる事まで計算していたのだとしたら、想定以上の戦果を上げているぞ。

 

 見えない敵へ敗北宣言を送りながら、私は眼前へ意識を向けた。

 目下で極大の閃光が爆発する。光の奔流が、熱を伴い肉薄した。それでも避けようとする意志は生まれず、私は流れに身を委ねる選択肢を選んだ。

 目を瞑る事の出来ない私は、光に呑まれるその瞬間まで、白熱する世界を見届けていた。

 

 

 

 小悪魔と言う名らしい少女を館へ届けた私は、客星で墜落した場所から再び吸血鬼が放り出され、莫大な閃光に焼き焦がされる光景を目にして、身動きを取れなくなってしまっていた。

 光線によって生じたあまりに大きな衝撃波は大気を激しく揺り動かし、湖面へ龍の如き波濤を生んだ。それは水面付近で遊んでいた妖精を幾つか巻き込み、水の中へと連れ去ってしまう。

 

「今度はなんなの……? 本当に、何が起こっているの……!?」 

 

 朝、魔理沙さんを誘ってから今に至るまで、時間は半日たりとも経過していない。それなのに、日常から大きく逸脱した出来事が立て続けに巻き起こって、私はすっかり混乱の渦へと呑み込まれてしまっていた。

 

 そんな最中でも、ここから遠く離れた上空で、私と同じ光景を魔理沙さんは見ていた。箒に腰かけ、極大のレーザーが吸血鬼を呑み込んだ決定的瞬間を。

 先ほどから挙動不審な魔理沙さんへ注意を寄せていると、再び森から轟音が響いた。それはレーザーが放たれた地点とは、離れた場所に位置する森だ。恐らく、あの吸血鬼が二度目の墜落を迎えたのだろう。

 空中に佇む魔理沙さんの行動は早かった。箒へ跨り直した彼女は一気に速さを獲得して、流星の如く着弾地点へ躍進していってしまう。

 

 私も反射的に彼女を追った。小悪魔さんを預けた紅魔の門番さんが、彼女を治療した後にすぐ向かうから待っててと言ってくれたけれど、悠長に待機なんて出来なかった。

 今の魔理沙さんは普通じゃない。あの吸血鬼と相対した時から様子がおかしいのは明らかだ。確かに魔理沙さんは粗野な所があるけれど、妖怪に対してあんなに殺意を剥き出しにする様な苛烈な人じゃない。きっとあの吸血鬼の強烈な邪気に当てられて、狂わされてしまっている。

 止めないと。普段の魔理沙さんならいざ知らず、あんな状態じゃあ逆立ちしたって吸血鬼に敵いっこない。小悪魔さんの時みたいに、カラカラになるまで血を啜られてしまう。

 想像したくもない未来の事を思い浮かべてしまって、ぎゅっと、唇を噛む力が強くなった。

 

『――い、早苗! 聞こえる?』

「諏訪子様?」

 

 ふと、今まで音信不通だった諏訪子様の声が、頭の中で響いた。通信用の札は何故か機能不全に陥っていた筈なのだけれど、どうやら復帰したらしい。

 次いで、神奈子様の声も聞こえてくる。

 

『早苗! ああ良かった、無事だったんだね!』

「え、ええ。私は無事です」

『そうかそうか、いやぁ安心した。突然私たちの力を沢山使ってたから、何かあったんじゃないかって冷や冷やしたよもう! どう言う訳か、諏訪子のお守りもぶっ壊れて通信できなくなっちゃってるし』

 

 まるで事故に遭った娘へ接する母の様に声を荒げる神奈子様。反して、諏訪子様は冷静に私へ質問を投げて来た。

 

『ところで早苗、魔理沙はどうしたの? 魔理沙の方が全く繋がらないんだけど』

「それが……よく分からないのですが、さっきから魔理沙さんの様子がおかしくて」

『……何かあったんだね?』

 

 問いに対し、私は飛行を続けながら事の流れを細かく述べた。

 吸血鬼が本当に復活していた事。彼と相対した瞬間から魔理沙さんがおかしくなってしまった事。件の吸血鬼が人里で正気とは思えない暴挙へ乗り出した事。

 全てを耳にした諏訪子様は、普段の和やかな雰囲気とはガラリと変わった、刀剣のような鋭さを帯びて言った。

 

『そうか、そんな事が。……魔理沙はおそらく、吸血鬼の邪気に当てられたんだろうね。お前は私と神奈子の加護が働いてるからまだ邪気の侵食を軽減できたんだろうけど、あの子はそういかなかったんだろう。まともに浴びて、精神の波長を乱されているのかもしれない』

『だとしたら早急に対処せねばならんだろうな。今なら私たちが清めれば間に合うだろうが、完全に狂気へ陥ってしまえば、そこから這い上がらせるのは相当難しくなる』

「そんな……っ!」

 

 ――タイムリミットを宣告されて漸く、事の深刻さを理解出来た私は、なんて愚か者なんだろうか。

 眉間に皺が寄っていく。湧き上がる悔しさを食いしばって耐えるように、これでもかと奥歯を噛み締めた。

 私が悪いんだ。私が魔理沙さんを誘わなければ、こんな事にはならなかった。ちょっと強い力を使えるだけで、どんな強大な妖怪でもなんだかんだ倒せて大団円を迎えられると思い違いをしていたからこうなったんだ。私が妖怪の持つ本当の恐ろしさを知らなかったから、無関係の彼女がこんな目に――

 

『早苗、今は自分を責める時じゃない』

 

 凛と澄み渡る神奈子様の声。

 

『優しいお前は、お前が巻き込んだから魔理沙が危険な目に遭ったと思っているんだろう。確かにそうかもしれない。それは我々だって同じだ。だが今優先すべきは、魔理沙をその窮地から助け出すことだ。それが私たちが今出来る一番の責任って奴だよ。お前がクヨクヨして最良の判断を逃してしまうような事態に陥ったら、それこそ最悪じゃないか』

「っ!」

『嘆くのは取り返しがつかなくなった未来が来た時だけだ。今は魔理沙を止めて、五体無事な彼女へ謝れる未来を掴み取る事だけに集中しなさい。その時は私達も頭下げてあげる。だから今だけは、後悔を吹っ飛ばして前へ進め、早苗!』

「は、はい!」

 

 

 神の威厳と共に、八坂の風神は私へ大きな勇気をくれた。猛る果敢な心を胸に、私は速度を押し上げていく。

 ちゃんと償いが出来るように。彼女の暴走を止めなくちゃいけない。

 魔理沙さんと約束した宴会で笑えなくなるような結末なんて、そんなの絶対に嫌だから。私が責任を持って、彼女を元に戻さなくちゃいけないのだから。


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