【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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2.「真夜中の図書館」

 最近、思うように研究が進まない。

 我が親友にしてこの館の主、レミリア・スカーレットことレミィの起こした紅い霧の異変から、丁度今頃で一年になるか。黒白の鼠がこの図書館に入り浸るようになって、私の研究スピードは明らかな低迷を見せていた。

 その原因とは甚だ気に食わない事ではあるが、あの自称魔法使いが私の研究に使う予定だった魔導書を勝手に『借りていく』からだ。

 

 いざ必要になって探してみれば無くなっているのは当たり前で、返せと言っても死んだら返すの一点張り。それがこの一年イタチごっこに続いており、もはや日常の出来事へとなりかけていた。 

 何故あそこまで私が必要とする本をピンポイントに『借りていく』のだろうか。まるで魔法の様な鼻の持ち主だ。もちろん褒めている訳では無い。

 

 説得を試みたが幾度も飄々(ひょうひょう)と躱され、力ずくで止めようにも体調不良のせいで肝心な時に満足な詠唱が出来ず、いつも返り討ちに遭い続けている。

 

 スペルカードルールを抜きにすれば食い止めることは容易なのだが、そんな事をすれば幻想郷のルールに反したとして博麗の巫女とあの恐ろしいインチキ妖怪が鬼となって襲い掛かってくる。『弾幕ごっこ』のルールに沿いつつ紅魔館の勢力をもってして撃破しようとしても、あのコソ泥のゲームの強さは半端ではない。

 無論だが、我が使い魔たる小悪魔ではまるで歯が立たないときた。まぁ、あの子の上位種たる吸血鬼でも敗北を喫した相手なのだ。責めるのは酷と言うものか。

 

 そんな訳で正直なところ、完全な手詰まりだった。

 

 一言、どの本をどれくらいの期間借りるのかさえ伝えてくれればちゃんと許可は出すつもりでいるのに。私とてそこまで狭量ではないつもりだ。現に、この図書館を正式に利用する人物だって存在している。魔法の森の人形使いがそれだ。

 

 彼女は優秀な魔法使いだ。私にはない聡明さを彼女は持っている。同じ本でも私とはまた違った解釈を持ち込んでくれるから、思考の幅が広がると言うもの。こちらは本を貸す代わりに、彼女には対価として『思考』を払ってもらっている。

 

 私としては、この様な魅力的で生産的で、良いこと尽くめの素晴らしい協力関係を、あの黒白とも築きたいと思うのだけれど……件の頑固者はまるで聞く耳を持たない。

 

 たかが齢十数年程度しか生きていない小娘だろうと、他者である限り生まれる思考の差異は、時として思いがけない発想を生み出したりするものである。 

 特に彼女は向上心が強く知識や力に対して貪欲で、しかも非常に若いが故に思考がどの色にも染まっていない。アレとまともな会話さえ出来れば、良い発想の転換を得る事が出来るのではないかと踏んでいる。

 

 だからこそ、彼女とは根強く協力関係を築こうとしているのだが……現状はお世辞にも芳しいものとは言えまい。

 

 そもそも、だ。こんな膨大な書籍を私一人で食い潰すと言うのは、少々贅沢な話ではないかと思う。魔法使い同士互いに研鑽しあう良い材料があるのだから、私の魔法技術の向上を図るうえでも出来うる限り友好的でありたいのだ。

 しかしこんなことを面と向かって言ったが最後、さらに彼女はつけあがるだろうから絶対に言わないけれど。

 

「パチュリー様、紅茶をお持ち致しました」

 

 私の名前を呼んだ使い魔――――小悪魔が、眼前のテーブルにティーカップを置いた。捨虫と捨食の法を体得した私に飲食は不要だが、人形使いの意見から趣味嗜好の一つとして紅茶だけは日課にしている。こんな風に、ブルーな気持ちになった時は気分転換の引き金にもなってくれるので割とお気に入りだ。

 

 カップを手に取り、鮮やかな紅色の液体を口の中へと流し込む。いつもとは違う茶葉の様だが、悪くない香りだ。ハーブティーの一種だろうか。

 

「そう言えば、つい先ほど咲夜さんから伝言を預かりました」

「……へぇ? 珍しいわね。レミィ絡みで何かあったのかしら」

「いえ。それが、ただ今お客様がいらっしゃっている様でして」

 

 ……客? 

 それが私と何か関係があるのだろうか。

 

 基本ここにはほんの少しの例外を除いて訪れる者は稀だ。さらに『客人』となればほぼゼロと言って良い。つまり極少数派だ。ここは観光地でも何でもないのだから、当然と言えば当然だが。

 私の微妙な表情を読み取った小悪魔が、さらに補足を加えた。

 

「そのお客様が暫く紅魔館にて厄介になるそうなので、同じ住居者であるパチュリー様にも伝えておくように、との事でした」

 

 ここに住む?

 客人が?

 

 ……まさか、この私以外にそんな事を言い出す愉快な者が存在するとは思わなかった。私もここに住み着いてもう百に近い年月になるが、今までそんな輩は誰一人として現れた事が無い。ここは吸血鬼の根城だ。好き好んで来る方が珍しいと言うのに、住むなどもっての外だろう。

 

 少々驚いたが、まぁ私から言うべきことは何もない。私はここの主ではないし、立場で言えば新入居者と同じ客人だ。レミィが許可を出し決定を下したのならば、それに従うまで。

 『分かったわ、ありがとう』とだけ告げて、小悪魔を下がらせる。

 まだやらなければならないことがあるから挨拶は後だ。それに時が経てば相手から挨拶してくるだろうから、その時に済ませればいい。それまでは研究に没頭する事にしよう。

 

 そう思った矢先だった。

 ガチャリ、と図書館の入り口が開かれる音が、静寂の中に木霊したかと思えば。

 全身に纏わりつくような魔力の奔流が、ほんの一瞬だけ、崩壊した河川の鉄砲水の如く流れ込んできたのだ。

 

「ひゃああああああああっ!!?」

 

 同時に入口の方から、小悪魔の悲鳴がけたたましく炸裂した。

 一瞬謎の瘴気に呑み込まれかけていた私は、その叫びで我に返る。

 

「小悪魔!?」

 

 一体、何が起こった。本棚が崩れた訳でも、あの黒白がやってきたわけでも無い。今現在はさして問題は起こっていないはずだ。なぜ彼女が、悲鳴を上げなければならなかったのか。

 

 いや、理由は分かっている。どう考えてもあの魔力の発生源が原因だろう。正体は不明だが、この悍ましい感覚からして久しぶりに手練れた賊でも入り込んだのか。全く、突然の新入居者といい、今日は騒がしい日だ。落ち着いて本も読めやしない。

 

 私はすぐさま飛行魔法を編み込み、椅子から浮かび上がる。そのまま滑るように飛んで入口の方へと向かった。

 入口付近にある巨大本棚の角に差し掛かり曲がった所で、事件が起こっただろう現場が視界に入りこむ。

 

 そこで私の目に最初に映ったのは、尻餅を着いてガタガタと振るえながら、開かれた入り口を凝視する小悪魔の姿――――――ではなく。

 入口に悠然と佇む、大きなマントを身に纏った全身黒づくめの大男だった。

 

 背丈は、190cmはあるだろうか。地べたに転がっている小悪魔があまりにも小さく見えてしまう、線は細いが圧倒的な存在感を放つ長身の男。

 髪は灰色で、瞳は柴水晶の如き透明な紫で染まっており、薄暗い図書館の中で宝石のように爛々と光り輝いている。ランプの炎を照り返す彼の肌は、男だというのに私と同じか、それ以上に白かった。まるで太陽と言うものを知らずに育ったかのように白磁器の如く白い肌の持ち主は、私たちを視界に捉えると口元から鋭い八重歯を覗かせ、桃色の唇を柔らかく吊り上げた。

 

 それは、夜を闊歩する逸話の美女の様に妖艶で、童話の王子様の様に優しい微笑みだった。

 

 知っている。

 私は、この『雰囲気』をよく知っている。

 

 一年前、異変を起こしたこの館の幼き主が、博麗の巫女と満月の下で一戦交えた時に垣間見せた、圧倒的な魔性だ。まるで全ての生物を平等に見下ろしている捕食者のような、絶対的で恐ろしく、しかしそれでいて目を向けずにはいられない、魅惑と畏怖の覇気。人間は確かそれを、畏れだとか、威厳だとか、カリスマと称していたか。

 

 彼が放つ、あまりに禍々しくもどこか美しいとさえ思えるこの気配はまさに、吸血鬼の放つそれと間違えようのないものだった。

 

 何者だ、この男は。

 吸血鬼と雰囲気が似ているが、レミィの知り合いか? いや、だとしたら、この暴圧的な瘴気を私たちへ向ける理由はなんだ。これではまるで、私たちを今にも叩き潰そうと威嚇しているかのようだ。間違いなく敵意の類である。

 

 ここまで禍々しい空気を前にしては、流石にそうとしか思えない。それ以外に、こんな重苦しい威圧を笑みを浮かべながら嗾けてくる理由が無い。

 ではこの男は、何らかの目的があってここへ入り込んだ賊という事か? よりによって私の元へ訪れた訳は何だ。まさか、レミィに対して私たちを人質に使う算段でも立てているのか。

 

 私の魔女の脳が、緊急事態を前にして瞬時にフル回転した。可能性と言う可能性を拾い上げ、的確な答えを紡ごうと躍起になる。思考により時間が拡張され、男と対面してから僅か数秒足らずの合間が、酷く長く感じられた。

 

「こんばんは」

 

 ぐるぐると回る思考の渦の中に居た私を引き摺り上げるように、彼は言った。

 社交場で相見えたレディに話しかける紳士の様に、優しく、甘く。

 大人が子供に向ける慈愛の感情の様に暖かく、穏やかに一言だけ、言葉を発した。

 ただ、それだけ。

 

 ――たったそれだけで、この私が呆気なく呑みこまれかけたのだ。

 

 彼が放った言葉は、紛れもないただの挨拶だ。何の変哲もない日常会話に用いられるその一言だけで、150年以上も生き抜き七曜の魔女とまで謳われたこのパチュリー・ノーレッジが、一瞬だけだが9割方意識を呑み込まれかけた。

透明な水へ絵の具を垂らせばそれが急速に広がっていくように、心の中へじわりと這いずり込んできた『言葉』だけで、精神を空白に染められそうになったのだ。

 

 なんて圧迫感と存在感だ。例えるならば、神話に出てくる怪物でも相手にしているかのような、そんな絶望にも等しい生理的恐怖感を彼の言葉から肌で感じた。

 闇夜の王たる吸血鬼であるレミィと初めて出会った時も、またその妹君に出会った時も、これ程のプレッシャーを感じたことは無かった。ドクドクと心臓の脈打つ音が頭蓋を揺らす感覚なんて、ここまで鮮明に味わった事は無かった。

 

 おかしい。どう考えても体が普通ではない。もしや、気づかないうちに何らかの精神攻撃でも仕掛けられたのか? だとすれば、不味い。攻撃は男の思惑通りか、それ以上の効果を上げている。

 

 背中が嫌な汗でしっとりとし始めた感触を味わいながら、私は内心歯噛みした。

 落ち着け。思考をクリアに保て。場合によってはこの男をすぐさま消し炭にしなければならないのだ。慌てていては、いざという時に満足な詠唱も出来はしない。魔法使いは冷静な思考能力が命なのだ。

 

「夜分に失礼するよ。君は見たところ――――魔女かな? そこのお嬢さんは使い魔の様だが」

 

 立てるかい? と男は柔和に小悪魔へと手を差し伸べる。しかしその手を、小悪魔はガチガチと歯を鳴らしながら凝視するだけで受け取ろうとはしなかった。いや、もしかしたら彼女は懸命に腕を伸ばそうとしていたのかもしれない。しかし完全に彼の放つ膨大な瘴気に呑み込まれてしまった小悪魔は、体の支配権を無意識に手放してしまっているのだ。故にその手を掴めない。

 

 虚空を切った彼の手は、どこか物寂しそうに引っ込む。

 代わりに私が、思考の焼き切れた小悪魔を引きずり起こした。小悪魔は何が起こっているのかまるで分かっていない様子で、『あうあうあうあうあうあうあうあうあう』と壊れた蓄音機の様に譫言を漏らし続けている。

 

「どちらさまかしら。この図書館へ一体何の用? 観光目的なら地下をお勧めするわよ」

 

 私の問いに、彼は苦笑を覗かせ、

 

「急な来訪、失礼した。私はナハト。この館に昔、レミリアと共に住んでいた元住人だ。今日からまた、ここに住むことになってね。随分構造が変わったこの館の道を覚えるついでに少し、覗いてみようとしたただけだなんだ。安心してくれ、私は君たちの敵ではない。だから、そんなに怯えないでくれると嬉しいのだが」

 

 言葉の爆弾を、投げ込んだ。

 あまりの威力に、呆然自失となって一瞬視界が白くなる。

 

 ―――――今、何と言った?

 住む? 

 この男が?

 ここに? 

 この、紅魔館に?

 では小悪魔の言っていた件の客人とは、この男なのか。

 

 しかし仮にそうだとして、何故彼は私と小悪魔に堂々と精神攻撃を振りかけてきたのだ。

 同居人として礼をしに来たのならば、こんな非平和的な挨拶に出る筈がない。はっきり言ってこんな行動は有り得ない。誰が好き好んで、同居者と関係を悪化させるような真似をするというのか。

 

 ……待て。精神攻撃……?

 

 小悪魔は言っていた。『咲夜が』伝言をここへ伝えに来たと。

 であれば咲夜は必然的に、彼の存在を知った事になる筈だ。レミィに対して絶対の忠誠を誓う彼女が、こんな不安要素の塊みたいな男を平然と通す訳がない。過程はどうであれ、彼女の品定めが必ず入る筈である。

 

 即ち、咲夜とこの男は一度対面した事になる。

 

 だが、150年を生きた魔女と下級であれど悪魔に属するものが会話しただけでこれなのに、人間である咲夜が平然と伝言を伝えに来られたのは何故だ。

 まるで私と小悪魔の警戒心を予め紐解いておこうとするかのような伝言を、偶然と呼ぶにはあまりに疑わしいタイミングで伝えてきたのは何故だ。

 

 …………、

 

 まさか。

 まさか。

 まさか。

 

 

 

 血液が、冷めていく。

 あれだけ五月蠅かった心臓の鼓動音が、嘘のように静まり返っていた。まるで私の命が終わりに向かおうとしている様に、四肢の末端から冷たくなっていく感覚が伝わって来た。

 

 この男は既に、レミィと咲夜を―――――!

 

 絶望にも近い想像を前に、私の体の時が止まる。

 そして次の瞬間。

 体の内側で、ナニカが爆ぜたかと錯覚した。

 

「……けほっ、えほっえほっ、ゲホッゲホッ!! えほ、ハ、あ、かひゅッ!!?」

 

 ――ああなんてことだ。マズい。これは、非常にマズい。

 よりによってこんな時に、喘息の発作が顔を覗かせた。それもせき込む程度の軽いものではない。早く薬を飲まなければ手遅れになる重度の発作だ。

 

 一度火が付いたら止まらない。連鎖的に、爆発的に。発作の症状は一気に激しさを増していった。

 息が。

 呼吸ができない。

 暴れ狂う喘息が呼吸器を狂わせる。不規則に乱れた体の機能が、私から酸素を根こそぎ奪い取る。私は不老ではあるが不死ではない。頭を砕かれれば死ぬし、病にもかかる。息が出来なければ当然命を落とす。魔法を使える点を取り除けば、ただの女でしかないのだ。

 

 それ故にこの状況は極めて危険だ。朦朧とする意識では満足に魔法が使えない。それどころか体を動かすこともままならない。正真正銘、どうしようも、ない。

 思わず喉を押さえて、膝から崩れ落ちる。もはや力は入らなくなっていた。

 止まらない。発作が止まらない。

 薬を、誰か、誰か。

 

 小悪魔が目に涙をため、こちらへ懸命に縋り付く。何度も何度も私の名前を叫んだ。立ち上がって薬を取ろうとしてくれているのは分かっている。

 だが、腰が抜け私の支え無くしては満足に自立できなくなった小悪魔にはそれが出来ない。

 

 いつもは出来る仕事を成し遂げることが出来ない。危機的状況だからか、あの男の威圧に押されているからか、動けない歯がゆさを噛み締めているせいか。小悪魔は遂に、大粒の涙をぼろぼろと零し始めた。

 その様子を見て、私は朧となった意識の中、妙な確信を持った。

 

 あぁ、死ぬ。

 私は、ここで死んでしまうのだ。

 残酷なまでに冷ややかな解答だった。明解過ぎる結論が、異様に落ち着き払った私の頭の中で大きく膨らみ、確かな質量を持ったかのような錯覚さえ覚えた。

 

 あっけないなぁ。まだ、あの子から本も返して貰ってないのに。

 死ぬまで借りていくとあの子は言っていたけれど、私が先に死んだらどうなるのだろう。この本は全てあの子の所有物になるのだろうか。

 

 今際の際、頭に思い浮かんだのは、そんなどうしようもなくくだらないことで。

 力尽き床へ伏した私に向かって、何かが規則正しく床を叩いて近づいてくる音が、最後まで耳の中に響き渡っていた。

 

 

 少し覗いていこうと思って図書館に入ったら、中に居た赤い髪の少女がこちらを見た瞬間悲鳴を上げてすっ転び、騒ぎを聞いて駆けつけて来た紫色の魔法使いと思わしき少女が、私が自己紹介と突然の訪問に対する謝罪を終えたと同時に呼吸困難を起こして倒れ伏し、赤髪の少女が紫の少女に縋り付いて号泣し始めるという阿鼻叫喚の地獄絵図が完成した。 

 入室からここまで僅か五分足らず。テロリストも真っ青な制圧力である。

 

 

 敢えて言わせて貰おう。どうしてこうなった。

 

 

 いや、こう言いはしたが大体の見当はついている。むしろ見当しかないのだ。これまた、私の放つ魔性が影響してしまったのだろう。

 

 この紫の少女――――赤髪の付き人らしき少女が叫んでいる名前から察するにパチュリーは、どうやら持病持ちだったらしい。それも呼吸器にだ。私の瘴気に当てられ、精神的に一気に負荷が掛かった為に突発的な発作を引き起こしてしまったのだと推測する。私はただ挨拶を交わしたかっただけなのだが、ナハト式挨拶は彼女の体に毒だった様だ。たかが挨拶が人をここまで苦しめるなんて誰が予想出来るだろうか。私以外は鼻で笑うに違いない。私も鼻で笑う側に居たかった。

 

 ここまで怖がらせてしまうと申し訳ない気持ちでいっぱいだが、それはさておき、放っておくのは非常に不味い状況なのに変わりない。早急に処置を施さねば冗談抜きに命に関わる。

 

 私は少女の下に歩み寄った。

 腰の抜けている赤髪の少女は私の挙動を見て、恐らく何か害あることをされると思ったのだろうか、紫の少女を抱き寄せ、親の仇でも見るかのように鋭く睨み付けて来た。

 

 ううむ、状況が状況だけに致し方ないが、ここまで露骨に敵意と嫌悪を向けられると流石の私でも少々傷つく。不可抗力とは言え、申し訳なさ過ぎて日光浴をして灰になってしまいたい気分だ。

 

 だが灰になるのは後でいい。パチュリーの治療が先決だ。どうも喘息による発作の様だから、治癒魔法をかけて発作の原因たる炎症を引かせ、気管を広げれば症状は収まるだろう。悠長に薬を探している時間などない。

 

「少し、退いてくれないか」

「……ッ、退きません! パチュリー様には指一本触れさせません!!」

 

 ……健気な子だ。それでいて、悪魔の一員とは思えないほど一途で純粋だ。

 

 認めたくはないが、この少女には私がとても恐ろしい怪物に見えているだろうに、決して投げ出さず逃げださず、我が身を挺してまで魔女の子を守ろうとしている。薬を与えればそれで解決する状況だと分かっていても、目の前の脅威を前に動くことが叶わない。故に彼女は、パチュリーを眼前の脅威から己が命に代えても守るという選択肢をとったのだ。

 

 この子はおそらく、今伏している魔法使いと使い魔の関係にある。彼女の種族は感じ取れる魔力の強さから見て小悪魔だろう。言っては悪いが、悪魔の中でも力の弱い部類に入る存在だ。そんな彼女が、カッターシャツとレディースーツできっちりと引き締めた礼装を身に纏い、パチュリーを敬称で名指しているところから、主従関係にあると容易に伺える。

 

 しかし主従と呼ぶにはあまりに情の厚いこの様子は、主と従者の関係と言うより庇い合う友人同士か、姉妹の様にも見て取れる。

 絆と呼ぶべきものを、この少女達から確かに感じたのだ。

 主従を超えた友情関係。異種族の絆。呼び方は色々あるだろうが、どの呼称も私には眩しく輝いているものばかりだ。とても、とても羨ましい。

 

 やはり友情とは、親愛とは、かくも素晴らしく美しい。彼女たちの様な関係に憧れ、恋い焦がれるからこそ、友達探しは止められない。

 そしてなによりも、私を前にして尚美しい輝きを失わなかった、こんな素敵な少女達を放っておく理由はない。

 

「誤解だよ。何も取って食おうとしているわけじゃないんだ。ただ治療をしてあげるだけさ。それに、そんな風に抱きしめたままじゃあその娘は本当に死んでしまうぞ」

 

 私に言われて漸く気が付いたのか、赤髪の少女は青い顔をしてパチュリーの顔を覗き込む。パチュリーの呼吸はほぼ途絶えかけ、意識は切れてしまっていた。

 已むを得まい、少々強引に行かせてもらおう。

 

「失礼」

 

 私は少女の隙をついて、パチュリーの喉に指を当てた。同時に魔力を指先に集中させる。

 

 種族としての特性上、知識人が多い魔法使いと友達になれれば、実に興味深い話がたくさん出来るのではと思った事がある。そこで私は我武者羅に魔導書を掻き集め、食い漁るように本を読み続けた。

 無論、話に着いていけるようにするためだ。要は魔法関連の話題を共有して交友関係を広めようとする事が目的である。お蔭で、基礎的な魔法はほぼ習得するに至った経緯があり、そこからさらに応用を利かせられたので魔法は割と得意な方だ。

 しかし誠に残念ながら、この知識を分かち合いトークに花咲かせる相手は今のところ見つかっていない。

 

 治癒魔法の魔法陣を展開。彼女を苦しめる発作の原因を突き止め、解析し、壊れた肉体組織の治癒を促進させる。さらに吸血鬼たる私の魔力をほんの微量流し込むことによって再生能力を爆発的に高め、本来ならば治癒困難な部分もまとめて再生させる。

 

 ……言ってしまえばそれだけだ。流石に病を根本から治すなんて真似は出来ないが、前より幾分かはマシになっただろう。

 証拠に、あれだけ乱れていた呼吸が嘘のように穏やかなものへと変わっている。迷惑をかけた謝罪と良いものを見せて貰ったサービスを兼ねて、増血と血行改善の効果がある治癒魔力因子を与えたので血色も戻ってきた。意識は直ぐに回復するだろう。数日すれば、再生した呼吸器も馴染む筈だ。

 

「もう大丈夫だ」

「えっ!? あ、パ、パチュリー様!!」

 

 小悪魔の声に、パチュリーが眉を曲げた。耳元で大声を出されたせいで頭に響いたのだろう。夢を見ている最中に目覚まし時計が耳元でけたたましく鳴るようなものだ。顔を顰めるのも無理はない。

 

 この小悪魔は、もう少し落ち着きを持ち配慮が出来るようになれば、立派な使い魔になるに違いない。しかし逆に考えると、ある程度未熟な方が良いのかもしれない。

 手のかかる部下ほど可愛いという方便もあるし、実際そう思う。最も、昔館で過ごしていた時の部下―――と呼ぶには少々狂信的だった上にそもそも部下をとった記憶すらないのだが、彼らは全く手が掛からなかった。むしろ別の意味で手が掛かった程だ。

 

 彼らは私のティーカップを割ろうものなら、一時間懺悔を述べた後に自らの指で、刃物ではなく『指』で腹を裂こうとしたのである。毎度毎度狂気的に謝られる度に宥め、自殺未遂を幾度も止める羽目になったあれらの言動には少々、いやかなり参った。彼らは私を魔王か恐怖政治の帝王であるかの如く恐れていたのに、実際ハラスメントを受けていたのは私だったりするのだから、流石に理不尽だと感じても仕方がないと思う。

 さらに追い打ちをかけるように、何故か私への周囲の評価は滝下りする始末。全くもって遺憾である。

 

 しみじみと過去の苦々しい思い出を脳裏に浮かべていると、紫の魔女さんはゆっくりと瞼を開いた。

 

「小悪魔? …………っ!!」

「おっと、混乱するとまた呼吸が乱れるぞ。落ち着きなさい、何度でも言うが、私は敵ではないよ」

 

 意識が覚醒し、状況を把握した途端表情を歪めて立ち上がり、小悪魔と共に距離をとった魔女を、私は片手を軽く上げて制する。無理な挙動をしてまた倒れられたらたまったものではない。

 

「あなた、本当に何者なの? 出合い頭に精神攻撃を仕掛けてくるなんて、一体どういうつもりよ」

 

 ふむ。想定の範囲内ではあるけれど、やはり治療しただけでは警戒心を完全に解くのは難しいか。ここは絡み合った釣り糸をゆっくり解いていくように、丁寧に距離を縮めるとしよう。急がば回れ、回るは近道である。しかし精神攻撃とは、なかなか心を抉り出す表現を使ってくれる。

 

「ではもう一度、自己紹介をさせて頂こうか。私はナハト。種族は……吸血鬼みたいなものだ。気軽にナハトと呼んでくれ。ここの主との関わりは、短い間だったが昔親代わりをしていた。勿論、その当時はここに住んでいたよ。暫く留守にしていたが、色々思う所があって今夜から紅魔館に再び住まわせてもらう事になった。因みに君は精神攻撃と言ったが、それは誤解だ。私の体からは、意識に関係なく瘴気のようなものが常に漏れていてね。物理的な害は無いが、浴びた者はこれが精神的に酷く重圧に感じるらしい。君はこの瘴気の影響で精神へ負荷が掛かってしまって呼吸が乱れ、持病の発作が運悪く出てしまっただけなのだ。迷惑をかけたが、本当に敵意は無いよ。証拠に君を治療したし、使い魔にも何もしていない。……今の言葉に、嘘偽りは決してないと誓おう。どうにか納得してもらえると嬉しいよ」

 

 自己紹介としてはこんなもので十分だろう。義娘の名前を挙げ、親しい間柄だとアピールすれば、おそらくレミリアと何かしらの交友を持っているだろう彼女の警戒心を和らげることが出来るはずだ。泣きたくなったが精神攻撃に対する弁解も忘れない。

 少々考える素振りを見せたパチュリーは、何やら詠唱を唱えて全身を青い光で包み込んだ。その数拍の後、彼女はほんの少しだけ眉間の皺を緩め、口を開く。

 

「どうやら本当に術の類はかけていないみたいね」

「心の底から誓って。疑いが晴れないなら、気が済むまで疑問要素を調べてくれて構わない。君が満足するまで、私はここから一歩も動かずにいよう」

 

 両手を上げたまま、私は無抵抗のジェスチャーを保つ。ついでにスマイルも忘れない。

 ここで動いたら最後、折角敵意から疑念にまでダウンした警戒レベルをまた引き上げる事になってしまう。今は彫像の様に振る舞うのが最善の選択だ。私は彫像。題して『無抵抗の青年』。何故か呪いの像扱いされて誰にも近づかれず風化していく光景が脳裏に浮かび無性に悲しくなった。本当にありそうだから困る。

 

 パチュリーは私から一切視線を外さず、小悪魔に何かを告げた。伝えられた小悪魔はバタバタと外へ飛び出していき、沈黙だけが取り残される。

 数分経つと、息を荒くした小悪魔がまたも慌ただしく戻ってきて、パチュリーに何かを手渡した。それは一枚の紙だった。チラリと見えたのはレミリアの署名だ。しかも血で書かれているのが分かった。

 

 成程。パチュリーは、私がレミリアに洗脳か何かを施してないかと疑ったのだろう。

 悪魔は契約を重んずる存在だ。故に名前や血の証明に対して絶対の服従性、即ち血と名前の下に綴られた言葉に嘘を交えられず逆らえないという性質を持つ。

 悪魔の真名が綴られた本を奪い取り、悪魔を従えさせた少年の話は有名だ。悪魔の類は少なからずこの性質を持ち合わせているので、この性質を逆手に取り、レミリアに私が何もしていないと潔白を証明させる書類を書かせたのだろう。

 

 もし私がレミリアに洗脳を施していれば、あの書類にレミリアが『洗脳を施され自分の意志で動けないでいる』とでも記す事になる。

 当然そんな事は書かれている筈がない。私は地獄の審判も太鼓判を押す程度には無実だ。疑われやすいだけで真っ当な吸血鬼なのだ。まさかここまで用心深く疑われるとは思わなかったが。

 

 証明書を読み終えたパチュリーはどこか納得したように目を瞑り、書類を火炎魔法で焼き捨てた。一先ず安堵する。

 

「……パチュリー・ノーレッジよ。レミィ……レミリア・スカーレットの友人。100年ほど前から、ここに住まわせてもらっているわ。種族はお察しの通り魔法使い。ちなみにそっちの娘は小悪魔。私の使い魔で、ここの司書よ」

 

 こここここここ小悪魔ですっ、とパチュリーに続いて緊張をふんだんに含ませながら一礼した、目と鼻の赤い小悪魔に私は微笑みで返答する。そして彼女の尻尾と頭についている二枚の小さな翼が萎びたのを見て、心の中で燃え尽きてしまいそうな私だった。

 

 しかし挨拶を交わせたと言うことは取り敢えず、受け入れてくれる態勢をとっているのではないだろうか。そう思うと俄然元気が出て来た。どうやらマイナスイメージをある程度拭い去る事に成功したらしい。

 

「納得してもらえて何よりだ。改めてこれからよろしく頼むよ、パチュリー、小悪魔。ところでパチュリー。今君は、小悪魔がここの司書だと言ったね。と言う事は、今この図書館は君たちが主に使っているのかな?」

「ええ、そうなるわね。貴方が館に居た頃からこの図書館は存在していたのかしら」

「そうだな。正確に言えば、この図書館は私のコレクションの、ちょっとした集大成の一つなんだ」

 

 む。今確かにパチュリーの表情が、水面にさざ波が立つ程度には揺れ動いた。やはりここの利用者なだけあって、図書館の生い立ちについて興味がある様子だ。これは話を円滑に進める絶好の機会だろう。逃す手立てはない。言うまでも無いが、私は、彼女たちとも親交を深めたいと思っている。この館に住まう者の一人として、レミリアの親代わりを務めたものとして、この娘たちとは良い関係を築いていきたいものだ。

 

 義娘の友達なので私と彼女の関係は友達とはまた違ったものになりそうだが、何時の日か、彼女と魔法について何気ない談話でも出来る日が来れば実に素晴らしい。家族として見た場合は、瀟洒な咲夜は次女、レミリアが三女で、クールかつ大人の余裕に似た雰囲気を持つ彼女がこの館の長女ポジションだ。私は親戚のおじさんポジに居付ければ満足である。最悪、鬱陶しがられるお祖父さんでも問題ない。

 

「こう見えて蒐集家でね。当時様々な物を集めていた。この図書館の蔵書もその一つと言う訳だ」

「この膨大な魔導書や書籍の数々を、貴方一人で?」

「ああ。随分長い事集め続けた。どうだね、幅広く様々な知識が拾える場所になっているだろう? 知識の探求者である魔法使いには、人間の指す大型図書館級の質があるのではと密かに思っているのだが」

「ええ、言うまでもないわね。私は、ここ以上に多種多様の本がある場所なんて、生まれてこの方見た事が無いわ。もう離れることが考えられないくらいに気に入っている」

 

 うむ、嬉しい事を言ってくれるじゃないか。そうだろう、そうだろう。生まれてからプライベートの殆どをボッチで過ごしていた私には、物を集めるか何かを調べるか友達を探すかくらいしかする事が無かったのだ。

 

 これでも私は人外連中の中でもかなりの古株に入る。妖怪としての長すぎる生の大半を蒐集に費やせば、これだけの品々が集まるのは自然な成り行きと言って良いだろう。もっとも、要らない本を譲ってくれと同族や妖怪に頼む度に、まるで私に対する専用の挨拶とでも言わんばかりに『命だけは』と必ず返され続けたのは未だに納得いかないが。私が何をしたというのだ。

 

 背景から覗く少しばかり悲しい経緯はどうあれ、頑張って集めたコレクションを有効活用してくれる上に賛辞の言葉を投げられて、嬉しくないわけがない。

 

 しかし、私の上機嫌ぶりとは裏腹に、パチュリーはどことなく不安の色を浮かべた。

 

「もしかして、私は追い出されたりするのかしら」

「まさか。私が集めたと言ったが、別にこれからも遠慮せずに使ってくれて構わない。私はここにある本は粗方読みつくしたからね。むしろ、活かしてくれる者に使われる方が道具冥利に尽きると言うものだから、こちらから使ってくれと頼みたいくらいだ」

「願っても無い言葉ね。有難く使わせてもらうわ」

「是非ともそうしてくれ」

 

 ふむ。微量に警戒の色は残っている様子だが、まぁ許容範囲内であるのは確かだろう。『マインドコントロールで自分たちを洗脳しに来た化け物』という印象から、『取り敢えず無害だが怪しい男』に格下げして貰えた効果は大きい。

 

 少なくとも、これから無暗に拒絶される事はなくなっただろう。信頼を築くにしても、これからじっくりと交友を温めていけばいい。焦る必要などどこにもないのだ。時間は持て余す程度にたっぷりとある。

 改めて、この図書館が未だに健在していて、新しい司書や利用者が出来ていたと言う少し想像してもみなかった出来事につい心が躍った。

 

 今日は本当に良い日だと思う。義娘に会え、素晴らしい従者に会え、さらに目の前の彼女たちと出会い、少し波乱はあったが無事和解することが出来ただけでも、幻想郷に来た価値は十分過ぎるほどにあった。

 

 落ち着いたら、この幻想の地を散策してみるとしよう。吸血鬼というある種妖怪からも畏れられる高位妖怪が安心して住める様な土地だ、他にも素敵な出会いがあるに違いない。

 

 幸せは歩いてこない、だから歩いてゆかねば、とは誰の言葉だっただろうか。まさにその通りだ。私はこの地で、自らの足で、また改めて友達探しに勤しむとしよう。想像するだけでワクワクが止まらない。明日も明日で良い日になりそうである。

 

「ああ、そうだ。パチュリー、少しばかり質問をしてもいいだろうか」

「ええ、構わないわよ。一体何を聞きたいのかしら?」

「大したことじゃないよ。君はレミリアと何時から知り合ったのかが気になってね」

「およそ100年前ね。それがどうかしたのかしら?」

「成程、それなりにあの子とは付き合いがあるようだ。では改めてもう一つだけ聞こう」

 

 この館に着き、暫く散歩をして内部を粗方見回った私だが、一つだけ気になる事があった。

 なんてことは無い。実はまだ、ここに来て会っていない家族がいるのだ。

 最後に会った日から400年近くも経過しているから、もしかしたらとっくに館を離れているかもしれないが、あの子の事だ。きっとレミリアにべったりなままの筈だろう。おそらくこの館にまだ居るに違いない。

 その家族とは何を隠そう、私のもう一人の義娘であり、

 

「フランドール・スカーレットがどこにいるか、君は知らないか?」

 

 レミリア・スカーレットの、たった一人の血を分けた妹の事である。

 

 

 私は門番である。名前はまだない。

 勿論嘘だ。私には紅美鈴と言うちゃんとした名前がある。二度目だが、私は門番である。職務は基本、来客者への応対と侵入者の排除。ついでに庭師も兼ねていたりする。来客なんて殆ど来ないし、侵入者も黒白鼠程度だからむしろそっちが本業かもしれないが、私は紛うこと無き門番である。

 

 私はこれでも妖怪なので、肉体が損傷でもしない限り別に休息をとったりする必要は無い。けれど一日中番人をしていては流石に小腹が空いてしまう。お嬢様からは適当に休憩を取ってもいいと言われているので、休憩を挟むのも兼ねてうちの自慢のメイドさんに間食を作って貰おうと、館へ足を運ぶことにした。一日三食プラスこの間食の時間が、何気に日頃の楽しみだったりする。

 

 館へ踏み入った私はふと、ある違和感に気が付いた。

 それはまるで、一年前にお嬢様が幻想郷を紅い霧で覆った時の様な、空気の中に妖力が溶け込んでいる感覚だ。何か館でイベントでもあるのか、もしくは異変でも起こそうとしているのか。気になった私は能力を使って館の中をサーチしてみることにした。

 両手を合わせて、エントランスで目を瞑る。同時に館全体を包み込むようなイメージを浮かべる。

 

 恥ずかしながら、妖怪のくせに妖力の操作は得意ではない。お蔭で弾幕ごっこは人間である咲夜さんに手も足も出ないくらい弱いが、しかし私には特技がある。生命エネルギー、即ち『気』を使い、察知する事だ。応用すれば今の様に、離れている生き物の『気』を掴んで大まかな現状を把握できたりする。お蔭で休憩中に賊が入り込んでもすぐに対応できるから便利だ。

 

 サーチの範囲を広げていく。お嬢様と咲夜さんが、部屋で何か話している様子が見えた。流石に何を喋っているかまでは分からないが、取り敢えず咲夜さんは見つかったので、話が終わった頃合いを見計らって頼みに行こう。

 

 しかし、どうやらこの妙な力の発生源はお嬢様ではないらしい。では一体誰だろう。妹様が発生源だろうか? ……どうやら違う。地下室にも反応は無い。もう夜なのだが、まだまだ妹様はおねむの様子だ。

 

 一番目ぼしそうな吸血鬼姉妹の気配でないとしたらどこだろう。パチュリー様か? いや、あの方は魔法使いだ。お嬢様の紅い霧と似た妖怪独特の気配を発生させる手立ても理由も無い。

 ではまさか、賊の進入を知らずして許してしまったのか?

 

 想像して、頬が引き攣った。

 やばい、お嬢様に怒られる。

 

 私はあわてて探索範囲を広げる。鼠一匹も逃がさない精度で、館の中を調べ上げた。

 妖精メイド、妖精メイド、妖精メイド―――――違う。どれも違う。どこだ。発生源はどこだ。

 館の中を巡りに巡り、遂に気の探知は図書館まで及ぶ。

 そして私は、突如脳内にどす黒い瘴気の塊の様なイメージが飛び込んできて、思わず目を見開いた。

 

 汗が額を伝う。断じて蒸し暑さからくる汗ではない。これは、そんななまっちょろいものなんかじゃ決してない。

 喉が鳴った。微かに指が震えた。これ以上にないくらい動揺した。集中して練った気が、情けなく空気に溶けていく感覚が嫌らしく鮮明に伝わった。

 

 馬鹿な。

 そんな馬鹿な。

 有り得る筈がない。

 何時ここへ来たのだ。どうやって中に侵入したのだ。

 何故あの、一度覚えたら二度と忘れる事の無い圧倒的な『気』を、今の今まで見逃していたのだ。

 

 何より何故、あの方がこの幻想郷へ来ている―――――!?

 

 私は駆けだした。もはや余裕や空腹感など消え失せていた。一刻も早く、お嬢様に確認を取らなければならない使命感に駆られた。『運命を操る程度の能力』を持つお嬢様ならば、事の経緯がきっと分かる筈だ。

 

 吹き抜けを一気に跳躍し、私は最速最短のルートで、お嬢様の部屋へと駆け込んだ。

 


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