【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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EX6「東方羅針裁判」

「はい、検査しゅーりょー! もう服着ていいよ」

「うう……この季節に下着だけってのは流石に堪えるぜ……」

 

 守矢神社の母屋にて、私と神社に祀られる二柱の神様は、先ほどまで謎の暴走状態にあった魔理沙さんの介抱を行っていた。と言うのも、彼女の体に何が起こったのかを調べる検査の為である。

 何か知らない間に呪印を刻み込まれていないか、術を掛けられていないか、それらを諏訪子様と神奈子様が隅から隅まで徹底的に調べたのだ。

 しかし検査の結果は陰性。不思議なことに、明確な異常をきたしている部分は精神の波長以外に見当たらなかったのだ。二柱の見解だと、加護のある私と違って普通の人間である魔理沙さんは、強烈な邪気を一身に受けてしまったせいで精神の波長を激しく乱され、原始的な感情――特に怒りと恐怖を強く呼び起こされてしまったのではないかとの事だ。結果、あのような状態に陥ったのだと言う。

 一先ずは、取り返しのつかない異常が無くて良かった。これがもし何かに取り憑かれていると言ったパターンだったら、大掛かりな()()が必要だっただろうから。

 

「お疲れ様です。念のためにもう一度確認しますが、どこか異常はありませんか? 不自然に気持ちが高揚したり、反対に何も感じなかったり」

「っくしっ! ああ、ちょっと風邪ひきそうなくらいで別にどうってことは無いよ。本当にすまないな。なんだか、知らない間に凄い迷惑をかけちまったみたいで……」

 

 少しばかり暗雲の色を孕む表情で、魔理沙さんはポツリと零す。私は彼女を不安にさせないよう、何より責任感を感じさせないよう、精一杯明るく彼女へと接した。

 

「いえ、元はと言えば私が誘ったから魔理沙さんがこんな目に遭ったようなものなので……謝るのは、むしろ私の方ですよ」

「なーに言ってんだ、あの時私がお前に着いていくと決めた以上、それに伴う責任は全て私のせいだろう? 早苗が落ち込む必要なんて全然無いんだぞ」

「魔理沙さん……」

 

 自然とこちらも笑顔になりそうな、爽快な表情でカラカラと笑う魔理沙さん。そこにはあの狂気に満ちた面影はなく、この現実が私にいつもの魔理沙さんが戻って来たと知らせる福音となった。

 

「それじゃあ、私はここでお暇させて貰うぜ。お詫びとお礼に、今度私が秘蔵にしてる酒を持ってくるよ」

「ホント!? やったぁ魔理沙太っ腹じゃんよ!」

「諏訪子、今はよしなさい。魔理沙はああ言ったけど守矢が迷惑を掛けたのには変わりないんだからさ」

「うん、だけど辛気臭くする方が魔理沙は嫌かなって思って」

「そうだな、そっちの方が私としては遠慮しなくていい」

「でももし何か異常が出た時は、直ぐに永遠亭へ行って下さいね? 本当は、今から行った方が良いかなと思うのですが」

「ははは、大丈夫だって。お前らが診てくれたお陰で私は完全回復、この通り元気ハツラツだぜっ。何で気を失ったのかが分からない位だ。うっすらとしか覚えてないが、本当に頭が参っていたらしいな、あの時の私は」

「それなら、良いのですが」

 

 一応、諏訪子様や神奈子様の浄化で精神の波長を戻したら魔理沙さんは健康状態に戻ってはいる。原因が魔術や妖術の類で無いのであれば、やはり吸血鬼から生気を吸い取られ過ぎたが故に起こった精神的錯乱なのだろう。一部記憶が曖昧になっているのも、その後遺症と考えられる。

 

 そう。魔理沙さんには一連の事件に関する記憶が殆ど残っていない。正確にはあの禍々しい吸血鬼と相対して紅魔館を立ち去った辺りから、記憶がほぼ抜け落ちているのだそうだ。当人曰く過去にナハトと相見えた記憶は取り戻したらしいのだが、不可解なことに先ほどまで魔理沙さんがとっていた異常行動については、断片的にしか覚えが無いのだとか。

 

 記憶喪失に関しては、諏訪子様も神奈子様も原因が分からないらしい。体中を調べても記憶の封印術などは掛けられておらず、見つかったと言えば精神波長の異常な乱れのみ。こうなってくると、極度のストレスから脳が記憶を除外したのではと言う推測が有力化してくるだろう。

 

 しかし少なくとも二柱の検査をパスできるほど健常で、これと言った肉体的な創傷がないのであれば大丈夫だろうと一時帰宅の診断を下された魔理沙さんは、魔法の森にある家へと戻っていった。念のために何か症状が出ていないかどうか、定期的にここへ通うよう約束をつけて。

 

 

 

 

 それが間違いだったと、私は後悔する事になる。

 

 この時、私は彼女を引き留めておくべきだったのだ。念には念をと、執念深く蛇のように疑っておくべきだったのだ。目の前の()()に胡坐をかいて、見守る選択を取るべきではなかったのだ。弾幕ごっこを吹っ掛けて彼女を撃ち落としてでも、永遠亭に連行するべきだったのだ。

 

 

 

 この日を境に、魔理沙さんが私たちの前へ姿を現す事は無かった。

 

 

 

 久方ぶりに、図書館から出た気がする。

 

 普段の私は、滅多なことでは広大なマイルームとも言える地下図書館から出ることはしない。わざわざ外へ出ても魔法の研究時間を削られるばかりか、髪は痛むし、肌は荒れるし、疲れるし、良い事なんて殆ど無いからである。

 それでも、今は図書館から腰を上げずにいられなかった。小悪魔の身に起こった凄惨な事件とナハトの話から、私はどうしても彼女に聞いておかなければならない話が出来てしまったからだ。

 

「レミィ、入るわよ」

「どうぞ、パチェ」

 

 ノック。承諾。入室。それら三工程を素早く済ませ、私は自分でも珍しいと思える程に、急ぎ足で部屋の中へと足を踏み入れた。

 もう三桁近い年数を共に過ごしてきた吸血鬼の友人、レミリア・スカーレットの私室に入れば、彼女はいつものように優雅なティータイムを過ごしていた。紅茶の甘くて芳醇なフレグランスは、ドアを開いた瞬間から咲夜の仕事ぶりを教えてくれる程だった。 

 

 しかし今は紅茶を飲みに来た訳では無い。私は傍に咲夜を控えさせているレミィに対し、急いだために乱れてしまった呼吸を整えながら言った。

 

「お茶の時間を邪魔してごめんなさい。けれど、今すぐ貴女へ聞きたい事があるの」

「へぇ、パチェが図書館を出てまで私に物申したいなんて珍しいわね。別に構わないわ。――咲夜」

「はい。それでは、咲夜は失礼致します」

 

 レミィからの合図を受けると、メイド長は一礼と共に姿を消した。どうやら空気を呼んでくれたらしい。つくづく出来のいい従者だと思う。

 座って頂戴、と催促されたので、私はレミィの対面へと着席した。紅茶を勧められたが手でそれを制する。今は悠長に過ごす時間すら惜しい。

 

「で、そんなに急いでまで聞きたい事って何かしら?」

 

 シャンデリアの仄かな明かりが、レミィの日焼けを知らない真珠の様な肌を照らす。見た目は童女のソレなのに、どこか妖艶さを感じさせる風格があった。吸血鬼の保有する魔の魅力と言う奴だろう。一瞬私の抱く焦燥と場の雰囲気が緊張へ拍車を掛けてしまい、その魔性に呑見込まれてしまいそうになった。

 私は唾と共にそれを飲み下し、冷静を取り戻す。

 

「……レミィ。小悪魔の話は、ナハトから聞いた?」

「ええ。一応ね」

 

 肯定と共に、吸血令嬢は紅茶を啜る。そこに動揺や不安と言った色は見られなかった。

 

「何か爆発音がしたとは思ったけど、まさかそんな事件が起こっているとは思わなかったわ。流石の私にも、小悪魔が何かに取り憑かれた挙句、その取り憑いた人物の手によっておじ様が地底へ追放される羽目になるとは夢にも思わなかった」

「その事なのよ。私が、貴女へ訪ねたい事は」

「……と言うと?」

 

 レミィの大きくて真っ赤な瞳が私を射抜く。普段のお茶らけた態度からは考えられない、吸血鬼としてのオーラが垣間見えた。

 喉の渇きを覚えつつも、私は覚悟して口を開く。

 

「ナハトは言っていたわ。小悪魔に憑いたナニカが、人里で彼の印象を最悪に貶める為の演技をしたと。でもそれは人里だけを狙ったものじゃなく、人里に紛れ込んだ妖怪や、人里を監視している妖怪勢力からも敵意を集中させるための演技だったと。……この証言が本当ならば、小悪魔を操った者の正体は必然的に、ナハトを貶める事で利益を被る人物になるわよね」

「……」

「注意するべきはその点だけじゃない。そもそもの問題として何故小悪魔が操られたのか。普段は図書館から離れる事も無い私の使い魔が、一体何時の間に怨霊を植え付けられたのか。ここが一番不思議だと思わない?」

「……パチェ」

「レミィ。私は今から、貴女に親友として最低な事を訊ねるわ」

 

 手が震える。緊張と不安と焦燥が胸の内に渦を巻いて、どうしようもなく締め付けられる。私が今から吐き出すこの問いが、どうか外れていますようにと、柄にも無く神へ祈りを捧げてしまう程に。

 

「ナハトの()を知る者の一人であり、紅魔館に在住していて小悪魔へ接触する機会があり、かつ上級西洋魔法を体得している人物。――――それは、貴女が小悪魔を操った犯人だという証明にならないかしら」

 

 ドクン、ドクンと。いつもは怠けているのではと思わされる程、心臓の拍動が強くなるのを感じた。一秒の単位が果てしなく思えてしまう。果ての先に訪れる答えを聞くのが、とてもとても怖かった。

 

 私がこの結論に至ったのは、レミィがナハトへ負の感情を向けさせる動機を持ち合わせていて且つアリバイの無い人物でもあり、更には魔法技能として可能な領域に達している者だからだ。

 他に考えられる者と言えば真実を知る紫や紅魔館の住民達だが、どれも犯人とは考え難い。紫はナハト曰く黒幕じゃないと結論が出たらしいので端から対象の外であり、フランは高い魔法技術を持つものの、ナハトの真実を知らないため動機が発生し得ない。美鈴や咲夜は言わずもがな、そもそも怨霊を介して他者を操れるほどの高度な西洋魔法を体得していないから除外できる。

 となれば、私の考えられる範囲では、どうしてもレミィへ照準が合わさってしまうのだ。私にしてみれば、最悪の答えではあるのだが。

 

 ……レミィにとって、義父であるナハトが重要な存在であることは理解している。だからこそ私は彼女を疑った。犯人を探し出すにはまず、私情を全て排さなければならないからだ。

 

 けれどもしこの推測が当たっていたとしたら、私はこの友人と何時振りかも分からない喧嘩をしなければならないだろう。幾ら何でも、同じ館に住む者の命を危険に晒してまでナハトの命を食い繋ごうとするのは間違っている。これがレミィの暴走の兆しであるのならば、私が今ここで、日の魔法を行使してでも彼女の眼を覚ましてやらねばならない。

 

 最善なのは、この推測が全て的外れである展開なのだけれど。

 

「……もし私がパチェと同じ立場だったなら、同じ結論に達していたのでしょうね」

「っ」

 

 血のポンプが、一際強く波打った。

 

「でも安心して、パチェ。私は身内に手を出してまでおじ様の力を回復させようとするほど落ちぶれてはいないから」

 

 ――答えを得て、体中の力という力がすとんと全て抜け落ちた。

 安堵や安心が私を包む。心の底から当てが外れていて良かったと、少し泣きそうにまでなってしまった。

 

「良かった。貴女が実行者じゃなくて本当に良かった」

「ふふ、無粋だとは分かっているけど、そんなに焦るパチェは何だか新鮮ね」

「笑い事じゃないわよ、もう。心底心配していたんだからね」

「そこまで気にかけて貰えるとは親友冥利に尽きるってもんよ。ところで、もし私が黒幕だったらパチェはどうするつもりだったのかしら?」

「泣いて改めるまでロイヤルフレア」

「そ、それはぞっとしないわね」

 

 引き攣った笑みで紅茶を飲むレミィ。身内の命までもを利用してたりしたら当然である。もっともその必要は無くなったみたいでホッとしているのだけれど。

 

「でもそれなら、一体どこの誰が何の目的であの子を食い物にしたっていうのかしら。ましてやナハトを嵌めるだなんて、デメリットの方が遥かに大きいでしょうに」

「考えられるのはやっぱり、パチェの言う紅魔館と深く関わっている者か、もしくはおじ様へ私怨を抱いている人物でしょうね。昔からおじ様はあちこちから恐怖と怨恨を買っていたし、幻想郷に流れ着いた者の中にそんな輩が紛れ込んでいたとしても不思議ではないわ」

「うーん……そうなってくると、ますます絞り込むのが難しくなるわね……」

 

 幻想郷は外界で忘れ去られたものが辿り着く終点のような場所だ。動植物や物品は言わずもがな、幻想郷の存在理由を担う数多の魑魅魍魎が、日々この箱庭へと流れ着いている。であればその中に、外での事件か何かでナハトへ怨念を抱いた人物が紛れ込んでいたとしても不思議ではない訳だ。

 が、私はこの線を有力とはあまり考えられなかった。もし犯人が『外から流れ込んだ余所者』ならば、小悪魔が利用されるまでの経緯が証明できないからである。

 

 そもそも館から外へ出る事の無い彼女へ接触し、気付かれないうちに怨霊を植え付けるとなると、紅魔館へ相当精通した者に限られてしまう。しかも小悪魔は弱小とはいえ悪魔の一員だ。普通なら植え付けられた時点ですぐさま気付くはずだろう。なのにその自覚が無かったどころか、本人曰く操られる前後の記憶がまるで無いと来ている。

 つまり最初から、小悪魔は自らの内に異物を挿し込まれた認識すら持っていなかったという事だ。

 

 こうなってくると、犯人は紅魔館を知り尽くしていて、かつ悪魔にも全く気付かれない気配遮断能力と高度な死霊術を体得した相当な使い手になってしまうのだが、該当する人物には残念ながら心当たりがない。紅魔館はもともと人の出入りが少ない場所なので、幻想郷で館の構造や人間関係を隅から隅まで知り尽くしている人物は意外と少ないのだ。雇われている妖精メイドでさえ、中には私や小悪魔の存在を知らない者までいる始末なのに、外部で精密に内情を知る者となるといよいよ皆無の気配を覗かせてくるだろう。

 

 的はかなり絞り込めているのに、肝心の標的がどこにも見当たらない。数学式は成立しているのに、答えとなる文字を知らないから分からないとでも言えようか。本来なら有り得ない歪な違和感が私の胸の中で渦を巻き、その旋回を止めようとしないのである。

 そう。歪、歪だ。私はこの事件に対して、何かとても大事なものを見落としている様な気がするんだ。それがピースを失くしたジグソーパズルのように、あからさまながらも取り返しのつかない違和感を作り出しているのだ。

 

 ああ、モヤモヤする。答えがもう喉から出てきそうなのに出てこなくて、不愉快極まりない。ここまでくると、誰かから意図的に思考の方向性を捻じ曲げられている様な気さえしてくる始末である。

 

「まぁなんにせよ、不届き者を炙り出す事に変わりはないわ。紅魔館に手を出した俗物は、例え天岩戸に隠れていても引きずり出して仕留める。このレミリア・スカーレットの身内に手を出した事を、十字を切って血を捧げるまで後悔させてやる」

 

 飲み干したティーカップを音も立てずに置きながら、我が親友はそう宣言した。

 紅い瞳が仄かな光を帯びていて、それは一つの決意を私へと表明していた。

 

 

 

「レミリアが裏で糸を引いていた訳ではない……か」

 

 パチュリーの尋問を盗み聞きする形になってしまったが、彼女と同じように懸念していたレミリアへの容疑が晴れて一息吐く。想像もしたくないものだったが、あの子が小悪魔を利用して私を嵌めようなどと企てていなくて本当に良かった。これで心から安心出来ると言ったところか。

 

 だがそうなってくると、いよいよ犯人像が分からない。これで私が仮想に描いた黒幕の容疑者は全て霧散してしまった。小悪魔に干渉する事が出来るほどの西洋魔法の体得者、レミリアやフラン、パチュリーが見当違いとなれば、一体全体誰がどの様な方法で、小悪魔に怨霊を移植したと言うのか。

 

 何か、見落としている部分がある気がする。それも重要極まる要素をだ。しかしそれが、霧の中に隠れた羽虫のようにとんと区別がつかない。そちらへ意識を向けられなくなっているとさえ感じる程だ。

 

 ……しかしあのパチュリーとレミリアの口ぶり。彼女たちも紫と同じように、私に関する秘密を何か隠し持っている様子だった。非常に気になるところだが、問い詰めたところで口を割ってくれることは無いだろう。紫の言う『来るべき時』が来るのをゆっくりと待つしかない様だな。

 

 さておき、暫くすれば私は地底へ行かなければならない。準備としてこの館の住人には既に説明したし、輝夜にも文を送っておいた。残った仕事と言えば荷造りのみだが、別段私は必需品を持ち合わせていないので必要は無い。部屋の整理整頓だけしてお暇するとしようか。

 

 重要な地底への移動についてだが、それに関しては紫の方から何かバックアップがあるらしい。もしや宿泊先の取り付けでもしてくれたのだろうか。だとしたらありがたい事だが……いやいや、この考えは流石に呑気が過ぎるな。そもそも地上と地底の妖怪は不可侵条約が結ばれているのだ。それは紫とて例外ではない筈だろう。であれば、仲介人の手配をしてくれていると考えるのが妥当なところか。

 まぁ、仮に仲介をしてくれていたとしても、目に見えて関係の悪い地底の住人が地上の私を易々と受け入れてくれるはずはないのだろうが

 

 風や水の魔法を行使し、部屋の掃除を進めながら今後の行動を考えていた、そんな時だった。不自然な風が首筋を撫でたかと思えば、背後から突如何者かの気配が発生したのだ。

 なんだかこの状況には覚えがある。そう、確か紫と初めて顔を合わせた時と同じシチュエーションだ。しかし一つ異なっているのが気配の種類である。紫からは濃密な妖力が漂っていたが、今私の背後から放たれているのは妖力と反する力だ。霊力の類、しかしそれよりももっと純粋な、霊験あらたかな雰囲気が背筋から伝わってくるのである。

 

「夜分に失礼します、吸血鬼ナハト」

 

 凛と張った美しい声色を奏でる人物は、どうやら私の事を知っている人物らしい。まぁ、私の部屋を特定して空間移動してきたのであれば、当然であると言えるのだが。

 

 振り返れば、二人の少女の姿があった。

 

 片方は幽香や早苗と同じ緑色の髪をした少女だ。全体的に髪は短いが右側だけ伸びているのが特徴的で、頭上には紺色を基調とした帽子に紅白のリボンが装飾されたものがちょこんと乗っている。全体的に見て、どこかパリッとした清廉な印象を受ける少女だった。

 もう片方は、紅蓮の炎の如き赤い髪をサイドに束ねた娘である。着物と洋服を合体させたような和洋折衷の服装に身を包んでおり、手には華奢な細腕では持ち上げる事すら困難に思えてしまう程の大鎌を持っていた。随分と個性的な子である。

 

「唐突な来訪失礼します。少々お時間を頂いても?」

 

 緑髪の少女は、木製の棒を携えながら私にそう語り掛けた。しかし不思議なことに私の魔性を前にしても声は震えておらず、どころか欠片も怯えの兆候は見られなかった。その点から、彼女が紫や永琳と同じく、私の瘴気に対して冷静な思考を働ける人物だと理解するのは容易だった。

 そして、直に相対したからこそ分かる彼女の只ならない霊力に加え、付添人と思わしき赤髪少女の大きな鎌は、私へ良い判断材料を提供してくれた。

 

「全然かまわないとも。ところで君たちは、もしや彼岸の関係者だろうか。そちらの子は死神で合っているだろう?」

「ええ、相違ありません。私は四季映姫。是非曲直庁にて閻魔を務めている者です。そして彼女は死神の小野塚小町、私の部下です。初めまして」

「なんと、閻魔様だったのか。こちらこそ初めまして。私の名はナハト、こう見えても無害な吸血鬼だよ。私の事は既に知っている様子だが、どうぞよろしく」

「これはご丁寧に」

「……ところで、君達の様な幽世(かくりよ)の者が――ましてや閻魔様ともあろうお方が私へ直接干渉してくるとは、一体どんな用件なんだい?」

「なに、単純な用事です。貴方へ地底への正式な移住許可を通達する事が一つと、我々からの依頼についての説明をするだけですよ」

 

 噂をすれば何とやら、どうやら彼女が私の想像していた仲介人の様子であった。

 曰く、地底と地上の間には妖怪同士の不可侵条約が結ばれており、何人たりとも干渉してはならない取り決めが作られていると聞く。便宜上の追放とは言え、何らかの形で手続きをしなければ不味かったのだろう。

 となると、平等を尊ぶ閻魔である映姫は、地底と地上間における調停者とでも言うべき立場にあるのだろうか。そうでなければ手続き役を買って出るわけが無い。地獄の裁判官たる閻魔は何事にも中立な立場にあるから、幻想郷ではうってつけな人物だったと言う訳か。

 

 さておき、ピンと来ないのは後者の方である。閻魔直々に私へ依頼とは奇妙な事だ。奇妙過ぎて全く想像がつかない。なにせ彼女とはこれが初対面なのだ。依頼を持ち込まれる縁も所縁もないのである。

 

「先ずはナハト、貴方の地底行きの件ですが、八雲紫から大まかな経緯は耳にしました。四季映姫の名の下に地底へ赴く許可を正式に言い渡します。向かった際には旧都の中心にある地霊殿を頼りなさい。その建物の主、古明地さとりは地底の代表者を兼ねた妖怪ですから話を通してあります。名乗れば出迎えてくれるでしょう」 

「おお、それは本当にありがたい。向こうへ事情を説明してくれたとは、感謝してもしきれないな」

「これも条約と平和を守るためですのでお気になさらず。むしろ不用意に貴方を放り込む方が却って危険を伴うでしょう?」

 

 うむ、ぐうの音も出ないとはまさにこの事である。魔性を振りまき、他者へ否応なしの恐怖を植え付ける私を何の前触れも無しに地底へ放り込めば、戦争の火種となってしまうのは明白だ。

 

「次に依頼についてですが……これは初めに、貴方の犯した過ちから話さなければなりませんね」

「過ち? ……私は知らないうちに何かやってしまったのだろうか。すまないが、これといって心当たりがない」

「先代紅魔館当主、サー・スカーレットについてです」

「!」

 

 もう耳にすることは無いと思っていた名を聞き、思わず私は身構えてしまった。しかし直ぐに何故彼女がその名を口にしたのかを理解して、私は冷静さを取り戻す。

 映姫は閻魔、即ち地獄にて死者を捌く裁判長である。自らの命を絶ち、死者として活動していたスカーレット卿の処遇を決めるのは彼女ら彼岸側の役割だ。しかしそれを私が激情に身を任せて横から奪い取り、魂魄を粉微塵に破壊してしまった。それについて、彼女は私を糾弾するつもりなのだろう。映姫の役柄を考えれば、当然の判断であると言える。

 

「ナハト。他者を黒く塗り潰すその魔性の威圧とは裏腹に、貴方が素行の良い類稀な吸血鬼である事実は、この全てを見通す浄玻璃の鏡で既に知り得ています。しかし、それはそれです。幾らサー・スカーレットの邪知暴虐としか言いようのない行いが無視出来なかったとはいえ、貴方が他者を断罪して良い理由にはなりません。魂魄の破壊などもっての外。彼を裁くのは我々閻魔の役割なのです。生者が死者を裁くなど、思い上がりも甚だしいと知りなさい」

「ああ、君の言う通りだ。今では年甲斐もなく血を昇らせ過ぎたと反省しているよ。君たち彼岸の者へ、あの魂を届ければ良かったのにな」

「反省しているならばよろしい。その気持ちを忘れない事です。しかし我々彼岸にも、生者の理へ背いた魂を発見出来なかった落ち度はあります。後ほど回収係の鬼神長へキツく注意を促しておきますので。……さて、ここからが本題となります。貴方には過去の(あやまち)を白へ戻す為の善行を積んで頂きたいと思っているのですが、」

「それが、件の依頼なのかな?」

「――左様。理解が早くて助かります」

「して、内容は?」

「……貴方には旧地獄へ取り残されている怨霊の浄化、及び回収を手伝って頂きたい。数量で言えばおよそ百人分ほどですが」

 

 怨霊の浄化と回収……か。皮肉なことに、今の私としては却って好都合な依頼である。例の一件が怨霊を介して行われた事に加え、その怨霊の発生源が地底にあるかもしれないと予測が立てられている以上、怨霊の調査は避けて通れない道なのだ。調べるついでに済ませていけば、彼女の要望にも応えられるだろう。

 

「ふむ、了解した。しかし君の言う浄化とは一体? 癒しの魔法でも付与すればいいのかな」

「いいえ、貴方の得意とする魔力の剣を使うのです。その剣の性質は、どちらかと言えば彼岸(われわれ)のものに近い。貴方が魂へ精密な干渉を行う事が出来るのも、知識や経験もさることながら、その性質が一端を担っているからでしょう。ですので、それを行使し怨霊の怨霊たる部分を取り除き、回収して頂きたいのです」

 

 ……うーむ。中々含みのある物言いである。私の魔力塊たるグラムが彼岸寄りの性質となれば、根源たる私自身も幽世に沿った存在という事なのだろうか。何だか紫やレミリア達が隠している情報との関係性が否めないのだが、はてさて。

 まぁ考えても仕方ない題は一先ず棚の上に置いておこう。つまり彼女は私のグラムで怨霊の妄執と魂魄を切り離し、理性の余白を取り戻させた魂を彼岸へ届けてくれと言っているのだろう。紫が地底――即ち旧地獄は地獄の縮小化に伴って生み出された跡地だと言っていたから、人手不足のせいで裁判出来ずにいた怨霊をこの機会に再審し、輪廻へ戻すつもりなのではなかろうか。だとしたら、怨霊の手助けにもなるというものである。

 

「承諾した。では、贖罪に務めさせてもらうよ」

「それは重畳。良い成果(つぐない)を期待しています」

 

 映姫は凛然とした態度で締め括り、行儀よく頭を下げた。話に一段落着いたところでお茶を出してなかったと思い出し、飲むかどうかと尋ねれば不要だと言われたので、私は自分用の飲み物の準備へと取り掛かった。何だか最近お茶の誘いを断られる事が多い気がする。よく考えてみれば幻想郷へ来る前はずっとアローン・ティータイムではあったのだが、やはり寂しく感じてしまうものだ。

 

「さて。これで私の伝えるべき用件は全て済みましたが……折角ですし、貴方に一つ忠告をしておきましょう」

「うん? 何かな」

「浄玻璃の鏡を通して私が思った事です。ナハト、貴方は自分の及ぼす影響力についてきちんと把握していますか?」

 

 葉を蒸らし終え、カップへ注ぎ入れている最中だった。映姫が再び改まったかと思えば、切れ味を伴った声色で、私へそう訊ねて来たのだ。

 

「貴方の目的、目標は把握しています。しかしナハト、貴方は自らが他者へ放つ波紋の大きさを、正確に理解出来ていないのではありませんか?」

「……つまり、私の瘴気に対する見解かな? それは十二分にも把握しているつもりなのだが」

「それはあくまで体質上の問題でしょう。私が指摘しているのは、貴方の瘴気に対する外部意識に他ならない。ナハト、よく聞きなさい。貴方は先天の魔性が他者へ招く異常性を理解していながら、その反省を行動にまるで活かせていないのです。言うなれば――そう、貴方は少し現状に馴染み過ぎてしまっている」

 

 清水のせせらぎのように、幽かでありながら耳を傾けずにはいられない語り口調は、自然と私の意識を映姫の声へ引き寄せた。

 

「例を挙げるならば、永夜異変や妖怪の山での一件でしょう。あの時、貴方は自らの思うが儘に行動しました。それが間接的にも直接的にも、大きな騒乱の火種となってしまった。ここが矛盾なのです。永夜に至る前、貴方はレミリア・スカーレットを通じて幻想郷に自分の存在を紹介してもらってから、単独行動を試みるべきだった。妖怪の山へ赴く前に、確認の文を山へ送っておくべきだった。その一アクションさえ踏んでおけば、貴方の望む友人を得る機会はぐんと増えたはずです。何故なら住人に対して初見の誤解を拭い去っておくことで、瘴気の効果を緩和できたかもしれないのですから」

「……確かに」

「貴方は自らが持つ精神的影響性を把握しておきながら、その実それに伴った行動をしていないのです。嫌悪される事に慣れ過ぎた結果、目的を成すには矛盾とも捉えられる選択をしてしまっている。さながら、目的を遂行するためだけに一直線に突き進む機械のよう。それではいけません。貴方はまず弱者へ寄り添うのではなく、弱者の立場に立つことを覚えるべきです」

 

 それは、萃香に激励を受けた時以来の衝撃だった。成る程全くもって彼女の言う通りである。言われてみればどうしてその工程を踏まなかったのか、どうしてその発想に至らなかったのか、不思議で不思議で仕方がない。

 どうやら私は、あまりに自重出来ていなかった様だ。彼女の説教通り、私は今の環境に馴染み過ぎて思考の範囲を破壊されていたのだ。彼女の『弱者の立場に立つ』という言葉は、今後の大きな課題となってくるだろう。早速地底で活かさねばなるまい。

 

「――目から鱗とは、まさしくこの様な心情を指すのだろう。本当に素晴らしい話をありがとう。とても為になる説法だった。やはり第三者からの意見とは非常に重要なのだと再認識させられたよ」

「礼には及びません。職務の様なものですから。しかし誤解しないで頂きたいのは、貴方の行動で少なからず救われた者も居るという事です。吸血鬼の妹や竹林の姫、大図書館の司書は最たる例でしょう。行動の指針に改める余地は有れども、今の貴方の在り方までは、努々お忘れなきよう」

 

 その言葉が、彼女の最後の言葉だった。映姫の目配せと共に従者である死神少女が傍についたかと思えば、二人もろとも、部屋から姿を消し去ったのだ。どうやら帰った様子である。

 しかし、何だか晴れ晴れとした気持ちだ。彼女の説教は実に身に染みる話だった。折角新天地へと赴くのだから、活かさなければ彼女に申し訳ないというものだろう。

 無論、黒幕の調査も忘れない。私の名誉の為にも、それよりも小悪魔や幽香の汚された誇りの為にも、黒幕は必ず突き止め、白日の下に晒さなければならないのだ。

 

 ……これはただの勘なのだが、恐らく近い内に、犯人の正体は暴かれる事になる気がする。

 その時が、私にとって最後の戦いになるだろうと言う事も。

 理由は特にないのだが、なんだかそんな気がして已まないのだ。

 

 紅茶を啜りながら、地底へ移る最終前夜の事だった。

 

 

「四季様……ちょっと質問させて貰ってもいいですかい?」

「何でしょう? 小町」

 

 距離操作能力を応用し、冥府へと戻る道すがらの事だった。三途の川の船頭、小野塚小町は妙に顔を白くさせながら、先を歩く閻魔へと声を投げたのだ。

 

「いやぁ、はは。何と言いますか、何故四季様があのナハトとか言う吸血鬼に協力したのか、そこがちょっと気になっちゃって。ああいや、四季様が妖怪の賢者に頼まれた不可侵条約の関係で責務を果たす為に訪れたってのは分かってますよ? あたいが言いたいのは、何故奴にこちら側の仕事を手伝わせるような真似をしたのかなと。そこが疑問だったんです」

 

 ――小町の言い分はこうだ。是非曲直庁は現在万年人手不足に陥っており、半ば放棄されたに等しい怨霊たちの再審にまで手が回らない状況となっている。故に猫の手も借りたい忙しなさに包まれているのだが、しかし例えどれだけ人手が足りない状況下であったとしても、幽世(かくりよ)の存在が現世(うつしよ)の存在に仕事の肩代わりを願うのは前代未聞なのである。四季映姫の言葉を借りるなら、『生者に死者の仕事を担わせるなんてもっての外』と言ったところだろう。

 それなのに映姫は、何の思惑があってか、あの吸血鬼へ幽世の仕事を言い渡したのだ。それだけではなく、魂魄破壊の罪をそれで帳消しにするとまで言っている。仕事に対し厳格で、何者にも左右されない四季映姫・ヤマザナドゥを知る小町からすれば、これは考えられない選択だった。

 対して、映姫は静かに答えを返す。

 

「世の中には、適材適所と言う言葉がありますね」

「はい?」

「持って生まれた能力を最大限活かす場所と言うものは、必ず何処かに存在するものです。例えば、霊の心までも透視し支配する事の出来る古明地さとりは、地底の怨霊を管理する地霊殿の主となりました。また、死を操る西行寺幽々子は冥界の管理人に適していました。一見すると危険で利の無い力でも、使いようによっては徳へと変わる場合は数多い。そして私は地蔵出身の閻魔。迷える者へ正しい道を指し示すのも、私の責務の一つと言う事なのですよ」

「……てことは、あれですかい? つまりナハトを使えるか()()()()()と? 冗談でしょう四季様。だってあいつは、あいつの中身は吸血鬼なんかじゃあない。ありゃあ深淵だとか無間地獄だとか、そんなものがなまっちろいとさえ思えてしまう様な――――」

「口を慎みなさい、小野塚小町。私は何者であっても平等性を崩す事はありません。……例え彼が本来この世界に居てはならない純黒の存在であったとしても、それは変わらない。私は、私の役目を果たすのみですから」

 

 凛然と、一切刃こぼれの無い鋭さを声に伴って映姫は言った。そこまで強く宣言されてしまえば、小町と言えど口を閉じる他はない。

 それと交代するかのように、今度は映姫の方が小町へ問いかけた。

 

「ところで小町。話は変わりますが、回収班から何か伺っていますか?」

「……いえ、相変わらず空振りとしか聞いてないですね。ついこの間、その件で鬼神長がヒステリックになってましたよ。火種の無い煙のように居所の分からん獲物だって」

「左様ですか。ふむ。やはり妙ですね。回収の精鋭たちがこうも手古摺らされているとなると、やはり意図的に隠れているとしか思えない。仙人のように堂々と撃退しない分、厄介極まりないわ。居場所が掴めないのであれば、こちらから手の施しようがない」

「うーん……あたいはソッチに疎いもんでよく分からないのですが、本当に現世へ残ってるんでしょうか? 自分にゃどうも、もう自然消滅したようにしか思えないのですが」

「いいえ、確実に残っています。()()()()簿()の計算が合わないのですよ。恐らく最多であと三……いや四つは残っているでしょう。これは絶対です」

「はぁ。まぁ四季様がそう仰るなら、間違いは無いんでしょうけどねぇ……」

 

 どうにも疑問が晴れないのか、小町は脳裏の靄に対して腕を組み、首を捻った。映姫はその様子を尻目に少しばかりの溜息を吐きながら、再び鋭い眼光を宿して、

 

「そんな事より小町。さっきからずっとぐるぐる回り続けている気がするのですが、ちゃんと行先をコントロールしているのでしょうね? 流石の私と言えども気分が悪くなってきましたよ」

「えっ。……ああっ!? やっべ話に夢中でうっかりしてました! 直ぐ向こうへ繋げますので!」

「まったく。しっかりなさいっ」

「ごめんなさーい!」

 


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