【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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27.「霧中の手掛かり」

「これで百体目か」

 

 目の前を逃げ惑う魂魄に向けて魔剣を振るう。漆黒の刃は魂を斬り裂き、しかしそれを破壊することなく、魂にこびり付いたどす黒い煤だけを切除した。

 魂が明らかに清廉された色へ変化した事を確認し、休眠の魔法を施したうえで袋へと詰め込む。流石に百もの怨霊を掻き集めると数個の袋があっという間に満タンになって、私に割り当てられた部屋の一角は既に埋め尽くしてしまった。

 ともあれ、これで映姫の依頼は達成である。後は頃合いを見て幽世へ届ければ問題ないだろう。

 もっとも、肝心の怨霊使いに関する手掛かりをまるで掴めていないので、私としては進歩も何も無いのだけれど。

 

「参ったな。読みを間違えたか? いやしかし、地上に怨霊が蔓延っていない以上発生源はこことしか……」

 

 普通、考えられないだろう。

 だがその常識を崩されかねない事実に絶賛直面中な私としては、前提に確信を持つことが難しくなっていた。

 

 と言うのもこの地底、明らかに怨霊の数が少ないのである。

 

 いくらここが放棄された跡地だとしても地獄は地獄だ。本来ならば寄る辺の無い怨霊がそこかしこに漂っていてもなんら不思議ではない。むしろ溢れてる方が正常と言える。

 なのにここへ来て早くも二週間が経とうとする中、見つけられた怨霊は今の個体を合わせてたったの百体ぽっちときた。あまりに少なすぎて、映姫の依頼を達成できるか不安を煽られた程である。

 おまけにこの怨霊達には一切手掛かりらしきものが見当たらなかった。魔法の痕跡は当然ながら、干渉された形跡すら無い。怨霊に対してこの言い方は変かもしれないが、清廉潔白な魂だったのである。

 

「……であれば、次の当てとなると」

 

 魔法を使い、満杯の袋を私の部屋へ転移させつつ、これからの行動を模索する。

 もうこの地底で調べられる事と言えば、勇儀に教えてもらった青娥娘々なる人物くらいだろう。しかしどうも娘々は中国出身な上に仙人らしいので、事件のキーポイントである西洋魔法とはかけ離れた人物である。有力な情報を得られる可能性はあまりに低い。

 

 が、だからと言ってこのまま呑気している訳にもいかないし、得られる物が少ないと分かっていても、それを得るに越したことは無いのだ。

 私はすぐさま、勇儀に与えられた青娥娘々の居る方角へ転移する事にした。

 右手を開き、魔力を回す。人差し指に青白い光が灯って、それを筆代わりに宙へ光の陣を描いた。流石にテリトリーのど真ん中に現れたら混乱は避けられないだろうから、若干距離を置いた座標を術式に入力していく。

 魔法陣を形成。チェックを終え、魔力を流す。

 空間の接続に成功し、目の前へ現れた穴の中へ、私はそっと足を踏み入れた。

 

「……」

 

 転移成功。

 周囲を観察。背後からは旧都の光が幽かに見える。だが前方に広がっているのは、無数の朽ちた石材や卒塔婆が転がる荒廃した墓地だった。旧都や地霊殿が地獄らしくない清潔感溢れる場所だっただけに、この荒れた魔境の不気味さが一層際立って見えてしまう。

 

 注意を怠らぬよう、歩を進めていく。

 風も無ければ音も無い、まさに虚ろな空間である。生命の息吹など欠片も無く、地獄特有の濃厚な死の匂いが漂っていた。

 

 地獄跡地の一部なので当然と言えば当然の雰囲気なのだが、それにしても気配が無い。ここまで陰気の立ち込める空間ならば、地獄の妖精や精霊、悪霊の一つや二つ、遠目から確認できても不思議ではないだろうに。

 

「やはり奇妙だな。何故ここまで閑散としている……? 旧地獄は、私の知る地獄とはいささか異なる環境なのだろうか。元々住人が少ないのであれば、この静けさは日常風景なのだろうが」

 

 しかし、それはあまりに考え難い。あらゆる環境に適応する妖精すら殆ど見かけないのであれば、旧都で魑魅魍魎が営みを築ける筈がないのだから。

 つまり環境のせいでないとなると、別の理由が存在するのだろう。

 思い浮かぶとすれば、やはり、あのミイラ事件と何か関係が――――

 

「はぁーい、そこのあなた。ちょっと止まってー」

 

 ――甘く蕩ける様に妖艶で、されど貴婦人の如く凛とした女性の声が、突如背後から鼓膜をなぞり、私の思考を遮った。

 流石に考え事をしていたとはいえ、易々と背後を取らせるほど私の感覚は鈍っていない。少なくとも、声が聞こえるその時まで彼女の気配は微塵も無かった。文字通り、何の前触れも無く現れたのだ。

 

「おっと、動かない動かない。そのままじっとしてなさい。フリーズよフリーズ」

 

 振り返ろうとしたが、何か棒状の物を背中へ押し付けられ、行動を制限されてしまう。

 どうやら武器の類か何からしい。抵抗すれば状況を拗らせかねないと判断した私は、両手を挙げて素直に従う事にした。

 

「見知らぬ女性よ、どうか落ち着いて欲しい。私は決して君に害成す者では無い」

「ならせめて、名前くらいは教えて下さらない?」

 

 あと、どうしてこんな所に一人うろついていたのか――女性は私へ問いかけた。

 次いで、応じる。

 

「私はナハト。つい最近地上を追放された、ただの情けない吸血鬼さ。ここに来たのは、青娥娘々なる人物にちょっと尋ねたい話があったからだ」

「新参さんなのに、何故その青娥娘々がここに居ると分かったの?」

「星熊勇儀と言う、鬼の少女から聞いたんだ。ここで青娥娘々がいるだろうとね」

「……ふーん?」

 

 どうやら脳内審議中らしい。これでもファーストコミュニケーションとしては穏やかな方なので、穏便に事が運ぶよう祈りつつ待機する。

 やがて結論が出たのか、背中の圧力がふわりと消えた。

 

「振り返っていいわよ」

「ありがとう」

 

 言われた通り、背後を向く。

 そこにはワンビースと天女の衣を合わせた様な衣装に身を包む青い髪の少女が、いつの間にかぽっかりと空いた地面の穴の上をふよふよと浮かんでいた。

 頭頂部は稚児髷と呼ばれる∞の形に結われており、髪を止める簪の代わりなのか、絢爛な装飾が施された(のみ)が刺さっている。瞳の色は瑠璃よりも深い青に染まっており、どこか吸い込まれそうな雰囲気があった。

 ふーむ。薄暗い中でもその輝きを失わない青い髪に特徴的なヘアースタイルに中国伝承を彷彿させるその出で立ちは、勇儀の言っていた人物像と完全に一致している。この少女が私の探していた人物なのだろう。

 

 直球で、彼女へ問う。

 

「君が青娥娘々かい?」

「はいはい、私が娘々です。フルネームは霍青娥。娘々でも青娥でも、気軽にお呼びくださいな~」

 

 まるで陽だまり溢れる温かな団地で交わす様な笑顔を浮かべ、にこやかに自己紹介を行う仙人少女。

 一見すると非常にフレンドリーな人物に写るのだが、眼が全く笑っていなかった。永夜の晩に会合した時の幽々子の様である。警戒心を完全に紐解けていないのは明白だ。

 

「それで、私に聞きたい事とは一体何でしょう?」

 

 けれどそれに反して、屈託のない声色で青娥は問う。

 私は言葉を選びつつ、ゆっくりと舌を動かした。

 

「私は故あって交霊術に長けた人物を探しているんだ。話を聞くに、君は死霊を操る術を得意とする仙人らしいね」

「えぇ、まぁ。それに限らず一通りの仙術は体得しておりますわ」

「では、そんな君に一つ聞きたい。怨霊を操作媒体として寄生させ、その宿主を精密にコントールする事は可能なのだろうか?」

 

 ぱちぱちと、青娥は数回瞬きをして。

 質問の意味を噛み砕き終えると、そっと頬へ手を当てた。

 

「それって……憑依かしら? うーん、出来ない事はないわね。でも生きてるにせよ死んでるにせよ、操るには精密とは絶対にいきません。精々ゾンビみたいにノロノロ動かすくらいしか」

「それは、原則としてどの様な技術でも?」

「そうねぇ。怨霊を媒体にしてその魂魄越しに操るだなんて、無駄が多すぎますもの。わざわざマリオネットの操り糸を、偶然道端に落ちていたよく分からない操作盤へ繋げて、更にその操作盤を人形へ取り着けて扱う事なんてまず無いでしょう? それをするくらいなら、素直に糸を人形に繋げた方が手っ取り早いわ」

 

 ……警戒しているであろう私に対し、ここまでスラスラ喋ってくれたのは予想外だったが、さておき。どうやら今の発言に嘘はない様子だ。

 

 解釈するに、操る事は可能だが精密な動作は難しく、それよりも本人が直接操った方が明らかに手っ取り早いと言う事か。妖術であれ仙術であれ魔術であれ、そしてそれが東の流派であれ西の流派であれ、術だけを頼りにあのような演技を披露出来るほど制御するのは至難を極めるのだろう。

 私に対してこうも平常を保っていられる所から見て、彼女は相当手練れな仙人と推測出来るが、そんな青娥でさえ難しいとくれば、最早不可能だと太鼓判を押されたも同然では無いだろうか?

 

 しかし、だとすれば今までの事実と矛盾している。小悪魔は確かに怨霊を媒体として操られていたのだ。彼女曰く、非効率かつほぼ実現不可能な技術によって。

 

 ……あまりに安直な考えだが、つまり黒幕は、青娥を超える程の手練れになるのだろうか? 

 確かに、あの紫に僅かしか痕跡を辿らせない隠蔽能力は目を見張るものがある。私の解析能力をもってしても、小悪魔に憑いていた怨霊から掴めた手掛かりは、霞程度のものでしかない。だが私はさておき、数多の妖怪の中でも間違いなく最高峰の力を持つあの紫を超える存在が、果たして幻想郷に存在するのだろうか? それも私に恨みを持つと言う、ある種極めて限定的な要素も併せ持っている輩が。

 

 壁を一つ乗り越えたと思ったら、また大きな壁が目の前に現れたかの様な錯覚が、私を襲った。

 

「ねぇねぇ、吸血鬼の旦那さん。私もちょっと質問しても良い?」

「っと、すまない。なんだい?」

 

 青娥の声で意識を引き戻される。参ったな。最近はどうも耄碌しているらしい。

 彼女はまるで貴金属の鑑定士の様な目付きで私を眺めつつ、薄いグロスが照る唇を動かしていく。私は彼女から語られる言葉へ耳を傾けた。

 

「私も探している人がいるの。このくらいの背をしていて、帽子がトレードマークな可愛いキョンシーよ」

「キョンシーか。残念ながら見た覚えはないな。なにしろ、この荒れ墓地に来て出会ったのは君が初めてだからね」

「あら……そうですか。うぅ、何処へ行ってしまったのかしら。私の可愛い芳香ちゃん」

 

 肩を落とし、うつむき、みるみるしょんぼりしていく青娥。

 

 ふむ。キョンシーとは確か、大陸発祥の歩く屍妖怪だったか。この落ち込みようから察するに余程大事な人物か、情の移ったキョンシーなのだろう。仙人がキョンシーに愛着を持つというのは、中々耳にしない例ではあるが。

 

 青娥は落胆の姿勢を崩さぬまま、そのままふよふよと、まるで風船の様にゆっくり上昇し始めた。どうやら去るつもりらしい。急に浮かび始めたので少々驚いたが、さとりと言い、地底の住人は基本マイペースなのだろうか? 

 

 ……しかし、ふーむ。事前情報無しに私を見ても取り乱さなかった事と言い、いやに親切な対応と言い、なんとも不思議で例外的な仙人である。願わくば、事件が全て解決した暁に再度会ってみたいもの――――

 

「あっ、そうそう! 忘れてたわっ」

 

 と、私が再会を願いつつ立ち去ろうとした、その時だった。

 ヒュンッと鋭い風切り音を纏いながら、青娥が猛スピードで舞い戻って来たのである。

 予想だにしなかった行動を前に呆気に取られていると、彼女は懐から素早く何かを取り出し、有無を言わせず私の手へ捩じりこんだ。

 目を下へ向ければ、名刺がちょこんと鎮座している。自画像(イラスト)付きで、青娥娘々とポップに名前が綴られていた。

 初めて貰った名刺のインパクトもあってか、私は彼女がまるで相当な場数を踏んだキャリアウーマンか何かに見えてしまった。それ程までに、今の所作は流れる様な工程だったのである。 

 

「改めまして、(わたくし)、名前を霍青娥と申します」

 

 にっこりと、青娥はまるで極上の玩具を見つけた子供のように笑顔を輝かせながら、

 

「私、これでも人を導くのが得意な仙人なのです。特に素晴らしいポテンシャルを秘めた方を見つけると、つい疼いてしまうのですわ」

 

 何故か、再び自己紹介をされた。

 急な展開に、表情が曖昧になっていく感覚があった。

 

「う、うむ」

「あなた、ただの妖怪じゃあないでしょう? 地獄の鬼神長すら欺くこの青娥が体の芯から凍えそうになるほどの恐怖を感じる妖怪なんて、滅多にお目にかかれるものじゃないですもの」

「いや、私は諸事情あって人に恐れをばら撒いてしまうだけで――」

「まったくもって素晴らしい! その資質を、この手で昇華して差し上げたいほどに!」

 

 ……何だ?

 彼女、どこか様子がおかしいぞ。

 

「吸血鬼の旦那さん、あなたは間違いなく魔王になれる逸材ですわ。いえ、貫禄からして既に魔王の身なのかしら? でもでも、地上を追放されちゃったという事はつまり、一度敗北の苦味を味わった身の上なのよね。ならば! まだまだ伸び代は十分残っているって訳よねっ。そうと来れば話は早い。この青娥さんに任せなさい! あなたに我が仙道の極意と知恵を授け、再び地上へ返り咲かせてあげましょう。私ならそれを叶えられるわっ」

「少し落ち着いてくれ」

「今のあなたは、例えるなら翼を捥がれた鷲の様なもの。しかし私が強い翼を与えれば、あなたは間違いなく、夜空を支配する覇者と成りましょう。欲望のままに、名誉も富も権力も、全てがあなたの掌へ収まる事となりましょう!」

「待て、全く話が見えてこない」

「この青娥、才を見抜く眼力には自信がありましてよ!」

 

 まさしく自信満々と言ったように、青娥は勢いよく胸を叩く。

 次に彼女は両腕を大きく広げると、私へ締めの言葉を投げ放った。

 

「さぁ、漆黒の覇気を纏う吸血鬼さん。私と共に大魔王の道を駆け上がり、その手に世界を掴んではみませんかっ!?」

「ははは。断る」

 

 あまりの剣幕で捲し立てられたせいか、反射的に突き放す言葉を出してしまった。いや、それで正解なのだろうが、しかし。何だこの少女は? 令嬢のように淑やかな立ち振る舞いをどこかの穴ぐらへ放り投げたとでも言わんばかりに鼻息を荒くしながら、ギラギラとした眼で迫って来るでは無いか。

 

 だが、この盲目的な瞳には見覚えがある。

 

 あまりに久しくて忘れていたが、どうやら我が瘴気によって狂信寄りの影響を受けてしまっているらしい。たまに出会うのだ。魔性の恐怖が妙なベクトルへ働いて、私を異常に過大評価してしまう者が。

 しかも大抵の場合、そんな者達は恐怖と興奮で麻痺した思考をフル稼働させ、こちらの想像を遥かに凌駕するぶっ飛んだ結論の元に行動する。なので、ある意味怯えられるより数段厄介な事態となってしまう。

 目の前の光景が、まさにそれである。

 

「すまないが、君の提案に乗る事は出来ない。こう見えて平和主義者でね、争いなんてもっての外なん――」

「あらあらまぁまぁ、そんなに強い波動をお持ちなのに、絶対強者の味を知らないとは! 征服者としては童貞の身でありましたか。うふふ。ではでは私が未だ知らない蜜の味を教えて差し上げましょう。蹂躙がもたらす蠱惑的で抗いようのない甘美は、一度味わうと病みつきになるのですよ?」

「いやいや、そういう話ではなくてだな。悪いがこの話は無かったと考えてく――」

「大丈夫、怖がらないでくださいまし。不安は私が全て取り払ってさしあげます。だから、そう。あなたは頷いてくれるだけで良い。私の言葉を辿ってくれるだけで良い。たったそれだけで、あなたの覇道はこの青娥娘々の名の下に約束されるのです!」

 

 ……駄目だ。まるで話が通じない。そもそも聞いてすらもらえない。

 過去、紅魔館に在住していた吸血鬼の中には私を神聖視しているかの如き素振りを見せた者は居たが、この様な勧誘をしてきた者は居なかった。スカーレット卿が私を紅魔館へ招いた例はあれども、あれはただ私と言うパッと見核爆弾な吸血鬼を引き入れることで、私の無力化と勢力の拡大を狙った算段があっての行動である。

 私は初めての強迫的な勧誘を前に、柄にも無く混乱してしまった。

 

 結果。

 

「――失礼する」

「あぁんっ」

 

 文字通り脱兎と化す。それ以外に選択肢など存在しなかった。

 魔力で強化した脚力を使い、全力の離脱を図る。遠ざかっていく背後から『気が向いたらいつでも訪ねてくださいな~!』と聞こえた気がしたが、構わず足を動かし続けた。

 

 魔性の影響さえなければ何とも魅力的な別れ言葉だけに、大層複雑な気持ちになる。

 全くもって、是非も無し。

 

 

 幻想郷の冬は早い。

 それこそ実りの季節なんてものは本当にあっという間で、ちょっと前まであたり一面を紅葉が覆っていたかと思えば、気づいたころには厳しい寒さを乗り越えるべく余分な要素を全て取り去った枯れ木が立ち並ぶ殺風景にすり替わっている程だ。

 今年も例年に漏れず、やはり冬の到来は早かった。魔法の森には既に雪が積もり始めており、それが銀の絨毯となって、閑散とした枯れ木街道を飾っている。流石にこの季節ばかりは、お化けキノコたちも鳴りを潜めている様だ。

 そんな森を歩くのは、いつもの紅白衣装に細やかながら防寒具を付け足した博麗霊夢と、反対にばっちり着込んでいるアリス・マーガトロイドのコンビである。

 

「くちっ。んーもうすっかり冷え込む時期に入っちゃったわねー。こんなだとワンシーズンずっと神社に引き籠っちゃいたくなるへくちっ! うぅー、さむっ」

「そりゃあこんな日まで腋なんか晒してたら寒いに決まってるじゃないの。見てるこっちが凍えちゃいそうだわ」

「うっさいわね、これが正装なんだから仕方ないでしょ。私だって好きでこんな恰好してる訳じゃないっての。あ、でもほらちゃんと冬仕様にしてし、大丈夫だもん」

「……マフラー一枚上乗せしただけで寒さ対策万全だと? あなたは人間なんだからもうちょっと気をつける事を覚えなさい、お馬鹿」

「七色魔法莫迦に馬鹿って言われた……死にたい……」

「あらぁ、そんな事言っちゃうの? じゃあこの予備に持ってきたもっふもふな羽織は貸してあげないけどそれで良いのね? あーあ、こんなにモフモフあったかなのになー、あーあ」

「ちょっ、アリスごめんって私が馬鹿だったからお願いそれ貸して本当はすっごく寒いの!」

 

 目指す先はお互い一致している。だからと言うべきか、軽口を叩きながらも仲良く歩を進める巫女と魔法使いである。もちろん動物に害を及ぼす胞子などまるで眼中に無しだ。いやそもそも、この二人が胞子云々の対策をしていないはずが無いのは、今更と言ったところか。

 

「おっふ……これはぬくぬく」

「ふふ、見事に顔だらけさせちゃってまぁ。でも本当にマフラーしか無かったの? 去年はもっといっぱい着てたような気がするんだけど」

「いやー……今丁度霖之助さんに冬服を仕立てて貰ってるんだけど、取りに行くのめんどくさくってさぁー……」

「何というぐうたら巫女……紫や店主の苦労が今なら分かる気がするわ」

 

 白い溜息が空気へ溶け込む。しかし霊夢は我関せずとばかりにアリス特性ダウンジャケットで温まっていた。さりげなく付いているフードの存在がアリスの仕事人気質を伺わせる。

 因みに、何故予備を持ち歩いているのかと聞かれれば、それはこの展開を半ば予測していたからに他ならない。かなり適当な性格をしている霊夢はこのくらいの寒さだったら碌に対策しないだろうなぁと、変な勘のようなものが働いて、神社へ向かう前に自宅から引っ張り出して来たのだ。どうやら面倒見のいい性格らしい。

 

「ところでさ、魔理沙の家ってまだなの? 私、冬はあんまりアイツの家に行った事無いから雪のせいで方向感覚無いのよね」

「……あなた、それでよく魔理沙の様子を見に行こうとしたわね。もし私が神社に来なかったらどうするつもりだったの?」

「きっと博麗の流儀にのっとって、木の棒が倒れた方向を目印に向かっていたわ」

「それで本当に辿り着けそうだから霊夢怖いわ……。っと、あの子の家は直ぐそこよ。ほら、もう煙突が見えてる」

「あ、ホントだ。木に隠れて気付かなかった」

 

 そう、この二人は別に気紛れに従って魔法の森を散策していた訳では無い。向かう場所が同じだからこそ、歩みを共にしていたのだ。

 そして件の目的地こそが、すっかり雪に覆われた霧雨魔理沙の邸宅だった。

 

 ――事の発端は数週間ほど前に遡る。当時幻想郷ではちょっとした騒ぎが起こっていて、その騒動の中心に霧雨魔理沙が関わっていた。だが彼女は騒動の最中、突然不審な行動を示し始め、紆余曲折を経て霊夢に撃墜される事となったのだ。

 魔理沙の挙動が怪しくなった原因は、事件の中核を担っていた一人の大妖怪――吸血鬼ナハトの邪気をモロに浴び、精神の波長が掻き乱された為だと守矢の祭神は言った。事実それは正しく、早苗いわく治療後は本当に健康体となって神社を飛び去って行ったらしい。

 こうして霧雨魔理沙の関わった事件は、中規模の異変として一旦片づけられたのである。

 

 だがその事件以降、魔理沙は全く姿を見せなくなったのだ。一日一回……いや、少なくとも二日に一度は神社へ顔を見せに来る、あの活発な魔法使いが。

 それを霊夢は訝しんだ。持ち前の直感と今までに無い魔理沙の行動から、もしや魔理沙の身に何かあったのではないかと――あの事件が、あれで終わっていなかったのではないかと疑惑の念を持ち、思い立ったが吉日と言わんばかりに即行動へ移ったのである。

 

 そんな時、丁度良く神社へやって来たのがアリスだった。彼女も暫く魔理沙の姿を見ておらず、霊夢の所へ所在を訪ねに来たところだったのだ。なんでも貸した魔導書の返却期限を過ぎているらしく、一先ず直接家へ尋ねたのだが、しかし留守だったので神社へ足を運んだのだとか。

 後は言わずもがな、アリスをお供に加えて今に至ると言う訳だ。

 

「さっきも言ったけど、魔理沙は家に居なかったわよ? それでもいいの?」

「居留守の可能性もあるじゃない。もしくはタイミング悪く寝てたり外出してたりとかさ。アンタも家の中にまで入った訳じゃあ無いんでしょ?」

「まぁ、そうだけど」

「だから入って確かめるの。さ、行くわよ」

 

 霊夢は歩幅を大きくし、一直線に霧雨魔法店へと突き進む。アリスもまた霊夢に続こうとして歩き出すが、しかし何かを見つけたように進行をピタリとやめた。

 彼女の視線の先には、物干し用のロープがあった。魔理沙の家から伸びるそれには、魔理沙のものと思わしき衣服がかかっている。

 洗濯物には、()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………」

「ちょっとアリス、なにボーっとしてんのー?」

「ん。今行く」

 

 名を呼ばれ、アリスは霊夢の元へと急ぐ。

 どうやら鍵が掛かっていて中に入れないらしい。当然である。故に霊夢はアリスに鍵を開けてくれと頼んだ。

 アリスは細い魔力糸を操り、繊細な動作で鍵穴へと通していく。カチャリと音が聞こえるとすかさず霊夢はノブを掴み、勢いよくドアをこじ開けた。

 

「まーりさー! お邪魔するわ――――」

「ん? 霊夢じゃないか。それにアリスも。どうしたんだ急に」

「――よ……?」

 

 居た。

 紅茶と思わしき薄紅色の液体が入ったポットを片手に持つ古風な魔法使いが、奥の居間から何食わぬ顔で、あっさりと出て来たのだ。

 

 数週間顔を見なかった事実とアリスによる留守情報が重なっていた霊夢としては、かなり面を食らう展開だった。まさか普通に生活していて、さも日常の様に出迎えられるとは露程も思わなかったのである。

 そして、それはアリスも例外ではない。困惑の表情が彼女の心情を如実に物語っていた。

 

「あら? なによ魔理沙、全然普通じゃないの」

「おう、こちとら普通がウリの魔法使いだぜ。それより何だ揃いも揃って、宗教勧誘なら全部断ってるからな。あ、新聞もノーセンキューだぞ」

「んな訳ないでしょ。あの日以来アンタが全然神社に来ないから、様子を見に来てやったのよ。アリスはアンタに貸した本を返して欲しいんだってさ」

 

 けど心配して損したわ、と肩を竦める霊夢。魔理沙は愉快そうにコロコロと笑った

 

「そりゃすまんかったな。ここの所ずっと魔法の研究で忙しくて、外出する暇すら無かったんだよ。アリスも悪かったなぁ、引き籠ってるとどうも時間の感覚が無くなっちまうんだ」

「返してくれさえすればいいのよ。そうすれば何も文句は言わないわ」

「はは、助かる。まぁそれはさておき、立ち話もなんだから上がってくれよ。丁度紅茶も入ったし、そろそろクッキーも焼けるんだぜ?」

 

 ジャスチャーを交えつつ、魔理沙は二人に入るよう促した。寒空の下を歩いていた二人にとって、温かい紅茶の休憩は砂漠の長旅で巡り合えたオアシスの様なものである。いそいそと家へ上がり込み、特に霊夢はルンルン気分で居間へと直行した。

 

 招かれるまま客間の椅子へ腰かけ、霊夢はぐでっとテーブルに上体を投げ出す。

 

「あぁ~おうちって暖かいわぁ。生き返る……」

「こら、だらしない真似しないの。……ところで魔理沙、何で私が来た時には出てくれなかったの?」

「いやぁ、すまんすまん。最近二階へ研究に必要なものを全部移してな、そこでずっと熱中してたもんだから、全く気付かなかったんだ。証拠にホラ、リビングは綺麗になっただろう?」

 

 言われて、二人は周囲を見渡した。

 魔理沙が自慢げに胸を張る通り、確かに清掃されてある。別にゴミ屋敷の様に荒れていた訳では無いのだが、それでも魔法使いと言う半ば研究職の様な存在を目指している魔理沙の家は、そこかしこに魔導書やらフラスコやら魔法素材の詰まった袋やらその他色々なガラクタが乱雑していて、お世辞にも綺麗な家とは言い難かった。

 それが今では見る影もなく、綺麗さっぱり整理整頓されているのである。

 

 しかし以前訪れた時は結構散らかっていただけに、それらを一挙に引き受けさせられただろう二階の惨状を想像して、アリスは思わず戦慄を覚えそうになった。

 

「ほい、お待たせ。魔理沙さん特製のティータイムセットだぜ」

 

 運ばれて来た紅茶とクッキーの匂いに意識を引き戻され、アリスは我へと返る。

 霊夢は百万ワットの笑顔をぱぁっと咲かせると、まるで小動物の様に素早くクッキーを手に取った。雪模様の外を薄着で来た霊夢にとって、焼きたてのお菓子に勝る優先事項は今のところ無いらしい。

 その様子を苦笑しつつ、魔理沙はカップを煽いだ。

 

「こりゃ大目に作ってて正解だったなぁ。齧歯類並みに食いだめされてるぜ」

はんはの(あんたの)おはひふぁ(お菓子が)おいひい(美味しい)ほあ(のが)ふぁふい(わるい)

「あはは。博麗の巫女お墨付きのブランドゲットだな」

「こら、口に物を入れたまま喋らない」

 

 アリスにハンカチで口元を拭われつつも、その表情は笑顔のままである。

 感情豊かながらも普段はどこかクールな印象の強い霊夢も、おやつ時にはすっかり年相応な子供になる。あまりに幸せそうに食べるので、実はそれを見て気を良くした様々な者達が博麗神社に結構な差し入れを持ってくるのだが、当の本人はその裏事情を知らない。

 

 魔理沙はカップの中身を飲み干すと席を立ち、直ぐ傍にある本棚から数冊の本を取り出した。どうやらアリスから借りていた品物の様子である。

 少女は手に取った本をアリスの前に重ねると、

 

「これで借りていたのは全部だよな? 一応確認してくれ」

「はいはい……ん、大丈夫よ」

「そうか。ありがとなー、お蔭で色々と勉強になったぜ。特に身体強化に関する魔法の文献は――」

「ちょっと待って魔理沙。あなた、身体強化魔法って、もしかしてこれ全部読んだの?」

「? ……変な事を聞くなぁ、本は読むものだろ? 流石の私でもそれくらい知ってるぞー」

 

 

 ――アリスがこの様な疑問の声を上げたのには理由がある。

 それは、魔理沙がこの魔導書を()()()()()事に他ならない。

 

 魔導書とは、主に魔法使いが記した魔法に関する文献の事である。その種類は千差万別であり、ごく初歩的な魔法の触りのみが記されただけの物もあれば、中にはその本自体が一個の禁術として機能している様な、特大級の危険文書までと様々だ。

 そんなグリモワールは、当然種類も本の数だけ在ると言って良いだろう。

 ただし、それは内容の話ではない。本を読み解くための()()である。

 

 魔導書には、稀に内容を解読するのに『資格』を必要とする場合があるのだ。

 

 この場における『資格』とは、読み手の魔法使いとしての実力を指す。魔法知識や経験値、魔力量、魔力耐性、そして魔力の使用方法を如何に理解しているかが『資格』となるのだ。それらの要素は読み手に魔を見通す眼力――俗に言う魔眼や霊視――を与え、隠された文章を読み解かせるのである。

 

 端的に説明するならば、実力不足の者にアリスが渡した本の全ては読み解けない。本を開いても、それは白紙としてしか視界に写らない。

 故に、アリスは魔理沙が本を読めた事実を訝しんだ。

 

「…………」

 

 アリスが魔理沙へ貸した本こそ、まさに『資格』を必要とする本である。それも後編へ行くにしたがって『資格』の位は上がって行き、最後まで解読するには上級魔法使い以上の実力者でなくてはならないのだ。

 

 確かに霧雨魔理沙は天才的だ。長年魔法使いをやっているアリスもそれを認めている。彼女の努力とそれを結果に繋ぐ力、行動力、精神力は並のものでは無いだろう。全てを直感でこなす博麗霊夢とは全く違うベクトルだが、ある種の天才だと誇れる人材に間違いはない。

 しかし彼女は、魔法使いとしての経験値が絶対的に足りていない。こればかりはどうしようもないのだ。半世紀も生きていない少女が上級魔法使い以上の経験値を獲得するなど、どう足掻いても有り得ないのだから。

 

「本当に読めたの?」

「ああ、ちゃんとこの目で読んだよ」

「……この本、前編はそこそこの実力さえあれば読めるんだけど、後編からは魔眼クラスの眼力が無いと読めないカモフラージュが著者から掛けられているの」

「あん?」

「どうやって読んだの? 気を悪くしないでほしいのだけど、今の魔理沙にはこれを全て読み解けると思えない」

 

 アリスの疑問に、パチパチと魔理沙は瞬きをして。

 ああ何だそんな事か、と手を頭の後ろへ組んで悪戯っ子のように笑った。

 

「別に私一人で読んだとは言ってないぞ。助っ人に解読を頼んだんだよ」

「助っ人?」

「おう、超凄腕の助っ人さ。今はちょいと都合が悪くて会わせられないが、何時かアリスにも紹介するよ」

「それは……是非一度、直接お話してみたいわね」

 

 アリスの知る限り、幻想郷に居る高レベルの魔法使いは今のところパチュリー・ノーレッジだけだ。もし他に魔法使いが居るならば是非顔を見ておきたい。その人物がどんな魔法を専攻としているのか、どんな経緯で魔理沙と知り合ったのかが、アリスの興味を強く引いたのだ。

 

「ねぇ魔理沙、これなに?」

 

 ふと。暇を持て余していた霊夢が徐に声を上げた。察するに、どこからか何かを見つけてきたようである。

 二人の視線が霊夢の元へ集中する。

 彼女は何かを明かりに透かせながら眺めていた。よく見ると、紅白巫女の手には小さな小瓶が握られている。ガラス製なのか透明で、肌色をした粘質の強い液体が詰まっていた。 

 

 アリスはそれを見て、直ぐに正体を理解した。

 何てことは無い。ただの化粧道具である。『外』の世界でリキッドファンデーションと呼ばれる代物が当て嵌まるだろう。主に顔のシミや毛穴などを隠すために使う道具である。

 

 まぁ、霊夢が知らないのも無理はない。彼女は基本、化粧なんてしないからだ。興味が無いのは言わずもがな、元々幻想郷には舞台に立つ役者用と冠婚葬祭用くらいしか化粧道具は普及しておらず、そもそも霊夢はまだ化粧を必要としない年齢である。

 しかしそれを踏まえると、少しばかり不思議な部分が浮かび上がってくる。入手経路の事ではない。大方、多種多様過ぎる品物が商品棚に並んでいる事で有名な香霖堂から盗ったもとい買ったのだろう。

 

 不思議なのは、霊夢とそう年齢に差は無い筈の魔理沙が何故こんなものを持っているのか、という点だ。

 

 アリスの知る限り、霊夢と同じく魔理沙が化粧を嗜んでいた記憶は無い。二人とも化粧に頼らずとも映える顔立ちをしていると言った理由もあるのかもしれないが、揃いも揃って細かい部分を気にしない大雑把コンビなので、意識自体が希薄なのである。

 だからこそ、そのリキッドファンデーションがここにある事が、アリスには少しだけ不思議だった。彼女がお洒落に目覚めただけならば、何も不思議では無いのだが。

 

 当の魔理沙はと言うと、手をひらひらと振りながら乾いた笑い声を漏らし、

 

「そりゃただの化粧道具だよ。香霖とこで買ったんだ」

「へぇ~。アンタ、化粧なんてしてたのね」

「これでも魔理沙さんは華の乙女だからな、美容にはそれなりに気を使ってる――なんてのは、勿論冗談だぜ。単に最近寝てなくて隈が酷いんだ。毎度毎度鏡で見せつけられるのもなんか滅入るからさ、それを隠すために……な」

 

 そうなの、と霊夢は生返事を返しつつ、魔理沙の元へ詰め寄った。化粧がどうなっているのか興味があるらしく、ずいずいと顔を近づけていく。

 確かに、注視すれば目元だけ肌の色が違う。それに白目も若干充血気味だ。寝不足というのは本当らしい。

 

「お、おい。顔が近いぞ」

「……」

「あのー、霊夢さん? あんまり近くに寄られると、その、なんだ。あーもう化粧が気になるならコレ貸してやるからさ、早く退いてく――」

「魔理沙」

「あん?」

「アンタ、何か隠してない?」

 

 霊夢の謎を孕んだ問いに、居間へ空白の時間が訪れた。

 質問内容を理解するまで、魔理沙は微動だに動かなかった。動けなかったのかもしれない。

 

「隠すも何も、全部喋っただろ? ここの所、四六時中ずっと沸いたアイディアを実現させるために引き籠ってたんだって。研究に没頭し過ぎて風呂もロクに入れてないくらいなんだぜ? さぁ分かったらとっとと離れてくれ。お前から匂うとか指摘された日にゃ流石の私も没落した王朝の如く落ち込む自信があるぞ」

「ふーん……アンタがそういうなら、まぁ良いけどさ」

 

 納得したのか、保留としたのか。霊夢は魔理沙から離れると、テーブルに寄りかけていたお祓い棒を手に取った。どうやら帰宅するらしい。

 

「研究も大事かもしれないけど、あんまり無茶しないようにね。体は資本よ。壊しちゃ世話ないわ」

「そうだな。肝に銘じとくぜ」

 

 じゃあ久しぶりに寝るとするか、と魔理沙は大きく伸びをした。その言葉に満足したらしい霊夢は、ご馳走様と魔理沙へ手を合わせ、

 

「様子見も済んだし、私たちは帰るわ。早くゆっくり休みなさいね」

「そうする。わざわざありがとなー、二人とも」

「今度、疲労に効く魔法薬を調合して持って来ましょうか? ルナティック苦いけど効果覿面よ」

「うへぇ、苦いの嫌だぜ。私、コーヒーはミルクたっぷり砂糖どさどさ派なんだよう」

 

 魔理沙の意見も虚しく、苦情だってどこ吹く風なアリスは、もう魔理沙に薬を届ける算段を立ててしまったのか、材料らしき名前を呟きながら手帳にメモを記し始めた。その様子を見て、魔理沙はとても曖昧な表情を浮かべて固まってしまう。

 霊夢は思わず笑ってしまった。

 

「それじゃあ、また日を開けて来るわ。その時はゆっくりお茶しましょ」

「完成したらその魔法、ちょっと見せてね。貴女がどれくらい成長したのか気になるし」

「おう、その機会を楽しみにしてるよ」

「……ああ、言い忘れてた。外、洗濯物干しっ放しで雪積もってたわよ。取り込んだ方が良いんじゃない?」

「え……ま、マジかよ! あー、畜生また洗い直しか。後で回収しとくぜ、サンキューなアリス」

 

 そうして軽く手を振りながら、両者は互いに別れを告げた。

 パタンと居間のドアが閉じる音がした後は、静寂のみが空間を漂う。

 

 ふりふりと振られていた魔理沙の手が止まり、ゆっくりと降ろされて。

 

「けどまぁ、もう日を開ける必要なんて無いんだけどな」

 

 誰も居ない部屋の中で、誰にも聞こえない声量で、霧雨魔理沙はポツリと零した。

 

 

「……追って来ないのは幸いだったな。さとりとの約束を破りかねん」

 

 旧都外れの荒れ地から逃げ帰り、地霊殿の廊下まで来て、ようやく一息。

 どうやら青娥は私の扱いを一旦保留にしてくれたらしい。彼女が蛇の様な女性じゃなくて助かった。本当に執拗な者は信じられないくらい執念深く追って来るものだから、中々気が休まらないのである。

 

 一先ず、もう大丈夫だろう。後は自室へ戻り、転送した浄化済みの怨霊たちを再調査して今日を終えるとしようか。

 紅魔館に負けず劣らずの長い廊下を独り歩きつつ、青娥との会合で得られた情報を頭の中で整理していく。

 

 彼女がもたらした新たな情報は、今後の調査でとても役立つキーワードばかりだった。特に『術者が怨霊を間接媒体として他人を操る事はほぼ不可能に近い』と知れたのは大きい。今まで凝り固まっていた視野を打ち砕き、新しい可能性を開拓できる。

 

 まず、今までの要点を纏めてみよう。

 

 一つ。黒幕は怨霊を媒体として他者を精密に操っている。それも小悪魔に限った話ではなく、幻想郷には他にも魂を植え付けられた者がいる可能性がある。

 二つ。怨霊(ばいたい)には、西洋の交霊魔法らしき痕跡が残されていた。

 三つ。しかし青娥曰く、術の実現は不可能に近い。

 四つ。黒幕は私へ明確な悪意を持つ者である。

 五つ。黒幕は手練れ揃いの紅魔館へ手掛かり一つ残さず忍び込み、小悪魔へ気付かれずに怨霊を植え付けられるほど、気配遮断能力に長けている。

 六つ。黒幕は咲夜によって拡張されている紅魔館でも迷わず、どころか私から逃げ切れたほど、屋敷の構造に精通する者である。

 

「……不自然な程に、一貫性が無いな」

 

 あまりに矛盾が多すぎる。不可能な筈である術を可能にしているのは言わずもがな、身内でしか分からない情報を持っているのに手掛かりが外部からの干渉しか残されていないと来た。

 難解だ。まるで糸口が掴めない。条件は相当絞り込めているのに、該当する人物がまるで姿を現してこない。

 このままでは永遠に答えなど見えてきそうにないとさえ思えてくる。そう判断した私は、今までの情報を()()させて整理する事にした。

 

 例えば、一つ目の矛盾。不可能な術を可能にしている点だ。

 媒体代わりの怨霊を寄生させた宿主を操る高度な技術である。しかし欠点として、これは他人の体を精密にコントロール出来るものでは無い。せいぜい緩慢な動きを再現する程度なのだそうだ。

 この魔法における怨霊は、俗な例えだがコントローラーの役割を果たしていると言っていい。小悪魔の例で例えるならば、そのコントローラーを小悪魔の魂と言うハードに差し込み、小悪魔(アバター)を操っていたのだ。

 しかしどのボタンがどの動きをするのか分からなければ、正確に操作など出来やしない。当然だ。何故なら人によってスイッチの位置も種類も違うからだ。例え操作に慣れたとしても、それは精密な操作とはいかない。だから不可能なのだろう。

 

 では、この欠点を克服する方法は何だろうか?

 

 例えば、そう。黒幕は怨霊(・・)越し(・・)に操っていたのではなく、()()()()()怨霊だったイフの想像を。

 即ち、黒幕が小悪魔(アバター)と同化していた可能性を。

 

「……ん?」

 

 物思いに耽っていた、その時だ。ふとした拍子に何やら視界の端へ違和感を感じて、私は顎から手を離した。

 眼を動かし、違和感の正体を探る。

 そこには、この地霊殿にある筈の無い物体が鎮座していた。

 

「これは」

 

 急ぎ足で駆け寄り、()()を拾い上げる。

 白色に近い、うっすらとした桃色の生地。周りにぐるりと纏わりつく鮮やかな赤のリボン。ふんわりとした丸みのあるフォルム。

 見間違えるはずもない。どこからどう見てもレミリアのナイトキャップである。

 

「どうしてあの子の帽子が……?」

 

 レミリアの帽子は確か、咲夜がオリジナルで仕立て上げた唯一無二の代物だ。ましてやここは地獄の最果て。この帽子が市販などされているわけが無い。

 では何故ここに帽子があるのだ? 風が運んできたと言うには、あまりに無理のある状況だ。

 

「……そう言えば、この前帽子が無くなったと言っていたな」

 

 地底へ追放される前の日々を、出来うる限り思い起こしていく。

 確か、咲夜やレミリアがげんなりとした様子でボヤいていた記憶がある。咲夜の服やレミリアの帽子を始め、食器に図書館の本など、実に様々な物が無くなっていると。かく言う私自身も、服を一式無くしていたのだけれど。

 

 さておき。以前、フランドールが友人たちと館の物を隠す悪戯をした事があった。その前科もあってか、今回もフランが咲夜にこってり絞られていたのを覚えている。

 しかし幾ら尋問しても無くなったものは終ぞ戻らなかったため、レミリア達はフランではなくルーミアや妖精の友人が悪戯をしたのだろうと結論付け、フランに取り返してくるよう命じていたのだったか。

 

 

 

「いや、ちょっと待て」

 

 

 脳裏で閃光が瞬いた感覚があった。

 難問を紐解く答えの糸口を見つけたかのような、鮮烈な感覚。私はその閃きに導かれるまま、思考速度を著しく引き上げた。

 過去の記憶を掘削するが如く掘り返していく。かつて私が感じた小さな違和感全てをピックアップし、とことん洗い出していく。

 

 やがて、それは探り当てられた。

 

 私が四年振りに目を覚まして直ぐの事だ。私が復活したことが館に知れ渡り、レミリアやフラン、パチュリーとの会話が一通り済んだ後、咲夜から呼び止められたことがあった。

 その時彼女は、四年の歳月を経ても相変わらず瀟洒なまま、私へ一枚の栞を手渡した。

 よく見るとそれは、私がスカーレット卿を倒した直後に失くした栞だったのだ。

 咲夜は述べた。身に覚えの無い栞がいつの間にか服のポケットへ紛れ込んでいた事。パチュリーへ訊ねても栞は使っていないと言われ、おまけにレミリアやフラン、美鈴の物でも無く首を傾げた事。なので私の物では無いかと思い、ずっと保管していた事。

 

 あの時の私は、完全無欠な彼女にも人間らしいミスをする日があるのだなと、和やかな気持ちで受け止めていた。断ってはいたものの、咲夜は私の私室を時折清掃していたので、その際誤ってポケットへ入ってしまったのだろうと解釈していたのだ。

 

 だが私は知っている。十六夜咲夜と言う人間が、時を操る力もさる事ながら、人間離れした無欠さを誇る完全な従者であると言うことを。

 何せあの紅魔館をほぼ一人で取り仕切っている子なのだ。しかも彼女は今まで失態らしい失態を何一つ起こしていないときた。あの我儘っ気のあるレミリアですら、館関係の仕事は咲夜の言葉に従う程なのだ。『最近咲夜に主導権を握られてる気がする』とは主の弁である。

 

 そんな咲夜が、私の私物を誤って持ち出してしまうなんて平凡なミスを犯すだろうか? 

 

 答えは否だ。今にして思えば有り得ない。そもそも従者に徹する彼女が、清掃の為でも栞の挟まった読みかけの本をわざわざ手に取って開く必要がない。悲しい事だが、私の私室であれば一層物の扱いに注意を払いそうなものである。

 

 私は今までそれを咲夜の凡ミスだと思い込んでいた。それ以外に納得のいく答えなんて無かったからだ。

 だが今は違う。新しい答えを現像するピースが、この地霊殿でもたらされてしまった。

 

 一度失くし、何故か咲夜の元へ戻って来た栞。

 不自然な物の消失。

 ここにある筈の無いレミリアの帽子。

 そして、さとりが口にした言葉。

 

「――――」

 

 彼女は自身に妹が居ると言った。その妹君は故あって、人の無意識に潜む不可視の妖怪と化したと言った。

 加えて、妹はよく外出をしてあまり帰ってこないのだと。

 

 もし。

 もし彼女の散歩が、地底の範囲に留まって居なかったとしたら?

 もし彼女が、地上へよく出向いていたとしたら?

 もし彼女が、紅魔館をよく出入りしていたとしたら?

 栞が無くなった日を考慮するに、実に四年も前から館の構造を知っていたとしたら?

 

「まさか」

 

 突拍子も無い、穴だらけな推測だとは理解している。だが一部辻褄が合う箇所があるのは確かだ。

 妹君が本当に誰からも気付かれない妖怪で、長年紅魔館へひっそりと通い続けていたのならば。紅魔館へ人知れず忍び込み、物を盗み出す事だって可能だろう。ここにレミリアの帽子がある事も説明出来る。むしろそれしか考えられない。

 もっと言えば、幻想郷の妖怪たちへ気付かれずに接触する事だって不可能ではない筈だ。無意識に潜めるのなら、認識の外から小悪魔へ近づく事など造作も無い筈だ。であれば、魂を気付かれずに植え付けることだって……。

 

 カチカチと、まるでパズルのピースが噛み合っていくかのような音が、頭蓋の内に木霊する。それは無情にも、考えたくも無い可能性を色濃く浮き上がらせていく。

 

 だが、しかし。

 

「――まだだ。まだ決めつけるには情報が足りない」

 

 これだけでは確実な決定打に成り得ない。まだ解決していない部分は残されている。

 仮に私の妄想空論が正しいとしても、動機が欠片も説明できない。間違いなく、さとりの妹と私に接点なんて無いからだ。面識すらないのであれば、憎悪の火種だって生まれようにも生まれまい。

 それに仙人ですら不可能と言い張った術を成し遂げている点も引っ掛かる。無意識に生きる少女ならば、複雑な理論や法則の理解を必要とする高位魔法を扱うなど、出来る筈がないのだから。

 ざっと考えただけで、こんなに穴が見えてくるのだ。少なくともこの二つの壁をクリアしなければ、断定など夢のまた夢だろう。

 

 しかし、逆に考えると。

 もっと細かく調べ上げれば、そこから矛盾を打ち砕く突破口が見えてくるかもしれない訳だ。

 

「何にせよ、確かめる必要があるか。……さとりとの約束を、破ってしまう羽目になるが」

 

 背に腹は代えられない。最優先すべきは事件の解決であり、私の正体を知る事では無いのだから。

 私は踵を返し、自室と反対側にあるさとりの部屋へと向かった。

 

 

「うーん、それにしても芳香ちゃん、どこに行っちゃったのかしら。お札に呼びかけても反応が無いし、どこかの川に落ちたりなんかしてないと良いのだけど」

 

 ナハトと別れた後の事。青娥娘々は、ふよふよと荒れ地の空を漂っていた。

 お気に入りのキョンシーが、まだ見つかっていないのである。

 

「おーい、芳香ちゃんやーい。はぁ、あの殿方にも逃げられちゃうし、最近ツイてませんわねー……」

 

 半ば面倒くさくなってきたのだろうか。青娥は明らかにやる気の無い声でキョンシー、宮古芳香の名を呼びながら、蚊トンボのように旋回を続ける。

 しかし案外あっさりと、青娥の苦労は報われる事となった。

 草木の一本も生えていない開けた墓地に、見覚えのある人影を見つけたのである。

 

「あっ! あの帽子、あの後ろ姿は間違いないわ。芳香ちゃーん」

 

 ひゅーん、と宙を滑りつつ、青娥は芳香の元へ向かっていく。

 パラシュートで降りたかのように地面へ着地した青娥は、そのままとてとてと芳香の後ろへ駆け寄って、

 

「んもう芳香ちゃん、どこいってたのよ。心配したんですからね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「芳香ちゃん?」

 




 
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