【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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29.「無痛の恐怖」

 爆炎が猛る。閃光が破裂する。

 灼熱が蹂躙し、肉を、臓器を、骨を、神経を溶かし尽くしていく。

 (うつほ)の腕から放射された陽の輝きは吸血鬼の肉体を瞬く間に破壊し、炭化するにまで追い詰めていった。

 ナハトの全身にヒビが走り抜け、そこから赤熱した光が漏れていた。さながら爆発寸前の榴弾のように、四肢や貫かれた胸を始め、あらゆる部位から炎が噴き上がっていく。

 

 猛炎をメロディに死の讃美歌を口ずさむは、霊烏路空を乗っ取った怨念で。

 

「ははははっ! 絶体絶命とはまさにこの事だな! さぁ、どうするナハト!? 幾ら不死身の貴様とて、太陽を相手に吸血鬼の身で耐えられるか!?」

 

 スカーレット卿の、愉悦を含んだ泥のように粘質な笑い声が響き渡る。一切の容赦も手加減も無く、陽光の力を吸血鬼へと注ぎ続ける。

 ナハトの左眼球、口頭からも火柱が上がった。あまりの熱量に最早燃えるという過程を通り越し、骨肉が灰と化し始めている程だった。 

 しかし、それでもナハトは形を崩さず、どころか倒れる事もない。純粋な恐怖の化身であり、太陽とは最悪の相性である筈の吸血鬼が、体の中から陽の光を破裂させられてなお耐えていた。

 パチュリー・ノーレッジが作り出した、ネックレス型の対日光用マジックアイテム。本来それは外からの日射を防ぐものであったが、装着者たるナハトの中から発生した光が、対日輪魔力によって思いもよらず食い止められていたのである。

 

 ぐるん。ナハトの首が回転する。

 残った紫の右眼は苦痛に歪む濁りすら見せず、さながら狙撃銃の照準装置の様にスカーレット卿の瞳を捉えた。

 瞬間。ナハトを焼き焦がす卿の頭上に、十五の黒剣が出現した。

 肉を裂かず、魂のみを切り裂く幽世の刃が間髪入れずに放たれる。しかし平常時より遥かに遅い。攻撃を見越していたのだろうスカーレットはあっさり腕を引き抜くと、太陽の力でグラムを焼き尽くしながら後退してしまう。

 

 しゅうしゅうと、黒い煙が龍の如く噴き上がる。

 煙の中心に立つナハトは、振り返ってスカーレット卿と対峙した。

 焼死体が如き有様でありながら、その顔面を覆うのは苦痛ではなく、複雑怪奇な感情のそれで。

 

「スカー、レットッ……!」

「ほほう、流石の生命力だ。いや、ここは精神力と讃えるべきか? 太陽で全身を焼き滅ぼされておきながら、苦悶に喘ぐこともなくまだ立つとは。いいぞ、それでこそッ! 長年積もらせてきた怨念をぶつける甲斐があると言うものだッ!!」

「ッ!!」

 

 刹那。千紫万紅の光が交錯した。

 片や、闇を滅ぼす日輪の煌めき。片や、魔剣の銘を冠する暗黒の魔力剣。

 だが、勝敗は眼に見えたものだった。

 相性は最悪。更にコンディションも最悪と来て、追い打ちをかけるように先手を打たれたナハトの放つ剣の力など、もはや語るまでも無い。

 対してスカーレット卿は未だ健在。しかも火に対する水のような優勢ぶりとくれば、彼が力負けする道理など微塵も無く。

 

 徐々に光弾へ対抗する刃の生産が追い付かなくなり、じわじわと、ナハトの体に風穴が生まれていった。

 右肩。左脇腹。左腕。右足。

 削げて。穿たれて。抉られて。貫かれて。

 少しずつ、しかし確実に、ナハトの肉体は崩壊を迎えていく。

 

 やがて、眩い光は線香花火の最期の様に収まった。

 残ったのは、耐久力の限界を超え黒炭の塊と化し膝をつく吸血鬼と、最後の一撃を放たんと左腕をかざすスカーレット卿のみ。

 しかし彼は、いつまで経っても必殺を放とうとはしなかった。

 

「……なんだ。その塩を振りかけられたナメクジのように無様な姿は」

 

 愉悦から一転。口元を不愉快の形へ歪ませながら、かつて吸血鬼だったものは吐き捨てた。

 失望の表情が浮かぶ。言外に、こんな予定ではなかったとでも語る様に。

 

「どうした。たかが日照で焼き焦がされた程度で何故再起不能になっている? いくら八咫烏の力とて、私もまだ完璧に操れていないのだ。元来吸血鬼の魂は神霊との相性が最悪だからな、霊烏路空を介さねば操作もままならん。威力は元来のものより数段劣るだろうよ。なのにあっさり瀕死になってどうするのだ……? ほら、さっさと肉体を再生させて立ち上がれ。構成を変異させて絶望の権化と化すがいい。あの魔剣を展開して、私を追いつめるべく奮闘してみせろ」

「……」

「貴様の力はその程度では無いはずだろう? 化け物」

 

 体の自由を奪われながら、しかし残った瞳で邪悪を睨むナハトに付き合っていた彼は、暫くして薄く息を吐きだした。

 

 ゆっくりと、左手が降ろされていく。

 

「これが、かつて私を追いやったナハトなのか?」

 

 灼熱地獄の天蓋を仰ぎながら、スカーレット卿は乾いた失笑を零した。

 

「違う。違う違う違うッ!! そうじゃあないだろうナハト? 貴様はもっと絶対的で、絶望的で、太陽の力を使っても敵わないとすら錯覚させられる、吸血鬼の範疇を超えた真正の怪物だった筈だ。神々すらも恐れ慄いた、妖怪なんて枠組みに当て嵌まらない純黒の魔王だった筈だ。なのに何だそれは? 拍子抜けにもほどがある。お前があのナハトなのかと信じられない程度にはな」

 

 唾を吐き散らす程の、熾烈な怒号だった。

 単純な憎しみでは到底語り尽くせない、濁りに濁った感情が、吸血鬼だった男の言葉から垣間見える。

 ナハトもまた、哀れみとも怒りとも、呆れともとれない声で、

 

「……お前も、十二分に怪物だろうさ。スカーレット」

「うん? おお、喋るまでに気力が戻って来たか。いいぞ、その調子だ。まだまだこの程度の蹂躙では、我が恩讐が朽ちる事など――」

「貴様、自分の魂を一体幾つに()()()()()()()

 

 ゆっくりと、ナハトの体が起き上っていく。

 膝を立て、よろめきながらも、もはや焼けただれた肉塊となんら変わらない体を動かしながら。しかし悪魔へ立ち向かう。

 その様子を呆然と眺めながら、鮮紅の悪魔は下卑た笑いを浮かべて言った。

 

「さぁ、どれほど分けたことやら。三か、四か。ひょっとすると十かもしれんな。貴様は適当に切り分けたケバブの合計をいちいち数えるのかね?」

「……やはり、お前は怪物だよスカーレット卿。分霊として分けるのではなく魂を細切れに分割するなど、正気の沙汰ではない。一度や二度であればまだ許容範囲だが、それ以上と来れば、並みの者なら自我を保つことすら困難な筈だ。それを怨念の一つでやってのけたお前は、まさしく最()の名にふさわしかろう」

 

 自らの魂を劣化コピーさせた分霊ならば、元々魂が希薄な吸血鬼でも十分可能な方法である。事実、フランドールはそれを応用した分身を得意とする吸血鬼だ。

 しかし彼のとった手法はまるで別物である。この世に一つしかない唯一無二の魂を何度も何度も引き裂き、細かく仕分けて分別、しかも各々に独立した自我(スカーレット)を発芽させる邪法を取ったのだ。不死を求めた魔法使いの成れの果て――リッチと呼ばれる外道の様に、いや、それ以上に魂を細分化させて、尚且つ己の意思を紡ぎ続けていたのである。

 

 正気なんて保てるはずがない。全く同じ自我が複数存在し、それを同一の魂魄がまるで無線で繋がっているかのように共有してしまう事はおろか、全ての感覚もまた繋がってしまうのである。

 あのナハトが葬ったスカーレット卿だって、紛れもなくスカーレット卿なのだ。彼が浴びた苦痛や絶望を、このスカーレット卿も身をもって味わった筈なのである。

 それがどれ程の恐怖で、どれほどの苦悶だったか、推し量る術はない。しかし彼らは終末の暗黒を体験してなお、長い時の中、ひっそり闇の下で息を潜めていた。

 誘惑の蛇が可愛らしく思える程の執念深さ、もはや狂気に匹敵する怨念。

 これを、狂っていると言わずして何というのか。怨讐を燃料に、狂気の外法を用いて、再びナハトの前へ舞い戻って来たのが何よりの証拠だろう。

 

 分かっているだけでも、五百年前に自害した卿と、フランの中に巣食っていた卿、そして目の前の彼で、三分割している事になる。

 だが、事はそんな生易しい次元の話ではない。

 もっと、もっと悍ましい真実が、スカーレット卿の手の内に内包されているのだ。

 

「正気の沙汰ではない? 何を当然のことを口にしている。元より正気ではないのさ。我が覇道が、貴様への怨念一筋に塗り潰された時点でな」

「……」

「ああ、それと、だ。多分お前の想像通りに事は進んでいるぞ。順風満帆、異常なし。今すぐにでも無法刑務所の酒池肉林より汚らしいカーニバルを始める事が出来る」

「……ッ!」

「そうとも。()()()()()()()()()

 

 ナハトの色を失った顔から、更に血の気が失せていく。計略の悍ましさと、それに気づく事の出来なかった自身の無能さへの自責が、ナハトの奥歯を砕かせた。

 

「くっ。ふふふ、良いな、その表情。薄汚れた絶望と怒りが混じり合って、腐りかけの豚の様に醜い。無力で、滑稽で、そそられる良い顔だな。心が安らぐ」

「……お前の立てた計画など無意味だ。スカーレット」

「……はぁ?」

 

 発言が本気で理解出来ないと言わんばかりに、スカーレット卿は素っ頓狂な声を上げる。ぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 ナハトは続ける。肉を作り直し、もはや不要となった炭の皮膚を棄てながら。

 

「太陽を操れるお前なら容易く私を倒せるだろう。何せ、この身はどういう訳か弱体化の一途を辿っている。魔力も、肉体の再生能力も、かつての十分の一も無い。四年前の様にはいくまいよ。恨みを晴らしたければ、思う存分に嬲って殺すが良い」

「――」

「だがその先は無いぞ、スカーレット卿。幻想郷にはその力を持ってしても到底立ち向かえない猛者は山ほどいる。断言しよう。例え私を排除出来たとしても、お前の思うままに進むことは決してない」

「――――ハッ」

 

 ブーツの音を奏でさせ、スカーレットはナハトの元まで歩み寄る。口角を釣り上げ、歯を剥き出しにしながら、狂犬の如き表情で。

 両者の距離が、僅か数メートルも無くなった、その時だった。

 スカーレット卿は突如光弾を打ち放ち、ナハトの四肢を打ち砕いたのだ。

 

「何も分かってないな、宿敵」

 

 体の支えを失ったナハトは、崩れた模型の様に転がった。

 

「そんな事、とうの昔に知っているさ」

 

 無抵抗の吸血鬼を、なんの容赦も無く踏みつける。

 鈍く、重い、ナニカが砕ける音がした。

 

「この四年間、私が情報収集を怠っていたと思うのか?」

「……っ」

「紅魔館の吸血鬼。妖怪の賢者。永遠亭の蓬莱人。一騎当千の四天王。妖怪の総本山。百花の大妖怪。緋想の娘。楽園の巫女に普通だが底知れぬ魔法使い。……ああ、幽世を含めれば亡霊姫に彼岸の裁判長もか? とにかく、仮にこれらを相手にして私が勝つ可能性など、万に一つも有り得んよ。自分の限界程度、とっくに把握している」

「理解した上で……っ、暴虐を止めぬと宣うか」

「無論だ。退路なき今、前進あるのみ。果ての無い行軍と同じさ」

「そうまでして、何が目的だ。あれほど滅びに怯えていたお前が、どう足掻いても終末の未来を逃れられないと知って、なお何を望むのだ……?」

「知れたこと」

 

 足を退け、スカーレット卿はナハトの髪を無造作に掴み取ると、ガラクタを扱う様に引き摺り上げた。

 紫と、漆黒の瞳が交差する。

 

「お前の絶望が見たい」

 

 黒曜石のような眼の中で、それを塗り潰さんばかりに燃え盛るどす黒い怨念の炎があった。

 およそ少女のものとは思えない、顔面の筋肉を引き裂くような狂気の笑顔が、ナハトの視界一面に咲き誇る。

 

「貴様が憎い。私の全てを奪い去り、破壊し尽くしたお前が心の底から恨めしい。我が覇道を捻じ曲げた貴様の存在が、天地が覆っても許せない」

「――――スカー、レット」

「ただ嬲り殺すだけでは足りん。貴様には無間地獄の闇よりも深い艱難辛苦を味わわせねば気が済まんのだ。だからずっと機会を待ち続けていた。暗い宝物庫の中で四年――――いいや。五百年間も、ずうっとな。そしてようやく時は来た。我が積年の憎悪で貴様を焼き滅ぼす、最高のチャンスがやってきたのだ!」

 

 だから、それに見合う最高の舞台を用意してやる。スカーレット卿は下卑た笑みを浮かべた。

 

「一つ……逆転劇のターニングポイントをくれてやろう。かつてお前が私に無用な情けをかけた様に、もう一度だけ私を止めるチャンスをくれてやる。態勢を整え、再び私を滅ぼしに来るがいい。もし止められなければ、お前が心底大事にしているあの館が地図から消えて無くなると思え」

 

 ――それが、ある種の引き金となった。

 闇夜の暗黒が四肢を失ったナハトを覆う。紫の瞳は不気味な輝きを放ち、空間を歪ませるほどの魔力が四方八方に炸裂した。

 ナハトの胸部――スカーレット卿が空けた大穴から、グラムが瞬きをする間もなく放たれたのだ。

 それだけではない。ナハトの全身に針のようなものが生じると、まるで炸裂弾の如く全方位に向けて放射されたのである。

 

「ッ!?」

 

 間一髪。まさに須臾の判断だった。

 紅蓮の炎がバリアを展開。八咫烏の力の前に暗黒はたちどころに消滅し、雲散霧消の結果に終わる。

 ナハトの細やかな抵抗は灼熱地獄と地霊殿を繋ぐ天蓋を割ったのみで、呆気なく終幕を迎えてしまった。

 

「……なんだ。紅魔館の話になった途端、随分いきり立つじゃあないか。どこまでも油断の出来ん奴め」

 

 スカーレット卿は今度こそ力を失くしたナハトを引っ掴むと、鉄橋の端にまで引き摺りながら運んでいく。

 手を離せば灼熱地獄の底へ落ち行くギリギリまで、彼は吸血鬼を追いやって。

 

「太陽以外では有効打にはならないんだったか? ならばこんな溶岩(もの)、貴様にとってただの温泉も同然であろう。聞きしに勝る地獄の名湯だ、ゆっくり浸かって疲れを癒してくるがいい」

 

 手を、離した。

 墜落の末を見届けはしない。スカーレット卿は、ナハトと言う怪物の恐ろしいまでの不死性を知っている。

 踵を返し、スカーレット卿は腕の制御棒の様子を確かめながら、

 

「行くぞこいし。最後の仕上げには、まだ君の力が必要だ」

「…………」

 

 今まで声を上げる事も無く、何か行動をする訳でもなく、ただ俯いているこいしに向けてスカーレット卿は囁いた。

 反応は無い。少女は床にのみ顔を向けている。

 スカーレットは空虚な表情のまま、こいしの傍へ歩み寄った。

 

「どうした? そんな不安そうな顔をして」

 

 肩を叩く。

 邪悪に似つかわしくない優しい光が滲み、こいしの肩へ染み込んでいく。

 

「まさか、今更になって躊躇しているんじゃあ、あるまいね?」

 

 忍び寄るように、這い寄る様に、囁く。

 甘く、甘く、耳にする者の心を解きほぐす様な、快楽すら孕む魔性の声で。

 

「私は無意識に潜むだけの君に、そして君の力に、新しい方向性を与えた。心を閉ざしたまま自我を得る矛盾だって解決してみせた。するとほら、よく考えてごらん? この先私が果てたとしても、君にだけはハッピーエンドが約束されているじゃあないか。だって、もう無意識に振り回される事も無く、お姉さんに心配を掛けなくても良くなったんだから」

「……」

「怖がらないで……大丈夫。安心しなさい。何も恐れる事は無い。君は既に勝利を約束された身なんだ。だから何の不安も抱く必要は無い……この墓場へ向かう私の手助けをほんの少し、あとちょこっとだけしてくれればいい。それだけで、君の日常は再び戻って来るんだよ」

 

 時が流れていく。たった数拍の合間なのに、それが永劫の様にさえ思えてしまう。

 古明地こいしは俯いたまま、注視しなければ分からないレベルでこくりと首を縦に振った。

 打って変わって、『よろしい』と爽やかに悪魔は笑う。

 

「これで役者は揃った。ならば次は晴れ舞台だ。白玉楼へ向かうとしよう」

 

 

 ――――保険? 違うな、本命だよ。

 

 かつて、邪悪の化身は(うそぶ)いた。

 ある吸血鬼を欺く為に、己が血を分けた娘の肉体へ魂魄の断片を移植し、時を経て復活する計画を。

 裏を返せば、()()は他に用意してあるのだという事を。

 

 ――――私が隠した館の財宝の在処も教える!

 

 かつて、追い詰められた真性悪魔は絶叫した。

 たった二人の吸血鬼と友人の魔法使い、そして幾人の従者だけが住む館に、己しか知り得ない隠された場所があるのだと。

 それは即ち、水面下の罠を仕掛ける事も可能な場所が確かに存在しているのだと。

 

「――――」

 

 使い魔が熱波に焼かれたせいか、映像が途絶えた水晶玉は、吸血鬼姉妹と興味本位で覗いていた魔法使いへ、天変地異が如き衝撃をもたらした。

 

 間違える筈もない。間違えるなんて有り得ない。

 レミリアとフランドールの実父であり、かつてナハトを出し抜くために自らの死すら偽装して、万物万象の支配を目論んだ男。

 四年前、ナハトの手によって魂を粉微塵に砕かれた、今は亡き吸血鬼の王。

 

 そう。あの時確実に、彼は絶命したはずだった。輪廻の輪に加わる事すら許されず、死よりも恐ろしい裁きをもって、永劫の終幕を迎えたはずだったのだ。

 レミリアも、パチュリーも、確かにその光景を焼き付けていた。忘れるなんて出来やしない。今でもその最期を、その消滅を。さながら現像したての写真のように鮮明に、脳裏で容易く再生できる。

 

 スカーレット卿。鮮紅を意味する気高き(うじ)を、自らの銘とする暴虐の悪魔。

 四年前の静謐な夜、絶望の嘶きと共に葬られたはずの男が今、あの時の様に少女の肉体を乗っ取り、吸血鬼ナハトを焼き滅ぼした。

 絶句。ただそれ以外に、現状を説明する言葉は無く。しかし傍らの妹君は、血と生気の抜けきった二人を前にうろたえる事しか出来なくて。

 

 レミリア・スカーレットは、椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。

 

「そんな……っ!? まさか、何で、どうして……!?」

「お姉様――――――」

「……有り得ない、有り得ないわ。こんなっ、こんな事って……!?」

 

 動揺し、自問自答を繰り返すレミリアの言葉を繋いだのは、文字通り頭を抱えている七曜の魔法使いだ。

 冷静沈着で、紅魔館の頭脳とさえ謳われた少女は、普段の穏やかさが嘘のように語気を荒げながら、震える唇を抑える様に親指を当てて、驚愕から眼球を揺らした。

 彼女らの胸で荒れ狂うは、この直視し難い現実に対してだけではない。

 それは、もっと別の場所から湧き上がっていた。

 

「なんで――――()()()()()()()()()()()()()()()() 紅魔館を知り尽くしていて、西洋の魔法に長けていて、吸血鬼の因子を匂わせて、おじ様に憎しみを持つ人なんて――あの方しか有り得ないのにっ!! それなのに、頭の片隅にすら浮かばなかったなんて!!」

 

 

 これは実に簡単な事件だった。簡単で終わるはずの事件だった。

 

 

 高位西洋魔法の痕跡。吸血鬼と類似した魔力残滓。複雑怪奇な紅魔館への理解。

 そして、ナハトを害する真っ当な動機を持つ人物。

 これだけ的を引き絞れて、見えない獲物など存在するはずが無い。

 

 確かにスカーレット卿は紛れも無く故人だ。魂を木端微塵に砕かれたあの夜の出来事は、どこも疑いようのない真実で、覆す事の叶わない過去である。

 だがそれでも、疑う余地は必ずあった。死者だとしても、何らかの起死回生の一手を残しているのかもしれないと、訝しむ余白はどこかにあった。なにせ五百年近い時を魂の欠片として潜伏し続けた悪魔なのだ。想像を絶する狡猾さを視野に入れれば、どこかで真実の糸口を見つけられたかもしれない。

 

 それを、レミリア達は見つけ出す事が出来なかった。認識する事さえ叶わなかった。

 あからさまな異物を疑う事もなく、彼女たちは過去の事実に()()しきっていた。そんなことはあり得ない――とすら思っていない。完全に選択肢の中から除外していたのである。

 しかし、それは決して彼女たちの推測能力が足りなかったからではない。五百年以上を生き抜いた吸血鬼と賢人たる魔法使いが、そんな些細な失態を犯すなんて有り得ない。

 

 ならば何故彼女たちは、水面下の脅威に勘付く事すら出来なかったのか?

 

 最早言うまでもない。そうなるよう仕掛けられていたのだ。レミリア達の目が、真っ先に疑うべき対象から百八十度背くように。路傍の石ころは端から相手にしないような感覚で、無意識の内に視界の隅から消し去ってしまうように。

 

「……思考の断片にすら掠りもしなかったのは、私も同じよ。日記(アレ)を見る限り、そうさせられていたんだわ。認めたくないけれど、予想だにしないミスディレクションだったのよ、レミィ。けれどお蔭で合点がいった。ずっとずっと頭の中にかかっていた靄の正体は、これだったって訳……ッ!」

 

 パチュリーはナハトが謎の襲撃に遭ったその日から、脳髄の表面に煤の如き異物がへばりついている様な、表現しがたい違和感をずっと抱えていた。

 視界に曇りガラスを被せられているとも、ただ一つの道標を出鱈目に書き換えられているとも言える、そんな感覚。数多の手掛かりが掴めていて、もう目の前まで迫っている筈の答えをどうやっても導き出せない、どうしようもない靄の塊だ。

 今になってみれば、おおよそ真実に辿り着く事を阻止されていたとしか思えない。強引に捻じ曲げられた認識の中、思考の抑制をパチュリーは感じ取っていたのである。

 

 原因なんて、考えられるとすれば一つしかない。

 無我に生き、無意識に沿い、空白のまま揺蕩う少女。

 古明地こいし。無意識を操る程度の能力。

 スカーレット卿の奇襲に協力した帽子の少女が――違う。()()()()()()()()()あの少女が施した、幻惑の術だったのだ。

 

 しかしレミリアはそれを理解して尚、完全な納得を示さなかった。

 まだ、闇の中には悍ましい真実が隠されているのだと、そう感じ取っていたのだろう。

 

「それだけじゃない、それだけじゃないわ、パチェ。例え方向(・・)を逸らされていたとしても、たったそれだけじゃあ私達の目は掻い潜れない。ましてや八雲紫の目を欺くなんて出来っこないわ!」

「あっ、お姉様!?」

 

 レミリアは駆け出した。翼を使う事も、宙を舞う事も忘れて、吸血鬼の脚力を持って館を駆けた。

 我武者羅だった。無我夢中に床を蹴り飛ばした。一分一秒でも早く、あの場所に行かなければと躍起になった。

 箒でチャンバラをしている妖精メイドの間を旋風のように駆け抜ける。一つのドアの前でブレーキを掛けると、それを腕力に任せて破壊した。

 レミリアは目の前に現れた階段を、半ば転げ落ちるかの様に駆け下りて行く。

 

 果てにレミリアを迎える、二つの扉。

 

 片や、吸血鬼ナハトが長い生涯で集めた魔石の類を収納している倉庫の扉。片や、小悪魔が()()見つけたという、まるでナハトの陰に隠れるように立地してある宝物庫の扉。

 レミリアは、宝物庫のドアノブを手に取った。

 現れたのは、豪華絢爛な宝物の山。名立たるトレジャーハンターが目にしたならば、涎を流して飛びつきそうな金銀財宝の黄金郷。

 おもむろに、金貨を一つ手に取って。

 

「――――」

 

 答えを、得た。

 見た目は何の変哲もない金貨である。材質も、重みも、どれをとっても非の打ち所の無い本物の黄金だ。

 だがレミリアにとってそんな事はどうでもいい。この期に及んで金貨を品定めしに来た訳ではない。

 彼女はこの金貨に掛けられていたトリックを体感して、自らの仮説を証明したのである。

 

 黄金の貨幣を手にしたレミリアは、言いようも無い()()()に包まれていた。

 大丈夫、()()は安全だ――麻薬の香のような何かがあった。無条件に精神の奥底まで受け入れてしまう、心地の良い魔性があった。

 理屈の話ではない。科学の法則では説明できない摩訶不思議が、確かにそこにあったのだ。

 

 レミリアの意識は、まるで灯火に吸い寄せられる羽虫のように、宝物庫の中心にある台座へと向けられていた。

 

 宝山の谷間に立つ奇妙な台座。

 台の上は、不自然に一部の埃が無くなっている。

 語るまでも無く、それはそこにあった物が最近取り去られた痕跡以外の何物でもなく。

 

「――――っ」

 

 レミリアは、座り込む様に膝から崩れ落ちた。

 気付いてしまったから。確信してしまったから。

 認めたくない事実が、彼女の目の前にくっきりと浮かび上がってしまったから。

 

「レミィ!」

 

 遅れて、パチュリーがやってきた。

 魔法の浮力で浮かびながら、ぺたりと台の前で座り込んでいる少女の傍らに寄り添って。

 

「っ!?」

 

 声をかけようとして、それはぷつりと阻まれた。

 涙だった。

 眉間に皺を寄せず、唇も噛み締めず、ハラハラと瞳から液体が零れ落ちている。雨粒が窓ガラスを伝う様に、小さな雫がレミリアの頬を流れているのである。

 悲哀の伴う涙ではない。むしろ絶望にこと切れた子供のような残酷な滴で。

 異様な光景を前に、パチュリーは困惑の表情を浮かべつつもレミリアの肩を掴んだ。

 

「レミィ、しっかり! どうしたと言うの!? 一体、あなたは何を理解したの!?」

「……気付いちゃったのよ」

 

 ポツリと、レミリアは吐露する。

 抑揚のない、機械のような口調で。

 

「ねぇ。四年前にお父様が言ってた言葉、覚えてる?」

 

 感情の含まれない、一欠けらの言葉だった。

 

「五百年前、私のお母様はお父様の魂魄移植計画に勘付いていた。だからフランを利用されないように、お父様を止めようとした。……あの人はハッキリと言ったわ。お母様は邪魔な存在だったと、一刀両断してみせたわ」

「……それと貴女の涙に、一体何の関係が」

「あの人は、こうも言っていた。お父様(じぶん)が私たち姉妹を吸血鬼狩りから守ろうとお母様に声をかけたら、あっさりそれを信じたって」

「だから、それが一体何だと――、……っ!!」

 

 血の気が失せた。

 聡明なパチュリーも、答えを得てしまったのだ。あの吸血鬼に隠された悍ましい真実の一端を。今まで意識の範疇から外れていた――逸らされ続けていた、最後の鍵の正体を。

 七曜の魔法使いの唇が、枯れ花のように萎びていく。

 

「パチェ。フランの体に魂を移植する計画に勘付いたお母様が……娘を贄にされると知ったお母様が。お父様を安易に信用するだなんて、有り得る話だと思う?」

 

 震えの混じるその言葉は、当然の帰結に他ならなかった。

 子供を利用されると知って、ましてやそれが邪悪な外法によるものだと知って、黙っていられる母などいない。性根から悪性だったのであればいざ知らず、レミリア達の母はごく真っ当な親だった。子のためならば愛した主人に逆らう事も厭わない、深い愛を持った婦人の鑑だった。

 そんな女性が夫のどす黒い部分を知って、再び心を寄せるだろうか? 

 いいや、有り得ない。それで信じる者が居るとすれば、よほど警戒心が薄いか相手を妄信しているか、相当短絡的な思考の持ち主だろう。しかしレミリア達の母親は当然そんな阿呆ではない。

 

 ならばどうして、にもかかわらずあっさりと、母は邪悪の言葉を鵜呑みにしたのだろうか?

 

 そもそもの問題。確かにスカーレット卿は頭一つ抜け出た実力を持ってはいたが、それでも到底敵わないと思い知らされたナハトが紅魔館に現れても、最強の吸血鬼の座を追われるどころか、死してなおカリスマ性を損なわずにいられたのは何故なのか?

 人望もあったのかもしれない。しかし人望とは、よほど強固なものでなければ移ろいゆくものだ。絶対実力主義の吸血鬼たちが、ナハトに膝を折ったスカーレット卿を更に信奉するとは考え難い。

 

 まだ疑うべき場所はある。フランドールの言動だ。

 覇権争いの窮地の中、混乱に呑まれていたとはいえ、突然己が内に芽生えた自我を『ナハト』だと一瞬でフランが信じたのは何故なのだろうか?

 ナハトに口調を似せていたからか? それともフランとナハトの関わりを知っていたからか?

 弱い。そんな理由ではあまりに弱い。精神的に幼いとはいえ、利口で聡明なフランドールが他人の空真似を、ましてや自身の中から突然発生した魂を最も信頼を寄せる吸血鬼だと二つ返事で認めるなど、控えめに言って有り得る話ではない。

 

 疑問と言う名の種は一度芽吹けば瞬く間に成長し、真実に向かって蔦を伸ばして、答えを果実にしながら実らせてゆく。

 

 ――レミリアは水晶に映った一部始終を見終えた後に、一つの仮説を立てていた。

 

 古明地こいしの意識操作が及んでいた事実は、水晶越しに見た日記の内容から理解を得ている。けれどそれだけが、今までスカーレット卿への意識を逸らされ続けて来た要因では無いとレミリアは推測したのである。

 

 ただ意識の焦点を逸らしただけでは完全な隠蔽になど成り得ない。何故なら個人によって意識の向かう矛先は違うからだ。一口に魔法使いと言っても多くの流派があるように、各々が持つ視点のベクトルもまた、多種多様に尽きるのである。

 故に、捻じ曲げられた意識の中、誰かがふとした拍子に真実を見つけ出したとしても何ら不思議な話ではない。何気なく道端の石ころへ目を向けた者の中に、価値ある石だと気づく者が現れるかもしれない。それと同じだ。あらゆる思考分野を持つパチュリーや八雲紫を相手にするならば、意識操作だけではお世辞にも信用の足りない防護策と言えるだろう。

 

 ならば、その壁を打破したものは何だったのか。

 

 単純な答えだ。疑う事すら視野に入れさせなければ良い。路傍の石ころよりも気にかけない、日常で呼吸に使う空気のように、無意識の内に()()だと思わせておけばいい。

 そう、安全。もっと言えば安心だ。本来ならば矛先を向けるべき対象を、レミリア達は『無意識の安心感』から除外を選んでしまっていた。

 

 生後数日程度の首すら座っていない乳児が殺人事件の犯人だと、どうして疑う事が出来ようか。せっせと餌を懸命に巣へ運ぶ蟻が世界を滅ぼすなど、誰が想像するだろうか。

 これらが原因だと人々が疑わないのは、そこに無意識の安心が根付いているからだ。『これなら大丈夫だ』とすら思っていない。始めから選択の外側にあるモノなのだから。

 

 この絶対的安心が、仮に人為的なもので創り出せたとしよう。

 

 もし、夫を悪鬼と理解した母がそれでも信頼を寄せた理由が、有無を言わせない安心と信頼を与えられていたからだとしたら?

 もし、ナハトの恐怖と絶対的な力を前にしてなお、卿が権威を失わなかった理由が、恐怖の中和――即ち絶対的で強制的な安心によって作られた、仮初の拠り所が原因だったとしたら?

 もし、フランドールが内から目覚めた吸血鬼をナハトだと判断した理由が、義父を思わせる安心感を与えられていたからだとしたら?

 

 ピースが盤を埋めていく。パチパチと、綺麗に嵌る音がする。

 レミリアに全体像をもたらした最後の欠片は、この妙な安心を得る黄金の貨幣。

 ……レミリア達は知る由も無いが、かつてこの場所へ忍び込んだ霧雨魔理沙があれ程警戒していた金貨を手に取り、本を持ち去った理由の正体がこれだったのだ。

 この金貨には、この世で最も信頼の置ける()()が仕込まれていた。

 

「まさかそんなっ。それじゃあ、あの男の真の()()は――――!?」

 

 七曜の魔女は唾を飲む。冷や汗ではない液体を一筋流しながら、パチュリー・ノーレッジは答えの断片を吐き出した。

 

「ええ。お父様は…………スカーレット卿は心に『安心や信頼』を植え付けるのよ。無条件に、無慈悲に、残酷に。人々の心を思考なき傀儡へ変えてしまうの」

 

 

 ソレは心の平穏を強制し、人々の中枢を蕩かす邪悪な神聖。

 ソレは心の隙間へ潜り込み、知性を破壊する悪性浄土の権化。

 

 ソレに理屈などありはしない。

 一度吞まれてしまえば最後。無辜の民がソレを疑い、排斥する術など無いのだから。

 

 

「名付けるなら――安心を与える程度の能力! それが私たちの眼を覆い隠していた、紅い霧の正体だった……!」

 

 

「だぁ~、畜生。やっぱり一割ぽっちじゃあかったるい事この上ない」

 

 木枯らしが落ち葉を運ぶ空の下。二本角の小鬼は、強烈な酒気の漂う瓢箪を煽ぎながら、気怠そうに溜息を吐いた。

 見た目は顔を酒精で赤らめた童女のそれだが、捻子くれた雄々しい角が物語るように、彼女はかつて山の四天王として君臨した豪鬼、伊吹萃香である。

 そんな無双少女は四年前、ある闘いにてちょっとしたミスを犯し、罰として力を九割ほど没収されていた。

 

「でも、九割の開放まであと半年ちょっとってところか。んふふ、滾るねぇ。ああ、楽しみだねぇ」

 

 茶色の原っぱから上体を起こし、んーっ、と伸びをしながら、彼方に覘く博麗神社の鳥居を見る。萃香から力を没収した紫は、現在あの神社にそれを封印しており、管理を霊夢に任せているのである。

 ぼんやりと己の力が眠る神社を眺めながら、萃香は薄く微笑んだ。なにせ約束の日がもう目の前まで近づいているのだ。笑みが浮かばない方がおかしい。

 別に力が返ってくる事が嬉しいのではない。あの尋常ならざる吸血鬼とまた一戦交えられるから嬉しいのだ。

 

 四年前を思い出す。

 夏が終わり、秋が一面を彩り飾った、至高の夜を。

 力と力。技と技。能力と能力。二人の全身全霊が森羅万象を引っ繰り返さんと激突した、あの光景を。

 

 結局明白な勝敗が着かぬまま幕を下ろした戦いだったが、あの時萃香はナハトと約束したのだ。また何時か、共に全力をぶつけ合い、今度こそ雌雄を決しようと。

 それが、どうしようもなく楽しみで。想像するだけで武者震いが込み上げてきて、萃香を疼かせるのである。

 

「ふふ、次はどこで戦おうか。山はあいつらに渡しちゃったから、また別の舞台を用意しなきゃ。やっぱり地底が良いよね、うん。あそこなら連中も理解があるし、さとりと紫にさえ手伝ってもらえたら……きっと、盛り上がるさなぁ。んふふ、ああ、楽しみだー……」

 

 ……でも、と萃香は緩む口元を引き締める。

 同時に萃香の目が細まっていくその訳は、何を隠そう、彼女の好敵手たるナハトの安否に他ならない。

 あの晩、萃香との戦いを終えたナハトは、原因不明の崩壊を起こして倒れ伏した。その後竹林の賢人と紫の活躍で一命をとりとめたらしいが、以降、萃香はナハトと会っていない。どうも休眠状態にあるらしいと紫から耳にしていたのもあるが、それ以上に彼が目覚めた直後、またしても厄介事に巻き込まれ、地底へ追いやられたらしいと知ったからである。

 それも、何者かによる卑劣な謀略によって。

 

 鬼は嘘を嫌い、卑怯を憎み、不義を悪とする妖怪だ。ナハトの境遇を全て知った訳ではないが、一部始終を掻い摘んで紫から聞き及んでいた萃香は、裏側に潜む悪意の存在に強い怒りを覚えていた。

 萃香の人間に貶められた過去が、ナハトの味わった悪意と重なったのかもしれない。

 だからこそ、萃香は黒幕の首をナハトの見舞品にしようと考えていた。丁度、喧嘩仲間の悪友として顔を出さなければと思っていたところだ。土産には申し分ないだろう。

 けれど、一向に黒幕の尻尾を掴む事は出来なかった。あの紫でさえ半ばお手上げだという。敵は相当狡猾な蛇らしい。

 

「……そう言えば、紫の奴はそろそろ冬眠に入る頃だな。あーあ、退屈になっちゃうねぇ。外道の行方も追えなくなっちゃうし――ん? ありゃあ確か……?」

 

 ふと。視界の先に、一つの動く黒点が見えた。それはどんどん影を増していき、萃香へ向かって近づいてくる。

 やがて萃香の両眼は、影の正体をはっきり捉えて、

 

「おお!? 古明地んとこのお空ちゃんじゃないか! 一体全体どうしたのさ、地上なんかに出てきちゃって――――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

「まずは一人」

 






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