【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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30.「囚われる者、抗う者」

「冥界もすっかり冬景色ねぇ、妖夢」

「そうですねー、幽々子様」

 

 雪花のナイトキャップをこんもりと被り、春の訪れまで寝静まっている桜並木。

 その光景を慈しみながら、白玉楼の主従は仲良くお茶を嗜んでいた。

 こうして真っ白に染まった桜と庭園を見ていると、いつかの異変を思い出す。かつて幽々子がある桜に隠された秘密を知りたいがために幻想郷中の『春』を奪い去り、長い永い冬をもたらした異変――春雪異変の光景を。

 

 妖夢は呑気と陽気の境界を彷徨いながら、異変の切っ掛けとなった大きな桜を見た。

 主人曰く、ずっとずっと昔から生えているという、頭一つ抜けた化け桜。名を西行妖と言い、その根元には生前の幽々子――即ち、主人のご遺体が埋まっている。

 妖夢は詳しい事情を知らないが(と言うか当の幽々子もそこまで深く知らないらしいのだが)この桜は咲かせるべき桜ではないらしい。なんでもあの八雲紫ですら持て余すほどの力を持った非常に厄介な妖怪桜らしく、幽々子の遺体が埋められているのも、その遺体を要石にして桜が目覚めないよう封印を施す為なのだとか。

 だからなのか、最近幽々子の趣味が『自分の死体の保存』になっている。亡霊だからこそ出来る趣味と言えよう。

 

「……あっ、お茶が切れてますね。おかわりお持ちしますか?」

「あらほんと。じゃあ、お願いしちゃおうかしら」

「かしこまりました」

 

 本来は冥界のあちこちに揺蕩う幽霊の仕事だが、自分だけのんびりする訳にもいくまいと妖夢は急須を片手に立ち上がった。この少女、根っからの仕事人気質なのである。

 幽々子の傍を去り、台所へ辿り着いた妖夢は、自身の半霊と共に手慣れた様子で茶葉を蒸らしていく。

 

「よし」

 

 出来上がったお茶をうっかり零さないよう、慎重ながらもスマートな足取りで運ぶ妖夢。 

 角を曲がって、幽々子の居る縁側へと差し掛かり、

 

「幽々子様、お待たせしましたー」

 

 

 急須が、がちゃんと音を立てて砕け散った。

 

 

「……え?」

 

 足を滑らせただとか、ドジを踏んだ訳ではない。

 目の前の光景を妖夢の脳が処理出来なかったから、無情にも手から滑り落ちたのだ。

 飛散した熱湯が掛かってもただの水飛沫にしか感じない。白昼夢のような眩暈すら覚える。むしろソレは陽炎が見せた幻覚としか思えない。思いたくない。

 

 ――さっきまで、のほほんとした笑顔を浮かべながら茶菓子を頬張っていた西行寺幽々子が。

 さながら儚い終わりを迎える線香花火の様に、弱々しい光の粒子を放出しながら、消滅しかかっていたのだから。

 

「幽々子さまっ!!?」

 

 我を忘れ、廊下を蹴り破らんばかりに走る。唐突に白玉楼を襲った異常事態へ思考を回すよりも、まず主人の安否を確かめずにはいられなかった。

 幽々子は眠っていた。魔女の果実を食べて眠りに就いた森の美女の様に、幽々子の体は宙へと浮いて横たわっていた。

 存在が薄まっていると一目で分かった。既に体を通して反対側の景色を眺めれられるほど透き通っている上、なにより表情が酷く虚ろである。意識と無意識の狭間を彷徨っている様な表情なのだ。

 堪らず妖夢は幽々子の体を掴む。しかし妖夢の五指は、煙を割ったかのようにすり抜けてしまった。

 

「幽々子様! 幽々子様、しっかり!! な、何がどうなって」

「鴉」

「え?」

 

 ぽつりと、幽々子が掠れた声を囁いた。

 鴉。カラス。妖夢の聞き間違いでなければ、あの黒い鴉だろう。

 それが、今の幽々子の状態と何か関係があるのだろうか。妖夢は必死に周囲を見渡し、幽々子が伝えたがっているものの正体を探った。

 

 庭園には居ない。屋敷を囲う壁にも居ない。

 視界が移動していく。やがて妖夢の瞳は西行妖を映し出す。

 西行妖の近くに、一匹の鴉が居た。しかしただの鴉ではなく、人の形をしている。恐らく妖怪の類だろう。

 居たのは居たが、それとこれと何の関係が、

 

 

 待て。

 

 

 何故、こんな場所に鴉が飛んでいるのだ。

 ここは冥界、白玉楼。死を迎えた生者が閻魔の裁きを経て、転生を許された善良な魂がその機会を待つ幽世の世界だ。

 なのに何故、こんな所に鴉がいるのだ?

 いやそれよりも。今の今まで存在に気付かなかったどころか、認識してなおソレを()()と捉えられなかったのは何故なのだ?

 

 体が強張る。血液が一気に冷めていく。妖夢の低い体温が更に下がって、自分の体が氷にでもなったかと錯覚した。

 異常を異常と見られなかった、異常。

 かつて小鬼が起こした祭りの異変とは違う。陽気さや温かさなんてものはない、ただ純粋な不気味さがあった。一瞬でも安心を抱いた事に対する恐怖があった。

 

「そ、そこのお前ッ!」

 

 その怖れを掻き消さんと、妖夢は声を張り上げる。

 背負う二つの鞘を素早く腰元へ下ろし、抜刀。鈍く輝く楼観剣が露わとなり、

 

「何をして――、ッ!?」

 

 注視して、全貌を目撃して。

 喉が、釣り針でも掛けられたかのように引き攣った。

 

「な、あ、お前、お前、そ、れ……!?」

 

 妖夢の頭上、西行妖の枝の中。化け鴉は桜の幹に腕を突き刺し、粘質を持った悍ましい液体を注ぎ込んでいた。

 ぐじゅぐじゅと生き物の様に躍動する、禍々しい純黒の流動体。

 いいや、違う。アレは流れているのではない。中で物体が蛇の如くうねっているのだ。

 液体の水面がまるで真っ黒なビニール袋の様になっていて、ナニカがその下で苦悶の声を上げて叫び、嘆き、暴れている。

 その動きが、さも液体が流動しているかのように見せかけているのだ。

 

 幽世に住まう妖夢は、はっきりとその正体を理解出来た。

 理解出来て、しまったのだ。

 

「うっ」

 

 幾重にも、幾重にも。幾千も、幾万も。

 叩いて、潰して、壊して、混ぜて、溶かして、捏ねて――さながら子供が本能のまま無邪気に掻き混ぜて作り上げたかのような、高密度かつ高濃度の怨霊で出来た、最悪最低のスープだった。

 

 強烈な生理的嫌悪感が妖夢の胃を引き絞る。喉元までせり上がって来たそれを、なんとか気合で押し留めた。

 一体どれほどの魂をぐちゃぐちゃにすれば、あんな身の毛のよだつ代物が出来上がるのか。一体どれほどの邪悪を持てば、こんな残酷な仕打ちが出来ると言うのか。

 例え生前に大罪を犯し、万物に害悪しかもたらさなくなった怨霊であっても同情を浮かべざるを得ない。あんなの、地獄で責め苦を与えられる方が百倍マシだと断言できる。

 

 しかしお陰で、妖夢は幽々子の存在が希薄化している答えを得た。

 ()()()()()()()()()()

 即ち、西行妖の封印が弱まっている。

 原因は言わずもがな。あの怨霊スープが西行妖へ力を与え、封印を弱めているのだろう。かつて妖夢が『春』を集め、西行妖を咲かせようとした時のように。

 

「ふーむ、流石はあの賢者すら手に余すという化け桜。この程度の怨霊を注いだだけではまだ目覚めぬか」

 

 ズボッ、と音を立てながら、鴉の少女は腕を引き抜いた。纏わりつく黒い雫を払いながら、何かを思慮する言葉を発する。

 妖夢はあまりの事態に思考が追いつかず、呆然と見ている事しか出来なかった。

 

「ならば次の燃料よな。幸い――まだ、桜は開花していない」

 

 意識を破裂させられていた妖夢は、肌に走る熱気に我を取り戻した。

 それが、少女から放たれているものだと気付く。

 同時に、この熱気へ妖夢は既視感の様なものを覚えた。どこかでこれと似た熱さを、味わった事がある気がするのだ。

 例えるなら、そう。真夏の晴天がもたらす、強烈な日差しのような熱波。

 

「……ん?」

 

 ふと、妖夢は辺りの違和感に気づく。

 こんもり積もっていた大雪が、猛烈な速さで解け始めている。炎天下へ置いたかき氷のように、雪花の結晶が瞬く間に水へ戻っているのだ。

 それだけではない。異変は白玉楼の――否、冥界全土の桜で起こっていた。

 尋常ではないスピードで、一気に開花が始まっているのだ。

 冬の厳しい寒さを迎えた事で春を待つのみとなった蕾たちが、あの擬似太陽とでも言わんばかりの熱気に当てられて春の到来を錯覚している。薄桃色の花びらを覗かせ始めているのである。

 

 幻想郷の冬は強烈だ。山間部に位置する土地柄もさることながら、冥界は生者の息吹が無い分、地上よりさらに冷え込んでしまう。

 つまり、桜の休眠物質は南の土地より格段に消費が早い。加えて科学的根拠よりもオカルティックな要因に左右されやすい幻想郷の桜たちは、あっさりと偽の春に騙された。

 

 結果、何が西行妖に起こったのか。

 

「咲き誇るがいい、桜ども! そして集え、春の結晶よ! 今まさに、数多の命を吸い取った化け桜が目覚めるぞ!!」

 

 想像するのも憚られる怨霊の栄養ドリンクと、冥界全土の春の先取り。

 かつて幽々子が成し遂げられなかった西行妖の開花が、恐ろしいスピードで成就されようとしていた。

 

 それが表す所は、つまり。

 

「――――ッ!! やめろォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 地を蹴り、空を蹴り、魂魄妖夢は天翔する。

 その手に握る刃を振るい、主に仇なさん敵へ向けて、一切の躊躇なく斬りかかる。

 

 

「なっ」

 

 だが渾身の一閃は、敵の喉元を刎ね飛ばす寸前で食い止められた。止めてしまった、と言う表現が正しいかもしれない。

 ただ一つ、確かに言えることは。

 有り得ない光景が、妖夢の網膜へと焼き付いて。その衝撃は、妖夢の思考を完膚なきまでに破壊し尽くしてしまった。

 あの(・・)能力を使われた訳ではない。()()()()()()が、妖夢の思考を白紙へ戻してしまったのだ。

 

「庭師か……一手遅かったな。いや、最早この結果は避けようのないものだったが、しかし。燕も容易く細切れに出来よう、眼にも止まらぬ太刀筋は見事だった」

 

 鍔競り合いを眺める鴉――スカーレット卿は、冷めきった笑みを妖夢へ向ける。

 強張り、視線を一点から外す事の出来ない妖夢を、パチパチと嘲りを込めた拍手で讃える。

 

「安心しろ、別に命を取るつもりはない。と言うか、そんなものは知らん。貴様らの安否など知った事ではない」

「そんな、なんで……どうして、あなたが……っ!?」

「……フン。話を聞く余裕すらないか。どうでもいいがな」

 

 スカーレットの指先に、小さな太陽が浮かび上がる。

 強烈なエネルギーを宿すそれは高速回転を始めると、眩い光を放ち始め、

 

「貴様はそこで指をくわえて見ているがいい。喜べ、特等席で主演の演武を見せてやる」

 

 灼熱の光球が、ロケットの如く打ち上げられた。

 それは豪速で空を切り裂き、一気に天蓋へと辿り着く。 

 果てに、小さな太陽は砕け爆ぜ、大宴の大花火のように絢爛な輝きへと生まれ変わった。

 冥界に咲く大火を背後に、紅い悪魔は右手を掲げ、高らかに凱歌を叫ぶ。

 

「幻想に住まう者共よッ! 跳梁跋扈の軍靴を引き連れ、紅い悪魔が蘇ったぞ! しかしてここに宣言しよう!! スカーレットの銘において、新たなる異変の到来を!」

 

 

 ――さぁ、第二次吸血鬼異変の幕開けだ。

 

 

 

「レミィ、八雲紫へ使い魔を送っておいたわ」

「ありがとう、パチェ」

 

 満月が外壁を照らす、紅魔館の屋上にて。

 並みならぬ妖気と覚悟を身に纏い、今すぐにでも羽ばたかんとする少女の背中に、パチュリーは声を投げた。

 

「行く気なのね」

「…………」

 

 返事はない。

 必要も、ない。

 

「紫の救援は待たないの?」

「どこにいるかも分からない奴を悠長に待ってられないわ。それにこれは私の仕事よ。赤の他人に任せられるもんですか」

「……勝算はあるの?」

「さぁ」

 

 ぶっきらぼうに、曖昧に。レミリアは生返事を返す。

 吸血鬼にしては柔らかい性分の持ち主とはいえ、レミリアも例に漏れず、自己に対して絶対的な自信を持つヴァンパイアである。かつての異変で山の四天王にも真正面から喧嘩を売った様に、如何なる強敵を前にしても、彼女の中に劣勢の二文字は無い。

 そのレミリアが、確証は無いと言い放った。たったそれだけで、今回の敵が如何に強大かを物語る。

 なにせ吸血鬼にとって最大の天敵とも言える、太陽の化身そのものなのだから。

 ……つい数分前、あの絶対無敵と名高い魔王を軽々屠ったほどの力なのだから。

 

「誰も連れて行かないの? 美鈴か、咲夜か。なんだったら私でも、」

「駄目よパチェ。分かっているでしょう? これは私たちスカーレットの問題なの。貴女たちが巻き込まれて良いモノじゃ無いわ」

 

 ――今の『私たち』に、()は含まれていないのだろう。パチュリーは彼女の重みを伴う言葉から、察せざるを得なかった。

 それはきっと、七曜の魔女に限った話ではない。美鈴も、咲夜も、小悪魔も、そして実妹たるフランも。含まれてはいないのだろう。

 レミリアはこう思っている。五百年前の確執を(そそ)ぐ役割を担うのは、因縁の宿敵たるナハトと自分だけであるべきだと。

 二人だけで、十分なのだろうと。

 

 おまけにナハトが敗れ去った今、残された当事者はレミリアしかいない。

 

「ところで、フランはどう? ちゃんと上手く誤魔化せた?」

「今のところは、ね。でも気付かれるのも時間の問題よ。あの子、凄く聡いから」

 

 フランドールは紅魔館で唯一、自らに憑いていた悪魔の正体を知らない住人で、知らなくても良い住人だ。

 だってあの無垢な吸血鬼は、自分を操っていた者に対して最後まで、幽閉生活の孤独を紛らわせてくれた感謝を伝えたかったと、そう思えるくらい純粋で優しい女の子なのだ。義父を焼き滅ぼした者の正体が実父だと知れば……それも、自分にとり憑いていた者の仕業だと知れば、きっと大きなショックを受けてしまう。

 それは駄目だと、レミリアは真実を告げる選択肢を引き裂いた。もうこれ以上紅の呪いに縛られてはならないと願う、最大限の姉心だったのかもしれない。

 

「……これ、持って行って」

 

 パチュリーは手のひらに召喚陣を発動させると、鈍い銀を湛える装飾品を呼び出した。

 腕輪の形を成すソレを、そっとレミリアの腕へと嵌め込む。

 

「これは、おじ様と同じ?」

「そう、対日光用マジックアイテム」

「悪いわね、わざわざ」

「なに言ってるのよ、こんなんじゃまだ足りないわ。もっと、これくらいしないと」

 

 慣れた手つきでグリモワールを召還したパチュリーは、まるで彼女だけ時が加速したかのような速さで呪文を唱え始めた。

 パチュリーの言霊に応じる様に光が舞い、レミリアの体を包み込んでいく。

 体力、耐久力、瞬発力、攻撃力、耐魔力、魔力増幅――ありとあらゆる増強と加護を、これでもかとレミリアへ与えていく。

 それが、前線に立つ事の叶わないパチュリーの出来る、唯一のサポートだった。

 

 光が止み、手を握ったり離したりしながらレミリアは微笑んで、

 

「ありがとう。これで日焼け対策はバッチリね」

「……レミィ」

「なに? パ――チェ?」

 

 徐に、パチュリーは小さな首筋へと腕を回した。

 しっかりと、親友の体を抱き寄せる。

 不器用な彼女は、こんな方法でしかレミリアへ感情を表現出来なかったのだ。

 

「絶対無事で帰って来なさい。じゃないと、私が紅魔館乗っ取ってやるから」

 

 声が震えないように唇をきゅっと引き締める。この不安がレミリアに悟られない様に、精一杯力を込めて抱き締めた。

 

 今まで見た事の無いパチュリーの対応に、レミリアは思い切り度肝を抜かれた。確かに、一見冷静そうに見えて実は熱血気質なパチュリーだが、ここまで大胆に心を示すのは稀なのだ。

 戸惑っていたレミリアの手が、やがて行き場を見つけたようにパチュリーを抱き返す。

 

「それは怖いわね。私、家無し子になっちゃう」

「だから絶対に、絶対に帰って来なさい。館の運営なんて面倒臭い仕事、まっぴらごめんよ」

「乗っ取り宣言したり放棄したり、どっちなのよ」

「紅魔館当主はレミリア・スカーレット以外有り得ないって言ってるの、この馬鹿」

「お、おう。なんだか、今日のパチェは随分ストレートね。ちょっぴり新鮮だわ」

「馬鹿。この、大馬鹿レミリア」

 

 ――パチュリーだって、大魔法使いである前にレミリアの親友で、一人の女の子だ。友人の身を案じる心も、もしもの未来に抱く不安も、ちゃんと胸の中に宿っている。 

 今回の相手はただの妖怪や人間ではない。復讐と憎悪の炎を纏い、天蓋を食い破らんと輝く日輪の化身なのだ。吸血鬼にとって、これほどまでに最悪だと笑える敵はそういない。

 だから、考えてしまう。どうしても、頭の片隅に過ってしまう。

 もし、彼女が居なくなってしまったらと。絢爛な玉座に座り、自信満々にふんぞり返る小さな親友の姿が二度と拝めなくなってしまったらと。静かでほんの少し賑やかなお茶会の予定が、カレンダーから綺麗さっぱり無くなってしまったらと。

 イフの世界を、想像せざるを得ないのだ。

 

 それが限りなく可能性の高い未来であると、なまじ頭の切れるパチュリーは予測せざるを得なかった。

 分かっている。太陽を相手に、ましてやあの邪知暴虐を相手に圧勝を得る事など出来やしないと、とっくに理解している。理解したくなくても、脳が答えを突きつける。

 それでも彼女を送り出すことしか出来ない自分が、嫌気がさすほど歯痒かった。

 

 嗚呼、このまま時間が止まればいいのに。優しい魔法使いは雪解けの様に願いを込める。

 しかし残酷な瞬間とは、いついかなる時も訪れるものだ。

 

「パチェ。そろそろ行かないと。お父様を止めなくちゃ」

「……館の事は任せて頂戴。貴女は、自分の心配だけを考えて」

「分かってるって。大丈夫、絶対に帰って来るから」

 

 ふわりと、レミリアの体が離れていく。

 小さな体が、大きな満月と重なって。

 それはまるで、儚く舞い散る泡雪の様に美しくて。

 

「それじゃあね、パチェ。行ってきます」

「行ってらっしゃい。レミィ」

 

 

 

 

 

 

「なぁぁあああああああああにが呑気に行ってきますだこンの大馬鹿ボケナス腰抜けお姉様がァァァァァ――――――ッ!!」

「ふぎゃあああああああああああああああああ――――ッ!!?」

 

 

 吹っ飛んだ。

 いざ戦地へ赴かんと薄く涙を交えながら宙へ翻ったレミリアを、突如現れた妹君がまるで主神の槍が如きスピードで一撃をお見舞いしたのである。

 ドガラシャアアンッ!! と派手な爆発音を引き連れながら、レミリアは屋上を無残に転がった。

 しかし流石は不死を謳う吸血鬼か。筆舌に尽くしがたい着弾をしたというのに、案外なんとも無さそうに起き上って、

 

「い、いきなり何するのよフラン!? と言うか、なんで貴女がここにっ」

「うるさいうるさいうるさいうるさい!! 馬鹿お姉様は痛い目みて当然なのよ馬鹿! このスットコドッコイ吸血鬼!!」

「す、すっとこどっこい吸血鬼?」

「それにパチェもパチェよッ!! なーにしんみりしながら今生の別れみたいに独りでお姉様を送り出そうとしてるのこのチャランポラン魔法使い!!」

「ちゃ、ちゃら……?」

「そうよ! 二人揃って馬鹿! 大馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!! そんでもってももう一回大馬鹿コンビよバカァァ――ッ!!」

 

 腹の底から湧き上がるエネルギーをそのまま燃やしていると言わんばかりの激烈な咆哮。あまりの気迫と突拍子の無さに、レミリアとパチュリーは思考を完全に破壊されてしまっていた。

 ふーっ、ふーっ、と闘牛の如く鼻息を荒げながら、フランは尻餅を着いているレミリアへずんずん近づいていく。

 般若の如き表情のまま、フランはレミリアの胸倉を掴み上げると、

 

「お姉様ッ!!」

「は、はい!」

「なんで一人で背負い込もうとしてるの!? なんでパチュリーの心配をハナから裏切ろうとしているの!? なんで私には一言も相談してくれないのよッ!!」

「いや、でも、フラン、私はあなたの身を案じて」

「ふんぬッッ!!」

「いッたあああい!!?」

 

 ドゴン。

 語るも悍ましい頭突きがレミリアを穿ち、無残にもノックアウトさせてしまった。

 おでこから白煙を立ち上らせながら、ついでに口から竜の如く怒気を吐き散らしながら、フランドールはパチュリーへと牙を剥く。

 パチュリーは、えっ私も? と悶絶するレミリアを見ながら青ざめて。

 

「パチュリーッ!!」

「フラン、ちょ、落ち着いて」

「なんで全部一人で理解して終いにしようとしてるの!? なんでお姉様を無理にでも引き留めようとしないの!? なんで私には一言も教えようとしてくれないのよッ!!」

「それは……あなたが真実を知ったら、絶対に傷つくから」

「ちぇいやっ!!」

「んむきゅあァ――ッ!?」

 

 スパァン。銃弾の如きデコピンがパチュリーへ突き刺さった。病弱体質を考慮した威力の様だが、パチュリーもまたレミリアと同じく床へ突っ伏してしまう。

 吸血鬼と魔法使いを沈めた悪魔の妹は、腕を組み、灼熱の怒号をこれでもかと浴びせかけていく。

 

「そうやって何もかも全部ふたりで抱え込んで、傷ついて、解決して! それで私が――ううん、皆が喜ぶとでも思った!? おじ様が褒めてくれるとでも本気で思ったの!?」

「フ、フラン?」

「確かにねぇ、私はお姉様やパチュリーと比べたら全然なにも知らないわ! 子供よ! 問題を解決する力も無ければ頭も無い。お姉様たちに頼ってばかりのガキンチョよ!  ――でも、そうだとしてもッ!! 」

 

 ダメージが回復し、ようやくレミリアは顔を上げた。

 ぼんやりとしていた視界が鮮明になっていく。フランドールの顔が明細に映し出されていく。

 

「私にだって出来る事がある! こんな私でも、お姉様たちの苦しみを、ほんの一欠けらでも背負ってあげるくらいの事は、やってやれるわ!!」

 

 フランは、泣いていた。

 ぼろぼろと、滝のように涙を頬へ伝わせて。鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして。それでも必死に嗚咽を我慢して。

 フランドールは、心の叫びを訴える。

 

「私の身を案じたかった? 私を傷つけないようにしたかった? じゃあ、お姉様たちはどうなのよ!? お姉様たちだって、いっぱいいっぱい辛い思いをしてるんでしょ!? ――だって、()()()がああなって、お姉様が傷つかない訳がないんだもの!!」

「っ! フラン、あなた、なんでソレを知って……!?」

 

 おじさまではなく、お父様。

 フランの口から飛び出した言葉はレミリアの心臓へ巻き付くと、大蛇の様に締め上げた。

 だって、彼女がソレを知っている筈がないのだ。あの夜のフランは闇の底で眠っていて、紅魔館の中核を担う者たちの中で唯一現場に立ち会っていない。この件については徹底的に情報は揉み消していたし、無論誰も教えてなどいない。フランが真実を知る術などあるはずが無いのである。

 

 だが、しかし。

 

「知ってるわよ。だって、ずっと聞こえていたんだもの」

 

 彼女は真実を知っていた。それは望外の告白に他ならなかった。

 レミリアやパチュリーの話が聞こえていた、という意味ではない。あの現場の声を、フランドールは揺蕩う夢の中で耳にしていたと、そう言っているのである。

 

「最初は朧気な夢だと思ってた。微睡みが、私に怖い夢を見せてたんだって。でもさっきの水晶と二人の会話で確信に変わった。あれは、あの光景は夢じゃなかった――そうでしょう? 二人とも」

「……っ!」

 

 特大の苦虫を嚙み潰したような心境になる。

 知られたくなかった。知って欲しくなかった。

 フランドールは優しい子だ。傲慢かつ不遜、天上天下唯我独尊を下地とする吸血鬼には当てはまらない異例の子だ。小鳥のさえずりに微笑みを零し、季節の草花を愛せるような、慈愛に満ち溢れた女の子だ。

 だからこそ、醜い悪意に触れさせたくなかった。この子には――フランドール・スカーレットにだけは、呪われた先代の憎しみと因縁を決して知られてはならなかった。

 知ってしまえば、彼女は自分を責めずにはいられない。誰よりも優しい子だからこそ、かつて自分を利用していた悪意がナハトを焼き滅ぼしたという現実を、受け止められるはずが無いのだ。

 フランドールはきっと、自分が騙されていたせいで、ナハトを傷つけたと思ってしまうから。

 

 

 なのに。

 

 

「お姉様。私だって、一緒に闘えるわ」

 

 どうしてこの子は、こんなにも強い光を瞳に宿しているのだろう。

 

「私だって、お姉様の苦しみを分かち合ってあげられるわ」

 

 どうしてこの子は、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながらも、(レミリア)へ手を差し伸べているのだろう。

 

「だから、お姉様。どうか、どうか一人で背負おうとしないで。一人で立ち向かって、勝手に傷つこうとしないで」

「フラン……貴女……」

「じゃないと、私っ、そっちの方が、嫌だもん。絶対絶対、納得できないもん……!」

 

 彼女が口にしているのは、自責の罵倒なんかじゃなく。

 姉を縛り付ける血で錆びた鎖が、いつしか本当に姉を殺してしまうのではないかと心配し、恐れ、そして一人耐え忍んでいた事実に怒る、無償の愛に他ならなかった。

 

 

 ――――まだまだ子供だと思っていた。

 

 

 長い幽閉生活があったから、というのもある。フランドール・スカーレットは例えレミリアと同じくらいの見た目でも、誤差程度しか年齢の差が無くとも、まだ清濁併せ呑むには至らない子供だと思い込んでいた。

 それで良いと思っていた。だって彼女から自由を奪ってしまったのは、他でもないレミリアなのだ。悪魔の謀略に惑わされていたなんて、何の言い訳にもなりやしない。

 だから、失っていた分をゆっくり取り返して欲しいと願っていた。友達といっぱい遊んで、時には喧嘩して、美味しいご飯をたくさん食べて、疲れてウトウトしながらもその日の楽しかった思い出を語りながら、途中で力付きてぐっすり寝てしまう様な、そんな健やかな生活の中で成長していって欲しいと、姉は心の底から願っていた。

 でも、フランドールはとっくの昔に強くなっていたのだ。善意も悪意も飲み込めて、そして他人を慮れる子へと立派に成長していたのである。

 

 キッと、フランは鋭い眼光を宿した。

 涙を振り払い、覚悟の炎を燃やしながら、姉の前に奮い立つと、

 

「私はっ! 誉れ高きスカーレット家が次女、フランドール・スカーレットである!」

 

 黒い捻子くれた杖を召還し、彼女は床を強く突いた。

 甲高い金属音が、凛と染み渡ってゆく。

 

「そしてあなたはっ!! 我儘で意地っ張りで強情で、でも強くてかっこよくて美しくて、大昔からずっとずっと私を守ってくれてた私の自慢のお姉様! スカーレット家不動の君主、レミリア・スカーレット!! ――――でも、お姉様の絶対君主はもう終わり!」

 

 虹の翼が月下に輝く。舞い散る涙は星の様に煌めき奔る。

 

「だってお姉様、何も分かって無いんだもん。主が従者の身代わりになって、美鈴や咲夜が納得すると思ってるんだもん。私の分まで頑張って、それで独り闘ってボロボロになるまで傷ついて、良いと思ってるんだもん! 姉心? 冗談じゃないわッ!! 私は子供だから、そんなの全然納得できない!!」

 

 右手を掲げる。万物の目を握り砕き、破壊する力を持つ小さな手を。

 

「独りで戦うつもりなら、私は勝手についていく。そしてお姉様を怖がらせる太陽をぶっ壊してやるわ! 如何なる障害も、魔の手も、この力で握り壊してみせる!」

「フラン、ドール」

「だから……だからお姉様がかける言葉はっ……! さよならだとかお元気でだとか、頭が眩むようなしみったれたセリフなんかじゃないのよっ……! そんなの、お姉様らしくない。萎れたキノコみたいにしょげていないで、いつものようにふんぞり返って、私達にただ一言、こう言えば良い!! お前達の力を私に寄越せって、地獄の底まで着いて来いってさぁ!!」

 

 理屈や事情なんてものはない。そんな陳腐な物に囚われない、精一杯の叫びがそこにあった。

 張り裂ける号哭はまさしく、言霊と呼べるものだったのだろう。複雑怪奇な音の波は、しかし実体を伴ってレミリアの胸を強く打った。夜の静寂が、まるでフランドールの言葉を遮らないよう組み立てられたものだと、錯覚してしまうくらいに。

 

「妹様の仰る通りですよ、お嬢様」

 

 気配も無く、レミリアの背後から声が響いた。

 凛と澄んだ銀矢の声。語るまでも無く、レミリアの忠臣たる十六夜咲夜である。

 

「元より我々はお嬢様の命に従うだけの存在。主である貴女様を差し置いて、どうして我々だけがのうのうと時を過ごせましょうか。お嬢様、この紅魔館は――この咲夜は。お嬢様が健在で居てこそ、真に意味のあるものなのです。主の務めは我らに盾と成れと命じる事。そして従者の痛みを飲み込む事。役割を履き違えてはなりません」

「咲夜……」

 

 最前線で刃を振るう首魁はいない。それは手足の務めである。そして手足の苦痛を噛み締め、受け止めるのが頭首の業に他ならない。

 例えどれほど手足を失う事が怖くても、大将が恐怖を克服すれば四肢は動く。末端はそれを知っているからこそ、主の信頼に答え、勝利を捥ぎ取ろうと躍進する。

 故に、真に忠誠と信頼を向ける者達へ王がかける言葉は、主を棄てて自由に生きろなどではない。私の為に命を捧げろと、絶対の信頼を賜うことに他ならない。

 

「それになにより、お嬢様へ実験作――いえ、真心を込めて作った美味しいお茶を出せなくなるのは嫌ですわ。咲夜から数少ないストレス解消の機会を奪わないでくださいまし」

「おい」

「レパートリーのストックはまだ沢山ありますので、退屈はさせませんからご安心くださいな」

 

 緊張を解きほぐすように、咲夜はふわりと、月明りの様に優しい微笑みを浮かべた。

 

「ああ、それと。妹様に賛成の意を示す者は私だけではございません。そこの影に隠れている門番も、思う所があるらしいですよ」

「……たはー、一発でバレちゃいましたか。本気で忍んでいたつもりだったんですがねぇ」

 

 参ったなぁ、と呟きながら出て来たのは、門に居る筈の美鈴だった。

 ああ、とレミリアは納得の顔を浮かべる。レミリアの所在を知る筈の無いフランが一直線に居場所を突き止められたのは、気を探る力を持つ彼女が入れ知恵を仕込んだからなのだろうと。

 

 美鈴は気まずそうに頬を掻きながらも、堂々とした光を眼に灯して、

 

「お嬢様。ナハトさんの話、さっきパチュリー様から聞きました」

「……」

「正直、まだ信じられないです。スカーレット卿がまだ存命だったなんて。……ましてや、あのナハトさんが、敗北を喫しただなんて」

 

 紅美鈴は、ナハトを除いて最も古くから紅魔館へ携わってきた人物だ。スカーレット卿と多くの因縁がある訳ではないが、五百年前からの確執を事細かに知る者の一人でもある。

 故に美鈴もまた、レミリアと同じ複雑な心情を抱いているのだろう。

 けれど彼女は、ただ困り顔を浮かべるのみだ。内に渦巻く感情を、表に出す事はしなかった。

 

「――私は、咲夜さんや妹様みたいに上手い言葉は喋れません。でも、拙いながらも示せるものはあります」

 

 帽子を取り、胸の中心へと持っていく。

 膝をつき、頭を垂れる。

 戸惑いも、迷いも無い。一片の淀みすら見せない、流れる様な服従の所作。

 

「傍若無人に、唯我独尊に、思うが儘にご命令を、お嬢様。我が魂は貴女の運命と共に」

 

 それは、彼女にとって最大限の忠誠だった。

 余計な言葉は必要ない。ただ一言、命令をくれと静かに傅く。それは無謀や自棄の表れではなく、ただただ主を信じ頼る、臣下の誓いに他ならない。

 

 応じるように、次は咲夜が膝をついた。

 フランは口元をへの字に曲げながら、必死に涙を零すまいと我慢しつつ、堂々とした姿勢を保っていた。

 

 残されたパチュリーは、徐に帽子を手に取って。

 

「……貴女の問題には、私を含めて、皆が口を挟むべきではないと思っていたわ」

 

 ぽつりと、桃色の唇から言葉が落ちる。

 彼女の抱えていた、本当の気持ち。レミリアの意図を蔑ろにしないために封じ込めていた、パチュリー・ノーレッジの真の想い。

 それが、緩やかに吐露されていく。

 

「レミィ。貴女の抱える因縁はあまりにも業が深い。五百年の呪いをその一身で背負う貴女の背中を、私はずっとこの目で見てきた。だからこそ、この戦いに余計な手出しはすべきでないと思ってた。肉親でもない、友人であってもただの一個人でしかない私が、貴女の因果を変わってあげる事なんて、出来る訳がないと思ってた」

 

 けれど、それは間違いだったのね――パチュリーは瞳を閉じて、静謐に語る。

 

「今、私は思い上がってたと確信したわ。本人の心を、責務を、丸ごと肩代わりなんて出来る訳がない。当然よね、私はレミリア・スカーレットでは無いのだもの。――でもフランの言う通り、その荷を背負う手伝いなら、私でもやれる事だった」

「パチェ」

「前言撤回よ、レミィ。私にも無茶をさせなさい。こんなヘッポコでも、貴女の友達でいたいから」

 

 微かに震える、宝石のような紫の瞳。しかしそれは、揺るぎの無い決意の表明だ。

 同じように、集った紅魔館の精鋭たちは、レミリアへ誠の意思を向ける。

 紅い少女は息を吐き、くっくっと乾いた笑みを浮かべた。

 

 ―― 本当は、一人で戦うのが怖かった。

 

 それは全て心の奥に押しとどめていた。そうしないと、アレには到底敵わないから。万が一にも、太陽を制してしまったお父様に勝つ事など出来やしないから。

 恐怖は安心の毒を助長させる。弱みは悪魔に付け入る隙を与える。

 ナハトとは正反対の魔性を持つ父の甘言に、自分や仲間が蝕まれてしまえばどうなってしまうか分からない。もしかしたら、想像もしたくない運命を迎えるかもしれない。

 だから感情を全て殺して、独りで挑もうと考えた。仲間に頼らず、孤高のまま、自分一人で自己完結してぶつかればいい。そうすれば、例え蝕まれてしまったとしても、最悪の結末は自分だけが背負えると考えていた。

 そうなったら、私もろとも全てを片付けてくれる人が現れるだろうと、朧の様に思案していた。

 

 でも違った。この光景を見て、その考えを改めざるを得なくなった。

 

 見違えるほど成長した妹の勇姿の、なんと励まされることだろう。

 この緊迫した時でも冗談を挟みながら瀟洒に背を押す従者の、なんと勇気づけられことだろう。

 鉄壁の城塞が如く揺るがない門番の忠誠の、なんと安心を覚えることだろう。

 長い時を共に過ごして、自分を理解し気遣い続けてくれた友の存在の、なんと心打たれることだろう。

 

 全てを独りで片付けようとした時とは、心の強度がまるで違う。慢心や驕りではない。今ならあの甘美な猛毒に負ける事は無いと、絶対の自信を持って言えるのだ。

 安心に勝てるのは安心だけだ。そして、吸血鬼が太陽に勝つためには、たった一人では駄目なのだ。

 彼女たちとなら勝てる。そう確信を持って、両足に力を込められる。

 

 

「……まったく。私のこと馬鹿だなんだと散々言っておきながら、アンタ達も相当な馬鹿者じゃない。分かってない、ええまるで分かってない。これから戦う相手が何なのか、どんな運命が待ち受けているのか」

 

 皮肉を走るレミリアの口からは、自然と微笑みが零れていた。

 しかし、それを張り手で押しとどめる。

 スイッチを、カチリと切り替えていく。

 

 血の様に紅い瞳。禍々しくも妖艶な瘴気。銀の刃が如き牙。無垢な白肌は、月明かりの下で尚美しく。

 絢爛たる夜の支配者に相応しい、吸血鬼の持つ王の覇気が、小さな少女からビリビリと放たれていく。

 

 その場の誰もが、視界の中心を捉えて離さなかった。

 その場の誰もが、彼の者こそが王であると疑う余地を持たなかった。

 

「――故に、聞け。この場に集う、蓋世不抜(がいせいふばつ)にして万夫不当の同胞たちよ」

 

 戦慄が木霊する。音は神経を伝達し、実体を伴って脳を揺さぶる。

 

「此度に挑むは正真正銘の負け戦である。夜の眷属を容易く屠る忌まわしき天敵、太陽そのものが相手である」

 

 体が宙に浮いていく。

 小さな肢体は、やがて満月へと重なって。

 

「しかし、我々に降伏後退の文字は無い! ここには太陽すらも覆す、自慢の精鋭たちがいる! 私は、お前たちと言う刃を持っている!」

 

 拳を作り、掲げる。

 紅い瘴気が華奢な腕へと纏わりつく。

 

「偉大な闇夜の支配者が敗れ去った今、我々(・・)でこの呪いに終止符を打たねばならない。我らの愛しい幻想を取り戻さなくてはならない。であれば、負け戦の運命をひっくり返そう! 不可能を可能に、不可逆を可逆に変えて見せよう!」

 

 月が紅に染まっていく。

 かつての異変と同じように、血のような鮮紅へ塗り潰されていく。

 

「諸君。これは異変解決だ。決闘でも死闘でもない、いつもの異変解決だ。然らばその後はなんだ? ああそうだ、祝宴だ。故に――誰一人として欠ける事は許されん」

 

 力強く、一切の淀みも迷いもなく。

 

「肝に銘じよ! 真の敗北は死であると! そして我が父へ叩き込んでくれよう! この地の流儀を。我らが幻想の気高き意思を!」

 

 紅の姫君は、高らかに宣言するのだ。

 

 

 

 

 

 

「お、お嬢様ぁっ!!」

 

 しかし、そこで乱入する影が一人。

 緊迫した糸を断ち切った張本人へ向けて、何事かと視線が集まっていく。

 十人十色な眼差しを向けられているのは、肩で息をしている小悪魔だった。

 

「あ、お話ちゅっ、ごめんなさい! でも、し、しきゅうっ、お耳に入れたい事がっ」

「……なんだ。話してみろ」

「こ、紅魔館で、暴動が起こってるんですぅ!!」

 

 ざわざわと、小悪魔の一言が波紋を呼んだ。

 暴動。この幻想郷に来てから一度も耳にした事の無い言葉だ。しかしその意味は知っている。幻想に生きる妖怪たち、特に西洋で魔女狩りなどの暗黒時代を生き抜いてきた彼女たちには、懐かしくも忌まわしい言葉だった。

 それを受け止めたレミリアは、しかしさして動揺する素振りもみせず、

 

「……やはり、()は撒かれていたか」

 

 レミリアの零した台詞を、パチュリーが拾い上げた。

 

「まさか、スカーレット卿が?」

「だろうね。大方、怨霊を餌に増殖させた魂魄を妖精メイド共へ植え付けていたのだろう。気付かれないよう、古明地こいしと共にひっそりと」

 

 無意識と安心の呪縛から解き放たれた今、それは自明の利であった。

 かつてスカーレット卿が覚醒した時、彼は幻想郷を支配する一つの計画を立てていた。自らの魂の欠片を他者へ寄生させ、さらに宿主の魂を餌にする事で、己の端末をネズミ算式に増やし、さながら爆発的な感染力を持ったウィルスの様に支配圏を広げていくという邪法である。

 流石にレミリアやパチュリ―の様に強い耐魔力を持った者には寄生させられなかったのだろうが、小悪魔の様子を見るに、紅魔館全域の妖精メイドがやられたと考えて良さそうだった。

 しかしそうならば、恐らくもう幻想郷中に……。

 

「だが好都合だ、これで感染者の区別がつく様になった。ならばパチェ、後は分かるね?」

「ええ、任せなさい。純粋な吸血鬼の魂ならまだしも、極限に薄まった末端の量産品くらいなら、引き剥がすなんて訳ないわ」

「よし。――美鈴、小悪魔。お前達にはパチェの護衛とサポートを任せる。貧弱もやしの介護を頼んだぞ」

「ちょっと」

 

 ひらひらと、レミリアはパチュリーへ手を振った。

 

「咲夜。お前は私たち姉妹を死んでも守れ。いや、死ぬな。死なずに死ぬ気で守り通せ」

「まぁ、素敵な無茶ぶりですわね。私の老後はさぞや安泰なことでしょう」

「フラン。お前は私の前に立ちはだかる障害を塵芥に粉砕しろ。その破壊の力を存分に使う事を許す。気を付けて戦うように」

「……なんか遠足に向かう子供を嗜めているように言われた気がするけど、まぁ良いわっ。任せてお姉様!」

 

 それぞれの役割は決まった。 

 少女たちは、与えられた戦場へと赴いていく。

 

 筆頭に空を舞うは、永遠に紅い幼き月。

 

「それでは諸君。主演気取りの道化に、終幕を告げに参るとしよう」

 

 

 

「こ、こりゃあ一体全体何が起こったのさ!?」

 

 灼熱地獄の温度管理に使う死体を集め、やっとの思いで地霊殿へ戻って来た火車の少女は、入口を開けるなり絶叫した。

 

 彼女の名は火焔猫燐。霊烏路空の友人にして、同じくさとりのペット同輩の火車である。

 そんな彼女は帰路に着く最中、ようやく地霊殿の姿が見えてきた所で、突如耳を(つんざ)いた強烈な高周波に驚き跳ねた。何事かと慌てながらも持ち前の野性的聴力で音の発生源を突き止め、その光景を目の当たりにしたことで、あっと言う間に混乱の渦へ閉じ込められてしまったのである。

 

 猫らしく瞳孔を縦に窄める少女の前には、まるで爆撃にでも晒されたかの如く荒れ果てたエントランスが広がっていた。

 破壊の中心点――灼熱地獄と地霊殿を隔てていた分厚い床は、無残にも砕き割られている。よく目を凝らすと、上から圧力をかけて壊されたのではなく、内側から破裂したかの様に床の一部が歪んでいた。

 となるとお燐の知る限り、犯人は一人しかいないだろう。最近なにやら不思議な力を得たお空が、ポカをやらかしたに違いない。

 お燐は赤い髪から覗く耳をぴくぴくと動かしながら、死体が山積みになった台車を脇へ止めた。タタタタっと軽い身のこなしでエントランス中央へ近づいて、激しく砕き割れた床を覗き込み、

 

「お空ーーっ! なんか上がめちゃめちゃになってるんだけど、まさかあの力でおイタしたんじゃないでしょうねーーっ!?」

 

 ……返事は無い。

 いつもなら声をかければ直ぐにでも飛んでくるお空が、一向に姿を見せる気配がない。

 

 留守だろうか? それとも既にさとり様の部屋でお説教をされちゃっているのだろうか? 

 訝しみながらも、取り敢えずお燐は下へ向かう事にした。結構な距離がある天窓を破壊するくらい力を使ったのなら、お空が管轄している最深部は目も当てられないくらいズタズタになっていても不思議ではない。もしそうなっていたら灼熱地獄のバランス管理が危なくなるので、お燐が代わりに安全を確保しようと考えた訳だ。

 

 ふよふよと落下を始める。深さが増すごとに熱気が肌を撫でるが、妖怪の――ましてや火車のお燐にとってそんなものは何の障害にもならない。

 無事、着陸。きょろきょろと目を配る。

 辺り一面に見当たるのは、月の表面を思わせる破壊痕の数々だった。屈強さで知れる鬼製の連絡橋がところどころ弾けるように破壊されていて、中には溶け崩れている箇所もある。傷は橋のみならず壁にまで及んでおり、その壮絶な有様は、大妖怪同士が喧嘩したかのような残り香を放っていた。

 当然、お空の姿はどこにもない。

 

「お空……一体何があったってのさ」

 

 ぽつりと零れる、心配の言葉。

 それが灼熱の空気へ溶け込んだ、その時だった。

 背中を撫でる、熱気ではない別の圧力。

 妖獣から進化したお燐の野性は、一瞬にして尋常ならざる気配を感じ取った。

 

 ――下に居る。

 

 鉄橋の下から、ナニカが上がってきている。

 始めはお空かなと思ったそれは、気配が近づいて来るとともに、全く身に覚えのないシルエットを脳裏へ映し出した。

 やがて、その瞬間はやってきた。

 お燐の目が、鼻が、肌が、魂が。ソレを正しく認識した瞬間、野生の勘が警笛を吹き鳴らし、体を一気に強張らせてしまう。

 

「ひうっ」

 

 水中で口から漏れ出す水泡の様に、意図せず息が唇の間を吹き抜けた。

 吐き出さないと、喉元で膨張を続ける感情に、押し潰されそうになってしまうのだ。

 

 お燐の前に、名伏しがたいナニカが、鉄橋の下から現れた。

 黒い触手がまるで蛸のようにうねり、本体(・・)を鉄橋にまで押し上げて来たのである。

 

 触手の根元にある人形からして、恐らく男性。しかし肉体は余すところなくグズグズに融解しており、炎が脂を養分に体を這いずり回っていて、白い骨が露出している箇所が幾つもあった。

 第一印象は地獄の悪魔が相応しい。西洋の伝承なんかに出てくる、煉獄の底で笑う異形が適格だ。

 あまりに悍ましく、惨たらしい容貌に、死体集めが趣味のお燐ですら寒気を覚えた。餓鬼道に堕ちた餓鬼の方が百万倍も可愛げがある。もはや溶けた五臓六腑を骨格標本へ滅茶苦茶に貼り付けた肉模型に等しい姿なのに、しかしその眼は宝石の如き輝きを湛えていて、一層不気味さを際立たせた。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。謎の男は浮かび上がって、鉄橋へ着陸する。衝撃で役目を終えた触手がべしゃりと崩れ落ち、黒い霧となって霧散した。

 支えが足りなくなったせいか、男はがくりと膝をつく。こちらを見る紫の瞳が何を孕んでいるのか、お燐には窺い知る事が出来ない。

 

「な、なななな、何モンだいアンタぁっ……!? こんなところでなに、あっ、お、お空をどこにやったんだい!?」

 

 と。

 そこまで叫んで、お燐は主人から言われていた言葉を思い出した。この地霊殿に今、地上からの移住者が来ているという話だ。

 詳細は聞かせてもらえなかったが、とにかくその人物の印象だけは、耳にタコが出来るくらいお空と一緒に叩き込まれたのだ。

 

 曰く、とんでもなく恐怖を煽る男であると。曰く、それは地上の吸血鬼であると。

 

 ご主人様は、その人と万が一鉢合わせになっても一切関わるなと言っていた。決して敵ではないが、目を離さないように後ずさって、十分距離を離してから逃げなさいとも教わった。対処法が熊に対する人間のソレだが、その住人の影も形も見ていないお燐からすれば、いまいち実感がわかないものだった。

 

 それを、今になって体で感じた。

 吸血鬼の貌には到底見えないが、間違いない。見た目以上に、野性の六感が告げる悪寒――彼こそが件の移住者、吸血鬼ナハトであるのだと。

 

「きテ、くレた、か」

 

 激しいノイズの入り交じる、砂嵐の様な声で男が囁く。

 体が命令されたかのように、お燐は条件反射で答えていた。

 

「あ……あたいは、火焔猫燐。さとり様のペットの火車だよ。あんたは、吸血鬼のナハトだよね……?」

「さトり……へ、さトりへ、連絡、を」

 

 血反吐を吐く様に、男は言葉を繰り返した。コールタールのようなどす黒い液体と、肉体組織とは到底考えられない破片を撒き散らしながら。

 

「たの、む。さトりを、呼ンで、く、頼む」

「さ、さとり様を呼べばいいのかい? ああでも、その傷は放っておくと不味いよ! 今にも崩壊しそうな勢いじゃないか!」

「私は、いい。早く、はや、く」

「お燐!」

 

 選択を迫られるお燐の真上から、耳に馴染む声が聞こえた。

 顔を上げる。見慣れた水色のスカートが目に映って、次いで桃色の髪が見えて。それが今、この場に最も必要な人物だと脳がはっきり認識した。

 古明地さとり。お燐とお空の、唯一無二のご主人様だ。

 

「お燐! よかった、貴女は無事だったのね!」

「あっ、えっ、えっと。すみませんさとり様、無事かと言われてもあたい、全然状況が掴めないんですが……!?」

「話は後! それより……酷い。なんて、惨い傷……!」

 

 膨大な陽の光を外からも内からも注がれた結果、体は爛れ、崩れ、中身も滅茶苦茶な融合を繰り返し、最早ナハトは辛うじて人の形を保っている状態に過ぎない。それを目の当たりにして、さとりは顔を青くしながら口元を抑えた。

 

 しかし、彼女の精神的強度は並みではない。さとりは直ぐに持ち直すと、自らのスカートの端を引き裂いて、更に破壊された鉄橋の切れ端を使い、指を切った。溢れた血の雫を布に滲み込ませると、それをガーゼとするように、生傷へ当ててしっかり押さえていく。

 さとりの血を吸い込んだ肉体組織は、瞬く間に再生していった。やはり彼は正真正銘の吸血鬼なのだろう。

 しかしそれはあくまで一部の話だ。効果は応急処置にも及ばない。僅か数滴たらずの血液では、この甚大なダメージをカバーする事など到底不可能である。

 

 徐に、ナハトは炭化した腕を伸ばしてさとりの肩を掴んだ。

 息をするだけでも苦痛を伴う状態の筈だが、ナハトは必死に言葉を紡いで、

 

「さと、り。すま、ない。奴を、止められ、なかった。こいしを、空を、行かせてしまった」

「話は後です! まずはこの傷を治さないと――そうだ。お燐!」

「は、はい!」

「詳しい事は後で話すから、今は彼を血の池地獄へ連れて行って頂戴! 沢山血が貯まってるあそこなら、ナハトの傷を癒す事だって出来るはずよ!」 

 

 お燐は頷き、満身創痍の男を担いだ。少女の容貌とてお燐は妖怪である。この程度の重さ、荷物にすらなりやしない。

 

 ……この場所で彼の身に何が起こったのか、さとりとこの吸血鬼がどんな関係にあるのか、お燐に理解できる術はない。

 ただ分かった事は、彼が敵ではない事。そしてお空とさとりの妹君、古明地こいしが何らかのトラブルに関わっていて、それを止めようとした彼が、お空の持つ太陽の力の前に手酷い傷を負わされたという事だ。不死身で有名な吸血鬼の彼がここまで重症を負ったとなると、そうとしか考えられない。

 

「わ、分かりました。でも、さとり様はどうなさるんで?」

「私は地上の賢者と連絡を取るわ。恐らく――いや、確実に彼女もアレの存在に気付いていない。気付けるはずが無いんだもの」

 

 裏を孕んだ言葉をさとりは零す。何に気付けないのか、お燐には分からない。しかし、事が相当緊迫した状況にある事だけは理解した。

 だって、自他共に人と関わるのが大嫌いなさとり様が、即決で地上の賢者へ相談しようと決断を下した程なのだから。

 

「でも、どうやって? 地上との連絡手段は、ここには無いですよ?」

 

 当然だ。この地底は忌み嫌われ、地上を追われた者達が集う場所である。おまけに地上と地底は互いに不可侵条約を結んでいるため、主な連絡の手段は無い。あるとしても地上側の一部だけ。つまり一方通行だ。

 しかし、そこまで考えて、お燐はさとりの考えている事を察した。

 血液が、足元にまで落ちたかとさえ錯覚した。

 

「まさかさとり様、地上へ出るつもりなんですか!? 危険すぎます! 連絡を取り付ける前に、何があるか分からないじゃないですか!?」

 

 連絡の術が無ければ、自らの足を使うしかない。

 だって、それ以外に道なんて無いのだ。さとりに連絡用の式神を飛ばす能力はない。お燐も同じく、使えるとしても怨霊や死体を使役する力だ。怨霊が往来跋扈する地底ならばさておき、それらを忌み嫌う地上へ放ったところで、行きつく前に何者かの手で処分されてしまうのは目に見えている。

 だから、自分が行くしかない。そうさとりは判断したのだ。それしか思いつかないのだ。嫌われ者のさとり妖怪にとって、地獄よりも地獄に等しい地上へ出向く方法しか、彼女に残されていないのだ。

 それに何より、さとりはお空とこいしの事が、心配で心配で仕方がなかったのだ。

 

「心配は、ない」

 

 八方塞がりの選択肢へ新しい道を示したのは、吸血鬼だった。

 彼は朽木のような指を彼方へと向けながら、弱々しい声を振り絞って、

 

「私の義娘が、監視用に使い魔を飛ばしていた。私がこの地に、降りた時から、ずっと、私を観察していたのだ。先の襲撃で、破壊されてしまった、が、レミリア達の誰かが、紫へ事の詳細を、伝えて、くれるだろう」

「ナハト……」

「本当なら、直接紫と繋がる、連絡用の札が、あったのだが、ね。奴の奇襲で、使い物にならなくなって、しまった」

「もう喋らないでください……。傷が更に悪化してしまいます」

 

 お燐、と再びさとりは指示を飛ばす。お燐は応じて、妖怪の脚力と浮遊術をふんだんに駆使し、ナハトを血の池地獄へと飛び去った。

 

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