【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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34.「運命結ぶ七重奏」

「運命『ミゼラブルフェイト』!!」

「援護します、お嬢様!」

 

 稲妻の如き宣言と共に、レミリアの小さな体から紅蓮の鎖が放たれる。天を切り裂く紅き大蛇はスカーレット卿を吞み込まんとのた打ち回り、怒涛の如く殺到した。

 それだけでは終わらない。駄目押しの追い打ちを掛けるが如く、咲夜が銀の刃で取り囲み、余白を纏めて塗り潰す。全方位から放たれる銀翼と紅彩の波状攻撃は、熾烈でありながら見る者の心を奪う妖艶な美を纏っていた。

 

「小癪、小癪ッ!」

 

 一蹴。そう形容する他ない世界を焼かんばかりの灼熱が卿を中心に大回転し、一切合切をまとめて焼き滅ぼしていく。

 形容しがたい焦げ臭さが鼻腔を突く。膨大な熱波はパチュリーの加護を突き抜けて、ジリジリと肌を舐めまわした。

 

 卿が腕を振るうだけで、太陽のそれとなんら変わらない大エネルギーが容易く生み出される。もし何重の防護も無く近づけば、吸血鬼のレミリアはおろか咲夜までも骨すら残さず融解してしまうだろう。 

 ナハトを葬り去った場面を目にした時から分かっていたことではあるが、今のスカーレット卿が持つ力は絶対的以外の何物でもない。狂気的な強さ(ルナティック)を通り越した別次元の力と言える。特に太陽と相性が悪い吸血鬼のレミリアにとって最悪に等しい怨敵だ。

 

 だがそれは戦いを決意した時から想定していた範囲である。焦らず、冷静に、レミリアは分析を繰り返した。

 

 攻防を見る限り、正面突破は不可能に近い。相性もあるが単純に地の力が違う。八咫烏以外にも、数多の怨霊を支配下に置いたことで何らかのドーピングが施されているのかもしれない。少なくとも、ワンパターンなごり押しで勝利をもぎ取れるほど安い相手ではないのは明白だ。

 

 ならば、どう手を打つ。

 戦法を変える。その為には必要な情報を集めなくてはならない。故にレミリアは、先ず敵の弱点を捜索しようと考えた。

 

 一つ、レミリアには不確かな疑問がしこりのように存在していた。太陽の属性と相性が悪い吸血鬼の魂が、何故八咫烏の分霊から力を抽出し、挙句の果てに思うがまま操れているのだろうかと。そこだけが、どうしても理解出来ずにいるのである。

 何か絡繰りがある。それを探り出す事が出来たのならば、勝機に繋がる架け橋となるかもしれない。

 

「なんだ、もう終わりか? いざ陽の炎を前にして怖気づいたか? なに、遠慮することは無い。泣いて嫌がるほどその眼に焼き付けていくがいいさ!」

 

 卿がおもむろに左手を掲げる。それを合図に頭上へ黒い太陽のような小球が出現すると、右腕を覆う多角柱状の棒からけたたましいアラートが鳴り響いた。

 『Caution!! Caution!!』――警告を意味する西の言葉が、紅魔の主従へ確かに届く。否が応にも身構えさせられ、レミリアと咲夜は歯噛みした。

 

「ふははっ! そぉら、苦悶の炎に揉まれるがいい!」

 

 瞬間、白光する大炎熱波が怒涛の勢いで殺到した。

 触れれば最後、骨すら残らないだろう莫大な熱を湛える弩級の球体。それは情け容赦なく大気を焼き焦がし、次々と二人目掛けて降り注ぐ。

 追跡(ホーミング)はない。代わりに物量と質量で潰しに掛かってきている。しかしレミリアたちにとってこの弾幕は好機を産んだ。

 咲夜は周囲一帯を隙間なく埋め尽くされていなければ時を止めて自在に間を縫うことが出来る。レミリアは持ち前の身体能力と小さな体躯を活かし、灼熱の嵐を躱し続けられる。

 だがグレイズは許されない。掠りでもすれば最後、一瞬にして光の中に飲み込まれてしまう。細心の注意を払いながら、レミリアたちは着実に距離を詰めていった。

 

「咲夜ッ!!」

 

 圧倒的な攻撃により見失った従者へ向けて、レミリアは声を張り上げる。

 

()()()()()()()()! あれが力をコントロールしている制御の核よ!!」

 

 スカーレット卿の持つ弱点と思わしき存在を、怒号と共に受け渡した。

 

 確信を得た訳は、先ほど奴の右腕から発せられた機械的な警告音である。あれはスカーレット卿の意図によってわざわざ発せられたものではない。恐らく、元から棒そのものに備わっている機能なのだろう。

 

 棒はスカーレット卿が小規模のフレアを発した時は何も反応しなかった。しかし強大な力を用いた際には、まるで周囲の存在へその危険を知らしめるかの様に『Caution(警告)』を打ち鳴らしてきた。

 つまり、あの棒と八咫烏の力には何か関係性があると考えるのが自然だろう。それは一定以上の力が使用された際、危険性を周りへ伝える機能を持っている点から明白だ。

 ただのアラームにしては仰々しい上に、スカーレット卿の性格から考えて、行動の邪魔になり得る装備はすぐさま排除する筈である。なのにそれをしない、つまり棒を取り外さず警告音も無視しているという事は、逆に()()()()()()()()()()()()だと考えられる。

 

 切り離すことが出来ない理由と、力の強弱で反応が変わる理由。これを少し想像すれば、あとは子供でも分かるだろう。あの棒はいわば制御装置、ブレーカーの類。即ち能力を操る上での支柱なのだ。

 さしずめ、制御棒とでも言った所か。

 

「承知しました、お嬢様!」

 

 炎の向こうから咲夜の声が聞こえる。

 刹那、間髪入れずに耳を劈く金属音が連続して響き渡った。時を止めた咲夜が、制御棒めがけて一斉に攻撃を開始したのだろう。機関銃の如き跳弾音は、白炎に遮られた視界でもはっきりとその光景を映し出してくれる。

 

 しかし。

 

「ぎっ!? ――――づ、あぁッ!?」 

 

 空を切って訪れた苦悶の声は、愛しい従者の方だった。

 声のした方向へ瞳を見開く。だがその視界の下を高速で移動する影に目を奪われ視線を向けたレミリアは、その光景に顔の血液を奪われた。

 

「咲夜ッ!?」

 

 十六夜咲夜が黒い煙の尾を引きながら、重力の自由落下に身を任せていたのだから。

 考えるよりも速く体を動かす。魔力を局所的に爆発させ、そして得た膨大な推進力に従うまま、レミリアは圧倒的なスピードをもって咲夜を確保して見せた。

 宙を舞い、巧みに遊撃を回避しながら腕の中のメイドを見る。ぶすぶすとした煙を纏っていたように見えたが、別段火傷を負ってはいない。どころか、衣服の端すらも燃えていなかった。

 しかしレミリアに抱かれる咲夜からは、未だ気味の悪い煙が汚れた煙突の如く立ち昇っている。

 

 バチン。

 不意に、咲夜に触れていた細指が、電流に似た衝撃と共に弾かれた。

 

「これは……!?」

 

 パチュリーの加護が、何らかの魔術的要因を弾き飛ばした反応だった。

 よく見ると咲夜に掛かっていたはずの厳重な守りが全て打ち破られている。紅魔館が誇る最大の叡智があらん限りの知恵と魔力を振り絞って作成した渾身の守りがだ。

 例え太陽の炎に直撃しようとも、数発程度なら軽い火傷まで落とし込む事の出来るシールドの筈なのに、こうもあっさり破られた。あの目を離した、一瞬の隙にである。

 

「お嬢……っ、様……!」

 

 混乱に頭を描き回されるレミリアへ、眉間に皺を寄せ、振り絞るように従者が言った。

 意識がある――! その事実に安堵を覚えたのも束の間、咲夜は苦痛に顔を歪ませながら、

 

「お嬢様、気を付けて……! あの男に、あの体に触れては、なりません……!」

「体に触れてはいけない? 一体何が――、ッ!!」

 

 会話の最中、豪速で迫る火球が五つ。直感的に察知したレミリアは火球の一つを魔力の圧で軌道を逸らし、生まれた隙から残りの四つを潜り抜けた。

 咲夜は力の入らない体をレミリアへ委ねながら、主人の肩を必死に握り締めて、

 

「炎で、刃を溶かされないよう、時を止めて右腕の棒を直接狙いました。ですが、止まった時の中で突然、パチュリー様の防護障壁が破られて、この有様に……っ」

「なんですって……? 停止した時間に干渉されたというの?」

「違います。あれは……触れれば()()()()()()()タイプのものです。時に縛られない私でも、炎に、触れれば、停止時間の中でも火傷を負ってしまうように……触れた途端、ナニカがパチュリー様の加護を、突き破って、私の体を蝕んだのです」

 

 咲夜の服。襟元から除く玉の肌にそれはあった。

 黒いミミズ腫れのような痣が葉脈の様に蔓延っている。恐らく制御棒に触れた箇所だろう左手から襟下の鎖骨まで、黒ミミズが容赦なく広がっていた。

 レミリアは自分の指が弾かれた訳を知る。咲夜から漏れたこの痣がレミリアの障壁に引っかかり、除外されたが故に起こった現象なのだと。

 同時に、この黒い瘴気を放つ痣が火傷の類ではなく、スカーレット卿が仕掛けた呪いの傷だという事も。

 

「出会って間もないにも関わらず、我が力の綻びを見つけ出し、それを的確に穿とうとした洞察力は見事だったぞ、娘よ。だが少しばかり想像力が足りなかった様だな」

 

 嫌に沁みる、粘ついた声がレミリアのつむじから全身を貫く。

 少女のものでは無い低い振動が、ハッキリと神経へ伝わってきた。

 

「この私が剥き出しの弱点をそのままにしておくとでも思ったか? それとも対策していたとしても()()()()()()()()()と高を括っていたのか?」

「ッ!?」

「愚か者め。私はあの男と相対し撃滅する、ただそれだけを生き甲斐に泥を啜り続けた悪霊であるぞ。百の先手を取り、千の罠を仕掛け、万の保険を敷いて当然と知れ、未熟者めが」

「スカーレット……ッ!!」

「んん? 追い詰められた狼の様に情けなく吠えてる場合かレミリア……? どれ、心優しい私が一つアドバイスをくれてやろう。その呪いはまもなく女の五臓六腑を食い尽くし、確実に死へ至らしめる致死の呪いだ。放っておくと取り返しのつかない事になるが、さて、どうするね?」

 

 瞬発的に咲夜を見る。先ほどまで光があった瞳は澱んで霞み、焦点はレミリアではない虚空を捉えていた。肌は青ざめ、息は荒く熱を帯びて、苦しそうに胸を上下させている。気付けば黒蛇の痣は鎖骨から首筋を越え、頬にまで触手を伸ばしていた。

 侵食が早すぎる。まるで架空の伝染病の様だ。こうして目に留めている間もじわじわと痣は広がり、その度に咲夜は苦悶の声を上げていた。

 咄嗟に治癒魔法を掛ける。更に解呪の魔法も掛ける。更に更に魔力の補助を重ねていく。

 パチュリーまでには及ばずとも、レミリアは膨大な魔力を誇り、かつ永らく研鑽を続けてきた吸血鬼だ。並の呪毒ならば消し飛ばすことなど造作もない。

 

 けれど、目の前に巣食う現実は非情の極地だった。

 

「無駄だ。この呪いは我が端末を経て幻想郷中のありとあらゆる病や死の属性を掻き集めて作り上げた代物である。西行妖の毒気に土蜘蛛の病魔、橋姫の怨念、魑魅魍魎どもの負の感情……それら全てを一緒くたにして出来上った呪毒のキメラを食らったのだ。貴様一人の力でどうこう出来るものか」

 

 必死に咲夜の治療を試みるレミリアの隙を突く事も無く、足掻く姿を敢えて楽しむように佇むスカーレット卿が、残酷なまでの真実を告げた。

 それでも、手を休める訳にはいかなかった。

 

「くそっ……止まれ! 止まれ止まれ止まれッ!!」

「無駄だと言っているだろうが。それを止めるのは……いいや、その娘を救う方法はたった一つしかあるまい。もう分っているのではないのかね?」

 

 邪悪な笑顔の華が咲く。花弁が一枚ずつ開いていくように頬の肉が吊り上げられ、下劣な笑みが形となる。

 親愛を贄に享楽を得る悪魔の愉悦が、レミリアの焦りを加速させた。

 

「ほら、ナハトも小悪魔にやっていただろう……()()()()()()()。お前が呪いを肩代わりするのさ、レミリア。解呪は出来ずとも、そうすれば従者だけは助けられるだろう?」

 

 ドクン。と、胸の内で一際強い衝撃が波打つのを感じた。

 玉の汗が頬を伝い、顎から滴り落ちて何処かへと消えていく。

 ぐるぐると、胸を掻き混ぜられるようだった。

 

「さぁさぁ! まだ私を倒せる可能性を秘めた己の命をとるか、助けてもたかが百年足らずで朽ち果てる人間を取るか! 選ぶがいい、無慈悲に無価値に残酷に! それが貴様の運命を決める王手となろう!」

「いけま、せん。お嬢、様」

 

 意識を失ったはずの咲夜の口から、擦り切れた声が零れ落ちた。

 相変わらず宝石の瞳はレミリアを見ていない。見えていないのかもしれない。しかしその言葉は、思いは。確かにレミリアへと向けられたものだった。

 

「私が、不用意に近づいたから、この様な結果になったの、です。警戒して、遠くから攻撃すれば、よかったのです。……こんな役立たずの人間一人に……手遅れの私にっ……迷う必要なんて、ありません」

「……っ、お前」

「あなたは主。あなたさえ居れば、紅魔館は生き続ける。でも、私の代わりなんて、探せば幾らでも、見つかるはず。だからどうか、私の事は構わず……!」

「良いのかレミリア? こんな健気な人間(ペット)を見捨てても。さぞ大切に、手塩にかけて育ててきたのではないのかね?」

 

 

 レミリア・スカーレットは吸血鬼――自他共に認める我儘の化身である。その傍若無人ぶりから悪魔として妖怪の間からも恐れられ、しかしそれを弊害とすら捉えないれっきとした上級妖怪である。

 非情な決断を下した場面は山ほどあった。血を見て、そして血を見せた回数は数知れない。吸血鬼としては優しくても、レミリア・スカーレットは決して慈悲深い性分では無い。

 

 切り捨てる事を懇願する従者と、丸見えの罠へ引きずり込もうとする悪魔。

 彼女がどちらを選ぶかなんて決まっている。迷う価値すら見当たらない。

 だって彼女は、妖怪すら恐れ戦くスカーレットデビルなのだから。

 

「――――馬鹿ね」

 

 

 無論。レミリア・スカーレットは切り捨てる事を選択した。

 

 

 

「……四年前が懐かしいと心の底から思うよ。なぁレミリア、お前はどうだい?」

 

 ぱち、ぱち、ぱち。

 乾いた拍手が三拍子。口元を三日月状に歪ませる地獄鴉の姿をした悪魔は、眼前の景色を愉快な宴でも眺めるかのように瞳で舐め回しながら、必死に笑いを抑えるくぐもった声で呟いた。

 そこに咲夜の姿は無い。あるのは喘鳴(ぜいめい)を不規則に奏で、受け継いだ呪いによって満身創痍と化したレミリア・スカーレットただ一人。

 

 レミリアは選択した。咲夜をこの戦場から切り捨てる事を選択した。

 かつてナハトが小悪魔から怨霊を吸い上げた時と同じように、咲夜から呪いを吸い上げ治癒魔法を施したうえで戦線を離脱させたのである。咲夜は意識を失ってはいるものの容体は安定し、傍の木陰で寝息を立てていた。彼女の危機は去ったと言えるだろう。

 

 だがそれは、スカーレット卿にとって愉悦以外の何物でもなかった。もはやこみ上げてくる嘲笑を止める術が見つからない。とうとう決壊したダムの様な際限のない高笑いを炸裂させ、腹を抱えて涙を浮かべ始める始末だった。万が一の勝機を切り捨て、絶対的不利な状況に敢えて身を投じた愚かな娘の行動が、どんな道化よりも滑稽な姿に写ったのだろう。

 

「『情なんぞに悪魔としての本分を見失わされた』――かつて私はそうお前を評したが、どうやら狂いは無かった様だな。貴様はもう立派な出来損ないだよレミリア! こんな簡単な選択肢すらまともに決断できないとは、はははっ! 愚鈍なんて言葉すら高尚に思えてくるほどの間抜けぶりよなぁ」

「……っ、……」

「しかしお前は運が良い。いや、あの魔女が有能だったとでも言うべきかな? 本来ならば人間だろうが妖怪だろうが触れた瞬間あの世へ送れる程の呪いが魔女の結界によって大幅に削られ、吸血鬼なら体力と力を摩耗する程度に格を落とされたのだからな。お陰で貴様は未だ存命だ。親友に感謝と遺言を綴った手紙でも今のうちに書くといい」

 

 パチュリーの魔法障壁によって阻まれた呪いは大きく弱体化されていた。それでも人間ならば不治の病の如く体を蝕み、いずれ心の臓を止める程の凶器である。だが鬼に匹敵する生命力を持つ吸血鬼を殺すまでには至らなかった。

 しかしながら、それでも圧倒的な呪詛に変わりはない。なにせスカーレット卿が自らの分霊を通して西行妖や黒谷ヤマメ、橋姫を筆頭とした魑魅魍魎からありったけの負のエネルギーを掻き集めて作った渾身の呪いなのだ。レミリアの体力を枯渇させるには十分過ぎる代物だった。

 

 もはや言葉を放つ事すらままならず、ただ肩で息を繰り返すレミリア。そんな少女の姿を愉快一色の表情で眺めながら、卿はゆっくりと距離を詰めていった。

 鈍い衝撃が、レミリアの喉を突く。

 

「……!!」

「ははぁ、四年前と同じ光景だな我が娘よ。妹の体でやられるよりはまだマシかね? うん?」

 

 卿の腕がレミリアのか細い喉を鷲掴み、そのまま高く釣り上げたのだ。

 指がギリギリと首の肉へ食い込み、骨を軋ませる。だがそれでも意識は途絶えない。強靭な吸血鬼の肉体が、皮肉にもレミリアの苦痛を増大させていた。

 

「このままお前の体をじっくり焼き潰しても良いのだが……別に貴様ら外野の命なんてどうでもいいからな。私の目的はナハトのみ。他はただのモブに過ぎん。わざわざ手間を掛ける必要も理由も無い。所詮、これは前座の()()なのだからな」

 

 スカーレット卿は、レミリアがこうして手に収まる所まで予測していたのだろうか。

 レミリアが来ることも。従者が仕掛けた罠にかかる事も。そしてその従者を助けるために、レミリアが己の身を差し出すことも、全部。

 スカーレット卿の顔には焦りも何も見当たらない。まるで組み立てたプランが思い描く通りに遂行される様を眺める重役のような、余裕に満ち溢れた表情だ。

 見透かしていたのだろう。幻想郷に()を撒き、蛇の様に息を潜め、ナハトと会合し、地底を抜け、白玉楼で事を成し遂げ、そしてこの光景の前に立つ全ての過程と結末を、丸ごと見通していたのだろう。

 

 

 しかし。

 それはレミリア・スカーレットも同じだった。

 

 首を締め上げられながらも、浮かびあがるは不敵な微笑み。

 余裕ではなく、苦肉の策が上手い具合に働いたとでも語るような策士の表情だった。

 スカーレット卿はレミリアの意図が読めず眉を顰めた。手の力を緩めて余力を与えながら、唇を不愉快そうに曲げる。

 

「何がおかしい。とうとう頭を壊したか?」

「いえ。ただ、これであんたに王手を掛けられたかと思うと、体を張って苦しい思いをしたのも悪く無かったなぁって思って」

「……なんだと?」

 

 聞き捨てならない言葉に、地獄鴉の白磁の額へ青い血管が浮き上がる。

 今のスカーレット卿にとって自らを脅かす敵はナハトただ一人だ。それ以外が自分の脅威になる事は決して有り得ないし、万が一にもあってはならない。なのにレミリアは卿へチェックを掛けたと言う。スカーレット卿の怒りは瞬時に沸点を飛び越え、臨界点にまで到達した。

 

「腕を捻れば容易く殺せる赤子よりも矮小な立場にある貴様が、私を追い詰めただと? 身の程をわきまえろよ小娘。貴様如きが私に仇成せるものか、我が障害になど成り得るものか! 私を追い詰めるのはいつだってナハトだけなのだ!!」

「ええ、その通りよ。死ぬほど悔しいけど、今の私じゃあんたには敵わない。当然よね。だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 レミリアは、吸血鬼ならば本能レベルで理解している()()を言い放った。わざわざ口に出されるまでもない。それはどう足掻こうと覆す事の叶わぬ摂理である。

 彼らは闇夜に生きる使徒だ。月の愛を受け、太陽に忌み嫌われた子供たちだ。満月の下で超常の力を振るう事を許された代わりに、彼らは陽の下を歩く事を禁じられた。だから吸血鬼は太陽にだけは勝てない。どんなに策を巡らそうと、どんなに知恵を振り絞ろうと、存在に刻まれた因果から逃れる事は出来ないのだ。

 

 しかし当然ながら、レミリアはそんな当たり前のことを口にしたくて声を振り絞った訳ではない。

 言葉には裏がある。それを今、レミリアはひっくり返して見せつけた。

 

「正直な話、勝算なんて一つも無かった。もちろん勝つつもりではいたけれど、勝てるとしたら咲夜以外には有り得なかった。だってあの子は、月も太陽も怪物も倒せる唯一の人間(かのうせい)なんだもの」

「だがそれも敗れ去った。愚かにも搦手に引っかかってな」

「ええ。あの時点で私の敗北は決定した。でも()()()()()()()。元々私一人が相手じゃあ、差し違えるだけでも精一杯の運命だったのにね」

 

 ――運命。

 

 その一言が、スカーレット卿の胸を小突いた。まるで秘め事の核心を突かれたかの様な冷たい感触が、胸腔へしっとりと広がっていく。

 何故ならば。目の前でスカーレット卿の心を見透かすようにほくそ笑んでいるレミリア・スカーレットという吸血鬼は。

 運命を手玉にとれる、唯一無二のヴァンパイアなのだから

 

「そう、私はここで死ぬ運命だった。あなたの呪いに引っ掛かるか、それとも純粋な力の差に押し潰されて消え去るか。とにかく、()()()()()()()()()()に変わりはなかった」

「勝ちを拾う……? 貴様、一体何を言っている」

「太陽に勝てない私だけじゃあ、死んでようやく運命を逆転させる程度の働きしかできなかったって事よ。赤子の手で津波を呼べる? 蟻一匹で象を殺せる? 無理よね。力が無ければ大きな運命は呼び出せない。けれど大きな力があれば結果は変わる。本来戦いに加わる筈の無かった咲夜が私と共に立つことそのものが運命を変えるエフェクトになったのよ。『咲夜』と『私』、この二つが完全な勝利を生み出すカギになった」

「だから、さっきから何を言っているのだ貴様はッ!!」

「まだ分からないの? なら一言で理解させてやるわ、スカーレット卿」

 

 首を鷲掴む卿の腕を、レミリアは二つの細腕で掴み返す。さながら猛禽に攫われた大蛇が逆に捕食者へ絡みつき、叛逆の牙を向けるかのように。

 眼光を尖らせ、にやりと笑い、レミリアの内の悪魔が覗く。

 

「あなたが最も恐れているもの……それは、何?」

「―――――」

 

 空気が抜けた風船のように、卿の顔から力が抜けた。

 レミリアに投げられた疑問の言葉。それが刃物の如くスカーレット卿の胸底を抉り、掘り起こし、かつての記憶を呼び覚まさせたのだ。

 さながら分厚い岩盤の向こうから湧き上がる湯水のように。引き上げられた記憶の噴水は、瞬く間に卿の魂を侵食する。

 

「語るまでも無いわよね。あなたが心の底から怖がって、母から離された乳飲み子みたいに脆弱になってしまう人は、今も昔も()()()()()()()()()でしょう?」

「!! ――な、あ」

「闇夜の支配者を怒らせるな。彼の者の怒りを買うならば、迷わず竜の逆鱗に触れろ」

 

 ひゅっ、と。歯の隙間から、情けない空気が漏れだした。

 

「漆黒の怒りを剣に変え、絶対的な力で万象を絶滅に追い込む怒り狂った闇夜の支配者。あなたにとって、これ以上のブギーマンは存在しないんじゃないかしら? そう、あなたは彼を復讐相手として憎悪の薪を燃やしながら、それでも最大の恐怖を忘れることが出来なかった。出来る訳ないわ。自らを完膚無きまでに圧倒した唯一無二の存在を、味あわされたその恐怖を! 魂が忘れるなんて許さない!」 

「き、さま……ッ!」

 

 卿の心臓を抉り出すようにレミリアは叫ぶ。影を縫って隙を突き、毒蛇の一撃を大鷲に見舞うが如き舌剣は、瞬く間にスカーレット卿の精神を切り裂いた。

 

「だから私は()()おじ様が来るように仕向けた。運命を手繰り寄せ、あなたの最大の恐怖がここへ来るよう細工した。それが運命のエフェクトだと言っているのよ! 私と咲夜が――いいえ、紅魔館の皆が手繰り寄せた糸が今、あなたの絶望を引き寄せるんだ!」

 

 ――レミリアは絶対的に不利なスカーレット卿と戦うにあたって、幾つかの策を練っていた。 

 

 一つは正攻法。レミリア自身がスカーレット卿を倒し、異変を収束させるルート。まさしく理想の筋書きだが、しかし夢物語に等しい作戦でもあった。レミリアは吸血鬼である為に太陽にだけは決して勝てない。奇跡に縋るしかないこの作戦は、有って無いに等しいだろう。

 二つ目は邪法。即ち、己が身を犠牲にして得たエフェクトで行う運命操作。レミリアが今口にしたように、自らが死ぬ事でナハトの怒りを極限状態にまで持ち込み、スカーレット卿にとっての天敵を確実に生み出す作戦である。

 

 ナハトは一見すると、己の気分を害した者なら赤子であっても虐殺しかねない大悪党染みた印象を受ける人物である。しかし実態は温厚の一言に尽き、例え娘同然の存在が乗っ取られ悪逆非道の行いに利用されようとも、一度は温情を向ける程度に寛大だ。喧嘩っ早い妖怪の常識から考えれば、その懐はもはや精神異常の域に達している。

 

 しかしそれではいけない。今のスカーレット卿へ情けの類を掛ける行為は愚策以外の何物でもないからだ。もはやスカーレット卿は悪魔でさえ手に負えなくなった邪悪の権化である。隙を見せれば最後、その穴からじわじわと食い破られてしまうのは自明の理だろう。一度敗北を喫したならば尚の事だ。

 だからナハトを激昂させる必要があった。温厚な怪物を、一切の情け容赦も無く標的を撃滅する破滅の魔王に変える必要があった。その運命を引き当てる材料が自分の命だったのだ。レミリアが人柱となれば、優しい魔王は必ず覚醒してくれるから。

 けれどそれは、誰一人欠けない大団円を勝利とするレミリアやナハトにとって事実上の敗北に等しい。完全勝利を得るためには、誰一人命を落とさず作戦を遂行する力がいる。

 

 そこに紅魔館の皆が現れた。運命を変える新しい力となる者たちが立ち上がってくれた。

 本来ならば独りで死を迎える筈だったレミリアの運命が、咲夜やフランドール、パチュリーに美鈴、小悪魔の協力によって、一人として紅魔館から居なくならない新しい結末を呼び寄せたのである。

 『レミリアの死』――ではなく、『レミリアと咲夜が傷付けられた』に、運命の引き金が姿形を変えたのだ。

 

 勝手なのは分かっている。大切な従者が傷付いてしまう事を作戦の内に組み込んだのだ。なんて最低最悪な主だろう。我ながら反吐が出るとレミリアは心の底から自虐した。

 だが悪魔に勝つには悪魔の策略を、邪悪の化身を葬るには憤怒の魔王をぶつけねば、完全な勝利を得るなど夢幻の如き御伽噺だったのだ。

 こんな作戦を快諾してくれたお馬鹿な従者を、帰ったらめいっぱい甘やかしてやろう。でも自分を切り捨てるよう懇願してきたのはお仕置きだ――柄にもなく、レミリアは褒美の内容を思慮しながら、宿敵に向けて力強く中指を突き立てた。

 

「だから、敢えてこう言ってやる。――――私たちの勝ちよ、クソ親父!」

「レミリアァァ!!」

 

 顔面に紅蓮の血管を張り巡らせ、今にも爆発しそうなばかりの憤怒を湛えながらスカーレット卿はレミリアに歯噛みする。小枝の様な喉を掴む腕が、太陽の波動を流し込んで焼き殺せと訴える。

 だが出来ない。()()を呼び起こされてしまったスカーレット卿には、最後の一線であるレミリアの抹殺を決行することがどうしても出来ない。怨敵にして宿敵であり、復讐の到達地点であるナハトは、同時にスカーレット卿にとって最大の恐怖だからだ。レミリアを殺そうとすると、あの晩の怪物が魂にかぎ爪を立てて滅茶苦茶に引っ掻き回すのだ。

 憎悪の炎で心を焼き焦がそうとも、トラウマだけは拭えない。拭えないからこそ、スカーレット卿は憎しみと怖れの板挟みに遭い、常軌を逸した狂気を孕むまでに至ったのだから。

 

 ぶるぶると、痙攣と見紛うばかりに卿の体が震え上がる。激情が血管を、神経を、魂までも狂わせて、彼は獣の様な唸り声を吐き出し続けた。

 しかしレミリアを苦しめる腕の力は一向に抜ける気配を見せない。どころか、むしろ圧力は増していく一方で。

 溶岩の如き怒りと、泥沼の様な恐怖の狭間で揺れているのは確実だった。衝動に身を任せて細首を捩じ切ろうにも、かつてその身に受けた闇夜の絶望が歯止めとなって立ち塞がる。もはやスカーレット卿の精神は、ノイズの混じる電磁波の如く乱れきっていた。

 

「この私に精神攻撃など舐めた真似を……! ちっぽけな確率操作をするしか能のない不良品の分際で、よくも貴様ァッ!!」

「その運命を操る力(ふりょうひん)があなたに一矢報いたのよ。精々悔しがるがいいわ」

「ぐ……うううぉぉおおお」

 

 今のスカーレット卿は矛盾の塊だ。復讐を望みながら恐怖を拭えず、万全の敵を渇望しながらその影に怯えて震えている。理性を保っている風でもその均衡は瀬戸際なのだ。杭を一発でも打ち込めば、容易く瓦解の兆候を見せる。

 もとより、妖怪とは精神攻撃に滅法弱い存在である。もはや自己が曖昧となった卿でもそれは変わる事は無い真理なのだ。

 

 だが、しかし。当たり前の事ではあるが。

 たかだかその程度で精神崩壊を起こすようでは、四年間を暗黒の中で潜むことなんて出来はしない。

 いいや、この表現は正しくない。正確には、スカーレット卿の精神はとっくに崩壊を迎えていた。

 

 ぶちん。何かが切れる、音がした。

 

「ふ」

 

 壮絶な無表情から、一文字の息が零れ落ち、

 

「ふ、ふふふ」

 

 息は息と連なり、やがて増殖を始めていく。

 

「ふふっ、ふふふふふふふふふふ、ふははははははははははははっ! ぎゃはっ、ひは―――――っははははははははははは!! ひひひひひはははははははははははッ!! あああああァはははははははははははははッ!!」

 

 核分裂の如く一気に膨張し、言語は破裂を繰り返した。

 首を上げ、声で夜空を遊撃せんばかりに轟き叫ぶ。あまりに強烈な声は一種の衝撃すら呼び起こし、レミリアの鼓膜を嬲るまでに至る。

 やがて、空を仰いでいた首が骨でも折れたかのようにガクンと落ちて、二つの瞳が再びレミリアと重なった。

 卿の中でまた一つ、ナニカがぷっつりと弾け飛んだ。そう感じさせる、虚ろとも自暴自棄とも受け取れる濁り歪んだ瞳がそこにあった。眼を合わせ続けたら狂気に呑まれそうな、この世のものとは思えない魂が見えた。

 瞬間、脱力が起こる。表情はぐちゃぐちゃになったまま、卿は口だけを器用に動かして、

 

「決めた。ああ決めたぞレミリア。お前は今()()()()()()()()

「……っ?」

「デザートとして取っておく、と言っているのだよ。ここまで屈辱的な気分は久しぶりなんだ。それもよりによって、四年前は私に手も足も出ない蛆虫以下の存在だった貴様如きに味わわされる破目になったのだぞ。一周回って成長に感動すら覚えた程だ」

 

 破滅の表情から一転。邪悪を百倍にまで濃縮した悪戯っ子の様な笑みを浮かべながら、卿は愉快そうに喉を鳴らした。

 

「貴様の言う通りだレミリア。私は奴の恐怖を拭い去れてなどいない。未だ魂は四年前……いいや、五百年前の過去に囚われきったままだ。私はずっと奴の影に怯え、情けない童の様に頭を抱えながら震え続けてきた。最強と謳われ、勝利を約束されたはずのこのスカーレット家当主の私が!! ぽっと出の吸血鬼を前に小鹿の様に涙を流して膝を折ったのだぞ!? あの屈辱、あの怒り、あの恐怖! 果ての無い絶望を! 今まで一秒たりとも忘れた事は無い!」

「――」

「だから、これまではナハトに私と同じ屈辱を味わわせながら、考え得る限り最も残酷な方法で葬る事こそ最大の復讐だと考えていた。それは今も変わりない。変わりないが、趣向を変える事にしたよ。アイディアをありがとう、レミリア。初めてお前の存在に感謝したよ」

 

 もはや会話を放棄した一方的な独り言。レミリアが何をスカーレット卿に語り掛けたところで、馬の耳に念仏なのだろう。

 いいや。そもそも、今のスカーレット卿に耳など存在しないのかもしれない。ただ、彼は声帯と口だけを最大限駆使しながら、

 

「貴様を使ってやる。奴が手も足も出ず、私の靴の下で呻き声を上げる中、ここから――」

 

 制御棒の先端を、卿はレミリアの胸の中心へと押し当てて、

 

「――ここまで引き裂き、内臓を引き摺り出した後に奴の目の前で炙り殺す。簡単に死なぬよう、じっくりとな」

 

 メスで切り裂くイメージを植え付けながら、下腹部まで一直線になぞりきった。

 その感触が、骨の髄まで凍り付くほど悍ましい。冗談でもなんでもないと語る卿の表情は、魔王よりも魔王らしく。

 

「貴様だけじゃない。そこの木陰で眠っている従者も、次女も、魔女も、門番も、矮小な悪魔も。全員一人ずつ、殺してくれと懇願しようとも嬲り、甚振り、果てに殺してやろう」

「っ」

「ははぁ、死ぬのが怖いか? 吐き気を催す激痛の未来が恐ろしいか? 無理もない……だが死ぬ。残酷な世界だな」

「…………その言葉、そっくりそのまま返してやるわ。あなたはどう足掻いても世界から消える。これは決定された運命よ」

「ほざけ小娘。月並みな言葉だが、運命とは自分で切り開くものなのだ。私がそれを証明してやろうではないか。それに……じきに時は来る。どちらが永遠の眠りに就くか、すぐに分かるだろうよ」

 

 まあ、どのみち私は死ぬがね――ナハトに葬られたその後の未来ならばどうなろうと知った事ではない。彼は語外にそう語る。

 

「だが私は負けん。最後の勝ちまでは決して譲らん。例え消滅から逃れられずとも、貴様らとナハトだけは絶対に道連れにしてくれよう。……その時が来るまで、微睡みの中に落ちるがいい」

 

 スカーレット卿は徐にレミリアを解放すると、間髪入れずに額へ指を突き立てた。水色の光が瞬き奔る。光はレミリアの額を透過すると、全身へ浸透していった。

 ぐるん。レミリアの眼球が上を向き、瞼が落ちる。体から力が抜け落ちたレミリアは、重力に従って真っ逆さまに墜落を始めた。

 卿はそれを抱き留め、阻止する。

 

「あっさり落ちたか。随分と呪いに体力を奪われたと見える。むしろよくぞここまで持ち堪えたと言えるか」

 

 翼を羽ばたかせ、ゆっくりと降下していく。そのままスカーレット卿は木陰の咲夜の元へレミリアを連れて行くと、静かに地面へ置いた。

 熾烈な交流が数秒前まであったにも関わらず、眠る少女たちの姿は場違いなほどに儚く映える。

 だがその光景に感じるものなど悪魔にはない。慈しみや情愛は、卿とは無縁の感情だ。安置しているのも、ただ利用価値があるから放っているだけ。理由は他にありはしない。

 スカーレット卿は鼻を鳴らして一瞥すると、再び大空へと舞い戻った。

 

 

「見つけたわ。アンタがこの騒ぎの大元ね」

 

 空へと帰って直ぐの事。紅白衣装に身を包んだ巫女が、お祓い棒を突きつけながらスカーレット卿の前に姿を現した。

 何もない空間から突如出現したかのような、人間に相応しくない神出鬼没。事実眼前の少女――博麗霊夢はそれを無意識で成せる人間だった。

 スカーレット卿は突然の事で一瞬目を丸くしたものの、すぐに余裕の笑みを取り戻して、

 

「ご名答。私こそが異変の首謀者だ、博麗の巫女よ。そろそろ来る頃合いだと思っていたよ」

「そ。んじゃあぶっ飛ばすわよ。懺悔は聞かない。だって巫女だし」

「ははは、噂通り末恐ろしい娘だな。まぁまぁ落ち着き給え、少しくらい会話をしてくれてもいいだろう?」

 

 獲物を見定めた猛禽の様な巫女の目つきは変わらない。完全にスカーレット卿は標的として認識されてしまったらしい。もとより博麗霊夢は異変時なら通りすがりの妖怪にだって一切容赦を加えない質なのだ。当然と言えば当然の姿勢である。

 しかし、スカーレット卿もまた臆する様子を微塵も見せなかった。

 彼が余裕を持つ時はただ一つ。対処可能な()()を用意している時に他ならない。

 

「私はね、別に人間へ危害を加えようと思って異変を起こした訳じゃあないんだ。妖怪に対してだって同じことさ。彼らはちょっぴり苦しんでるが、私の望みを叶えるためには致し方の無い事なんだ。時が来ればじきに解放していく予定だよ。もちろん人間には一切危害を加えていない。どうだい? 見逃してはくれないかい?」

「言い訳はそれだけ? それじゃあさっさと構えなさい。寒いから早く終わらせたいのよ」

「なんと血気盛んな……本当に人間か君は? しかしそれも想定内。ところで博麗霊夢、君は何も疑問に思わないのかね?」

「あー?」

 

 投げかけられた問いへ、霊夢は不機嫌そうに首を捻る。

 それを話を聞く同意とみなし、スカーレット卿は続けた。

 

「八雲紫から事の顛末は耳にしているのだろう? 奴の事だ、おおよそ異変の見当をつけているに違いない。そしてその一部を君は耳にした。違うかい?」

 

 霊夢はぼんやりと、脳裏に過去の光景を思い浮かべる。秋の真ん中、焼き芋を齧りながらスキマ妖怪に事件の詳細を聞かされた時の記憶だ。

 霊夢は『そうね』と簡素に返す。スカーレット卿は『そうか』と薄く笑った。

 

「この異変を起こすにあたって、私が最も警戒したのは八雲紫だ。あの女の万能性と知性は脅威の一言に尽きる。だから真っ先に封じ込める必要があった。次点の脅威は伊吹萃香だ。彼女もまた万能の一人だからな、同じく封じさせてもらった。そして次に警戒したのは、紛れもなく君なんだよ。楽園の素敵な巫女殿」

 

 はぁ? と霊夢から思わず声が漏れた。そんな当たり前の事をいちいち口にする妖怪を今まで見たことが無かったからだ。何故なら博麗の巫女とは異変解決の象徴であり、妖怪にとって語らずとも知られる天敵の代名詞である。口頭で確認するまでも無い、暗黙の了解なのだ。

 構わずスカーレット卿は続ける。それは、彼の真意が()()に無い事を表していた。

 

「三番手に君を警戒したのは確かだが、しかし行動を封じる策を練るのに最も苦労させられたのは間違いなく君だった。なにせ博麗の巫女は本当に無敵だからね。例え最高クラスの神々であっても、異変の首謀者ならば君は必ず勝つだろう。無論、それは私であっても例外ではない。数々の戦歴がそれを証明していると言っていい。君と真っ向から戦えば、確実な敗北を招いてしまうと簡単に推測できた」

「話が長い。簡潔に言え」

「そこで私は考えた。一体どうすれば君に退治される事なく、目的を遂行できるのだろうかと」

 

 パチン。徐に、スカーレット卿は指を弾いた。

 それを合図とするように、空間にどす黒い穴が空いていく。八雲紫が移動に使うスキマに酷似した割れ目からは、何かの息遣いが薄く耳を薙いできた。

 霊夢は目を凝らし、闇を貫く様に中を見る。

 

 そして、

 

「紆余曲折を経て閃いたのだ。人間に勝つには、人間をぶつけるのが一番だと言う事に」

 

 霊夢は、正体を目撃した。

 

 大昔の魔法使いが被っている様なとんがり帽子。黒白を基調としたフリルの衣服。小さなお尻を乗せる箒も相まって、まさしく姿は古風な魔女のそれ。

 見間違えるはずも無い。間違えられる理由が一つも無い。

 誰が何と言おうとも、異変の首謀者の横で佇む金髪金眼のその少女は。

 長らく苦楽を共に乗り越えてきた幼馴染にして、切っても切れない腐れ縁、霧雨魔理沙に他ならなかった。

 

「いよう霊夢っ! 久しぶりだなぁ、元気してたかー?」

 

 だが、その魔理沙は霊夢の知っている魔理沙では無かった。

 薄紅色に充血し、血走った両目。分厚く下瞼を縁取るクマ。カサカサに乾燥しきった唇。ほつれて所々染みの着いた衣装。何日も眠らず時を過ごしたかのような、執念すら匂わせる壮絶な立ち姿。

 快活で。朗らかで。健康的で。野心家で。そして誰よりも努力家で。どんな人物にも一切心を靡かせない霊夢ですら『私もあんな風になれたら良いのに』なんて、密かな憧れも抱いた少女のビジョンとは、似ても似つかない風貌だった。

 そして霊夢は知る。魔理沙が化粧道具を持っていた真の理由が、この姿を誤魔化し怪しまれないよう細工をする為だったのだと。

 

 衝撃だった。今まで経験した事のない色々な感情が胸の中で一気に渦を巻き、あの霊夢でさえ呆然と眺める事しか出来なかった。

 魔理沙はそんな霊夢をおかしそうに笑いながら、懐から八卦炉を手に取って、ぽーんぽーんとお手玉を始める。

 

「さーて、そんじゃあ一丁全力でカチ合おうぜ博麗霊夢。あ、合図は別にいらねぇよな? ゴング代わりの口上なんて、今更私たちの間には必要ねえだろ? なぁ!?」

 

 瞬きの暇すら存在しなかった。

 魔理沙の手に収まる八卦炉が唸りを上げた刹那の瞬間。莫大な七色の輝きが、空を真っ二つに引き裂いたのだ。

 


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