【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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43.「Agape」

「は、はは、ははは」

 

 ――高笑いが聞こえる。

 

「ふふふふふふふふ、ははははははははははっ、あっはっはっはっはっは!! やったやったやった、遂にやったぞ! あのナハトを、あの怪物を! この手で倒した! 倒したんだ!! あッッはははははははッ!! ざまぁみろ、ざまぁみろ! 乗り越えてやったぞ化け物め!! ははっ、これで私は自由なんだ、これでッ! ようやくッ!! 私は魂の安寧を手に入れられたんだ! ひひひひひひひははははははァーッははははははははははははははははは!」

 

 

 耳を劈く絶叫にも等しい嬌声に頭を揺さぶられながら、私はぼうっとした意識の中から目を覚ました。

 どうやら気を失っていたらしい。奴がまだ凱歌を叫んでいるから、ものの数秒程度なのだろうが。

 けれど、あの一瞬、奴の切り札で体を吹き飛ばされてから、記憶がノイズに邪魔されて曖昧だ。

 

「レミ、リ」

 

 そうだ。レミリアはどこに?

 駄目押しの太陽光線を庇った後、レミリアはどこへ行ったのだ?

 人形にでもなったように動かない体を無理矢理働かせ、なんとか首を動かして周囲を見渡す。

 レミリアは右隣にいた。まだあの男の睡眠魔法が解けていないのか、固い地面なのにまるで幼子のように眠っている。

 服装は煤だらけだが傷はどこにも見当たらない。ちゃんと守れていた様で、一先ず安心と言ったところ――――

 

「……、ああ」

 

 起き上がろうと思ったら、どうしようもなく体が動かなくて。少しだけ持ち上がった上体は情けなく突っ伏してしまった。せいぜい腕を伸ばす程度しか、もはや私に自由は無いらしい。

 と言うより、()()()()()()()と表現した方が正しいか。

 胸から下はもう存在しない。左肩から先も消えた。辛うじて残っている部分は腐乱死体の様に滅茶苦茶だ。

 奴の作った『反魔力』は天晴と賞賛する他ない。アレは見事なまでに私の体と存在の()を根こそぎ削り落とし、一気に立場を逆転してみせたのだ。かつて萃香との戦いで迎えた崩壊よりも著しいダメージを刻み込まれたと言えば、その凄まじさがよく分かるだろう。

 

 もう保たないとはっきり意識した瞬間、今まで経験した事のない、冷たくも清々しさすら突き抜けてくる不思議な感覚が、ふわりと私を包み込んだ。

 体は無いのに頭が冴える。神経はズタズタな癖に感覚が鋭敏になる。集中力が異様に高まって、私はかつて無いほどの冷静さを手に入れた。

 

 ここまでか。自然と私はそう悟った。

 ここが終点なのだ。そう認めざるを得なかった。

 

 己の死と向き合い覚悟を決めた時の老人は、きっとこんな心境を抱くのだろう。

 不思議なものだ。私の歩める未来は無いと確固たる自信をもって言えるのに、恐怖の欠片も見当たらない。どころか妙な満足感や安心感まで芽生えてくる。まったくもって不思議な感覚だ。

 これが、終わりを迎えるということか。今まで人々から終わりの具現と恐れられた私が終末へ辿り着くとは、予期していたとはいえ、なんだか皮肉にすら思えてくる。

 

「――」

 

 レミリアを見る。私の招いた不幸で、抱える必要のない重荷を背負わせてしまった少女の顔を。

 絶体絶命な状況なのに、眠りの魔法によって穏やかな寝息を立てる姿は、どこか和やかな気分にさせられる。

 そして改めて確信を得る。私はもはやレミリアの――いいや、ここから先の未来に不要な存在であることを。

 

 元々、私はイレギュラーだったのだ。紫や永琳が解き明かしてくれた私の正体は、『世界に不必要な存在』という、どうしようもない結論だった。当然だ。だって私は本来ならば自我を持つ事すら許されない、排斥されるべきバグだったのだから。こうして生きられたことが奇跡のような異物だったのだから。

 故に私は害悪を振り撒き続けた。沢山の不幸を生み出した。余分で不要な害悪だから、マイナスの波紋を起こし続けた。

 ああそうだとも。スカーレット卿の言う通り、私は諸悪の根源だ。多くの涙と悪を産み落とした、樽から取り除かれるべき腐ったリンゴの一つなのだ。

 

 これ以上、私に生きる意味などあるだろうか。例え奇跡が起こって私がスカーレット卿を倒しても、また第二、第三の卿が姿を現す事だろう。私はただ立っているだけで世界に歪を生み、負の災禍を引き起こす天災なのだ。生きている限り、周りの不幸は決して拭い去れることなど無い。

 

 ならばせめて潔く。生き汚さをかなぐり捨てて、ここで幕引きとさせてもらおうか。

 もう十分だ。私は十二分にも長く生きた。生き過ぎてしまったのだ。

 

「レミ、リア」

 

 手を握る。力を籠めれば壊れてしまいそうなほどに儚い、白くて小さな手を、包むように握り締める。

 思えば義娘だなんだと言っておきながら、一度も手をとった事すらなかった。もっとも、向こうからは願い下げかもしれないけれど。

 

 とにかく、これで()()は繋がった。あとは最後の仕上げのみだ。

 スカーレット卿を放っておくわけにはいかない。止めてやれなかったのは悔やまれるが、もう私自身に出来ることは何もない。だから、今の私に僅かながら許された、出来うることを成し遂げよう。

 私に残された最後の力。ほんの一握ばかりの魔力と知恵を、生きるべき彼女へ託すのだ。

 

「――――――――」

 

 魔力の接続を再確認。搾り粕程度に残された力の残滓を、回路を通じてレミリアの中核へ運び込む。

 血が流れ出ていくような感覚。繋がれた手から淡く光る流動体が受け渡され、その後を追うように、私の肉体は加速的な崩壊を迎え始めていく。

 同時に記憶が鮮明な輝きを帯びていく。時の流れが段々と緩み、スローモーションの世界が訪れてくる。

 今まで歩んできた我が生の道筋が、瞼の裏で、泡の様に浮かんでは消えていく。

 

 独りで地を踏みしめ続けた日々。人々から罵声と石を、殺意と槍を、恐怖と銀を投げられた日常。

 自問自答と自己研磨、友を求めて彷徨う事を繰り返すだけの空虚な毎日。

 冷たい記憶は、氷の泡となって私を冷やす。

 

 その果てに出会い、私を招いてくれた紅魔館の一族たち。私を神格化する者、恐れる者と色々居たが、これが集団に加わる事なのかと束の間の安息があった。

 スカーレット姉妹の生誕。スカーレット夫妻の死。姉妹の成長。そして私の新たな旅立ち――こんな事もあったなと、柄にもなく懐かしむ。

 

 やがて辿り着く幻想郷。

 意識があった時に限れば、実に一年にも満たない僅かな記憶が流れてくる。

 

 紅魔館での再開。そして起こった一悶着。私の運命が決まったとも言える、会合の一夜が濃密に映る。皮肉な事だが、レミリアとフランドールの深い溝を埋め、誰にも断ち切れない絆へと育んだのは、マッチポンプとは言えスカーレット卿だったのかもしれない。

 

 次にやってきた思い出は、後に私にとってかけがえのない理解者となる紫との出会い。そして迎えた、初めての異変だった。

 終わらぬ夜に暁を求めて幻想郷を奔走し、果てに輝夜と言う唯一無二の友を得たヴィジョンが、目まぐるしく脳裏を駆け巡る。

 

 妖怪の山へ招かれて、初めて参加した祭囃子の渦の中。静かな晴夜に似合わない狂瀾怒濤の大演武は、今でも色鮮やかに思い出せる。あの夜、私は喧嘩友達と言うものを得たのだろう。彼女が私をどう思っているかは知らないけれど、うむ、私はそうだと信じたい。

 

 四年を経て目を覚まし、必死に書物を漁った日々。スカーレット卿の浸蝕が兆しとなって表れた怪事件に巻き込まれ、力ある人間たちから追い回されたハプニングも、今となっては私らしい笑い話と言えるだろう。

 

 地底へ潜入し、犯人捜しを続けた数週間。激動でありながら、地底に根付いた悪意の華(ロベリア)の正体を知った時ほど、驚愕に身を包まれた瞬間は無かったな。

 

 

 ……これはきっと、走馬灯という奴なのだろう。もっと恐ろしいものかと思っていたら、なんだ、存外悪くないじゃないか。

 本当に……本当に。色んな事があった。たった数年程度の、いいや、私が目覚めている限りならほんの半年程度の短い間だったけれど、間違いなく、私の永過ぎる生の中で最も光り輝いていた瞬間だった。

 永遠の生なんていらなかった。私はただ、この輝かしい須臾が欲しかっただけなのだ。

 

 外の世界の非常識が幻想郷(こちら)にとっての常識になるのだったか。なるほど、私と言う非常識が常識としての補正を掛けられたが故に、外と比べて皆の対応が柔和だったのかもしれない。

 幻想郷はやはり、私にとっても楽園だった。情けない事だが、私は最後の最後になって、その事実を沁み入るように噛み締められたと思う。

 

 けれど、このまま消えるのが惜しくないかと聞かれれば、迷わず惜しいと答えよう。そうだとも。ああ惜しいとも。最後の最後にたくさんの友を得たのに、やっと勘違いが解けたのに、それなのに、茶会の一つも叶わなかった。挙句の果てにはまたしても輝夜を裏切ってしまったのだ。悔い無く逝ける訳が無いだろう。

 

 まだ見ぬ幻想郷の春を共に見たかった。壮観な桜並木の下で酒を盛り、花吹雪と共に和やかな時を友人と過ごしてみたかった。未だ足を踏み入れていない未開の地に赴いてみたかった。そこで新たな一会を発見してみたかった。紅魔館の行く末も見ていたかった。

 思い残した事なんて、山の様に溢れている。

 

 けれど、良い。これで良いのだ。私は孤独じゃ無くなった。独りの闇は今や追憶の欠片となって消えたのだ。

 それだけで十分だ。十分すぎるのだ。

 たとえ誰も看取る者がいなくとも。独りぼっちの最期でも。こんなのは決して幸せなんかじゃないと糾弾されたとしても。

 私は、とても恵まれた死を迎える事が出来るのだから。

 

「――ああ」

 

 でも、私は友達が出来なくて当然だったのかもしれない。 

 だって、この期に及んで考えるのは自分の事だけ。約束を反故にしてしまった輝夜の事も、最大限に尽くしてくれた紫や永琳の事も、こんな私の為に協力してくれた友たちの事も、家族と謳った紅魔館の事もそっちのけで、私は、ケジメなんて自己満足と共に死ぬのだから。

 

 魔性なんて言い訳でしかない。結局は自分の性格、性分こそが最大の障壁だった。こんな身勝手な吸血鬼なぞ、孤独でいて当然だ。

 それなのに皆は私を受け入れようとしてくれた。遠い遠い、果ての見えない廻り道ではあったけれど、彼女たちは私を理解してくれた。怪物を理解するのは並の苦労ではなかったろうに、真摯に異物と向き合ってくれた。

 本当に、なんて素晴らしい者たちと出会えたのだろうかと、心から誇りに思えるよ。

 

「時間、だな」

 

 掠れた声が耳に入る。なんてしわくちゃでガラガラな、錆びきったブリキの様に醜い声だろうか。

 暗黒が視界の端から侵食を始めた。肉体が灰となって崩れていく感覚が妙に鮮明で、強い睡魔が襲ってくる。

 

 まもなく終わる。私と言う存在がゼロになっていく。世界からイレギュラーが消滅し、あるべき姿へと修復されていく。

 

 瞼を閉じたら、きっと瞳を開く事は叶わない。これで終わりなのだと確信がある。『ナハト』という存在は、何処でもない所へ行って無となり消えるのだろう。だって私はバグなのだから。エラーには天国も地獄も存在しないのだから。余分な腫瘍が取り除かれ、世界があるべき形へと戻るだけなのだから。

 それでも私は重い瞼へ必死に抗い続けた。最後の最後まで、この世界を焼き付けたまま死にたかった。

 

 ――嗚呼。本当に、本当に。

 ――残された一分一秒が、こんなにも愛おしいなんて。

 

 そうだ、折角だから最後に何か言っておこう。誰かの耳に残るわけでも無いけれど、気持ちだけでも置き土産として残していこう。誰の記憶にも留まらない、哀れな男の残滓をここに刻もう。

 そして恥も外聞もなく、我が生を自己満足の中で誇って散ろう。墓標の無い我が死へ敬礼を送ろう。誰が何と言おうとも、私は素晴らしい生を生き抜いたのだと、陶酔に浸って笑いながら無間に還ろう。

 

 だからどうか、私を支えてくれた親愛なる者たちよ。

 こんな、人に不幸を撒いておきながら最期まで手前の事しか考えない自分勝手な吸血鬼など、綺麗さっぱり忘れておくれ。

  

「……ありがとう。お別れだ」

 

 辞世の句は簡潔に。長い口上など必要ない。

 私の気持ちは、これで十二分に残された。

 

 

 

 けれどもし、最期の望みが叶うなら。

 誰でもいい。聞いて欲しい。このちっぽけな吸血鬼の戯言に、少しでいいから耳を傾けて欲しい。

 

 ここから蘇る奇跡は要らない。ましてや幸福な来世なんて贅沢も言わない。

 ただ、これだけでいい。これだけで良いから、見知らぬ人よ。この願いを叶えておくれ。

 どうか。どうか。

 

 

 

 

 

 

 ――――どうか私のいない正しい世界に、精一杯の幸あれ。


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