【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

54 / 55
46.「働かざる者、生きるべからず」

「紫。さっき言ってたことは本当なの?」

 

 今度こそ邪悪は滅び去った。元凶の分霊も寄生体も消え、幻想郷は少しずつ、元の日常へと戻って行くだろう。

 晴夜の下で、微かな希望へ縋るようにレミリアは紫へ問いかけた。

 彼女が訊ねる問答など、今は一つしか残っていない。

 

「ナハトを生き返らせられるかどうか……についてね?」

「本当に? 本当におじ様を生き返らせる事が出来るの?」

「……ええ。理論上は可能です。成功するかどうかは、良くて半々程度だけれど」

「それでもいい。お願い、おじ様を蘇らせて。私に手伝えることがあるなら、なんだってするわ」

 

 レミリアに躊躇は無かった。

 この場には紫以外の大妖怪も揃っている。威厳も、尊厳も、何もかもをかなぐり捨てて懇願した。

 

「おじ様から力を渡された時、彼の思想も一緒になって流れ込んできたの。残留思念、ってやつなのでしょうね」

「……」

「あの人は強がってたわ。とても、とても強がっていた。何千年も探し求めたものが幻想郷にきてやっと――輝夜や萃香に始まって、あなたや永琳、地霊殿の姉君という友達をやっとの思いで得たのに、ただの一度の宴会すら開けなかった。自分の去り時に納得してはいても、心の底には無念の泥が澱みになって残っていた」

 

 でも、と。レミリアは繋ぐ。

 度し難い現実なんて、あってはならないと言うように。

 

「それでもおじ様は最期まで私たちの幸せを望んで死んでいった。自分が招いてしまったスカーレットの呪いで私たちがこれ以上苦しまないようにと、たったそれだけを望んでいた。……今際の際くらい、自分への理不尽に向かって悪態の一つくらい吐いても、誰だって責めやしないのに」

 

 レミリアはナハトの残滓を見て、感じて、理解していた。彼がこの幻想郷に来て何を思ったのか。彼が永過ぎる生で何を感じていたのか。そして、最期にどの様な気持ちを抱きながら散ったのかを。

 どうしてもこの結末に納得する事が出来なかった。ナハトは間違いなく満足して生を終えたけれど、それで良いのだろうかと。どれだけ親愛を求めても存在を否定されなければ生きられず、血を吐き、肉を剥がされ、骨を折られ続けて、最後の最後まで親しい者たちの幸福を祈りながら亡くなった吸血鬼が、こんな終わり方を迎えて本当に良いのだろうかと。

 だからレミリアは一縷の望みへと縋ったのだ。例え蘇られる時間が刹那のひと時であったとしても、最後に彼の望みを叶えられるのならばそれに越したことはない。

 美しい悲劇なんて、レミリア・スカーレットにとってはくそくらえだった。

 

「このままあの人が報われないなんて嫌だ。お願い、少しでもいい。少しでもいいから彼を生き返らせて欲しい。せめて最高の時間をプレゼントしてあげたいの」

「……元より私の考えは決まっています」

 

 萃香、と紫は合図を送る。待ってましたと言わんばかりに密と疎を操る小鬼は能力を発動した。

 爆風に煽られ、散り散りになってしまったナハトの遺灰が萃香の手のひらへ掻き集められていく。それは大きな灰の山になると、すかさず紫がスキマを開いて包み込み、どこかの位相へ転送してしまった。

 紫はただ、力強く頷いて。

 

「やりましょう、レミリア・スカーレット。そもそもこの時を想定して、私と永琳はずっと仕込みを続けてきたのです。あの努力が無駄になるなんて展開はまっぴら御免ですわ」

「紫……!」

「紅魔館を貸しなさい。あそこが一番都合がいい。何より彼の()()がある。」

「分かったわ、好きに使って頂戴!」

 

 希望の言葉に表情を輝かせるレミリア。しかし、どこか不審な点でもあるのか、ほんの少しだけ陰りを見せて。

 

「……ねえ。最後に一つ、聞いても良いかしら?」

「なんでしょう」

「どうして貴女は、そんなにおじ様に対して親身になってくれるの? 最初の頃は、明らかに敵対していたのに」

 

 ……ある意味、当然の疑問だったのかもしれない。

 ナハトからの心境はさておき、八雲紫はずっとナハトと敵対関係にあった。先の吸血鬼異変もあってか、幻想郷を侵略しに来た第二のヴァンパイアなのではないかと疑った。その疑念は四年前まで晴れる事は無く、勘違いによる衝突は続いていた。

 そんな彼女が、確かに一方的な誤解をしていたとはいえ、たかが一妖怪に対しこんなにも肩入れをする必要があったのだろうか?

 紫の心中を、レミリアは終ぞ読めずにいたのである。

 

「…………彼は、私と初めて会った時、幻想郷を良い所だと言った。それは裏のある言葉なんかじゃなくて、本心から言ってくれたモノなんだと、彼を識った時に気付いたわ」

 

 遠くを眺めるように、八雲紫はぽつりと零す。

 まるで、かつて見た憧憬を夜空と重ねているかの様に。

 

「受諾も、拒絶も、何もかもを残酷なまでに受け入れる妖怪の楽園こそが幻想郷。私の愛する理想郷(ファンタジア)。だというのに私は、幻想郷の一部になろうとした者を排斥しようと試みた。地上の気風と相容れず地底へ移る事を選んだ者たちとは違う。それは一つの選択だもの。けれど彼は、ただここで生きる事を望んでいた。なのに私は未知の恐怖に怯えて拒絶した。外の人間が不可解を排し、我々の存在を否定しようとしたように。――自分の理想を、この手で壊そうとするところだったのよ」

 

 最後の一言に、紫の全てが濃縮されていたのだろう。

 幻想郷は外の世界から爪弾きにされてしまった者たちの最後の楽園である。望めば神であろうが仏であろうが安息を約束され、拒絶するならば力なきものであっても後を追われる。決めるのは己の意志ただ一つのみ。ある意味究極の弱肉強食。それが八雲紫の描いた夢だった。

 

 もし、ナハトがスカーレット卿のように我欲のままこの世界を壊そうとしていたならば、問答無用で紫は彼を見捨てていた。むしろ率先して撲滅を試みた事だろう。けれどそうはならなかった。彼は常に幻想と共に在ろうとし続けたからだ。魔の瘴気に振り回されながらも、決して諦めようとしなかったからだ。

 そんな妖怪を、紫は己の手で駆逐しようとしていたと四年前に気が付いた。かつて描いた理想の姿を、他でもない紫自身が、真っ向から否定していたのである。

 

「だから力を貸すのよ、レミリア・スカーレット。私の幻想郷が幻想郷で在る為に、あの男を見捨てる訳にはいかないの」

 

 八雲紫は力を尽くす。

 己の理想を守るために。己がしてしまった事の償いを払う為に。

 境界の乙女は、世界のイレギュラーと戦うことを選んだのだ。

 

 

 紅魔館地下室、フランドールの部屋に魑魅魍魎が集まっていた。ナハトの遺灰が台座に盛られ、それを囲うようにして皆が乱立している。私物は部屋の隅へと纏められ、生活感あふれていた空間は簡素な広間へとなっていた。

 

「では、ナハトの蘇生方法について解説しましょう。……けれどその前に、まずは彼の素性についての説明を」

 

 魔力で光る灯火だけが頼りの中、紫の口からナハトの魔力の特異性と根源、彼の生存に必要な要素が語られていく。特にナハトの『中身』の仕組みについては事細かな説明が施された。

 次いで、紫と永琳が考案した蘇生法について述べられていく。

 

「ナハトの内容物は純然たる恐怖から成り立っている。故に、彼を生き返らせるには彼に対する恐怖が必要不可欠です。しかしここまで徹底的に破壊されてしまっては戻ろうにも戻れない。死んでいるのに変わりはないのですからね。なので、先ず始めるべきは恐怖を受け止める『器』を作り直す作業になります」

「つまり、ナハト特有の魔力を還元して彼の中身に近いモノを作り上げるの。それを利用して彼の素――この場合、灰そのものへ新しい殻を与えるわけ」

 

 理屈はナハトが行った仮初の消滅魔導に近い。ナハトの魔力が消滅の力と限りなく近いナニカへ変えられるならば、それを用いれば彼の中身を補填出来るのではないか、というものだ。

 しかし、代替血液が血圧の維持には使えても血液そのものの代わりにはならないように、これはあくまで一時的な応急処置に過ぎない。根本的に治療するにはまた別のアプローチが必要になるのだが、一先ず目先の延命に永琳たちは注目する事にした。

 

 そんな中、フランドールがおずおずと手を上げる。どこか府に落ちない点があったようだ。

 

「でも、おじさまの魔力をどうやって集めれば良いの? おじさまは灰になっちゃったわけだし……私たち姉妹が代わりの魔力を作るとか?」

「それは無理ね。ナハトの魔力はナハトに関係するものからしか代用する事は出来ない。だからあなたたちにやって貰いたいことは一つだけ。ナハトの魔力が残存している私物を、この館中から掻き集めてきて欲しいの」

 

 ナハトは触れた物に多かれ少なかれ特有魔力を浸透させる性質がある。かつて瘴気を抑えるために聖遺物などを用いようとして悉く失敗した経歴があったように、または彼が作った品々は日光を前にすると溶けてしまうため、パチュリーに日除けの注文を頼まざるを得なかったように。

 それを今度は逆に利用しようという算段だった。スカーレット卿が反魔力を造り出そうと彼から生まれた魔本を奪取したのと同じ原理である。

 

 紅魔館の住人を筆頭にすぐさま私物の探索が行われた。ナハトがかつて蒐集していたコレクションたちが功を奏し、図書館の蔵書や魔鉱石の数々に始まって、装飾品に骨董品など、館中に隠されていた品々の中で特に魔力を多く含んでいる物が厳選され、どんどん集積されていく。

 遂には山の如く集められ、これならどうにかなりそうだと紫は内心胸を撫で下ろした。

 

「さて、ここからが問題ね……」

 

 懐から取り出した膨大な書類を台に広げ、紫は眉間に皺を寄せた。

 四年前に萃香の独断で行われた山の武闘会の後、紫が裏で永琳から譲り受けていた、ナハトの自我と()()を分離する術式の証明過程を綴った文書である。

 紫はそれを独自に解析し、証明を成し遂げるまでに至っていた。もっとも、渡された当初から証明の目星はついていたのだが。

 

 足りなかったパーツは万能の変換装置だ。即ち、論理的な創造と破壊を可能とし、あらゆる事象を根底からひっくり返す事の出来る『境界を操る程度の能力』が必要だったのである。

 何故なら、ナハトの内容物とはそもそも消滅の力と言う矛盾の塊だからだ。本来存在できるはずも無いバグだからだ。

 イレギュラーをイレギュラーとして扱うならば相応の反則技が肝心要となってくる。魔力を消滅の力へ組み替えられるほどのルール違反が不可欠だ。

 

「紫、本当に良いのね?」

 

 永琳が曇った表情で紫へ尋ねる。それは、この作戦が如何に危険極まりないものなのかよく知っているからこその言葉だった。

 消滅の力は神々であっても触れる事を憚るダークマターである。それを製造するとなれば、干渉する紫が只では済まないのは自明の理と言っても過言ではない。

 しかしそれを理解していてなお、紫は微笑みながら頷いた。

 言外に、何か策があるとでも語るかのように。

 

「輝夜姫様。私に不壊の魔法をかけてくださいな」

「! 分かったわ」

 

 消滅の力は無敵だ。かつて八意永琳が危惧したように、下手をすれば蓬莱人すら抹消出来うる可能性を秘めている。紫は屈指の大妖怪だが蓬莱人と違って不滅ではない。そのまま手を着けるのは、素手でブラックホールに触れようと試みるのと同義である。

 ではどうすれば良いのか? 簡単だ。壊れてしまうなら不壊の存在になればいい。蓬莱山輝夜の持つ永遠の魔法で極限まで存在を固定し、外部からの影響をシャットアウト出来さえすれば、この暗黒物質を取り扱うことが出来るのだ。

 

 二つ返事で輝夜は能力を発動した。永遠の檻をベールの様に被せ、外部から紫へ降りかかる一切の影響を遮断する。あっと言う間に、疑似的な蓬莱人が完成した。

 皮切りに、紫は術の軌道へ取り掛かった。

 

 集められたガラクタの山から真っ黒に染まった泡が抽出されていく。一つ一つはガラス玉と同等か、それ以下のごく小さな泡だった。気泡同士は混ざり合い、テニスボールほどの大きさまで膨張すると、紫の右手のひらへ吸い寄せられる。

 左手を添え、触れずして撫でる様に手を回す。

 額に粘質な汗が滲み出す。例え永遠の守りを得ても一歩間違えれば存在そのものを削られかねない綱渡りは、その場の全員に緊張の糸を張り巡らせた。

 

 球体の境界が二転三転と返されていく。その度に摩訶不思議な光が瞬き、純黒の球体が鼓動を放つ。黒を超越した黒へ、ずぶずぶと深みを増していく。

 

 一体どれだけの時が経っただろう。境界を操作し魔力へ加工を重ねていく作業は時の流れに歪みを起こし、時間の間隔を破壊した。一分一秒がまるで永劫にすら感じられる光景は、蓬莱人たちでさえ、固唾を飲んで見守るほどだった。

 

「……出来た」

 

 どこまでも黒く、もはや色と言う概念すら超越した物体を掲げ、紫は静かにそれを灰の山へと降ろしていく。空間を削りながら拍動を繰り返すそれは、ブラックホールで出来た心臓の様だった。

 

「萃香。灰をその球体の中に集めて頂戴。でも絶対球体へ干渉しちゃだめよ」

「分かった」

 

 灰が暗黒と混ざり合う。水と土が入り混じるように、完璧だった球体はドロドロとした粘質さを帯び始めた。

 諸共消滅を迎えるのではなく、形として成立しているという事は、成功の兆しにほかならず。

 けれど、紫と永琳の表情は晴れなかった。

 

「足りない」

 

 紫を代弁し、永琳が呟く。決定的で、覆しようのない事実を。ただ克明に。

 

「これだけじゃ無理だわ。ナハトを蘇らせられる最低値を突破できていない。このまま無理やり復活させれば、自我を持たない化け物が生まれてしまう」

「そんな……! 永琳、何か手は無いの!?」

「魔力の素がもっとあれば解決できるわ。あとほんの少しでもあれば」

 

 永琳の言葉を聞いたフランドールが、藁にも縋るように姉へと問いかける。

 

「お姉様、他におじさまの私物は……!」

「……館中を探して、隠し部屋も全部暴いたのよ。残念だけどこれ以上は……」

 

 しかし返ってくるのは、横に振られる首のみで。

 あと一歩と言う所で届かない現状が、嫌な現実感をさらに加速させていく。

 やはり駄目なのか――誰もが諦めかけた、その時だった。

 

 

「しょーがないなぁ」

 

 

 発したのは、今まで静観を決めていたルーミアだった。

 脈絡なく呟かれた言葉に注目が集まる。宵闇少女は構わず飄々としたまま、台座のもとまでマイペースに歩を進めると、

 

「やっぱりこんな気がしてたのよねー。共鳴、って言うのかしら? どうもおじさんと私って()()()っぽいから、必要な時が来るんじゃないかと思ってたのよ」

「ルーミア……?」

「ところでフラン。一宿一飯の恩って言葉があるくらい、食事を恵んでもらえるのはありがたい事なんだ。フランにはいつも美味しいご飯をご馳走になってるし、今度は私がお礼をする番になるのは当然よね」

 

 ――フランドールは四年前からチルノや大妖精、ルーミアへ定期的に手料理を振舞っていた。

 調理の際に使われる食材には、ほぼ全てナハトの魔力という調味料が振りかけられていた。せめて良いものを食べられるようにと、品質向上の工夫がお人好しな吸血鬼によって施されていたのである。

 一つ一つは微々たるもの。しかし重ねて食べ続ければ魔力はどんどん蓄積され、まるで生物濃縮のように少女たちの体内へ備蓄されていった。

 

 結果、ルーミアたちの身に何が起こったのか。

 いち早く感付いたのは、大妖精だった。

 

「ルーミアちゃんまさか……チルノちゃんの力が物凄く強くなって、私も連続でテレポート出来るようになってたのって!?」

「そういうこと。だから私は戦わなかったのよ。無暗に消費しちゃ勿体ないし、色々と後で役に立つと思ってたからさ」

「ええーっ!? じゃあ、あたいもとっておけば良かったのか!?」

「んーん、チルノは駄目。妖精だから色々混ざり過ぎちゃうもの。闇の妖怪である私だから、これをそのまま使えるのね」

 

 ルーミアの手のひらに、先ほどの球体と同じ大きさの魔力塊が出現した。それは見間違えるはずもなく、ナハトをルーツとした特別な魔力の反応に他ならなかった。

 悪戯っ子のように、宵闇妖怪は微笑みながら。

 

「ほんとはこの面倒くさい封印(リボン)破るために使おうかなって思ってたんだけど……ま、こっちの方が正しいよね。だから頼むよ紫。これでおじさんをキッチリ治してね」

「――ええ、必ず」

 

 すぐさま紫は抽出された魔力の加工に取り掛かった。垂らされた蜘蛛の糸を決して無為にする事のないよう、慎重に慎重に手を加えていく。

 やがて素材が完成し、元あった素体と組み合わせれば、劇的な変化が訪れた。

 不定形だった暗澹の泥が指向性をもって動き出す。面積が広がり、四肢が生え、頭部が生え、衣服までもが立体的に再生されていく。まるで組織再生の早送りを眺めている様な光景だった。

 

 最後は驚くほどあっという間に、ナハトは生前の形を取り戻した。

 

「ナハト!」

「姫様駄目です。まだ触れてはなりません」

 

 駆け寄ろうとした輝夜やスカーレット姉妹を賢者たちが手で制する。代役として前へ出たのは八意永琳だった。

 彼女は静かに喉元へ手を触れ、一先ず脈拍を確かめる。的確に触診や視診を繰り返すと、安堵の表情を浮かべながら。

 

「やったわ、一先ず成功よ。――――でも」

 

 吉報にどよめきを走らせかけた一同だったが、雲行きの怪しい語尾に遮られてしまう。どうして? とこいしが聞けば、永琳は目を細めてナハトを見ながら、

 

「これはまだ麓の段階と言っても過言じゃない。例えるなら死人を重症患者にまで戻しただけ。大きな進歩ではあるけれど、根本的な解決には至ってない」

 

 そう。この状態はあくまで最低限のライフラインを確保しただけに過ぎないのだ。完全復活を果たすには消し飛ばされてしまった中身を補えるほどの恐怖と、それを安定して供給出来るパイプが必要になってくる。

 もしその問題をクリア出来なかった場合、寿命はもって一日足らずだろう。フラスコから投げ出されたホムンクルスのように、弱々しく息絶えるのみである。

 

「……私達みたいに蓬莱の薬を飲ませる、なんてのは」

「それだけは絶対に駄目。蓬莱の薬は不死の薬じゃなくて変化を拒絶する薬なのよ。ナハトを永遠の危篤状態にさせるつもり?」

 

 妹紅の提案を輝夜は一刀の下に両断した。しかし妹紅は何も考えず口にしたのではないらしく、どこか口元に綿を含ませるように、

 

「いや、それなんだけどさ。あの薬を飲んでから私は結構姿が変わったんだよ。髪は白くなったし、異様に伸びた。瞳は真っ赤に染まる始末。変化を完全に拒絶するなら背だって伸びるわけが無いでしょう? 私が飲んだ薬と同じ奴を、永琳が手を加えて変化を持つように改良したら大丈夫なんじゃない? 本当の不死じゃなくて、疑似的な不死を与える感じで」

「その変化は私と輝夜が飲んだ薬と、あなたの飲んだ薬は少し違うから起こっただけなのよ、妹紅」

 

 蓬莱の薬は一種類だけではない。()()の姿形を完全に保ったまま不死と化した輝夜たちが飲んだものと、月の都に幽閉されている嫦娥のようにヒキガエルとなって完全な不死を得るもの。そして妹紅が飲んだ、副作用によって肉体が少しばかり変異をきたす薬の三種類である。

 

「私たちが飲んだ蓬莱の薬は全部、ある意味失敗作なの。特に妹紅、あなたのものは副作用によって容姿に変化が生じてしまう不良品だった。けれど言い換えればそれだけ。見た目は変わっても根本的な主作用に変わりはないのよ。だから簡単に投与するわけにはいかないの」

「やっぱり駄目か……ごめん、早まった」

 

 しゅんと肩を落とす妹紅。それを跳ね除けるように、永琳が言葉を繋ぎ合わせた。

 

「けど、こういった事態に直面するのは織り込み済みよ」

「え?」

「私達を誰だと思っているの? これくらい予測していない筈がないでしょう。この治療において最も危惧すべきだったのは魔力の総量だった。でもそれは宵闇妖怪さんのお陰で解決したから問題じゃなくなった」

「なら、ナハトは治るのね……? 治るのよね?」

「余程のアクシデントが無ければ大丈夫でしょう。この時に備えてずっと紫と動き続けてきたのだから。そろそろ実を結んでもらわなくちゃ困るわ」

 

 ね? と永琳は紫に向けてウィンクを贈る。

 紫は応じるように微笑みながら、人型の紙きれを取り出して。

 

「私達の出る幕は終わりました。後は結果がどうなるか、ただそれだけを見守りましょう」

 

 

「…………っ?」

 

 薄暗い世界の中、ぼんやりとした視界を抱えながら私の意識は覚醒した。

 地霊殿のものではない、見慣れた私室の天井が映る。しかし、ここが紅魔館だと認識するのに相当の時間を必要とした。

 

 だって、私は。

 

「私は……」

 

 死んだはずだ。

 確かに、死んだはずなのだ。

 

 反魔力によって存在の支柱を奪い取られ、太陽の熱波に身を焼き尽くされ、自らの命までも絞りつくした私はあの場で力尽きて息絶えた。朽ちていく体の感触も、冷めゆく意識の終末も、走馬灯さえも、今だって克明に思い出せる。

 混乱が胸の中でうずく。ここは本当に現世なのだろうかと、自分の生身の手を見ても触れても、信じる事が出来なかった。

 

「ここは、あの世か?」

「残念ながら、ここは現実であなたは生者よ。異端の吸血鬼さん」

「っ?」

 

 突然聞き慣れない声が部屋全体に響き渡って、一瞬幻聴かと疑った。

 しかし声のした方へ振り向いた私は、その考えをすぐ改める事となった。

 何故なら視線のその先に、なんとも形容しがたい出で立ちの少女が、テーブルに腰かけ足をプラプラとさせながら居座っていたからだ。

 

 真っ先に目に着いたのは、ロシア帽の上に鎮座する赤紫の球体だった。ストロベリームーンさえ霞んで見える禍々しい物体が少女の頭上に乗っていて、その異様さに私は言葉が出なかったほどだ。

 彼女の奇抜さはそれだけにとどまらない。首のチョーカーを起点に伸びる三つの鎖の先端には、頭の球体以外に地球や月と酷似した物体が接続されており、両肩辺りをふよふよと浮かんでいるのである。

 加えて、胸元に大きく『Welcome ♥ Hell』とプリントされた現代的なTシャツが、一層彼女の正体を暗雲の中に突き落とした。

 

 なので、私にはもはや、この言葉以外に送り出せるものはなく。

 

「君は……誰だい?」

「自己紹介は先ず自分から――だけど、寝起きだし勘弁してあげるわ」

 

 感謝しなさい? と得意げに返されるものの、情報量の多さに私の思考回路は完全なショートを迎え、まともな返事を返す事すらできなかった。

 構わず、謎の赤髪少女は続ける。自分の胸元へ手を当てながら、活気に満ちた声色で。

 

「私はヘカーティア。ヘカーティア・ラピスラズリ。月、地球、異界の地獄を束ねる女神様よ」

「ヘカー……ティア?」

「そうそう、ヘカーティアちゃん。ちなみにちなみに、あなたにとってこれからの上司でもありまーっす」

 

 

 ………………………………………………。

 何がなんだか、分からない。

 

 

「どう? 事情はだいたい呑み込めた?」 

「…………………………ああ、概ね理解出来たよ。ありがとう」

「どういたしましてー。親切な女神に感謝なさい」

「……念のため伺っておきたいのだが、敬語を用いた方が良いのだろうか? あまり慣れていないのだが、立場上必要なのであれば善処する」

「いらないわよそんなの、堅苦しいの嫌いだし」

 

 ヘカーティアと名乗った少女は、混乱する私を無下にすることなく、懇切丁寧に何が起こっているのかを説明してくれた。

 

 まず、彼女は自己紹介の通り地獄の女神で間違いない。それも普通の神格ではなく、未だ外の世界でも現役でいられるほど高い格を持った女神であり、幻想郷などといった枠組みを遥かに超越した存在である。分かりやすく噛み砕くなら、彼女は冗談でもなんでもなく指先一つ捻るだけで幻想郷どころか月すらも崩壊させることの出来る力を持つ。それほどの力量を秘めた神格なのである。

 

 そんなヘカーティアが、縁も所縁も無い私に一体何の用があるというのか。答えは先の発言にあった。

 結論から言おう。彼女は私を()()つもりでいるらしい。

 

 事の発端は四年前に遡る。安定した恐怖の供給ラインを手に入れる為に知恵を絞っていた紫と永琳は、永琳が私を幻想郷へ適合させたように、人々の怨念や恐怖が渦巻く地獄そのものへ適合させればよいのではないかと考えた。そこでまず槍玉に挙がったのが映姫だ。地獄と正規のパイプを持ち、私を色眼鏡で見ることなく適正に評価できる人物は彼女しかいない。

 

 紫はすぐさま四季映姫へ相談を持ち掛けた。地獄へ一つの存在を、それも私と言う特異中の特異を馴染ませるには、一体どうすればいいのだろうかと。

 暫くして、答えは出た。ヘカーティア・ラピスラズリという地獄の支配者の力を借りる事が出来たならば、この難題を解決する事が可能だろうと映姫は紫に伝えたのである。

 幻想郷への適合ならばいざ知らず、地獄となると途方もない力を要求される。それこそ、ヘカーティアのように地獄を丸ごと統括出来るほどの規格外な存在の手助けが必要不可欠だったのだ。

 

 しかし課題はもちろん山積みだった。当然ながら、見ず知らずの神格へ脈絡もなく妖怪を受け入れてくれ、などと頼み込んだところで受理されるわけがない。当然だ。だから二人は、実力主義である地獄の性質を逆手にとって正攻法で攻略しようと打って出たのである。

 即ち、人間風で言うなれば履歴書を送り、地獄の一員として私を採用させる事だった。

 

 映姫が私へ百体の怨霊浄化と回収を命じたのも、推薦に値する適性や能力を測る為のものだったらしい。無事に成し遂げた私は一定の能力を評価され、浄玻璃の鏡による審査もパスし、八意永琳、八雲紫、四季映姫・ヤマザナドゥの認印を携えた推薦状が完成した。完全実力主義の地獄でこの書類は抜群の効果を誇り、ヘカーティア・ラピスラズリの目に留まった事で、彼女の下へ配属される事が決まったという訳である。

 

「肝心なあなたへの報酬は、お駄賃と地獄にある恐怖の無限使用よ。経路(パス)は既に繋いでおいたから、どう? だいぶ楽になったでしょ」

 

 言われてみれば体が軽い。五体も満足に揃っているし、魔力は溢れんばかりである。

 

「本当に、なんとお礼を言えば良いものか」

「給料の前払いだから気にしない、気にしない。働いて貰えれば一向に構わないわ」

「……ところで、働くとは言ったが具体的に私は何をすれば良いのかな?」

「別に何もしなくていいわよん」

 

 予想外の言葉があっけらかんと飛び出してくる。何もしなくていいとは、一体どういう意味合いだろうか。

 呆けていると、ヘカーティアが補足を始めた。

 

「あなたの中身は知ってるわ。消滅の概念の結晶、原初の恐怖の集合体。本当、これ以上にない適役よねー。地獄の闇を深めるにはぴったりの逸材だわ」

「……?」

「昔ね、嫦娥って奴の夫が太陽を撃ち落としちゃってさ。お陰で光源が弱まったものだから地獄の闇がすごーく薄まっちゃったのよ。ほんといい迷惑よね。で、肝心のあなたはいわば闇そのもの。ただそこにいるだけで畏怖を集め、ただ歩くだけで恐怖をばら撒く。薄まった闇を濃くするにはうってつけの材料ってわけよ」

「……つまり、私は地獄で恐怖を喚呼させればそれで良いという事か」

「ぴんぽんぴんぽーん。暇で退屈で刺激の無い、おまけに交流だって殆どないお仕事だけど、その分お休みや報酬は奮発するから頑張って頂戴ね」

 

 ふむ。ただ恐怖を呼び起こすだけで良いのであれば、私にとってある意味天職なのかもしれないな。

 しかも話によれば、一年の内半分の時間を好きに使って良いとのことだ。半年分きっちり働きさえすれば、一部条件付きではあるものの、残りの半年は幻想郷に行こうが外に行こうがどうしようとも勝手らしい。願ったり叶ったりとは、正にこのことを指すのだろう。

 

「了解した。何から何までありがとう、ヘカーティア女史」

「感謝を言われる筋合いはないわ、ただの福利厚生の一環だし。地獄の職場は実力に応じた対価がウリなのよ。――それに」

 

 彼女はテーブルから音もなく降りると、私に背を向けながら。

 

「お礼なら、それこそ妖怪と月の賢者さんに言った方が良いんじゃない? あの子たちが頑張ってくれたからこそ、あなたはここまで辿り着けたのだから。もちろんあなたも頑張ったとは思うけど、彼女たちの努力は並じゃない。この私を納得させる推薦材料と資料を集めたり、そもそも私へ掛け合おうとすること自体がとんでもない事なのよ」

「――――」

「良い友達を持ったわね、吸血鬼さん」

 

 何気なく放たれたその言葉が。

 なんだかとても、胸に響いたような気がした。

 

「明日迎えに来るから、身支度を済ませておきなさいな。それじゃバイバーイ」

 

 笑顔で手を振りながら、星のようなエフェクトと共にヘカーティアは忽然と姿を消した。

 残された私は虚空を眺めながら、彼女から渡された小さな言葉を、何度も何度も反芻していた。

 

「……良い友を持った、か」

 

 心の底から、そう思える。

 私一人だったなら、きっとここまでは辿り着けなかった。私一人だったなら、とっくの昔に死を迎えていた。

 彼女たちの力があったから、私は第二の生を許された。彼女たちが味方でいてくれたから、普通に生きる事を許された。

 その事実が、こんなにも暖かいなんて。

 

「私は、どれだけ恵まれているんだろうな」

 

 感謝の暖かみだけが、ただただ湧き水のように溢れてくる。生きる事を許された喜びが、胸を中心に染み渡る。

 拳に額を当てながら、私は込み上がってくる全ての感情を織り交ぜて、一言にして吐き出した。

 

「ありがとう。生きていて、本当に良かった」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告