【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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EX1「賢者さんの憂鬱」

 

 パタン、と本を閉じて、テーブルへと置く。読み終えた後の微かな余韻に浸りながら、私は椅子の背もたれへ大きく腰掛けた。

 

 自然と、深めの溜息が漏れる。傍にあるティーカップの中は既に空になっていて、どこか寂しい印象を私に与える。紅色の液体を少しばかり恋しく思うが、今はそこまで積極的に淹れようと思えないので、そのまま放置しておく事にする。

 

 今は丁度、正午を回る頃合いだ。太陽が空を支配している時間帯であり、一切外へ出る事が出来ない。

 私は眠る必要が殆どないため、こうして窓のない自室で、夜までの時間を潰すために活字の世界へ入り浸っていた訳である。

 

 しかし、借りて来た本はたったいま全て読み切ってしまった。紅茶で気を紛らわせようにもそう何杯も飲むものではない。他の飲み物を飲む気も今のところ起きない。水腹になってしまうのは遠慮したいところだ。

 

 誰かと時間を過ごそうとも思ったのだが、レミリアは日の射す中だと言うのに日傘を咲夜に持たせて、果敢にも博麗神社と言う巫女さんの住む所へ行ってしまった。

 吸血鬼が人間のシャーマンと仲がいいのは少し驚いたがそれはさておき、体が小さいのはこういう時に羨ましいものだ。私は傘に体が入りきらないから日光でダメージを受けてしまうため、下手に外を出歩けない。日の元に出られないのはほとほと困ったものだ。

 

 姉妹の片割れのフランはどうかと言うと、何やら最近パチュリーや小悪魔と共に『すぺるかーど』なるものの新開発に忙しいらしい。

 妖力や魔力、人間でいえば霊力と言ったオカルティックエネルギーを弾幕として顕現させて対戦相手と撃ち合い、弾幕の美しさや強さで勝負する遊びを『弾幕ごっこ』と言い、『すぺるかーど』は宣言用の道具なのだそうだ。

 

 最近の幻想郷では、その自身で考案した弾幕を撃ち合う遊びが力ある少女達の間で流行中なのだとか。

 これは本来、妖怪と人間の圧倒的実力差を埋めるべく考案された決闘法らしいが、言ってしまえば女の子のままごとだと説明された。故にごっこなのだと言う。

 

 女の子の遊びと言われたものの、パチュリーとフランが練習試合をしている光景を見て興味が湧いたので、物は試しにとパチュリーに細かなルールや弾幕の作り方を聞いてみたら『幻想郷と戦争を起こすつもりなのか』と険悪な表情を向けられ却下された。何故そのように解釈したのだろう。私は少し試したい気持ちで遊んでみたかっただけなのに。

 

 美鈴の場合、日光は元より門番をしているため、邪魔をする訳にはいかない。以前夜の門番勤務中に差し入れを持っていったら跪かれる勢いで礼をされ、ガチガチになってしまった事がある。それ故、勤務中は遠慮することにしているのだ。

 

 いい加減私は恐怖の魔王でもなんでもないと認識して欲しいのだが、あの夜の事がどうにも彼女の心へ根付いてしまったようである。追々、あれはただ熱を持ち過ぎただけであんな激情に身を任せるようなことは滅多に無いのだと説明して、早く誤解を解いて貰わねば。

 

 最後に妖精メイドだが、彼女たちは未だ心を開いてくれないでいる。自然の具現体であるが故に純粋な彼女たちは、モロに魔性の悪影響を食らってしまうようだ。咲夜からは、『ただでさえ仕事をしない彼女たちが更に使い物にならなくなるので、無暗に脅さないでください』と注意される始末である。交流のきっかけを掴むために手を振るのが脅しと取られるとは、やはり他者と関わりを持つのは難しいのだと実感させられた。

 

 さて、そんなこんなで私は絶賛暇である。誰か私の所へお客さんでも来ないかなぁと妄想に耽っては見たが、よく考えてみれば私が幻想郷に存在していると紅魔館の住人以外は知らない。訪れる者が現れる訳がないのだ。いや、仮に知られていた場合に訪れる者が来るのかと聞かれれば、今までの経験からして沈黙せざるを得ない訳なのだが。

 

 仕方がないので、図書館から本をもう一度取って来ようと立ち上がる。以前借りていた返却分を用意して、部屋を出ようとドアノブに手を掛けた。

 

「こんにちは」

 

 風鈴の様に凛としていて、どこか月の光を思わせる神秘的な声色が、突然耳に入りこんだ。

 誰だろうか。館の者の声ではないが……と振り返れば、そこに15から17歳程度の少女が、扇子を片手に佇んでいるではないか。

 

 太極図らしきものが描かれた中華風の服装に、レミリアやフランの物と形状が似ているリボンをあしらった帽子。髪は美しい黄金で、本来はそれなりに長いのかもしれないが、今はキャップの中に纏められている。瞳は私と同じ紫色だった。

 

 浮世離れした美貌をもち、全身から只ならぬ妖気を纏わせているところから見て妖怪であるのは間違い無いだろう。しかもこの妖気の濃さは、私と同等の時を生きた妖怪であると伺えた。

 

 何にせよ、私に一切存在を気付かれることなく部屋へ忍び込んだ時点で只者ではない。

 しかし、別に争う気も無い上に私としてはなるべく荒事は遠慮願いたいので、只者ではないからと言って無暗に敵意を振りまくようなことは絶対にしない。

 それでも、魔性の受け取られ方によっては敵意と勘違いされてしまうから困りものなのだが。

 

 ……そう言えば、レミリアやパチュリーから幻想郷の管理者の立場に就いている妖怪について、少し説明を受けたことがあった。

 なんでも物理非物理はおろか、概念染みたもの、果ては存在に関わる境界ですら操れるという非常に強い力を持った妖怪の話だ。名を確か、八雲紫と言っていたか。

 

 境界を操る、というのが今一つピンとこないのだが、レミリア達の説明が誇張表現でないとしたら、空間の境界を操る事も可能ではないだろうか。

 そうであれば、気配も無くここへ現れた不可解な現象も説明できる。仮説が正しいなら、彼女は空間と空間の境界を操り、接続してここを訪れたと言ったところか。

 

「少しお時間を頂けるかしら」

「ああ、構わないよ。ところで君は、もしかして八雲紫と言う名前かな?」

 

 彼女は眼を細めながら、手に持っている扇子で口元を隠した。非常に穏やかな雰囲気ではあるのだが、どこか睨んでいる様な印象を受けるのは気のせいだと願いたい。

 

「ご名答。お宅のお嬢様から第一印象でも聞いたのかしら。でも一方的に知られているのは不公平ですわ。せめて、貴方のお名前を聞かせてくれる?」

「ふむ、それは失礼した。私はナハト。最近ここに引っ越してきた新参者だ。初めまして」

「……ええ、初めまして。改めて自己紹介させて頂きますわ。私は八雲紫。一応、この幻想郷の管理者みたいなものを務めています」

 

 柔らかく、妖艶な笑みを浮かべて少女は言う。

 それにしても、我が瘴気に対してここまで平然として居られるのは少々驚いた。先天的に耐性の強い者なのだろうか? 

 いや、もしかしたら境界を操る力で何とかしているのかもしれない。非物理まで干渉が可能ならばおそらく可能ではあると思う。無効化されたことが今の今までに無いものだから、確証はないのだけれど。

 

 しかしだ。これはひょっとすると非常に恵まれた好機なのではないか?

 

 彼女は今私の手元にある情報で推察するに、とても強力な妖怪である。さらに私の魔性による悪影響を受けている様子がほとんど見当たらない。

 余裕を保ち、淡々とした態度をファーストコンタクトの時点で保って見せた。前例がない訳では無いが、非常に稀なケースなのは違いない。もう奇跡の確率と言って良い程だ。

 

 言うまでもなく、魔性耐性有りだという事実に加えて、私と同等クラスの妖怪であるのならば。これ即ち、高い確率で友達になれる可能性を秘めた人物と言う事になる。

 

 その想像にまで至って思わず頬が緩んでしまうが、いきなり脈絡もなく笑うのは失礼な上に不気味だと直ぐに頬を硬直させた。

 久しぶりの友達候補を見つけて、どうにも舞い上がってしまう自分に気付く。幾ら年を重ねても、慣れない事には慣れないものなのだなと身をもって実感した。

 

 立ち話もなんだと、私と紫はテーブル越しに対面する形で椅子に腰かける。

 本を傍に置き、一息。久方ぶりの紅魔館以外の人物とのコミュニケーションに、少しばかり妙な緊張を覚えつつ彼女を見る。

 いかんな。初対面が恐らく世間一般の『普通』な対応だっただけあって、期待を抱かずにはいられなくなってしまっている。私らしくも無い。

 

「それで、何か私に用かな? 大方、新参者たる私の査察だと伺えるが」

 

 私の言葉に、彼女はどこか冷たいようで清らかな、さながら雪解け水の様に透明感のある微笑みを浮かべた。

 

「その通りですわ。私、貴方が何時ここに訪れたのかだとか、詳しい事をまるで知らないの。だから少し、その辺りも兼ねて貴方とお話をしようと思って」

 

 …………、

 これは、夢か? 

 もしかして私は、友達欲しさのあまりこの年で遂にイマジナリーフレンドを作り出してしまったとでも言うのか?

 

 待て。慌てるな。精神を平静に保て。幾ら初対面がスムーズに進みそれどころか相手の方から私と話をすることを望んでくるという、どれだけシミュレーションを重ねたかも分からないような事態に直面したからと言って、混乱して折角の機会を台無しにしてはいけない。

 

 思考がいたく早口になってしまった気がするが、一周回って逆に冷静になり、幾らかの落ち着きを取り戻す事に成功する。

 

 そうだ、落ち着くのだ。勘違いしてはいけない。彼女が私に対して興味を抱いたのは、あくまで管理者と言う立場であるが故だ。

 私が幻想郷に仇なす存在か、そうでないかを見極めに来ているだけである。プライベートで来ている訳では無いという事実を頭に叩き込んでおかねばならない。

 

 そこで浮上してくる問題が、私に対する『印象』である。ここで不躾な態度をとって有害だと判断されれば終わりだ。管理者に疎まれ幻想郷で生き辛くなることは勿論、彼女自身との交友の橋が崩れ落ちてしまう。

 絶対に避けねばなるまい。この状況は私にとって、ある意味ではあの夜より遥かに危険な綱渡りとなるだろう。

 

「そういう事なら、歓迎だよ。気になる点があるなら何でも聞いてくれ」

「そうさせて頂くわ。じゃあまず最初の質問。貴方は何時頃から幻想郷へ?」

「およそ十日前の夜かな」

「ふうん。じゃあ、幻想郷の情報をどこで知ったの?」

「私は当時旅をしていてね。外に残っていた数少ない人ならざる者達の噂を小耳に挟んだのだ。東方の地に、人と妖が共に暮らす隠れ里の様な場所があるとね」

「成程ね。それで貴方がここを知り、訪れることが出来たって訳」

 

 紫は扇子をパチンとたたみ、瑞々しい桜色の唇に陶器の様な指を這わせる。考えるときに唇に指を当てる癖でもあるのだろうか。

 

「あと少しだけ、お話を聞いても?」

「勿論」

「ありがとう。……貴方自身、幻想郷についてどう思っているのか、聞かせて貰える?」

 

 ふむ。幻想郷について、か。これはまた、答えにくい質問をしてくれたものだ。

 はっきり言ってしまえば、私は幻想郷の事を全くと言っていい程知らない。

 

 ここがどういった場所なのかは分かる。だが、どれほどの広さで、どの様な妖怪が生息していて、どの様なコミュニティが存在していて、どの様に各々が生活を営んでいるのかなどは露ほども知らないのだ。

 答えようにも、私の中の幻想郷は未だ紅魔館の範囲で収まっているために彼女が望む明確な回答が浮かばない。

 

 しかしここで何とも思っていない、知らない等と口にするのはよろしくない。適当な返事は幻想郷へ興味が無いのだと取られてしまうだろう。

 

 管理者の彼女はそれに傷ついてしまうかもしれない。幾ら大妖怪であったとしても、愛着のあるものを否定されれば良い気はしないなど自明の理だ。

 私だってもし、あの時パチュリーから私が基盤を完成させた図書館を貶されていたら、暫く部屋に引き籠っていた自信がある。

 だから私は、思った事を率直に述べてみる事にした。

 

「恥ずかしながら、私はまだ幻想郷の事をよく知らないんだ」

「……そう」

「だが」

 

 少女が瞳へ妙な光を微かに宿したところで、私は言葉を繋ぐ。

 

「ここへ来てまだ十日程度しか経っていないが、その短い間で、私は紅魔館に住む彼女らの笑っている顔をよく拝んだよ。レミィは人間の巫女さんの所へ行く時間を楽しみにしている様だし、フランは『弾幕ごっこ』に夢中になっている。パチュリーは外より落ち着いて本が読めると言っていたな。美鈴は……これは良いのか分からないが、よく気持ちよさそうに昼寝をしていると咲夜から聞いている。咲夜は館の雰囲気が以前より丸くなったと言っていた。……ここに住まう者は皆、外の世界では受け入れられ難い力を持った存在だ。そんなあの子たちが、ここへ訪れてから各々の平穏を手に入れ、穏やかな笑みを浮かべている。それだけこの地が過ごしやすいと言う事なのだろう」

 

 事実、私はこの幻想郷以上に、人ならざる存在が和やかに過ごしている光景を見た事が無い。

 妖怪と人間は本来相容れない存在であり、少し前までは人間と妖怪の争いなんて日常茶飯事だった。吸血鬼狩りや魔女狩りが良い例だ。我々は常日頃から、争いに備えてビリビリとした空気を纏わりつかせていたと思う。

 

 それが今、この館では見当たらない。もし争いの火種があるのならば、レミリアがあそこまで無警戒になる筈がないだろう。

 あの子は私が退いてから、400年近くも立派に当主を務めていたのだ。それも外の世界で過ごしていた時間の方が遥かに長い。敵意や悪意に関しては人一倍敏感である筈である。

 そんな彼女の反応が無いと言う事はつまり、ここが真に平和な地である証拠と言えよう。

 

「私は、とても良い場所なのだろうと思っているよ。時が来れば、自分の足でこの地を見て回りたいものだ」

 

 今は何故か、レミリアやパチュリーに外出を止められているので館からは動けないが、いずれは全てを見て回ろうと思う。この少女の様に私を受け入れてくれそうな者達と出会える事を願うばかりだ。

 

 紫は目を閉じて噛み締めるように頷き、畳んだ扇子を袖の中へと仕舞い込んだ。どうやら、及第点は貰えた様子である。

 ふと、ある疑問が頭に浮かんだので、口にしてみる事にした。

 

「今更だとは思うが、私は幻想郷へ来て良かったのかな? もしかしたら正式な手続きが必要だったのかと、ふと思ったのだが」

「いいえ、必要ありませんわ。ここは全てを受け入れる幻想郷。勿論貴方も歓迎します。でもここで暮らす上では、貴方に守って貰わなければならないルールがあるの」

「ほう、ルールか。是非聞かせて貰いたい」

 

 そこから私は、紫に幻想郷で暮らす上での主なルールの説明を一通り受けた。

 

 一つ。幻想郷には人間の集落である『人間の里』があり、その中では如何なる理由があろうとも妖怪が人を襲ってはならない。

 一つ。人間の退治屋と戦闘になった場合のスペルカードルールの適応。

 一つ。地上の妖怪が地底に赴いてはならない。

 一つ。博麗大結界を破壊してはならない。

 

 概要として見れば、大きなルールはこの位だろう。人を襲ってはならないのではなく、人里の中ではご法度であるらしい。

 つまり外では良いと言う事なのだろうが、私は人間を襲う必要が殆ど無いので必然的に問題は無い。

 加えて妖怪にとっての食料は、月に一度館へ配分されるらしい。レミリア達が人を襲わずに生活できているのはこれが要因だろう。

 

 スペルカードルールは、はっきり言って私には意味を成さない。そもそも戦闘など御免なのだ。退治されそうになった時は、適当にその場を去らせていただくとしよう。

 

 次に地底についてだが、そもそも地底の入り口がどこにあるのかが分からない。大まかな地底の説明を受けたものの、特に行ってみようとは思わないので問題ないだろう。

 ただ、地上で嫌われた者が集う地だという説明には、少しだけ興味が湧いた。もしかしたら私もそこへ行けば受け入れて貰えるのではと考えたが、そこですら拒絶されると本当に後が無くなるので最終手段とする。

 

 最後に、幻想郷を覆う結界についての説明だった。

 常識と非常識を外の世界と分け隔てている結界があり、この結界のお蔭で、外の世界において非常識―――具体的には忘れ去られたもの――となった存在が入り込んで来るらしい。妖怪や神の類も、その様にして入り込んで来るのだとか。

 

 ただこの博麗大結界。実は少し覚えがある。幻想郷へ訪れる直前の事なのだが、最初に森の中を隔てるように存在する力場の様なものを発見して、もしやこれが幻想郷を隠している隠密術の類では、とグラムで斬って入り込んだのだ。

 結果、私は無事に幻想郷へ入り込むことに成功したのである。無論、放置しておいて無用な騒ぎを起こすのは本意ではないので、斬った部分はちゃんとくっ付けておいた。

 

 その結界が、よもやそこまで重要なものだとは思わなかった。今度からは無暗に手を出すのは控えよう。触らぬ神に祟りなしである。

 

 ルールの説明と解釈が一通り済んだところでふと、折角私の部屋へ訪れてわざわざ確認やルールの説明までしてくれたと言うのに、お茶の一つも出していない自分の失態に気が付いた。

 私としたことが、何という初歩的なミスを犯したのだ。やはり、頭は冷えてもいつもの様に平常を保てていない様である。いかんいかん。

 

「説明してくれてありがとう。そういえば、長話で喉が渇いていないかね? 折角だから何か飲んでいってくれ。今は持ち合わせが紅茶と緑茶しかないのだが、どちらがお好みかな?」

「そうね。折角だから紅茶を頂けるかしら」

「うむ、了解した」

 

 席を立ち、自室の食器置き場へと向かう。

 部屋にある家具はベッドと本棚、それとテーブルに椅子という組み合わせで、一種の宿泊室のような雰囲気である。さらに少しだけ無理を言って、レミリアから茶葉とティー用品を仕舞える小さな戸棚を貰った。これで、わざわざ咲夜に出張って貰わなくても自分で淹れられると言う訳である。

 

 戸棚からティーポットとやかん、更に水を取り出し、水をやかんに入れて火炎魔法で熱する。 

 沸騰し始めた所でティーポットへ注ぎ、ポットの中を手早く洗い流す。洗った分の湯を水流操作魔法で取り出して分解、霧散させ、再びやかんで水を加熱しつつポットに茶葉を仕込む。

 ぼこぼことお湯が沸騰し始めたのでポットへと注ぎ、後は3分ほど待てば完成だ。

 

 ただ黙っているのもどうかと思い、ポットの様子を伺いつつ、私は背を向けたまま紫へ話しかける事にした。

 

「ところで私から一つ、図々しい様だが、貴女に頼みごとをしても良いだろうか?」

「……なにかしら」

「私は吸血鬼である故に、日の元に出る事の叶わない身の上だ。幻想郷の事を知りたくても、日中に出られないとなると知る事の出来る部分が限られてしまう。ここは人間も共存している地だと伺ったから、幻想郷が人間の時間帯にどの様な姿をしているのか是非見てみたい。そこで一つ―――君の力を少しだけ貸してくれると、嬉しいのだけれど」

 

 境界を操る力を使って太陽を克服させてくれ、などと言うつもりはない。しかし境界操作の力を応用すれば、見た目の面積よりも日光を遮断できる境界線を広くした傘などを作ることが出来る筈だ。

 図々しい願いだとは百も承知だが、お礼は弾むつもりでいる。金品だろうと助力だろうと惜しまないつもりだ。

 

「あぁ、勘違いしないでくれ。別に悪巧みを考えている訳じゃないんだ。ただ、君の力を使えば私の体を隠せるほどの日除け道具が作れるのではないかと思ってね。具体的には、私の用意する日傘に君の力を付与して欲しいのさ。勿論、日中に出られるようになるからと言って、人間や他の妖怪に危害を加えないと誓おう。私としては君と友好的な関係を築いていきたいのだ、わざわざ敵対する様な真似はしないさ。……お待たせした、出来上がったよ」

 

 葉を蒸し終え、出来上がった紅茶をカップへ注ぎ終えたところで、二つのカップを手に後ろへ振り替える。

 そこには、居る筈だった少女の姿はどこにもなく、ポツンと椅子とテーブルだけが残されていた。

 

 ふむ、どうやら話の間に帰宅してしまったらしい。幻想郷の管理者ともなれば、相当に多忙なのだろうか。私が少し強引に話を持ち掛けてしまったという感覚も否めないが、考えてみれば彼女の用は私の品定めとルールの説明だ。用件の済んだ彼女が、ここを後にしてもなんら不思議ではない。

 

 一言告げてくれれば、何か土産でも用意したのだけれど。残念だがまあ、また縁があればその内会えるだろう。

 ここは幻想郷、つまり彼女のテリトリーだ。会わないという方が不自然なレベルである。その時は、改めて友人となってくれるか聞いてみるとしようか。

 

 

 

 ……そう言えば、彼女は面識のない私を何時何処で、ここに住んでいると知ったのだろうか?

 

 

 スキマの中に、椅子に腰かける一人の男が映っている。

 灰色のウェーブがかかった髪が特徴的な、全身黒ずくめの男だ。気品を漂わせる西洋風の格好をした青年は、先ほどから分厚いハードカバーの世界に浸りながら、手元のティーカップの中身を空にしていた。

 

 私がこの男をこうしてずっと見ているのは、別に気になる異性だとか、そんなロマンチックな理由などではない。むしろ真逆だと言って良い。

 私は、幻想郷に悪影響を齎すかもしれない危険分子を監視している真っ最中なのである。

 

 何故この男を危険と判断したのかは、およそ十日前の深夜までに遡る。

 

 その夜、博麗大結界に異常な反応が見られて、何が起こったのだろうと異変が起きた結界周辺を私は偵察していた。

 丁度、悪魔の住む館付近の森である。些細な反応だったので発生源を探すのに手間取ったが、どうにか異常が見られた場所を特定することが出来た。

 

 しかし調べてみても結局、結界そのものに異常は見られなかった。

 杞憂だったかと胸を撫で下ろし、もう用は無いとスキマを開いて帰ろうとした、まさにその時だ。

 何の前触れも無く突然館の方から、まるで臓物を握り潰しにかかる様な、馬鹿げた瘴気が発生したのだ。

 

 喉が干上がる様な感覚を覚えるほどの、濃厚で膨大な殺気と威圧感。私は館へ視線を釘付けにされてしまった。

 一体どれほどの怪物が全力で力を解き放てばこうなるのか。まさかあの小さな吸血鬼ではあるまい。あの青二才がここまで暴力的で、私をほんの少しでも圧倒する威圧を放てる訳が無い。

 

 ここで私は、結界に起きた些細な異常と、館の中で起きている異常事態に何か関係があるのではと疑った。

 距離的にも、アクシデントの発生時間的にも、あまりに偶然が過ぎる出来事だ。放置しておける筈が無かった。紅魔館の連中が何かよからぬ事を企んでいるのならば、その計画を先取りして対策を練っておかなければならない。

 

 後悔は先に立たない。手は打てる時に打っておかねば、取り返しのつかない事態にまで発展する事は今までの経験から嫌と言うほど知っている。吸血鬼異変がその最たる例と言えるだろう。

 

 力の発生源が館の最深部―――地下にあると特定した私は、森の中でスキマを開いて現場の光景を映し出した。

 

 そこには、眼を疑う光景が広がっていた。

 

 石で出来た蛸の足の様なモニュメントに体を拘束され、全身をどす黒い剣で刺し貫かれた、吸血鬼妹の姿があった。

 それだけでも意表を突かれたのだが、真の問題は妹の視線の先に居る男にあった。

 

 スキマ越しでも感じる、肌から体の中を這いずりこんでくるような悍ましい殺気を放つ、全身黒づくめの大男。

 何があったのかは知る由もないが、頭は黒い魔力の靄で覆われ、目玉と歯だけがくっきりと黒煙の中に浮かんでいる。まさに異形と形容すべき怪物がそこに居た。

 

 ――――何だ、あの男は。あんなものが幻想郷に居たのか? いやそれよりも、一体あの男は何をしているのだ?

 

 見るからに異常な光景を前に、思わず視界を縫い止められてしまっていた。

 音を拾えるように調整し、繰り広げられている会話を一字一句見逃さず脳へ叩き込んでいく。

 

 会話から推察するに、どうやら悪魔の妹は何かに取り憑かれてしまっていたらしい。しかもその正体は、亡くなった姉妹の父親だそうだ。

 これがまた、どうしようもない下衆な父親だった。目的の為ならば手段を択ばない、実に悪魔らしい性分であると言える。

 

 その父親は取り憑いている妹の魂を人質に取り、姉妹の関係者かつ吸血鬼らしき異形の男を幾度も脅迫していた。

 しかしそれを含めた対抗策全てを異形の男に悉く潰され、そして遂には、何も出来ない手足を捥がれた虫同然の状態にされてしまった。

 

 一方的だった。どちらが倫理として正しい方なのか疑ってしまうようなゾッとする光景は、どう考えてもここからの逆転劇は有り得ないと判断を下さざるを得なかった。

 追いつめられている父親の魂も同様に感じていたようで、観念した彼は、自らの命を異形の男へと差し出してしまう。

 

 これで終わりだと思った。あの禍々しい気配を放つ剣で魂を体から剥がされ、館で起きた惨劇は終幕を迎えるのだろうと、私は信じて疑わなかった。

 しかし、それは大きな間違いだった。

 

 異形の男は父親の思惑を見破り、命を持って償わせるどころか、その魂を何の躊躇いもなく食らったのだ。

 

 妖怪は血を啜り、肉を食らう捕食者である。被捕食者は主に人間が対象となるが、妖怪は時として手っ取り早く力を得るために、妖怪を食い殺す時がある。

 無論、食らうのは肉とそれに含まれる魔力や妖力と言った力のみだ。断じて、魂を食らい消滅させることは無い。

 

 そもそもそんなことが出来る筈もないのだ。もしそれが可能ならば、輪廻転生の魂の量が狂ってしまう。魂を食らう事を許された存在は、神の類か地獄に属する人外に限られた所業である。

 

 幾ら悪魔の類とは言え魂を……それも大妖怪クラスの魂魄を食らう事はそうそうない。

 そんな事をするくらいなら奴隷として扱った方が遥かに利用価値があるし、なによりリスクが大きすぎる。

 強大な妖怪の命を一つ動かせる程の莫大なエネルギーを取り込むのだ。並の存在なら、保有するエネルギーや情報の量に耐え切れず発狂してしまうだろう。他者の魂と触れ合い過ぎて、自我を保てなくなった怨霊の成れの果てが良い例か。

 

 それをあの男は、平然とやってのけた。本来ならば不可能である魂の捕食を、まるで木から林檎を捥ぎ取るかのように容易くやってのけたのだ。

 

 こんな男が知らないうちに幻想入りしていたという事実にゾッとした。心の底から背筋が凍る感覚を、私は鮮明に感じた。下手をすれば、大昔に月へ戦争を吹っ掛けた時以来かもしれない。

 

 それはつまり、私がこの男をそれと同等に危険視したという確固たる証拠となる。

 ただの吸血鬼ならそれで良かった。今の幻想郷は、スペルカードルールの導入によってかつての吸血鬼異変の様なクーデターが起こり得ない環境となっている。今更一匹悪魔が増えた所で、そのまま受け入れるのみだったのだ。

 

 しかし状況が変わった。この男を放置しておくわけにはいかない。魂を食らうことが出来る悪魔を鎖も無しに野へ放てば、吸血鬼異変どころではない大異変に発展する可能性がある。

 

 危機感を覚えた私は、あの男を監視する事にした。

 途中、館の住人からの呼称で男は『ナハト』と言う名前だと知り、式神の藍へ外の世界でのナハトの記録を徹底的に探してくるよう命じた。

 私はそれからも、幻想郷の管理とナハトの監視を並行して行い続けることとなった。

 

 彼の行動はいたってシンプルなものだった。自室で黙々と本を読み続けるか、気まぐれに館を歩き回って妖精を脅かすか、門番を跪かせるか、吸血鬼姉妹や引き籠りの魔法使いと少し話をする程度で、あの地下室での暴走が嘘の様に静かな日々を過ごしていた。

 

 おかしい。あまりにノーアクションが過ぎる。奴が何か考えを持って幻想入りを果たしたのならば、何らかの行動に出てもおかしくない筈だ。何故、奴は館から離れずじっとしているのだろう。幾らなんでも十日間も外に出ないのは不自然である。

 

 煮え切った私は、強硬手段に身を乗り出すことにした。直接会ってナハトと言う男がどの様な存在か、見極めてやろうと考えたのだ。

 

 そして今現在、彼をスキマから覗いている状態に至る。

 

 出来るだけ奴を動揺させるために隙を伺い、敢えて男が自室を出る為に背中を見せた瞬間を狙って、私はスキマに身を投じる。意表を突けば、心に隙が生まれ、私が探りを入れやすくなるのだ。出来うる限り手玉に取る手法を選択する方がやりやすい。

 

「こんにちは」

 

 私の突然の訪問に対しての彼の反応は、非常に淡白なものだった。

 驚く訳でも、声を上げるわけでも無い。ただドアノブを回す寸前だった手を止めて、ゆっくりと振り返る。予期せぬ出来事である筈なのに、彼はたったそれだけの動作しかしなかった。

 

 勘付かれる事を警戒して背後から監視していた為にこの男を正面から見たことは無かったのだが、改めて観察すると、見る者を凍り付かせるような美貌を持った青年だった。

 

 陶器の様な肌。氷柱の様な紫の眼差し。桜色の唇。

 人間を誘惑する悪魔らしい、世離れした容姿の男だった。不覚にも一瞬、魔性とも言える彼の存在感に吸い寄せられるかと錯覚を覚えてしまうほどだ。全身から放たれるオーラは並ではなく、そこいらの妖怪ならば対面しただけで錯乱を起こしてもおかしくないだろう。

 

 この私でさえ、対面した瞬間に喉が引き攣ってしまった。藍がこの場に居たら、頭の固いあの子は反射的に男の首を撥ねにかかっていたかもしれない。

 一瞬だけ波が生じた心を静めるように、私は言葉を繋げる。

 

「少しだけお時間を頂けるかしら」

「ああ、構わないよ。ところで君は、もしかして八雲紫と言う名前かな?」

 

 虚を突き動揺させるつもりだったはずが、彼の口から出て来た私の名前にこちらが動揺させられてしまった。

 私の存在を知っていること自体は不自然ではない。小さな当主が男に説明でもしたのだろう。それは考えるまでもなく分かる。私が驚いたのは、会った事の無い私を一目見ただけで『八雲紫』と判断を下せたことなのだ。

 

 目についた微かな情報だけで判断できるほどの凄まじい洞察力の持ち主なのか、それとも……『分かっていた』のか。

 

 私は動揺を悟られぬよう口元を扇子で隠して、出来うる限り涼し気に、彼との会話を続行する。

 

「ご名答。お宅のお嬢様から第一印象でも聞いたのかしら。でも一方的に知られているのは不公平ですわ。せめて、貴方のお名前を聞かせてくれる?」

 

 男の名前は知っているが、敢えて平静を保って聞き出す事で、私にその程度のカマを掛けても意味は無いと考えさせて私の立場を劣位から対等の位置に組み替える。

 頭の切れる大妖怪クラスを相手取る時は、会話の立ち位置にも気を配らなければならない。舐められてしまえば、そこから一気に付け込まれてしまうからだ。

 

「ふむ、それは失礼した。私はナハト。最近ここに引っ越してきた新参者だ。初めまして」

「……ええ、初めまして。改めて自己紹介させて頂きますわ。私は八雲紫。一応、この幻想郷の管理者みたいなものを務めています」

 

 挨拶を交わして対等であると暗喩しつつも、私は彼に起こった一瞬の異変を見逃さなかった。彼が微かに私を見て笑みを浮かべた瞬間を、はっきりとこの目で捉えたのだ。

 たかが蝙蝠と侮っていた慢心が、音を立てて崩れ落ちる。扇子を持つ手にしっとりとした感触が生まれ、舌打ちをしそうな心境に駆られた。

 

 嵌められたのだ。

 この男は、私がここへ訪れるこの瞬間を待っていた。

 だから、まるで私の到来に対して備えていたかのように、一瞬で八雲紫と断じる事が出来たのだろう。なんてことだ。この男が十日間ずっと大人しくしていたのは、わざと私に怪しませて誘い出すためのフェイクだったのか。

 

 だが気が付いたところでもう遅い。私は奴のテリトリーに踏み込んでしまっている。

 この男が私の到来を予期し、備えていた以上、私が妙な動きをすればすぐさま対処できる罠を仕掛けているはずである。例えば、魂にさえ干渉できる非物理的なあの黒い剣を、壁の中に忍ばせているとか。

 濃い魔力の気配は無いが、それなりの実力を持った吸血鬼だ。気配を消すなどワケないだろう。

 

 ―――面白い。

 この男は『八雲紫』と真正面から渡り合う気なのだ。ならばこちらも相応の対処をさせて貰おう。言葉で誘導し、彼の裏に潜む真意を露見させ、私の当初の用件である『脅威度の検査』も済ませる。その上で、奴が私を誘い出した目的を封殺してしまえば私の勝利である。

 

 私が貴方を見極めるのが先か、それとも貴方が私を利用する状況まで追い込むのが先か勝負と行こう。(ナハト)の名を冠する吸血鬼よ。

 妖怪の賢者と謳われた私をどこまで出し抜けるか、思う存分試してみるといい。

 

「それで、何か私に用かな? 大方、新参者たる私の査察だと伺えるが」

「その通りですわ。私、貴方が何時ここに訪れたのかだとか、詳しい事をまるで知らないの。だから少し、その辺りも兼ねて貴方とお話をしようと思って」

 

 取り敢えず、ここへ訪れた時期やそれに至った経緯など、辺り触りの無い質問を展開する。彼は素直に応じたが、話半分に聞き流した。別に入り込んだ時期などはどうでもいい。問題は入り込んだ『目的』の一点のみに絞られる。

 

「成程ね。それで貴方がここを知り、訪れることが出来たって訳」

 

 ここからが本題だ。奴の目的について探りを入れる段階に入る。私を油断させて吸い寄せる程度には頭の切れる妖怪だ。馬鹿正直に目的を聞いたところで、嘘を返されるのは目に見えている。だから、質問を歪曲させて投げ込む。その反応から、奴がどの様な思考を抱いているかを推測する。

 

「あと少しだけ、お話を聞いても?」

「勿論」

「ありがとう。……貴方自身、幻想郷についてどう思っているのか、聞かせて貰える?」

 

 この問題は、実は回答者のYesかNoかで判断できる質問なのである。

 例えばこの男が幻想郷に対して興味が無い場合、『新参者だから知らない』、『詳しい事はまだ分からないから、どうとも思っていない』等と辺り触りの無いNoの答えを出す。

 

 こう答えたと言う事は、十日間を幻想郷で過ごしても特に興味を抱かなかったと捉える事ができ、幻想郷に対して故意的に危害を加えてくる可能性が一気に減るのである。

  要するに、私が今まで抱いた危機感が杞憂になると言って良い。私を誘い出したのも、小さな吸血鬼から私の事を知って、管理者と早いうちに対面する事で自身が不確定要素ではないと伝えようとでも考えての事だったとも考えられる。

 

 しかしYes―――即ち『気に入っている』などの興味を持つ類の反応を示した場合、何らかの目的を持ってアクションを起こす危険性が一気に増加するのだ。

 幻想郷へ魅力を見出したのならば尚の事である。悪魔は自分にとって魅力的なものを独占しようとする習性を持つ生き物だと有名だ。

 かつて、レミリア・スカーレットが、幻想郷を征服しようと吸血鬼異変を起こした時の様に。

 

 さぁ、ナハトとやら。貴方の答えは如何に。

 

「恥ずかしながら、私はまだ幻想郷の事をよく知らないんだ」

「……そう」

 

 答えは、Noか。

 つまり彼は、幻想郷に対して興味が無い。

 

 今度こそ、私の凍り付いていた精神が氷解していく感触があった。

 杞憂だったのだ。彼は幻想郷に来ることが目的なだけであって、別にここで何かをしようとは考えていない。大方、レミリア・スカーレットの様に外の世界で疲れ果て、平穏を求めて来たのだろう。私を誘い出したというのも多分勘違いか、対面を早く済ませたかったからだ。

 

 何てことは無い。私は一人で、勝負だ何だと盛り上がっていただけだったのだろう。あまりに凄まじい威圧を向けられるものだから、つい宣戦布告と受け取ってしまった。

 よく考えたら吸血鬼はもともと傲慢な種族だ。ただ力を誇示するために威圧を振りまいている。それだけの事だった。あの薄い笑みも見間違いだったのかもしれない。

 

「だが」

 

 そんな私の思考を遮り、彼は言った。

 かつてあらゆる存在をその美しさで吸い寄せ、死へ誘った妖怪桜を思わせる、妖艶で危険な香りを放つ微笑みを浮かべて、彼は話に橋を掛けたのだ。

 

「―――――私は、とても良い場所なのだろうと思っているよ。時が来れば、自分の足でこの地を見て回りたいものだ」

 

 最後のその一言以外が、耳から頭に入ってこなかった。

 判断出来てしまった。審判はたった今、残酷なまでに下ったのだ。

 

 間違いない。この男は目的を持っている。幻想郷で何かをするつもりでいる。来ることが目的ではなく、何かを成す事を目的として幻想郷へ入り込んだのである。

 私が垣間見たあの笑みは、やはり見間違いなどではなかった。であれば、私を誘い出したことにも何かしらの思惑があるのは明白だ。

 

 ――撤退せねば。

 私の目的は完遂した。この男が要注意人物である事が知れた今、隙を伺ってここから脱出せねばならない。

 さもなくば、私はこの男の口車に乗せられて利用される方向へ持ち運ばれてしまうだろう。いきなり不用意に逃げ出そうとすれば、罠を発動される。それは即ち、行動の決定権を握られたも同然なのだ。奴が何らかの隙を作る、その瞬間を待たねばならない。

 

「今更だとは思うが、私は幻想郷へ来て良かったのかな? もしかしたら正式な手続きが必要だったのかと、ふと思ったのだが」

 

 ……これは暗に、私の口から容認の言葉を吐き出させるのが目的か。

 

 話を敵対的ではなく平和的に始めたのが仇となったか。ここで拒絶し、手のひらを返せば、話の筋が通らないとして反撃の隙を与えてしまう。

 この場合、いつもの様に受け入れる姿勢を崩さなければ問題ないか。ついでに、この男へ枷をはめてしまおう。

 

「いいえ、必要ありませんわ。ここは全てを受け入れる幻想郷。勿論貴方も歓迎します。でもここで暮らす上では、貴方に守って貰わなければならないルールがあるの」

「ほう、ルールか。是非聞かせて貰いたい」

 

 それから私は、幻想郷で生きていく上でのルールを説明し、男に枷を施しつつどうやってこの場を去るか算段を企てていた。

 

 用事があるといっても引き留められる可能性が高い。そこから婉曲した脅迫と要求を投げつけられ、面倒な事態に発展する危険性がある。さて、妙案は何かないものか。

 そうこうしている内に話が終わってしまった。この男の戦闘能力が未知数である以上、下手に動けないのが腹立たしい。

 

 しかしそこで、思いもよらぬ転機が訪れる。

 

「説明してくれてありがとう。そういえば、長話で喉が渇いていないかね? 折角だから何か飲んでいってくれ。今は持ち合わせが紅茶と緑茶しかないのだが、どちらがお好みかな?」

 

 チャンスだ。

 口ぶりからして、奴は自分で淹れるつもりだ。催眠効果のある薬の類でも盛る気だろうが、奴が席を立って背を向け、隙を見せた瞬間にスキマを開く。それで終わりだ。この駆け引きは幕を閉じる。

 

「そうね。折角だから紅茶を頂けるかしら」

「うむ、了解した」

 

 彼が席を立ち、戸棚へと赴く。丁度背を向けた所から、私はゆっくりとスキマを展開していった。

 椅子の下に大きく作れば、椅子が傾く音でばれる。みっともないがここは、お尻と椅子の接触面上にスキマを展開し、そのまま椅子へ吸い込まれるように帰還する事にしよう。

 

「ところで私から一つ、図々しい様だが、貴女に頼みごとをしても良いだろうか?」

 

 耳から脳髄へ滑り込んでくるような妖しい彼の声に、思わず肩が跳ねそうになる。バレたかと思ったが、幸運な事に彼の注意は茶葉の蒸れ具合へ向かっているようだ。

 

 ただ、会話の流れがいけない。奴は私に要求を突きつけるつもりだ。これが私を誘き出した目的なのだろう。

 脱出までの時間もそうだが、奴に要求を突きつけられるのは非常にマズい。この男の声は麻薬と似た効果がある。話をまともに聞いていると、心を吸い寄せられるのだ。

 

 悪魔として最上級にまで上り詰め、声に魅了の属性を付与するまでに至ったのだろう。先ほどは話を殆ど聞き流していた為にそこまで影響は無かったが、奴が何時振り返るか分からず全神経を集中させている今、精神を激しく揺さぶられてしまっている。

 

「……なにかしら」

 

 あと少し。あと少し開けば、スキマへ潜りこめる。

 念じるように、繊細に能力を操っていく。体の幅の半分程度が開き、残り数秒で事が終わる。

 

「私は吸血鬼である故に、日の元に出る事の叶わない身の上だ。幻想郷の事を知りたくても、日中に出られないとなると知る事の出来る部分が限られてしまう。ここは人間も共存している地だと伺ったから、幻想郷が人間の時間帯にどの様な姿をしているのか是非見てみたい。そこで一つ――――」

 

 彼の背から放たれる威圧感と、精神の中心に絡みつく様な声が、私の集中を鈍らせる。早く、早くせねば。彼が振り向いたら終わりだ。これまでの努力が水の泡となってしまう。

 

「―――君の力を少しだけ貸してくれると、嬉しいのだけれど」

 

 静電気にも似た衝撃が鼓膜をくすぐる中、どうにか私はスキマの中へ自分を落とし込むことに成功した。

 

 降りた瞬間スキマを閉じる。咄嗟の行動だったため他の判断へ頭が回らず、転移先で思い切り尻餅を着き、鈍い痛みが臀部を包み込んだが、この際それは無視した。

 

 何とかあの男のテリトリーから抜け出す事が出来た安堵に、今は心を傾けるべきである。もし男の操る黒い剣で全方位から貫かれていたら、いくら私と言えども只では済まなかったはずだから。

 

 しかし、危なかった。スキマを開くタイミングもそうだったが、奴が私に交渉を持ちかけてくるという二重苦の状況に陥らされたのが本当に危なかった。

 

 奴が振り向き、私をあの場に縫い止めていたとしたら、魔性の魅力を孕ませるあの声を用いられ、どう足掻いても面倒な交渉を受けさせられていた筈だ。それも、恐らく一方的な形で。

 

 やはり力を持っていても油断は禁物か。長らくあのクラスの危険分子と接触していなかったものだから、どうにも慢心が生まれてしまっていたらしい。今後奴と再び渡り合う事も考えて、気を引き締めなければなるまい。

 

「失礼します。お帰りなさいませ、紫様」

 

 私が転移した先は、マヨヒガと言う妖怪の山の近くに存在する屋敷だ。 

 ここには私の式神の式神が普段生活しており、私の別荘の様な場所となっている。つまり、私が普段から寝食を営んでいるのはこの屋敷ではない。

 

 何故ここを選んだのかと言うと、直接私の屋敷にスキマを繋げた際、奴に私の本拠地がばれてしまう可能性が捨てきれなかったからだ。最悪、バレたとしてもこの屋敷を管理している橙を連れて私の本拠地へ逃亡できる。敢えてここに私の式神と落ち合うよう策を練ったと言う訳である。

 

 その作戦通りに待機してくれた私の自慢の式神こそが、今襖を開けて入った来た九尾の狐だ。名を、八雲藍という。

 

「……顔色が優れない様ですが、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫。久しぶりに骨のある相手だったのよ。敵前逃亡を選択したのなんて何時ぶりかしらね」

「……それはまた、厄介な吸血鬼の様で」

「全くだわ。たかが吸血鬼と少しばかり慢心していたとはいえ、嵌められるとは思わなかった。……それで、頼んでおいた件は済んだのかしら?」

 

 はい、と藍が返答を返す。奴の事について調べさせた結果は上々の成果らしい。さて、どんな蛇が飛び出して来ることやら。

 

「教えて頂戴。あの男は、一体何者なの?」

「古い吸血鬼です。それも私たちと同じか、もしかするともっと長い時を生きているかもしれません」

 

 ……何?

 私たちより長く生きているかもしれない吸血鬼、ですって?

 まさか、そんな事があるのだろうか。吸血鬼は妖怪の歴史から見てかなりの若輩者だ。精々ここ千年以内……表立って現れ始めたのは七百年前から五百年付近の話である。つまりその程度の歴史しかない。

 

 故に、それ以上の過去を持つなど、あまり信じられる話ではないのだ。特異な個体にしてもはっきり言って異常である。

 

「情報はどこから?」

「ヨーロッパで隠遁生活を送っている吸血鬼の生き残りから聞き出しました。何でもナハトと言う男は、吸血鬼の間で生きる伝説として語られていた存在の様です。絶対的な力を持つが故に悪魔が皆平伏した闇夜の支配者。吸血鬼たちがその存在を認知する前は、『夜の恐怖』として人間から恐れられていたとも。その『夜の恐怖』についての情報を洗ったところ、一番古い記録は神の子生誕の時期とほぼ同じになります」

「馬鹿げた話ね。千年どころか二千年近く前から生きながらえているなんて」

「仰る通りです。あまりに与太話が過ぎます。ですが真実ならば、人間に存在を認知されているのがその時期なので、もしかしたらもっと古いのかもしれません」

「……他には何か、分かった事はある?」

 

 結局のところ、藍の力をもってしてもあの男の根本的な正体までは掴めなかったらしい。 

 話を聞く限り、謎の塊と言うよりは概念のような人物だ。ただ強大で恐れられ、伝説となっている灰髪紫眼の吸血鬼。

 プロフィールはそれ位で、さらに分かる事と言えば400年前に忽然と姿を消してからは、動向を掴めなくなったくらいか。

 

 おそらく、その400年間でここの情報を掴み、何らかの計画を立てて幻想入りを果たしたとみて間違いないだろう。

 

 長い時を生き強い力を持ち、頭が切れ、魂を食らう事ができ、そして何らかの目的で幻想入りを果たした吸血鬼か。

 警戒するには十分すぎる逸材だ。場合によってはあのフラワーマスター以上の危険分子になりかねないだろう。

 

 ……いや、あちらの方がまだ動きが読みやすく、話が平常に出来る分マシな部類だ。

 奴に関しては会話すらも普通に出来ない。まともに話を聞き入れれば、あの魅了の声に精神を占有されてしまいかねないのだ。

 

「藍。厳重警戒対象のリストにナハトの名を追加して頂戴」

「了解いたしました」

「それと今晩、対策会議も開くわ。準備をお願い」

 

 畏まりました、と藍が礼をして部屋を後にする。畳の和室に、不気味にすら思える静けさだけが取り残された。

 コチコチと秒針を刻む古時計に目を向ける。夜までにまだ十分時間がある様だ。奴と対面して少しばかり疲れた。会議を万全の状態で臨めるように、少し休息をとっておこう。

 力を抜き、目を瞑る。深く息を吐き出して、私は頭のスイッチを切り替えた。

 

 

 紫様に命じられた通りリストに名前を書き込み、会議に必要な備品も部屋も揃えた。後は時間が来るのを待つのみとなって、少しばかりの暇が生まれる。

 じっとしているのも何なので、化け猫の式神である橙の修行様子を見に行くことにした。

 無駄に長ったらしい廊下を歩きながら、私は紫様の言葉を思い出していく。

 

 ナハトと言う吸血鬼……私は対面した事は無いが、紫様をあそこまで焦燥させる相手とは、いったいどれ程の存在なのだろうか。

 

 鬼の四天王相手にも余裕を崩さなかったあの方が冷や汗を流している姿など、随分珍しい光景だった様に思える。私を同行させなかったのも納得だ。あの方が焦りを覚える相手なら、私が共にいた所で足手纏いにしかならなかっただろうから。

 

 精進が足りんな、と少しだけ自己嫌悪に陥る。そんなところで丁度、屋敷の庭園が見えてきた。庭で修行中の筈の橙の様子を伺う。

 

「修行は進んでいるか」

 

 ……返事は無い。どうやらここには居ない様子だ。

 どうしたのだろうか。あの真面目で純真な子が鍛錬をサボるというのは、あまり記憶にない事である。

 

 橙に取り憑けてある式神の反応を探知し、場所を探り出す。意外な事に橙は紫様のいる部屋の前に居た。

 スキマを開き、橙の背後へ回り込む。サボっては駄目だと一喝するつもりだったが、何やら真剣そうに襖を覗き込む橙の後姿を見て、どうしたものかと首を捻った。

 

「何故紫様を見ているんだ? 橙」

「あ、藍さま」

 

 私に見つかった橙が、どこか狼狽えているような眼を向けた。サボっているのがバレたと言うよりは、何かマズいものを見てしまったかのような反応である。

 

「紫様に何か用でもあったのか?」

「いえ、その。偶然通りかかったのですけど、何だか紫さまの様子がおかしいんです」

 

 ……紫様の様子がおかしい?

 ピン、と頭の中に電撃が走る。同時にこれ以上ここに橙を置いておくのは不味いと判断し、橙をこの場から下がらせた。

 

 退去を命じられた橙は心配そうに何度もこちらを振り返りながら、とてとてと廊下を歩いていく。曲がり角を曲がって姿が見えなくなったところで、私は薄く息を吐いた。

 

 さて、件の紫様だが、どうもスイッチが切れてしまったらしい。

 あの方は冷徹かと思いきや時々ひょうきんになる、掴みどころのない妖怪だともっぱらの噂だが、実は単純明快な二面性を持っているだけなのだ。

 

 管理者たる賢者としての八雲紫の顔と、ただの妖怪少女としての顔。心のスイッチを使い分ける事で、精神に負担が圧し掛かりすぎないようにするという長い年月をかけて編み出した処世術なのだとか。

 

 要は真剣になる時は真剣で、楽しむときは楽しんじゃおうという感じである。それを極端にしたものと捉えていい。

 橙が覗いていた襖の間から、私は中の様子を伺う。状況によっては用意するものが増えるかもしれない。

 

『……お尻痛い……グスッ、私が何をしたっていうのよぉ……折角吸血鬼異変が終わって、やっと理想的な形に収まったと思ったのに、また厄介事が出て来るなんて……。あの館、次から次へと問題を運んできてくれちゃって、本当に悪魔の館じゃないの。私を心労で暗殺する気なのね。きっとそう。そうに違いないわ。……うう、もうやだぁ、賢者やめたい……藍に継いで貰ってずっとお布団に籠っていたい。大体何なのあの男。意味わかんないわよ。何であんなビリビリ敵意向けてくるの? おかしくない? 私何も悪いことしてないのに……はぁ、お腹も痛い。霊夢の作ってくれた雑炊が食べたいよう』

 

 えぐえぐグスグスとちゃぶ台に塞ぎ込む我が主の声に、思わず眉間を指で押さえた。何だか頭痛すら湧いてくる勢いである。

 

 仕方ない。あの巫女に頼んだところで妖怪に食わせる飯は無いと一蹴されるだろうから、一先ず私の作る雑炊で我慢してもらおう。あんなにじめじめとキノコを生やされ続けては主としての面目も何もない。だから早く立ち直って貰わなくては。

 

 何の雑炊にしようかな、と献立のメニューを考えながら台所へ歩いていく。そこで卵を切らしている事を思い出して、ついでに油揚げも買ってこようと人里へ続くスキマを開き、私はマヨヒガを後にした。

 

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