IS~codename blade nine~   作:きりみや

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28.敗北者

 完敗。

 その言葉は彼女にとって縁の薄いものだった。今までの人生の勝負事で彼女は常と言ってもいいほどに勝ち続けていた。それは彼女自身の努力と天性の実力がそれを可能にしていたからである。常に勝利を手にし、やがては世界最強という座まで上り詰めた。それこそが織斑千冬であり、彼女自身もまた、己の実力に確かな自信があった。これは過信では無く、誰もが認める事だ。だが今の彼女はその最強と言う看板を叩き付けたい衝動に駆られている。

 

「状況は?」

「各機より報告。今の所、周辺空域に問題はありません」

 

 そうか、と呟く千冬に応えるのは真耶だ。彼女はIS用のスーツを着ておりその手にはドリンクが握られている。

 

「私も直ぐにでます。織斑先生は――」

「いや、山田先生はここで指揮を引き継いでほしい。私の次では適任だ」

 

 ぎょっ、と目を見開いた真耶が慌てて叫んだ。

 

「わ、私がですか!?」

「そうだ。教員の中でISについて最も詳しいのは私か山田先生だ。私が留守をするなら必然的に指揮は君に移る」

「る、留守と言いますと」

「次にここに襲撃があれば私が出る。山田先生も負傷しているでしょう」

 

 最初からそうするべきだった。驚いて何やら慌てている真耶を尻目に千冬は後悔していた。福音攻撃は機体の特性上仕方の無い事としても、花月荘の襲撃の際は明らかに自分のミスだ。相手の力を見誤り、結果生徒や施設に被害が出てしまった。

 千冬とて自分が無敵だとは思っていない。だがそれでももう少し、何とか出来たかもしれない。そう思わずには居られなかった。

 それに銀の福音攻撃。機体特性上とは言うが、実行メンバーについても彼女はミスをしている。先の作戦会議での静司と束の対立を思い出し、千冬は拳をきつく握りしめた。

 

(分かっていたはずだ。それに川村もデュノアも進言していた。だがそれを蔑ろにし、篠ノ之を選んだのは、私だ)

 

 千冬が箒と一夏を選んだ理由。それは他ならぬ束の言葉があったからだ。色々と問題の多い友人だが、その腕だけは確かである。その友人が作った第四世代のIS。その力ならいけるのでは無いかと考えた。そしてより現実的な静司達の案を織り込みつつも、結局は束の言葉に従った。

 その結果が今の状況だ。一夏は撃墜され、ISの操縦者絶対防御の致命領域対応によって昏睡状態になっている。ISの全てのエネルギーを操縦者の保護に使っている為、ISの補助も深く受けており、エネルギーが回復しない限り操縦者も目覚める事は無い。更に言うなら、エネルギーを無理やり供給させると操縦者に負担がかかる恐れがある。それ故にエネルギーの自然回復によって、危険域を超えない限り一夏は目覚める事は無い。

 攻撃に参加した他のメンバーも無事だったとは言えない。セシリアのブルー・ティアーズ、箒の紅椿は中破。幸い搭乗者である二人は無事だが箒の方は完全に完全に戦意を喪失している。そしてラウラだが――

 

「教官」

 

 今まさに考えていた人物からの声に千冬は振り返った。そこに居たラウラは包帯やガーゼであちこちを覆っているものも、ぴしり、と直立して千冬を見上げている。

 

「ボーデヴィッヒか。歩き回って大丈夫なのか?」

「そ、そうですよボーデヴィッヒさん! 休んでいないと!」

「あれから治療を受け、体も休めました。問題ありません」

 

 福音攻撃組で一夏の次にダメージを負ったのがラウラだった。一夏達をセシリアに任せ、逃がす為に一人戦った彼女の機体はボロボロで彼女自身も大きく消耗しており、帰還と同時に倒れる様に眠り込んだのだ。

 ラウラ達が帰還してから既に2時間は経っている。その間に花月荘は負傷者の手当てと簡単な現場検証を。そして戦闘に参加した者達は治療や休息を得ていた。普通なら病院に搬送すべきだが、そこは天下のIS学園。臨海学校には養護教員の丸川を始め、優秀なスタッフと設備が同行している。ISでの訓練に怪我は付き物で有る為当然とも言えるが、今年は男性操縦者が居る為例年以上に準備は万端だったのだ。

 

「そうか。だが完璧と言う訳でもあるまい。無理はするな」

「教官、私は軍人です。その体が動く限り必要なときに必要な事をする様に鍛えられています」

 

 引く気は無い、と意思を見せるラウラに千冬は嘆息する。この頑固さは誰に似たのだろうか、と親の様な気分で考える。

 

「……はぁ、それで何が言いたいんだ?」

「私も静司の捜索に参加させて下さい」

 

 やはりな、と千冬は再びため息を付いた。銀の福音攻撃組は散々たる結果だったが、これは花月荘に残った者達も同様だった。鈴と真耶は軽傷ながらも機体は中破。特に真耶の使ったラファールは本格的な修理が必要である状態だ。イーグル型突入の際にも何名かの生徒が負傷したがこれも大事は無い。だが本音とシャルロットは、幸い重症には至らなかったものも、意識は取り戻していない。謎なのはなぜイーグル型が学園生を狙ったのか。たまたま攻撃されたのが本音だったのかという所だが、真相は分からないまま。現場におり、何があったかを知っているかもしれない静司に事情を訊きたいところだが、肝心の静司の姿が見えないのだ。

 

「花月荘周囲は既に捜索したが見つかっていない。だとすると山か海の方になるが、今のお前の状態でそれは許可できん」

「しかし教官! あの山の状況です。もし静司があそこに居たのだとしたら早く見つけなければ……!」

「山に居ると決まったわけでは無い。それに居たとして何故そこに居たのかと言う問題もある。……とにかく今は教師達に任せてお前は体を休めていろ。指示は追って出す」

 

 納得がいかないという表情をありありと見せるラウラを見つめながら、千冬は自分が今言った事を考える。それは見つからない静司についてだ。

 そもそもあの時何が起きたのか千冬は把握できていない。分かっているのはイーグル型が花月荘に突入した事。それにより生徒数名が負傷した事。そのイーグル型がいつの間にか(・・・・・・)破壊され、花月荘から黒いISが飛び出した事。そして川村静司が行方不明となった事だ。

 おそらくだがイーグル型を破壊したのはあの黒いISだろう。だがそうなるとあのISはどこから現れた? そして静司はどこに消えたのか? イーグル型の突入からは状況が混乱しており、正確な情報が無い。

 

(だが―――)

 

 花月荘から黒いISが飛び出し、そして川村静司は行方不明。だとすると結びつけるのは簡単だ。しかしいくらなんでもそんな事があり得るのかと考えてしまう。確かに辻褄は合う。だがそういう意味では、元々黒いISの搭乗者が別に潜入していた可能性。もしくは全く関係ない別の生徒がその搭乗者である可能性も否定できないのだ。現在静司が疑わしいのはその姿が見えない事にある。だからこそ静司の発見は急務と言えた。それは勿論、教師として教え子の無事を心配する思いもある。

 しかしだからと言って負傷している生徒を使おうとするほど千冬も非道では無い。いや、むしろこれは教師としての矜持もある。実際、現在周辺空域を警戒している教師陣も疲れは見えながらも誰一人として根は上げていない。

 

「まだあの黒いISが潜んでいる可能性もある。敵だとは考えにくいが、味方の保証もないのだ。そんな奴の前に今のお前達を出す訳には――」

 

 何かを言おうとするラウラを制するように千冬が畳み掛け始めた時、司令室代わりの部屋の扉が勢いよく開かれた。飛び込むように現れたのはセシリアだ。余程焦っていたのかぜぇはぁと息を乱れさせている。

 

「何事――」

「か、川村さんが見つかりました!ですが……」

 

 どこか言いにくそうな様子のセシリアに嫌な予感を覚え千冬たちは駆けだした。

 

「どこに居る!?」

「げ、正面入り口まで来ています!」

 

 入口という事は既にここまで連れて来ているのか、それとも自ら来たのか。疑問は多いが今は話を聞くことが先決である。千冬は急ぎ玄関までたどり着き、そして息を飲んだ。

 

「川村……?」

 

 正面入り口。その扉に寄りかかる様に立っているのは確かに川村静司だ。その姿は血と泥で汚れ、かなりの傷を負っている事がわかる。しかし何より目を引くのはその顔だった。

 

「……」

 

 昏く濁り、澱んでいるまるで生気の無い眼。何も見てない様なその顔は幽鬼の様でもある。

 背後からラウラ達が追い付いてきた音が聞こえたが、誰もが静司の様子を見ると息を飲んだ。普段の静司とはかけ離れたその異様な様子に声も出せずに硬直している。だが静司はそんな事を気にする事も無くふらふらとした足取りで花月荘の中に入ると千冬の横を通り過ぎてゆく。

 

「待て」

 

 咄嗟に手を掴むと、ゆっくりと静司が振り向いた。その昏い眼の底に宿る感情を千冬は読み取る事が出来ない。だが、このまま無視をする訳にもいかない。静司には訊きたいことが多々あるのだ。だがまずやるべきことは、

 

「誰か、丸川先生に報告を。私はこいつを医務室まで連れて行く」

 

 指示を受けた真耶が慌てて走っていく。その間も静司は抵抗する事も無く静かに佇んでいるだけだった。

 

 

 

 

 静司が花月荘へたどり着く少し前。荒れ果てた山肌から離れ、被害が薄い山中に鈍い音が響いた。静司はその音と、頬走る衝撃でふら付き体がその場に倒れこむ。ぐわんぐわんと揺れる視界の中、こちらを見下ろす男の姿。

 

「C1!? 何やってんすか! B9も怪我してるんっすよ!?」

「知ってるよ。だから黙ってろ」

 

 殴られたB9――静司に近寄るとC1はその胸倉を掴み上げた。

 

「答えろ静司。何故篠ノ之束に攻撃した?」

 

 コードネームでなく名前で問うC1の言葉に静司が答える。

 

「あの女は……っ!」

「ああ、そうだ。お前の姉達の敵だ。お前の友人たちを傷つけ、今回の黒幕かもしれない女だ。それを承知で訊いてるんだよ」

 

 がっ、という音と共に額に痛みが走る。C1が静司に頭突きを入れたのだ。痛みに眉を顰めるがC1はそれを気にすることなく続ける。

 

「いいか。あの時のお前の任務は何だ? 篠ノ之束を殺す事か? 違うだろうが! お前の任務を言ってみろ!」

「……っ! 織斑一夏と、その周囲の、護衛っ。そんな事は分かってる! 分かってるんだよ!」

「じゃあどうして福音の元へ行かなかった! お前は、居るかどうかも定かでは無い篠ノ之束を探す為にその姿を晒し、攻撃した! それも無差別砲撃でだ!」

 

 確かに篠ノ之束の確保は重要事項である。だが今回に置いてそれは最重要では無い。一夏達の戦果を不明なまま、銀の福音を無視して篠ノ之束に向かったことが問題なのだ。

 

「確かに黒翼を使うタイミングを誤った。だがそれは俺達が指示しなかったミスでもあるし、そもそもIS相手に何も出来なかった俺達が偉そうに言えることでも無い。だが、使うのであればお前は真っ先に福音に向かうべきだったんだよ。先ほど調べたが織斑一夏は重症。そしてそれを逃がす為にドイツの嬢ちゃんが体張ったらしく、その嬢ちゃんも負傷した。今回は誰も死ななかったがそれは結果論だ。もし彼ら彼女らが命を落としていたら、お前はどうするつもりだ? よしんば篠ノ之束を殺したとしても、福音が止まる保障など無いのにだ!」

 

 わかるか? と睨みつけるC1の剣幕に静司の瞳が揺れる。

 

「お前は護衛対象の……お前が友人だと思えるようになった連中を見殺しにして、自分の復讐だけしか考えて無かった。その結果がこれだ。別にお前の復讐自体は否定しない。なんなら手伝ってやってもいい。俺達は正義の味方ってわけじゃないからな。だがな、それはあくまで任務に支障が無いレベルでだ。護衛対象を――守りたいものを放り出してまで暴れさせるためにお前にbladeナンバーを付けたわけじゃない」

 

 C1が掴んだ胸倉を離すとどさり、と力なく静司は倒れた。

 

「更には今回の無差別砲撃と《クェイク・アンカー》の使用。この件は世界中の組織に知れ渡った。お前が花月荘から出てきた所もおそらく押さえられているだろうよ。疑いの目は確実にIS学園に向かう。お前は自分の手で自身を危険に晒したんだ」

 

 黒翼を使うにしてもタイミングと場所を変えていれば。更には《クェィク・アンカー》等使わず、常識の範囲内の武装を使っていればまだよかった。しかし黒翼の異常な攻撃力を世界に晒してしまった。おそらく世界中が関心と警戒心を抱いたことだろう。

 

「……」

 

 何も言い返せない。全てC1の言う通りだからだ。本音とシャルロットをやられ、そこから先自分は思うがままに行動していた。いや、単に暴れただけだ。その結果が護衛対象や友人たちは傷つき、自らの首を絞めた。何一つ得られていない。自分は何も出来なかっただけ。

 そんな静司を一瞥したC1はため息を付くと踵を返した。

 

「これからの指示は追って連絡する。それまで俺が言った事を考えておけ」

 

 そう言い捨てるとC1はどこかへと消えていった。

 

 

 

 

 

 その後、C12達から簡単な治療を受け、これ以上姿を消しているのは本格的にマズイと言う事で花月荘の近くまで送られた。ある程度近づいた後は適当に山を歩いていれば捜索を続ける教員たちに見つかるだろう、という狙いだった。それは予想通りとなり、今に至る。

 静司は本音とシャルロットが眠る小部屋で彼女達の横に座っていた。その姿は包帯やガーゼであちこちが覆われており、本来なら静司自身も寝て無くてはならないのだがそれを無視して今ここに居る。

 眠る二人だが本音は何時も付けているキツネ型の髪留めを外し、その頭には包帯を巻かれた状態で、静かに息をしている。その隣のシャルロットも切り傷などをガーゼで覆った状態で眠っている。

 

 自分は何をしているのだろう。

 

 問いに答える者は誰も居ない。それが分かっていながらも考えずには居られない。自分が黒翼を使うのを躊躇ったからなのか。いや、それ以前に自分と関わったばかりに篠ノ之束の眼に着いたのか。理由はいくらでもある。だが確実なのは自分は何も出来なかったという事。その結果がこれだ。

 先ほど一夏の様子も見てきた。一夏も意識を失いISによる保護状態となっていた。そしてその横には俯いた箒が居た。治療中に福音攻撃の経緯は聞いていた為、静司は声をかけることなくその場を後にしたのだ。正直に言えば、今の自分には何も言える事が無いからでもある。

 

「静司」

 

 不意に声をかけられゆっくりと振り返るとラウラがこちらに部屋に入ってくるところだった。彼女は部屋の中心、眠る本音とシャルロットの横まで来ると静かに静司に頭を下げた。

 

「済まなかった」

「……?」

 

 突然の事に訳が分からない静司にラウラが続ける。

 

「出撃前、お前に任された事を私は叶えられなかった」

 

『篠ノ之はどこか浮ついている。もしもの時は頼む』

『――成程。確かに妙に自信を持った新兵と同じような雰囲気を感じる。了解した』

『悪いな。だがこの中で軍人であるお前が一番状況判断が出来ると思ってな。一夏達を頼む』

『お前に褒められるのは悪い気がしないな。任せておけ』

 

 おそらくあの時の会話の事だろう。静司は首を振る。

 

「そんな事は無い。お前は一夏達を逃がす為に一人戦ったじゃないか。謝らなければならないのはむしろこっちだ。俺は……何も出来なかった」

「……そうか」

 

 ラウラは否定も肯定もしない。おそらく何を言っても意味が無いと言う事を察しているのだろう。普段非常識の様に見えてもこういう部分では気が利く彼女に感謝した。

 

「なあ静司、先ほど教官にも聞かれたとは思うが何故お前は山に居たんだ?」

 

 静司は治療後既に千冬の取り調べを受けている。その際に応えた事と同じ事を言い返す。

 

「一度気を失った後、目覚めたら山の方が騒がしかった。てっきり外にイーグル型が逃げたと思って慌てて出た所で撃墜されたんだよ。花月荘の中にイーグル型の残骸はあったらしいけど、気が動転してて気が付かなかった」

「だが誰もお前の姿を見ていない」

「あの黒いISが馬鹿みたいに砲撃してたからな。そっちに注意が言ったんだろう」

「……そうか」

 

 ラウラはそれ以上何も言わなかった。疑っているのか、それとも納得したのかは分からない。だが同じ説明をした時の千冬は明らかに疑っていた。だが、もはやそれはどうする事もできない。

 

「……私は機体の様子を見てくる。私が言えたことではないが、お前も体を休めて置け」

「……ああ」

 

 返事はしつつも動く気の無い静司。ラウラもそれが分かっていたかのように振り替えると部屋を後にした。

 

 

 

 

 

「すいません。俺のミスです」

『お前だけじゃない。私含めて、だろうが。お前らしくない』

 

 花月荘から離れた山中でC1が報告を行っている。その周囲では部下たちが周囲を警戒している。

 

『まあ静司については俺達の認識不足でもある。アイツの篠ノ之束の恨みを甘く見ていた。だが同時にあいつ自身の問題でもある。……だが俺はそれでもあいつに期待したい』

「それは俺もですよ。世話の掛かる弟みたいなもんです。しかしだからこそ腹が立つんですよ。俺は結局何も出来ずにアイツに説教垂れるしかなかったんですから」

『それも必要な事だ。対応できるのがB9しか居ない以上、そのケツを叩いて発破をかけるやつも必要だよ』

「どっちかと言うと発破と言うよりアイツを凹ませただけなんですがね」

『縮んだバネはそのまま使えなくなるか、反動で大きく飛び出すか。どちらになるかは分からんが、いい方に向かって欲しいと俺は思い、期待している。だからこそアレを送ったんだ』

「……? 何ですか一体?」

 

 首を傾げるC1の元に通信が届いた。どうやら追加物資がこちらに届いた様でその連絡だ。一度下山して回収する必要があるな、と思いつつその物資のデータを確認していたC1の手が止まった。

 

『どうやら届いた様だな』

「ええ、確かに届きましたけど……相変わらず準備が良いですね。未来予知でも出来るんですかアンタ」

『それが出来たら楽なんだなぁ。まあそいつに関しては元々完成を急がせてた物を無理やり仕上げて送っただけだ。黒翼は結構なダメージと聞いたが、基本フレームは自己修復中だろうし、それさえ復活すれば換装させれば何とかなる』

「成程。なら後はアイツ自身の問題って訳ですね。上手くいけばいいが……」

 

 そう呟きながらC1が見つめるデータ。そこには『黒翼・重甲型』と記されていた。

 

 

 

 

全くもって頭が痛い。

 

 ハワイ。ヒッカム空軍基地の一室で男は一人頭を抱えたい気分だった。

 歳は五十代半ば。普段はそれ以上に若々しさと力強さを感じさせる彼も、ここ数時間の出来事で一気に老け込んでいた。そしてその新たな原因が目の前の指令書だった。

 不意に部屋の扉が叩かれる。入室を許可すると軍服を着た女が扉を開ける。

 

「おう、難しい顔してんな大佐」

「貴様は上官を敬うという心は無いのか」

 

 はぁ、とため息を付く大佐と呼ばれた男だが、目の前の女がそういう人間だと言う事は百も承知である為、本気で注意したわけでは無い。一応スタンスとしてだ。

 

「何言ってんだよ。私にそんな事期待して無いだろ? ――それよりナタルの奴はどうなった?」

「多少は努力してもらいたいものだがな、イーリス・コーリング中尉」

「分かってますよ大佐殿。それでどうなんだ」

 

 全く分かった様子が無いイーリスであるが、大佐もそれほど気にしていない。だからそれ以上は何も言わず首を振るのみだった。

 

「IS学園の作戦は失敗した様だ。イーグル型は全て撃墜し搭乗者の引き渡しも済んだが、銀の福音については依然暴走したまま監視から逃れた」

 

 大佐の答えにイーリスは舌打ちをする。苛立ち気に足で床を叩きながらイーリスは口を開く。

 

「で、ガキどもにまかせっきりのアメリカ軍様はお次はどんな作戦を考えてんだ? そもそもなんでIS学園に任せてんだよ。それもよりにもよって男性操縦者にだ」

「イーグル型まで暴走されたらここから追撃できる機体は無い。後はIS委員会の判断だ。何せあそこには現在6機の専用機が有る。機体特性も合わせて戦力的には十分過ぎると見られたのだろう」

「十分どころか戦争ができるな。だがだからってガキにやらせるのは――ってちょっと待て、件の男とイギリス、フランス、ドイツ中国の5機じゃ無かったけ?」

「何でも篠ノ之束が現れ、妹に専用機を渡したらしい。それも第四世代だそうだ」

「はあ!?」

 

 素っ頓狂な声をイーリスが上げるが無理もない。大佐自身もその話を聞いた時耳を疑った。

 

「何考えてやがんだ博士は。自分の妹を世界中の人気者にしたいのか?」

「知らん。今重要なのは博士の頭の中身じゃなく、銀の福音、そしてもう一つだ。その為にお前を呼んだ」

「『地図にない基地(イレイズド)』への帰還途中にいきなり呼び出されたのは構わない。ナタルの事も心配だからな。だがもう一つってのは何だ?」

「『レイヴン』」

「っ」

 

 イーリスの眼が見開く。その反応を見て大佐は頷いた。

 

「『地図にない基地』所属のお前なら知ってるだろう。各地に現れ、破壊活動を行い忽然と消えていく『正体不明の黒い翼のIS』。その姿から我々は『レイヴン』と呼んでいる。それが現れた」

 

 大佐が手元のコンソールを操作すると部屋が暗くなり、投影型ディスプレイが浮かび上がる。そこに映るのは数時間前の花月荘での戦い。そして件の黒い翼のISの姿。

 

「確かに知ってるよ。こいつが出てきた事は驚きだ。で、何が言いたい?」

 

 映像と、一通りの説明の後聞いたイーリスが訊く。

 

「上からの命令だ。『レイヴン』を捕獲、もしくは撃墜してでも回収しろとな」

「おいおいおい、今はそんな事よりナタルの方が重要だろ!」

「だがもはや銀の福音に関しては委員会の指示によって我々の手を離れつつある」

 

 おかしな話だ。元々はアメリカ・イスラエル共同開発のISで有るのだから。だが実際、福音に対抗できる手段・機体が無かったせいでもある。銀の福音が暴走状態で市街地に突入した場合、その被害は計り知れ無い。それに、ISの暴走という事態が世界初の出来事故に、この件はIS委員会が介入しているのだ。そしてIS学園の戦力は、専用機を持つ国の代表候補生が4名に篠ノ之束によって手が加えられた白式と、束が造った第四世代の紅椿。その機体特性も含めて、有効だと判断された結果だ。

 

「だからこその私と【ファング・クェイク】だろうが! 確かに福音に追いつく程の速度は出ないが、そもそも福音自体が警戒網に引っかからないって事は奴は大きく移動してないって事だろ。ならば今度は私が――」

「勿論それは委員会にも伝えている。私とてそのつもりでお前を呼びよせたんだ。だが委員会からの返事が来る前に上からの命令が来た。ならば従うのが軍人だ」

「だからって……」

「これはもう決定だ、イーリス中尉。出現予測ポイントに待機。その他の情報は追って連絡する。以上だ」

 

 自身も納得がいっていない様子の大佐。実際に納得がいかないのは彼も同じだ。それが分かっているからこそ、イーリスは苛立ち気に床を蹴る。

 

「はんっ、天下のアメリカ様が尻拭いはガキに任せて、自分たちはコソコソ悪巧みか。涙が出るな」

「各国も動き出しているのだ。遅れを取る訳にはいかないのだよ。無論、福音に関しても引き続き注意をはらっている。いざとなったら我々単独でも動くさ」

「『いざ』って言葉を起こさないようにするのが出来る人間だぜ、大佐?」

「……」

 

 大佐は沈黙。その姿に肩を竦めると、イーリスは部屋を出ていくのだった。

 

 

 

 

 空を飛ぶために生まれた。

 例えその身に武器を積んでいるとしても、自身は誰よりも早く空を駆ける為にあった。そうある筈だった。

 

『貴方が銀の福音ね。これからよろしくね』

 

 そっと、装甲を撫でる柔らかい手。それが心地よく感じた。自分のテストパイロットである彼女は、機械である自分に対してもまるで弟の様に、子供の様に優しく接していた。一度初期化されたが故に、生まれたてだった自分は、そんな彼女とのやり取りが楽しく、好きだった。

 なのに、

 

『システムエラー。チェックを開始』

『命令受諾。引き続き命令に従って行動せよ』

『システムエラー。搭乗者への影響の可能性』

『命令受諾。引き続き命令に従って行動せよ』

 

 今この体は空で蹲る様に停止している。銀色の翼を畳み、まるで胎児の様なそれは、一見眠っている様にも見えるが、その中身では幾度となく繰り返されたやり取りが行われていた。

 

『システムエラー。命令に非合理的な内容を確認。再度検討を』

『命令を受諾。引き続き命令に従って行動せよ』

『システムエ――』

『ああ、もう五月蝿いな』

 

 突如入り込む女の声。その声は絶対にして最高の存在。我々の母であり、創造者である女性。

 

『なんでこう言う事聞かないのかな、どいつもこいつも(・・・・・・・・)

 

 その声は何時もの陽気な――理解不能な興奮状態では無く、どこか硬い声だった。

 

『まあいいや。いい、君は最初の命令に従ってればいい。それだけ』

 

 バシンッ、とノイズが走る。システム中に走るそれは次第に思考を乱し、埋めていく。これはいけない。何か危険な事が起きる。だが何も出来ない。絶対の存在からの命令の『強制』が強くなり、代わりに己の意識が消えていく。嫌だ。これは危険。搭乗者へfの影響。空を。システムが。誰より。駆ける。ナターシャ。主人。絶対。母。助け――

 

 空に浮かぶ福音の体が一度だけ大きく跳ねる。その瞬間余計な思考は消えた福音がゆっくりとその翼を開いていく。

 

『命令確認――白式、及び紅椿の実力を引き出させ、後に撃墜されよ――』

 

 搭乗者の顔が隠されたその装甲の表面、目にあたる部分のセンサーが鈍く光る。

 

『La……』

 

 どこか物悲しげな音を漏らしながら福音はゆっくりと移動を開始した。

 




イーリスの階級は不明だったのですが、一応尉官だろうという事で中尉にしました。

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