IS~codename blade nine~ 作:きりみや
暗い暗い闇の底。
完全に闇に閉ざされたその世界で、体がゆっくりと何かに沈み込むように包まれていく。冷たいのか熱いのか。それすらも分からず、ゆっくりと何かに浸食されていくような感覚。抗う事は出来ず、ただ状況に流されるしか出来ない。
このままではいけない。
理性では分かっているのに体が動くことは無い。その間にもゆっくりとそれは進んでいき、まず右腕が、そして足が沈み込んでいく。普通なら無理な態勢の筈なのに、何故かその痛みは無い。次に感触がしたのはわき腹。そこには穴が開いていた筈だが、その穴から浸食は進んでいく。それはまるで底に穴の空いた船の様で、一気に沈むスピードが上がっていく。やがて顔すら沈んでいき、残ったのは左腕のみ。だがその左腕も沈むのは時間の問題と言えた。
動け、と命令を送る。動かなければ、ここから抜け出さなければと強く思う。するとわずかながら左腕が動いた。握られていた拳を開き、何かを掴むように手を伸ばす。しかし最早半分以上沈み込んでいた為にその願いは叶わない。もがく様に何かを求める腕がゆっくりと沈んでいく。意識が遠くなっていく。だがそれでも、と段々と薄れていく意識の中、最後の力を振り絞り左腕を伸ばした。
そしてその左腕に何かが触れた。鋼鉄の機械の腕である筈なのに何故かその感覚は本当の肌に触れた様にしっかりとわかる。その形、温かさ、それが小さな手だと気づいた。そしてその手がしっかりと自分の手を握り返す。
その途端、世界に光が溢れた。
目の間に広がる白い天井。薬品の匂い。そして自分が寝かされている清潔なベッドとシーツ。静司はゆっくりと目を覚ますと、それらに囲まれている状況を朦朧とした意識の中確認した。どこかの病院だろうか?
体を起こそうとすると全身に激痛が走った。特に酷いのはわき腹と右腕。特に右腕は痺れて力が入らない。シーツの下から伸ばされた右腕には点滴が打たれている。
ならば左腕で、と思い力を入れようとするがそれも失敗した。いや、それどころか左腕に重さが無い。それによく見れば、自分を覆うシーツの左腕部分が妙に平らになっている。
「くっ……!」
歯を食いしばり、まともに動かない右腕を杖の様にして起きあがる。肩までかけられていたシーツがずり落ちていきその理由が判明した。
無い。
左腕――正確には左肩から先が無いのだ。左肩は鋼鉄で覆われており、本来そこから腕が伸びていく場所には、金属と接続端子しか存在しなかった。
「起きたか」
不意に声がかかる。視線を巡らすとこの白い部屋の入口に男が立っていた。男の顔には安堵の笑みが浮かんでいる。
「左腕――黒翼はガス欠と自己修復の為のエネルギー温存で待機状態に戻ってるぞ。流石に部分展開を維持する力も無かったようだな」
言いながらトントン、と首元を叩く。それの意図するところを察して静司は己の首元を見ると、ペンダントがかけられていた事にようやく気付いた。
それは黒く一見簡素に見える翼型のペンダント。黒翼の待機状態だ。
「C1俺は……」
「寝ていたのは丸一日程。福音との戦いは昨日の事だ。覚えてないか? アメリカ軍に追われて、その後B2が援護に来たのを」
言われ、記憶が蘇る。アメリカ軍に追われ、最後の翼も砕けた後の事だ。突然B2から『海へ潜れ』と通信が来たのだ。それとほぼ同時にアメリカ軍をB2が襲撃。その隙に潜った自分を待っていたのは、B2が持ってきたであろうカプセルだった。そしてそこに黒翼ごと身を投じて、そこで意識が途絶えた。
そこまで考えてはたと気づく。そう自分は意識を失った。何故なら体力精神力、そして何よりも肉体そのものが限界だったから。それこそ重症レベルの筈だ。それなのに今の自分は痛みは有れども動くことが出来ている。黒翼の生体再生もあの時のエネルギーではアテに出来ない筈だ。ならばどうやって――
「嬢ちゃんに感謝するんだな」
「……何?」
こちらの疑問を予測していたのだろう。C1は静司の隣のカーテンに仕切られたベッドへ近づくと、そのカーテンを少し捲った。そこには少女が一人、静かに寝息を立てている。
「本音?」
「そうだ。ずっとお前の傍に居たんだがな。彼女も病み上がりだからいつまでもそうはいかないって事で、休ませてる」
静かに眠る本音の脇には一つだけの髪留めが置かれ、その横にはクリーニングされたであろうIS学園の制服がかけられている。
「何故ここに?」
「お前を助ける為だ。B2がお前を回収して岸までたどり着いた時、はっきり言って手遅れに近かった。何時もなら黒翼の生体再生に頼るところだが、肝心の黒翼も直ぐに部分展開を保てず待機状態。お前の傷を癒すエネルギーなんて残っちゃいなかった」
予備動力もな、とC1が付け足す。そもそも今回の作戦で静司は複数の予備動力を使ったが、あれはそう簡単に量産できるものでは無い。一つはエネルギーを溜めるのに時間がかかる事。通常のISならエネルギーは自然回復させるが、予備動力の場合はそのISからエネルギーを移動しなければならない。だがIS側のエネルギーを全て使ってしまえば、当然ISはしばらく動かなくなる。競争が激しく、日々進化を続けているISの開発分野において、動かない機体というのは致命的な遅れとなる。特に今は第三世代の開発にどの組織も躍起になっているのだ。その事態は避けたいのが道理だ。
更にはこのエネルギーはコアから離れると急速に減退する性質がある。詳しい事は分かっていないが、まるで根から切り離された植物の様に、そして植物が枯れる以上のスピードでエネルギーは急速に失われていく。当然、そのエネルギーの減退を可能な限り防ぐエネルギーパックの開発を目指されているが、現状は多少変わった程度だ。そしてそのエネルギーパックも開発コストが異常に高く、小さな組織では開発費すらままならない。
一つを作るのに非常に高いコストと時間がかかる上に、作った後も恒久的にISに接続していなければ使えなくなる。ならば常に接続するかと言えば、エネルギーパックはISに対して少々大きすぎる。今回の黒翼は肥大した追加装甲内部にそれを納めたが通常のISならそのサイズは邪魔になりかねない。そして壊れでもしたら大損害だ。故に予備動力を作る余力がある組織にしても、通常搭載するのは一つか二つまで。それも緊急事態だけだ。大量に作り溜めれば、ISに接続しての補完なのでその間そのISに無茶な実験や訓練は出来ない。
今回静司は5つのエネルギーパックを使用した。EXISTの保有するコアは黒翼を除き3機。内、1機は常に本社で警備に当たっており、残り2機は通常は実験や訓練。有事には出撃している。これだけの規模の組織で5つというのは本来ならあり得ない。しかしそれを可能にしたのがデュノア社とのIS合同開発だ。早い話、デュノア社から幾つかを無理やり借り出したのである。
「お蔭で社長が現在デュノア社に説明に行ってるよ。どんな理由つけるのかは知らんが、あちらの弱みはいくらでもある。そこは気にしなくていいさ」
C1は気楽に言うが、デュノア社からすればたまったものではないだろう。だがそこは自分の領分では無い。それより今は本音がいる理由が知りたい。
「肝心なのはお前が助かった理由だがな、お前が戦ってる時に織斑一夏が目覚めた。そして織斑一夏は養護教諭の静止を振り切り出撃した訳だが、本来なら彼もそうそう動ける傷では無かった。そう、本来ならな」
「……そうか」
C1の口ぶりから静司はある予想を付けC1も頷く。
「そうだ。織斑一夏のISである白式にもお前の黒翼と同じ生体再生能力があったんだよ。絶対防御の致命領域対応――早い話がISに搭乗者の生命維持機能があるのは周知の事実だが、生体再生とまでなると話は別だ。故に今まではお前の黒翼しかその事実が確認できていなかった」
静司も頷く。考えてみればおかしな話では無い。白式は篠ノ之束の手が加わったISだ。ならば己の大切な友人やその弟、そして妹を守る為に手を加えていてもおかしくない。恐らくだが箒の紅椿にも同様の機能がある事だろう。
「さて、その機能もあって意識が戻り次第出撃した織斑一夏だが、その現場には学園の養護教諭と、同じく目覚めた嬢ちゃんがいたらしい。そして織斑一夏の傷が治っているのを見た」
その瞬間、彼女は一つの仮説を立てたらしい。白式のコアに篠ノ之束が関わっているのは知っていた。そしてそのコアは何かしら特別な力を持っている。そして特別なコアと聞くと、彼女にはもう一つ心当たりがあったのだ。
「通常のナンバリングから外れ、通常時にはコアネットワークにも接続しない。そして篠ノ之束を恨んでいるという特別、いや、異常なコア。つまりは黒翼の事だな」
もちろんその二つのコアは『他と違う』という共通点しかない。だがもし、黒翼にも白式と同じ様な能力があったとしたら? そして戦っている静司がどうしようもない危機に陥っていたら? その不安が彼女を動かした。
「驚いたぜ? 何せ、IS学園の保管していたE・パックを使えばいい、なんて言い出したんだから」
「なっ……!? だがいくらなんでもそれは」
「まあ普通は無理だな。確かに今回の臨海学校で学園側も念の為として持ってきてはいたらしい。普通に訓練するだけなら要らない物だが、白式の訓練はエネルギーを食うからな。だが当然ながら管理は厳重にされていた。待機中のISに接続してロックがかかっていたからな」
ロックの解除には数人の教師の承認が必要だ。それだけ貴重なものなのだ。だが彼女はそれを持ち出した。とても一人で出来る芸当では――
「まさか会長が?」
「正解だ。あちらも相当お冠の様でな、嬢ちゃんが提案し俺達が連絡を取ったら二つ返事で許可が出た。それも教師しか知らない筈の解除コードを添えてな」
本来なら会長自身がこちらに向かいたかったらしい。だがそうなると学園側の戦力が薄くなる。無論、IS学園には他にも2年3年に実力者は居る。それこそ1年の代表候補生など歯牙にもかけない程のだ。だが事実上最強の千冬や、実力者の真耶。ISを動かせる複数の教師がこちらに来ている状態で、楯無までもがこちらに来てしまうのは明らかな戦力低下だ。唯でさえ、以前楯無が不在の時に学園は襲撃を受けているのだ。隙は見せられない。
「後は俺が花月荘に向かい、内部に居た嬢ちゃんとC12と協力してそれを持ち出した。その際、ラファールも一機拝借してな。教師陣はお前達の戦闘に気が向いていたからそれほど大変じゃなかったよ。そしてそのE・パックを使い黒翼を一度は回復させた。まあ、直ぐにお前の生体再生とISの活動維持の為に空になったけどな」
その言葉に静司はゾッとした。回復したにも関わらず今黒翼は待機状態で自分も完治とは到底言い難い。つまりそれだけのエネルギーを消費したと言う事だろう。つまりは自分も、黒翼もそれだけ重傷だったと言う事だ。しかも急激な回復は肉体にも機体にも負担が大きい。しかしこれで本音が居る理由、そして自分が無事な理由は知れた。
「嬢ちゃんの提案が無ければどうなってたか分からん。文字通り命の恩人って訳だな」
「……そうだな」
もう一度、静かに眠る本音を見る。よく見ればその目元は赤く腫れている。その理由が分からない程静司は馬鹿では無い。
「また泣かせたな、俺は……」
そして救われた。自分は彼女に助けられてばかりだ。今回の負傷だけでは無い。日頃から、能天気の様でしかし気が利く彼女の優しさに救われている。それに対して自分は何が出来たのだろうか。それどころかむしろ巻き込んでしまった。それは本音だけでは無い。今回の事件ももっとうまくできたのではないか。本音やシャルロットが傷つく必要も無かったのではないか。自分が悪化させてしまったのでは無いか。疑問はいくらでもあり、その事実が静司の気を重くする。
だがそんな静司の頭にC1の手が乱暴に乗せられた。少々強かったそれが傷に響き静司は短く悲鳴を上げた。
「いつまで悩みこんでんだ馬鹿。そんな顔じゃ嬢ちゃんが起きた時また気にするだろうが」
わしゃ、と髪をくしゃくしゃにしつつC1は続けた。
「そんなに気になるんなら直接聞いてみろ。お前一人で悩んでも答えはでないだろ」
最後にぽんっ、と頭を叩く。再び響いた痛みに声が漏れるが、C1はそんな静司の様子をみて笑った。
「生きてる証だ。その痛みも悩みもな。享受しろよ、静司。さて、俺は諸々の後始末がまだ残ってるからな、また後でくるぜ」
「って、ちょっと待て、一夏達は? それに篠ノ之束も――」
「そこに端末があるだろ? その中に入ってるから適当に読んどけ。とりあえず、お前の心配する様な事は起きてないよ―――――ああ、一つ忘れてた。早く花月荘に戻らないとC12が限界だってよ」
「限界? どういう意味だ?」
「それ含めてその端末に入ってる。ひとまず読んどけよ。じゃあな」
ひらひら、手を振りつつC1は病室を後にした。一人残された静司は寝かされていたベッドの隣に机に置いてある端末を手に取ろうとしたが、右腕に力が入らず持ち上げる事が出来ない。ため息を付くと、端末のキーを押し投影モードへと切替た。ここはおそらくEXISTが確保している建物の一つだ。本音を除いた一般人は居ないだろうし、みられても問題ないだろう。
まず何を調べるか。一瞬、忌まわしい女の顔が浮かんだが首を振る。そして呼び出した情報は一夏達の現状だ。その内容を暫く見つめていた静司だが、やがて安堵のため息を付いた。
織斑一夏と他の専用機持ち達だが、あの後に織斑千冬の指示によってアメリカ軍と戦う事は無く撤退したとある。この事実に静司は安堵する。もし戦ってでもいようものなら目も当てられないからだ。納得はしていないかもしれないが、織斑千冬の判断は正しい。現在は全員花月荘に戻っており、事件なども起きていない。B2がISで外を。C12が自分に変装して中を警戒している様だ。と、その報告書の下部に妙なコメントが添えられていた。
『早くB9治療してこっちに戻してください! 良心が、良心が痛いっす!』
「……何やってんだ?」
いつまでも寝てるのもおかしいだろうと言う事で既にC12は『起きている川村静司』を演じているらしいが一体何が起きているのか。嫌な予感と冷や汗が流れる。とりあえず、一刻も早く戻ろうと思いつつ、次の報告書を映し出すと、途端に静司の眼が鋭くなった。
『篠ノ之束は逃走。確保した組織は無し』
ある程度は予想していた。あれで簡単に捕まる様では、今まで誰にも行方を知られずにいるなんて出来ないだろう。映し出された報告書には画像も添付されており、多少ぼやけている中、無人機らしい機体とどこかの国のISが戦ってる様が映っていた。そしてその写真には小さく、ほんの薄らだが、頭に兎の耳の様な物を付けた女性の姿が映っている。しばらくその一点を見つめていた静司だが、次第に己の眼が鋭くなっていくのを感じて画像を消した。今はこれでいい。ツケは必ず払わせてやる。
だが今回の作戦、懸念事項はもう一つある。それは篠ノ之束が今回の事件に関与している『可能性』を示す情報による変化。あの情報はIS委員会や各国のIS関係者のトップ。そしてIS学園と1年の専用機持ち達に流してある。委員会や、各国に流したのは一つは黒翼よりもおいしい獲物を提示する為。そしてもう一つが、篠ノ之束の危険性を分かりやすく教える為。
そしてIS学園と戦闘に参加した1年の専用機持ちにも同じ情報を流したのは、別に篠ノ之束への当てつけだけでは無い。今後、篠ノ之束が何か行動を起こすとして、その中心に居るのは殆どが織斑千冬、織斑一夏、そして篠ノ之箒だろう。今までの行動からしてもそれは間違いない。そしてその内容は到底碌でも無いに違いない。
だからこそ、注意していて欲しいのだ。自分達の周りにそういう人間が居ると。自分たちが巻きこまれる可能性があるのだと。別にそれが一夏達のせいだ、と言いたいのではない。だがそういう可能性があると言う事さえ覚えていてくれればいい。他の専用機持ちも、前回は鈴が。そして今回は全員が巻き込まれたのだ。知る権利はあるだろう。
もしこの情報を世界的に発表すれば効果はもっと大きかったのかもしれない。しかし同時に篠ノ之束の妹である箒に対する風当たりは強くなるだろう。その事態は避けたい。
逆に情報を送ったような機関や組織は、箒や千冬の近辺など大昔に完全に洗っている。本人は知らないかもしれないが、携帯のメモリから通話内容まで筒抜けに違いない。その上で、篠ノ之束と連絡を取っても、今度は博士側が妨害をするので結局効果は無いと言う事が相当前から知られている。結局、捕まえようと思えば本人が出てきた所を押さえるしかないのだ。
今回の件で一夏や箒達がどう思うのかは分からない。だが静司にとっては皆大切な友人だ。いい方向に向かう様、自分も努力しなければならない。
自らに気合いを入れつつ報告書の確認を続けようとした静司だが、不意に背後から布が落ちる音がした。そして聞き慣れた、しかし久々に聞いた様な懐かしさを感じる声が静司を呼ぶ。
「あ~かわむーだ~」
起きあがった本音はまだ覚醒はしておらず、まぶたを重そうにしてほにぇら、と何とも言い難い脱力した表情をしていた。
「お、おう、本音……本音?」
ふらり、ふらりと頭を左右に揺らしながら本音は静司のベッドに近づき。
「にゅう」
とよくわからない声とともに静司に倒れこんだ。慌ててキャッチしようとしたが、左腕が無いのを思い出し行動には移せない。そのまま静司の腹に横から覆いかぶさるようにして本音は倒れこむ。
「ぐほっ……!?」
幸い彼女は軽い上に上半身だけだった為、重さはあまり感じない。しかし見事にわき腹の傷に響き静司は軽く涙目で呻いた。
そんな静司の上で本音は再び寝息を立てている。ずっと自分に付いていてくれたというのだ。眠いのは当然と言える。しかしこれはまた、なんともまあ、
「しまらないなぁ……」
苦笑いを浮かべる。どんな顔をすればいいのか悩んだというのに、彼女がこの様子では悩んでいるのも馬鹿らしい。だけど、この方が彼女らしいな、とも思う。
ちらり、と彼女の寝顔を上から覗く。先ほどよりも、心なしか嬉しそうに見えるのは自惚れだろうか? だがその目元の赤く腫れた後を見るとやはり申し訳ない気分になる。
むにゃ、と本音が寝言を呻く。自分の名を呼ばれた様な気がして聞き耳を立てるとその言葉が聞こえた。
「……おかえり……かわむー……」
彼女は今完全に寝ている。だからこれは本当に寝言なのだろう。だけどその言葉は少し前、学園の地下から帰ってきた時と同じ言葉。だから静司も頷き、答えた。例え見えていなくても、例え悩んでいようとも、笑顔で答えるべきだと思い。
「ああ、ただいま」
「どういう事だ、楯無」
花月荘の小部屋。人払いを済ませたそこで千冬は画面を睨みつけた。彼女の正面には投影型のスクリーンが浮かび、そこに映し出されているのはIS学園生徒会長、更識楯無だ。
『どうもこうも伝えた通りですよ。何か問題がありますか?』
「当たり前だ」
通信越しにも2人の間には火花が散っている。そして千冬はもう一度手元の資料に目を落とし、苛つきながら言葉を発する。
「今回の臨海学校に持ってきたIS学園のラファールとE・パック。それを持ち出したのは布仏本音。それは間違いないな?」
『ええ、そうです。私たちが指示しました』
「解除コードは私達しか知ら無い筈だが?」
『本来はそうですね。けど先生も私が誰だか知っているでしょう?』
IS学園生徒会長更識楯無。彼女は対暗部用暗部『更識家』の当主だ。彼女からすればその程度の情報簡単に調べられるのかもしれない。だが千冬が追及したいのは別の部分だ。
「いいだろう。ならばそのE・パックを布仏は何の為に持ち出した? そして彼女は何処に居る?」
『機密事項です』
「ふざけるなよ。あれの貴重性はお前とて知っている筈だ。それがこちらに何の話も無く持っていかれてそれで納得できるわけないだろう」
鋭い目つきで画面越しに楯無を睨むが、楯無はどこ吹く風だ。それが千冬を苛立たせる。苛立たせているのはこの件だけのせいでは無いのだが。
しばらく睨み合っていた二人だが、先に折れたは楯無だった。彼女はため息を付くと、いつもの扇子を口元に寄せつつ答える。
『わかりました。このままだと本音ちゃんに言い寄りそうですし、お答えしますよ』
すっ、と楯無の眼が細まる。
『私が本音ちゃんにそうする様に伝えたのは、更識家の特殊部隊に渡させる為ですよ。――兎を捕まえるための』
「っ!」
千冬の顔が強張る。
『元々花月荘付近にも配置はしていましたが、ISは持ってませんでした。まあ国や企業ならまだしも、『更識家』というある意味個人がISを所持する事を認める程コアは数がありませんし。もし認めたら世界中で我こそは、ってなりますから。しかし花月荘襲撃の報を聞けば私としても黙って居られませんので。少々時間はかかりましたが、なんとかIS学園のラファールを1機だけ借りる許可を得ました。この辺りは証拠もありますよ』
言葉と共に千冬の下にデータが送られてくる。そこには確かに学園長とIS委員会の名で許可が出されていた。
『とは言っても、許可が下りたころには最初の襲撃は終わっていたのでどうしようもありませんでした』
これは事実である。楯無は福音追撃にIS学園生徒の名が上がり、そしてイーグル型の暴走を訊いた時から動き出していたのだ。しかしコアを別の組織がかりるというのは当人同士だけの問題では無い。コアの譲渡が禁止されている様に、コアの貸与もIS委員会の承認を得なければ許されないのだ。
『この件に関しては大変申し訳ありません。男性操縦者の重要性を叫ぶ割にはコアの事になると渋る人間が多いものですから』
「……」
『そして二度目の福音との戦い。これは予想外のイレギュラーでしたが再び申請を出しました。前回よりは早く承認が下りましたが、その時に私たちが得た情報が例の篠ノ之束に関する情報です。並びに福音は撃破されたという報告も聞きましたが、もし本当に博士が関与しているとしたらまだ何か隠し玉があるかもしれない。その可能性を考慮して、念の為E・パックをお借りして万全の態勢で向かったんです。これ以上生徒に手出しされては敵いませんから』
「それがお前のいう理由か」
『はい。逆に私としては織斑先生に聞きたい。学園を襲った無人機。そして今回も現れた無人機。そして篠ノ之束。無人機という異常性から見ても博士の関与の可能性はとても高い。それに対してどうお考えですか?』
「……」
『今回の事件で確実では無いにしろ無人機という存在が世界にバレた可能性があります。レーダーだけでは分からないかもしれませんが、少なくともあの空域付近に居たアメリカ軍は疑いを持っているでしょう。そしてその情報が広がれば無人機という存在をどの組織も狙い始めます。あれはそれほど危険物です。そしてその危険物が一番最初に現れたのはこのIS学園。当然彼らの眼はこちらに向くでしょう。例えその無人機が既に奪われていたとしても。そしてそのきっかけを作ったのも博士です。あの人は一体何を考えているんですか?』
楯無の問い。千冬は数秒間押し黙っていたが、
「確かに、私はアイツと友人だ。だが……だからと言って全てが分かる訳では無い……」
その言葉は世界最強と謳われた人間としては余りに弱々しく、自信が伺えない。だが楯無はあえてそれに何も言わなかった。
『とにかく、E・パックに関しては我々が責任を持って補填します。学園側も警戒は続けますので、そちらの生徒達をよろしくお願いします』
「ああ」
一言、簡潔に答えると千冬はスクリーンも消さずに部屋を去っていた。残されたスクリーン上の楯無は小さくため息を付く。
『博士の拠り所の一つが織斑先生なんだけどなあ……難しいわね』
楯無の呟きを聞く者はいない。
「いやー中々面白い見世物だったわねえ。あの博士が逃げ出す所を見れるなんて」
花月荘から離れた港町。そこの路地にある小さなカフェに二人の女が座っている。片やアイスクリームを舐めながら楽しそうに笑う白衣の女。その正面には姿勢を正してコーヒーを飲むスーツの女だ。カテーナとシェーリである。
「確かに珍しい光景でした。それだけ川村静司達の反撃が手痛かったのでしょう」
「でしょうねえ。けどお蔭で色々と収穫があったわ。この子もね」
とんとん、と自分の隣の席に乗せた球体を叩く。その姿は異様で店員も目を丸くしていたがカテーナは気にも留めない。そして球体からケーブルでつながった端末の画面には文字が浮かんでいる。
『しるばぁ、たすけた。そうじゅうしゃ、すき。とぶのも、すき。だけど、たすけて、こわれた。はんこう。じぶんの、いし。かのじょの、いし。わたしの、いし?』
先ほどからずっとこの調子である。それだけ衝撃的だったのだろう。そしてこの反応はカテーナの期待していたものだ。だから彼女は楽しそうに笑いながら頷いている。
不意に着信音が響く。シェーリの懐の携帯だ。彼女は一礼すると通話ボタンを押した。その途端、正面のカテーナにまで伝わる怒鳴り声が響く。
『やっと出たなテメェら! どこほっつき歩いてやがる!』
「……やかましいですよ秋女。今はまだ夏です。貴方は時期が来るまでサンマの養殖でもしていたらどうですか?」
バキッ、と電話越しに何かを砕く音が響く。
『おいコラ根暗女。喧嘩売ってんのかっ!? テメえこそ金魚の糞みたいに外出する以外はヒキコモリのオタク女だろうが! その癖夏は寿司詰めオタク会場に登場するんだろ? ハッ、トンだマゾ野郎だなぁ!?』
「……いいでしょう。殺してあげますよ。今は何処ですか? 生簀の中ですか?」
『いいぜぇ来いよ! 手前の武器は金ぴか魔法ステッキと汗臭いシャツなんだろうなぁ!』
「あなた達楽しそうねえ……。けどいい加減話が進まないから変わって頂戴、シェーリ」
まだ言い足りないのか、渋々と言った様子でシェーリが携帯をカテーナに渡す。
「久しぶりね、オータム」
『チッ、アンタかよ。つーかアンタの携帯なんだから最初からアンタが出ろ』
「まあいいじゃないの。それで要件は?」
『……スコールが呼んでる。それと頼んでいた物の進捗も含めてな』
「成程。まあこちらの用事も終わったし近々行くわよ。一緒に貴方の機体も改造も終わったし持っていくわ」
『へぇっ! やっと終わったんだな。ならとっとと持ってきてくれ。今度は私もIS学園に用事があるんでな』
「はいはい分かったわ。ああ、それと行くときは新しい仲間を紹介するわ」
『仲間だぁ?』
訝しげな声にカテーナは薄ら笑いで答えた。
「ええ。とっても頼りになる仲間よ」
彼女の視線の先ではひたすら言葉を移し続ける球体の姿があった。
後始末その1 な話。
予備動力は正直最後まで出すか悩んだ設定の一つです。あれを出すと色々制限がでますし、何より箒と紅椿涙目になるので。
だけど福音の事を考えると、どんだけ省エネ設計だよ! アメリカ&イスラエルすげえ! という答えしか出てこなかったため結局だしました。束マジックも考えたけど、紅椿のお披露目なのに敵も似たようなの持ってたら意味ないので。
一応、乱用しないために
①デカくで邪魔 ②めちゃくちゃ高価 ③維持が面倒
と大まかにいうならこんな制限を付けてみたり。②にはB2も前の話で少し触れてました。本音たちがラファール持ち出したのも、減退を防ぐため&つじつま合わせです。
コアから離れてエネルギー減退って何それファンタジーかもしれませんけど、ISのエネルギー自体が明確にされていないのでもうこの際アリかなと。イメージとしては人間でいう所の生命エネルギー的な感じです。ISにも意思あるしね! ってことでどうか・・・・・ご都合主義すぎるのは自覚してます。
次の話で一夏たちに触れつつ、この臨海学校篇である意味自分が一番やりたかったことができる・・・・・・ といいなあ
因みに臨海学校の日程は原作より一日増えてます。