IS~codename blade nine~   作:きりみや

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40.敵性存在

 波の音が響く月明かりの浜辺を鈴は独り歩いていた。周囲には誰もおらず、彼女はぼんやりと空を見上げつつ声を漏らす。

 

「あーあ」

 

 意味も無く漏れた声に混ざるのは呆れや後悔。そして若干の気恥しさ。その頬は少し赤い。その原因は先程見た友人達の姿のせいだ。

 

「いちゃちゃしちゃって……周りの事を考えなさいよ」

 

 鈴が見たのは静司と本音の姿だ。何を話しているのかは分からなかったが、お互いの距離が短く、更には本音が静司を抱き込み始めた辺りで鈴は恥ずかしくなりその場を後にした。

 そもそも鈴が外に出たのも花月荘での空気に耐えられなかったというのがある。昼に一夏と喧嘩をして以来、お互いに微妙な距離感となってしまった。話しかけたいとは思うが、何を話せばいいのか分からない。それにまた昼の様な事になってしまうと思うと踏み出せない。そんな鈴を気遣ってか、友人たちはことさら明るく話しかけてくれていたが、そんな自分が惨めで抜け出してきたのだ。

 彼女達は励まそうとしてくれたのだ。別に怒ってはいない。ただ一人の時間が欲しかった。泳ぎでもすれば気晴らしになるかと思いこっそり着替えて浜に出た所で静司達を見かけたのだ。

 遠目にしか見えなかったが、二人の間には確かな信頼があったと思う。そうして寄り添う姿を思い出しぽつりとつぶやく。

 

「いいなぁ……」

 

 自分も一夏と――そこまで考えた所でふと自分の胸に眼を落とす。続いて本音の姿を思い出し、くっ、と歯噛みした。

 

 ――胸囲の格差社会――

 

「うっさい!」

 

 ふと以前聞いたフレーズを思い出し、思わず足元の砂を蹴り上げる。無い物は無い。そんな事は分かっていても納得できるかとは別問題だ。

 思いのほかうまい具合に蹴り上げられた砂が夜の浜辺に舞う。何となくそれに気をよくして鈴は何度も何度も砂を蹴り上げた。その度にここ最近の様々な不満やストレスを叫びながら、蹴り上げ続けた。

 

「いい加減、気づきなさいよ馬鹿!」

 

 一夏に対しての怒り。

 

「負けるもんかっ、このっ!」

 

 恋敵と戦う為の気合い。そして、

 

「思い通りに……行くと思うなあ!」

 

 一際力を入れて蹴り上げたのは今回の事件に対する怒り。大切な人を。仲間を。友人を危機に晒した事件。その黒幕と思われる人物に対する怒りだ。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 

 ひとしきり怒りをぶつけ終え、肩を震わせる。完全とは言わないが、多少は気が晴れた。後はこの熱くなった体を冷やす為にもひと泳ぎでもしようか。そんな事を考えていると不意に声がかかった。

 

「何やってんだ鈴?」

「っ!」

 

 思わず肩が跳ねる。振り向けば困惑と呆れが混じった顔の一夏の姿があった。彼も着替えており、水着の上に今はパーカーを羽織っている。

 

「な、なんでも無いわよ! アンタこそ一体こんな所で何してんの!」

 

 先ほどの姿を見られた恥ずかしさ。そして昼の出来事からの気まずさが混じり混ざって思わず怒鳴ってしまう。

 

「何って探しに来たんだよ」

「だ、誰をよ!?」

「いやだから鈴を」

「……………………え?」

 

 思いがけない言葉に思わずきょとん、としてしまう。続いて顔が熱くなり、それを隠す様に後ろを向いて蹲る。

 

(ど、ど、ど、どういう事!? 何が起きてるのよ!? っていうか私顔赤くなり過ぎよね? 絶対なってるわよね!?)

 

「おい鈴、大丈夫か?」

「だ、だ、大丈夫だから顔を覗き込むな!」

「いやだけど」

「ちょっと彼方からマッハで飛んできた砂と小石とハマグリと飛魚が目に入っただけだからちょっと待ってなさい! いい、絶対よ!?」

「いやそれ死ぬだろ普通」

 

 信じた訳では無いだろうが、鈴の剣幕に思わず一夏は頷いた。そしてゆっくりと鈴の復活を待つ。鈴は鈴で胸に手を当てすーはーと深呼吸をして落ち着かせるとゆっくりと振り向いた。

 

「け、けど何で私を探してたのよ。それによくここがわかったわね」

「ああ、場所はラウラに聞いた」

「ラウラに?」

 

 思わぬ人物の名前に鈴が驚きの声を上げる。

 

「ああ。鈴を探し出したら待ち構えてたみたいに腕組みしてて、ここに居るってさ。なんかあの時のラウラ千冬姉に雰囲気が似てたな」

 

 一夏も思い出してか首を捻っている。それは鈴も同様だ。居場所は自分がここに向かう所を見ていたという事で説明が付く。だが恋敵の手助けの様な行動には疑問が残る。

 

「それで……なんで私を探してたのよ」

 

 一先ずラウラに対する疑問は置いておき、一夏に問いかける。昼の喧嘩以降、お互いに気まずさから距離が離れていたのに何故今になって? その疑問に一夏は頷くと、気合いを入れる様に顔を引き締め、そして頭を下げた。

 

「鈴、悪かった!」

「ちょ、いきなり何よ!?」

 

 突然の一夏の行動に鈴は慌ててしまう。だが一夏は顔を上げることなく続ける。

 

「昼に、鈴の話をちゃんと聞こうと――考えようとしなかったこと。それに乱暴してしまった事だ。本当にすまなかった!」

「乱暴って大げさな……」

 

 確かに勢いよく手を弾かれたりはしたが、大したダメージは無かった。とは言っても精神的にはかなり来たのは確かだが。

 

「許してくれとは言わない。だから俺の事は好きにしてくれて構わない。だがその前にどうしても謝りたかったんだ」

「好きにしてって」

 

 一瞬鈴の脳裏に一夏を好きに扱う自分の姿が浮かぶ。肩を揉ませ、料理を作らせ、風呂を入れさせ、そして一緒に――

 

(な、な、何を考えてるのよ私は!?)

 

 頭を抱えぶんぶんと邪な妄想を吹き飛ばす。一夏は頭を下げ続けているので鈴のそんな姿には気づかなかった。そんな一夏の様子に鈴は冷静さを取り戻すと、呆れた様にため息を付いた。

 

「とりあえず頭を上げてよ。こんな状態じゃ話もできないわ」

「だけど……」

「いいから上げる!」

 

 一夏は躊躇うが、鈴としては頭を下げられたまま話せと言われても出来る訳が無い。妙な気分になってしまう。そうしてようやく一夏が顔を上げた所で、二人は改めて向かい合う。

 

「昼間の事は……私も悪かったわよ。ちょっと言い過ぎたわ。アンタにとって千冬さんはとても大事な存在なのに、好き放題言って悪かったわ」

 

 とても大事な人。恐らくその場所はそう簡単には崩れないだろう。一夏にとって、自らを育ててくれた千冬という存在は絶対に近いのだ。それが悪い事とは思わない。

 だが、

 

「けど、言ったことそのものは訂正しないわ。あれは私の本心よ」

「……ああ」

 

 一夏とて完全に納得しているとは思えない。だが静かに頷いた。ならば今の内に、今度こそ冷静に、言いたかった事を言うべきだろう。

 

「私だって千冬さんを信用していない訳じゃないわ。だけど、だからと言って常に100%正しいなんて事はありえないのよ」

 

 ふと思い出すのは自らの両親の事。幼い頃は絶対の信頼を持っていた。父と母と自分。三人でいつまでも楽しく、幸せに生きていけると、信じて疑っていなかった。だがそれは所詮子供の幻想だったのか。両親は離婚し、自分は今一人日本に居る。日本に来たのは自分の意志でもあるから不満は無い。しかし両親の中が健在なら、もしかしたら未来は変わったのかと、時たま思う。

 

「絶対だと思っていたものがもし崩れた時、その信頼はね、楔になるのよ。消して抜けない、いつまでも痛みを伴う楔に」

「鈴……?」

「だから、覚えておきなさい! 大切な人を信じるのはいい。だけどそれに頼り過ぎるなって事を」

 

 一通り言い終えた鈴が息を付き、二人の間に沈黙は落ちる。自分の言葉は通じただろうか? 鈴は不安に思いつつも一夏の反応を待つ。当の一夏は何かを考えている様に、目を瞑っていたが、やがてそれをゆっくりと開いた。

 

「鈴が言いたいことは、何となくわかる。けど……それでもやっぱり俺は千冬姉を疑うのは――」

「別に疑えって言ってんじゃないわよ。ただ妄信するな、って事。一夏にとって千冬さんは姉として絶対な存在なのかもしれないけど、千冬さん自体は全能なの?」

「……そうだな。確かにそれならわかりやすいかもしれない。千冬姉は片付けが出来ないし料理も雑だし裁縫も碌に出来ないしビール飲んでる姿は時たまオヤジくさいもんな」

「そ、そうなの……?」

 

 どこか遠い眼で空を見上げる一夏と、聞きたくない千冬の一面を聞いてしまい脂汗を流す鈴。勢いで聞いては見たが、これは本人がここに居たら殺されるのではないだろうか?

 

「そうなんだ。確かに千冬姉だってなんでもできる訳じゃないし、なんでも知ってるわけじゃない。そんな事、当たり前なのに俺は千冬姉に頼りっぱなしで、悔しいな」

「家族なんだから頼ってもいいじゃない。ただ自分で決めるべきところは自分で決める。そういう事でしょ?」

「まったくだ。……ああ、本当に」

 

 一夏も苦笑して頷く。しかし直ぐに顔を引き締めると、鈴に向き直る。

 

「鈴。今から言う事は、きっと昼間心の中で閉じていた、俺の意見だ」

 

 一度目を瞑り、そして開く。

 

「無人機なんて物を作れる人なんて、俺は束さんしか思い浮かばない。だから今回の件は、束さんの可能性が高いと思う」

 

 だけど、と続ける。

 

「暴走までは正直分からない。確かに無人機と一緒に居たけど、あの状況を狙ってやって来た奴が居ないとも限らない」

「そう……。そうね、確かにそれも十分にあり得るわ。結局は私たちは何も分からないのよ。だから分からないなりに考えるしかない」

 

 結局答えは分からない。だが、今の話は犯人を見つける事では無い。自分で考え、選ぶという事だ。だから鈴はこれ以上は何も言わない。一夏もその先は続けようとはしなかった。

 しばらく二人は無言で海を眺める。この状態が先程の静司と本音の姿と被り、その光景を思い出し鈴の顔が紅くなっていく。そしてちらり、と隣に一夏に視線を移しながら更に赤面してしまう。

 

(も、も、も、もしかして、今この雰囲気ってチャンス!? と、言う事は私達も――)

 

 抱き寄せる? いや、ダメだ。自分と本音の胸部を考えそれを速攻で却下。じぁあ抱きしめてみるか? いやいやいやいや! いきなり過ぎだろう。流石にそれはちょっとアレだ。アレなのだ! では手を繋ぐのはどうか。うん、これは良い。それほど不自然じゃない(多分)し今の雰囲気なら行けそうだ。昼に飛びついては肩車をさせたりもしたが、あれとこれば別だ。今このときに手を繋ぐことに意味がある! 

 よし、と気合を入れ一夏と視線を合わせようと振り向くと、既に一夏はこちらを見つめていた。

 

「鈴、実は話したいことがあるんだ」

「えっ!?」

 

 思わぬ先制攻撃に鈴の思考は一気に吹き飛んだ。何時になく真面目な顔をした一夏の顔に、心臓が一気に跳ね上がる。

 

(ま、まさか一夏から? あの一夏から!?)

 

 一夏の視線に捕らわれた鈴はもはや動けない。完全に硬直した鈴に一夏が一歩、近づく。その動作にもはや鈴の心臓は破裂寸前と言わんばかりに激しく鼓動する。そして更に少し距離が近づき、肩に手が置かれた。びくん、と鈴は肩を震わせ、潤んだ瞳で一夏を見つめる。一夏はこくり、と頷きそして、

 

「実はさ、箒が一昨日誕生日だったんだよ」

「………………………………は?」

「けどあんな事があって、まともに祝えなかっただろ? 一応プレゼントは渡したんだけどさ、やっぱりお祝いもしたいなって」

 

 急速に熱が冷めていく。鈴の瞳が潤んだ乙女の光から、怒りを宿した鬼の瞳に変化していく。それに気づいていないのか、一夏は普段からは想像できないようなハイテンションで話していた。

 

「あの画像のせいで箒も気にしてるだろうからさ、ここは皆で盛大に明るく……鈴?」

 

 ようやく一夏も鈴の変化に気づいた様だが、もう遅い。

 

「アンタって……アンタってアンタってアンタってなんでぇ……!」

「お、おい鈴? 何を」

「知るか馬鹿あああああああああああああああ!」

 

 夜の浜辺に甲龍の衝撃砲が打ちこまれ、爆音が響く。その砂煙を切り抜けて一夏は全力でそこの場から走り出した。そしてその後ろを衝撃砲を部分展開した鈴が追いかける。

 

「ちょっと待て鈴!? それは洒落にならない!」

「うっさい馬鹿! 逃げるなああああああ!」

「うおおおぅ!?」

 

 逃げる一夏と追う鈴。IS学園でよく見られる光景がそこにあった。そしていつも通り過ぎて、鈴は気づけなかったのだ。一夏の顔が、鈴の肩に触れた後からやけに赤かった事に。そしてそれを誤魔化す為に、言葉をまくし立てていた事に。

 そしてそんな音に気づいて静司や本音も様子を見に来たのだが、

 

「……何やってんだアイツら」

「わー、りんりん元気だね~」

「っていうか部分展開って洒落にならん上に色々不味いだろ。俺が言うのもおかしいが」

「けど威力は絞って怪我はさせない様にしてるから大丈夫だね~」

「ああ成程。…………いやそれでも駄目だろう」

 

 何とも言えない感想だった。

 

 

 

 

「紅椿の稼働率、想定以下。あの馬鹿ISは逃亡。ゴーレムも全部破壊……」

 

 岬の策に腰かけた束が静かに声を漏らす。その声には棘があり、時たま苛立ち気に爪を噛んでいる。

 

「おかしいなあ。何なんだろうね、あの馬鹿IS」

 

 何もかもあのISのせいだ。あれが出てから自分の思惑を悉く邪魔してくる。妹のデビュー戦を邪魔し、一夏の手柄奪い、あまつさえこの自分を各国に追わせるなんて事をしてきた。

 あの自分と無人機の画像。出所は探っているが、相手も細心の注意を払ったのかまだ犯人に行きついてはいない。だがあの黒いISが関連しているのは確かだろう。そうでなければタイミングが良すぎる。あれさえなければ、逃亡する黒いISを補足できたかもしれないのに。

 ちらり、と無人機――ゴーレムの情報を開く。無人で動くIS。元々これには対して期待していない。ISは人が乗って、初めてその真価を発揮するにだから。だがこのゴーレムも並大抵の相手なら圧倒するだけの力はある筈だった。

 足りない。

 あの忌まわしい黒いIS。それを倒すにはこれでは駄目だ。その為の機体と舞台を用意しなければならない。そう、今までのは所詮量産型。ならばあの黒いISに特化した機体を用意すればいい。それが出来ない自分では無い。

 

「ふふ、そうだよね? ちーちゃん」

「気づいていたか」

 

 ゆっくりと束に近づいてきたのは千冬だ。彼女は何時もと同じ漆黒のスーツ姿であり、その姿は威厳に満ちている。

 

「こんな所で呑気な物だな、御尋ね者」

「あんな連中に捕まる私じゃないよ。それにここだって普通なら見つけられない様にしたのに、やっぱりちーちゃんはすごいなあ」

「お前の行動パターンを読んだだけだ」

「そこはお見通しだ、って言ってくれた方がフレンドリーでいいよねー」

 

 先ほどまでの不機嫌さから一転、千冬が来てからの束は上機嫌で続ける。

 

「そういえば白式には驚いたよね。まさか操縦者の生体再生機能なんてあるなんて。まるで――」

「白騎士の様、か? お前は知っていたんだろう? その機能はある事を」

「ふふ、なんえそう思うのかな?」

「簡単な話だ。『白騎士(しろきし)』と『白式(びゃくしき)』。『白式』側の読み方を変えれば自ずと答えは出てくる」

「ぴんぽーん。流石ちーちゃんは詳しいねえ」

「かつて乗った機体だ。分からん筈が無い」

 

 『白騎士事件』その主役であった二人からすれば分からない筈が無い。

 

「だけど、白式が《零落白夜》を発現したのは素直に驚きかな? かつてのちーちゃんのもう一つのIS。暮桜と同じワンオフ・アビリティ―だもんね。まあその辺はコア・ネットワークを介して勝手に進化したのかもねえ」

 

 面白いなあと頷く束だが、千冬の顔は硬い。束もそれに気づいている筈なのに、何事も無いかのように進めている。

 

「いやー世の中思いのほか不思議な事が多いねえ。白式の進化とか……邪魔ばかりする馬鹿ISの存在とか」

 

 束の声のトーンが落ちる。先ほどまでの陽気さは消え、そこにあるのは憎悪。千冬は友人のこんな姿は見たことなかった為、思わず眉を顰めた。

 

「ねえちーちゃんは知らない? あの黒いISの事?」

「……知らん。こちらが教えて欲しいくらいだ」

 

 これは事実だ。疑っていた人物は居たが、その人物が花月荘にいる間にもあの黒いISは現れていた。無論、入れ替わりなども考えたがそうなると養護教諭などもグルになっていきどんどん話が大きくなっていってしまう。そう考えると、別の人物の可能性の方が高いように思えたのだ。

 

「そっかあ、残念だね。うん、本当に残念だ」

「束、お前は何を考えている?」

「ん?」

 

 不思議そうに束が振り返る。その顔に浮かぶのは無邪気なまでの、悪意。

 

「ふふ、ちーちゃんもわかってるでしょ?」

「さてな。だがこれだけは言っておく。私の生徒にこれ以上手をかけるような者が居れば、私は容赦しない」

「ちーちゃんを怒らせると怖いもんね。一体誰かな、怒らせるような人は」

「束……」

 

 眼を険しくさせる千冬と、静かに笑う束。その二人の間を風が駆ける。揺れる髪に手を添える束を見つめながら千冬は悩んだ。ここでこの友人を捕まえるべきだろうか。止めるべきなのだろうか。しかしどれだけ性格が破綻していても、束が大切な友人である事は千冬にとって事実。それが躊躇いを生む。

 そんな千冬に束は静かに問うた。

 

「ねえちーちゃん。今の世界は楽しい?」

「そこそこだ」

「そっか。だけど私は――」

 

 びゅう、と突然大きな風が吹く。砂が目に入り、千冬が思わず擦ったその間に束の姿は消えていた。後に残ったのはまだ温かさの残る手摺だけ。千冬はため息を付くと、その手摺に手を添え彼方の海に視線を向ける。

 

「だけど、か……」

 

 その呟きには誰も答えなかった。

 

 

 

 

 

 翌日。臨海学校も最終日となり、朝から片付けやらなんやらに追われ続け、ようやく帰りのバス乗り場へと行き着いた一夏は瀕死だった。昨日は結局鈴に追い掛け回され、それが原因で旅館から抜け出したことが千冬にバレてしまい説教開始。鈴と二人並んで受けていたものだから、今度は箒達が外で何をしていたのかと追及してくる始末。結局碌に寝れないままの朝の重労働だったのだ。

 

「生きろ、一夏」

 

 ぱたぱた、と団扇で一夏を仰ぐのは静司。その左腕は未だ吊るされている。静司は怪我人と言う事もあり、朝の片づけも比較的楽な仕事が回ってきたため一夏の様にはなっていない。

 

「サンキュー静司……ってそうだ! 鈴に聞いたぞ、お前も昨日抜け出し――」

「ああ、一夏喉が渇いただろう。たんと飲むがいい。良く温まったお汁粉サイダーだ」

「ぐほっ!?」

 

 余計な事を言いかけた一夏を静司は持っていた謎飲料を口に押し込み黙らせる。因みに静司と本音は一夏達のどさくさに紛れてこっそり宿への帰還を成功していた。

 謎飲料の味に悶絶する一夏だが、彼を助ける人物は居ない。箒やセシリアは昨夜一夏と鈴が抜け出したことがご立腹らしく、朝から一夏と話していない。鈴も昨日から怒り心頭だ。ラウラは何やらずっと考え事をしており、一人腕を組み目を閉じている。本音やシャルロットもバスへ自分の荷物の積み込みに行っているのでここには居なかった。

 

「はーい。皆さん荷物は積みこみましたねー? それではバスに乗ってくださーい」

 

 真耶の号令で生徒達がそれぞれ動き始める。静司もバスに乗るべく未だ悶絶している一夏を引っ張って行こうとしたところで、こちらに近づく見慣れない人物に気づいた。

 静司の視線に気づいたその人物は軽く手を上げると声をかけてきた。

 

(ナターシャ・ファイルス? 福音の搭乗者が何故ここに?)

 

 彼女の情報は静司も受け取っている。確か福音回収後は意識を失っていたと聞いたが。

 

「こんにちは。彼が織斑一夏君?」

「ええ、そうですよ」

 

 多少警戒しつつ答えるが、彼女はそんな事を気にしていない様だった。そして静司を見て笑う。

 

「じゃあ君が川村静司君ね」

「そうですけど、一体なんでしょうか?」

 

 箒や鈴達。荷物を預け終えた本音達も何事か、と怪訝そうにこちらを見つめている。ナターシャはそんな彼女達にも視線を向けると、一人一人名前を確認していった。

 

「え、えっと、結局どなたなんですの?」

「ふふ、ごめんなさい。私はナターシャ・ファイルス。銀の福音の搭乗者よ」

 

 その答えに静司以外の全員が驚く。その様子にナターシャはくすり、と笑うと優しげな顔から一変。真面目な顔になると頭を下げた。

 

「ありがとう。そしてごめんなさいね」

「え? えっと何が……」

「お礼はあの子の暴走を止めようとしてくれた事。謝罪は私と私の仲間達のISの暴走で迷惑をかけた事よ」

 

 前半は一夏や鈴達に。後半は静司の腕の怪我に視線を向けながらナターシャは謝罪を告げる。それに慌てたのは一夏達だ。

 

「いや、俺達だって結局何も」

「そんなことないわ。あなた達は頑張ってくれた。それだけで十分よ」

 

 そう微笑むと一夏と静司の頭を優しく撫でる。慌てつつ顔を赤くする一夏と静司。そしてそれを見た背後の女性陣の眼つきが鋭くなると、ナターシャは「あらあら」と笑いその手を退けた。そして静司に視線を移すと、静司もぺこり、とお辞儀を返した。

 

「ふふ。また縁が有ったら会いましょう」

 

 最後にもう一度、微笑むとナターシャは手を振って静司達から離れていった。後に残された一夏達はしばし呆然としていたが、一夏が触れられた頭を触りつつぼやく。

 

「モデルみたいに綺麗な人だったな……」

「確かに。大人の余裕の様なものが……はっ!?」

 

 がしり、と一夏と静司の肩に細い指が食い込んだ。

 

「ふふふ、随分とデレデレと。金髪の淑女ならここに居ますわよ?」

「静司は金髪が好きなのかな? 嬉しいなあ?」

「くくくくく、斬る」

「私は何時でもよゆーしゃくしゃく~」

「私も余裕よ? 熱く燃えたぎる程に」

 

 後ろを振り向きたくない。しかしバスの乗車は進んでおり、逃げ道はもはや無い。一夏と静司は覚悟を決め、壊れた機械の様な緩慢さで振り向くのだった。

 

 

 

 

 一夏や静司達から離れたナターシャは目的の人物を見つけるとそちらに向かう。

 

「こんにちは、ブリュンヒルデ」

「久しいな」

 

 その人物とは千冬だ。ナターシャは千冬の横に並ぶと、何やら騒がしい一夏達へ視線を向け優しげに眼を細める。

 

「元気な子達ね」

「元気すぎて困っている位だ。そっちはもう動いて大丈夫なのか?」

「問題ないわ。元々私はあの子に守られていましたから」

 

 あの子。それは暴走したIS、銀の福音の事だ。

 

「あの子は必死に私を助けようとしてくれた。けどそれも叶わずに強制的に暴走させられ、強引なセカンドシフトまで行った。あの子の意識は喰われ、そして消滅した」

 

 ナターシャの雰囲気が鋭さを纏う。そこにあるのは確かな怒り。

 

「私は許さないわ。あの子を。それに私の仲間たちのISをあんな目に合わせたその元凶を」

「お前達にもあの画像は届いていたか」

「そうね。どこの誰かは知らないけど感謝するわ。それにあの黒いISの搭乗者にも。お礼が言いたいけど正体不明ですからね。貴方は知りませんか?」

「こちらが聞きたいくらいだ」

 

 そうですか、と残念そうに呟くとナターシャは用は済んだとばかりに身を翻す。その背中に千冬が声をかける。

 

「あまり無茶はするなよ」

「ご忠告ありがとうございます。ブリュンヒルデ。ですが、私は止まれそうにない」

 

 そう言い残すとナターシャは去って行った。

 

 

 

 

 

 都内某所。高級マンションの最上階。フロア一つを丸ごと部屋としたそこのリビングルームにカテーナとシェーリは居た。

 

 

「以上で報告は終わり。さて、感想は?」

「なかなか興味深いわね。それに貴方の推測が正しければ色々と面倒ね」

 

 カテーナの問いに答えたのは若く美しい女だ。薄い金髪は光に照らされ、きらきらと輝いて見える。すらりと伸びた体躯はまるでモデルの様であり、その容貌も同じく。そんな彼女は投影型スクリーンに浮かぶ情報を眺めつつ、薄く微笑んだ。

 

「IS適性はコアの気まぐれ。篠ノ之博士はISを任意に停止、暴走させることが可能。無人機の存在。そして謎の黒いIS。色々と厄介ね」

「その割には楽しそうねえ、スコール」

「あなたほどでは無いわよ。えっと、今はカテーナだったかしら?」

「それでもいいし、前回のエイプリルでも構わないのよねえ」

「ちっ、コロコロ変えてるんじゃねえ。エイプリルのままでいいだろ」

 

 そう毒づいたのはふわりとした長髪の女性だ。スーツを着ており、ビジネスウーマン、と言った姿だが、その目つきは鋭く、カテーナを射抜く様である。他にもこの部屋にはあと一人、壁に背を預け腕を組む少女の姿がある。

 

「いいじゃないオータム。春の天気は移り気なのよねえ。それに所詮コードネームでしょ? だったら偽名くらい幾つ持っても良い物よ」

「屁理屈コネやがって」

「文句があるなら相手になりますよ」

 

 そういってオータムを睨み返すのはシェーリ。二人は一触即発といった所だが、それを遮ったのはスコールだ。

 

「やめなさい。今はこちらの話が先よ」

 

 その言葉にオータムはしゅん、とした様に引き下がり、シェーリもまた一礼し下がった。

 

「さて、それで私が楽しい理由は、貴方が楽しそうだからよカテーナ。その様子だと対策はあるんでしょう?」

「ご名答。とは言っても今のところは篠ノ之博士対策なんだけどねえ」

「件の黒いISは?」

「これは単純に戦い方の問題です。あの黒いISが学園の生徒を護っているのは確実でしょう。そしてあのISはシールドを持っていません。そこを突けば」

 

 答えたのはシェーリ。実際の戦った事のある彼女が説明をするが、オータムが嘲笑する。

 

「負けた癖によく言うぜ」

「……いいでしょう。殺してあげます、今すぐに」

 

 再び二人が睨みあう。その様子にスコールとカテーナはため息を付いた。

 

「やめなさいと言ったでしょう二人とも。この話題は荒れるから後で良いわ。それでその篠ノ之博士対策というのは?」

 

 スコールの問いにカテーナは笑みを深くした。そして腕をゆっくりと横に伸ばす。掌を上に向けたそれはまるで誰かをエスコートするかの様であり、オータムが眉を顰め、スコールは面白そうに先を待つ。

 やがてカテーナの腕の先に光の粒子が舞う。それは量子化していたISが呼び出された時と同じ現象。やがて光はカテーナより一回り大きな人型へと姿を変える。

 

「これが篠ノ之博士への切り札となる、私たちの新しい仲間。フレームは急ごしらえだけど、今回は紹介だから用意してみたの」

 

 現れたのはIS。但し、その搭乗席には誰も居ない。

 

「無人機。彼女が世界を変える切り札よ」

 

 

 

 

 部屋での報告を終え、自らの研究室に戻るべくマンションの廊下を歩くカテーナとシェーリ。その背中に声がかかった。

 

「おい」

「ん? あら、エム。珍しいわね。貴方が私に用なんて」

 

 声をかけてきたのはあの部屋に居た最後の一人。エムと呼ばれる黒髪の少女だ。

 

「一つ聞きたい。あの黒いISの中身は本当に知らないのか?」

「……ええ。ごめんなさいね」

 

 カテーナは静司の事を報告していない。理由は単純。教えてしまうと次の作戦時にオータムがシェーリへの当てつけに行動しかねないからだ。シェーリは自ら決着をつける事を望んでいる。

 

「そうか。ならばいい」

 

 それだけを訊くとエムは踵を返す。しかしカテーナは何故エムがそんな事を聞くのかが不思議だった。

 

「何か気になる事があるのかしら?」

「お前達には関係ない」

 

 言い捨てるとエムは今度こそその場から立ち去っていく。その胸中にあるのは映像で見た黒いISの姿。

 

(似ている。Vプロジェクトの研究所にあった物と)

 

 自らの疑問を表に出さず、無表情で居るその姿は織斑千冬。そしてかつてとある研究所でCBシリーズと呼ばれた女性達と瓜二つであった。

 




臨海学校終了。にじファンの時から考えると正確ではないけれど3~4か月位?
長かった……

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