前回の終わりから、数時間前まで遡ります。
ハーマイオニーが冷蔵庫の食材から、遅い昼食を作ってくれる。ウォーリーも手を貸すが、下拵えだけしかさせて貰えなかった。
空腹故の食事だが、和気藹々とは行かない。常にディーンは杖を手にし、玄関口で見張りを続けた。
「いつ、産まれるの? 大変な時に押し掛けちゃったわね」
「来月だよ。元気な子でね、何度もドーラのお腹を蹴るんだ」
一瞬、「ドーラ」が誰か考えてしまう。そう言えば、テッドもそう呼んでいた。本当に2人は夫婦なのだと今更ながら、実感した。
いつも明るいニンファドーラは笑みを浮かべても、ハーマイオニーに答えず、普段の明るさがない。常に腹を押さえて不安げの様子は、こちらまで心配させられる。
「アルバスー、アルバスー」
ロンは食事中も居間のラジオを拝借し、周波数を弄る。昨晩の放送終了時に聞いておいた合言葉を囁いた。
《一日ぶりの皆さん、最新ニュースです! ハリー=ポッターがグリンゴッツ銀行へ金庫破りを仕掛けました!》
リーの溌剌とした声が聞こえ、ウォーリーは動揺して食後の紅茶を噴き出す。それは隣にいたハリーに盛大にかかった。
「金庫破り?」
聞き逃さなかったリーマスの目つきが据わる。4人はそっと目を逸らした。
《協力者は無事、逃げ切りました! 安全です。ハリー=ポッター、もしくは一緒にいる誰かが聞いていてくれたら、幸いです。協力者の方は安全を確保しています》
つまり、この情報提供者はビルかグリップフック、2人とも逃げ切った。それを察したロンは椅子にもたれ込んでまで、長い安堵の息を吐いた。
脳裏を掠めるのは、ジョージの顔だ。
ナプキンで顔の紅茶を拭うハリーを盗み見る。異変を感じない様子から、まだヴォルデモートの耳に情報は届いていない。
「食器はこちらで片付けるから、寝室で少し休みなさい」
作り笑顔のリーマスに勧められ、速攻、2階へ向かう。
「どう? 『例のあの人』から何か感じる?」
ハリーが扉に『耳塞ぎ呪文』をかけた瞬間、ロンは問う。ハーマイオニーはそんな質問をする彼を睨んだ。
「ロン。ハリーと『例のあの人』を繋げさせないで! 苦しまないだけで……痛みはあるんだから」
「大丈夫だよ、ハーマイオニー。今は何もない。多分、知らないんだ……杖を手に入れて浮かれ気分のアイツに誰が報告するんだよ……」
答えたハリーは皮肉っぽい口調とは裏腹に青褪めている。
「……ナギニの死を知られたのは……拙いかもしれない……。あいつは僕が金庫からカップを持ち出した理由に気づくし……、既にいくつかの『分霊箱』を破壊したのも理解する……」
そこから出る行動は、ベラトリックスと同じだろう。
「隠し場所に保管している『分霊箱』の無事を確認しに行くだろうな……。クリーチャーを屋敷から出して正解だったな、ロケットの偽物を見られたら……」
「そうね……洞窟の分はクリーチャーしか知らない。偽物にすり替わっていたなら、レギュラスが裏切ったと思うでしょうね……」
ウォーリーの言葉にハーマイオニーは続く。段々とロンまで顔色を悪くする。
「ちょっと待ってくれ……。ウォーリーが壊した髪飾りって、ホグワーツで見つかったんだろ?」
「正確には……ルーナが見つけてきたが……、スネイプは……私が髪飾りを壊したと知っているから、報告するかもな……」
ロンの言わんとする推測を知り、ウォーリーも恐怖する。
「ホグワーツの分……髪飾りが壊されていたと知ったら……その怒りは誰に向けられる? もう、クローディアはいないんだ……」
その先が言えず、ロンは自然と口を閉じる。ヴォルデモートの考えが読めるハリーは既に場を想像し、顔色は真っ青を通り越して白い。
今はイースター休暇により、何人かの生徒はいない。だが、コリン達のように残る生徒はいる。つまり、マクゴナガルやフリットウィック、『不死鳥の騎士団』も一緒だ。
「騎士団の力を借りて……コリン達を逃がそう……」
ウォーリーはそれ以外、思い付かない。3人も似たような考えだ。
「……ホグワーツに行く理由は、他にもある。今……思い付いたんだけど、本物のハッフルパフのカップは……クィレルが持っていると思う」
白い顔色のままハリーは告げ、ウォーリーの首筋の後ろが一瞬だけ、熱が走った。
「ハゲが……クィレルにカップを預けた?」
自然とキレ気味に問えば、ハリーは肯定した。
「多分……、あいつらは昔、『賢者の石』を盗む為にグリンゴッツの金庫を破った。もう銀行も完全には信用してなかったんだよ」
「……あの女は騙されていた……。剣の時と同様に……」
ハーマイオニーは寒気に襲われ、自らの肩を擦った。
ウォーリーはガマグチ鞄から、『憂い』入りの試験管を取り出す。私的にホグワーツへ行きたかったが、ある意味では一石二鳥だ。
「ハリー……、決断を」
逸る気持ちに試験管を握り、自分達のリーダーへ促す。3人の視線を受け、ハリーはウォーリーの手にある試験管をその拳ごと握り締める。それを活力にしたように顔色が戻って行く。
「行こう、ホグワーツへ」
居間に降り、ハリーはリーマスに『分霊箱』は省いて事情を説明した。
「生徒を全員、逃がす!? 無茶だ、ハリー。情報では城の外は『吸魂鬼』が護衛と言う見張りを行い、ホグズミードまで『死喰い人』が巡回しているんだ。もう『忍びの地図』にあった隠し通路は全て封鎖されているよ。第一、君達は何をしに行くの?」
「……ひとつは……ダンブルドアが託した任務がそこにある……。もうひとつはベッロが遺した物が何なのか知る為です」
任務と聞き、リーマスはハリー達の身を案じて眉を顰めたが、ベッロの名に驚いた。
「……では……『ポッターウォッチ』の言うようにベッロは君を助けたんだね? そして、君に何かを遺したんだね?」
「ベッロは僕らを助けてくれました。遺した相手は僕じゃなく、彼女です」
畳みかけられ、ハリーは正直に答え、ウォーリーは手にある試験管を見せる。リーマスは意外そうに彼女を眺めてから、気づいて狼狽した。
「……まさか、君は……ああ、なんて事だ……」
事態を把握したリーマスは歓喜に涙を浮かべ、口元を綻ばせる。
「リーマス」
ニンファドーラに服の裾を掴まれ、リーマスは我に返る。目尻の涙を拭い、表情が頼もしくなった。
「私はここを動けない。マッド‐アイも自分の任務で動けない。国中に散らばる騎士団の指揮はシリウスが取っている。彼をここに呼ぶがいいね?」
反応を見ず、リーマスは居間を出て行く。連絡手段が別室にあるのだろう。
玄関からの騒々しい音で全員、条件反射で杖を持つ。ロンはニンファドーラを護るように前に立った。
「トト! 皆、トトだよ!」
歓喜の報せにウォーリーは我先に駆け寄って乱暴に戸を開く。安心に表情を綻ばせていたディーンは彼女の気迫に言葉を失った。
「ウォーリー、息災かの?」
「ホグワーツに行きたいんだ。力を貸してくれ」
再会の挨拶にウォーリーは答えず、率直に頼む。ディーン共々、トトも驚きを見せる。追いついたハリーが簡潔に事情を説明した。
「生徒の避難は相分かった……それと君達が行く理由はなんじゃ?」
ハリーは答えを躊躇う。ディーンが目の前におり、トトに『分霊箱』の存在を言うわけに行かない。そんな彼の気遣いをウォーリーは無視した。
「クィレルが持っている」
ピクッとトトの眉が痙攣した。
「ならば、クィレルを誘いだせばよかろう。ホグワーツにわざわざ行く必要はあるまいて」
「許しは入らない。協力しろと言っているんだ」
ウォーリーは睨むつもりはないが、トトへ凄んだ。
一触触発の雰囲気で行われる短い言葉のやりとりにディーンは困惑し、目線でハリーに助けを求めた。
「トトさん、……ベッロが……死にました」
ハリーは視線でディーンを居間へ下がらせ、台所のニンファドーラに聞こえないようにトトの耳で囁いて報せた。
「知っておる」
眉ひとつ動かさず、トトは答えた。
「ベッロは私に『憂い』を残した。私は『憂い』を知らなければならない」
ウォーリーは手にある試験管を見せる。一瞥したトトは呆れて溜息を吐く。ハリーはそれに焦り、重ねて願う。
「トトさん。事情は言えませんが、今日中にあいつはホグワーツへ行くでしょう。そうなれば、クィレルはご主人の命令により、持っている物を動かしてしまいます」
「じゃがな。今、行ってクィレルからそれを奪えたとしても、逃げきれんじゃろう。城にて彼奴を迎え撃たねばならん。ダンブルドアの使命を終えておらん状態で彼奴に会うのは得策ではないと思わんか?」
ハリーは一度目を伏せ、一秒にも満たない刹那、瞑想した。
「いいえ」
迷いのない宣言を聞き、表情を変えないトトの指が上を向く。そう認識した時、景色が変わった。
ヴォルデモートと相対したノスタルジア・ホール。現在、解体されて建物は存在しないはずだ。
この場所は本物ではないが、圧倒的現実感は幻とも違う。これは以前、体感した。
天井の照明が3人を照らし、何処からともなく、音楽が耳を打つ。スピーカー音とは違う生の演奏、観客のいない舞台の始まりを予感させた。
「これは……ベンジャミンの交響曲」
ラジオ、『楽団部』の演奏、映画にて何度も聞いた。
「ハリー。どうしても、ホグワーツに行くか?」
周囲の変化に狼狽えつつも、警戒を怠らないハリーにトトは問う。
「行きます」
「なれば、一騎討ちを申し込む。お主が知る最も強力な魔法を打ち込んで参れ」
音楽に乗せられ、芝居がかった宣言は肌にも伝わる威圧感で本気だ。
――1対1、魔法使いの決闘。
ハリーが行ったまともな決闘と言えば、ヴォルデモートを相手にした夜だけだ。だというのに、彼は緊張のあまり頬へ汗を流しても、承諾して頷いた。
皺だらけの逞しい手がウォーリーへ差し出される。
「杖を貸せ。どちらの杖でも構わん」
言われてから、気づく。トトが自分の杖を持つ姿を見た事がない。こんな状況でも取り出さないのは、持っていないのだ。
(……相性の良い杖がないから……?)
トトの手が急かしてくる。躊躇うウォーリーの肩へハリーは深刻な表情で促した。
一瞬、間を置く。ポケットからドリスの杖を取り出し、トトへ渡す。彼女の杖ならば、ハリーを助けると信じた。
ウォーリーは2人から離れ、見守れる位置まで下がる。立会人は勝手に自分だと決めた。
ハリーとトトは程良い距離まで後退し、お互いを真剣な態度で見つめ合う。そして、敬意を込めて一礼。それを合図とし、音楽が止まった。
風の音も聞こえない。無音状態。否、心臓の音がうるさい程に耳へ響く。
(今……ハリーの知っている……強力な魔法……)
殺傷力が高い魔法と言えば、セクタムセンプラが思い付いた。
しかし、ハリーのその身に刻んだ闇の魔法を彼が使うとは思えない。ウォーリーは縋る気持ちで試験管を握った。
重んじる宗派を持たぬ身で、ウォーリーは神に祈る。どちらも失いたくない欲張りな祈りを聞き届ける神がいるとは思えないが、祈った。
殺意なく、敵意のない2人は杖を下げたまま、動かない。
一分か、それ以上経つ。先に動いたのは、ハリー。彼が杖を構え、唇を動かすのと同時にトトは眼前に杖を立てて構えた。
「エクスペリアームズ! (武器よ去れ)」
喉が裂けんばかりの一喝。紡がれた『武装解除の術』通り、杖はトトの手から弾き飛ばされた。
――カタンッ。
ウォーリーのいる反対側、照明の届かぬ暗闇へ杖は音を立てて、落ちた。
呆気に取られたトトは自分の手をしばし見つめ、杖が落ちた方角を見やった。
ハリーはこれまで多くの魔法を学んだ。
今、この場においても最も強力な魔法と言われ、己が最も得意とする魔法を放った。命を奪わず、相手を傷つけず、武器を取り上げるという防衛術においても初歩的な魔法。それを教えたのもスネイプだとハリーは意識すらしていないだろう。
「ハリー……。あんたこそ、偉大な魔法使いだ……」
感極まり、ウォーリーは賛辞を呈する。ハリーには聞こえぬか細い声だ。
もしも、ムーディならば「もう『武装解除の術』の段階は過ぎた」と叱責するに違いない。しかし、トトは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
眩しかった照明は幕引きを教えるように明るさを落としていく。やがて、ホール全体を穏やかに包んだ。
「もう……わしから、教える物は何もない」
心音が穏やかになる程、満足げな表情は完全にダンブルドアの面影を写す。ウォーリーの目の錯覚ではない。ハリーも驚愕に目を見開き、言葉を失っていた。
照明が一斉に消えたかと思えば、場所は一変して元の玄関に戻る。ウォーリーの手には渡したはずの杖が握らされていた。
一瞬、困惑したがウォーリーとハリーはお互いの顔を見合わせ、知らずと安堵の息を吐いた。
「……今……何でもない。気のせいだ……」
案の定、見抜かれている。しかし、ハリーは眼鏡の縁を押さえ、そう結論付けた。
肝心のトトは別室から現われたリーマスと話し込んでいた。
「今、城におる生徒は15人じゃ。ネビル=ロングボトム、シェーマス=フィネガン、アーミー=マクミラン、エロイーズ=ミジョン、ビンセント=クラッブ、グレゴリー=ゴイル、アンソニー=ゴールドスタイン、パドマ=パチル、パーバティ=パチル、コリン=グリーピー、マルコム=バドック……省略、その分、監視も厳しく、常にカロー兄弟が張り付いておる」
半分以上、DAの面子だ。
「カロー兄弟を退いて……封鎖された抜け道をどうにかし、尚且つ、ホグズミードの『死喰い人』を……」
「堂々と正面から行けないかな? 取引を持ちかけに来たとか言って」
話に割り込んだロンに2人は生暖かい視線を送り、ハーマイオニーはそっと彼の肩を優しく叩いた。
「厨房の『屋敷妖精』の彼らに脱出を頼みましょう。妖精ならば、魔法族の『姿くらまし防止術』は通じません。一緒に逃げて貰います」
「流石、ハーマイオニー。私では思い付かなかった」
ハーマイオニーの意見にリーマスは感心する。
「脱出は一斉に行うとしても、問題は潜入か……」
ホグズミード村という単語から、ウォーリーは『ホッグズ・ヘッド』の主人アバーフォース=ダンブルドアを思い付く。
「『ホッグズ・ヘッド』は今も店をやっているか?」
唐突に問われ、トトとリーマスは口を止める。ハーマイオニーは閃いた。
「ダンブルドアの弟! アバーフォースね! もしかしたら、彼ら兄弟だけしか知らないホグワーツへの抜け道があるかも!」
「しかし……アバーフォースは……」
諌めようとしたリーマスをトトは手で制する。
「ロンが言うように、わしが正面から堂々と城へ参ろうぞ。その間に潜入ぐらいはやってのけろ」
おおげさに肩を竦め、トトは半笑いで言ってのける。完全な嫌味にウォーリーはイラッとした。
「ディーン、ガリオン金貨は持っている? DAの……」
ハリーのいきなりな質問にディーンは当然とポケットから出す。
「それは使わないでくれ。ドラコがルーナの分を持っているんだ」
「げっ!」
ロンの呻き同様にディーンも顔を歪めた。
「貴女の鞄にも水筒を入れておいたわ。準備OKよ」
まだ疲れの残った様子だが、ハーマイオニーは放置していたガマグチ鞄を投げて寄こす。彼女のビーズバッグはしっかりと肩にある。
「シリウスは待たないの?」
「待たない、時間が惜しい」
ロンに返し、ハリーは躊躇いもなく扉のノブに手をかけた。
「ハリー」
弱弱しくも明るさのある声に全員、振り返る。ニンファドーラだ。リーマスが甲斐甲斐しく手を貸しながら、彼女はハリーの傍まで歩いた。
「ハリー、貴方がこの子の名付け親になって」
内容に驚きすぎたハリーは言葉ではない変な声を上げる。言うなら今しかない。そんな迫力がニンファドーラから伝わった。
「僕……じゃなくても、……マッド‐アイが……」
「ええ、ずっと悩んだでいたわ。名付け親を誰にお願いしようか……頼みたい人がいっぱいいる……」
眉間にシワが寄せられた困り顔をし、ニンファドーラの悩みは本当だとわかる。沈黙の理由はそれだった。体調不良やウォーリーにはわからぬ妊娠の負担は何も関係なかった。
(……トンクスらしいな……)
ウォーリーは思わず、微笑む。確実な危険が待つホグワーツへ乗り込む緊張感が解れる。少し肩に力を入れすぎていた。
「いいじゃん、名付け親」
「おめでとう、名付け親」
ロンとディーンにからかい半分に祝われ、ハリーは照れて耳まで真っ赤になった。
「だから……というのも、なんだが……次に会える時はこの子を抱いてくれ」
リーマスは再会を願う。ハリーだけでなく、元教え子達と部外者2人へも向けられる。
「それは最低でも、来月まで顔を合わさないと言うことか?」
「新生児を抱きまわすのは良くないわ。それに産後のトンクスにも負担だわ。最低でも3ヶ月は安静にしないと、分かっている人が少ないけど、妊娠は骨盤を骨折している状態なんですからね」
ウォーリーは素朴な疑問を口にし、ハーマイオニーは真面目にリーマスを叱った。
「……わかった……参考にしよう」
まさかハーマイオニーから叱られると思わず、リーマスも真剣に返す。
「急いどるんじゃないのかね?」
呆れた口調で言い放たれ、4人は反射的に背筋を伸ばす。
「良いか? 『ホッグズ・ヘッド』の裏手までは繋げてやろう。わしが出来るのはそこまでじゃ」
「ありがとう、トトさんも気を付けて」
我が子の誕生を待ち侘びる夫婦へ再会の約束をし、トトが開けた扉を我先に出た。
視界より先に、靴越しに触れる石畳への踏み込みを認めた。
家の外だが、そこは水溜りの家の外ではない。大通りから逸れた脇道にいる。民家が密集し、4人のいる場所は影になっていた。
「……ど……」
感嘆の声を上げようとしたロンの口をハーマイオニーは手で塞ぐ。ウォーリーも人差し指を唇に押し当て、ハリーへ沈黙を求める。どうやら、2人はトトの突然の移動魔法を経験済みだ。
まずは周囲の様子を窺い、ハリーは深呼吸してから民家の裏口を杖でコンコンッと叩いた。
しばらくしてから、戸が開く。顔を出したのは予想通りの『ホッグズ・ヘッド』の主人であり、アルバス=ダンブルドアの弟、アバーフォース。彼の顔を見て、『ホグズミード村』に無事に移動できたと安堵した。
「良い時に来たな。サッサと入れ。2階へ行け」
全く歓迎していない鋭い眼光は顎で招いてくれた。
まだ陽も高く、営んでいるはずの店内には誰一人として客がいない。相変わらず不衛生に汚いが、卓と椅子をそれなりに構えた状態は休業中には見えない。
カウンターの奥にある扉を通り、安定感のない階段を上がった。
掃除が最低限しか行き届いておらず、家具やカーペットも古い。小さい暖炉の上には肖像画が飾っている。住人の少女は魔女だろう。絵の中で吹く風に髪が靡いている。しかし、珍客にも目を向けずに立っているだけだ。
「あの……ありがとうございます。突然、押しかけたのに……」
「ああ、全くだ。クリーチャーに連れて行かれたドビーはどうした?」
部屋に入ってきたアバーファースは礼を述べるハリーに問う。ドビーの名には驚いた。
「ドビーは無事です。僕らには出来ないお願いをしてもらっています。ドビーは此処にいたんですか?」
「ああ、お気に入りだとも」
しかめっ面の隙間から安堵が見える。本当にアバーフォースにとって、ドビーは大切のようだ。
「……何かあったんですか? 昼間なのに店も……外も静かすぎます」
ハーマイオニーの質問にアバーフォースは面倒そうに椅子へ座り、皆にも適当に寛ぐように勧める。しかし、5人もいる事を想定されていない部屋は正直、立っているだけで窮屈だ。
「君らが来る本当に10分前くらいか、ドラゴンが村の上を飛んで行きおった。誰も彼もが追いかけて行ったぞ。なんでも、ポッターとグリンゴッツを破壊してまで逃亡したウクライナ・アイアンベリー種らしい。今頃は暗黒の森か、ホグワーツか……まあ、どうでもいいが……」
ウォーリーは嫌な汗を掻いた。
「ハグリッドが喜ぶな」
「そのハグリッドはグロウプと山の洞穴に引きこもっちょる」
ロンに返すアバーフォースはハリーを睨む。
「君らが来ると5分前に連絡が来た時は、正気を疑った。まさか、そのドラゴンを追いかけて来たんじゃな……」
「ホグワーツに行かなければいけないんです」
アバーフォースが言い終える前にハリーは断言した。
「馬鹿を言うんじゃない」
また始まったやり取りにウォーリーはうんざりした。
「ダンブルドアさん。トトさんが私達をここへ行かせてくれたんです。彼はホグワーツで時間稼ぎしてくれています。もしも、城への抜け道をご存知なら、教えてください」
ハーマイオニーは丁寧にそう告げるが、アバーフォースの眼光は鋭くなった。
「あの爺がいるなら、これからしようとしている事も任せればいいだろ! あの憶病者にはその責任がある!」
「どういう意味だ? 自己紹介が遅れたが、私はそのトトの弟子でウォーリーだ。師匠の侮辱は許さんぞ」
聞き捨てならい台詞にウォーリーは頭に血が上る。ハーマイオニーに肩を擦られ、宥められる。
「爺の弟子ね……。そりゃあ、失礼した。君はご存知かな? 爺の孫だった女の子の話を……。爺は去年、孫を殺された……。『例のあの人』の最も忠実な部下に……」
皆、沈黙で答えた。
「でしゃばりすぎたんだ……だから、孫を殺された……あの爺はわかっていたはずだ。だというのに、孫を逃がそうともしなかった……。可哀想に……あの子はな、二度も先生に裏切られたんだ。1人はクィリナス=クィレル。もう1人はセブルス=スネイプ。こいつらは今でも、城で教鞭を取っているぞ! 『例のあの人』に功績を認められてな! 俺の兄が偉大な計画を実行している時には、決まって他の人間が傷ついた者だ。兄を偉大だと愚か者は多い! それだけの責任と義務も確かに負った! だが、君の先生はそんな兄を上回っている! なのに今も昔も、知らん顔だ! あの爺が立ち上がってくれれば、これ程の犠牲もなかっただろう!」
怒っている。
トトに対し、アバーフォースは純粋な怒りを抱えていた。
「グリンデルバルドか……」
思い当たるのはそれだけ、今度はウォーリー以外が驚いた。
「……そういえば、トトさんってダームストラング校よね? もしかして、グリンデルバルドと同世代なの……?」
「……言わなかったか? グリンデルバルドが在学中に起こした殺傷事件の被害者だ。……被害者の1人か?」
雷に打たれた反応され、失念を認めた。
「そうよ! ワイセンベルク大臣がトトさんを信頼しているはずだわ。なんて……初歩的な点に気づけなかったの……」
真剣に悔しがるハーマイオニーにロンは必死に宥めた。
「……誰から聞いた? ダンブルドアはトトがダームストラング生だという以外は知らないはずだが……」
「イゴール=カルカロフが……その大臣さんに問い詰めていたんでな。あいつらは俺がブルガリア語を分からんと思っていたんだろう。ペラペラとお喋りしておいでだった。グリンデルバルドが台頭した時、トトがいれば、ダンブルドアの名誉は彼の物だったとかなんとか」
ワイセンベルクが自慢げにトトを誉め称える姿が目に浮かぶ。
「それは結果論だ。トトは戦いに参加しなかった」
「そうだ! 爺は戦いを放棄した! 俺の兄がグリンデルバルドを倒すまで、どれだけの犠牲が出た。奴らは『より大きな善の為』とか抜かしていやがったが、君の先生はグリンデルバルドに大勢が殺されても、何もしなかった! 本当に、何ひとつとして! その責任を果たすべきだ!!」
肩で息をするほど、アバーフォースは大声を張り上げた。
「ダンブルドアさん、その犠牲とは妹のアリアナさんですか?」
ハーマイオニーは肖像画を一瞥し、遠慮がちに問う。
「……スキータの本を読んだな。妹は6歳の時、くそったれなマグルに襲われ、魔法の制御が出来なくなった……」
本にも記されてない当時の悲劇というにはあまりにも残酷な真実が語られた。
父親の逮捕は正当防衛から来る過剰防衛。魔法学校にもマグルの学校にも通えず、家に軟禁されていたアリアナは病気ではなく、扱いきれない魔力の暴走を周囲に隠す為だった。知られれば、妹は病院へ幽閉されるからだ。
そうまでして娘を守り続けた母親の死は、その暴走による事故。
若い兄弟は妹の看病の為、外の世界と切り離された生活を送った。弟は妹の為なら、苦ではなかった。兄は違った。文通を利用し、同級生や著名人との連絡を絶やさなかった。
結果、グリンデルバルドは訪問してきた。
意欲溢れる2人は意気投合し、魔法族の利益の為に壮大な計画をした。勿論、弟は断固反対した。
怒り狂ったグリンデルバルドは杖を抜き、アバーフォースは自衛に杖を抜き、アルバスは仲裁の為に杖を抜いた。
「妹は死んだ……」
涙の混じった声が話の終わりを告げ、ウォーリーは涙した。
ハーマイオニーも涙に顔を手で覆う。ロンは青褪め、ハリーは無表情だった。
ウォーリーは兄が弟に使命を託さなかった理由がわかっても、それに対する適切な言葉は浮かばない。後悔、罪悪感、どれも違う。
「爺が強いというなら、何故、兄を訊ねる前に……奴を倒してくれなかった」
その嘆きをウォーリーは知っている。かつて、似たような言葉を用いてトトを責めた。
目の前の老人は何十年も妹の死に対し、兄を責め続けた。
兄が亡くなったと思っている今、その責めの対象をトトへ切り替えた。
思えば、ワイセンベルクもスタニスラフもトトを責めなかった。きっと、彼らは戦いの悲惨さを知っているから、生存してくれているだけで嬉しかったのだ。
何故、参加しなかったのかと問われても、トトとその話をした事はない。彼が世界中を旅していたのは、ボニフェースがホグワーツを卒業した後だ。
〔……違う〕
日本語で呟いてから、パズルのピースが埋まっていく。勘違いしていた部分が改められる。
「養父だ……」
写真で見ただけの和装の似合う厳格な老人。
涙を手で押さえていたアバーフォースは反射的に顔を上げ、言葉の続きを求めた。
「トトの養父は……魔法使いに唆されてその身を蝕む呪いを受けていた……。学校を去った後……トトは養父の呪いを解く為だけに生きていたんだ……。何年も何年も……どれだけの犠牲が出ようが……トトには関係なかった……。戦う時間があるなら、一刻も早く養父を助けたかった……」
ボニフェースを造ったのは命令ではなく、シギスマントの遺品から呪いを解く手段を得んが為。何もないと知り、時間を優先して適当に『ホムンクルス』を造った。
やがて、イギリス国内を調べ尽くしたトトは国外へ向かう。時期は偶々、連絡を絶っていたのは邪魔をされたくなかったからだ。
「貴方とは立場も違うが……トトは家族が大切だったんだ……」
似たような境遇。しかし、同じではない。だが、どちらも家族を愛していた。
「それに……彼の孫は生きています。姿形も変わってしまいましたが……」
ウォーリーは静かに告げる。アバーフォースの涙はとまり、意味を理解して愕然と目を見開いた。
孫の名は死んだ。それにより、誰が悲しもうが関係ない。魔法省の目を欺くなど、どうでもいい。大事なのは孫の命だけだったのだ。
いつだって、トトはクローディアに逃げ道を示してくれた。
「……その養父はどうなった?」
明確な死を伝えられいないが、そういう意味合いの答えは聞いていた。
「逝ってしまいました。呪いから解放されて……」
答えを聞き、アバーフォースは安心しているように見える。短い時間で彼は心根の優しい人という印象受けた。でなければ、顔も知らぬたった今耳にした男の身を案じたりしない。
「ダンブルドアは……僕に逃げてくれと言いました……」
ずっと沈黙していたハリーは思い返したように呟く。
「僕が生きていてくれるなら、顔を知らない大勢がどうなろうと……知った事じゃないって……」
それがダンブルドアの本当の願い。しかし、ハリーは戦う為に残った。
「……それでも、城へ行くか……」
アバーファースは今までと違い、とても穏やかな声を出す。ハリーは頷く。老人は椅子から立ち上がり、肖像画へと歩み寄る。
「おまえはどうすれば、よいかわかっているね」
妹を思いやる兄の顔をし、そう語りかける。アリアナは微笑み、後ろを向いて歩きだす。額縁の外に行く人ばかり見て来たので、新鮮だ。
「これは……」
ロンが言いかけた瞬間、ハリーの様子が変わる。唐突に椅子へ座り、目を見開いて部屋の中の何処でない場所を見つめていた。
ヴォルデモートと確かに意識が繋がっている。だが、以前のように痛みに苦しんでいない。ハリーの眼鏡が夕方に染まる茜色の空を映していた。
アバーファースはハリーの様子に気づかず、肖像画の後ろがホグワーツに繋がる唯一の隠し通路と説明した。
ハーマイオニーとロンもハリーの異変に気づいていたが、アバーファースに悟られるように肖像画に見入るフリをし、ウォーリーに視線で任せて来た。
ウォーリーはハリーの傍に座り込み、彼の手を握る。手は常温で心音も穏やかだ。
「気づかれた……」
曖昧な言い方では、差し迫った状況は掴めない。
「ハリー。ちょっとだけ……レジリメンス」
『開心術』。彼が何を見ているか、知る。本来、他人の心を覗くのは嫌だ。
緑の瞳が赤茶色の瞳と重なり、赤い瞳が見据える光景を脳髄へ伝えた。
つい先ほど、訪れた銀行のホールに横たわる屍の数々。ヴォルデモート以外、誰も息をしていない。
臓物が刺激され、胃が痙攣して喉まで酸が届きそうになる。ハリーの手の感触が頬にあり、堪えた。
「確かに気付かれた……カウントダウン開始か……急ごう!」
「うお! ……どちら様?」
喉の熱さを誤魔化そうとウォーリーが叫んだ瞬間、肖像画が戸のように開く。そこにいたネビルが叫び声に驚いてそれ以上の変な声を上げた。
ネビルの顔にあるいくつもの傷は声以上に変だ。
「僕の仲間、ウォーリーだ」
椅子から立ち上がり、何事もないようにハリーは答える。
「ネビル。会えて嬉しいけど、伝言は使わないでくれ。ルーナの分をドラコに取られているんだ」
「げっ、嘘だろう……。もう、ジニーに知らせよう思って使っちゃった……」
「油断大敵すぎだろ!」
ロンの怒鳴られ、ネビルは開き直った。
「ロングボトム。ポッターをマクゴナガルの元へ連れて行け。後から、ブラックも来るぞ」
アバーフォースに言われ、ネビルは手ぶりで応じた。
薄暗いトンネルはまるで学校創設の頃からあるように古び、壁の真鍮のランプが歴史を物語っている。
「生徒はカロー兄弟に見張られているって聞いたけど」
「はは、ドラゴン騒動で僕らに構ってられないよ。スネイプがカロー兄弟を連れて、山狩りさ。クィレルとジュリアは残っている。『吸魂鬼』もたくさん。『透明マント』は持ってきているよね? 正直、ドラゴンが来た時は君達が来てくれたって思った」
ハリーとネビルが話す中、ハーマイオニーはウォーリーに耳打ちする。
「さっきの貴女……ハリーに何していたの?」
「『開心術』でハリーが見た光景を確かめてました」
疑り深い視線に敬語で返す。ハーマイオニーは眉を潜めたが、急に考え込みだす。
「ねえ……どうして、ハリーは『例のあの人』と繋がると傷が痛むのかしら? 『開心術』を仕掛けても、どちらも苦しんだりしないでしょう?」
確かに心が繋がっただけでは、苦痛はない。トラウマを掘り起こされたりするが、その程度だ。
「それは絆が……魂の繋がりがあるからだろ? ハゲが意図せず、能力を分けたから蛇語がわかるようになった」
ウォーリーの答えにハーマイオニーは足を止め、前を歩くハリーの背を凝視した。
「……ハリーは能力を分け与えられたんじゃないわ……。魂よ」
戦慄したハーマイオニーの言わんとする意味をウォーリーは言葉通りに受け取り、ゴドリックの丘の惨劇を思い返す。ヴォルデモートはハリーの両親を殺した後に、赤ん坊の彼に杖を向けた。
『分霊箱』の準備は整っていた。
残酷な事実に、ウォーリーは全身から血の気が引くのを感じた。
「2人とも、置いて行くよ」
心配したロンの声が耳に聞こえても、反応できない。ハリーに伝えるべきか、ウォーリーは重すぎる問題に体は完全に硬直してしまう。
「ええ、今行くわ!」
震える声でハーマイオニーはロンに返す。
「ハーマイオニー……」
「私が伝えるわ……。本当はハリーが自分で気付くべきなんでしょう。けど、時間がないわ」
いつも、重要な情報をハーマイオニーは抱えている。賢明故に気づかぬ些細な事柄から、推理してしまう。ハリーも同じだ。
「ハリー!」
切羽詰ったウォーリーに叫ばれ、ハリーは出口とも言える扉から離れた。
ハーマイオニーが腕を掴んででも、ウォーリーを止めようとしたが無視した。
「ハリー、教えて欲しい。もし、もしも、カップを……カップをあんたの額の傷に投げつけたら、壊れるか?」
一緒に聞いたネビルは頓珍漢な質問にロンへと視線で意味を問う。ハリーの相棒はウォーリーの様子から、全てを察した。
ハリーは薄暗い場でもわかる程、狼狽して緑の瞳を泳がせる。そして、縮みこむようにひゅっと息を飲んだ。
扉の向こうは『必要の部屋』。
しかし、見た事のない形だ。窓はないのは勿論だが、美しい木目は船室の印象もうける。板壁には4つの寮のタペストリーが掛けられていた。
「最初は僕だけだった……人数が増える度に部屋は大きくなっていったんだ。けど、部屋がどんなに便利になっても、食事だけはなくて……。ご飯が欲しいなって思ったら、この道が出来て『ホッグズ・ヘッド』に繋がった」
色とりどりのハンモックがネビルだけの秘密基地ではないと教えた。
「ハリー! パドマの言うようにドラゴンは君の仕業かい!?」
ちょうど、アーミー=マクミランが部屋に入り、ハリー達の姿に驚きながら再会を喜んだ。
「えーと、君は?」
「ウォーリーだ」
ハリーに再会の抱擁をした後、アーミーはウォーリーに挨拶した。
「僕は……ネビルとマクゴナガル先生の所に行く……。アーミー、ロンとハーマイオニーをクィレルの事務所へ……」
「駄目駄目、スプラウト先生からの用事という理由で監視を誤魔化してきたんだ。君達は全員、マクゴナガル先生の事務所へ行くんだ。それを合図にコリン達を脱出させると言っていたよ」
アーミーはネビルが皆を迎えに行っている間に変わった状況を説明する。日が暮れる為、本日の山狩りは中止。スネイプとカロー兄弟は城へ帰還してきた。
そこへ突然、現われたトトが『吸魂鬼』と追いかけっこを始めた。「復活祭万歳!」と喚きながら、無数の卵を投げつけている。とんでもない奇行に『死喰い人』は追われている。
「僕とネビル以外は、もう厨房に集められているよ。城の外じゃなく、城の奥へ避難させられたんだ。クィレルは疑いもしなかった。今の見張りはジュリアとクラッブ、ゴイルだけだ」
「おいおい、君達も逃げろよ! 『例のあの人』がここに来るんだ! 戦いになる!」
ロンは困惑の声を上げる。
「逃げるのはコリン達だけだ。僕達が残る意思をマクゴナガル先生はわかってくれた。クラッブとゴイルは説明は受けていないけど、……一度は外に出すよ。学校で何かあったら、機会を与えてくれって、ダフネとの約束だしね」
ネビルは武者震いを起こし、若干、引き攣った笑みを見せる。余裕そうに見ても彼も、怯えている。
「わかった。だったら、尚更、ウォーリーは校長室を頼むよ。マクゴナガル先生の計画に、彼女は数に入っていないから、問題ない」
今にも倒れそうな表情でハリーは与えられた台詞を読み上げるように指示してくる。ウォーリーは頷くしかない。彼がこれ程、精神的に追いつめられるとわかっていたが、実際に目にして臓物が縮み上がった
立場を理解し切れない。その情況を察し切れない。
「ハリー。コリン達の脱出が上手く行けば……『ほとんど首なしニック』を伝言に寄こしてくれ」
一瞬、『灰色のレディ』たるヘレナをお願いしようとしたが、追い詰められたハリーの精神状態では少しでも親しみのあるサー・ニコラスが良い。
「幽霊……、ポルターガイスト……」
夢遊病のように呟き、ハリーは承知してくれた。
見慣れた石壁はもう何年も訪れていないかのように、懐かしさで心を打つ。
そこをウォーリーは影の姿で駆け抜ける。窓の付近や中庭を通る度、箒に乗った『死喰い人』が箒を持たず、ピーターパンのように飛び回るトトを追いかけていた。
そのトトは『吸魂鬼』を追い回す。慌てふためきながら、金魚掬いから逃げる金魚のように黒い外套はバラバラに逃げ惑う様子は、滑稽だ。
廊下の天井まで届くガーゴイル像は校長室を護る門番。
合言葉を言わぬ者は決して通さぬ。今の校長はスネイプだが、ダンブルドアはウォーリー……クローディアの為に開けさせてくれる。
〔チチンプイプイ!〕
日本語の叫びに応じ、ガーゴイル像は螺旋階段を出現させた。
誰に見られても構わず、ウォーリーは階段を段飛ばしに突き進む。何度もノブを回した扉に手を掛け、開いた。
何も変わらぬ家具の配置。
ただ、歴代校長にダンブルドアの肖像画が加えられている。彼らは突然の珍客に歓迎のような好奇心に満ちた視線を向けて来た。
「こんばんは、校長先生方。『憂いの篩』を貸して下さい!」
腰を曲げて頭を下げる。全ての校長がある棚を指差した。
戸棚が勝手に開き、器のない水が室内の灯りを反射して浮かぶ。よく見れば、水のような器だ。刻まれたルーン文字から『憂いの篩』だと理解し、ウォーリーは試験管を手にして棚へ近寄ろうとした。
妙な気配を感じる。肖像画の視線とは明らかに違う。幽霊かとも思ったが、これは生きている者の気配だ。
校長の椅子。その奥を睨んだ。
「誰だ? 悪いが、今は神経が高ぶってんだ。加減してやれる気がしないぞ」
脅す口調で問いながら、影が床を這わせる。感覚だけだが、椅子の向こう側には寝室の存在を知る。そこにいる人物は億劫そうに寝台から起き上がり、手に持つ剣を床に引きずらせながら姿を見せた。
「ドラコ……マルフォイ……」
居残った生徒にドラコの名はなかった
健康状態でありながら、常に顔色が青白い。制服を着崩したまま、今まで眠っていた様子だ。五月蠅い客人がウォーリーだと知り、ドラコの虚ろな目つきに光が宿った。
「クローディア……」
呼ばれた名にウォーリーはゾッとした。
何故、見抜かれた。マルフォイ家の屋敷での出来事を必死に思い返すが、思い当たる節が全く見当たらない。
儚げに笑い、ドラコはウォーリーとロンが作ったグリフィンドールの模造刀を手放す。丸腰状態で近寄り、繊細な硝子に触れるような手つきで、彼女の頬を撫でた。
冷たい指先にウォーリーは足を一歩、後ろ下げた。
「偶然、この星で生まれ、偶然、この国に生まれ、偶然、同じ性別に生まれた。赤の他人」
悪意のない手つきと共に紡がれる言葉。
屋敷で吐いた台詞だと思い返す。それだけで、ドラコはウォーリーがクローディアだと見抜いてしまったのだ。
「あんな状況で、そんな台詞が出る奴なんて、そうそういるもんか……。クローディア……」
もう片方の手で残った頬を撫でる。額を押しあてられ、長い睫毛は涙に濡れていた。
「私が誰かわかっていて……剣を買ってくれたのか……」
確かめるつもりはなかったが、ウォーリーは問う。ドラコは沈黙で答えた。
きっと、クローディアの生存も誰にも明かしていない。ベッロを匿っていた時と同様に秘密にしているのだ。
「……ベッロは埋めて来た……」
ドラコの唇が触れるか触れないかの距離まで迫り、教えた。
「そっか……」
動きを止め、ドラコの頬に哀惜の涙が流れた。
「……ベッロを助けてくれて、ありがとう。あんたに助けられて、あいつも嬉しかっただろう」
自分より背の高いドラコの頭に手を伸ばし、絹のように美しい髪を撫でた。
「厨房に行って、脱出してくれ。間に合わなくても、この城から逃げろ」
心から願う。
涙を流したまま、ドラコの唇は動きかけてとまる。
「剣は返すよ……」
直後、ドラコの唇はウォーリーの唇に重なる。重なっただけ、触れるだけの浅い口付。拒まなかったのは、以前と同じ意表を突かれたからだ。
ドラコが去るのを見届けず、ウォーリーは『憂いの篩』へベッロの『憂い』を垂らす。銀色の渦が出来たなら、後は頭を入れるだけだと、以前、ハリーは話してくれた。
いざ、目の前にある渦に緊張して鼓動が速くなる。本当に自分が知っても良いものかと、ウォーリーは少しだけ悩んだ。
「怖いかね?」
ダンブルドアの肖像画が初めて口を開く。問いかけというより、ウォーリーの背を押してくれている。不思議と本物の彼から励まされたように心臓の脈を濁した不安は消えた。
「怖いですが、行きます」
空のように深い海のように穏やかな碧いを見返し、ウォーリーは水盆へと頭を入れた。
閲覧ありがとうございました。
アバーファースがイゴール=カルカロフとワイセンベルク大臣の会話を聞いたのは、最後の試練があった前の晩です。
スネイプの多忙な一日。
ヴォルデモートが最強の杖を手にし、悦っている中にグリンゴッツの知らせ。
その数時間後にドラゴンの来襲により山狩りへ。