ハリー視点です。
時は遡り、ウォーリーとハリーが合流したところです。
全貌を聞かされたウォーリー、ロン、ハーマイオニー。『ほとんど首なしニック』、『血みどろ男爵』、『嘆きのマートル』、ピーブズは受けれがたく、反応に困った。
「あいつは僕を倒したと浮かれるだろう。その瞬間が隙になる」
倒れ伏したハリーを踏みにじり、高らかに勝利を宣言するヴォルデモートの姿が勝手に想像される。他人事のような光景に臓物は震えあがり、心臓は煩い程に騒いだ。
「マートル、君があいつに止めを刺すんだ。君達はそれを悟られないようにして欲しい」
ハリーが言い終えた瞬間、ロンの手が彼の胸倉を掴む。悲壮に歪んだ顔で縋った。
「君を倒させるなんて、そんな作戦……僕は嫌だ」
「ええ、私もよ。ハリー、カップはまだ破壊出来ていないわ。本当にクィレルが持っているかもわからない。貴方はダンブルドアと同じようにヴォルデモートを倒す為に自分を差し出そうとしている……」
「ハリー、貴方が死んだら……」
『嘆きのマートル』が言い終える前に『ほとんど首なしニック』が厳しく咳払いした。
「ハリー=ポッターは逝くだろう」
未練を持って、残りはしない。『血みどろ男爵』は羨ましそうに告げた。
「薬だよ! ウォーリー、君の薬を……」
急いでハリーから手を離し、ロンはウォーリーの鞄を掴む。『解呪薬』の存在を思い出すが、決意も作戦も変わらない。鞄に手を入れる彼女の手を制した。
「それだと……何の解決にもならない」
自然に出た言葉は予感であり、事実だ。『解呪薬』を飲み、泥のような異物を吐いたクィレルを思い返す。解かれる為の反動が強い。『分霊箱』にされたのは額の傷がつけられた瞬間であり、積み重なれた歳月により蝕まれた身では、死に至らしめる可能性もあるのだろう。
この命はヴォルデモートに殺されてこそ、意味がある。
「私は……ハリーを信じる」
ウォーリーは自分に言い聞かせる口調でハリーの手を両手で包むように握った。
「さっき、言っていただろう。ダンブルドアは逃げてくれと言ってくれたと……その言葉を私は信じる」
汗ばむ手は死別を恐れ、嫌い、回避を望む。
「ハリー=ポッター、決闘はわかりましたが……ピーブズの力を使うには壁を壊さねばなりませんが……」
『ほとんど首なしニック』は確認している。彼はハリーがどんな案も協力する気でいた。
「ここは戦場になる。壁は自然と破壊される……。僕の狙いは君達だけに話しておく。他の幽霊にも言っては駄目だ」
真意を打ち明けても、城にいる皆は確実に巻き込まれる。胸を罪悪感が沁みていく。ただ、クィレルからカップを奪うだけなら、話は違っていた。
「……確かに、向こうには『開心術』を使えるスネイプがいる。幽霊にも『開心術』は効くの?」
「効かないな。『開心術』は生きている者にしか、効かない」
まだ焦燥感に駆られるロンは疑問を口にし、ウォーリーが断言した。
――脳髄の視界が打ち捨てられた石造りの小屋にある。黄金の箱が空だ。
「ハリー=ポッターに従おう。ピーブズ、しくじるでないぞ」
「はっはい! 勿論でございます。男爵!」
ヴォルデモートの凄まじい怒りの渦から、『血みどろ男爵』の冷徹な声が呼び戻す。周囲を意識すれば、ハーマイオニーは手に入れたばかりの牙をウォーリーへ渡していた。
「カップの件はどうするんだ?」
「ひとつ、当てがある」
ロンの質問に即答しつつも、ハリーはこれだけは自信がなかった。
大広間に行く途中、大勢の知った顔に会った。
クレメンス=サマーズ、クララ=オグデン、リー=ジョーダン、アンジェリーナ=ジョンソン、アリシア=スピネット、ケイティ=ベル、ミム=フォーセット、チョウ=チャン、リサ=ターピン、マイケル=コーナー、テリー=ブート、ラベンダー=ブラウン。
偽金貨の伝言に応じたのだろう。DAの面子ばかりだ。
「オリバーやセドリックも来ている。さっき、ロジャーとコーマックも見かけたよ」
アンジェリーナに手を振られても、ハリーは返事する余裕はない。
ドラゴンの咆哮が聞こえ、閃いたのは幸いと言えるだろう。
二重扉の向こうでは寮席は取り払われ、大広間は『不死鳥の騎士団』たるシリウスを中心に生徒が集う。シェーマス、エロイーズ、アンソニー、パドマ、パーバティ、久しき学友の面々に感情が高ぶるが、今はマクゴナガルへ急いだ。
その間にロンとハーマイオニーが再会を喜び、ウォーリーは複雑そうな表情で自己紹介した。
「貴方が宣戦布告した後に、護りを解くんですか?」
「ある程度、時間を置いてから……ドラゴンに噴かせた炎が保護呪文を解いたように見せかけて欲しいんです。こちらが意図的に解いては勘繰られます」
マクゴナガルは眩暈を起こし、それをシリウスが片手で支える。
「ハリー、それは必要なんだな? 奴らを城に招く事が」
「そうだよ、ヴォルデモートを滅ぼす為に」
嘘ではない。
しかし、シリウスは追及せず、すぐに納得してくれた。
「あら、その名前もう言っていいんだ」
聞き慣れた声に振り向けば、ウォーリーの腕にルーナが絡みついていた。
「油断大敵だぞ。何しに来た? というか、今すぐ帰れ。ヴォルデモートがここに来るぞ」
ウォーリーはルーナの顔面を手で鷲掴みにし、引き離そうとするがビクともしない。
「トレローニー先生を知らない?」
その質問に皆、別の意味で顔を歪める。
「フィレンツェ先生にえ!」
エロイーズの声に皆の視線は二重扉に集まり、ケンタウロスのフィレンツェは勢いよく蹄を鳴らした。
「アーガス=フィルチはイルマ=ピンスが連れて脱出した。シビル=トレローニーは変わらず、塔から降りて来ない」
「先生ったら、こんな時にまで……」
パーバティは呆れて肩を竦める。
「ミセス・ノリスも一緒?」
ルーナにフィレンツェが答え、ハリーはパーバティを見やる。『占い学』を選択していたはずだ。
「パーバティ、トレローニー先生を説得できない?」
「無理―! 何をどうやって説得するの?」
パーバティは全力で断った。
「だったら、ルーナだな。トレローニー先生とは会話が出来るだろう。行こう、時間が惜しい」
「ハリー、トレローニー先生にお願いがあるんじゃない? 自分で行ったらいいと思うもン」
喋るルーナに構わず、ウォーリーはさっさと大広間を後にした。
「まさか……、カップの場所をトレローニー先生に聞くつもりだったの?」
目の据わったハーマイオニーにハリーは目礼で答える。
「ハリー!!」
巨体を揺らすハグリッドの登場でハリーはハーマイオニーの追及を逃れ、自分の肩へ爪を立てたヘドウィッグの姿に喜んだ。
「コンラッドが知らせてくれたぞお! あのドラゴンもハリーが解放したって本当か!?」
「彼には助けられたよ」
ハリーはハグリッドに答え、巨体の影になっていたコンラッドに驚いた。
「コンラッドさん、どうして来たの!? 来ちゃ駄目だ!」
ロンは慌てふためいた。
「私は来なければ、ならないからだよ」
機械的な口調は何処か、弾んでいる。
「そうだぞ、ロン。来る意思は拒めない」
ハグリッドの後ろから、フレッドとジョージが快活な笑顔で現われた。
「ロン、パースが戻ったぞ! お袋と一緒だ!」
フレッドはロンを抱きしめ、吉報を伝える。パーシーが戻ってくれた。その事実はハリーも安心させた。
「ジニーは?」
「フラーと一緒にコリン達を任せて来た」
ジョージに答えて貰い、ハリーは心底、安心した。
マクゴナガルの助力により、ハリーは『死喰い人』に告げる。スネイプの声を聞くだけで、首の後ろを怒りの熱が走った。
「ヴォルデモートがすぐに来るんじゃないか?」
「来ないよ、一時間以内には来れない」
シリウスに答えたハリーは思わず、額に手を当てる。
――水面の下に蠢く何かがいる湖を進む。
「ポッター!」
ハグリッドを蹴るように退かし、アバーフォースは凄まじい剣幕だ。
「生徒を逃がす計画だと聞いていたぞ! 逆に増えておるではないか!」
「アバ。皆、自分の意思で来たんだ」
暴れ馬を窘めるようにシリウスはアバーフォースへそう説明した。
「しかも決闘とはどういうつもりだ。一体、何が目的だ?」
それはアバーフォースだけでなく、この場にいる全員の問いだった。
肩にいるヘドウィックを解き放ち、ハリーは皆の顔を1人1人、感慨深く見渡す。この場にいない者達へも含めて答えた。
「僕は皆に戦いを生き延びて欲しい」
ハリーの嘘偽りない本心に大広間は水を打ったように静まり返った。
「グリフィンドールの剣、手に入れたんだな」
何か言わねばとシェーマスがハリーに手にある模造刀を指差す。本物は今でも、ハーマイオニーのビーズバッグに入ったままだ。
「ああ、手にれたよ」
両手で剣を抱えて、シェーマス達に見せつける。皆の視線は剣の刃に向けられ、誰もこの場から離れようとしなかった。
「ロン、剣は君が持っていて……。そうすれば、僕は安心だ」
「わかったよ」
まだ作戦に対する不満げな視線を向けられたが、胸中で詫びながら無視した。
グレイバックを倒し、ハリーはヴォルデモートの到着を感じる。
――城が見える丘にあり、その場に跪くのはクィレルとルシウス。2人を視界に入れず、脳髄には『必要の部屋』で満たされる。ハリー達がホグワーツに現れたのは『必要の部屋』に隠した『分霊箱』が目的だと当たりを付けた。
「我が君……どうか……私の息子は」
「クィリナスよ」
地面に伏して乞うルシウスを無視し、クィレルに声をかける。
「俺様が預けた品はあるか?」
「常に」
立ち上がったクィレルはヴォルデモートの傍により、ルシウスから見えぬ位置で外套を捲ってハッフルパフのカップを見せる。本物だ。
「それを持って、此処を去れ。この先、誰にも会うな」
「……お心のままに」
少しの間は躊躇いではなく、二度と主人に会えぬ無念さだとヴォルデモートは見抜いている。クィレルは愚かな野心を持ち、アルバニアを訪れたが、最も信頼できるは配下となった。
クィレルの『姿くらまし』を見届け、ヴォルデモートは無意識に呟いた。
――俺様の命を守るのが貴様だと言うのか、ボニフェース。
クィレルはカップを持ち去ってしまった。
しかし、ハリーに絶望はない。何故なら、ウォーリーがいる。彼女なら、何年かかってもクィレルを探し出すだろう。
ヴォルデモートの撤退宣言の後、ハリーはロンとハーマイオニーを連れて手近なお手洗いへ飛び込む。急いで『嘆きのマートル』を呼んだ。
「ハリー、今まで私を殺した犯人を探そうとする人はいなかった……。敵を討たせてくれるなんて……」
壁が崩れ、剥き出しになったパイプにグリフィンドールの剣を入れる最中、『嘆きのマートル』は歓喜に打ち震えていた。
「ここから、どの場所でも水を使って剣を運べるね?」
「ええ、やるわ」
やる気に満ちた『嘆きのマートル』に剣を託し、お手洗いを出る。瓦礫に注意しながら、フィレンツェは脇腹を手で押えて歩く。その背にグリップフックが優雅に捕まっていた。
「ハリー=ポッター、またお会いしましたな」
皮肉っぽく告げるグリップフックを見て、ゴブリンは好きにならないと誓った。
「ハリー、少し独りになるたいんじゃない? 決闘は貴方1人の力だけが頼りよ」
突然、ハーマイオニーは提案した。
「精神統一は必要だもの。ね?」
しかも、ロンが疑問を口にする前に彼の背を押してまでフィレンツェに着いて行った。
置いて行かれたハリーは何度も振り返るハーマイオニーの切なげな表情から、逃亡の機会を貰ったのだと踏んだ。
例え、ハリーが決闘を放棄しても残った者達でピーブズがパイプを操り、『嘆きのマートル』がグリフィンドールの剣を放つまでの時間稼ぎは出来る。
ハリーが死なずとも、ヴォルデモートは倒せる。
ハーマイオニーの思いやりに、ハリーは拳を強く握りしめて目に涙を浮かべた。
天井も床もぶち抜かれた廊下を歩き、自然と校長室の前に立つ。ガーゴイル像は無傷でそこにあった。
ベッロの遺した『憂い』がまだ校長室にあると知りながら、ハリーはもう彼から教えて貰う事はないとわかっている。ずっと肌身離さず持っていたスニッチを手にし、もう見えない文字の意味を理解した。
「僕は間もなく死ぬ(私は終わる時に開く)」
スニッチはハリーの唇を受けて割れ、黒い石を解放した。『蘇りの石』を手の中で3度、転がした。
月明かりに照らされた3人の気配は幽霊とは違うが、そこにいた。
日記の記憶だったトム=リドルが良い例だろう。
父親ジェームズはハリーと背が変わらず、年の見た目の近い為に兄弟に見える。母親リリーも同じだが、その優しい眼差しは母親のそれだった。
「ドリスさん……」
ドリスは『漏れ鍋』で初めて出会った時と全く同じ服装だった。
「あなたはとても勇敢だった」
ハリーに向けられた声、誰かの記憶の再生じゃない。自分だけに向けられたリリーの声は心を幸福にした。
「死ぬのは苦しい?」
「いいや、眠るより落ちるより早い」
ジェームズは微笑んで答えた。
「僕は貴女を利用した……。貴女にずっと甘えていた。貴女の仇さえ捕らず……」
「もう少し甘えてくれても良かったのよ。貴方達の縁次第で本当の孫になれたんですから」
冗談っぽく、ドリスは告げた。
「一緒にいてくれる?」
「「「最後の最後まで」」」
3人の声は重なる。
「貴方達の姿を見れば、シリウスも喜ぶ」
「残念だが、ハリー以外に私達は見えない。私達はおまえの一部なんだ」
それだけが本当に残念だった。
作戦通りに崩壊した城の中で皆が集まれるのは大広間だけだ。息のない人々も大広間の真ん中へ並べられた。犠牲が1人も出ないはずはなかった。
ハグリッドはこの惨状に声もなく、泣いた。
「ベクトル先生は大丈夫ですか?」
「この人は気絶しているだけですよ」
半べそ状態のスーザン=ボーンズはマダム・ポンフリーの言葉を聞いても、落ち着かない。ハンナと肩を寄せ合った。
「ジュリア」
冷たくなったバンズと共に運ばれ、ジュリアは醒めぬ眠りにつく。飛行服に身を包んだペネロピーが彼女の胸で咽び泣いた。
「……ジュリアは僕を……ジョージと間違えたんだ」
フレッドは涙だけ流し、それだけ教える。ジョージは泣いておらずとも、その瞳は悲しみに沈んでいた。
「この人……俺を庇って……」
バンズを看取ったセオドールはヘスチア=ジョーンズに伝え、セシルに慰められていた。
『人さらい』のスカビオールも運ばれ、動けぬ者達と一緒にされる。彼を運んだセドリックは父親のディゴリーに抱かれた。
「チャリティ……よく無事で……」
マクゴナガルは滅多に見せぬ涙を見せ、飛行服を着たバーベッジと再会の抱擁を交わしていた。
「ハリー、ウォーリーは何処だ?」
ビルに声をかけられ、ハリーは我に返る。確かに彼女の姿はない。ハーマイオニーは自らの期待を裏切った彼の姿に表情を強張らせた。
「ルーナと一緒にいた子なら、4階へ行きました」
ビクトールに背負われたトレローニーはそう答えた。
「いつですか?」
「……あの人の声が聞こえた後です……。彼女の探し物は何処にけば見つかるかと聞かれたので、最初に戻りなさいと」
ハリーの考えを見抜き、ウォーリーはカップの居場所をトレローニーに訊ねた。
何故、4階が思い付いたのか考える。クィレルはもう城にいないはずだ。
「あの子は行くべき場所がわかっています」
ハリーの自問自答に誰にも見えないドリスは囁く。彼女がそう言うなら、きっとウォーリー……否、クローディアは上手くやってくれるのだ。
「ジョージ、おまえも4階へ……ウォーリ―のところへ行くんだ。理由は後で話す」
冷静な口調に焦りを混ぜ、ビルはジョージの背を押す。されるがままの彼は表情も作れず、長兄に従った。
ビルの判断は正しく、その気遣いに感謝した。
「ちょっと、待ってくれ。よりによって4階に……、ウォーリーが勝手に行ったなら、追う必要はないだろ」
フレッドはジョージを引き留めようとしたが、ロンに止められる。何かに気づいたハーマイオニーは険しい表情になった。
「『禁じられた廊下』よ、ジョージ。彼女はそこへ行ったに違いないわ」
「ジョージ、彼女を頼むよ」
ハーマイオニーとハリーにも頼まれたが、ジョージは目礼で承諾を示しただけだった。
「ハリー。決闘の時、僕らは何をすればいい?」
確認してくるセドリックはハリーの勝利を信じて疑わない眼差しだ。
「その事なんだけど……、決闘の後を任せたい」
「どういう意味?」
ネビルの追及にハリーは葛藤と肉体が切り離されたように話す。これからヴォルデモートと対決する彼へと皆は集い、話を聞こうと耳を澄ませた。
「僕がどんな状態になろうと、ハーマイオニーとロンが動かなければ、誰も動かないでくれ。誰かが先走ろうとしたなら、それを止めて欲しい」
質問したいが、ハーマイオニーの眼光に誰も口を開かない。
ハリーは背に視線を感じ、振り返る。暗闇で見えぬ向こうから、ヴォルデモートは来る。
いよいよ、その時だ。
皆の悲しみに背を向け、ハリーは残骸の扉を越える。ロンとハーマイオニーが続き、シリウス、ネビル、ハグリッドも着いてくる。起き上がれる者だけが立ち、それ以外の者は外へ行く人々を見送った。
ちょうど、ハリーが大広間を完全に意識から離した時、トワイクロスに背負われたトトが運ばれて来る。コンラッドを抱えたドラコも――。
――緑の閃光の果ては真っ白だ。
うつ伏せている。周囲の音を耳を拾おうにも誰もない。指先が動くので起き上ってみる。体の無事を確かめようと触れてみれば、眼鏡がない。視界は視力のせいかと思えば、明るい靄は裸眼よりは鮮明に周囲を見せた。
線路のような溝、置かれた椅子、囲む柱、駅のホームという印象を受けた。
突然の移動にも関わらず、胸には何も不安もない。むしろ、今までいたどの場所よりも心地良い気分に浸れた。
椅子の下に異物を捉え、ハリーは屈んで覗き込む。皮膚の剥がれて脈を露にされた小さな人だった。ゾッと寒気がしても憐れむ気持ちは微塵も起きなかった。
ただ、僅かに手を差し伸べてやりたい気持ちはあった。
「ハリーは素晴らしい」
かけられた声に振り返る。白い靄がかかった世界でガーネットの瞳は、ハリーにここが生者の居場所ではないと教えた。
「ベッロ」
呼ばれたベッロは楽しげに首を振う。赤い鱗に気を取られ、近寄ってくる人影に遅れて気付く。その人がここにいるはずはない。怪訝した。その人とは数時間前に話したばかりだ。
「トトさん」
「ハリー、ベッロに先を越されてしもうた」
ハリーより小柄な男は紺色の着流しを纏い、散歩中に出会ったような口調で挨拶してきた。
しかも、トトはそのまま通り過ぎる。ハリーとベッロは後に続いた。
「トトさん、あれは一体……」
「『分霊箱』の末路じゃ。お主の中におった……若造の一部じゃ」
振り返りもせず、トトは興味なさげに答えた。
「貴方は……僕がヴォルデモートの『分霊箱』だと知っていた?」
「途中で気付いたんじゃ。孫の魔法を食らい、お主の片腕が吹き飛んだ時じゃ。いくら、処置が早かったとはいえ……あの深手で生きておる者はそうはおらん」
深刻そうにトトはハリーの片腕を見やる。そこにあるはずの傷はない。
「あれは焦った。ハリー、死にかけた。でも、奴の魂が命を繋いでいた」
するすると地面を這いながら、ベッロは告げる。去年、ハリーはセクタムセンプラを受けた場面を思い返す。片腕まで取れた事実は現場にいたクローディア、スネイプ、トレローニー、ダンブルドア、治療したマダム・ポンフリーしか知りえないはずだ。
ホグワーツに来る前、トトと話した時に一瞬だけだがダンブルドアと見間違えた。
目の錯覚でないなら、全ての辻褄が合う。
「……僕が怪我したとき、傍にいたダンブルドアは変身した貴方だった……。僕にいきなり決闘を申し込んだのは、貴方の姿のままでいるダンブルドア……。死んだのは……トトさん……」
ダンブルドアが生きていた喜び、トトが死んでいた悲しみ。
二つの感情が鬩ぎ合い、ハリーは涙した。
「ダンブルドアは……貴方を身代わりになんて……しない……。トトさんが庇ったんですか?」
「お主は聡明じゃ……それでいて、勇敢な男じゃ」
足を止めた先に椅子があり、トトは座るように促す。ハリーは腰掛け、ベッロも乗り込んでトグロを巻いた。
「言い訳にもならんが……ワシは若造を倒したかった。ワシなら、造作もないとタカを括っておった。じゃが、ダンブルドアは良しとせんかった。歯痒かった……やがて、どうにも我慢できんなった。若造の母親が生まれ育ったという家を訪ねた。そこを拠点にでもしておると思うてな」
「……そこで指輪を見つけたんですね……。『死の秘宝』の印が刻まれた指輪を……」
ハリーの脳裏に、崩れかけた小屋で指輪を嵌めようとするトトの姿が勝手に想像された。
「指輪の石が『蘇り石』だろうとは思っておった……。逝ってしまった者達と話せる……。ワシは……愚かにもそそられた。ボニフェースの遺言にもあった指輪じゃ……呪いが施されておるとわかっていながら、ワシは指輪を嵌めかけ……報いを受けた。コンラッドの力で1年、寿命を延ばしたが、ダンブルドアはワシに死なれたくないとちょいと馬鹿な提案をしてきた。最初は提案に乗ったが……」
ダンブルドアは何かの方法でトトの死を代ろうとしたが、彼は最後に自ら死を受け入れた。
「ここは何処ですか?」
「逆に聞くが、お主は何処だと思うね?」
涙を拭い、ハリーは周囲を見渡す。
「キングズ・クロス駅みたいだ……。綺麗だけど……生きている気配がない……」
「ハリーの晴れ舞台!」
ベッロはおどけて笑う。彼はハリーよりこの場所を熟知しており、キングズ・クロス駅に見える意味を理解していた。
「ベッロ、僕の命をヴォルデモートの魂が繋いでいたってどういう意味? 逆なんじゃないの?」
「それについては、ワシらはダンブルドアではないからのお。お主と答え合わせはしてやれん。じゃから、ワシの推察では……お主の命はつい先程までは、若造の『分霊箱』によって護られておった。故に、それまでは死ねぬ身であったじゃ。何故、そうなったかはダンブルドアに聞くがよかろう」
ハリーは自分の身に起こった出来事の成り立ちがすぐには理解できない。だが、一つ確かな事はあった。
「僕は帰れるんですか?」
「お主次第じゃ」
これがダンブルドアの対策。
「選べるんですか?」
「勿論」
話は終わりと言わんばかりにトトは立ち上がる。ベッロも椅子から降りたが、ハリーは立ち上がれても、2人に着いて行けない気分になった。
もうヴォルデモートを護る『分霊箱』はひとつ。クローディア達に任せて大丈夫だ。
この暖かで穏やかな世界にいれば、この身に受けた傷もなく、幸福に似た感情のままでいられる。不意に疑問が浮かんだ。
「ヴォルデモートは『ニワトコの杖』を手にれました」
「お主はもう最強の杖ではなく、最高の杖こそが魔法使いに最適だと知っておる」
不死鳥の尾羽の杖。
確かに自分に『ニワトコの杖』は荷が重すぎる。最初の杖にして、最高の杖。この手にない杖の感触を確かめんと握った。
「グリンデルバルドが教えました。あいつはどうして、杖の在り処を教えたんでしょうか?」
「ただの命乞いじゃよ。深い意味はない」
皮肉に告げても、トトはグリンデルバルドに悪感情を持っていない印象を受けた。
快活な笑顔が遠退いて行く感覚がする。別れが迫っている。ハリーの中で戻る選択が結果になろうとしていた。
「貴方はグリンデルバルドと戦わなかった。僕はそれで良かったと思います。きっと、貴方が倒してしまっては何も解決しなかった」
「ワシもそう思う。……あくまで、今にして思えばじゃがな」
もうハリーは此処から離れる。そう直感した。
「最後にひとつだけ教えてください」
トトとベッロは笑顔のまま、待つ。
「これは現実ですか? 僕の頭の中で起こっているの出来事ですか?」
ベッロはクスリと笑う。
「ハリーにとっては、どちらも同じだ」
ドラコに庇われたのは予想外だったが、時間は稼げた。
「エクスペリアームズ! (武器よ去れ)」
驚愕したヴォルデモートより、ハリーの呪文は早い。最強の『ニワトコの杖』が闇の帝王から、弾け飛んだ。
パイプから放流される水を道とし、本物のグリフィンドールの剣が飛び出る。ヴォルデモートの真上で銀の刃先が下を向いた瞬間、『嘆きのマートル』が塚の先を両手で打ち落とした。
顔を上げたヴォルデモートの口へと突き刺さり、臓物を貫いた。
「……ボニ……ス……!!」
舌をも切られたが、その呻き声が紡いだ名をハリーは確かに聞き取った。
断末魔の悲鳴を上げ、しばらく痙攣したヴォルデモートは音を立てて仰向けに倒れ伏した。
城を照らしていた閃光が消え、暗闇が真夜中であると思い出させる。フリットウィックが杖を抱え、強力な光を齎す。それでも、ヴォルデモートは起きなかった。
――終わった。
先程の地響きなど比べ物にならない衝撃が湧き起り、歓声の声と共に『姿くらまし』の弾ける音も響いた。
ハーマイオニーに抱きつかれ、ようやくハリーは実感する。彼は『嘆きのマートル』だけを見ていた。
「君の勝ちだ。もう嘆かなくていい」
ハリーはまるで試合の敗北を認めるように、『嘆きのマートル』へ賛辞を贈る。彼女は照れ臭そうに笑う。ボニフェースが恋い焦がれるのもわかる魅力的な笑みだった。
ロンに抱きつかれた瞬間、マートルから目を逸らす。もう一度、見上げた時には彼女は何処にもなかった。
「彼女は逝ってしまいました」
傍まで寄っていた『ほとんど首なしニック』に教えられる。歓声と喚き声で周囲がほとんど聞こえないが、不思議と彼の声は耳に届いた。
「ハリー=ポッター、貴方は偉大な魔法使いです」
宙に浮かぶ幽霊達、4つの寮付きの幽霊は勿論、ピーブズさえもハリーに畏まった。
「ハリー=ポッター! 彼女は何処だ!」
歓喜に群がる人々を搔き分け、ドラコは必死に問う。騒がしい人々の声から、聞き取ったハリーは唇を動かした。
「彼女は――」
閲覧ありがとうございました。
ハリーを助けるのは最強の杖ではなく、いつだって最初の杖。
マートルよ、安らかに。
彼女を昇天させるには、これしかないと思いました。
ヴォルデモートに言葉はいらないでしょう。